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さよなら友里ちゃん

 2012-12-29
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あれはたしか、平成20年の初夏のことでした。

携帯に1本の電話がかかってきました。

「あの、ホームページを拝見させていただいたのですが・・」

私の所に、初めてかかってきた、入会のお問い合わせの電話でした。

その方が、友里ちゃんのお母さんでした。


その日から、友里ちゃんのお母さんとの二人三脚のあゆみが始まりました。

色々な試行錯誤の中から、学習の基本である読みの指導に焦点化したレッスンとなりました。

逐次読みで、文字を文脈としてとらえにくいその頃の友里ちゃんに、何とかして言語の扉を開きたい、それが私たちの大目標となりました。


夏休みサマースペシャルと称した、毎週2回90分の集中指導、

本当によく付いてきました、

今となっては、伝説のレッスンです。

それまで本とは無縁の友里ちゃんが、いつの間にか、書店で本を選ぶようになり、物語を読んではゲラゲラと笑うようになりました。


お母さんの依頼を受けて、小学校の校長室に直談判に出かけました。

あの頃は、私にも時間がありました。

その日の1本のレッスンのためだけに、朝から数時間かけて教材を作ったりしたものでした。


運動会にも出かけました。

学習発表会も見に行きました。

卒業式の日には、学校からいただいたおまんじゅうをこの教室に持ってきて、一緒に二人でいただきました。

何から何まで、私にとっては、大切な宝物です。


嵐のように駆け抜けた平成24年のレッスン、

365日のうち、レッスンをしなかった日は、おそらく1年に5日にも満たなかったと思います。

2,000時間どころか、2500時間を超えたレッスンを行ったかも知れない・・

その今年の最後のレッスンが、友里ちゃんとのレッスンになりました。


実は、ご家庭の事情で、この日のレッスンを最後に友里ちゃんがこの教室を卒業していくことになりました。

私も休みませんでしたが、この子が体調不良などで、毎週のレッスンを休んだ記憶は全くありません。

おそらくは、私も友里ちゃんも、毎年毎年、皆勤賞の連続でした。


中学生になり、友里ちゃんは支援級で学ぶようになりました。

でも、ここでのレッスンは、一般の中学の教科書を使い、友里ちゃんに合わせて、毎回、オリジナルの問題を作成してきました。

私は、友里ちゃんの認知特性も、言語の育ちも、ずっと間近で見つめて来ましたから、教材文に合わせて、友里ちゃんがちょっと頑張ればクリア可能な問題を、展開を考えて、毎回構成することができるようになりました。

いわゆる発達の最近接領域を、その場ですぐに提示できるようになりました。


この日の問題も、7割程度は自力解決、

残りの3割は、予想通りの質問を私に返し、待ってましたとばかりに、私は用意していた補助発問を与える学習の展開となりました。


予定の時間が来ると、お母さんが、妹を連れて教室に入って来られました。

お話を始めて程なく、お母さんの目に熱いものがこみ上げていました。


大変なご苦労を、一人で背負い、弱音一つもはかずに、笑顔でずっと前に進んで来られたお母さん、

私は、誰よりも、このお母さんのあゆみを理解しているつもりです。

そして、今回のご決断に、どれだけ深い思いが込められているかも、分かっているつもりです。


支援者は、母と共に揺れていてはいけない、

それが苦しい場面であればあるほど、しっかりと大地を踏みしめて、大丈夫ですよと、行く先を笑顔で指し示していかなくてはいけない、

それが、私の、支援者としての信念です。

私は、こぼれ落ちそうのなる自分の気持ちを、これえるのに精一杯でした。




この子が4年生の時、何もかも行き詰まり、何かにすがりたくて、助けてほしくて、ネット検索していたとき偶然にも見つけた先生との出会い本当に奇跡でした。

どんなに苦しいときも先生の存在と、「これからも一緒にがんばって行きましょうね」と必ず言ってくださる言葉、私たち親子をずっと支え続けてきてくださいました。

いつまでも先生のそばにいたいと思っているのは娘よりも私のほうかもしれませんが、いつまでもすがりついているわけにもいきませんね。


娘は十分すぎるほど、伸ばしていただきました。

正直、こんなとこまで来れるとは思ってもなかったです。

本当に本当にありがとうございます。


個別指導は卒業させていただきますが、これからもずっと娘の大好きなSHINOBU先生でいてやってください。

また行き詰ったときには相談させてください。

そして親子で会いに行かせてください。

先生の存在がいつまでも私と娘の支えです。





友里ちゃんとの言語のあゆみは、形を変え、今では就学前のお子さんの文字の指導まで、脈々と受け継がれています、

今の私の言語の指導は、この子とのあゆみがなかったら、決して成立していなかったと思います、


お母さんは、母としてすべきことは、全部成し遂げられました、

これからも、気持ちをしっかりともって、前に進んで行ってください、

私は、そのようにお伝えしました。


「今日、先生と一緒にケーキ食べたんよ」


一期一会のレッスン、

あの日の電話から、この日の最後の一瞬まで、ずっとこの子の気持ちに寄り添えるレッスンを続けることができた、

それが、私の最大の誇りです。


友里ちゃん、ありがとう

私の心から、この子とのあゆみが消える日は、きっと永遠にないのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-12-30)






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結果を残してこその 支援者の仕事

 2012-12-24
私が教室を始めて半年間くらいは、花子ちゃん・太郎君・友里ちゃん・かれんちゃんのたった4人の教室でした。

それが翌年の春に一気にお申し込みが重なり、一日に5人以上の新規の子が来てくれた日もあります。


その年の春には、大阪でのレッスンが始まりました。

新規の子も含めて、毎日8人9人のレッスンをこなし、その足で大阪に宿泊、

深夜になっても、翌日の準備ができていない日もありました。


今だからこそ言えますが、あの頃は、本当に苦しかった、

でも、苦しかった分、他では決して替えることのできない大切なことを習得することができました。


あの日、1年生だった花子ちゃんも、今や6年生、

来春には、中学生です。

以来毎年、年間2、000時間、

のべ10、000時間以上の、個別指導の臨床実践を積み上げていくことができました。


これだけやっていれば、誰だって、大切なポイントというものがわかってきます。

言葉にすれば、単純なことですが、それは決してマニュアル化したり、レシピにしたりすることはできません。

いつ語頃からか、その10、000時間の間に、10、000時間やったものでなければ分からない、自分なりのキモの部分が見えてきました。




お世話になりました。今日もレッスンは楽しかったようです。
息子はいつも今、気になる事や、したい事で頭の中がいっぱいなので学校の事やレッスンの事など悩みがない限り私には詳しく話しません。

今日のレッスンで『豆電球をしたんだよ』と嬉しそうに話していました。
ありがとうございました。
一学期に比べ、休み時間に嫌な事があっても次の授業に遅れずにでたり、授業中に腹がたっても教室から飛び出たりもなくなったようです。

担任の先生も『先では自分が行きたい道に進む子だと思う』と言われていました。
授業中の姿勢が悪かったり、興味のないことには集中力が続かなかったり、食べ方が汚かったりと課題もあるようですが、少しずつ成長してくれたらと思います。
最近は家でゲームをしたり、好きなことをしてくつろぐのが好きなようです。『学校大好き!』とは言いませんが、二学期も休まず行ってくれました。

自分を理解してくれている先生方(学校の先生達やSHINOBU先生)に出会えた事が息子の情緒が少しずつ落ち着いてきている一番の理由だと思います。

リハビリの先生とはまだまだ信頼関係が築けていないようで、泣いたり怒ったりする日もあり、二、三日前も『リハビリにはもう行かない』と言ったりしていました。
リハビリの先生には、息子の気持ちを伝えようとは思っています。
息子はリハビリの先生の行動が理解出来ないようで『こちょこちょしたり、物をかしてくれなかったりする・・・』と私に話していました。
今の息子を見て、SHINOBU先生にご相談に行かせていただいて本当に良かったなと思っています。
来年もよろしくお願いします。






お世話になっています。2学期の懇談会の内容をお伝えします。

先生は、できることが増えてとても嬉しいと言ってくださいました。カタカナが読めるようになり、朝の会では司会をしに前に来て、先生の名前を聞いていてもわかるくらいクリアに言えるようになってきたとのことです。

その後のクラスの懇談では、授業中の騒がしい様子は参観の時と同じくらいか聞いたら、「もっとです・・・」と、脱走もするし、他のみんなには「今はその声は聞かずに、先生の声だけを聞きなさい、と言っています」とのことでした。算数のテストの時には、教室の外に出てもらっていることもあるとのことでした。

担任の先生は、息子の能力はとても高い、それを引き出す手立てを考えたい、周りをとてもよく見ていて状況を分かっている、だからこそ自分が授業内容を理解できないこともわかるので、騒がしくしてしまうのではないか。できることも多いので、初めからできないというのではなく、できるということを前提にやっていきたい。担任は厳しいのがわかっているので大人しくしている、介助員の先生には甘えて騒いでしまう。2学期の後半は、給食も一列後ろに付き添い、自分ひとりで食べて、片づけも行っている。クラスのみんなには、何でも手伝うのではなく、息子が困っているときにだけ手助けするように言っている。クラスのみんなも1学期と変わらす、とてもあたたかく接してくれています。みんな息子のことが大好きで、隣りのクラスの子も息子と関わりたいのだけれど、違うクラスなので関われず残念がっていると隣りの担任の先生も言っているとのことです。

懇談時の体育の日だけは、いつもは好きに走りまわっているのに、今日だけはみんなと一緒に並んで準備体操をし、リレーもできて、「なんだできるやん、じゃいつもしてほしい。参観だときちんとできるし、今日が懇談だとわかっていたんじゃないか(笑)」でもそれだけ周りを見れてわかっているからこそ、ダメなことはもう少し言ってもいいのでは。ただ本人の負担になったらかわいそうだから、その見極めをしないといけないとのことでした。

みんなにとってダメなことは息子にもダメなので、もっと厳しく言ってほしいとこちらからお願いしました。注意する程度や状況に関しては、無茶な注意の仕方ではなく、何を注意されているのかきちんと説明してくれると信頼できる担任の先生なので、お任せしたいと思います。授業に関しては、日に1~2回の抽出以外は、これまで通りクラスで授業を受け、内容は息子のできる課題に変えるのはどうか提案しました。担任の先生もそれがいいとのことで、私がみんなと同じ教室で授業を受けたいと当初から言っていたので、それを尊重してくださっていたようです。ただ、息子は自分を見てほしい気持ちが強く、2学期は本読みも飛ばすことなく当てていたとのことなので、3学期から自分だけ違う課題をするこ とがどう働くかなぁと不安はあります。いかがなものでしょうか。またご相談をお願いいたします。

私としては、10月後半くらいから、登校時におんぶなしで一人で歩いて行けるようになったことがとても嬉しいです。今ではすぐ後ろをついてこないで・・・と指示するまでになり、調子がいいと補助カバンも自分で持って行きます。保育所時代から2年半かかりましたが、ようやく自分で行きたいという気持ちになったみたいです。一人で歩きながらも、昇降口に支援級の先生がいるか探しています。支援級の先生をはじめ、担任の先生、介助員の先生方、信頼できる先生のもと、息子が安心して学校生活を送れていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

家では宿題を一緒にするのが精いっぱいで、他に何もしていません。SHINOBU先生のレッスンで読めるようになったり、数えれるようになったり、手先が器用になったりしたことが、学校の授業でも生かせるようになり、それが本人の自信へとつながり、意欲的に授業にも取り組めるようになりました。不安でいっぱいだった小学校生活が、今安心して送れているのも、SHINOBU先生のおかげです。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。





この子たちの心に、何が起こってきたのか、私は、私なりに見えているのです。

何故だか?

それは、何人もの子どもと過ごした、密度の濃い5年間のあゆみがそこにあるからです。


何一つとってもパーフェクトにできたものはありませんが、レッスンの継続率、リピート率も、間違いなく私のモチベーションを向上させて行きます。

三振しても、決してベンチに下げず、私を使い続けてくださったのは、ご家族の皆さんの熱い期待がそこにあったからに他なりません。


あの苦しい日々があればこそ、今がある、

結果を残してこそ、支援者の仕事

これ以外に、そのお気持ちに応えるすべは、何もないのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-12-27)







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私の心を奮い立たせるもの

 2012-12-21
気がつけば、もう12月も20日を過ぎ、岡山市は今日が2学期の終業式を迎えました。


日曜日は大阪、月曜日には京都でのレッスン、

火曜日は25日で給料日、

それまでにパソコンで、年末調整の入力を完了しておかなければならない、


年内に渡すとお約束した印刷屋さんの原稿が、重く心にのしかかりながらも、まずは、レッスンの準備ができてからの話・・

大晦日の日は午前中まで仕事、


3日は京都のレッスンがあるので、元日の午後には仕事ををしなければとても間に合わない・・

年明けすぐには個人の確定申告と、事業指定の申請書類一式の作成、短大の成績のとりまとめ、補正予算、決算・・

こうやって新年も、きっと嵐ような日々が過ぎて行く・・


でも、これが私の選んだ生き方、

つらいとか、嫌だとか、微塵もそんな気持ちは起こりません。


「4月以降のレッスンはどうなりますか」

何人もの方から、そんなお尋ねをいただきました。

例年ならもう決めてお知らせしている時期なのに、なかなかそこにまでたどりつけない、

申し訳ない・・


そんな中、京都教室のお母さん方から、連名で、以下のような内容のメールをいただきました。

ありがたくて、ありがたくて、胸がいっぱいになりました。


時間はほしい、

でも休みたいとか、遊びたいとか、ちっとも思わない、

ただ、ベストな体調で、笑顔で、日々のレッスンを積み重ねていきたい、


こんな私でも、必要としてくださる方がいる、

その思いが、私を何かに駆り立てていくのです。





★ いつも大変お世話になりありがとうございます。
お陰様で娘は今のところ、小学校生活のスタートをとても楽しく過ごせているようで、お友達もでき、活き活きと学校に通ってくれています。
勉強に対してとても意欲を持って、高いモチベーションで課題に取り組む事が出来るようになったのは、正にSHINOBU先生との出逢いがあったからだと感謝しております。
「わかる」事や「出来る」事の楽しさを沢山経験させて頂き、自分に自信を持ってまた学校生活に戻って行く、娘にとって、教室は無くてはならないものになっています。
これからも一年一年、状況がどの様に変わって行くかはわかりませんが、SHINOBU先生という大きな支えがいてくださると思うだけで、親も力強く前に進んで行けるのではないかと思うのです。
先生が大変ご多忙な事、こうして先生の授業を受けさせていただけるのは大変幸運な事は承知の上で、これからもぜひ京都教室を定期的に継続していただける事を心から願っています。
どうぞよろしくお願い致します。


★ いつも娘がお世話になりましてありがとうございます。
親子共々楽しみにしていた生活発表会が8日に無事行われました。
鼓隊、劇、歌どれも大成功でした。
特に自分から立候補し最後まで譲らなかっただけあり、『オズの魔法使い』のドロシー役は生き生きと笑顔で演じていました。
見終わった他のお母さん方も娘の成長ぶりに驚く共に心から喜んで下さいました。
この日の娘の様子を、6年前出産後に絶望に打ちひしがれていた私自身に見せることが出来たらどんなに救われたでしょうか。
ここまで育ったのは保育園での集団生活も勿論ですが、SHINOBU先生の存在がかなり大きいと思っております。
娘にはまだ課題も多いですが、何より人前で注目されることが苦手でした。
しかしSHINOBU先生のレッスンのおかげで段々自信を持つことが出来、色々なことに挑戦出来るようになりました。
大好きなSHINOBU先生に会える、楽しいレッスンが受けられる、苦手を克服し又自信がつく…この二年半で着実に力がついたと本当に家族で喜んでおります。
あの初めてお会いした日、主人にしがみついて一切SHINOBU先生と目を合わさなかった娘と今の娘、同じ人間とは思えない程です。
来年からはいよいよ小学生、親子共に期待と不安の入り混じった心境です。
ご多忙なことは重々承知しておりますが、引き続き京都教室を継続して頂ければと切望しております。
本格的に勉強が始まると娘がどこまでついていけるか、つまづいた時にどう対処すればいいのか今から心配は尽きません。
娘の得意、苦手両面を十分ご存知のSHINOBU先生にこれからも見て頂きたいと切に願っております。
どうかご検討頂きますようよろしくお願い申し上げます。


★ 先生のご指導は月1回ですが、毎回集中して受けられていて、私も息子の成長を近くで実感することが多く、前向きにさせていただける貴重な時間です。
本人も先生の前では、チャレンジしようという気持ちになるようで達成感もあり充実した時間が過ごせています。
出来た喜びがまた次のチャレンジにつながっているように思います。
まだまだ課題はたくさんありますので、先生に末永くご指導いただけるよう望んでおります。来年度もよろしくお願いいたします。


★ 先ほど 白ゆりから帰宅しました。
白ゆりで療育をしていただいたあとは、脳が活性化するのか、自らカードを持ってきて、やってくれとせがんだり、普段は見ようともしない、物語りのDVDを熱心に見たりします。
再来年の就学にも、ぜひ SHINOBU先生のアドバイスや見解をお聞きし参考にしたいと思っていますので、従来通り月一度でもお願いしたいと思います。
児童福祉センターなどの療育と違い、やはり本当のプロであるSHINOBU先生の療育は継続して受けたいですし、先生の目を通した子供の成長を聞かせていただけることが、親の我々の励みになり、子育ての指針にもなります。
たくさんの子供たちの為にと使命をもって、1日のお休みもなくがんばっていただいているのを承知して、なお、おすがりしたい次第です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。


★ 平素は大変お世話になり有難うございます。
早いもので今年もあと僅かになり、SHINOBU先生のご指導により息子、そして私達にとりましても、成長と希望に満ちた良い一年になりました。
2013年を迎えるにあたり、ぜひともこの関係を継続させて頂きたく考えております。
毎回毎回遠方からの御足労となり、大変恐縮ではございますが、ぜひともご検討をよろくお願いいたします。


★ いつもお世話になり有り難うございます。
先生にご指導を受け、早いもので2年半が経ち、今年度は就学と言う大きな節目を迎えました。
今私達の素晴らしい環境は、サポーターとしてSHINOBU先生がいてくださったからこそ手にする事が出来たと思っています。
私が道を迷いそうになれば、正しい道へ引き戻し、息子の長所、短所を見極めての的確な指導…
細かく書き出せばキリが無いくらいです。
本当に私たち家族にとって、SHINOBU先生はもはやかけがえの無い存在となっています。
先生も御多忙の身、京都迄の行き来は容易いものでは無いのは重々承知しています。
もし、許されるならば是非とも来年度京都教室継続を宜しくお願いします。


★ 私が先生に初めてメールさせていただいてから、3年が経ちました。
当時は娘の行動に戸惑い、悩み、今後の成長に大きな不安を抱えていました。
その頃のメールを読み返してみました。
取り留めなくしゃべってしまいましたが、先生のお話を聞いているうちに私の中で不安に感じているものが、少し整理されたように思います。
娘のことは自分たちの子として、愛してかわいがっているけれども、今後の成長で、人の話を聞き、自分の思いをうまく伝えられるようになるのか。
言葉や発音に問題があっても、他者や社会を受け入れ、自分の感情とすりあわせていく力が育つのだろうか。
そのために私が今できる最大限のことがしたいけれども、日々の生活の中で、間違ったことをしていないのか。
現状の振る舞いに手を焼いているというよりも、やはりその先が見えない事への不安です。
一般の育児書には書かれてませんものね。
私たちの愛しい子供という存在だけであるならば、困らないのでしょうが、成長して社会の一員として生きてほしいと望むが故に、親は悩むのでしょうね。
私はこの年で(先生と同い年です!)親になって、世の中の半分はこういう感情でできてるんだということを知りました。
主人とも話しましたが、せっかく思いが募ってこうして訪ねていったのだし、このご縁をつなげて、お世話になれればありがたいと思っています。
先生がおっしゃったように、自分だけに真摯に向かい合ってくれる、指導してくれるスペシャルな先生が娘にも必要な時期が来てるように思います。
あの時、先生に岡山でお会いし、お話しさせていただいて、やっと娘の事を特別視せず、受け入れてくださる、そして私たち親の気持ち、目線に立ってお話ししてくださる方に出会えたと、肩の重荷が少し軽くなったように思えたのを思い出します。
あれから、親である私が毎日の生活で思うように時間をかけてあげられない中、先生のところに行くよというと「SHINOBU先生?」と喜ぶ娘のために通う白ゆり教室は、娘だけでなく私にとっても大切な時間です。
娘の良い点も認めてくださり、問題点、課題を誰よりも知ってくださっている先生にお話を伺い、気づかされる事も多く、励まされてきました。
SHINOBU先生は子どもにとってだけでなく我々親にとってもスペシャルな先生になりました。
娘の問題行動も無くなりはしませんが軽減し、少しずつ社会を受け入れ、自分の感情とすり合わせてくれるようになって来た事を実感しています。
娘はSHINOBU先生と出会っていなければ、今の落ち着きはなかったかもしれないとしみじみあの時の出会いに感謝しています。
この秋以降、娘はまた大きく変わってきたように思います。
表情が穏やかな事が多く、いらだちで癇癪を起こしても立て直すまでの時間が短くなりました。
言葉で、コミュニケーションを取ろうとしたり、こちらの話を聞いて、交渉するような場面も出てきました。
堺で、京都で、岡山で、少しずつ先生が耕し、丁寧に水を巻いて手入れしてくださった娘の心が、ここへ来て豊かな成長を見せてくれていると思います。
まだまだ、認知面もコミュニケーションの面でも、問題課題が多く、一つクリアしたら、また別の課題が続きます。
来年4月に就学すれば、ますます課題が増える事は間違いありません。
どうぞこれからも、私たちにお力をお貸しくださいますよう、お願いいたします。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-12-23)




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集団の育てと個別支援とのベストミックス

 2012-12-19





先週の金曜日に、保育園でクリスマス発表会がありました。

歌、合奏、オペレッタ、観察発表など、0歳から5歳の子どもまで、それぞれがそれぞれの成長のようす、発達のようすを発表することができていました。

今回は、そのようすを、0歳から順に映像で記録してみました。

後に年齢順に編集してみると、それぞれの年齢での発達のようすやが、課題がとても明確に見えてくる、

こうしたリアルな実践の内容は、学生さんたちに見せてやると、食い入るように見てくれるので、貴重な資料の一つになりました。

もちろん、それぞれのクラスの中に、私たちが直接サポートしている子どもも何人かいます。

その子たちが、集団の中でどのように成長し、集団の流れの中にどのように適応できているかも、私にとって注目すべきことがらの一つでした。


個別支援が重要か、集団での育てが大切かといく議論は、不毛のものであると私は思っています。

そのどちらかが大切なのではなく、そのどちらもが、子どもの成長にとって不可欠なものであるからです。


子どもによって、特性も違えば、向き合う課題もそれぞれです。

発達のストーリーもそれぞれだし、育っている感覚も、まさに昨日と今日では違うわけです。


ありのままのその子を見つめ、課題の一つ一つを読み解き、育ての道すじを明確にした上で、しっかりとしたビジョンと育ての方向感を模索していくこと、

集団の育てと個別支援とのベストミックスの形を、それぞれの子に示していくこと、

そのことこそが、プロとしての腕の見せ所だと思うのです。


今回、それぞれのクラスが、それぞれの持ち味を生かした、とても内容の濃い発表会だと感じましたが、20人以上いる0歳のクラスの子が、一人も泣いたり意識が切れたりせずに、最後まで演技を続けていたことに驚きました。

もうすぐ就学を迎える5歳の男の子、

みんなと一緒に懸命に演技をするその姿に、小さかった頃の姿が重なり合い、その成長ぶりに、思わず目頭が熱くなる場面もありました。


集団の中での育てのスタンスを決して崩さず、個別支援、入り込み支援、取り出し支援などの形にとらわれず、その子の成長のために何をすべきかを、常に問い続けた毎日でした。


子どもが育てば、私たちは、やがて静かにフェードアウトする時期が来ます。

やがて来るその日を目指していきながら、私たちは、自分たちがなすべき役割を、これからもしっかりと見つめて行きたいと思っているのです。






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テキストにはない母の真実

 2012-12-17
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今朝は、短大での授業のある日でした。

月曜日は、振り替え休日の日もあるので、日程の関係で15週をキープすることができません。

そのため今日は、1限・2限続けての授業となりました。


1本目の授業は、「保育士としての保護者支援」 にかかわる内容でした。

いい機会だと思ったので、りんちゃんが出演していた 「はじめてのおつかい」 の番組の動画を、学生に見せることにしました。


映像を流し始めて、しばらくして驚いた、

りんちゃんのお母さんが、自分の思いを語る場面、りんちゃんが一生懸命おつかいを頑張っている姿など、みんな真剣なまなざしで、息を飲むようにしてスクリーンを眺めている。


20分ほどの動画を見てもらい、明かりをつけて、もう一度驚いた、

何人もの学生が、目を真っ赤にして、涙を落としている・・


「このビデオを見て、涙が止まりませんでした。もし、自分がお母さんと同じ立場だったら、果たしてあそこまで、心を強くもって、子どもを育てていくことができるのだろうかと、とても不安に感じました。大人の都合に合わせて子どもを育てていくのではなく、子どもと同じ視線に立って寄り添いながら育てていくことが大切なことだと痛感しました。保育者として、母をサポートしていくことの中身が見えてきました。自分に何が出来るかを日々考え、それに見合う実践力を身につけていきたいと思いました」

「はじめてのおつかい」を見て、とても感動しました。障がいがあるからできないと決めつけるのではなく、時間をかけ、りんちゃんとおつかいの練習をしていたお母さんの姿と、それに応えるかのようなりんちゃんの姿に、心がジーンとしました。りんちゃんが、何度も「ありがとう」や「大好き」とお母さんに言っている姿を見て、おかあさんがどれだけりんちゃんに愛情をもって育ててきたかということが伝わってきて、お母さんの偉大さや粘り強さを感じました」

「保護者支援は、子どもを産んだり、自分の子を育てたりした経験のない私たちにとって、とても不安に感じる部分でした。子どもをもったからといって、それだけで良い保護者支援につながるわけではないと思いますが、子どもを育てたこともないくせに、と思う保護者も少なからずいるのではないかと考えていました。でも、今日の授業の中から、保育者としての専門性を最大限に生かしていくこと、共感・理解・保護者の自己決定を支援していくこと、保護者と共に子どもの成長を喜び共有するという姿勢が重要であることを、改めて確認することができました」


実践を通して、テキストや理論だけでは学べないリアルな真実を学び、感じ取ってほしい、

それが、私がご家族から託された大切な役割、


学生たちの心の中に芽生えた大切なこと、

やがてその芽が、一人前の実践者としての太い幹に育っていくことを、

私は願ってやまないのです。




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母を支えることで 私は子どもを育てる

 2012-12-14
先日、あるお母さんが、お子様のことでご相談にお越しくださいました。

4歳の男のお子さんのことについて、お話を聞かせていただきました。

お話をお伺いしている途中で、これまでの思いが一気にこみ上げてきたのでしょうか?

お母さんの頬を、大粒の涙がいく筋も流れ落ちていきました。


私は、同じこの席で、似たような光景に出会ってきました。

その度に、私は、私の所にご相談にお越しくださるということには、特別な意味があることを、感じ取っていました。

その事が、どんなことが起こっても決して後には引かない強固な信念を、私の心の中に醸し出してきたのです。


「繰り返しますが、お母さん、私はご両親に成り代わることはできません」

「ですが、私の所にお越しくださる方を、決して孤独にはさせません」

「微力ですが、これから、お子さんのために、一緒に歩んでいきましょう」

私は、多くの方に、そのようにお伝えしてきました。



程なくして、大阪から月に1回、通ってくだっている子のお母さんから、以下のような内容のメールが届きました。

今から数年前に、大阪で講演会をさせていただいたことがあるのですが、その時から、ずっと私の所に通ってきてくださっている方です。



SHINOBU先生

いつもお世話になっております。
12月にお会いしましたときに、ずいぶんスリムになられていたことに気づいたのですが・・・。
ブログを拝見して、ご病気のためにダイエットされたと知りました。
いつも先生の子供たちを思うお気持ち、親御さんを支えるお心に本当に助けてもらっています。
息子も月に一回でも通わせていただくことで、本当に落ち着いて、前向きにいろんなことに取り組めるようになりました。本当に先生のお力です。
最近特に思いますのは、こういった子供たちにとって、親の(特に母親)の心のあり方がとっても成長に影響すると感じています。
もちろんそれは、健常児でも同じだと思うのですが、障害があるからこそ人の心に敏感でおおきくおおらかな気持ちで接してやることで、行動面がぜんぜんちがいます。
先生に初めてお会いしたときのことは、鮮烈に覚えているのですが、障害児の成長にここまで命をかけて向き合ってくださる方がいらっしゃるということで、感動と驚きでいっぱいになりました。
家族でない方が、こんな風に思ってくださることで、本当に母親である私の心に与えた影響は計り知れません。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
レッスン後にお話を聞かせていただきますが、なかなか感謝の気持ちをお伝えできる機会がありませんので、いつも思っていることを書かせていただきました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
すこし早いですが、よい年をお迎えください。







一生懸命、前に前に進んで行こうとすればする程、次から次へと新しい課題に突き当たっていくものです。

決してそのことを、誰かに丸投げしようなんて、さらさら思っていなくても、すべてのことを自分だけに押しつけられるような気持ちになれば、誰だって、心が萎える瞬間があるはずです。

真摯に向かう母を、決して孤独にしてはなりません。

気持ちを受け止める存在があるだけで、必ずや母は、涙を拭いて、自らの足で歩み始めます。

私はこれまで、そんな光景に何度も何度も出会ってきました。


母の光る涙を見た子どもは、どんな思いをもつのでしょうか?

私が会うのは月に1度であっても、母は、生涯我が子に寄り添って生きるのです。

ならば、私の果たすべき役割は何なのか?


母を支えることで、私は子どもを育てる、

その一つの答えがここにあるのです。





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我が子のことが 愛おしいと思えるまで

 2012-12-12
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この週末には、岡山の県北でも、かなりの雪が降りました。

月曜日には、新見の短大での授業がありましたので、新たにスタッドレスタイヤを購入して、朝一の授業に出向いたところ、駐車場は、ご覧のような状態でした。


その県北から、一人の男の子が、私のレッスンを受けにきてくれています。

就学前からずっと通ってきているので、もう4年目のレッスンをさせていただいています。


「息子のようすが、この頃変わってきました。」

「家内が、やっとこの子がかわいいと思えるようになってきた、と言うようになりました。」

「これまで、この子の事で、私も随分心を砕いてきましたが、その間、先生は道に迷う私たちを、ずっと支えてくださいました。」

「もしも、先生がいつもおっしゃる 「肯定的な自己理解」 「メタ認知力」 という言葉に出会っていなかったら、私たち家族は、もっともっと迷宮をさまよっていたに違いありません」

「これでずべてが解決というふうには思ってもいませんが、これまでの先生のお支えには、感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました。」

お父さんは、そう言って、私に深々と頭を下げられました。


このお父さんは外科医でいらっしゃいますが、いつだったか、徹夜でのオペを終えられ、一睡もしない状態でお越しくださいました。

お母さんも、何度も何度も、教室に来てくださいました。

夫婦二人三脚で、いつも我が子の育ちに、真剣に立ち向かっておられました。


就学前から通ってくれていたこの子も、今や3年生、

表情も、行動も、少しずつではありますが、着実に安定に向かって進め始めました。


私は、これまでここを巣立って行った子どもたちのご家族に、お約束をしているのです。

苦難の道を共に歩んできた支援者として、その道のりを、必ず後に続く子の育ちに生かしていくことを、

そして、この子の成長も、これから生まれてくる命、後に続く子の育ちに必ず生かしていくことを、



ご両親のご苦労の分だけ、子どもは豊かに育っていくのでしょうか?

この子が、自分自身の命の大切さを見つめ、社会の中で、自分が誰かの役に立つ存在であることを確かめられたその時、必ずやそれまでのご両親の深い愛情とご努力に、涙を落とすに違いありません。

それが、子どもが自立を迎えるその日なのだと、私は考えています。


その日のために、支援者として、私のなすべきことは何か?

これからも、そのことを見つめながら、この子と共に、家族と共に、しっかりと歩んでいきたいと願っているのです。






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コミニュケーションレベルと 学びの意欲との深い相関

 2012-12-10
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私は、3歳くらいのお子さんから、レッスンをさせていただいています。

はじめのころは、何を言っているのか全然わからなかった子が、いつの間にか 「ちゃちゃ」とか 「バイバイ」とかを言い始め、そのうちに、「これちょうだい」なんて言ってきます。


今は、小学生になっているかれんちゃんの言語のあゆみも、まさにそうでした。

音声模倣で「せんせい」と言うたびに、ごほうびで何度も高い高いをしてやり、天使のような笑顔でケラケラと笑ってくれたことも、今となってはかけがえのない思い出の一コマとなっています。


この4月から、私の教室に通ってくれるようになったりょうちゃんは、11月の終わりに3歳になりました。

「それは、なあに?」

「チーズと、バタコさん」

「これ、ふねみたい」

「くうこうは、これ」

4月の頃は、単語が中心だった表出言語が、ここに来て一気に豊かになってきました。


「りんごとおかね、する」

りょうちゃんは、お買い物かごと財布の方を指さして、私に、「お買い物ごっこ」の活動がしたいことを伝えることができました。

もちろん、今日の私の活動メニューの中に、「お買い物ごっこ」の活動は入っているのです。

でも、子どもの方がやりたいという意志を示したその時に、きちんと内容を構成した教材を、瞬時に目の前に提示出来るかどうかが重要です。

ここで、もたもたしているようでは、支援者が、お買い物ごっこをその程度にしかとらえていないことが、非言語で子どもの心に伝わってしまうのです。


子どもは、ここに学びに来ているのです。

数も数えられるようになりたいし、文字も読めるようになりたいし、お話の世界にも行ってみたいのです。


言語は、コミュニケーションのための、とても大切なツールです。

コミュニケーションは、子どもと支援者の双方向のものであり、そこに共有する文化がなければ、小手先の薄っぺらいものになってしまいがちです。


やりたい教材や内容がそこにあること、

それが、子どもの成長欲求に根ざした題材であること、

子どもの内発的な学びの意欲を心底信じ、子どもの投げたボールをしっかりキャッチして、タイムリーに返すことができること、

私は、言語・コミュニケーション指導のモデルを、そんなふうにとらえているのです。


コミュニケーションのレベルと、内発的な学びの意欲とが、無関係であろうはずがありません。

そのどちらか一方が上がれば、他方も必ず豊かになっていくものです。


テクニカルなことは、後からいくらでもついてくる、

共有する中身があればこそ、言語も意欲も伸びていくのです。


毎週金曜日が、りょうちゃんのレッスンの日、

こんどは、どんな遊びを一緒にできるのかな?

紙芝居かな?  

パズルかな?


中村勘三郎さんが、「型を守れる力のある者だけが、型破りなものにチャレンジできる」という内容のことをおっしゃっていました。

レッスンは、ライブが命、

しっかりと型を押さえることができる者だけが、大胆に、子どもの目を見たレッスンが構成できるのです。


レッスンは、私の人生の最も大切なステージ、

これからもずっと、1回のレッスンを大切にしつづける自分でありたいと願っているのです。






この記事をお読みくださった、りょうちゃんのお母さんから、早速下記のような内容のメールをいただきましたので、紹介させていただきます。↓




こんにちは。

いつも、お世話になっております。
この度、先生のブログを読ませていただいて、息子の成長を改めて実感しています。

レッスンを、初めた当初から比べると本当に言語表現が豊かになり、表情も別人のようです。
うまく言えませんが、レッスンを初める前は、生きることがしんどそうな感じだったのが、今はなんでもチャレンジしたくて意欲に燃えている感じです(^-^)

もちろん、私の戸惑いながらの子育てが子供に影響したことも関係していると思っていますが。

先生は、よく「私は、力添えをしているだけで…」 とおっしゃいますが、その力添えが私達のような課題を抱えた子供を育てる親には、本当に大切なんだと実感しています。

正直、SHINOBU先生に出会えなければ、今の息子はなかったし、私もなかった。
一番大切な親子関係も今のようではなかったと思っています。

今、息子の成長を改めて思い返すとうれしくて涙がでます。
これからも、成長と同時に多々課題に突き当たると、思いますが試行錯誤しながらも前進して行けたらなと、思っています。

今回、ブログにアップして頂いたことを節目に初めて日頃思っていたことを書かせていただきました。
これからも、末永くおつきあいさせて頂いたらと、思っています。

よろしくお願いいたします。






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私の願う インクージョンの一つの形

 2012-12-06




以前、短大での授業の依頼があった時、本当は、お断りさせていただこうかと考えていました。

時間的な余裕がなくなってきた時期でもあったし、何のためにということが、自分自身ではっきりしていなかったからです。


その時に、これまでお世話になってきた大学の先生の何人かに、相談をさせていただきました。

かれんちゃんのお母さんも、その一人です。

「SHINOBU先生は、多くの子どもの実践に、現役の最前線で毎日かかわっておられる。そのことを、学生さんたちに伝えてあげればいんですよ」

そのとき、そんなふうに助言していただきました。


先日の授業の時、私の個別指導のようすをビデオ撮影したものを、学生に見てもらいました。
(↑上の動画)

私にとっては、毎日の日常の一コマなのですが、学生は、真剣にその様子に見入っていました。

毎回、授業を終えての感想を学生に書かせていますが、その中にも、もっともっとレッスンの様子を見せてほしいという声もありました。

50人ほどの学生たちですが、ダウン症の子どもと実際にかかわった経験のある子は、一人もいませんでした。


以前読んだ論文に、「小学生の時に、実際に障害のある友達とかかわったことのある者は、障害者に対する差別や偏見が、そうでない者に比べて明らかに少ない」 という一文がありました。

当たり前のことです。

どんな差別も偏見も、その根元には、知らないということ(無知)が起因しているのです。


「決して特別扱いしてほしいと思っていない」

「変に美化されたり、気を使ってもたわなくてもいい」

「ただ単に、ありのままの我が子を知って欲しい、見て欲しい」

どのお母さんも、口をそろえたように、私にそう伝えてくださいます。


私は毎月、ダウン症のお子さんだけで、50人以上の子どもと直接かかわっています。

ダウン症の一般的な特性として、共通していること、理解しておかなかければならない点は、もちろんあります。


ですが、当たり前のことですが、かれんちゃんはかれんちゃんで、りんちゃんはりんちゃんです。

どの子にも、深い理解と行き届いた支援は、必ず有効なはずで、そういう意味からは、ダウン症であろうがなかろうが、どの子もみんな同じであるはずです。


先日、NHK の方が、私の所に取材に来てくださいました。

ダウン症児のことについて、先生のお話をお伺いしたいということでした。


私は、もっともっと、この子たちの魅力や可能性を、広く世間にお伝えしていかなくてはなりません。

たとえわずかであっても、社会に寄与できる人に育てていくことで、この子たちの心に、もっともっと豊かな感情が芽生えてくるはずです。

そういう社会こそが、これからの日本が目指していくべき形だと、私は思っているのです。


そう言えば、先日、岡山選出の著名な国会議員さんに、給食のカレーライスを食べていただき、発達支援センターの教室も見ていただきました。

うちの法人で、将来、りんちゃんやかれんちゃんが、働くことができる場をつくることはできないか?


夢は、どこまでもふくらんでいきます。

私の夢は、すべてこの子たちの出会いからスタートしているのです。


この子たちが、それだけの魅力と可能性をもった存在であること、

そのことを理解していただくためにも、地域の多くのお友達と豊かな接点をもつことのできる、インクルーシブな環境は、きっと不可欠なものであるはずです。

私は、実践を通して、これからも広く、このことを世の中に発信し続けていきたいと願っているのです。




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自分らしさに気がつく瞬間

 2012-12-01
いつだったか私は、新幹線の席を立った瞬間にぎっくり腰になり、新大阪の駅で、にっちもさっちも動けなくなり、当日のレッスンを全部キャンセルして、岡山に帰ったことがあります。

以来、二度と同じことが起こらないようにと、定期的に体のケアに心がけるようになりました。


月に何度か見ていただいているその整体の先生が、先日、「SHINOBUさん、足のはりが全くなくなってますよ」 と、伝えてくださいました。

そう聞いた私が、自分のふくらはぎを自分でさわって、さらにびっくり、

いつもカチカチだったはずのふくらはぎが、いつの間にかぐにゃぐにゃになっている!

これには、本当に驚きました。


高脂血症で、ドクターの指示を受けて以来、大好きだったタコ・いか・えび・かに・うに・いくら・たらこ・フルーツ・ジュース・からあげ・ラーメンなど、一切口にしていない、

でも、不思議なもので、そのことを苦に感じるどころか、体調の変化をダイレクトに感じながら、ますます気力がみなぎってく感じがするのです。


あと最低10年は、現役の最前線で子ども前に立っていたい、

それで1回でも多くレッスンができるなら、大好きなラーメン、食べられなくったってちっとも構わない、

私は、生活のためにレッスンをしているのでなくて、1回でも多くレッスンをするために生きていると、本気でそう思っているのです。


信じていただけるかどうかわかりませんが、ここ何年かで、私は、自分自身に対する強烈な自己否定に苛まれた時期がありました。

欠点ばかりが表面化して、パフォーマンスがうまく構成できなくなっていました、


それ以前の自分がリセットされ、身を捨て、浮かぶ瀬からの再スタート、

皮肉にも、その裏返しのエネルギーが、新たな自分の才能に気がつく契機になったのです。

あの時の強烈な自己否定があったからこそ、そこからはい上がった自分だからこそ、今のこのエネルギーはびくともしないのです。


生まれながらにして、大きな課題を背負って生まれてきた君たちの命、

そのことを先生は、決して軽んじることはできない、

だからこそ、その奥にある大切な宝物のありかを、先生は、君たちと一緒に探す旅路を歩いていきたい、

心から、そう願うのです。


自分の命を輝かせるポジション、

そういうことが、簡単に見つかるものだと、思ってもいません。


欠点があればこそ、自分らしい才能もそこにある、

私は、そのことを理解するのに50年もかかった、


いつもまっすくに、自分の命と向き合ってきた君たちだからこそ、見つかるものもあるのだと、先生は毎日のように感じているのです。

一瞬一瞬をおろそかにする者は、一生かかったって、きっと何も見えてこないはず、

だからこそ私は、今日のこの日の一つのレッスンに、いつも真剣に立ち向かう自分でいたいと思うのです。






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