子どものピュアな願いに寄り添うということ
2011-05-30
4歳の男の子、5月から始まったマンツーマンレッスンが、とても楽しかったようです。
予定の時間が来ても、なかなか活動をやめることができません。
もうおしまい、と何度伝えても帰ろうとしないので、とうとう私が抱えて外に連れ出してしまいました。
今日は、その男の子の2回目のレッスンの日でした。
まだ、4歳の男の子です。
前回は、何もかも初めての出来事で、見ること、聞くこと、やること、そのすべてに精一杯取り組んだのでしょう。
まだまだ楽しい活動が続くと思っていたのに、「もうおしまい」 って言われて、さぞがっかりしたことでしょう。
抱きかかえて外に連れ出したのは、この子が悪いのではなく、むしろ、ちゃんと伝えていなかった私の方に原因があるのです。
> これから、また先生と一緒に勉強するよ
> 前の時は楽しかったね、先生もすごく楽しかったよ
> でもね、ここでは前と同じくらいの時間しか一緒に勉強できないんだ、「もうおしまい」 って、言われたら、ちゃんとおしまいに出来るいい子しか勉強できないんだよ、ちゃんとやくそくできるかな?
今日は、教室に入る前に、事前にしっかり約束をしておきました。
タイムタイマーを準備して、「この赤い所がなくなったらおしまい」 と伝えておきました。
あと、2分位の所で、「最後にもう一つだけ一緒に勉強できるよ」 と予告をしておきました。
今回は、活動が終わると、すっと席を立ち、私と手をつないで教室の外にでました。
> やっぱり、おりこうさんだったね
> また、一緒に勉強できるよね、先生もすごくうれしいよ
この子の目線に立つと、いろいろなことが見えてきます。
前回、ひっくり返って、私に抱きかかえられて外に出されたのも、本当は一所懸命な気持ちの裏返しにすぎません。
ちゃんとその気持ちを理解して、活動の内容や約束を事前に示しておけば、きっとあんなことにはならなかったのです。
不適切な行動のすべてが、子どもに原因があるわけではないのです。
そうした子どもの感覚を理解した上で、がまんすること、ルールを守ること、お友達のことを考えること、待つことなど、大切な社会性やそのスキルを育てていきたいと思うのです。
不適切な行動の裏には、かならずピュアな子どもの願いがある、
それを信じることができることこそ、教育者としての才覚だと、私は思っているのです。

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同時的に数をとらえる力の育て
2011-05-27


昨日は、りんちゃん (小4) のレッスンの日でした。
前回は、学校行事の都合でいつもの半分の45分のレッスンでしたが、この日はこれまでと同じように90分のレッスンをさせていただくことができました。
このところ、りんちゃん、数を1・2・3・4と数えるだけでなく、4のかたまりをぱっと見て 「4」 ととらえる同時的な見方ができる力が目に見えて育ってきました。
そして、10の束、10のまとまりとしてとらえる十進位取り記数法の感覚もかなり定着してきました。
いつも導入で行っている数え棒ゲームでは、さいの目が 「12」 と出れば、10の束1つとバラの棒2本を、迷うことなくぱっと取り出すことができるようになってきました。
とってもうれしい成長です。
プリントに印刷された10のまとまりも、ぱっと10としてとらえることができています。
2ヶ月くらい前までは、何度10のまとまりを見せても、いつも1から順に数えていましたが、今ではそんなこともなくなりました。
14のブロック図を見せると、ぱっと14と答えられるようになりました。
大きな成長です。
ところが、この日、
4 + 3 は楽勝にできるのに、 14 + 3 という問題になると、ちょっと揺さぶられてしまいました。
とたんにさっきまで出来ていた10のまとまりのとらえができなくなってしまいました。
ここが、今のりんちゃんの最近接領域なわけです。
ははん、と思った私は、何も言わず、ブロック図の上を指先で10回たたいてみました。
非言語で、「これは10のまとまりだったよね」 と、りんちゃんにメッセージを送ったわけです。
りんちゃん、はっとしたような顔つきになり、17という答えを導きだしました。
数は、同時的にとらえることと、継次的にとらえることと、その二つをうまく切り替えることが大切だと、私は思っています。
ダウン症のお子さんの場合、滑走路が長いと大きくジャンプできますが、短いスパンで切り替えることが苦手なお子さんも多いようです。
9 + 2 なら、10・11 と継次的に数えた方が楽で便利です。
でも、9 + 7 なら、被加数の10に足りない1個を、加数の7から、映像やイメージで移動できる同時的な力が必要だし、大切です。
私は、今りんちゃんにその力を育てたいと思っています。
私の目指している豊かな数感覚の大切な力の一つが、そのことであると考えているからです。
この日の学習の中でも、随所にまだ定着できていない部分が見受けられました。
あれっ、おかしい、変だぞ
そんな風に迷い、考え、チャレンジすること、いわゆるトライ&エラー (子どもが最も育つ瞬間) のレベルまでりんちゃんたどりついたのです。
便利なやり方、わかってきたんだものね、それは楽しいはずです。
この日のりんちゃん、いつもに増して長時間、集中して学習に取り組む事が出来ました。
この子の後には、何人もの子が歩く道すじが、つながっていくわけです。。
私は、ずっとずっとこの子と、数感覚を育てる道のりを、探検しながら歩いて行きたいと願っているのです。

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読字支援のための辞書活用
2011-05-25

漢字を書くことより、読むことの方が苦手な子どもがいます。
教科書には 「相手」 と書いてあった漢字が、漢字プリントには 「手相」 と書かれています。
訓読みで 「あい」 と読んだ漢字を、音読みでは 「そう」 と変えて読まなければならないのです。
「手」 という漢字が、後にくるか先にくるかで、訓読みが音読みになるわけです。
こういう事で混乱する子どももいるのです。
「手相」のように、子どもが読めない漢字を、自分の力で調べることができるようにさせるのは、簡単なことではありません。
一般の漢字字典で、子どもが自力でそこにたどり着くには、結構な手間がかかってしまうものです。
特に、微細な視覚認知の苦手なお子さんには、細かい文字がびっちりと並ぶ配列は、かなりハードなものとなるはずです。
こうしたケースでは、上の画像のように年別に漢字が配列され、大きな文字の表記がある字典がお勧めです。
私が使っているのは、くもんの 「小学学習字典」(第四版) です。
学年別に分かれているので、画数索引でも、比較的楽に対象の漢字を見つけることができます。
見出しには、かなり大きな漢字が表記されていて探しやすい上に、かなり豊富に熟語が記載されていて、漢字プリントレベルの読みなら、ほぼパーフェクトに見つけることができます。
苦手な子であればあるほど、それを自力解決できるパターンを身につけると、集中して取り組めるケースはよく見受けられることです。
こうしたルートとスキルが身につくことにより、その子なりの理解の道筋も開けるのではないかと思われます。
豊かな言語理解のための道筋は、決して一つではないはずです。
その子なりのルートを見つけ、教え導くことが、個別の教育的なニーズに応えることの、大切な中身の一つであると、私は考えているのです。

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可能性を信じられるという 指導者の力量
2011-05-22

花子ちゃんは1年生の時、数認知や書字が苦手で、宿題に困って涙を流していた時期がありました。
私は、そのときお母さんに、「この子には言語の優れた力があります。多少時間はかかるかも知れませんが、九九やかけ算は出来るようになると思います」 と、お伝えしました。
当時は、2+4のような計算に支援が必要な時でしたから、その時は、お母さんも心のどこかに不安な気持ちをおもちだったように見受けられました。
2年生になり、九九の学習が始まったとき、花子ちゃんは支援級在籍となっていました。
花子ちゃんが、交流で通常学級に行き始めた時には、九九の学習はすでに九の段にまで進んでいました。
花子ちゃんは、あっという間に、九の段だけをマスターしてしまいました。
当時、花子ちゃんは九の段だけマスターした2年生となりました。
支援級で出来なっかたことが、通常級でできる一つの象徴的なエピソードとなりました。
2の段から8の段目まで、みんなと一緒に学習する機会に恵まれなかった花子ちゃんは、なかなか九の段以外の九九の、完全習得に至ることができませんでした。
そこで私は、継次処理優位の認知特性の花子ちゃんにあわせた 「オリジナル九九カード」 をもたせて、迷った時にはその九九カードを見て学習させるようにしました。
「先生、いつもこの九九カードにばかりたよって、なかなか九九を覚えようとしないんです」
と、お母さんは何度か心配なさっていましたが、花子ちゃんなら、そう遠くないうちに覚えてしまうだろうと思い、とにかく学習経験を積み上げていくことを優先するようにしました。
先週、花子ちゃんが学校で習った小数の勉強がしたいと伝えてくれました。
0・2×4 0・3×0・5 ・・・
すぐに花子ちゃんのレディネスに合わせたオリジナルプリントを作成して、スモールステップを刻ませました。
ところがこの日、花子ちゃんは、その九九のカードを全く使用していない。
「花子ちゃん、先生の作ったあの九九カード、どうしたの?」
「あっあれ? 引き出しの中に入れたまんま えへっ」
花子ちゃんは、お茶目に笑ってみせました。
まさに、究極の自己プロンプトフェーディングです。
君ね、2週間前までは九九、まだ少し曖昧だったでしょ?
「何だか知らないけど、ちゃーんと覚えちゃった」
全く、子どもが化けるときは、いつもこんな感じです。
もうそこには、当たり前に九九のできる花子ちゃんがいて、今は小数のかけ算に立ち向かい、別の課題に取り組んでいる花子ちゃんがいるわけです。
今、月に1度だけ国語のレッスンを受けてくれている4年生の女の子がいます。
読解指導1本にしぼり、45分みっちり時間を過ごします。
お母さんが、その土曜日のレッスンの様子を、早速記事にまとめてくださいました。
「明日は晴れる」
アセスメントに時間はかかりましたが、ここに来て、この子をどう育ててやろうかというビジョンは明確になってきました。
それは、多くの子との臨床実践と重ね合わせて、それとなく育ちの道のりが見えて見えてきたからです。
花子ちゃんの歩んだ道のりから、得たもの・学んだもの、それが別の子の指導の原動力になっています。
この子も、いつかきっと化ける
そう確信して、私は毎回のレッスンを積み重ねているのです。
あの日、1年生だった花子ちゃんは、もう5年生になり、お母さんの身長を超える程になりました。
花子ちゃんを始め、3年以上レッスンを積み重ねて来た子も増えてきました。
教育の仕事では、すべてが思い通りに完全習得できるなんていうことはありません。
むしろ思い通りに進まないことの方が、圧倒的に多いのです。
私のような活動では、それはなおさらのことです。
心の中のどこかに、どうせダメだという気持ちがあって、果たして豊かな教育実践を積み重ねていくことができるでしょうか?
わずかでも可能性に糸口を見つけ、それを信じ、迷いながらも苦しみながらも、子どもと共に歩んでいくこと、その営みこそ、教育という名にふさわしいものだと思っています。
たとえそれがいばらの道であったとしても、そこを笑顔で歩むことができるのは、子どもに成長のあゆみがあればこそ、
迷いながらも、心の芯でずっと子どもの成長を信じられること
それこそが、指導者としての才覚だと、私は考えているのです。

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集団の中でこそ育つ 大切な感性
2011-05-18

昨日は、発達支援センターのグループレッスンに、5名のお友達 (1歳~3歳) が、体験レッスンという形で参加してくれました。
いつも地域から参加してくれている、8名の子育て支援センターのお友達と一緒に活動しました。
それぞれの子どもの発達にかかわる深い特性理解と、行き届いた教育的な配慮のもとに、子どもたちにすてきな集団へのデビューをプレゼントしたい。
そんな願いを込めて、グループレッスンの場を提供させていただくことになりました。
「体操→手遊び→お天気しらべ→シールはり→トイレ→なわとび→ひも通し→玉入れ→トイレ→給食→歯みがき→ボール遊び」
担当保育士が、これまでの保育実践をベースに、初めてグループレッスンに参加する子ども、これまでずっと通ってくれている子ども、それぞれの子の目線に立って、この日のために、内容豊かな活動を構成してくれていました。
はじめはやや緊張ぎみだった子も、活動が進むにつれてみんなとすっかり仲良しになり、なわとびやボールあそびをしているお友達に、大きな拍手を送る場面も見られました。
「自分の子が、こんなにいろいろなことが出来るなんて驚きました」
あるお母さんが、そんなふうに言ってくださいました。
一人では出来にくいことも、みんなと一緒ならできる、
そこにはきっと、集団で育てる教育のダイナミズムが働いていたのだと思われます。
私は、障がいに対する差別や偏見が、幼少期の、共に育つ経験の欠如に起因する部分も多いのではないかと思っています。
共に遊び、共に体を動かし、共に学び、共に食事をいただくなかで、きっと何か大切な心が芽生えてくるに違いありません。
私は、こうした体験を通して、幼い子の心に、「すべての子が大切なお友達」 という感性を培って行きたいと、強く願っています。
あなたは、私の大切なお友達、
子どもたちにそんな感性が育ってこそ、特性に応じた質の高い個別指導の出番がやってくるのです。
子どもは集団で育つ、
教育の王道は、まさにそこにあるのです。
※ 参加してくださった方から、以下のような内容のコメントをいただきました。とてもありがいことだと感謝しております。
「白ゆりのグループレッスン見学と体験、凄く濃い内容で、子どもたちは楽しく過ごしていました。以前、別の通園施設に通っていたのですが、白ゆりは、いろんな要素の内容に楽しく取り組める流れになっていて、ビックリしました。見学・体験をさせてもらって本当によかったです。ありがとうございました。」

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視覚認知と 百マス計算との相関
2011-05-16

昨日、小学2年生の男の子のお母さんから、次のようなご相談をいただきました。
「百マス計算で、数字が1から順に並んでいるときはよかったのだけど、数字がランダムになると、途端にできにくくなってしまいます・・・」
早速、百マス計算のプリントをやってもらいました。
事前に予想はしていましたが、どうやら足される数と足す数を、視覚的に対応するのができにくいようです。
ならばということで、私が 「3+6」 「3+2」 「3+9」 ・・・ と、読んでやると、いとも簡単に答えを記入していきます。
計算自体ができないのではなく、百マスに書かれている数字の認知ができにくいのです。
この子には、就学前からかかわってきていましたから、きっと、そうだろうと思っていました。
百マス計算が、この子にたっては、ある意味ビジョントレーニングの役割を果たすかも知れません。
だからこそ、できにくい場面では、聴覚性のプロンプトを入れて、段階的にフェードアウトしていけば、心の痛みは最小限で、ステップアップできるのではないかと思いました。
先週、花子ちゃんがとても可愛いペープサートを作ってくれました。
低学年の頃に、「私、絵をかくのが苦手なの」 と、とてもつらそうに言ったことを覚えています。
そう言うことがあればこそ、私は、ねんど・色紙・リボン・トレーシングペーパー・布・ビーズなど、ありとあらゆる材料を準備して、内発的な意欲に基づいた造形活動を、細々と続けてきました。
マンツーマンでの造形活動ですので、学校では出来にくいことでも、ちゃんとした作品完成までゆったりと寄り添うことができます。
「お母さん、今日はこんなの作ったの~」
妹にプレゼントするんだと、弾むような笑顔で教室を後にしていた花子ちゃんの後姿を、いつもあたたかい気持ちで見送っていました。
その花子ちゃんが、先週、ペープサートを作りました。
私は、材料を用意しただけで、今回は特別な支援を入れないでいました。
ところが、その作品を見てびっくり、
何とも可愛いペープサートが出来上がっているではありませんか?

たしか、連休前まではこんなふうではなかったですよ、
子どもが化けるときは、こんなものです。
「私、国語と図工が得意なの!」
そこにはもう、低学年の頃、あれだけ視覚認知で心を痛めた花子ちゃんの面影を見ることはできないのでした。
お母さんの話によると、学校の漢字の宿題で、担任の先生が、こと細かく何枚も付箋をつけて、あまり正確でない部分のやり直しを徹底的にさせてくださったようです。
さすがに、花子ちゃん、げんなりと来て、やる気が少々ダウンしてしまったようです。
見方によれば、よくぞあの花子ちゃんが、ここまで来られたものだと思うのと同時に、低学年のころの歩みを理解していたならば、果たして全く同じような指導をされていたかどうか、疑問に思う部分もあるのです。
「お母さん、これを機会に低学年の頃のことを、担任の先生にお伝えしておくことも大切かも知れませんね」
私は、そうアドバイスさせていただきました。
子どもが自分の足で歩み始めたら、余計な支援なら、とっととフェードアウトした方がよい場合も多いでしょう。
子どもを鍛えるのも、教育の最も大切な営みのひとつです。
しかし、それで心が折れてしまったり、自分はダメだと思ったりしては、何にもなりません。
そういう意味での、教育的な理解と支援は、重要だと思うのです。
うさぎとかめではありませんが、最終的に、どちらが豊かな子どもの育ちにつながると思いますか?
2年・3年・4年と、個により添い続けることの可能な、私の個別指導の場面では、何よりも内発的な学びの意欲を信じる営みが重要であると考えています。
小学生までの指導経験しかない私の所に、なぜ、中学生になってもずっと通い続けてくれるのか?
その答えは、きっと、こんなところにあるのではないかと思っているのです。

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すべては肯定的な自己理解のために
2011-05-13
私の所には、遠く県外からも、何人もの方がご相談に来られます。「 自分の苦手なことも受け入れて、自分が好きになれる感覚 」
私は、そのことを、肯定的な自己理解力と呼んでいますが、「その言葉の大切さを確かめに、ここに来ました」 と、おっしゃってくださった方は、一人や二人ではありません。
もし誰かに、先生は何のためにこうした活動をなさっているのですか、と尋ねられたら、私は、迷うことなく、「出会った子どもに肯定的な自己理解の力を育みたいから」 と答えるに違いありません。
私は、幼い頃 「SHINOBU」 という名前が嫌いでした。
時々、それが女の子と間違えられたりもしたので、何でこんな名前が付けられたのだろうと、何度も思ったものでした。
そのことを確かめようと思っても、小学校高学年の時には、両親を失っていましたので、尋ねようがありませんでした。
青年期になり、私は、困っている子の支援をする仕事につきたいと強く願うようになりました。
なぜ自分に生きている意味があるのか?
私と同じようなさみしい気持ちの子どもの支える仕事につくことしか、自分の存在の意義を確かめることができなかったのです。
私は、そのとき、小学校の先生になることを決心したのです。
当時、私の家庭は、まともに勉強ができるような環境ではありませんでしたから、経済的なことも含め、結構大変なこともありました。
それでも、結局、教師の道を挫折することはありませんでした。
それ以外に、自分の気持ちを支えるものは、何もありませんでしたから、
いつだっか、もうだめだと思いかけた時に、今こそ踏ん張らないといけないと覚悟を決めた時があります。
「忍」 という名の意味が、このことだと気がついたとき、両親が、私の名に託した愛情に、初めて気がつくことができたのです。
あれほど、自分には生きている意味がない、両親は私に何一つ残してくれなかったと恨み続けていたのに、その日を境に、私は、「SHINOBU」 という名前を何よりの宝物と感じるようになったのです。
私はその時、初めて、私のありのままの人生と、自分自身の存在を受け入れることができたのです。
その時のことを、生涯忘れることはありません。
私が今、石原先生ではなく、「SHINOBU先生」 と子ども達に呼ばせているのは、こういう経過があるからなのです。
その日から私は、他の人環境と自分を比べて、愚痴をいうことはなくなりました。
ちゃんと勉強して、学校の先生になる、
それができるのなら、他に何がなくても良いとさえ思うようになりました。
「肯定的な自己理解の力」 という言葉を、私は時々 「それぞれの子の命の輝き」 という言葉に置き換えることがあります。
わり算の計算も、画数の多い漢字の書字も、慣用的な語句の使われ方も、あいまいな内容の文脈理解も、それぞれが子どもの能力を育てていくための大切な学習内容です。
でも、それは、一つ一つがないがしろにできない、大切な学習内容であると同時に、単なる一つの手段であって、目的そのものではないはずです。
では、目的は何か?
それは、その子が自分自身を受け入れ、その大切な命を輝かせながら、幸せに生きていくことです。
その子が幸せに生きていくためには、社会の中で、人とのかかわりの中で、自分の存在が必要とされていることを実感できることが、どうしても不可欠なのです。
私は今、そんな子に育てるためのサポートを、ご家族と共に進めさせていただきたいと願っているのです。
それが、私の生きている意味であり、それがなければ、他の何があっても、私は幸せを感じることが出来ないのです。
時を経て消え去るものと、確かに残るものとがあります。
私は、あなたがどれほどステキで大切な存在であるかということを、そのまなざしや言葉の一つ一つから、ずっとずっと子どもたちに伝えていきたいと願っているのです。

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私たちのめざす インクルージョンの一つの形
2011-05-11
私はこれまで、通常の保育の時間に、自分の保育園の子どものマンツーマンレッスンを行いませんでした。うちの保育園の子は、あえて土曜日・もしくは日曜日の、お休みの日に来てもらうようにしていました。
それは、みんなと共に育つステージに、しっかりとその子を立たせてやりたいと願っていたからです。
あなたは、私のクラスの、大切な大切なメンバーの一人
あなたがいてこその、わたしのクラス☆
担任の先生には、そんな風に思っていてもらいたいと願っていましたし、実際に担任は、そんな気持ちで日々の保育に取り組んでくれていました。
この4月から、同じ保育園の敷地内に、発達支援センターが創設され、私たちは、複数のスタッフと共に活動を進めることができるようになりました。
昨日、ある子の支援のことで、年長組の担任と最終的な打ち合わせをしました。
> なわとびが苦手な子を、まだ一輪車に乗れない子を、まだ和太鼓が上手に叩けないでいる子を、この1年で何とか伸ばしてやりたい
> 苦手なことに懸命にがんばる子を、クラス全員が、「すごいぞ」 「あと少しだ」 「がんばれ」 と声をからして応援するようなクラスにしたい
> 友達の成長を、自分のことと同じように喜び合える子どものモラルを育てていきたい
> 一人一人の命が、きらきらと輝くような、意味のある楽しい1年間にしていきたい
そのために、今、私たちがなすべきことは何か?
私は、週1日、わずかの時間ですが、りえ先生を、年長クラスに派遣することを決めました。
クラス運営の流れを作る担任の先生が、やりたくても出来なかったことを、りえ先生にやってもらいたいと考えたのです。
そのための、いくつかの留意事項を、確認しておきました。
まず、どうしてそのことができないのか? できないことの課題分析をしっかりとして、どこをどう育てていくかの見通しをもち、支援のポイントを明確にしておくこと
一人の子どものためだけの先生になるのではなく、同じような課題をもつ、クラスのすべての子どもを対象とすること
集団での育ちのダイナミズムを、常に視野に入れておくこと
発達のプロとして、記録を整理し、成長のあゆみを広く情報発信していくこと
りえ先生、年長組の担任の先生
きっとやってくれることでしょう、
目的は子どもの成長で一致していますし、目の輝きが違います
環境も、メンバーも揃いましたからね。
どんな運動会になるでしょう
どんな発表会になるでしょう
どんな卒園式になるでしょう
あなたは、我がクラスのなくてはならない大切な一員
すべての子にその気持ちがしみわたってこそ、一人一人の子どもに合った行き届いた支援が生きてくるのです。
私たちの考えるインクルージョンの一つ形
小さいけれども意味のある一歩が、この日、一つの形となってスタートしたのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-05-12)

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花子ちゃんに見る 微細認知・書字改善の軌跡
2011-05-09
先週、花子ちゃん (5年生) と、漢字の書字学習を行いました。「肌」 「帰」 「界」 など、5年生の教科書の中から、学習する漢字を自分で選んで、練習していくようにしています。
選んだ漢字を、ます私が見やすい大きさ (60ポイント位) に拡大したワークシートを作成します。
はじめに、気を付けさせたい 「ハネ」 などを、「ここは、まちがえやすい所だから、気をつけてね」と言葉を添えて、赤ペンでチェックしながら、微細な部分を先行刺激として与えておきます。
まず、1文字だけ書かせます。
うまくかければOK,そうでなければお手本と比較して、どこが違うかを、とらえさせます。
花子ちゃんの場合は、「帰」 の7画目が、うまくはねられません。
「ここはね、ぐいっと曲げるのではなく、ひょいっとはねるんだよ」
と、聴覚的・言語的なプロンプトも添えるのです。
継次処理優位の特性を生かした、長所活用型指導です。
低学年の時、あれだけ微細な文字の認知に苦しみ、「大」 という字や、「9」 という数字を書くのに苦労し続けた花子ちゃんですが、ここに来てその書字能力は、飛躍的に向上してきました。
一時、この子はずっと書字について苦しみ続けるのではないかと心配したこともありましたが、今となってはもはや遠い昔のこととなってしまいました。
> 先生、今日はね、学校で体積のこと習ったんだ、こんな形の面積でも、計算できるようになったんだよ、そうそうこんなヤツ、やってみたい~
花子ちゃん、直方体を組み合わせた立体の体積の求積に、楽しそうに取り組み始めました。
たし算も、九九も、筆算も、既習事項を生かしながら、問題解決に取り組んでいるのです。
もちろん、私のつかず離れずの支援があればこそ、今のこの学習が成立しているのです。
子どもに、出来ないことを出来るようにさせる方法は2つしかないと、私は思っています。
その一つめは、自力解決できる小さなステップを用意する 「スモールステップ法」
もう一つは、支援を施しながらそれを段階的に除去していく 「プロンプトフェーディング法」
今、私が花子ちゃんに施しているのは、そのプロンプトフェーディング法なのです。
2年生の頃、大きい紙に書かせてみたり、切り抜いた文字を組み合わせさせてみたり、点線をなぞらせてみたり、パソコンを利用してたり、「たて・かぎ・たて・よこ・よこ = 田」 というように、聴覚性言語のプロンプトを添えてみたりと、ありとあらゆる方法でアプローチしたものです。
今では、もうなつかしい思い出になってしまいました。
子どもの成長を、誰か一人だけの功績で考えたり、何か特定のアプローチだけでとらえることはできません。
書字一つについても、様々な多面的な要素の成長が、ネットワークとして構成されていくということだと思っています。
一つ一つのアプローチがつながって、今の花子ちゃんがある。
これまでの営みのすべてが大切なのであって、何よりそこを目指す強い気持ちが重要であったのだと思います。
1年生の時のことを思えば、こんな日が来るとは、とても思えませんでした。
甘いものではありませんが、決して希望は捨ててはいけません。
今の私の活動の原点は、すべてはこの花子ちゃんとの週1回のレッスンから、スタートしたのです。
その気持ちが、私の心から離れることは決してないのですから。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-05-10)

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選ばれし母は かくも強く美しい
2011-05-06

先日、京都のレッスンに伺いました。
昨年の5月からおじゃまさせていただくようになって、ちょうど1年が経過したわけです。
元々は、ある一人のお母さんが、岡山の教室にご相談にみえられたことがきっかけでした。
それをきっかけに、別のお母さんまで岡山にお越しいただくようになりました。
そうこうしているうちに、京都で、結局毎月9名のお子様のレッスンを定期的にさせていただくようになりました。
そう言えば、腰が痛くて大変な日もありました。
でも、1年を終えた今、そのお子様やご家族の表情を目にしながら、来させていただくようになって本当に良かったと思っています。
それぞれの子と共に歩んだ1年がそこにあり、それぞれの子どもに成長の輝きを感じた1年でもありました。
京都に行ったのは、5月4日のことですが、驚いたことがあります。
外国の観光客の方の姿が見えない・・
あれ程日常的だった京都駅の風景が、驚くほど様変わりしているのです。
「このままでは、観光に関係している会社が、程なくもたなくなってしまうのではないか?」
乗り合わせたタクシーのドライバーさんが、そう伝えてくださいました。
そんな中、今日のスポーツニュースを見ていると、
「誰かのために戦う者は、強い」
東北楽天イーグルスの嶋選手会長が、力強く、そんなメッセージを発信していました。
誰しもきっと、それが自分のことだとしたら、そんなにがんばることは出来ないのかも知れない。
嶋選手会長だけでなく、ただひたすらに、我が子の成長と幸せを願う母だからこそ、体中に、それをつき動かす熱いエネルギーがほとばしってくるのでしょうか?
この日、そのお母さんは、「京都ダウン症児を育てる親の会 (トライアングル)」 のリーフレットを、私にくださいました。
その冒頭には、こんな言葉が綴られていました。
天国の特別な子ども
会議が開かれました。
地球からはるか遠くで
“また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”
天においでになる神様に向かって 天使たちは言いました。
“この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして 一人前になれないかもしれません。
だから この子は下界で会う人々に
とくに気をつけてもらわなければならないのです。
もしかして この子の思うことは
なかなか分かってもらえないかもしれません、
ですから私たちは この子がどこに生まれるか
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が しあわせなものとなるように
どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人は すぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれども 天から授けられたこの子によって
ますます強い信仰を より豊かな愛をいだくようになることでしょう。
やがて二人は自分たちに与えられた特別の
神の思し召しをさとるようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかな二人の尊い授かりものこそ
天から授かった特別な子どもなのです”
Edna Massimilla 作 (大江祐子訳)
選ばれし母
あなたはかくも強く、美しい
その強く美しい思いが、きっと大切な道を切り開いていくに違いありません。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-05-06)

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「赤ちゃん体操から就学後まで」 トータルな育ちと学びのサポート
2011-05-03

☆ 最後の赤ちゃん体操のレッスン

☆ 卒業証書授与式です (感動の瞬間でした)

☆ グループレッスンにデビューしました

今日は、当センターでの初めての 「赤ちゃん体操」 のレッスンがありました。
ちょうどこの日、ある女の子が歩行を獲得し、「赤ちゃん体操・卒業式」 が開かれることになりました。
たくさんの友達やお母さん方に祝福され、立派に卒業証書を受け取ることができました。
これまで、いろいろな方面でご努力を重ねてこられたお母さんにも、感謝状が手渡されました。
数々のご苦労もあったことでしょう。
こうして今日、育ちの中での大切な節目を迎えられ、次の新しいステージに立ったのです。
2人の親子を取り囲むように、小さな会場が、あたたかな感動で一杯に包まれました。
この女の子は、先日、一足早くグループレッスンのデビューの日を迎えていました。
遅れながらも保育士に手を引かれ、みんなと一緒に屋外の散策に出かけていました。
新しく出会った友達の中でも、泣いたり、固まったりすることもなく、楽しく活動に取り組むことができました。
その笑顔の先に、どれだけ多くの方の真心や、希望を乗せて羽ばたいていくことでしょう。
赤ちゃんから、就学、そして自立・社会参加のその日まで、
小さくとも、共に歩み続ける支援を積み重ねていきたい、
大切な、それぞれの成長のステージにあって、ずっとその喜びを共有できる支援者であり続けたい、
ご家族と共に、お子様の育ちを支えていきたい、
この日の一歩で、私たちは大切な宝物にふれたような気持ちになりました。
お子様の育ちに真摯に向き合うご家族を、決して孤独にさせてはならない、
多くの方の、あたたかな気持ちの集うセンターにしていきたい、
私たちの願う夢の形が、身近なものに見えてきました。
ホントにすてきな一日です。


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ご家族と共につくる 「個別支援計画」
2011-05-02
先週の週末、5年生の女の子のご家族が、わざわざ熊本から、ご相談にお越しくださいました。事前に、それはそれはていねいに内容の整理された資料を、ご準備くださっていました。
実は、3月12日にお越しくださる予定でしたが、震災の影響で1度はキャンセルになったご相談なのです。
こうして、またお越しくださるところに、ご家族の強い気持ちを伺い知ることが出来ます。
3人のご兄弟、お父さん、そしてお母さん、ご家族全員で相談室にお見えになりました。
穏和で、あたたかいご家族の中で、真摯に、そして真剣にお子様の育ちを見つめておられるお母さんの表情が、心に刻まれました。
きっと自分の心の中に芽生えた何かを確かめるために、ここにお越しくださったに違いありません。
私は、その言葉の一つ一つを受け止めながら、これから主体者として力強く次のステージを歩まれようとするこのお母さんに、寄り添って差し上げたいと思いました。
「SHINOBU先生が、そばにしてくれるだけで、私は前に進むことができます」
私はこの3年間、パーソナルな立場で、100組以上のご家族のご相談を伺ってきました。
その多くの方々から、同じような言葉をいただいてきました。
真剣に前へ進もうとするご家族であればあるほど、共に歩む支援者が必要であるという気持ちが、その度ごとに深くなってきたのです。
こうしたご相談の資料として、私は、各地・各関係機関からの検査プロフィールや個別支援計画を拝見してきました。
中には、外国やアメリカンスクールのIEPも含まれていました。
それぞれの機関には、それぞれ特色のある支援計画があり、様々な内容や形式のものを拝見できたことも、大切な勉強の機会になりました。
この4月から、新しく通ってくれることになった子も徐々に増えて来ました。
マンツーマンレッスンでは、40分のレッスンのあとに、15分の相談時間を設定させていただきました。
私は、この15分の時間を有効に利用して、個別支援計画を、ご家族と一緒に作りたいと願っています。
ご家族の願いを受け、支援者としての役割を明確にすること
ご家族の参画をいただきながら、どんな子に育てていこうとするのか、その姿を明らかにし、手立てと評価の方法を具体的に示すこと
あれもこれもとすべての内容を網羅的に書き並べるのではなく、ポイントを1~2に絞って、内容をさらに精選・焦点化すること
しっかりとした幹に、豊かな枝葉が実るような支援計画を、
私は、心の通ったそんな支援計画を作りたいと願うようになりました。
そのフレームを、下記のように構成してみました。
「お母さん、私たちはここで、この子にこんな力を付け、こんな子に育って欲しいと思っているんです」
ご家族の願いをしっかりと受け止め、こうした内容を、熱く語れる支援者でありたいと願っています。
家族と共につくる支援計画、
その先にあるのは、自らの足で歩み始める子どもと、ご家族の力強い足音に違いないのです。
「岡山白ゆり発達支援センター個別支援計画」
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-05-03)

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