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演算決定ができるまでの道筋

 2012-11-30
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最近、りんちゃん(小5)と、算数の文章問題の学習をするのが、とても楽しくなってきました。

まずもって、問題文を自力で読めるようになってきました。

以前は、「先生読んで、読んで」 と、言って自分からはなかなか読もうとしなかったりんちゃんですが、この頃は、自分から進んで読んでくれるようになりました。

こうした部分ではりんちゃん、半年前とは、今や全く別人のようになってしました。


もともと理解言語の豊かな子でしたから、「あわせていくつ?」 とくれば → (たし算)、「ちがいはいくつでしょう?」 とくれば → (ひき算) と、演算決定までが、かなりスムーズにできるようになってきました。

もちろん、言語から数量に、どんぴしゃっとイメージ化できているわけではありません。

まだまだ、言葉の端っこをつかまえて、機械的に演算決定を行っているだけの時もあるのでしょうが、でも、確実に、次の高い学びのステージ向かっていく方向感が、そこに感じられるようになってきました。


「40このアメを8人で分けました。一人分は何こになるでしょう」

ある時りんちゃん、この問題を 「40×8」 と、誤って立式してしまいました。


完全習得、エラーレス学習が基本のSHINOBU先生、

以前のりんちゃんなら、すぐに支援を入れた所ですが、この日はあえて、何もせずその様子を眺めてみることにしました。


と、その時、りんちゃんの鉛筆がピタリと止まる瞬間がありました。

「あっ、そうか~ まちがえた」


ついに来ました、

エラーを見つけ、自らの手で修正することができるようになったのです。

文章問題でも、ついにりんちゃん、トライ&エラーで問題解決に向かい始めたわけです。


これまで何年も施してきた手厚い支援が、ここに来て少しずつフェードアウトの段階に差し掛かってきた、

トライ&エラーが意味するものは、そういうことです。


「小さいことですが、今日は、とても大切なポイントを迎えた日だと思います」

レッスンが終了し、私はお母さんにそういう内容のことをお伝えしました。


これから歩む、数量の世界も、決して平坦ではないかも知れません、

でも、それより何より、私たちには共に目指す頂がそこにあるのです。

そのことを、私は格別の喜びにも感じていますし、楽しみにもしているのです。


それぞれの子と一緒に、豊かな数の世界の扉を、少しでも開いていきたい、

りんちゃんとの歩みは、私にとって、そのための大切な道しるべとなっているのです。




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マンツーマンレッスンの実際 (5歳:ダウン症児:動画)

 2012-11-28




















↓ このブログをご覧になったお母さんより、下記のような内容のメールをいただきました。


先日は大変お世話になりました。
この日のレッスンを傍で見てましたが、40分集中力が少しも途切れず先生の出される課題をこなしていく娘の姿に目頭が熱くなりました。
3年前のレッスンの時は泣いてばかりでしたが、いまは懐かしい思い出となっています。
月1回のレッスンですが、娘は先生に会えるのを本当に楽しみにしています。
先生のご指導がなかったらここまでの成長はなかったと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。








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豊かな自己決定に至るプロセス

 2012-11-26
私は、福島県・郡山市の教職員研修会で、お話をさせていただいたことがあります。

その時、教育委員会の研修担当として私をお招きくださった指導主事さんは、今は、校長先生としてご活躍をなさっています。


その先生は、教職員研修での講師を依頼する際には、まずご自身がその先生が主宰されている講座に研修生として参加し、是非とも先生方に研修を積んでてもらいたいという内容のものだけを選んでいるということでした。

そんな先生が、講師にお迎えくださる際に、「今、個別指導の実践を語れるのは、先生をおいて他にはいません」 と、私にお伝えくださいました。

たったのその一言が、当時の私に、どれだけ大きなインパクトを与えたことでしょう?

その時の気持ちを、私は今でも決して忘れることができません。


岡山の人間が、わざわざ福島まで行き講演をするということは、あまり日常的なことではないはずです。

費用だって、時間だって、それ相応にかかってくるのです。

もっと近くの地域にも、優秀な先生、すばらしい実践を積んでおられる先生はたくさんいるはず・・

それを承知で、あえて私を指名してくださったということに、私は、これまでにない誇りと高揚感を感じたものでした。


研修会の打合せの多くは、メールによるものでした。

福島に着き、初めてお会いしたその先生は、まるでずっと前から志を同じくした旧知の友人のような親しみを覚えました。


もしもこの先生に出会っていなければ、今の自分はなかったかも知れない、

いつしか、そんな思いが心の中で、次第に広がっていくように感じらえました。

いつの間にか、この先生の存在が、私にとってなくてはならないものになり始めたのです。


「いつか、かならず岡山に参りますから」

2年目の研修会が終わった後、郡山駅までお見送りいただいた先生は、そのように私にお伝えくださいました。


今でも、私の最大の理解者は、この先生だと思っています。

次に出会ったときにも、この先生の目をしっかりと見て話ができるよう、それに恥ずかしくないだけけの生き方を続けていたい、

新幹線の中、移りゆく景色をぼんやりと眺めながらも、ずっとそんなことを考えていました。

そのモチベーションは、その時から色あせるどころか、どんなに忙しくても、この先生の期待に添える実践を目指すなら、決して妥協するなと戒める、これまでにない、もう一人の自分を生み出していきました。


SHINOBU先生がいたからこそ、私はここまで頑張ることができた、

時々、サポートさせていただいているお母さん方が、そんな風にお伝えくださることがあります。


人は、自分のことを理解してくれている人がいると、心の芯から感じることで、思いがけないほど大きな力がみなぎってくるように感じることがあります。

私にとってのそういう存在は、まぎれもなくこの先生で、当のご本人はきっとそのように感じておられないでしょうけど、この先生がいたからこそ私はここまで来られたと、今でもずっと本気でそう思っているのです。


私は、ある意味、この先生を勝手に偶像化して、崇めまつっているわけです。

しかしながら、この先生は、私にとって、それに耐えうるだけの存在であった、

人がより豊かな自己決定に至るためのメカニズムには、こんな形もあるわけです。


我が子のために、命を削るように前に進んでおられるご家族の努力を、きちんと受け止めることのできる存在になりたい、

そして、どんなに離れていても、ずっと心の中でそのことを支え続けられる存在でありたい、

特に、県外からはるばる岡山までお越しくださるご家族に対して、私はいつも、そんな思いで接するように心がけています。


支援とは、家族に成り代わって何かをして差し上げることではなくて、主体者としての力を最大限に引き出すことができるような存在であり続けること、

私が、この先生に活動の息吹を吹き込まれた如く、多くの方の心のよりどころとなるような存在でいたい、

そのことが、私に科せられた最大の責務であるのです。


今頃きっと、あの校長先生もご活躍のことでしょう、

今でも時々、校長としての歩みを、私にメールでお伝えくださることがあります。

そんなに毎日お会いするわけでないからこそ、なおさら他に替えることのできない大切な存在であるのです。


先生の学校には、もう雪が舞い始めているのでしょうか?

今度また酒を酌み交わすその時、

その瞬間は、いつまでもきっと、私の心の中で生き続けていくことでしょう。





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圧倒的な母の勝利

 2012-11-23
今日は、京都でのレッスンの日でした。

10月には、京都に伺う機会がありませんでしたので、何だか久しぶりの京都だという印象をもちました。


中には、今年就学を迎えられた子も何人かいます。

それぞれが、それぞれに豊かな成長の息吹を感じ取ることができました。


そのうちの一人の男の子、

何だかすっかり様子が変わってきました。


字が読めたり、書けたりするようになっている、

受け答えもしっかりしてきて、何だか態度に余裕がある、

それにあれだけ抵抗感があった数の学習に、とてもスムーズに取り組むようになっている、


去年の今頃は、確か、その就学について最終調整にかかっている時期でした、

ダウン症、

通常学級在籍、

その母の願いに、まったくゆるぎも迷いもありませんでした。


入学してから、何度か、この子の担任の先生の学級運営について、お伝えくださる機会がありました。

京都市の中でも、中心的なハイレベルな地区の小学校、

1年生の学年主任として、担任となられたその先生は、単に特別支援教育ということではなくて、軸のぶれない学級運営と、教育的な見識と信念と力量をおもちの先生でした、

小手先のテクニックで交わすことはせず、教育の王道を粛々と進めている、

私はお母さんの言葉の端々から、その先生にそんなイメージをふくらませていました。


これに加えて、支援員の先生がすばらしい、

お母さんは、そう続けながら、私にその先生がお作りになったという学習ファイルを見せてくださいました。


おそるべき完成度と、まごころのこもった手作り感、

これで、子どもが育たないわけがない、

しかも、過剰な支援ということではなく、子どもが子ども自らの足で前に進んでいくような、計画や見通しや教育的な配慮が行き届いている、


聞くところによると、今その学校の支援級の方は、とても厳しい状況になっているとか・・

まさに、この母の圧倒的な勝利です。


この子と、このクラスの成長は、校長先生に、そしてこの学校の教育目標の具現化に、大きなインパクトをもたらしたに違いありません。

私たちが、学校に期待を寄せる教育の姿を、ものの見事に形として、モデルとして示してくださったわけです。


お母さん、今からもう、来年以降のことを心配されています。

今が、本当にすばらしいですからね、

その気持ち、痛いほどわかります。


実は私、今年度から、京都には日曜と祝日しかお伺いできていません。

短大での授業や、日程の関係で、平日に、岡山を空けることができなくなったからです。

それに加えて、それまで京都でお世話になっていた会場は、日曜や祝日には使用できず、本来なら、京都教室は昨年度をもって終了せざるを得ない状況だったのです。


この危機的な状況を救ってくださったのが、実は、この子のご家庭であったのです。

今の京都教室は、このご自宅の一室を、教室に提供してくださっているからこそ、運営できているのです。


こういうことを、さも当たり前かのように成し遂げてしまう実行力、

学校での恵まれた今の環境は、誰あろうこのご家庭の、深い愛情と強い信念とがたぐり寄せ、作り上げたものであろうと、私は思っています。


今後、すべてのことが、棚からぼたもちのように、このご家庭に転がりこんでくるとは思っていません、

時には、予想だにしなかった苦しい状況に追い込まれる局面も、決して無いとは言えません。


ですが、この家庭なら、きっと何とかする、

私は、そう信じて疑いません。


私は、こうしたご家族の気持ちを、踏みにじるようなことは決してできません。

どんなに忙しくても、苦しくても、こうしたご家族の期待に添えるレッスンを構成していきたいと思っています。

このご家族は、きっとこうして多くの人の気持ちを揺り動かしてきた、

だからこそ、今のこの環境があるのです。


3連休の初日、

京都は多くの観光客の皆さんでにぎわっていました。

私には、紅葉も何もありませんが、子どもたちとそのご家族の笑顔があります。

京都でのレッスンは、私にとっても、かけがえのない大切な時間となったのです。






この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-11-21)







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就学に向き合う家族

 2012-11-20
今、来年度の小学校や中学校への就学に向けて、全国各地で多くのご家族が、そのことに向き合っておられます。

私の教室にお越しくださっているご家族の皆さんも、まさに今、真剣にそのことに立ち向かっているのです。


小学1年生の時から、私の所に通ってくれている花子ちゃんのお母さんもその一人です。

あの日小学1年生だった花子ちゃんが、来春にはもう中学生となるのです。


たとえ1年であってもいいから、あの先生に中学の担任になっていただきたい、

そう願い、住所を変更されてまで、花子ちゃんが通う中学校を選択されました。

まさに、子を思う母の気持ちは、このようなものであるわけです。


中学は決めたけど、その後のことは、不安でいっぱい、具体的な形が見えないし、生きた情報が全く入ってこない、

花子ちゃんのお母さんは、そう続けられました。


私は今、100人を越える子どもたちのレッスンに直接かかわっていますから、当然、就学に関しても、いろいろな地域のいろいろな情報に触れることができます。

その情報を、それを必要とされている方に、タイムリーにお伝えすることも、私の大切な役割だと考えています。

しかし、私を通して間接的にお伝えしている内容を、そうではなくて、直接、当事者同士でやりとりできるようにすることも大切なことです。


15人くらいが入れて、簡単なミーティングならいつでもできる部屋

冷蔵庫や湯沸かし施設があり、保護者の方が自由にご利用していただくことができる、

テレビモニターがあり、マンツーマンレッスンもグループレッスンも、いつでも画面を通して活動を見守ることができる、

発達や就学に関する整理された情報を、リアルタイムで、ご覧いただくことができる、

雑誌や書籍が豊富にそろえてあり、ここにくれば生きた情報を入手でき、多くのことを学ぶことができる、

私は、そんな保護者サロンを、1日でも早く作りたいと願っています。


先日、三重からお越しのお子さんのレッスンが、夜の6時からありました、

新幹線やタクシーを乗り継ぎ、遠方からお越しくださったご家族を、すでに真っ暗になった屋外で、何十分もお待たせすることになりました、

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


いつだったか、講師をお招きして、視覚認知にかかわる小さな研修会を、私の教室で行いました。

そこに参加してくださった3名のお母さん、

やがてその3人の方のつながりは、大きなうねりとなり、「岡山県LD等発達障害親の会」設立の大きな原動力になったのでした。


私は、花子ちゃんのお母さんと約束をしているのです。

我が子を思い、真摯に取り組む母を、決して孤独にしては、ならない、

子育ての先輩として、幾多の課題を乗り越えてきたその歩みを、あとに続くご家族の道しるべにしていただきたい。


今、私を中心に、同心円上に広がっている、すばらしい人のつながりを、もっともっと相互に関係し合う豊かなものに発展させていくこと、

私のなすべきもう一つの大切な営みを、ぜひとも意義深いものとして実をつけていかなければなりません。


その方向から、しっかりと目を離さない自分でいたい、

保護者連携のモデルとなる形を、ぜひこの岡山の地から発信したい、

どうしてもやりとげなければならない仕事が、またここにあるのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-11-21)





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私が立っている場所

 2012-11-18
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昨日、新見市「手をつなぐ育成会」の研修会で、お話をさせていただく機会がありました。

新見市育成会の会長さん、新見市の教育長さんをはじめ、多くの方に大変ていねいなごあいさつをいただきました。

参加者は40~50人程度と伺っていましたが、会が始まると、会場はいっぱい、おそらくは50人を越えるたくさんの方にご参加をいただきました。


新見公立短大で非常勤講師をさせていただいたご縁で、今回の講演の依頼をお引き受けさせていただいたのですが、こうした晴れやかな舞台に私を押し上げてくださったことに、感謝の思いが心の中に広がっていきました。

短大では、毎週月曜日朝一の授業なのですが、学生さんたちは、それはそれは前向きな姿勢で課題に取り組んでくれています。

この日の講演でも、多くの方が、何度もうなずきながら話を聞いてくださり、改めてこの地この場所に立たせていただいていることを光栄に思うのでした。


講演が終わると、何と、いつも広島からレッスンにお越しくださっている女の子のお母さんが、ごあいさつに来てくださいました。

「一度ぜひ先生のご講演をお聞きしたいと思っていました。今回は近いので、参加させていただくことができました。」

近いって、広島からだと、どうやっても2時間以上はかかるはず・・

お気持ちを、本当にうれししく受け止めさせていただきました。


その広島のお母さんから、講演終了後に、さっそく以下のような内容のメールをいただきました。


SHINOBU先生、講演会お疲れ様でした。
お声をかけようか迷いましたが、お話しさせていただきました。
私が声をかけても喜んでいただけるかな?と思いましたが、
ちょっとびっくりさせようと思って声をかけました。
喜んでいただけたなら嬉しいです。

講演会を聞いて改めて、指導に対する先生の優しさや、凄さを感じました。
しっかりとした集団の居場所があるから、
個別支援が生きてくるんだと改めて感じました。
どちらが欠けても上手くいかない。
子どもにつけてやりたい自己肯定感も、他者からの評価で培われるんですね。
仲間からの評価はその子の宝物になるでしょう。

たくさんの実践例、スモールステップの大切さは、
先生が何千時間もされていることなので説得力がありました。
私がブログを読んでいるせいもあり、
どの子の事も、会ったこともないのに想像ができました。

一つの事ができるまでに
「ごめんねお母さん、ここまでくるのに3年かかった。」
「ここまでくるのに5年かかった。」
そんな思いで子どもたちに教育してくださってるんだと思うと
涙が出そうになりました。

長く指導できる個別支援の指導者ならではの言葉なんでしょうが、
その言葉を言える指導者も少ないと思います。
もちろん言われている子供たちはもっと少ないと思います。

この日も朝、夕とレッスンがあったようですが、本当に頭がさがる思いです。
どうかこれからも共に歩んでいってください。よろしくお願いします。
また講演会がありましたら、出席させて頂きます。
お忙しいので、お体には気を付けてください。
とても良い時間を過ごせました。
ありがとうございました





時計を見ると、午後4時45分、

新見からなら岡山まで、高速で1時間あまり、

これなら教室の6時からのレッスンに間に合う、

私はすぐに6時過ぎからのレッスンが可能であることをそのお母さんにお伝えし、足早に会場を後にしました。

「月に1度のSHINOBU先生のレッスンを、どうしても受けさせたい」

そんなお母さんのお気持ちに、何としてもお応えしようと願っていたからです。


午後7時36分には、今回石垣島から、教室を見学してくださる沖縄県の先生を、駅までお迎えに伺いました。

私に会うために、わざわざ岡山の研修会を選んでお越しくださったということでした。

厳しい日程の1日で、短い時間でのご案内で申し訳なくなく思いましたが、私の家に一晩、お泊まりいただくことになりました。



例えば、ある地域で講演をさせていただくということが、いったいどんな意味をもつのかということを、改めて私は、今回深く受け止めさせていただくことになりました。

ただ単に講演が済すめば、それで終わりというものではありません。

そういう責任を背負って、私はこれからも歩んで行かなければならないわけです。


そう言えば、石垣島の先生、

お仲間の先生も、偶然、私のブログを読んでくださっていたと、お伝えくださいました。

それに、この先生、どうやら隅からから隅まで私のブログをお読みになっているようで、ホント感心するくらい私のことをよく知っていらっしゃる。

ブログも、ここまでくると侮れないものです。


私のブログは、すべて実践の情報発信、

子どもたちとの実践なくしては、何も残らないことを、私は改めて感じた1日なのでありました。






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逐次読みからまとまり読みへ

 2012-11-12
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私の所には、いろいろな子どもが来てくれます。

今回紹介する5年生の女の子は、小学校低学年まで、海外で暮らしていました。

日常会話などには全く問題はないのですが、文章化された内容の、微妙なニュアンスがつかみきれず、学習がスムーズに進みにくい場面が見受けられました。


一口に言語と言いますが、私はそれを、「内言語(理解言語)」 「文字言語」 「聴覚性言語(聞き言葉)」の3つに分けてとらえるようにしています。

一般に同時処理優位傾向の子は、漢字などの書字は得意ですが、逐次読みになりやすく、要旨をアバウトにとらえることが出来にくい傾向が見られます。

逆に、継次処理優位傾向の子は、物語文などをスラスラと読みますが、よく聞いていると細部はいい加減に読んでいて、漢字の書字などは苦手な傾向が見られます。


今回の女の子の場合は、認知処理様式に大きなかたよりはみられませんでしたが、文字言語を音声化したり、内言語化したりする学習経験が不足していたのです。

ならば、個別指導場面では、優位な内言語を利用して、文字言語との接点をていねいにていねいに紡いでいってやろう、

それが私の考えた方略でした。


この日、「大造じいさんとガン」の読解問題に取り組ませてみました。

私の出張などで久々のレッスンとなりましたが、そこにはもう低学年のときに、あれほど苦労した文字言語への抵抗感は見られませんでした。

その事をお母さんにお伝えすると、「ありがとうございました」と、深々と頭を下げられました。

いやいや、私は何も大したことはしていません、それは本人の努力とご家族の愛情の現れです、

私は、そのようにお伝えをしました。


「今日はこれから、英語のレッスンに行くんだ~」

毎回その子は、そんなふうに私に教えてくれます。

笑顔が弾む、とってもかわいい女の子です。


別な子のことですが、小学校の時にバリバリの逐次読み(拾い読み)だった子が、今ではまとまり読み(スラスラ読み)に変わっていた例があります。

漢字を精査に書く長所はそのままで、継次処理の力が飛躍的に向上したのです。


何がそうさせたのか?

それは、そこにターゲットを定めた、圧倒的な学習量です。

この日の学習でも、50分間、一息もつかず、中学校教材の長文を一気に読み切りました。

これを毎週5年もやれば、認知特性自体も変化するものかと、私の方が驚いてしまいました。


あきらめなければ夢は叶う、

そこに奇跡を起こすメカニズムをかいま見ることができます。

こうしたあゆみこそが、奇跡を信じる私の原動力になっているのです。


もうだめだと思っていても、わずか1歩前に進んだだけで、景色が全く違うものに見えることがあります。

奇跡を信じるか、信じないか、

それはあなたの自由です。


たとえ甲子園に出られなくても、そこに向かう歩みそのものが宝物だと、私は思っています。

そのために、私は子どもたちと、小さなキャッチボールを続けていくのです。





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今の私を支えているもの

 2012-11-09
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私、高脂血症で要治療の診断を受けての1ヶ月、5㎏の減量に成功し、ウエストも8㎝以上縮みました。

大好きだった、たこ・いか・えび・かに・たらこ・いくら・ゆでたまご・トンカツ・ラーメン・唐揚げなどは、給食やお弁当で出された物以外、ほとんど口にしないようになりました。

おかし・ジュースの類は、おそらく一切口にしていないと思います。


そのことを苦痛に思うどころか、茶碗半分のごはんを味わって食べるようになったので、それがやたらおいしい。

そのせいだかどうか、なんだかとても体が軽い、

まるで、慢性的な疲労感が少しずつ消えていくようなそんな感覚です。


日曜日は、昼まで法事、

それが終わり次第、すぐにレッスン、

午後7時にレッスンを終え、その後で月曜日の短大の講義の準備、そして17日の講演会の資料の送付、

事業所のパンフレットの作成や、ハローワークや年金事務所に問い合せる書類の準備、

やらなければならない仕事は、山積み、

散髪や買い物などは、レッスンのキャンセルがなければ行けない・・

それでも、気持ちは全く萎えません。



先日、赤ちゃん体操のレッスンがありました。

運営については、多くのスタッフに全面的な信頼を寄せてお願いしています。

この日も、次から次へと新しい仲間が増え、会場は笑顔と活気に満ち溢れていました。

うちの看護師も、この度赤ちゃん体操指導員の資格取得を目指して、講習を受ける前から実践に参加させていただくようになりました。


「見てごらん、この子たちを見ると、自分の心が洗われるように感じるときがあるだろう。この子たちは、人を引き寄せ、人を育てる魅力とエネルギーをもっているんだよ。」

私は、職員にそう話して聞かせました。


もともとは、たった一人で始めた小さな教室が、こんなにも多くの人を引き寄せ、おおきなうねりを巻き起こすまでになって来た、

この子たちに生き方そのものを変えられたのは、誰あろうこの私が一番であったと思っています。


日曜日には、三重からお越しくださる方がいます。

法事の事で少し連絡をさせていただきましたが、この日のために前々から新幹線の予約を済ませ、下のお子さんのケアの段取りをつけ、今か今かと待ってくださっているとお聞きしました。


それを聞いて、いい加減な気持ちで、レッスンに向き合うことなんて、決して出来ない、

体調管理も、万全でなければ申し訳が立たない、

風邪なんか、絶対にひいていられない、

疲れた顔なんて見せられない。


昨日、インフルエンザの注射を済ませました、

手洗い・うがい・睡眠・食事・・

体や心のメンテナンスを怠ることは許されません。


何がこうまでして、私を駆り立てるのか?

それは、子どもたちの大切な命と、ご家族の真摯な愛情、

それ以外にありません。


人は、誰かのために役立つことで、本当の幸せを感じるものです。

ぜひとも、この子たちをそういう人に育てていきたい、


日々いつも、そこに向かってあゆみ続ける自分でいたいと、願ってやまないのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-11-09)






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受容と要求の黄金バランス

 2012-11-05
ある中学生の女の子が、学校であまり望ましいとは言えない行動をしてしまいました。

担任の先生は、深い教育的な情熱をおもちの先生で、中学に入学して間もなく、わざわざ私のにまで足を運んでくださいました。

今回の対応にしても、教育者としてなすべきことをきちんとふまえた対応だったと思っています。


ところが、そのことがきっかけとなり、その子はずっと学校に行かなくなってしまいました。

行ってしまったことの反省より、そこに至るまでの背景を理解してもらえなかった、自分の気持ちを受け止めてもらえなかった、そういう思いだけが、爆発的に心の中で広がってしまったのです、

一度こうしたネガティブな思いが広がり始めると、そのことだけがぐるぐると広がり、収拾不能に陥ってしまいがちになる・・

実は、こうしたこと自体が、この子が背負っている重い課題そのものでもあったわけです。


そういう彼女ですが、私の教室には、かれこれもう数年通い続けています。

この子が休んだという記憶は、ほとんどありません、

今週の彼女は、さすがにいつもと比べると不安定な感じでしたが、事前にお母さんからの情報をいただいていますので、私の方はいつも以上に、事前にふところ深く構えているのです。

それが、支援者としての私の役割だと考えているからです。


要求度を上げると、どうしても一定の負荷が子どもにかかります、

かといって何も要求のない所に、教育の営みは成立しません。


私の所は、権威も強制力もない、まったく任意の事業所です、

もしも子どもが来なくなったなら、一番痛むのは、それはきっとその子自身であると思っています。


ならば、ここは胸元をえぐるようなストレートは温存して、とりあえずは緩いカーブを投げておきます。

大切な部分は、時間をかけ、気持ちが整理された段階で、別な方法でじんわりじんわり攻めていくのです。


先日、最近少し萎縮ぎみの小学生の男の子がいました。

どうやら、私のしごく国語がだんだん重荷になってきたようです。


その日、私はその子のために、マリオのラジコンをアマゾンで注文してやりました。

とたんにその子の表情は変わり、「がんばって先に勉強すませようね」と、すごい勢いで鉛筆を走らせました。


その過程で、たとえどんな手段を使おうが、プロとして結果を残さなければ、結局、選んでまでこの教室には来ていただけません。

けれども、遊んでばかりの教室に、高い費用を負担し、わざわざ送迎までして来ていただけるとも思っていません。

肯定的な自己理解力の育成を看板に掲げた教室を開設した以上、3年・5年と継続して来ていただかない限り、納得のいく結果が簡単に出るわけもありません。

ならば、私には、私なりのアプローチがあってもいいはずです。


受容と要求、

そして個と集団との関係は、教育における永遠のテーマであり課題であると思っています。

その1グラムのさじ加減で、その1秒のタイミングで、結果は大きく変わっていきます。


プロは結果がすべて、

いただいたレッスンの1コマ1コマに、これからも全力投球で立ち向かえる自分でありたいと、心から願っているのです。





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肯定的な自己理解力と 内発的な学習意欲との高い相関

 2012-11-02
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私は今、何人かの中学生に英語を教えています。

今回紹介する中一の男の子も、その一人です。

これまで、宿題を提出することが出来にくかったり、自分の意思を相手に伝えることがむずかしかったりして、知らない間に、ずぶずぶと閉塞感のただよう空間に入りかけてしまうような、そんなことも何度かありました。


この夏休みには、彼と一緒に学習計画を立てることにしました。

私のレッスンの時間には、勉強をするのではなく、1週間がんばった学習を、私が見て評価してやる時間にしたのです。

そして、その内容に応じて、次の1週間の学習計画を一緒に立てる、

そういう取り組みを、約2ヶ月にわたって続けてきました。


1学期の初めには、英語の学習が全くかみ合わなかったという感じですが、この頃少し様子が変わってきました。

標準化された問題集が、結構自力で解決できるようになってきたのです。

あらあらどうしちゃったの? すっかり勉強ができるように変身しちゃったの?

何だか、そんな感じです。


先日、お母さんがオープンスクールに出かけて、授業の様子をご覧になったそうです。

以前は、友達にいじわるされても、はっきりと拒否したり、自己主張したりすることが出来にくかった彼が、この頃は毅然とした態度で、そういうことをはねのけるようになってきたということも、ご相談の際に伺っていました。

そういう彼は、もうすでに昔の彼でなくなってしまったような、そんな印象をもちました。


中間考査の英語の成績は、かなり上がったようだとお聞きしています。

この調子なら、期末考査は、ホップ・ステップ・ジャンプと行くに違いありません。


この子はきっと、自分という存在を、肯定的に受け止め始めたに違いありません。

5年生の秋から打ち始めた、自己肯定のビタミン注射が、ここに来て効き始めてきましたね、

このまま青年期の間に、自分の苦手なことを受け入れながらも、自分の存在を肯定的に理解し、長所を生かしながら、現実的にうまくコントロールしていく力が身について行ったなら、きっとこの子は、社会に役立つ人に成長できるに違いない、


これまで共にいくつもの課題に向き合ってきました、

まだまだ決して安心したり、楽観できるとは思っていません、

そうおっしゃりながらも、そのお母さんの横顔は、いつになく晴れやかでした。


支援とは、主体者に成り代わって何かをするというのではなくて、主体者が主体者らしく前に進んでいくことを支えていくこと、

こういう育ちの最前線に共にいられることこそ、支援者としての何よりの喜びに感じている私なのです。







この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-11-03)






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