私のできること
2013-06-30
個別指導の教室を始めて、気がつけばもう5年以上にもなりました。その間には、いろいろなことがありました。
いつだったか私は、就学前のある女の子を厳しく叱ったことがあります。
その子は、席を立つと、近くにあったカーテンに丸まってしまいました。
後ろで目を白黒させているご両親に、「申し訳ありません、少し席を外してください」 とお願いし、まだ言語表出もおぼつかない彼女に、真剣に向き合ったものでした。
しばらくして、手にしていた教材を差し出すと、その子は、学習を再開しました。
「そうか、本当は勉強が大好きだったんだね」
私は、その時、初めてこの子の内発的な学習意欲にふれることができたのでした。
部屋の外でお待ちのご両親の、不安げなあの時の表情を、私は今でも忘れることができません。
その子は、今ではもう3年生になりますが、それ以後、1度たりとも、その子と私の気持ちが離れることはありませんでした。
ご両親は、小学校に入り、その子の手術を受けられるご決断をされました。
手術後に、首にコルセットをはめた状態でも、ずっと私のレッスンを受けに来てくださっていました。
いつもご両親そろって、レッスンを参観してくださり、そのあたたかい眼差しに支えられながら、私はレッスンをさせていただいたのです。
私は、そのことを何よりの誇りに思い、このご両親のお気持ちに少しでも添えるレッスンをしていきたいと思っていました。
そのお母さんが、突然、お亡くなりになったという知らせが、今月届きました。
私は、どうしても、その事を、心の中で受け入れることが出来ずにいました。
この日、決められた時間に、その女の子はレッスンを受けに来てくれました。
そこには、あのやさしいお母さんの笑顔はなく、気丈に振る舞おうとされているお父さんの姿がありました。
私は、このご両親の期待と共に、数年間一緒に歩んできました。
支援者としての私が出来ることは、このお母さんの深い愛情を受け、1回1回のレッスンに、真心を込めて一生懸命努めさせていただくこと、それ以外にはありません。
この子の前で、絶対に悲しい顔は見せまいと、固く心に決めていました。
でも、その事をお父さんにお伝えしようとすると、どうしても声がうわずってしまうのです。
これからも、ご指導よろしくお願いします、
そう言って頭を下げ、お子さんの手を引かれ、お父さんは帰っていかれました。
私の心の中から、あのお母さんの笑顔が、片時も離れることはありませんでした。
「お母さんの願いは、先生の心の中から消えることはないよ」
「お母さんは、ずっとずっとここにいるのだから」
我が子の幸せを、ただただ願い、毎回いつもご両親で見つめて来られたその成長の軌跡を、決して色あせるものにしてはいけない、
その託された母の願いを、これまで以上にしっかりと受け止めて、私はこの子と歩んで行きたい。
私の鞄の中には、このお母さんの直筆のお手紙が、入っているのです。
真心を込めた、一期一会のレッスン、
機会を与えていただける限り、そのことだけに、真剣に立ち向かえる自分であり続けたい、
私のなすべき役割は、それ以外には、あり得ない。
「いつも妻は、先生のお言葉の一つ一つに、励まされ、支えられていました」
あなたの成長が、母の願いに支えられ、そしてこれからもそうであり続けることを、私はいつまでもこの子に伝えていこうと願っているのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-07-02)

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特別支援学校での研修会
2013-06-29

昨日、岡山西支援学校の職員研修会におじゃまさせていただきました。
車で行くと、わずか20分余り、
まさに地元地域の支援学校です。
教務の先生、研修係の先生には、これまでに何度もメールをいただき、今回の研修についての打ち合わせをさせていただきました。
学校に着くと、研修係の先生から一通の手紙を受け取りました。
昨年12月まで、ずっと私の教室に通ってくれていた女の子からの手紙でした。
「これまでずっと勉強を教えてくれてありがとう。楽しかったです。私は西支援学校で楽しくがんばっています。また、SHINOBU先生と一緒に勉強したいです」
そこには、そのような内容が書かれていました。
お母さんからもメールをいただきました。
「西支援学校でもまた、担任の先生にほんと~に恵まれ、会っていただけるとすぐに感じられると思いますが、ほんと素敵な先生です。とっても楽しんで学校に通っています。本当によかったです。」
講演が終わると、その担任の先生にお目にかかることができ、まさにイメージ通り、お母さんのメールそのままの先生でした。
研修係の先生は、眞田先生のところで学ばれた、いわば同門の門下生といったところでしょうか?
以前、小学校の学級担任をしていたとき、同じ学年を担任していた先生とも、それこそ10何年ぶりの再会となりました。
こうした優秀な先生が、きっとこれからの教育を力強く前進させていかれることでしょう。
地元の支援学校ですから、これからも、何人もの子どもたちがここに通うことになるでしょう。
「支援学校で、学びそのものの充実にさらに力を入れていきたい」
教務主任の先生は、私にそのようにお伝えくださいました。
子どもの心の中にある、内発的な学びの意欲を、もっともっと大切に育んでいきたい、
この日の小さな一歩が、そこにつながる道すじとなるように、これからもしっかりと前を向いて歩いて行きたい、
今回のご縁が、一人一人の先生方と、何か一つでも、大切なことを共有する機会となることを、願わずにはいられないのです。

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ひらがなが読めるようになる瞬間
2013-06-26

今年、小学1年生になった男の子がいます。
就学前から、ずっと週1の個別サポートをさせていただいていました。
いつも元気いっぱい、笑顔のステキな男の子です。
言語による応答的なやりとりが豊かにでき、数もちゃんと数えることができます。
なぞり書きとかも、とても上手にできていました。
そんな彼ですが、なかなかひらがなを読むことができない期間がありました。
理解言語も、聴覚性の言語も豊かに育っている、
文字言語を認知し、音声化したり、理解言語のベースに乗せるところだけ、苦手だったわけです。
この先、この子に、言語に関連する様々な感覚が育っていけば、ほどなくこの子は、ひらがなが読めるようになるに違いない、
ならば、その苦手な部分にだけ支援を入れながら、言語にかかわる各種感覚を、達成感をもたせながら楽しく構成してやろう、
それが、私の立てた支援計画の柱であり、支援者としての私のなすべき役割だと決めていました。
昨日、その男の子のレッスンがありました。
絵とひらがなのカードとを対応させるプリントをさせてみました。
先週までは、絵を見なければ、「ぞう」 を 「ぞう」 と読めなかったはずです。
ところが、今週来てみると、少し間違えることはあるものの、その大部分を自分の力で読むことができるようになっていたのです。
言語表出についても、読字にしても、出来るとき、分かるときは、いつもこんな感じです。
ターゲットとなっている行動に向かって、様々な感覚のニューロンやシナップスがニョキニョキと育っていく、
そして一定の段階で、それらがある日突然ぐるっと統合化され、目標実現のための有機的なネットワークが構成されていく、
当たっているかどうかは別として、私はいつもそんなイメージで、レッスンを積み重ねているのです。
字が読めるようになったら、学習の幅は、格段に広がっていきます、
本当におめでとう、
私の果たした役割は、きっとほんの少しにしか過ぎませんが、この日が来るのを信じて、ずっと一緒に歩んできたのは事実です。
記録を見ると、2010年の5月からレッスンをさせていただき、その間個別サポートも含めると、この日までに約170回のレッスンをさせていただきました。
文字が読める、
それは私たちにとっての大目標の一つであったわけで、その目標に向かって、一つずつのレッスンを積み重ねてこられたことを、とてもうれしく思います。
言葉の海を、自由に泳ぎ回れる子に育てたい、
そのために積み重ねていく大切な1回のレッスン、
その小さな一歩の向かう先を、自信をもって、笑顔で、しっかり精査していくこと、
支援者としての力量は、きっとそういうことに集約されていくに違いありません。
この子と歩んできた道のりこそが、私にとっても何よりの宝物となったのです。

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非言語の子どもの ステキな感性
2013-06-23
私の教室には、表出言語のほとんど見られない子もいます。また、他の人が聞いたら、まったく意味のない言葉を、しゃべり続けているようにしか見られない子もいます。
このように、いわゆるアウトプットが苦手なタイプの子には、内言語・理解言語が育っていないかと言えば、その答えは 「NO」 と言わざるを得ません。
むしろ、アウトプットが苦手な分だけ、心の中の感性がとても豊かで美しい場合が多いと、私は思っています。
いつだったか、ノートルダムの青山先生と、居酒屋にご一緒した時、この話で、えらく共感した思い出があります。
子どもの心に寄り添う実践者なら、多かれ少なかれ、みんな同じような思いをもっているはずだとも思っています。
今日は、中学生のとも君のレッスンがありました。
小学校のときからのレッスンですから、もう4年以上にもなるでしょうか?
とも君は、以前は、教室に入ると、なかなか学習席に着席できない時期がありました。
肩をもって、学習席へ導こうとすると、ぐっと踏ん張ったりして、なかなか動こうとしません。
でも私は、この子が学習自体を嫌がっているのではないことは、分かっていました。
一度、学習席に着いたこの子が、離席したり、学習そのものの抵抗感を示したりしたことは、一度もないのです。
学習席に着こうとしないとも君に、私は、ありったけの笑顔でやさしく語りかけます。
最近よく雨がふるね~
もうプールは始まったの?
疲れていないかい?
学校は楽しい?
困ったことはないの?
言語表出はありませんが、とも君は、いつもやさしい顔をして、私の言葉に耳を傾けてくれます、
言葉の一つ一つが、彼の心にしったりと届いていくのがわかります。
今日もよく来てくれたね、
そう言って、彼の肩にやさしく手を添えると、体は自然に学習席の方へ動いて行きます。
百万の言葉に代わる、おだやかな彼の気持ちが、ゆっくりと私の心に流れ込んでくるように感じます。
これぞまさに、ノンバーバルコミュニケーション、
誰よりも深い信頼の気持ちを、私は彼の肩に添えた指先から、感じることができるのです。
彼は、私にやさしい言葉をかけてほしかったのです、
学習席に行かず、足を踏ん張っていたのは、そういうメッセージであったわけです。
たとえ高邁な理論を身につけ、難解な言葉を操ることができたとしても、こういうメッセージがキャッチできない支援者がいたとしたら、コミュニケーションレベルといった観点からは、子どもより、支援者の方の感性がにぶいとしか言いようがありません。
論理で動く者ほど、感性が鈍くなるというのも、ある意味真実です。
行動面でうまく行っていないケースをよくよく見れば、それが子どもだけの問題でないことがほとんどです。
うまく行かないことを、それをすべて子どもの障がいのせいと、転嫁してしまうようなことがあってはいけません。
人の行動は、すべてつながりの中で動き、決定づけられていくのです。
「先生のおかげでこの子はここまで来られました」
そんなお言葉をいただくこともありますが、私は、お子様の成長を、ただただ確かめさせていただいたに過ぎません、
ご家族の深い愛情と、たくさんの先生方のお力、そして何より本人の努力があればこそ、この子はここまで育ってきたのです。
言語優位の私は、自分の感情理解のアンテナが、相当に鈍いことを自覚しています。
だからこそ、レッスン中は、短いアンテナを、いつも全方位でフル回転させているのです。
私は、こういうやり方で、自分の欠点を補おうとしているのです。
欠点のある私だからこそ、こういうことができるようになってきたのです。
行動の背景にある、子どものピュアな感性を心の底から信じているかどうか?
とも君が、確かめたかったのは、そんなことではなかったかと、私は思っているのです。

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型を破るために 身につける型
2013-06-19
私は、PBS、応用行動分析、TEACCHプログラム、インリアルアプローチなどの手法から、たくさんのことを学ばせていただきました。 いずれの内容も、今の私のレッスンには、なくてはならない大切な内容となっています。
今も、世界各地で、望ましい子どもの成長や発達のために、様々な研究がされ、有効なアプローチが次々と紹介されています。
これからも、もっともっと勉強して、自分の力量をさらに高めていきたいと願っています。
私はこれからもずっと、子どもの肯定的な自己理解の力と、内発的な学びの意欲を育てるためのマンツーマンレッスンのあり方について追求していこうと決めています。
そのためには、ねらいをしっかりと見定めた上で、子どもの目を見、その息づかいを感じながら、ライブで内容を組み立てていく力量が不可欠です。
私はわたしなりのアプローチで、自分なりのあるべき形を作り上げていきたいと願っているのです。
表現があっているかどうかはわかりませんが、どこにもないSHINOBU流のチャレンジ、
まさに型破りの発想です。
このことを実現するためには、定番のアプローチについては、一定の内容を理解しておくことが不可欠です。
亡くなった中村勘九郎さんが、「定番の型がきちんと身につけられない者に、決して型を破ることはできない」 と、言っておられたことがあります。
私は、この言葉を聞いたとき、まさに我が意を得たり、という心境になりました。
アプローチそのものが先にあるのではない、
そのことが出来ていて、なおかつ、血の通った生きた支援が出来ること、
先にあるのは、子どもの実態であり、教育的な願いであるはずです。
検査も、プロフィールも、アプローチも、子どもの成長のために生かすべきもの、
その平均値だけをもってして、視覚優位なんて決めつけてはいけない、
何でもかんでもを、たった一つのアプローチだけで処理しようとしてもいけない、
何が見えにくいのか、そのことを補完しながら子どもに何が育っているか、
どんな視覚支援が有効なのか、どうすればその子が次のステージに進めるのかなどを、今、行っている教育活動の中で、具体的なレベルで精査できる自分でありたい。
いつも子どもの目を見て、大切なことを感じ取ることができる、
専門用語だけを、次々に並び立てるようでは、まだまだ半人前、
平易なな言葉で、子どもの心にも、ご家族の心にも、ストンと落とせる大切な内容を、しっかりと見つめることのできる自分でありたい、
そこを目指して歩みつづけることこそ、自分らしさを発揮できる、たった一つの方法だと信じているのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-06-20)

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身近にある奇跡
2013-06-17
隔週で、私の所に通ってくれている6年生の女の子がいます。算数は少し苦手なので、7+6など、基礎的な数量の力を育てる学習を積み重ねています。
国語の勉強は大好きで、私はこの子の文章を読む力にとても注目しています。
この子は通常学級で学んでいます。
今月末には、2泊3日の林間学校があって、今はその林間学校に向けて、クラス全体がまとまっているようです。
林間学校のときにする出し物なのでしょうか?
レッスンが終わった後で、その子は、何度も私の前で、楽しそうに歌や踊りを披露してくれました。
先日、運動会があったそうですが、クラス全体がまとまり、子ども相互の信頼関係のもと、充実したすばらしいものになっていたようです。
集団の中で、この子が果たしてきた役割にははかり知れないものがあります。
そして、この子も、自分が集団に寄与している感覚をしっかりと感じとっているのです。
中学校になったら、支援学級や支援学校への入学も視野に入れています、
お母さんはそうおっしゃいます。
今、支援学校の高等部に行っている男の子も、小学校は地域の小学校でがんばっていました。
そういう選択もあるのです。
だからこそ、今このときの大切さを、しっかりと受け止めることができるのです。
私は、今月末に、岡山西支援学校の教職員研修会におじゃませていただくことになっています。
この一月から、その支援学校に通うようになった中学3年生の女の子のお母さんから、先週メールをいただいました。
中2までは、地域の中学校で学んでいた子です。
どうやら、支援学校ですばらしい先生と出会い、とても充実した毎日を送っているようです。
支援学校の先生からは、「その子からSHINOBU先生あてのお手紙を預かっています」 というメールをいただいました。
「娘がSHINOBU先生にとても会いたがっています」
「生活が落ち着いてきたので、機会を見て、パーソナルレッスンに参加させていただきたいと思っています」
お母さんのメールには、そう添えられていました。
私は、飛び上がらんばかりに喜びました。
支援学校でどうしているんだろう、
そのことが不安で、お母さんにメールでお尋ねすることすら、ためらっていたのです。
「支援学校だからこそ、教科学習そのものの大切さと、学ぶ喜びをしっかりと見つめて行きたい」
教務主任の先生と、研修担当の先生は、私にそうお伝えくださいました。
きっと、この支援学校には、すばらしい先生方がいて、とても豊かな教育実践を積み重ねられているに違いありません。
私には、この女の子との5年間に渡る個別指導の実践があります。
そのことを通して、何か少しでも、先生方の参考となるような内容をお伝えしたい。
私の個別指導は、学校教育があればこそ生きる、
そして、そのことを見つめることにより、学校でしか出来ない大切な内容を確かめることができるのだとも思っています。
そこに子どもの幸せを願う強い気持ちがある限り、運命の糸車は、決して誤った方向には進みません、
縁は、どこまでつながっているのか、はかり知れません、
真摯な気持ちを前にしたとき、日常そのものが、すでに奇跡となるのです。

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ほんまもんの気持ち
2013-06-13

今から数年前、大阪の、5歳のダウン症の女の子のお母さんからメールをいただきました。
「大阪から、岡山へレッスンを受けに来たい」 というお問い合わせのメールでした。
当時、私の教室は、まだ数人の子どもを教えているだけの、ほんの小さな教室でしたから、県外から来ていただくなんて思いも寄らぬこと、
「きっと、お近くにお子様にぴったりの場所があるはずです」
と、ていねいにお断りをさせていただいたことが、今でも記憶に残っています。
その後、半年くらい経って、
「いろいろ近くの機関もあたってみましたが、やっぱり、先生の所で勉強をさせたい」
と、いうメールが再び届いたのです。
これには、私の方がまいってしましました。
こうしたご縁がきっかけで、その後数年にわたり、今でも大阪でのレッスンが継続しているのです。
この女の子は、今4年生になっています。
今週、支援会議が開かれるというので、簡単な資料を送らせていただきました。
すると、以下のような内容のメールが送られてきました。
お忙しい中、素晴らしい支援ファイルをおつくりいただき本当にありがとうございます。
先生が娘をこのような強い思いでご指導いただいていることを改めて知り、胸がいっぱいです。本当にありがとうございます。
私も久しぶりに娘の支援ファイルを作り直しています。
娘が豊かな人生を送るためにという親の思いに変わりはありませんが、この4年で変わったのは、娘の周りで支援してくださる素晴らしい先生方が増えていったことです。
心穏やかに毎日を過ごせていることに心から感謝いたします。
添付したのは、先日の漢字テストです。
今まで漢字テストはいつも問題文をそのままひらがなで写していました。
私も先生方も「みんなと同じテストは無理だろう」と思ってひらがなでokとしていました。
でも最近の娘の様子を見て娘にもできるかもと思い、「書けるなら漢字で書いていいんだよ」と言って毎日5分間だけ一緒に漢字の練習をしました。
そして初めて受けたテストです。
正解は5問ですが、すべて何とかそれなりに書こうとしているのがうかがえます。
私にとっては満点です。
とても嬉しかったので先生にもお見せしたくて。
今後ともよろしくお願いいたします。
また支援会議の様子などお知らせさせていただきます。
うれしくて、うれしくて、泣きたいのは私の方です。
しかし、ここまで来る道が、決して平坦でなかったことを、誰よりも知っているのも私です。
「私が付いていながら申し訳ありません、世の中に神様っていないものですかね」
駅に向かう車の中で、支援者の私が、そうごぼした日もありました。
ご両親と3人で、夜遅くまで、飲食店にこもって作戦会議をさせていただいたこともありました。
お昼ご飯をご自宅でいただいた後に、一緒に小学校にお伺いさせていただいたりしたこともありました。
およそ、普通じゃ考えられないことを、何も考えずに、ご両親と一緒に取り組んだ日々でありました。
「通常学級で学ばせたい」
このご両親の深い決心こそ、まちがいなくほんまもんです。
そうでなければ、決して私はここまで寄り添うことはできませんでした。
バトンや一輪車が大好きで、人をいっぺんに引きつける弾むような笑顔、
毎日、みんなと勉強することが、楽しくてたまらない、
学校の教育環境は、2年生の頃から、劇的に充実されていきました。
何がこの子の可能性の道を拓き、
何がこの子に奇跡を巻き起こし、
何がこの子の笑顔を支え続けて来たか?
私は、その真実を、ご両親のそのまなざしから、いつも感じ取っているのです

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自分を生かせるフィールド
2013-06-08
私が赤ちゃん体操のレッスンを見に行くと、何人もの赤ちゃんが、一斉に私の方を見ます。それぞれの赤ちゃんに目が合うので、手を振ったり、笑顔を返したりするのですが、何らかのレスポンスが必ず返ってきます。
赤ちゃん体操は、最近たくさんの方が見学に来られますが、よくよく観察してみても、一般の方では同じようなことが起こったのを見たことがありません。
この5年間、200人近い子と真剣勝負で向き合い、10,000時間を超えるマンツーマンレッスンを積み上げて来た私にしかない、非言語のオーラが、そこにあるのです。
「SHINOBUさんは、まちがいなく天才よ、
でも、誰でも当たり前に出来ることが、SHINOBUさんには全然出来ないないのよ、
それでもって、そのことを全く自分で自覚できていないのが、最悪ね、」
いつだったか、焼鳥屋のおばちゃんにそんなことを言われたことがあります。
その時、私はそのことが、どれだけショックだったかお分かりになるでしょうか?
その後、何ヶ月もその言葉だけが、頭の中でぐるぐると回っていたものでした。
「でもね、その欠点があるからこそ、SHINOBUさんは天才なのよ、
マイナスの部分に引きずられている場合じゃないでしょ」
「あなたには、その才能が生かせるフィールドが、目の前に広がっているの、
あなたを待っている子ども、新しい命が、今生まれているのよ、
あなたは、そのために神様から命をつないでもらっているの、
でなけりゃ、あの時の手術で、あなたはとっくに死んでいたはずでしょ」
もちろん、これは、焼鳥屋のおばちゃんの話で、私は天才でも何でもありません。
ですが、私のアイデンティティは、こんな形で確立されていったのです。
欠点や課題があるからこそ、今の自分がある、
欠点のある私だからこそ、なすべき役割がある、
そう思った瞬間、暗闇の中に、自分の進むべき道が、くっきりと浮かび上がって見えるように感じました。
どんな命にも、必ずその命にしかない輝きというものがあり、果たさなければならない大切な役割がある、
でも、重い課題を背負いながら、そのことに気がつくのは、そんなにたやすいことではありません、
あなたの瞳は、いつかの自分と同じ色をしている、
私には、そう感じるのです。
私は、プロの支援者、
君が輝けるフィールドは、必ずあるし、
それを信じ、作り上げるのが教育の仕事、
私の非言語のオーラは、ピュアな命には、ダイレクトに響いていくのです。

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支援者だからこそ見える 子どもの成長
2013-06-06

就学前にここに来始めた女の子が、もう5年生になりました。
初めてここに来た時、その女の子は、机の上によじ登ったり、ねそべったり、強烈な自己主張を始めました。
「検査に行ったときもこうでした。おかげで測定不能、最重度の判定をいただきました」
お母さんは、苦笑しながら、私にそうお伝えくださいました。
あれから5年、月2回のペースで、お母さんはずっとこの子を私の教室に連れてきてくださいました。
その子が、ここに来て、急に目をみはるような成長を見せてくれ始めました。
これまでは、かまきりの絵を示して「これ何?」と尋ねても、私が、「かまきり」というのをリピートするのが精一杯という感じでした。
ところが、今月になって、すべてというわけではありませんが、50%~60%以上の確率で、自分で「かまきり」だとか、「ほたる」だとか、正しく答えられるようになっていたのです。
先月までは、決してこうではなかったはず、
一体、何がどうなってしまったのでしょう。
先月まで、言語表出が全くなかった子が、今月になって突然しゃべり出す、
先月まで、何を言ってるのか分かりにくかった子の言語が、とても明瞭に話せ始めた、
私はこれまで、そうした数多くの事例に出会ってきました。
ここでは、学校教育のように、1年で1000時間以上の授業を構成することはとてもできません。
学校に成り代わる存在として、お子様の学びを保障することなど、到底不可能です
ですが、私のような支援者が、現実に5年にも渡って、ずっとお子様の学びや育ちに寄り添って歩むことはできます。
土を耕し、肥料をまき、やがて来る芽生えの瞬間のを大切さを、しっかりととらえきれる存在、
わずか1年のかかわりでは見えない、大切な子どもの育ちがそこにあるのです。
この日、この子は、私がクレヨンでかいたイラストを、抱きかかえるようにして教室を後にしました。
そう言えば、前回は、行動のコントロールがうまくいかず、ずいぶん厳しくこの子に注意をしたはずです、
ご家庭でも、しっかりと言い聞かせてくださり、この日のレッスンを迎えてくださったようです。
この日が来るのを信じて、ずっと学習を積み上げてきて本当によかった、
「子どもの可能性を信じること すべての教育はここからスタートします」
うちのパンフレットの冒頭に、私はそんな言葉を記しました。
あの日、机の上に寝っ転がった姿を、私は決して忘れることがありません、
そしてこの日、次々と物の名前を言い当てるこの子の成長も、忘れることはできません、
今度は、いったいどんな一歩を踏み出してくれるのでしょうか?
私たちの学びの歩みは、これからもずっと続いていくのです。

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支援学校での研修会
2013-06-04
この度、ご縁があって、岡山西支援学校の教職員研修会でお話をさせていただくことになりました。昨日、教務主任の先生と研修担当の先生が、こちらまで足を運んでくださり、研修内容についての打合せをさせていただきました。
その時、教室では音楽療法のりえ先生が、レッスンを行っていました。
教室に入るなり、研修担当の先生とりえ先生が顔を合わせてびっくり、
どうやら、そのお二人とも、大学院で眞田のご指導を受けたお仲間だったということです。
りえ先生は、眞田先生のもとで博士号の学位を取得し、一方研修係の先生は、修士課程の1年次に採用試験に合格、今は支援学校の研修担当として第一線で活躍されているのです。
さすがは眞田先生、門下生も抜群の出色です。
午後には、今学部の4年生で、眞田ゼミにいる子が、卒業研究の一環で、6年生の男の子のレッスンの支援に参加してもらいました。
岡山西支援学校では、向上心に燃えた、若い先生が多いとお聞きしました。
就労や社会参加という視点だけでなく、教科学習そのものの大切さと楽しさを、もっともっと生徒に体感させたい、
若い先生方の意識をさらに改革し、それぞれの生徒の深い特性に基づいた、専門的な指導支援のあり方を、実践を通して明らかにして行きたい、
教務主任の先生のお言葉の端々から、強い研修への願いを感じ取ることができました。
微力ですが、これまで多くの子ども達と歩んできた実践の歩みを、心をこめて先生方にお伝えしたい、
その実践の一つ一つに、どれだけ多くのご家族の熱い願いが込められているのかを、何としても多くの先生方の心に響かせてみたい、
そんな思いを強くしました。
岡山西支援学校は、ここから一番近い支援学校、
いわば地元地域の支援学校です。
そこに強い意志と願いがあればこそ、次々とこうしたご縁が広がっていくというものです。
まさに一期一会、
すべては、子どもの成長と幸せのため、
小さな一歩を、ていねいに積み上げていきたいと、心から願っているのです。

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