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エラーこそが 子どもが育つとき

 2011-06-30
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今日、かれんちゃんが、パソコンでひらがなの学習をしているときに、私の手渡すつみ木を、対応する文字にマッチングさせるとよいことに気がつき始めたました。

毎回、つみ木を操作して、移動することができるようになったのです。


一足飛びに、40以上のひらがなの微細な認知ができあがろうはずはありません。

まだまだエラーの連続です。


ですが、

私は、ここまで来れば、やがては出来たも同然だと思っています。


子どもは、エラーに気がついたときにこそ、伸びる、

それは、これまで多くの子とのかかわりの中から体感した、育ちの真実であるとさえ思っています。


今日、体験レッスンに来てくださった3歳のお子様が、カラーボールをペグに差す課題に取り組んでくれました。

ご両親がそばに寄り添ってくださいながら、一生懸命、取り組んでくれていました。

ご両親の深い愛情を受け、何と真っ直ぐに前向きな子どもに育っていることかと、うれしく思いました。


そのお子さんが、黄色のペグに、緑のボールを差し込んでしまいました。

心配そうなご両親の表情を横目で見ながら、私は、あえてすぐにそれを修正しようとはしませんでした。

先生が、ピンポーン♪ とほめてくれないのは、黄色と緑色が違っているからだと、この子に自身に気がついてもらいたかったのです。

そのことに気がついた瞬間、あっという間にできるようになります。


気がつくまでは、支援を厚くして達成感をもたせますが、もうすぐ出来そうなレベル、自力解決可能な段階に来たら、あえて支援をフェードアウトして、エラーに直面させるようにするのです。


競輪選手は、「仕事は練習、レースは集金」 と言うのだそうです。

子どものエラーを見守れるレベルまで育てること、

それこそが、私の大切な役割であると心得ているのです。



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数を量としてとらえさせる良質の刺激

 2011-06-27
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数字の 「5」 を、「ご」 と読むことができるのに、積み木5個を、量的にとらえることが苦手なタイプの子がいます。

何度、積み木を並べても、「1・2・3・4・5」 と数えてしまいます。

3+2をやっても、結局は 「1・2・3・4・5」 と数えているだけ・・

一体どうしたら、順序数としてではなく、量的なイメージで 「5」 をとらえ、念頭操作で数をとらえさせるための支援ができるのでしょう?


この日私は、真剣にその対応策を模索しました。

以前、視覚認知が苦手な子に、パソコンで書き順を学習させると、まるで身を乗り出すように、食いついて学習に取り組んだことに驚いた経験があります。

視覚認知が苦手だからこそ、良質な視覚刺激が有効な支援となり得た瞬間です。


ならば、数を量的にとらえさせるためにこれまで一番有効なアイテムは、何か?

私は、迷うことなく、この1辺2・5㎝のキューブ積み木を選択しました。

算数セットのおはじきや、数図ブロックは、少し小さすぎて操作がしずらい・・

キューブ積み木は、抜群の操作性で、視覚的にもとらえやすく、算数的な活動にはこれがぴったりです。



5個のブロックを、「1・2・3・4・・」 と数えるのではなくて、ぱっと見て 「5」 ととらえさせるには、その5個をかたまりにして、少し遠い位置から見させることが大切です。

ならば、この5個をくっつける必要があります。

試しに私は、これらをセロテープでくっつけてみました。

たしかに、わかりやすい(笑)

また、「9は、5と4」 という数の合成・分解についても、セロテープでくっつけて色分けすると、これまた実にわかりやすい・・

「9+4」 で、加数の4を、「9の補数の1と、残りの3」 と、とらえさせるにも、色を変えると実にわかりやすい、

また、被加数はセロテープで固定しておき、加数を1個1個バラバラにしておくと、何のために数を合成したり、分解したりするのか、その数学的な意味が、実にとらえやすくなるのかが、わかってきました。


被加数の1~10までのセットをつくるのに、積み木は55個必要です。

1セット2,500円の積み木セットに、同色は10個しかありませんから、それだけで最低6セットは必要です。


しかし、その価値はあると判断しました。

なぜもっと、早く見つけることはできなっかたものか?

これまで何度もここでつまずいていた子どもがいたのに、こうした努力と費用、そして研究を怠っていた自分を悔いてしまいました。


さっそくこの日、りんちゃん (小4) のレッスンで使ってみました。

やはり指で数えようとするので、少し遠くから、「さて、この積み木は、一体何個あるでしょうか?」 ゲームをやってみました。

最初少し、とまどっていましたが、途中で、継次のスイッチが同時のスイッチに変わっていく瞬間をはっきりととらえることができました。


ダウン症のお子さんは、少し長目の滑走路が必要ですからね、ここの支援は重要です。

そして、同時のスイッチが入っているのを確認した上で、たし算をやらせると、バシバシ同時でとらえていきます。

この日は、1度も指も使わなければ、「1・2・3・4・・」 と数えたりもしませんでした。


私としては、予想以上の成果でした。

このことを、りんちゃんのお母さんにお伝えすると、目を丸くされていました。

が、たった1回、たった一人の実践で有頂天になんかなってはいられません。


昨日、お願いしていたキューブ積み木が5セット、アマゾンから送られてきました。

不思議なものですね、うまく行きすぎると、妙に慎重に、妙に冷静になってしまいます。


多くの子の育ちにつなげてこそ、初めてバンザイと言える・・

出会った子どもに、数原理のすばらしさや楽しさを体感させたい、

その本質が見えていない限り、いくら教材だけ揃えても、楽しく育つ活動は構成できない、


私は、多くのお母さん方の切なる願いを知っているだけに、ますます身の引きしまる思いになるのです。



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指導記録と 特性理解に基づいた支援

 2011-06-22
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昨日は、8名のダウン症のお子様が、体験グループレッスンに参加してくださいました。

それぞれに魅力たっぷりのお子さんで、主任と二人で、この子たちのレッスンを担当させていただけたら、本当にありがたいよね、と話していました。


今回は保育士3名、私と主任とで準備をさせていただきました。

それぞれが、それぞれにはりきり、それぞれの持ち場で工夫を施していました。

ご家族の皆様から、お礼にといただいたお菓子を、それはそれは喜んでいました(笑)

子ども達の成長のために、お役立てることを幸せに感じ、そのことを楽しみながら、前向きに取り組む職員のことを、とても誇りに感じた一日でした。


レッスンの後に、私はそれぞれのお子様の活動記録を書いてもらうようにしています。

簡単でもいいから、必ず毎回書くように指示していますが、これまでA4用紙1枚で終わった例は一度もありません。

多い日には、4枚くらい書いて帰る職員もいます。


このブログでおなじみのかれんちゃんも、6月からグループレッスンにも参加してくれるようになりました。

毎週、私が担当するマンツーマンレッスンと、グループレッスンの双方を利用してくださるようになったのです。

上の画像は、そのかれんちゃんの活動記録です。


6月20日の記録を読んで、思わずよし、と力が入った箇所がいくつもありました。


「縄跳びでは、自分の番が来るのが待ちきれない様子で、何度も前の方に出る。自分の番になり、名前を呼ばれると嬉しそうに進み、大縄の中で3回連続でジャンプに成功し、先生や他児から拍手されるととても嬉しそうににこにこし、担当にもタッチをしてくれた。」

「トイレに行くのをしぶるも、トイレに行くと自分でズボンとパンツをぬぐ。「ない」と言って立ち上がるも、「もう1回だけ座ってみよう」と促すと、再度座り、おしっこが成功する。」

「給食のあいさつも手を合わせてきちんとあいさつができる。2回ごはんのおかわりをする。「おかわりを入れてくるから、ちゃんと待っててね」と担当が言うと、「遊ばない。待つ。」と言い、2回共きちんと待てる。」

「自分から「うんこ」と言ったので、トイレに行き座るも、「ない」と言うので、担当が「うーん、うーん」と促すと、うんち成功。」


グループレッスンは、この日3回目ですが、これまでには、結構強烈なエピソードがいくつも報告されています(笑)

もう少し時間がかかるかな、と思っていましたが、やっぱり、うちの保育士チームの力量は結構なものです。


記録は、私たちの専門性がもっとも問われるところであると考えています。

この日、グループレッスンの様子を何度か見に行きましたが、この記録を読むと、その内容が一層明らかになってきます。

責任者として、指導者として、発達のプロとして、そのポイントを整理し、簡潔な言葉で、今後向かうべき方向を明確に指し示すことが、私に与えられた役割です。


> 発達面の課題に向き合う子どもに対する支援をさせていただくことは、あなたの保育士としての仕事に、きっと命を吹き込むことになると思うよ、

4月の採用の時に、私は、この職員にこのような内容のことを伝えました。

色々な苦労もあったとは思いますが、よくぞこうした結果を残すまでに成長してくれました。

こうした努力や成長に対する正当な評価は、管理者として不可欠です。


この職員が、まるっきり私と同じ事ができると思いませんが、逆に私も、この職員と同じ事はできません。

それぞれが、それぞれの持ち味を生かして、お子様とご家族のために仕事をさせていただけること、

その役割は、どれほど尊く、意義深いものであることでしょう。


私たちを支える大きな原動力は、すべてここにあるのだと考えているのです。


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特性理解に根ざした 教材開発

 2011-06-17
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3年ほど前、私の教室の子どもは、花子ちゃん、太郎君、友里ちゃんの3人だけでした。

半年くらい、ずっと3人だけの教室でした。


その頃の教材は、すべてオリジナルで、毎回たっぷり時間をかけて準備をしたものでした。

今では、一日に10人くらいの子のレッスンをする日もあり、なかなか教材開発に時間をとれなくなってしまいました。

しかし、この3年間、日々多くの子の学びに直接かかわってきたおかげで、どんな教材が、どんな子に必要なのか、そういうことが見える力が少しずつ養われてきました。


今日、りえ先生に、「 白いぼうし 」 のオリジナル漢字教材を作ってもらいました。

4年生の子には、4年生の題材を使いながら、その子にあった内容を構成してやりたい、

目を輝かしながら取り組む、生きた教材を、用意してやりたい、

ずっとそう願っていました。


このオリジナル漢字プリントは、視覚認知が苦手な子のために、一般の漢字プリントと比べてかなりポイント数を大きくしてあります。

また、書字はできても、読みが苦手なタイプの子のために、読みの問題と、書き取りの問題を1枚ずつパーフェクトに対応させています。

つまり、読めなきゃもう1枚のプリントを見れば、一発で調べられるわけです。

先に読みのプリントだけをさせれば、それが書き取りの先行刺激にもなります。

また、新出漢字だけではなく、2年や3年で学習する漢字も、このプリントを使えば楽々おさらいすることができるように構成しています。

しかも、教科書のそれぞれのページに完全に対応するうようプリントの下に番号をふっています。

漢字の苦手な子でも、当該学年の教科書を使いながら、スモールステップで、自力で、楽しく学習できる夢のプリント、

それが、このプリント作成のコンセプトです。


私、得難い人材をゲットしたのかもしれません。

朝、思いつきで作成を指示したこのプリント作成ですが、りえ先生、私が他の子のレッスンをしている間に、ほぼイメージ通りのものを完成していました。(↑上の画像が、そのプリントの一部です)

私がしたら、おそらく半日かかっても、できなかった完成度です。

この子、やっぱり抜群のセンスです。


よし、ならば今日花子ちゃんが来る前に、5年生の 「見立てる」 という教材のプリントを作れとめちゃぶりしたら、さっそく作成に取りかかってくれました。

さっきから、物も言わずパソコンに向かって集中しています。(笑)


この子なら、ほどなく1年から6年までのオリジナル漢字プリントを系統化してくれることでしょう。

オリジナルな読解プリントだって、数量のプリントだって、やがていつかは系統化してくれることでしょう。

私が、これまで時間がなくてあきらめかけていた夢を、きっとこの子が叶えてくれることでしょう。


子どもの実態 → 指導者の願い → 教材化 → 子どもの内発的な学びの意欲 → 評価・強化 → 育った子ども → 新たな願い → 新しい教材

そんなサイクルがぐるぐる回り始めたら、どんなにすばらしいことか知れません。


私の横で、真剣に教材を作っているりえ先生も、子どもたちの成長に欠くことのできない戦力に育ってきました。

何とも、うれしい一日になりました。


(あっという間に、完成した5年生の漢字教材です)

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視空間認知に対応した 書字介入法

 2011-06-16
昨日は、いつもスーパーバイザーとして大変お世話になっている、岡山大学の眞田Dr の所へ訪問させていただきました。


私は、自分の中で何か大切な判断や決定をしなければならない局面では、必ず眞田先生の所へご相談に伺うようにしています。

もちろん、眞田先生に決定を委ねているわけでも何でもありません。

決めるのは自分で、その全責任を背負うのも、自分という覚悟があってのことです。

だからこそ、尊敬し、信頼している先生の率直なご意見を聞いた上で、最終判断を下すようにしているのです。


私は、眞田先生の足元にも及びませんが、「何かあったらSHINOBU先生に相談して決めたい」
と、いつの日か、ご家族の皆様からそう言っていただけるような存在になることが、大目標となっています。


私のところのに来てくださるお子さんが、何人も岡山大学での相談や指導を受けておられます。

昨日は、そうした事例を交えながら、大学の研究室と、臨床現場の最前線しいる私たちとの連携についてご指導をいただきました。

ある視空間の認知面に課題のある子の事例についてお伝えしたとき、すぐさま先生は、そういえば、ということで 資料室に飛び込み 「脳と発達」 という専門誌の論文を引っ張ってきてくれました。


「Williams症候群における視空間認知障害に対応した書字介入法の検討」 
中村みほ 水野誠司 熊谷俊幸    脳と発達 2010;42 : 353-358

内容については、ぜひ論文をお読みいただきたいと思いますが、4分割した空間を、下の画像のように色で識別させてみる方法が紹介されていました。


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なるほど、

そんな方法も考えられるよね、と感心した私、

ならばSHINOBU流なら、どんな味付けでトライしてみようか、と頭の中に色々な方略が駆けめぐっていくような気分になりました。


うちの保育園を卒業した子で、今、眞田先生の所で学んでいる学生がいます。

今、大学3年生ですが、眞田先生の指導のもと、その子の研究の一環として取り組んでみないか、という話にもなりました。


臨床現場にいる我々としては、学術的なサポートや、先端のアプローチを吸収していくことは不可欠な事柄です。

日々、研修の機会に恵まれない現場の私たちにとって、大学の先生方のご指導は、何とも得難くもありがたいことです。


こうしたことを、多くの子どもの豊かな学びに結びつけて行きたい。

2時間足らずの時間ですが、何とも密度の濃いご指導をいただきました。

来週は、うちの音楽療法を担当しているスタッフと共に、ウィーンの学会へ行かれるということでした。

眞田先生の所には、ぜひ定期的にお伺いせねばと痛感しました。


もしかしたら、もう一段、高い技術を身につけるきっかけになるかも知れない。

そう思うと私は、心も体も、すっかり軽くなったような気持ちになるのでした。


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子どもが言葉を一般化していくプロセス

 2011-06-13
お母さんがお子さんにバナナを示して、「これはバナナよ」と教えました。

その時、その子は、「こんなふうに、黄色くて長いものをバナナと呼ぶんだ」 と理解しました。

ある日、絵本を見ていると、夜空に美しく生える三日月の絵が描かれていました。

「バナナ、バナナ」と、その子は喜びました。

「そう、よく覚えていたね、バナナと同じ形だね。でもね、これはお月さまと言うのよ」

そうか、同じ黄色くて長いものでも、食べられるものはバナナで、お空のきれいなものはお月さまというんだと、その子は気がつきました。


このように、ある言葉を学んだときに、それが似たような性質をもつもの総称のように思ってしまうことを、過剰一般化といいます。

アンパンマンを見ても、バイキンマンをみても、同じようにアンパンマンと答える場合、区別できていないのではなくて、このように概念が過剰一般化されているケースもあります。


また、子どもに、「これはカバンよ」 と教えたときに、自分の持っているミッキーのカバンだけを、「カバン」と理解してしまい、他のお友達のカバンは、カバンと思わない時期もあります。こういう状態を、縮小一般化といます。


私たち大人は、例えばバナナを見たときに、「それはフィリピンや台湾が原産で、おさるが大好きな食べ物で、黄色く長い食べ物で、最近香取慎吾が宣伝していて、皮は滑りやすくて、一時ダイエット食としてもてはやされたが、あっという間にすたれた・・」などと、マルチにそれを概念としてとらえていますが、子どもはそうでは、ありません。

「黄色くて長い」 というスタートラインに立ったばかりです。

これから、様々な言語にかかわる体験を通して、その概念を少しずつ豊かにし、一般化していくのです。


昨日、ある女の子が、「キティちゃん、するの!」 と、初めて私に言語で要求してくれました。

これまでは、パズルを2種類示して、どっちがいいかポインティングさせていましたが、それをついに言語できちんと伝えることができ、これは大きな一歩だと、とてもうれしく思いました。

「しのぶせんせい、いしはらせんせい、かわってくれてありがとう」

ごっこ遊びをしている中で、そんな一コマもありました。


この子、言葉を発した後、それを私がキャッチ出来ているかどうかを、私の表情を見て、毎回、確認をしています。

そして、それをきっちりキャッチしてリピートしてやると、満面の笑顔を見せます。

そうでない場合は、瞬間に、がっかりした表情になりますから、こっちも必死です。


言語によるコミュニケートが豊かになると、行動の安定や、活動の充実にダイレクトに影響していきます。

そして、言葉を通して、その根元にあるもっと大切な心が通い合うようになってきます。


私は、言語は、豊かなコミュニケーションのための、最も大切な手段の一つであるととらえています。

心を通わすことと、言語性を豊かにすることを、いつも両軸でとらえていく、

それが私の目指す、コミュニケーション指導のスタイルであると思っています。


私、英会話スクールで、初めて英語で、自分の活動のことを、外国の方に伝えることが出来た日のことを忘れることができません。

人は、人とのかかわりの中でしか、自分の大切さを確かめることができないのです。

小さな言語の育ちを見つめ、かかわりを通して、それを少しずつ豊かにしていくあゆみ、

コミュニケーションのレッスンは、人を育てるレッスンそのものではないかと思っているのです。


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母を支えるということ

 2011-06-10
水曜日に、大阪でのレッスンがありました。

その日、あるお母さんが、こんなふうに私に話してくださいました。

> 前回のレッスンで、先生が私に伝えてくださったお言葉、そのことで、どれだけ私の心が軽くなり、どれだけ救われたような気持ちになったか知れません。

> その私の気持ちの変化が、ダイレクトに娘に伝わっていったようです。

> 幼稚園の先生が、「一体、何があったんですか?」 と、子どもの行動や表情の変化に驚いておられました。

お母さんの瞳に、熱いものがこみ上げているようにも見受けられました。


私は、ご家族の方とお話をさせていただくときは、いつも同じスタンスで向き合っていたいと願っています。

主体者をささえる立場ですから、どんな厳しい場面でも、常にゆるぎない気持ちでその場に立っているべきだと思っているからです。


今回もきっと、私が何か特別なことをしたということではなく、ただ、ありのままのお母さんの願いや思いを受け止めたというだけだと思っています。

むしろ、お母さんが、私という鏡に映った、ご自身の心の芯の何か大切な部分に気がつかれたのではないでしょうか?


お子様の育ちのそれぞれの局面で、ご家族の方が真摯に向き合っておられる内容を、きちんと整理して、理解した上で、私の意見を添え、ご家族にご決断いただく、

そして出された結論がどのようなものであっても、かかわったものとして、その責任の一端を共有させていただく、

それが、支援者としての私の仕事です。


これまでかかわってきた、数多くのご家族との貴重な事例や体験を、あとに続く子ども達とご家族の糧となるよう受け継いでいくのも、私に与えられた大切な責務であると考えています。

お子様の育ちに真摯に向き合うご家族だからこそ、支援者が不可欠なのです。


私は、さらに多くのご家族から信頼される存在となりたい、

私がどんなに非力で、それがどんなに厳しい道であったとしても、これまで私を育ててくださった皆様のお気持ちに応えるためには、それ以外の道はありえないと、思えてならないのです。


こんな私でも、誰かから、感謝していただける時があること、

それに代わるものはどこにもありません。

だからこそ、私は、いつも前へと進んでいけるのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-06-12)





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人として尊ぶ気持ちが 本当に心の根元にあるか

 2011-06-08
発達にかかわる専門的な知識と技量をどうしても身につけたい、

そんな思いで私は、大学院の門をたたきました。


脳の機能局在、認知特性、応用行動分析、積極的行動支援、自己決定と保護者支援・・

すばらしい先生方の出会いが、今の私の活動の基礎となり、原点となりました。


中でも、私の魂を強く揺さぶった大切なコンセプトがあります。

それは、たとえどんなに重い課題を背負っていようが、人としての尊厳に何ら変わりはない、

すべての子どもは、等しく教育を受ける権利を有しており、社会の中大切な一員として、その持ち味を生かして誰かのために貢献する存在となることによってのみ、初めて自己肯定感をもち、幸せを感じることができる、というものです。


ならば、こんな私にも、何か子どもたちのために出来ることがあるかもしれない、

そんな気持ちが芽生えたからこそ、どんなに苦しい状況下にあっても、大切なことを見失うことなく、今の活動を続けてこれたのです。


大輔君は、養護学校の高等部を卒業しても、また私の所に通い続けてくれています。

筋肉と骨との発育のバランスが悪く、身体の湾曲がきつくなってきた、とお母さんは伝えてくださいました。

言語表出はあまり見られず、以前出来ていたポインティングも厳しくなってきました。

でも、この子には表情があります。


私は大輔君と、国語の読解学習を一緒にしています。

大輔君は、恐竜や動物の赤ちゃんの題材には、目を輝かせて取り組んでくれました。

教材の内容に明らかに反応が違うのです。

表出言語はなくても、いや無いからこそ、一層鮮やかに伝わってくる内容もあるのです。


もしも私が、大輔君に出会ってなかったら、表出言語=理解言語と思っていたままだったでしょう。

大輔君に出会ったからこそ、言語表出の少ない子どもに、豊かなイメージや概念、そして様々な文化との接点を構成することの意義と大切さに気がつくことができたのです。

私にとっては、大学院の先生に匹敵するほどの出会いがここにあったわけで、この出会いを多くの子どもとの実践に生かして行かなければならないと思っています。

そのことが、大輔君が命を輝かせて生きるために、私ができることだと考えているのです。


私はこれまで、多くのご家族の支援者として、様々なケースで出会い、多くの校長先生や担当者と向き合って来ました。

人としてその子を本当に尊ぶ気持ちが、心の根元にあるか?

同じような受け答えであっても、そのことはダイレクトに伝わってきます。

それさえあれば、道は開けるが、それがなければ、器をいくら整えたところで中身は伴いません。


あなたの持ち味を生かして、何としても誰かの役に立つ子に育てたい、

その強い気持ちこそが、教育者としてあるべき最高の愛情だと思っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-06-10)





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視覚認知の優位さから イメージや概念の構成につなげる

 2011-06-06
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太郎君 (4年生) は、視覚優位の認知処理様式です。

漢字を読むのは苦手でも、書くのはとても得意です。

この日は、光村の国語の教科書の 「漢字の広場」 を、使って楽しく学習することができました。


まず私が、「病院」 という漢字をプリントに印刷しておきます。

太郎君は、それを見て、その漢字を正確に視写することができます。

でも、この時点ではまだ、「病院」 という漢字と、その文字がもつ意味との接点は、やや曖昧なままです。


「太郎君、さてこの地図で、病院はどこかな?」

こう尋ねると、太郎君は秒殺もので 「病院」 という漢字を探し当てます。

この技は、超がつくほど一級品で、まさに特殊能力のレベルです。


太郎君が指さした先には、病院の絵が描かれており、その横でお医者さんが聴診器を当てている映像が添えられています。

太郎君は、笑顔満面です。

こうした活動から、太郎君は少しずつ 「 文字言語 → 聴覚性言語 → 内言語 → 映像 → イメージ → 概念 」 のルートを豊かにしていくのです。 


言語・コミュニケーション能力と、数量感覚の育成を通して、その子の肯定的な自己理解を深める、

それが、私の仕事であると心得ています。


太郎君の場合、数字を見て、まだすくに量的なイメージにつなげることができにくいことがあります。

そうした場合には、画像のような数とドットを印刷したカードをいつも提示するようにしています。

こうしただけで、9つのドットを、画像としてメモリーにキープできるので、あとは念頭で、数操作をすることができるようになるのです。


この数字カードが、ぴっちり太郎君の頭の中でキープできるようになれば、カードでの支援はやがてフェードアウトできると考えています。

ここに来て、かなり手応えを感じてきました。


聴覚的な情報入力が得意な子には、補助的に良質の視覚刺激を、

同時的な処理が得意な子には、内容の整理されたわかりやすい手順を補助刺激として提示すると、効果が上がることを、これまでの実践を通して感じてきました。


やがてたどりつく頂上は、豊かな言語性であったり数量感覚であったりするのですが、子どもによってその歩むルートは、決して同じではありません。

可塑性の高い学童期の子どもです。

得意な方を使いながらも、苦手な方の鍛えも重要です。


子どもの気持ちを大切にしながら、学ぶ楽しさ、内発的な学びの意欲を大切にしたい。

まずできる、そしてわかる

それで子どもが生き生きと学習に取り組めるのなら、教材研究にも自ずから力が入るというものです。


どんなに時間がかかっても、この子を一人前にしてみせる、

いつだったか、お母さんはそう私に伝えてくださいました。


そのために、今、自分がなすべきこと

私は、ずっとずっとそのことを見つめていきたいと願っているのです。



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小学校低学年 子どもが逐次読みになる2つのケース

 2011-06-01
今日は、京都でのレッスンの日でした。

2年生の男の子のレッスンが、この日の最後のレッスンです。

月に1度のレッスンですが、教科書にはのっていないお話の文章プリントを、毎回定期的に取り組んでもらっています。

その男の子が、ここにきてまとまり読みができるようになってきました。

1年生のころは、「お・じ・い・さ・ん・は」 というような感じの、いわゆる逐次読み (拾い読み) の傾向のあるお子さんでした。

今日は、今習っている光村の 「かんさつ名人になろう」 という教材を、結構スラスラ読みこなすことができていました

しかも、文意は合っていても、よくよく聞いていると結構いい加減に読んでいるアバウト読みで、継次処理優位の認知処理様式が伺えます。


では、なぜ1年生の時に逐次読みになってしまったか?

それは、この子の視覚認知の脆弱さに起因していたと考えられます。

ひらがなの認知ができるようになっても、、画数が多い漢字を視写するのがやっぱり苦手なままなのです。


一方同じ逐次読みの子でも、同時処理優位の認知処理様式の子は、一文字一文字を精査にとらえすぎるために、アバウトな読みが出来にくいのです。

現象は同じですが、根元は全く別物なわけです。

こういうことがクリアに見ててくると、目の前に1本の道筋がすうっーと通ったように感じるから不思議なものです。

ちょっと興奮してしまいます。


この2年生の子の場合、書字にかかわる微細認知は、あと2年くらいでで改善されるのではないかと、私は見ています。

それは、何人もの似たタイプの子の育ちに、ぴったりと寄り添ってきた実践がそう感じさせるのです。


継次処理の認知処理様式ですから、理解言語・内言語を、読解文と再対応させるのが苦手です。

選択問題は得意でも、穴埋め問題が苦手なタイプのお子さんです。

ならば、範囲を区切ってやり、その範囲を徐々に広げていくスモールステップ法で、これから鍛え育てていこうと思っています。

どこまで伸びるか、やってみたいことはたくさんあります。


京都のお母さん方が数名、福祉行政の担当者の方に、私のことついてお話くださったようです。

お昼どきに、その担当者の方が突然、2名も訪問してくださいました。

私にとって、京都は熱い地域です。


子どもの学びと育ちに直接かかわりながら、保護者と共に歩む支援者であり続けたい。

特色ある専門的な内容で、利用者の方に、ここに来て良かったと選んでいただけるサービスを提供していきたい。

微力な自分が、最も自分らしさを感じるとき

それは、学びの最前線で、真剣勝負で、子どもと向き合うとき以外にはありえないのです。


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