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1日のうちに 2度見る奇跡

 2011-08-31
私は、これまでマンツーマンレッスンという形で、数多くの子ども達と出会ってきました。

中には、最初かのレッスンから、息がぴったりという子との出会いもあります。

でも、初めてのときは、この先どうなるものかと、不安に思うような出会いにも、これまで何度か巡り会ってきました。


中には、すぐに物を投げたり、離席をしたりして、落ち着いてレッスンに集中できにくい子どももいました。

これなら何とか活動に集中できるという工夫や、提示の仕方、時間の配分や内容などに変化をもたせながら、1回1回のレッスンを何とか乗り切っていくような時期もありました。


子どもが活動に集中できないことを、子どものせいだけにしてはならない、

それが、私の信念でした。

行動の読み解き、認知力の向上、信頼感の醸成、長所の活用、内発的な学習意欲の掘り起こし・・

それらの一つ一つにていねいに向き合っていけば、必ず心はつながっていく、行動は改善される、

ここで起こる行動面の課題は、相互の関係性の課題であって、指導者と子どもとの双方向の課題であると、私はとらえて取り組んできました。


「うちの子が、こんなに集中して活動に取り組むことができるのは、先生の所だけです」

こうした活動を続けているうちに、何人かの方から、そんな言葉を、いただけるようになりました。


先日、就学前のある男の子のレッスンを行いました。

この日から、遊びを中心とした構成から、学習を中心とした構成にシフトチェンジしようと考えていました。


以前は、カラーボールやパズルを、何度も、衝動的にポイと投げられて困ったものでした。

自分の意思を、うまく言語で伝えることができにくいので、少しでも早くその子が感じていることを受け止め、私の願いや気持ちを、場の構成やまなざしなどできちんと伝えられるようにしたいと願っていました。


その男の子に、初めてパソコンで、ひらがなのマッチングをさせてみました。

この日が最初でしたので「こんな感じでこれからするからね~」 という感じで、よい出会いができればいいなと考えていました。

ところが、初めてみるとびっくり、渡したひらがなつみ木とパソコン画面のひらがなとのマッチングが、パーフェクトにできるのです。

これが、以前、つみ木やパズルを放りなげて、私を困らせていた同じ子どもとは、とても思えませんでした。

ごめん、君の心の中に、こんなにも豊かな認知の世界があったなんて、

確かに今でも、行動面の課題はあるし、自分の意思や気持ち言語で表現することは得意ではないけど、これまできっと色々なことが見えていたし、感じていたし、わかっていたんだね、

そう思うと、すまなくて、愛おしくて、ぎゅっと抱きしめてやりたい気持ちになりました。


実は、この日、わたしにとって信じられないことが、もう一つ起こりました。

お母さんからメールをいただき、最近ひらがなが読めるようになってきたという4歳の男の子、

カードを提示し、「これは何?」 と尋ねると、たどたどしいながらも、「うし」 と、ちゃんと答えてくれるのです。

2歳の時から月に1度のレッスンをさせていただいていますが、教室の中で走り回ったり、おふさげをして私を困
らせていたことのあるこの子が、私の前で、こんなふうにひらがなを読んでくれる日がついに訪れたわけです。


それぞれのおこさんのもって生まれた能力、お家族のこれまでのご努力を考えれば、このくらいのことは出来て当たり前のことかも知れません。

でも、幼いころから一緒に歩んできた私にとっては、何よりの大切な宝物、尊い奇跡としか思えないのです。


今できないこと、今向き合っている課題、

本当にこの壁を越えることができるものかと、立ちつくすような気持ちになる日々、

苦しくて、苦しくて、心が折れそうになってしまうその時、


決して、いつまでも同じではないのです。

ほんのわずかな出来事が、日常に見える景色を、まったく別のものに変えてしまうことだってあるわけです。


いつも思うことですが、子どもの成長の奇跡に感動するのは、たったの1日、

また次の日からは、次の課題、次の奇跡に向かって歩み始めるのです。


この先、この子たちは、多くの困難や壁を乗り越えながら、次のステージ、次のステージと、より高いところを目指して、きっと進んでいくことでしょう。

それが、簡単な道のりでないことは、明らかです。


それでも私は、ずっとこの子たちと歩んでいきたい。

苦労がある分、感動もひとしお

その一瞬のために、私は今日も1日、もがいてみたいと思っているのです。



↓ 記事をUPさせていただいたのちに、お母さんから、以下のようなメールをいただきましたので、その内容の一部を公開させていただきます。



先日はご指導ありがとうございました。先生のブログを見て、涙があふれたと同時に、今までの自分の中のもやもやしていた気持ちがフ~っと流れていき、楽になった気がします。私も明日からまたもがこう、そんな元気が出てきました。

先日のご指導の日、息子が半年前は途中で気持ちが途切れて出来なかった、紙の上での絵と文字のマッチングをどんどんと仕上げていく様子、家では興味津々とわかっていながらも触らせていないパソコンに向かって、数字や文字の勉強に取り組む様子に、やっとここまで来れた・・・と感激しました。一年前では考えられない成長、もう一生直らないのでは?とポイ投げに悩んでいた頃を思い返し、大変嬉しく思いました。

先生のブログの記事は、自分自身を振り返る機会をも与えてくださいました。

息子の一つ一つの成長や気持ちのサインを見逃したくありません。感動のその一瞬のために、また明日から私も精一杯もがきたいと思います。息子がパソコン指導の合間に、「できたよ~」と言わんばかりに先生の顔を覗き込んでいる姿が大変ほほえましく、先生との信頼関係の深さを感じます。こどもの成長を一緒に見守ってくださる先生の存在は、何にも代えられない貴重な存在です。素晴らしい先生に出会えたことに感謝しています。月1回のご指導がどれほど私達家族にとってかけがえのないものか計り知れません。毎月先生のご指導の日に向けて、全ての活動を調整して体調を整えています。就学に向け ても、夫婦だけではどうにも前に進めない状況をいつも支えてくださり、大変心強いです。私達は孤独ではない、SHINOBU先生がいらっしゃる、そう思って前に立ちはだかる壁に立ち向かっています。ありがとうございます。これからもどうぞ末永くよろしくお願いいたします。いつも遠方よりお越しいただきありがとうございます。お体を大切になさってください。




真心のこもったお言葉、こちらの方こそ、感謝の気持ちで一杯です。

微力ですが、自分のなすべき役割をしっかりと自覚し、これからもお子様と、そしてご家族と一緒に歩んでいかせていただきたいと願っております。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。



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自己肯定の力は 人とのかかわりの中から培われる

 2011-08-29
例えばお店で、とってもステキな洋服を見つけたとします。

値札を見ると、思っていたよりもずいぶんと高額、

でも・・・

やっぱりこれは絶対欲しいと思い、奮発して買っちゃいました。

袖を通してみると、やっぱりイケてる!


そんな時、

「あら、すてきね。その服どこで買ったのの?」 と、仲良しの友達からのひと言!

本当にうれしいものです。


自分でも、当然これは似合っているとは思って買ったわけです。

でも、やっぱりこうしたひと言は、大切です。

他者からの評価が皆無で、自分だけでその価値を支えるほど、人間は強くないのです。


脳には、大脳辺縁系という部分があります。

食欲、性欲など、人が生物として生きていくための基本的な欲求をつかさどる部分です。

その大脳辺縁系は、同時に、集団での所属欲求をコントロールしているのです。

このことから私は、「人は、他者からの評価なしに、自分の価値を支えることができない」 と、解釈するようになりました。


私が、個別指導の担当者としてなすべき最も大切な役割、

それこそが、他者と比較しない、絶対的な尺度で、その子の価値を、生きている意味をしっかりと支えてやることだと信じるようになったのです。


「まっいいか、俺は俺だし、俺にもちょっとはいいとこあるかも?」 と、思えるようになることを、私は、「肯定的な自己理解の力」 と呼ぶことにしています。

その力を育てるために、私は、ライフワークとして、この仕事を生涯続けていきたいと願っています。


この頃、「子どもが、教室の近くのコンビニまで来ると、うれしくなって、ガッツポーズをとるのです」 とか、「教室に通う道中で、子どもの目印になっている電気店の前を通り過ぎと、とたんに表情が輝いてくるのです」 という話を、何度も聞くようになりました。


なぜ、そうなるか?

答えは一つ、

それは、あなたの命の輝きを誰よりも大切にし、それをちゃんと言葉や態度で伝えることのできる指導者と、そのことを実現する、個別指導という環境がここにあるからです。


肯定的に自分の存在をとらえることができるようになった子どもは、「自分に得意なことと、苦手なことがあるように、自分の友達でも、どんな人でも、得意なことと苦手なことがあるんだ」 という見方・考え方ができるようになってきます。

そして、「困っているときには、お互いに助け合おうよ」 というあたたかい気持ちが芽生え、人間関係がより豊かになっていくのです。

そのサイクルが、ますます肯定的な自己理解の力を高めていきます。


そのために必ず必要なもの、

それは、「その洋服、どこで買ったの? すごく似合う」 という、他者からの一言です。


子どもの自立には、支援が必要です。

長い長い人生の滑走路、

見事にテイクオフしたら、私の役目は終了です。

そしてまた、新しい滑走路に立ち向かい、次のステージへと進んでいくのです。

そのための支援者も必要です。


自立と支援、

支援があればこそ、人は自立に向かって歩むことが出来る、

それは、大人であっても、子どもであっても、同じことだと私は思っているのです。


息をはずませて、階段を駆け上るようにして教室に入ってくる子ども、

少しはにかみながらも、時おり天使のような笑顔を浮かべる子ども、

私は、あなたたちが大好きなのです。


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「音楽療法」 そのレッスンから通う心

 2011-08-27
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私の個別指導を受けてくれている男の子が、この夏休みに、ミュージックセラピーのレッスンも合わせて受けてくれるようになりました。

私は、その様子を後から、そっと見守っていました。


笑顔一杯で教室に入ってきた子が、音楽療法士の先生と連弾で、キーボードの演奏を始めました。

演奏中、当然そこに交わす言葉はないわけですが、先生とこの子の間に、あたたかい気持ちが流れ込んでいることが、はっきりと伝わってきました。


「音楽はツール、ねらいたいのはコミュニケーション力の育成」


先生は、はっきりと私に伝えてくださいました。


この日は、年中組の男の子、年長組の男の子、そして中学生の男の子のレッスンを担当していただきました。

この先生は今、大学院の博士課程で、音楽療法にかかわる論文をまてめておられます。


おかげさまで音楽療法の取り組みは大変好評で、9月からは、グループレッスンでも音楽療法を取り入れ、その講師を担当していただくことになりました。

保育士も、それぞれに勉強をさせていただき、良い刺激をたくさん受けています。


私も見る目がありますね♪  

忙しい毎日の中、無理を言って講師をお願いして、本当に良かったと思っています。


保育士は、保育士としての専門性を切り口に、

赤ちゃん体操指導員は、赤ちゃん体操指導員としてのスペシャルな知識と技能と理念を切り口に、

そして音楽療法士は、音楽を通して、子どもの豊かな学びと育ちを支える、

本当にすばらしいスタッフに恵まれました。


連携とは、決してすべて同じ事を行うことではなくて、子どもの成長と幸せという同じ目的に向かって、それぞれのがそれぞれの持ち味を生かすことだと考えています。

その切り口は、明快である方が望ましいのかも知れません。


音楽という切り口は、とても新鮮で、豊かで、美しいものに感じてなりません。

キーボードに向かう子どもの背中が、私には、とてもまぶしく、愛おしいものに感じてならないのです。


通じ合うのは心、

コミュニケーションは、そのための大切な手段、

また一つ、すてきなことを確かめられたような、そんな気持ちになったのでありました。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-08-29)




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認知のかべを超えるとき

 2011-08-26
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私は、個別指導という形で、毎週50名以上のお子さんのレッスンを担当させていただいています。

こうした活動を3年以上も続けていると、私なりにわかってきたことも、いくつかあります。


例えば、ダウン症のお子様のがんこさと、広汎性の課題のあるお子さんとのこだわりとの違いについてのとらえです。

もちろん、それは一般的な特性であって、すべての子にあてはまるということではありませんが、ダウン症のお子さんの場合は、やりたいことを先に自分で決めていて、どうしてもそれをやりたいという気持ちが強いようです。

いつもそういう気持ちを、心の中に満タンにしてやって来るのです。

心の中は、いつも満タンですが、ちょっとした刺激で、それがすっかり別のものに切り替わったりします。

それが広汎性の課題をもつ子どもとの違いです。 同一性の保持とか、こだわりとはちょっと違うと、私は思っています。


心が満タンということは、メモリーがすぐに一杯になるということにも通じています。

何でも早くやりたい子も多いので、ゆっくりていねいにするという価値を、大切に育てていくことも大切です。

こうした特性を理解して学びを構成すると、それはそれは楽しい学習に発展していくことが何度もありました。

それぞれに、苦手なことがあるからこそ、その魅力もあるわけです。


りんちゃん (4年生) のレッスンに、少し変化が見られ始めました。

まず、90分の学習時間の集中度が、格段に上がってきました。

もちろん算数的な活動も取り入れていますが、プリント学習に取り組める時間が、見違えるほど多くなってきたのです。

あれほど抵抗感のあった国語の読解プリントも、視覚的入力部分に配慮したプリントと、聴覚性の刺激をミックスさせることによって、お話のストーリーをキープしながら、それを文字言語と対応できる力が育つステージにはい上がってきました。

まさに、「楽しいお話の世界に、ようこそいらっしゃいました♪」 と、いう感じです。


今、私が特に力を入れて指導しているのが、7+7=14 などの計算を、視覚的・同時的なとらえで、数を合成・分解してとらえさせることです。

もともと継次処理でここまで数に対応してきた子ですが、そこの概念、少しずつでありますが打ち砕き、さらに豊かなステージの扉に手がかかるところまでやってきました。

つまり、継次・同時の切り替えができるようになってきたのです。


とは言っても、まだまだ支援なしで、自力解決できるレベルになっているとは到底思えません。

でもね、

10回やってだめなら、100回やったら・・、

100回やってだめなら、1,000回やったら・・、

と、マジで私は考えているのです。 


そう思って覚悟を決めた瞬間に、いともあっさりとその壁をぶち破る瞬間に、これまで何度も遭遇してきました。

困難は初めから覚悟で、打ち抜けると思うからこそ、1,000回なんて言えるのです。


りんちゃん、ちっともへこたれません。

学習の集中度が上がって来たということは、きっと本人も手応えを感じているのだと思っています。

こういうところが、りんちゃんの魅力であり、いいところであり、特性を生かすということなのです。


「ねずみのすもう」 の後は、「黄色いバケツ」

「繰り上がりのたし算」 が済めば、「位取り」 と 「大きな数」

夢は、果てしなく続きます。


私が子どもに出会わせたいのは、こうした教材そのものではなく、その先にある楽しい言語の世界であり、数のもつ豊かな世界であるわけです。

認知の壁を打ち砕くというのは、そのすばらしさを、別の扉から体感することです。


その豊かな世界の道のりを、子どもと共にに歩んでいきたい。

私たちの楽しい冒険や挑戦は、これからも続いていくのです、

これからも、楽しみながらも真剣に、子どもとそしてご家族と一緒に、ずっとずっと歩み続けていきたいと思うのです。





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すべては 「肯定的な自己理解の力」 を育てるために

 2011-08-23
私の教室の教育目標は、「肯定的な自己理解の力を育てる」 ことです。

このことは、教室を開設して以来、全くぶれない私の信念となっています。

と、言うか、多くの子とのレッスンを積み重ねる度に、ますますその意義と大切さを実感しているのです。


日曜日に、2年生の男の子のレッスンをしました。

ずっとキャンセル待ちをお願いしていて、やっとこの日にレッスンをさせていただくことができました。


そのご家族から、昨日メールをいただきました。

朝、少し不安定だったお子さんが、私のレッスンを終えた後には、笑顔一杯になり、一体教室の中で何が起こっているのか、家族として何が大切な教えてもらいたい、という意味の内容でした。


私は、このお子さんのように、教室を駆け上がってくる多くの子の姿を、これまで何度も目の当たりにしてきました。

そして、多くの子どもとの臨床経験を積み重ねていくうちに、何か子どもの心をつかみ、それがお子さんの成長ににどんな役割を果たすのかを、実践を通して学んできました。

私がしていることは、「課題点も含め、ありのままの自分を肯定的にとらえ、自分もまんざらではないな」 と子ども自身が感じるためのサポートを、学習活動を中心に構成することです。


私の教室は、週に1度、あるいは月1度しか通うことができない教室です。

その週1回で、いかに子どもを変えていくか?

私がなすべき役割は、学校でも、家庭でもできない、ここでしかできないことに焦点化してやるしかない。

そのなすべき役割こそが、「肯定的な自己理解の力の育成」 という内容にたどりついたわけです。


今朝、ある2年生の女のこのお母さんから、次のようなメールをいただきました。




先生いつもお世話になります。

夏休みもあと10日と残り少なくなりました。

支援学級の担任からは、宿題については別に簡単なものを出していただいていましたが、娘は、大好きな父親と一緒に土日の朝は2年生の漢字や計算ドリルの復習にも意欲的に取り組んでいます。

母親とはスイッチの入りが格段に違うので、私もすっかりお任せ状態です。

今日はとてもうれしいことがあり、早速先生にご報告したくてメールさせていただきました。

父親は繰り上がりの足し算を教えたくて、一年生の教科書を見ながら算数セットに入っていたマグネットのタイルを使い、答えが10以上になる足し算を試しながら教えました。

「5+5」は全く何も見ないで答えられたので、答えが10になる一桁の足し算をタイルを使ってしましたら、数えずにパッと見て数がわかるようになっていたのです。(いつも先生のレッスンを窓越しに見つからないように見てはいましたが)

答えが10以上になる一桁の足し算も、10をかたまりと理解していて、パッと見て答えられるようになっていて、10の補数が使えるようになるなんて、夢のようです!

娘も「見ててな!」と、自信たっぷりの笑顔です。

大きな一歩を手がかりに、こんなに成長した姿を見せてくれたのも、先生のお陰と心から感謝しております。

来週のレッスンが楽しみで仕方がありません。どうぞよろしくおねがいいたします。





ふふふ、ついに来ましたね。

このお子さん、KーABCのプロフィールでは、継次処理優位の傾向がかなりうかがえていました。

数との出会いは、継次から入っていくのも大切なプロセスだと思っていましたが、だからこそ、良質な 「同時刺激」 が有効であることを、私は多くのダウン症の子の実践から学んできました。

(この実践は、「どこまで数を量としてとらえさせる指導」 を積み重ねてきたか?  でも紹介しています。


同時的な力も育てます、とお母さんにお伝えしていましたが、予想よりかなり早くウエーブが来ましたね。

ねらいを明確にして、手立てがちゃんと見えれば、時間がかかってもきっとその山には登れます。

あきらめてしまえば、それはそこで終わりです。

この子の場合は、月に2回のレッスンですが、こういう形で私のなすべき役割もあったわけです。

きっと、来週自信満々で、私の所にやってくることでしょう。


「へー、すごーい」

「まいった、まいった、もう先生こうさんだよ」

「さすが、2年生」

「どこで、勉強してきたの?」

「また、今度も先生に、勉強してきたこと教えてね」

「楽しみ~」


他と競い、伸びる教育的な営みは重要です。

それと同じように、他と比べない、その子なりの絶対的な育ちの尺度も合わせもちたいものです。

こういうやりとりは、保護者からの信託を受け、外部刺激のないマンツーマンレッスンの空間だからこそ構成できる内容です。

私は、信じるという切り口から、子どもの内発的な学びの欲求を掘り起こしたいと願っています。


私に学校や、家庭の代わりはできません。

だからこそ、私はここでしかできない内容で、子ども成長とご家族の幸せを支えたい。

それが、私のなすべき役割だと信じているのです。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-08-25)






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ビジョントレーニングというアプローチ

 2011-08-16
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私の教室に通っている子の中には、視覚認知の脆弱さが、学習面での大きな課題となっている子が少なからずいます。

そんな中、この度ご縁がありまして、ビジョントレーニングの先生を直接講師にお招きして、研修会を開くことができました。


最初は、同じ立場で、指導者同士という立場で、情報交換をさせていただこうかと考えていました。

しかし、今回は、視覚認知自体が、きっとお子様の大きな課題として受け止められていると思われる保護者の方、3名にお声をかけさせていただきました。


3人の保護者の方からは、メールを通して、事前にお子様のプロフィールや課題について、講師の先生に伝えてもらっていました。

でも、それ以外は事前の打ち合わせは一切なし、

はてさて、どんな先生で、どんな研修会になるものかと思いながら、研修会の2時間ほど前に、岡山駅にお迎えにあがりました。


先生は、ビジョントレーニングという切り口から、子どもの認知を整理して伝えてくださいました。

例えば、視覚入力については、(1)二重に見えている? (2)奥行きがとれていない? (3)追えていない? (4)見る場所が安定していない? (5)集中できていない? などの視点から整理されていましたし、視知覚については、① 図と地の弁別 ② 形の恒常性 ③ 視空間認知 ④ 視覚的把持 ⑤ 手と目の協応  の5つに分類して、わかりやすく伝えてくださいました。


私は、小さい子がパズルをする際は、その子の視野の広さ、目とパズルとの距離、色や形の優位性、手先の巧緻性など、色々な観点から注意深く観察をするようにしています。

で、今出来ている事と、これから出来るようになってもらいたい事の境界線を見つけて、それを活動として構成しようとするのです。

もちろん、それはパズルに限ったことではなく、カードのマッチングでもそうだし、漢字や計算、音読や読解の指導の時でも、基本的には同じ事です。


先生のプレゼンテーションが始まった瞬間、すぐにこれは本物だとわかったので、急に気持ちが楽になり、お気楽に話を聞いていましたが、途中から、どうしてこの先生が私の所に来てくださったのかが、それとなく分かるように感じました。

3人の保護者の方は、食い入るように話を聞いておられましたし、お子様の学びについて、具体的な内容を鋭く質問されていました。

事後に、とても贅沢な研修会であったというメールもいただきました。


研修会が終わると、私たちはすぐに夜の街に繰り出し、お互い実践者としての情報を交換し合いました。

こんなに話す内容、聞く内容が響き合うものかと思うくらい、あっという間に時間は過ぎました。

私は、保護者支援という視点から、自分の実践を伝えましたし、もちろん彼は、ビジョントレーニングという切り口から、ご自身の実践を振り返っておられました。


その根元がまったく同じであることに、私は、研修会の途中で気がついていました。

話す内容、質問に対する答えが、不思議なくらいに私の思いとズレない、

これは、来るべくしてここに来た人だと、確信するようになりました。


今私は、6枚の絵でのマッチングが苦しい子には、支援付きでもいいので、ワイドに8枚でも絵がとらえられるようにチャレンジさせています

「出来なければ、可能な限り、行き届いた支援を構成してやりたい。 そして出来るようになれば、その支援はフェードアウトしてやればばいい」

そうです、そうです、まさにその通り、

私は、先生の実践にふれる度に、自分の実践を重ね合わせ、そのことを、自身がさらに立体的にとらえることができるようになっていることに気がつきました。


その夜、先生には、私の所に一晩お泊まりいただきました。

先生は、長崎県よりはるばるお越しいただきました。

翌日には、新潟県より、あるご家族の方が、わざわざご相談にお越しくださいました。

お盆で、高速道路も鉄道も、大混雑の日であったに違いありません。


こんな日に研修会や相談日を設定してしまったことを、大変申し訳なく思いましたが、出会いの一つ一つこそが宝物なんだと改めて感じることができました。

ビジョントレーニングの先生は、ご自身でブログも書いておられます。

ご存知の方も多いとは思いますが、関心のある方は、ぜひご覧いただければと思います。

「西風 ~LDのお子さんとともに~」


今度会うときには、さらに豊かな実践を積み上げておきたい。

次回、いつどこでお会いできるか、楽しみがまた一つ増えたような気持ちです。



研修会終了後、会に参加された3人の方より、以下のような感想をいただきました。 (プライバシーなどに配慮して、一部表現を変え掲載させていただいています。




昨日はありがとうございました。
贅沢な勉強会でした。
ビジョントレーニングについてのお話で、
漠然と頭にあったものが少し整理されたように思います。
またこれからの子どもに必要なものをよく考え、選んでいかなくてはいけないなあと
思いました。 

字を書くことについては、将来的にはメールやパソコンを打つことの方が絶対必要になるわけで、
そのスキルを得ることも大切だなあと改めて思いました。
ただ、やはり今の段階では、字を書くことが、字を書くこと以外のいろんなリハビリ的な役割もあるように
感じています。苦手な事で苦しめない、というお言葉が身にしみましたが・・・。

早速、子どもにも使いやすいボイスレコーダーを見に行こうと思います(笑)
子どもの手の動きが、思いに追いついていってないなんて、ちょっと目からうろこでした。
黒い罫が見やすいのでは?という点もなるほどです。
漢字については、大きいます目の黒罫の番号付きのノートを作って試してみます。

会に参加されたお二人の方もとっても素敵な方で、お会いできてとてもうれしいです。
素晴らしい出会いをありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




研修会ではお世話になりました

先生の研修内容を聞きながら、私の頭の中の今までにSHINOBU先生にご指導していただいたこと、自分で勉強したり、聞いたり、見たり、経験してきたバラバラのピースが一つの形になっていくような感じがしました。
それぞれの知識はあっても、上手く結びついていなかったために迷いに迷っていたのだとわかりました。
「どこが悪いのか」「なぜ文字が書けないのか」と技術的な原因だけを求めていたような気がします。

研修を振り返ってみて、事前の先生とのメールのやり取りの中で、眼科検診をすすめられて受診しました。
結果は、目の動き、目の見えかた、両眼視などどれも正常範囲、視力も1.5と眼科では「とてもよく見えていますと」と言われました

やっぱり、子どもは見えているんですね

研修会の中での項目では、「出力」の部分「目と手の協応」はやはり弱いと感じましたので、これは家庭の中で遊びとしてこれからも続けていこうと思いNHKのみんなの体操を画面を見ながら親子で体操を始めました。
ちょっと変わったことを始めると、もうトレーニングと子どもにはばれちゃうので、ばれないように遊びにするのは大変です・・・


学校へも研修会の内容を自分なりにまとめた文章を提出しようと準備しています。
それで普通学級の中での板書は、今までも大変苦労しているので、工夫をしてもらったり量を減らしてもらえるようお願いし続けようと思います
(以前からお願いし続けているのですが・・・ね)

そして一番心にすとんと私に入ったのが、The Boston Qualitative Scoring Sustemの検査結果を先生が説明してくださった時です
病院では説明を受けたのですが、そこは病院の先生がお話しする話しなので、実際の学校の中での困り感につながらなかったのです
それが、先生のお話を聞いて、改めて検査結果の所見を読むと「そうだったのか」と理解できました(^○^)

こうやって、前に向かって進めるのも、SHINOBU先生と出会い、子どもの成長を願い信じ続けてくださったからなんですよね
改めて大きな感謝の気持ちがわいてきました。

初めての指導の後のSHINOBU先生の言葉は今でも忘れません
あの言葉があるから、今もこうやって頑張っていられるのだと思います

そして、実際子どもは どんどん成長していく姿を見せてくれています。
8月の初めに、支援学級の合同合宿がありました。
その中で下級生を引っ張るリーダーシップが素晴らしかったとほめてもらいましたが、閉会行事では、児童代表としてたくさんの方の前で、自分で考えた(先生や友達に助けてもらいましたが)文章を立派に読み上げたそうです。

お世話になっている自然の家の先生方や、以前の担任の先生方など子どもを知る方が、みなさん一緒に子どもの成長を喜ぶことができたんですよ。

この勢いのまま、中学校でも楽しく過ごせたらいいなと今は願うばかりです

今回の研修会を終えて、改めてぜひSHINOBU先生とお話をしておきたいと思いました。どうぞよろしくお願いします。




SHINOBU先生

先日のビジョントレーニング研修会。すばらしい2時間でした。
お礼が遅くなって申し訳ありません。
講師の先生、さすがですね。保護者向けに、実にわかりやすく、丁寧にまとめていらっしゃいました。しかも、私たちが何を求めていて、何を知りたいと思っているか、しっかりツボを押さえておられるところが、すごいな~と思いました。
よい出会いを与えていただき、感謝しています。
さっそくメールでやりとりをさせていただいています。

また、普段個別懇談ですので、保護者の方とお会いすることがないのですが、あのあと3人で、ゆっくり食事をしておしゃべりもでき、とても良い時間をすごすことができました。これまた、ありがたい良い出会いをさせていただきました。
何から何まで、感謝の気持ちでいっぱいです。





講師の先生、参加された皆様、すばらしい時間を構成していただきありがとうございました。このことが、ぜひ何らかの形で、お子様の成長とご家族の幸せに結びついていくよう願ってやみません。

また、今回は3名限定の研修会でしたが、今後は内容のある研修会を、多くの方にご案内できるよう努力してまいりますので、機会があれば皆様是非ご参加いただければと思います。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-08-17)




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集団での保育と個別支援

 2011-08-11
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4月から、同じ敷地内に隣接する保育園の子の発達サポートを、本格的に開始しました。

私がマンツーマンレッスンを担当し、グループレッスンや交流でのサポートは、主任がコーディネートしています。

場の構成や役割を明確にするためです。


私が、初めてマンツーマンレッスンを始めたのは、年長クラスの子が3歳児クラスの時でした。

そのマンツーマンレッスンに加えて、担当の職員には、集団活動でのサポートをさせるようにしました。


その際に念を押しておいたことが3つ

① 子どもが自らの足で前に進んでいけるよう、べったりと寄り添う支援ではなく、背中を押す支援であること

② 集団の中で特別扱いをしないこと (他の子の同じように接すること)

③ その子には愛情をもちながらも、教育的にはむしろ厳しく接し、周囲の子が 「何々ちゃん、がんばれ~」 と応援するようなクラスのモラルをつくること


その年長組の子、

このところ、一輪車に乗れるようになるわ、書字は上達するわ・・

結構な成果が、どんどん報告書に記載されるようになってきました。


そして、ついに音楽のパフォーマンスで、特別楽器・シンセサイザーの担当になったようです。

本人、さぞや嬉しかったことでしょう。

ご家族にとっても、大きな喜びとなっていることでしょう。

さすが年長組の担任、ちゃんとわかってますね。


今朝、うちの主任 (集団での支援担当) が、なにやらごそごそ教材を作っています。

一体何だろうと思ってのぞいてみると、その子のための楽譜を工夫しながら、手作りで作成しているのです。


実は、このことを誰よりも、自分のこと以上に喜んでいる一人は、きっと彼女であるに違いありません。

忙しい時間を縫いながらも、それはそれは集中して取り組んでいました。

少し上目使いに見るので、

「ここは思い切って全力で取り組んでみなさい。そのことが、実践者としてのあなたの力量を、まちがいなく高めていくことにつながるから」

私は、そう伝えておきました。


こうした子の後姿は、ご家族だけでなく、クラス全員の子が、そこに指導者の強い気持ちと自分の姿とを、まちがいなく重ね合わせて見ているものです。

こうした子の育ちは、クラスのすべての子の育ちにプラスの影響を与えます。

教育の原点と言われるゆえんは、こうした所にもあるのです。

ユニバーサルも、インクルージョンも、結局はこういうことだと私は考えています。


きっと感動の発表会となるに違いありません。

その日、客席の隅の方で、こらえ切れない涙をぬぐっているのは、この子のためにオリジナルの楽譜を作った彼女であるに違いありません。

これが、支援者としての美学なのです。


先週のマンツーマンレッスンの後で、お母さんが、こんなことを伝えてくださいました。

「先生、ここに来るようになった年から、去年IQが10上がり、今年はその上にさらに10もIQが上がりました」


それ、ここに来たからでも、私の手柄でも何でもありませんよ (笑)

でも、正直、とってもうれしくて、飛び跳ねたいくらいの気持ちになりました。

私にとっても、かけがえのない宝物ですから。


多くの指導者の手によって、子どもは育つ。

個別支援は、集団の中で豊かに育つためのもの、

私たちは、やがてフェードアウトしていかなければなりません。

それが私たちの仕事、


美しくも切ないその日がくることを目指して、私たちは今日も前へと進んでいくのです。


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どこまで 「数を量ととらえさせる指導」 を積み重ねてきたか?

 2011-08-08
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私は、継次処理優位の認知処理様式です。

落語や、講談などが大好きです。


知らない場所に行った時も、迷子にはなりません。

最初の角を右に曲がって、200Mほどまっすぐ行く。そこで7番入り口から地下鉄に乗り、下り行きに乗り、3つの駅で降りて、進行方向左手に出れば目的地 

地図はあくまでも参考資料、

こんなふうに順序性のある直列思考で、何でもかんでも言葉に置き換えて、納得するタイプです。


パワーポイントで、並列的に、たくさんの情報を提示されるのは、あまり好きではありません。

文章を順序だてて読むのは得意ですが、百科事典の解説ページや、歴史年表をそっくり頭に焼き付けるのは苦手です。


ダウン症のお子様は、どちらかといえば、私と同じ継次処理タイプのお子さんが多いようです。

たとえ微細な視覚認知は苦手でも、表出言語があまりなくても、場の空気を読んだり、コミュニケーションが豊かで前向きなお子さんが多いのです。


これまで私は、その特性を生かし、その長所を生かそうと、教材を工夫し、適切なアプローチを模索してきました。

それが今の私の何よりの財産となっています。

ですが、ここに来て、少し新しい感覚が芽生えてきました。


8+4はいくつ

そう尋ねられると、左に8を並べ、右に4を並べ、1から順に12数えていく、

たし算をしているようで、結局は7つ並べて数えるだけ・・


そんな子が、ブロックの8を見て、8というのは、10より2少ない数なんだと気がつきました。

加数の4を見て、それが2と2に分解できることも理解できました。


なら、8の所に2をくっつけて10、残りが2だから答えは12だ、

何回やっても、1から順に12個数えていた子が、ついに8を順序数ではなく、量的な数としてとらえることができるようになったのです。

そのとらえがあればこそ、4を2つ2に分解することもできたし、8と2を合成して10ととらえることができたのです。


「8と2で10」

「2と2で4」


教科書には、ちゃんと書いています。

でも、その本質は何か?

それを単に言語で唱えさせただけでは、なかったか?

その良さや意味を、どれだけ体験として豊かに子どもに示すことができたか?


私は、これまでの自分の至らなさに、今更ながらに気がついてしまいました。


例えば、視覚認知の脆弱な子であればあるほど、良質の視覚刺激が、しみこむように吸収されていく場面に何度も遭遇してきました。

まだまだ可塑性の高い子どもたちです。

視覚認知が苦手ならば、一方で長所活用型指導で得意な聴覚刺激を使いながらも、時間をかけていねいにそこの育てをしてみようと思うようになりました。


私の教えている子どもの中には、長い長い滑走路がないとテイクオフでききくい子、長い長いイントロがないと歌い出しにくい子も多くいます。

裏を返せば、ちゃんとイントロを長くしてやれば、結構歌えるというわけです。


同時処理の算数活動をていねいに行い、エンジンをあたためておけば、結構イケルということも分かってきました。

10のかたまりも、補数も、続けてやれば理解できることも分かってきました。


9+2なら、10・11と数えた足せば簡単です。

でも9+8なら、加数の8から1つだけ9に足して17と考えれば、1から順に17個数えるよりとても便利です。


1・2・3・4・5・・・・

子どもの数との出会いは、お風呂で数える順序数であることも多いかも知れません。


もしも、年齢の小さい時期から、数を量としてとらえる感覚を、遊びを通して豊かに培ってきたなら、さらに開ける道もあるのかも知れない、と思うようになってきました。


就学前のお子さんの、認知のブラックボックスを開けるということが、私にとってはこの何年かの大切な課題でありました。

そのしっぽを、ここに来てちょっとだけつかむことができたように思えてきました。


育てる内容と手順が明確になってくると、不思議なもので、どの子にも 「ははん、この子は今、ここまで分かってきているな。そんじゃあ、今日はここをやってみるか」 という感じに、なすべきことがクリアに見えてくるのです。

となると、当然、方向感が出てきて、子どもも楽しそうに取り組んでくれます。


同時認知をイメージさせた後に、「10-いくつ」 のプリントをすると、とても入りがいいです。

そりゃそうです、いちいち数えなくてもぱっとわかるのですから。

それが、同時処理の良さです。

その良さをしっかり理解してこそ、活動の工夫に行かせるというものです。



「8と2で10」 と覚えることも大切です。

でも、10個のブロックから2個除いて、「さてこれはいくつでしょう?」 と尋ねると、大きな声で 「8」 と答えてくれます。  

「へー、何で? どうして数えなくても、8ってわかるの?」

「だって、頭で考えたんだもん」

笑顔いっぱいで答えてくれます。


具体物、半具体物は、やがてはフェードアウトする時期も来ると思っています。

でも、今は、浮き輪付きでもいいから、楽しく、便利で、ステキな算数の海をたっぷりと泳がせてやりたい。


浮き輪が無くても泳げるその日、

視線の先に、そのことをしっかりとらえていたいと思っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-08-09)





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教材づくりと 提示方法のポイント

 2011-08-04
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私の手づくりの言葉カード、

最近、3歳くらいの小さいお子さんでも、かなり活動意欲を刺激することできるようになってきました。

もう2年以上使っているものですが、カード一つをとっても、ちょっとした提示の工夫次第で、変わるものだとつくものだと思いました。


先日、自分のお子さんの活動のようすを少し遠くからご覧になっていたあるお母さん、

お子さんがとても楽しそうに取り組んでいるのを見て、それをどんな風に作成したのか、というご質問をいただきました。


絵カードにひらがなを添えたものを、サービス版の写真にプリントアウトし、ラミネートをかけてからカッターナイフでくり抜き、その下に無地の写真をラミネートしたものを貼り合わせて作成しました。

こうすると、ひらがなをはめると、ぱちっとはまって結構気持ちいいみたいです.


それと、同じ3文字であっても、「みかん」 と 「ばなな」 では微妙に大きさが違っているので、みかんの文字は、みかんという絵がにしか、ぴたっとはめることができません。

こういう所が、案外ミソとなるわけです。


「ばなな」 を 「ばなな」 と、認知できている子であれば、ひらがなを 「ばなな」 と読んでやり、聴覚性の言語と図柄を対応させ、そこに文字のピースを添えて刺激してやればいいのです。

文字に対する興味や関心は、小さい子でも小さい子なりに育っているので、文字がピタッとはまることがとてもうれしいようです。


これができるようになったのなら、今度は逆に、一つの絵柄に対してひらがなを2つ提示して、どっちがばななかな、と尋ねてみるのもいいでしょう。

文字の記号的な意味をとらえさせる活動にチェンジしていくのです。


言語が育つ過程では、たとえ文字を音声化できていても、その言葉がイメージ化できているとは限りません。

ある程度ひらがなが読めるようになった子には、ます自分でひらがなを音声化させ、それを子どもが内言語としてとらえたのを確認してから、図柄を選ばせる活動がよいでしょう。

こうした活動を繰り返しながら、言葉を一般化させていくのも、大切な学習です。


先日、小学生の子で、文字に意味があり、その違いを認知したり、区別したりできるようになった子がいます。

図柄のマッチングができるのだから、ひらがなのマッチングも出来るはず、

そう信じて、何ヶ月も同じ活動を続けてきましたから、自分の力でそれができるようになった時は、感激もひとしおでした。


どんな子でも学びたいし、知りたいし、出来るようになりたい、

そういった内発的な学びを信じて、適切な題材を提示できる才覚、


子どもの実態 → 指導者としての願い → 教材化


特別支援教育が、教育の原点であったり、本質であったりするのは、こういう所なんだと、改めて感じたのでありました。


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子どもに伝えるべき 指導者としての強いメッセージ性

 2011-08-01
土曜日は、大阪でのレッスンがありました。

大阪でのレッスンも、平成21年の春にレッスンを始めて、もう3年目になりました。


今年就学を迎えたある女の子、

カード学習をしている時に、私は、この子の認知力が、私の予想していたよりもずっと豊かに成長していることを感じました。

と、同時に、もっともっと知的な内容を求めていることに気がつきました。


その様子を、ご両親が、すぐ横で笑顔で見つめておられました。

紙芝居のとき、その子の反応が、少し私の意図するものと違うものになりました。

どこにそのメッセージ性があるかを、読み解き、望ましい行動を指し示した上で、すぐに強化してやりたいと思いました。


と、その時、それを見かねたご両親が、お子さんに注意をされました。

ご両親として、当然だったと思います。


しかし、その瞬間、司令塔が2つになってしまい、コントロールがとてもむずかしくなってしまいます。

私は、これまでも何回も同じような場面に遭遇していますから、ここは、ご両親に退室していただくようにお願いしました。


その子は、部屋の隅にあるカーテンの中に隠れてしましました。

抱きかかえようとしても、強烈に抵抗します。

きっとそうだと思っていましたが、ここは真剣勝負の鉄火場です。

勝負は最長15分

私は、自分がこれまでどんな姿勢レッスンを重ねてきて、これからどんな風にあなたを育てていきたいのか、そのことを魂をこめて伝える機会は、今しかないと判断しました。


すべてが言語で伝えられるとは思っていません。

まなざしと、言葉の抑揚と、動作の一つ一つ、そのかかわりのすべてを通してこの子が感じること、

それが、私の指導者としてのメッセージ性であるわけです。


一定の時間が過ぎ、私はこの子をご両親の元に返し、ご両親としてもう一度しっかり言い聞かせた上で、元の場所に戻すようにお願いしました。


ご両親には、これからは、ちょっと離れた位置で学習のようすをご覧いただき、一レッスンが終わるその時まで、見守っていただくようお願いをしました。

これもそれも、何よりこの子が成長した証なのです。

就学後4ヶ月で、よくぞ、ここまで育ってくれました。


女の子は、ちゃんと私の元へ帰ってきてくれました。

そして、最後まで、ちゃんと学習を進めることができました。


実は、サプライズは、この後に起こります。

ご両親に、この日の対応について説明をさせていただいているその時、

その女の子が、体をすり寄せるようにして、後から抱きしめるような形で、私の両腕をたぐり寄せて来ました。


この2年間に、こんな瞬間はありませんでした。

この子の学びたいという気持ちと、私の育てたいという思いが、まさに通じ合った瞬間です。

私を、大切な先生として、この子が受け入れてくれた瞬間なのです。

正直、涙が出るくらいうれしい気持ちになりました。


君を何としても、良い子に育てたい、

あなたの大切な内言語の芽生えを、どうにかして、豊かに表現できるレベルまで育てあげたい


私が伝えたかったのは、こうした教育的な愛情や願いそのものであったのです。

ご両親の、家族としての深い愛情があればこそ、そこに私の教育的な愛情が成り立つわけです。


大阪のレッスンを始めた頃、就学前のお子さんに対する指導内容は、とてもではありませんが、完成度の高いものとは言えませんでした。

明日、どんなレッスンを構成したらよいものかと、思い悩んだ時期もありました。

逃げ出したいという気持ちがよぎったこともありました。


この日、就学前の子の数量のレッスンをしていたときに、私は幼児期の数量指導について、自分のなすべき役割がこれまでになくクリアに見えてくるような感覚をもつことができました。

もしも、この子に出会ってなかったら、このご両親の強い願いを受け止めることがなかったとしたら、おそらく今のこの教材は生まれて来なかったはずです。

このご家族が、私に、幼児期の数量指導のエキスをプレゼントしてくださったと思いました。


月2回の大阪レッスン、

この日で通算何回目になるのかしら?

新幹線も、地下鉄も、南海電車も、もうすっかり慣れてしまいました。


大阪なのに、平気で岡山弁でコミュニケーション指導している変な先生(笑)

そのスタートに、どんなごか家族の願いがあったのかだけは、決して忘れることはできません。

と同時に、これから出会う多くの子どもとご家族のお役に立つ存在になることが、私の責務でもあるのです。


多くのご家族の強い願いがあってこそ、今の私が存在しているのです。

この日の充実感は、きっとこれからの大きなエネルギーになるなと感じながら、岡山行きの新幹線に乗りこんだのでありました。




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