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子どもと長くかかわる指導者の役割

 2010-11-29
私の教室に来た子で、当初、拒否反応を示した子は何人もいます。

初めて来た教室で、初めて会った先生がいて、2人っきりの教室・・

考えてみれば、不安になって当然かも知れません。


中には、机の上に上がって、近くにあった穴あけけパンチを、床に叩きつけた子がいます。

「親に見捨てられた~」 と、迷言?を残した子もいます。(笑)

トイレにある芳香剤や、トイレットペーパーを、全部便器の中に放りこんだ子、

教室から脱走して、逃亡した子、

1時間中、スリッパを投げ続けた子もいます。


今では、そのほとんどの子が、ひざをすりつけるように、私のそばにすり寄ってきます。

中には、レッスンに手をにぎったり、間近に顔を近づけて、まじまじと私の顔を見つめてにっこりと笑う子もいます。

困らせた子ほど、コミュニケートが苦手な子ほど、一度通い合うと、つながりが深くなるのです。

ここまでくるのには、一定の時間は、やはり必要です。



「ずっと長く見てもらえる先生だからこそ、子どもの育ちを感じてもらえる、理解してもらえる。1年だけだと、それまでの苦労や成長について、担当の先生方にわかってもらえることはなかなかむずかしいものです。子育てって、なかなかほめてくれる人がいませんし・・ 
長い期間、ずっと、子どもを応援してくださる先生がいて、子どもの成長を共有できることで、私は何よりの元気をいただけるのです」

昨日、あるお母さんから、お伺いした言葉です。


この日、ある子が私の目をしっかりと見つめ、深々と頭を下げ、「ありがとうございました」 と、挨拶をして退出していきました。

今では、毎回安定してレッスンを積み重ねることができるようになりました。

昨年のことを思うと、驚くべき変化です。

もちろん、ご家庭での豊かなかかわりが、この子を育てたのです。

うれしくて、うれしくて、たまらない気持ちになりました。


私はただ、日々のレッスンを、毎回のレッスンを、心を込めて丁寧に行うことしかできない。

その事の大切さを、しっかりと認識しておくこと。

私はここに、また一つなすべき役割を感じたのでありました。


今日は大阪、深夜に岡山に帰り、翌朝は福島へ。

愚直でも、子どもために、それを育むご家族のために、前へ進んでいく自分であり続けたい。

わたしを突き動かす、何かが、ここにしっかりとあるのです。





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算数の文章題が できるようになる

 2010-11-26
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昨日は、りんちゃん (小3) のレッスンの日でした。

日常生活の中での、豊かな数感覚を育てるための一つのステップとして、今は文章題を中心にして学習を構成しています。

「おかしが8こ入ったはこが、2つあります。おかしは、ぜんぶで何こあるでしょう」

こんな計算で、8+2をする子はいませんか?

数処理も大切ですが、豊かな数感覚を育てるためには、文字言語を具体物のイメージに変換できる力も大切になってきます。

そこで私は、今、次のような手順で、りんちゃんとの学習を進めているのです。



① 文字を読み、まず。それを音声化する。

② 継次処理優位の特性に合わせて、聴覚性の支援 (先生が文を読んで聞かせる) を入れて、それを内言語化させる。

③ 内言語されたことを、半具体物を通してイメージ化させる

④ 操作活動を通して、そのイメージを再現させる。

⑤ 再現化されたイメージをもとに、演算決定 (たし算・ひき算) をさせる。

⑥ 再び問題文に返り、イメージや操作と文字言語を対応させる。 
 (りんちゃんの場合は、ここが苦手なので、厚い支援から段階的にフェードアウトしていく)

⑦ 立式し、数字 (文字言語) に変換する。

⑧ 継次的に数処理 (数えること) をさせながら、同時に操作をさせて、イメージと対応させる。

⑨ 答えを記入し、単位を添える

⑩ 確認する。




こうした文章題を、毎回15問、1時間近くかけて学習していますが、よく食いついてくるようになりました。

昨日は、りんちゃんの反応があまりに面白かったので、その発言を記録してみました。



 「わかった」 → 11回

 「頭でわかった」 → 4回

 「思い出した」 → 3回

 「わかった、わかった」 → 2回

 「パズル (数図ブロックのこと) でわかった」 → 1回

 「頭使ったから、わかった」 → 1回

 「わたしね、頭でおぼえたから」 → 1回

 「そういうの、やめてください」 → 1回
 (助言は不要です、という意味です)




すごい活気とニコニコ笑顔、2人でだけでの勉強なのに、途中での大爆笑を含めて、あっという間に時間が過ぎていきました。

この日は、お父さんが迎えにくるのが、楽しみで楽しみで仕方がないようでした。お母さんもすごいけど、お父さんもさすがだなって、改めて感じました。


前回、「何まいでしょう」 という問題で、答えを「5」 と書いてしまいがちなことをお伝えしましたが、この日は、ほぼこうしたミスがなくなっていました。


こうした学習は、動き出すまでが大変で、動き出すと案外うまくいくこともあります。

だからこそ、肝心要なのは、もがきの時間であるわけです。

あと1年半でできなければ、切腹? の覚悟で取り組んでいる今回のプロジェクトですが、こんな調子だと、案外ゴールは近いかも知れないと感じました。



水曜日には、京都でのレッスンがありました。

5月から始めた京都でのレッスンですが、その京都に、新幹線で1時間以上離れた地域から通ってくださっている方がいます。

水頭症の影響かどうか、パズルなど以前に出来ていたことが、今ではできにくくなっていると、お母さんは伝えてくださいました。


この日、国語の新しい教材を取り入れてみました。

その時に、私はこの子の特性のカチンとあたる芯の部分に触れたような気持ちになりました。


「なるほど、これは、もしかしたらイケルかも知れない」


以前、「黄色いバケツ」 という教材で、花子ちゃんの読字の継次性の能力のすばらしさを発見したときのような、胸に湧き上がる感覚を思い出しました。

新幹線で京都まで通っていただき、もう何回目になるのでしょうか?

やっとここまでで申し訳ない、という気持ちでいっぱいです。

りんちゃんだって、このスタートラインに立つまでに、1年以上かかっているのです。


申し訳ない、申し訳ない、本当に申し訳ない・・

本当にそう思ったら、私のなすべきことは一つしかありません。


学びの道筋を見つけること、

それが私の仕事です。


その道筋が本物なら、あとはその集金をすればよいだけで、それは案外楽しくて、簡単なことです。

それが見えないから、苦しいのだし、だからこそ、そのことが大切になってくるわけです。


私は、多くの子どもの直接かかわっているのですから、その経験を、何としても子どものために生かしていかなくてはなりません。


ここを歩めば、必ずあの頂に到達できる。

指導者にはっきりとその道筋が焼き付いたならば、きっと子どもは付いてくるに違いありません。

指導者としての専門性の中身は、きっとこういうことではないかと、私は考えているのです。



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主体的であればこそ 新しくつながっていく何か

 2010-11-25
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火曜日に、名古屋でお話をさせていただく機会がありました。

「星の子ステーション」 のスタッフの方が、私のことをブログでお知りになり、こうした講演会を開いてくださったのです。


会が始まる前、パソコンの接続を確認していると、会場に早めに入られた方が、次々と私の所へ来て声をかけてくださいました。

短い時間でしたが、自分のお子様の課題に向き合っておられるご家族の方、それを支えていらっしゃる保育士の方、インストラクターの方、学校の先生、支援員の方、NPOの中心となって活躍をされている方など、様々な方にご挨拶をいただきました。


参加費をいただいての私の講演会に、60名を超える方が集ってくださいました。

スタッフの皆様方の、熱い気持ちとそのエネルギー、そしてそのご努力・実行力が、見事に形として集約されているという印象を強くもちました。


会が始まる前に、スタッフの方と一緒に、会場近くのカフェで食事をいただきました。

程なく時刻が来て、会がスタートしました。


事前に、平常心でやれるかな? と思っている部分がありましたが、始まって見ると、これが何とすごく楽しい。

講演をしながら、「どうして俺、今こんなに落ち着いているんだろうと」 自分自身をメタ認知できる私がいるのと同時に、こんなステージで私の大切な子ども達のことをお伝えできることが、何とも言えず幸せに感じていました。

子ども達が、私をこんなに光栄なステージへ押し上げてくれたに違いないのですから。


内容は3部構成で、第1部でこれまでかかわってきたご家族の強い気持ちのことを、第2部で実際のレッスンでのようすとそれを理論的に整理したものを、そして第3部では、人が人と共に生きることの大切さをと自身の肯定的な自己理解についてお伝えをしました。


スタッフの方といろいろな打ち合わせをしているうちに、この方々は、私の大切な仲間なんだって思うようになりました。

初めてお会いした方ばかりでしたが、何一つ構えることなく、ありのままでいられる自分がすでにそこにいたのです。


私の今の活動は、100%すべて、私の思うがままに進めています。

現時点では、全くの個人プレーです。

私が、私らしさを発揮できたからこそ、こうして、強い気持ちと深い愛情、そして類い希な実行力をおもちの皆様とつながることができたわけです。

自分らしさを発揮できてこそ、誰かとしっかりつながることができる。

私が普段子どもたちに育てたいと思っている大切なことを、一つの形として、こうして示すことができたのかも知れません。


私、いくらがんばっても、有名な大学の先生方のような内容をお伝えすることが出来ません。

講演料をいただくからといって、急に背伸びをしたり、妙なプレッシャーを感じたり、自信を失っては、結局、何にもなりません。

だったら、私のすべきは、一番私らしさが表れる内容にすべきだと思ってから、急に元気が湧いてきました。


「頑張ることは大切。 だけど、背伸びしすぎるのも、どうなんだろう? 人はありのままで、自分らしさを発揮することも大切なんだ。 色々な人が、色々な形で、自分らしさを発揮できる社会こそ、豊かな世の中の証だと、先生は思っています。 先生は、君の輝きを誰よりも知っています。 だからこそ、いつも明るい気持ちで、力強く、前に進んでいってほしいと思っているんだよ」


普段、子どもたちに伝えていることことを、私は、心の中で何度も、自分自身に言い聞かせていました。



会が終わり、またスタッフの皆様のお話を伺うことができました。

アフターのこうした時間は、それはそれは内容の濃いものになりましたし、私には、この星の子ステーションが、力強くまっすぐに前進していかれる姿が、目に浮かぶように感じたのでありました。


名古屋駅まで、車で送っていただきました。

この日は岡山に帰らず、京都で泊まり、次の日の京都レッスンの準備に取りかかりました。

連日、朝は5時起き。

へろへろに疲れていて当然なのに、何でこんなに元気なのか、自分でも不思議に思うくらいです。

自分の私利では、ここまではできません。

多くの方々の、そしてたくさんの子どもたちの存在が、私を突き動かせているのです。



今回いただいた講演料で、顕微鏡や水槽など、理科の実験道具を購入させていただこうと考えています。

私をこのステージに押し上げてくれた子どもたちと、参加してくださった皆様方の気持ちをつなぐことも、私のなすべき役割の一つだと感じています。


私は、誰に何と言われようと、今歩んでいる道を変えることはありません。

その信念があればこそ、これまで多くのすばらしい方と出会うことができたのです。


主体性が確立されてこそ、新しくつながっていく何かがあるわけです。

迷ったり、悩んだりしたときこそ、一歩前に進んでみることが大切です。


決して、一人ではありません。

大したことはできませんが、あなたには、私がいます。

私と今つながっている方は、すべて主体者として、前へ進んでいらしゃる方ばかりですから。


※ 「星の子ステーション」の代表の方が、今回の講演の感想やエピソードをまとめてくださっています。こちらも、どうかご覧ください。 ( ▽ えじそんママの Happy子育て )



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言葉が使えるようになるというメカニズム

 2010-11-22
私は、これまで、多くの子どもの学びに直接かかわってきました。

その中でも、言語の発達は、最も大切なテーマの一つです。

特に、日々、小さい子どもの言葉の育ちを見つめることによって、多くの気づきや発見がありました。

そして、その構造がいかに複雑で、様々な能力の組み合わせや連携によって成立しているのかを、体験を通して知ることができました。


一つ一つを精緻にとらえることが得意なタイプの子は、流動的に流れゆく聴覚性の言語や会話を聞き取ることは、苦手な場合が多いようです。

また、アバウトに文脈を捉えたり、場の空気が読める子は、微細な文字言語を認識したり、イメージ化した内言語を、再び文字言語をと対応させることに、抵抗感を示すことが多いようです。


では、どうするか?

私の施した方法は、基本的には、以下の2つ。


一つめは、厚い支援を施しながら、だんだんその支援をフェードアウトしていくプロンプトフェーディング法、

もう一つは、課題を分析して小さな階段を登らせながら、その頂に迫るスモールステップ法、

方法としてはこの2つで、実践場面では、この2つを組み合わせながら、レッスンを構成します。


毎週1回、90分レッスンで、子どものモチベーションがキープできれば、1年半くらいで、結構手応えを感じるようになってくる、というのが、私の実感です。


もちろん、双方が得意な子もいますが、その逆もあります。

ただ、特性理解の観点として、この2つの軸で子どもを見つめると、その課題やメカニズムが浮き上がって見えてくることが多いのです。



脳の機能局在から考えると、左脳向かって左側のブローカー領野 (表出言語) から右側のウエルニッケ領野 (受容言語) までの、広い範囲が関係していますから、そのどこかに微細なエラーが生じると、色々な影響が生じてきます。

その程度にもよりますが、代償性機能 (マイナスな部分を他の機能で補うこと) が有効に働くようになるまで、学習ができれば、伸びた・できたという手応えを感じることができるようになった、ということだと思います。


場合によっては、学習や本人の発達に伴い、4歳ではうまく機能しなかったことが、7歳くらいでつながり、一気に表出言語大爆発となったのではないかと思われる事例にも、何度か出会ってきました。

また、場合によっては、事実はシャープにとらえることはできるが、感情をとらえることが、どうしてもできない場合もあります。




「昼休みが、おわっちゃった」

この時の、主人公の気持ちは、次のどちらでしょう。

A うれしい

B かなしい


「???」

> 先生、私、うれしいのか、悲しいのか、さっぱりわかりません。 昼休みが終わったと書いてあるから、ああ、昼休みが終わったなあって、わかるけど、それに感情が込められているなんて、今初めて知りました。他の人は、これだけで感情がわかるんですか?

> うん、「おわった」 という表現と、「おわっちゃった」 という表現では、込められている感情が違うんだ。 「~ちゃった」 というのは、「残念だな」「悲しいなあ」という時に、使う表現なんだよ。

> えっ、そうなんですか? 今、初めて知りました。

> そう、あなたは、悲しいという言葉が書いてあれば、すぐ分かるし、事実を読み取る力も豊かなんだから、これから、いっぱい色々な場面を勉強して、そういうことを覚えておくといいかもね。

> ありがとうございました。初めて、こういうことを教えてくれる先生に出会いました。

> あなたには、少し苦手なところもあるけど、いいところもいっぱいあるのだから、それを生かして勉強を続けていくことが、大切だと思うよ。

> えっ、私にもいいことがあるんですか? 私にはいいところなんて、無いと思っていました。 こんなふうに言ってもらったのは、初めてです。

> そうなの? あなたが前向きだったから、ここで勉強できるようになったんだよ。マイペースでいいから、これからも、一緒に勉強を進めていきましょうね。



実際の、昨日のレッスンの一コマです。

苦手な部分は、人それぞれです。

言語表出が苦手だからといって、わかっていないとは限りません。

文字が読めているからといって、内容が理解できているとも限りません。


言葉のルートは、超複雑なのです。

だからこそ、学ぶことが大切であり、意味があるのです。

苦手だから、絶望するのではなく、苦手だから自分がダメだと思うのではなく、苦手だから学ぶのです。


どんなに学習しても、感情をダイレクトに理解することがむずかしい場合もあるでしょう。

言語表出に至らない場合もあるでしょう。

ならば、あきらめて、何もせずそのままでやり過ごしますか?


だからこそ、学ぶ。

きっと、そこから、彼女が歩む、彼女らしい道筋が拓けていくのだと、私は期待しているのです。



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1年後には、必ずできるようにさせる

 2010-11-19
「きのうは、おもちを4こ食べました。今日は、おもちを7こ食べました。あわせて何こ食べたのでしょう。」

私は今、りんちゃん (小3) と一緒に、このような問題に取り組んでいます。


文脈を把握し、数量をイメージ化しないままに 「食べた」 というキーワードと、4 と 7 という数字に着目すると、「4 - 7」 になってしまい、誤りを指摘すると、それが 「7 - 4」 になったりします。

引き算じゃあないなら、足し算?

それで答えが出せたとしても、理解できたことにはなりませんよね。

学習を積み重ねていくうちに帰納的に、「あっそうか」 と気がつくこともありますが、一方で課題に真っ正面から攻めてみることもやはり必要です。


りんちゃんは、おしゃべりが大好きで、字がとっても上手に書けます。

向上心も強く、この子がそこにいるだけで、周囲がぱっと明るくなるようなスペシャルなオーラをもっています。

花丸をつけてやると、「やったー、先生大好き」 という調子で、90分間集中して学習に取り組むので、こちらのモチベーションも上がってしまいます。

小さいお子さんをおもちのご家庭では、「将来、りんちゃんのようになれたら、どんなにステキだろう」 と思っておられる方も多いようです。


そんなりんちゃんですが、りんちゃんにはりんちゃんの大切な課題があります。

字はとっても上手です。1画1画、ていねいに書くことができます。

しかし、昨日 「色」 という字を書くのに、とても苦労しました。

微細の形の認知が、得意ではないのです。


問題文を読んだりするときには、「先生、読んで」 とよく言います。

目で、文字を追ってはいますが、認知のメインは聴覚性のものです。

音声言語から、アバウトに文脈を理解するのは得意ですが、内言語化したイメージを、もう一度、文字言語と照合して切り取ることができにくいのです。


足し算なのか、引き算なのか、演算決定ができにくい。

問題文を読んで、演算決定ができにくい背景には、こうした言語理解の特性があるのです。

ならばどうするか?

得意な聴覚性言語をメインに、それを文字言語と対応させ、操作活動を取り入れながら、イメージ化する作業を繰り返す。

最初は支援を手厚く、やがてそれを少しずつフェードアウトして自立させる。

個別指導なら、それができます。

それが、私の考えるこの子への方略です。


この子には、他の子にはない、達成動機の高さがあります。

このことは生活場面の局面では、すべての場合に必ずしもプラスに作用することばかりではありませんが、ここでは生きます。

もしも、こうした力が付いたなら、それは国語など、他の教科でもきっと役に立つに違いありません。


「だまされたと思って、あと1年ともう少し時間をください。」

昨日、私はそうお母さんにお伝えしまいした。

4年生の終わりまでには、私の考えているところまで、何としてもこの子を引き上げてみたい。

花子ちゃんや、イチロー君や、友里ちゃんと一緒に歩んできた成果を、ぜひここでも生かしていきたい。

1年半、がんばり続けること、この子とだったら出来そうな気がしてならないのです。


「それが出来なければ、切腹です」

私がそうお伝えすると、お母さんは、笑っておられましたが、そうでなければ申し訳が立ちません。

「でもね先生、本当にそれが出来たら、この子は大きく育つことになります。4年生でなくとも、それが6年生だって構わないのです」

さすがの、一言、ますます力が入るというものです。


歩むのは子どもですから、無理に引っ張ると、ろくな事にはなりません。

「誰のために」 という目的と手段を、忘れることがあってはいけません。

子どもをダシに、成果だけを優先することがあってもいけません。

少し遠くにある頂をしっかりと見つめ、りんちゃんの心がそこに向かうよう、しっかりと支えていくのが私の役割です。


少し、豊かな数感覚を培うのが大目標ではありますが、そのためには国語の物語文から攻めてみるのも、案外近道かも知れない。

目指す所がはっきりすればこそ、いろいろなルートが見えてくるというものです。


1年後には、必ずできるようにさせる。

その決心には、強い気持ちばかりでなく、深い愛情と道筋が不可欠です。


その遠くに見え隠れしているあの山の頂のこと、

それを私は 「希望」 と呼んでいるのです。

そのために見通しがもてること、そのことが指導者の資質として最も大切なところ。

そこに、覚悟は、やっぱり必要です。



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何が子どもを育てるか?

 2010-11-15
しんご君は、小学1年生、

年中組の終わりくらいから、毎週1回、私の教室に通って来てくれるようになりました。


昨日、繰り上がり計算の問題をやってみました。

先週、お母さんから、繰り上がりの計算の時に、数の構成分解ができていると聞いていたので、とても楽しみしていました。


私の教室で繰り上がりの計算をするのは、初めてでした。

たまに指を使っているのですが、それはこれまでの経過から形式的に指を使っているだけで、計算の手順も、正確さも、念頭操作も、予想を超えた完成度でした。

同時的にも、継次的にも数をしっかりとらえて処理することができるようになり、1学期からみても、すばらしい成長です。


初めてお母さんが私の所に来たとき、しんご君のIQ値とプロフィールを伝えてくださいました。

その時の感じでは、とてもこんな風に、繰り上がりの計算ができるようなものではなかったように思っています。

就学前には、担当の先生から強く支援学級を勧められましたが、ご家族は通常級を選択されました。

当時、お父さんも交えて、何度かご相談を伺った時のことを、忘れることはできません。


幼稚園の卒業式の際にも、行動面でのことで、お母さんはずいぶんご心配をされていたようでした。

入学後も、給食当番や掃除当番など、生活面での課題に何度か向き合って来られました。


「先生、よろしくお願いします。」

「ありがとうございました。」

幼稚園の時には、おうむ返しやトンチンカンな挨拶が多かったように思いますが、今では私の教室でも、毎回、とてもハキハキとした挨拶をしてくれるようになりました。

固かった表情も、以前と比べると、見違えるように明るく、生き生きとしたものになってきました。


「先生の所に来る日には、うれしくて、朝からハイテンションになってしまいます」

お母さんは、そう私に伝えてくださいますが、私も、正直、この子とのレッスンが楽しくて仕方がありません。

幼稚園の頃は今と比べると少し大変な場面もありましたから、こうした成長が、一層うれしく感じるのです。


「先日、家で勉強をしごき過ぎて、拒否反応が出てしまいました」

と、苦笑するお母さん。

「たったこれだけの期間に、この子をここまで育てて来られたのですから、時には調整する場面が必要なこともありますよ」

私は、そうお伝えしました。

今日、ここに来たしんご君は、また元気一杯のいつもの彼に復活していました。


就学の相談をお伺いしているときに、お父さんは、「どんなことをしてでも、この子を一人前の子に育てたい」 と、とても強い気持ちを私に伝えてくださいました。

今回のケースでは、当時、担当者が危惧していたリスクを一つずつ乗り越え、お父さんが言った通りの展開になってきました。

ある意味、ご家族の完全勝利です。

すべての場合に当てはまることではありませんが、こんなケースもあるのです。


すべての源は、こうしたご家族の強い気持ちからスタートしていたのです。

この気持ちがなければ、きっと何も動かなかったに違いありません。

この気持ちがあればこそ、深い理解も、人とのつながりも、生きて働くことが出来るのです。

私の、果たすべき役割も見えてくるのです。


私は、この先も、ありのままのしんご君を、ずっと受け入れていきたい。

たとえ少しくらい苦手なことがあったとしても、君の良さを誰よりも深く理解して、一緒に、次のステージを目指して歩んでいきたい。

小学生なのだから、色々な事にチャレンジして、その能力と可能性をうんと広げてやりたい、

と同時に、しんご君の良さを理解して、自分自身が好きになれる力を育ててやりたい、

そう、私は願ってやみません。


自分自身がが好きになれることによって、他者を受け入れ、共に育つ力が育っていくこと。

そのことを、しんご君の成長と共に見つめていきたい。

君はこの先、どんな出来事の中で、その大切なことを私に伝えてくれるのでしょう。


いつからこしんご君、こんなにおしゃべりになったのだろう?

いつから、こんなに柔らかい表情になったのだろう?

いつから、こんなに集中して勉強に取り組むことが出来るようになったのだろう?


言っておきますが、私は、ご家族のもつハンドルに、少しだけ手を添えていたに過ぎません。

それを示す検査の数値など、どこにもありませんが、私たちには今の彼がここにいるのです。


何が子どもを育てるか?

事例から、学ぶことも多いはずです。

子どもの表情は、多くのことを私たちに伝えてくれるのです。



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ずっとずっと 育ちを見守るという役割

 2010-11-12
大輔君は、養護学校の高等部を卒業してからも、ずっと私の教室に通ってくれています。

先日のレッスンの時、痰が喉にからんでしまいました。

しばらく様子を見ていましたが、少し苦しそうな表情になりましたので、お母さんは車いすから大輔くんを降ろし、横にならせて、経過を見守りました。

すぐに、楽になったようで、ほっとしました。


その時に、お母さんは、大輔君の体のことについて、いくつかお話をしてくださいました。

骨の成長に、筋肉がついて行かないため、体が大きくなるにつれて、変形が激しくなってしまうこと、

筋肉に引っ張られ、脱臼をしている箇所もあるとのこと・・

運動機能の負担が、成長と共に厳しくなっていく、そんな現実がそこにありました。


だからこそ、知的な面での働きかけを大切にしたい、

そういう気持ちで、毎回、休まずに私の教室に通ってくれているわけです。

教室に入って来た時の、満面の笑顔、

そして、勉強が終わって、帰るときのあの表情、

そうしたことが、私の心を強く支えます。

私は、何をしなくてはならないのか?

コミュニケーションということの真実を伝えてくれたのは、大輔君だと、私はずっと思っています。



今日は、5歳の誕生日を迎えたばかりのダウン症の女の子が、来てくれました。

お母さんのご出産ということもあって、久々のレッスンとなりました。

これまでは、小学生のお姉ちゃんがレッスンを見守ってくれていましたが、今日からは、お姉ちゃんになったこの子が、妹の前ではりきって勉強する様子を見てもらっています。

しばらくぶりに出会ったこの子は、以前より、ずっとずっとしっかりとした眼差しと態度で、楽しくレッスンに取り組むことができました。

以前にも増して、笑顔がまぶしく輝いて見えました。



この教室を開いてから、たくさんの子どもたちと出会ってきました。

やっとレッスンが軌道に乗りかけた所で、ご転勤や家庭の事情で、他の地域へ行かれたケースが何度かありました。

出張相談で、1~2回だけの出会いであったケースもあります。

でも、そのそれぞれを、決して忘れることができません。

今でも時々思い出しては、胸が締め付けられるような気持ちになることがあります。


やがていつかは、どの子も、私の所から巣立って来る日が来るのです。

だからこそ、一期一会の気持ちで、毎回のレッスンに真心を込めて対応しなくてはなりません。

私の所から巣立った後も、私は、ずっとこの場所で、活動を続けていくつもりでいます。

私は、一生あなたの先生であり続けようと思っています。


この先、それぞれの子に、どんな人生が待っているのでしょうか?

私は、ずっとずっといつまでもこの場所にいて、十年でも、二十年でも、それぞれの育ちを見守っていきたいと願っています。



大きく育った君が、またいつか帰ってくる場所が、ここにある。

ずっとずっと、続けることで、君に伝わる何かがあるに違いありません。

ご家族と、共に歩むと言うこと

私の果たすべき大切な役割の一つは、きっとそこにあると、信じているのです。



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短所矯正と長所活用の接点

 2010-11-10
友里ちゃんも、6年生になりました。

以前には、運動会や発表会を見に行かせていただいていましたし、直接小学校の校長先生にお願いに行ったこともありました。

「SHINOBU先生、運動会見に来てくれないの?」

今では、時間がなくなり、そういうことが出来なくなってしまったので、先日、お母さんが持って来てくれたビデオを一緒に見ました。

そこには、うんと成長したたくましい姿が映っていました。

その友里ちゃんも、あとわずかで卒業です。


文章を読むことが苦手だった友里ちゃんと一緒に歩んだこれまでの道のりは、私の教育実践の中で、最も大切な大切な宝物の一つです。( 実践事例の一部 →  http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-702.html )

毎週毎週、読解指導だけで90分、集中してやり遂げたその根性は、一級品でした。


文書の内容を理解していくことは、学習の基本中の基本ですから、これからも読解指導は大切に続けていこうと思っていますが、次第に、中学のこと、高校進学のことが視野に入ってきたので、先日から、社会の勉強にも取り組むようにしました。

以前は、文脈を意識せずに、単語の切り取りだけをしていた友里ちゃんですが、今ではすっかり文脈を追うことができるようになってきました。


しかし、認知特性自体が変わったわけではありませんから、文章の中で特定の単語を切り取る力は、健在です。

以前は、文章自体を読もうとはしていませんでした。しかし、今はその力も備わって来たのです。

一つの意味不明の単語に出会った途端に、中断されてしまった思考の流れも、今ではそれをスルーして、文脈から戻って類推することが出来るようになってきたのです。


この日、社会の問題をやってみました。

「開国と明治維新」

ガチンコ、掛け値なしの6年生の問題です。

資料の中から、内容を読み取ることが中心の問題でした。


私の支援は、範囲を限定してやることと、その手がかりを示してやること。

つまずいた時は、さらに資料を細かく区切って示してやろう。

事前にはそう考えて準備をしておきました。


ところが、その私の事前の予想に反して、友里ちゃん、年号やキーワードを手がかりに、「日米修好通商条約」 などと、スイスイと記入していくではありませんか?

そっかあ、もともと友里ちゃんは、単語の切り取りは、得意中の得意だったもんね、

あなたの能力は、こんな所で生かされる、

私は、急に、目の前がぱっと明るくなるように感じました。


これまで文脈を見ようとしなかったがために、その力を生かすことさえできなかった。でも、文脈にふれることが出来るようになったことで、この子の良さも生かされるようになってきた。

指導後のお母さんの弁です。

いつもながらに、シャープな分析です。

このお母さんがいてこそ、方向を見失わずにレッスンが継続出来たのです。


短所矯正と長所活用の接点

具体的な実践を通して、一つのモデルを示すことができました。

私のブログを見て、レッスンのお申し込みをくださった第一号が、このお母さんです。
この子は、どれだけ私に幸せを運んでくれるのでしょう。


今日は、大阪でのレッスン。

道のりが、とても近く感じます。

出会いは、いつまでも大切にしていかなければなりません。


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かけ算の筆算が できるようになる!

 2010-11-08
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花子ちゃん、ついに、繰り上がりのあるかけ算の筆算ができるようになりました。

この瞬間だけを目指して、何日も何日も取り組みを続けてきたわけですから、感激はひとしおです。


年齢ですね、涙がにじんで、しまいました。

横で、喜んで雄叫びをあげている私を横目に、花子ちゃんは、はにかみながらも、少し高揚しているように見えました。



今回出来たのは、「2位数×1位数 繰り上がりのある かけ算の筆算」 ということになりますが、ここまでできれば、あとは位が増え、手順が多くなるだけで、時間はかかっても、必ずクリアできると考えています。

小数のかけ算だって、同じことです。

これから学んでいく道筋 (スモールステップ) が、くっきりとその先に見えているわけですから、そういう意味でも、とてもうれしく感じるのです。


「大丈夫です、この子は九九はできるようになります」

1年生の時に、お母さんにそうお伝えした私ですが、それは私の決意でもあり、お約束でもありました。

算数ゲーム、どれだけやったか知れません。

あの1年の厳しい状況から、ここまで来たのです。

あきらめないということ、強い気持ちをもち続けるということが、どれだけ大切であるかということを、改めて皆さん方にもお伝えしなくてはならないと思っています。


今回、86×3 という式の横に、24+1 というたし算の筆算の式を添えています。

お気づきだとは思いますが、繰り上がりの数をメモリーでキープするのが苦手なので、横にメモのように筆算で書かせるようにしました。

今となっては、たったそれだけの支援ですが、このことを定着させるまでの歩みを知っているのは、誰よりもこの私自身であるわけです。

その価値を、かみしめているのも、私です。

だからこそ、この日を迎えることができたことが、涙が出るほどうれしいのです。



手順さえ分かれば、その正確さは、一問ごとに向上していきます。

おそらく花子ちゃん、しばらくは横に、繰り上がりの計算式を書き続けるでしょう。

そうして1問1問、問題の答えを出していきながら、その手順は正確になり、位の意味がわかり、メモリーも刺激されていくのです。

きっと、そういう道筋を通りながら、花子ちゃんは計算のスキルを、ブラッシュアップして行くに違いありません。


できたその日は、感激の1日でしたが、次回はもう、それができるのが当たり前になった花子ちゃんが、やってくるのです。

初めて歩けるようになった日から、その積み上げで、今の花子ちゃんがいるのです。

子どもが育つというのは、こういうことです。

こうしたことが、私はとても、いとおしく感じます。


かけ算の筆算と並行して、今、余りのある割り算にチャレンジしている所です。

私なりの一工夫が、実るや否や・・

ここを超せば、わり算の筆算ができるようになるし、いよいよ大目標に向かっての、最終章が見えて来るので、大切な局面です。



実は、イチロー君との実践が、花子ちゃんの支援に大きな役割を果たしています。

内容によっては、その逆もあります。

その体験があるからこそ、私には次が見えるし、希望がもてる。


花子ちゃんのあとには、りんちゃんが待っています。

りんちゃんには、りんちゃんのよい所があり、その学びの道筋も違うのですが、できれば、ここまで到達させてやりたい、挑戦してみたい・・

一人一人に向き合うからこそ、見えてくる何かがあり、だからこそ、目指すべき次の頂がそこにあるのです。


子どもの可能性を信じることから、教育はスタートする。

その道筋が見える才覚、教育的な愛情と強い気持ち、そして深い理解と技術。

教師としての力量と専門性は、そういうことではないかと思っています。



この記事は、「 特別支援教育 記事ランキング 1位  」に選ばれました。 (2010-11-9)





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「分かると分からない」 それをつなぐ個別計画

 2010-11-05
「何で分からないの? 今言ったばっかじゃん!」


これは、私が自分の娘に、勉強を教えた時に言ったセリフです。

「何で分からないの?」 を翻訳すると、「君の反応は、事前の私の予想を超えており、、どうしてあなたが分からないのかが理解できないので、感情のコントロールを失ってしまいました。」 ということになります。 

さらに、「今、言ったばっかじゃん」 は、「私には、こう説明する以上の能力は、ありません。できないのは、あなたのせいだから、私が悪いのではないからね。」 と感情的になった自己を正当化し、娘に認めさせようとする適応機制のの言葉です。



娘は、目を白黒しています。

皆さん、安心してください。

父親としての私は、こんなものです。

まったく、ダメな父ですね。


きっと、皆さんの方が、私より何倍もステキなご両親でいらっしゃると思います。

娘のモチベーションは、ガタ落ちです。

でも、親子の場合は、そこに絆というものもありますから、まだ何とかなります。



昨日は、りんちゃん (小3) のレッスンの日でした。

私には、この子に、基本的な計算スキルと生きた数感覚を、6年生までに必ず身につけさせるという大目標があります。

そのために、毎週90分の個別レッスンの時間を与えられているのです。

こんな私でも、さすがに教室でのレッスンの時には 「何で分からないの?」 とは、言いません。


この頃、りんちゃん、すごろくゲームが、かなりスキルアップしてきました。

以前は、サイコロで 「6」 の目がでた時、最初は 「6」 で止めるつもりでスタートしたのに、「1・2・3・4・・・」 と数えているうちに、それが 「6」 であることを忘れてしまい、「7・8・9・・・」 と、何度もオーバーランしていました。


毎回5分のすごろくゲーム、

やっぱり続けてみるものですね。

この日は、ほとんどオーバーランすることがありませんでした。

少しずつですが、メモリーをキープする力が付いてきたのです。

これまで、ショートターンメモリーの力を育てるために、何千円、何万円の教材・教具もいくつか購入してきましたが、私の教室では、このすごろくゲームが一番合っています。

もうボロボロで、うらは何重にもセロテープが貼られています。




文章題で、「合わせて 何まい?」 という問題がありました。

りんちゃん、こういう問題では、よく 「5こ」 と書いてしまいます。

私が、「おしい~、ここもう1回読んでね」 と指示すると、りんちゃん 「わかった~」 と、それが 「個」 ではなく、「枚」 であることに気がつきます。

が、次の瞬間、「まい」 と書くつもりが、「ひき」 に変わってしまうのです。

さっきまで、「まい」 と書こうと思っていたのですが、書くときに 「ひき」 になっちゃったのです。

すぐに、それに気づいたりんちゃん、自分自身でで大爆笑。

でも、これは次週に必ず生きるはずです。


目下、ショートターンメモリー増設中のりんちゃんですが、実はロングターン記憶は、結構得意なのです。

前回、すごろくゲームで、サイコロの目の小さい数が出た時に、二度振り? していたりんちゃんですが、先週、「今度はちいさい数のときにも、ちゃんとその数だけ進めるようになったらいいね、りんちゃん、3年生なんだから、きっとできるよね」 と、ゲームの終わりに伝えておきました。

言った本人が、半分忘れかけていたこのことを、実はりんちゃんはずっと覚えていて、今日は 「1」 が出ても、「2」 が出ても、ちっとも2度振りをしません。

前回に伝えておいたことを、りんちゃん、しっかりと心に刻んでいるのです。


きっと、そうなるであろうと思っていました。

決して見過ごすわけではないけれど、あそこでひっかき回すと台無しになってしまう、これまでの個別のストーリーがそこにあるわけです。

これぞ、りんちゃんだからこそ、ということで計画した指導内容です。

個別計画の、個別たるゆえんです。



達成動機の高い子なら、まずは、先に何回か勝たせてやろう。

しかし、社会性を育てる意味で、いつまでも2度振りでは、いただけない。

然るべきにタイミングで、うまくそこを乗りこえさせてやろう。

この子なら、近いうちに必ずできる。


そう考えていれば、余裕で、それは乗りこえることができる。

もちろん、たっぷりほめてやりました。

こういうとこは、父としての私と、指導者としての私の、同じではないところです。

大げさに言えば、肉親の愛情と、教育愛との質的な違いです。



どちらがよいのかということではなくて、私は、子どもには、その双方が必要なのだと考えています。

きっと娘は父としての私の教え方に幻滅したとは思いますが、でも、父を離れて、教師として娘に接したならば、さらに複雑な思いが生じてしまったのではないかと考えています。

優秀な先生を見つけることはできますが、親の代わりはできにくいのです。

娘は、指導者としての私に家にいて欲しいと、思っているわけがありません。



プロとしての私は、りんちゃんの 「できる」 と 「できない」 の間を冷静に見つめ、分析し、自分なりの仮説と小さなステップを構成し、毎回そこを、ていねいにブラッシュアップしていきます。

まずは、被加数をメモリーにキープさせ、加数を継次的に操作する数処理の手順を定着させたい。

次に、視覚的言語を内言語としてイメージ化させる小さなステップを構成し、演算決定の手順を帰納的につかませたい。

さらには 「できる」 感覚を育てた上で、「わかる」 ための算数的な活動 (ロールプレイ) をたっぷりと構成し、体験させてやりたい。


これが、今、私の考えているりんちゃんに対する個別の指導計画の一部です。

毎週、その内容は、お母さんと共有させていただいています。

ここまで、課題が明確になってきたのも、毎週のお母さんとの情報交換の時間なくしては考えられません。

お母さんの存在なくして、決して豊かな内容は構成できないと考えています。

保護者との内容連携の一つの形が、ここにあります。


昨日、お母さんにお伝えしましたが、私、ここまで来るのにも、ずいぶん回り道をしてきました。

ずいぶん、余計な月謝を払わせてしまいました。

おそらくウン万円?

なかなか最短距離では、走れません。



でも、そのことを含めて、ご家族は私に信頼を寄せてくださいます。

それがあるからこそ、今歩んでいる道の大切さを噛みしめているのです。


「この子は、勉強が好き」

本当にそう思います。

その宝ものを、大切に大切に育てていかなくてはなりません。


私の果たすべき役割がそこにある。

指導者としての私は、このようにしてご家族に育てていただいているのです。

私は、本当に幸せです。



この記事は、「特別支援教育 記事ランキング 1位」 に選ばれました。 (2010-11-6)





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子どもが育つ条件

 2010-11-03
いつだったか、家内が、京都教室の様子を見に来てくれたことがあります。

ご厚意により、工房の一室をお借りしてのレッスン、

家内がごあいさつに訪れた時に、丁度、設立にお力をいただいた方もお見えでした。


岡山に帰り、そのことを家内が、振り返って私に伝えます。

「あの時は、本当に心を打たれた。 私も何か、子どもたちのために出来ることをさせてもらいたい・・」


今では、私たちにとっては日常となったことではありますが、よく考えれば、大阪の教室も、京都の教室も、普通じゃ実現できない内容です。

言わば奇跡です。

そのことが、彼女の目には、感動的な出来事と映ったに違いありません。



大きく子どもが大きく育つ3つの条件

私はそれを、① 強い気持ち ② 深い理解 ③ 人とのかかわり の3つであると考えています。


今、私は、京都に向かう新幹線の中で、この記事を書いています。

腰痛持ちの私は、先日の新大阪の二の舞にならぬよう、万全の体制で、そろりそろりとすり足で京都に向かっています。


何が、私を突き動かすか?

それは、ご家族の切なる願いと、何かのことで子どもたちの成長に寄与したいという、湧き上がる気持ちがそこにあるからです。

それがなければ、きっと新しい何かは生まれてこないような気がする。

彼女が、根元に感じたのは、きっとそういうエネルギーであったのでしょう。


この頃私は、時間をやりくりしながら、毎日少しずつ、いくつかの講演会の原稿を練り上げています。

大変だけど、実は、とっても楽しい時間です。

体力があれば、何時間でもやっていたいくらいです。


ある講演会のお世話をしてくださった方

「人が集まらなければ、私が自腹を切るからやらせて欲しい」

そう言って、準備を進めてくださったようです。


そういうことが、人の気持ちに響かないわけがありません。

私を変えたのも、私を育てたのも、こうした強い気持ちと、人とのつながりです。

私は、昔から今のような自分ではありませんでした。

支援者としての私自身の成長も、奇跡としか言いようがありません。


子どもが育つために、大切なことはたくさんあります。

その一つ一つは、決して容易なことではありません。

だからこそ、まずそこに強い気持ちがなければ、何も前には進みません。


今、何かのことで、お困りのことがあれば、機会を見つけてぜひ私の所にお越しいただければと思います。

私自身に、大きなパワーはありませんが、多くのご家族の強い気持ちを日々目の当たりにしています。

その姿にふれることによって、きっと、心の底に、希望と何かあたたかい気持ちが、芽生えてくるに違いありません。


主体者は、ご家族です。

逃げることはできません。

強い気持ちが、必要です。

だからこそ、同時に、決して一人ではないことを感じ取って欲しいのです。


強い気持ちが必要であると同じように、子どもの育ちには、人とのつながりが必ず必要となってくるのです。


※ この日、無事、京都でのレッスンを予定通り終えることができました。ご心配おかけして、申し訳ありませんでした。 <(_ _)> 

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