通常学級の在籍で良かった!

 2009-11-30
先週の金曜日、夜9時のNHKのニュース番組で、子どものインフルエンザ脳症のリスクについての特集が放映されました。

実は、その番組で紹介されたお子さん (小学1年生) については、ご縁があって、就学の前から何回か指導をさせていただいています。


その子は、幼稚園の入学前、インフルエンザウイルスの影響によって、脳の一部に後遺症が残ってしまいました。

例えば、視覚的にとらえた文字情報をキープして、その文字を書いたりすることが苦手になってしまいました。前頭葉の高度な脳機能の一部にダメージが残ったのだと考えられます。

しかし、聴覚性の言語コミュニケーションには、全く問題がありません。明るくて、可愛くて、すばらしいお子さんです。


小学校の就学に際して、期待と不安が交錯する中、ご家族は通常学級への在籍を選択されました。

ある意味仕方のない事かも知れませんが、当初、学校側の対応は、あれもできない・これもむずかしいという指摘が多く、必ずしもご家族の期待に添うものではなく、何度も何度も話し合いの機会をもたれました。

まずは、大切なクラスの一員として受け入れ、例えわずかであってもこの子の特性にあった教育の工夫をお願いしたい。

ご家族の思いは一つでした。

時には、良き理解者である医療の先生方の専門的な助言も、お願いに行かれたようです。 

今回の放映を機会に、またメールのやりとりをさせていただくようになりました。






この度は、放映を見ていただきありがとうございました。
全国の皆さんに、少しでも私たちの思いが伝われば嬉しいです。

二学期に入って、正直、この子が成長するとは思っていませんでした。
学校の先生方の対応が変わったことで、この子も居場所がわかったようです。
臨床心理の先生も、通常級、大成功でしたね、と言ってくださいました。
通常級の在籍で本当によかったです。

学校生活は、一番成長する大事な場所です。
学びやすい、楽しい環境作りに妥協はできません。
創造する際に、今後ともご協力をお願いします。






テレビを見ているときにも感じましたが、お母さんのまなざしがとてもしっかりとしていて、驚きました。

深い思いと決心を、そにひとみの輝きに、はっきりと感じることが出来ました。

お母さんのご努力を受け、少しずつではありますが、学校側の環境も整い、特に生活面では大きな成長を感じ取ることができたようです。


本当に良かった。

しかしながら、まだまだやらなければならないことは、たくさんあります。

でも、これだったら、このお母さん、きっと切り開いて行かれると思います。


あれも出来ない、これも出来ないという切り口ではなく、ここまで育ったと、きちんととらえることの出来るまなざし。

それは、育ての主体者であることを証明する視点であるに違いありません。


学校の中で、友達と生き生きと活動しているその子の笑顔が目に浮かぶようです。

これからも、ずっとすっと応援して行きたい。

次回会う日が、今からとても楽しみで仕方ありません。

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コミュニケートの力を育む感性

 2009-11-27
昨日の指導中、ある子が計算問題をしていて、「先生、ゆっくりやっていい?」 と、私に尋ねてきました。

ためらうことなく私は、「うん、いいよ。自分のペースでやったらいいんだから。」 と答えました。


この子とは長い付き合いですから、この発言がマイナス発言でないことを、心の芯から信じています。

誰よりも、ちゃんとやりたい、という気持ちの強い子です。

そういう子が、ゆっくりやっていい?、と尋ねるということは、かなり勇気のいることだったに違いありません。

これまで、こういう内容の事をうまく伝えることができなくて、マイナスの気持ちを、一杯に詰め込んでしまって、心が折れそうになった場面も多くあったことでしょう。

「よく勇気を出して、ちゃんと言えたね」

きちんと言えたことを、私はうんとほめてやりたい気持ちになりました。



わがままなことが言えなくて、甘えることが出来なくて、自分を出し切れないでじっとしている子がいます。

それとは逆に、ちゃんと自分の事を見てくれているか、叱ってくれくれるかどうかを、確かめるようにマイナス行動を起こす子もいます。

叱るときに叱れないのは、その子のマイナスな部分を許容することになります。 その子の心のメカニズムがちゃんと見えていない証拠です。

今回のように、状況によっては、叱ってはいけない場面だって、ケースによってはあるのです。

同じ一つの行動を見ても、その子の心が見えているかどうかで、対応は全く逆のものになってしまいます。


先日、隔週で広島から来てくださっているご家族の方からメールをいただきました。

「SHINOBU先生が、ついに、この子の好きな先生ナンバーワンになった」 と、いう内容でした。

私、めちゃくちゃうれしい気持ちになりました。

この子も、上手に自分の意志を伝えるのが苦手なタイプの子どもです。

言葉の数は少なくても、通じ合うものがあれば、コミュニケートは成立します。


言語の指導というと、どうしてもS-S法のようなテクニカルなものを中心に考えてしまいがちですが、まず子どもと通じ合う中身と環境が整わないと、コミュニケーション自体が不自然なものになり、うまく噛み合いません。

私と子どもが通じ合う中身は、「楽しい学習」 の一言に尽きます。


まず、ありのままの子どもの姿を受け入れて、その心の中にある学びの欲求を掘り起こす。

そして、まずは小さな一歩からスタートして、ちょっとずつ達成感をもたせ、成長の手応えが味わえるようにしていく。

次に、自分の長所を生かし、苦手なことを少しずつ克服していく。

君がどんなに大切な存在かを、行動の一つ一つを通して伝え続け、苦手なことも含めて、自分が大好きになれる感覚を育てていく。

ずっとずっとそのことを続けていくことで、子どもは私のことが好きになっていくのだと考えています。


通じ合う中身があり、環境が整うと、多少構音などに課題があっても、子どもはどんどん私に語りかけてくれるようになります。

私の指導では、お母さんが同室される場合と、そうでない場合があります。

毎週の指導ができにくく、テクニカルな指導に重点を置く場合は、ご家族が同室された方がよいかも知れませんが、子どもと私の2人になると、子どもは急に生き生きとしゃべりだす場合がほとんどです。

教育的にかかわる者と子どもとの間に、こうした関係性が育つことは、何よりも子どもの利益に通じると考えています。

このように通じ合うものがそこにあり、気持ちを受け止めながらも、教育的にかかわるインリアルなアプローチの方が、長い目で見れば、言語の面でも、コミュニケーションの面でも、力がついていくのではないかと私は体験的に思うのです。

そのバランスは、お子さんによって、発達の段階によって、微妙に変わってくると思います。

要は向かう先がちゃんとあり、子どもの今がちゃんと見えるということに尽きると思います。


言語はコミュニケートの一つの媒体です。

コミュニケートは、通じ合う何かが子どもとの間に生じてこそ、豊かになっていくものです。

指導者と、子どもとの心に芽生えた信頼感は、やがてきっと大きな教育的な効果をもたらすことでしょう。

それを構成していくのも、ご家族の大切な役割であると、私は思うのです。


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家庭学習の一つの形

 2009-11-26
昨日は、ある小学校へ訪問させていただきました。

複式学級の小さい学校でしたが、1年生には、文字はすらすら読んでいるようだけど、細かい部分をきちんととらえる事が苦手なタイプの子がいました。また、2年生には、おしゃべりはぺらぺらしているけれど、言葉のニュアンスみたいなのをとらえることが苦手なタイプの子がいました。初めて学習するような教材になると、とたんに逐次読みになってしまいます。

私は自分なりの分析方法で、その子たちの学びを分析し、私ならこうするといういう方法を先生方にお伝えしました。

しかし、それはその子の日々の教育に向き合って来られた先生の学びの歩みを、別の視点で捉えるということに他なりませんでした。

その先生は、1年生の苦手な漢字の学習を克服するために、言葉を添え、手を大きく使って何回か空書きする方法が有効だったと伝えてくれました。

細かい視覚認知が少し苦手なようでしたから、確かにそう言う方法が有効になりますよね~、というような感じで、その先生とは、同じ臨床教育実践者として、汲めども尽きぬ話で大いに盛り上がりました。



小学校の訪問が終わったあと、毎週水曜日には2年生の男の子のお宅に訪問させていただいています。

この日の彼は、絶好調でした。

後で聞くと、この日は登校班の臨時班長として、1年生の子と一緒に学校まで行ったとの事でした。

子どもにとっては、とても意味ある出来事であったことでしょう。

大役をこなし、とても晴れやかな気分だったことでしょう。

子どもの学びや育ちが、決してテクニカルなことだけで成立していない証拠です。

普段3枚しかしない読解プリントを、調子に乗って5枚しました。 彼にとっては苦手な、詩の中での気持ちを読み取る内容でしたが、そこには疲労感ではなく、大きな達成感が残りました。

この子は、一度読んだだけでかなりの内容をつかめていることがだんだんとわかってきました。 しかし、それをアウトプットするときに、少しとまどう場面が見受けられました。

言語に関わるメカニズムは複雑ですが、こういうことが見えてくると、次の手だても同時に見えてきますから、やっていて楽しく感じます。


その後、今、学校で学習中の九九のプリントに取り組みました。

前回の指導では、なかなか苦戦していました。

この日、彼は6の段のプリントを選択しましたが、1週間前とは別人のような勢いです。


「この前、お父さんに秘密を教えてもらったんだ~、6×5は、5×6と同じなんだよ」

「へ~、すごい。 さすがはお父さん、いい事教えてもらったね~。 だから、そんなにスラスラできるようになったんだ。」


私の学習は、完全習得エラーレス学習ですから、つまずいたときの手だては万全です。

しかし、この日の彼は、安易にヒントを見ようとしません。

継次処理能力は高い子ですので、集中して頭の中で、「六一が6、六二12・・・」 とやっていることがよくわかります。


毎回の指導の後、ご家族と作戦会議をします。

私は、私なりの考えとスタイルで指導を行います。 よかれと思ったことは、すぐに取り入れますが、いくらご希望が強くても、無理なことは無理というしかありません。

私には、私の目指す形と手順という物があります。


ご家族は、毎日、家庭学習として、日々の学習に向き合っておられます。

私の意見をとても大切に受け止めていただいていますが、決して私の下請けではなく、意見を踏まえた上で、主体者としてのご家族の責任で家庭学習に取り組んでおられます。


繰り上がりの計算を乗りこえたのも、実はご家族のご努力です。

私もチームの一員として、少しはお手伝いさせていただいたと思いますが、それは私の功績でも何でもないと思っています。


ご家族と私との役割分担の内容は、ケースによって全く違います。

このケースのように学習の内容的な事を分担する場合ともあれば、家庭で培ってきたことを私が評価するような場合もあります。私が示した内容を、次の回までに家庭でみっちり練習してくださることもあります。

うまくいったケースは、上手に私を利用してくださった場合がほとんどです。


こうしたことは、学校との連携についても、同じ事が言えるのではないでしょうか?


このご家庭では、ご両親ともお仕事をされ、その上で、毎日学校の宿題に向き合っておられるのす。

この日、私の指導が終わったのは、7時過ぎでしたが、まだお父さんは帰宅されていませんでした。

帰宅され、食事をすませ、それからお子さんと一緒に学習に向き合うお父さん。

そのご努力が、着実に実をつけているのです。


私の仕事は、こうしたご家族と一緒にあゆんでいくことです。

その道筋は、すべてがオリジナルであると考えています。

子どもを見つめることこそが、道筋の見える最高の方法であると、私は思っているのです。


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文字が読める!

 2009-11-24
11月12日の記事 で紹介をさせていただいた男の子の、ひらがなの読みの指導が、一つの区切りの段階を迎えました。

今回は、絵カードを先に見せて、ひらがなを選択させます。 少しまちがう場面もありましたが、80%~90%の正答率で、選択できました。

どんなにシャッフルしても、大丈夫です。

これで、彼がひらがなを見て、それが 「ねこ」 であったり、「ぶどう」 あったり、しっかりと認知できていることが、証明できました。


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ひらがなが読めるとなれば、これからの指導の展開は、随分と変わってきます。

私の作った絵カードは、文字と絵が併記されているものが多いですから、わかりにくい内容に文字を添えて明確化することができます。

また、表情など多面的な意味をもつ映像に、 「うれしい」 とか 「かなしい」 とかいう言葉を添えて、意味を確定させることができます。

目に見えない抽象的な事柄にも、映像に言葉を添えることによって、より明確化させ、理解を促すことができます。


この子の指導では、これまで名詞のカードしか使いませんでしたが、これからは動詞や形容詞の学習も可能になります。

仮に理解言語が、飛躍的に増えたなら、表出言語によるコミュニケーションの発展性も大いに期待できるという物です。

そうそううまく行くはずはありませんが、私とお母さんとの間に、大きな希望の芯が芽生えたことだけは確かです。

その事のもつ意味は、大きいと感じています。


ひらがなカードの学習が軌道に乗り始めてから、私にもこの子にも余裕が生まれてきました。

ギスギス感が軽減し、楽しく学習できる時間になってきました。

ある意味行動改善のステップの一つにもなっているようにと思われます。


それは、ここ何回かのもがきの指導に、意味あったと思っています。

それを越えたから、今があるのです。


そして、次回からは、また新しい山に向かって歩んでいくのです。

山あり谷あり、苦しい場面もきっと多いことでしょう。

でも、一つ山を越えましたからね。 何とか一緒に踏ん張っていけるのではないかと思っています。


家族と共に歩む指導の一つの形がここにあります。

1回のあゆみはわずかでも、そこに深い意思がある限り、必ず前へ進んでいくことができるのですから。


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テストの成績 知能検査の数値を 正しく読み解く

 2009-11-21
今年からお母さんの強い決意で、支援級から交流級での学習を開始した4年生の男の子

先日お母さんから、電話をいただきました。

通常級の理科のテストで、ついに100点をとったそうです。

ここまでのお母さんのご苦労を知っていますから、胸の熱くなる思いです。


1年生の時は、漢字の勉強にとても苦労した女の子  当時は、とてもテストどころではありませんでした。

でも、3年生になった今、当該学年の漢字の教材に、それは生き生きと取り組むようになりました。

もしもの仮定の話ですが、この調子でずっと漢字の学習に取り組むことができたなら、漢字の点数は飛躍的に伸びて行くに違いありません。

こうしたことからわかるように、たとえ1年の時に苦労したとしても、今、期待通りの点数が出なかったとしても、その点数は絶対的なものではないのです。


今日のトピックは、こうした点数や数値にかかわる大切な見方をお伝えしようと思っています。



例えば、Aちゃんが何かのテストで0点だったとします。

Bちゃんは、同じテストで100点をとったとします。

では、その学習内容について、本当にAちゃんの理解度が100%で、Bちゃんの理解度は0%なのでしょうか?

私の答えは、NOです。


例えば、九九のテストで100点とった子に、「その箱に入ったおかし全部で何個かな?」 と尋ねたときに、全くその事が使えない子はたくさんいます。

テストの点が0点でも、正確に数をとらえる子がいます。 具体物を示すと、とたんに目が輝く子がいます。 文字や平面認知の配慮が足らないだけで、そこさえ配慮すれば、とたんに出来るようになる子もいます。

テストに強いタイプの子と、実践に強いタイプの子がいるのです。


特に、継次処理タイプの子は、何か一つにつまずくと、そこから先が全滅ということはよくあることです。

同時処理タイプの子も、パターンにはまると100点、そうでなければ0点、という子が、私の教室には何人かいます。

その1個を乗りこえたら、0点が100点になります。

乗りこえるまではずっと0点ですから、その経過は目に見える数値では示されません。しかし、質的、内容的な評価は、私自身ははっきりととらえています。

そういう観点からも、同じ0点であっても、あとわずかで100点になる0点もあれば、しばらく時間のかかる0点もあるのです。


もうひとつ忘れてはならない観点があります。

例えば、「6+8」 の計算を、「ろく たす はち は じゅうし」 と、言語化して覚えている子がいるとします。

別の子は、頭の中で、加数の8を4と4に分解して、被加数の6と合成しているとします。

同じ14でも、理解度は全く違います。

暗記する方法でとった100点と、頭の中で数のイメージ操作をしてとった30点では、発展性や数理的な力といった面では、どちらが上かわかりません。


さらにもう一つ

温度の尺度として、水の凍る温度=氷点を0度、沸点を100度と定めています。

ご存知の通り摂氏何度という温度の尺度で、絶対的な温度ではないわけです。

ちなみに摂氏0度は、華氏32度なわけです。

摂氏0度は、温度がない、と勘違いしている子が多くいました。

摂氏0度は、任意の点であり、ちゃんと意味のあるポイントであるわけです。


私が言いたいのは、テストも知能検査も、こうした任意の尺度であるわけで、絶対的な尺度でも何でもないわけです。

ある部分を切り取って、そのせまい範囲の中で、レベルを測定しているのです。

ですから、たとえ0点でもまったく理解できていないということではない場合があり、100点をとったからといって100%マスターしたということではない場合もあるのです。

大切なことだけど、プロフィールを測定したという理解でよいのではないでしょうか?

運動能力テストだけで、運動能力のすべてが計れるということではありませんよね。


最後にもう一つ、知能検査の目盛りについてです。

MA=(Mental Age 精神年齢) 3歳5ヶ月

「うちの子、三歳の知能しかないのか・・」  愕然とした思いで、それを見つめられた人もいるのではないでしょうか?

これ、検査の結果と受け散る側のイメージに大きな差があるように感じがしてなりません。

そもそも0歳から1歳 1歳から2歳 ・・・ 10歳から11歳 と、発達における各年齢間の意味はまったく違うのに、それを同じ目盛りをつけて、あてはめるのっておかしくありませんか?


こんなことを書くと、大馬鹿者とおしかりをうけそうですが、50歳の私がIQ150なら、精神年齢は75歳ですか? IQ50なら精神年齢25歳ですか?

5歳のテストで、数値がこれこれだから、精神年齢が3歳というのは、受ける側のイメージと検査結果とが著しく乖離しているように思います

ましてやこうしたプロフィールが、決して絶対的な尺度としてとらえないような配慮がもっともっと必要だと私には思えてならないのです。


指摘をされる方、リスクを予見される方はたくさんいますが、実際に子ども育てるのは誰でしょう?

検査結果は大変大切な参考資料となりますが、それはあくまで資料にしか過ぎません。

客観性のあるデータは、とても大切です。 決して無視することがあってはならないと考えます。

検査結果を見ながら教育をするのではなく、子どもの目を見て、体温を感じて、指導を組み立てていくのが教育です。

特別支援学級の入級が適当です、と助言されても、ただ少人数にすればいいというわけではないはずです。 具体的な教育内容を調べ上げておっしゃっておるのではなく、一般論として、行き届いた教育の場が必要であると助言されているのであって、その教育の中身について責任をもってくださるわけではないはずです。


教育の担当者は、教育のプロとしての専門性を発揮し、医療や数値と向き合うべきだと考えています。

子どもを育てるのは、家庭と教育の役割です。

検査は、子どもの利益や行き届いた教育を構成していくための、大切な手段として考えるべきです。

決して、何かを決めつけるものであってはなりません。

リスクを前もって知っておくことも大切です。 冷静にプロフィールを見つめることも重要です。

しかし、子どもの可能性は無限です。 指導の工夫だっていくらでもできます。

最初からあきらめている人、可能性を信じることが出来ない者に、教育者としての資格はないと、私は思うのです。

わずかであっても可能性を信じ、最大限の努力を行い、子どもと共に歩むこと、その事にこそ値打ちが宿るのであり、その営みこそが教育という名にふさわしいものだと考えているのです。


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ダウン症児の可能性を 世に示す

 2009-11-20
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昨年の秋に、かれんちゃんのお母さんから電話をいただいたことがきっかけで、岡山の教室にダウン症のお子さんがたくさん通ってくれるようになりました。

今年の2月、すばらしい成長記録を作られたREIKOさん と千葉の舞浜でお会いしました。 それから、数名のお子さんの学びに、不定期ではありますがかかわらせていただくようになりました。

今年の4月からは、大阪府堺市ののぞみ会 の皆さんのご協力により、毎月10名近くのお子さんへの定期的な出張指導をさせています。

正確に数えたことはありませんが、きっと30名近くのダウン症のお子さんの指導に、直接かかわらせていただいているのではないかと思います。


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この30名近くのお子さんの指導者として思うことですが、30人の子どもをまとめて考えることは、どうやったって無理なことです。 一人一人が、それぞれの輝きをもった存在なのであって、まとめてダウン症だからと、考えることは、到底私にはできないことです。


ダウン症という言葉は、正しい理解に生かされ、子どもの利益に通じる場合のみ使うべき言葉であると考えています。

ましてや、「ダウン症児だから、ここに行きなさい」 とか、「ダウン症児だから、通常学級は無理」 などという発言は、とても正しい理解に基づいた発言であると、私には思えません。


こうした考えが偏見であることは、実際に子どもと接してくだされば、すぐにわかります。


先日、テレビ番組で紹介された金沢翔子さんのように、芸術の世界で優れた才能を開花させた方もいます。

岩元綾さんのように、英語が得意で、4年生大学に進学された方もいます。

私が指導させていただいている子どもの中にも、それはそれはすばらしい表現力で、テレビや舞台で活躍しているお子さんがいます。

就学前ですが、鉄棒やキャッチボールが得意で、数メートル先から、私の胸に強烈なボールを投げ込んでくる女の子もいます。

こういうことを、十把一絡げで、「ダウン症児」 という枠で決めつけてしまうのは、偏見であり、それが差別に通じるわけです。



一方で、正しい理解と支援は必要です。

例えば、筋肉の低緊張、あるいは自律神経の調整力が弱いことへの配慮や、視覚や聴覚など、それぞれの認知特性に応じた工夫が必要です。

こうした適切な指導を構成することができれば、もっともっとその子が本来もっている才能を開花させ、社会に貢献できる子が育つのではないかと、私は考えています。

金澤翔子さんも、岩元綾さんも、ご家族の深い理解と愛情、そして情熱ある教育があればこそ、その才能を開花させたわけです。


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昨日、かれんちゃんの指導を行いました。

最近、ご両親が超多忙、私も振り替え指導など調整可能な枠がほとんどなくなり、定期的な指導ができにくくなってしまいました。

それでも何とかやりくりをつけ、昨日やっと指導をさせていただくことができました。


同じダウン症のお子さんと言っても、年齢も違えば、課題も違います。

環境も違えば、これまでの指導の経過も全く違います。

私は、どんなお子さんにも、どんなご家庭にも、公平に接していく義務を有していますが、それは決して一律に同じプログラムを実施するということではなく、どの子にも最善の指導を実施することが、公平に接することだと考えています。

つまり、どの子にも、スペシャルな指導を実施するのが、個別指導を行う者の努めであると認識しているのです。


かれんちゃんの場合は、圧倒的な活動のエネルギーをもっています。

これを小さな枠にはめ込んで、目先の成果を求めてしまうと、なぜか強烈に拒否されてしまいます。

指導を始めてもう1年になるのに、何度も経験しわかっているはずなのに、何回か同じような失敗を繰り返してしまいました。


もちろん要求水準を上げて、ここまでおいでと導いていく営みも、時には大切です。

でも、彼女の場合は、小さなステップを上手に組み合わせて、上手にリズムをつけてやる方が、結果的には大きな発展が見られることの方が多いのです。

わかっていながら、どうしてもやらせようとして、マイナスの展開になってしまう事が何度かありました。


ここ何ヶ月かで、かれんちゃんの認知力も、言語コミュニケーション力も、飛躍的に向上したと思われます。

かれんちゃん、いろんな事がわかるようになってきたし、言葉で色々な事が伝えられるようになってきました。

アンパンマンのカードだって、しっかりポインティングできるようになってきました。

しかしその分、私が向き合う姿勢に変化があると、以前のような楽しい活動の発展が見られなくなる事が多くなりました。


どうしてだろうと、反省をしてみました。。

で、結論、

「変わったのは彼女ではなくて、自分の方だ。 ならば原点に返ろう。 最初に彼女に会った頃のように、ありのままの彼女を受け入れながら、小さいステップで望ましい行動を即時強化していこう。 そうでない行動は受け流し、適切な指示を示しながら、できたことをしっかりほめていこう。 そうやって、私はかれんちゃんを育ててきたのだから・・」


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こうして、この日の活動は、とても楽しく充実したものになりました。

結果的には、私が期待して以上の発展を見せた内容もたくさんありました。

これまでずっとずっと続いてきた、楽しくて楽しくて仕方のないSHINOBU先生との勉強が、こうして復活したわけです。


テクニカルな面で何もしなかったわけではありません。

かれんちゃんの変化に、私が対応できず、最近接な領域の教材を適切に提示できていなかったのだと反省しました。

また、認知力の高まりによって、注意力が分散しがちになり、教材・教具の配置など、環境面の配慮が足りなかったこともわかりました。

こうして、90分の指導が終わっても、まだやりたい、帰りたくないと、お母さんを困らせるいつものかれんが戻ってきました。


こういうことの繰り返しで、私の指導は成立しているのです。

ダウン症児だからどうこうということは、こういうレベルではカケラもなくて、一人の教育者として、目の前の子どもの成長に真剣に向き合う、ただそれだけのことです。


私は、社会的な成功だけが、価値の尺度であるとは思っていません。

私が感動を覚えるのは、それぞれの子が、それぞれの命を輝かせていく姿なのです。


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9月から通ってくれるようになった支援級の2年生の女の子。

この子も90分の毎週90分の指導ですが、めちゃくちゃ楽しいです。 昨日は、読解文のプリント3枚で良いのに、5枚もしてくれました。 心が通い合っているし、会話もはずみます。 学習内容にぐいぐい食いついてくれます。

もちろん指導はオリジナルです。

少しずつではありますが、必要な時期には、1回ごとに、内容を変えていきます。

手応えのある指導ができているときは、こうした時間は苦労でも何でもなく、どんなに時間がかかろうが、楽しいだけです。


剛速球を私の胸に投げ込んでくる女の子は、来年就学です。

ご両親は、通常学級への入級を決意されています。

並大抵のご決心ではありません。

ご縁があり、私も、来年から月2回の定期的な指導をさせていただく枠組みが出来つつあります。

5月には、私とご両親とで、就学先の小学校へ早々とご挨拶に伺いました。

これまでかかわってくださった大学の先生とも、就学後の支援や小学校との連携・協力が、具体化のレベルで現在進んでいます。

こうなると、私の気持ちは、喜びを通り越して、使命感と責任感で身震いするような感覚です。

どんな課題でも、どんな面倒なことでも、真っ正面から受けてやろうというような気持ちです。

なぜなら、この子の後ろには、何人もの子どもの幸せがつながっていると感じているからです。


どんな形でも良い。

この子たちが、誰かのために働き、自分の命を輝かせ、幸せを感じることのできる人に育てたい。


何々症だから、云々という考えは、偏見です。 差別につながります。 正しい理解や支援とは、全くの別物です。

大切なのは、一人一人の無限の可能性を信じ、最適な教育を行っていくことです。

そうでなければ、天才書家の金澤翔子さんの存在はありえなかったはずです。


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私にとっては、かれんちゃんのお母さんの1本の電話からスタートした物語です。

人生はステキです。

この子たちが、私に、私の生きている意味とエネルギーを与え続けてくれるのです。

だからこそ、私には私の役割と責任があります。


ダウン症の出生率は 1/1000 と言われます。

適切な理解と教育によって、その可能性を開花させるのは、大きな社会的な利益につながると考えます。

より豊かな社会の実現のため、極めて重要な事柄であると思っています。

こうした大切なメッセージを、具体的な教育の実践という形で発信しつづけることで、私はダウン症児の無限の可能性を世に問いたい。

それが私に期待を寄せてくださるご家族への恩返しだと考えているのです。


※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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教育のステキな可能性 (中学校 通常学級でのエピソードから)

 2009-11-19
昨日、ある中学校へ訪問させていただきました。

昨年に続いて2度目の訪問です。

この学校の校長先生は、特別支援教育の大切な部分を、学校教育の根幹に取り入れていこうと考えられている方です。


当然ですが、昨年1年生だった子が、2年生になっています。

昨年、訪問させていただいた時に、注目していた生徒がいます。

場の空気、細かい感情理解や、文脈の中から類推したりすることが苦手なタイプの男の子です。

昨年は、細かい部分で食い違い、ギスギスしたり、イライラしたりすることが多く、自分が受け入れられていないという思いを強くもっているようでした。


さて、今年はどうなっているかと、教室に伺ってみると、しっかりいました。 すぐに見つけることができました。

昨年は理科の時間でした。 その時は、イライラしたようすで、鉛筆を何度もクルクル回していたのが、印象に残っていました。

1年ぶりですが、しばらく観察していると、その変化にすぐに気がつきました。

何か表情がやわらかい。 英語の授業でしたが、とても一所懸命勉強している。 個別指導を受けている別の子と会話をしたり、一緒に勉強したりしている。

何なんだ、この変化は? 私は驚きました。


授業後に、先生方とケース会議をさせていただきました。

そこで、私は、彼が生徒会役員に立候補して、当選したという話を聞きました。

この学校らしいな、と、心から感じられました。


彼が、立候補したということで、先生も、クラスメイトも、きっと不安がよぎったに違いありません。しかし、結果として、彼が当選するというところに、この学校が目指している生徒中心の授業づくり・学校づくりの大きなベクトルが機能したに違いありません。


彼は、このことで自分が他から受け入れられているという思いを強くもったことでしょう。

彼の大変身が、ここからスタートしたのです。

みんなの気持ちが、形となって具現化されていったのです。



この中学校、すごく柔軟な授業づくりをされていました。

一斉授業でありながら、主体者として個々の生徒が学習に向き合っていましたし、個別学習の時間なのに、みんなで一緒に勉強しようや~、みたいなムードがどのクラスにも見受けられました。

同じ教科書、同じ題材を使って、別室で個別学習が行われていました。 担当教科の授業のない先生が、空き時間には個別指導に回られているようです。

また、一つの教室に、多いときは4名の先生が同時に指導をされていました。 チームとして、それぞれの先生方が相互に信頼しあっているようすが、様々な場面でうかがえました。

個別指導で力をつけている子の事を、クラスのみんなが知っていて、私も負けられないと感じているということも教えていただきました。

個々に目を向ければ、様々な課題・厳しい場面もあるのですが、子どもたちの表情は穏やかで、真剣だけど、どの教室にもあたたかい安定した雰囲気が漂っていました。


「私の教員生活の中で、これほど職員に恵まれたことはありません」 

「特別支援教育にかかわる先生の理念や技術を、もっともっと学ばせて欲しい」

「可能な限り、先生をお招きしてケース会を開きたい」

校長先生は、そう言ってくださいました。 学校経営に対する自信と誇りに満ちあふれた言葉です。


こういう流れは、学校でしか作れません。 これぞ、学校教育の無限の可能性であり、大げさに言えば、日本の学校が世界に誇る教育の専門性なのだと思います。


私は、個々の特性理解にかかわること、幼児期からここまでどんな認知の段階を経て、生徒の今があるかということ、認知処理様式を2つの軸で考えて指導を構成すること、T1と支援員の先生の指導の内容的な連携、そして 課題のある子どもの 家族が中学校へどんな思いをもって見つめているかなどをお伝えしました。


予定時間をはるかにオーバーしてしまい、後の予定の調整が大変でした・・

学ばせていただいたのも、収穫を感じることが出来たのも、それは私の方でした。

私は今、何人かの子どもの就学を、ご家族の方と一緒に見つめていますが、目指すべき一つの形がここにあります。


私がここで実際に見たという責任を、かかわっている子どもたちのためにも、きちんと果たしていかなければと感じるのでありました。


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つまずきの理由が見えてくる時

 2009-11-17
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あなたは、数を数えるとき、どのように数えますか?

「いち・に・さん・し・ご・・・ 」

そうです。 それで正解です。


では、上のカードを見てください。 ケーキは何個ありますか?

そう、「4個 (よんこ)」 ですよね。 でも、右のカードは、4 (し) って書いてあるでしょう。 だれもケーキを 「しこ」 なんて言いません。

こういうことを自分のお子さんにどう説明し、どんな手だてを考えていきますか?


自然に分かっていくタイプのお子さんは、それでいいと思います。

でも、ひとつのことにこだわるタイプ、1点集中型、同時処理系の子どもは、全体を俯瞰したり、文脈の中で判断したり、切り替えたりする横の揺さぶりは苦手です。

「呼んで」 と 「読んで」 を大まじめな顔で、混同したりするのです。


もしかしたら、日常生活の中で、こういうことがたくさん起こっているのかも知れません。


先日、イチロー君のお父さんと、4×7=28 (ししち・にじゅうはち) を 「よん・なな・にじゅうはち」 と置き換えて考えさせた方がよいか、真剣に話し合いました。

イチロー君は今、九九の学習で、「し」 と 「よん」 、「しち」 と 「なな」 の置き換えに取り組んでいるのです。


手だての工夫は、なかなか大変です。

しかし、何でわかりにくいのか、理由が分かれば、打つ手も見えてきます。

さらには、こういうことが事前に判明していれば、1年生の数の学習の時に、このことを十分配慮して指導する事もできたはずです。


こういう事は、個別にていねいに寄り添って見た人でなければ、わかりません。

その子の学びのストーリーを、長年にわたって見つめていく視点も必要です。

こういうことをすべて、通常学級の先生に要求するのは、酷な事です。


そこに、家庭と学校との連携の中身が見えてくると、私は思います。

イチロー君のご家庭では、学校の先生の指導を大切に考え、その基本軸をくずさないようにしながら、彼の特性を配慮して、段階的にアレンジしていこうとされています。

学校は、子どもにとっては、唯一無二のオフィシャルな大切な機関なのです。

そのベースを大切にしなければ、「学校の先生と違う!」 と、混乱をきたし、強烈な拒否反応が返ってきます。


イチロー君のご家族は、以前、繰り上がりの計算の課題をとても上手にクリアされていきました。

このご家族なら、きっと九九の学習も、乗りこえて行かれることと思います。

そして、その事は、単に九九ができたということではなく、イチロー君の多面的な力が育ったということであり、家族の教育力・理解力に厚みが増した事を意味します。



こうした個の特性理解に関する研究は、今後一層進んでくると思います。

でも、こういうレベルの話になると、傾向は似ていても、AちゃんとBちゃんでは、全く違います。

具体的な学習の場面でそれが見えるには、なかなかの手腕が必要です。

私は、このブログをご覧になるご家族でしたら、ここに家族の果たすべき役割があると思います。


先日、ある教育委員会の方とプライベートでお話を伺った時に、私のかかわっているご家族の教育力の高さについて、話題になりました。

そりゃそうです。 私の所に来てくださるご家族は、相当なレベルにあると、いろいろな場面で実感しています。

だからこそ、やらなくてはいけないのだと思います。


これは、ちょっと言い過ぎで、誤解を招くといけませんが、あえて強調した言い方をすれば、

育てるのは、自分です。

学校は、任せるのではなく、利用するのです。

そこまで覚悟を決めたなら、見えてくる道もきっとあるはずです。


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育ての主体者としての家族の役割

 2009-11-16
子どもと心が通い合う瞬間というものがあります。

それは、表出言語とはまったく関係のないものです。

むしろ言語表出のたどたどしい子ほど、なぜがそのことが印象的に私の心に響きます。


この4月から私の教室に通ってきてくれるようになった男の子がいます。

いつか紹介したと思いますが、粘土の造形で比類なく才能を秘めている、2年生の男の子です。


うちの教室の入り口には、子どもの手の届かない位置に内鍵があります。

ホームセンターで買ってきて、私が自分で取り付けたものです。アルミ製の扉に付けるのですから結構手間がかかりました。

実はこれ、彼の脱走防止用に取り付けた物なのです。


彼は、当初かなりの抵抗感を私に示していました。

着席どころか、教室を何度も飛び出して、「もう帰る」「もう帰る」の連続でした。

教室外で手を握り、連れ戻すのがやっとの時もありました。

指導時間が終わって、ご家族に様子をお伝えするとき

「すみません。まだ鉛筆を持たすことさえできていません。 ここへ連れてきてくださる限り、私は決してあきらめませんが、いついつから学習ができるようになると、確約することは出来ません。往復1時間以上の時間と安くない費用のご負担をいただいている事は十分認識しています。 あとは、こんな状態でも、私を信じて連れてきてくださるかどうか、その一点にかかっていると思います。」

何としても、という覚悟はありましたが、明確な見通しがあったわけではありません。その時の私は、そう伝えるのがやっとでした。


昨日の指導では、その彼が、かなり私の指導のベースにのってくるようになりました。

鉛筆もしっかりもってます。(笑)

ひらがなもちゃんと読め、言葉カードを次々にクリアしていきます。

書字はこれからですが、短い文章も読め、数の量的認知も結構イケているのにも、驚きました。

それより何より素直です。 脱走はおろか、離籍も一度もありません。 ぐずぐず言うこともありません。

「○○ください」「ありがとう」 という、応答的なやりとりも可能で、表情もやわらかく、スキンシップを求めてきたり、にっこりと笑ったりして、とても楽しい時間です。

以前、教室でつばを吐いた時のような、ギスギス感は、もうどこにもありません。

その表情や、しぐさから、何とも言えないあたかいものが流れ込んでくるのを、しっかりと感じ取ることができるのです。


今、私はこの子が大好きです。

苦労の度合いが強かった分、その思いは一層深い物になっています。

そして、やっと見え始めた行く先に、わずかですが光の道筋がはっきりと見えるような気がします。 希望というのは、こういうことなんだなって感じ始めています。


昨日、お月謝をいただきました。月謝袋には、4月から8回分、私の印鑑がついてありました。

隔週の指導ですが、そのうち何回、鉛筆さえ持てない時間があったことでしょう?

でも、その時間があればこそ、今があることは明確です。


「ここまで来ると、欲が出てしまいます」

お母さんは、いつか私にそうおっしゃいました。 それはそうです。当たり前です。 以前は、ちゃんと席についてくれればいいと思っていても、それが出来たら、字が書けるように、計算ができるように・・

汲めどもつきぬ願いが生まれてくるのです。

だって、可愛い我が子ですから。


目に見えた結果が出ない時に、ずっと信じて連れてきてくださったことを、本当に感謝しています。

子どもというのは、多くの人のかかわりの中で育っていくものです。

学校の先生のまいた種に、私が花を咲かせることもあれば、その逆もあります。

育ちを誰か一人の功績として、特定するのは、あまり意味の無いことかも知れません。


ただ一つ言えることがあります。

それは、子育ての主体者は、その責任を背負うのは、最終的にはご家族であるということです。

そういう意味で、この子を育てたのは、まちがいなくご家族の力です。

私の指導が、いつもこうしたご家族の力に支えられていることを、改めて感じることができます。


扉にとりつけた内鍵に目をやる度に、何とも言えない深い思いが、私の胸にはこみ上げてくるのです。

ご家族への感謝の気持ちが、何度も何度もこみ上げてくるのです。

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支援をフェードアウトするという方法

 2009-11-13
私の所に来始めた頃は、着席も出来なかった子が、今はパソコンでパズルや簡単な学習をすることができるようになりました。

いきなりマウスが使えたり、プログラムの意味がわかったのではありません。

最初は、とにかくシールのついたボタンを押すだけのことからスタートしました。

次にマウスを握らせ、手を添えて操作を一緒にしていきました。

左クリック以外のボタンを勝手に押さないように、セロテープで固定もしました。

マウスを2つつけ、子どもが操作に困っていたら、そっと操作しやすい位置に戻してやりました。

プログラムに飽きてしまわないよう、操作の簡単なプログラムから、小さなステップで段階的に次のステージに進めるよう配慮していきました。

それを何回・何十回と続けているうちに、自分で操作する感覚と、プログラムのおもしろさを体感できるようになってきました。

知らない間に、マウスでポインターを自由に操作できるようになってきました。

先生用のマウスは今でもついてはいますが、それを操作する回数はすっかり減りました。

このように最初は手厚い支援をして、子どもに達成感をもたせ、その支援を実態に合わせて段階的にフェードアウトすることをプロンプトフェーディング法と言います。


これは、何もパソコン操作に限ったことではありません。

国語の読解でも、算数の計算でも、パズルでも同じように考えることが出来ます。


手厚い支援を行いながら、うんとこしょっと、自転車を押しながら坂道を一歩ずつ上がっていくのです。

そして一人で出来るようになったところで、頂上から自転車で一気に坂を下りていきます。

苦労した分だけ、眼下にはすばらしい景色を見ることもできます。

こういう瞬間が、指導をしていて、最も楽しく充実しているときなのです。

握っていた手、添えていた手を、少しづつ離していく感覚が最高です。


国語の読解文で、ついに自分で読み進めることができるようになってきた子がいます。

これまで、上り坂を、一歩ずつ、ずっとずっと踏みしめてきました。

もう1年以上も、このあゆみを続けてきました。

ここ何ヶ月かで、私の手が、少しずつ緩んでくるのを感じ始めました。

もうかなり自分の足で進めるようになってきたので、スピード感が全然違ってきました。

私は、横で見守り、「すごいね~」 「さすが~」 「いいぞ~」 の連発です。

よく、ここまで毎回がんばってくれたものと、抱きしめてやりたいような気持ちです。


この子、苦労した分だけ、自分の足で進めるようになった喜びを実感できています。

自分の足で歩む大切さを味わうことが出来ています。


君のスピードでいいんだよ。

でも、この1年間の歩みは、誰にも負けないし、胸を張って、誇りをもって、前へ前へと進んでほしいと思っています。

やがて、大空に向けて旅立つ日も、きっとやってくるに違いない。


早く咲いても、遅く咲いても、同じ花には変わりなく、きっとすべてが美しい。

世界に一つだけの大切な花が、また一つここに咲いています。

そrては、小さいかも知れないけれど、先生にとっては何よりの宝物です。



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君がその手で開いたんだよ 豊かな言葉の世界の扉を

 2009-11-12
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今年1月にあるお母さんが私の所へ相談に来られました。

「これまで、療育の先生や学校の先生のご努力でこの子なりの成長の手応えを感じていますが、一つだけ気になっていることがあります。それは、言葉によるコミュニケーションのことです。 学校や療育の場面では、構造化されたシステムや絵カードなどによる代替コミュニケーションを工夫してくださり、とても安定した生活をおくることができています。とても感謝しています。 私、ずっとこの子がひらがなが読めるように、家庭で一緒に勉強してきたんです。ただ、一文字一文字は読めても、まとまりとして 「りんご」 とは、なかなか認知できにくいようです。 学校の先生に何度かお願いをしてみたしたが、この子の課題だけを焦点化して取り組むには限界があるようです。どうか先生のお力をお貸しいただけないでしょうか。 言葉以外の代替コミュニケーションや、構造化されたシステムの中で生活が安定することも大切なことだと思います。でも私は、ナチュラルな言語の世界のすばらしさや豊かさを、わずかであってもよいから、この子に感じ取らせたいのです。春には小学校4年生になります。言語の発達には、年齢的な限界もあると思います。たとえ結果がどうであれ、親として出来る限りのことをしてやりたいのです。先生、どうかよろしくお願いします。」


数日後に、これまでお母さんがこの子と一緒に勉強してきた教材を、資料として送付していただきました。

それから、今日まで、私なりにいろいろなチャレンジをしてきました。

素直で優しい性格のお子さんでしたので、当初は、パズルや手作業的な課題を一生懸命取り組んでくれました。きっと、これまでの学校や療育と同じようなスタンスで取り組んでくれたのでしょう。

しかし、文字をえどる課題に取り組み始めた頃から、この子の態度に変化がみられました。

この子は、鉛筆をもつと、なぜか紙面を一杯にぬりつぶしてしまうのです。


指導の途中に突然、泣き出したこともあります。コミュニケートの方法が限られていますから、その原因を見つけるのが大変でしたが、そういう一つ一つの出来事から、私は、この子の意思を理解する感度が徐々に高まっていきました。

養護学校の先生が参観してくださった日も、途中から泣き出して、冷や汗がでました。もう、今日は指導ができないとあきらめかけた日だってありました。今思えば、このもがきの時間こそが、勝負の時間だったように思います。



前回の指導の時です。

以前は、教室に入ってくるとすぐに着席。綿密に構成されたプログラムを、着々とこなす展開でしたが、この頃はにこにこしながら、教室の新しい教材を物色したりします。

「こらこら、いつまでうろうろしているのよ。こっちへ来て勉強しなさい」 と、背中を押すと、すーっと着席しています。このすーっという手応えで、私は彼の気持ちを感じることができます。


彼の体調やお母さんの都合で、この日が久々のレッスンとなりました。

まず、くだものペアペアパズルで、「りんご」などの文字の切片を渡し、5つあるくだものの中からりんごを選ばせます。以前に、私が 「これはりんごだよね」 という聴覚性の支援を添えていましたので、今日はその聴覚性の支援をフェードアウトしようと考えていました。

集中力はこの時点では、散漫でしたので、正答率は60~70%位だったでしょうか? でも、いけます。読めています。ただ、このパズルには、リンゴという文字の切片に赤い色がついていますから、これもフェードアウトして調べる必要があります。

と、その時です。彼が、「あか」「みどり」「すいか」などと、つぶやきました。

私はすぐに、この言葉が、今やっている切片パズルのことではなくて、大好きなくだものの色塗りを要求しているのだと感じました。

「わかってます。このパズルがすんだら色塗りしようね~」 と言って、色塗りの用紙をプリントアウトすると、彼の表情が変わり、集中力が格段にアップしました。

ん? 今のって、立派な言語コミュニケーションだよね? クレーンでも、カードでもないじゃない? ほえっ~

私と彼との間に、まだまだ細いけれども、大切な大切なパイプがつながった瞬間です。


さて、いよいよ、聴覚性の支援も、色の支援もフェードアウトしたガチンコの教材での試行に望みます。 この時点で、レッスン修了時刻が迫っていましたので、お母さんに携帯で連絡し、少し時間は伸びるから、終わるまで迎えに来ないようにお願いしました。


上記のような教材で、ひらがなを絵にはめていく活動です。

最初はとまどって少しミスがありましたが、正答率は70~80%はあったと思います。 

どのように読めているかはわかりません。 でも 「すいか」 の文字を見て、すいかと認知できる力があることは、確かです。

わずかではありますが、表出言語はあります。「すいか」 が、すいかとわかるのであれば、やがてある程度の文は理解できるようになるはずです。 それによって、理解言語がどんどん増えていくならば、やがては簡単な文を音読することも可能になるのではないでしょうか?


やっぱり、やっぱりあのもがきの時間が勝負だった。 心を閉ざしたまま、何百回パズルや手作業を繰り返すより、ナチュラルにダイレクトに向き合う手法が、やっぱり正解だったような気がします。


これからも、いろいろな事があるでしょう。 すべての人に、同じ手法が成功するとも思っていません。 

でも、彼との細いパイプの中から流れ込んでくる、何とも言えないあたたかい気持ち。 この感覚こそが、コミュニケートの中身であるはず。

うまく行くときと、そうでないとき。 大切なのは、苦しい時です。 そこでどう向き合うかが、次の局面を切り開いていくのです。

彼は、彼自身の手で、その大切な扉を開きたかったに違いありません。


ここまで来るのに1年近くかかってしまいました。

時間が来て、お母さんをお呼びしました。

このことをお伝えすると、目頭を真っ赤にされていました。

「この子は、心を開いた人でなければ、泣いたり、わがままを言ったりしない子です」 と、私に伝えてくれました。

手段として学ぶ言語とともに、通い合うものと向かう先、その軸を決して忘れてはいけないと、改めて感じるのでありました。



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家族と共にあゆむ パートナーの責務

 2009-11-10
私は、昨年2月にこの活動を始めて以来、多くの子どもの育ちに、ご家族と皆さんと一緒に向き合ってきました。

おそらくこの1年と8ヶ月の間に、100件以上のご家族の相談をさせていただいたのではないかと思います。

中には、わずか1時間程度の相談のために、新幹線や高速を利用され、夫婦で仕事の休みを調整され、多くの時間的・経済的なご負担をいただきお越しくださるケースもありました。


こういう状況は、私にはすごいプレッシャーとなっています。

当初私は、こうしたご相談はなるべくお断りしていましたが、最近ではご縁があればお受けさせていただくようになりました。

中には私の力量不足で、十分なご期待に添えないケースもあったとは思いますが、多くの場合、予後がとても良いことに気がついてきたのです。

たとえ1ケースであっても、それがお子さんの育ちにつながる可能性がある以上、私はお引き受けすべきであるような気がしてきたのです。


海外からの一時帰国の時に、お越しいただくのも、珍しいことではなくなりましたし、東京からお越しいただいたケースもあります。

多くの場合、ここに来る道のりが険しい方ほど、ここに来たときには、ある程度道筋が見えておられる方が多いようです。自分の目指す道をひとつひとつ確かめるように言葉を選び、相談が終わったあとには、すっきりとした顔でお帰りになるのです。

私は、それを聞かせていただき、ほんのわずかだけ責任を共有させていただきます。 主体者としてのご家族の自己決定を支えることが、私のサポートの中身であると心得ているからです。


お子さんの発達に真剣に向き合っておられるご家族は、命の輝きが違います。言葉の重みが違います。

中には社会的な地位の高い方や著名な方もおられ、後でびっくりする事があります。 でも、そういうことは、お子さんの育ちには関係のないことです。 みんなここに来られるときは、愛おしい子どもの一人の親として、それぞれの課題に向き合っておられるのです。

だからこそ、大切な時間となっているのです。


我が子のことだけでなく、常に同じような立場の子どもとご家族のためにと、地道な活動を続けられている方がいます。

我が子のために、そして後に続かれるご家族のためにと、信じられないようなパワーと努力で、次々に不可能を可能に変えて行かれた方もいます。

それぞれ立場や環境は違いますが、ご縁があった方すべて、私にとってはかげがえのない大切なパートナーとなっているのです。


こうしたすばらしい方々との出会いが、私に影響を与えないわけがありません。

ご家族との一つ一つのあゆみそのものが、私は自分の何よりの財産だと思っています。

そしてこの財産は、私だけの物ではなく、多くの子どもの育ちと幸せを願う多くの方々の共有の財産であると考えています。

ですから、私には、私の果たすべき使命と責務があるのです。


人は、誰かの役に立つことによってのみ、自分自身の生きる意味を見いだすことが出来ます。

自分の命を引き継いだ、我が子のために生きること。

これ以上、尊い営みがあろうはずはありません。

私はそんな命にまっすぐに向き合っているご家族と共に歩むことを、何よりの誇りに思っております。


我が子のことを愛おしく育む営み

親として、人として生きる証が、そこにあるのです。

そのことを皆さんにお伝えすることも、私の大切な役割の一つです。


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「就学前・小学校・中学校」 まったく違う文化に揺れる保護者

 2009-11-09
私は20年以上、小学校の現場で働いていました。

家内は現役の保育士でしたが、実際の保育の現場の事について関心をもつことは、ほとんどありませんでした。

幼稚園や保育園へ頻繁に足を運ぶようになったのは、生徒指導主事や教務主任になってからです。学級担任時代には、幼稚園や保育園に行くこともなければ、話をする機会もほとんどありませんでした。

幼稚園・保育園・中学校の先生方と交流できるのは、中学校区で行われる同和教育の研修会の時くらいでした。実際に保育や教育の様子を見ることは皆無に近い状態でした。


生徒指導主事時代、中学校の担当の先生から是非相互交流をしようという話になり、参観日を利用して初めて中学校の授業を参観しました。

そこには6年生の時に、専科として理科を教えた子どもたちの姿がありました。私が行くと、手を振って喜んでくれましたが、チャイムが鳴るとほとんどの教室で、講義式の授業が淡々と行われ、良くも悪くも、ひたすら板書された文字をノートに写す子どもの姿がそこにありました。

活気もなければ、主体的な学習でもない。でも余計なことを言ったり、わがままな行動をする子の姿もない。6年生の時に、教室を抜け出して私と個別学習をしていた子も、ちゃんと席について一斉授業を受けていました。

逆に小学校では、ほとんど休む事も無かった子が、学習面で大きな壁にぶつかり、中学校では不登校状態になっているケースもありました。小学校の教師でありながら、中学校の授業をこの年になるまで見る機会がなかったという事に、何とも言えない気持ちを持つと同時に、近くて遠い中学校の存在を改めて知ることになりました。


教務主任時代は、就学の直接の窓口になっていましたから、幼稚園・保育園では、何度も足を運びました。クリスマス会でサンタクロースの役をしたり、もちつき大会で杵をもったりしました。

逆上がりなど幼稚園・保育園で出来ていたことが、小学校で出来なくなる場面も多く見てきました。発表会など、小学校の中学年以上の完成度という逆転現象や、あんなにきちんと出来ていた集団行動も、小学校の運動会の開会式で、砂いじりばかりしている子どもの姿をみると複雑な気持ちになりました。

年長で小さい子のお世話が出来るまでに育った子が、小学校では6年生に給食やそうじの手伝いを受ける・・

最近では、幼・保と小学校との連携が比較的進み、実際に幼稚園・保育園へ足を運ばれる小学校の先生も増え、かなり風通しがよくなったように思います。


しかし、就学前に行われていた医療や療育のサポートが、就学と同時に減少されるケースは多いようです。

特別支援学級などが、メインの教育機関として、その子の学びを支えていくことになるのですが、ここ10年で急速に進歩した発達にかかわる理念や技法に対して、小学校の現場には、それだけの専門性をもった人材があまりにも不足している現実がそこにあります。

子どもがそれまで受けてきた医療や療育のサポートを理解し、それを踏まえた上で、主体者としての教育の専門性を発揮できる人材の育成が急務となっています。

すばらしい情熱と教育的な力量をもった先生も多くいますが、現実にはそのギャップはあまりにも激しいように感じています。 「通常学級の担任ができないから・・」 という、あってはならない理由で、支援級の担任になるケースも無いとは言えないのが現実です。


最近は、相談員という形で、中学校へ公式訪問させていただく機会があります。

中学校は、独特の文化のあるところだ、というのが私の印象です。

小学校の特別支援教育の流れが、そのまま中学校には引き継がれていると考えない方が良いと思います。

当然のことながら、学校によってその取り組みには、かなりの開きがあるようです。

小学校の段階で、当該中学校に保護者が訪問されるケースも、私の耳にちょくちょく入ってくるようになりました。

中学卒業後のことが、目の前にありますから、ここの選択も迷う所です。

当然地元の中学校をベースに考えられると思いますが、そうでないケースもごく普通になってきました。

私は、同じ学年で同じようなタイプの6年生、一人は地元の通常級、一人を別の中学の支援級に進学させました。

どちらがよかったかという答えを、いまだに見つけることはできません。


こういうことに対するリアルな情報についても、皆さんにお届けする責務が、私にはあるのではないかと思うようになってきました。

私は、皆さんと同じ立場で、同じ視線でサポートさせていただきながらも、私にしかできないことで、子どもやご家族のお役に立つことができればと考えています。

皆様が平素お感じになっていることなどありましたら、ぜひお知らせいただければ幸いです。

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笑顔と信念で就学に向き合おう

 2009-11-06
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ちょうど今は、就学時の健康診断が行われている所が多いのではないでしょうか?

私は、ここ数年、多くのお子さんの就学に、直接向き合ってきました。


今2年生の太郎君のお母さんには、2年前、各種の就学相談や検査、学校との交渉などにすべて同席させていただき、お母さんと同じ立場で小学校への就学を見つめてきました。


上の絵は、今教室に飾られている、太郎君の図工の作品です。

教室の廊下で太郎君を待っていると、担任の先生がわざわざ私にご案内してくださいました。

どうです、ステキな絵でしょう。 今の太郎君の表情そのものです。 すばらしい先生と一緒だと、こんな絵がかけるようになるんですね。

今は、お風呂でお兄ちゃんと一緒に九九の練習をしているんだと、昨日お母さんがメールで知らせてくれました。

毎週月・金の私の指導でも、一生懸命勉強しますし、よくしゃべってとても楽しいです。 保育園時代には、卒園式で、はじめてみんなの前で声が出せた子です。

感動したおばあちゃんが、とてもていねいなお手紙を下さったことが、遠い昔のことのようです。


あれだけ抵抗のあった計算問題も、「こんなの簡単!」 と言って、あっという間に片付けます。

涙を流して、私の教室で固まったことがありました。 学習が成立せずに、私の方が投げ出しそうになった時期もありました。 衝動的に物を投げたりすることもありました。

でも、今は、遠い昔のことのように思えてしまいます。


「通常学級は無理です」

「通常学級で痛んだ子を、途中から支援級に入れるのはかわいそうです」

「通常学級をベースに個別的な支援? そんなの認めたら、学校はパンクしてしまいます」

「インクルージョン? ここは日本です。 理念ばかり先行させないでください」

「1年生の時は良くても、2年生・3年生ではどうなるかわかりませんよ」


2年前、私たちにそう言い放った人の顔を、私ははっきりと覚えています。

今、どんな顔で弁明をされるのでしょうか?


そんな事、言ったことすら覚えていないのかも知れません。

いやいや、それはそう言う意味ではなくて、と、上手に弁明をされるこも知れません。


でも、その言葉を真っ正面に受け止め、ずっとずっと歯をくいしばってがんばったのは、このお母さんです。


分からず屋の先生もいましたが、太郎君の場合、担任の先生には本当に恵まれました。

色々な出来事もあり、学校の姿勢もだんだんと変わってきました。


太郎君にも、まだまだ育てて行かなくてはならない課題もあり、決してすべてがバラ色というわけではありません。

でも私も、きっとお母さんも、この選択で良かったと心から思っているはずです。


そういう意味では、リスクを精査・指摘された、先生方の辛口の助言が、大きなバネに、エネルギーになったのかも知れません。

就学にとって大切なのは、選択そのものではなく、選択後の教育活動の創造と連携である、ということが、この太郎君との営みでも、明確に示されたのではないかと思います。


今も、いくつかの微妙なケースにかかわっています。

支援級で固まっている方、通常で揺れている方、それぞれ本当に様々です。


今この場での、真剣な選択、もちろん重要です。

でも、選択は文字通りスタートであって、ゴールではありません。


いろいろとありますよ~

覚悟は決めてください。


でも、一つだけ忘れないでいてほしい事があります。

お子さんの豊かな学びに向けて、お母さんのご努力はダイレクトに跳ね返ってきます。

すぐには結果はでなくとも、努力はうそをつきません。

お母さんの命を、そして愛情を、あなたのお子さんは必要としているのです。


苦しい場面もあるでしょう。 でもこれ以上尊い営みが、一体どこにあるというのでしょう。

笑顔と信念で、お子さんの就学に、もう一踏ん張り、向き合ってください。


決めてくださるのは、ご家族の皆さん。

私はいつもこの場所で、応援させていただきます。

ほんのわずかだけど、関わった者の一人として、責任の一部を共有させていただきます。 私は、絶対に知らん顔はしません。


だから、全部をすべて抱え込もうとせずに、ちょっとだけ肩の力を抜いて、笑顔でしなやかに、したたかに、一歩ずつ歩んで行って欲しいと願っています。


繰り返しますが、私はずっとずっとここにいますから・・


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向かう先が見えるという指導性

 2009-11-05
[高画質で再生]

運動会・なわとび(5) 2009-10-24 [専用サーバー]

うちの保育園では、ようやく歩けるようになった1歳の頃から、長縄の練習をします。

縄の真ん中に立ってぴょんぴょんとリズミカルにジャンプができれば、保育士が後ろ回しで縄をまわしてとばせます。

小さく素早いジャンプですから、かなり速く縄を回さなければなりません。

経験豊かなベテランの保育士ほど、子どもは上手に長縄の中でジャンプできます。

子どもが上手に跳べるようになるためには、保育士が、いかに子どものジャンプに合わせて縄を回せるかがポイントになります。

縄を回している保育士を見ると、子どもと同じリズムで自分も小さくジャンプしています。

子どものリズムとシンクロしないと、うまくはいきません。

先生の仕事は、いかに子どもに成功体験を積ませるかにかかっています。

こうした小さな積み重ねによって、5歳児になれば、長縄の中で二重跳びが連続できる子どもに育っていくのです。


言語についても、数量についても、私が教室で行っている個別指導も、要は同じような原理で行っているのです。


まずは、子どもがどんな見方・とらえかたをしているか、そのリズムをつかむことから始めます。

リズムをつかんだら、子どものリズムにあわせて上手に縄を回してやります。

今までできなかったことが、私と一緒ならできるようになったと子どもは思うのです。

本当は、その時点では、私が上手に縄を回しているだけで、子どもが育っているとは言えないかも知れません。

でも、子どもは、それまで苦手だった分、長縄がとべるようになったことがうれしくてたまりません。

何回も実際に跳んでいるうちと、子どものことですから、すぐに筋力もついてくるし、巧緻性も向上していきます。

そして練習を重ねているうちに、いつの間にか、誰がどんな風に縄を回してもとべるだけの力がついてきます。

こうしてお子さんの特性を理解しながら、成功までの、小さなステップを、子どものモチベーションを下げないように構成していくのが、自分の仕事であると私は考えています。


この秋から、うちの保育園に通う男の子が、日曜日の夕方に私の教室にも来てくれるようになりました。

先日、なわとびが急に上手にとべるようになったようです。

遊園地よりも、私の教室のアンパンマンパズルの方が楽しいと言ってくれたのもこの子です。

視覚認知力がとても優れているので、それを生かした言語指導を工夫していきたいと考えています。



以前に作った 「アンパンマンのひらがなカード」 に一番食いついてくれたのはこの子です。

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アンパンマンのキャラクター名は、すでに内言語化されているので、このカードを使ってそれを引き出したり、ひらがなと結びつけてとらえさせたりしています。

くだものが得意な子は、くだもので。 動物が得意な子は動物で。 アンパンマンが好きな子は、アンパンマンから入ります。


アンパンマンの幼児用教材は、結構揃えているので、とても楽しみにしています。

私が楽しいのですから、子どもが遊園地より楽しいのも分かります。


1回1回の指導で、小さくても一歩ずつ前へ進んでいきたい。

時として、すばらしい大ジャンプを見せてくれることもありますが、そのほとんどは、小さな小さな歩みの積み重ねです。

いっぺんには大ジャンプできなくても、振り返ると、知らない間にこんな所まできたかとびっくりすることもあります。

自信をもった力強い後ろ姿が、子どもの信頼感を支えます。

その先にあるのは、半年・1年後の子どもの成長した姿です。


「教師の最大の指導性は、見通しをもつこと」

先生と一緒に勉強すれば、大丈夫、

いつも笑顔で子どもに向き合える自分でいたいと願っています。


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意味がちゃんとつかめる力

 2009-11-03
例えば、「もういいよ」 という言葉があったとします。

でもこれだけでは、A=「準備ができたから、もう来てもいいよ」 というような意味なのか、B=「さっきその用事が済んだから、もう来なくていいよ」 と言う意味なのか、わかりません。

私たちは、全体の流れ、いわゆる文脈や、言い方や、表情など、いくつかの情報を総合的に分析してそれを判断していくわけです。

最近、何人かの子どもの指導をしていて、そのメカニズムも2通りあることに気がつきました。


まずは、1点集中フォーカスタイプの子どもの場合。

こういうタイプのお子さんの場合、1点から密度の濃い情報をダイレクトに受け取っていますから、たくさんの情報を一度に分析することが苦手です。完璧主義タイプの子が多いですから、問題が出来なとかなり心が揺れ、パニックになる子もいます。

私は、たくさんの要素の中から、関係のある情報だけ整理して、それをひとつの図式にまとめていく学習が有効だと考えています。何度かこういう方法を体験していくと、心も安定し、見通す力も育ち、何とか文脈を理解していくスキルが身につくのではないかと考え、日々の指導を行っています。


次に、1個ずつ順番に整理していかないと、途中でシャッターを降ろしてしまうタイプの子どもの場合。

こういうタイプのお子さんは、何かちょっとむずかしい部分があると、そこからは思考が機能しなくなり、次から次へと適当な答えを書いてごまかす傾向があります。例えば、Aという答えを書いて、私の顔色を見ます。よくしゃべる子が多く、何だかんだでそれが正解かどうかを、内容ではなく、私の反応で伺ったりします。 やる気はあるのですが、Aがだめなら、Bかいな、とそのエネルギーが迷走しがちなタイプです。

長い文章だと、誰でもどこかに一つ位わかりにくい部分があるはずです。

こういうタイプの子は、全体の流れの中で、行ったり来たりしながら、文脈の中で類推することが苦手なわけです。

ですから、結果として、前者の1点集中タイプの子と似たような現象が起こります。文章の中の一部しか頭の中に入りきらないのです。


しかし、指導法は、一点集中タイプの子とは異なります。

とにかく、最初から順番にわかりにくい部分やあいまいな言葉をしらみつぶしに調べていきます。どんな簡単な言葉でもいいから、質問すればすぐに答えてやれるような信頼関係が必要です。

答えは絶対に教えませんが、文章の内容をつかませるための精査には、たっぷり時間をかけます。それを完全につかませてから、問題文に取り組ませると、水を得た魚のようにスイスイ泳いでいきます。

わかならい問題文ぶつかって、あっちこっちバックするより、時間的な面でも、達成感の面でも、モチベーションの面でも、効果的です。

それが、SHINOBU先生と勉強すると、わかるから楽しいにつながればしめたものです。


その子のモチベーションがあがると、表情やコミュニケーションなど、あらゆる部分に波及効果が現れます。

学校休んでも、私の教室に来る子、遊園地よりも、ここでパズルをしたことが楽しかったという子も何人もいます。

最初は、パズルやゲームや簡単な問題でいいから、どんどん成功体験を重ねてやりたいものです。


集団のエネルギー、家族の深い愛情、専門家のテクニカルなサポート・・

きっと私のやっていることは、ほんのささやかな第4のアシストに過ぎません。


「あなたはこんなにステキな子なんだ。 顔を上げ、自信をもって、堂々と道の真ん中を歩いていこう。 先生はいつも君と一緒に歩き続けるから・・」

私が指導を通して子どもに育てているのは、実はそんな気持ちなんだと思っています。

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先生と手を取り合うこと

 2009-11-02
学校・園というのは、子どもにとっては最も大切で、特別な場所の一つです。
もちろんそれは、ナチュラルであたたかい家庭の愛情や育てが根底にあっての話です。

教育的な営みも家庭的な営みも、どちらも子どもにとって不可欠なものであり、双方は同じ事をするのではなく、違うことをする方が私は良いと思っています。

双方が軸足をしっかり据えての連携は大歓迎ですが、それぞれはそれぞれでしかできない大切な役割があることを、もう一度しっかり見つめてむることも大切ではないかと、私は考えているのです。


小さなエピソードを紹介します。

1ヶ月前にある女の子と30Pのパズルをしました。

その子にとって初めてするパズルだったので、私はその子の認知特性に合わせて支援を行いながら、そのパズルを完成させました。とりあえず完成すれば、その日はそれでよいと思っていました。いわゆるイントロの、予告刺激と考えていたのです。


それから一ヶ月たち、その子と再会する日がやって来ました。

前日、お母さんと打ち合わせをしていると、どうやらそのお子さん、30Pのパズルが自分でできるようになったということです。私に見てもらいたくて、家庭で、楽しみながら自分でそのパズルに取り組んだようです。

月に一同の指導でも、使いようによっては、こんな効果もあるわけです。

私という存在を、お子さんのために上手に家庭で活用いただいた、一つのモデルケースと言えます。


子どもを育てるのは、家庭の役割です。

学校・園はその一部を委託する所であり、育ちそのものを請け負う所ではありません。

ならば学校・園には、その専門性として何を委託すれば良いのでしょう?

それは、深い教育的愛情と、オフィシャルな教育機関としてのカリスマ性だと私は思います。


先日、ある1年生の女の子が、通常学級の先生の前では別人のように、かわいい良い子になってがんばっている姿を見ました。別室では、さんざん先生を困らせていた子どもです。きっと、この1年生の先生が大好きだったのでしょう。

ここへ行けば、あの先生と勉強すれば、きっと私は楽しく勉強できる、かしこくなれる、立派になれる、そんな気持ちを育てることも、ご家族の大切な役割です。


時には、親として学校・園に強い気持ちをもって向き合わなければならないことがあります。どうしても引き下がってはいけない時もあります。

しかし、子どもに担任の先生を尊敬する気持ちがなければ、きっとあのパズルのようなことは起こらないし、あの1年生の先生に見せた笑顔もないわけです。


「さあ、これからSHINOBU先生と一緒の勉強が始まるね。ずっと待っていたのだよね。楽しみだね、がんばっておいで~」

私が子どもにとって特別な存在でいられるのは、こうしたご家族のご協力のおかげです。

私は、そうしたご家族の気持ちをありがたく思えばこそ、教材開発や指導の工夫に、ここ一番の踏ん張りが効くのです。もしも、これがなかったら、今の私はあり得なかったと思います。

先生と言えども、人間的には決してパーフェクトな存在ではありません。ですが、子どもにとって尊敬される存在であり続けたいと願っていますし、そのための努力は惜しみません。そうでなければ、決して大きな教育的な効果や奇跡は起こりえないことを知っているからです。


ぴかぴかのランドセルに込められた、大きなあこがれや希望。

そのエネルギーを大切に育んでいくことは、ご家庭の大切な役割です。

みんな自分のクラスや先生に誇りをもっているのです。

学校・園の先生には、指導者としての深い愛情と、強いリーダーシップでカリスマ性を発揮していただきたいと思います。

先生のやる気を育てなければ、子どもに決定的な不利益につながります。

子どもを真ん中に置いて、手を取り合う工夫がここに必要となってくるのです。


指導力や権威を失った学校、子育て機能をどこかに丸投げしている家庭では悲しすぎます。

本来の役割が機能してこそ、初めて連携は可能になるのです。


お子さん一人一人で状況は違いますから、決して一般論では語りきれません。

学校・園は、集団で育てるというその専門性と、その本来の機能をしっかり見直していただきたい。

家庭はその機能を上手に利用しながら、一方で、お子さんの特性に応じた専門的な指導を委託する環境を選択・構成していくべきだと考えます。

委託と丸投げは違います。

主体者としてのご家族がいてこそ、連携が可能であることを、私はパズルの小さなエピソードからしっかりと感じることができたのです。


私は、私の役割をしっかりと果たしたい。

得意げにパズルをする女の子の横顔を見ながら、私のやる気モードは、ますますヒートアップしていくのでありました。

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Author:SHINOBU
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