月2回の指導が 子どもと ご家族にもたらしたもの

 2009-12-28
学期末になり、学校に通っている子どもは、それぞれ通知票をいただき、個人懇談で学校での取り組みや成果などを伺ってきたようです。

多くのご家庭、多くのご家族の方から、昨年度までのことがうそのように改善されたというお言葉をいただきました。

そんな中、先日、あるお母さんから、下記のようなメールをいただきました。






いつもお世話になります

無事に二学期を終えることができました

終業式のあと 学期ごとのケース会議を開いていただき 支援学級担任 4年担任 理科教科担任の先生方に色々とお話を聞くことができました

成長した所 もう少し頑張ってほしい所 色々な課題はありますが 以前のように心を閉ざしてしまうことは 全くないとのことでした

成長の遅れはあるものの 4年生のなかでも 自分なりの目標に向かってがんばることができているそうです

学期末に 理科・社会のテストを数枚持って帰ってきましたが 80点 90点といった立派な成績を持って帰ってきました

何より空欄がないことが素晴らしく なんとか答えに結び付けようと一生懸命記入した跡がみえました

学習した内容をおおむね理解できて答えとして出せることがわかってきました

これはSHINOBU先生と一緒に国語の文章問題を学習した成果ですよね

ABC判定の成績をつけるなら 社会はB 理科はAをいただけるそうです

3学期もこのままの形で学習を続けていくことになりました

前回 SHINOBU先生に 漢字の読みプリントを指導していただきましたね
それを見て もしかしたら…と思い 2年生の漢字ドリルを購入し 読み部分だけをしてみた所 8~9割くらい正確に解答できたのです!

SHINOBU先生の所で似たプリントを先にしていたためか 家庭での学習にも全く抵抗がありませんでした

SHINOBU先生と学習したプリント 家庭で学習したドリルをケース会議で先生方に提示したところ 正直びっくりしていましたよ

まさか この子ががここまで漢字が読めると誰も思っていなかったのです

この時3人の先生方 目つきが変わりましたね

三学期が楽しみになりました

SHINOBU先生と学習した数枚のプリントが 先生方の心を変化させたようです

冬休み中に 無理なく三年生の漢字ドリルも試してみようかなと思っています

しかし年度が変わり 5年生になっても今の状態を続けていけるとは思えません

学校側には 来年度も同じ体制でお願いしたいと伝えてきました

今の私にできることはしてきたつもりです

この子、月に2度の学習で SHINOBU先生に種をまいてもらい それを学校や家庭の中で 芽を出せるようになっていたんですね

今年一年お世話になりました

来年も色々な種をまいてもらえることを楽しみにしています






本当にうれしいメールをいただきました。

苦しい局面で私のところに来られた方は、私のところに来られた時点で、もう何か改善に向けての一歩を踏み出されていた方がほとんどです。

私は、支援者として、その事をご一緒に確かめていく営みをさせていただいただけに過ぎないと思っています。

このお母さんは、うまく私の指導を活用され、この1年で状況を大きく改善されていきましたね。

子どもが変わるケースの、一つのモデルとしてご紹介できるのではないかと思います。


この子は、依然、書字は苦手です。

ずっと以前のことですが、このお母さん、「この子の心を痛めたのは私、もう無理なことをさせたくない」 と、目に涙をいっぱいに浮かべられていました。

当時は、この教室で、わずかな枚数のプリントをしただけで、とても驚かれていました。

しかし、アウトプットは苦手でも、ちゃんとインプットできていることが多く、継次性の能力にも、とても優れたものを感じていました。

これを使わないテはない。

毎日学校で、単調なひらがなの書き取りばかりさせられていた子に、様々な試行錯誤の後、読解的なプリントをメインに取り入れたのは私です。

長所活用型の指導としては、ごくごく当たり前のアプローチをしただけです。

もちろん、小さなステップで、少しずつ階段を登らせていきました。

1枚・また1枚とファイルにプリントを綴じていく度に、まちがいないイケると、この子の可能性をはっきりと感じ取れるようになりました。

そうした中、お母さんは、ご自身の手で通常学級での交流学習の実現のために、何度も何度も学校への交渉に足を運ばれるようになりました。


この子は、私の教室に来始めたころは、愛着行動としてのハンカチが片時も、離せないでいました。

いつの間にか、そのハンカチはどこかに行ってしまい、今では子どもらしく、生き生きと、本当にたくましい子に成長し、山の学校の副室長に立候補するまでになりました。

と、同時に、これまでお伝えはしませんでしたが、私は、お子さんよりお母さんの顔の方が、よっぽど変わったと思っていました。

本当に、凛とした、豊かな表情に変わっていかれました。


このブログは、「発達面の課題に向き合うご家族の 学び・子育て応援サイト」 とさせていただいています。

それは、子どもを変えるのは、支援者の私ではなくて、主体者のご家族であることを、体験的に知っているからです

しかし、ご家族が主体者であることと、たった一人だけすべての事を背負い込むことは、決して同じものではありません。

私はこれまで、こうしたご家族が、どれほど大きく重い課題に、真摯に、そして孤独に立ち向かっていかれたかを目の当たりに見てきました。

主体者として歩んでおられるご家族あればこそ、そこには共に歩むパートナーや支援者が必要であり、不可欠であるというのが、私の仮説であり、信念でもあるわけです。

私の活動の根っこは、すべてここにあります。


私は、親に変わってその子の学びや育ちを請け負うことは出来ませんが、しかし、一度入会されたら、その子の一生の担任になるのだと考えています。

何があっても、一定の成果を、子どもの成長と笑顔でお返しせねばと思っています。

それができないのであれば、教室の存続はできないと考えていますし、その積み重ねで今があるのだと思っています。


では、具体的な支援はどうあるべきか?

この子との月2回の指導も、そのまた一つの形だと思っています。


方程式は、どこにもありません。

私とご家族は、その事を見つける旅路を、いつも一緒に歩んでいるわけですから。


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親の何が子どもを育てるか?

 2009-12-25
私は、1日に何組ものお子さんとご家族に出会います。

毎週出会うご家族もあれば、月に1度のご家族もいらっしゃいます。

多いときは、1日に、次から次へと12組もの子どもとご家族と向き合います。

私は、天才でもスーパースターでもない、ただの凡人ですが、同じ場所で、次々と、たくさんのご家族に向き合うと、たまには、私にしか見えないことも見えてきます。


今日、オーストラリアから1時帰国されているお子さんの指導をさせていただきました。

前回の相談を受けての、初回指導です。

パズルの得意なお子さんです。 図柄よりも、形で攻略していくタイプのお子さんです。

色の認知も、しっかりと形成されていました。

言語コミュニケートが、今のお母さんの最も大きな願いの一つになっています。

いつまでにどうこうということは申し上げにくいのですが、正直、チャレンジしてみる糸口はあるのではないかと思いました。


私がこの子に注目したのは、表情のやさしさです。

伝えにくさ、わかりにくさがあるのなら、もどかしい場面も困難な場面もないわけではなかったであろうに、表情から、とってもあたたかい気持ちが伝わってきます。

天性のパーソナリティーというものもあるでしょう。

ですが私は、これぞ、このお母さんが育んでこられた何よりの宝ものであると、思わずにはいられないのでした。


エビデンスは、何も提示できません。 (本当はあるのですが・・)

でも、このことはきっと外れていないと思います。


数値化されること、デジタル化できるものは、大量生産が可能です。

しかし、職人技など、高度な専門性を要することは、数値化することはできません。

ましてや、子どもの育ちに関わることは、基本的には、長い長い文脈の中でていねいに読み解いていくしかないのだと私は考えています。

そういうスタンスで日々子どもとご家族に向き合っているからこそ、このご家族の何が子どもを育てているかが、時々くっきりと浮かび上がって見えるときがあります。

なるほど、このお母さんだから、こんなにステキな表情なんだと、ピンと来る場面がいくつもあるのです。


お子さんにとって重要な課題に向き合っていく場合、親としてはどうしても 「あれもできない」 「これもできない」 という発想になりがちです。

真剣度が MAX なわけですから、ある意味それは仕方がない事ですし、そうでなくっちゃいけないと思います。

だからこそ、そんな時に必要となってくるのが、少し冷静に、客観的に、大切なことを確かめてくれる支援者の存在です。


お子さんも、ご家族も、出来ないことを少しでもできるようにとチャレンジしていく姿勢は重要です。

その姿勢が、子どもをぐんぐん成長させていくのです。

でも、いつも 「ここまでおいで カウンター」 や 「ここまでおいで ものさし」 ばっかり使っていると、大切なことが見えなくなってしまうことだってあるのです。

時には、「こんなんにできたよ ものさし」 や 「あなたは、すてきよ光線」 も必要なのです。


私は、まちがいなく、このお母さんの 「あなたは、すてきよ光線」 が、この子をここまで育ててきたのだと思います。 それがあったからこそ、この子は、私の教室で、いくつかの学習に取り組むことができたのだと思っています。

私は、その大切さを、何としても私の口から、オーストラリアから来られたこのお母さんに伝えたいと思いました。


「そういえば、去年の今頃とは、全然変わってきました。」

「でもね、どうしても何とかしなくちゃっていう思いばかりが先行してしまって・・」


一時帰国の間、数回の指導で、大きな効果が期待できないことは、わかっています。 でも、もしかしたらこのことで、何かの鍵が開かれることにつながるかも知れない。 すこしでもそこに可能性があるのなら、日々の時間をずっとずっと大切につかっていきたい・・

初めていただいたメールには、そのような内容が記されていたと記憶しています。


親の何が子どもを育てるか?

そう言えば、今日はクリスマス。

答えはすべて、お母さんの言葉の中に、あるのです。

アンパンマンで ひらがなを教える

 2009-12-24
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昨日、あるお母さんから、以下のような内容のメールをいただきました。

今年9月から通ってきてくれるようになった、4歳の男の子のお母さんからのメールです。





(メールの一部を抜粋)

それから、ご報告ですが、(子どもが) 家で私にひらがなを教えてくれました。

あ (アンパンマン) か (カレーパンマン) し (ショクパンマン) れ (レモンちゃん) ん (バイキンマン) は、完璧に分かっているようです。

ひらがなが読めるのは、まだまだ遠い先の事だと思っていましたが、先生のカードすごいですね(>д<)





何気ない、たったそれだけのメールです。

昨日の朝、私は、このメールを大阪のホテルの中でで読みましたが、思わず 「よっしゃー」 と、その場でガッツポーズをとってしまいました。

図柄が認知できるようになった子に、どのように文字をつなげていくか?

「ひらがなつみき」 「パソコン」 「文字はめカード」 「プリント」 など、私はこれまで、ありとあらゆる方法で、この事にアプローチを続けてきました。


何十人という子に、いろいろな事を試し続けて、最近特に手応えを感じているのが、このアンパンマンカードです。

アンパンマンの画像を、サービスサイズの写真に加工し、ラミネーターをかけた、たったそれだけの代物です。

ひらがなの文字がでかいのと、何枚でも必要に応じていつでも印刷できるという所がミソです。


提示の仕方は、お子さんの発達レベルに合わせて、微妙に調整します。

例えば、初期の段階では、このカードで、同じアンパンマンカードをマッチティングできればそれでOKです。

それこそスモールステップで、お子さんの実態に合わせて、2択にしたり、3択にしたり、4択にしたりします。


マッチングができるようになってきたら、提示するときに、「アンパンマンのあ」 などと、聴覚性の刺激を入れていきます。 アンパンマンの図柄と等価の意味をもつ 「あ」 という文字を意識させるためです。

そして次の段階では、アンパンマンはどれ? というようにポインティングさせます。

はじめは、「アンパンマンはどれ?」 と尋ねますが、いじわるなSHINOBU先生は、いつの間にか 「アンパンマンはどれ?」が、「あ はどれ?」に変わっていきます。

さらにいじわるなことに、だんだんとひらがなだけで、アンパンマンの絵柄が見えないようにして、カードを提示したりするのです。

しまいには、それが 「あ」 という文字だけになります。

こうしてこの子は、「あ」 というひらがなが、アンパンマンの 「あ」 を表す文字であるということを習得していきます。

やがて、アンパンマンのカードに、瞬時に 「あ」 というひらがなをはめ込む子どもに育ちます。


まさに、いつも私が行っている、スモールステップ + プロンプトフェーディング法 (段階的支援除去法) に、アンパンマンカードを利用しただけのことです。


私は時々、アンパンマン図鑑で、キャラクターの名前を勉強しています。

これを知っているのといないのとでは、子どもと共有できる世界の幅が全く変わってきます。

コミュニケートする中身を共有するのに、アンパンマンほどふさわしいキャラクターはないと思っています。

しかも、市販の教材もずば抜けて豊富です。


おまけに、この教室で学んだことを、アンパンマンのテレビのビデオやおもちゃで遊んだりする度に、思い出すのです。

子どもの今が見えているということは、それだけ重要な要素となるのです。

それが、こだわり系のお子さんなら、なおさらです。


私は元々が小学校の教員ですから、幼児期の教育経験は決して多い方ではありません。

ここを論理やテクニックではなく、まっさらな子どもに向き合うことからスタートしたのは、正解だったかもしれません。


ゴルフに、あがってなんぼ、という言葉があります。

そのことを私の指導に置き換えるなら、どんな論理よりも、子どもの育ちがあってなんぼ、ということみなります。


「先生の、カードすごいですね」

どんなほめ言葉よりも、私にはうれしく感じました。


この子は、文字を使った豊かな世界の第一ページを、今開けようとしているのです。

そこに立ち会える私は、何よりの幸せ者です。

さあて、次はこの子のためにどんな教材を作ろうかしら・・

願いのこもった、血の通った教材だからこそ、生きた指導が出来るというものです。


作っている最中に、子どもの笑顔が見えてくるときがあります。

教材はあくまでも材料です。 材料だけ真似ても、子どもが育つとは限りません。

子どもの頭の中が透けて見えるようでないと、小さな変化にたちまち対応できなくなって、それっきりになってしまいます。

そこに見えているものは、実は学びと育ちの本質ということなんだと思います。

教材に血が通うというのは、そういうことなんだと思います。




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学校の教材費が乏しい理由

 2009-12-22
私は、教員時代に、担当者として、2つの小学校で特別支援学級 (当時は特殊学級) の創設に直接かかわりました。

この予算の取り方にはコツがあって、今から思うと破格の予算をいただき、私が設計した教室設備は、当時どの学級にも負けないものが出来ました。

しかし、教材を購入できる費用はとても満足できるものではなく、しかも指定業者からの購入が義務づけられていて、100円ショップで買えるようなものにも、結構な見積もり価格がついていました。


今、私たちが経営している保育園では、音体指導、英語、和太鼓、プール、硬筆など、外部からその分野の第一人者を講師として招聘しています。

このプロフェッショナルな指導は、子どもだけでなく、若く意欲のある保育士を大きく育てます。

ある時、公立小学校の校長先生が見学に来られ、どこにそんな予算があるのかと、目を丸くしていました。

答えは、簡単です。 公立は人件費が、高すぎます。

仮に11人でやっている仕事を、10人でまかなうことができれば、1人分の人件費が浮きます。 その人件費があれば、優秀な外部講師を余裕で招聘することができます。 そのどちらが子どもの最善の利益につながるかの判断を、私立の場合は園長や校長が行うことができますが、公立の校・園長にはそんな権限はありません。


この1年で、私の個別指導教室には、予想をはるかに超えるたくさんの子どもが通ってくれるようになりました。

みなさんにご負担いただいた月謝で、私が特別支援学級で自由に購入できた1年の教材費と比べて、その何十倍(何百倍?)もの費用を自由に教材費として使うことができました。

研究助成でいただいたお金も、すべて教材・教具の購入や研修費に充てました。

私の教室の教材書庫には、幼児期の教材から私立有名小・中学校入試対策問題まで、ほぼほしかった教材が揃いました。


もちろん100円ショップにも、何回も足を運びました。

おもちゃや教具も、教室に来られた方が 「ずいぶん揃いましたね」 とびっくりされることも多くなりました。

それより何より、子どもがやりたいと言った学習には、「ちょっと待ってね」と言って、すぐに書庫から取り出すことができることのが、最高の喜びです。

公立の先生方が自費で購入している研究用図書も、アマゾンで即購入できます。 しかも、代金を必要経費で落とすことができます。

「ここは、子どもの夢を叶える城」

もうけもありませんが、借金もありません。 健全経営です。

積年の夢を、とうとう私は実現させることができました。


公教育には、公教育の果たすべき大切な役割があります。

しかし、第三セクターのテーマパークや、箱物行政に象徴されるような、疲弊した組織構成を改革していく流れは必要だと思います。


子ども第一主義という言葉があります。

個別指導のための支援員、

「予算がつきませんでした。」

ひたすら波風を立てない現状キープ第一主義の校長先生なら、それで終わりです。

公務員は、現状キープすれば、実績も給料上がっていきます。

職員の人間関係や、組合との折り合いも付くことでしょう。

既得権をキープし、職場を安定させることができる力を、校長に求める流れが一方にあります。

学校は、信じられないほど多くの役割を担っているのが現実です。

何でもかんでも受け入れていたら、パンクしてしまいます。

新しいことをしようとすると、どこかに負荷がかかるのは、当然ですから。


しかし、子ども第一主義の校長なら、命をかけている校長なら、個別の教育的なニーズのある子どもに対して、先生方の空き時間のやり繰りや学生や地域のボランティアなども積極的に検討されることでしょう。

何を差し置いても、子どもたちに豊かな学びを!

私は、そんな校長先生に多く出会ってきました。


先生の給料ばっかり高くて、貧弱な教材・教具。

教えるということに専念できない教育現場。


子どもたちのためにも、公教育としての役割を果たしていくことは、何よりも大切だと思います。

と、同時に、成果主義や校長のリーダーシップ、民間の活力導入など、大胆な改革も必要だと思います。

特に、支援の必要な子については、初等教育の果たす役割は生命線です。

何を最優先すべきか、答えは明確なはずです。


現状キープ第一主義ではなく、子ども第一主義で、強い責任感と指導力のある校長先生。 こういう校長先生に、予算や人事権など大胆な権限を与えてください。

やってできないことはないはずです。

子どもたちの未来は今、こうした先生の手のひらの中にあると思います。



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成功するスモールステップと そうでないスモールステップ

 2009-12-21
私のところに通ってきてくれている年長クラスの男の子、

言語性のすばらしい力をもっていて、まだ就学前なのに、1年生の読解プリントを次々と制覇していきます。

字もちゃんと書けます。 数も計算も、大得意です。

しかし、形を認知することは苦手です。 字はちゃんと書けますが、手先が器用ではないタイプです。

就学前に、1年生の2~3学期の読解プリントを楽々こなす彼ですが、パズルは苦手で、50ピース程度のものにも四苦八苦しています。


先日ご相談に来られたオーストラリアの4歳の男の子の場合は、形優位の認知です。 この子の場合は、一つのピースをつかむと、バラバラでも、これはココ、これはココ、と次々にはめ込んでいきます。 言語はあまり得意ではないのですが、あっという間にパズルを完成させ、私は正直、とても驚いてしまいました。


私は、基本的には長所活用型指導ですから、それぞれの得意な所をを生かす指導を組み立てていくことになります。

形が苦手で、言語優位となると、当然そのことを生かした指導に取り組んでいきます。


先日トライしたパズルは、電車のパズルでしたので、まず 「500系のぞみの車両はこのへん、山手線の車両はこのあたり」 といった見通しをもたせます。

文字や数字が読めるのですから、ピースに文字が書いてある場合は、それで上下左右が特定され、反対に向けて混乱するリスクを軽減できます。

また、最初のことはなるべく端から順々にピースを渡し、なるべく自分の力ではめ込むことができるよう支援します。

この近くのどこかにはまるはずだと思いながら取り組むことにより、集中力が高まります。

苦手だったはずのパズルが、私と一緒ならできるので、楽しいし、達成感も自信も身につきます。

それより何より、子どもですから、刺激を与えれば、苦手ながらも、必ず伸びます。

一番おそろしいのは、「ぼくは、パズルが嫌い」 となって、取り組むことを止めてしまうことです。

こういうことが続くと、だんだんとマイナスのスパイラルに陥ってしまいます。


パズルをする時、私たち大人は、端っこのまっすぐな部分を先に選んで、まず枠組みの部分を先にはめる方法をよく使いますが、この子の場合は、そのまっすぐな形自体がわかりにくいので、さほど効果的な支援にはならないのです。

このあたりののメカニズムが分かっていないと、支援が支援にならないのです。


私は、ブログにはなるべく成功例を紹介するようにしていますから、支援が百発百中で成功しているような印象をもつかたもおられるかも知れませんが、実態は百発百中でも何でもなくて、失敗の連続で、悪戦苦闘の日々をおくっているわけです。

先日、2年生の男の子の九九支援で、ごく一般的な 「九九表」 を用意しておきました。

「わからない時には、これで調べてごらん」 と、自信満々で用意していたものです。

事実、別の子の指導ではとてもうまく行ったのです。


ところが、この子にとっては、実はこの 「九九表」 の方が、何だかごちゃごちゃして余計分かりにくいものだったわけです。

いつもは楽しいはずの私との勉強の時間が、結局その九九の勉強で台無しなってしまい、彼のマイナス発言の連続で、めったに怒らない私が、とうとう怒りを爆発させ、最悪のスパイラルになってしまいました。

朝早く遠隔地から連れて来てくださたご両親に、そして、何よりこの子に本当にすまないことをしたと、深く反省しています。

この事は、何としてでも次回以降の指導に生かしていかなければ、申し訳が立ちません。


個別指導にすれば、行き届いた教育が行えるというのは、幻想です。

それと同じように、何でもかんでもスモールステップにすれば成功するというものでもないわけです。


学びの本質と、子どもの今が見えてこそ、限りなく未来に続くスモールステップの階段が目の前に現れてくるわけです。


どんなに小さなあゆみでも、そこに続く確かな未来があるのなら、どんな苦労でも乗り越えていける。

ご家族の切なる思いを受けながら、私は今日も、精一杯子どもと向き合っていくのです。


容易ではないことは、百も承知ですが、決してあきらめたり、歩むことを止めてはならないのです。

たとえどんなつまづきがあっても、前へ進むことができれば、必ず道は拓けていきます。



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この子を育ててみたいという熱い気持ち

 2009-12-18
昨日からやって来た大寒波。

岡山県でも県北では、雪が降っているようです。

その県北から高速を使い、11月から通ってくれるようになった5歳の男の子がいます。


あまりエネルギーが前面に出るようなタイプではなくて、ポツリポツリと話すようなタイプです。

今日が3回目の指導の日でしたが、わがままを言ったり、何かを要求したりすることはあまりありませんでした。


最初の1~2回は、どの程度の認知・理解力があり、どの程度のコミュニケーション力があるか、手探りでの指導を行いました。

例によって、取り組みやすい課題から順々に提示していきます。


ひらがなも、ちゃんと読めます。

数認知力も高く、10以上の数も誤りなく数えることが出来ます。

こうした活動を続けているうちに、私は、この子が私が予想していたよりも、かなり高い能力をもっていることに気がついてきました。


「この子、遊ぶより、ちゃんとここで勉強したいんだ」

不思議なもので、そう思ったとたんに、歯車が噛み合い、コミュニケーションレベルが急に向上していきました。

机に向かい合った私とこの子との間に、だんだんとあたたかい気持ちが流れ込んでいくようでした。

ちょっと前まで、とっつきにくいと思っていたこの子を、私は大好きになってしまいました。


お母さんが、私の教室に連れてきてくださるようになったのも、関係機関で何某かのリスクを指摘されたことがきっかけとなったようです。

たしかに、集団の中ではちょっと理解されにくい部分もあるかも知れません。

この子の特性理解に基づいた適切な支援が必要な場面もあるでしょう。

そのことは、私も理解しているつもりです。


しかし、私が目を輝かせたのは、この子のポテンシャルの高さです。

この年齢で、まだ3回目だというのに、プリント学習だけで十分45分もちます。

というか、指示や助言が小気味よく通り、時間さえあれば、いくらでも学習を進めていけそうな勢いです。


リスクを精査することと、期待や夢をもって取り組んでいくこと。

それぞれに大切な役割があります。


ですが、子どもを育てるのは教育の役割であり、奇跡を起こすのも教育の営みです。

イケルかも知れない、やれるかも知れないという気持ちで取り組むことと、

ダメかも知れない、無理かも知れない、と取り組むことの、どちらが子どもを育てていくのでしょう。


結果は、子どもが出してくれます。

それを選択するのは、ご家族です。


子どもには、それぞれの育ちの物語があり、発達の文脈があります。

私は、ただただ子どもの幸せと成長を願う存在でありつづけたいと思っています。

どうか、ご家族には、いくつかの選択肢の中から、お子さんに最善なものを選んでいただきたいと思うのです。


私の教室にご縁がある方もいるでしょうし、そうでない方もいるでしょう。

たとえどんな形になろうとも、ただただその子の健やかな成長と幸せを応援させていただきたいと願っています。


目先の効率や、姑息な手段を使っても、得るものはたかがしれています。

どんなにちっぽけな営みであっても、心だけは、私は王道をまっすぐに歩んでいきたいと思っています。

その思いの真剣さをなくして、心からのご家族の信託は得られないと考えているからです。

教育とは、ご家庭との信頼を基盤として成立する営みなのです。



寒風吹きすさぶなか、「今度またいっしょに勉強しようね~」と、私はその子に手を振りました。

前回、とっつきにくく見えたその子の顔は、今日はとっても輝いたものに見えました。

心に通い合うあたたかいものを、そこに感じることができました。


君は、どれだけすばらしい力をもっているんだろう、

私は、この子を育ててみたいという気持ちで、胸がいっぱいになりました。

教育の原点が、ここにあるのです。


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ほら、やっぱり私も幸せ者です♪

 2009-12-17
私がこの活動を始めてから、これまで多くのご家族の方のお話を伺ってきました。

最初は、ご縁があるごく身近な方のご相談を伺ったことがきっかけでした。

一人・二人とその輪が広がり、この1年で50以上のご家族とお付き合いをさせていただくことになりました。


「この子が生まれた時、真っ暗な部屋で、我が子を抱きしめ、ずっとずっと泣き続けていた・・」と、伝えてくださった、一人のお母さんがいます。

その子はもう、小学校の高学年になろうとしています。

ダウン症の女のお子さんです。 通常学級で学んでいます。


この1年の間、不定期ではありますが、何度かそのお子さんの指導をさせていただく機会がありました。

確かに、学力面での課題はあります。 しかしこの子には、他のどの子にもないはじけるような躍動感があります。

命の輝きと、社会性が育っているのです。

早い話、計算はできなくとも、パソコンの操作はでき、接客もできます。

この子のが店員なら、品物は、きっと通常より売れるのではないかと思います。

この輝きは、普通ではありません。


「ほら、やっぱり私も幸せ者です♪」

そのお母さんからいただいたメールに添えられた言葉に、私は強く心を打たれました。


真っ暗闇の中で、我が子を抱きしめて泣いておられたお母さん。

その後、幾多の厳しい状況を乗りこえながら、我が子をここまで育て上げたられました。

それが、半端なご苦労ではなかったこと、そして今でも幾多の課題に立ち向かっておられることは、私も理解をしているつもりです。

しかし、幸せというものが、ある状態を指すものではなく、その心のありようを指すものであることを、今更ながら深く感じるのでありました。


出来ないことが出来るようになることは、とても大切なことです。

ですが、出来ないことをただ嘆いているだけでなく、今出来ることの価値を確かめ、それを膨らませていく営みも、決して忘れることがあってはならないと、私は思うのです。

大切なのは、その子の豊かな人生なのであって、例えば計算が苦手だからといって、その子の人生自体が台無しになるわけでも何でもないわけです。


出来ない事を、少しでも出来るようになれと、強く強く願うことも、親にしかできない大切な役割です。

だからこそ、心の中に少しだけ、大切なのはこの子の幸せや豊かな人生であって、言語や数量・コミュニケーションは、そのための手段にしか過ぎない、という気持ちも、心の片隅にはしまっておいて欲しいと思うのです。


ついつい気持ちだけが先行して、子どもの心を痛めてしまった事はありませんか?

子どもの心を痛めることを、奨励しているわけではありません。

でも逆に、私は、そんな一生懸命なお母さんが、実は一番ステキなお母さんだと思っています。


私は、このお母さんをはじめ、多くのご家族が命を削る思いで伝えてくださった大切なことを、これからのご家族と子どもたちのために受け継いでいくことが、自分自身の何よりの努めであると考えています。

「私のパワーは、SHINOBU先生のおかげです」 と、おっしゃってはいただいていますが、実はエネルギーをいただいているのは、私の方なのです。


車の中で、「ママは私の宝もの」 そう、笑顔で話す子ども

これ以上の幸せが、一体どこにあるというのでしょう。

そのすべてはきっと、ご自身の心の中にあったのだと、私は感じているのです。


先ほど、オーストラリアの幼稚園やスペシャルスクールで療育を受けておられる4歳のお子さんの相談をさせていただきました。

一時帰国の機会を利用して、私の所に来てくださいました。

お子さんも、そしてお母さんも、笑顔のすてきなすばらしいごご家族でした。

私も、この相談を通して、たくさんの大切なことを学ばせていただきました。

この一時帰国の機会を利用して、何度か一緒に遊んだり、勉強したりできればありがたいなと思っています。


また一つ、まだ細いかも知れませんが、大切な糸がつながってきたのかも知れません。

生涯を左右するような大切な出会いも、最初はほんの小さな出会いからスタートをしたはずです。

そこにしっかりとした意思があるからこそ、道は拓けていくものです。


お子さんにとって、未来につながる大切な道も、それはきっとお母さんの心に中にある大切な真心から、すべてはスタートしていくのです。



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待つタイミングと支えるタイミング

 2009-12-15
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上の画像は、あるダウン症のお子さんの、先日の指導場面の様子です。

今、私の指導しているお子さんの中でも、最も手応えを感じているお子さんの一人です。

認知・言語・コミュニケーション・行動など、あらゆる面でメキメキ伸びてきました。


でも、よくご覧になるとお気づきになると思いますが、それぞれの場面は、うまく行っている場面ではなくて、実は困っている場面なのです。

今回は、あえてそう言う場面をアップさせていただいたのです。


一番上のカラーボールの課題、

私はこれまで、何人ものお子さんの活動場面を見つめてきました。

その活動を通して分かってきた事、

それは、課題の意図がわかる瞬間は、必ず子どもが、自分から自分の誤りに気がつく瞬間だということです。


例えば、子どもが無意識に青のボールを黄色の棒に差し込んだとします。

ご家族の方がそれをご覧になっていた場合、多くの方が、すぐに 「それは青よ」 と助言して、正しい青の棒の位置をすぐに教えようとされます。

でも、ここで3秒待ってみたら、子ども自身が黄色の棒に青がささっているのを変だと気づき、自分で正しい位置に戻すことがとても多いのです。

この3秒のウエイティングは、それほど簡単ではありません。

いつでも待っていればいいというものではありませんが、ちょっと心のどこかにその意識を残していただくことは、決して子どもの不利益にはならないと思うのです。


先日、初めて私の教室に来たお子さんが、このカラーボールで遊んでいました。

お母さんが、心配そうな表情でご覧になっているので、

「ちょっと待って見ていてください。誤りにお子さんが気がついて、正しい位置に変えるかも知れませんよ」

と、お伝えした瞬間、その子は見事に自分で正しい位置に戻し、そのお母さんはとても驚かれていました。

やっぱりな、と私は思いました。


私は、同じ教材の、何百という指導の経験を通して、子どもの見え方・わかり方・育ち方が、何となくではありますが、徐々につかめてきています。

私の指導では、子どもに達成感をもたせるために、つまずきを事前に予測し、細かい手だてをいくつもうちます。

このカラーボールの課題でつまずく子は、15個という数の多さに集中力が続かない場合が多いようです。

大人にとっては、何てことはない15個は、その子にとっては、とてつもなく多い数に感じていることもあります。

大人だからこそ、そう言うことが見えにくくなってくるのです。

ご家族による指導のむずかしさがここにあります。

こういうケースは、9個と6個の二段階に分けて、課題を提示すると、たいていの場合うまく行きます。

調子の出てきたところで、その支援を徐々にフェードアウトし、今度は一人で15個できるようになったことを強化してやればいいのです。

分かってしまえば簡単だし、理屈に直すとそれだけです。

でも、現実の場面で、本当に子どもが見えるというなら、指導の手だてに困ることはありません。

私に子どもの行動の一つ一つをきちんと読み解く才覚が本当に身についたなら、今よりもずっとずっと行き届いた指導が可能となってくるはずです。


一番上の画像は、1個しかない赤のボールをオレンジの棒にさしてしまい、2個あるオレンジのボールがさせなくなって困っている場面です。

これで、赤のボールをはずすことが出来れば、最高なのです。

その下の場面では、天どんマンの位置に迷っています。

一番下の場面では、くだものペアペアパズルで、ぶどうの切片に、メロンの切片を合わせようしています。


この子のように、伸びが顕著な場合には、余計な支援は行わず、じっくり考えさせ、誤りに気がつくような時間を保障します。

この子の場合、それが出来るレベルに育ったということです。

あえて言うなら、まちがいが多いほど、伸びるレベルに近づいてきたということです。

この子の今が、まさにそのレベルなのです。

その表情に、あれっという気づきが伺えたら、いわゆるAHA体験、分かった瞬間、脳内ネットワークが構成された瞬間となるのです。

個別指導、最高の瞬間です。

すべての活動は、この一瞬のために行っているのです。


待つも支えるも、子どもが見えていればこそ出来る芸当です。

子どもにとって、何かが出来るようになる程の喜びはないのです。

遊園地で遊ぶより、私の教室で勉強したいという子はたくさんいます。

朝から、まだかまだかと、教室に来るのを楽しみにしている子も多いようです。


その願いを信じ、育むのが指導者の役割です。

じっくりじっくり育ててきて、分かるのは一瞬です。

本当に分かったら、決して後戻りはありえません。

形だけの分かると、本当に分かるとの違いはここにあります。


大切な事をしっかりと見据える目

それこそが、待つタイミングと支えるタイミングの判断の基準になるのです。


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我が子の就学という局面で 培っていく大切なこと

 2009-12-14
今年も、小・中学校への就学について、いくつかのケースで関わりをもたせていただいています。

その多くは、通常学級か、支援学級かの選択について、一緒に考えさせていただく営みでした。

ほとんどのケースで、その選択についての最終局面を迎えられたようです。


学校は1年を単位として、担任の先生を中心として、当該学年の学力を育てるということについての責任を背負います。

ですから、発達について何らかの課題があるお子さんの場合は、よりきめ細やかな指導のできる支援学級を最後まで勧められるケースがほとんどでした。

当該学年の学力保障するという点からは、ある意味当然のことであるかも知れません。


ところが、支援級に入れば、必ず学力が保障される、必ず通常学級以上の教育的価値が保障される、というものではありません。

物事には必ず影の部分があるわけで、そこで学校教育に何を期待するか、というご家族の判断と決断が必要となっていきます。


あるご家庭では、次のような内容の文章を作成して、学校とのご相談にあたられました。





ー 普通学級在籍を希望します ー  

支援学級に入れたくないから普通学級を希望しているわけではありません。娘に普通になれとも、普通扱いしてほしいとも思っていません。ただ、娘は普通学級の中で一番伸びると思っているのです。娘の世界が少しずつでも広がり、無限の可能性を新手笑顔で学べる環境を求めています。

学校での勉強は、文字の読み書きや算数の計算など 「学力」 にかかわることだけではないはずです。

友達と話したり、遊んだり、一緒に生活することそのものが学習です。 たとえ学習面で遅れがあっても、周りに友達がいることで刺激をたくさん受けて、ことばのシャワーをたくさん浴び、知識だけではないたくさんのことを学んでいくことができるのだと思います。

この先、ずっと普通学級を考えているわけではありません。学年が上がるにしかがって、何が最適かを見直し、子どもが通って楽しい場所を見つけていくつもりです。

ただ、たとえ数年でも、普通学級で過ごした経験が、将来の大切な財産になると信じています。

何事もできるようになるには、時間がかかりますし、多くの失敗と人一倍の努力が必要です。

そして、もう一つ必要なものは 「お手本」 です。
そのお手本はやはり大人ではなく、同じ子どもであることが娘にとっては一番なのです。

同級生にも同じ環境で生活することによって、娘への接し方などを子どもたち自身で身につけて欲しい。それは、きっと大人が教える方法よりも、はるかに現実的で、娘にとっても快適なものであると思います。

社会の一員として、集団の中でありのままの存在を知って、受け入れてもらうことで、その場所にしっかりと居場所があるということは、娘が最も輝ける条件なのだと思います。

障がいをもっていても、娘は無限に発展していく可能性をもっています。

どこまでどのように成長していくのか、その可能性の機会の場をもたせていただきますよう、よろしくお願いします。


 ( 内容の一部を抜粋させていただきました )





この文章を作成し、学校に伺ったのは6月の終わりの頃でした。

私も同席させていただきましたが、それがすでに2回目の学校への訪問でした。

その後、このご家族の真摯な思いは、私ばかりではなく、幼稚園の先生、関係機関の先生をはじめ、多くの方々を突き動かすエネルギーになったことでしょう。


就学相談に区切りを迎えた12月のその日、学校の先生からは、

「今では今までは特別にじっとその子を見ていられる体制を作ってあげなければと思っていましたが、他の子どもたちと同じような思いで見守っていけばいいんだなと思いました。通常学級で受け入れるということは本人にとっては大変だとばかり思ってきたけれど、学校にとっても本人にとってもやってみる価値があるものなんだと思えてきました。」

という内容のお言葉をいただいたようです。


ご家族の思いや願いを、きちんと学校に伝えることによって、生まれる何かがきっとそこにある。

就学の場面で、きちんと子どもに向き合っていくことによって、見えてくる大切な内容がきっとそこにある。

そして、伝えた内容については、ご家族も責任と役割を担い、その結果をダイレクトに受け止めるのは、我が子自身なのです。

大切なのは、選択そのものよりも、その中身であることを、改めて実感したのでありました。


私には、こうしたご家族の貴重な営みを、後に続く方々に受け継いでいく大切な役割があります。

何があっても、こうした子どもたちに、すばらしい小学校生活のスタートを迎えさせたい。

私も、チームの一員として、責任の重さをますます感じているのです。

本当にやりがいのある仕事です。




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脳の代償性に着目した指導

 2009-12-11
苦手な事ができるようになって欲しい

親なら誰しもが願うことです。 私も同じ気持ちです。


例えば、漢字の書き取りがあまり得意でない子がいたとします。 テストが全然出来ず、何て自分は頭が悪いんだろうと嘆くこともあるのかも知れません。

できれば、漢字の書き取りもできるようになってほしいものです。 可能な限り、チャレンジすることも大切だと思います。

ですが、それで自分がダメだと思ったり、やる気がなくなってしまうのは大問題です。

努力して出来るのなら、努力してほしいと思います。 

ただ、特性として、書くのが極端に苦手な子もいるのです。

精一杯努力しているのであれば、テストの点は、何点であってもそれでいいわけです。

いけないのは、それで自分に対するイメージが否定的になることです。


書き取りが苦手でも、お話を読むのが大好きな子がいます。

もちろん、漢字の練習をやめるわけではありませんが、私だったら、文章の読解や漢字の読み取りを中心に学習を構成します。

決して、子どもに好きなことばかりやらせて、ご機嫌をとるためではありません。

漢字が書ける子になってほしいからこそ、あえてその周辺領域であり、その子が得意としている文章の読解能力を高める所から攻めていきたいのです。


子どもの脳は、ある部分が苦手でも、別の部位でその肩代わりをしようという、代償性が高いのです。 ならば、得意な読解能力を高めることによって、苦手な書字を少しでも改善していくことは可能です。 私は、教育的効果という面から、日々、この脳の代償性に着目した指導の工夫に心がけています。


これでもか、これでもかと、苦手なところだけを切り取って、それを単調に子どもに突きつけて、「さあさやりなさい、やりなさい、それがあなたのためなのよ」 では、子どもも親の心も、いつかは折れてしまいます。

時には、直球ではなく、ゆるいカーブも有効なんです。

大切な課題だからこそ、よく考えて、ていねにに取り組むゆとりも必要です。

最大の指導性とは見通しをもつことです。

それが簡単な課題に見えても、その先にある確かなゴールをしっかりと見通すのが、指導者の役割です。

25M泳ぐにも、まずは水遊びからスタートするじゃありませんか。


文章が読めるのに、字が書けないとなると、LDとか書字障がいという診断名が付くのかも知れません。

でも、よく考えてください。 じゃあ、もしその子が漢字が書けるようになったら、どうなんでしょう? それは、障がいという名前がふさわしいものではなくなってきますよね。

うちの教室に来てくれている子で、だんだん漢字が書けるようになってきた子、いっぱいいますよ。

これってある意味、障がいが、軽減したということなのでしょうか?


どうやって漢字を書けるようにしたか? 

私のしたことは、小さなステップをちょっとずつ登らせたこと、勉強が楽しいと思えるような仕組みを作ったこと、そしてその子の得意なことを使って、苦手なことを克服していこうとしたことです。


子どもが小さいときは、出来るだけいろいろな事ができるようにさせてやりたいです。

しかし、精一杯取り組んで、それでも苦手なことがあったら、カーブで勝負することも、どうか大切な方法の一つとして検討してみてください。


私は、脳の代償性を信じています。

だから、自信をもってカーブを投げるのです。

それが、私の専門性であり、役割だと心得ているのです。



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かれんちゃんの言語の発達

 2009-12-10
DSC05728_convert_20091210105041.jpg



この年末、ご両親の仕事のご都合で、どうしてもかれんちゃんの指導の日がとれません。

なんとかやり繰りを付け、年末・年始の番外の期間に、やっとこさ指導の時間をキープできました。

よく考えれば、ご両親とも大学にお勤めの中、私の所に通って来られるご苦労は、並大抵ではなかったわけです。

もちろん、かれんちゃんだけでなく、この平成の大不景気の中、多くの方が遠隔地より、時間をかけ毎回通ってくださっているのです。

この気持ちには、何としても応えなければなりません。


かれんちゃんの指導を始めてから、1年を過ぎました。

振り返ってみれば、この夏以降、かれんちゃんの言語・コミュニケーションの発達に大きな変化が見られました。

かれんちゃんと心が通じ合うようになったと感じたのは、ちょうど昨年の年末の頃だったでしょうか?

何かの拍子に抱っこしたときに、ケラケラとうれしそうに笑うかれんちゃんの横顔に、通い合う・通じ合う喜びを一杯に感じたものでした。

ちょうどそのころは、言語模倣ができるようになって来た頃で、私が 「せんせい」 と教え、それを上手にリピートできたかれんちゃんを、おもいっきり抱っこしてほめたものでした。

その頃は、きっと、「せんせい」 と言うと、私がめちゃくちゃに喜ぶのを見て、きっとかれんちゃんもうれしい気持ちになったのではないかと思います。


その後、絵本やカード、アンパンマンなど、いわゆる理解言語を急速に吸収していきました。

こうした獲得した理解言語の増大によって、表出言語も次第に豊かになり。まだ稚拙ではありますが、2語文や3語文も見られるようになってきました。

同じバナナのカードを見て、私も、かれんちゃんにも、それがいつも食べている黄色くて長くておいしい食べ物であると、思えるようになってきました。

言葉の持つ意味を共有できるようになってきたので、それまで、単に私を喜ばせる言葉であった 「せんせい」 が、私自身の存在を示す共通の言葉としての本来の意味をもつようになってきました。


コミュニケーション指導には、手段と内容と態度が大切であると言われます。

言語指導にかかわる本を読むと、多くの本に、決して方法のみのテクニカルな事だけに注目してはならないと書いています。

そんな事は、私も百も承知のはずでした。

そんな私でさえ、具体的な指導の場面では、どうしてテクニカルな成果を求めて、楽しくない・心の通わないものになる場面が何度もありました。

特にかれんちゃんには、こうした面のごまかしは効きませんでした。


例えば、理解言語を増やそうとするなら、コミュニケーションレベルを上げたいと思うなら、言語カードを何枚増やそうという姿勢で臨むのではなく、今、この子がどんなものを知りたいと思っているのか、私と楽しく心通う時間にするために、活動の内容をどう豊かなものに構成していくかという事の方が、何倍も大切で効果的だったような気がしてきました。


まずは、SHINOBU先生と気持ちが通じて、アンパンマンをちゃんとアンパンマンと分かるようになれば、話す言葉も自然に増えていきます。

そして、言葉で気持ちが通う合う良さと楽しさを体感すれば、表出言語は飛躍的に増えていきます。

もちろん、個々のテクニカルな課題をないがしろにしているわけではありません。

適切な構音指導も、とても重要なことだと思っています。


言語は、コミュニケーションだけでなく、豊かな思考力の発達にも重要な役割を果たします。

パズルにしても、カードにしても、絵本にしても、それぞれの課題は、その子の豊かな世界を作っていくために大切な一コマであり、その豊かさの先には、必ず言語の発達が伴っていくのだと考えます。

その関連性や連続性から離れると、言葉の指導は、子どもの心から遠ざかっていくような気がします。


私は、表出言語が爆発的に増加してきた子どもを、何人か見てきました。

私が、かれんちゃんの指導の様子から、お伝えしなくてはならないことの一つは、言語の発達における豊かな教育的環境の構成の有効性を、長い年月の、具体的な指導事例から証明していくことだと思っています。

たからこそ、日々の活動の一つ一つが、子どもの豊かな学びや育ちにどう結びついていくかを、きちんと語ることのできる力量が必要なのだと考えています。


私とかれんちゃんの指導も2年目を迎えました。

きっと、かれんちゃんは来年、言語・コミュニケーションの面でも大きな成長を遂げていくことでしょう。

そこで果たしていくべき役割を、私はもう一度、きちんと見つめていこうと思っています。




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子どものつまずきに真っ正面から向き合う

 2009-12-09
先日、割り算の筆算でつまずいている子の指導をしました。

商が2桁になる計算ができないということでした。

事前にお母さんから情報をいただいていましたから、いくつかの教材の準備をしておきました。


簡単な問題から少しずつステップアップして、つまずきの根元を探っていきました。

しばらく進めていくと、原因らしきものが見えてきました。

商の見立てはちゃんと出来ます。

例えば、575÷25=23 の計算なら、十の位の商の2は見立てることができるのに、そこから先、何をどうしたらいいのか、さっぱりわからない。

はは~ん、なるほどそういうことか、私は、これまでのこの子との学習の取り組みから、どうして彼が混乱したのかが、見えてきました。

そもそも割り算も、十進位取り記数法をベースにして成り立っています。

少しややこしいですが、575円を25人で分ける場合、まず十円玉57個を一人2個ずつ分けて50個、余った十円玉2個を1円玉に分解して75個の1円玉を25人で分けて一人3個というのを、一つのフレームで処理していくのが割り算の筆算の仕組みです。


以前、国語の学習をしていて、この子が同音多義語が苦手なことを理解しています。

こうした場合、「もういいよ」には、「もう来なくてもいいよ」 と使う場合と、「もう来てもいいよ」 という2つの場合があるんだけど、このお話の場合はどっちがぴったりだと思う? と、ていねいに問いかけると、文脈を理解することができるのです。

ここの勘違いをそのままにしておくと、そこから先の思考が停止してしまうのです。


今回の割り算の場合、余りをもう一回割ると言うことが、彼の心には腑に落ちなかかったようです。

でも、この子、以前お買い物ゲームをしていて、80円のトマトを10円玉8個に置き換えることはできていました。

ならば、余りを小さい位で、もう1回同じように割ることを教えてやればいい。

私は、余りを別の紙に書き出して、既習学習のものと同じように計算させ、それをもう一度、筆算の式に戻させてみました。

それでも、できん・わからんとグズグズいうので、3問連続正解したら、時間が早くても勉強は終わる、と言ったら、とたんに真剣モードに切り替わって、すらすらっと3問やり遂げてしまいました。(苦笑)

彼の発言によると1%分かった、ということでしたが、後にそれは1%ではなくて、99%分かっていたと訂正されました。(笑)

この日の指導では、あらかじめマス目や線が引かれた問題を使用しました。

こうした配慮は、いつものように段階的にフェードアウトしていきます。

( フルプロンプト → スモールステップ → フェードアウト → 強化 ) は、やはり個別指導の王道です。


この日、東北地方のある教育委員会の先生から、メールをいただきました。

いつもこのブログを読んでいただいているようで、こうした私の教育実践を、個別の学習計画にかかわる先生方の研修講座で紹介していただけないだろうか? というお問い合わせでした。

う~ん、いいですね。ロマンがあります。 学校教育の充実、一人一人の子どもの豊かな学びに、私の事例が少しでも生かされれば、ありがたいです。


「俺、頭が良くなりて~」 と、言ったのはこの子です。

みんな出来るようになりたいんです。

現在、全国各地で個別計画推進にかかわる取り組みが進められていると思います。

それは、決して形だけのものであってはならない。

ご家族の願い、子どもの願いによりそった血の通ったものでなくては意味がないと思うのです。


「99%わかっとたんよ、昨日で」

お母さんからいただいたメールに、添えられたこの子の発言です。

本当にうれしかったです。 これ以上のごほうびは、私にはありません。



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教育の何が子どもを変えるか?

 2009-12-08
先日、ある先生から、細かい感情理解の苦手な子どもの指導について相談させていただく機会がありました。

でも、正直ダメだと思いました。

関係機関の連携だとか、保護者の理解とかいう言葉が先行し、愛情を込めて子どもに向き合う姿勢が、あまり私には伝わってこない。

そんな姿勢で、あの子が心を開くのはむずかしいだろうな、と思ってしまいました。

こういう子は、伝わるまでは時間がかかりますが、一度通じると、とても深く心を寄せてくるものです。


言葉は豊富だけど、うまく自分の気持ちを伝えることが出来ない子。

言い方がシャープすぎて、身も蓋もない状況になってしまう。

悪気はないけれど、つい相手にマイナスのダメージを与えてしまう。


その事で、実は一番心を痛めているのが、本人であるわけです。

そこが理解できない指導者は、こういう子どもの心を開くことはむずかしいのです。

細かい子どもの感情理解ができない限り、むずかしいです。

その子の心をつかむ、圧倒的な指導性が必要です。

子どもの良心を信じ切れないでいて、教育の奇跡は起こりえないと思います。


私の教室に、とても頭の良い子が通ってきてくれています。

5年生の女の子ですが、岡山では唯一の私立の小学校に通っていて、通常の小学校の6年生も問題なら、秒殺です。

特に、国語や社会が得意で、有名私立入試問題も、楽々こなしていきます。

時には、私の出来ない問題も、この子なら瞬時に解答してしまいます。

英語も得意で、私はこの子に、以前紹介した教え子のように、弁護士になって活躍してほしいと願っています。


この子の学習は、夜7時スタートなので、時々おにぎりなどの差し入れがあります。

この日は、とてもおいしい手作りのサンドイッチをいただきました。

私、てっきりお母さんが作ってくださったのだと思っていましたが、何とこれは、その子が私のために作ってくれたというのです。


「自分の気持ちを素直に表現することが苦手なこの子が、こんな形で気持ちを表現したことが、親として本当にうれしくて・・」

お迎えの時に、お母さんは目頭を熱くして、私に伝えてくれました。

その横で、その子ははにかんで、目を白黒させていました。


私は、この子の真心を信じています。

確かに、不安定な態度を見せるときもありました。

時には、マイナス発言もありました。

でも、この子の心をを信じ続けて良かったと思います。


たった一つの出来事を、理屈でごまかすのは簡単です。

ですが、具体的な日常生活の中で、毎回ストンと腑に落ちるように真心を伝え続けることは至難の業です。

どんな場面でも揺らがない、安定感と方向性、そして信念と愛情。

それをキープし続けるのは、なかなかしんどいことです。


この子にとっては、大変厳しい状態で、この教室に来るようになったわけです。

私がこの子に伝えたいのは、自分の苦手なことも含めて自分を好きになれる感覚です。

この力こそが、この子の心を解放し、未来への扉を力強く開いていく原動力になると信じています。


教育の何が子ども変えるか?

行動改善にしても、学力にしても、すべては子どもの可能性を信じるところからスタートするのです。

たとえどんなに回り道に見えようとも、このやり方で、子どもと向き合います。

私は、それで子どもを変えてきましたから・・


結果は、必ず子どもが返してくれます。

あんなに格別のサンドイッチは、これまで食べたことがありません。



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ご家族とのそれぞれの連携

 2009-12-07
初めて私の教室に入ったとたん、「親から見捨てられたー」と叫んだ男の子がいます。

見も知らないおじさんと、完全な個室に閉じこめられるのですから、そんな風に感じている子どもも少なくないのかも知れません。

特に、言語コミュニケーションの苦手な子は、態度で示すしか方法がありません。


最初の時、ずっと泣き続けていた女の子がいます。

指導中、原則、私はご家族の方には退席していただいていますが、あまりにもその子の抵抗感が強かったので、1~2ヶ月はお母さんに同席していただくことにしました。その上で、お母さんがいなくてもがんばれる時間を少しずつ増やしていく作戦を立てました。

今ではもう、お母さんがいなくてもへっちゃらです。45分しっかり最後までがんばることができるし、もっともっといっしょに勉強したい~という気持ちが満々です。

気持ちの面で成長し、表情がとてもしっかりしてきました。毎回手応えのある活動ぶりで、充実感を感じています。伸びてきました。


土曜日の事です。

隔週ですが、遠くから来てくれている男の子がいます。

いつも、教室に入ると玄関の所にうずくまり、なかなか勉強に取り組みません。激しい時は、30分以上もその状態が続きます。最初に来た時は、スリッパを10分以上投げ続けた子です。

小学生ですが、言語によるコミュニケーションは苦手なタイプです。

私は、この子の行動を維持させている要因を、なかなか読み取ることができませんでした。

ですが、ふとしたことから、「この子はお父さんに勉強を見てもらいたいのではないか?」と思うようになりました。

これまで、あまり学習らしい学習は成立していなかった子です。

でも、やってみる価値はあると判断しました。


この日、6時になったらお父さんに入室していただくようにお願いしました。その子には、お父さんが来たら勉強を見てもらおうと伝えました。

小さくうなずくその子の表情を見て、これならイケルと期待がふくらみました。

今日は、これだけの勉強をしようね、といって、教材を学習コーナーにセットして、6時が来るのを待ちました。


予定の時刻に少し遅れて、お父さんは入室されました。

その瞬間、子どもの表情は見違えるように変化しました。

生まれ変わったように、次から次へと教材をクリアし、予定したものをはるかに超える量をやり遂げたのです。

ここまで、本当にあがき苦しみました。

しかし、ここまで来たなら、当分は大丈夫です。


その子は今、なかなか学校に行けない状態が続いているようです。

乗り越えていかなくてはならないいくつかの課題がきっとあるのだと思われます。

しかし、何かの糸口が、今日私はつかめたのではないかと感じています。


高速を使い、2時間以上もかけて通ってくださるご家族の気持ちに何としても応えたい。

心の中の前向きな気持ちを、本当の自分の姿を、ご家族の方と一緒にひもといていきたい。

そう思わずにはいられないのでした。


以前、教室を脱走して駐車場まで飛び出した子は、今では学習の歯車がしっかりとかみ合い、毎回来てくれる日が待ち遠しくてたまらないようになってきました。悪戦苦闘した内容が強ければ強い程、必ず心のつながりは深くなります。


今、私の心は、期待にふくらんでいます。

だって、後は上がるだけです。

私を信じて通い続けてくださったご家族の信頼感がそこにあるのです。

それさえあれば、壁は打ち抜ける。

そう信じて、2週間後の指導に立ち向かっていきたいと思います。

もうすでに、私の心は楽しくてなりません。 きっと、その子も同じ事を感じていると信じています。



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特別支援教育の魅力と可能性

 2009-12-04
「僕は、国語が苦手なんですよ」 と、真顔で私に訴えたことのある男の子。


字もきれいに書けます。文字もちゃんと読めます。家電製品のマニュアルなどは、家族の誰よりもちゃんと内容を把握できる彼。ビデオのセッティングなどでは、家族の中で、彼の得意技が重宝されているようです。

その彼をして、なぜ 「国語が苦手」 と、言わしめたか?

それは、日本語の曖昧さと矛盾に対応するのが苦手だからです。


例えば、「もういいよ」 という表現があったとします。

この 「もういいよ」 は、文脈の中では、「もう来てもいいよ」 であったり、「もうしなくてもいいよ」 であったりします。

ある場面では、前者で使われ、また別の場面では、後者の意味に使われます。

こういう使われ方が、彼を混乱させるのです。


「すみません」 や 「結構です」 など、何と日本語には曖昧な表現が多いことでしょう。

彼が、英語の勉強が好きなのも、こうした意味で英語の方が、曖昧な部分が少ないからではないでしょうか?


こういう点をちゃんと理解して教材を工夫すれば、彼は生き生きと文章を読破していきます。

曖昧な表現をチェックできていれば、事前に手を打つことができ、待ってましたとばかりに彼のもっている語いや文章に表記されている別な表現に置き換えてやればいいのです。

実際にはむずかしいことですが、方法さえ明確であれば、何とか乗りこえていくことはできます。

何がわからないのか、わかなないでは、それっきりだし、そこで出来ないというダメージだけが残ってしまいがちです


もしもこの子が、苦手意識を払拭し、もっともっとこの文字の世界に対する親しみをもつことが出来たなら、どんなに世界が豊かになっていくことでしょう。

分厚い家電のマニュアルを読みこなす力には、フィールドさえ工夫すれば、無限に発展していく可能性もあるのです。

苦手という言葉の裏に、私は大きなこの子の願いを感じることができるのです。




DSC05733_convert_20091204122314.jpg


上の画像の時計の時刻は、2時10分です。

私たちは、当たり前のようにこれを、「2時10分」 と読むことが出来ます。

しかしよく見てください。

時を示す短針は、正確には表記されている 「2」 の所を指していません。

分を示す長針は、確かに小さい目盛りの10番目を指していますが、そこには短針が示すはずの 「2」 の文字がしっかり刻まれています。

直接 「時」 を示す短針は 「2」 を示さず、 分を示す長針の先には 「2」 の文字がしっかりと刻印されている。

長針が指し示す目盛りに、短針の数字が刻まれているのは、矛盾していますね。

この 「2」 という数値は、60個刻まれている長針の目盛りとは関係ないのに、円形の数直線上にどかんと刻字されているわけです。

このことをふまえ、指導用の時計は、下の画像のような工夫が施されていますが、私の指導している子にこれを見せると、「ごちゃごちゃして、何のことかよけいにわからん」 と拒絶されてしましました。

DSC05734_convert_20091204124628.jpg



それの仕組みが理解出来ている者には、こんなことは何ともないです。

しかし、これからその仕組みを理解しようとしている子。ましてや、こういう意味の置き換えの苦手な子には、大問題となるわけです。


これも、何でわからないのかが見えていれば、打つ手はいくつか考えられます。

時間はかかっても、小さなステップでそこに迫ることができます。

逆に、何でわからないのかが分からなければ、双方の心は痛み、モチベーションがうんと下がります。

彼は決して国語が苦手なのではないと、私は思っています。

「僕は、国語が苦手なんですよ」 という言葉の震源地は、こういう所にあるだけなのです。



同じように国語があまり得意でないとされているある男の子

私、読解問題やっていて、発見してしましました。

この子、印刷された文章をさーっと読んだだけで、内容はちゃんとつかめています。

質問の意図に当てはめて表現するのは確かに苦手ですが、上手に尋ねれば、一回読んだだけの内容を驚くほど正確に表現できます。

苦手な部分を補完するために、こういう能力がすばらしく発達しているのです。


こうした力を、何とか生かせないか!

これが長所活用型指導の目的であり、夢であり、ダイナミズムであるのです。


今日紹介した2人、つぼにはめれば天才です。

それを生かさないで埋もらせるのは、大きな社会的な損失です。

全盲という大きな障がいを乗りこえながら、辻井伸行さんは誰にもできない天才的な能力を育んでいきました。

特別支援教育の魅力と可能性は、ここにあるのだと私は信じています。


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君って、話すことができるんだね!

 2009-12-03
[高画質で再生]

言葉カード 2009-12-01 [掲示板]




最近になり、ひらがなを単語として読めるようになった男の子の、指導実践の続編です。

指導中はお母さんに退席をしていただいていますので、今この子が育っている内容については、指導後にお伝えするようにしています。


教えている私でさえ、びっくりするような進歩が見られているのです。

「ちゃんと、(ぶどう) や (うし) という言葉を、文字で識別できるようになりました」、とお伝えする度に、お母さんは目を丸くされ、目頭を熱くされていました。

そのことを、別の人にお伝えするのも大変なようなので、お母さんは、このブログにのせた私の実践記録を、お父さんや養護学校の先生に紹介をしてくださっているようです。

このブログも、そういう使い方があるのですね。

ならば、と言うことで、今回は指導の様子を動画にして配信させていただくことにしました。


驚いたことがいくつかあります。

動画をご覧になっておわかりのように、表出する言語が格段に増えてきました。

以前に、何だか意味の分からない無意味な言葉を言い続けるということはありましたが、コミュニケーションの手段として、次第に言語を使う機会が増えてきたのです。


この日、「みず」 「みず」 というので、ペットボトルのミネラルウオーターを渡すと、のどがかわいていたのでしょう。ごくごくと半分くらい飲んでいました。

お母さんにその事を伝えると、普段は水など飲むことはないのに・・ と苦笑されていました。

また、いつも楽しみにしている、「リンゴ」 や 「バナナ」 の色ぬりを、 「りんご」 「ばなな」 と言葉で要求する場面もありました。

プリンターで印刷した用紙を渡すと、うれしそうに色ぬりをしていました。


たとえ稚拙であっても、言語でコミュニケートが出来ると、とても便利です。

いちいち器具やカードなどの代替コミュニケーショングッズを探さなくても、自由自在に相手の人に自分の意思を伝えることができるのです。



これまでは、知っている絵柄に文字を対応させる学習が中心でした。

ですが、わずかであっても文字が読め、話せるとなれば、今度は文字を使って、新しい物の名前や意味も教えることができるようになります。

こうした相互作用により、より豊かな言語の世界や概念を形成していく土壌が、少しずつではあるけれど出来ていくのではないかと期待している所です。


このカード学習の時間には、以前にあった、無意味言語の羅列は一切起こりません。

表情も穏やかです。

私も指導していて楽しいので、きっとこの子も楽しいのだと思います。


この楽しい学習を継続していくために、色々な工夫が必要なことは、誰よりも私が一番わかっています。

でも、これだけの手応えがあれば、きっと何とかやっていけるよいうな気がします。

これまでも、この子のために開発した教材を、多くの子の指導に生かしていきました。


苦労した分、そのことは私自身の財産にもなっています。

次回は、どんなドラマが待っているのだろう。

うまくいくことばかりではないのは、よくわかっているけれど、なんとかがんばれそうです。

希望を見つけるということは、こういう事なのでしょうか。


これからも、子どもの目を見て、体温を感じて、一歩一歩前へ進んでいこうと思います。



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