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学習レディネスと個別支援 (イチロー君の100点)

 2010-06-28
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「算数で、一発100点とった!」

教室に入ると、小学3年生のイチロー君が、開口一番、私にそう伝えてくれました。

イチロー君とは、1年生の2学期より一緒に勉強していますが、私の知っている限り、一発100点は初めての出来事です。

まさに、ワールドカップ級の快挙です。


イチロー君の成長については、2010-5-24 の記事 でも紹介をさせていただきました。

初め半分信じられないような気持ちでした。

でも、ご両親のお話を伺っているうちに、私は次第に、胸が熱くなっていくのをこらえきれませんでした。


思えば低学年の頃、書字や計算でどれだけ苦しんできたでしょう。

その都度 「大丈夫です、時間はかかるかも知れませんが、必ずできるようになります、この子には他の子にはないすぐれた面がたくさんあります、可能性を信じて前へ進んでいきましょう」 と、何度もお伝えしました。


2年生の時、何かが出来ないことで、学校に行きづらくなった時期さえありました。

ご両親は、大きな課題に向き合う度に、通常学級を選択したことに対する、自分自身への問いを何度も繰り返しておられるように見受けられました。

「通常学級選択で、正解だったと思います」

いつだったか、具体的な場面で、私がそうお伝えしたとき、お母さんが目頭を熱くされたこともありました。


こうした取り組みについては、以前の記事で、何度か紹介をさせていただきました。

1・2年の頃は、週に2度指導をしていた時期もありますが、今では隔週90分のペースでレッスンをさせていただいています。

しかし、私の仕事は、直接イチロー君へ直接指導をさせていただいたことよりも、むしろご両親と一緒に支援の具体を考えさせていただだいたことだと思っています。


ご両親は、必いつも真摯にその内容を受けとめてくださり、ご家庭での学習を工夫して行かれました。

私のお伝えした内容をいつも理解してくださいましたが、主導権は必ずご両親がお持ちでした。

だからこそ、これだけの成長が育むことができたのだと思っています。


イチロー君は、3年生になっての急成長です。

私のレッスンが、毎週から、隔週に変わってからの急成長です。 (笑)


「こんな日が、こんなに早く来るなんて・・」

この日、思わず、お父さんの口から、そんな言葉がこぼれました。

それは私も同じ気持ちです。

これまでずっと大丈夫です、と言いながらも、100点のテストにほほをつねったのは、他でもない私ですから。


もちろん、これですべて問題解決、後は順風満帆なんて、思ってもいません。

これから先、新たな課題も次々と生まれてくることでしょう。

幾度となく、困難に向き合って行かなくてはならない場面もあることでしょう。

しかし、この100点が、私たちの心に大きな希望の光をともしたのは確かです。


かけ算九九で、4×7 「(よん) × (なな)」 を、「しひち」 と読み替えることに、大きな抵抗感を示したのも、イチロー君です。

微細な書字認知も、言葉の多義的意味も、数の合成分解も、時間はかかりましたが、その分じわりじわり深い理解に結びついていきました。


このご両親だって、厳しい場面だからこそ、心が折れそうになったことも、何度もあったはずです。

お父さんの、「こんな日がくるとは・・」 という言葉、私は痛いほどわかります。

半端なご苦労ではなかったはずですが、ずっと歩みを前へ進めていかれました。

すぐに成果の見えない、毎日の半歩のあゆみ、

たやすい事ではありません。

ただ、その日々の半歩の歩みの積み重ねが、ここまでの育ちにつながったのです。


子どもがその時、苦労をしたからといって、決してすべてが劣っているということではありません。

早くわかることも大切ですが、深くわかることはもっともっと大切です。

そこで培う力が、次への学習のエネルギーとなるのです。

ここが整うと、テストでも結果が出るようになります。

結果が出せるようになるために、足場を一つ一つ固めていくこと、目に見えにくいですが、この作業は大切ですね。


学習レディネスが整えば、車は発進します。

すべてのケースが、イチローくんのようにうまくいくとは思いません。

道筋が見えないことは、とても苦しいことです。

半歩進むことで、その景色ががらっと違ってみえることもあります。

苦しい場面で、その半歩が踏み出せるかどうか?

たやすい事ではありません。

だからこそ、そこであゆみを止めてはならないのです。


私は、イチロー君のご家族のあゆみにずっと寄り添ってきましたから、今、低学年で課題に向き合っておられる多くのご家族に、そのことをしっかりとお伝えしていかなくてはなりません。

1年生で、今、何かが出来にくいからといって、すべてのことが、ずっと出来ないわけではありませんよ。

苦手なことの裏に、その子の良さが見え隠れしていることも多いのです。


一歩でも、半歩でも、ずっとずっとその歩みを続けていきましょう。

成長する我が子の姿が、きっとその先にあるはずです。


静かでも、深く、強く、ゆるぎないご両親のまなざし・・

すっかりたくましくなったイチロー君の表情。

子を思う家族の愛は、本当に美しいと思いました。



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母と支援者とのパートナーシップ

 2010-06-24
昨日は、ある会の育児相談会ということで、17組のお母さん方とたくさんのかわいい子どもたちが、園や教室に来てくれました。

事前に、お子さんの発達面の課題について、質問事項を出していただいていました。

言語の発達、行動改善、生活面の課題について、一緒に考えさせていただきました。

就学前の前のお子さんが中心でしたが、1歳から小学生まで、幅広い年齢のお子さんのそれぞれの育ちを一緒に見つめることにより、それぞれが我が子の課題に向き合っておられるように感じました。

プールや戸外の縄跳びなど、実際の保育のようすもご覧いただきました。

会の終了後、教室に通ってくれている何人かのお母さんから、早速にメールをいただきました。

下記のメールは、小学3年生の女の子のお母さんからのものです。





SHINOBU先生
今日はお忙しい中、ありがとうございました!

毎週お話は聞いてきていましたが、改めて先生のお話を聞かせていただいて、
静かな感動に今も浸っています。
先生の子ども達への大きな愛がお話の中から伝わってきました。
少し大げさな言い方ですが、私には、神様からのメッセージのように思えてなりませんでした。
先生の背後からきれいな光が見えたようにも感じました!(ここだけの話ですが、不思議なことに、時々見えるようなことがあります)

先生は、娘のことを素敵な魅力のある子どもだとおっしゃってくださっていましたが、
毎日見ている私には、正直ピンとこない感じがありました。
先生がみつけてくださっている娘の魅力を、私は見ていないというか・・・。
でも、今日先生のお話を聞いて、「なるほど、娘はやっぱりすばらしい!!」
と心から感じることができたように思ったんです。
今まで当たり前のように思っていましたが、チャレンジする前向きな気持ち、勉強に対して姿勢、かけがえのない宝物だと思いました。
そして、私がそれをもっと見つけて、評価して、ほめてあげなければならないとも・・。

さらに、最近、娘の話が分からないと適当に流していた自分にも気づきました。
もう少し私が想像力を働かせたり、辛抱に深く聞いていけば分かるかもしれないことを
つい放っておいていることも大反省です・・。

思えば、赤ちゃんの頃から言葉がでるように、必死で話しかけたりコミュニケーションを
とっていたのに、この頃はすっかりさぼっていました。
もっと子どもの気持ちをくみとる母にならなければ、と新たな決意をしました。

先生に出会えたことは、私と娘にとってやっぱり奇跡だと思います。
改めて幸せをかみしめる日でした・・・。
感謝しても感謝しきれないほど、助けていただいていると思います。
ありがとうございます!

うまく言葉にはならないのですが、どうぞこれからも私たち親子を
よろしくお願いいたします!






> 思えば、赤ちゃんの頃から言葉がでるように、必死で話しかけたりコミュニケーションをとっていたのに、この頃はすっかりさぼっていました。もっと子どもの気持ちをくみとる母にならなければ、と新たな決意をしました。



それぞれの子には、それぞれの輝きがあります。

この子の場合、この子が教室に入ってきた瞬間に、教室の中がぱっと明るく、私の気持ちまで爽やかものに変えてくれます。

疲れも、吹っ飛ぶとは、このことです。


ダウン症の女の子です。

この子の天使のような明るさは、こうやってご家族の努力によって培われてきたんだ・・

このメールを拝読して、一番にそう感じました。


さぼった、とお母さんは書いておられますが、私はそれも違った見方をしています。

それは、ありのままで一人の子としてこの子を受け入れ、自然にお子さんに接することができるようになってきた証です。

ダウン症のお子さんを授かり、きっと、命を削るような思いで、この子の成長を支えて来られたに違いありません。

このお母さん、これからは今までとは少し違ったスタンスで、より深くしっかりとした歩みで、この子と共に育っていくに違いありません。


いい所があれば、欠点もあるのが子どもです。

それは、誰だってそうです。

強い思いがあればこそ、出来ないことを出来るように、と願うのが母の性です。

もっと、しっかりしなさい!

ちゃんと、片付けをしなさい!

切っても切れない、親子の深い愛情があればこそ、日常生活の中で、そういう自然な気持ちをストレートに子どもに伝える事の出来る親子はステキです。

そうしなければやっていけない、厳しい現実の生活もあるのです。


私は、そのことを十分理解しているつもりなので、親としてしたくてもできない部分を、教育者として、ご家族の信託を受けて、母に成り代わってさせていただこうと考え、それこそが、自分の考えている支援者としての大切な仕事の一つだと心得ています。


「よろしくお願いします」

教室に入ったこの子は、いつもていねいに挨拶をし、靴をそろえ、学習ファイルを袋から出し、私の机の所定の場所に置き、いすにきちんと座り

「さあ、勉強しよう」

と、背筋を伸ばします。


漢字学習の時、

「おしいなあ、ここは、斜めに書けてないから、100点あげれないな。 こんなふうに斜めに払うことができたら、100点なんだけどなあ~」

と、教えると、「よお~し」と言って、ちゃんと教えたこと (先行刺激) が、すぐに生かされます。

「すご~い、天才!」 と、ほめ、大きい花丸に100点をつけてやると、「やった~」 とバンザイをして喜んでくれます。


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こんな調子で、毎週90分の個別指導が、あっという間に過ぎるのです。

そのことが、私にどれだけ大きなパワーを与えてくれているか、わかっていただけるでしょうか?

この子が、私の指導にどれだけの希望と勇気を与えてくれているか、理解していただけるでしょうか?


この子は、年長さんの時、テレビの 「はじめてのおつかい」 に出演し、同じダウン症児のご家族に、大きな感動とインパクトを与えたと聞いています。

その録画された DVD を、先日見せていただきました。


「少し、美化されすぎちゃって・・」

お母さんは、そう伝えてくださいました。 

その日、少しの時間、実際にその DVD を二人で見て、ワーワー盛り上がりました。

現実は、テレビ番組とは違う面も多いと思いますが、私はリアルなこの子の魅力は、テレビ番組以上だと思っています。


レッスンを始めて何回目かの時、この子は調子に乗り、お試しのマイナスの言動をを連発したことがありました。(どの子も1度はやります。)

私がかんかんに怒り、厳しくそのことを注意すると、この子はその時神妙な顔で、「あっちゃー」 と、発言したのです。

これには、さすがの私も降参してしまいました。

予想だにしなかったこの言葉に、私は、この子のピュアな気持ちにふれたようで、いっぺんにこの子が大好きになってしまいました。

テレビ番組もステキでしたが、生のこの子は、こうした欠点もあるからこそ人間らしく、さらにリアルで魅力的な存在なのです。


よくぞ、こんな魅力のある子に育ててくださいました。 本当にすばらしい子だと、今でも心の芯から思っていますし、その思いはしっかりとこの子の心に届いたように感じています。

この子との1回1回のレッスンは、大切な実践のエキスとして、他の子のレッスンにも生かされていくのです。

それだけでも、存在感のある子です。

だから、レッスンが楽しいのです。



この子を、ここまで育てられたのは、まぎれもなくご家族で、そこに想像を超える大きなご努力があったことでしょう。

そう言えば、最初このお母さんがご相談来られたとき、空き時間がなく一旦はお断りさせていただいたことを記憶しています。

しかし、このお母さんの強い (強烈な?) 意志が、運命の扉をこじ開けたとしか思えません。

この時の、お母さんの食い下がりの表情は、並大抵ではありませんでした。

そうこうしているうちに、お仕事の都合でたまたま出来た他の子の空き時間に、すっぽりこの子のレッスンがはまり込んだのです。

もちろん、習っているピアノの時間を変更するなど、素早い対応も見事でした。

まさに、意思のあるところに道は通ずる、のであります。



これから成長のステージが変わって行くにつれ、ご家族のなすべき役割も変化していくことでしょう。

こうした前向きなご家族を、決して孤独にさせてはいけない。


主体的なご家族ほど、支援者は必要になります。

母が抱えているものを、肥大化させてはいけません。

ご家族は、本当にご家族でしかできないことをしていただき、任せられることはプロに委託する、これが私が考えているパートナーシップの一つの形なのです。


社会の中で、主体者としての家族を支える支援の枠組み

そのあるべきモデルを模索し、世に示していきたい。


子どもの命の輝きがそれぞれに違います。

私のパートナーは、どのご家族も、それぞれにすばらしい方々ばかりです。

昨日お越しいただいた若いお母さん方が、それぞれに何か大切なことを感じ取りながら、会場を後にしてされているようすをまぶしく見つめていました。

子ども幸せを支える母のすがたを、そこに見ることができました。


主体者であればこそ、その大切さが受け継がれ、支え合い、それがつながっていくことが、とても大切だと思いました。

支援とは、主体者にとって代わることではなく、そのもてる力を発揮していただけるよう側面から支えること。

この日また、多くのすばらしい方々とつながることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。



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子どもの心とつながるルート (一斉指示が 子どもの心に届かない理由)

 2010-06-21
個別に指示をすると理解できるのに、みんなに一斉に指示したことが、なかなかその子の心に届かない、そんなことはありませんか?

注意力散漫? 

そういう場合、そんな見方もあり得ると思いますが、私は少し違う見方をしています。


子どもには、文脈や場の状況などをアバウトにとらえることは、得意だけど、微細な文字や形の認知が苦手な子がいます。 選択肢のある3択問題なら得意だけど、文章の中からキーワードをピックアップするのが苦手なタイプのお子さんです。

逆に、漢字は正確で、とてもていねいに書けるけど、文章を読んで、前の段落と後の段落が、順接で結ばれるのか、逆接で結ばれるのかが、理解しづらいタイプのお子さんもいます。

一文字一文字を微細に、精緻にとらえようとするために、全体を俯瞰することが苦手なのです。

文脈や感情理解など、アバウトなとらえが苦手なタイプのお子さんです。


カクテルパーティ効果、あるいは選択的注意という見方があります。

ざわざわしていても、話し相手の人の声だけちゃんと聞き分けるというメカニズムです。

中には、右の太郎君はおもちゃの話をしていて、左の花子ちゃんはおかしの話をしていて、向こうの健太君はアイドルの話をしていたと、多くの人の話を同時にとらえることのできる子もいます。

ここにも、精緻・集中タイプと、ワイド・アバウトタイプの2つのタイプがあると考えています。


単に聞く力が弱いということではなく、その内容をしっかりとつかもうとする度合いが強いからこそ、さあここから大切なことを言うよ、と場を構成しないと、とてもじゃないけどすべて入力することができにくい子もいるのです。


少し前に、先生が何気なく言った一言を、頭の中で今、一生懸命そしゃくしているのかも知れません。

どれが重要で、どれが冗談で・・ アバウト型ならその情報を同時に整理できても、精緻型は全部をちゃんととらえたいのです。

ならば、その特性を踏まえた上で、選択的注意力を育てていくために、小さなステップを構成するか、個別な支援を施して、段階的にフェードアウトする、というような方略も見えてきます。


一生懸命聞いているからこそ、ワイドに聞けない、注意力散漫ではなくて、集中しすぎるから、みんなに言っていることを全部受け止めることができない、そういう目で見てやると、何か打つべき一手も見えてきませんか?



個別指導をしていて、時々起こるエピソードです。

体験レッスンの時に、お母さんが、お子さんを連れて入室をします。

そして、子どもが着席をします。

お母さんが、少し遠くからそれを見ています。


となると、教室の中に、子どもと私とお母さんのトライアングルができます。

例えば、子どもが何か不適応な行動をとったとします。

お子さんのことをまだ十分に理解できていない場合、私はお母さんの目を少し意識したり、注意していいものかどうかためらうことがあります。

また、お母さんも、先生が指導しているのだからと、厳しく注意できない、エアポケットが生じてしまいます。

系統が2つになり、コントロールが効きにくい構図ができるのです。


よくないな、と感じたら、私は、お母さんに退室していただくようにお願いをします。

大抵は、お母さんが退室されて5秒後には、子どもの背中はしゃきっと伸び、別人のように一生懸命活動に取り組み始めます。


ある日、お母さんとお父さんと保育園の先生が、その子のレッスンのようすを見学に来られました。こういうときは、教室に何人いようとも、指導系統は私一本ですから、コントロールは簡単です。

一斉指導の中にあっても、こんなルートをつなぐことができれば、最高です。


集中型の子は、さっき聞いた何かがぐるぐるずっと頭の中で回り続けたり、水道の蛇口がゆるくて、少しだけ流れる水のことが気になって仕方がなかったり、ということがあります。

その代わり、一度きちんと得心のいったことは、いつまでもちゃんと心に留め置いて、実行することができます。

苦手なことがあるからこそ、得意なこともあるのです。


メールも、一斉送信で伝えられる内容もあれば、やはり、その人宛、に再度くわしく伝えなければならないこともあります。

いろいろなことを、いっぺんにすることは苦手でも、個別送信で、ひとつひとつの事がちゃんとでき、それが積み重ねていけるようになるのなら、案外それも近道です。


子どもですから、可塑性は高いのです。

一斉指示で、アバウトなことがとらえられるような力を育てていくことも一方で大切です。

と同時に、この内容を精緻にとらえる才能を、生かす発想も併せもちたい。


私なんか、授業の中で、ある時には良いと言っていたことを、別の日にはダメだと言うことも何度もあったと思います。

集中型の子は、その矛盾で苦しんだりするわけです。

私が許容したことを、他の先生から叱られたりすると最悪です。

冗談で言ったことを、真に受けてしまう子だっているのです。


学校生活も裏を返せば矛盾だらけ、

受け流すのが苦手なまじめな子ほど、迷惑な話です。


一斉指導の時に、ある時は冗談を言い、あるときは重要なことを伝える私のような先生??

こんな子に、全部が全部、まともにとらえられては、かえって困ることはありませんか?


ならば、大切なことはちゃんとその子に直接、伝える個別の場がありがたく思えます。

多くの情報の中から、大切なことを取り出す方法も、すべての子どもに一律ではないと思います。

子どもの心とつながるルート

個別にその子に寄り添うことで、しっかり心に刻まれるのであれば、それはとても尊いことだと思うのです。




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言葉の世界が広がっていくプロセス

 2010-06-17
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この日、かれんちゃんは、ミニカーを2台持ってきました。

何気なくもってきたミニカーでしたが、そこから、SHINOBU先生との楽しい言葉のやりとりが広がっていくとは、その時は思いもしませんでした。

「どっちがいいの? こっち?」 〈私〉

「うん!」  〈かれんちゃん〉



「それ、かして」 〈私〉

「いいよ」  〈かれんちゃん〉

「どうぞ」  〈かれんちゃん〉

「ありがとう」  〈私〉
  
「どういたしまして」  〈かれんちゃん〉



もちろん、構音が不明瞭な部分もあります、が、文脈がつながっているので、聞き取りやすく、会話がとぎれません。

すぐにパトカーを貸してくれないので、ふざけて私が泣くまねをすると、かれんちゃんは、「よしよし」 と言って、私の頭をなぜてくれます (笑)

バカ受けした私が、大笑いをすると、かれんちゃんから、「うるさい」 と注意を受けてしまいました。


そのほかにも、

「だいじょうぶ?」

「やさしい~」

「がんばって!」

など、これまでに聞いたことのない単語が、次々と発せられていきます。



そう言えば、昨日、何気なくNHKの英会話の番組を見ていると、日本語のまんがのページを背景にしながら、英語でネイティブの人が、小説を朗読していました。

これだと、何故か、ネイティブの人のフレーズが、とてもシャドウイングしやすく感じます。

背景のまんがで、ある程度、文脈の理解ができているので、言葉をキャッチしやすいのです。

DVDで毎週見ているアメリカの連続ドラマも、先週までのストーリーを把握していると、結構会話をダイレクトにキャッチできます。

字幕に目をとられず、時々自然に会話をキャッチ出来ている自分に気がついたりします。

コミュニケートにとって、いかに共有する世界が重要かを示すものだとも言えます。


かれんちゃんの場合、今は、カードなどで、切り取って精緻に見させることよりも、ストーリーや言葉のやりとりの流れの中でとらえさせる方法が有効だと思われます。


この日のかれんちゃん、時間が来て、お母さんがお迎えに来ても、なかなか帰ろうとしません。

きっと、そうなると思っていました。

コミュニケートって、心が通じ合うということですから、本来は楽しいもののはずです。

私だって、とっても楽しい時間を過ごすことができました。


今日のレッスンは、さながら、かれんちゃんとの、コミュニケーション教室のようになりました。

この子の言語を、より確かなものに育てたい。

応答的なやりとりの有効性とその支援のポイントを、確かめることができたように感じています。

この子は、やっぱり私の宝物、

教室を後にするその姿を見つめながら、私は、そんなふうに感じているのでありました。


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文章読解指導におけるトライ&エラー

 2010-06-15
例えば 「おにごっこ」 という文字情報が、視覚から入力されたとします。

「お」「に」「ご」「っ」「こ」という文字の組み合わせから、心の中にある 「おにごっこ」 と言う単語であることに気がつき、それが 「学校でいつかみんなとやったことのあるあの遊びのこと」 だと理解します。

このように理解言語としての 「おにごっこ」 が、心の中の辞書に入力されてあると、読んでいるうちにそのことをイメージ化しながら、読み進めていく事ができます。


ところが、「Sケン」 という文字を見たとき、それを何とか 「エスケン」 と読むことができても、それがどんな遊びのことか、わかりません。 わからない単語が、一つくらいなら、まだスルーして読み進めることができても、さっぱりイメージ化できない単語の連続だと、何度か音声に変換することは出来ても、その文章が何を目的として書かれ、どんな内容を伝えようとしているのかを、つかむことができにくくなってきます。

このように、一つずつの単語を読む力と、主題や文脈理解の力は、相関性はあっても、同じではないのです。


つまり、子どもによっては、一つずつの単語は正確に読めるのに、文脈がわかりにくいタイプの子もいれば、文脈は理解できるけど、正しい言葉を正確にピックアップすることの苦手なタイプの子と、双方いるわけです。



先日、ある子が文章問題を読んでいました。

「私たちは、ボーリングゲームの後、まとあてをしました。」

問題文にはそう印刷されていましたが、その子は、「私たちは、ボーリングゲームの後、まとてをしました。」 と、間違って読んでしまいました。

「まとめて? あっ、ちがうわ、まとてじゃ」

その子は、すぐに間違いを自分で修正することができました。


この子とは、2年間に渡り個別指導を続けてきましたが、自分で読んだ文章の誤りを、自分で修正できたのは、今回が初めてのことではないでしょうか?

文脈理解ができているからこそ、「まとめて」 じゃ、変なことに気がつくことが出来たわけです。

長い期間、フルフロントでこの子の読みを支え続けてきましたが、ついに自力でトライし、そのエラーを自ら修正できるところまできました。


商品の名前を答えるべき時に、自分の名前を答えてしまう CM がありました。

自分の名前は正確に答えているのですが、「名前は?」 というのは、商品の名前であって、あなたの名前ではないわけです。

文脈理解がずれていると、こういうエラーが起こりやすいのです。


パズルにしても、何の指導にしてもそうですが、出来ないときには、支援を手厚くして達成感をもたせます。

そうしているうちに、周辺のことが整理されたり、力が付いたりと、いわゆる学習のレディネスが出来上がってきます。

そして、先行学習をちょっと使えば手の届く、「発達の最近接領域」 に迫っていきます。

解決可能と見たら、支援をフェードアウトし、自力でトライさせるわけです。

当然、多少のエラーが起こります。

このエラーに自分で気づき、自力で修正できるようになってくれば、あとは適切な課題さえ用意すれば、子どもはぐんぐん前に進んで行き始めます。

指導を行って最も手応えの感じるレベル、

一つのステージの区切りとして、稲刈りの時期、集金の時期を迎えたことになります。

ここまで来るのは大変だけど、ここまで来れば楽しいものです。


まだまだ当該学年の問題ができるということではありませんが、正直、よくここまで伸びてくれたと、とてもうれしく思っています。

やり方さえわかれば、エンジンはしっかりした子ですからね。

直線コースで、強烈な追い込みを見せてやりたいものです。


文脈から、自力でエラーを修正できる。

小さいけれど、貴重な一歩だと思っています。

この大切さを、しっかりと追体験させてやりたいと思っています。



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書字の課題は解決できる

 2010-06-14
私の教室に通ってくれている子の中で、低学年のころ、文字が書けなくてとても苦労した子が3人かいます。

それぞれの子が、まったく同じメカニズムであったとは思いませんが、文字の些細な認知が苦手であったことは共通しています。

特に、「弓」 とか 「木」 とか、曲がりや斜めの画が苦手でした。


ならばということで、「立つ」 「木」 「見」 → 「親」    「糸」 「白」 「水」  → 「線」 というように、文字をいくつかのパーツに分解し、とらえやすい形の組み合わせとしてとらえさせ、小さなステップを構成しながら、微細な認知力を育ててきました。


その子たちが、もう中学年になりました。

「大」 という字の形が、まともに書けるようになってからは、以前のような大きなエラーは見受けなれなくなってきました。

たっぷりと物語文にも親しませてきたので、持ち前の文脈理解にも磨きがかかってきました。

視線移動を少なくし、ショートターンの視覚性のメモリをキープしやすくするために、少し大きめな文字で、左のマス目にお手本を示し、それをすぐ右のマスに書き、上手になっていく手応えを子どもに感じさせ、スモールステップでモチベーションを高めていく方法も効果的でした。

少し時間はかかりましたが、何とか学びのベースラインには立てたような気がします。


また、3人ともお話が大好きで、音読が得意であったことも、共通していることがらです。

あれだけ、スラスラと音読ができるのに、なぜ微細な文字の認知が苦手なのか、当時はとても不思議に感じていたものです。

後にそれは、視覚性認知が苦手だからこそ、聴覚性の言語認知力が向上し、微細の文字認知が苦手だからこそ、全体を俯瞰して文脈をとらえる力が伸びたのだ、と理解できるようになりました。


もちろん、多少の苦手感は残っていることでしょう。

でも、あの頃のような大きな痛みは、なくなりました。

そればかりか、苦労した分、文字が書けるようになった喜びや大切さを味わうことができたようです。


自分の苦手なことを受け入れることができ、なおさら、そこで向上心をもって取り組める子こそ、私が育てたい子の一つの姿です。


確かに君は書くことが苦手だったよね、

でも、それだからこそ、心を込めて物語が上手に読めるようになったんだよ。

今ではもう、その文字が、ちゃんと書けるようになったね。

それに、物語を読むことは、前よりずっと上手になった。

もし、今でも、まだ少し漢字を書くのが苦手であっても、そんなことは何も気にすることはないと思うよ。

これまで通り、勉強を続ければいいのだから・・


自分の苦手なことを受け入れて、なおかつ、そこから踏ん張れる子は強いですよ。

心ない一言に、くじけなくなりました。

いろいろな困難をはねのけて、幸せを運んでくれる子に育つような気がします。

人が生きることの大切さを、見つめさせてくれるような気がします。


あの頃は、本当に、ちゃんと文字が書けるような日がくるのかと、心配でたまりませんでした。

大したもんです。

大切なことを教えてくれましたね。


さあ、これからまた、次のステージに向けて一緒に進んでいきましょう。

君と一緒に歩むことができて、先生はとても幸せです。


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算数的活動と数量感覚

 2010-06-11
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昨日、3年生の女の子とすごろくゲームをしました。

最近、すごろくゲームが大好きになってきた子です。

「自分のすごろくゲームがほしい」

と言うので、私は、待ってましたとばかりに材料を用意して、一緒に作ることになりました。


この子に、何としても繰り下がりの筆算をできるようにさせたい、というのが、私の悲願です。

そのすごろくゲーム作りの活動も、そこへ到達させるための大切な1歩だと考えていました。


私が、青のサインペンでまるを描き、その子が数字を記入していきます。

途中で、しんどくなったり、混乱した箇所もありますが、きとんと 「100」 のゴールまで到達することが出来ました。

出来たときは、よっぽどうれしかったのか、おもいっきりの笑顔で、「ばんざ~い」 と、喜んでくれました。


これまで、お買い物ゲームの学習で、50円の品物に10円玉5個を対応させ、80円の品物に10円玉8個をきちんと対応して支払うことができるようになってきました。

ところが、合計13個の10円玉を130円と数えるのは、得意ではありません。


また、市販のすごろくゲームをしている時、1・2・3と数えて行き、4の目の所に 「1回休み」 と記入していると、それに気をとられ、自分がいくつ進んだら良いのをか、忘れてしまうことがありました。

この自作のすごろくには、そんなトリッキーなことはありませんから、100まで進むという量的な感覚を養う一助になったのではないかと思っています。

もちろん、1と10との位取りの感覚も培っていかなくてはならないのですが、まずは、順序数1~100の感覚をつかさせる第1ステージの完成です。


すごろくゲームで育てたい力はいくつかあります。

ルールを学ばせたり、勝ち負けやゲームに親しませること、相互の応答的なやりとりなどを中心のねらいとして構成することもありますが、この子の今の課題は、出た目を、正確にコマの進み方に対応させることです。

たし算をしても、ひき算をしても、6足すつもりがいつのまにか7足していたり、9引くつもりが8しか引けていなかったりすることが、往々に見受けられます。

出た目をショートターンメモリーにキープして、目と手を協応させながら、「1・2・3・4」と、言葉をマス目に正確に対応して数えるのは、数処理の根幹です。


1対1対応こそ、数処理の基本です。

これができないと、前へは進みません。

「1・2・3・4」 と言う言葉と、実際のコマとがずれるようでは、算数にならないのです。

このスキルを、楽しみながら育てるのに、すごろくゲームやお買い物ゲームなどの、算数的活動はとても大切だと考えています。


キャッチボールができないのでは、野球にはなりません。

ただ、ある程度練習したら、時々試合に出してやることも大切だと思います。

培ったことが、使える場面が必要であると同時に、試合で学ぶことだって多くあると思います。


特に、ダウン症のお子さんで、練習より本番に強いタイプのお子さんは、プリント学習より算数的な活動に意欲的に取り組むことが多いようです。

だからこそ、プリントも頑張って欲しいという願いをもちながら、ここらの塩加減が腕の見せ所です。


この子は、字が上手なので、同時処理優位の子かなと、思っていた時期もありますが、文章読解の問題をさせるようになってから、案外継次処理もイケルことがわかってきました。

少し前まで、あれほど抵抗感のあった読解プリントを、昨日は5枚も、さらりとやり遂げて驚かせてくれました。

聴覚性の言語支援と、イメージ化された内言語を引き出すプライミングの支援が、面白いようにヒットしました。

読解指導は、いけるとこまで引っ張って、段階的フェードアウトしていこうと思っています。

漢字学習は、カードから自分の選んだ漢字を練習させるようにしたら、またまたモチベーションがアップしました。


とにかく指導は楽しいし、あれもしてみたい、これもやってみたいと思っているうちに、時間はあっという間に過ぎてしまいます。

毎週90分の個別指導をさせていただくことを、以前にも増して、本当にありがたいことだと思うようになりました。


もちろん学習面の課題は、まだまだたくさんあるのですが、この子の魅力とパーソナリティは、長年にわたってご家族が育ててこられた宝ものです。

この子、勉強でがんばったことを、お母さんにほめてもらいたくて仕方がないようです。

そればかりか、指導者のモ私のチベーションまで、毎回高めてくれるのです。


たし算やひき算のひっ算ができるようになり、位の感覚がしっかりと身につくその日、

持っているお金の価値がわかり、きちんとお買い物ができる、お金のやりとりが出来る、そんな子に育ってもらいたいのです。

だからこそ私は、このすごろくゲームのねうちを、しっかりとかみしめているのです。


本当に微力で申し訳ないけれどが、これからも与えられた毎回の指導の時間、そのことを目指していきながら、ずっとずっと真心を込めて取り組んでいきたい、そう思わずには、いられないのです。




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集団適応に向けての 小さなステップ (ピア・トレーニングと さくらんぼ教室)

 2010-06-10
本年度になって、うちの保育園に 「さくらんぼ教室」 ができました。

子育て支援センター事業の一環として行っているものです。

2~3歳のお子さんを中心に、保育園や幼稚園に、これから通ってみようと思われている子どもたちのための教室です。

今日は、9名の子どもたちが来てくれていました。


お子さんの集団への適応や、コミュニケーションについて、不安に思われているご家族もいるようです。

少人数の構成ですが、経験豊かなベテラン保育士が、手厚い支援を心がけています。

こうした環境が、集団適応やコミュニケーションの力を育てるための、小さなステップになればと願っています。

担当保育士は、とてもはりきっている様子でした。


お家では、大丈夫なんだけど、集団の中ではなかなかうまくコミュニケートができにくい、

そんなお子さんには、このような教室が、ピア・トレーニングの場としても利用してほしいと願っています。

お友達とのかかわりから、子どもは多くのことを学び、育っていくはずです。


教育的な配慮のある小さな集団の構成、

親として、子どものために、どんな環境を選択していくか、

そのことは、子どもの集団適応とコミュニケーションの力を育てていく上で、とても大切なことだと考えています。


「さくらんぼ教室」

子どもたちは、喜んで通って来てくれているようです。

ご家族の願いを受け止めることができるよう、私たちはその役割をきちんと果たしていきたいと思っています。


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心の安定と学力との相関

 2010-06-08
「私は将来、国連の職員になりたい」

昨年の春から通ってくれるようになった6年生の女の子の、将来の夢です。

先日、英検にも合格しました。

オーストラリアへホームステイした経験もあります。

ずば抜けた言語系のポテンシャルをもっています。

今は、私立の小学校に通い、来年には入試を突破して、中高一貫校への進学を目指しています。


「私は、算数さえなかったら、もっともっと上のレベルが目指せるのに」

昨年の4月、私の教室に通い始めた頃は、何度も何度も私にそう伝えていました。

確かに、言語系に比べると、算数系では苦しむ場面が多いように思いました。

そして、厳しすぎるという学校の校則や、先生の対応のことを、指導の度ごとに私に訴えていたのでした。


昨日、その中高一貫校の、昨年の入試問題をさせてみました。

一番むずかしそうな算数の問題です。

ちょっとハードかな、と思っていたので、つまずいた時の支援は、周到に用意していました。

昨年の様子を知っているので、ここでのモチベーションの低下は、何としても避けたいと思っていました。


近年の中高一貫校の問題ですから、これまでのような丸暗記式の設問ではなく、柔軟な思考力としっかりとしたスキル、そして冷静な判断力など多面的な力を必要とします。

もちろん、即答できるような問題ではありませんから、しばらく考えを巡らせているようでした。

私も、どうしようかと迷いましたが、ちょこっとだけヒントを与えてみることにしました。

とその瞬間、なあ~んだとばかりに、あっという間にその問題の正答を導き出してしまいました。

「この程度の問題なら、毎日学校でやってるもんで・・」

少しはにかみながらも、自信に満ちた表情が伺えました。


本年度になり、4月・5月と、この子の表情は見違えるように明るくなってきました。

どうやら、担任の先生とウマがあってきたようです。

この日も、担任の先生のこと、クラスの友達のこと、学校での生活について、それはうれしそうに話してくれました。

昨年の4月・5月とは、まるっきり別人のようです。

昨年の今頃は、途中で単純な計算ミスに引っかかりたりして、なかなか次のステップまで到達することができませんでした。

やらなきゃいけない、やりたくないのジレンマを、たびたびそこに感じることもありました。


この子の知識量たるや、それはすごいものです。

四文字熟語・ことわざ・地名・特産物・歴史上の人物・・・ まるで生きた百科事典のようです。

だからこそ、算数が苦手なことが、大きな心の痛みになっているようでした。


ところが、6年生になって、メンタル面が非常に育ってきました。

気持ちが安定してきたので、計算ミスも少なくなりました。

それに伴い、できる・わかるの体験が積み重なり、歯車が噛み合うようになりました。

大きな壁に向かって突進するだけでなく、自由なフィールドで加速を付けていく方が、この子の力は伸びていくような気がしています。

6年生を迎えるにあたって、こうしたご両親の深い愛情と、賢明なご判断がそこにあったのです。


話は変わりますが、先日、お世話になっているある方の娘さんが、中学校の中間試験で、学年1位をとられたそうです。

私、頭の中で、2人のお子さんの姿が重なって見えました。


力があればこそ、よりデリケートにならざるをえない部分は、誰にもあるはずです。

他人にとっては、何でもないような事が、実は、本人にとっては大問題であったりすることも多いようです。

見えにくいからこそ、理解されにくい。

理解されにくいからこそ、まるで低温やけどのように、知らず知らずのうちに重い課題として、心にのしかかっていくことだってあるのです。


ありのままの自分が受け入れられることによって、初めて人は、力を伸ばしていくことができるのです。。

6年生になり、学校が好きになってきたこの子は、ホップ・ステップ・ジャンプで、きっと次のステージへと羽ばたいていくことでしょう。


あなたがいつかニューヨークに行き、国連職員になったとしても、私は、ありのままのあなたを受け入れる先生で、ずっとこの場所にいようと思います。

自己肯定の気持ちは、人とのかかわりの中でこそ、確かめることができるのです。

ありのままの自分を好きになれてこそ、がんばる力もわくというものです。


指導が終わって、ご両親が迎えに来られると、あなたはいつも、小さい子どものような表情に変わります。

だからこそ、こんなに熱心に努力を重ねていくことが出来たと思っています。


これから、厳しい局面も、色々あるかも知れません。

先生は、ずっとずっとあなたを応援していきたいと思います。

たとえそれがどんな形であってもいいのです。

国連職員でなくったって、あなたが自分の命を輝かせる生き方をしてくれれば、先生は、それでいいのです。


そんなあなたを、先生は、ずっと応援し続けたいと願っているのです。



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苦しい場面が、次への扉をこじ開ける

 2010-06-07
毎週、日曜日の夜7時に通ってくれているダウン症の女の子がいます。

年齢で言えば、年中組のお子さんです。

茶目っ気たっぷりで、活動的、とてもかわいい、華のあるタイプのお子さんです。


よくしゃべるし、元気いっぱいですが、一度指導が始めると、離席はしません。 すばらしい集中力で、次々と活動をこなしていきます。

「これで、今日のお勉強は終わりです。 ありがとうございました。」

あいさつが終わると、とたんに元気よく動き回り、お父さんが迎えに来られると、まるで遊園地のように駆け回ります。

幸せなご家族の日常が、目に浮かんでくるようです。


私は、動物の型はめパズルを教材としてよく使いますが、子どもの発達段階によって、扱いは全く変わってきます。

同じ型はめパズルであっても、無味乾燥に 「さあ、どうぞ」 とばかりに、ぽ~んと子どもの前に差し出すのと、そこに大切な育ちの願いを込め、命を吹き込むように指導するのとでは、まったく輝きが違ってくるのです。


これだけモチベーションの高い子ですから、表出言語は自然に増えてきていきます。

理解言語も豊かになってきています。

しかし、その言語表出が、ダイレクトにコミュニケーションへと発展しているかといえば、そこにはまだ、いくつかの課題が見えてきます。

私の方が、この子の伝えたいことを、パーフェクトにキャッチすることができないのです。



この子、指導場面で、いろいろなことを私に話しかけてくれます。

そして、その時必ず、私の顔を見て、意味がちゃんと通じたか、確かめてきます。

ちゃんと言葉をキャッチ出来たときは、それはそれはにっこり笑顔で、そこからどんどん会話が弾んでいきます。


しかし、そこで取りこぼすと、すごくがっかりした顔をします。

この瞬間が、私としてはすごく、つらい。

何とかして、私のリスニングの精度を高めていかなくては、とずっと考えてきました。


リスニングの力は、鍛えられるものです。

それは、私の英会話の時に、痛切に感じました。

ジムでのトレーニングのように、続けていると、能力は必ず向上していきます。

言語習得のキモは、リーディングでもライティングでもなく、とにかくリスニングによるところが大きいと思いっています。


「はよう来てえ~」 (岡山弁)

きっと、お母さんか誰かの口まねなのでしょう、私が大爆笑すると、この子は一段と目をキラキラとさせて喜びました。

「すげっ~」

というのは、私の口まねです。 よく特徴つかんでますね~、 またまた、大爆笑です。


この日は、動物型はめパズルを一つずつ、この子の目の前に提示して、「これは、だ~れだ?」 と、やってみました。

「きりん!」  「長いなあ」  (そういってキリンの首をさすっています)

「ちっちゃい あひる!」  (大きいあひると、小さいあふるを区別して言うことができています)

「ふくろう!」 (私が、おもしろ半分で 「ホー ホー」 と言ってみると、「すごい」 と言って、拍手をしれくれました(笑) = まったく、この子には勝てません) 


型はめパズルの活動が、こんなふうに発展し、広がっていきます。

これだけの活動で、私とこの子のとの間に、どれだけ通う合う心のやりとりが生まれたことでしょう。

聞き取りにきくかった言葉も、以前に比べ、かなりの数を新しくキャッチできるようになりました。

とてもステキな時間になりました。


言語はあくまでコミュニケーションのための手段にしか過ぎないので、そこにはいつも通い合う中身が必要です。

I'm fine!

言い方によって、伝わることは全然違ってきますよね。 ただ単に読んでる言葉と、リアルなコミュニケートとは違うのです。

同じロールプレイをするのでも、指導者ならば、形式的なカード学習オンリーにならない配慮は大切です。



こうして、昨日は楽しい時間を過ごすことができましたのですが、実は、何回か前の指導で、突然、歯車がかみ合わなくなったことがあります。

いつもは元気いっぱいの子が 「したくない」 とばかりに教材を払いのけ、涙を浮かべ、固まって動かなくなったのです。


正直、私はびっくりしました。

手抜きをしたつもりはないのですが、敏感な子ですから、知らず知らずの、やらされ感を嫌ったのではないかと思います。

それまで順調に進んできただけに、私は深く反省させられました。


この活動の停滞は、大切なことを見つめる貴重なきっかけとなります。

活動の停滞があるからこそ、大切なことを見つめ直し、新しい活動に命が吹き込まれていくのです。

指導というのは、こちらの都合の良いように進んでいくことがよいのではなく、子どもが育つことが第一の目的のはずです。

ならば、流れるように指導が進まなくとも、そのことを、必ず子どもの育ちに結びつけていく姿勢が重要となってきます。


これは、ご家庭でのお子様の育ちにも、共通することが多いように思います。


切実感が違いますから、苦しい時には、とてもではないけれど、そんなふうに思えないことことだってあるでしょう。

その期間が長ければ長いほど、ずっと重い問題に向き合っているということになります。

あきらめてしまえることなら、それでいいのですが、そうは行かないことだってあります。


英単語に struggle (もがく・戦う) という言葉がありますが、わたしはこの struggle  という言葉を、かなりポジティブな意味にとらえています。


子どものために、もがき苦しむこと、それが、私の仕事。

もがきこそが、自分を育てる。

うまく行っている時は、その時の集金をしているだけ。

もがきがあればこそ、今の自分がある。

スマートに行くことを目指すのではなく、いつも、もがける先生であり続けたい。

私は、そう自分に言い聞かせているのです。


苦しい場面であるからこそ、わずかであっても、ずっと応援する者でいたいとも思っています。

子どものためだからこそ、もうひとふんばり、できることだってあるはずです。



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子どもをコミュニケートの主人公に (個別指導とインリアルアプローチ)

 2010-06-04
私がNOVAで、英会話のレッスンを受けていたときのエピソードです。

先生を含めて4人でのレッスンの予定でしたが、たまたま他の2人の方がキャンセルされたので、急遽マンツーマンレッスンになりました。 (ラッキーマンツーマンというのですが、当時は時々そういう事が起こっていました)


その時の先生は、おなかの中に7ヶ月の赤ちゃんのいるアメリカ人の先生でした。

簡単な自己紹介から始めましたが、その先生は、話の途中で、予定のテキストをパタンと閉じてしまいました。

まったく予想外の出来事でしたが、その日のトピックは、子ども育ちと、私の目指す教育の方法とおいうものに切り替わってしまいました。


その日は、自分が最も大切にしている教育のあるべき方向について、英語で、ネイティブの方に、初めて伝える機会になったのです。

もちろん、ブロークンのボロボロ英語でしたが、大切なことは、伝わったと思いました。

その時の、何とも言えない感動を、今でも忘れることができません。


その時の先生は、あたたかいまなざしで、しっかりと私の話に耳を傾けてくれました。

時には、目を丸くして、時にはウンウンとうなずいて聞いてくれました。

また、ある時には、私の言葉足らずのことを、正しい英語に置き換えてくれたり、私の気持ちを言語化してくれたりしました。

こうした支えがあったからこそ、私は、自分の最も大切な思いを、外国の方に伝えることができた、という大きな感動を味わうことができたわけです。


信じられないことに、レッスン修了後、その先生からレベルアップの推薦状をいただきました。

その時の証明書 (Certificate)は、今でも手元にありますが、それは英語能力ではなく、CAT (Communicative Ability Test = コミュニケーション能力のテスト) と、記されていました。


伝えられたことの感動、心が通い合ったことの喜び

そのことが、以後の私のモチベーションを、大きく高めてくれました。

たった1度のレッスンですが、私が今でも、英会話を学び続けていきたいと願っているのも、この先生との出会いによるるものが最も大きかったと感じています。



この先生が、そのとき私にかかわってくれたことを、言語心理学的な技法に置き換えて考えてみると、リフレクティング・モデリング・エキスパンション・パラレルトークということになると思われますが、それより何より、教科書をパタリと閉じたところに、この先生の英会話講師としての魅力と力量が伺えます。

私の自己紹介を聞き、テキストを閉じることによって、自発的なコミュニケーションのチャンスを与える、

これぞまさに、インリアルアプローチ。




あの日のレッスンが、もしもラッキーマンツーマンでなかったら、もしかしたら今頃は、もう英会話の勉強はしていなかったかも知れないと、私は思っています。

かれんちゃんのお母さんは、インリアルアプローチの研究をされていますが、そのお母さんが、「この子は周囲の刺激に影響を受けやすいので、個別レッスンの場で、育つものが多かったと思う」 と、伝えてくださいました。


基本、私は、言語についても、集団の中で学ぶものが多いと考えています。

だからこそ、このことから、個別の場では、何をすべきかをしっかり見据えていきたいと思っています。


基本中の基本は、子どもをコミュニケートの主人公にする場を構成することです。

かれんちゃんのレッスンの場合、指導中ご家族には退室していただいていますから、かれんちゃんが主人公にならざるを得ません。

私が、あの英会話の先生のように、上手ににかれんちゃんの主体性を引き出すことができたかどうかは別としても、その環境は、ご両親が選択し、私に託してくださったのです。


昨日は、かれんちゃんがままごとセットを持ってきたことから、ターンテイキングが始まり、楽しいコミュニケーションの時間を過ごすことができました。

(s)ilence (O)bservation (U)nderstanding (L)istening

子どもを信じ、理解する4つの SOUL が、大切だとも言われます。

個別指導が担う部分は多いと思います。


教科書をパタンと閉じること、

それは、主体的な学びを感じなければ、出来ることではありません。

個別指導のダイナミズムは、こういうところにあるのだと思いました。


個別指導は、一期一会の機会だと考えています。

一人一人の子どもに、あの英会話の先生のように、子どもたちにとって大切な時間を構成してあげたい。

私の責任は、思いですね。

1回1回のレッスン、真心を込めて、子どもの今をしっかりと支え、やる気と可能性を引き出していきたいと願っています。

どの子もみんな、大切な子どもです。


「子どもをコミュニケートの主人公に」

ずっとずっと、心に留め置いて、子どもと向き合っていきたいと願っています。


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ストーリー性の中で育てる認知

 2010-06-03
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かれんちゃんは、アンパンマンの紙芝居が大好きです。

「もう1回、もう1回」 と、何度も私にせがみます。

いつもこうなので、先日、アマゾンでアンパンマンの紙芝居を追加注文しました。


いろいろな子どもに紙芝居を見せますが、これほどまでにせがむのは、かれんちゃんただ1人です。

マンツーマンレッスン・90分レッスンを毎週させていただいているかれんちゃんですから、そこは柔軟に対応できます。

今が旬、とあらば、タイムリーに、かれんちゃんの学びの欲求に添う活動にシフトできるのも、個別指導のダイナミズムです。



いつの頃だったか、かれんちゃんが初めて私のことを、「せんせい」 と読んでくれた時、うれしくてうれしくて、何度も何度もかれんちゃんを抱っこしてほめたことがあります。

あの頃は、まだ未分化で、この子の言語優位性がそれほど、私には見えなかった・・




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「かれんちゃん、何作っているの? カレー?」

「カレー」

「おいしい?」

「おいしい!」


まだまだリピートのレベルかも知れませんが、コミュニケートは、しっかりと成立しています。

ストーリー性の中で、完全に応答的なやりとりが成立しているのです。




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この日、ホワイトボードでお絵かきをしました。

かれんちゃん、「これー」 と言って、ホワイトボードを指さしています。

これは、「これをイレーサーで消してちょうだい」 という意味です。

「へい、へい、わかりました」 と、SHINOBU先生は、かいた絵を消させていただいています。


「もう、おしまい?」

「いや」

「もう、1回?」

「うん」

「わかった、何かくの?」

「きしゃ」

「そう、きしゃかくんだ」


かれんちゃんが、本当に最初から汽車をかくつもりであったとは思っていません。

活動を通して、かれんちゃんの中で様々なイメージが広がっていきながら、ふと、汽車という言葉が浮かんできたのでしょう。

でも、そう言われれば、汽車に見えてきます。




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かれんちゃん、お買い物ごっこで、「ばななちょうだい」 と言えば、バナナをちゃんと渡してくれます。

もちろん、パーフェクトに言語指示に従えているわけではありませんが、そこに、育っている手応えをしっかりと感じることができます。

この日は、立体の野菜を、組み立てることもできました。

わずか、数個ですが、パズル系の苦手なかれんちゃんとっては、とっても意味のある活動です。


アンパンマンのシェープソートの人形をきちんと整列させ、「1・2・3・4・・・」 と、やったのには、私も苦笑い

あの、それ、私の仕事・・

かれんちゃんに、完全に先にやられてしまいました (笑)


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この日、お母さんが迎えに来られてもまだ、かれんちゃんは、バイキンマンやショクパンマンのフィギュアを使って、イメージを次々と広げていっていました。


かれんちゃんの様子をみれば、その日の私の体調がわかります。

私の体調がいいと、許容度も、柔軟性も高くなるので、かれんちゃんは生き生きと活動をし始めます。

かれんちゃんの目が三角になる日は、多くの場合は、私の体調のすぐれない日です。


微細に事物を切り取り、それを精査に見ることは、あまり得意ではないけれど、文脈や場の状況やしっかりと感じることができます。

こういうこと、読み解く感性がピカ一なのも、かれんちゃんのすぐれているところです。


かれんちゃんの言語性の発達に伴い、ここに来て、そのことがさらに明確になってきました。




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パズルやカードが得意な子は、それぞれの活動を通して、個々の力を磨いていきます。 パズルやカードで身につけた様々な力を、具体的な生活の中で生かして行こうという流れです。


かれんちゃんの場合は、最初から活動を個々に細分化してしまうのではなく、ストーリー性のある、トータルな文脈の中で、それぞれのスキルを意識しながら、育てていく方法が有効だと思います。

かれんちゃんの言語の育ちが、今後の継次性の長所活用型指導への道筋を、しっかりと私に示してくれたように思います。



「この子は、周囲の刺激に左右されやすいので、個別にしっかりと向き合ってくださったことで、言語面をはじめとする成長が見られたのだと思っています」

さすがは、かれんちゃんのお母さん、またまたうまいこと言って、じょうずに私のやる気スイッチを押してくださいます。


母のすべきことと、支援者に託すべきことは違います。

私には母の代わりはできませんが、母の信託を受けて、母にできないことをさせていただいています。

それが、私の役目です。


母が母としての主体性を失わないためにも、支援者は必要です。

私の所にご相談に来られるご家族は、バリバリの主体者の方ばかりです。 何かの会の会長や役員をされている方も、何人もおり、それはすごいレベルだと思っています。 私に丸投げしようとする方は、一人として存在しません。


家族が主体者であればあるほど、支援者は必ず必要になってきます。

子どものために道を拓く者を、決して孤独にさせてはなりません。

私は、実践を通して、その一つの形を、これからもずっと発信していこうと願っているのです。



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子どもと共に歩む 家族としての道のり

 2010-06-01
幼稚園に通う かい君 (4歳)は、昨年の9月より、私の教室に通ってくれるようになりました。

かいけつゾロリの本が大好きで、私の教室に置いてある10冊余りのゾリの本を、あっという間に読破してしましました。

数を数えるのも得意で、10以上の数もきちんと数えられるし、「どちらがおおい?」 の問題にも、きちんと答えられます。



「集中力をつけ、巧緻性など苦手な課題にもねばり強く取り組める子になってほしい」

「先生の話をしっかり聞いて、集団生活の中で自己表現できる子になってほしい」

「世界を広げ、幅広くいろいろなことを吸収できる子になってほしい」


その時は、ご両親そろって、私の所へご相談に見えられました。

双子のご兄弟で、妹さんがいらっしゃいます。

お父さんの転勤で、岡山にお越しいただいたということですが、その間、この子のために、家族としてできる限りのことをしてやりたい、そういう気持ちがヒシヒシと伝わってきました。


デリケートで、繊細なハートのお子さんです。

その言動の背景にある気持ちを読み解きながら、支援と要求のさじ加減を、その都度調整しながら、今日まで指導を続けてきました。


この日は、とても前向きな気持ちで、次々に課題に取り組んでくれました。

以前は抵抗感のあった工作も、自分の力で次々と進めていきます。

自分の気持ちも、じょうずに表現できているのです。

この調子ならと、いつもよりかなり要求レベルを上げて指示を出してみましたが、何だかんだと言いながら、楽しく活動を進めることができました。

あのかい君も、お兄ちゃんになったな、そんな印象です。


そのかい君とのレッスンも、実は、あさってが最後になります。

お父さんの体調がすぐれず、東京へ戻られることになったのです。


せめて岡山にいるときに、可能な限り指導を受けておきたい、

そんなお気持ちから、私とご家族の都合の付く時間を調整して、今日のレッスンが実現したのです。


レッスンを行って、本当によかったと思いました。

母の気持ちは、美しいですね。

きっとその気持ちの深さが、内容の充実につながったに違いありません。

いつもより、ひと味もふた味も違う、大切な時間を過ごすことができました。


私の所には、たくさんの子どもたちが通って来てくれています。

通常学級で学んでいるお子さんもたくさんいます。


鉄棒が得意な子がいます。幼稚園の時に、私の前で腕立て後方支持回転を何度もやってくれました。キャッチボールですごい玉を投げ込みますし、プールもとっても得意です。

その子がいるだけで、ぱっと周囲が明るくなるような、華のあるお子さんもいます。 5年生の女の子です。 先日の遠足で、班長さんになったと、お母さんがメールで教えてくださいました。

昨年のお正月のテレビ番組 「はじめてのおつかい」 に出演したダウン症の女の子も、昨年9月から私の教室に通ってくれるようになりました。 

当時は、年長さんでしたが、今ではもう3年生です。 毎週90分の指導をさせていただいていますが、あの時と同じように、毎回私を、感動と笑いでいっぱいにしてくれます。 時間が経つのがあっという間に感じるほど、楽しい時間を過ごしています。



子どもの魅力もさることながら、それぞれのご家族の姿勢には、本当に頭が下がります。

私なんか、逆立ちしても、足下にも及ばないくらい、深い愛情と決心、聡明なご判断のできるご家族ばかりです。

こういう方々に囲まれた私は本当に幸せだと思いますし、選んでお越しいただいていることを、本当に誇りに思っています。




かい君のことを思うと、本当は涙がこぼれ落ちそうになります。

でも、支援者の私が、泣いてなんていられません。


しかし、このお母さんなら、このご家族なら、この厳しい局面を乗りこえ、きっとお子さんを立派に育て上げるに違いありません。

直接指導をする機会は、ほとんどなくなるかも知れませんが、私がこのご家族のことを、忘れることは絶対にありません。

東京にいたって、どこにいたって、私が支援者でいることには何ら変わりはないのです。

だからこそ、限られた時間を、大切に過ごしていこうと思っているのです。


遠ざかるからこそ、美しく残っていくものだってあるはずです。

君と過ごした大切な時間、君のもつすばらしい魅力と可能性、そしてそのことを支えるご家族の深い愛情。

最後の一瞬まで、そのメッセージを伝えていくことが、ご家族の願いを受けた、今の私に与えられた役割なのです。


子どもを育てる主体者は、まちがいなくご家族なのです。

そしてご家族は、子どもの成長と共に、より深く、より厚くなり、遥かな道のりを、また一歩ずつ歩んでいかれるのです。


だからこそ、支援者のなすべき仕事が、そこにあります。

仮にかい君が、後に私の名前を忘れることがあったとしても、この子とつながった信頼という大切な絆は、決して切れるものではないと、私は信じているのです。

どんなに形が変わろうが、ご家族の深い気持ちは、こうして必ず子どもに届いていくのです。

子どもの魅力と可能性は、これまできっとこうして培われきたのであろうし、これからもきっとそうだと思っています。


君は、きっといい子に育つ。

成長した君の、たくましい姿を見る日のことを、先生はずっと楽しみにしています。



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