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内発的な学びの意欲に寄り添う支援

 2012-08-30
私の教室には、就学前で、まだ言語でうまく自分の気持ちを伝えることができにくいタイプお子さんも、たくさんいます。


就学前のお子さんのレッスンの内容を構成する時には、


①手作業系パズル ②ストーリー系の絵本・紙芝居 ③見立て遊び 

④手遊び・音楽遊び ⑤感覚系タッチボード ⑥映像・カード系の言語教材 

⑦ロールプレイ(お料理な・ごっこ遊びなど) ⑧数量遊び(すごろく・お買い物) 

⑨教科学習に向けてプリント教材(書字・数感覚など) 


を、それぞれのお子さんの発達レベルや、興味・関心、そして食いつき具合を見ながら、オーダーメイドで組み合わせ、構成していきます。


お客様の注文を受けて、新鮮な魚をさばき、好みの料理法と味付けで細工のできる、すし職人のようででありたいと、毎日願ってレッスンを続けています。


もう1貫だけまぐろを食べたいとか、そろそろ茶碗蒸しが食べたいとか、何も言わなくても、だんだんとその子の顔を見ればわかるようになってきました。

あぶらも乗ったトロを堪能させるために、あえてさっぱりした光物を先に出したりすることも、できるようになりました。


どの教材が、今のその子の口にはあうとか、あわないとかも、おおよそわかるようになって来たし、あとどれくらいの期間いっしょに勉強したら、その教材の本当のおいしさが味わえるのかも、わかってきました。


基本的に、子どもはみんな学びたいし、向上したいのです。

そもそも、おすしが大好きでここに来ているのですから、新鮮な素材を、ていねいに提供すれば、結果は自ずからついてくるのです。


いつだったか、「SHINOBU先生は、いつも同じ教材ばかり使っている」 と、ご指摘を受けたことがあります。

なるほど、少し怠慢な面もあったと反省しました。

でも、あえて言わせていただければ、例えば、手作りの場面絵とそれに対応したひらがなのカードさえあれば、就学前の子どもの言語指導のバリエーションは、何十通りも構成することができます。

同じ魚であっても、お刺身であったり、煮物であったり、焼き物であったり、おなべであったり、幾通りでもバリエーションは構成できるのです。

おなじまぐろであっても、要は、素材と料理の腕次第だと、私は思っています。


子どもがおいしそうに教材に取り組んでくれると、次は、どんな味付けにしてやろうかと、とっても楽しみになってきます。


栄養のバランスを考えて、時には、口に合わないものも食べられる子にしなくてはいけません。

ですが、私の役割は、

「ぼくにもできる!」

勉強が大好きになって、どんどん前に進んでいく子どもを育てることです。


あなたの嫌いなくせのある魚を、どう調理すれば、おいしかったと言ってもらえるか?

ここまで来れば、探求心は深まるばかりです。


お母さんのくださった大切な時間を、あなたにとって意味のある時間にしてあげたい、

私は、あなたの笑顔が大好きです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-09-1)




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月1レッスンの果たす役割

 2012-08-27
昨日は、岡山の子のレッスンに混じって、三重から2組、兵庫から1組のご家族がお越しくださいました。

皆さん、私が講師を務めさせていただいた、芦屋市の小学校で開催された先生方の特別支援教育研修会に、保護者として特別参加?してくださった方です。

偶然にも図ったかのように1時~、2時~3時~と連続でご予約をいただきました。


1時~のお子さんは、小学1年生の男の子で、この日が初めてのレッスンでした。

お母さんから、事前に学びや育ちにかかわる資料をいただいていました。

この資料を拝見したときに、私は、すぐにその子の特性やと使ってみたい教材がイメージ化できました。

それは、決して私が優れているのということではなく、ここに来る目的を、お母さんがしっかりと明確化されているというふうに感じていました。

階段を上がって、初めて教室に入ったその子は、ずっと前から相互に知っていたかのように、スムーズに学習に取り組み始めました。


内言語が豊かに育っているので、文字言語との接点に支援の重心を置き、文字から広がるメージの世界に触れさせてみたい、というのが、この時間の私の願いとなっていました。

お母さんから事前にいただいた情報に、寸分の狂いもありませんでした。

「普段は何かと抵抗感が強い子なのに、見ていて、鳥肌が立つようでした」

レッスンが終わって、お母さんは、そんなふうに言ってくださいました。


2時~のレッスンを受けてくれたのは、三重の1年生の女の子です。

4月に一度ここに来てくれていました。

久々のレッスンでしたが、この子は、私の予想をはるかに超えた成長を見せてくれました。

用意していたプリントが簡単すぎて、何度も新たに印刷をし直す程でした。

どちらのお子さんのレッスンも、ビデオに撮影されていたこともあり、証拠が残り、何ともお恥ずかしい限りです。

知育いす・デスクの効果もあり、今回は、集中して45分のレッスンに取り組み、見違えるように1年生らしくなった姿を見せてくれました。


3時~は、芦屋市から来てくれた1年生の女の子のレッスンです。

前回、京都・大阪間の集中豪雨の影響で、楽しみにしていたレッスンが中止となってしまいました。

この日は、お買い物ゲームから始まり、予定していた学習をすべてやり遂げることができました。

繊細でピュアな気持ちのお子さんだけに、生き生きと学習に取り組むその姿に、私は、思わず、涙がこぼれ落ちそうになってしまいました。


この日、岡山に宿泊されるという方もいらっしゃいました

それぞれに、遠路からお越しくださるので、とてもではありませんが、毎週のレッスンというわけには行きません。

きっと、それぞれの子は 「今日はSHINOBU先生のレッスンよ、がんばってね」 と、ご家族の皆さんに励まされながら、道中岡山まで来てくれたことでしょう、

だからこそ、その子の一番輝く姿を、レッスンを通して引き出してやりたい、

それこそが、何ヶ月に1回かのレッスンで、私の果たすべき役割だと考えています。



↓ このブログの記事を書いている途中に、お母さんから、以下のような内容のメールをいただきました。


SHINOBU先生

昨日はレッスンありがとうございました。

息子は階段を降りながら開口一番「まだいたい」「明日これる?」

息子にとって相当楽しいレッスンであったことは間違いありません。絶妙なタイミングのヒント、シャワーのように降り注ぐ誉め言葉。

気がつけば息子が自分自身でしたプリントがたくさん…

今、私たち親子が求めていたレッスンに出会えた喜びでいっぱいです。

先生から「お母さんは、これまで充分やってこられたよ」との言葉を頂き、肩の力がすーっと抜けました。

「たのんだよ」と笑顔で送り出してくれた主人、次男を預かってくれた母、先生との縁を結んでくれたお友達、そして素晴らしいレッスンをして下さったSHINOBU先生、皆様に感謝しながら家路へ迎いました。

今後ともご指導どうぞ宜しくお願いします。




こんな日もあります。

こんな日があるからこそ、どんなにそれが苦しくとも、体が続く限り、私はレッスンを続けて行こうと思うのです。

ほんのささやかな技術ではありますが、それで子どもたちの輝く一瞬を引き出せるのなら、どんなにうれしいことか知れません。


この日、はまぐりの佃煮をあてに、私が飲んだビール

それは、まさに格別の味がしたのでありました。




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言語指導のダイナミズム

 2012-08-25
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今からもう20年以上も前になります。

私は、脳性マヒのお子さんを通常学級の担任として迎えることになりました。

当時はまだ、特別支援教育が制度化される前で、支援員さんも付かず、直接には、担任の私一人で学級運営を進めていました。


担任をさせていただく際には、校長先生から直々にていねいな説明を受けました。

当時、県の校長会の会長をされていて、教育的見識も、指導性にも絶大な信頼を寄せていた校長先生でした。


後に教頭先生から、こんなお話を伝え聞きました。

担任決定の際には、間髪を入れず即答で 「ここはSHHINOBU先生」 と指名してくださったとの事です。


この子が来てくれたから、私は栄誉ある1年生の担任になれた、

私は、そんな気持ちで一杯でした。


脳性マヒのお子さんでしたから、歩行や教室移動など、日常生活麺での課題もたくさんありました。

でも、私には、苦労をしたという記憶はほとんどありません。

あるのは、その子の笑顔と、仲間としてそれを支えた、クラスのみんなの一体感だけでした。


「ピーマン」 がシンボルマークの1年3組、

給食当番の時、困った時などは、誰ともなく、いつも支え合うお友達の姿がありました。

運動会はビリでしたが、その応援の旗の 「ピーマン」 は、みんなの宝物になりました。

そのことが、かけがえのない大切な思い出として、今でも心に焼き付いています。


その1年3組で、研究授業をしました。

「くじらぐも」 という国語の授業です。


「もっと高く、もっと高く」

「天までとどけ、1・2・3」

教室の真ん中で、全員で手をつなぎ、一斉にジャンプしました。


何という一体感であったことでしょう、

多くの先生方のあたたかい視線に見守られながら、私は、本当にクラスのみんなと空へ舞い上がったような気持ちになりました。

私にとっては、20年以上の教員生活の中で、間違いなく最高の授業の一つとなりました。


あの子がいないクラスでは、決してこうはならなかったことでしょう。

私の心の中にあるインクルーシブな授業の原点は、こんなところにあるのです。



教科書に書かれた文字は、まず認知できたり、音声化したりできなければなりません。

視覚性の認知力が弱い子には、聴覚性の言語を中心にしての二系統同時刺激で、

逆に聴覚性の入力が弱い子には、場の状況をフレームで切り取ってやって、そこに言語を集約していくようなアプローチで、

それぞれの切り口から、言語を豊かなイメージの世界へと高めていくダイナミズムこそ、読解指導の面白さであり、大切さであると考えています。


このダイナミズムは、今の個別指導場面にも、脈々と受け継がれています。

この日は、就学前の男の子と、大型絵本を使った学習をしました。


「今度は、雲の中の展望台に着きました」

私が、場面の状況に合わせて、いろいろなお話をしてやります。

「あっ、ふね」

「トンネル」


子どもは、場面絵の中から、次々と自分の思いを言語化しながら、ふくらませていきます。

言語から、イメージへ、

くじら雲と同じような、読解のダイナミズムがそこにあるのです。


「聞く」 → 「話す」 → 「読む」 → 「書く」

言語の世界を豊かにしていくプロセスには、スタンダードな歩みがあります。


この子の場合は、明らかに聴覚性の言語や優位なので、やがては、その長所を生かしながら、文字言語との接点を豊かにしていかなければなりません。


お話のフィールドに入れば、

言語の海を泳いで行けば、

必ずや、体力が付き、足腰が強くなっていくに違いありません。


コミュニケーションも、言葉の指導も大好きです。


どんなに遅くとも、必ずそこにたどり着いてみせる、

その深く、静かで、力強い指導者のまなざしこそが、やがては子どもの可能性を切り開いて行くものと、自分に何度も言い聞かせているのです。



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自分と他者を受け入れる感覚

 2012-08-23
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この日から、新しいお友達が、グループレッスンに参加してくれました。

水遊びには抵抗感があるかも知れないと、事前にお母さんから連絡をいただいていたので、どんなようすかと思ってのぞいてみると、しっかりバナナの水鉄砲をもって、笑顔で遊んでいる・・

何だか、とっても楽しそうです。


今日初めて会うという友達がたくさんいるはずのなのに、何だか、ずっと前から仲良しだったようなムードです。

田舎に行って、いとこと遊んでいるような、そんな雰囲気がただよっています。

この後は、きっとかき氷パーティーもあるはずで、子どもたちの歓声が、いっそう弾んで聞こえてきそうです。


以前、マレーシアに行ったとき、ブルカというのでしょうか、イスラムの女性が顔をかくすための布を初めて見ました。

マレーシアは、多民族国家なので、イスラムの方だけでなく、あらゆる地方の、あらゆる民族の方が、当たり前のように共存しているわけです。

日本人である私も、特別な目で見られるわけでなく、そのメンバーの一員として、自然に受け入れられている、

何だか、とっても居心地がいいのです。


それは、ニューヨークに行った時にも感じていました。

私が乗ったタクシーの運転手さんは、韓国の方や、南米の方など、色々な地域からここに来た人ばかりでした。

そういえば、マレーシアで乗ったタクシーの運転手さんも、日本で働いたことがあると言っておられました。


「みんな違って、みんないい」 という言葉もありますが、他の存在を受け入れるという感覚は、自分の存在を肯定的にとらえることに通じます。

それ以上でもなく、それ以下でもなく、ありのままの友達を、ごく自然に受け入れる風土、

これこそが、インクルージョンの基底にあるのだと思っています。


同じであることが尊ばれ、そうでない者を排除する文化は、捨て去っていかなければなりません。

欠点を含めて自分を肯定的に理解できるようになった子どもは、必ず、他者の存在を尊重し、笑顔とやさしい表情を浮かべるようになっていきます。


グループレッスンの子どもたちの笑顔は、また一つ、大切なことを私に伝えてくれているのです。



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相反するハザマの中にある真実

 2012-08-20
昨日は、夏休みを利用してということで、東京から2組の方が、岡山までお越しくださいました。

フランチャイズでレッスンをさせていただけることを、とてもありがたく感じました。

本当は、わざわざお越しいただくのではなく、年に1度くらいは、東京におじゃまさせていただかなければならないのかも知れないと思いました。


この日は、東京からお越しいただいた方を含めて、朝9時~夜8時まで、11時間連続のレッスンでした。

正直、フィジカルな面を考えると、中に1時間でも休憩があると助かるのですが、色々な状況を考えると、なかなかそうもいきません。

でも、こんな日は、終わったあとの達成感には最高のものがあります。

決して、もうやめようとか、お断りしようとか思えないのも、不思議なものです。


こうした生活を何年も続けていると、たくさんの子どもとご家族に出会うことになります。

そうしたリアルな最前線で歩み続けた道のりの中に、私が、たどりついたいくつかの気づきがあります。


それは、「微細と大局」 「要求と受容」 という一見相反する2つのハザマにこそ、育ちや学びの真実が見え隠れするということです。


我が子のためにと、色々な講演会に出かけられ、たくさんの書物に目を通し、検査データや専門家の見立てを精査する、

とても尊い営みがそこにあります。

ただ、微細に見れば見るほど、シャープに浮かび上がっていくことと、いつの間にか見失ってしまうもあるのです。

それは、決して細分化することでは見えない、その子のよさであったり、気持ちであったり、笑顔であったり、育ちの連続性やストーリー性であったりするのです、

当然わかっているはずのことが、そこに強い気持ちがあればあるほど、いつの間にか、見失ってしまう瞬間がそこにあるのです。


まさに、真実は、そのハザマにあり、生きているのです。

ある特定の条件で、それを言語や有益な方略として置き換えることは可能ですが、それが絶対普遍の真実となったケースに、私はお目にかかったことがありません。


育てのアプローチにしても、同じ事が言えます。

理解と支援、

個別支援と集団での育て、

受容と要求・・


重心のかけ方もそれぞれだし、どちらを窓口にするかもそれぞれです。

入り口は別々でも、出口が同じであったという例も、日常的によくあることです。

どちらがいいということではなく、真実は、そのハザマにあるのです。


どんなフレームをあてるかによって、その見え方もその都度変わってきます。

色々な角度、色々な機会に見ることで、それがかなり立体的に見えてくることもあります。

大げさに言えば、人が生きる真実、宇宙の本質がそこにあるのだと、私は思っています。


自分なりに、何となく見えかけてきたそこことを大切にしながら、今日もまた私は、たくさんの子どもに接していくのです。

それなりに自信がついてきた部分もありますが、とんでもない勘違いをしていることも、あるのではないかと思います。


ただそれが、子どものためだと思えばこそ、前に進んでいくことができるのです。

私は、そういう自分であり続けたいと、ずっと願っているのです。




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志あるものは 運命をたぐり寄せる

 2012-08-15
昨日は、京都でのレッスンがありました。

前日の大阪でのレッスンに引き続いての県外のレッスンです。

いつも泊まる新大阪のホテルが満室だったため、京都に1泊することになりました。


ところが、朝起きて、テレビをつけるとびっくり・・

夜半からの集中豪雨で、新大阪と京都間が大変なことになり、新幹線をはじめ、交通網がズタズタになっている、

もしも、いつも通り、新大阪のホテルに泊まっていたら、予定通りに京都に来ることは決してできなかったと思います。


この日のレッスンでも、いつくかのエピソードがありました。

今年入学をした1年生の男の子、

夏休みの期間に、病院で手術を受けたそうです。


> 本来なら、もうしばらく病院にいた方が良かったのですが、どうしてもこの日のレッスンを受けさせたいので、半ば強制的に退院させました

> 本来の体調ではないので案じていましたが、大好きなSHINOBU先生にイチコロで、それまで安定しなかった言語まで元に戻ってきたようで、びっくりしました

そんなふうに伝えてくださいました。


> この子が懸命に学び、精一杯前に進んで行こうとする姿、

> それは、人が共に学び、共に生きるという真実にダイレクトに向き合うことにつながります、

> そのことで、多くの人がそれぞれの命の大切さを直接感じ取り、自らの存在をも肯定的にとらえることができるのです、

> ありのままの存在や命の大切さを受け入れることと、可能性を信じて一歩でも前へ進もうとする姿勢、

> 一見相反するようなこの二つの育ての軸を、リアルな学びの場を通して、多くの人に伝えて感じ取ってもらうこと、

> それがこの子の使命であり、私たちに課せられた課題です。

同じ京都で、今年1年生になったある男の子の横顔を見て、思わず私の口から出た言葉です。

お母さんの目からは、幾筋もの涙が流れ落ちていました。


いつも兵庫から来てくれる1年生の女の子のご家族は、こうした交通の状況の中、結果として京都までお越しくださることは出来ませんでしたが、何とか間に合わないかと、京都に向けて車を進めてくださいました。

大阪の1年生の女の子は、前日に京都に泊まり、おばあちゃんの家から、タクシーで会場まで来てくださいました。

私のレッスンは、こうしたご家族の気持ちに支えられて成立しているのです。


情報によると、午後には新幹線も動き始めたようです。

安易な気持ちで、レッスンを休みにすることなんて、絶対に出来ない。

無事、京都に入れて、本当に良かった。


中には、ご夫婦でお越しになったご家族もいらっしゃいました。

それぞれのご家族の熱い願いを一身に受けた子どもたちが、生き生きと学び、活躍できる瞬間を、何としても構成して差し上げたい。

それが私の仕事です。


もしも前日、大阪に泊まっていたら、この日の京都レッスンは中止になっていたかも知れません。

何万回レッスンを積み上げようが、1回のレッスンに魂を込めないでいては、何の意味もないのです。


ご家族の深い愛情こそが、私を京都へとたぐり寄せたとしか思えません。

この日、あなたと会えた大切な時間、

二度とは戻ってこない今という瞬間の連続性の中に、

深い家族の愛情と、壮大な運命の糸車を、私は感じないではいられないのです。





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内言語と文字言語をつなぐプライミング支援

 2012-08-13
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「ね」「こ」という平仮名を見て、それを認知し、「ねこ」という音声言語に変換し、同時にかわいいねこの姿をイメージ化する、

私たちが、自然に行っているプロセスがそこにあります。


ところが、聴覚性言語(音声言語)で、「ねこはどれ?」 と尋ねるとすぐにポインティングできるのに、文字の「ね」を見て、「ね」と認知したり、言語表出するのが苦手なお子さんもいます。

こんな子には、どんな支援が効果的なのでしょう?


言語表出が少ない子は、「理解言語も少ないのでは?」と、誤解されやすい時もあります。

しかし、気がつかないだけで、中には内言語・理解言語が、実に豊かに育っている子もたくさんいます。

私の教室には、そんな子も、何人か通ってくれているのです。


そんな時、私は次のような支援を試みています。

平仮名の 「ねこ」 を見せたとき、「ね」の文字だけ読んでやります、

「でんわ」 なら、「で」 と小さい声で読んでやるのです。


そうすると、内言語のある子どもは、ほぼ100% 「ねご」 という言語表出がみられます。

「ねこ」 という内言語を引き出すプライミング支援です。

(「プライミング支援」とは、私が勝手に付けた名前です)

「ねこ」と言語表出できたなら、1秒も経たないうちに、必ずねこの絵をポインティングしてきます。


プライミング支援は、わざと小さい声で言ったり、タイミングを遅らせたりしながら、活動の進捗に合わせて、段階的にフェードアウトしていきます。

やがては、プライミング支援がなくても、文字言語を見ただけで、イメージ化出来る子に、私は育てようと決めているのです。


あきらめてしまうのは、自由です。

ですが私は、この子たちが、ここに来てくれる限りは、決してあきらめません。

いつかは、きっと文字言語を認知させることができると信じて、今日の一歩を大切にしているのです。

その方向感と決意があるからこそ、よその療育では10分も集中できない子が、ここでは40分・45分がんばれるのだと、私は信じています。


毎週、毎週、ほとんど休むことなく送迎をしてくださるご家族、

そうした年月が、もう5年にもらろうとしています。


今日は大阪、明日は京都、

そこに深く強いご家族のお気持ちがある以上、

私は、決して後ろに下がることはできないのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-08-14)






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読み流すという言語の育て

 2012-08-08
「聞き流すだけで、ある日突然、英語が話せるようになる」

某英会話教材、スピードラーニングのキャッチコピーです。

実は私、中級編までずっと聞いていた愛用者です。


聞くだけで、本当に英語がペラペラになるとは思いませんが、コミュニケーションとしての言語を考えた場合、やはり 「聞く」 は、命だと思います。

私の場合、英語を聞いて、単語を認知し、それを日本語に置き換えて理解しようとすると、とてもじゃないけど、ネイティブのスピードには対応できません。

むしろ、英語は英語で聞いて、少々わからない単語があっても、あまりその単語だけにとらわれず、文脈をしっかり追って行く方がよいのではないかと思っています。


そう言う意味で、聞き流すというのは、結構大切なプロセスだと思います。

スピードラーニングを卒業した私は、以来アメリカのTVドラマにはまり、シーズン1・シーズン2・シーズン3というように、ずっとDVDを借りて、新幹線の中とか時間を見つけて、なるべく見るようにしています。


このことは、文章読解についても、同じようなことが言えます。

広汎性の課題のある、同時処理優位傾向の子は、個々の単語は精緻にとらえますが、わかりにくい単語が一つあると、そこで思考がストップしやすい傾向があります。

そもそも文章を文脈でとらえる経験が少ないので、読み流して、アバウトに文脈をつかむという力が育っていないのです。


「太郎君は、その時何をしましたか?」

という問いには、「サッカー」と答えることができても、

「このお話で、面白いと思ったことは何ですか?」

と尋ねられたら、「????」 となってしまう子は、たくさんいるのです。

キーワードをもとに、正解をピックアップするような読みばかりしていると、なかなか文脈理解のモードになりしくくなるのです。


文字言語は、音声化させたり、聴覚性の言語に変換してやると、やや文脈をとらえやすくなるモードに切り替わって行きます。

目を皿のようにして、キーワードを追っていては、文脈どころではないはずです。


今私、US WEEKLY という雑誌を定期購読して、パラパラと読み流すようにしています。

トム・クルーズがどうしたこうしたとうゴシップが、何となくつかめるようになり始めました。

写真もあり、結構楽しめるので、もしかしたら長く続くのかも知れません。

「face off」 や、「hot stuff」の意味することも、何となくわかってきました。

今はまだ、まだまだちんぷんかんぷんの内容ばかりですが、それが3年続いたとしたら、きっと今の私ではなくなっているはずです。


この教室で、文脈モードの扉を開き、お話が大好きになった子の後姿を、これまで何人も見てきました。

そのためになすべき支援のポイントは、何なのか?

そのことを、もう一度整理してみようと思っているのです。



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さきちゃんの大変身

 2012-08-04
さきちゃん (小学1年生)  は、3年間、ずっと私の教室に通い続けてくれています。

小さい頃は、お母さんのもとを離れることが出来ず、入り口の所で何度も泣いていました。


「とにかく、小学生までに、一人でレッスンが受けられるようにしましょう」

それが、ご家族と決めた大きな目標になっていました。


ぽぽちゃん人形・お買い物ゲーム・お料理・アンパンマンのカード・・

あえて鉛筆を持たせず、教科学習的なことは避け、マンツーマンでしかできない応答的なやりとりを中心に、言語や数のな感覚をたっぷりと育てていこうと考え取り組んできました。


あの日、入り口で泣いていたさきちゃんは、今では弾むように階段を駆け上がって来るようになりました。

教室に入ると、脇目もふらず学習席に直行し、用意していた学習プリントを次々にこなしていきます。


当初は、わずか2~3枚の学習プリントを恐る恐る出したものですが、今では10枚を超える学習プリントもあっという間にこなしてしまいます。

止めも、はらいも、折れも、ていねいで、しっかりとした筆圧で、美しい文字を書くことができます。

数だって、ちゃんと数えられます。


驚くべきは、小学校に入ってから、構音が見違えるようにクリアになり、言語によるコミュニケーションが格段に豊かになってきたことです。

まさに、別人のさきちゃんが、ここにいるのです。


今、誇らしげに、自信たっぷりと学習プリントに取り組むさきちゃんの横顔を見ながら、私は、就学前に、ロールプレイをたらふくやって、本当に良かったと思っています。

私なりには、あれがあったからこそ、今のさきちゃんがあるのだと、思えてならないのです。


ここに来始めてから、うちの子は、明らかに変わってきました、

6月から、わずか数回来ていただいただけで、そんなふうに言ってくださるお母さんもいます。


ここですべてのことが出来るなんて、夢にも思っていません。

だからこそ、個別レッスンを積み重ねてくれば、ここでなすべきポイントが、それなりに、見えてくるのです。

子どもに寄り添えばこそ浮かんでくる、教育的な願いが、そこにあるのです。


誰に何と言われようが、私は、私がこの子のために、してやりたいと願うことをする以外の方法は、どうやっても思いつきません。

それを、マニュアル化することもできません。

子どもの気持ちをどこかに置いて、プログラムだけを前に進めていくようなやり方は嫌いです。

大切なことを、見失わないでいたいのです。


就学前のお子さんのレッスンの方向性、

内発的な学びの意欲を、心の芯に据えること、

さきちゃんの成長が、私に与えるインパクトには、計り知れないものがあります。


自信をもって、1人でも多くの子どもたちに、そのことをしっかりと指し示すことの出来る実践者に、1日も早くなりたいものだと、心から願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-08-06)




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オーガナイズドされた支援

 2012-08-02
先々週、久々にかれんちゃんのレッスンがありました。

ご両親が超多忙で、このところ6週間続けて、送迎などの都合でお休みとなってしまいました。

知育いすデスクでの学習状況や、研究データの収集などの打合せも必要なので、急遽、お母さんがビデオを回してのレッスンとなってしまいました。


6週間ぶり、

小学校に入って幾度もレッスンができていない、

事前の心の準備ができていない、

知育いすデスクでの学習の手順や見通しが、十分に共有化できていない、


お母さんが同席、

ビデオが回っているという心理的な特殊性・・

条件は、相当厳しいものがありました。


まあ、それでも状況的にやらなければならないと覚悟を決め、手探りながらもレッスンを開始しました。

やっぱり、どう考えても、舞い上がっているかれんちゃんと私、

正直、あぶら汗がダラダラと出るような感じでした。


レッスンそのものの出来は、30点ぐらいだったと思います。

せっかくの機会だったので、もっともっといい場面をお見せして、かれんちゃんとお母さんのモチベーションを高めてやりたかったと感じました。

この子のはまったときの、他の子にには決して真似のできないすばらしいパフォーマンスを、私は何度も体感してきましたから・・


でも、今後につながる収穫がまったくなかったわけではありません。

ここ数週間で、ずいぶん学びのフィールドに足を踏み入れてきたように思います。

もともとアウトプットは苦手でも、豊かな内言語が育っている子です。

聴覚性の言語指示で、内容を示した図柄をパーフェクトに選択し、学習の達成感を共有できたことなどは、これからの学習の組み立ての、大きな武器になっていくでしょう。


子どもの育ちや意欲の温度を感じ取り、内容的にも、環境的にも、周到な準備を構成して臨まなければ、個別指導は成立しません。

子どものまなざしの、ちょっとした変化をつかみ、その変化に対応できる教材を、自分の手に届く位置に準備しておかなければなりません。


「ちょっと待って」

3秒も空くと、その瞬間にその達成動機は、霧散してしまいます。


「はい、待ってました」

とばかりに、1秒以内に、笑顔で新教材を提示できる、

これこそが、オーガナイズドされた環境であり、支援であるのです。


この日のレッスンでは、ボロボロになりながらも、次につながる大切なネタをいくつか見つけることができました。


先週は、ご両親ではなく、別の先生が送迎をしてくださいました。

先々週と比べると、やっぱり、ずいぶんと安定してきました。

得意な所、やりたがっている内容も、かなり具体的につかめるようになってきました。

ならば、徐々にカレーににんじんを入れていく作戦にしようと、レッスンの方向性も何となく、明確に見えてくるようになりました。


しばらく経って、かれんちゃんのお母さんのブログを見ると、その日の様子が書かれていました。

いやはやお恥ずかしい・・


3歳くらいの頃から、何年もかけて育ててきたこの内言語の豊かさと、コミュニケートの楽しさを、このままで終わらせることがあってはなりません。


明日もまた、かれんちゃんのレッスンがあります。

かれんちゃん、そしてかれんちゃんのお母さんの後ろには、後に続くたくさんのご家族の願いが込められているのです。


微力ではあるけれど、何としても、すべてのご家族のお気持ちに、お応えできる力を身につけたい、

心からそう願うのでありました。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-08-04)



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