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同時処理傾向の子の読解支援

 2012-10-31
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私は今、中学生の子に、毎週オリジナルの問題を作って、読解指導をしています。

中学生の子には、なるべく中学生の教科書の題材を使って、レッスンをしていきたいという気持ちがそこにあるからです。


友里ちゃんの読解指導は、小学校4年生の時から続けていますから、かれこれもう5年にもなろうとしています。

友里ちゃんがレッスンをお休みしたという記憶は、ほとんどありません。

これだけレッスンが継続できたこと自体に、まずもって私は大きな誇りをもっています。


友里ちゃんの読みは、基本、同時処理傾向の強い読み方です。

問題文のキーワードを目に焼き付けて、対応する地の文をサーチしていくような読みをしていきます。


今、「星の花が降ることに」(安東みきえ)という教材に取り組んでいます。

地の文には、「立ち上がって水道の蛇口をひねった。水をぱしゃぱしゃと顔にかけた。冷たかった。溶け出している魂がもう一度引っ込み、やっと顔の輪郭が戻ってきたような気がした。」とあります。

私は、この内容をとらえさせるために、「水を顔にかけた時、何が引っ込み、何が戻ってきたような気がしました。」という設問を与えました。

キーワードを中心に、こういう尋ね方をすれば、この子が楽勝で答えられることがわかっているからです。



1回のレッスンで、大体10位の設問を設定します。

イントロは、既習の力で十分対応できるものを、

そして、その日の中心発問は、キーワードを間接的な表現に置き換えるなどして、少し支援をフェードアウトして取り組ませます。

大体6・7問目に、中心課題を設定しておき、終末には自力解決可能な課題に取り組ませ、達成感をもたせます。


「SHINOBU先生と一緒に勉強していると、わかるから楽しい」

4年生の時にそう言ったくれた友里ちゃんと、ある意味読解指導1本で、5年間も一緒に学びの道を歩いてきた。


石の上にも3年と言いますが、さすがに5年も一つのねらいをロックオンして、それを続けることができれば、そりゃあ力は付いてきます。


逐次読みで、音読だけで精一杯、たとえ音声化できても何を言っているのかをつかむことが苦手だった友里ちゃんですが、今では当時のことを思うと、みるみる力を付けてきました。

かなりスラスラ読みになってきましたし、苦手だった音訓読替漢字や、慣用的な言い回しにも対応できる力が身について来ており、時々私を驚かせたりします。


私の方も、かなりポイントが分かってきたので、20分もあれば、その場で即興でオリジナル問題を作ることができます。

伸びてきている手応えさえあれば、そんなの負担でも何でもなくて、楽しいばっかりです。


今、生活面も含め、色々な困難な課題とも向き合っている友里ちゃん、

ご家族のご苦労も受け止めながら、だからこそ私がこの子にしてやれること、


「子どもの特性理解に基づいた楽しいレッスンの積み重ね」


そのコンセプトは、5年前も今も、決して変わらない大切なものであり続けたい、

この子と出会えたことで、私自身の気持ちが、より強く、より確かなものに変わっていったのですから・・




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言語と行動とをつなぐもの

 2012-10-26
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先日、ある男の子とブンブンこまで遊びました。

どうしても、SHINOBU先生とブンブンごまがしたいというリクエストのお応えしての活動でした。


言語性が豊かで、とても頭の良い男の子です、

1年生なのに、計算だって、漢字だってスラスラできちゃいます。

ところが、このブンブンごまが、どうしてもうまく回らない。


ブンブンごまは、こまの回転の慣性を利用して、一定の回数、逆回転に回ったタイミングで、そっとひもを引くと、面白いように回転するのですが、この子はめいっぱいひもをひっぱって遊びがないので、逆回転にこまが巻き戻らないのです。

何度かそのことを説明してやるのですが、さすがに小学1年生では、言語ではそのことを理解できない、


「いいかい、先生が手を持ってあげるからね、やりかたをまねしてね」

私は、その子の両手に手を添えて、今度は言葉ではなく、動作で示してやりました。

何となく感じはつかめたようでしたが、それでもなかなかすぐには、回りません、

「じゃあ、自分でちょっと練習してごらん」

レッスンの終了時刻が来て、ちょうどお母さんが入室してこられましたので、私はその子に、そのように言っておきましたた。


お母さんに、この日の学習についてお伝えしている最中、一生懸命練習を続けています、

5回、10回とチャレンジしていると、その瞬間、突然こまが勢いよく回り始めました。

小さな感動が、私たちの心の中にも広がっていきました。



みなさんは、一輪車に乗れますか?

一輪車は、おへそを突き出すようにして、体重を前にかけると乗れるようになります。

分かってしまえば簡単ですが、いくら言葉でていねいに説明しても、この感覚を100%伝えきれるものではありません。


どんなに言語性が優れていても、いや、言語性が優れていくからこそ、できにくいことというのもあるのです。

言語 = 元になった体験 = 思いこみ = 固定化 = 適応性の妨げ 

何でも言語で処理しようとする子は、何かに付け、そのことを言語に置き換えて処理してしまう傾向がありますが、かえってその言語のが優位性が、妨げとなって働いてしまう部分だってあるのです。

私の経験からは、言語面の発達に課題のある子は、案外、場の状況や人の気持ちをダイレクトに感じ取れる力が優れている場合も多いようです。


前にもお伝えしましたが、私の実践からは、行動のコントロールと、微細な理解や認知の間には、何らかの相関性があると感じています。

そこを読み解き、メカニズムか見えれば、支援の方向性もより明確になってくるはず、

この子のブンブンごまは、何か大切なことを、私に教えてくれような、そんな気がしてならないのです。







この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-10-27)




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新見市  「手をつなぐ育成会」 講演会のお知らせ

 2012-10-25
新見市手をつなぐ育成会






今週から、新見公立短大で非常勤講師をさせていただくことになりました。

そのことがご縁で、11月17日に「新見市手をつなく育成会」主催の講演会で講師をさせていただくことになりました。


これまでの私の実践を整理しながら、保護者の皆様、学校・園や関係機関の先生方、子どもたちの成長や幸せのため地域でご尽力をいただいている役員の皆様がたに、何か大切なことをお伝えできれば、

そんな気持ちで講演に臨んでいきたいと願っています。


こうした講演会をさせていただくと、何か、そこからまた新しい出会いがあったり、未知の可能性が拓けたりするきっかけにもなるものです。

どんなステキなサプライズがあるかも知れません。


人生は、筋書きのないライブステージ、

一人一人の子どもが主役のそのステージに、いつも笑顔で、全力投球で臨める自分でありたいと思っているのです。






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新しいチャレンジ

 2012-10-24
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今週から、短大での授業が始まりました。

月曜日の朝1限、ちょうど教育実習を終えて最初の授業だと聞いていました、

どんな学生たちだろうと楽しみにしていましたが、どの学生も時間いっぱい集中して授業に取り組んでくれ、とても心地よい印象をもちました。


講師の依頼を受けた2年前には、今から比べると、また少し時間に余裕もありました。

今では超ハードなスケジュールを調整しながら、授業に臨まなくてなりませんが、こうした機会を与えていただいた以上、このことに感謝をしながら、全力投球で取り組んでいきたいと思っています。


この学生たちの多くが、来年から実践者の一人として、保育現場の最前線で子どもたちの育ちに向き合うことになる、

学生というこの時間の中で、実践者の先輩として、伝えなければならないこと、育てなくてはならないことを明確にしながら、ライブ感覚の授業を構成していきたいと思っています。


朝7時には高速に乗り、授業が終わるとすぐにトンボ帰りで個別レッスンの準備・・

何とも充実した毎日です。


健康診断でコレステロール値が高く、要治療の指示を受け、最近は食事制限の日々、

そのせいだかどうか、何だかこの頃、体が軽い (笑)


一期一会、

せっかくの機会なので、何としても納得のいく仕事を積み重ねていきたい、


私のチャレンジは、ここからが本番です。




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レッスンが終わっても 帰ろうとしない子どもたち

 2012-10-21
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昨日も今日も、わざわざ京都から来てくださる方がいました。

京都から何人もお越しくださるようになったのは、もともとは3年ほど前に、このブログを見て一人のお母さんが京都からお越しくださったのがきっかけです。

それが口コミで、一人二人と増えていき、今では京都からも何人もの方が来てくださるようになりました。


そういうことなら、何人か集まっていただき、私の方が京都におじゃまして、交通費をシェアしていただければ良いのではないか?

そういう発想で、京都でのレッスンがスタートしました。

今は、1日の定員8名でお願いしていますが、ご希望の方がたくさんいて、これまで何人もの方をお断りしてきました。

昨日、電話相談をいただいた方も京都の方で、来年1月3日の京都でのレッスンの空きに来てくださることになりました。

わざわざ選んでお越しくださることでさえ、ありがたいのに、こうした遠隔地からも足を運んでくださること、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


昨日、京都から来てくれた子もそうですが、姫路から来てくれた子も、広島から来てくれた子も、それぞれに生き生きと活動に取り組み、とっても気持ちのよいレッスンが出来ました。

あまりにも楽しくて、もっともっとやりたくて、帰るに帰れず、ダタをこねて泣き出す子もいました。

ここまで来ると、こちらの方も、何とも言えない気分です(苦笑)


県外から、何時間もかけ、安くない費用をご負担いただいているのですから、いい加減なことは決してできまさん。


昨日の午前は保育園の運動会、

午後からレッスン、そして電話相談を終えて教室を出ると、時刻は午後10時を過ぎていました。


でも、これだけの手応えがあると、逆に体調はいつになく、絶好調です。

月曜日には、短大での講義もありますが、それも何だか楽しみで、負担感はほとんどありません。


今日は、京都でずっとレッスンをさせていただいた子が、初めて岡山に来てくれました。

本当に楽しい、夢のような瞬間です。


このパワーを、私に与えてくれたもの、

それは、まちがいなく子どもの笑顔と、ご家族のまなざし、

その気持ちには、何としても応えていかなければならないと思っています。


この子たちが自己実現し、誰かのために力を尽くせる子に育てていくこと、

この子たちがそういう力と可能性をもった存在であることを、私はこれからも、実践を通して広く発信していきたいと願っているのです。





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可能性を信じられる根拠

 2012-10-19
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さきちゃん(小学1年)は、3年前からずっと私の教室に通ってくれています。

その3年前の資料を見てみました。

そこには、赤ペンで描かれた錯画(なぐりがき)の絵が1枚はさまれていました。


昨日、数字を書く練習をしてみました。

どのくらい視写 (なぞりではなく、無地の紙に書くこと) ができるか、興味津々で取り組みました。


するとさきちゃん、私の予想(期待)をはるかに越えて、4・5・6・7・・・と、次々に数字を自分の力で書き進めていくではありませんか?

あまりの急成長に、正直私、一瞬言葉を失ってしまいました。


学校の先生の、日々の熱心なご指導、

そして、いつも心を砕いて、この子の育ちを支えてこられたご両親のご努力、

そうしたことが、こうした具体的な学びの成果として、共に感じ取れることを、支援者として本当にうれしく思うのです。


3年前は、お母さんにしがみついて、ひざから離れることができなかったさきちゃん、

泣いてしまって、レッスンにならなかった日もありました。

そのさきちゃんが、今では階段を駆け上がり、毎日元気いっぱいに笑顔で扉を開けてくれるようになりました。

いつも、「しょのしょのせんせい(しのぶせんせい)」と言って、うまく聞き取れなかった構音も、小学校に入って劇的に改善され、見違えるように明瞭になってきました。


それを奇跡と呼んでいいのかどうかはわかりませんが、3年前にこうした日が来るなんて、正直思ってもみませんでした。

百万の書物より、私には、こうした実践がある、


たとえどんなに時間がかかろうとも、必ずいつかはあの頂きにたどりついてみせる、

とてもじゃないと思っていた遠い頂きも、ちょっと歩みを重ねていくだけで、まったく違う景色に見えることだってあります、


子どもと笑顔で時間を共有できるのは、その見通しと信念があるから、

その方向感なくして、子どもは決して付いて来てはくれない、


さきちゃんの成長は、私のレッスンの構成にも、とても大きなインパクトをもたらしています。

そして、そのことはきっと、あとに続く多くの子どもたちのの道しるべとなるに違いません、


「この教室で、語い数が増えてお話しできるようになるとうれしいです」

3年前、入会の申し込みに、お母さんはそんな言葉を添えてくれました。


あなたの先生になれて良かった、

あなたの命の輝きは、あなただけのものではないのです、

そして、新しく生まれてくる命も含めて、一人でも多くの子どもと、そんな時間を共有していきたいと、願わずにはいられないのです。




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行動改善に向けた2つのアプローチ

 2012-10-16
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私の所には、たくさんの子どもが来てくれています。

中には、IQ値がとても高い子もいます。

当該学年より上の問題でも、次々と解いていくことができます。


しかしながらご家族の不安や心配が、全くないということではありません。

些細な気持ちのズレから、トラブルが生じ、思いもかけない事態に発展しまうという出来事が、次々に生じてしまうのです。


言語性も豊かで、知的水準が高い・・

けれどそれだけで、現実生活の中、すべてのことがパーフェクトに出来るわけではない、

生意気だ、へ理屈ばっかり、しつけをきちんとしていないから、甘やかせているからだ、

見えにくいからこそ、理解されにくいからこそ、そのダメージは、日常的に積み重なっていくのです。


個々のトラブルに対しては、事の経緯やそこの子の気持ちをくみ取り、客観的な状況をていねいに整理し、言語化しながら受け止めさせる営みを大切にしています。

言語で合理的に納得すること以外の方法が、受け入れられないということが、この子にとっては、大きな課題となっているのです。

そこを理解してやることが、支援者としての私の役割、

いわゆるインプットの面のアプローチです。


それとは別に、アウトプットの面の理解も重要です。

イライラしたり、ついついやってしまったり、言ってはいけない言葉を使ってしまったり、行動のコントロールができにくかったり・・

医療系の支援も含め、こういうアウトプットのアプローチが適切に実施されることで、インプットの部分がうまく機能しはじめた事例に何度が出会ってきました。


仮に、インプットいわゆるメンタルな面をアスペルガー、アウトプットの部分をAD/HDという切り口でとらえるのなら、その両面が隣接している子もいると、私は感じています。

医学的な根拠も、学術的な裏付けも何もありません、

ただただこれは、私のとらえです。


それに、たとえどんな見立てが付こうとも、あなたがあなたであることには、変わりないわけです。

見立てというのは、それが何か子どもの利益につながってこそ、初めて意味をなすものです。

そうでないなら、そんなものは、バッサリ捨て去って、ありのままの子どもと向き合いたい。


「ここは楽しい、SHINOBU先生は天才や」

先日、私の所へ初めて来た子が、家に帰ってお母さんにそう言ったようです。


この子、IQ値が120を越えています。

何言っているの、天才は、君の方だよ、

君が他者をいつくしみ、自分自身を肯定的に理解し、誰かの幸せのために力を十分に発揮できるその日が来るまで、先生はずっと君と一緒に歩んでいきたいと願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-10-18)






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レッスンは ライブが命

 2012-10-12
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少し以前の話になりますが、オリンピックやなでしこジャパンの大活躍、テレビで深夜までご覧になった記憶をおもちの方も多いのではないでしょうか?

今時ですから、DVDに録画したり、後でスポーツニュースや再放送で見ることだってできるのですが、やっぱり生は違います。


私は野球が好きで、日本の球場はきっと10以上の所に行きましたし、シアトルやニューヨークのスタジアムにも行きました。

劇団四季や宝塚、ブロードウエイのミュージカルも何度か見ましたが、テレビや映画で見るのとは、まったく別の世界がそこにあります。

やっぱりライブには、特別の魅力があるわけです。


もしも私が、講演会で、ポケットから原稿でも取り出して読み始めたとしたら、きっと皆さんはどっちらけで、とても真剣に聞いてなんかくれません。

一人一人のオーディエンスの表情を感じ取りながら、語りかけるように伝えなければ、まともな講演会にはならないのです。



この日、ゆきちゃん(仮名)とお買い物ゲームをしました。

私の計画では、箱に入ったりんごやみかんを、種類ごとに数として認知させ、順序数と対応させながら10円玉を置いていく活動をする予定でした。


ですが、ゆきちゃん、

いきなり 「りんごともも、ください~」 と言ってきました。

予定外のリアクションです。


ゆきちゃん、きっとリアルなお買い物の場面が思い浮かんできたのでしょう、

すかさず、私が、「は~い、りんごが4こともも2こですね、合わせて6こ、60円になります」 とやったもので、ゆきちゃん大喜び、4と2で6、10が6こで60の算数的活動をたっぷり味わうことができたのでした。


この日のゆきちゃんの達成感には、目を見張るものがありました。

お片付けも進んで行い、退出時のごあいさつも、背中をぴんと伸ばし、大きな声ではきはきとすることができました。

まさに、この子のもっている魅力が、いっぺんに花開いた形となりました。


もしもあのときゆきちゃんに、「りんごはりんご、ももはももで別々に買ってください」 とやっていたら、果たして同じような達成感や、弾むような躍動感は、きっと生まれてこなかったと思っています。


マニュアル通りの無味乾燥なプログラム、

苦手なことだけを洗い出し、それを序列化しただけの支援計画、

そんなものでは、決して生きた療育は行えないと、私は思っています。


どうしてSHINOBU先生の所では、集中して活動できるか、いつも不思議でたまりません、

ご家族の方から、何度もお聞きした言葉です。


ねらいを明確に定めて、子どもに方向感をしっかりとつかませること、

子どもの体温や息づかい、内発的な学びの方向性を敏感につかむこと、

そして、子どものニーズにライブで応えることのできる方法と経験と力量、

私が目指すレッスンの形がそこにあります。


まだまだ未熟な私ですが、ありがたいことに、毎日、私の所には多くの子がレッスンを受けにきてくれます。

これぞ、私の最大の財産、

すべては、こうした子どもたちとの一つ一つのレッスンの積み重ねから、生まれてくるのです。


レッスンはライブが命、

そのフィールドの最前線にいられることを、私は何よりの誇りに思っているのです。







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りんちゃんの事例から見える 読字力の向上

 2012-10-08
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りんちゃん(5年生)は、とってもおしゃべりな女の子です。

「りんちゃんのように、ナチュラルに言葉でのコミュニケートができたら、どんなステキなことだろう」

これまで、多くの方から、そんな言葉を耳にしてきました。

私の教室でも、日々とっても楽しいやりとりを積み重ねてきました。


そんなりんちゃんですが、これまで文章を読むのは、あまり得意ではありませんでした。

微細な視覚認知力に、少し課題があったのです。


とても美しく形の整った字を書くこともできます。

ですが、「大」という字の三画目を、1画目との接点から書くことが出来にくい時期がありました。

「ここの付け根から書くんだよ」

と何度か説明しても、映像として微細にそのことを認知することが難しかったのです。


私の経験からすれば、こうした書字にかかわる微細な視覚認知力は、高学年になると大きく向上する子がほとんどです。

花子ちゃんも、けいちゃんも、高学年になって書字能力は大きな向上が見られました。


算数の文章問題をしても、読解問題をしても、これまでりんちゃんは、「読んで、読んで」と何度も私に訴えてきました。

聴覚性の言語で、言語理解をした上で、文字言語をとらえさせる支援を続けてきたのです。

りんちゃんの読みはずっと、文字から理解言語をひっぱってきて読む「継次性の読み」であったのです。


そんりんちゃんが、ここに来てその部分に大きな変化が見られ始めました。

「先生、ごんぎつね読むから、本探して」

突然、りんちゃんが、私にそう言ってきました。


その瞬間、私は 「来たな」 と確信しました。

形はそれぞれ違うけれど、これまで何人も、そうやって大化けする子の瞬間に出会ってきましたから・・


ごんぎつねの後に、いつもの生活読解文に取り組ませてみました。

これまでずっと、問題文(地の文)を、私が読んでやっていたあの課題です。


りんちゃん、これまでとは打って変わって、今回は、自分でスラスラ読んで、解答欄を埋めて行きます。

完全習得、ノーエラーの自力解決です。

完全に、一瞬で化けました。


子どもが伸びるときは、正比例みたいにジワリジワリとは、決して伸びない。

ずっとずっと地下を潜行して、ある日突然、ぽーんと伸びる。

その地下を潜行しているときに、信念をもって、どれだけ豊かな教育的な営みを積み重ねていくか?

それこそが、支援者としての専門性だと信じて取り組んできました。


良かった良かった、

そう感動するのは、たった1日、

明日からはもう、そのことが当たり前となったりんちゃんと、また次のステージへ向かっていかなくてはなりません。


もちろん、私一人がりんちゃんの読みを育てたなんて、カケラも思っていません。

私のレッスンが本当に妥当だったのかどうか、そのことを証明するエビデンスも何もありません。

でも、支援者として、この瞬間に立ち会えたことがうれしいし、そのことをお母さんに報告できる瞬間がたまりません。


読みの力は、一生モンです。

ごんぎつねの扉を開いたりんちゃんは、これから生涯、文字を通して様々な文化にふれ、心豊かな物語を読み重ねることができるのです。

子どもが、学ぶという本当の意味は、問題集が何冊出来たということだけではなくて、学びを通してその子の人生がいかに豊かなものになっていくか、そういう視点を大切にすべきだと私は思っています。。


すべては、この一瞬のために、

私にとっても大切なメモリーが、この日にもまた1ページ、しっかりと刻まれたのでありました。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-10-11)






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学校で学ぶ中身

 2012-10-04
4年生の子が、山の学校に行きました。

私の所で、サポートをさせていただいている男の子です。


事前に、今回の山の学習で、通常級のみんなとは違う特別メニューで活動を構成するかどうかについて、学校と打ち合わせをしました、

たとえどんな時間がかかっても、可能な限りみんなと一緒に活動する機会を大切にしてほしい、

お母さんは、そんな願いを先生方に伝えました、


その子は、通常級の班のメンバーの一員になりました、

山道を歩く活動では、いくつもの班が、その子のいる班を追い越していきました、

でも、どの子の顔にも笑顔があり、相互に応援し、励まし合うあたたかい気持ちが通い合っていたそうです、


その班が、もしも一番最後にゴールしたとしても、メンバーの心に残る印象度は、どの班にも負けないくらい輝いていたのではないかと、私は思っています。

できれば、他の学習活動でも、こんなスタンスで学びを構成することがではしないか?

インクルージョンの一つの形が見え隠れしましたね、

私は、そうお母さんにお伝えをしました。


一方で、別のお母さんから、以下のようなお話を伺いました。


昨年までは通常級在籍だったが、現在は支援級在籍なので、教科書を開いて勉強する機会が少なくなってしまった、

そこで先生に、もう少し教科指導に力を注いでいただけませんかと、先生にお願いして教科指導を始めると、算数にしても、国語にしても、その先生が予想していた以上にうんと出来る、

それもそのはず、算数は日中一時支援の事業所で、国語は放課後等デイサービスの学習サポートで、それより何より家庭学習で毎日みっちり教科学習を積み重ねてきている・・・


支援級は、教科学習以外をするところ??

二つのエピソード、皆さんは、どのようにお感じになりますか?

極端な例かもしれませんが、何か大切なことを見つめ直すきっかけになればと願っています。





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