fc2ブログ
 

幸せの根元

 2012-06-28
私の所には、毎回JDS(日本ダウン症協会・岡山支部)の会報を送っていただいています。

先日も、7・8月号を、届けていただきました。

その誌面の一つに、「~Happy Birthday メッセージ~」 というコーナーがあり、それぞれのご家族が、それぞれのお子様の誕生と成長を祝うメッセージが綴られています。

私は、毎回このコーナーを、とても楽しみに拝見させていただいています。

今回その記事になっていた5名のお子様は、全員何らかの形で、私たちがサポートさせていただいているお子様でした。

それぞれのご家族の深い愛情が、誌面からにじみ出ているような内容でした。


その一人に、昨年まで、ずっと私のマンツーマンレッスンを受けてくれた女の子の記事がありました。

遠方から、毎回ずっと欠かさず白ゆりに通ってくださっていましたが、この春、小学校へのご入学を機に、白ゆりを卒業されることになりました。

いつも元気一杯、弾むような笑顔で、毎回、一生懸命勉強に取り組んでくれたお子様でした。


小学校でも、毎日楽しく勉強されているという記事を拝見し、何だかとってもうれしい気持ちになり、すぐにお母さんに連絡をさせていただきました。

↓ すると、その日の夜、下記のような内容の、とってもうれしいメールをいただきました。


梅雨のじめじめした日々が続きます。SHINOBU先生、メールをありがとうございました。返事が遅くなって、申し訳ありません。
 
白ゆりを卒業した後も、こうして娘のことを気にかけてくださり、本当にうれしく思います。

おかげさまで、娘は毎日元気に通学しています。障がい児教育の拠点校ということだけあって、先生方も子供たちもとってもあたたかくて、嬉しく思います。

先日は、英語集会がありました。一年生は舞台の上に並び、他の学年の子供たちが一斉に「what is your name?」 と問いかけるので、マイクを持って英語で自分の名前を言う課題でした。

娘は前夜から「恥ずかしい、行きたくない」とベソをかいていたので、無理かな・・・と半ばあきらめていました。
 
当日は、予想以上の観客で、「一年生だから、娘の他にも緊張して言えない子がいるよね・・・」という私の予想に反し、みんな大きな声で発言していきます。

一番最後の娘の番になり、「娘だけ言えなかったらどうしよう・・・」と私も緊張でいっぱいになりました。

「what is your name?」 という大きな声の問いかけの後、なんと娘も、大きな声で「my name is ○○ !!」  と答えることができました。「おおっ」という軽いどよめきの後、拍手がおこり、感動して泣きそうになりました。
 
さらに、後日先生から、集会の後、高学年のお姉さんが「○○ちゃん、すごいね~!!」 と娘を取り囲んでほめてくれて、ちょっとしたアイドル状態だったと聞き、胸が熱くなりました。

入学して3か月余りなのに、クラスの、学校の大事な一員として、娘にみんなが接してくれていて、嬉しく思います。

SHINOBU先生がブログでよく記されている、「子どもは集団の中で育つ」 ということは、こういうことなんだ・・・と実感しました。

長くなりましたが、この経験を先生にお伝えしたくて、つづりました。

これからも親子で頑張っていきます。また、ご指導下さい。

お体に気をつけて、これからも様々な子どもたち、そしてそのご家族の皆様の応援団でいて下さいね。



この子の成長を、あとに続くたくさんの子どもたちの道しるべにしてください。

私は、最後のレッスンの時に、お母さんにそのようにお伝えしました。


レッスン終了後には、いつも園庭で、楽しそうに過ごす母子の笑い声が、教室に聞こえていました。

そんな日々の思い出が、いくつも鮮やかによみがえってくるようで、本当にいとおしい気持ちになりました。


そう言えば、このお母さん、年中組の頃には、いくつかの小学校の情報収集を終えて、年長さんの頃にはもう、学びの環境を具体化されるレベルになっていました。

それぞれのお子さんが、みんなと一緒に、笑顔で育つ学びの場、

この日の英語集会のエピソード、

小さい頃からの、ほとばしるようなこの子の笑顔、

それを作られたのは、まちがいなくすべて、このお母さんの深い愛情なんだと、私は信じています。


ここまでのお母さんのあゆみが、決して平坦であったはずがない、

幸せの根元は、本当はどこにあるか?

私は、そういうご家族を、これからもずっと応援させていただきたいと思うのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-07-03))




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑

言語を介して通じる心

 2012-06-25
せめて、自分で決めた最低ラインを超えるレッスン内容を提供したい。

偽らざる私の願いです。


ですが、正直とてもじゃないけど、自分で納得のいかないレッスンもあります。

もし、可能であるなら、お金をお返ししたいくらいですが、お金を返された保護者の方のお気持ちを考えると、とてもそんな事はできません。

いただいたレッスン料が、心に重く重くのしかかります、

ならば次回は、その分も超えるレッスンを行って、お返しする、

そうでなけければ、プロの看板は掲げることはできません。


私は、数にしても、言語にしても、就学までは、ロールプレイなどを中心にして、感覚的なことを育てることに軸足を置いています。

そして、就学を機会にして、教科学習的なことに段階的に重心を移していければと願っています。

この春にも、多くの子どもがそんなふうにして、学びのステージへシフトチェンジしてくれました。


たとえ、多くの子どもで成功したアプローチであっても、それは決してすべての子に通用すると思っていません。

それぞれの子には、それぞれの育ちのあゆみがあり、学びのストーリーは、決して同じではないからです。


ある1年生のダウン症の女の子、

就学前に、毎回、あれほど楽しいレッスンを積み重ねてきたのに、小学校に通い始めてからは、なかなか教科学習のベースに乗ってくれません。

能力的に、内容がむずかしいという事ではありません。

私が少しシフトチェンジを焦りすぎたため、どうやら少しつむじを曲げてしまったようです。


達成動機、高いですからね、

一旦つむじを曲げてしまうと、強引にしようとしてみても、決してうまくは行きません。


> それはきっと、SHINOBU先生の焦りのオーラを、その子が感じているんだよ、

> 今の先生の心の状態なら、きっと真心は通じるはず、

> まっさらな気持ちで、もう一度その子に向き合ってみたら、うまく行くかも知れませんね


先週、そんなアドバイスを受けた日があります。

厳しい日程の中、いくつかの課題を乗り越えて、私の心に自信と余裕がよみがえってきたことを、しっかりと感じてくださった上での、助言であったように思います。

私の心に、何かがストンと落ちたような気持ちになりました。


その日、教室に入ってきた女の子は、なかなか着席してくれませんでした。

学校であったことを再現しているのでしょうか?

いすの上に立ち上がって、何か意味不明なことを繰り返して言っています。

この日も、就学前のこの子の姿ではありませんでした。


しばらくして、私は学習席に座らせました。

先週までなら、きっと振りほどくように逃げ出していたと思いますが、さすがにこの日の私のオーラは違っていたのでしょう、

何かを感じるかのように、その子は、学習席に座ることができました。


そこから、私は、正直に、言語を介して、自分の気持ちや願いをその子に伝えました。

ど真ん中への、直球勝負です。


その子は、それに反応したのかどうか、何か色々なことを私に伝えてくれます。

かなり明瞭になってきたものの、その子の構音はまだまだクリアでない部分も多く、言っている言葉を明確にキャッチすることはできません。

でも、その子も、何か私に言いたいことがあったんだなっていうことは、ダイレクトに私の心に響きました。


「ごめんね、でも、先生は、どうしてもここでお勉強する子になってほしいと思っているんだよ」

そのことだけは、しっかりと伝えておきました。


その後も、その子は、何かを言い続けています。


そして、数分後、

突然、その子は、自らの手で、しっかりと鉛筆をにぎって、用意していたプリントをやり始めました。

これまで、どんなに厳しく言っても、決してやろうとはしなかったのに・・

私は、うれしくてうれしくて、何度も涙がこぼれおちそうになりました。


どんなにたくさんの子のレッスンがうまく行っても、一人でも、通じ合わない子がいたら、決して私の心は晴れません。

もしも、レッスン料を返すなら、本当は、その子だけでなく、すべての子に返さなくてはいけないのです。


まだまだ未熟で、決してすべてのレッスンを満足に提供できる才覚は持ち合わせていませんが、この気持ちだけはずっと持っていようと思います。


この日、私の心がどれだけ軽くなったか知れません。

この子も、やっぱり勉強しかたっかんだ、

子どもの内発的な学びの願い、

それだけは、これからもずっと信じていようと思ったのでありました。




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑

親のネットワークで打ち砕け 特別支援にかかる地域の温度差

 2012-06-23
「支援級に在籍するなら、最低50%は支援級での学習になります」


何年か前に、ある地域で、担当の先生から、そんな説明を受けられたお母さんがいます。

当時、私がその教育委員会の担当者に根拠をお尋ねすると、何年か前に出された何かの通知書に、そうとも受け止められる一文があって、内規というわけではないか、目安としてそういう指導をしている、ということでした。


その後私は、多くの地域の子どものレッスンを担当させていただき、いろいろな地域の特別支援にかかわる現場の取り組みを、ダイレクトに目にすることができるようになりました。


支援級に在籍しながらも、そのほとんどを通常級に在籍し、支援級の先生はキーパーソンとして、通常級との連携や個別支援の構成を、保護者の願いに添った形で進めている、

逆に通常級に在籍しながらも、コーディネーターの先生が、定期的に個別的な学習の場を構成し、集団での育ちと行き届いた個別指導の場を見事に構成しているケース、

学校に通うすべての子をまず通常学級で受け入れ、そこからそれぞれの教育的なニーズに応じた行き届いた教育の実現を目指している地域、


行政に携わる担当者として、予算などのことなどもありますし、それぞれの地域の計画性や公平性などにも、十分な配慮が必要です。

しかし、それと同時に、すでにこういう地域がいくつもあり、私たちが目指していくべき方向はどこなのかを、しっかりと見据えてほしいと思います。

それは、保護者とて、同じ事です。


はい、そうですか、とここは一旦引き下がるにしても、可能な限りの改善を訴えるにしても、目指す方向を見失ってはいけないのです。

知らないということが、誤解を生み、問題を複雑化させるのです。


子どもの育ちに、縦の軸と横の軸が必要であるように、地域を越えた保護者のリアルなネットワークは重要です。

すべては、子どもの成長と幸せのためです。


私には、私のなすべき役割がここにあります。

そして、我が子のための、小さくても大切な第一歩は、今、あなたが踏み出すしかないのです。




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑




インクルージョンの同志 ここに集う

 2012-06-20
DSC09715_convert_20120620203520.jpg



今日は、芦屋市教育委員会・芦屋市特別支援教育研究協議会の講師としてお招きをいただき、「特性理解に基づいた教材・教具の開発」というテーマで、私の実践についてお知らせする機会をいただきました。

20~30名程度とお聞きしていましたが、会場となった視聴覚室一杯の先生方にお越しいただきました。


この日、岡山のレッスンをキャンセルしてまで、お伺いすることになったのは、それに至るいくつかの大切な出会いがありました。

かねてから注目をさせていただいていた芦屋市の特別支援教育の先生方が、どのようなまなざしで私の実践を受け止めてくださるか、その事を直接肌で感じ取ってみたいと思ったことも、大きな理由の一つです。


実際にお話をさせていただき、ここに集われた先生方は、まさに私と志を同じくするインクルージョンの同志だと感じることができました。

真剣にメモを取り、何度も大きくうなずいて話を聞いてくださる先生方の熱気に、私は知らず知らずのうちに、自分の気持ちが高揚していくのを感じていました。


会が始まると間もなく、実際に私の個別レッスンを受けてくださっている保護者の方が、芦屋市だけでなく、京都からも、三重からも応援に駆けつけてくださり、会場は補助いすが必要となるくらいの人数になっていました。

お母さん方も、芦屋の先生方の熱心な姿勢に、いたく感銘を受けられていました。


現場の第一線でご活躍の先生方に、個別指導のレッスンを、この5年間で10,000時間以上積み上げた実践者として、何かお伝えしなくてはならないことがあるはずだ、

ご家族と共に歩んできた支援者として、ご家族の願いの代弁者として、学校の先生方に必ずお伝えしなければならない大切なことが、きっとあるはずだ、

私はこの日の講演、こんな風にを受け止めていました。


会が終わった後、あるお母さんのお宅にお招きいただきました。

そこには、京都から、三重から、来てくださったお母さん方もいらっしゃいました。

その子が幼稚園の時の担任の先生まで、来てくださっていました。

「SHINOBU先生のマジックの、種明かしをしていただいたように思いました」

大きな拍手で、私を迎えてくださり、感激で胸が一杯になりました。

今回の講演会で、私は、自分の果たすべき役割、向かう先がより鮮明に見えて来たような気持ちになりました。


この日の朝、20年前に教えた教え子から、思いがけないメールが届き、そのことも会場の先生にお伝えしました。

子どもは集団の中で育つ、

みんなの中にしっかりとした居場所があるからこそ、個の特性に寄り添った豊かな個別的な支援が初めて生きる、

どちらが大事ということではなく、その両方が必要であり、そのバランスこそが、その子の教育的なニーズなのである、

私は、教材開発の具体的な中身を通して、本当はそんなことをお伝えしたかったのかも知れません。


お母さんたちとの茶話会がお開きになった後、私は神戸の大学に通う三女と三宮で食事をしました。

心理学の授業が面白いという三女の話を聞きながら、何とも心地よい気分になりました。


この日、午後の6つのレッスンをキャンセルしてここに来たのですから、手ぶらで岡山に帰るわけにはいきません。

ここで得た、ここで学んだインクルージョンの息吹を、何としても今後の実践に生かしていかなければ申し訳が立たないと感じていました。


会の終了後、ある京都のお母さんから、下記のような内容のメールをいただきました。


SHINOBU先生、大きな収穫を持って帰らせていただきました。
ありがとうございました。

研修のお話しを聞かせていただけて、実践場面とはまた別の角度から、SHINOBU先生の子どもを見守る暖かい眼差しや、教える情熱を見せていただけました。

教材開発のプロセスのお話は、子供を惹きつける魔法の種明かしのようで、プロの先生方も身をのりだすように、聞いておられ、唸っておられるようでした。
教師ならば、常にその吸引力に磨きをかけねばならないなと、私は反省した次第です。(←注 このお母さんも大学で教鞭をとっていらっしゃる方です)

おかげで、三重のお母さんたちとも知り合うことができ、地域を超えた情報交換いたしました。
それぞれのエピソードにヒントがあり、参考になります。オフ会の効用ですね。
こんな機会、先生との出会いがなければ、あり得ませんでした。
密度の濃い半日を過ごすことが出来ました。

子ども抜きで先生を囲んでお話しを伺えたのも、またとない機会でした。
お疲れのところ本当にありがとうございました。

今後とも宜しくお願いします。




明日からまた、子どもと共に、ご家族と共に歩める自分を、何よりもうれしく感じます。

このスケジュールの中で、今日のこの日を迎えることができたこのパワー、

子どもの笑顔と、ご家族の熱い気持ちが、それを支え続けてくれたことを、改めて感じることができたのでありました。



※ 当日の資料は、下記リンクからご覧いただくことができます。
 
  「特性理解に基づいた教材開発の実際について」




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-06-22)


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑

内発性を支えるバランス

 2012-06-17
個別指導の教室を開いて、もう5年になりました。


あの日1年生だった花子ちゃんも、今では6年生になりました。

4年生だった、友里ちゃんは、今は中学2年生、


宿泊学習が終わったその日に、ねぼけまなこで、足をひこずるようにして来てくれた日もありました。

体調が悪く、学校をお休みにした日に、「ちょっと元気になったから」 と、言って、私の教室に来てくれたこともありました。

それにしても、特別な用事がない限り、ほとんど休むということはありませんでした。


友里ちゃんは、中学生になっても、当たり前のように私の教室に来てくれていますし、花子ちゃんのお母さんも、「何があっても、この教室だけには来させます」 と、言ってくださいます。

私は、入会順に1・2・3・4・・・と、出席番号?を付けさせていただいていますが、今、ざっとファイルを見て、5年前に入会してくださった1番から10番までの子は、今でも全員、私の所に通ってくれています。


家族と共に歩んだ5年間、こうなるともう一生モンです。

私の所へ入会してくださるというのは、こうしたお付き合いをさせていただくということになるのです。

私は、ご家族に成り代わって何かをさせていただくのではなく、ご家族の信託を受けた教育者として、ご家族では出来ないことをさせていただくことが使命であると考えています。


私は、この5年の臨床実践によってつかんだスペシャルな技が一つだけあります。

それは、「受容と要求のバランス」

別の言葉で言えば、子どもの内発的な願いと、指導者としての教育的な要求度とのバランスを、その子の今を読み解き、接点を見つけ、ブレンドしていく能力です。

この味加減こそが、秘伝の奥義、

このことが、学校を休んだ日にまで、私の教室に足を運ぶエネルギーになっているのだと思っているのです。


私の教室の近くにコンビニがあります。

高速のスマートインターチェンジを降りた子が、このコンビニを見ると、私の教室が近くなったことを認識し、ガッツポーズを取るという話は、何度も聞きました。

反対に、思い通りに行かないレッスンが続き、自分の力不足を痛感して、凹んでしまう日もたくさんありました。


昨日は、5年生の明日香ちゃんのレッスンがありました。今朝、明日香ちゃんのお母さんのブログを拝見すると、以下のような内容の記事を書いてくださっていました。



白ゆりでした。
昨日の夜から大雨で・・・
気分は最低。

でも、忍先生に会いたい一心で
雨の中の車も
耳を塞ぎながら頑張りました。

文章読解の問題。
最近は、何種類かの中から好きなものを選んでやります。

今日は教科書の中にある
「夏は来ぬ」を選んでいました。

数少ない(爆)学校で勉強した教材。
私これは学校で勉強した!

私は5年生
もっともっと出来る!
もっともっと勉強したい!
明日香の心の声が聞こえるようでした。

忍先生のところへ来ると
とにかく顔が違います。

学ぶ喜びに満ちた顔です。
45分間
気持ちが途切れることはありません

外のお天気も
いつの間にか気にならなくなり
一生懸命取り組む顔は
本物の喜びに満ちた顔です。

こどもは
学びたいのだと思う。
もっともっと・・・・
こどもの学びへの意欲って
本当は、とてつもないのだと思う。

今の環境は
決して明日香の学びを保証するものにはなっていないけれど
限られた環境の中で
最大限の支援が出来るように
知恵を働かせないとね



> 私はできる、

> もっともっと勉強したい、

その小さな声は、私の胸にも、しっかりと響いてきました。


子どもの心の芯の、内発性の学びの意欲を信じればこそ、時にはマイナスな気持ちも行動も、しっかりと受け止めてやることができる、

その子のもっている最も望ましい姿を引き出してやる、

そのことがちゃんと見え、いつも笑顔で、行く先にしっかりと体を向けることができる、

そういう自分 でありたいと願っているのです。


いつの時だって、私を変えるのは、ご家族の強い気持ちと、成長の手応え、そして子どもの笑顔以外にあり得ません。

その日々の積み重ねこそが、私を変え、支え続けたのです。





にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑

教科学習の先にあるもの

 2012-06-13
花子ちゃん(小6)が、図書室で 「歴史クイズ」 の本を借りてきました。


「奈良の大仏のモデルになったのは、誰でしょう?」

「奈良時代の日本の人口は、およそ何人くらいだったでしょう?」


きっと、私の教室で一緒にクイズをしたかったのでしょう、

本を見ながら、次から次へと、私にクイズを出してくれます。


最近は、社会科だけでなく、理科のプリントにも進んで取り組むようになってきました。

花子ちゃん、ずっと前から、早くこんなふうになってほしいと願っていたし、いつかきっとこんな日が来ると信じていました。


いくら歴史に興味をもったとしても、テストですぐに、そんなに高い点数が出ないのかも知れません。

でも、この一歩は、そういうもので数値化出来ない大切な価値があると、私は思っています。


「先生、鑑真って目が見えなくなったんだよ」

花子ちゃんは、目をキラキラさせながら、私にそう伝えてくれます。

「正倉院には、すごい宝物があるんだよ」

きっと、修学旅行で奈良公園にも足を向けることでしょう。


社会のテストは、それはそれで大切だと思っていますが、花子ちゃんが、大仏殿の中に入った時に、奈良時代のテストで何点だったかなんて、直接関係があるわけではありませんよね。

そうではなくて、学校でみんなと一緒に奈良時代のこと、聖武天皇のことを学んだということが、大切な意味をもつわけです。


学習指導要領に示された、小学校6年の社会科の目標を見ると、「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに,我が国の歴史や伝統を大切にし,国を愛する心情を育てるようにする。」 となっています。

この文面からして、花子ちゃんの一連の学習に取り組む姿勢は、十分に評価されるに値すると思います。

この日のためにわざわざ図書館で歴史クイズの本を借り、私と一緒に歴史クイズをする花子ちゃんを、テストという量的な数値だけでなく、どんな形で評価してやればよいのでしょうか?


テストも、教科学習も、決しておろそかにしてはならない大切な営みです。

それぞれの目標を実現していくための、最も大切な内容であるわけです。

ですが、例えば市販業者テストの点数だけが、絶対的な価値を示す尺度ではないのです。


小学校の時・中学校の時、社会科で奈良時代の点数が何点だったか覚えていますか?

班で社会科新聞を作ったこと、修学旅行前に、しおりに仏のことを調べてまとめたこと、テスト前に一生懸命年号を覚えたこと、数値化されないその一つ一つの学習体験が、きっと大切な営みであり、学びの中身であったはずです。

みんなと共に学ぶ意味が、ここにあるのです。


テストの点数が、どうでもいいと言っているわけではありません。

少しでも良い点が取れるようにがんばってみようねっ、というスタンスは可能な限りもっていたいと思うのです。


それがあった上で、その子がその先生活の中で、その学びや文化とどう豊かに向き合っていくか?

その子の可能性を可能な限り開き、数や言語や文化との接点を、その子の生活の中で、どうやったらより豊かに展開していくことができるか?

そういう視点も併せ持っていたいのです。


学校の英語が苦手だった私ですが、もう10年以上も、英会話のレッスンを続けています。

へたくそで、ちっとも上達しませんが、それでも時間の許す限り、ずっと学び続けていきたいと思います。


がんばれ・やればできると、一定のカリキュラムからひっぱり上げるような学びのスタンスと共に、その子の特性理解や内発的な学びの欲求に根ざし、少しずつ積み上げていくパーソナルな学びもあるのです。

そのバランスやさじ加減は、百万通り、

お子さんの特性や学びのストーリーを理解したうえで、現実の教育的なリソースの中から、何をどう選んで構成していくか?

ここは、本当にむずかしい、

だからこそ、そこがご家族に科せられた大切な使命なんだと、私は考えているのです。




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑

教え子の晴れ姿

 2012-06-09
DSC09704_convert_20120609205332.jpg



今日は、小学校3・4年生の時、持ち上がりで2年間担任をした 「山ちゃん」 の結婚式の日でした。

夏物の礼服を新調し、新幹線に乗り込み、あこがれの東京・六本木 リッツカートンホテルへとやって参りました。

今でこそ社会的に成功し、自分の持ち味と長所を存分に発揮出来る場を見つけた彼ですが、ここまでの道は決して平坦ではありませんでした。


「友達・両親、そしてSHINOBU先生がいればこそ、自分はここまで来られた」

一昨年だったか、新宿の居酒屋で彼と一緒に飲んだときに、かれはしみじみと私にそう伝えてくれました。

どこにでもあるような言葉かも知れませんが、私には、その響きを、とても重く受け止めていました。


式が始まると、私は真っ先にご両親の所へご挨拶に伺いました。

家庭訪問、個人懇談、もう20年も前のことであるはずなのに、お声をおかけした瞬間に、当時のお話が鮮やかによみがえってくるのした。

この子は、ずっとずっと先生のことを慕い続けていました、

そんなふうに、おっしゃってくださいました。


山ちゃんのお嫁さんとなった女性は、それはそれは美しい方でした。

裏表のない、まっすぐな誠実な所が好き、

山ちゃんのことをそんな風に表現していました。

そうだその通り、まさにそこが彼のすばらしい所、

弁護士という同じ職業で、今後も彼を支え、そして多くの方々の支えとなることでしょう。


容姿だけでなく、どこをどうとっても、自分にとっては、この人が世界で一番すばらしい女性、

裏表のない山ちゃんが、まっすぐな気持ちでそう話し、それぞれのご両親に深々と頭を下げていました。


先生は、君の苦難を知り、それを乗り越えた不屈の精神と努力とを、誰よりもしっかりと受け止めているつもりです。

苦しさを乗り越えたからこそ、今の君があるんだと、心からそう思っています。


席を示すご案内に、私のことは恩師と記されていました。

教育者として、こうした晴れやかな場所にいられることを、私は何よりも誇りに感じています。


世界最高レベルと称される、リッツカートンのもてなしも、見事なものでした。

どんなにたくさんの人が集う場であっても、一人一人を大切にする真心はダイレクトに通ずるものです。

たくさんの人がいるから、出来ないのというのは、言い訳にしか過ぎないのです。

教育に携わる者こそ、こうしたことを深く胸に刻み込んで、子どもに接していかなければならないと感じました。。


式の直前、この日のレッスンをお休みにさせていただいたあるお子さんのお母さんからメールをいただきました。

ずいぶん前にお願いしていたことなのに、そのことをちゃんと覚えてくださり、祝福の言葉が添えられていました。

しかも、今度私が県外で講師をさせていただく教職員の研修会に、何人かのお母さんが、わざわざそのためにお越しくださり、聴講・応援をしてくださるというのです。

そこにどのような願いや思いが込められているか?

ありがたくて、うれしくて、感謝の気持ちで一杯になりました。、


奇しくも、今日は、私の三女の誕生日、

皇太子殿下がご成婚された日でもあります。


この日の東京は大雨、

それもすっかり、雨男の山ちゃんのせいにされていました(笑)


ゆく道に、幸あれ

2人の笑顔は、すべてのものをほほえみに変えてしまう魔法のようだと思いました。


式に出席した、同じクラスだった教え子2人と岡山に帰る最終の新幹線、

本当は、この2人の存在こそが、山ちゃんの肯定的な自己理解を支えていたのです。

小学校の時から、ずっと続いてきた友情、

だからこそ、岡山から駆けつけた。


人を育てるというのは、こういうこと、

心地よい幸せに包まれた、大切な時間が、ゆっくりとゆっくりと流れゆくのでありました。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-06-11)




にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑

嘆いて前に進めるのなら

 2012-06-07
例えば、私の教室には、IQが100をはるかに超える値の子も何人か通ってくれています。

計算は速いし、国語のテストも100点、

でも、ご家族の悩みは深刻です、

だからこそ、刻まれる深い苦悩がそこにあります。


怠けている、生意気である、協調性がない、親のしつけがなっていない、甘やかされているからこうなるんだ・・

他から理解されにくいことも、苦悩を深める大きな要因の一つになっています。


ダウン症であろうが、自閉症であろうが、AD/HDであろうが、LDであろうが、その障がいを決して軽んじることはできません、

その事実をしっかりと受け止めて、親として、指導者としてなすべきことを精査していかなければならないのです。


ですが、

だからと言って、悩んでいるだけで、嘆いているだけでは、何にもなりません。

誰かのどこかと、何かを比べて、見えてくるものもあれば、逆に、見えなくなってしまうものだってあるのです。

検査で、何かを格段に洗い出されて、それを目の前に突きつけられて、動揺しない親なんてどこにもいません。


もしも必要以上に、ダメージを受けっぱなしで、どうしていいかわからなくなったとしたら、時には、別の角度からお子さんの姿を見つめ直してみることも大切になってきます。


世の中には、完璧な人間なんて、どこにもいないはずです。


脳には代償性機能というものがあります。

表出言語が少ないからこそ、ノンバーバルなコミュニケーションが豊かにできる子もいます。


どこかが苦手な子は、それを補うように、必ず他の感覚が伸びます。

決して苦手なことをそのままにしておいても良いとは思いませんが、苦手なことがあるからこそ、その子らしさがあるということだってあるのです。


嘆いて、悲しみにくれて、沈み込んでいくことと、

その事を真っ正面に受け止めて、ゆっくりだけど、笑顔で、前に進んでいくことは違います。


肯定的な子ども理解、

ポジティブシンキング、

障害受容、

都合の良い言語に置き換えるだけなら、いとも簡単なことです。


嘆いているなら、苦しんでいるなら、

それでその子が豊かに育ち、幸せに生きていけるのなら、

いくらでも嘆くと良いでしょう、

悲観に暮れていればいいでしょう・・


しかし、きっとそうとしか、思えない時期だってある、

その苦しい時期こそが、やがて親としての足腰を鍛え、これまでと違った、美しくて潔くて、深くてたおやかな母の笑顔に変わって行くのです。


私は、これまで、何人ものそんなお母さんと、一緒に歩んできました。


主体者としての母の役割を放棄することはできません、

ですが、決してそのすべてを、母の背中だけに背負わすことがあっては、なりません。


人の生き様を数値化することなんて出来ません、

大切なのは、そのクオリティであって、プロフィールではないのです。


そのことを不幸と思うかどうか、

その答えは、きっとご自身の心の中にあると、私は思っているのです。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑


視覚認知と漢字学習との相関

 2012-06-05
DSC09660_convert_20120605123932.jpg




今年5年生になる男の子、1年生の時から私の教室に通ってくれています。

いつも明るく一生懸命、

お話を読むのが大好きで、抑揚をつけ、情景が思い浮かぶように心を込めて音読ができます。

特に、会話文などは、その人物になりきって読むことができるのです。


一方で、漢字の書き取りは、ずっと苦手な学習でした。

その男の子が、先日、視知覚の検査を受けに行きました。

その先生によると、眼球運動については、満点を5とすると、以前は2くらいのレベルであったものが、今回の検査では4くらいの数値に向上していたそうです。


実は、この日から、大学生の先生(つばさ先生)が、卒業研究の一環として、この子の視知覚の育ちを課題を分析し、新たなアプローチに挑戦してくれることになりました。

以前、敬愛する大学のドクターにご指導していただいた時に、視知覚認知の方略について話が大いに盛り上がり、それじゃあうちの保育園の卒園児でもあるつばさ先生の卒論でとりあげてはどうかという話がでましたが、その話が本当に現実となって実現するから、世の中って素敵です。


この子、つばさ先生に寄り添ってもらい、背筋がまっすぐに伸び、いつもの倍くらいの勉強量をこなして、いいところをたっぷり見せることができました。


視知覚の認知が育つことにより、漢字の書字能力は、まちがいなく向上します。

と同時に、漢字の学習を通して、視知覚認知そのものをブラッシュアップすることができると、私は考えています。


この日、お母さんが、1年生の時からの、ここで学習した資料を全部持参してくださいました。

それだけでなく、就学前からの家庭での取り組みをまとめた資料まで、持ってきてくださいました。


1人の男の子の、視知覚認知の育ちを読み解く、膨大な質的・量的なデータがここにあるのです。

つばさ先生は、その資料を抱きかかえるようにして、教室を後にしました。


この子の育ちを、この子の学びを、あとに続く子の大切な道しるべとしていきたい、

私たちの大切な挑戦が、この日からまたスタートしたのです。



にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑





集団での学びを支える個別支援

 2012-06-03
すでに就学をされているお子さんが、私の所で新しくレッスンを受けることに決まったとします。

そんな時には、私はいつもその子あてにお手紙を書き、プリントを保管するためのファイルの1ページに綴っておきます。


多くのお子さんの場合、小集団学習や個別的な学習の体験はあっても、オーダーメイドの完全マンツーマンでの45分のレッスンは、初めての場合が多いようです。

レッスンが終わると、うれしくてうれしくて、何度も何度も、私のお手紙を読み返すお子さんも多いようです。


そのお手紙は、ひな形がすでに出来上がっており、名前の所をだけをお子さんに合わせて上書きしたものです。

これまでに、100通以上プリントアウトしたものです。

それでも、その子にとっては、初めてもらった大切な宝物になるのです。


就学前のお子さんに、アンパンマンの30Pパズルをさせたとします。

このパズル、これまで少なくみても毎日3回以上は使って来ました。

もうそれを、4年以上も続けてきましたから、まちがいなく3000回以上使用しているはずです。


同じパズルで3,000回以上も臨床実践を重ねると、このパズルをさせただけで、ある程度、その子の優位な認知処理特性が、瞬時に理解できます。

どこをどう支援すればスムーズに活動が進むか、どこでどう支援をフェードアウトしたら、認知力がブラッシュアップされるか、3,000回もやってりゃ、誰だってわかります。


初めてその様子をご覧になったご家族は、「まるで魔法にかかったようだ」と、おっしゃってくださる場合もあります。

家では、くつを放り投げている子が、私の教室に入る時には、くつのかかとをそろえて、お辞儀をして入室するケースもあります。

他の療育では着席さえ出来ない子が、SHINOBU先生の所では、どうして集中して活動できるのか、不思議でたまらない、そうおっっしゃってくださるケースもあります。


でも、それは、実は、そんな大それたことでも、何でもありません。

ここでのレッスンを、ちょこっとその子の好みの味付けにしてあるだけです。

おいしく感じるのは、子どもの好みに合わせて、みりんと醤油のバランスを整え、そのあぶり具合を調整しているからです。


こんなごちそう、

月に1回、週に1回で十分です。

それぐらいだからおいしいのだし、「また、給料もらったら、あそこおすしを食べに行こう」 てな感じになるのです。


先日、ある3年生の女の子が、「学校のわり算のテストでよい点数をとった」 と、お母さんからメールをいただきました。

就学前、通常級か支援級かで、何度もご相談させていただきましたが、ご両親は、通常級を選択されました。


以来、2週間に1回のレッスンに、欠かさずお越しくださいました。

読めない文字が読めるようになり、書けない字が書けるようになり、出来ない計算ができるようになりました。

「SHINOBU先生のおかげです」 と、お母さんは伝えてくださいますが、本当は、私はただ、横に立っていただけで、この子を育てたのは、学校の先生であり、ご両親のご努力です。


本当に大切なのは、毎日の白ごはんです。

ここで育てばこそ、私のレッスンが生きてくる。


私のレッスンは、手作りで、オーダーメイドではありますが、日々の学びに取って代われるものではありません。

だからこそ、私の役割が明確になってくるのです。


子どもの育ての軸足をどこに置いて、個別支援をどう構成していくかは、大切な事柄です。

みりんと醤油のバランスや、火加減で、料理はどんな風にでも変わっていきます。

似たようなラーメンは作れても、行列のできる店とそうでない店があります。


そこが、腕の見せ所、

プロなら結果がすべてです。


子どもは、みんなと共に学び、みんなと共に育つ存在に違いありません。

息をはずませ、階段を駆け上がるようにして、レッスンを受けにきてくれる子ども、

だからこそ、個別支援も重要となってくるのです。





にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

↑ 大切さを全国に伝えたい! 応援の1クリックを よろしくお願いします。 ↑


≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫