弱い気持ちで出来ない仕事

 2012-01-29
このところずっと大丈夫だったのですが、先週の金曜日から、腰が痛くなりました。

座っていられるけど、急に立てない、


教室のいすにはキャスターがついているので、コピー1枚とるのにも、いすにすわったままかたつむりのように、ゴロゴロと移動していました(笑)

おまけに、のどが痛い、

でも、休もうという気持ちは、みじんもありませんでした。


レッスンの度にアルコールで手を消毒し、うがいをし、仕事以外の時間は、とにかく体を休める、明日に備える、

風邪なんか、絶対にひいていられない、


日曜日は大阪、月曜日は学習会の講師、水曜日は京都、木曜日と金曜日は県の研修会、

宿題やレポート、事務仕事も山積み、

1秒だって無駄にはできない、


日曜日の朝、

腰が痛くて、靴下が履けない、

タクシーに乗るとき、足が上がらず車に乗れない、

新幹線から降りるとき急に立てない、立ったはいいが、身動きできない・・


そう言えばいつだったか、新大阪駅に降りた瞬間動けなくなり、その日のレッスンをキャンセルさせていただいたことがありました、

あの時の判断、

その後、私はそのことをどれだけ悔いたか知れません。


それは、自分の心の中に、どこか弱い気持ち、逃げる気持ちがあったことを、誰よりも自分自身が知っていたからです。

そんな気持ちでできるような仕事でないことを、十分知っていたからです。


大人を言葉でごまかすことはできても、まっさらな子どもの気持ちはごまかせません、

そこに強い願いと愛情と、自信に満ちたまなざしがなくて、どうして子どもに行く先を指し示すことができるでしょう、

どうやって、生まれもった困難に立ち向かって、明るく生きよと語りかけることができるでしょう、


私がここまでやってこれたのは、技術や方法ではなくて、その強い気持ちと信念であったはず、

多くのご家族が、ずっと私の背中を押してくださったのも、決して後ろに引かない私の志を信じてくださったからであるはずです、


「これを失ったら、俺には何も残らないや・・」


ならば、すべきことはたった一つ、

腰が痛くとも、苦しくとも何ともありません。


向かう先がそこにあるということ、

待っていてくれる子どもとご家族がいるということ、

そのことが、私をここまで押し上げてくれたのです。


すべての道は、ここにつながっていた、

今、私は本当に幸せです。





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問題文から地の文へ 内言語が視覚認知を救う

 2012-01-27
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りんちゃん (小4) と物語文や説明文の問題に取り組んだとき、「先生、読んで、読んで」 と、何回も請求されたものです。

文字を見て、それを音声化したり、内言語(理解言語)化するのが、あまり得意でないからです。

そもそも当初は、国語の読み取り問題と言っただけで、かなりの抵抗感を示したものでした。


でも、お話自体が嫌いだったわけではありません。

文章自体にパワーのある楽しい教材を読んでやったときには、キラキラと目を輝かせていたものです。

つまりは、視覚認知の脆弱さが、学習の大きな妨げになっていたのです。


ならば、そこに支援を入れて、物語の海をたっぷり泳がせながら、一定の力がついてきた段階で浮き輪をはずす、SHINOBU先生流のプロンプトフェーディング法でよいのではないかと考えるようになりました。

私は、自分の支援の向かう先が、はっきりと見えたわけです。


まず、私が物語文 (地の文) を、範読します。

この時は、抑揚をつけて、物語の世界観が損なわれないよう、少し早い口調で読むのです。

お母さんが、枕元で我が子にお話を読んで聞かせるように、言語を通して広がる世界を、ダイレクトに子どもにキャッチさせていきます。


問題文も、最初は私が読んでやります。

「だれがクスリを飲まなかったのかな? にほんざる? それともキリン?」

心の中にキープされている内言語と、答えとなる文字言語を、聴覚性の支援を入れながらていねいに紡いでいくわけです。


ここまで支援を入れておいた上で、今度は自分自身で地の文から読ませます。

すでに一定のイメージが出来上がっていますから、「に」 という文字を見ただけで、「にほんざる」 と読むように、文字から内言語を引っ張り出すような読み方をし始めます。


昨日のレッスンのことです

りんちゃん、ついに問題文を読んで、地の文からキーワードを探し始めました。

あれほど嫌がっていた読解文の重い扉を、開く瞬間がついにやってきたのです。


ちょうどこの日、3年生のかいちゃんのレッスンもありました。

この子も、読解問題大嫌いだった子です。

この子が、教室に入るなり、私に一番に言った言葉、

> 先生、「3枚のおふだ」 (今取り組んでいる教材) の続き、早くやりたい!


国語のプリントが苦手であっても、お話の好きな子はいっぱいいます。

ならばまず、そこから扉を開けてやりたい。


スケート場の手すりを磨いていたばかり子どもも、百週すれば、自然とその手は離れます。

リフトに乗ることさえ怖がっていた子どもも、百回リフトに乗れば、いつの間にかボーゲンどころか、パラレルになっています。


育てるということ、支援除去(プロンプトフェーディング)のダイナミズムはここにあるわけです。

苦手を越えると、その分、足腰強くなります。


あなたたちが今立っている場所、

その先に続く道を、これからもしっかりとした足取りで歩んでいってほしいと願っています。

できれば、いつかもう先生が付いていけないような、そんなたくましい足取りで・・・





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私の願う あなたの自立の形

 2012-01-25
さすがの私にも、調子の悪い日はあります。

今日はダメだ、休んで体調を整えよう、レッスンをお休みにさせていただこうと思ったことが、何度かあります。


すぐに皆さんに連絡しなくっちゃ、と思い教室に入ったとたん、スイッチが入る自分に気がつきます。

副交感神経モードが、交感神経モードに変わる瞬間なのでしょうか?

これなら、今日一日はがんばれるかも知れないと思い直し、無理やりハイテンションに切り替え、すぐにそのレッスンの準備に取りかかります。


こういう日は、気合いMAXでなければ乗り切ることができません。

なので、体調が悪いにもかかわらず、そいいう日のレッスンは、大概うまく行きます。

終わってみれば、体調もいつも通りに戻っている、

この時の達成感たら、他では代えられません。、

そんな体験を、これまで何度もしてきました。


実は私、自分自身を欠陥人間だと思っています。

そんな私が、唯一、誰かのためにお役に立てる時、

それこそが、レッスンの時間そのものです。


もし、それがなければ、私は、単なる欠陥人間のままです。

こんな自分だからこそ、決してレッスンをおろそかにすることはできません。

そのことは、自分自身の存在を否定するのと、同じことだからです。


私の決意の深さも、才能も、そのエネルギーも、実は自分自身のこんなネガティブな側面の裏返し・・・

逆に言えば、これがあるからこそ、私は今、他の人にはできないことに取り組むことができているのです。


欠点や課題は、ある意味大きなエネルギーになることだってあるのです。

重度の課題を背負っている子ほど、きっと他の子にはない、何か大切なことが培われているに違いない、

私は、本当にいつもそう思っているし、その可能性をずっと信じたいと思っています。


何かのことで、自分が誰かの役に立っている、

そう思えない限り、その子の自己理解力は培われないし、その子の命も輝かない、


私の仕事は、私自身がそうであったように、

あなたの良さを一緒に確かめながら、あなたにしか出来ない大切な役割を、共に探していくこと、

その力を、共に培っていくこと、

私の目指すあなたの自立や社会参加の形は、このようなものであるわけです。


そのために、私がなすべき役割、

今日もまた、たくさんの子どもが私のところに来てくれます。

小さくても、大切なことをきちんと見据えながら、

これからも、ずっとその子たちと一緒に、前を向いて歩いていきたいと、願っているのです。



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個別指導の文化を切り開く

 2012-01-23
私は、「学びの王道は学校にあり、育ての主体は家庭にある」と信じて疑いません。

それに取って代わるものは、何も無いとさえ思っています。


子どもは、集団の中で育ち、集団の中で学ぶのです。

私の個別指導は、その集団での学びがあるからこそ、生きてくるものです。

だからこそ、個の特性理解に基づいた豊かな個別指導の場を、週に1度・月に1度でいいからでいいから、子どもたちにプレゼントしたい、

そう思って毎回のレッスンに取り組んでいます。


私は、通常学級の学級担任も10年以上やってきましたし、支援級の担任経験も5年以上あります。

それぞれの立場で、児童理解につとめてきましたが、それは個別指導の視点と同じものではありませんでした。


例えば、逐次読み傾向の子に、先に理解言語(内言語)を意識させてから、文字言語を見せると、比較的まとまり読みができやすくなるとか、数を順序数にしかとらえられない子も、頭を同時処理モードにさせたままで計算させると、案外量的なとらえもできやすくなることなどは、年間2000時間以上の個別指導の経験があればこそ、分かってきた事柄です。

こうしたレッスンの機会に恵まれた私は、本当に幸せ者だったと思います。


> SHINOBU先生、マンツーマンレッスン受けるのも、もうとっくに限界数超えていますよね、

> それに、先生もあと100年生きていらっしゃるわけではないでしょ、だったら、より多くの子どもたちのために、次に先生がすべきことも見えてきますよね、


土曜日の夜、あるお母さんから、そんな言葉をいただきました。

そう言えば先週、私が出張の時、りえ先生が立派にマンツーマンレッスンのデビューを飾ってくれていました。


まだまだ現役を退くつもりは、これっぽっちもありません。

だけど、次にしなくてはならないことが見えてきたのは、確かです。


子どもたちの成長のために、集団での学びを支える個別指導の文化を、より豊かに培っていくこと、

また一つ、大きな目標が、心の中にしっかりと芽生えてきました。

そのために、今日もまた、その一歩をしっかりと刻んで行こうと思っているのです。




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私の目指す行動改善

 2012-01-20
先日、りんちゃん(小4)のお母さんから、りんちゃんの言葉使いや、行動についての相談をお寄せいただきました。

特に学校で、時折あまり望ましくない言動や、自分で自分をコントロールできにくい状況が続き、担任の先生も心を痛められているということです。

私の教室のマンツーマンレッスンの時でも、時折似たようになることもありますから、状況は目に浮かぶように理解することができます。


この日のレッスンでも、あまり望ましくない言動が見られる場面がやってきました。

自分の思い通りにできにくい場面で、言動が制御できにくくなってしまうのです。

ここではマンツーマンレッスンということもありますし、複数年にわたる長いつきあいですから、こういう場面の対応については、ある程度心得ています。


> りんちゃん、さっき、たみちゃん(3年生)と、一緒に勉強したんだよ、

(ここで、りんちゃんの顔色がいっぺんに変わります。たみちゃんというのは、りんちゃんと同じ学校の支援学級に在籍する仲良しのお友達です)

> りんちゃんは、4年生だから、きっとよい姿勢で勉強しているんだろうな~ って言っていたよ、

(それまで、ひじをついていたりんちゃんの背筋がいっぺんに伸びる)

> りんちゃんは、漢字が上手なんだよ、私もりんちゃんみたいにきれいな字が書けるようになりたい、って言ってたよ、私も、4年生になったら、りんちゃんみたいになれるかな~、って言ってたよ、

(ここで、りんちゃんの学習モチベーション、MAXになる)



この日の朝、かれんちゃん (6歳) も、朝一のご機嫌は、やや斜めでありました。

1分だけ抱っこしてやって、目を見て、語りかけるように気持ちを受け止めてやります。

三角だった目が、みるみる丸くなっていくのが感じ取れます。


抱いた手をそっと降ろし、学習席に促すと、ちゃんと着席しました。

この日は、小さなカラーのいすに座りたいようでした。

赤ちゃん用のいすですから、本当はそれに座ることを認めてはいけないのかも知れません、


ダウン症のお子さんの場合は、達成動機が高いため、自分のやろうと思ったことを中断されることをとても嫌います。

望ましくない行動は、決して受け入れてはいけません。

安易に迎合してもいけません。


でも、その子がとても引き下がれない状況やタイミングで、事態を収拾のつかないものにしてしまうのではなく、その背景にある達成動機の高さを、まず受け止めた上で、

> かれんちゃんおりこうだね、かわいいいすだね、じゃあ、今度は小学生用のいすにも座れるかな?

かれんちゃんの場合は、そうつなげた方が、うまくいくことが多いのです。

臨床場面における特性理解とは、そういうことだと、私は思っているのです。


私の力だけで、子どもの行動が改善されていくと思っているわけではありません。

だからこそ、支援者として自分のなすべき役割を明確にしておかなければならないと思っています。


肯定的な自己理解 → 心の余裕 → メタ認知 → 自己コントロール

そうしたことで、少しでもその子らしさが発揮できるようサポートさせていただきたい、


私に与えられた時間は、限られています。

それは、私にとっても、子どもにとっても、大切な時間です。

子どもの行動改善に向けて、私たちがなすべき役割、


だからこそ今日も、

1回1回のレッスンに真心を込めて、

子どもの心にていねいに寄り添っていきたいと願っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-1-23)




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保護者支援の新しい形

 2012-01-18
平成24年4月1日より、児童福祉法の一部が改正されます。

今、私共が行っている福祉サービスの根拠法は、改正障害者自立支援法から児童福祉法に移行し、施設種別の一元化および事業実施主体の変更がなされます。


先日、県の担当の方より、法改正に伴う説明会がありました。

国から具体的な指針が示されておらず、かなり進捗が遅れているようでした。

枠組みや方向は示されているものの、未だその明確な姿が見えてこないというのが実情です。


その一つに、就学後のお子様の通所支援を行う 「放課後等デイサービス」 の充実があげられています。


就学前には様々なサポートが受けられていたのに、就学後には、一気にそうした支援が受けられなくなってしまう、

特に、放課後や夏休みなどに、こうしたお子様の特性を理解し、行き届いた支援を行う場所がなかなか見あたらない、

これまで、そんな声を何度も聞いてきました。


できることなら、私たちは、一人でも多くの子どもとご家族のために、力を尽くしていきたいと願っています。

これまでの取り組みや実践、そして保護者からお寄せいただいた切実な声に、形としてお応えする機会が来たのではないかと思っています。


私は、これまで現場第一、実践第一主義でした。

それがどんなに拙いものであったとしても、実践者であることを、何よりの誇りに感じて仕事を続けて行きたいと願っていました。

今でも、その気持ちにみじんの変化もありません。

その上で今、私になすべき役割、与えられた責務を、決して見過ごすことはできないと考えています。


保護者支援の新しい形、

それを形骸化させることは、私にはできません。


どんなに小さくても、ささやかであっても、

そのモデルを、魂のこもったその形を、この岡山から発信していきたいと願わずにはいられません。


県の説明会が終わったあと、早速その私の思いを、法人の理事長や保育園の園長に伝えました。

これまで何十人、何百人というご家族の皆さんに寄り添ってきた私です。

静かだけれども、何か心の奥から、大きなエネルギーの鼓動を感じるような心境です。


なすべきつとめが、今そこにある、

これだけは妥協しない、あきらめない、決して後ろに下がらない

そういう今の自分のありようを、私は心から幸せに感じるのです。



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通常級という選択

 2012-01-16
いつだったか、あるお母さんに、

> お母さん、通常級で正解だったですね

と、お伝えしたことがあります。


その子が3年生くらいの時だったでしょうか?

その時、母さんの目頭はみるみる熱くなり、大粒の涙がこぼれはじめました。

就学に際してのご苦労が、いっぺんに脳裏をよぎって行かれたのでしょう、

痛いほど、そのお気持ちが伝わってきました。


この4月、

同じような時から、同じようなタイミングでサポートさせていただいている、2人の男の子が就学を迎えます。

もう、3年近いお付き合いです。

奇しくも、一人は通常学級、もう一人は支援級を選択されました。


どちらが正しいとか、どちらが良かったとか、言えるわけがありません。

それぞれに良さがあり、それぞれに課題があるわけで、大切なのは、それぞれの歩みの中でその子がどう育ち、どれだけ豊かな時間を過ごし、どれだけそれがその子の幸せにつながっていくか、その中身が大切なわけです。


それでもあえて、通常級を選択されたご家族、

それでもあえて、支援級を選択されたご家族、

それぞれ、その選択の背景に、深い思いと熱い気持ちが見え隠れしています。

私が理解し、サポートさせていただきたいのは、まぎれもなくその思いであり、その気持ちであるわけです。


今は、どちらに重心を置くかということであって、より柔軟な教育の場の構成を工夫されている学校も多いようです。

実際に、支援級在籍であっても、通常級にランドセルを置いて、そのまま1日中通常級で過ごしている子を知っています。

逆に、通常級在籍であっても、週に何度か、担当の先生と行き届いた個別指導の場のあるケースも知っています。

どちらも、開いた口にまんじゅうが落ちてきたわけではなく、ご家族の深い思いと熱い気持ち、そして献身的なご努力が、やっとの思いで、形となって現れてきたのです。


「すべての子どもに、集団での学びと、特性に応じた適切な個別指導の場を」


あなたは、かけがえのない、うちの学校の大切な一員、

集団の中にしっかりと居場所と存在感があって、

それでいて、それぞれの子の特性に応じた行き届いた個別指導の場がある、

それが、このブログを開設以来、ずっと追い求めてきた教育の形です。


その子のもっている可能性を最大限に伸ばす、

発達にはいわゆる臨界期というものがあり、可塑性の高い時期での1時間1時間の授業は大切です。

この子たちの1時間は、特に大切な時間でもあるのです。


一方で、地域の同年齢集団の中での所属感、社会的な体験の積み重ねなどは、それぞれの教科学習が大切であるのと同じように、オフィシャルが学校でしか培えない大切な内容です。

あとで、別の機会にというわけには行かないのです、


長い学校生活の始まり、

ぜめてそのスタートの1年だけでも、

みんなと過ごす大切な時間を、1秒でも多くとってあげたい、

私には、そんなご家族の切なる願いが、痛いほど伝わってくるのです。


これから、歩んでいく道はそれぞれです。

それぞれが歩んでいく道は、百万通り、

たとえどの道を歩んでも、目指す頂きは、たった一つ、


あなたがいてよかったと、みんなに認められ、

自分の存在が、誰かのために役立っていることを、その子自身が感じとれる所まで育てること、

その子の自立や幸せといった中身を、私は、そんなふうにとらえているのです。


どんなに重く困難な課題に立ち向かっている子でも、その子が社会で果たす役割は、必ずあると私は考えています。

あなたの命の輝きが、

あなたの日々の歩みそのものが、

どれだけ私自身の魂を揺さぶり、それまで出来もしなかった内容を切り開かせてきたことでしょう。


君に出会えて、本当によかった、

今の私のエネルギーのすべては、こうした子どもたちの育ちに支えられている、

子どもを育てることこそが、教育の専門性、

その大切なスタートの時期が、まもなく始まろうとしているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-1-18)




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10のまとまりを体感させる教材

 2012-01-13
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30+4は、いくつ?

そんなの34に決まっています。

分かってしまえば、当たり前の簡単なことです。


ところが、案外これがわかりにくい、

9+8などの繰り上がりの計算がスラスラできるようになった子でも、

30+4=70、

なんて平気な顔で言ったりします。


どうしてこんなことが起こるか?

それはひとえに、位取りの概念=10を一つのまとまりとして見立てる感覚が身についていないからです。


10円玉が1円玉10個分と同じと見立てる感覚、

その感覚を育てるために、わたしはこれまで、上の画像のような数え棒を主に使用してきました。


これはこれで、使い方によっては、とてもすぐれた教具として利用することができます。

ただ、輪ゴムでとめている10の束を、なかなか10とイメージ化することができにくい、

つまり、1本くらい欠けていたとしても分からないし、数を合成したり分解したりすることを、視覚的にイメージ化するのには、あまり適していないのです。


先生、あのブロックを10個つなげたものを、教材として使ったら、ちょっとはうちの子にも10のまとまりの感覚が身につきませんか?

先日、りんちゃんのお母さんとそんな話になりました。


こういう具体的な指導内容の話が、相互にフランクに、毎回できるというところが、私たちの大きな財産になっています。

早速作って、即実践してみました。

結果、すごく使いやすく、わかりやすい、


りんちゃん、きれいな水の中でスイスイ泳ぐ魚のように、生き生きと問題に取り組み始めました。

それと、100個重ねて持たせてみると、視覚的にも、100という数がとらえやすい、


> これ1000個くらいあっても、いいかも?

> それくらいあれば、順序数からぬけきれない子どもに、日常生活の中で、集合数としての数感覚を培う中心教材として、しっかり根付いていくかも知れませんよ、

思わず、私はお母さんにそうお伝えしました。


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シンプルなチャーハンこそ、なべの振り方で腕の差が出る

家庭とは違う、プロのチャーハン


ご家族の願いを受け、そのご家族と一緒に考えながら、私はそのご期待に何としても応えなければと、身の締まる思いになるのです。

こうした実践の積み重ねこそが、今の私を支え続けているし、それこそが私の専門性であり、何よりの誇りでもあり、喜びであるのです。


市販のものでなく、自分で開発した教材、

子どもの表情を見ながら、ブランドタッチでさばける、手に吸い付くようなシンプルな教材、

シンプルだからこそ、学習の本質や、ねらいとする内容ををえぐりとることのできるような教材、

それこそが、私の求めていものであり、教材・教具のあるべき姿であるのです。


楽しいですね、

私は、この仕事が大好きです。




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言語に置き換えない子の感性

 2012-01-10
私は、何でも言語に置き換えて物事を判断するタイプです。

ぴったりの言葉を見つけないと、何だか気持ち悪いのです。

腑に落ちるぴったりの言葉を見つけると安心しますが、実はそれ程深い理解をしていないことも多いのです。


私は、幼稚園の頃から枕元に世界文学全集を置いて、毎晩それを読みあさるような子どもでした。

言語ルート優位の認知特性であったゆえに、同時系の認知や感性を鍛える機会が、その分、制限されてしまいました。


ある部分が優位な子ほど、そのルートが肥大化されるため、別のルートの伸びが後手に回る傾向があると、私は思っています。

天才に変人が多いのも、こういうメカニズムが関係しているのではないかと思っています。

また、それは苦手な部分を別の部分で補う、脳の代償性機能とも関連しているのではないかと考えています。


言語に置き換えることによって、一面で思考力は大きく育ちますが、それですべてが育つということにはなりません。

ましてや、幼い子の場合は、たとえどんなに優位であったとしても、まだまだ未成熟な部分も多いですから、言語的な思考のみで自分の行動をコントロールできないことも多いようです。


うちの教室に通って来てくれているあるダウン症の男の子、

表出言語はほとんどありません。

でも、メタ認知力はすぐれています。

もう、3年もずっと私の教室に通い続けてくれています。


この子との関係で何が起こるか?

私は、この子には聴覚性、あるいは理解言語はしっかり根付いていると思っています。

だから、ごくごく普通に言語で話しかけます。


でも、この子には返す表出言語はあありません。

だったら、コミュニケーションは成立しないか?

とんでもありません、


表情であったり、しぐさであったり、行動であったり・・

逆に言語を媒介としない分、私には手に取るようにこの子の気持ちは伝わってきます。

他のどの子より、確かに豊かにダイレクトに、コミュニケートは出来るとさえ思えてくるのです。


すばらしい感性です、

改めて、言語はツールであり、通う合うのはその中身であることを、実感させられる瞬間です。

表出していないからこそ、豊かに育つ感性だってあるのです、

そこに見える真実もあるのです。

決して口先のごまかしなんて通用しませんから、


表出言語を育てることと、単純に言語では表せないノンバーバルな感性を培うことは、どちらも同じように大切なことだと考えています。

この2系統を、同じ軸で考えながらその子の育ちを見つめてみると、じゃあどんな手順で、どこをどう育てていこうかという方略も浮かんできます。


優位なルートをメインにしながら、対局の力も使えるようにしてやることで、その子の良さは一層豊かになっていくものと考えています。

それが私の考えているコミュニケート指導の大切な部分なのです。


通じ合うことの楽しさを共有することで、肯定的な自己理解力も、自分をコントロールする力も、共に育っていきます。

「楽しいレッスン」

私の教室のキャッチフレーズの原点は、きっとこんな所にあるのだと思っているのです。



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すべての子に みんなと共に学ぶ場所を

 2012-01-04
正月は、家内とじっくり話せる時間がありました。

その話の中で、ある行政のトップの方が、私の活動に強い関心を寄せてくださっていることを聞きました。

文科省でのキャリアのある方で、海外の教育事情にも明るい方であるということです。


一方で、いくら希望しても、その子の特性に応じた、最低限の教育の場さえ与えられないケースがいくつもあります。

今、私は、そうしたケースの相談を、何件も同時に伺っています。

それが、現実です。


どこが違うか?

それは、その子の存在を、全面的に受け入れようとする心が根本にない、ということです。


> お子様の障がいについては、可能な限り理解していきたいと思います。これが、私たちの学校で出来る精一杯の内容です。


一見、誠実なお答えのようにも見えます。

でも、その根本に、「我が学校のかけがえのない大切な子ども」 という感覚がない、


脈々と継がれていく分離教育の発想、

「障がいがあっても、うちの学校に入れてあげましょう」 というインテグレイト(統合)の感覚、

そんなつもりではなくても、私たちには、普通の子のための学校です、と聞こえてくる・・

思わず 「普通の子って、どういう意味ですか」 と尋ねたくもなります。


日本のインクルージョンに、うまく行った例を知らない、

ある方の、そんなコメントが、今でも心に突き刺さっています。


でも、たとえ現実がどんなに厳しくても、決して目指す方向を見失ってはいけないと、私は考えます。

TOPの方には受け入れられても、現場に行けば行くほど、厳しい課題をどんどん突きつけられる、

これが今、我が子のために心を砕いて活動されている保護者の方に突きつけられている現実です。


保育園長の家内は、私の最大の理解者です。

私のできないことを、どんどん前に進めていってくれます。

なぜなら、その理念が間違いなく本物であり、今後社会が目指していく、あるべき方向であることを、彼女は感じとっているからです。


諸外国の事情を聞く度に、どうして日本はこうなんだろうと、思わざるを得ません。

そう言えば以前、「ここは日本です、外国ではありません」 と、平気で私におっしゃった教頭先生もいらっしゃいました。

そういう現実に立ち向かいながら、我が子のためにと、泥だらけになりながら、孤独感に苛まれながら、一歩一歩前に進んでいこうとされているご家族の方々を、決してそのままにすることは出来ない。


私たちが、次に目指していかなくてはならないことは何か?

ご家族の切実な願いを受けた私たちが、今なすべき役割とは、どんなことか?


今日は仕事始め、

そのための第一歩が、また今日からスタートしたのです。




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どうしても開いてみたい大切な扉

 2012-01-01
長い間レッスンをしていると、指導中に目頭が熱くなってしまう瞬間が何度もあります。

開けなければいけない扉が重ければ思いほど、その感動は大きくなります。


私はもともと小学校の教員でした。

だからこそ、その未知の扉であった、就学前のお子さんの認知やコミュニケーションの発達についてのメカニズムを、臨床実践のエピソードのレベルで明らかにしていくことに、強い探求心を抱いていました。


ここに来て、私が、実践を通して、どうしても明らかにしていきたいと願う内容が、さらに2つ浮かび上がってきました。

一つは、言葉がとても豊富で、知的レベルが相当高いがゆえに、ぽっかり開いてしまった日常のわかりにくさに対応しながら、どうそれをコントロールしていく力を培っていくかということ、

もう一つは、表出言語がない子どもの認知発達を、どう系統立てて刺激し、きっと豊かであろうはずの内言語や感受性をどう引き出していくかということです。


心の芯に直接タッチするような内容ですから、手応えが見えてきたときのその感動は、他で代えることは決してできません。


昨年末の最後の日のレッスンで、思わず涙を落としそうな場面がありました。

小さいけれど、やっとやっと何かがつながり始めた、

そんな気持ちで胸が一杯になりました。


> じゃあね、さようなら、またここに来て一緒に勉強しようね、

私がそう言うと、その女の子は、それまでとは明らかに違うしっかりとした明るい表情を浮かべ、バイバイと笑顔で手を振ってくれました。

百万の言葉を凌ぐ豊かな内容が、相互の心に通いあった瞬間でした。


この子のための私ができること、

後に続く子のために、今、私が明らかにしなくてはならないこと、

そして、その明らかにされた内容によって、レッスンの品質をさらに揺るぎないものに高めていくこと、

それは、自分の足元から遠くへつながっているその道筋が、くっきりと輝いて見えるような瞬間でもあったわけです。


このことが、私にさらなる命を吹き込むことに、きっとつながるに違いありません。

新年早々、なすべき道が見えてきたわけです。


それが重ければ重いほど、扉の向こうには、大切な何かがあるに違いありません。

出会いって、本当に大切なものですね。


次に来てくれるその日までに、何としても次の一手を考えておきたい。

お正月でありながら、私の頭の中は、そのことで一杯になり始めたのでありました。






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Author:SHINOBU
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