時間という鏡に映る子どもの育ち

 2010-02-26
ある就学前の女の子の事例です。 隔週90分の指導、広島から通ってくれている女の子です。


その日勉強する内容は、学習コーナーにあらかじめ並べておきます。

パズルやお買い物のロールプレイなど、内容は前回の状況から少しずつ発展させるように配慮しています。

どれを1番に選択するかは、その子の自由にしています。 

一つやり終えると、その教材を別の場所に移していきます。

全部済んだら、学習コーナーへ移動して、書字と数量のプリントをします。

その次は、カードを使った言語と数量の学習

そして最後は、お楽しみのパソコン学習、という流れになっています。


はじめの頃、指導が成り立ちにくい時期がありました。

ご両親に情報をいただきながら、この子に合った内容を組み立ててきました。

後に、私のことを大好きな先生ナンバー1、と言ってくれたのもこの子です。

もちろん、私もこの子が来てくれるのが、楽しみでたまらなくなりました。

ですが、その道は決して平坦であったとは思っていません。

指導が軌道にならない頃は、広島からわざわざお越しくださっているのに、大変申し訳ないという思いを何度ももちましたが、それを表に出してはだめだと、何度も自分を戒めていました。


今では、学習が終わったら、教材をこの子が自分で別の場所に移動してくれるようになりました。

何の指示を出したわけではないのに、自分でしてくれるようになりました。

通い合うあたたかいものが、そこにあります。

まさに、隔世の思いです。


ここまで来るには、必要な時間というものがあったような気がします。

こちらの都合で無理強いすれば、痛むばかりです。

何もせずにぼんやりとするのではなく、向かう先をしっかり示し、子ども自身に歩ませる。

これは、極意です。

「教師の最大の指導性は、見通しをもつこと」

この子との実践は、私にとても大切なことを、見つめ直させてくれました。


この子の理解力は、秀逸です。

しかし、即座にそれをアウトプットすることは、苦手です。

ですから、数値は出にくい傾向があります。

数値は出にくいとしても、理解力が秀逸であることに、何ら変わりはありません。

今、この子の宝ものを、私がしっかりと受け止めている状態です。

どうか、オフィシャルな教育機関の先生に、このすばらしい才能を見いだしていただきたいと願うばかりです。


先日、ある2年生の男の子のお母さんにお話をお伺いしました。

この子、就学前は、衝動的にお友達をたたいていたそうです。

「家でも、同じようなことをするから、子どもが親の真似をするんだ」

そんな非難を受けたそうです。 言われなき無理解と偏見です。


私は1年生の冬から、この子にかかわっていますが、今ではまったくそういうことは考えられません。

時間的な見通し、認知力の向上、多くの面でのこの子の成長により、衝動性・暴力的な行動が見られなくなったのだと、私は考えています。

「先生、いつかこういう時が来ることを、今苦しまれている多くの方々にお伝えください。 こんな事例もあるのです」

そのお母さんは、そう添えてくださいました。


大阪で月1回の指導をさせていただいている就学前の男の子

ここに来て、何とか50分、座って指導を受けられるようになってきました。

少しずつ、少しずつステップを登らせていき、やっとここまで来ることができました。

ですが、1度たりとも後退したことは、ありません。

ならば、あの目指す頂に、いつかはきっと到着できるはずです。

あきらめなければ、必ずできます。

苦しい時期を一緒に乗りこえた子は、必ず私の宝物になります。



指導を終えた翌日、お母さんからメールをいただきました。

長い長い文章から、子を思う豊かな愛情があふれでているようでした。

その中に、「先生と一緒にいる時間が、この子を成長させてくれると、昨日確信しました」 という一文がありました。


もう一度、子どもの目の高さに立って、子どもと一緒に、向かう先をしっかり見つめてみよう。

指し示す道程が、しっかりと子どもの心に届いたら、必ずその子は歩み始める。

それがどんなに遠くとも、どんなに時間がかかろうと、微動だにせず、子どもに道を指し示そう。

その決意と覚悟、そして度胸と才覚とが、ご家族から付託された私の役割。


時間の鏡に映してみると、本物だけがきちんと見える。

本当は、不安もあれば迷いも多いのです。

だからこそ、決心が必要なのです。


大変な所が、踏ん張りどころ。

メールの言葉が、どれだけ私の決心を支えたか知れません。

この子もきっと、私の宝物となるのです。


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支援級? 通常級? 学びの場の構成と、家族の果たす役割

 2010-02-25
「先生、私たちの歩んできたことを、ぜひ全国の皆さんに伝えてください」


先日、あるお母さんが、私に伝えてくださった言葉です。

通常級で入学し、今は支援級在籍の男の子です。

今年度から、社会や理科の勉強を通常級で受けるようになり、自信と学びの喜びがわき出ていくような顔つきに変わってきました。

ご家族が、多くの苦難を乗りこえて築き上げた大切な形です。


「あの苦しかった日々のことは、決して忘れられません。 先生のご協力あればこそ、私たちの今があると思っています。 このことを是非、今、こうした問題に向き合っておられる方々の、何かのお役に立ちたいのです・・」

「ありがとうございます。 私も一緒に歩んできた一人ですから、きっとそのお気持ちは、つながっていくと思います。 その大切なお気持ちに叶うことが出来るよう、私は、自分に与えられた役割を、精一杯果たしていこうと思います」

私は、そう続けました。


昨日は、大阪での指導の日でした。

多くの子どもが、一ヶ月前、2週間前と比べると、すばらしい成長を示してくれて、目を丸くするような場面が何度もありました。

平日ですから、私の指導が終わってから保育園にいる子もいれば、ちょうど発表会が終わって、私の指導を受けに来た子もいました。

それぞれご家庭で時間を調整してくださり、昨日は8名の子の指導をさせていただくことができました。

本当にありがたいことです。


ある子のご家族は、いつもお母さんと、お父さんと、おにいちゃんが一緒に私の所に来ています。

年長クラスのお子さんです。

この日は、表に 「5」 という数字が書いていて、裏にドットが5個 「・・・・・」 書いてあるカードの学習をしました。

前回は少しわかりにくかったようですが、今回は家で、毎日練習をしてきたそうなので、すべてパーフェクトに出来ました。

「すごいね~」

私が、目を丸くしてほめると、その子は満面の笑みを浮かべました。

この子、この一瞬のために、2週間、家で毎日 「SHINOBU先生、見て~」 と言いながら練習をしてきたのです。

そこにはいつも、私の横で、目を細くして我が子の喜ぶようすを見つめている、ご両親とお兄ちゃんの姿があったのです。


今、確かに私は、この子にとって特別な存在となっています。

それは、ご両親が私に熱い期待を寄せてくださるからこそ、子どもにとってスペシャルな存在になりえたわけです。

しかし、私は、ご両親の託された願いを受け、実際はただ、おいしい役をさせていただいているに過ぎません。

目をつぶっても打てるような上手なご両親のトスを、私は何も考えずに腕を振り抜いただけだと思っています。

毎日努力を重ね、ご両親の前で、スペシャルな存在である私が、この子をほめる。

こうしてこの子の向上心や学びの意欲が醸成されていったのでしょう。

多くのご家庭で、似たようなことが起こり始めています。


先日、あるご家族からのご相談を受けました。

遠隔地から岡山駅前の教室にお越しくださいました。

ベビーカーをご利用でしたので、帰り道は、歩道橋を使わずに平坦な道で駅まで帰るルートをご案内させていただきました。

駅前の教室は14階にあるので、ちゃんとご案内できたかどうか、上から見つめていました。

ご両親とお子様3人でお越しいただきました。


程なくして、14階のベランダから、遠く、そのご家族の歩く後ろ姿が見えました。

来年度の進級についてのご相談でしたので、どうぞうまく行きますように、と願いを込めて後ろ姿を見送っていました。

その瞬間、突然お母さんが後ろを振り返り、14階のベランダの私の姿をとらえてくださいました。

ご両親とお子さんと、はるか14階にいる私に、何度も何度も頭を下げられながら、駅に向かって行かれました。

その姿が、目に焼きついて離れません。

胸の熱くなる思いでした。


そのご家族から、メールをいただきました。

学校での話し合いを終えたその日に、ご連絡をいただきました。

「充実感いっぱい」 「結果 (^o^)」 「思いを伝えよう」 「やること、すべきことが見えた」 「学校ともやっと繋がった・・」 「さあ、やることがいっぱい」・・・

そんな文字が躍り、最後に 「頑張ります」 と、力強く添えてありました。


ご主人もステキでした。 お母さん、命を吹き込まれたようですね。

私、冒頭に紹介したお母さんの願いも、きちんと心に留めておきました。


また別の方からその日、2年生への進級にあたり、在籍を支援級にするとご決断された、というメールをいただきました。



何をさておき、まずは、その子にあった豊かな学びの場の構成を。

そして、そのことを実現していくための、システムとしての在籍を、子ども最善の利益という観点から考えていかなければならない・・


来月、私は来年度に向けて、花子ちゃんの学校のケース会に行かせていただくことになりました。

どんなに苦しくとも、家族の思いや願いは、必ず子どもに届きます。


子どもを育てる主体者は、ご家族。

その事に何の変わりもないのです。

主体者であるからこそ、決して孤独にさせてはならないと、私は考えています。

保護者の自己決定・自己選択には、責任が伴います。

もちろん、学校・園も、教育機関としての責任がありますが、最終的な子どもの育ちについての責任は、保護者にあり、その結果を背負うのは子どもなのです。

だからこそ、連携が必要であり、支援が必要なのです。

そういう観点から、学校・園や関係機関の果たす役割を見つめていくことが大切なのではないかと思います。

そうした意味で、アメリカなどのIEPにおける、契約という視点に学ぶべき点は多いと、私は考えています。


今私は、今日紹介した女の子にとって、スペシャルな存在となっていますが、4月からは、きっと1年生の担任の先生が、さらにスペシャルな存在となって、この子の学びと育ちを構成されていくことでしょう。

学校は、子どもにとって特別な意味をもつオフィシャルな場なのです。

人は、自分自身ではなくて、人とのかかわりの中から、自分の存在価値やセルフエスティームを培っていくのです。


子どもにとっては、手続き上の在籍の問題ではなくて、集団の中にしっかり居場所があり、メンバーの一員として受け入れられ、役割がきちんとあることがとても大切です。

特性理解や個別指導の場の構成とともに、教育の根幹をしっかりと見つめていくことも、重要です。


遠くても、そこに希望があるなら、人は前へと進んでいくことができます。

さあ、やることはいっぱいですよ、お母さん。

微力ですけど、私は、ずっとずっと応援させていただきますから・・


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真剣! だからこそ学校と対決する

 2010-02-22
「3年1組の学級目標は、みんなで協力する楽しいクラスに決めたいと思いますが、皆さんどうですか?」

全員、賛成です。 みんな本当に 「みんなで協力する楽しいクラス」 にしたいと思っているのです。

しかし、遠足の班を決めるとき、係活動を決めるとき、リレーの順番を決めるとき、学級紹介の内容や役割を決めるとき、ドッチボールのチームを決めるとき、そうした具体的な内容を決めるときには、いつも全員一致というわけには行きません。

キャプテンを先に決めてからチームを作るか、先にチームを作ってからキャプテンを決めるか? その問題が、具体的であればあるほど、話し合いは対立的になったり、紛糾したりします。

「みんなで協力する楽しいクラス」の中身は、お題目ではなく、こうした具体的な問題の中でこそ、真価が問われることになるのです。


別に、ドッチボールなんてどうでもよければ、チーム分けの議論も白熱しません。

どうしても、今度の大会で、3年1組を優勝させたいと願えば願うほど、どうしても健太君にキャプテンになってほしいと思うからこそ、強い口調で意見を言うようになるのです。

強い願いがそこにあるからこそ、強い意見がそこに生まれるのです。

「どうしても、ぼくはアンカーになりたい」

時には、涙を流して訴える子がいます。

君がそうまで言うなら、アンカーをやらせてあげよう。

クラス独自のモラルがそこに生まれ、学級に対する誇りと愛着心が育ちます。

時として、対立的になるクラスの方が、何でも仲良く?決まってしまうクラスより、真剣度も高いし、エネルギーもあるし、充実度も違うのです。


こうして1年間過ごしたクラスは、「みんなで協力する楽しいクラス」という学級目標の、本当の値打ちを体験を通して学んでいくのです。

たとえそれがアンカー勝負で、優勝を逃したとしても、そのクラスの文集には、その事が子どもの言葉で生き生きとつづられていることでしょう。

ほこりをかぶった優勝カップより、何倍もねうちのある、そのクラス独自の価値がそこに生まれてくるわけです。

「みんなで協力する楽しいクラス」 という中身が、こうした形で具現化されます。

学級目標ということばの影に、どれだけこうした体験が積み重なっていくかで、その厚みは変わっていきます。


何でも賛成のクラスの学級目標は、たとえ教室のど真ん中に掲示されていても、きっと子どもの心の中で、体験としてよみがえるものが乏しいのではないかと思います。

「みんなで協力する楽しいクラス」

生きた学級目標と、死んだ学級目標とでは、天と地ほどの差が生じてしまうのです。



私は、元小学校の教員です。

同僚の多くが、現職で活躍されています。

そうした人脈を、ぜひ今の活動に生かしていくたいと願っています。


ですが、実際には、そうしたことが難しくなる場面が、だんだんと多くなってきました。

私は、保護者のサポーターです。

子どもの豊かな成長のために、相互に連携しましょうと言われれば、何の異論もありません。

しかし、例えば学校側から、「支援学級への在籍についての保護者理解にかかわる協力をお願いしたい」 というレベルになると、「はいそうですか、わかりました」と、安請け合いなど、とてもできません。

元同僚となると、余計に立場をはっきりさせないと、双方の信頼を失ってしまうことになります。


学校は組織です。プロとしてその仕事を行っているのです。

一方、家庭は、唯一無二の大切な我が子の、切実な課題に向き合っているわけです。

この子たちには、時間がありません。

無駄にしてよい一年間なんて、あり得ないのです。

身を削るような問題に対応しているのです。決してお題目ではない、リアルな現実問題を、日々考えていかねければなりません。 自分がやらなければ、誰も代わりにやってくれる人はいません。


しかも、いくら真剣度が高くとも、いくら家族がいるとはいえ、平素母は、たった一人でプロ集団の学校にに向き合っていくわけです。

真剣にならざるを得ませんし、時として対立的になってしまうのは、当然のことであると思っています。

モンスター何とか、という言葉を気にしているような親が、切実な我が子の環境を切り開いていけるわけがありません。


私は、信じられないようなご苦労をされ、我が子の学びの環境を創造されてきたご家族の方が、どれほど繊細で、どれほど美しい心をおもちであるかということを、目の当たりに見てきました。

そんな方が、ある意味、自分の命さえ捨てて、子どものために前へ前へと進んでいかれようとしているのです。


私は、保護者のサポーターです。

皆さん、私を信じて、ご相談にお見えになるのです。

子どものために、うまく学校と連携していきたいと心の底から願っていますが、切実でリアルな問題に立ち向かっていく以上、一定レベル以上の内容になると、学校と対立的になってしまう場面があっても、それは仕方のないことです。

たとえ元同僚から、厄介者・裏切り者と指を差されたとしても、そういう覚悟なくして、この活動を続けていくことはできないと思っています。


私も個人で、立場は非常に弱いです。

ですから、真剣度と覚悟と決心、そして何十倍もの努力と勉強がなければ、勝負にさえなりません。


私はいつもご家族の皆さんと一緒に前へ進んでいくのです。

学校組織は、1年を単位として、少しずつ担当者が変わっていきますが、私たちは何年経とうが、ずっと一緒に歩んでいくのです。


主体者としての親の役割は、決して放棄することは出来ない。 私が、親の代わりをすることも出来ない。

だからこそ、わずかであっても、共に歩む人=サポーターが必要なのではないでしょうか?


保護者相談の方のスタンスが、いわゆる体制側のスタンスで、ちっとも保護者支援になっていないという声、担当者の方々に届いていますか?

行政目線ではない保護者支援のニーズに、これからどんな形で応えていこうと考えられているのでしょうか?


物事を磨きあけて行くときに、多少対立的になるのは、仕方のないことです。

大切なことを作り上げていこうとしているのですから、一定の痛みを伴うこともあれば、覚悟が必要なときもあるわけです。

ならば、その支援にも、覚悟もいれば、決心もいるわけです。


子ども豊かな学びの場を創造する

それがお題目ではなく、特別支援教育が、より具体レベルで推進していくためには、対等な関係で保護者と学校が向き合っていくことが重要ではないかと、私は考えています。

こうした過程の中では、学校側にも、一定の負担は伴って当然だと思います。

新しい形を作ろうとしているのです。

要は、その覚悟と決心、そのための努力と研鑽を、具体的に進めることができるかどうか?


特別支援教育の理念を、決してお題目の薄っぺらいものにしてはならない。

特別支援教育という6文字の言葉に託す、切なる家族の期待、そして願い。

それだけのねうちがあると信じるからこそ、私もご家族も、覚悟を決めて前へ進んでいるのです。


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子どもの心を読み解くツール

 2010-02-19
今から10年以上も前の話になりますが、私は、歩けないほどの腹痛が不定期に襲うようになり、すぐに大きな病院に行くように勧められました。

午前中から検査が始まり、午後には緊急手術をすることになりました。

私は、手術なんて思ってもみませんでした。

家族をはじめ、あっちこっちに電話をして、夕方から手術が始まりました。

その時までは、盲腸の手術と信じていましたが、開腹してみると、それは 「虫垂炎」 ではなくて 「虫垂癌」 の手術になっていました。

今でも、私の腹部には20センチ以上の手術痕が残っています。


手術が終わると、私は ICU に入っていました。

ものすごい激痛が、何度も何度も襲ってきました。

あれは、モルヒネの注射なのでしょうか? 痛み止めを打つと、うそのように痛みは一時的にやわらいでいきました。



「あなたは、この ICU の中では、一番軽いはずなのに、そんなにギャーギャーわめいて・・ もっと根性入れなさい」

と、看護婦さんに何度も叱られました。

ICU から、一般病棟に移っても、激痛はちっともおさまりませんでした。


手術の大小じゃないはずです。 痛みを感じているのは私なのに、どうしてわかってくれないのでしょう?


その後、大腸の1/3とリンパ節を切除する再手術を勧められました。

実は私、その手術は拒否しました。

幸い、癌の転移はなく、私、今でも元気に生きています。


ドクターにも、看護婦さんにもわかってもらえなかったあの痛み。

それが、今でも私の心にずっと焼き付いているのです。



先日、ある男の子のお父さんから、こんな話を聞きました。

その子は、自分の気持ちをシールの色で示す取り組みを、ずっと続けているそうです。


白   =   ふつう

ブルー =   少し不安

赤   =   すごく不安


この2月の一時期、彼の記録用紙には赤いシールが続けて貼られていたようです。

実は、その原因となる出来事は、特定できているのです。

このところ、彼がこんなに赤いシールを続けて貼ることはあまりなかったようです。

それだけに、続けて貼られる赤いシールを目にすると、今の彼の気持ちが一層深く理解できるような気持ちになるし、それを乗りこえようと懸命に努力している彼の姿が愛おしく思う・・

お父さんは、そんなふうに私に伝えてくださいました。


なるほど、続けて貼られた赤いシールから、見えて来ること、伝わってくることがあるんだ・・

もし、このシールを見なかったとしたら、果たして同じように伝わってきたか、どうか?


言語でうまく伝えにくいタイプの子がいます。

言語コミュニケートはできても、気持ちを素直に伝えることが苦手な子もいます。

受け止める家族や指導者の姿勢や受容感度も大切です。

その上で、その子にあった理解のためのツールが有効であることを、私は今回学ばせていただくことができました。


心の痛みは、客観的な状況だけで判断できるものではありません。

その子自身が、今、どう感じているかを知ることが大切なのです。

今はそこを受け止め、支え、理解してやることが、その自身が、自分の足でそこから抜け出していくための近道になるかも知れません。

受け止めるための工夫は、やっぱり必要です。


大切に思う気持ちは、言語だけでなく、何かの形に示すことも大切です。

形から伝わること、感じることも、たくさんあるのです。

思ったら、感じたら、それをどう形にして伝えるかということも、私たちにとって大切な内容なのです。


今回の場合、その形が、赤いシールという一つのツールであったのです。



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子どもの数量の概念を培う (小1男子の事例から)

 2010-02-18
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「1・2・3・4・5・・・」

数唱はちゃんとできるのに、3つあるケーキを 「3」 と答えることができない。

どうやったら、3つあるケーキを 「3」 と答えさせるようにできるのか?

そうしたことで、苦労をされている方は、いませんか?

何を隠そう、この私こそ、ある子の指導で何ヶ月もそのことにチャレンジしている一人なのです。


同じ 「数」 と言っても、「いち・に・さん・し・・」 という言葉としての数

「1・2・3・4・・・」 という順序を表す数

「・」 「・・」 「・・・」 「・・・・」 という個数を表す数

 □ □□ □□□ □□□□   お金や面積のように、単位量を基準に量を表す数

など、数というものは、様々なプロフィールを持っています。


自分のロッカーに 「4」 という数が書いておあれば、その「4」が、自分のロッカーを示す言葉としての数となります。

それが右から順に4番目とわかれば、順序としての数が理解できたことになります。

みかんが4個あって、それを1・2・3・4と、数と対応させて数えることができれば、量的な数の切り口となります。

量として数が意識できれば、2と1をあわせれば3、とか、5は4より1大きい、と計算ができるようになります。

1辺1センチメートルの正方形の何個分ととらえるようになれば、面積を調べることができ、10円は1円の10分と置き換えて数をみられるようになれば、十進位取り記数法を使って、どんな大きな数でも表すことができます。


私は、お買い物ゲームや上の画像のようなカード、プリントやパソコンなどありとあらゆる活動を通して、このマルチな数感覚を養っていこうと考えています。


先日、カードを使って学習していたある1年生の男の子が、ついにケーキを指さしながら 「1」「2」と数えることができました。

「えっ?」

思わず私、ほっぺをつねってしまいましたよ。

「そうなの、そうなの、言葉の1・2・3・4に合わせて、ケーキを一個ずつ指させばいいんだよ」


この1対1対応が定着すれば、私が出した指2本も、きっと 「2」 と数えることができるはず

その次は、お買い物ゲームで、私の指と同じ数だけ、なすびを袋にいれくれればいんだ。

そうすれば、私が10円玉を2個渡してあげる。

ことばの 「に」 と、指の2本と、なすび2つと、10円玉2個は、ぜ~んぶ同じ 「2」 なんだよね・・

私の中で、これから向かっていく活動が、ぐるぐるぐるぐる頭の中に浮かんできました。


「先生、この子はゆっくりですから、どうかこの子のペースで指導を進めてやってください」


いつもお母さんは、そうおっしゃってくださいます。

だからこそ余計に、1日でも早く成果を上げてご家族の皆さんにお示ししたいと、願わずにはられません。


「たのむから、どうか来週も、1・2・3・・とケーキを数えてほしい」

「それさえできれば、学習はどんどん発展していくに違いない・・」


この子の指導を始めてから、もうすぐ1年になろうとしています。

私は、お買い物ゲームも含め、これまでやってきたことは、決して無駄ではないと思っています。


ですが、いくら豊かな土壌が形成されたとしても、一向に芽が出ないのは意味がありません。

春近し・・

もしか、今、それがひょっこり芽を出したとしたら、それを大きくはぐくんでいくための準備は、しっかりとできているように思います。

芽が出てからは、意外と簡単。 培った土壌がありますから。

芽が出るまでの営みこそが大切なのです。


「ゆっくりで結構です」

その言葉の重みを、改めて感じている私なのでした。

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「書く力」で「読む力」を育てる

 2010-02-17
「正しい」は読めるのに、「お正月」となると読みにくいタイプの子がいます。

使われる場面によって、あるときは、「ただ(しい)」 と読ませ、またある時は、「しょう」と読ませたり、「せい」 と読ませたり、まったく日本語って厄介なものです。

一画一画きれいに漢字を書く子に限って、こうした読み替えが負担になる傾向が強いように思います。


私は、継次処理タイプで、形認知の苦手な子には、「海」でおよぐ、「山」にのぼる、「道」を歩く、「水」をのむ、のように、フレーズで漢字を読ませたり、書かせたりします。

先に得意な「読み」の練習をさせておいた上で、「書き」の練習をさせると、抵抗感がかなり減少し、スモールステップを形成することができます。

ます「読み」が先で、次に「書き」、がオーソドックスな指導の手順ではないかと思っています。


しかし、中には「書き」は、得意だが、読みは苦手というタイプの子もいます。

こうした子の指導には、先に最もベーシックなパターンの「書き」を練習し、それを予備刺激で与えておいて、その後で読み替えの問題に取り組ませると、混乱も少ないし、雪だるまの芯がしっかりするので、体系的とらえやすくなるということが、実践を通してわかってきました。

英語でも、基本単語の play  があって player や playing あるように、読み替えが苦手なタイプには、「正しい」をしっかり確定させてから、「お正月」を学習する手順があると、達成感をもたせやすいような気がします。

私は、支援の基本は、「スモールステップの構成」、もしくは 「厚い支援からの段階的なフェードアウト」ではないかと思います。

これに個々の認知特性を組み合わせれば、後は実践を通して、その精度や力量をブラッシュアップしていけばよいのです。


こうした発想で、あなたも今日から個別支援にチャレンジしてみませんか?

実践がすべてです。

工夫次第で、子どもの反応も変わってきます。

何か効果的な事例がありましたら、ぜひ教えていただければと思います。

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大人の心を感じ取る子ども

 2010-02-16
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目の不自由な方は、聴覚や皮膚感覚が鋭いといわれます。 かすかな音の変化や空気の流れを感じ取って、周囲の状況を敏感に把握されるのでしょうか?

私は多くのことを、言語に置き換えて処理していくタイプです。 ですが、言葉の感覚はまともあっても、その分、言語のみに偏りすぎて、他の感覚が鈍いのではないかと思っています。

幼少期と青年期にたくさんの本を読んだので、その言語感覚が育ったのではないかと思います。

その分、何かをぱっと見て、それを映像として切り取ったり、読み取ったりする力には欠けています。

エレベーターの  →||←  |←→| というマークが、さっと理解できないのです。


かれんちゃんは、私の心を読み解く不思議な能力をもっています。

その日、私がどんなスタンスで向き合っているかを、本当に上手に見抜きます。


先日、かれんちゃんは、床においていた教材のトレイを誤って踏んづけてしまい、中の教材が散乱してしまいました。

まったく他意はなかったのですが、かれんちゃん、きっととんでもないことをしてしまったと思ったのでしょう。

振り返って私の顔を見たときに、目が三角になっていました。

その瞬間、散乱していた教材を手につかみ、あろうことが、その教材をもう一度放り投げ、反抗のポーズで構えてしまいました。

以前、似たような場面でバトルが始まり、かれんちゃんを泣かして、その後指導にならなかったことがありました。


この日、私は 「かれんちゃん、足、大丈夫? 痛くない?」 と声かけをしました。

かれんちゃん、後ろ向きでしたが、びくっと反応しました。


「わ、おもちゃ、散らかっちゃったね。いっしょにひろってくれる?」

私がそう言うと、かれんちゃん、1秒間、私の顔をしっかりと見ていました。 三角だったその目は、氷がとけるようにみるみる笑顔に変わっていきました。

百万の言葉は、いらない。

かれんちゃんは、こうして、私の心を感じ取ったのです。 はっきりと、その瞬間をみとることができました。


この子の非言語コミュニケーション能力は、ピカ一です。

言葉ではない感覚が、育ってきたに違いありません。


「わざと踏んづけたんじゃないんだから、先生は怒らないよ。それよりも、このおもちゃで遊びたかったんだよね。だから、自分でそれを取りにきたんでしょ。前にこのおもちゃで遊んだとき、楽しかったんだ~、先生は、そんなかれんちゃんが大好き!」

言葉にはしませんでしたが、かれんちゃんは、私の表情やしぐさから、そのことを読み取っていたのでしょう。

かれんちゃんが、私の気持ちを感じ取る瞬間に遭遇できたのは、とても貴重な体験となりました。

この子は、これまでこうして私の心を読み取っていたのかと、目のウロコが落ちたような心もちでした。

もちろん、この後、お片付けをいっしょに手伝ってくれましたし、それはそれは楽しい活動が、その後続いていったのです。


子どもは、知らず知らずに、大人のモーションを盗んでいます。

小学生の子どもにプリントをやらせると、選択問題などでは、「これはきっと△△なんだよね~」と言いながら、チラッと私の顔を見て、それが正解かどうかを探ったりします。

アホな私は、すぐひっかっかって、「へ~、よくわかったね~。正解!」なんて、喜んだりします。

子どもにひっかけられているのです。

まったくもって、どっちがどっちだかわかりません。


子どもには論理性がない分、感性が豊かです。

大人になると、論理がじゃまをして、そうした感覚が鈍ってしまいます。

いわゆる思いこみというやつです。

それまでの知識や経験から、絶対そうだと思いこんで、思わぬエアポケットに入り込んでしまうこともあるのです。

私なんか、しょっちゅうです。

やられてばっかりです。


子どもを育てていくときは、いくつかのアプローチが考えられます。


一つは、その場できちんと諭し、教えること。 家庭ではこれが基本です。 親子の深い絆があるのですから、時には厳しく躾けることも大切です。 家庭にしかできない役割がここにあります。

二つめは、オフィシャルな場で、集団のエネルギーを利用して、遅れてでもいいから、何年生ならここまでやってみようと、引っ張り上げていく営みです。 一人ではくじけそうなことでも、みんなと一緒ならがんばれることもあります。 高い目標に向かってチャレンジすることこそ、ある意味、教育の王道です。

そして三つ目は、私が軸足を置いている長所活用型指導です。 あなたには、こんなすばらしい輝きがあるのだから、そのことを生かして、苦手なことも克服していこうというアプローチです。 小さなステップをこしらえ、達成感をもたせながら、知らず知らずに長い階段を上っている。 最初は厚い支援を行いながら、次第にその支援をフェードアウトしていき、子ども自身に歩ませていく。 そしていつかは、私の所から巣立って、大空へ舞い上がってほしいという願いを込めたアプローチなのです。


特性、年齢、環境、育ちのあゆみなどによって、そのさじ加減は千差万別ですし、内容は相互に重なり合っています。

時には、私も、厳しくかれんちゃんを叱ることだってあるのです。

大切なのは、その子の育ちにかかわるチームのメンバーが、その持ち味を生かしていくことだと思います。


私は、しっかり子どもの心を読み解き、その命の輝きに、磨きをかけてやりたいと思うのです。

自分を肯定的に受け止めてくれる場があってこそ、子どもは自己実現に向かって歩み出す。

私は、その役割の一部を責任もって請負いたいと願っているのです。

そして、私の所から巣立ってほしいと願っているのです。


子どもの感性は、鋭いものです。

原始的な嗅覚をもっています。

大人になってしまった私は、理念をしっかり見つめ直すしかないのです。


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支援者としての責務 「ブログ開設2周年 200000アクセスに寄せて」

 2010-02-15
2年前の2月15日に、このブログはスタートしました。

そのブログが、昨日20万アクセスを記録しました。


昨年のちょうど今頃、私は、千葉県、舞浜のホテルであるご家族の相談を承っていました。

ご相談の時に、そのお母さんが 「先生、明日はきっと10万アクセスになりますよね」と、我が事のように、このブログの記念日を喜んでくださいました。

翌朝、私のブロクは10万アクセスを記録しました。

それ以来、そのお子さんの育ちにかかわらせていただくことになり、今でもずっと交流が続いています。

このブログに通う中身に深い理解をいただき、ずっと私の気持ちを支えてくださっています。

今の私にとっては、なくてはならない存在になっています。


先日、私は、誤ってアップしていた記事を削除してしまいました。

すると、三重県の特別支援学校の先生から連絡をいただき、その記事のPDFをメールで送信してくださいました。

大切な記事の一つであったので、とてもありがたく思いました。

その先生は、私の記事をコピーして、学校の先生方に回覧をしてくださっているとのことでした。

本当に光栄に感じました。


教育委員会の指導主事の先生が、このブログの内容に共感をいただき、先生方の研修会で講演をさせていただく話も、内定の段階に差し掛かっています。


大阪で指導の後、ご家族の方とお話をさせていただいているとき、ある方が、私の記事をプリントアウトして手元に置き、ことある度にご覧いただいているということも知りました。


今週は、静岡から、岡山へご相談に来てくださる方がいます。

先週、資料を送付していただきました。

息をのみ、目をみはる内容です。


私は、これまで多くのご家族の方々から、様々な資料を見せていただきました。

その一つ一つに、切なる母の願いと、熱い心が息づいています。

どの資料とて、血の通わない資料は一つもありませんでした。


私には、ブログを通して、日々、こうした方々の真摯な思いが、次々と寄せられてきているのです。

全国各地からお寄せいただいたリアルな情報を、集約し、全国に再発信していくのも、私の大切な役割です。

人気取りと言うことでなく、一人でも多くの方にお伝えし、ご理解いただかなければならない内容もあります。

20万アクセスは、大きな励みでもあり、誇りでもあります。

でも、ブログ自体が目的ではないのです。


集団で育てる学校教育の場に、具体的な特性理解の視点、長所活用型のアプローチをどのように生かしていくか、その具体的なモデルを示したい。

主体者としてのご家族の教育力を高めるために、その支援者として、具体的なパートナーシップの形を広く世に示したい。

”人は人の中でこそ、初めて肯定的に自分を受け止めることが出来る” 日本の風土に根ざした、日本型のインクルージョンの理念を、実践を通した形で、もっともっと磨き上げていきたい。

すべての子どもが、人から、社会から必要とされ、それぞれが命を輝かせて生きる。 そのための教育のあり方を、実践を通して多くの方と見つめていきたい。


私には、私のなすべき責務がある。

日々、この活動を積み重ねていくにしたがって、私は強く、そう感じるようになってきました。


先日、ご相談に来られた方が、「先生も、ネットのおかげで、ずいぶん忙しくなられましたね」 と、おっしゃってくださいました。

もし、世にネットという物が普及していなかったら、今の私はないはずです。

私は、私のこれまでの人生は、すべてここに通じるための準備期間であったとさえ思っています。

私がこの世に生を受けた意味も、すべてここにあると信じています。

そういう気持ちでいるからこそ、舞浜にも来てくださる方がいるし、静岡からもお越しいただけるのだと思っています。


ブログも、ネットも、本来、バーチャルな世界です。

バーチャルな世界であるからこそ、そこに人の真実が浮かび上がって見える時があります。


私にとって、ブログは、特別な意味を持った、なくてはならない大切な宝物です。

このブログによって、どれほど多くの、すばらしい子どもたちと、ご家族との出会いを運んでくれたことでしょう。


今日ここに、ひとつの節目を迎えることができました。

次は、30万ですか?

100万も、夢ではなくなってきましたね。


ただ、私のブログへの1クリックは、ただの1クリックではないと心得ています。

その積み重ねの20万には、深く重い意味味が込められているのです。

子どもやご家族、そして私を必要としてくださるすべての方々のお気持ち、それが、私の原動力のすべてです。

私は、その期待を、形としてお返ししなければならない責務があるのです。


体のこと、皆さん心配してくださっていますが、教員時代より、今の私の方がよっぽど元気です。

自分でも、不思議なくらい、やる気満々です。 モチベーションが高いので、充実しています。

懸案の確定申告も、あと少しの所までいきました。(笑) しんどいときには、じょうずに休んでいますから、ご心配なく。

何でも自分でやらないと気が済まないタイプではありますが、人に任せたり、協力する方法も、もっともっと勉強していきたいと思います。

応援してくださいね。 これからも、どうぞよろしくお願いします。


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家族と共に築く 行動改善へのアプローチ (就学前のダウン症児 2つの実践事例より)

 2010-02-11
昨日から、大阪堺市で、新しい枠組みでの指導が始まりました。

1~2回のご相談の後、この日から継続指導をさせていただくケースが3つありました。

そのうち、朝一番のご家族と、二番目のお母さんが、まったく同じ内容のことを伝えてくださいました。

それは、 「先生と出会って、子どもが一気に変わった」 という内容です。


言っておきますが、私は、マジシャンでもなければ、カリスマ指導者でもありません。ごく普通の人間です。

しかし、その子の指導を始めると、前回の指導の時には、着席にさえ苦労した子が、背筋を伸ばして私を見据え、指示を与えると、必ず 「はい」 という小気味よいレスポンスが確かに返ってきます。

これには、さすがの私も、これには驚きました。

どうしてこんなことが起こったのかについて、私なりの思いがありますので、今日はそのことを少し整理したいと思いました。


この子は、前回1月に岡山の教室に来てくれた子です。 その時は、確か教材を投げ飛ばしたり、じゃぼんだまの容器を投げたりして、お母さんはそのことにかなり心を痛められていました。

でも、私はこの程度なら、すぐに改善できる自信がありました。


私には、これまで、かれんちゃんと真っ正面に向き合い、築いてきた大切な指導のあゆみがあります。

きっとかれんちゃんと同じようにうまくいく、となにげなく思っただけのことです。


ですが、そのお母さんは、不適応行動にも全くゆるがない私の表情を見て、そこに何かを感じ取ってお帰りになったようでした。

私に対する大きな期待が、そこに芽生えてきたのではないかと思います。

京都からわざわざ岡山までお越しいただいた方でした。


そのお母さんから、昨日の指導開始前に、次のようなメールをいただきました。






SHINOBU先生、


いつもブログを拝見しています。

先生のお子さん一人一人への真摯な取り組みに敬服いたします。先生に励まされたお子さんたち輝いた顔が目に浮かぶようです。

堺で定期的に指導が受けられること、本当に楽しみにしております。

指導していただくにあたって、最近の娘の普段の様子を少し報告させていただこうかと思います。


近頃、娘にいくつか変化があるように感じています。

娘は昨年8月(3歳2ヶ月)ごろから、「はい」と肯定の返事をするようになりました。

かなり小さい頃から「いや」はハッキリ発音ができていまして、だいぶ遅れて「はい」がでてきたのです。

それまでは、たとえ娘がこちらの言うことをハッキリわかってない状態でのYes/Noであっても、何を促してもNoと答えられ続けると,やはり気分が滅入る思いでした。

ハイと応えながら、違うことをすることもよくあったのですが、「いやっ!」としかいわなかった頃に比べると、私の方もずいぶん気持ちが楽になっていました。

それがこの冬また変化して来たように思います。

了解の意味で「ハイ」と応え、嫌なときは「いや」、思う物がないときは「無い」など、ちゃんとした答えが返って来ることが増え、会話らしくなることが 増えてきました。

先日2ヶ月ぶりに行った療育(月2回、給食・摂食指導あり)の給食時、先生から、(娘は白いご飯が大好きで、野菜は食べたがらないので)「この人参さんを食べたらご飯のおかわりあげる」といわれて、「はいっ」と答え、大真面目な顔で人参を食べていました。

先生も「駆け引きができるようになって来たね」と驚かれていました。
いつもうまくいく訳ではありませんが、この方法で徐々に、本当に少しずつですが、食べられたモノが増えてきました(常に食べられるレパートリーに はなっていません)。

療育の先生からは,要求があまりでないということで,絵カードのやり取りを取り入れていただいています。

が、私には,自分の要求は指を立てて「かいっ!(=もう一回)」、手をつなぎに来て「こっ!(=こっちに来て、行こう、ここ)」など、声や指差しでどんどん要求します。


昨日は、久しぶりに、音楽療法にいきました。

音楽療法には1歳の頃から2、3ヶ月に1回ぐらいの頻度で参加しています。ダウン症の親の会が主催しているので,未就学のダウン症の子どもたちが対象で,1時間30分ほど鈴や鳴子、ボールなどをつかって、インストラクターの指導のもと,約10~20家族ほどが参加しています。

娘は、立って歩けるようになった2歳半頃までは、音楽に合わせてノリノリでまねっこしようとしてました。3歳を過ぎた頃から集中力が長続きせず、前回去年の秋口に参加したときは、はなから全く参加しようとしませんでした。

知らん顔で自分の好きなように会場内を歩き回り、置いてある他の人の鞄から財布や携帯を出すので(この行為は今も悩みの種です)、大変でした。

ところが昨日は、以前のようにノリノリに動くことも無かったのですが、最初から最後まで私からは離れずじ~っと音楽を聴き、インストラクターの手振りやダンスを見つめ続けていました。

最後にするシャボン玉のときは、いつも先生の後をついて回ってほかの子に吹きかけるシャボン玉を、手で割って喜んでいたのに、今回は座ったまま順番を待ってました。

自分が吹きかけてもらったシャボン玉はいつものように立ち上がって手で追って楽しんでましたが、その後は私の膝に座って、ほかの子どもたちに吹きかけられる様子を見ていました。

先生を取り巻いてシャボン玉を追いかけるほかの子どもたちがいたにもかかわらず、です。

私から離れたのは、鳴子を集めて鈴を配るとき、私が「お手伝いしたら?」とささやいたときに「うん」とうなずいて(お手伝いは大好きです。世話焼きたがるタイプです)、集めにいったときです。

それもすむとすぐに戻ってきました。

すぐに戻って来たことが私には大変な驚きでした!

久しぶりだったからかもしれません。昨日はいつもと違う会場だったせいかもしれません。
いつもはいらっしゃらない研修生の方々がいたから、雰囲気に緊張していたのかもしれません。

上手だった曲の手振りをほとんどしてくれなかったのは残念でしたが、それでも勝手に歩き回らず、最後まで集中して見ていた様子には、すこし成長したのかなあ?と思えました。


保育園では、おトイレの失敗が減ってきました。

一人でお着替えもでき始めました。自分でする~ッと先生の手伝いを拒否しながらも、うまくいかなかったりすると,「チェンチェ~」と呼んで助けを求めているようです。

ほかの子のパンツ(可愛い柄入り)を出して来て、勝手に自分で履き替えていることが何度かありました。

自分のは無地なのが不満なのか???なぜそんなことをするのか不思議です。


どんな子どもでも成長する期間と停滞する期間があると思うのですが、ここのところ久しぶりにたくさんの変化が見られたように思います。

特に3歳になった頃(昨年6月)から、手に負えない(?)期間が続いたので、嬉しい変化です。

たった1回先生の指導を受けただけですが、そこへ行こうと決めた私達の思いと、娘の伸びようとする力が、先生のマジックで繋がったのでしょうか。良いタイミングであった事は間違いありません。

娘が私の言葉を聞いてわかっていると思えるようになって,私の方からも頻繁に声かけができるようになりました。

以前は声かけは大事と思いながらも,小さい子どもと接する機会や経験がほとんどなかった私は、なかなか身に付かず、無言で世話をしていることが多かったように思います。

子どもの成長が親を育てると実感しています。

長々と取り留めなくあれやこれや書いてしまいました。

来週堺で指導を受けさせていただくのが楽しみです。

どうぞよろしくお願いいたします。







今回の指導では、50分間、超真剣モードで、この子は活動に取り組みました。

物を投げることはおろか、離席も、集中力が切れる場面も全くありませんでした。

体の中にわき上がるエネルギーを楽しみ味わうかのように、それはそれは、豊かな時間を過ごすことができました。

指導が終わるとすぐに、お母さんから以下のようなメールをいただきました。







今日はありがとうございましたm(_ _)m。

もう一人のお母様のお話を聞いて、今日娘の様子を見て、やっぱり先生の指導はすごいのだなと思いました。

娘ははお昼を食べて即、爆睡でした。集中力がほとんど1時間続いたのですから、疲れたのでしょうね。しかもアクセルをどんどん踏みこんでいく感じがしました。頑張る快感を見つけたのでしょうか。

帰ってから、おばあちゃんにカードの束を渡してました。先生としたカード、よほど印象深かったのだとおもいます。

来月もよろしくお願いします。







このお母さんも、まったく私と同じ感覚をおもちでした。通じ合う何かを、そこに感じていました。

その相互の信頼と期待感が、何か新しい流れを生み、子どもを変えてきた。

それが、私の見方です。

私は、その期待に応えようと、私の課せられた最低限の役割を果たしているに過ぎないわけです。

このお母さんの力を引き出すという意味での、私の存在価値はあると思っています。

それは、このブログが育ててくれたパワーの一つです。


奇しくもちょうどこの日、かれんちゃんのお母さんから、以下のようなメールをいただきました。







SHINOBU先生


たまたま、今日、先生のブログを拝見してびっくり。

ちょうど、おととい、下記の記事をmixiブログに書いたばかりでした。

SHINOBU先生と最初に出会った頃のブログ記事をネットで見て、当時を思い出して書いてみたくなった内容です。

あのころのかれんは、本当に扱いが困難でした。

いまでは、言語コミュニケーションが増え、食事も一緒に食べられるようになってきています。


この前も、歩く練習をしたら(時々ママと二人で手をつないで歩く訓練をしています)、刺激の多いイトーヨーカドーの中でも、ほとんど逃げ出すことなく、指示通りに一緒に歩くことができました。

最近は、二人で向き合ってボールを転がし合うのがすき。
30分以上遊べることもあります。

「こっち向いて」と言えば、必ず目線を合わせてニコッと笑ってくれるようになりました。

考えられない進歩です(*^_^*)


***mixi日記****************************************************************************************


なつかしい~記事
2010年02月08日14:25
私が2年前の秋に、SHINOBU教室の門を叩いたときの記事を久しぶりに読みました。

http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-300.html


当時、かれんは、かなり衝動性が高く、ママが座って食事をすることができないほどでした。

具体的に説明すると、かれんは、テーブルの目の前にある食器はすべて払い落としたくなる衝動があり、手の届かない位置にあるものでもテーブルの上に這い上がって、払い落としていました。

かれんの力は、ママ一人では抑えきれないくらいあって、押さえつける度にママの体中にアザやひっかき傷ができていました。

一度ママが眼球をひっかかれて出血し、このまま失明するかも…と思ったほどです…


せっかく作った料理を何度も落とされ、しまいには食事をさせること自体が苦痛になっていました。
タオルも毎回20枚以上必要で、床や壁に飛び散った食事を拭き取る度に気分も沈んで体中の力が抜けていく感じでした。


ABA(応用行動分析)をかじっていたので、少しはその手法を取り入れようとするのですが、なかなか甘えが出てうまくいきません。
家族全員が同じ姿勢を保つことも困難でした。


他にも、外出するときには一目散にどこかへ走っていってしまい、車にひかれそうになったり、マンションの高層階壁を上ろうとしていたり…、池に入っていたこともありました。


このままでは、命を守りきれない…と悩んでいたところ、たまたまネットで、SHINOBU先生の教室を発見したんです。


当時、SHINOBU先生は小学生だけを対象にした教室をされていました。

たまたま共通の知り合いがいたので、就学前の子どもも見てもらえないかとお願いしたところ、相談に乗ってくださることになりました。

教室にうかがったとき、未就学の子どもが座れるようなイスなどもなく(もちろん、おもちゃなどもありませんでした)、この環境でかれんのことをお願いしてもだいじょうぶかなぁ~と心配になりました。

幼児イス、テーブル、おもちゃなどもどんどん進化していって、いまでは、就学前のお子様も多く担当されるようになられています。

でも、おはなしをしていくうちに、同じ大学院出身ということもあってすぐにうち解けることができ、また、「いろいろ勉強します」と真摯な姿勢を示してくださったので、「この人ならお任せできるかも」と大きな期待を抱きました。

SHINOBU先生は、本当にいろいろ勉強してくださって、もともとお持ちの持ち味を生かした療育を展開してくださっています。

金額は高いですが、毎週2コマ(2500円×2)の枠でお世話になっています。


かれんの認知面が特に弱いことをすぐに見抜いてくださり、どのようにのばせるか、良く見極めてくださっています。

そして、今のかれんは、テーブルの上のものを払い落としたくなる衝動をかなり抑えることができるようになりました。

インリアル・アプローチの著書、里見恵子先生の論文では、多動のある子どもは言語獲得が難しいと書かれています。

確かにじっと観察できないので、難しい状況です。

今でも衝動性があるので困難な状況ではありますが、ようやく言語獲得のスパートがかかってきました。


さて、今後どのような展開になるのかな~

***mixi日記






ずっと前、「私の教室に、就学前の子も通ってくれるようになったらいいのになあ~」「でも、まさまね~」 と、ぼんやり考えていた時期があります。


当時私の教室は、小学生3人の教室でした。

あの時ぼんやりと考えていた 「まさか」は、現実のものとなりました。

そこに現れたのは、かれんちゃんという私と同じ誕生日の、当時3歳の女の子でした。

やがて、この子が、私に大きな幸せを運んでくれることになろうとは、当時は思ってもみませんでした。


今から考えると、よくがんばったなあと思うこともあります。

楽しいことの方が圧倒的多かったのですが、実は、確かに大変な出来事もいっぱいあったのです。

ですが、不思議なことに、私の心のには後ろ向きな気持ちは全く生じませんでした。

これまでかれんちゃんの実践の記事を数多く書いてきたと思いますが、ネガティブな見方をした記事は、一つもないと私は思っているのです。

たとえどんなに厳しい状況であろうとも、ありのままの存在を受け入れ、必ず前へ進んでいこうとする気持ちには、一点の曇りも生じませんでした。

それが、私の大きな誇りです。


何が私の気持ちを支え続けたか?

それは、ご両親の願いと期待以外の何物でもありません。


ここに来て、私のイメージしているかれんちゃんへアプローチが、かなり実現可能となってきました。

非言語のコミュニケーションの精度は、相当高くなっています。

かれんちゃんのやる気スイッチが入る表情の変化を、はっきりと読み解くことができます。

次週には、そのことも記事で紹介しようと思っています。


子どもの成長は、連続性・関係性の中での出来事です。

1ヶ月間、私とかれんちゃんが2人だけで過ごしたのなら別ですが、一つのアプローチだけの有効性を、現実生活の中で実証的に示すことは、不可能だと思います。

「私だけの指導が、かれんちゃんを変えた」のでは、ないのです。


ならば、いっそのこと、連続性・関係性の枠の中で、私と一緒にトータルに子どもを育てていきませんか? というのが、私の考える保護者とのパートナーシップであり、私の教室のセールスポイントでもあるわけです。

この流れが、子どもを変えるのだと、私は信じています。

それを数値データではなく、質的に実証していくのが、このブログの果たす役割の一つです。


私には、支援者として、果たすべき役割と責務があります。

それは、ご家族の信頼を得るべき形をきちんと示していくことです。

ある時には、子どもの笑顔で、ある時は信頼に足るブログの記事で、そしてある時は学習の成果から、「この先生と一緒なら、私もがんばっていけるかも知れない」 というご家族の期待に添える内容を示していくことであると考えています。


私一人の力で、子どもを変えることなんて、出来ません。

私には、そんな力量はありません。 私が、自分でいうのですから、間違いありません。


また、かれんちゃんの育ちがあればこそ、今回の京都のお子さんの育ちもあったのではないかと思います。

1+1=2にしか過ぎませんが、こうしたケースでは、1×1が、2にも3にもなっているのだと思います。

つながりやネットワークのもつ大きな可能性も、そこには見えてきます。


そして一番大切なこと。

それは、そこに 「強い意思」が、あったということ。


かれんちゃんのお母さんが、私の教室に来て、就学前の我が子の指導を依頼する。

京都から、岡山に来てわすか1時間程度の指導を受ける。


とても 「強い意思」 がなければ、出来ることではありません。

そのことが、子どもを変えてきたのに違いありません。


私は、こうした方々とパートナーとして共に歩んでいくことを、何よりの誇りに感じています。

テクニカルなことは、後からいくらでも付いてきます。

テクニカルなことだけでは、子どもの心には響きません。

テクニカルなことと、強い意思とは、車の両軸であるし、相補的な関係であるのだと思っています。



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理解言語は 表出言語の最高のお友達

 2010-02-09
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私は、元々小学校の教員でした。

就学前の言語の指導に携わるのは、それこそかれんちゃんのお母さんの依頼を受けてのことであって、まったく手探りの状態からスタートしました。


就学前からかかわっていた太郎君は、小学校就学まで、みんなの前で口を開くことがなかなかできないでいましたが、2年生の今、私との指導中には、ボケたりつっこんだりの漫才コンビができるまでになりました。

やや聞き取りにくい時もありますが、私との間で、言語コミュニケートに困ることはありません。


私の言語指導に大きく役立ったのは、自分自身が数年間取り組んできた英会話の体験でした。

言語習得のプロセスとして、① 聞く → ② 話す → ③ 読む → ④書く の手順に従い、とにかく2000時間以上英語に親しむ体験を重ねる第二言語習得法が、一番自然で理にかなっていると思いました。

それまで全然何を言っているのかわからなかった私が、ある日を境に急に英語が聞こえるようになった衝撃は、今でもはっきり心に刻まれています。


私は 「 THE OC 」 というアメリカのホームドラマが好きで、宅配レンタルDVDを毎週見ているのですが、かなりシャドウイング (言った言葉を聞き取り、リピートすること) が、できるようになり、これまた自分で驚いています。

メジャーリーグの実況中継も、聞き取れるフレーズが増えてきましたし、昔聞いていたアメリカンポップスの歌詞も、何だそんな簡単な単語の組み合わせだったのだと気がつくことも多くなってきました。

いくら紙の上でむずかしい単語を知っていても、相手の言葉が聞けなければ、会話は成立しません。

とにかく、楽しみながら 「 GO AHEAD 」 前へ進んでいくことが大切だと、改めて感じました。


「読む」 「書く」 は、基本的に、就学後の学習です。


~聞き流すだけで、ある日突然英語が口から飛び出す~ 

最近、石川遼選手が宣伝している、スピードラーニングという英会話教材があります。

あれも、3年くらい聞いていたと思います。

今でも、別なCDですが、車の中では、必ず英会話のCDを聞き流しています。

スピードラーニングの宣伝をするわけではありませんが、言語習得に 「聞く」 が、大きなウエイトを占めていることは確かです。

指導をしていて、表出言語の少ないお子さんでも、手遊び歌になると、突然歌い始める子どもがたくさんいます。

こうしたことからも、2000時間が、英会話の一つのめやすであると同時に、就学前のお子さんへの 「聞く」 という活動は、ある意味、言語表出への生命線だと思うようになってきました。


かれんちゃんは、最近表出言語が増えてきました。

私のことを 「ぱぱ」 と言ったりすることもあるのですが、私は自分の英会話の先生に 「とにかくまちがっても、不正確でも何でもいいから、とにかく前へ進め 「 GO AHEAD 」 と、何度も教えられました。


「バイキンマン」 を一時的に 「アンパンマン」 という子が多くいます。

どのお母さんも、「それはバイキンマン! アンパンマンはこっち」 と、その時は、かなり焦って教えられていますが、3ヶ月もすると、それは見事に分化し、「ショクパンマン」 も 「どきんちゃん」 も、間違わないようになります。

私は、目の前で、何度も同じような光景を見てきたので、ただ苦笑いするしかありません。

母としてのお気持ちが、痛いほど伝わってきますから・・


かれんちゃんは、絵本が大好きで、一時 「バスでおでかけ」 という大型絵本を食いいるように見ている時期がありました。


「バスはどこかな~」

「ここ」

「おさるさん、どこ?」

「ここ」

「きれいなクリスマスツリーだね~」


そんな簡単なやりとに過ぎませんでしたが、こうした時間が、かれんちゃんの以後の表出言語の増大につながっていったのではないかと考えています。


小学校になると、直接文字を媒体とした音読や読解の学習が始まります。

しかし、文字を媒体としなければ、言語の学習ができないかと言えば、そうではありません。


聴覚性の言語と、映像を媒体として、豊かな理解言語の世界を広げていくこと

私は、多少発音や機能的な面に課題があっても、この方法から、表出言語への道が開けていくのではないかと思います。

また、たとえ言語表出は少なくても、豊かな理解の言葉をもっている子もいることが、わかってきました。


鉛筆とプリントだけが、学習ではありません。

私は、絵本の読み聞かせをしながら、かれんちゃんの時のように、その物語の世界を共有し、楽しんでいく活動こそ、言語表出につながるとても大切な活動であると気がついてきました。


しかし、小学1年生の教材でしたら、親しみやすい教材から、順に内容の豊かな教材へと系統的に配列がされています。

長年の教育実践をベースにして、教材として研究され尽くしているのです。


ですが、就学前のお子さんには、そのように段階的に系統化された教材というのは、なかなか見つけにくいもですし、どのようにその世界を共有していてよいか書いてあるもの見つけにくいものです。


私は、最初書店で、幼児教育用教材を調べてみました。

岡山で一番大きな書店でしたが、私のイメージにあうものはありませんでした。


そこで、幼児用教材コーナーを離れ、2階の児童書コーナーに行ってみました。

たくさんの種類の様々な絵本がそこにはありました。


私は、今週指導するある子の指導に使うという視点で、絵本探しをしてみました。

すると、わたしのイメージ通りの絵本が見つかりました。

それが、上記の画像で紹介している 「ねずみのすもう」 という絵本でした。


子どもの実態 → 教師の願い → 指導の目標 → 教材作り

これぞ、教育原理の第1ページに書いてある原理・原則です。

本来は、先に教材があるのではないはずです。


この本を手にした瞬間から、私にはこの子とどんな活動をしていこうかという楽しいイメージが次々とわいてきました。

そのには、鉛筆もプリントもありませんが、豊かな言語コミュニケートに向けての大切な学習が展開できるのではないかと、期待をしています。



目標を明確にした、教育的な営み

愛情に根ざした、自然で豊かなお母さんの絵本の読み聞かせ

こうして、子どもの心も能力も、育まれていくのでしょう。


子どもの世界が豊かになることと、コミュニケートの力が育つこととは、相補的な関連があると考えています。

理解言語は 表出言語の最高のお友達

こうした視点は、とても大切だと考えています。


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「ほめる」 で子どもはどのように変わるか? (2年生男子の実践事例より)

 2010-02-08
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最近、好調な男の子の実践事例です。

その子は、昨年の夏頃は、今と比べるととても不安定な状態でした。

個別指導の場面でも、ふざけたり、挑発的なマイナス行動の連発で、私に叱られ涙を流して帰る日もありました。

特に、漢字の書字が大の苦手でした。 2年生ですが、1年生の漢字にもかなり苦労しているようでした。


この子の書字面の課題について向き合っていくうちに、私は、いくつかの点に気がついていきました。

① 入力 (視覚認知) → ② 処理 (継次処理) → ③ アウトプット (運動書字機能)

と、いう3つの観点から考えた場合、それぞれの部分で細かい課題点が見えてきましたが、最も苦手な部分は、③の部分であるような気がしました。

そのアウトプットの部分も、書字機能のテクニカルな部分だけでなく、集中力の持続性といった態度的な面、メンタル的な要素も深くかかわっているように思えました。


行動が不安定な子どもの指導の大きな柱は、とにかく 「ほめる」 が鉄則です。

特に、個別指導の最大の武器は、「他のことを気にせず、おもいきりほめる」 ですから、これを使わないテはないと思いました。


この子、処理は継次的だけど、視覚認知はある程度イケていることは、算数のお買い物ゲームの場面で、何度も感じていました。

また、聴覚性の言語もとても豊かなです。


なので、「 線という字はね、糸へんに、白い水だよ。 だって運動場に白い線を水で引くじゃない 」 とか、 「 歩くと言う字は、止 と 少、 つまり、少し止まるって覚えたら簡単だね 」 とか、そういう支援がとても効果的でした。


アウトプットの鍛えは、「とにかくスケート靴を履かせて、リンクに立たせる」 という方略でした。

「もうできん」 「したくない」 と投げ出させるのではなく、「ごめん、ちょっとあれ取ってきてくれる?」と頼んで、スケート靴を履いたまま、用事を頼むような感覚です。

集中力の課題のある子には、お使いやお願いを一番に引き受けてくれるタイプが多いのですが、この子も調子に乗せると、ガンガンやってくれます。

そこが課題でもあるし、長所でもあるのです。


子どもの場合、毎日スケート靴を履いてリンクに立ったら、きっと大人より上達はうんと早いのではないでしょうか? 運動野付近の脳の可塑性も、大人よりうんと高いはずです。

早期の、質の高い教育の重要性は、こんなところにもあります。


ほめる → やる気 → 成果が見える → ほめる → やる気 → 成果

こうしたサイクルが、こうしたタイプの子には、極めて有効です。


指導が終わった後、私はご家族の皆さんにその日の指導の内容についてのお知らせをします。

この日は、いつも以上にこの子の育ちについて、熱くお母さんに報告をさせていただきました。

その時この子は、チョロQのコースを作って遊んでいたのですが、私たちの会話をきっと、耳をダンボにして聞いていたはずです。

連絡が終わり、さて帰ろうかという段になり、面白い出来事が起こりました。

いつもは、片付けることが大の苦手だったその子が、何とそのレールを1本ずつていねいにそろえて、箱にしまい始めるではありませんか? (↓ 下の画像)


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これには、お母さんも私もびっくりしてしまいました。

「なんか知らんけど、家じゃする気にならんけど、ここではきちんと片付けたくなってしもうた~」

とは、彼の弁・・


いつもなら、片づけろと言っても、ぐちゃぐちゃに投げ出して帰るような彼でした。

この気持ちがあれば、漢字がきれいに書けるのも、うなずけます。


私とお母さんは、顔を見合わせて、ただただ苦笑いするしかありませんでした。



2年生の漢字プリントをさせながら、行く先に希望の光が見え始めたのは確かです。

たとえどんなに遠い道でも、向かう先が見えれば、さほど苦労は感じないものです。

今日はまさに、この子の漢字記念日になったような気がします。


マイナス行動連発で、涙を流しながら教室を出て行ったあの日。

私は、あの1日こそが最も大切な日であって、あの日こそがスタートの日であったと思うのです。

出来ないことで、子どもの気持ちを痛めなくて、本当に良かったと思います。


苦労した分だけ、つながりは深くなります。

苦労の度合いが大きければ大きいほど、その子が大好きになってしまいます。

大切なのは、うまく行っている日の営みではなく、厳しい場面、その日・その時。

その時の心・思い・熱意・愛情・努力・決意を、きちんと形として子どもの前に示すこと。

その品質が子どもを変える。


この子、次回はどんな表情で教室にやってくるのでしょうか?

決して一筋縄でいかないことも、よくわかっています。

だからこそ、ドラマがあり、生きている実感を感じることができるのです。


また一つ、大切なことを、この子から教えてもらったような気がします。


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深いコメントから考えたこと

 2010-02-08
まずもってお詫びを申し上げなくてはなりません。

先日の記事 (「通常級の授業についていけない」「お客さんになってしまうのではないか」という問いに対して )を、誤って削除してしまいました。

多くの方から、貴重なコメントをいただいていたのに、寝ぼけてコメントごと削除してしまいました。

たくさんのアクセスいただきながら、20以上の拍手と、7つのコメントも消えてしまいました。 (涙)


いただいたコメントのお返事を書いていた時でした。

このブログをお読みになっている方で、もし、先週末の記事(コメント)のコピーやデータを残しておられる方がいらっしゃったら、ご連絡いただければと思います。(データさえあれば、復元できます)

また、コメントをいただいた方で、データが残っていましたら、お知らせいただければ幸いです。


いただいたコメントに対するお返事は以下のようなものです。

コメントそのものがないので、わかりにくいとは思いますが、大切な内容が含まれていますので、今回記事として紹介させていただきました。

重ね重ね、深くお詫びいたします。






大変、深い内容のコメントをありがとうございました。

お知らせくださった内容については、私なりの思いや感じ方があります。

なぜなら、過去にも、そして今も、似たような課題に向き合っている子どもたちに接してきているからです。


当たっていないかも知れませんが、日本の教育システムに光の部分があるとすれば、その影の部分もあると考えています。

特に、最低限の獲得目標を具体的に示すという部分がありましたが、先日見せていただいたプレスクールにのIEP (個別指導計画) には、日本では考えなれないくらい多くの視点から、具体的な獲得目標が示され、具体的な手だてと現在の到達点などが、質的・量的に示されていて、大変驚きました。

私は、今年の12月に、ある県の先生方の研修会で、個別指導の視点を個別指導計画に生かす、という内容で講演をさせていただこうと考えています。

今回のご指摘を、心に刻み、ぜひ自分の役割を果たしていこうと思っています。

また、理解されにくいがゆえの、誤解や痛みについても、強い共感をおぼえました。

まるで低温やけどのように、心の奥に深い傷を残していく・・

私は、そんな子どもたちに、何人も出会ってきました。


しかし、日本型教育の光の部分もあります。

外国のシステムにはない、すばらしい実践力をおもちの先生もたくさんいます。

それは、特別支援という枠ではなく、真実の教育実践という形で、魂が揺さぶられ、生涯の師としてとして、子どもの生きる支えとなっておられる先生もいます。

インクルージョンという名前ではなく、同和教育というカテゴリーの中で、すべての人が人として命を輝かせていく大切さを、リアルな日常の些細な場面を見つめながら、磨き上げて行った子どもたちもいます。


私は、私の教室にお越し下さるご家族の皆様に、強く、そして深い影響を日々受けています。

人の命に真剣に向き合い、深い苦しみや悲しみを乗り越え、明るく前向きに、ある時は自然に、ある時は泥臭く、そしてある時は聡明に・・

私なんか逆立ちしても、足下にも及ばないくらい、すばらしい方々ばかりです。

そして、こうしたご家族の何が、子どもとご自身を育てていったかを、今も学ばせていただいています。


何が人を変えるか?

それは生きる哲学と、それを実現する実践力ではないかと思います。


人が生きる中では、様々なステージがあります。

それが希望につながる道と信じられることができれば、茨の道も、花園です。


前回も申しましたが、今回もまた、ご指摘の内容を深く心に刻み、きっと何年も心の中で問いを続け、私は私の責務を果たしていきたいと願っています。

私は、子どもたちのためにお役に立てることでしか、自分自身の存在価値を確かめることができませんから。

貴重なコメント、本当にありがとうございました。






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同時処理タイプの子 読解指導の具体的な実践例 (4年)

 2010-02-02
子どもの特性理解に基づいた指導をしようと考えた時に、例えば、「自閉症のお子さんには視覚支援が有効」 という視点があります。


この子にも、視覚支援が有効かも知れない、という観点から、その子に合った教材を工夫してみることは、とても大切なことだと思います。

しかし、自閉症スペクトラム(連続体)と呼ばれるように、個々の認知特性は百人百様です。

仮にAちゃんに有効な指導が、Bちゃんに有効だったとしても、それがCちゃんにも有効であるとは限りません。

入力は視覚的でも、頭での処理が継次的な子って、いっぱいいます。


ましてや、言葉を使って学習をすることは、大変複雑で高度な知的作業です。

同じ漢字を書くのが苦手な子でも、認知面につまずきがある子と、書字そのものににつまずきがある子の指導や手だてが同じであるわけはありません。

どうしてそれが苦手なのか、学習のプロセスやメカニズムの中で、そこが特定できれば、そこに厚い支援を施したり、小さなステップをこしらえたりして、その部分をクリアさせ、周辺領域の力を付けた時点で、支援をフェードアウトし、自力解決へ導いていけばよいのではないかと考えています。



先週お伝えした4年生の男の子、またまたこの子の学習のメカニズムが見えてきました。

この子、文字をすらすら読むことができます。

漢字も、一画一画ていねいに書き、細かい部分をフォーカスすることができます。


しかし、音読みと訓読みとの使い分けは嫌いです。文と文との関係をつかみ、「しかし」「そこで」 (順接・逆接) などの接続詞を選ぶ問題は、大の苦手です。

また基本的に、穴埋め問題は得意で、選択問題は苦手です。

さらに、文脈の中で意味を考えるのも苦手で、キーワードの意味がわかなないと、そこからは例え音読は出来ていても、そこから文脈を頭に思い浮かべることも得意ではありません。

つまり、インプットは同時処理系で、思考は継次的、アウトプットは同時系です。


ここまでわかるのに、かなりの時間がかかりました。

しかし、昨日の指導でそのことを確かめるようにしてみると、面白いように支援がはまり、とても痛快でした。


まずこの子が、文脈を把握できる量的な限界を確かめたかったので、問題文をいくつかに分割してとらえさせました。

つまり、「先生が赤で囲んだこの部分をもう一度読んでみよう」 という支援です。

今の時点では、だいたいこれぐらいの長さの文が限界だなっていう所が、何となくつかめてきました。


次に言い換えの語句をていねいにチェックしてみました。

今回の問題では、例文の 「主に」 が、問題文では 「主として」 と言い換えられていました。

「主に」 という言葉は、「主として」 という言葉と、同じ意味なんだよ、と教えると、その子は、大きくうなずいてくれました。

また、「欧米の文化」 という言葉がわかりにくいようでしたので、「それは、アメリカやヨーロッパの文化」 ということなんだよ」 と教えてやりました。

こうして、思考をせき止めていたいくつかの堰を切ってやることにより、彼の文脈の回路に、豊かな水が流れ込んでいきました。

もちろん、キーワード自体を見つけることは得意なので、「○○に基づく」と書いてあるけど、何に基づくのかな? というような補助発問も、彼には効果的でした。


こうした学習を進めながら、彼が言葉の海を泳いでいく中で、いろいろな力を身につけていき、やがては私の滑走路から飛び立って言って欲しいと願っているのであります。

私はこの日、彼に読解問題の楽しさを、少しだけ味わってもらうことが出来たような気がしています。


その日の深夜、またまたお母さんから、以下のようなメールをいただきました。






今日もご指導ありがとうございました。

おもしろかった~と先生が何度もおっしゃられたように、
この子ももとても満足した時間を過ごせたようでした。
帰りの車の中、家に着いてからもご機嫌で(^^♪
動画でその様子をお見せしたいぐらい…(笑)

宿題も自分から進んでやっていましたが、
「オレ、自主勉するんじゃった!!」とのこと。
今日はもう遅いから明日にしたら?と言ったのですが
どうも先生と約束をしていたようで、明日の朝はいつもより
早く起こして!とようやくベッドへ入りました。
『シルバーシート』と『老人用バイク』について調べるそうです。
今日は他の子が調べてきたようで、次はオレが!と手を挙げたようです。

興味のあること、得意なこと、そこからどんどん世界を広げていって
欲しいと思います。『長所活用型』、この子にはやはりピッタリのようですね(*^^)v

ではまた次回のご指導もよろしくお願いします。ありがとうございましたm(__)m







この子、絶好調モードに入ってきましたね。

この日も、100点のテスト、90点のテスト、いっぱい見せてくれました。

一度シャッター降りると、問題文が全滅になっていた時期もあるけど、今では着実に力を付けていると思います。


でも、本当は、結果じゃない・・

私は、この子がもっている力を発揮し、自分らしく命を輝かして歩んでくれればそれでいい。

そして自分の苦手なことも受け入れた上で、自分自身が大好きな子になって欲しいと願っているのです。


そういう子は、他者を受け入れ、必ず心優しい子に育ちます。

そして、その事が必ず、この子自身の幸せを育んでいきます。


結果をあせると、どうしても子どもの心を痛めがちになってしまいます。

今回のこの子との営みは、私にとっても大切なことを、改めて教えてくれたように思っています。



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長所活用型アプローチを個別指導計画に生かす

 2010-02-01
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先週、かれんちゃんは、パソコンを使ってパズルのお勉強をしました。

以前はパズルが苦手だったのですが、理解言語が増え、図柄の認知力が向上してきたこともあって、今は結構食いついてくれるようになってきました。

パソコンのパズルの場合は、マウスを2つくっつけておけば上手に支援してやることができ、失敗ししてもあまりダメージが残らないのが、よい所です。

また、音や光が、脳に強い快刺激を与えるので、使いようによっては、大きな教育的な効果を得ることもできます。


来年、小学生になるある男の子。

この子の言語処理能力には、目を見はるものがあります。

まだ、就学前なのに、大きなかぶの読解プリントがスラスラと出来ます。

文章を読むのは、大の得意で、私でさえほれぼれするほどです。


認知処理様式は、継次処理優位の子です。

なので、パズル系は、かなり苦手なタイプです。


同時処理タイプの子にパズルをやらせると、手に取ったピースを次々にその場所にスパッとはめていきます。

形として処理している場合が多いので、ピースが右や左や上や下や、てんでバラバラにはまっていきます。

頭の中に、形の枠がイメージできているようです。


この男の子は、継次処理タイプなので、そういうことは苦手です。

あれだけ文章問題が得意なのに、そもそもパズル自体が苦手なのです。


ですが、そのベースとなるパワーが大きいので、この子はこの子なりの攻略法でパズルを征服していきます。

例えば、電車のパズルをしたときには、700系のぞみは背景がみどり色だから、まず、みどり色のピースを集めよう。

文字の書いているピースはつながりやすいから、先につなげておこう。

500系のぞみは、赤いラインが入っているから、それを手がかりにしてみよう・・


いやはや恐れ入りました。

以前は、パズルと言えば、あんなに苦労をしていたのに、何回か練習をしているうちに、自分なりに持っている力をうまく利用して、あっという間にできるようになっているではありませんか?

それに、私がすっかりと忘れたようなことでも、「前、先生がそう教えてくれたじゃない」 と、しっかりと覚えているのです。

おまけに、何回かトライを続けていくうちに、以前苦手ではありながら、「ここはまっすぐだから、端っこのピース」 ということも見えてきました。


子どもの認知特性を見抜き、その子の得意なことから、小さなステップと厚い支援を施しなら、だんだんと高いところへ、自分の足で進めるようにしていくこと。

モチベーションをキープしていくことにより、子どものもっている大きな可塑性や代償性を引き出す。

これぞ、長所活用型アプローチの、極意です。

パズルだけでなく、すべての学習において通ずる、とても大切なアプローチなのです。


先日の記事で、プレスクールのIEPについて少し紹介しましたが、このIEPは、これまで私が見た中では、最高レベルの個別指導計画でした。

外国のものだから、数値的なものばかりだと思っていましたが、そうではなくて、質的内容的な子どもの特性とアプローチが、文章で的確に表現されていました。


集団の中で培っていくもの、集団でしか育たない大切なこと、効果的なこと・・

子どもの学びの軸足は、ここにしっかりと置くべきであると、私は思います。


だからこそ、特性に応じた個別指導のアプローチが生きるのです。

子どもの今に、何が必要か?

そこが見えてこそ、血の通った生きた個別の計画が出来ていくのだと思います。


そのためには、縦軸で子どもを見つめてきた保護者の参画は不可欠です。

私は、日本の教育文化に根ざした、形式的でない、血の通った個別の教育計画が大切であると思っています。

形式や枠組みも大切な要素となりますが、作業を通して子どもの向かう先がイメージとして見えてくることの方が、その何倍もすてきなことだと思います。

計画自体は、大切な手段であっても、目的そのものではありませんから。



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Author:SHINOBU
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