そのすべてを 子どもとご家族の幸せに捧ぐ

 2010-12-31
平成22年12月30日の夕刻、祖母が亡くなりました。
大正4年に生を受け、そのすべてを子どもとご家族の幸せのために捧げた96年の生涯でした。

祖母は昭和11年、祖父と結婚しました。
昭和14年2月、身ごもっていた祖母を日本に残し、祖父は戦地へ赴きました。
4月に母が誕生しました。
我が子の顔を一度も見ることもなく、その年の11月、祖父は遠く中国の地で帰らぬ人となりました。

昭和15年、祖母は岡山市役所に勤務、昭和26年、岡山市初の公立保育園園長となりました。
公立保育園園長を歴任し、退職後に本園を創設しました。
働く母の先駆として、一切の妥協を許さず、生涯を、子どもの成長と、それを支えるご家族の幸せに捧げた人生でした。

祖母は、昭和62年に勲五等瑞宝章、平成4年に岡山県三木記念賞をいただきましたが、ただ子どもの成長とご家族の幸せだけを願い、社会福祉ということの魂を、いつもその生き方すべてで伝えているようでした。

高き山に咲くあの白ゆりのように、気高く高い理想に燃える保育を
そういう願いを込めて、本園は設立されました。
私たち家族の幸せも絆も、すべてはこの祖母の尊い志支えられいるのです。

私たちは、そのことを何よりの誇りに感じていました。
その祖母の志を、私は私のできることで、受け継ぎたい。
祖母のように、本物の教育者として子どもを育て、そのご家族の応援ができる人になりたい。

祖母は、年末の休日保育が終了するのを見届けるかのように、安らかに眠るよう旅立っていきました。
最期の最期まで、残された者に、その行く先を指し示すような祖母でした。

私たちは、出来る限りのことをして祖母を送り、そして、またその志を受け継ぐ一人として、これからも一人一人の子どもの幸せと成長を願い、そのことに真摯に向き合って行きたいと思っているのです。


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たった一つの支援から 驚くべき変化へ

 2010-12-29
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例えば、 「 13ー6 」 という計算をする時には、「 10ー6は4、 4と3で7 」という方法で計算するように指導します。 いわゆる減加法のやり方です。

特に、「 17ー9 」 というような数を計算するときには、「 10から9を引いた1と、7を足して8 」 と、スマートに計算できるやり方です。 位取り記数法に適応しており、数学的にも優れた方法です。

しかし、「 11-2 」 などの計算では、わざわざ10から2引いて1を足すより、11から2つ 「 10、9、 」と引いた方が簡単です。 こういう計算を、減々法と言います。 継次処理タイプの子は、手順の複雑な減加法より、この減々法を好む子が多いのです。


10の合成分解は、算数の基礎学習の中では、難易度の高い学習です。

「 2と8で10 」 と、言語で覚えてしまう子と、おはじきやブロックをイメージする両方のタイプの子がいます。

入り口は違いますが、大切なのは、言語とイメージが相互につながることだと、私は考えています。


言語の入り口から入る子は、継次処理優位の子が多く、イメージから入る子は、同時処理優位の子が多いのです。

入り口は違いますが、目指す頂は同じです。

双方が結びついてこそ、豊かな理解、「 本当にわかった 」 ということになるのです。



太郎君の場合は、入力ソースは同時系です。

ひらがななど文字が連続した文章を読むのは苦手です。

しかし、漢字とおなると少しくらい画数が多くても、見事に視写することができます。

瞬時に同じものを見つける能力は、天才的です。


入力ソースは、同時系の太郎君ですが、数処理は継次系です。

イメージによる数の合成分解が苦手なのです。


これまで、音声言語による 「 ご 」、数字による 「 5 」、個数としての 「 ○○○○○ 」、順序を示す 「 右から5番目 」 などを統合化するための認知学習と、「 合わせて何個? 」 や 「 残りはいくつ 」 というように、その演算の意味と言語をつなげるための学習にねばり強く取り組んできました。

ここに来て、数字の 「 5 」 と 個数としての 「 ○○○○○ 」が、かなり統合化されてきました。

つまり、「 5ー3 」 を、 「 ○○○○○ - ○○○ 」 と置き換えることができるようになってきたのです。

しかしまだ、瞬時に 「5」 を 「 ○○○○○ 」 に置き換えることは出来ません。

そこで、上記の写真のようなカードを1枚使わせてみることにしました。


例えば、「 10-3 」 のような計算をするとき、これまでは○に一つずつ/を引かせて残りの数を継次的に数えさせていました。

が、昨日の出来事です。

カードを提示して、写真を撮ろうかと準備をしている瞬間、驚くべきことに、太郎君は何の支援もなしに9番の問題まで自力ですべて正答を記入していました。


スイッチが入った瞬間です。

太郎君は10のカードに目をやりながら、念頭操作で引き算をすることができるようになったわけです。

「10」 という数と、「 ○○○○○ ○○○○○ 」という個数の間に、たった1枚のカードを置くだけで、その意味が統合化され始めたのです。

太郎君のことですから、程なくしてカードをフェードアウトしても、念頭操作ができるようになるはずです。

大切なのは、10を 「 ○○○○○ ○○○○○ 」と見立てて、数を増やしたり、減したり、合成したりできる力を育てることです。


太郎君のようなタイプは、スイッチが入るまでには相時間がかかりますが、一旦スイッチが入ってしまえば、その処理速度は秒殺ものだし、持続性も相当なものです。

まさに、生かすも殺すも指導者次第といったところです。


私以外の指導者が、私と同じ環境だったら、もっともっと早くこの位置まで到達できていたのではないかという反省もあります。

回り道した分、得た力だってあるはずです。

だからこそ、このことをどんどん次に発展させていかなくてはなりません。


今、太郎君は、冬休みの学童保育に来てくれていて、園庭で楽しく友達と走り回っています。

3時のおやつがすんだら、私の教室にやってきて勉強するのですが、勉強も楽しくなってきたのでしょうか、それはそれは集中して、一生懸命勉強してくれるようになりました。

一年生の時、この教室での学習が成立しなくて困っていた時、「 先生、太郎は先生が大好きなんです。 弱音を吐かないでください 」 と、お母さんに激励されたことが、なつかしい思い出話として心をよぎっていきます。


勉強が終わったら、太郎君、また元気にみんなと外で遊んでいました。

冬の日差しを浴びて、そのことが、とてもまぶしく見えました。

学習が前に進んでいる感覚と、生活面の充実とは、決して無関係ではないわけです。


子どもが学ぶ意味、育つ大切さを、これからもしっかりと見据えていきたい。

彼の成長が、私を、そんなあたたかな気持ちにしてくれました。


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学ぶ楽しさ サンタからの すてきなプレゼント

 2010-12-27
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花子ちゃん、

ついに商が2けたになるわり算のひっ算ができるようになってきました。


「みんなが、やっているようなわり算を、私もやりたい」

いつだったか、そうつぶやいた花子ちゃんの一言が、私の頭から離れることはありませんでした。

みんなが計算ドリルを始めると、自分だけみんなとは違う所の勉強になる・・

私も、みんなと同じように、わり算がやりたい・・

ずっとずっと、そう思っていたに違いありません。


商の見立て、余りの処理、ひっ算形式の約束、

毎週小さくステップを刻みながら、その頂を一緒に目指してきました。

花子ちゃんにとって、一番わかりにくかったのは、ひっ算形式の約束事だったようです。

「あっ、そうか。 そういうこと!」

どうやら、そのシステムの意味がストンと腑に落ちたようでしたので、ここぞとばかりに、2桁のわり算にチャレンジしてみました。

もちろん、まだ不慣れな面があり、ていねいな支援が必要ですが、まちがいなく近いうちにコンプリートできる確信をもつこととができました。

ここで、四則計算の基礎を築くことができたわけです。



通常級で入学、2年・3年と支援級で学び、4年生から再び通常級へ

その歩みも、ご家族のご努力も、決して平坦ではありませんでした。

しかし、苦労した分だけ、努力しただけ、大切な宝物を彼女は学んできているのです。

1年生の時、計算問題であれだけ涙を流していたこの子が、ここまでがんばって伸びた値その打ちは、きっと誰よりも尊い営みであるに違いありません。


1泊2日の山の学校の後、今日くらいは休んだらというお母さんの言葉を振り切り、へとへとに疲れた体で、私の教室に来てくれた花子ちゃん。

私の今は、この子との出会いなくしては、なかったのです。


この日が、今年最後のレッスンの日でした。

いただいたお月謝袋の中には、一枚のお手紙が入っていました。


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SHINOBU先生

今年も一年間お世話になりました。

去年よりも 今年の一年間は花子にとって とても成長した一年間だったと思います。

SHINOBU先生の存在のおかげで、花子は自分に自信がもてるようになっていると思います。

学校でのトラブルも少なくなり、とても落ち着いています。

ありがとうございます。

来年も宜しくお願いいたします。





そう言えば、最近いつもニコニコで、学校の出来事を楽しそうに話してくれることが多くなってきました。

友達とのトラブル、全然聞かなくなってきました。

本当によかった。


希望がもてないのなら、死んだ方がまし

あの時の強い気持ちが、こんな笑顔になって戻ってきました。

その努力と決意を、私はそばでずっと見てきました。


ちょうどこの日は、クリスマスイブ

「先生、1年間、お疲れ様でした。これでゆっくり体を休めてください」

そう言って、花子ちゃんが入浴剤をプレゼントしてくれました。


きっとこの日、ご家族は楽しいクリスマスイブを迎えられたに違いありません。

ご家族の深い愛情と強い気持ち、

サンタクロースは、最高のプレゼントをくださいました。




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行政の 重い扉をこじ開ける

 2010-12-24
私は子どもの学びや育ちに直接かかわりながら、そのご家族を支援させていただくことが、活動の中心だと考えています。

我が子のために、命を削って、懸命にご努力を積み重ねておられるご家族を、最も近い位置で応援させていただいている一人だと心得ています。


日々の身の回りの世話、食事、学校や園、医療機関や関係機関への対応、学習会の参加や所属している会の仕事・・

投げ出す事は出来ません、風邪なんかひいていられません、寝込むこともできません。

それにも増して、言いようのない将来への不安

それが、どれだけ深く、厳しいものであるかを、目の当たりに見つめてきました。


私のところへお越しになるご家族は、どの方も底抜けに明るい表情に見えます。

「とにかく、自分の気持ちが、後ろ向きになってはいけない」

困難に立ち向かいながらも、腹をくくり、覚悟と決心を決め、一歩でも前へ進んで行こうとする力強さを、そこに感じることができます。


何もかもすべてを、ご家族だけに背負わせることが、あってはならない。

こういう方にこそ、然るべき適切な支援が必要なのです。


場による教育から、教育的ニーズによる教育への転換 

特別支援教育の、特別支援教育たる根幹の理念です。

しかし、制度化されて何年か経った今、あまりにもその理念とかけ離れた現実がそこにあります。


本県では、そのような前例がないから、認められない??

他県では、当たり前のように行われていることが、自分の地域では、予算がない、人がいないなどの理由で、門前払いを受けているケースがあります。

また、予算や人材がネックになっているのではなく、ただ単に前例を作らないという理由のみで、保護者の願いが受け入れられないとしか思えない事例もあります。


今、子どもは、社会全体で育てていこうという考えが、徐々に浸透しつつある時代です。

もちろん、主体者としてのご家族の役割は、決して放棄されるわけではありません。

そのすべてを家族だけに押しつけるのではなく、共に生きる社会として、最低限の負担は共有させていただくのが、ごく当たり前の事ではないでしょうか?

発達面に課題にある子どもが、生き甲斐と幸せを感じ、その命を輝かせ、社会とのかかわりを豊かにしていくことは、社会全体の大きな利益であり、費用対効果も高い内容です。

社会から付託された、その最も大切な役割を担っているのが、教育という仕事であるはずです。


こうした理念が、息づいているならば、前例がないという理由で、門前払いが本当にできるものなのでしょうか?

これでは、命を削って子どもの育ちに立ち向かっておられる、ご家族の立つ瀬がなくなってしまいます。


私は、行政の担当者の実情を詳しく知りませんから、的外れなことを指摘しているのかも知れません。

でも、あれほど真摯な気持ちで、子ども育ちや学びを支えてこられたご家族の表情が曇り、心労が重なっていく姿を見ると、やはり、何かを変えて行かなければならないと感じています。


私の力は、微力です。

しかし、私がなすべき役割が、そこにあると思っています。

すべては、子どもたちの笑顔のため。

真にその姿勢で向き合った時、目指すべき新たな道筋が見えてくるのだと考えています。



重い扉が、そんなに簡単にこじ開けられるわけはありません。

道は、自分たちで切り開く。

ご家族の皆さんは、もうとっくに、その覚悟を決めておられます。

後に続く方々のためにも。

それでも、前へ進んでいくしかないのです。



この記事は、「 特別支援教育 人気記事ランキング 1位  」に選ばれました。 (2010-12-25)

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楽しい学習の中身

 2010-12-22
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太郎君(小3)は、理科の勉強が大好きです。

先日は、うちの教室でも、教材の信号機を組み立てて、乾電池の勉強を一緒にしました。


目に見える具体物を使って、組み立てたり、考えたり・・

小さい時から、視覚優位・同時処理優位の太郎君にとっては、理科の勉強は、今やもっとも楽しい教科の一つとなったのです。


その太郎君が、理科のプリントをやりたいと言い出しました。

きっと、そうなるだろうと思っていましから、待ってましたとばかりに、すぐに用意しました。


「かん電池」 「ソケット」 「どう線」 ・・・

文脈の中に、選択肢を次々に記入していきます。

国語の学習では、強い抵抗感を示していた文章問題にも、とても楽しそうに取り組んでいきます。


同時型の子は、選択肢を用意し、事物と対応させながら、文脈を構成していくやり方が得意の場合が多いのです。

太郎君にとっては、あいまいな表現が少なく、事物と言語の対応が明確になっている文章が、言語の力をを育てていくうえで、格好の入り口になった形です。



学びたい気持ちが、そこにある。

何としても、ここから、豊かな言語の世界を広げてやりたい。

太郎君が、教科学習の中で、自分のよさや特性を肯定的に育みながら、社会の中でそれを生かせる豊かな生き方のモデルを、しっかりと指し示してやりたい。

生き生きと学習に取り組む太郎君の横顔を見つめながら、長所活用型指導の道筋が1本、目の前から続いているように思えました。


楽しい学習の中には、それなりのしっかりした理由がある。

太郎君は、また一つ大切なことを、私に教えてくれたのです。





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軸から枝葉 そんな指導計画

 2010-12-20
昨日、ある男の子のレッスンを行いました。

最近、読字の力が急激に伸びている子です。

ここまで来れば、ということで、昨日からたし算の問題に、本格的に取り組むことにしました。


5+1は、いくつ?

これまでの学習から、 「5」 という文字を、「ご」 と音声化することができるようになりましたが、まだそれを、「おはじき5つ分と同じ」 というように、量的にとらえることができません。

あれだけ認知学習をしたのに、とちょっと残念な気持ちになりましたが、きっとたし算プリントをするのは、この日が初めてのこと、無理もないのかも知れません。

それよりもむしろ、これまでの認知学習の成果をより確かにしていくためには、このたし算の勉強が、とても意味のあるものになると感じましたし、それは必ずできると思いました。

私にとっては、たし算の学習は、それ自体が目的であると同時に、豊かな数量感覚を育てていくための、絶好の機会材となったのです。



土曜日に来てくれたある女の子、

お母さんとの話合いの結果、次回からは、国語の読み取り学習一本に焦点化することになりました。

友里ちゃんとの、読み取り学習を始めたときと、そっくりの展開です。

このお母さんも、大変優れた指導力をおもちの方で、きっと私が標榜している家族支援の形を具現化するための、大切なパートナーのお一人になるに違いありません。

( ▽ ブログも書いておられるので、ぜひご覧になってください。



さあ、今日からレッスンを始めるということになった場合、私はまずご家族の方に、お子様の課題とその願いをお尋ねします。

そのことをもとに、実際に学習を始めていきますが、しばらくの間は学習を通して正味のアセスメントを行います。


そして課題点を洗い出し、自分が何をすべきか? 果たすべき役割が何なのかを明確にしていきます。


「この子には、豊かな数量感覚を身に付けたい」

「文脈理解のできる子にしたい」

「微細な認知と書字の力を育てたい

「多面的なとらえができるよう、良質な刺激を系統的に与えてやりたい」


週に1度の個別指導であれば、ねらいは焦点化せざるを得ないのです。

しかし、例えば豊かな数量感覚を育てるためには、文字を見て、それを具体物や半具体物にイメージ化・映像化する力は、どうしても不可欠なものになります。

数量感覚を培うがために、算数の文章題を題材に、国語の読解指導の手順をとることは日常的に行っています。

育てる軸をしっかり定めて、豊かな学びが展開できるように、一枚一枚の枝葉をしっかりと付けていく。

それが、私の指導計画となるのです。


先にフォームがあって、それに当てはめて、全体像を構成するような指導計画もあるのではないかと思います。

そこに、こうした一本芯のある個別の計画をリンクさせてみるのは、いかがでしょうか?


例えば、出張に行って、詳しい報告書を提出できるのも、大切な営みです。

そして、その報告書と共に、「私は今回の研修で、目のウロコが落ちました。明日からすぐに、やっていみたい構想をイメージ化してきました。それがつまりこれです」 と、A4一枚に手書きのビジョンが綴られている。

こいつは、まさに本物と感じるに違いありません。


オフィシャルな機関であれば、最低限、それにふさわしい全体計画は必要です。

でも、その計画に、命を吹き込むことが大切です。


「私はこの1年で、どうしても、この子にこんな力を付けたいのよ。お母さん、協力してくれる?」

ご家族の方の厚い信頼と、希望は、そんな一言から生まれてくるのだと思うのです。


家族ににしかできないことがるように、家族ではどうしてもできないこともあるのです。

どれが大切かということではなく、そのどれもが大切なわけです。

私には、私の果たすべき役割があり、それぞれの機関の先生には、きっとそれぞれの先生でしかできない大切な役割があるはずです。


すべては、子どもたちの成長と幸せのために。

私は、そう皆さんにお伝えしたいと願っているのです。



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豊かなイメージ力を育てる

 2010-12-17
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かれんちゃんは、大型絵本が大好きです。


「 1・2・3・4・5  したい 」

絵本を読んでいるときに、突然、かれんちゃんがそんな風に言い出しました。


1・2・3・4・5 したい??

一瞬、何のことだろう? と思いましたが、それはすぐに 「いっしょに、かくれんぼがしたい」 という意味であることがわかりました。


「1・2・3・4・5・・  もういいかい?」

私がそう言うと、かれんちゃんはあわてて机の下にかくれています。


「どこかな、どこかな?」 「みい~つけた!」

かれんちゃんは、とても楽しそうにケラケラ笑いながら、「もう1回」 と、せがみます。

「楽しい?」 と尋ねると、「楽しい」 としっかりとした口調で、即座に返ってきます。



かれんちゃんは、以前から、ページをめくりながら、場面の流れやストーリーを感じとるのが大好きでした。

細切れにしたカードやパズルは苦手でしたが、目的を明確にして、活動をロールプレイで構成すると、躍動するかの如く集中できていました。


そして今では、それに聴覚性の言語を添えて楽しむことができるようになりました。

何としても、この世界をもっともっと豊かなものに育みたい。

通い合うものが豊かになるにつれて、相互の信頼感や安定感が増し、レッスン自体がとてもやりやすくなったのは事実です。



この日の午後には、りんちゃん (小3) のレッスンがありました。

りんちゃんも、言葉による応答的なやりとりが、とても豊かな子どもです。

かれんちゃんと同じように、90分のレッスンがいつも楽しく、あっという間に過ぎてしまいます。


りんちゃんの場合には、豊かな数量感覚を育むことを、第一目標に設定しています。

しかし、あれだけ豊かに言葉による応答的やりとりができるのに、現時点では、文字を見て、それをイメージ化することが苦手なのです。



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「カニが9ひき、すなはまであそんでいました。そのうち4ひきがいけにかえりました。まだあそんでいるカニはなんびきですか」


この日の課題で、私は、文字言語をイメージ化するプロセスを、りんちゃんと一緒に追体験しました。

まず、文字を音読する。

そして、その文字の内容を一つ一つ抽象化した絵で表していきました。

課題分析をした結果、どうもこの部分が脆弱であることに気がついたからです。


へたくそなカニの絵を、プリントに9つ書きました。

りんちゃん、何だかとってもうれしそうです。

1番の問題では、さほどではなかったのに、だんだんやってる意味がわかって来たようです

先週までチンプンカンプンだったプリントが、自分でイメージ化出来はじめて、うれしくなってきたのです。


カニを5個くらい書いたところで、

「わかった、わかった、わかった」

と、わかったの3連発攻撃が始まりました。


やっぱりね、ここのパイプがちょっと細かったみたいです。

でも、どうやらここに、温かい水が流れ始めたようです。


イメージ化さえできれば、演算決定自体は楽勝です。

今行っているおいしい支援も、程なくして、きっとフェードアウト出来ることでしょう。

自転車乗ってりゃ、補助輪は、いつかきっといらなくなるに決まっています。

たとえ細くとも、パイプはしっかりつながっているので、視界はちっとも悪くありません。


問題を、適切にイメージ化する時には、数原理をしっかりと踏まえておくことがとても重要です。

同じひき算でも、逃げたり食べたりする場合と、6本と4本を比べる場合では、プロセスが全く異なるわけです。


「今日はひき算のテストだから、式は全部ひき算。 問題なんか読まなくても、出ている数字をひけばいい。 ということは、この問題は、9ー4。 9ー4は、計算カードで暗記しているから、5。 はいできあがり。 テストは100点」


ある程度は、これでできます。

わかっていないけど、出来ているレベルです。

大抵の子は、これで勉強を重ねて行くうちに、だんだん帰納的にわかっていくのです。

それでいい場合もあります。

が、そこでもし行き詰まったとしたら、多少バックしてでも、やはり本丸を攻めないとらちは開かない。

と、私は思うのです。


ここを抜ければ、りんちゃんは変わる。

私は、そう期待しています。


どこまでいけるか、それはわかりません。

でも、やってみる価値は十分あるし、大げさに言えば、そこに学ぶ意味があるのだと思っています。

テストの100点に負けないくらい、大切な学びの中身がそこにあるのです。


大切な何かが、育っている手応え。

目指す所へ、進んでいる感覚。

それは、かれんちゃんにも、りんちゃんにも、共通する感覚です。


それがなければ、おふざけしても、ちっとも楽しい学習にはならない。

そのことを、誰よりも感じているのは、この私自身なのです。


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先生の その一言を待っている

 2010-12-15
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この日、ある男の子が着席すると、すぐに後を向いて、すねたようなしぐさをしました。

保育園に通うお子さんです。


見方によっては、「 先生は嫌い、ここに来て勉強したくない 」 というようにも見受けられます。

私としては、あまりいい感じのスタートではありません。


しかし、その子が後ろを振り向くその時に、アンパンマンのタッチボードに、一瞬目をやったのに気が付きました。

この日の私は、休養十分。 体調もよく、明るい気持ちで、心に余裕がありました。

「これ、やりたいの?」

私がそう尋ねると、その子は、横を向きながらも、コックンと大きくうなずきました。


これまで、言語表出もコミュニケートも、それほど表に出なかった子です。

男の子は、これまで見せたことのないような笑顔で、それはそれは楽しそうに、アンパンマンのタッチボードで遊び始めました。

それをきっかけに、あれがやりたいと次々に指さしを始めました。


「これかい?」


それが自分の求めているものと違う時には、しっかりと首を横に振ります。

こんな風に、意思表示ができたのは初めてのことで、レッスン自体も、これまで以上に活気のある、内容の豊かなものになりました。




「言葉の少ない子でも、心は通い合うよね」

先日、私の敬愛する友人と、そんな話をしました。


この子には言語もなければ、感じる力も無いのではないか?

周囲からそんな風に見られていた子と、しっかりと意思が通じ合った体験を、彼は次々に紹介してくれました。


この活動を始めて以来、私は何度も似たような場面に遭遇してきました。

表出言語は無くても、信じられないほど豊かな内言語と感受性をもった子どもに、何度も出会ってきました。

そして、心が通い合うということ、意思を伝え合うということの素晴らしさと大切さを、しっかりと感じてきました。


これまで、多くのすばらしい先生方にご指導いただいた私ですが、ダイレクトにこうした体験をもっている人と、それほど多くは出会えませんでした。

彼は、全国的に活躍していますし、実践をベースとした何冊かの著書を出版しています。

私はまだまだ、彼の領域までは達していませんが、こうしたことを、リアルに共有できる友人がこんなに身近にいることを、とてもうれしく、誇らしく思いました。


一見マイナス行動に見受けられた後ろ向きのポーズは、勉強したいという強い気持ちの裏返しであったわけです。

「もしかして、これやりたいの?」

その一言を、この子はずっと待っていたのです。


この子とのレッスンは、これまでにない最高の達成感をもって終えることができました。

こんな風にインタラクティブに通い合うことができるなんて、正直、先週までは思っていませんでした。

うれしい気持ちと同時に、私じゃなかったら、もっともっと早く通じ合うことができたのかもしれない、という自責の思いも込み上げて来ました。

だとしたら、恐ろしいことです。


教育は、ネガティブな面を指摘するだけに終わらず、まず子どもを信じること、子どもの可能性を信じることからスタートする。

それを信じられないものは、教育者と名乗る資格はない。

私は、いつもそう自分に戒めています。


「この子に勉強教えたって、ちっとも効果が上がらない??」

仮に成果が表に出にくい子タイプのであっても、内言語が驚くほど豊かに育っている子は、たくさんいます。

そんな子の目に、そう思う先生の姿は、一体どのように映っていると思いますか?


先生の、その一言を待っている。

そんな場合もあるのです。

すべての子と、豊かに通う力量と感性を、もっともっと高めていかなければと願わずにはいられません。




この記事は、「 特別支援教育 記事ランキング 1位  」に選ばれました。 (2010-12-15)


※ この記事は、4531もある教育サイトのうち、「 教育ブログ 記事ランキング1位 」 にも選出されました。 (2010-12-17) 

このブログでは、初めてのことです。 これも皆様の応援のおかげと心より感謝しております。 これからもも、直接子どもの成長や幸せにつながるような、内容のある記事を書き続けていきたいと願っています。 今後とも、どうぞよろしくお願いします。 <(_ _)>


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証書のない卒業式

 2010-12-13
私の教室には、修了年限というものはありません。

5年でも、10年でも、来たければずっと通うことができます。

あの日1年生だった花子ちゃんも、今や4年生。

来春には高学年の仲間入りです。


その代わり、ご家族の転勤、その他様々な理由によって、別れは突然やってきます。

これまでに、何人かの子どもがそうして巣立っていきました。


先日、ある男の子が、私の教室を巣立って行きました。

こうした別れはとてもつらいものです。

もしも引き留めることが可能であれば、いくらでも頑張りますが、そういうわけにもいきません。

何とも言えない思いが、何度も何度も胸にこみ上げてきました。


もしかしたら、次のレッスンは無いかも知れない。

目指す方向をしっかりと見据えた上で、1回1回のレッスンを大切にしなくてはいけない。

次にまた教室に来てくれた時には、そのことに心から感謝して、レッスンを積み重ねていこう。

その繰り返しで、私は子どもを育てていこう。

私は、ずっとそんなふうに考えて、教室を運営してきました。


その子のために、自分のなすべきことは何か?

幹をしっかりと打ち立てておいた上で、1枚ずつ豊かな枝葉を繁らせていこう。

何かそこに大切なことが息づいていくように、自分の願いを必ずそこに添えておこう。

こんな姿勢で、毎回のレッスンに向き合っていきたいと願っていました。


本当に、そうである続けることができたか?

正直、複雑な思いが、胸にこみ上げてくるのです。


やがていつか、その子と学んでいた同じ時間帯に、別の子どもとの新しい学びが始まる時期もあるのでしょう。

でも、あの日あの時、君と一緒に過ごした大切な時間は、私の生涯の宝物として、ずっとずっと心に刻まれているのです。


ご両親は、丁寧にご挨拶をされて、教室を後にされました。

お母さんは、目に涙を浮かべておられました。

私は、笑顔でその後姿を見送りました。



証書も、何もないけれど、この日が私たちの出会いの節目となりました。

楽しかったその子とのレッスンの思い出が、次々に蘇ってくるようです。

熱い気持ちが、何度も何度もこみ上げてきました。



しっかりとした姿勢で、私はこの場に立ち続けなければならない。

この子に伝え続けたメッセージを、決して薄っぺらなものにすることは出来ません。



だれだって、いつかは必ず巣立つ日が、やってくるのです。

君との時間がそうであったように、私は、この場で、子ども達の成長を支える自分であり続けたい。

君と過ごした大切な時間を、別の誰かの成長につなげていくこと、

これからは、それが私の果たすべき役割となるのです。


君は、これからも、決して容易ではないであろう一つ一つの課題を乗り越えながら、その豊かな人生の歩みを重ねていってほしい。


ある寒い冬の日の出来事。

遠ざかりながらも、私はこの場所で、ずっと君の成長を応援し続けたいのです。



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インリアルな数量指導

 2010-12-10
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私の出張や、体調の悪い日もあったりして、久々のレッスンとなったかれんちゃん。 この日はいつものように、元気いっぱいの登場です。


この日の私の中心課題は、数量の指導。

前回のお買い物のロールプレイ、楽しかったことをしっかりと覚えていてくれたのでしょう。

程なくして、「これしたい」 と、しっかりチョイスしてくれました。

信じて正解、

無理に引っ張らなくても、内容の豊かな活動を構成すれば、必ず次回につながっていきます。



この日は、まず、品物の仲間分けから始めてみました。

「りんご」  「ばなな」  「もも」 「りんご」  「なす」  「ぶどう」 ・・・・・・


いつの間に、こんなにクリアに言葉で伝えることができるようになったのでしょうか? 

理解言語が豊かなのは以前から分かっていましたが、この表出言語の伸びには、正直驚いてしまいました。


それぞれの品物は、1~5個になるように事前にセットしておきました。

机いっぱいに品物を分類していくかれんちゃん、

本当のお店屋さんの人になったように感じたのでしょう、とても楽しそうに、てきぱきと作業を進めていきます。


お金を渡すときも、ちゃんと1個ずつ受け取ることができています。

以前は、「1・2・5」 ということが多かった数唱も、今日は、「1・2・3」 とちゃんと正しく言えました。

おまけに、「まってね」 「ありがとう」 「おいしそう~」 など、場にあったナイスな発言の連続です。

主体的な活動となったときのかれんちゃん、その目の輝きが全く違うのです。



エネルギーが強い子は、それゆえに、時に暴走することもあります。

しかし、その気持ちと、指導者の願いとに接点が生まれたとき、誰よりもダイナミックに、誰よりも楽しい活動を展開してきたのが、このかれんちゃんなのです。


もちろん、初めから楽しい活動が構成できていたわけではありません。

うまく行かないことだって、いっぱいあるのです。

その多くの失敗や、多くの痛みを差し引いても、余りあるその活動の魅力を信じることができるようになったのも、かれんちゃんのおかげと言っても良いのかも知れません。


集団の場でも、ご家庭でも、なかなかこのような場や環境は構成できにくいものです。

だからこそ、マンツーマン指導のこの場では、そこをなすべきだと、私は考えるようになりました。



竹田契一先生の 「インリアル・アプローチ」 の中に、次のような一節があります。




日本の教育や保育現場では、先生の指示に素直に従う子ども、一般的な枠からはみ出ない子どもを育てることを期待されている面があります。特に障害児の場合、集団からはみ出ることや指示が聞けないなど枠からはみ出た問題に目を向け、先生の指示に応じられるようになること、つまり子どもを大人がコントロールできるようになることが目標になりがちです。それは、先生にとって都合のよい発想で、それを土台に指導を考えている場合、子どもが思うようにならないと相性の悪さとか障害の重さを理由に、大人側の責任を回避する傾向があります。

インリアルでは、子どもから始める力(主導権)を目標とします。そのために、大人からの開始を少なくし、リアクテイブ(反応的)にすることで、子どもが始めるチャンスを与えていきます。子どもを取り巻くコミュニケーション環境を変えていくという発想を持っています。この意味で大人は重要なコミュニケーション環境であり、最終的には子どもと大人が対等な主導権を持つイコール・イニシュエーターになって、コミュニケーションを進めていくことをゴールにしています。






私の場合は、インリアル・アプローチそのものではなく、PBSの行動の読み解きという視点から、ストーリー性ということを、もっとも重視して指導を組み立てています。


例えば、レッスンがうまく行かなかったケースを自分なりに分析してみると、かれんちゃんがやろうとした願いを読み解けず、行動を中断してしまった場合がほとんどです。

かれんちゃんは、実にデリケートな面が多く、その流れが自分の予期せぬ方向へ展開することをとても恐れます。

「こわい」

そう表現できるときはいいのですが、私の教室で、目を三角にして、物を投げ散らかしたような時は、大抵そんな構造になっていました。


まだ未分化な子どもですから、動物のカードを取りに行く途中で、、アンパンマンのおもちゃに目が行ってしまい、途中で内容が入れ替わってしまうようなことは、しょっちゅうです。

そんな時は、まずアンパンマンのおもちゃで遊んだ後の展開を工夫した方が、結局は近道。

そこに無理に動物カードを取り込んで、その日の活動をすべて台無しにしたことが、何度あったか知れません。


個別指導で培った能力は、やがて必ず集団の場で生かされると確信しています。

教育は、実際に子どもを育ててナンボの仕事、結果をださなくては何にもなりません。

行き届いた教育により、子どもの可能性が拓けていく道筋を、実践を通して、もっともっと明確に世に示さなくてはならないのです。。

そのことが、暗闇の中で、今苦しんでおられる多くのご家族の、希望の光となるはずです。


己の無力さも、未熟さもわきまえた上での話です。

だからこそ、そこへ向かって進んでいきたいのです。



この記事は、「 特別支援教育 記事ランキング 1位  」に選ばれました。 (2010-12-13)



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必ず伝わると信じたい 深い願い

 2010-12-09
あるご家族のご相談を伺う機会がありました。

通常学級で学ぶ1年生のお子さんについて、学校にお願いする内容についてのご相談です。


ぜひ、来年も通常学級で学ばせたい。

そこには個別の教育的ニーズが存在し、少しでも豊かな学びが構成できるよう、ぜひとも学校にお力をいただきたい。

伝えたいことは、それだけのことです。


就学前からこれまでに、何度も何度も、必死の思いで、そのことを学校に伝えてきたはず。

しかし、その願いが遅々として具体化していかない。

これまでの、苦労は、一体何だたのか?

表情からして、おそらくは、前日、十分におやすみなれなかったに違いありません。

ご家族の心労が、日を追って深くなっていくのを、私はずっと感じていました。


お母さんは、これまでの経過を、文書にまとめてこられました。

お父さんと一緒に、一つ一つ内容を精査しながら、正すべきは正し、お願いすべきはお願いすべく、さらに検討を重ねていきました。

決していたずらに学校側と対立的なろうというのではなく、その必要性・妥当性・そして今学ぶことの重要性を、何としても理解していただこう。

聡明で、思慮深く、愛情豊かなご両親です。

だからこそ、余計に刻まれていく苦悩があるのです。


一日でも早く、この熱い思いが、教育の最高責任者である校長先生の胸に伝わり、望ましい学びの場が形となって、力強く具現化していくことを願わずにはいられません。



検討を重ねていくうちに、いつの間にか夜も更け、その会場の終了時刻が過ぎてしまいました。

ふと、お母さんの顔を見ると、以前の生き生きとした表情が、少しよみがえってきました。

「このまま、すぐ、学校に行きたいくらいです」

困難に接し、また一段と厚みを増した母のまなざしが、私の心をとらえました。


私は、実は何もしていない。

ただ、私がその場にいることが、この母の心の内にある本来の姿を、呼び起こしたのです。

私は、こうした場に、何度も何度も出会ってきた。

多くの方が、こうして力をみなぎらせていった。

それが、支援者としての、私の果たすべき役割だと心得ています。


この日のレッスンでは、仕事で忙しいお父さんが、久々に同席してくださいました。

いつもに増して、弾む子どもの笑顔がありました。

絶大な存在感と、深い絆。


この子、幼稚園から何年も、無遅刻・無欠席を続けています。

多少苦手な場面があっても、持ち前の明るさで、どんどん前に進んでいきます。

この子がいるだけで、その場がぱっと明るくなるような、例えようのない魅力たっぷりのお子さんです。

この魅力の源泉がどこにあるのか、この日、しっかりと確かめることができました。


一朝一夕に、山が動くことは無いのかも知れません。

しかし、一時的なものでなく、深く揺るぎない真実の思いは、必ずどこかに通じ、何かを動かすに違いない。


私は、それを信じたい。

私は、これからもずっと、このご家族と一緒に前へ進んでいきたい。

私は、私自身の心の中にも、しっかりと、新しい何かが生まれているのを、感じているのです。




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就学前と就学後 その1年の育ち

 2010-12-06
昨日、あるお父さんが久々に私の教室にお越しくださいました。

思えば1年前には、小学校の就学のことで、ご家族の皆さんと一緒に、真剣にそのことに向き合っていたものです。

「親として、命をかけて、この子を育てたい」

厳しい表情で、力強強く言い切ったお父さんの表情を、今でも忘れることができません。


その男の子、就学前は表情も硬く、少し自然なコミュニケートがとりにくい時期がありました。

当時は、学習も今ほどダイナミックな展開にはならず、工夫が必要でした。


小学校に入り、様々な課題に向き合ってきました。

集団適応、そうじ当番、給食当番、支援員の先生や担任の先生とのかかわり、繰り上がりの計算、ナチュラルなコミュニケート・・・

命をかけて、と言い切ったご家族、

深い愛情をもちながらも、真摯に一つ一つの課題に向き合っていかれました。


ところが、いつの間にか、私はこの子とのレッスンが楽しくてたまらなくなってきました。

たし算や、ひき算、

計算の意味を理解するまでには時間はかかりましたが、そこを通り越すと、意外にイケル。

文字を読むのは苦手だろうなあと、ふんでいたら、これが感情込めて結構読める。

ちょっと前まで、オウム返しで、妙な会話であったものが、いつの間にか、だんだんと応答的なやりとりができるようになっている。



「すごいね、よくできるね、先生の所では、いつもそうほめてもらえるので、本人、来るときはうれしくてたまらないようです」

お母さんが、そんなことを伝えてくれるようになりました。

あんなに構成に工夫が必要だった子が、今ではいつもニコニコ笑顔で、算数も、国語も、パソコンも、抜群の集中力で次々にこなしていきます。


「おかげさまで、何とかうまくやってくれるようになりました」

お父さんは、それだけのことを伝えると、あたたかい表情で、ていねいに挨拶をしてお帰りになりました。



今年、就学を迎えられたご家族、

ご家族の表情が、だんだんと厳しくなっていったケースもあります。

予想しなかった展開に、胸を痛められたことももあり、その思いは様々です。


しかし、そういったケースにあっても、私の立場からすると、就学前と就学後では、レッスン内容が飛躍的にレベルアップするケースがほとんどです。

みんなに付いていこうと、毎日毎日必死で続けた努力がそこにあるのですから、当然と言えば当然です。

それにも増して、就学という出来事そのものが、子どもを飛躍的に成長させる機会になっているに違いありません。

学校というところは、そうした絶対的なエネルギーの宿る場所であるのです。


私が教えている子の中には、できるまでには時間はかかることが多い子もいれば、なかなかスマートに学習が進まないことが多い子もいます。

でも、もし今テストで0点だったら、何も習得できず、やったことが無意味だったかと言えば、決してそうではありません。

たとえ今は表に出なくても、エネルギーも、パワーも、技術も、しっかりと充電中ということだってあります。


そして、苦労したら、苦労した分、出来たときの喜びはひとしおです。

出来始めた時のエネルギーには、ものすごいものがあります。

みんながちょっとモチベーションが下がり始めた頃に、急にスイッチが入り、いつの間にか逆転していたという場合だってあるのです。


ご両親の、就学前のあのご苦労と、あのご努力があればこそ、この子の今がある。

私は、そう見ています。

うまく行っている時は、過去の努力の集金をしているようなもの、どうしていいか先が見えず、途方に暮れたその時の、ふんばり加減で子どもは育つ、私はそう思っています。



先日、大阪で、「先月から急にしゃべるようになりました」 と、うれしい報告をくださったご家族がいます。

言葉は、なかなか表に出ない時期がある子もいますが、ある日突然出るようになるケースに、私は何度も出会ってきました。

その言葉が出ない時期だからこそ、語りかけ、本を読み聞かせ、理解言語を増やし、応答的なやりとりやコミュニケーションの楽しさを体感させることに価値があり、そのかかわりが大切になってくるわけです。


初めて、我が子が歩けるようになったときの感動、皆さんもきっと心に刻まれていることでしょう。

子どもの奇跡は、起こった時は感動ですが、時が過ぎれば、歩くことも話すことも、何でもない日常のこととなっていくのです。

それでいいのです。

だからこそ、苦しい時には、もう一度、その大切なことを見つめ直してみることが必要です。


小事をおろそかにしては、大望は遂げられませんが、些細なことに近視眼的になりすぎるのもどうかと思います。

就学後に育ったことを、見つめ直し整理してみることは必要です。

価値を見つめ直すことは、大切です。


支援者だからこそ、主体者を支えることができる。

私は、これからも、その役割をしっかりと担って行きたいと願っているのです。



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イメージと文字言語のつながり

 2010-12-03
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私は今、ある海外ドラマのDVDをみるのを、とても楽しみにしています。

県外に出かけた帰りに、少し時間があると、新幹線の中で宅配レンタルで借りたそのDVDをみたりするのです。

もうセカンドシーズンに入っています。 登場人物のキャラや特徴、場面設定などをある程度知っていますので、字幕がなくても、時々セリフの内容が理解できることがあります。

初めて見る映画などでは、こんなふうには行きません。

しかし、何言ってるのか全然わからないでいたのが、しばらく見ていると、頭の中のモードが変化して、急に言っている言葉が聞こえ始めることがあります。

聴覚性の刺激が、内言語化される瞬間です。

こうして英語にかかわる、複雑な言語理解のネットワークが、少しずつ構成されているんだなと、私は勝手にそう思いこんでいます。




ある子どもに、ひらがなと絵を結びつける学習をしました。

その子は、文字言語の場合は、どちらかというと一文字一文字をしっかり見ていくタイプで、文章を読んで状況を思い浮かべることが、現時点では少し苦手なタイプのお子さんでした。

一文字一文字は読めるようになった、

では、どうやったらそれをイメージと対応する力を培うことができるのか。


① まず、ひらがなを子どもに音声化させる。 

② 先生もすぐに 「いすにすわる」 と読んでやり、聴覚性の補助刺激を与える

③ 「いすにすわる」 は、どの絵かな、と尋ね、視覚的なイメージと対応させる。


私は、上記のような方法でトライしてみました。

当初、絵を先に見させて、文字を対応させようかと迷いましたが、この子にはやっぱり文字を先に読ませる方が正解でした。

「いす」 とか 「くつ」 とかの単語ではなく、「いすにすわる」 という二語文にしたのも正解でした。

文字を音声化するので、精一杯だった子ですが、ほぼ同時に聴覚性の刺激と視覚性の刺激を添えることにより、文字をイメージ化するルートが一本つながったように、私には見受けられました。

細いけど、小さいけど、大切なルートがつながったのです。

この道をしっかり歩んでいけば、聴覚性の刺激をなくしても、視覚性の刺激をなくしても、やがて文字を見て、しっかりと状況をイメージ化することが出来る子に育つかもしれない。

まぶしい希望の光が、差し込んできたように思えました。

これから、その豊かな体験を積み重ねていくことが、私たちの新たな学習の道筋となったのです。


言語にかかわるネットワークは、とても複雑で、高度なものです。

様々な機能が相互にかかわりあって、それを構成しているのです。


音声化できないので、きっとわかっていないのだろう思っていたら、実はしっかりとわかっていた、という場面に何度も出会ってきました。

その逆に、とても上手に音読できていても、内容がほとんどつかめていなっかった例もあります。

文字は書けないけど、選択問題なら、次々と正解を重ねていく子どももいます。


なぜそれが出来ないのかが、理解できたら、そこに支援を入れて学習を積み重ね、やがてはそうした支援がなくても、自分の力で出来るように育てる。

それが、私のやり方です。

そのことで、少しでも子どもの成長や幸せのために、力を尽くしていくこと。

これが、私らしさなのかな?

これからも、自分のなすべきことを、しっかりと見つめていきたいと思っています。



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教育実践が 人をつなぐ

 2010-12-02
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昨日は、福島県郡山市教育委員会教育研修センター、特別支援教育研修会での講演をさせていただきました。

前日の新幹線で福島入り、研修担当の先生にお話をお伺いすることができました。


お話を聞かせていただく中で、驚くべきことがいくつもありました。

まずは、特別支援教育講座の研修内容の豊かさです。


子どもの特性理解とその支援のあり方、ユニバーサルデザイン、ソーシャルワーク、NPL(神経言語プログラミング)によるコミュニケーション、授業改善、交流および共同学習、教育課程編成、教材教具の実技とムーブメント教育・・・

しかも、どう見たって全国第一線でご活躍の、著名な講師の方ばかりです。


この先生、休日には各地の研修会に自腹で出かけ、研修生の立場でご自身が研修を受け、郡山の教育現場に今必要な内容を確かめて構成されているのです。

そうでなければ、きっとこれだけの豊かな内容の研修を構成することはできない・・

すごい、こんな人もいるんだ

私は、強く心を打たれました。


その講座の一コマに、「白ゆり教室 石原忍」 という文字が印刷されているのです。

とてもありがたく、感謝の気持ちでいっぱいになりました。



50名近くの先生方のご参加をいただき、研修会は始まりました。

あれほど、「平常心」 「ありのままの自分」 「決して背伸びをしてはいけない」 そう自分自身に言い聞かせていたにもかかわらず、この日の講演、始まってすぐ、内容にキレがないのに気がつきました。

言ってることに、魂が入らない・・

途中で、あぶら汗が出てきました。


花子ちゃん、太郎君、イチロー君、友里ちゃん、かれんちゃん・・・

平素の実践を語り初めて、私はやっと、いつもの自分に戻ることができました。

実践をお伝えしているうちに、うんうんとうなずいてくださる先生が、一人・二人と増えていくようすが、手に取るように感じられました。


後半になってやっと本調子に近づいてきました。

が、時間切れ・・

正直、自分では悔しさの残る展開でした。


しかし、その分、私は、自身にある大切な宝物を確かめることができました。

「私には、子どもたちとの教育実践がある」

この教育実践があればこそ、多くの方と心通じ合うことができる。

具体的な実践があるからこそ、そこから相互に学び合い、高め合うつながりが生まれてくるのです。

私を、郡山の研修会に押し上げてくれたのも、太郎君であり、花子ちゃんであったわけです。


研修会のあと、アンケートをいただきました。

のちにタイピングして、内容をアップさせていただこうと思いますが、それぞれの先生方が、具体的な実践を通して、ご自身の力量を向上させていきたいと願っておられることがダイレクトに伝わってきました。

あんなに拙い内容であったにもかかわらず、それぞれの子どもの事例から、先生方はシャープにそのエキスをえぐりとっておられました。


研修会が終了して、所長と担当の先生が反省会を開いてくださいました。

あれも言い忘れた、これも伝えたかったと、出るわ出るわ後悔の数々・・

もっともっと研鑽を重ねて、せめて自分自身が納得のゆく内容にしなければ、申し訳ないの一言です。


うちのラーメン、スープは、まんざら捨てたものではありません。

力量は、まったく足りません。

内容にも、満足していません。

しかし、スープだけは本物です。


私のすべきことは、自身のの教育実践を豊かにすること以外にはあり得ない。

それさえあれば、全国の、志のあるすばらしい方々と巡り会うだって、何だってできる。


今回の講演で、研修センターのスタッフの方々ともお話を伺う機会がありました。

退職された校長先生も、そのスタッフのメンバーに加わっておられました。

短い時間でしたが、お話を伺うことができました。 

私が、どんなに逆立ちしてもかなわないほどの、見識をおもちの先生であることが、すぐにわかりました。


少し無理なお願いをしたにもかかわらず、泊まったホテルの方は、それはそれは見事な対応でした。

郡山は、あたたかい気持ちの通い合うすばらしい地域でした。

こうした栄えある場にいられるのも、一人一人の子どもたちがいればこその話です。



必要なのは、日々の教育の豊かさであるわけです。

子どもたちとの、臨床の最前線にいられること

そのことが、私の果たすべき役割であり、何よりの誇りなのです。




この記事は、「 特別支援教育 記事ランキング 1位  」に選ばれました。 (2010-12-03)



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Author:SHINOBU
新大阪教室

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