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太郎君の成長に見る 衝動性の改善

 2011-04-27
先日、りえ先生に、「太郎君 (現4年生) が1年生の時は、物を投げたり机をひっくり返したりして大変だったんだよ」 と、下記の3年前のブログの記事を見てもらいました。


 子どもの衝動性の改善における実践事例 ①  2008-07-01 (たたく・投げる・飛び出す・乱暴になる など)

 子どもの衝動性の改善における実践事例 ②  2008-09-06 (たたく・投げる・飛び出す・乱暴になる など) 

 子どもの衝動性の改善における実践事例 ③  2008-9-27 


りえ先生、目を丸くして、「へ~、信じられない~」 と、ひとこと・・

この日、太郎君は、私との勉強が終わったあと、それはそれは楽しそうにりえ先生と一緒に、ベイブレイドで遊んでいたのでした。

そこには、3年前、衝動的に物を投げつけたり、机をひっくり返していたりしていた頃の太郎君の面影は、どこにも見られないのでした。


一つ一つの出来事の背景や行動を維持させている要因を探り、子どもの心情に寄り添いながら、ていねいに指導を積み重ねていくこと

言語だけでなく、ちゃんと伝え、ちゃんと聞き、ちゃんと表現すというコミュニケーション能力を、相互の信頼関係をベースにながら培っていくこと

社会的なルールや予定のことなど、少しでも事前に見通しをもたせような指導を積み重ねること、


私は、太郎君の衝動的な行動は、強い不安感の裏返しと読み解き、その不安を取り除くための、それぞれの力を一つずつ育てていこうと考えてみました。


2008-07-01 の記事には、以下のように書いてありました。

「こうした衝動性は、10歳を過ぎると、かなり改善される例も多いようです。2次災害を引き起こしたり、自分に対するマイナスイメージを増幅させたり、友達関係を悪くしてしまわないよう、小学校低学年での関わりが大切になってくると考えています。」


太郎君、この3月で10歳の誕生日を迎えました。

まだまだ、育てて行かなくてはならない課題もたくさんあります。

しかし、本当にここまで安定するとは、正直、その当時は思いにくい状況でした。

だからこそ、そのことを信じて、ずっと前に進んでいく気持ちが大切であったのだと思います。


今がたとえどんなに厳しい状況であっても、決して希望を捨ててはいけません。

太郎君をはじめ、多くの子どもたちの成長のあゆみが、私たちにそのことを伝えてくれているのです。


真剣度が強ければ強いほど、家族の気持ちは折れやすくなるものです。

だからこそ、家族ではない支援者の、果たすべき役割がそこにあるのだと、私は信じているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-04-28)



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言葉とコミュニケーションの育ち

 2011-04-25
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毎週日曜日に通ってくれている5歳のダウン症の女の子、

1週間ごとに使っている言葉が、メキメキと増えてきています。

まさに、表出言語の爆発期を迎えようとしています。


私は、これまで、何人もの子どもの言語表出の爆発を見てきました。

ずっとずっと理解言語を増やしていく時期を積み重ねて、やがて表出言語の爆発期を迎えるのです。

決して時間の流れと比例したりなんかしません。

出だしたら一気です。


私のレッスンでは、まず相互に通い合う中身を共有化することから始めます。

例えば、私たちが、外国の人と話す時のことを考えてみます。

そうでなくても、英語がわからないのに、何を話していいか分からないでいたら、まったく会話にはなりません。

ところが、二人が相互にミュージカルのファンであったり、ヤンキースのファンであったり、メトロポリタンミュージアムに行ったことがあったりするのと、そうでないのとでは、全く話は変わってくるはずです。

それが単語の細切れであっても、身振りであっても、共通のフィールドがあるということで、コミュニケーションは成立し、それに合わせて言語自体も、やがて段階的にブラッシュアップされていくはずです。

関係代名詞が分からなくても、過去完了などの時制があいまいであったとしても、伝えたい中身、通う会う中身があってこそ、やがて発展性が期待できるコミュニケートが成立するというものです。


小さなお子さんの場合は、まずその子の好きな遊びの場を共有することが、豊かなコミュニケーションの第一歩となるはずです。


「上から、コロコロ」

「みどり」

「もう1かい」

「はやい~」

「はい、どうぞ」

「どうも」

「むずかしい」


この日、この子の大好きなクルクルローラーの遊びを通して、少し前には考えられなかった程の応答的なやりとりが成立するようになってきました。

この子の発するやや構音の不明瞭な言葉も、共通するフィールドがあれば、キャッチし応答的なやりとりに発展することが次第に増えてきます。

通い合うのは、相互の心なのであって、こんなに楽しい時間は、ありません。


ダウン症のお子さんの場合は、語用論といって、身振り、手振り、場に応じた社会的なコミュニケーションが得意な子が多いのです。

また、仮に表出言語は少なくても、驚くほど、内言語・理解言語が豊かであるの子も多く見てきました。

表出言語は、ミュニケーションの最も大切な方法ではあるけれど、言語表出がなければ、コミュニケートができないということではありません。


何より、その子の今、それぞれの子の特性理解に基づいた、コミュニケーション指導のあり方が大切になってくると思われます。


かれんちゃんのお母さんが、「ダウン症の子どもがいきいきと育つことばとコミュニケーション」 という本を紹介してくれました。

早速、購入してみると、さすがにこれがかなりの優れもの☆

私がこれまで、かれんちゃんと培ってきた体験的なコミュニケートの中身を、きちんと体系づけて整理したり、ポイントを確認したり、今後の方向性を示唆してくれたりします。


コミュニケーションの力を育てるうえでも、私のような立場の者だから出来る分野と、家族でしか分野があるわけです。

連携を考える場合、目的や目指す方向を同じくしながら、内容を機能的に分担できることも大切です。


ご家族の強い願いと信頼が、私を育てる、

そのことが、きっと豊かな言葉の育ちにもつながっていると感じているのです。


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検査データと 実際の指導との接点

 2011-04-22
先日、あるお母さんから伺ったエピソードです。

お子さんの育ちの経過、今向き合っている課題の背景、家族としての思いや願い・・

その担当者の方は、こうしたことを十分に受け止める間もなく、その日初めて会ったお子さんのことを障がい名で判断し、一般論による一方的な助言や、家族としての養育に対する批判的な内容の指導をされた、と聞きました。


その場にいたわけではありませんから、詳細はわかりませんが、ひどく心を痛めたと、お母さんは、涙を浮かべておられました。

リスクを厳しく指摘するだけで、それが果たして本当に、その子やご家族を支えることにつながるのか?

支援の有り様について、今更ながら考えさせられてしまいました。


いつだったか、ある子の検査データをいただいたとき、実際の学習場面で見られる様子と反対のプロフィールだったことがあります。

一瞬、何かの間違いではないかと思ったほどです。

しかし、その検査結果をもとに、もう一度その子の学習の様子を見つめてみると、なぜそのような現象が起こったのかが、ストンと心に落ちる場面がありました。

それ以来、私にとってその検査データは、次のステップを構成していくための貴重な指針となりました。

検査データなんてなくても、生の子どもを見れば、すべてがわかると思っていた私の思い上がりを、強烈に打ち破る貴重な経験になったのです。



昨日、レッスンが終わったあとに、かれんちゃんのお母さんとお話をさせていただきました。

かれんちゃんのお母さんは、臨床心理士さんです。

子ども達の指導の実際に生かすために、ぜひその専門的なお力をお借りできないか、という話になりました。


もちろん発達検査だけで、すべてパーフェクトに明らかになるというものではありません。

発達検査が、単なるランクづけに使われるのではく、そのプロフィールが、実際の指導に生きるための連携を考えていくことが、とても大切だと考えています。


その一つのモデルを作ることができれば、どんなにすばらしいことでしょう。


客観的に精査された検査データを読み解きながらも、リアルな子どもの生きるつぶだちと、ご家族の願いをしっかりと受け止めるととができる、それこそ真の支援者の専門性と言えるのではないでしょうか?

この先、自分が何を目指していくべきか?


その答えは、きっとこんなところにあるのだと思っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-04-22)





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子どもの内発性を信じて育てる支援者の存在

 2011-04-20
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これまで私は、ずっと個人としての活動を基軸にしてきましたが、この4月から、お子様とご家族のために、組織として、スタッフと共に歩む道のりとなりました。

メールでそのことを皆様にお伝えした時に、何人かの方に 「もう、SHINOBU先生には、これまで通りのレッスンはしてもらえないのではないか?」 という不安を与えてしまいました。


そして、何人もの子どもから、「この先、中学に行っても、ずっとずっとSHINOBU先生と一緒に勉強したい」 という声が、届いてきました。

私としては、こんなにうれしい言葉はありません。



正直、今は、リーダーとして組織を立ち上げ、体がいくつあっても足らない状態です。

一日わずかでも、空いた時間があれば、本当にありがたく思えます。

でも、こうした言葉を耳にすると、どんなに忙しくても覚悟は決まります。

「一度もったら、一生担任」

その気持ちが失ってしまったら、たとえ他の何が整ったとしても、子どもの心に響くレッスンなんてできるわけがありません。


子どもですから、レッスン中に甘えたり、遊んだり、お試しをしたり、時には無理な要求をしたりすることもあります。

でも、私は、そういうときには、できるだけその子のわがままを聞いてやろうと思っています。


こうした子どもの願いを一つ一つ叶えていきながら、この教室には、理科の実験器具やパソコンソフト、工作や手芸の材料や機械など、ありとあらゆるものが揃ってきました。

まさに、子ども共に夢をかなえる城の形に近づいているような思いです。


私が掘り起こそうとしているのは、子どもの心の芯にある 「できるようになりたい」 「わかるようになりたい」 「勉強したい」 という内発的な学びの意欲なのです。

私はそう言う意味で子どもを信じているので、たとえ時に予想外の方向に進むことがあっても、必ず私の目指す方向に戻ってくると確信しているのです。

だからこそ、子どものわがままを、受け入れてやることができるのです。


5年生になった花子ちゃん、

「今日は、学校で習った 10倍 → 100倍 の小数の勉強を、先生と一緒にやりたい」と、言ってきました。

私は用意していた割り算のプリントを、そっとファイルに戻し、急いで教材を準備しました。

この単元の教材は、以前に他の子の勉強で開発したものがあるので、すぐざま対応ができました。

花子ちゃん、目を輝かせながら、うれしそうに一生懸命算数の勉強に取り組んでいます。

1年生時のことを思えば、こんな日が来たことがが夢のように思えます。


月に1度だけ通ってくれているダウン症の4年生の女の子、

今日からお母さんから離れて、SHINOBU先生と文字通りのマンツーマンレッスンとなりました。

ブロックを使っての数処理・数認知が見事にクリーンヒットして、それはそれは楽しい時間を過ごすことができました。

その笑顔が、目に焼き付いて離れなくなりました。

月に1度だからこそ、果たすことのできる役割が、そこにあるのです、


子どもを育てていくこと、特に小学校低学年までは、みんなと共に鍛えること、引っ張り上げること、そのアプローチが教育の王道です。

それがあればこそ、もう一方で、子どもの特性理解に基づき、内発的な学びの意欲をベースにした、個別のアプローチが生きてくるのです。


子どもが学びたいと思い続ける限り、私は、ずっとここにいて、子どもの笑顔を受け止める先生であり続けていたいのです。

何のために?

そのことをずっと、心に持ち続けていたいのです。



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誰かのために 何かができる子に育てる

 2011-04-15
次女が、この春、高校を卒業しました。

それは決して平坦な道ではなく、親子共々、苦難の縁で苦しみながら到達した一つの節目でした。


本当にギリギリまで、卒業できるのかさえ、わからないような状況でした。

卒業式の午後、これまでご迷惑をかけ続けてきた学年主任の先生に、両親でご挨拶に伺いました。

卒業証書は、まだ学年主任の先生の手元にありました。


学年主任の先生が、私の目の前で、その卒業証書を開いて見せてくださいました。

娘の名前が、しっかりと書かれていました。

娘が誕生し、出生届に、初めてこの子の名前を書いた日の事がよみがえり、思わず目頭が熱くなりました。


中学の時の、ほんの小さなつまずきから、この子にとっては苦しみぬいた中学・高校生活でした。

体が動かなくなり、数ヶ月間、高校を休学した時期もありました。


4月から、その娘が、学童保育や小さい子どもの支援の仕事をするようになりました。

保育士の資格があるわけでもなく、まったくの見習いとしての仕事をしています。


先日、様子を見にいくと、給食の時に小さな子どもの横に座って、やさしく言葉かけをしている娘の姿がありました。

鉄棒の横で、小学生の子が、連続逆上がりをしている姿を、しっかりと見てあげている娘の姿がありました。


子どもが帰ったあと、娘は、一生懸命トイレ掃除をしていました。

「どう? 働くのも悪くないだろ?」

一言、私がそう言うと、娘はこっくりと深くうなづきました。


昨年の夏、私は、ブロードウエイのミュージカルに、この子を連れて行きました。

感動で、胸を一杯にしている娘の表情に、そこから動き始めた何かを感じる事が出来ました。


この子は、きっと苦しんだ分だけ、大切なことをつかんだに違いない、

小さな子から、「石原先生」 と、呼ばれたこの子は、やっと自分の命の輝きを取り戻し始めました。


誰かから、必要とされることによってのみ、人は自分の生きている意味を感じ取ることだできる、

私は、自分の娘の育ちから、改めてその大切さをかみしめたのでした。


たとえそれが、どんなささやかなことであって良いから、私は指導者として、支援者として、かかわった子どたちとご家族に、そのことを伝えていかなくてはなりません。


すべての子に、必ず命の輝きがあるのです。

誰かのために、何かのできる子に、何としても育てていきたい。

それを、既製品のものさしで、決して決めつけることがあってもいけません。


そのことは、その子と家族の幸せに、きっときっと、深く結びついていくのです。


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どんなことがあっても 福島で研修会をさせていただきたい

 2011-04-13
3月11日(金)午前10時、

昨年、福島県郡山市の研修会で大変お世話になった教育研修センターの担当の先生からメールをいただきました。

この秋、私にとっては、福島でさせていただく第2回目の研修会についての打ち合わせのメールでした。

そのわずか数時間後、未曾有の大災害が東日本に襲いかかったのでした。


あまりの出来事に、私は、言葉を失ってしまいました。


それから数日後、その先生から連絡をいただきました。

ガソリンが切れてなお、自転車で、災害対策本部をはじめ市内各地を駆け回りながら、支援の必要な子どもたちのことを、心の底から案じている先生の姿が、メール全体からからにじみ出てくるように感じました。


今、福島の皆様は、原発という、とてつもなく大きな不安やリスクに立ち向かっておられるのです。

私は、この秋何があっても、渾身の力を込めた実践を、福島の先生方にお伝えしなくてはならないと、強く思うようになってきました。

それ以外に、この先生のお気持ちに添う方法はないと、固く決心していました。


今日は新幹線に乗り、大阪の子ども達のレッスンを行いました。

この記事は、帰りの新幹線の中で書こうと決めていましたから、このタイトルをブログの下書きに入力しておきました。

その瞬間、何と、その福島の先生からのメールが届いた着信音が鳴ったのです。

私、神懸かり的だとしか思えませんでした。


個に寄り添う支援のあるべき姿は何か?

研修会という一つのイベントを通して、私はこの先生に、長年付き合っている親友のような思いと、志を共にする尊敬すべき同士であるという気持ちを、深めて続けてきたのです。


私がなすべきこと、できることは、これしかない。

何としても、この秋も、福島に行かせていただきたい。


一通のメールの着信音が、その思いを決定的にしたのでありました。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-04-14)




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言語の扉が開くとき

 2011-04-11
昨日、就学前のある女の子のレッスンをしていた時のことです。

「いしはらせんせい」 「だいすき ♪」

突然、はっきりと聞き取れる声で、その子がそう言い出したのです。


私、一瞬ですが、目が点になってしまいました。

これまで、この子が一生懸命伝えようとしていた言語をちゃんとキャッチして返すことができず、何度もがっかりとしたこの子の表情を目にしてきた私です。

最近2語文が増え、表出する言語が豊かになってきたのを感じていましたから、いつかはこういう瞬間が来るとは思っていました。

しかし、私のことを 「いしはらせんせい」 と認知してくれていたこと自体、大変うれしかったし、「だいすき」 なんて言ってもらえるとは、夢にも思っていませんでした。

「ありがとう」 「せんせいも、ゆいちゃん (仮名) のこと、だいすきだよ」

と、即座にリターンすることができて、ホッと一息です。

こんな大事なフレーズをキャッチ出来なかったとしたら、何のためのコミュニケーション指導が分かりません。

この日の対応が、きっと間違いなく今後につながっていくに違いありませんから。


この日には、他の子のレッスン中にも涙がでるような場面がありました。

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このごろ、絵のマッチングがパーフェクトに出来るようになってきた男の子

いよいよ 「ひらがな」 との接続を目指すレベルに近づいてきました。

この子に内言語・理解言語の力が宿っていることは、ずっと以前から確認できていました。

ところが、文字言語や言語表出といったアウトプットの接点が、なかなか見つからない・・

一日も早くここを何とかしたいと、ずっと思ってきたのでした。


これまでの学習により、 「ゆ」 「き」 という文字の組み合わせにより、「雪」という特定の意味をもつことになるということが、少しずつわかってきたようでした。

この日、「ゆき」 というカードを手にしたとき、聴覚性言語で 「それは (ゆき) だよ」 と教えてあげました。

その時です。

彼の顔がピクリと動き、手にしたカードを雪の絵の上に動かし始めました。


そうだよね、君は今まで、ずっと理解言語は育ってきていたんだよね。

表出が少ないからといって、わかっていないわけじゃなくて、その接点が見つけにくかっただけなんだよね。

今、君が手にしている (ゆき) という2つの文字が、もしかしたら、その可能性の扉を思いっきり開いていくかも知れないね。

そう思うと、涙がこぼれ落ちそうになりました。


3年前、初めてここに来始めた頃は、シャボン玉や電子音の感覚遊びが、ほとんどだった・・

それから、だんだん心が通うようになって、やっと、私にもこの子のためにしてあげらえる指導内容が、具体的にはっきりと見えてきた。

うれしくてうれしくて、思わず抱きしめてやりたいような気持ちになりました。


こんなことがあるから、この仕事はやめられません。

私のレッスンは、決してうまくいくことばかりではありません。

むしろ、失敗の方が圧倒的に多いのです。

だからこそ、踏ん張らなくてはなりません。

どんなことがあっても、私は前を向いて進んで行きたいと願っているのです。




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あるべきカリスマティックアダルトの一つの形として 私がしてきたこと

 2011-04-08
私の教室に来てくれる子の中には、有名私立中学の入試問題をスラスラ解く子もいます。

時々、いくら考えても解けないような難問に出会って、私の方があぶら汗が出そうになることもあります (笑)


そのうちの何人かが、この4月から中学生になりました。

こうした子どもたちのレッスンでは、学習内容そのものも大切ですが、1回1回2人で過ごす時間そのものが大切だと考えています。


その子の表情から伝わってくるメッセージ、

語る言葉の一つ一つの裏側にある、心のつぶだち、

今、確かめようとしている、向かおうとしている方向を読み解いて、それを一緒に見つめ共有化してあげること、

そして、その子が、自分の足で確かな一歩を踏み出していけるよう、見えない手でしっかりと支えてあげること、

それが、私の仕事なのです。

入試問題を解くことより、何倍も難しく、デリケートな役割です。


昨日、あるお母さんから、以下のような内容のメールをいただきました。





息子も以前と比べると随分と成長して、数年前はこんな平穏な日常が迎えられるとは夢にも思わなかった毎日ですが、中学校進学にあたり今後の不安は、大変大きいのです。

せめて中学校生活が「何とか頑張れるかな・・・」と息子本人が思えるまで、息子のことをよく理解してくださっている先生に、レッスンをしていただけると幸いです。

何より息子が「まだSHINOBU先生と勉強したい。やめたくない。部活とか中学校のことがまだよくわからないけど、続けたい。SHINOBU先生との勉強って楽しいんだよね」って言うんです。

SHINOBU先生は息子にとって心から信頼でき話せる先生・大人なのだと思います。息子にとって環境の変化で大変な春になると思いますが、先生にもう少しの期間だけ寄り添っていただけたら、息子も頑張れると思うのです。

先生のご都合がつく月1日1時間でも構いません。

数年前の我々親子のように、もっと切羽詰った状況でSHINOBU先生のサポートを必要としているご家庭が沢山おありだと思います。
そんななか、我々がお願いするのは大変心苦しいのですが、もう少し、レッスンの卒業を延期させていただけないでしょうか。

どうぞよろしくお願い申し上げます。






とてもありがたいお言葉で、胸が一杯になりました。

何より、1回1回のレッスンの時間を、この子がこんな風に受け止めてくれていたことは、無上の喜びです。

通い合っている大切な何かを、しっかりと確かめることができるような気持ちになりました。


私が、この子にしてあげられることは、良き理解者としての私の存在を、生涯の支えとしてこの子の心に植え付けることです。

たとえ遠ざかっても、美しいままの思い出を、ずっとずっと心に根ざしてあげることです。

私の考えているカリスマ性のある大人の存在としての一つの形が、こんなところにあるのです。


この子が自分で歩み始めることができたら、段階的に私の支援はフェードアウトしていき、その存在感だけが、ずっとこの子に残っていくのです。

ご家族の希望がある限りは、私は、レッスンを続けさせていただきます。


こういう存在の重要性を、実践を通して広く世にしめしていくのも、私に与えられた大切な役割であると考えています。

「一度もったら、一生担任」

それは、これからもずっと、SHINOBU先生の大切なキャッチフレーズであり続けたいと、心より願っているのです。



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笑顔輝く先生との出会いを

 2011-04-06
4月から、私の教室に、りえ先生が来てくれるようになりました。

今は、新しく始まる児童デイサービスの事務手続きの準備を中心にしてもらっています。


昨日、ある女の子とそのご両親が、児童デイサービスのお問い合わせに来てくださいました。

私がご両親のお話を伺っていたとき、その女の子が教室のボックスに収納してあるおもちゃに手を伸ばしました。

すると、りえ先生は、すぐさま事務の手を止め、女の子のそばに駆け寄ってそのおもちゃを女の子に手渡しました。

その時、いっぺんに女の子の表情が輝き、初めて出会った二人の心に、何かあたたかいものが流れ込んでくるようでした。


この日は、小3になる男の子と、中2になる男の子も来てくれました。

直接の指導は私が行っていますが、できたプリントの丸付けを、りえ先生にしてもらうようにしました。

少しはにかみながらも、背筋がいつもよりシャキンと伸びていますし、何だかやたら字もていねいです(笑)

新しい先生との出会いが、子どもの心にさわやかな風を吹き込んでいるように思えました。


もうじき、新年度の始業式を迎える学校も多いことでしょう。

それぞれの子どもが希望に胸をときめかせ、新しい先生とのステキな出会いを待ち望んでいるに違いありません。


そのことは、どんなに尊くて、どんなに大切な事か知れません。

決してこうしたピュアな子どもの心を、痛めることあってはなりません。

すべての子どもに、新年度のすばらしい先生との出会いがあるようにと、願わずにはいられないのです。




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変えていかなければならないこと 決して変えてはならないこと

 2011-04-04
4月1日から、私の教室にも、共に仕事を進めていく常勤のスタッフが仲間入りしました。

彼女は、大学で発達心理学を学び、学校カウンセラーや生活・学習支援の仕事を3年して、ここに来ました。


3月の終わりに、3日間、大阪に和太鼓の研修に行ってもらいました。

本格的な和太鼓の研修は初めてだったと思いますが、なかなかいいセンスをしていたと担当の先生から伝え聞きました。

大学ではマンドリンクラブの指揮者をしていたということで、なるほどなと思いました。


これまで、幼児の数にかかわる認知について研究してきたとも聞いていました。

今回、新規事業の挨拶を文章化する時に、ワープロ入力をしてもらいましたが、私が30分かかる量を10分もしない間に正確にこなし、私を驚かせました。

そこにたまたまやってきた太郎君が、早くこの先生に教えてもらいたいと胸をときめかしていると、お母さんがメールで知らせてくれました。(笑)

私にとっては、心強い片腕として、そして今後、多くの子ども達とご家族を支える仕事をこなしていける人材に育っていくことを期待してやみません。


一方で、ご家族の方から 「SHINOBU先生には、もう直接、これまで通りのレッスンをしてもらえないのではないか、不安に思う」 というメールも複数いただきました。

私は、一人でも多くの子どもたちのために、一刻も早くしっかりした体制を作らなければならないと思う反面、これまで共に歩んできた皆様の気持ちを、決して裏切ることがあってはならないと感じているのです。


この先、どんなに体制が変わろうと決して変えてはならない大切なことがある。

そして、事業をおこした以上は、まだ見ぬ多くの子ども達とご家族のために、強い覚悟と決心で、困難な壁を次々とぶち抜いていくエネルギーも兼ね備えていく必要があります。


今の私には、きっとまだそれだけの才覚は、もちあわせていないだろうと思うのです。

しかし、ひとたびこのポジションに立ったからには、何としてもそれに見合う人物にならなくてはならない責務もあるのです。


SHINOBU先生のやさしさはそのままで、責任者としての実行力も兼ね備えていきたい。

私をそこに押し上げてくれるのは、子どもとご家族の願い、それ以外にはあり得ないと思っています。


昨日は、約1週間ぶりに、朝からずっと通常のレッスンをすることができました。

こんなにもレッスンって楽しいものかと、疲れも苦労も吹き飛ぶような気持ちになりました。

この子たちがいるからこそ、私はここまで来られた。


それがたとえ、どんなに遠い道であろうとも、めざす方向だけは、これからもしっかりと見据えておかなければならないと思うのでありました。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-04-5)




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主体者のしての子どもとご家族を支える

 2011-04-01
「先生は、毎日毎日、たくさんのケースを次から次へと抱えて、それで本当に子どもや家族に寄り添った支援が出来ますか?」


3年程前だったでしょうか? 活動を初めて間もない頃、私にそんなメールが届いたことがあります。

その時に感じた衝撃を、今でも忘れることはできません。


昨日、その当時から応援させていただいているお母さんから、メールをいただきました。

3時間にも及ぶ学校でのケースカンファレンスに臨み、我が子の特性と課題についてお伝えをし、今後の方向性を具体化していくための話し合いをされたようです。

複数の先生方を向こうにまわしての対応ですが、いつもながらにさすがの立ち振る舞いです。


私はいつも、そのお母さんのお話をお伺いし、その内容を受け止め、プロとして知っている情報をお伝えし、セカンドオピニオンとして自分の意見を申し添えるようにしました。

私が、一時的に、ご家族の代わりにに大活躍したとしても、それは必ずしもご家族の幸せにはつながらない。

「こうしなさいと」 はあえて言わず、最終的に決定するのはご家族で、私はその責任を一部共有し、応援をさせていただくというスタンスで向き合うようにしてきました。

経験を通して、主体者としてのご家族を支えるということは、こういうことだと思うようになったからです。


SHINOBU先生がいるからこそ、私はここまで頑張ることが出来た。

そのお母さんは、これまで、何度も何度も、おっしゃってくださいました。

それから3年間、相互の信頼は一段と深くなり、私の活動に欠くことの出来ない大切なパートナーとして、今も一緒に歩み続けています。


実践者としてお子さんの学びや育ちに直接かかわりまがら、その専門性を生かし、主体者としてのご家族と一緒に、生涯にわたって歩み続ける。

私のめざすパートナーシップの形が、こうして育まれてきたのです。


本日より、  「岡山白ゆり発達支援センター」 としての活動がスタートしました。

立場がどのように変わろうとも、SHINOBU先生としてのスタンスが変わろうはずはありません。

子どもたちの成長と、ご家族の幸せために、少しでもお役に立ちたい、

専門性を生かしながら、長期にわたって、主体者としての子どもとご家族の応援をさせていただきたい。


私たちの夢の一歩が、今日からスタートしたのです。



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