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手をたずさえることの大切さ

 2010-01-29
今日、インターナショナルスクールに通う、ある男の子のお母さんの、ご相談を伺いました。


日本で言えば、年長組さんの年齢です、と、お母さんはお話しくださいました。

この日のために、学校をお休みし、東京から来ていただきました。


米国籍のお子さんですが、日本語でのコミュニケートはできます。 学校は、インターナショナルスクールですので、授業のほとんどすべてが英語です。

事前に、プレスクルーでの個別指導計画(IEP)を送付していただきました。

英語ですので、細かいニュアンスはわかりませんが、興味深い視点がたくさんあり、日本の個別指導計画はかくあるべしと、とても参考になりました。

当日は、今インターナショナルスクールで学習しているポートフォリオをご持参いただいてのご相談となりました。

お母さんは、日本国籍をお持ちの方です。


お子さんは、色々な事に活発に取り組むタイプのお子さんでした。

全体を俯瞰したり、理由を尋ねられたり、文脈から推測したりすることは苦手であるけれど、映像をクリアにとらえたり、内容をきちんと精査したりすることが得意なタイプのように感じ取れました。


お母さんは、ずっと私のブログをお読みくださっていたようで、私の考え方やスタンスに対して深い理解を示してくださいました。

ここまで来ると、国籍も、環境の違いも何もありません。

そこには、真剣に子どもの育ちに向き合う母と支援者の姿があるに過ぎませんでした。

私は、いつものモードで、お子さんの育ちや環境、これまでの経過を順に伺いながら、これからのこの子の学びと育ちのあるべき姿について、お母さんと一緒に考えさせていただきました。


私がお伝えしたかった主な内容は

① 私の目から見たお子さんの特性と具体的な支援

② この年齢の時に軸足を置いておくべきこと

③ 今後、進んでいくであろう育ちのプロセスについて

④ 学校・家庭・支援者の役割と、今後、親として果たしていくべき内容

⑤ 行動改善に向けてのいくつかのステップ

⑥ 肯定的な自己理解、自己有用感、長所活用型指導と支援者の存在

などでした。


うまくお伝えできたかどうか、わかりません。

予定していた2時間は、あっという間に過ぎてしまいました。

このお母さんが、聡明な方であることは、具体的な細かい内容をお伝えすればするほど、強く感じることができました。


日本で生まれ、ニューヨークに渡り、再び日本へ・・

やがてまた、日本を離れる日も、そう遠くではないであろうという現実


そんな中で、お子さんの課題に真っ正面から向かっていかなければならない母の立場

前例もなければ、支援者も少ない、環境が違えば、スタイルだって、価値観だって、教育観だって違う・・

新しい土地で、新しい出会いの中で、誤解や無理解による子どもの痛みを最小限にしていくために、親としてなすべきこと、整理しておくこと、伝えておかなければならないこと

心配事をあげればきりがないが、誰も待ってはくれない。


初めて出会う人に、子どもの課題を 「なるほど、そういう事ですか。わかります。」 と、手にとるようにわかってもらうことは、至難の業です。

細かいこと、目立ちにくい事ほど、支援者も理解者も少なく、必要な支援が受けられずに、まるで低温やけどのように、じわりじわりと深く重いダメージを子どもに与えていくものです。

それを受け止めているのが、母として自分であるのなら、なすべきことがきっとあるはず。

口に出されたわけではありませんが、学校を休んで、東京からわざわざお越しくださったその想いが、じわりじわりと私の心に響いてくるように感じました。


「これから、時々メールでご相談させていただいていいですか?」

もちろん、お断りする理由なんて、どこにもありません。


帰る間際になって、男の子がベイブレードが大好きなことが、わかりました。

「先生の教室には、ベイブレードが10個以上あるんだよ」 と、伝えると、かわいいひとみを一層キラキラと輝かせました。


心に通うあたたかいものに、国境も国籍もありません。

あるのは、これから共に歩んでいこうとする私たちの出会いそのものであったはずです。

これから私が、支援者の一人として、この子の育ちにどこまでかかわることができるのかを、はかり知ることはできません。

もしかしたらNYに行って、彼と会う日がやってくるのかも知れませんし、直接、彼と言葉を交わすのは、この日が最後になるのかも知れません。

ですが、私は、今日からこの子の育ちのチームの一員です。

たとえわずかであろうと、どんな形であろうと、私の果たすべき役割がそこにあると思っています。


今日も、真っ暗闇の中で、小さい子どもを抱え、ただひたすらに涙を流しているお母さんが、きっとどこかにはずです。


たった一人ではないことを、わずかであっても、理解し、共感し、受け止めてくれる人が、きっとどこかにいることを、私は具体的な実践を通して、世に広く伝えていくことを、自分の責務と考えています。


> インターネットの普及で、先生もお忙しくなられましたね、

そうです、ブログがなければ、この子と会うこともなかったでしょう。

運命の出会い、まさに神様が会わせてくださったのです。

だからこそ、このお母さんは、今日から私の大切なパートナーの一人でもあるのです。


私が子どもたちにために何かができることで、自分自身の存在を確かめられるのと同じように、この子が誰かのために貢献できる存在、所属する集団の中で必要とされる存在に、何としても育てていかなければならないと思うのです。


相談を終えて、私は次の日の指導のため、午後には新幹線で大阪へ。

男の子とお母さんは、停電の影響のため、東京までの上り新幹線が大阪以降不通となり、神戸にもう一泊宿泊となる、予想だに出来ないアクシデントが起こるのです。


実は、弟のいるこの子は、大好きなお母さんと二人っきりで過ごしたいのです。

今日が、この子にとってスペシャルな1日であることは確かです。

私は今、大阪のホテルでこの記事を書いていますが、神戸にいるこの子の笑顔が見えてくるようです。

今、大好きなお母さんとどんな会話をしているのでしょうか?

大切で、愛おしい時間であるに違いありません。

きっとこの子、何か強いものをもっているような気がしてします。


どんな形でもいいから、自分の命を輝かせる子に育ってほしい。

どんなに時が流れても、そこにはいつも真摯な母の想いが存在しているのです。


主体者は、ご家族。

だからこそ、決して孤独にさせてはいけない。

たとえわずかであっても、手をたずさえていくことの大切さが、

きっとそこにあるのだと思うのです。



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心の中にある 小さなスイッチ

 2010-01-28
冬休み期間中、私はオーストラリアから一時帰国されているご家族から依頼を受け、ある4歳の男の子の指導をさせていただきました。

4週間の期間のうち、最初の週にご相談を伺い、残りの3週間で、45分のレッスンを3回させていただきました。

言語表出の面では課題が見受けられましたが、情緒は安定しており、パズルなどの認知で驚くべき力を発揮してくれました。


「日本に滞在している間に、ぜひ先生のレッスンを受けたい」

オーストラリアから、そんなメールをいただいたときには、正直、とまどいました。


私は、それほどの人物でもないし、それほどの力量があるわけではありません。

そんなことは、誰よりも、私自身が一番わかっています。

たった数回のレッスンで、一体何ができるというのでしょう?


私は、昨年春から、毎月大阪に出張指導にいかせていただいています。

その多くは、就学前のダウン症のお子さんです。

1日に9名のお子さんのレッスンをさせていただいています。


とても光栄なことだと思っていましたので、当初はものすごいエネルギーを使い、何とか成果を出してやろうと前日夜遅くまで準備に明け暮れたものでした。

自分の力で何とか扉をこじ開けてみせようと、あれやこれやとトライしてみました。

今でも、その情熱に何の変化もありません。


ですが、秋ぐらいのことだったでしょうか?

月に1回のレッスンですから、ある意味子どもの育ちがよくわります。

そこで、その子が先月と比べて育ったなと思われる部分をたっぷり返してやり、次にできたらいいね、というような課題をちょこっと見せてやることにしました。


ある日、ある子に30ピースのパズルをさせてみました。

その子にとっては、きっと初めてトライする30Pのパズルだったのではないかと思います。

私は、ほぼフルプロンプト支援を行い、その子は何とかその場で、初めてトライした30Pパズルをクリアすることができたのです。


物語は、実はここからスタートします。

その子は、それ以来、SHINOBU先生にほめてもらいたくて、自宅で30Pパズルの特訓を始めたのです。

内発的な動機付けですので、それ以上に強いモチベーションはありません。

パズルを完成させる度に、お家で何度も 「SHINOBU先生見て~」 と言っていたことを、ご家族の方から教えていただきました。

翌月やって来たその子は、2分程度で、あっという間にその30Pパズルをクリアする子に変身し、やがては、私のもっていない60Pのパズルも、あっという間に完成させる子に育っているのでありました。


こうしたエピソードが、私の役割を明確にさせていきました。

私一人で、限られた短い時間の中で、子どものすべてを変えようと意気込むのではなく、私には、私にしかできない役割を、精一杯努めさせていただくことが大切・・・

そして、ご家族の深い愛情ととエネルギーを最大限に取り込んでいくことが重要であり、結果、それが子どもの最大の利益につながっていくと考えるようになってきました。


そんなふうに意識が変化することにより、私は、毎月大阪に行くのが楽しみでたまらなくなってきました。

真剣度も、情熱にも、何ら変わりはありません。

でも、こうしたオーラが、笑顔が、子どもに伝わり、以前より余裕のある楽しい指導に、私は一層の充実感を感じるようになりました。

目を三角にして取り組んだ頃より、きっときっと、こっちの方が、子どもは育ちます。

真剣であればあるほど、ご家族の皆様にも、学んでいただきたいことの一つです。



私は、心の中にある小さなスイッチをポチッと押しただけことです。

実際に子どもを育んでいったのはご家族であり、その足で前へ進んでいったのは子ども自身であったのです。


私の所に相談に来られる方は、ほとんどの方が、そのボタンを目の前にぶらさげて来られます(笑)

本当は、向かう先が見えておられる方がほとんどです。

そうでなければ、私のところに相談に来ることはできません。


私の仕事は、そのボタンを人差し指で、ポチッと押すだけです。

そこから、何かが動き始めます。

ボタンを押したのは私ですから、当然、その責任は共有させていただきます。

「わずかではあっても、ともに歩んでくれる人がいる」

そのことで、ご家族の決心は固まります。

そこから、道はつながっていくのです。


今週は東京から、ご相談に来られる方がいます。 兵庫県からもお越しくださいます。

来月は、静岡からもご相談にお越しくださる方もいます。


以前は、遠隔地からのご相談は、お断りしていました。

私が、それ程の人物ではないことを、私自身が知っているからです。


ですが、ご相談にお越しくださった方々が、次々に新しい道を切り開いていく姿を、何度も何度も目の当たりにして、私はこのスイッチを押す仕事を、ずっと続けていかなくてはならない、それが私の役割であると感じるようになりました。


話が長くなりましたが、オーストラリアからお越しくだった方のご相談をお受けしたのは、こうした経緯もあったのです。

その方から、昨日、以下のような内容のメールをいただきました。





shinobu先生


先日は大変お世話になり、ありがとうございました。
昨日、無事にオーストラリアの自宅に戻りました。

お礼のメールがすっかり遅くなってしまい申し訳なく思っております。

たった数回のご指導でしたが、私たちにとっては大変貴重な時間でした。
shinobu先生の授業を受ける息子の表情や仕草、取り組み、すべてが
私の頭に今でもはっきりと焼きついています。
私が知っている甘えん坊で引っ込み思案な大人しい息子・・・
でも、先生のところで見た彼は、積極的で前向きでがっつり取り組むことのできる、
いつもよりわんぱくな男の子でした。
「うん、頼もしい」と暖かい気持ちに包まれました。

まだまだ私の知らない扉がたくさんあるんですね。
この子の扉を必死でこじ開けようとしていた2歳代、3歳代。
必死になればなるほど泥沼に沈んでいくような悪循環な時期もありました。
今は、少し溺れるのが上手になりました(笑)
これからたくさんの人との出会いや経験の中で
息子の扉がひとつずつでいいから開いていってくれるといいなと
願わずにはいられません。

今回のshinobu先生との出会いで、また新しい扉がひとつ開いたと感じています。
そして、「一生、君の先生だよ」とおっしゃってくださったこと、心から感謝しております。

2月から新学期が始まります。
今回、私も先生からエネルギーをいただきました。
こちらでどんなことができるか分かりませんが、肩の力を抜いて少しずつ
トライしていきたいと思っています。本当にありがとうございました。

次はいつ帰国できるか分かりませんが、その折には是非またご指導いただきたいと
思っております。どうかよろしくお願い致します。

お忙しい中、ご指導いただきまして本当にありがとうございました。
またお目にかかれる日を心待ちにしております。
先生もお身体、どうぞご自愛ください。

取り急ぎ、お礼まで。





このお母さんは、やります。

間違いありません。

ご主人も、とってもすばらしい方でした。


たとえ何千キロ離れていようと、次にお会いできるのがいつになろうと、つながりが決して切れるものではありません。

むしろ、遠ければ遠いほど、大切に育つものもあるはずです。


私には、この子とご家族が、自分の命を輝かせながら、一歩ずつ前へ進んでいく姿が、目に見えてくるようです。


人は、誰かの役に立つことでこそ、自分の存在を確かめることができる。

それは、きっと子どもも大人も同じこと


そこには、既製品のものさしなんて、全く意味のないこと・・

誰かのために、自分の命を輝かせて生きていく子ども

私は、そういう子どもを育てなくてはならない。

ご相談をお受けして、本当に良かったと思いました。



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発達のカーブは人それぞれ そこで問われる指導者の先見性

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「今日から、わり算の学習を始めましたよ ♪」

「えっ、わり算ですか?・・・」


私が、花子ちゃんのお母さんに、そうお伝えした瞬間、お母さんは、しばしの間絶句されました。

わかります、わかります、その気持ち。 痛いほどわかります。

またしても、指導中に涙がこぼれ落ちそうになったのは、何をかくそうこの私ですから・・


私が花子ちゃんの算数指導に向き合ったころ (1年生の3学期) は、さいころの目を 「1・2・3・4・・・」 と数えることからスタートしました。

当時の花子は、同時処理 (瞬間にぱっとサイコロの4の目を見て、それを4と認知すること) が、とても苦手だったのです。


もしかしたら、この子は一生そうなのかも知れない、そこは理解してあげなければいけないところかも・・

私でさえ、当時は、そんなふうに思ったことがないと言えばうそになります。

1+2 のたし算でさえ涙が出る・・

当時は、本当に厳しい状況でした。


そうした時期に、私がとったアプローチの方法は、主に3つ。

一つは、花子ちゃんの得意な継次処理能力を生かした、長所活用型指導で、苦手な部分を補完していくこと。

二つめは、苦手な部分は、小さなステップと、二系統同時刺激 (例えば、聴覚と視覚というように、、苦手な感覚を同時に得意な感覚で補完していくこと) を用い、算数的な活動を通して、楽しみながら鍛えていくこと。

(お買い物ゲームのロールプレイ、これまで何十時間行ったか知れません。 もしかして、100時間超えるかも? おそらく個別指導のギネス級だと思われます・笑)

そして最後は、学習のモチベーションを絶対に下げないこと、です。


お母さんの話によると、レベルの高い私の宿題 (漢字の読みは3年生の花子ちゃんに4年生のものをさせています) は、あっという間に、してしまうそうです。 

また、まちがえてお母さんが5分でも早く教室にお迎えに来ようとするものなら、涙を浮かべて、「まだ時間じゃない」 と学習をやめようとしないのです。 

学校休んでもここに来たいという気持ちは、花子ちゃんも同じです。 

わり算の勉強をしたい、と言ってきたのも、私ではなくて、花子ちゃんの方です。学びの意欲こそ、すべてを打ち抜く大きなエネルギーと成り得るのです。


ここへ来て、花子ちゃんの認知処理能力は、格段に向上して来ました。

1年生の頃とは、別人です。


2年生の頃は、九九学習のベースラインに立つことさえも、かなりの抵抗感がありましたが、今では、九九もほぼマスターすることができました。 これも、つい最近のことです。


画像では、パソコンを使って、わり算のしくみについて学習をしていますが、これも数認知を、買い物ゲームで鍛え上げていますから、入りがとてもいいです。


これまでに培ってきたファンダメンタルな力が、ここへ来て、一気に花を開き始めた。 

まさに、そんな印象です。


サイコロをデジカメに撮って、カードをこしらえ、それでゲームをしていたあの頃・・

がんばってよかった・・  報われた・・

まさに、そんな気持ちです。 


皆さん、希望は絶対に捨てちゃだめですよ。

1年生の時にだめだったからと言って、ずっとずっとそうだとは限りません。

早熟の子もいれば、大器晩成型の子もいます。

発達のカーブは、人それぞれ。 決して直線ではありませんから。


今、私は、幸せの絶頂期にいます。

でも、これは苦しい時代に、花子ちゃんと一緒に、がんばり続けたことの集金をさせていただいているわけで、大切なのは、苦しい時期に、彼女の可能性を信じて一歩ずつでも前へ進んでいくことができたかどうかということだと思っています。


成果が見えることは、誰だってできます。

花子ちゃんの学習状況が苦しかった時期に、私とお母さんは何度も、可能性を信じて挑戦していきましょうと、励まし合ってきました。

生徒一人、先生一人で始めた教室です。

実績も、権威もない、裸一貫のスタート

ある意味、それは本当に孤独な戦いでした。


でも、決意は固かったし、小さな希望は、そこにしっかりと息づいていた・・・

何はなくても、向かう先が、そこにはあった・・・

あの時の、ふんばりがあったからこそ、今があるわけです。


最悪の時こそ、勝負です。

そこで問われるのが、指導者の先見性と決心です。


ダメだと切り捨てるのは、誰だって出来ます。

IQがいくつだからとか、プロフィールがどうだからとか、何々症だからとかと、リスクを予見することが無意味とは思いません。

でも、ただ指摘するだけでは、子どもは決して育ちません。


わずかであっても可能性を信じて挑戦していくのが、教育の王道であると信じています。

1ヶ月2ヶ月、集中してがんばることは、案外簡単です。

半年、1年、2年、3年・・

成果の見えないときでも、あなたはその可能性を信じることができますか?

本物かどうか、実際に子どもが育つかどうかの分かれ目は、実は、そこにあるのではないでしょうか?


私があきらめずに、取り組めた最大の理由をご存知ですか?

それは、ご家族の熱い・真摯な気持ち、ただそれだけです。

その気持ちが私を揺り動かし、結果として今、わり算のできる花子ちゃんを育て上げたのです。

確信をもって、そう断言できます。

あの時の、ご家族の真剣なまなざしがなかったら、今日の私もなかったわけですから。


また次回も、花子ちゃん、はりきって教室にやって来るだるうなあ~

この調子なら、わり算は、筆算だって楽勝です。

できないわけがありません。


いつもと同じ楽しい学習が、こうして続けられていきます。

わり算のできる花子ちゃん?

当のわたしでさえ、ほっぺをつねってしまうそうです。

あの時のことを思えば、夢のようです。

私は今、本当に幸せです。



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音韻リズムで まとまり読みの力を育てる (太郎君・小2の事例から)

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小さい子の指導をしていて、よくある出来事です。

指導場面では、ほとんど言語表出のない子でも、手遊び歌をやり始めると、「ひいて、ひいて、トントントン」 など、楽しそうに歌うことが多いです。

太郎君 (2年) は、漢字を書くのがとても得意です。 一つのことをフォーカスしてとらえるのが得意な、同時処理系優位の子どもです。

特に、視覚ルートでは、顕著にそのことが現れます。


音読では、文字を見て、それを認知し、処理をして、運動野に信号を送るという、複雑なルートが経由されます。

そのインプットのレベルの情報が、太郎君の場合は密度が濃いので、処理速度はあまり速くなりません。


デジカメで重い画像を撮ったときは、パソコンがフリーズしたり、プリントアウトに時間がかかったりしますよね。

それと似たような現象が起こったと考えれば、わかりやすいのかも知れません。


こうした場合は、「い」「る」「か」ではなくて、「いるか」を一つの文字としてみれば、情報量は軽くなります。

私たちは、「Dictionary(辞書)」という単語を、「D」「i」「c」・・・とは見ませんよね。 かたまりでみて、ディクショナリーと読んでいるわけです。

こういう子の多くは、漢字が大好きです。 例えば 「山」 という字の方が、「Mountain」 より、何倍もわかりやいと思いませんか?

音読では、ひらがなより 「漢字の方が簡単!」 という場合だって多いのです。

文字ルートの支援では、このように文節をひとまとまりでとらえさせる小さなステップを作って、達成感をもたせます。 そして、次第に支援をフェードアウトして読ませ、一人で読めるようになった太郎君を、たっぷりとほめてやるのです。


言葉の入力には、ご存知のように 「文字ルート」 と 「音韻ルート」 という2つの系統があります。

今、太郎君が勉強している 「いるか」 という教材では、この音韻のリズムが、とても心地よく構成されています。

つまり、音韻リズムがよいということで、情報の伝達が実にスムーズに流れていくのです。

「いるか」 「いるか」 「いないか」 「いるか」

(い)(る)(か) を (いるか) と見る力を育てるには、最高の教材です、 「さすがは、たにかわ しゅんたろうさん」 と言った所です。


同時処理には、同時処理のよい所がありますし、継次処理には継次処理の良い所があります。

太郎君は、入力は同時処理的な傾向が強いですが、処理の仕方は、継次的な場合も多いです。

花子ちゃんは、継次処理の入力で、処理も継次的です。 しかし、継次処理の特性を生かした長所活用型指導により、3年生になって、同時処理能力が飛躍的に向上してきました。


あなたは7つのおまんじゅうを見て、ぱっと7つとわかりますか? これが同時処理です。

では、11個でも 「1・2・3・4・・・」 と数えなくても分かりますか?

私は、さすがに無理です。 「1・2・3・4・・」 と数えます。

これが、継次処理です。


私は、典型的な継次処理優位の認知処理様式です。

日本語の文章なら、流し読みも得意ですし、文脈も、行間も大得意です。

ところが、英文になると、とたんに同時処理になって、流し読みができないから、TOEICでは、リスニングの方が得点が高い、日本人には珍しいタイプです。

私の英文読解に必要な学習法は、簡単な文章を小さなステップで流し読んでいく経験を積んでいくことです。

このように、認知処理様式と言っても、時と場合によるし、単純ではないのです。

ましては、何々症だから、云々ということは、ありません。

全体としてそう言う傾向が強いと言うことを、知識として知っておくことは有益だと思いますが、例えば「自閉症=何でも絵カード」とは、到底、私には思えません。



言語にかかわるプロセスは、とても高度な作業で、複雑です。

大人は、ある時は同時処理、ある場面では継次処理と、使い分ける能力が体験的に育っていますが、子どもは今、まさにその力を培っていく最中なのです。

花子ちゃんの同時処理能力が、飛躍的に向上したのも、こういうメカニズムであったのではないかと、私は考えています。

だからこそ、人と比べないで、その子の特性を生かして、学習のモチベーションを高めていく長所活用型個別学習は有効だと思います。

もちろん、それは学校での集団の学びがベースにあってのことだと、私は思っているのです。


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長所活用型指導の具体的な実践事例 (4年・男子)

 2010-01-21
長所活用型指導というものがあります。

私の教室では、ほとんどの場合、このスタイルをとっています。

これは、「4年生だから、これをしましょう」 ではなくて、その子の深い特性理解に基づいて、その子の良いところを伸ばし、それを活用していくことによって、学びへのモチベーションを高め、苦手なことをも克服してしまおうという試みです。


この日、私は一つの決心をもって、この子に向き合いました。

それは、たとえ遠回りになったとしても、この子が今わかっている学習内容をていねいに読み解き、小さなステップを無理なく登らせていこう、という決心でした。

いつも心がけているつもりであっても、指導の前に、お母さんから情報やら、学びの願いについてお知らせしていただいていましたから、いつの間にか結果を焦りすぎてしまっていたようです。

私、そんな自分に気がつき、大いに反省をさせられました。


指導には、気合いが不可欠です。

でも、是非とも理解させたいと願うなら、強い語気で子どもに迫るのではなく、そのエネルギーは、指導の工夫に費やし、笑顔で子どもに向き合うべきです。

周到な準備をし、指導に自身があるのなら、語気は穏やかになり、たとえつまずきがあっても、待ってましたとばかりに、余裕で、笑顔で対応できるはずです。

指導する側に、あせる気持ちが強かったり、自信がない時に限って、語気だけが強くなり、子どもの気持ちを痛めることになるのです。

挙げ句の果てに、「何でこんな事も分からないの?」 そんな禁句が飛び出したりします。

子どもはやる気をなくし、思考のシャッターをガラガラと降ろし、ジ・エンド・・

最悪です。


私でさえ、そんなことになってしまう可能性があります。

私、ここ何回かの指導を振り返り、この子の学びの温度が、少し低下しかけているのを感じてしまったのです。

これは、死活問題です。


この日は、漢字の読み書き、算数(概数の計算)、文章読解プリント、の3つの学習内容を構成しました。

気合いを入れて、今回はいつも以上に周到準備をして置きました。


この子の認知特性と、これまでの学習の経過から、もしかしたらつまずくかも知れないと思われる場面を、事前にていねいに予測し、対応策を十分検討し、これなら必ずできるというイメージをこしらえて指導に臨みました。

決して声は荒げません。

が、最初少し学習から逃げ腰の彼を、しっかりとつなぎとめる所から、この日の学習はスタートしました。


既習学習の漢字の読みからスタートし、情報を与えておいた上で、漢字の書き取りをさせました。 苦手な文字が出た場合は、自分で調べさせました。 資料は待ってましたとばかりに、事前に準備しています。

再テストをし、この日の課題がパーフェクトに出来たことを示し、達成感をもたせ、学習にリズムを付けます。

この辺りから、彼のモチベーションは、一気に高まってきました。


算数の概数の学習では、彼が混乱しような問題は、小さなステップを提示し、既習事項を使えば、クリアできるように配慮しました。

例えば、5151を一万の位の概数にすると、10000になりますが、これは意外と分かりにくい。

なぜなら、ただの5000を、10000と見る機会が少ないからです。

でも25151なら、意外とすぐに30000と答えが出せる。 これまで、似たような問題を、何回か自力で解いてきた経験があるからです。

ならば、
25151 → 30000
15151 → 20000
 5151 →   ?

と、提示しれやれば、「あっ、そうか!」 となるわけです。


「じゃあ、8151は?」

「9151は?」

もう大楽勝です。 ここでたっぷりとほめると、モチベーションはさらに高まります。


国語の読解問題では、この子の場合、ひとつの言葉が多義的に使われると、混乱するタイプです。

また、一つでもわかりにくい言葉があると、文脈を見失いがちです。

中心となる内容をはっきりと図示し、それに細かい内容を関連させて、視覚的にとらえさせると理解が進みます。

先日紹介した友里ちゃんみたいな読解指導が有効なタイプです。

この日は、残り時間が少なくなり、読解プリントは1枚ちょっとしか出来ませんでしたが、それで十分です。

学習の手応えは、決して枚数に比例するわけではありませんから・・


この日、早速お母さんから、以下のようなメールをいただきました。





今日もご指導ありがとうございました。

今日はどうだった?と聞くと
楽しかったで!意外と! との返事でした (*^^)v

最近はこの質問に、頑張ったで! と答えていたように思います。

先生同様、とても充実した時間だったようです。

私が何となく感じていたことを、先生が話され始めた時は、ちょっと驚きましたが、やっぱりそうだよな~と大きく大きく心の中でうなづいていました。

これからも先生のところで学ぶ楽しさ、喜びをたくさん味わって自信をつけて行ってくれたらと思います。

教室を出る前から、次はいつ!?って聞いたの、初めてじゃないですかね (^^♪

次回もよろしくお願いします。可能な限り“情報”をメールしますので…!





やっぱりね。 やりました。

結果としては、学習内容も、理解度も、達成感も、前回までのものとは比較にならない程、向上していました。

私も、彼も、次回のレッスンに大きなはずみがつきました。


長所活用型指導と言えば聞こえがいいですが、それは決して万能薬ではありません。

特に、学校・園では、基本は短所矯正指導でなければならないと思います。


短所矯正と言ってしまえば、聞こえは悪いですが、言い換えればそれは、「子どもの可能性を信じて、チャレンジさせる」 最もベーシックで大切な教育の営みです。

学校・園での、こうした営みがあればこそ、私の長所活用型指導が生きるのです。

学校・園には、学校・園でしかできない、専門性と役割があるのです。

それは、家庭にも同じ事が言えます。


子どもの特性理解は重要ですが、にわか勉強の、安直・丸かじりは禁物です。

個別指導教室と、療育と、学校・園とでは、果たす役割も専門性も大きく異なります。

それぞれが同じ事をするのではなく、同じ目標に向かって、それぞれが最も専門性の生きる指導を行うことが重要なのだと思っています。

特に、学校・園においては、集団の中に、その子のしっかりとした居場所がありうことが不可欠だと思います。

それがあってこそ、個別指導が生きてくるのです。

その形も、様々です。


熱い気持ちと共に必要なのは、冷静で深い判断と、努力と工夫の積み重ねだと思います。

それぞれが機関が持ち味を発揮し、子どもが生き生きと学び育つ環境を・・

私も、自分の役割をしっかりと見つめていきたいと思っています。


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逐次読みからまとまり読みへ (同時処理タイプの子・読字指導実践の具体例)

 2010-01-19
友里ちゃんは、現在小学校5年生です。 4年生の頃から、私の教室に通ってくれるようになりました。


「国語の時間の、まる読み(席の順に一文ずつ読んでいく)の学習の時に、とても大きな抵抗感を感じているようです・・」


教室に通い始めて間もない頃、お母さんからそんなことを伝えていただきました。


友里ちゃんは、漢字の書き取りの学習にとても熱心に取り組むことができます。 向上心が強く、与えられた課題は、何としてもやり遂げたいという意欲の強い子です。

「SHINOBU先生と一緒に勉強したら、すごくよくわかるから楽しいんよ!」 と、言って、90分の指導時間、一度も休憩を入れなくても、毎回集中して取り組んでくれます。

「この前は、プリント8枚できたよね。 今日は10枚できるかな~ 早く100番までクリアしたいなあ~」

夏休み期間中は、集中講義と称して、週2回90分のマンツーマンレッスンを受けてくれました。

指導時間は、あっという間に過ぎます。

本当に、かわいい子です。


昨日、紹介した花子ちゃんは、継次処理が得意なタイプのお子さんです。 全体をさっさっと読んでアウトラインをつかむことが得意なのです。

よく聞いていると、ちょっと自分なりに勝手に文章を変えて読んでいることもあります。(笑) 漢字の習得も 「大きな山」 「青い空」 など文脈の中で、関連づけてとらえさせると効果的です。

よくも悪くも、これが花子ちゃんの認知処理様式なのです。


一方、友里ちゃんは、一つ一つをきちんととらえていくことが得意です。

パズルなども大好きです。 漢字も一画一画ていねいに書いていきます。 何でもきちんとフォーカスしていくタイプなので、どうしても読字の時には、「わ・た・し・は・・・」 と、逐次読みになりやすい傾向があります。

一つ一つを一生懸命フォーカスしていくタイプなだけに、文字情報が多すぎると消化不良を起こしがちです。

また同じ漢字に音・訓の別々の読み方があったり、英語のイディオム (言葉の組み合わせによって一つの意味をなすもの 例えば It,s on me. 「私のおごりよ」 とか A piece of cake. 「簡単さ、朝飯前だよ」) など、特別な読み方のものには、とまどうことが多いようです。

どうしても言葉の世界との接点が、狭くなりがちなので、放っておくとだんだんと意図している意味が分からなくなってきて、苦し紛れに適当な解答を記入したりすることもあるかも知れません。


友里ちゃんには、他の子にはない、たぐいまれなる向上心があります。

そこで私はどうしたか?


それは、基礎の基礎から、もう一度ていねいに、小さなステップを積み上げて読みの体験の土台を築き上げていくことでした。

以前は、90分の指導の中で、算数も国語もロールプレイも物作りも体験的な学習も、様々な内容のものをしてきました。

「すべての基本は、文字を読み、意味を理解するところから・・ 積んでは崩し、崩しては積むの見せかけの学力ではなく、本当の力を培ってほしい」

指導の度ごとに、何度も何度もお母さんと話し合いを重ね、いつの頃からか、私の教室では、90分間、国語のみの指導を行うことになりました。


まずは、簡単な文章から、小さなステップを刻んでいきました。

1文1文、意味が理解できているかどうかを、確かめながら進め、一つでもわかりにくい言葉があったら、どんなささなことでも、ていねいに教えて行きました。

一つでもわかりにくい言葉があったなら、そこから先、文脈や全体の情景を思い浮かべることができにくくなる (シャッターが降りる) ことを避けるためです。

文脈を見失ってしまうと、そこから類推することが極端に出来にくくなってしまいます。

文を読むときには、その一つ一つの語句を、文脈と照らし合わせながら、私たちは知らず識らずのうちに、相互に関連づけているはずです。

「もういいよ」 が、 「もう来なくてもいいよ」 か 「もう来てもいいよ」 かは、文脈を理解していればこそ、判断できることがらです。


私が、友里ちゃんに培っていきたかった体験の一つが、こうした文脈を見失わずに読み進めていく楽しさでした。 その方が読んでて楽だし、面白いに決まっていますから。

そして、問題を解くときには、当てずっぽは決して認めないようにしました。

友里ちゃんは、穴埋め問題は得意ですが、3択問題は苦手です。

仮に当てずっぽで正解しても、私は、「どうしてそれに○を付けたのか」 と、必ず尋ねるようにしました。

その代わり、解答前に語句にかかわる質問をしたら、どんなに些細な質問でも、心をこめて、ていねいに、得心のいくまできちんと説明をしていきました。

自分の力で判断できたときには、しっかりとほめてやりました。

そして、伸びてきた自分の姿を、映し出すように見せてやりながら、今はまだ歩み始めたばかりだけれど、この先にはきっと、すばらしい世界が待っているんだよと、伝え続けていきました。


こうして、友里ちゃんと、文字との接点は、飛躍的に拡大していきました。

毎週、毎週90分、読み指導を徹底的に行っていくわけです。 プリントのファイルは、みるみるうちに分厚いものになっていきました。

いつの間にか、逐次読みは、まとまり読みへと変わっていきました。 結構スラスラ読めるようになってきましたから、子どもの可能性は、やっぱり侮れません。

そりゃあ、あれだけやり続けたのですから、そもそも子どもが変わらないわけがないのです。

続けられたこと、続いていくことのなかに、大切な何かがそこにあるのです。


もちろん、認知処理様式が変わったわけではありません。

でも、知ってる言葉、使える言葉が、だんだんと増えてきました。 フレーズやイディオムも、身についてきました。

身についたからわかる、わかるから身につくという、プラスのスパイラルが徐々に形成されていきました。

それにこの子、物語自体は大好きで、問題をやっていても、その先どうなるか、知りたくて仕方がないのです。

それに、いくら小さいステップであっても、これだけ時間を重ねると、結構なところまで上がらないわけはありません。

読めない物が読めるようになったこと、出来ない問題ができるようになったこと、その手応えを誰よりも感じているのは、誰であろう、この友里ちゃん自身なのです。

最初のことは、一つできたらシールを貼り、それがたまると文房具をプレゼントしていました。 トークンエコノミーシステムです。

今は、そんなもの全く必要ありません。 自己実現が、最高ランクの強化子となって、彼女のモチベーションを支えているのです。

人と比べない学びは、こんなふうに本当は楽しいものなのです。

長所活用型指導の存在価値は、ここにあるとも言えます。


使用しているプリントは、まだ当該学年より下のものです。

でも、国語の読解に、何年生の問題という物差しが果たして本当に必要でしょうか?

ここで充てるべき物差しは、何を差し置いても、友里ちゃんの豊かな学びそのものでなけではならないはずです。


学校休んででも、熱が出ても、私の教室にだけは来るという子は、実は友里ちゃん以外にも何人もいます。

本当に学校休んだ日にも、来るので苦笑いをするしかありません。

這ってでも指導に来たいのは、実は私も同じです。 それだけ、今の指導時間が、充実して楽しいのです。


ここまでの土台造りのために、費やした時間・費用・話合い・工夫などは、相当なものだと思います。

やっとの思いで、ここまでたどり着いた、というのが実感です。

この先、この子の心に、しっかりとしたものを、ていねいに積み上げていきたい。

何のための学習か? 学習の目的は何なのか?

その答えは、友里ちゃんの成長と幸せ、それ以外にはあり得ないのですから・・

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指導中に涙がこみ上げて来る時

 2010-01-18
私の教室の生徒第1号は、花子ちゃんです。

1年生の3月から、指導をさせていただいています。

その花子ちゃんは、今は3年生、もうすぐ4年生になろうとしています。


私が、花子ちゃんの指導にかかわるようになったのは、花子ちゃんの通っていていた保育園の先生が、たまたま私の事を知っていて、私のことをお母さんに紹介してくださり、ご相談を伺ったことがきっかけです。

最初は、ボランティアで、無料でとも考えていたのですが、きちんと料金をいただき、それ見合うだけの内容をお返しすることの方が、より責任も重く、より子どもの利益・ご家族の願いに添うことだと考え、きちんとした手続きを経て立ち上げたのが、この教室なのです。


花子ちゃんの認知処理様式は、典型的な継次処理タイプで、物語をさあっーと読んで、アウトラインをとらえるのがとても得意です。

逆に、形の細かい部分を精査したり、それを表現したりするのは、あまり得意ではありません。 1年生の時には、書字や数認知の学習で大きな痛みを伴っていました。


1年生の3月から、週1回90分のレッスンを、ほとんど毎週欠かさず受けてくれました。

今では、花子ちゃんがどういうことを考え、何を学び、どんなことが出来るようになってきたかが、手に取るようにわかるようになってきました。


書字で苦しんでいた時期に、ためしに 「黄色いバケツ」 というお話を自分でアレンジして、手作りの教材を作ってみました。

その時、私は、花子ちゃんの継次的な能力の高さにとても驚き、興奮し、よ~し、世界の中で、きっと私が一番に発見したであろうこの能力を育て、いつかきっと一花咲かせてやろうと固く心に誓ったのでした。


「親」って言う字はね、「立つ」 「木に」 「見る」 でしょっ!」

「そんなの簡~単!!」


継次処理能力を生かした漢字学習の一つのモデルです。

漢字練習帳に、苦手な字 (例えば 「弓」 のような曲線の多い字) を、毎日・毎日ノートに何百字も書き続けるのではなく、英語でいうイディオムみたいに、文脈の中で多くの言葉や漢字ふれさせていく・・

豊かな言葉の海で、思いっきり泳がせる。

それが、私が花子ちゃんに施した指導の柱の一つです。


先週の指導でついに、当該学年 (3年生) の、漢字の読みのワークに区切りがつきました。

「さあ、花子ちゃん、これは4年生の問題だよ。 むずかしいかも知れないけど、花子ちゃんは本読みの天才だから、きっとクリアできるはず! さあ、やってみよう~」

と、言った瞬間、私の胸は熱くなり、涙がこみ上げてきて抑えきれなくなりました。


今、ただ単に、4年生の問題をプリントアウトした、それだけのことです・・

しかし、しかし・・

私は、この日が来るのを、ずっとずっと待ち続けてきました。

この日が来るのを目標に、毎日、小さな階段を一歩ずつ登ってきたのです。


子どもですから、苦手なことにも挑戦して、可能性を広げていくことも大切です。

3年生なら、ここまでかんばってごらんと、叱咤激励して背中を押すことも、時には重要です。

でも、そのことで 「私は勉強ができない」 と、多くの子どもの痛んだ心に、私は幾度となく出会ってきました。

勉強ができない → 自分はだめな子 → 生きている意味がない

そんなふうになってしまいがちな場面に、幾度となく遭遇してきました。


どんなに苦手なことがあろうと、何ができなのであろうと、私にとって花子ちゃんはかけがえのない大切な子どもです。


「誰だって苦手なことがあるんだよ。 先生だって、歌を歌うのは、大の苦手なんだ。 花子ちゃんは、いいなあ~。 本読みの天才だもんね。 先生は、花子ちゃんが大好きだ」


自分自身の苦手なことを受け入れた上で、自分自身が好きになれる子どもに!

それが、私の教育目標です。

そうなることによって、人の痛みのわかる心優しい子に育つ、そう信じています。

そうなることによって、社会の中で生きていける子、誰かのために何かのできる子に育つのだと、信じています。


あなたがどれだけステキな子であるかを示す、一つの大切な形として、私はこの子の継次処理能力の育成に注目をしたのです。

「私は、先生と一緒に4年生の勉強をしている」

たった一つの小さなことかも知れないけれど、私はそのことで、花子ちゃんの心に、肯定的な自己理解の芽を培っていきたいと願っています。

そのことが、これからの花子ちゃんの人生の大きな力になる。

その力を育てていきたい。


初めて私の所に相談に来られた時の、花子ちゃんのお母さんの目の色を、今でも私ははっきりと覚えています。

ずっとずっと私を信じ続け、どんな時にも変わることなく、絶大な信頼をお寄せいただいたご家族の皆さん

私は、どんなことがあっても、このご家族の期待に答えなくてはならないと思っていました。


子どもの育ちに、これでいいというゴールはありません。

しかし今、私たちは、大切なことの、スタートラインに立つことができたのです。

遥かな長い道のりではありますが、その行く先は、はっきりと私たちの目には焼き付いているのです。


この日は、小さいけれども、私たちにとっては大切な記念日になりました。

この子は、この先、どんな子に育っていくのだろう・・

学ぶということ、生きるということ・・

大切なことをちゃんと見つめ、指し示していくことこそ、指導者の付託された最大の責務であると、私は感じているのです。


本読みの天才、花子ちゃん。

私にとっては、その存在自体が、夢であり、希望となっているのです。


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苦しい時にこそ 子どもは育つ

 2010-01-15
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先日、かれんママより、以下のようなメールをいただきました。





shinobu先生

お忙しいところ、ありがとうございます。

ところで、かれんの会話で最近変化が出てきています。


【先日のかれんとママの会話】―――――――――――

※今週は、かれんパパが教室への送迎

ママ:今日、shinobu先生と遊んだの?
かれん:うん
ママ:何して遊んだの?
かれん:アンパンマン
ママ:アンパンマンで遊んだの?
かれん:うん
ママ:へぇ~、おもしろかった?
かれん:※※※かった(おもしろかった)

ママ:かれん、shinobu先生、好き?
かれん:好き

―――――――――――――――――――――――――

たぶん、教室では、アンパンマンを教材に使われたんだろうと思います。

でも、かれんがママの質問を本当に理解して答えてるのか疑わしくて(普段の状況からして疑わざるを得ないので)、再度2時間おいて、確認。

ナント、おなじ答えが返ってきました。

「他に何したの?」には答えられませんでしたが、どうやら、かれんは教室での取り組みで「アンパンマン」を使って遊んだことがもっとも印象に残っているようです。







「他に何したの?」 には、答えられない理由・・

私には、わかります。


なぜなら、この日、かれんちゃんは90分の指導の大半の時間、おそらく1時間以上の時間、このアンパンマンカードで遊んでいたからなのです。

もちろん、私も 「今日の中心教材はこれ」 と決めていましたし、どうやってこの学習に主体的に取り組まそうかと、あれやこれやと作戦を練っていました。

ところがあに図らんや、かれんちゃんは、指導後数分で、「これしたい~」 と、アンパンマンカードのボックスを抱えて学習コーナーに持ってくるではありませんか?

そこから、数十分間 以下の映像のように 「もう1回」 「もう1回」 と、このカードを使った学習が続いていくのです。

最後には、とうとう私の方から、「もうこれくらいにしよう。勘弁してね。」 と腰砕けになる始末でした。

かれんちゃんが、カードで60分?

私でさえ、今でも信じられないような気持ちです。

[高画質で再生]

ひらがなカード(1)--2010-1-12 [アクセス解析]


[高画質で再生]

ひらがなカード(2)--2010-1-12 [アフィリエイト]


自分で指導をしながら、自分で画像を撮っているのです(汗) 画像の乱れをお許しください。
<(_ _)> 


ほんの数ヶ月前までは、こんなかれんちゃんの姿は、予想だにできませんでした。

もちろん、かれんちゃんがひらかな読みを完全にマスターしたわけではありません。

これから様々な学習体験を通して、より確かで深い理解が、少しずつ形成されていくわけです。

今は、その入り口に立っただけの話です。

ただ、ここまで来るのが大変だったし、不安だったのは確かです。

本当にその入り口が見つかるのかさえも、自信がもてない時期もありました。

ご両親の思いも、並大抵の物ではなかったと思います。


だからこそ、ここに立つまでの営みが大切だったと思います。

子どもの可能性を信じて、暗闇の中でも、先に光があると信じ、一歩一歩ていねいに歯をくいしばって歩んでいくこと。

成果や手応えが見えない中で、土を耕し、肥料をまき、愛情をもってかかわる中で、大事に大事に芽が出るのを信じて努力を積み重ねていくこと。

深い愛情なくして、できることではありません。


私の所に来始めてから、成果が急に目立ち始めることは、実はよくあることです。

芽が出始めてからの指導は、手応えがあるし、やっていてとても楽しいのです。

ですが、それは、きっとご家族が苦しい時期にまいてくださった種が、たまたま私の所で芽がでただけだと思っています。


真っ暗闇の中で、我が子を抱え、腰まで水につかりながら、じゃぶじゃぶと道なき道を歩んでこられた事はありませんか?

何度もくじけそうになりながらも、我が子をしっかりと抱きしめ、歩んできたその時期にこそ、子どもは育ってきたのだと思います。

私は、水から上がってきたお母さんに、ちょっと手を差し伸べた、それだけのことです。


今、うまくいかないからダメなのではなく、今この時、どこまで踏ん張れるかが、大切なのだと思います。

そこを抜ければ、自然道筋も見えてくるというものです。

私の所に相談に見えられる方の多くは、ご自身の意識はどうかわかりませんが、私の所に来た時点で、次のステージに向けて歩んでおられる方がほとんどです。

だから、子どもが育ったように見えるのです。


SHINOBU先生が育てたのではありません。

子育ての主体者はご家族。 私は単なるサポーターに過ぎませんから・・



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子どもの行動面の課題に立ち向かう

 2010-01-12
私の教室には、何人かのダウン症のお子さんが通って来てくれています。

元気一杯の子、やさしく何にでも一生懸命な子、鉄棒やキャッチボールの得意な子、お話が大好きな子、パズルの得意な子・・

それぞれに個性と輝きをもった子どもです。

決して、ダウン症だから云々ということではないと思っています。


物事に前向きな子

元気一杯な子

エネルギーに満ちあふれた子

何でも一生懸命な子

それでいて、言語によるコミュニケートがまだ十分に機能していない子・・


そんなお子さんの中には、時々行動面における共通の課題が見受けられます

それは、「物を投げる」 という行為です。


先週、京都からダウン症の女の子が来てくれました。

昨年11月ご相談をさせていただき、年明けに初めてのレッスンをさせていただきました。

初めてのレッスンでしたので、多少のとまどいもあったでしょうが、私が予想していたよりもずっと順調に課題をこなしていきました。

しかし・・

カードのマッチングの時だったでしょうが、いいペースで進んでいたもので、私が調子にのって、あれでもこれでもかと、次々に課題を繰り出すもので、心理的な限界を超えてしまったのでしょう。

ついに、教材を思いっきり放りなげてしまいました。


物を投げるという行為は、社会的に容認できる行為ではありません。

早くその事を理解させ、適切な行動を身につけさせてやることが必要であると考えています。


私は、行動改善のための基本的構えに、PBS(積極的鼓動支援)の理論を取り入れています。


そこでまず、一番に考えるのは、行動の背景を理解するということです。 その行動が起こるには、その行動を起こさせる(あるいは維持させる)要因というのが、あるはず、と考えるのです。 

今回の場合では、①嫌になった学習を中断できる ②心理的な快刺激を得ることができる などだと思います。


対応の仕方には、いくつかの方法があると思います。

例えば、どんなに物を投げようが、何をしようが、予定した活動を、顔色一つ変えず粛々とやり続けるという方法です。

非合法な方法は、一切認めないという方法です。

物を投げても、ちっとも効果がないと、子どもに感じ取らせるまで戦う方法です。

正攻法と言えば正攻法ですが、乗りこえるまでには、相当な痛みを伴います。

私も、ここが勝負とやりきる自信があれば、しないこともありませんが、レッスンは限られた条件下で行いますので、この方法はあまり取り入れないことにしています。


では、どうするか?

それままず、その行動の引き金になる先行条件を取り除くことです。


以前、かれんちゃんにカラーボールの活動をさせたとき、10個を超えると、心理的な限界を超えてボールを放り投げてしまうことが続きました。

そのカラーボールは全部で15個のカラーボールをペグに差す課題なのです。

一気に15個のボールをさせたいのが人情というものですが、ここではあえて、9個であえて活動を中断しました。

それで、別の課題に取り組ませ、時間をおいて残りの6個をさせるようにしました。

このように工夫すると、その日、物を投げるという場面がほとんど見られなくなりました。


その次に取り組むことは、認知力やコミュニケーション能力そのものを向上させていくということです。

ちゃんと 「おしまい」 と伝えるいう方法を教え、それを機能させていくということです。

かれんちゃんとは、「おしまい」 「もう1回」 というやりとりが、今ではしっかりと成立するようになってきました。

カラーボールの9個で、「おしまい」 と言えば、「うん、じゃあ後でね」 と言って、別の活動に切り替えます。

でも、これはあくまでも、不適応行動を回避するためのバイパス行動です。

目的地は、ちゃんと15個完成して、「すごいね~、最後まで出来るようになったんだね~、さすが~、すごい」 と、物を投げる行為をしたときとは比べものにならないくらいのご褒美を与えてやることです。


小さなステップをこしらえ、厚い支援を行い、とにかく15個できるようにさせます。

そこで、たっぷりほめます。

さらには、その支援を少しずつフェードアウトして、今度は自分だけで出来るようになったことをほめます。

私は、こういうやり方で、不適応行動を回避していくのです。


京都の女の子に、 「それ、とってきてくれる~」 と伝えると、自分で投げたものをすぐに持ってきてくれました。

物を投げる子の場合のほとんどはこんな感じです。

投げることに、悪意はほとんどないのです。

だからこそ、きちんと教えてやらなくてはならない。


私には、お母さんのような絶対的な親子の絆というものはありません。

あるのは、意図的・教育的な愛情であるわけです。

日常生活の中では、きちんとすぐに教えてやらなくてはいけませんし、見逃してはいけないこともたくさんあります。

だからこそ私は、せめて意図的・教育的に構成された教育の場で、母にできないことをさせていただこうと考えているのです。


子どもが育つためには、深い絆に支えられた親子の絶対的な愛情と、意図的・計画的に構成された教育的愛情の双方が必要なのだと思います。

どちらがよい・悪いではなく、どちらもが不可欠なのだと思います。


ご家族から、日常生活の色々なエピソードを聞かせていただいています。

理念とか、目指す方向が食い違っていてはダメだと思います。

しかし、方法が同じであっては、真の連携にはなりません。

家庭には家庭の、学校には学校の、それぞれの機関にはそれぞれの機関の果たすべき役割というものがあるはずです。

それぞれの役割が相互に機能し合うということが、真の連携であると私は考えて言えるのです。


短い時間、限られた空間だからこそ、私の果たしていく役割は重く、そして深い物であると、私は思っているのです。



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暗闇から見えてくる 言語習得へのかすかな光 

 2010-01-08
当時保育園に在籍していた太郎君も、4月からは小学校の3年生になります。

今は、週二回、私の所で勉強しています。


保育園の年長組の時には、言語コミュニケーションがなかなか成立しませんでした。

卒園間際の生活発表会で初めてみんなの前でマイクをもって発表できた時には、私も担当保育士も、そしてご家族もびっくりして、大きな感動に包まれたものです。

その時にいただいた、太郎君のおばあちゃんの手紙は、今でも私たちの大切な宝物です。





・・・  この度の発表会に於きまして、発達障がいを伴いながらも、集団の中で、それも多くの方の前であのように行動できたことに、とても感動、そして感謝の気持ちでいっぱいになりました。

そちらに通うお子様一人一人がみんなへの思いやり優しさがあること、諸先生方の心の通い合うきめ細やかなかかわり、そして子どもたちが五感のすべてを通して学んでいる姿に、肌で感じることができました。

このような発表会を参観することができ、ありがたく涙がこみあげてきました。

これから齢を重ねていく私どもにとりましても、知識・感性・思いやりを安なっていく大切さを改めて教わったように思います・・・    

( 一部を抜粋 )
 



この太郎君、構音に多少不明瞭な点がないわけではありませんが、私との指導場面で、今では言語コミュニケートに不都合が生じることはほとんでありません。

それどこころか、私がボケると、「なんでやねん」 と、いいタイミングでつっこんでくれます。 今日いただいたお母さんのメールにも、「最近、また言葉が増えてきました」 と、うれしい便りがそえられていました。



今、私の教室に通ってくれている5歳の男の子。

立体系のパズルをやらせたらピカ一で、いつも私を驚かせてくれます。 この子の空間認知能力の豊かさは、一体どうやって形成されたのだろうと、いつもほれぼれしながら活動に取り組んでいます。


でも、現段階では、表出言語があまり見られないのです。

それと、空間認知に対して、平面認知、いわゆる図柄系の認知が極端に苦手なのです。


ところが先日、ついについに、この子の図柄系の認知のしっぽを、私、ぎゅうとつかむことに成功しました。

4月から私の所に通ってくれるようになって、23回目のレッスンで、やっとここまで来ました。


図柄系の認知の扉を開ければ、カードやパズルなどの教材を使って、ここからまず理解言語を徐々に増やしていく道筋が見えてきます。

理解言語を豊かにしていく取り組みの中で、今わずかに芽を出しかけた表出言語との接点を、少しずつ少しずつ、ていねいにていねいに育んでやればいい。

この子が、将来、どれだけナチュラルな会話ができるようになるかについてを、お約束できるだけの力量は、残念ながら今の私にはありません。

しかし、どこまでイケルかはわかりませんが、少なくともやってみたい道筋だけは、かすかではありませが、はっきりと私には見えてきました。

ちょうど、太郎君と歩んできた道の、スタートラインに立たせることができたのではないかと、私は感じているのです。

やったつかんだこの大切なしっぽは、何があっても離してはならないと、拳を強く握りしめたくなうような気持ちです。


今、私は毎回のレッスンが楽しくて仕方がない状態です。

レッスンって、こんなに楽しかったかなって、自分でも不思議に思うくらいです。


それは何故か?

理由は、はっきりとわかっています。


私が昨年の春に、自分で自分に課せた 「就学前の子どもの発達のブラックボックスの鍵を開ける」 という問いに対して、自分なりの道筋を1本、発見することができたからです。

もちろん、それは、まだまだかすかな道筋にしかすぎませんが、真っ暗闇で、それがどこに向かっているのか分からないのとは、全く違った意味をもつのです。

細いからこそ、かすかであるからこそ、そしてこれまで苦しんできたからこそ、この1本の道筋に大きな希望や期待を寄せることができるのです。

だから、だから、決してあきらめちゃダメなのです。


パズルをしても、プリントにしても、どんな問題ができたにしても、それは単なる手段にしか過ぎません。

大切なのは、その学習内容が、子どもの育ちのどこにつながっているのかが、はっきりと見えることです。


この子のアンパンマンのパズルが一つはまった瞬間に、かれんちゃんがマッチングができるようになった瞬間に、私には、太郎君の歩んできた道筋が重なって、くっきりと浮かんで見えるのです。

これで、楽しくないわけがありません。

私は、毎回のアンパンマンカードのマッチングに、壮大な子どもの育ちのストーリーを載せて取り組んでいるのです。


楽しく豊かな、学習の積み重ね。

笑顔と揺るぎない自信をもって、毎回、子どもに向き合って行きたいと、心から願っています。


うれしそうな表情でで教室の扉をおもいっきり開け、今日も楽しかったと、満足そうに帰る子ども。

その後ろ姿が、じわりじわりと、私の心にしみわたっていくのです。



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ほとばしる かれんちゃんの魅力と可能性

 2010-01-06
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かれんちゃんのご両親、年末は超多忙でのため、12月に1度も私のレッスン受ける事ができなくなってしまいました。

何が何でもこれじゃあいかん、という事になり、協議の結果、年末年始の教室のお休みの日に2回レッスンを行うこととなりました。

その期間、私は何をやっていたかというと、これまでたまりにたまっていた教材・教具のレシートなどを会計ソフトに入力し、来るべき確定申告の準備をしているのでありました。

正月返上でずっと格闘していたのですが、未だに終わらない。

そんな時に、「あけましておめでとうございます」 というお母さんの言葉と共に、新年第一号ととして一緒にやってきたのが、やっぱりかれんちゃんであったわけです。

見ての通りの笑顔、たまりませんね。




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とは言っても、指導内容自体は、決して一本調子で、何事もなく順調に進んでいたわけではありません。

むしろ、認知力・コミュニケート能力の向上に相反して、あり余るかれんちゃんの行動力をもてあまし、プログラムのコントロールが思うように行かないことが何度かありました。

やった人でないと分からないと思いますが、マンツーマン指導は、ある意味残酷です。

特に言語によるコントロールがまだ未発達な子の場合は、行動の読み解きと非言語の意思疎通=つまり、心が通じ合っていないと、指導自体が成立しなくなっています。

1時間中、泣き続けたり、物を投げていた子もいます。

このかれんちゃんだって、ちょっとしたボタンの掛け違いから、制御不能状態になりかかったことは、幾度としてあるのです。



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かれんちゃんの認知・コミュニケーション力の向上を目の当たり感じ始めてから、私は指導の場の構成を大きくシフトチェンジさせました。

私が期待していない行動を引き起こすきっかけとなるものを、指導の前にはすべて彼女の手の届かない所に整理します。

例えば下足入れは扉が開かないようにひもでくくり、事務用パソコンのある場所には入らないようにバリケードみたいなものを作りました。

そして、その日にさせたいと思う教材を厳選し、さりげなく彼女の手の届く場所に用意しておきます。

その位置や距離も結構重要で、その日の指導イメージがちゃんと浮かんだ日には、こちらから与えなくても、大体思い通りにかれんちゃんはその教材を選んで私の所にもってきてくれます。

この日、かれんちゃんが何を求め、何を学びに来たか、そして私が何を育てたいか、そのイメージがぴったりと合致したとき、活動は爆発的にヒットします。

だめなときもありますが、つぼにはまったときの集中力と、持続力、そして満面の笑顔と達成感。

これぞ、かれんちゃんの指導の最大の魅力になるわけです。




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かれんちゃんはずっと、粗大系の認知や活動が得意で、その逆に微細系のものが苦手で嫌いでした。

なので私は、時期がくるまではと、粗大系のロールプレイなどを中心に活動を組み立てていました。

ところが、この秋頃から、表出言語もふえ、アンパンマンなどキャラクターものも大好きになってきました。

以前は、アンパンマンのパズルを与えても、すぐにポイと放り投げることが何度もありました。



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ところがこの日、かれんちゃんは木製の型はめパズルを、支援つきですが、ついに最後までやり遂げることができました。

おまけに、今日初めて与えたアンパンマンのカードマッチングも、調子にのってスーイスイ

「もう1回」 「もう1回」 と、何度も何度も取り組んでいくのでした。




実は、こうなるには大切な伏線がありました。

指導を開始して10分位経った時、私の意に反して、かれんちゃんは離席して教材書庫の近くをウロウロし始めました。

かれんちゃん、きっとぽぽちゃんの人形で遊びたかったんだと思います。

オーラが出ていたのでわかりました。

私は指導席で、その行動には目もくれませんでした。


事前に織り込んでいた行動なので、そのままやり過ごして3分、その後、かれんちゃんが前回、しっかりと楽しむことができたくるくるローラーを指導席で1・2度やってみました。

この心理的な時間と、行動の読み解き、ここがプロとしての勝負所です。


結果は、まさに秒殺

かれんちゃん、1秒で吹っ飛んできました。

完全勝利です。

ここでもしも、私が目を三角にしたり、声を荒げていたら、デススパイラルに陥っていた可能性がとても強かったのではないかと推測されます。


ここから80分間、この日は完全に私のペース。

その後1度も、かれんちゃんが活動から逸脱することはありませんでした。

私はこの日、私の気持ちとメッセージを、言語で語るのではなく、くるくるローラーのタイミングで表現することになったのです。

この日は、たまたまそれがど真ん中のストライクとなったのでした。


こういうことが後手後手にまわると、何もかもがうまくいきません。

指導のセンスや、学級経営の手腕は、案外こんなところにあるのかも知れません。


こうして、私の新年第1号のレッスンは、それはそれは楽しくてたまらない最高のスタートなったのでした。

この先、色々と山もあれば、谷もあるでしょう。

しかし、アンパンマンカードのマッチングと、型はめパズルは大きいと思います。

これまで苦手だった領域の戸を、思いっきり開いたわけですから。

あれほど嫌だった固いいすにも、最後まですわることもできました。


かれんちゃんと迎えた2度目のお正月。

この子、やっぱり何かをもっています。


いよいよ私の教室も、明日から本格始動。

すべての子どもと、すばらしいスタートが切れるよう、しっかりと準備をしたいと思っています。

やる気満々の状態で明日の日を迎えられることを、とっても幸せに感じているのでありました。



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子どもの笑顔の積み重ねを

 2010-01-04
新年あけましておめでとうございます。

お子様を囲み、それぞれのご家庭で、楽しい新年をお迎えになったことと思います。


私は、昨年、多くの子どもたちと、そのご家族の方と巡り会うことができました。

そして、それぞれの課題に向かって一緒に歩んでいくことになりました。

こうした一つ一つの出会いこそが、私に力をみなぎらせ、子どもの成長や幸せのために働くことのできる喜びを与えてくれました。


夜7時に岡山の指導を終え、そのまま新幹線へ。 翌日朝から1時間ごと10名を超える指導・相談をさせていただき、とんぼ帰りで深夜帰岡。 朝7時には家を出て、県北の学校への巡回相談・・  そんな日もありました。

何よりの誇りは、どんなに体調の悪い時でも、笑顔で子どもの前に立てたこと、体調を理由に一度も指導のキャンセルを行わなかったことです。 

以前はこんな私ではなかったのです。

誰かのために、何かができると思えばこそ、立ち向かう気持ちがそこに生まれてくるのです。

そこにつながりがあるからこそ、決して折れない気持ちがそこに生じてくるのです。



私は、指導を通して、いつも子どもたちに、こんなメッセージを伝えたいと願っています。


「先生は、一生、君の先生なんだ」

「先生は、君がもっているステキな力を見つけ、きっと花を咲かせてあげるよ。そして君が、どんなにステキな人かを教えてあげるからね」

「君の幸せは、自分の中ではなくて、人と人とのつながりの中に、あるのだよ。」

「だからね、甘えちゃいけない。 勉強しなくっちゃ」

「君はね、誰かのために何かの出来る人にならければいけないんだから」


週に1度、月に1度の指導であっても、弾むような足取りで、階段を駆け上がってきてくれる子ども。

私に出来るようになったことをほめてもらいたくって、一生懸命学校や家で勉強してくる子ども。

子どものもっている大切な所を見つけ、小さくとも1歩1歩進んでいく営み。

子どもが自らの足で歩み、自らの瞳で方向を見据えるその日まで、私はご家族と共に役割を果たしていきたい。

育てるということ、支援するということを、私はこんなふうにとらえているのです。


人と人とがつながらないでいて、

自分が他から必要とされないでいて、

どこに子どもの幸せがあるというのでしょうか?


私が子どもたちとつながることによって、幸せを感じ、自分の役割を確かめられたように、子どもたちにも、私とつながることにより、幸せを感じ、自分の果たす役割を確かめてほしいと願っているのです。

これは、ご家族の方にもお願いしたいことです。


遊園地で遊ぶより、先生の教室へ行く方が楽しいと子どもが言います。

私にできることは、限られています。

1回1回の指導に真心を込めて取り組み、子どもに心からの笑顔を輝かせることです。

その積み重ねにより、子どもは変わっていくものと信じています。


さあ、今年も、昨年以上に、時間的にはハードな状況に立ち向かっていくことになります。

昨年1年の実践をもとに、自分の活動を総括していく仕事もしていきたいと思っています。

今年も、どうぞよろしくお願いします。



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