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学校・園の機能が充実してこそ 関係機関との連携は生きる

 2011-11-28
私の担当は、個別指導です。

学校・園に代わって、学びの王道を構成していくことはできません。

だからこそ、個別指導の果たすべき役割を明確に見据えて、日々の実践に取り組んでいきたいと考えています。


個別指導の命は、子どもの今を、どこまでシャープに読み解くことができるかということ、

どれだけその特性や能力を深く理解し、行き届いた支援を実施し、達成感をもたせながら、いかにそれをナチュラルにフェードアウトして、子どもの力を育て上げるか、ということにかかっています。


また、私の場合は、言語と数量のごく限られた内容だけを焦点化し、そこだけを2年・3年と時間をかけながら、継続的に指導を積み上げていきます。


週に1度、月に1度の教育実践です。

ここで、子どもの学びや育ちの、すべてを変えてやろうなんて、思ってもいません。

だからこそ、その月に1度の学びを、毎回毎回どう豊かに構成していくかについては、誰よりも大切に考えています。

月に1度だからこそ、果たすべき役割と機能があると考えているのです。


関係機関との連携ということは、とても大切です。

私たちも、その関係機関の一員として、お子様の成長やご家族の幸せのために、ぜひとも力を果たしていきたいと願っています。


しかし、教育の主体者が、学校・園であることに、何ら変わりはありません。

いかに私が子どもに慕われ、ご家族から厚い信頼を受けようとも、その子の所属が、何々小学校・何々保育園から動くことはありえないのです。


もし、関係機関との連携を考えるとき、本来、学校・園の先生が果たすべき役割の一部を、心のどこかで放棄するような部分があるのなら、それはとても残念なことだと思います。

もしも、「あなたはこのクラスにいるけど、本当は何々先生の所で勉強する子」 みたいな意識が少しでももちあがってくるのだとしたら、それは本来の連携ではなく、教育の主体者としての責任の一部を放棄することにつながるのではないかと、とても不安に感じてしまいます。


学校・園でできないことをさせていただくのが、関係機関の果たすべき役割、

もちろん、その内容の一部が、学校・園での指導に生かされていく部分もあるでしょう、

それこそが、あるべき姿です。

学校・園の教育が充実してこそ、関係機関との連携は生きてくるのであって、関係機関は、学校・園に代わって教育を行う場ではないと思っています。


では、関係機関ではできない、学校・園の教育の専門性とは何か、

その部分をしっかりと精査して、役割を見つめ直し、学校・園の教育の機能を一層充実させていくことこそ、関係機関との連携が生きる一つの形だと思うのです。


学校・園は、社会から公式に認められたオフィシャルな教育機関です。

子どもは、何々小学校・何々保育園の子どもです。


関係機関との連携によって、もしもその子の学校・園での所属感に微妙な温度差が生まれたとしたら、それは子どもやご家族にっとって、心地よいものであろうはずがありません。

集団の中にしっかりとした居場所があって、友達からその存在が尊ばれてこそ、初めての特性に基づいた行き届いた支援が生きてくるのです。


ご家族が、行き届いた支援を捨ててまで、あえて通常学級を選択される理由の一つは、こういうところにもあるのではないかと、私は感じているのです。





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理解言語と表出言語

 2011-11-21
文字を見て、それをすぐに音声化したり、内言語(理解言語)化するのが苦手なタイプの子がいます。

わ・た・し・は・・、というように、1字1字をしっかりと見るために、文脈ととして把握することができにくいのです。 

毎週土曜日に教室に通ってくれている男の子も、そういうタイプの子です。


先週のレッスンのことです。

下の画像のような教材を使って、「かいだんをおりる」 などの文字と、それを示す図柄とを対応させる学習をしていました。

DSC09280_convert_20111121065822.jpg




これまで私は、この子が苦手な「 文字 → 音声化 → 内言語化 」 というプロセスに軸足を置いた学習を構成する予定でした。

ところが、ふとしたきっかけで、「かいだんをおりる」 という部分を私が読んでやり、「 文字 → 音声化 」の所の支援を厚くした構成にしてみました。

すると、急にその子の目の色が変わり、すごい勢いで、次々とマッチングを成功させていくではありませんか?


そうか、音声化するのはまだ苦手だけど、理解言語そのものは、こんなにも育っていたんだ、

そう思うと、何だか急にいとおしくて、抱きしめてやりたいような気持ちになりました。


文字からの言語のインプットや、理解言語の音声によるアウトプットの苦手な子はいます。

しかし、だからと言って、理解言語・内言語も貧弱とは限りません。


この子、いっぱい知っていること、いっぱいわかっていることがあったのです。

決して知らなかったわけでも、わからなかったわけでもないのです。

ただただ、私の感度が鈍感だっただけの事です。


この日、まだまだ細いけれど、豊かなコミュニケーションのための大切なパイプが、しっかりとつながったような気持ちになりました。


もっと、もっと勉強したい、

その子の心の声が聞こえてくるような気持ちになりました。


今まで気がつかなくてごめんね、

いつもより、意気揚々と、はずむように教室を後にするこの子の後ろ姿を目にしながら、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


来週までに、教材の大幅な見直しと充実が必要です。

この子の気持ちにこたえるのは、それしかありません。


メカニズムさえ分かれば、打つ手もいろいろあるというものです。

さてまた一つ、目指す頂が見えてきました。





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あきらめなければ 夢は叶う

 2011-11-17
「SHINOBU先生、支援学級の先生が、急に計算ができるようになった、文章が急に読めるようになってきたって、びっくりなさっています」

先日、あるお母さんが、笑顔いっぱいで、そんなうれしいお知らせを伝えてくれました。

7月から、私の教室に通ってくれるようになった、4年生の男の子です。


いつだったか、「練」 という感じのつくりの部分を、誤って「車」と書いてしまいました。

私は、ここはね、「車」 と書くのではなくて、「東」と書くんだよ、と教えてやりました。


これまでは、つまずきの予測はほぼパーフェクトに出来ており、その場合の手立ても事前に準備できていました。

特に、同時処理能力は秀逸でしたから、まさか得意の書字でエラーが起こることは、私にとっては予想外の出来事でした。


学習に対する達成感を、特に大事に感じている子です。

今回のケースでは、ここのエラーに敏感に反応し、急に声をあげ、涙を浮かべたり、自分の体を痛めるような行動を取り始めました。


ここは、クールダウン、

そして、必ず次につなげる


自分の心に言い聞かせるように、この日はあまり刺激を与えないようにして、私は、レッスンを終了しました。


お母さん、次回はこのことを生かして、必ず、楽しいレッスンを構成しますから、

私はそうお母さんにお伝えして、次の準備に取りかかりました。


同じ失敗を続けてはならない、

私は要求度を1ランク下げ、万一つまずいた場合の手立てを、より周到に準備して学習を構成しました。


そして次の週のレッスンを迎えました。

いつもよりイントロを長く、いつもより滑走路の角度を下げて、小さなステップで学習を構成していきました。

途中から、みるみる学習のモチベーションが向上していくのが手にとれました。


そして、前回エラーが見られた 「練」 という漢字学習の場面、この子は前回の学習を生かして、みずからの力で 「練」 という字を正確に書くことができました。

私の用意していた手立ては、出す場面すらありませんでした。


そして、特筆すべきは、いつのよりゆっくりと、いつもよりイントロに時間をかけたこの日のレッスンが、終わってみれば、要求度を上げていたときの内容を、はるかに越えた成果を示したということです。

このことは、いかに子どもの特性を理解するかということ、いかに子どもの気持ちを大切にした指導が重要かということを、改めてつきつける結果となりました。


この日以来、私たちの心は、がっちり結ばれました。


「SHIN0BU先生!」

それ以後、扉を開けた瞬間に、これまで見せたことのないようなとびっきりの笑顔で教室に入ってくるようになりました。

もちろん、私の方も、この子が来るのが待ち遠しくて、楽しくてたまらなくなってきました。

関係というは相互のものですが、こんな小さな出来事から、私たちの関係は切っても切れない堅い絆で結ばれたような気がします。


こうして、だんだんと数の量的な処理ができるようになってきました。

文字を文脈としてとらえることにも慣れてきました。


深い特性理解に基づいたプロンプトフェーディングと、周到な手立てを構成した上でのエラーレス学習、

たとえどんなに時間がかかっても、その可能性は、無限であるさえと思っています。

それを信じていることが、きっと子どもの心に響くのだと思っています。


あきらめらければ夢は叶う、

誰にどんなに思われようと、私はこの子と一緒に、遠い遠い頂を、しっかりと見据えて、ずっとずっと歩んで行きたいと願っているのです。





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支援者としてなすべき役割

 2011-11-14
私は、土曜日も日曜日もレッスンをしています。

土・日の子は、3年以上継続してレッスンをさせていただいている子がほとんどです。

引っ越しなどの家庭の事情で、レッスンができなくなった子はいますが、多くの場合はずっと継続してレッスンを受けてくださっています。


土・日合わせると15人以上、次から次へとやって来る子に、対応してきたわけです。

実態を十分に把握できていなかった時期は、教材を作るだけでも、骨が折れました。

教室を始めた頃は、土・日のレッスンを終えると、物が言えなくなるくらい疲れ果てていたものです。


今は、どうか?

私、土・日のレッスンの日は、まるで子どもが遠足に行く日のように、ルンルン気分です。

学習を真ん中に置いて、子どもと過ごす時間が、楽しくたまらないのです。

教えている私がそうなのだかから、来てくれている子も、きっと楽しいのだろうと思っています。


私が、子どもたちにしてやれること、

それは、あなたの命のかがやきを、ちゃんと支援者として、教育的に伝え続けていくことだと思っています。

そのことが、間違いなく肯定的な自己理解力を育て、自分の特性を受け入れながら、その良さを生かして、将来、誰かのために働くための、モチベーションを高めていくことにつながると信じています。


以前、机の上に立ち上がって、穴あけパンチを私に投げつけた子は、指導中、ひさを寄せるように、私の所に寄り添ってくるようになりました。

自己を正当化するように、リアルなうそばかりついていた子は、今でもちょっとマニアックな話にかたよるものの、ありのままのことを通い合う楽しさと心地よさを、体感できるようになりました。


小さくても、毎回、学びについての積み上げがある、

自分が、どこか大切な所に向かって歩んでいるという方向感がある、

そして、いつも自分を肯定的に、教育的に受け入れてくれる先生がいる、

こうした時間が、子どもにとって、楽しくないわけがありません。


週に1回だから、できること

家族でないから、できること

学校の先生でないから、できることもあるのです。


それが私、

私はそうやって、多くの子と一緒に歩んできました。


来年の春に、きっと6年生の子の中から、何人かが、私の教室を卒業してくれると思います。

何が、子どもの心に残るか、

私は、それをはっきりと感じ取ることができます。


勉強は、最も大切なもの、

でもそれは、最も大切な題材であって、目的そのものではありません。

目的は、その子の自立であり、幸せであると思っています。


私は、卒業後も、子どもの心に残る支援者でありたい。

人は、他者との関係の中から、初めて自分の大切さを確かめることができるのです。

家族以外に、どこかで、そのことをちゃんと伝える人が必要です。

そのことを、意図的・教育的に育むのが、支援者としての私の最も大切な役割なのです。


保護者の信頼と信託を受け、私は、これからもずっとそのメッセージを伝え続けようと思います。

それが、私の役割であると信じているのです。


階段をかけ登るように、私の所にやって来てくれる子ども、

あなたの命が、どれだけ尊く大切なものであるか、

1回1回のレッスンに真心を込めながら、これからもずっと、そのことを伝え続けていたいと願っているのです。






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念頭操作で 数の合成ができるようになったりんちゃん

 2011-11-11
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先日のレッスンのことです。

15-8の引き算の問題を、りんちゃんと一緒にやっていました。

「10から8を引いて・・」

私が、そういった瞬間、りんちゃんは、びっくりするような大きな声で 「7」 と叫びました。

(↓下の映像)
DSC09245_convert_20111111111236.jpg
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これまで、りんちゃんは、バリバリの継次処理でした。

15から8を引くときは、「15・14・13・12・11・10・9・・・・・」 と、一つずつ数えて引いていたものでした。


しかし、やればできるものですね。

りんちゃん、特性としては継次処理優位はあるものの、だんだんと数の量的なとらえ=同時処理的な見方も、合わせてできるように育ってきました。


もちろん、支援を完全にフェードアウトして、ノープロンプトでできるわけではありません。

ですが、10から8を少しずらしただけで、補数の「2」と、1の位の「5」を、念頭で合成して「7」と叫んだのは、私にとっては、夢のような出来事です。


この日を目指して、これまで何回ブロックの操作活動を、一緒に行ってきたことか?

私は、うれしくてうれしくてたまりませんでした。


減加法の操作活動は、だんだんとりんちゃんに受け入れられてきました。

ならば、ここからは段階的に支援をフェードアウトして、念頭で量的イメージを操作して、演算のできる子に育てていくステップに突入します。


毎週90分のマンツーマンレッスン、

最後の1分まで、集中して学習に取り組むことができるようになりました。

ダウン症の子のもつ達成動機の高さを、プラスのベクトルにシフトすることもできるようになってきました。


この環境ですから、何とか4年生くらいまでに、この子の数量認知の扉をこじ開けたい、

いつか私は、そうお母さんにお伝えしたことがあります。

今回、こうしたうれしい報告が一つでもできるようになって、正直、ほっとしています。


さて、この先、どんな展開になっていくのか、期待に胸がふくらみます。

何年生ならここまでと、標準化・系統化された学習プログラムは、もちろん大切です。


一方で、その子の特性や、学びのストーリーに寄り添いながら、その子のペースで同じ頂を目指す道のりもステキです。

きっと今、りんちゃんと私が見つめている頂は、同じものだと思うのです。


二人で歩む学びの道すじ、

その道すじそのものが、私たちにとっては、楽しいし、希望そのものです。


私は今、この子と共に、学ぶ楽しさを体中で感じているに違いないのです。




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子どもの心に芽生えた 大切な希望

 2011-11-09
先日、中学生の女の子のレッスンをしていたときのことです。

「先生、疲れているんでしょ、肩もんであげるよ」

そういってその子が、私の肩をもんでくれました。


その手つきが、結構さまになっている!

私にとって、こんなに心地よくも、幸せな時間はありません


すると、その子は、

私、将来、マッサージをする人になろうかな~

と、何気なくつぶやきました。


人を押しのけてまで、前に出ていくような子ではありません、

どちらかと言えば、シャイで、気持ちが少し後に引きがちな子、

でも、やさしく、あたたかく、決して相手の心を痛めない子ども、

そのひと言を聞いたとたん、私は何だか、とってもうれしい気持ちになりました。


もし、美香ちゃんがちゃんと働くようになったら、先生は、ずっとそのお店に通うお客さんになるよ、

あなただったら、きっと、たくさんのお客様に、「ここに来て良かった」 そう言ってもらえると思うよ、


小学校5年の時から、ずっと私の教室に通っている子どもです。

この先、この子が本当にこうした仕事につくかどうかは、わからない事です。

ただ、この日のやりとりで、私はいっぺんに、この子の良さや大切な部分を確かめられたような気持ちになりました。


勉強は、子どもにとって、最も大切ことの一つ、

その学びを中心に置けばこそ、私たちの関係も育まれてきたわけです。

でも、勉強だけが、すべての価値のものさしにはなり得ない。


あなたに会えてよかった、

そう言ってもらえてこそ、人は自分の存在の大切さに気づくことができるのです。


何としても、この子の良さを、社会の中で生かすための支援をしていきたい、

「ありがとう、また来るよ」

笑顔で、お客様に深々と頭を下げるこの子の、将来の姿が、私にはとってもまぶしく映るのです。


私は、この3年間、この子のレッスンを、毎回とても楽しみにしていました。

そして、この子の魅力や可能性を、誰よりも身近で見つめてきた一人です。


あなたなら、きっと出来る、


また一つ、この子の大切な命の輝きにふれ、私は身も心も、すっかり軽くなったように感じたのでありました。





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家族は どれだけ真剣に我が子の就学を見つめているか

 2011-11-07
先日、あるご両親が、就学のことで、私の所にご相談にお越しくださいました。

「これまで色々考えてきましたが、先日の運動会のようすを見て、通常学級で、小学校のスタートをさせることに決めました」

目頭を熱くされならがも、ご両親の深く強い気持ちが、私の胸に伝わってくるように感じました。


お母さんは、医療機関や学習会に何度も出向かれ、お子様の発達について勉強を積み重ねてこられました。

行き届いた支援が、お子様の発達・成長に、どれだけ大切であるかについても、十分理解されているように思われました。


一方で、お父さんは、大局的な視点から、我が子の育ちをしっかりと見据えておられるように思いました。

人は、微細な部分を精査すればするほど、大局的な視点を見失いがちになるものです。

そういった意味で、このご両親のもつ、それぞれの役割が、お子様の学びや育ちに、うまく機能しているという印象をもちました。


いつだったか、ある研修会で、「保護者の無理解」 という発言がありました。

発達や障がいに関わる保護者の無理解、見栄、エゴ、世間体などが、特別支援学級の入級を妨げているという内容でした。

私は、「あ~、この人は、真摯にご家族に寄り添った経験の少ない方だな」 と、とても残念な気持ちになりました。


何年か前に、私は、あるご家庭におじゃまして、お昼ご飯をごちそうになりました。

確か、一緒に小学校に伺う前に、打合せも兼ねて、ご家庭で食事をということだったと思います。

通常学級でのスタートを希望された、ダウン症のお子様のご家族です。


そのお宅には、小さい頃からの家族の歩みが、写真パネルにして壁面に飾られていました。

また、本棚には、お子様の発達にかかわる書物が、ずらりと並べられていました。

私の読んだことのない本も、たくさんありました。


私は、その子の発達にかかわる書物が、このように、たくさん揃えられていることに大きな驚きを覚えました。

こと、このお子様については、発達にかかわる情報を、最も集約されているのは、このご両親以外にはあり得ないと感じました。

そして、それは、どのご家族でも、同じことなんだと気がついてきました。

一度でもこうした経験をおもちの方なら、決して 「保護者の無理解」 なんて言葉も、、発想も、決して生まれて来ないだろうと思っています。


私は、この数年で、100組以上のご家族の相談を伺って来ましたが、大切な我が子の就学を、見栄や世間体で、決める親なんて、1人もいませんでした。

大切な我が子の就学を、世間体で考える??

そんなこと、想像すらできません。

どのご家族も、自分の命を削るようにして、我が子の大切な小学校のスタートを見つめていらっしゃるのです。


集団の中にしっかりとした居場所があり、みんなと共に育つ子ども

そのことがあってこそ、その子の特性に応じた、行き届いた支援が生きてくるというものです。

すべてのご家族の願いは、このことに集約されると、私は思っています。


「運動会のようすを見て、通常学級でのスタートを決めた」

この先、色々な場面で、色々なことに向き合っていくことは、百も承知です、

たとえどんな困難があろうとも、この子を育てていくためには、通常学級での小学校のスタートが必要なのです、

そう、ご両親は続けられました。


もちろん、お子様によって、地域によって、状況も条件も全く異なりますから、どちらが良いかというようなことを、決して一般論で語ることはできません。

ただ、どんな環境であっても、子どもは、人とのかかわりのの中でこそ、自分の存在の尊さを確かめることができるのです。

それをなくしての、支援などありえません。


どうしてご家族が、行き届いた支援を捨ててまで、あえて通常学級を選択されるのか?

そのことをもっともっと深く理解すべきなのは、本当は誰なのか?


私は、これからもご家族の代弁者として、実践を通して、広くこのことを発信していきたいと考えているのです。


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スモールステップでここまでできる② (大縄跳び0歳~5歳)

 2011-11-04
子どもの発達レベルをとらえ、課題分析をした上で、その子の出来る部分から、ていねいに小さなステップを構成していくことと、

たとえどんなにゆっくりであっても、あきらめなければ、いつかは必ず到達できるという方向感、

その確かな手立てと見通し、そして教育的な信念は、やがて子どもを大きく育てます。


今回は、これまでの運動会の実践より、「大縄跳び 0歳~5歳の段階的系統」を、ご紹介します。

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スモールステップでここまで出来る① (ボールつき1歳~5歳)

 2011-11-03
子どもの発達レベルをとらえ、課題分析をした上で、その子の出来る部分から、ていねいに小さなステップを構成していくことと、

たとえどんなにゆっくりであっても、あきらめなければ、いつかは必ず到達できるという方向感、

その確かな手立てと見通し、そして教育的な信念は、やがて子どもを大きく育てます。


今回は、平成23年度の運動会の実践より、「ボールつき 1歳~5歳の段階的系統」を、ご紹介します。

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生きた集団の中でこそ 子どもは育つ

 2011-11-02

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先日、うちの保育園の運動会がありました。

前日までは、降水確率100%で、さすがにこの日は無理かも知れないと思っていました。

でも、完全にあきらめていたわけではありませんでした。


これまでも、何度もこんな状況がありました。

でも、何が起こるかは、最後までわからないのです。

降水確率というのは、確か1ミリ以上の雨の降る確率であって、運動会が出来ない確率と同じではありません。

それが、リアルな保育の現場の感覚と、決して同じではないことを、私たちはその経験から感じとっていました。


子ども達も、職員も、一切手をゆるめることなく、最後の最後まで練習に取り組んでいました。


当日の朝、小雨模様の天気でした。

私は、面白いことになったと思いました。


運動場に行ってみると、一人として迷うことなく、運動会の準備に取りかかっていました。

その気迫たるや、決して普通ではないなと感じました。

たとえ、途中で少々の雨が降ったとしても、この人たちは、どうにでも切り抜けるなと思いました。

天気の状態に左右されるような子どもたちではない、

職員は、内容をもって、最高の状態で、子ども達に演技させてやりたいと考えているのだと思いました。


降水確率100%の中、

開会式の時には、雨は上がっていました。

明らかに、子どもの表情も、職員の表情も、気合い入りまくりの状態でした。

なわとびも、リレーも、器械運動も、和太鼓も、ほとんどミスが見られない、

私がサポートさせていただいている子は、これまで1度も成功しなかった10回連続跳びを、この本番の1発で成功させました。

種目を重ねていくたびに、それぞれの子どもが真剣に取り組み、笑顔と大歓声に包まれ、内容がぐんぐん充実しているのが手に取るようにわかりました。

まさに、この瞬間、この場で、子どもたちも職員も、育っているのです。


例えはあたっていないと思いますが、天気予報は、検査データーのようなものだと思いました。

それを奇跡と呼ぶかどうかは別として、子どもはこうしたリアルな教育の場で育っていくのです。

「我が子を、みんなと同じ集団の中で育てたい」

切にそう願うご家族のお気持ちを、私たちはもう一度、真摯に見つめ直していく必要があるのではないかと思っています。


子どもの可能性を信じること、

みんなと共に集団の中で育つこと、


いつの日にも、教育原理の第1ページには、しっかりとそのことを記しておきたいと思っているのです。



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