私の進むべき道

 2011-12-31
「先生、何とか私の子どもの勉強を教えていただくわけには行きませんか?」

私の教室は、花子ちゃんのお母さんのそんな一言を受けてスタートしました。


当時1年生だった花子ちゃんは、もう5年生になりました。

(2桁)×(2桁) の筆算もできるようになってきており、文字も上手に書けるようになってきました。

それより何より、次から次へと変化を見せた教材に対して、指導のスタンスと相互の関係については、基本は何も変わらず、ずっと受け継がれていきました。


それから、今では100名を超す子どもたちと出会ってきました。

完全なマンツーマンレッスンと家族支援、

これまでにはない教育のスタイルを標榜して、年間2000時間、もしかしたら年間2500時間を超える程のレッスンを、休むことなく3年以上続けることが出来ました。


臨床実践もこれだけ積み重ねると、決して簡単には言語化できない極意みたいなものが見えてきます。

代々一子相伝で伝えらる秘伝の技のようなものです。

それに近いものを文章化したり、数値化したり、図式化したりすることはできますが、表現したとたんに、それはは安っぽく見えて、決して奥義として伝えられるようなものにはなりません。


歌舞伎の神髄や、秘伝のタレのようなものが、仮に文章化されたりマニュアル化されたとしても、決してその味そのものがたやすく再現されるとは思えません。

それは、そういうものなのです。


材料がシンプルであればあるほど、そこにわずかな腕の差が出るわけです。

そのほんのわずかな差が、料金を出しても、行列にならんでも、食べに行きたくなるプロの料理になるのです。


私は、まだまだ未熟者で、とてもではありませんが奥義を究める領域にはありません。

が、さすがにここに来て、そのしっぽのような部分がが見えてきたように思えてきたのです。


これまでの私が歩んできた道、それは、これから先に進むべき道のための、滑走路に過ぎません。

私は、この仕事をするために生まれてきたのだと心底思っていますし、これまでの人生は、そのための練習期間であったとさえ思っています。

どうしても超えてみたい頂が、すぐ目の前に見えてきたような心境です。


今、何が幸せかと言うと、横で一生懸命勉強している子どもの横顔を見ている時が、一番幸せを感じる瞬間です。

この1年間、休みらしい休みはほとんど休みを取らず、毎日フル回転でレッスンを積み重ねてきましたが、休みたいとか、遊びたいとか思ったことは1度もありません。

日曜日や祝日は、私にとっては、子どもが学校に行かないという日であって、もはや、いつも以上に忙しくて気合いの入る1日、という位置づけになっています。

「先生、体は大丈夫ですか?」 とか、「たまには休んでください」、言われることも多いのですが、私にはもう、休みという感覚が、日常生活の中には全くないのです。

そんな時は、「きっと疲れが顔に出ているんだな、体調管理が不十分で申し訳ない」 と、反省してしまうのです。


誰に何と言われても、私は今の仕事に、強い誇りと信念をもっています。

今の自分が一番好きで、今の仕事が一番好きで、今の自分が一番幸せです。


土・日休みたいなんて、これっぽちも思いません。

だって、土・日のレッスンのほとんどは、もう3年以上継続の子で、レッスン中は、楽しくて楽しくて、あっという間に終わってしまうのですから・・


日曜日のレッスンを終えた後に、家内と外食に行くことがあります。

日曜日の夜に開いている店は、限られています。

いわゆる隠れ家のような、あまり一般のお客さんはお越しにならない店もあります。


そこで飲むビール、

私たちには、そんな楽しさだってあるのです。


家内も、毎日戦場のような場所で戦っていますし、TOPとしての逃れられない苦しさについては、相互が最高の理解者であると思っています。

これが、私たちが選択した、私たちの進むべき道なのです。


もう一度生まれ変わったとしたら、本当に今と同じ環境を選べるかどうか心配です。

それほど私は、今の仕事が大好きなのです。


大晦日のこの日、

午前中は、就職が決まった長女に何か祝いをしてやりたいと思っています。

午後は、1年間妥協をせずにがんばり通した自分と、最近腰痛も出さずに踏ん張ってくれた自分の体へのご褒美で、2時間半のマッサージに行きます。


そして、年越し

馬鹿ですね、1日の午後には、もう教室で教材づくりや事務をしようと本気で考えています。


自分の中で、「一般社会としての普通」 は、もうとっくに捨てています。

そういう概念自体が、何か逃げ道を正当化するめの都合のよい言葉にしか思えないのです。


ホント、私、病気でしかありません。

でもそのことをメタ認知できるようになりましたし、そのことをを受け止めた上で、多少、自分自身をコントロールができるようになりました。

これが、昨年1年での、私の成果です。


毎回の充実したレッスンの積み重ね、

基本、それが毎年変わらない究極の目標でもあります。


ただ、そのクオリティーが今と同じでよいはずがありません。

それと、来年からは、ある短大で特別支援保育の講義を担当させていただくことになっていますし、りえ先生をいっぱしの実践者に育てあげなくてはなりません。事業も、安定した水平飛行までもっていかなくてはなりません。


やる事は山ほどあります。

でも、やっぱり私はレッスンが好き、

そう思える自分こそが、私にとっては大好きな自分であるわけです。


一期一会、

出会った子どもとの大切な時間を充実させていくことこそが、すべての活動の源であることを忘れずに、これからもずっとずっと、前に進んでいこうと思っているのです。




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支援者としてのなすべき形

 2011-12-30
今年の確定申告から、私は税務にかかわる内容を、ある税理士さんにお願いすることにしました。

先日、事務所にお伺いし、これまでの経過や今後の計画についてお伝えしました。

ご相談をさせていただきながら、とても誠実で、税務や経営にかかわる専門性について、有能な方であることが分かりました。

すぐにその場で、今後、この先生のお力をいただこうと決断して帰りました。

心強いパートナーと出会え、自然とこぶしに力が入っていくように感じ取れました。


私は、税務にかかわる内容や、経営にかかわる決断を、この先生に丸投げするつもりはサラサラありません。

すべての責任は自分が背負うからこそ、その道のプロの専門的な視点を参考にさせていただく必要があるのです。

早速、年末調整にかかわる内容と、新規事業の届け出にかかわる内容について電話でお尋ねをさせていただきましたが、さすが餅は餅屋といいましょうか、とても明快な道筋を示していただき、胸のすく思いがしました。

テキトーに流すのであれば、さほど支援は必要ではありませんが、事業に真剣に取り組めば取り組む程、次から次へと新しい課題に向き合うことになります。



今、特別支援にかかわる学校との交渉についてのご相談を、いくつかのケースで伺っています。

税金のことは税理士、法律のことは弁護士さんがいらっしゃいますが、こと就学や学校との対応についてはどなたに相談をするのが一番よいのでしょうか?

私は、お子様の成長とご家族の幸せのために、自分の果たさなければならない役割がそこにあると考えて、日々の活動に取り組んでいます。


いくつかのケースでは、当初からは思いもかけない事態が持ち上がり、どうご助言を差し上げるべきかと迷いました。

どれも前例のないことばかりでしたから・・


こうした時の支援者としての専門性とは何か?

それは状況を精査に見つめ、冷静に原点を見つめ、本質を見失いように助言すること、

そして大切にすべきことは、ご家族に成り代わって自分が動くことではなく、次のステージに向かってお進みいただくために、何を支えるべきかという自己決定にかかわるエンパワーメントの部分であると考えたのです。


いくつかのケースが、あたかも同時進行であるかの如く、日々事態は動いていきました。

でも本当に動いていったのは、環境の方ではなく、ご家族自身の方でした。


どのケースも最初は、皆さんこっぱみじんでした。

もしもそれが 「あっ、そうですか」 で引き下がっていたならば、それはたた、たったそれだけの事です。

実はそこから先の深くて強い気持ちがスタートなのであって、そこをちゃんと担当者に響かせるとこまでして、やっとこさ山は動き始めるのです。

これまでかかわった様々なケースも、基本はみんなそうであったように思います。


それにしても、どうして私の所には、すごいお母さんばかり集まってくださるのでしょう。

どの方として、一人として途中で挫けた方はいらっしゃいません。


お子様のために、みんな自分の命を捨てていらっしゃいますし、たよえどんなことがあっても勝つまで戦うわけですから、結果無敗記録が続いていくわけです。

しかし、その苦労は並大抵ではありません。


私は、主体者に成り代わることはできません。

大したこともできません。

が、一旦共に歩むと決めた以上、どんなことがあっても逃げ出したりしません。

知らんぷりは絶対にしません。


何のため?

それは子どものために決まっています。


私の命は、子どものために役に立たないのであれば、決して輝くことはありません。

我が子のためだからこそ、母は、自分のすべてをすてて前に進んでいくことができるのです。


自分のためにできないことが、我が子のためなら出来てしまう、

私は、そんな母を、ずっと支えていきたいと願っているのです。




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心が通じ合う瞬間

 2011-12-26
12月23日は、天皇誕生日、

この日、私は大阪の和泉市というところで、出張レッスンを行っていました。


会場から、遠くに海が見えます。

そういえば、去年のこの日も、ここでレッスンをさせていただいていた、

天皇誕生日の日には、ずっとここで、海の見える景色を見つめてきたのです。


初めて会った頃、年中さんだった子は、今年から1年生になりました。

表出言語がそれ程豊かではないタイプのお子さんでしたので、心の通い合いという面では、少し時間がかかりました。


数ヶ月前の事だったでしょうか?

ほんの些細なことではありましたが、私に意図する活動と、この子の気持ちがズレる場面がありました。

結局、その子は離席して、すみっこにあるカーテンに丸まって、出てこなくなりました。

横には、心配そうな表情のご両親の姿が、ありました。


「お父さん、お母さん、誠に申し訳ありませんが、私に少し時間をいただけませんか?」

そう言って、ご両親には、しばらくの間退室をしていただきました。


私は、教育の臨床実践の最前線で日々戦っていることを、何よりの誇りに思っています。

どんな理論より、子どもと真剣に向き合っておられる実践者の方を、尊敬しています。


「たとえ表出言語は少なくても、いや、表出言語が少ない子ほど、感受性が豊かな子が多いよね。 そんな子は、言葉で表現しなくても、心の中ではちゃんとわかっている場合が多いよね」

ある時、敬愛する友達とそんな会話になりました。

真摯に実践に向き合ったことのある方なら、きっと同じような体験を、何度も積まれてきたことだと思います。


「何々ちゃん、勉強したいんだね」

私が、思い出したようにその子にそういうと、それまで尖っていた表情が、いっぺんに柔らかくなりました。

そして、しばらくやりとりはありましたが、10分後には、私に抱きついてきました。


「ごめん、ごめん」

「先生、何々ちゃんが、こんなに勉強したかったてわからなかたんだよ、ようし、じゃあこれからひらがなの勉強するか」

私は正直、この時まで、この子と文字の学習ができるなんて思ってもみませんでした。

ここに来て、やっと小さな扉が開いたわけです。


今年の天皇誕生日のその日、

ご両親には、ちょっと後ろの席から、私たちの学習のようすをご覧いただきました。

もちろん、離席などは一度もありません。

くだものの名前など、表出言語も格段に増えてきていました。


それどころか、楽しくて楽しくて、レッスン中、何度も私の方が吹き出してしまいました。

心が通じ合っているという瞬間が、何度もありました。

心の中に、あたたかい気持ちが流れ込んでくるように感じた場面が、何度もありました。

予定していた内容をすべ手やりとげ、あっという間に45分が過ぎてしまいました。


思えば3年前、まだ幼くて、なかなかレッスンになりにくかった子もいました。

その子も、今は文字を読み、そんなに流ちょうではないかも知れないけど、しっかりと声に出すことができるようになりました。

このように、文字を音声化できるようになったのも、ここ1年での急成長です。


私自身も、3年前は技術も未熟で、すべてが手探りの状態で、日に8名の出張レッスンをお受けしてしまいした。

そこにあるのは、お子様を真ん中に置いて、ご縁があって結ばれた、ご家族と支援者の熱い思いだけでした。


当初から今日まで、私は8名のご家族の方とずっと一緒に歩んできました。

お子様はそれぞれに大きく成長されました。

それ以上に、育てていただいたのは、支援者の私であったという思いは、ここに来て日に日に強くなってきています。


「この度、手術を受けことになりましたので、しばらくの間、レッスンをお休みさせていただくことになります」

レッスンが終わると、ご両親は、そのようにお伝えくださいました。


きっと考えに考え抜かれたご判断だったと思います。

どうか一日も早く、心配事がなくなって、また一緒にいろいろな勉強をしたい、

心からそんな気持ちが、わき上がってきました。


来年もまた、この会場から、海を見ることができるのでしょうか?

来年、ここから見える海は、いったいどんな色をしているのでしょう?

私が自分で選んだこの道の中にも、胸をしめつけるような、大切な命との出会いがたくさんあるのです。


子どものピュアな気持ちと、ご家族の切なる願いに、少しでもお応えできるような自分であり続けたい。

ちょっとセンチメンタルな気分になった、今年の天皇誕生日の出来事であったのです。



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子どもの命の輝き

 2011-12-23
先日、保育園と合同の忘年会がありました。

岡山で最もランクの高いホテルで、できれば費用の個人負担をかけずに・・

私たちの忘年会は、1年間、同じ志で戦ってきた職員の労をねぎらうために、ささやかであっても、職場のリーダーとして感謝の意を形であらわす会にする、ということを明確にしています。


「あの高き山にさく白ゆりのように、気高く質の高い福祉サービスを提供したい」

それが、法人設立の魂であり、職員の誇りであり、私たちの絆の根拠となっているのです。


法人を創設した前理事長が亡くなって、やがて1年になろうとしています。

この法人に、この春から、私の娘も仲間入りをさせていただきました。


宴も終盤になって、カラオケが始まりました。

こうした場でも、この1年、子どもとご家族のために大きな力を尽くした職員の顔は、心なしか輝いて見えました。

その何番目かに、うちの娘がマイクを持つ場面がありました。

昨年の夏、ブロードウエイのミュージカルで、目頭を熱くしていたあの娘です。


高校の謝恩会で評価されたり、イベントで優勝したことがあるということは、情報として知っていましたが、生の歌声を聞くのは、私にとっては初めての機会でした。


歌い始めて、正直、私は驚いた、

これが、我が娘かと、目を耳を疑った、

そこには、高校時代、あれ程苦しみ悩み抜いた、うつろな娘の表情はどこにも感じることはできなかった、

この子が、なぜあれ程ニューヨークに行きたがったか、その気持ちが、初めて心にストンと落ちるような思いになりました。


数日後、発達支援センター・子育て支援センターのクリスマス会で、この子はサンタクロースに扮し、クリスマスの歌をソロで何曲も歌いながら、子どもと一緒にオペレッタの進行役を務めていました。

本当に親ばかですが、ベテラン保育士のピアノに合わせて歌うその歌声は、水準を超えた本物だと感じました。

それぞれの才能をもった職員が、よくぞこの小さな部屋に集結したものだと、誇りに思いました。

そして、何が娘の表情を変え、何が娘を救ったかを、はっきりと読み解くことができました。


人は、人の中にあってこそ、初めて自分の命を輝かすことができる。

この娘が子どもたちと出会って、初めて自分の持ち味を生かす場を見つけたように、私は、出会ったすべての子どもたちに、自分の命の輝きと大切さを感じとってもらうためのサポートを続けていかなくてはいけません。


それ以外に、私の進むべき道はない。


もうすぐ、クリスマス

サンタさんのすてきなプレゼントが、みんなのところにも、ちゃんと届いていますように・・


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子どもは みんなと共に育つ

 2011-12-17
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今日、保育園の発表会がありました。

3歳児組、4歳児組、5歳児組それぞれに、私たちがサポートさせていただいている子どもがいます。


正直、その成長ぶりに驚きました。

まずもって、表情がやわらかい、

態度が安定している、

集中度が高く、演技そのものを楽しんでいる感じがする、

少し遅れる場面があったとしても、活動の流れの中で、しっかりと演技ができている、

そして、お友達に受け入れられ、支え合っている光景を、何度も目にすることができました。

たった数ヶ月で、子どもはこうまで変わるものかと、自身の目を疑うほどでした。


発表会が終わって、早速、サポート記録に目を通してみました。

音楽療法士の記録、マンツーマンレッスンの記録、集団活動の場面をサポートした支援員の記録、

それぞれが、それぞれの専門性を生かして、取り組んできたことかかわってきたことが、詳しく記入されています。

発達支援を担当している機関として、それぞれの職員が専門性を生かして、ずっとサポートを積み上げてきたことを、本当に頼もしく思いました。


と、同時に、それぞれのクラスの担当保育士が、クラスの大切な一員としてその子を受け入れ、みんなと共に育つ保育を積み上げてきたことが、最大の功績だと感じました。

こうした保育があるからこそ、私たちのサポートが生かされたわけです。


発表会でのプログラムの内容については、保護者の信託を受けた保育のプロとして、一定の完成度は担保したい、

それと同じように、一人一人のお子様の成長にとって、ご家族にとって、この発表会がどんな意味をもったのかについて、きちんと精査できる保育者でありたい、

閉会の挨拶で、私は、保護者の皆様にそのような内容をお伝えしました。


今、一つ一つの行事に立ち向かう保育士のモチベーションは、MAXに近いものがあります。

みんなライバルであり、信頼できる同僚です。

本当にすばらしい精鋭が、よくぞここに集結したものだと思います。

こうした保育士と共に歩むことに、私は何よりの誇りを感じているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-12-18)




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豊かな数量感覚を育てる

 2011-12-14
ある子のレッスンを行っていた時のエピソードです。


> 5+2はいくつ?

> 7


とても元気よく答えてくれます。

ブロックの操作活動を続けてきたこともあって、7が5と2の合成でできていることがイメージとして定着してきているのです。

今では、指を折って、「5・6・7」 と数える場面はほとんど見られなくなりました。


ところが、「15+2はいくつ?」 と尋ねると、とたんに、「15・16・17」 と指を数え始めます。

この子の場合、これまでの取り組みにより、10以下の数は集合数としてとらえることができてきるようになった反面、11以上の数については、十進位取り記数法のイメージが体験として、感覚としてとらえきれていないため、順序数でしか対応することができにくくなっているのです。


別の子のレッスンで、こんなことがありました。


4年生の男の子が、学校で概数を習ってきました。

「上から2桁の概数にしましょう」

「千の位を四捨五入して、万の位までの概数しましょう」

というやつです。


事前のお母さんのメールによると。

概数の勉強で、いったい何をやったらいいのかが、さっぱりわからない、

くやしくてくやしくて仕方がないので、「どうしてもSHINOBU先生の所へ行って勉強したい」 

と言っていたそうです。


まずパソコンソフトを使って、ようすを伺ってみましたた。

2152は、2000に近いか、3000に近いか?

このことが、数直線を使って、イメージ化しやすいように構成されていました。

「うん、わかるわかる、これは2000に近いということだ」

何だかとっても、うれしそうに学習に取り組み始めました。

その様子を見ながら、何となくこの子の今の課題が浮かび上がってきたように思いました。


パソコンソフトを終了し、プリント問題をさせてみました。

「2983を、上から1けたのがい数にしましょう」

こうなると、とたんに目が点にになってしまします。

2983という数をイメージ化する体験が不足しているのです。


試しに、こっちが2000、こっちが3000と数直線を書いてみました。

3000寄りに2983と書くと、とたんに「3000」と答えることができます。

でも、この数直線の目盛りのどこに2983があるのかが、しっかりと身についているとは言えない。


お母さん、この子にとって概数の勉強は、これまで苦労して培ってきた数感覚を、さらに豊かにしていくための、大切な扉を開くきっかけになるかも知れませんね、


私は、お母さんにそうお伝えしました。


もともと継次処理優位傾向の強いお子さんでした。

長所活用型指導により、その優位な継次性を生かして、たし算もひき算もかけ算もわり算も、一つずつ攻略してきた、

しかし、やはりこのあたりで、数の量的な見方に、どうしても向き合わなければならなくなりました。

それは、継次系の数処理の限界ということではなく、それを超える数の題材に向き合うことができるまで、この子が育ったということだと思っています。


ある意味、これまで慣れ親しんできたアプローチを捨て、もともと苦手だった分野に踏み込むわけですから、かなりハードになることも予想できます。


でも、それはこの子に身につけさせたい大切な力

「12本の鉛筆セットから11本使いました。残りは何本でしょう?」


これはたし算? ひき算?

どうもたし算ではないらしいので、引いてみよう

12-11ということは、12・11・10・9・8・7・6・5・4・3・2・1

(指を折りながら) 答えは1かも?


それもいいけど、私がこれからこの子たちに身につけさせたいのは、

12と11の量的なイメージを念頭に置いて、12と11を映像的に直接比較して、その差を1ととらえる同時的な数量感覚なのです。

無理にこっちにすべてを変えてしまおうというのではなくて、こういう処理の便利さを体感させ。それを日常生活に生かせる子に育てたいのです。


私には実践の手応えと見通しがあります。

本気で取り組んだら、必ずできると信じていますし、そのプロセスも見えています。

時間はかかります。

でもそうでなければ、個別指導なんて引き受けていられません。

どこか大切な所を目指している方向感があるからこそ、SHINOBU先生と勉強したいと言ってくれるわけです。


最近、私のスケジュール、

もともとハードな上にさらにハードになって、記事を書く時間を確保するのも一苦労です。

体をこわさないのが、自分でも不思議なくらい・・


でも、臨床実践は日々積み上がっています。

これが、何よりの私の財産。


どんなにハードでも、レッスンをしているときが一番幸せ、

その手応えが、私を支えている、

私は子どもといる時間が、何よりも充実した時間となっているのです。



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集中して学習に取り組むその時

 2011-12-08
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花子ちゃん、かけ算の筆算の支援が、ついにフェードアウトのレベルになってきました。

これは、楽しい。



これまで花子ちゃんは、視覚認知の脆弱さも相まって、繰り上がりの処理に苦労してきました。

「7×8=56 5繰り上がる 6×8=48だから 53」

4月から、ずっとずっと集中して取り組んできた歩み、


ここに来て、花子ちゃんの繰り上がりの処理の正確さに、大きな向上が見られ始めたのです。

そのことを一番ダイレクトに感じているのは本人自身で、あれだけおじゃべりだった花子ちゃんが、レッスン中物も言わず、集中して問題に取り組むようになってきました。

やって来て本当に良かったと思えるのは、きっとこんな瞬間であるに違いありません。


「みんなと同じような、わり算の筆算ができるようになりたい」

これが、私と花子ちゃんと共通の大目標となっています。

そのためにまず超えなければならない、かけ算の筆算の頂、

その頂が、もう手の届く所まで近づいてきたのです。


これまで、何度失敗しようが、どんなに時間がかかろうが、私たちから共通の大目標が消え去ることはありませんでした。

誰に何と言われようとも、この目標は、私たちにとっては、大切で、ステキで、楽しい、達成可能な到達目標となっているのです。

こんな学びの歩みがあっても、いいとは思いませんか?


みんなと共に学び、体系化された学習にふれる機会を大切にしながら、一方でその子の特性や内発的な学習に根ざした質の高い学びの場の構成したい、

私の考えている学びの道を、これからも私は、子どもたちと共に歩んでいきたいと願っているのです。


インクルージョンの具体的な中身、

実践を通してそれを具体的に発信できるよう、自分の役割を果たしていきたい、

私は、こうした子どもたちと一緒に歩めることを、何よりの幸せと感じているのです。



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家族としてなすべきこと

 2011-12-04
先週の火曜日に、大阪でのレッスンのようすを、学校の先生にも見ていただきました。

その時の様子を、お母さんにビデオで撮っていただきました。

なかなかレッスンの映像を皆さんに見ていただく機会がなく、自分で自分のレッスンを見ることもないので、貴重なものとなりました。


私のレッスンは、お子様の特性や育ちによってプログラムが全く異なりますが、個別レッスンの雰囲気くらいは感じ取れるかも知れません。

↓ 一つ前の記事で、映像を公開していますので、関心のある方はご覧いただければと思います。


レッスンを受けてくれたのは、2年生のダウン症の女の子です。

通常学級に在籍しています。

3年前から、月に1~2回のレッスンをさせていただいています。


当初、レッスンのお申し込みをいただいた時、私は、お断りをさせていただいたことを覚えています。

ちゃんと理由を示し、進むべき方向を提案して、ていねいにお断りしたつもりです。


1度は、「わかりました」 と納得していただいたように思います。

それからしばらくして、再びメールをいただきました。

私が提案させていただいた内容に従い、あらゆる機関を当たってみたが、その上で、どうしてもSHINOBU先生の力を貸していただきたい、というものでした。


さすがの私も、これには正直驚きました。

そこまで深く、強い気持ちであるとは、思ってもいませんでした。

もはや、お断りすることは出来ないと感じました。

そうまでおっっしゃるのでしたら、ということで、私は大阪で出張レッスンをさせていただくことを決意したのです。


教材を作り、重い荷物を持ち、朝6時半の新幹線に乗り、大阪に到着、

1日8名くらいのお子様のレッスンを行い、岡山に帰るのは夜の11時、

そして翌日の7時半には、教室に入り、その日のレッスンの準備をする、

そんな生活が始まりました。


通っていた大阪の幼稚園におじゃまさせていただいたこともあります。

小学校の校長室にも、何度かおじゃやまさせていただきました。

ご自宅で昼食をいただいたこともあります。

ケースカンファレンスの前に、飲食店でご両親と夜遅くまで作戦会議をしたこともあります。

思うような学びの場が構成出来ず、私がついていながら申し訳ない、と車の中で頭を下げた苦しい時期もありました。


このことにより、私は、支援者としてなすべきことのイロハを、1から培うことができました。

この体験がなければ、今の私は存在しないのです。


こうまでして、私を突き動かしてきたものは何か?

それは、ご両親の深くて強い愛情と決心、それ以外にあり得ません。

こうしたご両親の強い気持ちが、結果として、あれだけ大きく立ちはだかっていた困難を、打ち破っていくことにつながりました。


先週の土曜日に、その子は8歳の誕生日を迎えました。

お母さんからいただいたメールには、以下のような内容が示されていました。




いつもお世話になっております。

先生のブログに書かれていた言葉「先生がいたからこの一年頑張れた」というのは私たちの言葉でもあります。

先生が一緒にいてくださらなかったら、通常学級を選択することはなかったかもしれません。

そして2年目は諦めていたかもしれません。

私たちだけでは乗り越えられない大きな大きな山でした。

先生に引っ張り上げてもらったり、後ろから押していただいたり、横に並んで同じ歩幅で歩いていただいたおかげで今の恵まれた環境があります。


明日で娘は8歳になります。

毎年誕生日には生まれた日のことを思い出します。

娘の顔を見てすぐダウン症と気づき「大変なことをしてしまった・・・」と涙も出なかったこと。

これからどんな風に育つのか想像もできず、夫や息子に大変な人生を背負わせしまったことをただただ申し訳なく思ったこと。


私は小学校から私立だったので障害のある友達と一緒に学んだことがありません。

ですから娘が生まれた時もこの子が小学生になることをいくら想像しようとしてもその姿を思い描くことはできませんでした。

まして障害を持つ我が子が一輪車を乗り回し友達の中で楽しそうに笑いクラスの中に居場所がある生活を想像できたでしょうか。


この8年たくさんの方に支えられていることに毎日感謝しています。私には娘を心をから愛することしか出来ません。

これからも多くの方に助けていただきながら娘の笑顔がずっと続くように大切に大切に育てていきたいと思います。

今後もよろしくお願いいたします。







「娘を心から愛することしかできません」



だからこそ私は、支援者としてなすべきことを明確にすることができたのです。


家族だからできること、

家族にしかできないこと、

そして家族ではできないこと、


このご家族が、なぜ通常学級を選択されたか、おわかりになるでしょうか?

このご家族は、一度として私に寄りかかったことはありません。

きっと、親としてなすべきことのすべてを、なさっているご家庭です。


だからこそ、

支援者として、私になすべきことがあるのなら、何としてもそれをさせていただきたい、と思うのです。


納得のゆくレッスンができなくて苦しいのはいつものことですが、大阪に行くことが苦しいと思ったことは一度もありません。


家族としてなすべきことは何か?

こうしたリアルなお取り組みの中から、何かをつかみ取っていただければ、本当にうれしく思います。


本当に微力ですが、私は、これからも多くのご家族と一緒に歩んで行きたいと、心から願わずにはいられないのです。


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個別指導の実際 (2011-11-29=動画)

 2011-12-04
[高画質で再生]

すごろくゲーム(2011.11.29)  [ドラマ]


[高画質で再生]

数量認知①(2011.11.29) [SNS]


[高画質で再生]

数量認知②(2011.11.29) [アクセス解析]


[高画質で再生]

ひき算(2011.11.29). []


[高画質で再生]

お買い物ゲーム(2011.11.29) [映画]


[高画質で再生]

漢字練習(2011.11.29) []


[高画質で再生]

読解文(2011.1129) [アクセスランキング]


[高画質で再生]

パソコン・漢字(2011.11.29) [ネットショップ]


↓ この動画をご覧いただいたあるお母さんから、以下のようなメールをいただきました。


SHINOBU先生、いつもお世話になっております。

ブログのレッスン動画を拝見しました。


うちの子は勉強が好きです。


ちょっと親バカな発言に思えるでしょうが・・・。

でもそれがどうしてか今日わかりました。

このような楽しい分かりやすいレッスンを受けていたからだと思います。

机の上で次々に起こる楽しい事があだろうと思って、机に向かうのだと思います。


小学校に入って、「誰よりもちゃんと学ぶ姿勢ができています。」と褒められた事もあります。

最近はちょっと難しい問題や間違えると、泣きだしたり、

その問題をやめてしまうこともあります。

そんな日もあるのかな?と思ってあまり無理にはさせないようにしています。

それでも、色塗り、あいうえおを書いたり、違うことをして

ある一定時間は机からは離れません。



それがとても嬉しいです。


小学校に入る前に療育の先生から

「とにかく家に帰ったら宿題するというパターンを作りなさい」と言われました。

パターンにするとこだわって勉強をするからでしょう。

でもうちの子はこちらからのパターンに乗るのではなく、自発的にやってくれます。

「分かる=楽しい」

これを先生が入れてくれださったので、私が壊さないように注意します。



先生のおかげです。
この形ができるまでは大変だったと思います。
本当にありがとうございます。

またご指導をよろしくお願いいたします。



本当にありがたいお言葉、

こういう一言が、私を支え、突き動かしていることを改めて感じることができました。

「わから=楽しい」 の中身と、学ぶことの本来の目的と意味をしっかり見据えながら、私は、私の責務をしっかりと果たして行きたいと思いました。

良くも悪くも、どうやら私のレッスンは、他とは違うらしいということが何となくわかってきました。

何がどうであれ、私は、私らしさを生かして、ご家族、そして子どもたちのために力を尽くしていくしかありません。

私は、このことを何よりの生き甲斐に感じているのですから、



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理解者と共に歩むということ

 2011-12-01
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私にとって、ブログはとても大切な宝物です。

このブログを通して、岡山だけでなく、全国各地の方とつながりをもつことができました。


今週の火曜日は、大阪でのレッスンの日でした。

思えば3年前、たった一つのメールがきっかけで、大阪でのレッスンを始めさせていただくようになりました。

当時、幼稚園の年長クラスだったこの子も、もう2年生になりました。


この日は、私のマンツーマンレッスンを、通常学級の担任の先生と、学校で個別指導を担当してくださっている特別支援教育コーディネーターの先生が、わざわざ見に来てくださいました。

ご両親、そして2人の学校の先生に見守られながら、笑顔いっぱいで、一生懸命に学習に取り組むその子の姿が、私は愛おしくて仕方がありませんでした。


1本のメールから始まった、ご両親とのお付き合いです。

ご両親と一緒に、何度かこの子の学校に訪問もさせていただきました。

月に1回・2回のレッスンではありますが、私はこの3年間、家族の皆様といつも一緒に歩んできたと思っています。



レッスンが終わると、その日は新大阪の駅の近くのホテルに宿泊しました。

翌日の朝、新幹線に乗り、午後には、福島県郡山市の教育センターでお話をさせていただきました。


教育センターで研修を担当されていた先生は、この8月に、ある小学校の校長先生としてご栄転なされていました。

この先生も、私のブログをお読みくださり、こうした研修会でお話をさせていただく場を設定してくださった方です。


今は、郡山市とは別の地域の校長先生をなさっておられます。

この日、校長先生は、わざわざ休暇をとって、聴講というような形で私の話を聞きに来てださったということです。


新幹線で郡山に向かう途中のことです。

小田原駅を通過したとき、私は、あるお母さんに電話を差し上げました。


私が、白ゆり教室を立ち上げて間もない頃から、ずっとお付き合いをさせていただいている秦野市のお母さんに、どうしても連絡を差し上げたくなったからです。

今では、なかなか秦野市までお伺いする機会も少なくなってきましたが、一緒に歩んできたという感覚が、これまで一度も切れたことはありませんでした。

小田原から小田急に乗り換えて、何度か秦野市にお伺いしたときのことが、鮮やかによみがえってくるように感じてしまいました。


福島では、前日行った大阪でのレッスンをビデオに撮り、それを学校の先生方に紹介させていただきました。

また、岡山から運びこんだ自作の教材・教具も、そのまま福島まで持って行ったので、先生方にご覧いただきました。


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福島には、お昼から夕方まで滞在させていただきました。

時間のある限り、私はこの校長先生とお話をさせていただきたかったのです。


その日の最終の新幹線で、岡山に帰りました。

きっと時間的には、普通ではない日程をこなしているはずです。

頭も体もきっと疲れているに違いありません。

でも私が、疲労感を感じることはほとんどありませんでした。


「どんなに遠く離れていても、私は、いつもSHINOBU先生と一緒に歩んでいると思っています」

秦野市のお母さんが、いつかそう私に伝えてくださいました。

それは、私も同じ気持ちです。


どの方も、私にとっては最高の理解者であり、かけがえのない大切なパートナーだと思っています。

みんなブログを通して知り合った方々ですが、どんなに遠く離れていようとも、ずっとずっとそばにいてくださるような気がしています。

この方々がいるからこそ、私は、ずっと前に進んでこれたのです。


「先生がいたからこそ、私は、この1年がんばることができました」

研修会が終わった後で、私が校長先生にそうお伝えすると、先生は、ちょっとびっくりされたような顔をされましたが、それは本当のことだったと、その場で改めて確認することができました。


それが1年先になるか、10年先になるかはわかりませんが、いつかきっと皆さんが岡山に来てくださる日が来ると、私は思っています。


どの方も、すばらしい見識と愛情をもった聡明な方々です。

だからこそ相互の支え合いが必要で、理解者と共に歩むというのは、こういうことなんだと感じることができました。

パートナーシップの具体的な形を、体験的にふれることができたわけです。


翌日、家内の手術がありました。

幸い手術は無事に成功し、ほっと胸をなで下ろしました。

これまでずっと、私が仕事に打ち込める環境を作ってくれたのは家内で、そのためにも、何としても大阪のレッスンや福島の講演をきちんとやりとげなければならないと思っていました。

とても満足のいくような内容ではありませんでしたが、精一杯取り組むことだけはできたと思っています。


手術は、3時間以上にも及びました。

その手術中に、なかなか就職の決まらなかった長女から、内定通知が来たというメールが届きました。

手術が終わったばかりの家内にそのことを告げると、酸素マスク越しににっこり笑うのが伺えました。

このことを、一番案じていたのも家内です。

先生によると、数日後には退院できるという見通しです。


それぞれの存在を心から尊重し、大切にするからこそ、相互の絆も深くなることを、私は改めて学ぶことができました。

支援もつながりも、そして家族の絆も、それぞれが主体者であればこそ、重要となってくるのです。欠くことのできない大切なものになってくるのです。


人は、人とのつながりの中でこそ、自分の生きている意味や、他者の存在を尊ぶことができる、

共に歩むということの意味をかみしめながら、私はこれからもずっと、子どもの成長とご家族の幸せのために働いていきたいと思っているのです。



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Author:SHINOBU
新大阪教室

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