専門家との連携のスタンス

 2010-10-31
昨日は、大阪でのレッスンの日。

ところが、朝起きると、どうも腰の調子がおもわしくない。

が、何とかなるだろうと、そのまま新幹線に・・

大きな荷物をかかえ、新大阪の駅に降り立った瞬間、突然また激痛が走り、しばらくその場に立ち往生してしまいました。

15分ほどベンチに座っていると、何とか歩けるようにはなりましたが、いろいろなことを総合的に判断して、この日のレッスンをすべて中止にさせていただくことにしました。

楽しみにしてくれていた子ども達をはじめ、多くの方にご迷惑をおかけしてしまいました。


ぎっくり腰は、これまでにも何度か経験しています。

総合病院で詳しく検査していただいたこともあります。

実は、先週から少し体調が悪く、岡山のレッスンを、いくつかお休みをさせていただいていたのです。


今回は、堺市からトンボ帰りで、弟から紹介してもらった岡山の整形外科の病院に直行しました。

このように責任ある仕事をさせていただいているのなら、もっと早く病院に行くべきだったと反省しています。

モチベーションの高さこそ、私のレッスンの命であるだけに、こういう時の冷静な判断が重要となってくるのです。


病院では、診察、レントゲン、電気治療、針治療などの後、湿布、内服薬などを処方していただきました。

ギックリ腰に、劇的な改善法はなく、基本は安静が一番だということを、これまでの経過から学んできました。

でも、あなたのような仕事をしているならば、きちんとドクターの治療を受けておくべきだと、妻に諭されました。

直接ご家族にかかわる支援者ならば、自分の身の処し方から、皆さんに伝わる何かがあるに違いありません。



ドクターを選ぶのも、レッスンを再開するのも、どこでどのように今を過ごすのかも、それはすべて私の自己決定・自己責任です。

自分のことを、誰かに丸投げすることはできません。

だからこそ、その道のプロにきちんと指導を受けておく必要があるのです。

こういう形が、専門家とのパートナーシップの一つのスタンスだと思っています。。


レントゲン・電気治療・背中に貼られた湿布と針、そして内服薬。

プロのドクターがなすべき、専門的な治療の一環です。

その治療と指導に基づき、1日も早く病気を克服していくためには、何より本人の強い意思と心がけが不可欠です。

子どもを育てる時も、それは同じです。


私は、今、多くのご家族の、支援者としての活動を行っています。

自分がドクターの診察を受ける経験の中で、支援者としての専門性のあるべき姿を学び、そのことを見つめ直す結果となりました。

ご家族とのパートナーシップの中身も、改めて見つめ直すことができました。

月に1度の大切なレッスンを中止してしまったこと、時間的なロス、往復の交通費やレッスン料など経済的なロスなど、多くのマイナスな結果を生じてしまいました。

だからこそ、このことを、必ず次の大切なステップに結びつけていかなくてななりません。


私は、主体者としてのご家族が、希望をもって前へ歩んでいくための支援者であらねばなりません。

何よりも専門家としての力量と信頼が不可欠です。

私もかなりの年齢になってきましたから、それを築き上げていく仕事を、これから、軸をぶらすことなく積み上げていかなくてはなりません。


今回のことは、形として必ずこれからにつなげていこうと思っています。

昨日は、何とか寝返りがうてるようになりました。

頭も心もお口も大丈夫ですので、今日は安静にして、とにかく腰を早く治します。

皆さん、本当に申し訳ありませんでした。


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ストーリー性を大切にした 数量の指導

 2010-10-29
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今のかれんちゃんの旬は、アンパンマンとコミュニケーションの育ち、そして数に対する興味が増してきたことです。


私は、かれんちゃの頭の中では、いつも次々と自分なりのストーリーが展開されているようにとらえています。

まだ就学前のお子さんですから、ちょっとした外部刺激で、自分からそのストーリーを短いスパンで変えてしまうことはありますが、そのストーリーが意に反して他者から中断されることを極端に嫌っているようにも見受けられます。

そのことが、衝動的な行動の、一つの原因になることあるのではないかと考えています。



ならば、どうするか?

かれんちゃんの場合は、マンツーマンで90分の時間をいただいていますから、そのストーリーを可能な限り理解して、今育てたい内容を自分から選ばせるようにしています。

そこに、必ず学ぶ意欲がそこにあると、信じているからこそ、あえてこういう方法をとっています。


前回のレッスンで、数への興味が増してきていることを感じた私は、この日の中心教材を、指導机の端っこにスタンバイさせておきました。

この、端っこと言うところが、結構、みそになります。


まず、かれんちゃんが、着席と同時に選んだのが、「アンパンマンことばずかん」 

やや、活動時間は短めでしたが、ほぼ予想通りの展開です。


次は、最近ちょっとつながり始めた、認知系のパズル類、

以前は、パズル系は大嫌いで、何回提示してもポイされることもありましたが、ここに来てようやく自分で選択するまでになってきました。

この活動では、形の認知そのものと同時に、「へ~、で次は何?」 と尋ねたりしながら、コミュニケートの内容のブラッシュアップを狙っています。

かれんちゃんの場合、パズル一つをやらせても、そこに保育園のお友達のようすが浮かび上がってくるなど、日常生活とどこかがつながっていることもあり、とても楽しいのです。


次に、選んだのが、アンパンマンカラーパソコンです。

必ず、選択するであろう位置で、しっかりスタンバイしておきました。



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かれんちゃん、アンパンマンが数えるのに合わせて、「1・2・3・4・・・」 と、あんパンやりんごを数えています。

そして、次の瞬間、「これ、する」 と、ついに今日の中心教材、フルーツ・野菜セットに手を伸ばしてくれたのです。


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最初は、お金を使っての1対1対応をさせたいと考えていましたが、それはどうも、今のかれんちゃんの意識には沿っていないようでした。

そういうえば、アンパンマンパソコンでチーズがあんパンを数える時に、お金は使っていませんでした。

かれんちゃん、きっと、チーズのようにお店で数を数えたいのです。


「どれがいる?」

「もも」


ちゃんと、応答的なやりとりができます。

受け取る時も、渡すときも、ちゃんとパソコンのチーズのように、「1・2・3・4・・」と数えています。

体験的に、まずは4までの数をとらえさせたいと考えていましたので、この日の題材を、全部1~4までの数に限定して意図的に入れておきました。



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一度、はまったら、もう一回、もう一回と、何度も何度も繰り返してやりたがるのも、かれんちゃんの良いところです。

とても楽しい時間です。

何度か繰り返しているうちに、気がつくこともたくさんあります。

例えば、この日の活動では、かれんちゃんが品物をきちんと分類して置いていることに驚きました。

バラバラに適当に並べるのではなくて、きちんと整理して並べたいのだな~と感心しながらそれを見ていました。

それも、きれいな色の見栄えのする結構ナイスなセレクトです。

「いいなあ~、先生のお店より、かれんちゃんのお店の方が、ずっときれいだ」

そう言うと、とってもうれしそうにケラケラ笑っていました。


お店やさんごっこが終わると、今度は、数字カードに手を伸ばしてきました。

数字を見せた後に、うらの絵を見せると、「1・2・3・4」 と自分で数え出しました。

こちらの方が、わかりやすかったのでしょう。

こういう部分にも、かれんちゃんの数量認知発達のストーリーが垣間見える気がします。


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今日のレッスンは、① パズル  ② お絵かき  ③ 手遊び  ④ カード  ⑤ 絵本  ⑥ パソコン

と、手順を明確に示し、内容を系統立てて、順序よく指導していく方法が有効な場合も多いでしょう。

そういう枠組みで安定する子も多いのですが、そべての子の、すべての場合に当てはまるとは言えないのです。



私の教室で、突然今日そういう手順で進めたならば、きっとこれだけの充実感を相互に感じることはできなかったと思っています。

特性を理解しながらも、育てるところは育てていかなくてはなりません。

やらせるところは、きちんとやらさなければなりません。

しかしその時は、なぜそうであったのか、子どもの心のストーリーを十分理解した上での対応でありたいものです。

学びの意欲を、踏みにじってはいけません。


ちゃんとお金の使える、かれんちゃんに育てたい。

だからこそ、今日は、お金を使うことをあえて引っ込めました。

だって、チーズのように、お店で数を数えたかったんでしょ。

数の勉強、したかったんだよね。

その気持ちがあれば、きっとすぐにお金も使えるようになると信じています。


苦手なことにも、取り組むことのできるかれんちゃんを、ほめていく学びの場の構成を、

それが、私に与えられた仕事です。

いつかは、私がいなくても、自分でできるような子に育てていくこと

それが、私の役割なのです。



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視覚認知のクオリティ

 2010-10-27
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子どもの視覚認知のメカニズムと大切さが、多くの教育実践から明らかにされるようになってきました。


私は、これまで、教育用のパソコンソフトをずいぶん使ってきましたが、子どもが食いつくものと、そうでないものとは、実にはっきりしています。

どんなに高名な先生が監修・推薦したものでも、子どもがすぐに興味を失ったり、最初から嫌がるものもたくさんありました。

そうした経験を積み重ねていくうちに、「この子の今ならきっとあれが当たり」 という確率も、ずいぶん高くなってきました。


3年生のけいた君は、細かい文字を識別するのが少し苦手な3年生の男の子です。

1年生の頃は、「大」 という字を書くのにもとても苦労していました。

だけど、本読みは得意で、お話の会話文などは、それはそれは心をこめて上手に読むことができます。


継次処理優位の認知特性の傾向を示しています。

「たて・かぎ・たて・よこ・よこ」 = 「 田 」

などの聴覚性の支援をミックスしながら、学習を進めてきましたが、ここに来てその視覚認知能力自体も、かなり伸びてきたように思いました。


「橋という字が、むずかしい~」

「そうかい、きへんはわかっているけど、確かにつくりの方はむずかしいなあ。 じゃあ、今日はパソコンで調べてみるか?」


けいた君に、他の子で効果が上がった学習ソフトをさせてみました。

以前のけいた君だったら、すこしとまどっていたかも知れませんが、今回はビシッとクリアに彼の視覚野にヒットしたようです。


当然、漢字ドリルや、教科書でも書き順を示されていのですが、さすがにそれは、まだ複雑でわかりにくいのです。

この日のけいた君は、本当に水を得た魚のように、新鮮な水の中を生き生きと泳ぎ回っていました。

これまで苦労したこと、わかりにくかったことが見えてきたのですから、そりゃうれしいに決まっています。

脳の認知のネットワーク、確実に一部がつながりましたね。




みなさんは、英語の論文読めますか?

私は、40代で大学院に行き、院生と先生の前で英語の論文を1本紹介するという恐ろしい仕打ちに合いました。

5月にそのことを知り、秋までの準備期間がありました。

辞書と翻訳ソフトを片手に、何日も悪戦苦闘しましたが、9月になってもさっぱり何が書いてあるのか、わかりません。

絶望で、何度も気絶しそうになっていました。

ところが、何度も何度も読み返すうちに、ある日突然、ある単語のニュアンスが理解できたことから、1本筋が通るように、さあーっと全体が見通せたのです。


わかる、見えるとは、こういうことです。

貴重な体験でした。

何とか発表をやりとげることができて、とてもうれしかったし、2回目の時は調子に乗って複数の論文を紹介できるようになりました。

きっと、今のけいたくんと同じような気持ちだったのだと思います。


けいた君の場合は、視覚認知が不得手です。

ならば、得意な聴覚認知を使うのが一つの方法です。 この方法で、視覚にかかわる周辺領域も育っていきます。


今でも、やはり微細な認知は不得手です。

だからこそ、良質の視覚認知が、極めて有効なのです。

苦手だからこそ、良質なもの必要とされ、それが有効に作用していくのです。

1文字の大きさが1センチに満たないのものではわかりにくくても、この画面のように10センチを超えるものであれば、しっかりと形をとらえることができます。


苦手なことを克服していくためには、スモールステップとプロンプトフェーディングの2つの方法しかないと、私は考えています。

10センチで育った視覚認知が、やがて1センチのドリルの文字を識別できるために、無意味であろうはずはありません。



人生の長距離レース。

モチベーション それとも即効性?

私は、ややモチベーションにシフトしていますが、そのスピードとさじ加減には、高度な教育的判断が必要です。


要は上がってナンボ、

臨床場面では、結局、子どもを育てた者が勝ちです。

子どもの育ちに直接かかわることの大切さと使命感、そしてその喜びを、これからもそのご家族とずっと共有できればと、願っているのです。



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大切な部分を焦点化して育てる 個別指導計画

 2010-10-25
4年生になり、先日、山の学校に行ってきた花子ちゃん。

「今日くらい、SHINOBU先生の教室は、お休みにしたら?」

そんなお母さんの言葉を聞き入れず、山の学校が終わり、体操服のままで、そのまま教室に着てくれました。

さすがに、眠そうでした。

2日の日程を終え、疲れてヘトヘトだったにもかかわらず、そうまでして私の教室に来るこのエネルギーは何なのでしょう?



1年生の時には、数量のとらえがなかなか出来にくかった花子ちゃんですが、今では、繰り上がりのあるかけ算の筆算が、あと少しの所まで来ました。

あれ程苦しんだ書字も、日に日に上手になってきているのを実感できるようになりました。

もともと音読は、得意です。


「どんなに時間がかかってもいいから、文章がちゃんと読めて、書けて、計算が出来て、社会生活に困らない程度の学力を、この子に身につけさせてやりたい」

それが、花子ちゃんのお母さんの当初からの願いでした。

それはまだ、私が教室を開く前の出来事でした。

私の教室は、このお母さんの真摯な気持ちに応える形で、スタートしたのです。




例えば、文科省の示す学習指導要領には、算数科の目標は、

「量や図形についての算数的活動を通して,基礎的な知識と技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考える能力を育てるとともに,活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活に生かそうとする態度を育てる。」

と示され、1年生の 「数と計算」 の目標には

「具体物を用いた活動などを通して,数についての感覚を豊かにする。数の意味や表し方について理解できるようにするとともに、加法・減法の意味について理解し、それらの計算の仕方を考え、用いることができるようにさせる。」

と、示されてあります。


もちろん、内容を系統化して、それに準拠した教科書が示されることは、公教育の指針を示すという意味でもっとも大切なことの一つであると考えています。

他方で、教育の基本的な原理には、まず子どもの実態があり、そこに願いが生まれ、そこから教材を作成する、という考えがあります。


私は、花子ちゃんとの学習で、お買い物ゲーム、すごろくゲーム、かぞえ棒ゲームなど、可能な限り具体物を用いた算数的な活動を取り入れてきました。

個別指導の私が、この子のためにしてやれることは、これしかないと、考えていたのです。

これが、私なりの焦点化のプロセスの一つです。


教科書にも、お買い物ゲームに似た活動は、きっと取り入れられていることと思います。

大切なことは、そこに 「具体物を用いた活動などを通して,数についての感覚を豊かにする。」 という強い願いと気持ちが、どこまで息づいていたかということではないかと、私は思っています。


教科書をきちんと系統立てて順番に学んでいく方法が大切であるように、ねらいを明確に定めた上で、そこだけを目指し、焦点化し、その子に合わせて積み上げる方法だってあるのです。

私が、花子ちゃんと一緒に歩んできた道は、きっとこのようなものであったのだと思います。



「今日、学校で電卓の勉強したの~」

笑顔一杯で花子ちゃんが言うので、急遽予定を変更して、電卓を使った学習を取り入れました。

この日が、旬なのはわかっていますから、とても楽しそうに学習に取り組みました。


一方で、今チャレンジしている、繰り上がりのあるかけ算での、手順のスキルアップと、ショートターンメモリーのブラッシュアップも欠かすことはできません。


あと少し、あと少しで、この山を越せることが私にはわかっています。

そして、その次には、どんな景色が広がっているのか、次にどんな目指す頂がそこにあるのかも、私には見えています。

これは、すべて、あのお母さんの願いへ向けての道のりであるわけです。

私の活動のすべては、そこを目指しての、積み上げの歩みなのです。



個別の指導計画には、私は、たえず2つの視点が必要だと思っています。


個々の内容を精査す視点と、全体を俯瞰する視点

指導内容を系統化する視点と、個の学びの歩みを大切にする視点

課題を明確にして短所を磨き上げていく視点と、認知特性を理解しその長所を活用していく視点

そして手段としての内容をきちんと押さえていく視点と、目標としての本質をしっかりと見据える視点、などです。



「先生は、いつまで私の先生でいてくれるの?」

「それはね、花子ちゃんが、先生と一緒に勉強したいと思ってくれている間は、ずっとだよ」


みんな、分かりたいし、勉強したいのです。

私、昨日からギックリ腰で、身動きできなくなってきました。


個人でできることには、それなりのよさもありますが、同時にその限界もあります。

組織であっても通さないといけない縦の軸もきっとあるはずです。

その縦の軸を通すときに、生涯その子の寄り添って育てる主体者としての、保護者の願いを欠くことがあってはならないと思います。


大切だからこそ、明確に焦点化しなければ育ちません。

この子たちの学びの時間は、貴重です。


綿密なビジョンをもちながら、「お母さん、つまりね、こんなことを目指して、こんな風な育てをしていきたんです」 と、短い言葉で、ストンと心に落とすことができるようになれば本物です。

真実が見えることと、焦点化とは、きっとかなり近い位置にあるのです。

保護者と目指す方向が共有化できる!

相互の信頼感も、きっとこういうことから培われていくのだと思うのです。




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子どもの認知特性と 指導カリキュラムとのズレ

 2010-10-22
りんちゃんは、3年生の女の子。 地域の小学校の支援級に在籍しています。

ダウン症のお子さんですが、幼稚園の時、テレビ番組の 「はじめてのおつかい」 に出演したこともあるので、もしかしたら覚えていらっしゃる方もおられるかも知れません。


そのりんちゃんが、昨年の夏から、毎週木曜日に90分のレッスンを受けてくれています。

その90分は、とってもにぎやかで楽しい時間です。

おしゃべりで、何にでも一生懸命な女の子、

以前は少し暴走ぎみな所? もありましたが、今では全くそんなことを感じません。


昨日のレッスンのことです。

1枚だと思っていたプリントが、3枚もあることに気がつき、とたんに文字に筆圧がなくなってしまいました。


> あれ~、どうしたのかな、1枚目は 「はなまる」 だったのに、これじゃあ、ちっちゃいまるしか、あげられないなあ~、あ~残念、お母さんがっかりするかもね・・・

( この時、りんちゃんの目がぎらりと光り、スイッチが入ります )

> 先生、このプリントはなし・・・  もう一枚新しいのをください!!


りんちゃん、今度は目つきを変えて、とてもていねにのそのプリントに取り組んでいます。

もちろん、私は1枚目以上に大きい 「はなまる」 をつけてあげました。

とたんに、やる気、まんまんです。 

こんなふうな支援が、毎回クリーンヒットするのですから、私としては、こんなにやりやすいタイプはありません。

本当に、達成動機の高いお子さんです。

楽しい90分のレッスンが、あっという間に終わってしまうのです。


今、私は、ご家族と共に、この子の豊かな数量感覚の育成を目指して取り組んでいます。

これは、何としても道筋を見つけなければ申し訳の立たない、文字通り、ご家族の悲願であると、受け止めています。


りんちゃんは、文字はとてもきれいに書けますが、数量の処理は継次的な傾向が強いようです。

それと、ワーキングメモリーの中で、同時に2つのことを処理する力がやや弱いように思われます。


例えば、

「おさむくんは、つみきを6こつみましたが、そのうち2こはものがあたって、おちてしまいました。いま、なんこのつみきがのこっていますか」

という問題があったとします。

これだけ豊かなコミュニケートができるりんちゃんが、どうしてこの程度の問題につまずいてしまうのでしょう。

私は、そのことが、不思議で仕方がありませんでした。


視覚情報から、それを音声に変換することは上手です。

しかし、それと同時に、それをイメージ化することができにくいようです。


> 先生が読んであげようか?

こういうと、たいてい 「うん」 と答えます。

現時点では、聴覚性の入力の方が、内容をイメージ化しやすいのです。

この辺りにも、継次処理優位の特性が伺えます。


しかも、その内容をワーキングメモリーの中で、操作するのはまだ抵抗感があるようです。

では、どうするか?

そのイメージを、半具体物で抽象化して、紙に書けばいいのです。 算数的な活動を、いつでもできる紙の上で展開させるのです。


> 「 おさむくんは、つみきを6こつみました。」  じゃあ、つみきとおなじ数だけ○を書いてごらん。

( りんちゃん、紙に○を6個書きます。 )

> 「 そのうち、2こは、ものがあたって、おちてしまいました。」   じゃあ数は大きくなるの、小さくなるの?

( この 「 数が大きくなる? 小さくなる?」 という言葉が、演算決定の際に、りんちゃんには一番ピンとくる言葉になりました。)

> ちっちゃくなる!

> そう、それじゃあ、これは何算?

> ひき算!

> 正解~、じゃあ、何引く何?

> 6ー2

> 大正解~、じゃあいくつになるかな?

 ( りんちゃん、○に端から / を二つ引き、残りの4つを、1・2・3・4 と数えます )

> わかった、4だ。

> すごーい、ちゃんと、自分で思い浮かべてかくことができたね~



もちろん、こういった支援は、段階的にフェードアウトしていきます。

私が読まなくても、自分で読んだ言葉をイメージ化できるように、

紙に書かなくても、メモリーの中で、数の処理ができるように、

継次的に数えなくても、ぱっと同時的にそれが 「4」 と認知できるように、

イメージ化した内言語をもとに、自分自身で演算決定ができるように、

メモリーの中で、数の合成・分解ができるように、

やがては、位取り記数法の、概念がきちんと身につくように・・


今すぐには無理かも知れません。

でも、軸をぶらすざに、これを100回やったら、どうでしょうか?

その景色は、必ず変わると、私は信じています。


数ひとつをとっても、子どものわかり方の程度は、様々です。

7+8を15と暗記しているのと、7の補数が瞬時に3とわかり、頭の中で加数の8を3と5に分解して10を合成し、残りの5を合わせて15というのとが、同じであろうはずはありません。


例えば、カリキュラムのどこかでつまずいて、そこから先に進みんくくなった場合には、課題分析をして、そのどこにエラーが生じているのかを見つめた上で、その支援を出し入れしながら、ブラッシュアップしていくプロンプトフェーディング法が効果であると、私は考えています。


私は今、自分の力量不足を、痛感しています。

完全個別指導、毎週90分の機会を与えていただきながら、りんちゃんについて、これだけのことを理解するのに、こんなに時間がかかっているのです。

回り道した分だけ、きっと深い理解になったとは思っていますが、それにしても、時間がかかりすぎです。せめて、このことを無駄にしないように、今後の実践に気合いを入れなければなりません。


りんちゃんのお母さんを中心に、JDS(日本ダウン症協会)岡山支部で、数の育てに対する学習会を開こうという話になっています。

こういう場で、伸びた実践を是非とも報告したいものです。


初めてお母さんが私の所に相談に来られたときから、お母さんの、この子に豊かな数の力を付けたいという、深く、そして強い気持ちは全く変化がありません。

このことが、どれだけ私の気持ちにエネルギーを注いでくださったか知れません。

何としても、この願いに応えたい。

神様、他に何もいりませんから、瞬時に子どものつまずきが見抜ける才覚と力量を、私に与えてください。



原因さえ見抜けば、打つ手は必ず見つかるはずです。

こうした実践が、何らかのヒントになり、少しでも多くの子の幸せにつながっていくことを、私たちは願ってやまないのです。



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私はその家族を支える

 2010-10-20
私の教室にご相談に来られるご家族の中には、親の会などで役員をされておられる方がたくさんいらっしゃいます。

本当に、そうそうたるメンバーです。


私は、時々、大学で学んだ脳の話をお伝えすることがあります。

その後何日か経って、ご家族から名刺をいただくと、その方がお医者様であったり、大学の先生であったり、医学博士であったりしますから、それはもう、驚きです。


それでも、どの方も、私の話にはずっと耳を傾けて聞いてくださいます。

それは、一人の父として、母として、真剣に我が子の育ちを見つめていらっしゃるからに他なりません。

だからこそ、私には、私の果たすべき役割というものがあるのです。


先日、あるお子さんのレッスンを行いました。

夏から、月に1度のレッスンをさせていただいている3年生の女の子です。

月に1度で何が出来るかという見方もありますが、月に1度だからこそできる役割もあるのです。

そのお母さんがご自身のブログの中で 「支えられたのは、私だった」 と書いてくださっていました。

このお母さんが、どれだけの深い気持ちで、強い気持ちで、お子さんの学びと育ちに向かい合っておられるかは、そのブログをご覧いただければ、すぐにおわかりいただけることであるけれども、と同時にそこにどれだけの、心の重さ、苦しさ、孤独感が伴っていたかが、行間からにじみでるように伝わってくるのです。


私は、子どもの学びや育ちを共有しながら、そのご家族を支えるというやり方で、これまで多くのご家族と共にがんばってきました。


どの方も、我が子の事だけでなく、いつも多くの方の先頭に立って、がむしゃらに前へ進んでおられる方ばかりです。

真剣だからこそ、いろいろな厳しい局面に出会い、それを乗り越えていくための巨大なエネルギーが必要となるのです。

自分の命を捨てているからこそ、ある時には、鬼にもなれるし、モンスターにもなれるのです。


本当は、きちんとされている方ほど、シャイで、デリケートで、繊細な方が多いのは事実です。

こうした方は、関係が出来てきて、何でも話せるようになればなるほど、ふとした時に、そうした横顔をのぞかせせるものです。

だからこそ、私は、こうしたご家族の願いと信頼を、いつでもきちんと受け止める存在であらねばならないのです。

それが、私の責務です。



今朝は、和歌山から、就学前のお子さんと一緒に、あるお母さんにお越しいただきました。

前日、岡山に一泊され、朝一番にご相談に来られました。


これまでも、県外から、何人もの方が教室にお越しいただきました。

県外から都合をつけ、ここに来られるということは、相当の決心が必要となるに違いありません。


可能な限り、お子様の学びと育ちのようすを共有し、これからについて一緒に考えさせていただくような時間にさせていただきたいと思っていますが、多くの場合、ここに来た時点で、ご家族の中で、すでにその道筋が動き始めているのを感じるのです。


この先、将来を託す大切な道。

そこに、共に歩む支援者は不要でしょうか?


私は、ご家族が何を願い、どこへ向かおうとされているのかを、一緒に見つめていくことにしています。

そのことにより、ぼんやりとした何かが、はっきりと見えてくることがあります。

何かが見えてくることにより、力強い一歩が、踏み出せそうな気持ちになることもあります。

状況が整理され、ご自身のエネルギーが集約される形になってくることもあります。

相談とは、そうしたことを一緒に見つめる作業ということもできます。


どんなに自信のあることだって、誰かにそう言ってもらわなければ、やっぱり不安になるというものです。

相談の途中、多くの方は、目頭に涙を浮かべられます。

そして、少し遠くを見つめ、すぐにそれが凜とした表情へと変わっていきます。


人は、人とのかかわりの中から、肯定的な自己理解力を培い、その力を発揮していくことができるのです。

それは、子どもも大人も同じ事です。

支援とは、その方に取って代わって何かを代行することではなく、こうしたエネルギーを掘り起こしていくことだと考えています。


子どもの理解者、指導者であると同時に、それが、私の仕事です。

今日はこの後、奈良からお越しのご家族の相談を伺います。


こうして、子どもは変わる。

私はこれからも、この仕事に大きな夢と誇りをもって、しっかりと取り組んでいきたいと、心から願っているのです。





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インクルージョン教育の中身

 2010-10-18
先日、ある小学校の校長先生にお話を伺う機会がありました。

教育委員会や附属小学校、県の校長会など様々な分野で要職を経験されてきた方ですが、私の今の活動に関心を寄せてくださり、1時間以上色々なことを教えていただきました。

私の機微に触れるような質問を次々にしてくださり、さすが大切な部分をしっかりととらえておられるなと、感じていました。


その中で、私が改めてその大切さに気がついた内容が、2つあります。

1つは、しっかりとした価値のものさしをもって、子どもの存在を育むこと、

もう1つは、インクルージョン教育の中身は一体何か、ということでした。


例えば、2年生だから九九ができるようにとか、何歳だから縄とびが跳べるように、という教育的な目標があったとします。

私は、集団で育てる教育では、こうした目標がとても大切であると思っています。

2年生になって、九九を学ぶ子どもの表情に、自尊心や学ぶ喜びが満ちあふれていた場面に、何度も出会ってきたからです。


私は、可能な限り、こうした場で子どもを学ばせたいと考えています。

そして、出来ればその目標をクリアさせてやりたいと願っているのです。

みんなと共に学ぶことにより、そのモチベーションはうんと高まっていきます。

一人では歩けない道も、みんなと一緒ならがんばれることも多いのです。


しかしそれは、一定の限られた時間の中で、パーフェクトに達成できないこともあるでしょう。

だとしたら、その内容は、すべてが無になったということになるのでしょうか?


すべてがそうだとは言えませんが、一杯一杯になりながらも、懸命に宿題に取り組んだことで、個別指導以上の教育的な効果を上げた事例は、世の中に山ほどあると思っています。

これが、集団で学ぶ魅力の一つであり、教育的な効果の一つであるのです。


他と競うのも、時には大切です。

しかし、その競う観点を、ぜひ集団での育ちに置いてほしいと思うのです。

「俺は90点で、70点のヤツには勝った」 というような、安易な競争原理ばかりを持ち込むと、つかの間の優越感と、いつか必ず訪れる自分への劣等感を煽る結果となります。


誰々ちゃんが漢字テストで初めて合格したことを、クラスみんなで喜び合うことができる、そんな価値観をクラスの中に構成することはできないでしょうか?

相互に教え合い、学び合い、お互いの向上や成長を共に喜べるクラスづくりは出来ないでしょうか?


たまたま足の速い子が揃うクラスもあります。

リレーをすれば、必ずいつも1位になります。

運動会でも結局1位でしたが、3学期になると、そのトロフィーはすっかりほこりをかぶっていました。


逆に少し足の不自由な子がいて、何回やってもいつも5位(ビリ)になるクラスがありました。

そのクラスは、結局、運動会当日も、5位に終わってしまいました。


でも、何故だかそのクラスは、みんな抱き合って喜びあっています。

どうやら、自分たちで決めた目標タイムを大きく上回ったようです。

それは、足が不自由だからと、練習さえも嫌がっていたあの子が、みんなと一緒に練習をして、大幅にタイムが向上したからです。

驚くべきは、上がったのは実はその子のタイムだけでなく、すべての子どものタイムが向上していたというのです。

まさに、奇跡としか言いようがありません。



子どもの意識が変わることによって、先生の的確な指導が、吸い込まれるように子どもに身についていきました。

先生は、知っていました。

もし、この子が運動会に出場しなければ、このクラスが間違いなく1位になれたことを。

そして、それで1位になっても、誰一人として喜ばないことを。


このクラスには、1位のトロフィーはありません。

しかし、そのクラスの文集には、何人もの子が、この運動会の感動を書いていたのです。

クラスの応援旗には、みんなの感動の言葉がつづられ、その先何十年もクラスの宝物として、先生の手で保管され続けるのです。

そして、何度も同窓会が開かれ、当時の思い出が、語られ続けるのです。


このクラスの子は、やはり優秀で、のちにパイロットになった子もいれば、弁護士になった子もいます。でも、同窓会ともなれば、みんなあの日のままの、裸の自分でいられるのです。


インクルードするのは、一体何か?

それは、何もかもを混ぜこぜにすることではありません。

その子の存在を、クラスの大切な一員、地域の大切な一員として受け入れることです。

存在がインクルードされてこそ、個別の行き届いた教育が生きてくるのです。

もしも、存在がインクルードされていなければ、大切な個別指導の時間でさえ、何だか集団から排除されているような疎外感を感じてしまうことがあります。


クラスのみんなは、足の不自由な子がクラスみんなから受け入れられる姿を見て、みんな自分自身の姿を重ね合わせて見ていました。

勉強の苦手な子も、声の小さい子も、その姿を見て、どれだけ勇気づけられていたか知れません。だからこそ、懸命な気持ちで、1本1本のバトンが受け継がれていったのです。


やがてこの子は、養護学校に進学することになります。

パイロットになれなくても、弁護士になれなくても、いつまでもこのクラスの大切なメンバーです。

自分だったらくじけていたかも知れないことを、彼はやり遂げたと、クラスのみんなが思っています。


この子が、このクラスの子ども達の成長に果たした役割は、はかりしれないものがあります。

一つ一つに小さなステップの積み重ねは、大切です。

真剣であればあるほど、そこだけしか見えないことあります。

しかし、 たとえその歩む道は色々であっても、人のねうちを、決して小さなものさしだけで、はかってはいけないのです。



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コミュニケーションの育ちと 強化随伴性

 2010-10-14
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今日のかれんちゃんは、超ご機嫌モードでした。

ラジコンの救急車で遊びたいようなので、「いいよ、でも、ちゃんといすを持って来て、そこに座ってね」 と言うと、自分で重いいすを運んできて、ちゃんと座って待つことができます。


以前は、固いいすに座るのが嫌いで、いすをはねのけていた時期があります。

今でも、長時間いすに座るのは好きではないのですが、こう言えばちゃんと座ることができるようになりました。

私、子どもとの約束だけはしっかり守りますから、かれんちゃんも信頼しきっています。

言語の指示が通るようになったものですから、気持ちの食い違いが、ずいぶん少なくなりました。

かれんちゃんも、ちゃんと言葉で伝えることができるようになった場面が、かなり増えてきました。



> もういっかい、してよ~

> かれんちゃん、おもしろいの?

> うん、おもしろい



> あ~、つかれた

> だめ、もういっかい、して

> もう1回?


> おっきいの する! (きっと、たくさんする、という意味) 

> そう、いっぱいしたいのね



私が、くしゃみをしても、ゲラゲラ大笑いをしています。

目を三角にして、物を投げていた面影は、すっかりなくなってしまいました。


「1・5・3!」


ん? 1・5・3??

なるほど、それはきっと、「1・2・3」 って言いたいんだね。


じゃあ、先生と一緒にやってみよう。

「せーの、1・2・3!」


救急車の出動に、こんな号令が使えるようになりました。

会話の中に、ついに数も登場しました。

何度もやって、大喜びなので、すっかり 「1・2・3」 も、上手に言えるようになりました。


> おかいもの、たのしみ~

> びっくりした~


この日のかれんちゃんは、形容詞の大爆発、初めて聞く言葉の連続でした。


ちゃんと聞いて、ちゃんと伝える。

楽しくコミュニケートができると、良いことばかり・・

先生も、ちゃんとわかってくれる。


これで、言語が伸びないわけはありません。

まさに、随伴性強化そのものです。




この日、お母さんと一緒に、かれんちゃんの妹さんも一緒にお迎えに来てくれました。

その様子を見ながら、私は、かれんちゃんがずいぶんお姉ちゃんらしくなったな、と感じました。


大型絵本を見ているとき、突然、かれんちゃんが机の上に上がってしまいました。

すぐに、注意をしなければならないところですが、どうしたのだろうだろうと思って眺めていると、やっぱりちゃんと理由がありました。

大型絵本の木に登って、りすさんの動作化をしているのです。

そっか、じゃあこっちの木に登ってみよう、と絵本を降ろすと、かれんちゃんはとってもダイナミックにりすさんを演じています。

時間はショートですが、物語の世界にとっぷり入ることができるのが、かれんちゃんの良いところです。


信頼は、通い合う心から。

今日のレッスン一つで、かれんちゃん、どれだけ私の気持ちを強くしてくれたか知れません。

本当に、魅力たっぷりのお子さんです。



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数量の指導が入りにくい その理由とは?

 2010-10-11
私は、元々が小学校の教員でしたから、算数の授業をする際には、子どもは基本的な数認知ができているものとして授業を考えていました。

いつだったか、県指定の算数の研究会に向けての授業案を検討していたときに、先輩の先生から、算数を深めるならピアジェをしっかり勉強しておくといいよ、とアドバイスをいただいたことが、強く印象に残っています。

今、就学前の子も含め、多くの子の数の育てに直接かかわっていて、一番痛切に感じているのは、数の多面的な性質によるとらえにくさと矛盾点です。


1・2・3・4・5・・・・・

と、平素何気なく唱えている数ですが、実は色々な横顔をもっているのです。


お風呂で、1・2・3・4・5・・・・・  と、10まで数えてあがるのは、さながらタイマーのように扱っていて、結果として1から10まで数える時間的なことをとらえさせています。 ここでは、事物と1対1に対応しなくても大丈夫なので、「数の入門は、まず数唱から」 で良いのだと思っています。


次のレベルで重要になってくるのが、1対1対応です。

いくら数唱が100まで出来たとしても、それが事物と1対1で対応できなければ、数の機能は果たしません。

みかんを数えるときに、1・2・3・4・・ と、手に持つみかんにぴったり対応していないと数は数えられません。

多くの場合、数唱が先に出て、対応がおいつかない場合が多いようです。

数唱と1対1に対応するという意味を、体験的に理解させることが重要です。

ここをつかむと、後がずいぶん楽です。

毎回同じ活動をやっているように見えても、私はいつもこういう育ちを確かめながら、実態に合わせて支援の出し入れを行っているのです。



数には、他にも様々な側面をもっています。

かれんちゃんは、マンションのエレベーターで自宅の階をちゃんと押せるのだと聞きました。

当然、ボタンの位置や、手順としてのルーティンが身についていることもあるでしょうが、7階なら 「7」 という数字を、 9階なら 「9」 という数の記号的意味も、意識できているにちがいありません。

くつ箱にも、かばん掛けにも、「8」 と言う数字のシールが貼ってあれば、それが自分の位置を表す物だと理解できるようになっていくのです。


また、数には順序を表す性質もあります。

「上から2番目よ」 「前から4つ目のいすに座ってね」

こう指示されれば、順番に 1・2・3・・・ と数えてその位置を把握するのです。



それだけでは、ありません。

数にはまた、量を表す側面があります。

3個、3枚、3グラム、3Km 、3L、3㎡ ・・・

様々な単位を伴って、次から次へと子どもの前に出現します。

順序数から、量的な数へと、理解を深めることが、大切な課題の一つとなっていきます。

特に、継次処理優位タイプのお子さんは、なかなか量的な感覚を育てるのに苦労します。

多くの題材を使用しながら、量的な感覚を育むことも、算数的な活動のもっとも大切なポイントの一つになるのではないかと考えています。


さらには、次に、位取り記数法の課題があります。

10進法ですので、10で一つというのはわかります。

私たちは、それを当たり前のように感じています。


1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

普通こう数えますよね。

当たり前でしょ?


でも実は、9までが 「一の位」 で、10からは 「十の位」 なのです。

筆算の 「一の位」 をイメージするなら、そこに入る数は、1・2・3・4・・・  ではなくて、0・1・2・3・4・5・6・7・8・9のはずです。

何で 「十の位」 の10だけが、「一の位」 と一緒になるのでしょう??

これは、慣用的な数の使われ方と、数理的な数の使われ方に矛盾が生じているからです。


4×7=28 (ししちにじゅうはち)  ← 何で、よんなな にじゅうはち と呼ばないのでしょう? 

どうして 4個 は、「しこ」 と呼ばないのでしょう? さっき「ししち」 と、習ったばかりなのに・・??


時計を見ました。 9時5分? でも、長針の指す目盛りには 「1」 と書いています??

さっき、はかりの勉強では、50をさせば 「50g」 と、教えてもらったのに・・  


子どものつまずきが、こうしたズレから生じている場面に、これまで何度も出会ってきました。

私が、子どもの今が見えるということが大切、と考えているのは、こうした体験によるところが多いのです。


子どもが学んできた道筋を、一番しっているのは、ご家族です。

理論を学び、多くの実践、多くの子どもたちのつまずきから、ポイントを理解しているのは、現場の先生です。

ならば、連携というのは、どうあるべきなのか?

その一つの答えが、ここにあると、私は思っています。





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クラスの中で特別扱いをしない

 2010-10-06
ある2年生の男の子。

算数は好きだし、漢字も正しく書けるけど、本読みはややたどたどしく、読解もまだ少し苦手なようです。


担任の先生は、1年生から持ち上がりの女の先生。

教育に対する強い信念をおもちのようで、学級経営の中で、厳しく子どもを育てておられるようです。


決して、優しく自由な感じではありませんが、どの子にも厳しいので、公平で、わかりやすい学級経営です。

特性理解や、教育的な配慮は重要ですが、それがその子の甘やかしや他の子への不公平感につながると、クラスのモラルは低下します。

クラスのモラルが低下すると、真っ先に影響を受けるのは、弱い立場の子どもたちです。

同じクラスの中にいても、心の中にバリアができてしまい、お客さんになったり、無視をされたり、ひどい場合はそれがいじめにつながったりすることもあります。


私は、こうした厳しいタイプの先生のクラスの子どもを何人も見てきましたが、案外子どもは居心地がよい場合が多いようです。

一見優しそうに見えても、不正を見逃すような先生だと、一番に痛むのは、こうした子どもたちです。


先生が厳しい指導をされると、その時はさすがにその子もこたえることも多いようですが、学級経営がうまくいっていると、その周りの子が、「だいじょうぶ?」 「がんばれよ」 すぐに近くに寄ってくれるようになるのです。

力量のある先生なら、きっとそういうことを見越して、クラスに厳しいモラルをつくります。



もちろん、厳しいということと、怒ってばっかりというのは、別物です。

自分の力量のなさを、子どもへの怒りにすりかえるようでは、すぐに子どもの心は離れてしまいます。


子どもは、普段あんなに厳しかった先生が、実はどれだけ深い愛情と理解をもってくださっていたかを知る場面が、きっと訪れます。

こうして教育的な信頼の絆が築かれるのです。


理解することと、特別扱いは違います。

同じ空間にいても、クラスの大切なメンバーの一員となっていなければ、よけい孤独感を感じてしまいます。

もちろん限度というものもありますが、厳しさは、愛情の裏返しです。


懸命にがんばるその子の姿に触れたとき、クラスのみんなは、きっとその命の尊さに心を打たれることでしょう。

まずはクラスの大切な存在として受け入れられること

それがあってこそ、個別の指導計画が生きてくるのだと思うのです。



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構造化と環境調整 そこから伝わる子どもからのメッセージ

 2010-10-04
あるダウン症の男の子のことです。

時々紹介させていただいていると思いますが、あまり表出言語のみられない小学生の男の子です。


教室に入ってくると、まずお父さんにバイバイをして、その日の教材がどうなっているか、机の周りを見に来るのです。

そして、いきなりはいすに座らず、本棚のある休憩のエリアに、どっかりと座ります。


私はいつも、そこで 「今日はいい天気だね~」 とか、「前の週、運動会だってでしょ、どうだった?」とか、声かけをするようにしています。

表出言語はなくても、豊かな表情がそこにあるのです。

私は、5分と決めていますが、あたたかな通い合いの気持ちが流れ込んでくるような感覚になります。

私たちにちとって、とても大切なコミュニケートの時間になっているのです。


「じゃあ、勉強しようか?」

と、声かけをしても、すんなりとは席に着きません。

いつも、わざと寝っ転がってみたり、いつのすぐ近くまで来て立ち止まったりするのです。

とっても、かわいいお試し行動です。


私はいつも、「こらこら、早く席に着きなさい」 と言いながら、にっこり笑顔で、やさしく肩を押してやります。

肩に手を当てると、彼の足が勝手に席の方に動いています。

本当は彼、早く勉強したいのですが、「こらこら、早く勉強しなさい」 と、私に言ってもらいたいのです。


私は、肩に置いた手から、彼の足が自然に席に向かうのを感じることで、

また彼の方は、私の置いた肩の手から伝わる、やさしいタッチを感じることで、

通い合う相互の信頼感を深めているのです。



彼の学習プログラムは、彼の反応を見て、毎回微調整をしています。

以前手を添えていた書字の学習は、いつの頃からか、彼が手を添えることを嫌がるようになりました。

ならばということで、今の彼のニーズにあった内容の物を提示して、私は手を添えないようにしました。

つまり、プロンプトフェーディング法から、スモールステップ法へシフトチェンジしたわけです。


形にはやや不正確な面は残りますが、筆脈というのでしょうか、以前はガタガタ波打つような文字であったものが、今ではそれがだんだんまっすぐと、しっかりとした文字になってきました。

この先も、習熟の段階に合わせて工夫していかなければなりませんが、今回は切り替えて正解だったと思います。


毎回、こうした細かい修正を繰り返しながら、今の学習スタイルがあるのです。

驚くべき内容は、他にもあります。

それは、彼がその細かい修正を、きちんとチェックできているということです。


例えば、「パソコン → カード → ロールプレイ」 という流れで組んでいたプログラムを、「カード → パソコン → ロールプレイ」 に変更するとします。

もちろん、紙にも書いていますし、言葉も添えますが、初めて変えた時は、やはり一瞬手の動きにとまどいが伺えます。


ところが、2回目となると、とまどいは見られなくなります。

先週変えたことを、彼はしっかりと覚えています。

カードの学習が済むと、自然にマウスに手が伸びているのです。

私にとっては、記録を見ないと分からないような細かい事でも、何も言わなくたって、彼はちゃんと理解できているのです。


私たちには、非言語のコミュニケーションツールがしっかりと構築されています。

場の構成という私のメッセージと思いを、いつも彼はちゃんと理解してくれているのです。

そこに明確な意図がある場合は問題ないのですが、私がうっかり手順まちがえたりすると、一瞬手の動きが止まったり、ちらっとこっちを見たりしますから、まいっちゃいます。

毎回、かなりのプレッシャーかけられちゃっています。 (笑)


先日、井上雅彦先生のブロク を拝見していると、「構造化を支える随伴性」 (2010-09-21)  という記事の中で、「私自身は 「構造化」 という言葉よりは 「環境調整」 という方がしっくりきます。」と述べられておられました。


固定的にすべきこともあれば、不変でありながらも絶えず調整が必要なことがらだってあります。

要は、その子の今がしっかりと見えること。

本質をつかめばつかむほど、それは板につき、自然でシンプルなスタイルが生まれてくるのです。


むずかしい言葉や先端の理論だけをとってつけても、子どもが動かなければ何にもなりません。

毎週彼との学びを見つめていくことによって、どれだけ私の力量が高まったか知れません。

もしかしたら、彼は達人ではないかと、本気で思い始めています。




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大切さを全国に伝えたい
Author:SHINOBU
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