唯一無二 あなたの代わりはどこにもいない
2011-09-29
今の私のすべてを支えているもの、それは、
年に2000時間を超える子どもたちとのレッスン、
それ以外には、何もありません。
私は、そのことを何よりも誇りに感じていて、
自分のやりたい仕事を、存分にさせていただけることを、とても幸せに思っています。
そんな私ですが、時々プレッシャーで、逃げ出したくなることがあります。
それは、具体的に子どもに何を培っていけばいいのか、そのレッスンの道筋が見い出せない時です。
どれだけ経験を積んできたとしても、その子との出会いは、その日その時、かけがえのない大切な時間です。
私のレッスンは、子どもとご家族に選んでいただくもの、
毎回、真剣勝負の直接契約です、
実際に、もう次はないかも知れないし、その1時間をおろそかにすることは、他の2000時間をおろそかにすることと同じ事なのです。
そう思うと、本当に苦しいです、
最終的に、逃げ出すことはできませんから、覚悟を決めて、笑顔で子どもを迎えますが、そこには苦しみもがく、実践者としても私の姿があるのです。
それがあるからこそ、私が私であり得るのだとも思っています。
迷いに迷った時、
最終的に、私がたどりつく場所、
それは、
教育に携わるものとして、
唯一無二のかえがえのない、あなたの命の輝きを、この瞬間に、心を込めて伝えてやろうという、
その原点です。
そう思えた時、遠くから、かすかなレッスンの道筋が見えてくるような気持ちになることがあります。
それは、プレッシャーの先から、抱きしめたくなるような、愛しいものがこみ上げてくるような、そんな瞬間なのです。
昨日、友里ちゃんの担任の先生 (中学校の支援級の先生) が、わざわざ教室を訪ねてくださいました。
予想通りの、魅力的な、すばらしい先生でした。
そして、学校の先生としての、教育的な使命感を、ダイレクトに感じることができました。
学校の先生のなすべき役割があればこそ、私には、私の役割と責任がある。
私は、もっともっと苦しんで、努力を重ねて、子どもと、そのご家族の期待に応える力量を身につけたい、
世界中のどこにもない、唯一無二の、あなたの命の輝きを、
その学びを通して、自分自身で感じ取ってもらえるようなレッスン、
私のどこを切っても、そんな才覚はありませんが、
そういうことを目指して、これからも歩んでいきたい。
私の中では、色々とあった1日、
それが、私が私でいられる、たった一つのポジションであるんだと、改めて感じた一日なのでありました。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-09-29)

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子どもの願いに寄り添う 小さなステップ
2011-09-28

先日、ある男の子に、2語文の絵と言葉のマッチングをしてもらいました。
これまで、2文字 → 3文字 → 拗音・濁音を含む言葉 など、普通名詞の名詞の学習を進めてきました。
当初は、どこまで文字を認知できているのか、わからない状態で学習を進めてきましたが、今では普通名詞の文字と絵柄の対応は、95%以上の正答率を示し、ときには 「みかん」 「おふろ」 など、言語表出まで普通に出現するようになりました。
ところが、名詞以外の言葉や動詞を含む2語文などは、強烈な抵抗感を示し、なかなか学習を前に進めることができませんでした。
なぜそこまで強く抵抗するのか?
もしかしたらそれは、もっともっと名詞の学習を確実にしたい、
そういう気持ちの裏返しでもあるのかもしれない、
だったら、得心のいくまで、名詞の学習を積み上げてやりたい、
そんなふうに考えるようにもなってきました。
先日のことです。
お手本全くなしで、名詞の絵柄と言葉のマッチングをさせてみました。
予想通りというか、予想以上というか、わずかなエラーがあっただけで、これまで学習して来た内容を、ほぼパーフェクトにクリアすることができました。
さすがにもういいだろうと思って、今回ここで、再度、二語文の課題に挑戦してもらいました。
お手本を見て、別の用紙にそれを貼ることもできるのだろうと思いましたが、あえて今回は、同じ絵や言葉の上に、同じものを貼らせる小さなステップを刻むことにしました。
前回は泣き叫んで強い抵抗を示した課題ですが、この日は1度も離席がなく、集中して活動に取り組むことができていました。
変われば、変わるものです。
本当に楽しく、充実した時間を過ごすことができました。
子どもが何らかの強い抵抗感を示した場合、それ程までにしければならない理由がどこかにある、
それは、むしろ強い願いの裏返しであることも多く、そこから、開ける道の大切な一里塚となることも多いようです。
教育は、まず子どもと、子どもの可能性を信じることからスタートする、
子どもの願いに寄り添う小さなステップ
今回の実践は、また一つ、大切なことを私に学ばせてくれたようです。

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ほめる できる わかる
2011-09-26


いつもお世話になっております。
最近、息子のイライラが少しましになってきたようです。
前回のレッスンの帰りに
「今日もSHINOBU先生に、字が上手~って褒められたわ♪
それで最後に、まいった~、もう降参だ~って先生がいうんよ(笑)」
と、2桁×2桁のプリントができたことも、 とても嬉しそうに話していました。
その次の日に偶然、2桁×2桁の筆算の宿題プリントが出ました。
ます目はあったものの、相変わらず字が小さくて、どうするかな~と思っていたら、
自分で計算ノートに写し、1人で計算し、しかも答えが合っていたんです!
また忘れることもあると思いますが、見るのもあれほど嫌がっていた計算が
1人で出来るようになったことが、息子も嬉しくて、抱き合って喜びましたよ。
いつもは苦手な事が、白ゆり教室に行くとなぜか出来て、しかもものすごく褒められる
(字を褒めてくれる先生はSHINOBU先生だけですので)のが、息子もちょっと不思議な感覚のようですが(笑)
これからのレッスン、とても楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
この子のかけ算の筆算に対する拒否感は、普通ではありませんでした。
「ここまで強い抵抗感を示すなら、ここは一旦引いて、別の方法を工夫してからもう一度向き合うことにさせてください」
その日、私はお母さんにそうお伝えするのが精一杯の状態でした。
A4用紙に、問題はどんなに多くて6問以内
26ポイントの数字に、記入すべき位の部分をうすい白枠で囲む、
問題の配列を厳選し、スモールステップ・エラーレスで達成感をもたせる、
こうしたコンセプトで、四則計算(筆算・暗算)のオリジナルプリントを再構成してみました。
効果は、ご覧の通り、
一人のつまずきに寄り添うことで、私たちにとっては、宝物のような一つの教材が生まれることとなったのです。
子どもをほめる展開にもってくるには、それなりの工夫や努力が必要です。
子どもにできると思わせるためには、深い特性理解に基づいた周到な支援が求められます。
その積み重ねがあってこそ、「わかる」 という頂をめざすことができるようになるわけです。
字をほめてくれる先生は、私だけ?
それは、そうかも知れません、
低学年の頃から、ずっとこの子に寄り添い、書字の向上をずっと願い、見つめてきましたからね、
どれだけそれが、尊くて、ねうちのあることか、
私には、それをほめないでいることなんて、到底できません。
だって、本当に上手になってきたのですから。
「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
先端の理論や方法に取り入れる姿勢は重要ですが、ベーシックなことは決しておろそかにはできません。
まずは、子どもをほめる展開にもって行くこと、
「わかる」 「理解する」 に至るまでの、私にとっての大切な一歩は、きっと、いつもそこからスタートしているのです。

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学びと育ての 原点に帰る
2011-09-24

先日、3年生の男の子のレッスンがありました。
最近、自作の読解教材にはまってきた子どもです。
あれだけ、国語の読解問題に抵抗感をもっていた子が、「次は何?」「もっとやりたい」と次々に問題に取り組むようになってきました。
達成動機の高い子ほど、わかならない・出来ないことへのダメージは強いのです。
だからこそ、できることへの配慮が必要です。
私の個別指導は、スモールステップ、もしくはプロンプトフェーディング法によるエラーレス学習の積み重ねです。
子どものつまずきを予測し、そのときは、「これを調べてごらん」というように事前に手立てを準備しておきます。
達成動機の高い子は、つまずいた時のダメージは強いけれど、逆に、調子に乗った時のエネルギーには目をみはるものがあります。
できる・わかるとなれば、「もっとしたい、次は何?」というように、モチベーションはぐんぐん上がってきます。
簡単でも、小さくてもいい、その階段を次々と登らせていくことにより、はるか遠くの頂にも、いつかはきっと到達させる、
それが、ここでの学習スタイルです。
この子、国語の読解プリントをやり遂げたあとに、わり算の筆算に挑戦し始めました。
この自作プリントは、A4用紙に問題はわずか4問、数字も28ポイントという大きな字で印刷されてあります。
しかも、数を記入する枠が、事前にうすい枠で示されており、位がずれたり、商の見立てに迷うリスクも少なくしてあります。
まさに、至れり尽くせり、フルプロンプトに近い教材です。
このプリントを始めて、この子、また目の色が変わり始めました。
きっと、これなら出来ると、感じ始めたのでしょう。
時間が来ても学習をなかなか止めようとせず、ついには、数枚のプリントを持って帰ると言い始めました。
つい先日までは、「むずい~」「あと何枚あるん?」とマイナス発言を連発し、30分集中して勉強するのも四苦八苦だった子どもです。
あまりの変わりように、正直、私の方が、面食らっている形です。
標準化されたカリキュラムをもとに、何年生なんだからここまでおいでと、引っ張り上げるのが公教育としての王道だと思います。
ならば、個別指導担当の私は、子どものレディネスを正確に把握し、その願いを掘り起こし、指導者としての達成目標を定めた上で、最近接の学習内容と周到な手立てを準備しておきたい、
これが、もう一つの教育の王道であり、原点だと考えるのです。
子どもの実態があり、こんな子に育てたいという指導者としての願いが生まれ、そこから教材を開発する、
学生の時に読んだ教育原理の第1ページには、そんな言葉が記されていました。
私は、その教育の原点にもう一度立ち返り、これからも愚直に、前に進んでいきたいと思うのです。

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学習してきたことが 統合化される時
2011-09-21

花子ちゃん (小5) の目標は、わり算の筆算ができるようになることです。
この目標は、私も共有化しており、レッスンごとにこの目標に向けて一緒に歩んでいるのです。
花子ちゃんは、視覚認知にやや苦手な部分があって、低学年の頃は、やりたい気持ちがあるのに、なかなか勉強が思うように進まなくて、何度も大粒の涙を落としたものでした。
あれは、2年生の時だったでしょうか?
SHINOBU先生とだったらきっとできる、と思ったのでしょう、
学校でもらった漢字ドリルを開いてみたものの、小さくて画数の多い文字に、思うように学習が進まない・・
その時の落胆した表情は、以後、私の脳裏から片時も離れることはありませんでした。
それから3年経った今、
書字にかかわる課題は、大きく改善されました。
あれほど大変だった漢字学習も、実態に合った学習内容を提示することによって、着実に学習を積み重ねていくことができるようになってきました。
もちろん、クラスのみんなと比べれば、まだまだ苦手な所も多いのかも知れません。
でも、花子ちゃんは、ここでの学習をいつも楽しみにしてくれています。
4年生の、山の学習から帰ったその日、目一杯疲れた体を引きずるようにしてまで、どいしたもここに来たいと言って足を運んでくれたこともありました。
漢字ドリルのことがあります。
私には、その気持ちが痛いほどわかるのです。
先日、4位数×1位数の筆算の問題をした時、
繰り上がりが何度も何度も重なり、相当ハードであったに違いないのですが、うっすら涙を浮かべながら、歯をくしばって最後までやり遂げた根性に、私の方が目頭が熱くなってきました。
この子のために開いた教室が、以後100人を超える子ども達との出会いにつながっていったのです。
先日、レッスンが終わったあとで、あるお母さんから次のような内容のメールをいただきました。
先日は、ありがとうございました。
教室を出てから、
「今日は頑張ってたね~。いっぱいプリントしたんでしょ?」
と言ったら
「うん。今日は何か集中力があったんよ!」
と嬉しそうに言います。
「なんか、夢がいっぱいあったんよ!」
だそうです(笑)
夢?夢って何??何が見えたの?何を感じたの??
と聞いてみたかったのですが、
そのあたりは、語ってもらえませんでした。
でも、先生と勉強するときは
きっと、心の底のほうから
私は、出来る!っていう自信が沸いてくるんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。
学習の内容自体もそうですが、私は、この日のレッスンでどうしてもこの子に届けたいメッセージがありました。
そのことが、「夢」 という言葉で、ダイレクトに跳ね返ってきました。
その夢があるから、どんなに苦しくとも、歯をくいしばって前に進んでいくことができるのです。
中学生になった友里ちゃんが、最近、ちょっと変わってきています。
友里ちゃんも、小4から中1まで3年以上も一緒に勉強してきましたが、小学校で教えた色々な学習内容が、今統合化されてきているのです。
その時に何となくできていた概数や面積、漢字や言葉の使い方などを、パソコンやプリントなどの学習で足固めをしているように感じています。
「先生の所に来たら、勉強分かるから楽しいんよ」
4年生の時から、中学生になった今でも、ずっとこの子はこう言います。
この子、エンジンかかり始めたら、いつまでも勉強続けます。
短い時間で、すぐに色々なことがパーンとひらめくということはありませんが、環境さえ整えてやれば、何時間でも勉強したいというタイプです。
こういう子にも、完全習得のスモールステップ、もしくは十分な支援で達成感をもたせるプロンプトフェーディング法による学習が効果的であるように思います。
一人の子の育ちには、多くの優れた指導者との出会いが必要です。
私は、自分のなすべき役割をしっかりと認識し、自分ならではアプローチ方法で、わずかであってもそのお子様の学びと育ちを支えていきたいと願っています。
3年・4年と同じ子の指導にあたらせていただける幸せ、
これからも、私はこの仕事に、夢と誇りをもって取り組んでいきたいと願っているのです。

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子どもの心の扉
2011-09-14
私が、初めて教員になった時の、忘れなれないエピソードがあります。当時私は、小学校3年生の学級担任をさせていただいていました。
中に一人、だんだん宿題をやってこなくなった男の子がいました。
言動もだんだんと乱暴になり、クラスの友達とのトラブルが多くなってきていました。
2学期の個人懇談で、学級でのその子の様子を、お母さんにお伝えしました。
「それは、いつの頃からですか?」
私が、思い当たる時期についてお知らせすると、そのお母さんは、
「それは、私のせいです」 と、
はらはらと、大粒の涙を落とされました。
お母さんのお話を伺うと、ちょうどその頃から、お父さんのギャンブルのトラブルで、家庭がめちゃくちゃになり始めたということでした。
どうしてこの子のことを信じて支えてやることができなかったのだろう、
私は、悔やんでも悔やみきれない自分のふがいなさに、強い衝撃を受けました。
何のための教師の道を志したのか?
自分には、教師の資格なんてないんだと、何度も自分を責め、なかなか立ち直ることはできませんでした。
先日、ある男の子のことで、小学校におじゃましました。
あれだけ楽しいレッスンを積み重ねてきた子が、最近になって、だんだんと様子変わってしまいました。
もちろん、今回のケースでは、家庭的なトラブルがあるわけではありません。
お母さんとも、相談をさせていただきましたが、どうしても私には、その行動を読み解くことはできませんでした。
学校の先生のお話を伺っているうちに、私は、切なくて、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
もっと早く、わかってやるべきだったと、それまでの自分の対応の至らなさを、身にしみて感じました。
そう思うと、これまでのこの子の行動の一つ一つの意味が、何だか読み解けるような気持ちになり、これまでのすべてを捨てて、もう一度原点に返り、この子と向き合っていこうと覚悟を決めました。
何のために、私は仕事をしているのか?
それを忘れてしまったら、きっと、私は私でなくなってしまう。
よりよく生きたいと願うからこそ、子どもも痛み、苦しんでいるわけです。
その根元を信じられなくなったら、教育という営みは、成立しないと私は思います。
私が再び、教育者として、この子の前に立てるかどうか?
何が、子どもを支え、育んでいくのか?
そのことをしっかりと見つめて、私は、次の一歩を踏み出してみたいと思っています。
そうでなけれれば、申し訳が立たない、
私には、背中を丸めた子どもの姿が、目に焼き付いて離れません。
何としても、もう一度、心の扉を開いてやりたいと思うのです。

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物語の世界に のめり込んでいく子ども
2011-09-12


先日、ある4年生の男の子に 「茂吉のねこ」 をモチーフにした自作教材のプリントをやってもらいました。
読みに関しては、継次処理傾向の強い子です。
教科書はもちろん縦書きですが、私はあえて横書きにうち直し、ポイント数を26ポイントにまで上げ、漢字にはすべてルビを打って教材化しました。
この子の視覚認知の脆弱さを、可能な限り事前の支援で補い、内容の読み取りに焦点化した学習を構成したかったからです。
この教材にはまった子は、実はこの子だけではありません。
時間が来ても、学習をやめようとしないのです。
題材そのものにパワーがあるので、子どもがその内容に引き込まれ、物語のおもしろさを、たっぷりと味わうことができたのです。
難しい問題にに頭をひねりながら、1時間集中して考えていく学習も大切です。
でも、私は、それぞれの子の認知特性を理解した上で、楽しい学習を、ずっとずっと続けてやってほしいと思っているのです。
そういう子どもの育てを大切にしたい。
それが、この教室での、学習のスタンスなのです。
継次処理の子は、一見すらすらと読んでいるように見えますが、よくよく聞いていると、意味はあっているくせに、細かい部分は、かなりいい加減なことを平気で読んでいる場合が多いのです。
携帯電話の文字変換の時に、「あ」 と入力すると、「ありがとう」 とか、「あいさつ」 とか、普段よく使う単語やフレーズが、候補として表示される機能がついているものがあります。
継次処理の子の読み機能は、こんな感じで、内言語化されたフレーズをひっぱり出すような読み方をします。
逆に、同次処理優位の子は、「わ・た・し・は」 と逐次読みになりやすい傾向があり、文字を内言語化することが苦手な子が多いわけです。
> へ~、それでそのねこは、どうなったの?
> はてさて、どうなったと思う? それはね、次を読んだらわかるんだけど、
こんな調子で、子どもは、物語りの世界に引き込まれていきます。
「なんちのりぎょに けいとくじ さいちくりんの いちがんけい とうやのばずに ていていこぼし・・」
それまでスラスラと文章を読んでいた子が、とたんに、ここで逐次読みになってしまいました。
さすがに、「なんちのりぎょ」 なんて言葉が、レキシコン (心内辞書) にはないからです。
どんな子だって、得意なルートと、苦手なルートがあるのです。
もがきながらでも、前に進んでいけるのなら、支援はそれほど必要ないのかも知れません。
でも、プールに入らなければ、決して泳げるようにはなりません。
ならば、ヘルパーを付けてでも、手をもってあげても、毎日プールには入れてあげたい。
だんだんに、プールでの活動の楽しさを覚えてきたなら、ビューンと 「けのび」 が出来る日が、やがてやってくるに違いありません。
最初、「プールは、絶対イヤだ」 と、言っていた子ほど、25M泳げるようになった喜びは大きいはずです。
自分から、プールバッグをもって、スイミングにでも通うようになれば、私の役割は終了です。
縦書きでも、ポイントが小さくても、漢字にふりがながついていなくても、先生が範読しなくても、聴覚性や視覚性の支援を入れなくても、いつかは支援なしで課題がクリアできる日を見据えながら、私は、1回1回のレッスンを大切な時間と受け止め、子どもと共に歩んでいきたいと思っています。
ずっとプールに入ってくれたなら、時間はかかっても、必ず25M泳げるようになる日がやってきます。
「先生、まだやりたい!」
私にとっては、涙が出るくらい、うれしい言葉です。

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子どもの目線で感じることのむずかしさ
2011-09-07
先日のレッスンのことです。「先生、時計の音が聞こえる」
ある子が、私にそう伝えてくれました。
「えっ、何も聞こえないけど・・」
そう答えると、その子は目の先にあったタイムタイマーをそっと差し出しました。
私は、それを耳に当ててみました。
すると、かすかではありますが、カチカチカチと小さな金属音が聞こえてくるではありませんか?
タイムタイマーが音を出していたなんて・・
購入して数年間、私は、タイムタイマーは音を出さない時計だと、ずっと信じていました。
それにも増して、この子の音の感じ方と、私の音の感じ方では、きっとそれはまったく違うものだろうと、そのことに強い衝撃をおぼえました。
太郎君(4年生)が、最近、レッスン中に固まって動かなくなることが、何度かありました。
太郎君が、固まるときには、何かそこに強いメッセージ性があることが多いのです。
就学前からですから、もう4年の付き合いです。
ところが、今回ばかりは、どうしてもその行動が読み解けない。
どうしても、なまけているようにしか思えないのです。
でも、この子、私にわかってもらえるまで、ずっと固まり続けるのです。
太郎君は、2学期から、ひまわり学級で勉強を始めるようになりました。
ひまわり学級の先生は、太郎君が2年生の時の通常学級の担任の先生でしたが、この4月からひまわり学級の先生になられました。
またとない機会です。これを機に、ひまわり学級でも、勉強を教えてもらってはいかがでしょう?
お母さんのご相談を伺い、私は、そうアドバイスをさせていただきました。
SHINOBU先生の所で、勉強したくないの?
そう尋ねると、大きく首を横に振ります。
どうやら太郎君、ひまわり学級の先生に出していただいた宿題を、私の所で完璧にやりとげて、ひまわりの先生にほめてもらいたかったようです。
私がそのことを言い当てるまで、ずっと固まっているつもりだったようです。
もっとちゃんと言葉で伝えることができるようになって欲しいと思いますが、結果的には、こういうやり方で、太郎君はメッセージを発信し続けてきたわけです。
私の受信機の感度が悪ければ、事態は、どんどん思わぬ方へ発展してしまうので、恐ろしいことです。
子どもというのは、程度の差はあれ、すべての内容を、大人と同じように言語化できるはずはありません。
例えば、同じ 「やりたくない」 という言葉一つをとってみても、そこに込められて意味は様々で、額面通り受け取ることはできません。
子どもの非言語のメッセージを受け止めたつもりが、それがとんでもない私の勝手な思いこみである場合もあるに違いありません。
子どもにとって、最高の理解者であり、ご家族にとって最高の支援者でありたい、
そう願って、毎日、前へ前へと進んでいますが、私も弱いものですね、
苦しい局面が複数重なると、ドスンと重いダメージを残してしまいます。
パーフェクトにしようなんて思ってもいませんが、自分の最低基準を超えないレッスンが続くと、かなりへこんでしまいます。
だからと言って、私の後に、帰る道なんてどこにもありません。
ここをくぐり抜ける方法は、ただ一つ。
前へ進み、力量を高め、次の一手を工夫するしかないのです。
それは、直球だけとは、限りません。
私のなすべき役割、
原点帰り、そのことをもう一度見つめてみようと思っています。
子どもとご家族を、決して苦しめたり、孤独にさせてはいけない。
そのラインだけは、何としても死守したいと願っているのです。

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教科学習の内容を通して 私が子どもに培いたいこと
2011-09-05



12日(土)に、岡山県に台風が直撃しました。
「少々のことでは決して教室を休みにしない」 が、信念の私ですが、さすがに今回ばかりは、午前7時半の時点で当日のレッスンの中止を決断しました。
広島からお越しくださる方に、早くそのことをお伝えしなければならないと思ったのも、一つの理由です。
すぐに、電話で連絡を差し上げました。
すると、「実は、すでに岡山に泊まって待機している」 と、いうことでした。
そう言えば以前にも、前日に岡山に泊まって、11時のレッスンに備えていてくださったことがありました。
わざわざ広島からお越しくださり、ずっと待機してくださった方を、そのままでお帰しするわけにはいきません。
この日は、この女の子に限り、なるべく早く教室にお越しいただくよう、ご案内をさせていただきました。
この女の子は、就学前から、情報のインプットには目をみはるものがありました。
同時処理優位の傾向が伺えましたから、カードをベースにして学習を構成すると、その内容を次々に吸収していきました。
私の情報インプットの能力を1とすると、少なくとも、その倍以上の速さと容量を示していました。
特定のものに限られていましたが、就学前から、漢字も読むことができていましたし、たくさんの知的な情報を蓄えたお子さんでした。
ところが、言語による応答や書字など、アウトプットの部分は、インプットに比べると、かなり苦手なようでした。
発達検査などでは、このこのたぐいまれな知的な能力は、なかなか数値では示されませんでしたが、私は、検査の数値よりも、この子のもっている力に注目していました。
「先生だけが、この子の可能性や能力を信じてくださっています」
ご両親は、何度もそう言って頭を下げられましたが、別におべんちゃらを言ってるつもりでも何でもなく、この子のもっている力に、ただ驚いていただけのことでした。
最初の頃は、レッスンがかみ合わずに苦労した時期もありますが、他の子の事例が示すように、小学校に入学すれば、きっと状況は変わってくるだろうと思っていました。
ならばこの子には、ただ単に、小学校の教科内容を先取りするようなことではなく、この子の得意なルートで、豊かな感覚を、たっぷりと培っていこうと考えていました。
小学校に入り、苦手だった書字は、大きく改善されてきました。
「すごいね、こんなに字が上手になって~」
昨日も、何度もほめてあげることができました。
数の量的とらえも、心地よいくらい入っていきます。
数字も、かなりすらすら書けるようになっています。
勉強が、楽しくて仕方がないといった感じです。
あせらず待って、本当に正解だったと思っていました。
レッスン終了後、お母さんから、数の合成分解の課題についてのお尋ねがありました。
8は5といくつ? といった感じの課題です。
「この子は、半具体物をイメージする力が優れているので、まず8個のブロックを提示して、5を分解して、残りの3を手で隠して、さあ、この中にいくつあるかな?」
このように、視覚的にとらえさせながら、たっぷり操作活動を取り入れれば、あっという間にマスターしてしまうかも知れません、きっと、引き算の学習にも効果的につながっていくはずです、
そう助言をさせていただきました。
これも、他の子の実践から感じてきたことですが、数の合成分解は、何のためにやっているか、意図を明確にしていないと、ちっとも面白くなく、定着しない。
数の合成分解のよさが生きる算数活動を念頭に置きながら、ゲーム的に、楽しみながら操作を繰り返していくことが、大切だと考えていました。
教科学習を通して、豊かな楽しい数感覚・言語感覚・そして肯定的な自己理解の力を培うこと、
それが、私の教育目標であり、目指す所であるわけです。
学校では、学習指導要領をベースに、系統的・段階的に教育課程が編成されています。
これが、教育の王道です。
これがあるからこそ、私は、個の学びに寄り添った学習サポートで、子どもの力を育てたいと思っています。
集団の中にしっかりと居場所があり、学びの根幹が根付いた上で、わずかであっても個の特性理解に基づいた豊かな学びの場を構成していきたい。
この願いの軸がぶれることは、決してありません。
教科の学習の先にある、この子の成長と自立、そして幸せの中身をしっかりと見据えながら、私は1回1回のレッスンに真心を込めて取り組んでいきたいと願っているのです。
↓ レッスン終了後、お母さんから以下のような内容のメールをいただきました。
SHINOBU先生
先生、今日は悪天候の中レッスンをうけて頂きありがとうございました。
レッスンを受けたいがために、金曜に岡山入りしていました。
無事に家まで帰れました。
山陽道を帰る途中、暴風雨圏内から外れ、
広島につく頃には風が強いだけの明るい曇りのお天気になりました。
娘はご機嫌で、まさに達成感があったのでしょう。
途中車で寝ていました。
岡山の方はまだ雨、風強いんでしょうね。
お気をつけください。
宿題の教え方ですが、参考になりました。
私は昔、そろばんを習ってました。
計算をする時は、頭にそろばんが浮かびます。
おかげで、計算するのは楽しかったです。
しかし今ではそのそろばんも、モヤがかかりおぼろげになっていますが…。
娘には先生の、あのブロックがあたまに浮かぶようになってほしいです。
そして算数の奥深い面白さにも気づいて欲しいと思ってます。
本当に今日はご迷惑をおかけしました。
次のレッスンもよろしくお願いします。
確かに、そろばんは、継次的かつ同時的に数をとらえることができるし、十進位取り記数法のメカニズムを理解させるにも、最適な構成になっています。
しかも、指先のモーターを鍛えながら、右脳感覚まで刺激していくに違いありません。
教科学習は、子どもの育てのための最も大切な手段です。
そして、その先にあるのは、子どもの成長であり、自立であり、幸せなのです。
一生懸命になればなるほど、誰しも大局的な視点を見失いがちです。
そうした観点からも、支援者のなすべき役割がそこにあると、私は感じているのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-09-08)

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ダウン症の行動特性を 達成動機の高さから読み解く
2011-09-02
私はこれまで、たくさんの子どもたちと一緒に、すごろくゲームをしてきました。多面体のサイコロをいくつか使っていて、12面体のサイコロの場合は、1度に12個コマを進めることもあります。
12の目が出た場合、
「1・2・3・4・5・・・・・」
と数えているうちに、11・12・13・14・・・、と12をすっかり飛ばして、次へ次へと進んでしまう子に何度も出会ってきました。
きっと、出た目の12という数を、メモリーでキープ出来にくいのだろうと解釈していました。
では、何故12という数がキープ出来にくいのか?
実践を積み重ねていくうちに、私はそのことを、ダウン症児の達成動機の高さと関連づけてとらえるようになりました。
昨日は、数名のお子様のレッスンをさせていただきました。
それぞれ就学前であったり、就学後であったりするのですが、やる気満々という点では、どの子もそれぞれ決してひけをとりません。
いつもこういう前向きな気持ちで活動に取り組むことができること、
それこそが、こうした特性をもつのお子様の最大の長所であり、魅力であるのだと、私は思っています。
この気持ちが強ければ強いほど、一度やりたいと決めたことを、切り替えることができにくくなってしまいます。
頭の中がそのことで、満タンになってしまうわけです。
一所懸命であるからこそ、他のことを俯瞰する余裕を保ちにくくなってしまう、
つまり、メモリーの容量が小さいのではと、とらえるだけでなく、達成動機が高すぎるから、他のことが受け入れられにくくなるのだと理解すると、さらに行動を読み解き、理解し、適切な支援を構成できやすくなるのではないかと思っているのです。
ダウン症のお子様は、前向きで、明るく、一生懸命なお子さんがとても多いと思っています。
だからこそ、その時すぐに行動を矯正しようとするのではなく、まずは、その思いを遂げさせて、心のメモリーの容量を空けてあげると良いのです。
メモリーがちっちゃいと思うのでなく、この子は今、達成動機で満タンなんだと理解してみると、少し打つ手も色々工夫できるような気になりませんか?
イントロや滑走路を長くとること、
内容を拡散するのではなく、焦点化して、わかりやすく提示すること、
ねらいや手順を明確にして、継続することにより、活動の見通しをもたせること、
このことは、余裕をもって、色々なことを受け入れられる、心のメモリーのワイド化と無関係ではないのです。
すごろくゲーム、何度かやっていると、いつの間にか12でちゃんと止まれるようになる日がやってきます。
すごろくゲームなら、すごろくゲームに集中して取り組み、1日でも早くクリアして、次の課題に取り組む方法もあるでしょう。
でも、私は、定期的にプログラムの中に組み入れ、毎回5分でいいから、何度も何度もすごろくゲームを取り入れるのです。
手順がわかり、活動が楽しめ、見通しがもてるようになってくれば、たくさんのことを同時に処理することができるようになってくるのです。
それが出来るようになったその日、ちゃんとそのことを評価することができるか?
それこそが、支援者としての才覚だと思うのです。
言い出したら聞かないがんこさ、
生活の中で、そのすべてを受け入れることはできません。
どんなに自分がやりたがろうが、待たなければならないことは待たせければならないし、ルールを守ったり、他の方のことを考える気持ちも育てていかなくてはなりません。
だからこそ、根元の前向きな気持ちを理解し、そのことを実現し、心に余裕をもたせ、メモリーをワイド化していく営みも大切だと思うのです。
個別指導なら、果たすべき役割がきっとある。
北風と太陽?
実践を通して、果たして太陽の役割を報告することができるのでしょうか?
このことは、何もダウン症のお子様に限ったことではありません。
家庭でも、学校でもできないこと、
そのことを通して、私は子どもの学びと育ちに、少しでも貢献していきたいと願っているのです。

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