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個別の認知特性の観点から 通常学級の授業を見る

 2009-10-29
昨日は、機会があって私が個別指導をさせていただいているイチロー君 (小2) のクラスの国語の授業を参観させていただきました。

担任の先生は、すばらしいセンスをもった新進気鋭の若手の男性の先生です。


この日の学習は、物語文から主人公の特徴をまとめていく内容です。

先生は、子どもたちの発言を引き出しながら、主人公の登場人物に対するかかわりを、順に黒板に板書して、まとめていこうとされています。

挿絵を2枚用意して、時折映像でそのことを振り返っていました。


多くの子の発言があり、とても活発な授業でした。

そもそも私に公開することを前提として、こうした読解のキモの授業を設定することに、この先生の前向きな姿勢が伺えます。

しかし、当然ですが、常時発言している子は一部の子であって、途中で何が何だかわからなくなり、週末のまとめで支援が必要な子も多くいました。

支援の先生も、個別の対応をされてはいましたが、やはり後手に回っている感じは否めませんでした。


授業後、教頭先生と私と彼との3人で授業反省会をさせていただきました。

私は、子どもの多様な認知特性という視点で、子どもの立場になって、この日の授業を振り返ってみました。

「子どもの認知特性は、千差万別で、発達によって変化していくものではありますが、それをいくつかの軸にまとめて考えることもできます。例えば、聴覚性と視覚性という軸もあれば、細かいことを精緻にとらえる軸、全体や文脈を理解するといった軸もあります。例えば、視覚優位の子は、次から次へと言葉のシャワーが降り注ぐと、何が何だかわかににくくなる傾向があります。言葉を時系列に従い、順序よく整理する方がわかりやすいタイプの子もいれば、それだと情報量が多すぎてあっぷあっぷする子もいるのです。言葉の情報量が多すぎると感じやすいタイプの子には、あの挿絵を使って内容を1枚の紙に統合化する学習の方が有効です。表に時系列で言葉で整理する方法と同時に、映像に統合化する支援を組み合わせるこもは可能だと思います。もし、支援の先生にその視点があれば、支援の内容がダイナミックになったかも知れません。私が担任なら、週末のまとめの時に、イチロー君のようなタイプの子には、選択形式の補助的なワークシートを与えます。それできっと彼はさらに達成感をもつことができると思います。ちなみに私は、今日の先生のような授業がわかりやすいタイプです。だから自分の講演の時には、苦手なパワーポイントをそういうタイプの方のために補助的に使っています。それは、私と反対の認知特性の方がいることを知っているからです。教師は自分の得意な方法で指導を組み立てることが第一ですが、それをふまえたうえで、ちょっとだけそういう配慮ができると、先生の力量はさらにアップされると思います。」

この先生は、「あっ、そうか~、と大きくうなずいてくれました。」

何かがストンと心の中に落ちたようで、もう次への一歩を踏み出しているように感じ取れました。


先生方へのご相談が終わったあと、私はイチロー君のお宅に伺い、いつものように45分の個別指導をさせていただきました。

そこには元気いっぱいの、明るいイチロー君の姿がありました。

お母さんも、この先生はすばらしい先生だと、とても感謝されていました。

私たちの目指す小さなインクルージョン (運動会の熱いエピソードから)

 2009-10-27
[高画質で再生]

運動会・なわとび(1) 2009-10-24 [アフィリエイト]


先週の土曜日は、私たちの保育園の運動会でした。

年長組の担任は、私が小学校5・6年で担任だった教え子です。

昨夕、ある年長組の子どものおばあちゃんが、今回の運動会のことで大変感動され、わざわざ私の所へご挨拶にみえられました。

実は、この子のお母さんが突然のご病気で他界され、このおばあちゃんのもとで暮らすようになり、以前いた保育園から、私たちの保育園へ転園されてこられたのです。



私たちの保育園は、ある意味大変厳しい保育を行っています。

10月の末の運動会ですが、子どもはもちろん、職員一同全員、はだしです。

発達面に課題のある子どももいます。 十分な特性理解と教育的配慮に心がけていますが、決して甘やかしたり、特別扱いはしません。たとえうまくできなくても、遅れても、最後までやらせます。その懸命な姿を見て、クラスの子どもは、その子の命の大切さや人間の尊厳を感じるのです。歯をくしばってがんばる姿を見て、同じクラスの大切な一人として受け入れ、共にがんばろうという気持ちが生まれるのです。心の芯からメンバーとして受け入れる気持ち、これが私たちの考えているインクルージョンの一つの形です。

「障がいがあっても、一緒に入れてあげる」 というのは、そもそも最初から分けていますよね。そうではなく、まず同じ仲間という意識を育てることが 、最初に来るわけです。

映像を見ておわかりいただけると思いますが、3歳や4歳でも、ほとんどすべての子が大縄の中で短縄が回せます。年長なら、逆上がりや後方支持回転も、ほとんど全員ができます。一輪車や竹馬も楽々できます。


しかし、こんなことが最初からできるわけがありません。0歳・1歳の頃から縄を持ち、毎日毎日練習を積み重ねていくから、出来ることです。

もちろん能力差もあり、早い遅いもあります。でも、あきらめなければ、必ずいつかはできる、その子なりの形というものがあります。だから、遅れてでも最後までやらせます。うちの保育園出身の太郎君も、こうやって育ってきたのです。


年長組に途中入園してくるということは、子どもにとってかなりハードなことです。

基本、0歳の時から縄を握ってきた子と同じ活動をすることになるのですから。

でも、どの子も一度や二度は苦しい壁を乗り越えてきたわけです。

うまく行かないときの苦しさも苦労も、みんな味わってきたわけです。

懸命に歯をくいしばってがんばる友達には、当然やさしい気持ちと仲間意識が芽生えます。だからこそ、特別扱いをしたり、甘やかしてはいけないのです。甘やかせてしまうとと、集団から疎外されやすくなり、結果としてその子を痛める結果となってしまいます。

豊かな愛情と、適切な手だてをもって厳しく育てると 、周りの子が自然、その子を応援するようになってきます。このクラスのみんなのあたたかいまなざしが、その子が壁を打ちぬく大きなエネルギーになっていくわけです。指導者の大きな仕事は、クラスにこのあたたかいまなざしを根付かせることであり、集団で育てる教育の限りない可能性がここにあるのです。

こういうことは、個別指導では育てにくい内容です。


保育園には、私の所に個別指導を受けにきている子もいます。

そのご家族の皆さんも、「あんなにできるようになっているとは思わなかった」 と、目頭を熱くされていました。

私、この子の個別指導は、あえて日曜日の夕方にさせていただいています。 それは、普段の保育との線引きをきちんとしておくことが大切だと考えているからです。運動会では私は副園長先生であって、SHINOBU先生ではないのです。集団の中で、生き生きと成長できる子を育てるためのサポートですから、軸足をきっちり通常の保育の中に置いておくことが大切です。それがあってこそ、個別指導の役割が明確になるのです。


運動会の反省会の時、年長組の保育士は、感激して大粒の涙をこぼしていました。

「プロなんだから、その専門性として行事の完成度は当然問われてくる。しかし、行事としてうまく行けばそれで終わりという事ではない。一人一人の子どもの成長やご家族の幸せにとって、今日の運動会がどんな意味をもっていたか? 明日からはその事を、一人一人の子どもやご家族と一緒に見つめなさい」

私は、職員にそのようなことを伝えました。


年長組でのいきなりの運動会、たとえ技能は少しくらい未熟でも、りっぱにやり遂げたその子の命は、みんなと共に美しく輝いていました。

そして、そのことを誰よりも深く理解しているのは、担任の先生と、クラスのみんなであったに違いありません。

そのおばあちゃんから、真心のこもったお気束使いをいただきました。

私たち職員の心に、また一つ、大きな自信と命を吹き込んでいただきました。


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運動会・とび箱など(1) 2009-10-24 [ドメイン]


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運動会・竹馬(1) 2009-10-24 [拍手]


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運動会・和太鼓(1) 2009-10-24 [SNS]

ありのままの子どもに寄り添うことと 多面的な軸で課題に向き合うこと

 2009-10-26
先週、私が参加させていただいているセミナーが、大阪で開催されました。

私は日程の都合がつかず参加できませんでしたが、下記の実践を掲載していただきました。





 一昨年のある日のことである。一人のお母さんが、私の勤務している保育園へ相談に来られた。 「ある方より、先生のことを紹介していただきました。小学1年生になるうちの子どもの事について、ぜひ先生に相談にのっていただきたいのです・・」と、いう内容であった。
 お話を伺っていると、そのお子さん(花子ちゃん=仮名) は、保育園の時にはさほど大きな課題は見受けられなかったが、小学校に入学ししばらく経った頃から、学習に対する強い抵抗感が見られるようになり、宿題の時に家庭で泣いたりあばれたりしたようである。お母さんは、「学校から専門機関との連携などのことについての連絡があったときには、まさに晴天の霹靂、天と地がひっくり返るような思いだった」と後になって述懐された。この痛いほどの切実感を、私はずっと忘れることが出来ない。
 こうしたお母さんの思いを受けて、私はこの子と正面から向き合うことになった。今行っている発達支援の活動が、ここからスタートしたのである。
 それからいろいろな関係機関・医療機関へ、次々と足を運ばれたお母さん。講演や研修会、色々な会に出かけ先輩のお母さんの話を参考にされたりと、これまで開いたことない未知の扉を、その細い腕で懸命に開こうとしているようであった。花子ちゃんの参観日には、私もご両親と一緒に行かせていただいりもした。そして、「親として、どうしてもこの子に力を付けてやりたい」という、血のにじむような思いで、特別支援学級への入級を決断されたのである。
 「薬を飲んで落ち着いたとしても、ちっともうれしいとは思いません。学校で何も起こらなかったら、それですべてよかったとも思いません。むしろいろいろな出来事があって、それを通して少しずつ乗り越えていくような毎日であってほしい。障がい児だから、将来はここまで、これ以上は伸びないなんて決めつけられることには耐えられない。もしも希望をもつなというのであれば、私はこの場で死んだ方がましです。」
 毎週金曜日の夕方、私は花子ちゃんの自宅に訪問するようになり、90分間、一緒に勉強をするようになった。指導の後には、毎回その週に起こった出来事をお母さんに伺い、1時間以上お話を聞かせていただくこともしばしばあった。
 花子ちゃんが1年生の時、「すごろくゲームをしよう」と言って、さいころを振った時のことである。花子ちゃんは、何度同じ「5の目」が出ても、いちいちそれを「1・2・3・4・5」と数えていた。5つの点はしっかりと見えている。しかし、それを5という量的な数字と結びつけることが苦手なのだ。「1」と「2」は、そうではなかった。「3」以上になったときに、それは形が複雑すぎてインプット出来にくかったのと、 数概念自体が情報の入力不足により育っていなかったのだ。だから、何度「5」の目が出ても、それをいちいち指で1・2・3・4・・と数えなければならなかった。
 ある日、花子ちゃんは、「私ね、大きい音の出る所にいると頭が痛くなるの」と、伝えてくれた。どうやら家族で大衆演劇を鑑賞した日の出来事のようである。
 数概念の育成と共に、当時の花子ちゃんの最も大きな課題の一つは、書字であった。特に「大」や「弓」のような曲がりのある文字が、何度練習しても書けない。学校の宿題で、何度も涙を流した一因がここにある。さいころ同様、視覚性のインプットが苦手なのである。
 花子ちゃんは、お話を読むのが大好きである。さいころの目も、弓という文字もも認知できにくいが、「大きなかぶ」などは、大楽勝で音読ができるのである。視覚性の細かいインプットが苦手であっても、聴覚性の音声入力機能が得意である。繊細で豊かな入力ソースをもっているがゆえに、大衆演劇の時に頭がいたくなるのである。細かい精緻な部分の認知は苦手でも、全体をざーっと俯瞰する能力が育っていた。音読もとても流ちょうに読んでいる。注意深く聞いていると、細かい部分はいい加減で、部分的には花子流のアレンジ(=アドリブ?)がしばしば入っている。
 特性に応じた支援が必要であるが、私は、花子ちゃんのこの読解能力のすばらしい力に初めて気がついたとき、うれしくてうれしくて、指導中に涙が止まらなかったことを覚えている。当時は、まだまだ書字が苦手な段階だったので、問題をすべて下記のような選択形式にして提示してみた。

そのとき、くまさんは どんな きもちだったでしょう。
(1) なんだかふしぎだな。
(2) はやくやってみたいなあ。
(3) あした もういちどきてみよう。

 文字にして記述しなさいと指示すると、当時はほとんど答える事ができなかった花子ちゃんであったが、こういう選択方式の問題で組み立てると、まるで水を得た魚のようにスイスイと答えを解いていくのである。
 パソコンの学習ソフトも何度も利用した。算数で、三角の色板を敷き詰めるものや、立体の側面や底面の形を答える学習があったが、当時の花子ちゃんは、こうした問題にはまったく手も足もでない状態であった。もちろん、数図ブロックを使っての数の合成・分解など、まるでアラビア語の文字で書かれているかのごとく、入力することがとてもむずかしい状態であった。指を3本立てても、それを「3」と瞬時に認知することがむずかしかった。これでは「1+2」の問題で涙が出ても仕方がないのである。
 私は現在、就学前のお子さんの個別指導もさせていただいている。毎週20名以上の子に同じアンパンパズルをさせていると、いろいろな気づきがたくさんある。前の週まで、色をたよりにパズルをはめていた子どもが、次の週には図柄に注目して選び始めるようになる。それがまた、形に変化したり、また色に戻ったり・・ こんなスパイラルを繰り返しながら、子どもの認知力は高まっていくのかと、私にしてみれば興味津々の活動となるのである。
 私は生まれでこの方、50年以上も自分なりの認知活動?を続けているので、バナナと言えば、原産はフィリピンで、黄色くて、長くて、皮があって、食べやすくて、道に皮を捨てたら誰かが転びやすくなって、ジュースにすると結構イケル・・みたいに、その経験からそれを多面的にとらえている。しかし、子どもにとっては、ある時期には、黄色くて長いものは、お月様でも、パズルでも、それはみんな同じ「バナナ」だったりするのである。一つ一つの認知活動を積み重ねていくことにより、それを立体的・多面的・多角的にとらえることができるようになっていく。テレビを見ていたら、開いた口も、おはしも動かないのが子どもである。多感覚の大人と同じようにとらえることはできない。ならば、苦手な視覚認知ばがりを入り口にするのでなく、得意な聴覚認知を最大限に活用しながら、楽しんで視覚刺激を積み重ねていけるよう、スモールステップと手厚い支援で学習を構成し、段階に応じてそれをフェードアウトしてみてはどうか?それが私の考えた、花子ちゃんへのアプローチであった。私と花子ちゃんとの人間関係論的アプローチの幕開けがそこにあったのである。
 今、花子ちゃんは3年生となっている。2年生の時に支援学級へ入級した花子ちゃんであったが、ご家族の強い願いもあって、通常学級での交流学習の時間が増加してきている。今では、「親という漢字はね、「立」「木」「見る」の3つを組み合わせるんだ~、簡単でしょ♪」と言って、生き生きと漢字学習に取り組んでいる。指は使うが、58+46のような計算も、筆算で次々に解くことができるようになった。12面体に数字が書かれたさいころを使い、すごろくゲームを何十回一緒にしただろうか?「縦・かぎ・縦・横・横」といったの言語支援による書き順指導を、何度一緒に行っただろうか?ほとんどがオリジナルの手作り教材である。指の写真を撮り、それをカードにして数字を添え、数当てゲームをしたことも遠い昔のようである。
 目に見えて書字の改善が見られ始めた2年生の頃、1年生の時に手も足も出なかった三角色板敷き詰めのパソコンソフトに再びチャレンジしてみた。驚く無かれ、スーイスイで次々とこなしていくではないか?花子ちゃんの認知のスイッチが、ガチャリと音を立ててオンになったのである。
 脳内のネットワークは、理論通り・定型にはなかなかつながらない。畑を耕し、肥料を施し、種をまき、水を与え、根がしっかり張るのを待ってこそ、土の中からひょっこりりと目を出す日がやってくるのである。
 私と花子ちゃんとの歩みを、同時処理と継次処理という認知処理様式でとらえる切り口がある。しかし、子どもの特性理解の切り口には、視覚優位・聴覚優位、文字ルート・音韻ルートなど、ありとあらゆる切り口が存在するのである。指導に生きるレベルとなると、まさに10人いれば10通りのアプローチが必要となってくる。
 情報のインプット→メモリー→処理→アウトプットなど、様々な過程を通して、書字も読字も数処理も行われていくわけである。一人の子どもの育ちの過程でも、アンパンマンのパズルのエピソードで示したように、認知の優位性は発達と共にスパイラルで変化しているのである。ましてや○○症だから、○○なんて、薄っぺらい見方とたった一つの方法で、子どもの生きた学びが構成できるとは、とても私には思えない。
 花子ちゃん、覚えにくいはずの「九の段」が一番得意である。どうしてか?それは、本格的に交流学習が始まったのが、九の段の学習の時からだったからである。朝の会で、みんなといっしょに九の段の歌を歌うようになったから、九の段が大好きになったのである。そこにこの子の聴覚入力の優位性が機能したのである。
 少人数にすれば、それだけで多くの教育の課題が解決されるのいうのは幻想である。個別にすれば、それで解決というのなら、私の行っている個別指導には何の工夫も必要ない。むしろ集団のエネルギーの少ない少人数こそ、内容的な工夫と、パーソナルな子どもとの向き合い方が厳しく問われることになるのである。
 子どもの育ちには、どんな課題があろうと、がんばってここまでおいでと励ます営みもあれば、あなたの得意なことを生かして少しずつ積み上げていきましょうという営みもある。そしてリスクを精査して、その特性理解のもとに、粛々と体系化されたプログラムを行っていく営みもある。花子ちゃんの場合、前者を学校、後者を療育、そして真ん中を私と支援級の先生で受け持っている形である。

 「先生、質問があるんだけど・・」
 「何?」
 「あのね、先生は私が何年生になるまで、勉強を教えてくれるの?」
 「う~ん、そうだね、花子ちゃんがもういいよって言うまでかな? 花子ちゃんが一緒に勉強し  たいと思ってたら、すっと一緒に勉強できるよ」

 そう伝えると、花子ちゃんは満面の笑顔を見せた。
「教育とは、子どもの可能性を信じて、それを育てていく営みである」と、私は定義している。もしも、子どもの心の中に、学びの願いが無いとするならば、私の存在理由はどこにもない。私は、個別指導場面で、一時的にくだらないお遊びをすることもある。ごほうびにお菓子を与えることもある。しかし、間違いなくそういう事は、やがてすぐに卒業してしまうのである。子どもにとって、「字が書ける」「計算が出来る」そうした成長の喜びに勝る手応えや喜びはあり得ない。単にプリントができるということではなく、日常生活の中で生きて働く本物の力が育つ感覚、私たちはそこを目指して歩み始めているのである。
 ここまで来るのに、何十もの実践事例や論文を目を通してきたか知れない。特性理解の軸を、何本、何十本と構成して、教材開発に役立ててきた。この先、どんなに最先端の理論や手法が開発されたとしても、子どもの育ちや学びを、たった1本の軸だけで切り取れるものではないと思っている。
 私は、花子ちゃんの目をずっとずっと見つめてきた。そこから目を離したら、きっと私は私でなくなるし、花子ちゃんの気持ちは別な所へ行ってしまったかも知れない。
 「希望がもてないのなら、今この場で死んだ方がまし」
 お母さんとは、うまくいかないとき、先が見えないときでも、遠くに光る未来を信じ、手を携えて歩んできた。この気持ちが、私の研究や行動の大きなエネルギーの源泉になっていたに違いない。教育とは、何とすばらしい営みであろうか。何もない、そのまんまの花子ちゃんとお母さん、そして私の姿がそこにあったのである。どうしてあのお母さんの瞳が、私の気持ちをここまで突き動かすのか、そのことを説明することはできない。
 子どもの育ちに真剣にかかわる者には、皆同じ目の輝きがある。今年も、ここに集う仲間たちから、胸を打つ語りが次々と繰り広げられることを心より期待しているのである。





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家族の支え 自分が好きになる気持ち

 2009-10-23
小さいお子さんで、私の指導場面ではそうでもないのに、家庭では物を投げたりする、というお話を時々聞きます。

物を投げないまでも、家庭ではすぐに涙を流したり、わがままを言ったり、甘えたりする子も多いようです。


子どもは、そう言う行動を通して、ご両親に何を伝え、何を求めているのでしょう?

私はそのことに対するまなざしから、絶対的な愛情と絆、ゆるぎない信頼感が培われているのだと思います。


もちろん望ましくない行動を是認しているわけでも、甘やかしを奨励しているわけではありません。

質の高い愛情と教育で、望ましい行動ができるよう育んでいくことが大切だと考えています。

ですがそこに、何があっても揺るぎない親子の絆というものがあって、それを確認しながら子どもは自立に向けて歩んでいくのだと思っています。

わがままを叱ってもらえたり、投げ散らかしたものを片付けてもらえる両親がいるからこそ、子どもは育っていくのです。



私は小さい頃、「忍」 という名前が大嫌いでした。

よく女の子と間違えられて、「何~だ、男か?」と、がっかりされたりして、いい迷惑でした。


私は小学校高学年の時には、すでに両親がいませんでしたから、どうして 「忍」 という名前にしたのか、尋ねることもできませんでした。

そればかりか、両親は自分に何一つ残してくれなかったと嘆く気持ちが強く、勉強にも、生活にも、何もかも力が入りきれない状態でした。


高校になり私は、「学校の先生になって、子どもたちの力になりたい」 と考えるようになりました。

その時になってようやく、この 「忍」 という名前が、両親から授かった大切なものであることに気がつきました。

その時、心の中に、自分を支えてくれる力強い物が根付いていくのを感じました。

それが、両親の存在そのものであったような気がします。

それ以来、私はこの 「忍」 という名前をとても大切にするようになったのです。

今の活動を始めて、子どもたちに 「SHINOBU先生」 と言われると、とっても幸せな気持ちになります。



この親子の絆があればこそ、時には厳しくしつけなければならないときもあります。

あえて手放しにほめることが出来ないときもあります。

細かいことを、いちいち口やかましく注意しなければならない日常があります。

だから親子なのですし、何も飾らないありのままの愛情も、大切なことの一つだと思います。


人間は、自分だけで自分のことを支えることができない存在なのだと思っています。

しっかりした愛情があるからこそ、そこに独立心が芽生え、自立への歩みが始まるのだと考えています。


私の目標としている 「肯定的な自己理解の育成」 には、ご家族の愛情が不可欠です。

それがあってこそ、私の教育的な愛情や技術が生かされるのです。

自分の苦手な子とも含めて、自分を好きになる感覚

そこが育てば、他者理解や感謝の心が生まれ、多くの人と手をたずさえながら生きていくことができるようになります。

私が、学校の先生になれたのも、心の中に、両親を感じることができるようになったからに違いありません。


今日の朝一の指導は、私ともうすぐ4歳になるの女の子、そしてお母さんとお姉ちゃんの4人で行いました。

一人の子を3人が囲むのは、極めてレアなケースですが、すごく楽しくて充実した指導になりました。

時に、来年小学生になるお姉ちゃんの支援は大人顔負けで、アシスタントで雇いたいくらいでした。

予定していなかった動物カードのポインティングまでしっかりでき、お母さんが、「信じられない~」 と、目を丸くしていました。


私はずっとご家族の応援をさせていただきたいし、ご家族の皆さんには子育ての主体者として子どもたちの幸せのために、苦しい場面でも笑顔で歩んでいただきたいと願っています。


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まず全体からとらえさせる方法 (同時処理タイプの子の読解指導)

 2009-10-22
細かい部分は精緻にとらえられるけど、全体を俯瞰したり、文脈を理解したりすることが苦手な子どもがいます。

いわゆる1点集中タイプです。


こういう子は、情報の密度が濃いため、あれもこれもと次々に提示すると、あっぷあっぷしてしまいます。

太郎君が1年生の時、担任の先生が、「太郎君は本やノートより、黒板に書いた文字が上手に書ける」 と、教えてくれました。

次から次へとページがめくられるような提示の仕方ではなく、黒板という全体の枠組みで整理した提示法が、彼には有効だったのです。

基本、彼の場合、長い文章を書くのは苦手であっても、硬筆のように1文字をきれいに書くのは上手です。

私は、一文字あたりの入力情報が多い子ほど、文章になると情報量が膨大になり、逐次読みになってしまうのではないかととらえています。

太郎君は視覚優位ですが、それが優位すぎるがために、逆に本読み場面では、聴覚性の支援をして「おじいさんは」 をひとつの単語としてとらえさせる読み支援をしています。

ほっておくと、一文字一文字への対応が中心となり、全体がみえにくくなるからです。


読解問題でも、いわゆる同時処理タイプのお子さんの指導では、なるべく内容を細切れに分解しないように提示します。

挿絵などを使ってまず全体のアウトラインをとらえさせ、その枠からはみでないよう、その子の思考のメモリーがいっぱいになるまで、内容に厚みをもたせていきます。

内容をあっちこっちに分散させて、混乱させないよう、関連性を重視した支援を行うのです。

例えがよいかどうかわかりませんが、紙芝居のようにばらばらにしてどれがどれだか分からないようにするのではなく、蒔絵のように一枚の絵にまとめていくようなイメージです。


子どもにとって、就学前の言語環境の多くは聴覚性によるものです。

そうの絵を見て、「これがぞうさんよ」 と、教えられて学んでいくのです。

言語習得の基本は、聞く → 話す → 読む → 書く となりますから、ある意味当然のことです。

「ぞう」 という音声を認識し、そこに 「ぞう」 という文字がくっついていくわけです。


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私は、言葉の指導の際に、上のような手作りカードをよく使います。

先日、ある男の子に 右の小さい 「ごはん」 という文字カードを手渡して、それにあう絵を探させる学習をしましたが、正答率は70%くらいに向上しており、それをご覧になったお母さんが驚かれていました。

こういう場面で、それぞれのお子さんの認知特性に応じて、それは 「ごはん」 のカードよ、と聴覚性の支援を与えたり、ひっこめたりするのですが、この味付けをだんだん薄くして、仕舞いには0にして、すべて子どもの力でさせることを目指すのが、私流のやりかたです。

「一文字一文字のひらがなは読めるけど、単語ととして使えない」 ということを、ずっと課題としてお聞きしていましたから、何とか一つの成果を示すことができました。

ここまで来るのに、一年近く悪戦苦闘しましたし、今でも毎回悪戦苦闘しています。


太郎君の黒板のエピソードと同じように、かれんちゃんには、「ショッピングセンターで、お母さんもわからなかった普段着の保育園先生を見分けた」 というエピソードがあります。

就学前のお子さんにも、きっとその子の特性に応じた言語指導のポイントというものがあるはず。

かれんちゃんの場合、今、理解言語・表出言語共に獲得数が増えている大切な時期。

未分化な幼児期の子どもだからこそ、その子の特性理解と指導の工夫は大切になってくるはず。


私の役割をしっかり見つめて取り組んでいきたいと考えています。


P.S.

この記事を書いた後、太郎君のお母さんからメールをいただきました。

昨夜、太郎君が突然 「自主勉しなきゃ」 と言って、漢字練習を始め、ご家族を驚かせたようです。

こういうことがありますからね~ 子どもの可能性は無限です。 あきらめなければ夢は叶います。



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少し遅れてでも ちゃんとできるようになるという希望

 2009-10-21
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毎週月曜日と金曜日に、私は小学校に太郎君を迎えに行っています。

そうしないと次の花子ちゃんの指導時間に間に合わないのです。

教室まで伺って、先生に二言三言、宿題の事で連絡をいただいたりします。

他のクラスの先生から、「お父さん」と呼ばれたこともありますし、保護者の方から「先生のお子さん?」と呼ばれたこともあります。(笑)


日に日に表情が明るくなり、ずいぶんしっかりしてきたな、と感じています。

少し言語が不明瞭ではありますが、会話は楽しいし、ギャグを言って笑わせてくれたりします。日常コミュニケーションで、意志が通い合わないということは全くありませんし、私の指導場面では、衝動的な課題のカケラも見えません。

1年前、指導が成立しなくて、私に「泣き」が入った事がまるで嘘のようです。

「言葉が出るようになった」 と、このブログで紹介した記事が、遠い昔のことのように思われます。


この太郎君、最近算数の計算で、多面的な攻略ができるようになってきました。

被加数・加数とも5以下の計算では、指を使ってぱぱっと計算しています。指を見て、3だの5だの認知できるようになってきたわけです。

当たり前のようなこのことのため、何百回指やブロックを使って認知学習を行ったかしれません。

もちろん私だけがそれを行ったわけではありませんが、私は何としてもそこを育てていきたいと願っていました。


でも、指は十本しかありませんし、数が増えると、手順がややこしくなり不正確になっていきます。

その時には、被加数をメモリーにキープさせ、加数のみを指で数えたたす方法を自己選択できるようになりました。

しかも、「 4+8 は 8+4 と答えが同じ!」と、交換法則もちゃんと利用できるようになってきました。


学校の先生が、太郎君用に算数プリントを出してくれています。

私の教室で毎回1枚勉強して、それの採点と評価(ごほうびシール)を貼ってもらっていますが、「こんなの簡単!」と、自信満々で取り組むようになりました。


このプリントは、1年生のおさらいプリントです。

1年前には、ほとんどフルプロンプトでやっとこさ出来ていたものです。

でも、今太郎君が1年生なら、大いばりで優等評価です。

太郎君3月生まれですから、月例換算したら、いいとこ行っています。


そんなことより、この太郎君の伸びている感覚が、表情や行動に少なくない影響を与えているのは確かです。

いつだったかお母さんは、「例えどんなに時間がかろうとも、必ずこの子に力をつける」と、力強く私に言い切ったことがあります。

学力を客観的に精査することも大切な軸の一つです。

でも、それを絶対無二のものとしてとられすぎているような面はないでしょうか。

どこかのポイントで子どもを輪切りにとららえて見る横の軸も必要ですが、その子の育ちという発想から、縦の軸で見つめることも時には大切なことではないでしょうか?

こういう育ち方も、あってもよいのではないでしょうか?

計算ができるようになった太郎君、以前苦手だった分、今は見違えるように生き生きと学習に取り組んでくれます。

やっぱり、厳しいとき、うまく行かない時期が大切なのですね。

あの日、希望を捨てていたら、今日のこの日はなかった・・

私は、太郎君の育ちにかかわれて、本当に幸せです。


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状況や設定、全体の流れが理解できない子ども

 2009-10-19
私は現在、多くの子どもたちやご家族、そして指導者の先生とお会いする機会があります。

限られた時間であっても、それぞれの出会いは真剣勝負、1回1回が大切な営みです。


先週、こんなことがありました。

ある学校の先生から、ご相談を伺いました。

通常学級に在籍し、知的な遅れのない女の子、どうやら場の空気を読んだり、感情を理解すろことが苦手なタイプのお子さんのようです。

きっとそのお子さんには他意はないのでしょうが、その一言一言がマイナス発言となり、学級集団に与える影響力も強く、特にそのその先生には大きなダメージを与えているのです。

私はPBS(積極的な行動支援)の立場から、自分なりの支援アプローチ方をお伝えをしましたが、先生は、この子に、そしてクラスにもっと何かをしてやれたのではないかと、自分を厳しく問い質しているように感じられました。

「先生、実は私、ここに決定的な方程式はないと思います。しかし、先生が真っ正面に向き合っておられるそのことは、クラスの子どもに、そしてこの子にもしっかりと響いていると思います。私は今、外野からいろいろとアドバイスをさせていただいていますが、明日もまたこの子と向き合うのは、先生しかいません。テクニカルなことは生かしていただきたいのですが、軸足はぶらさないでください。こうした状況の中で、クラスを支えて来た営みは、どんな高邁な理論より尊いものです。指導者としての誇りをもって、覚悟を決めて、堂々とクラス作りの王道を進んでみてください。
今、先生がどんなに厳しい状況なのか、私には痛いほど理解できます。だからこそ、その子どもに現場でしっかりと向き合っている実践者としてのねうちが、私には誰よりも理解できるのです。論理のより所や、研究心は不可欠ですが、安直な方程式はどこにもありません。今、先生が歩んでいる先に、きっと道が開けているのだと思います。きびしい道ですが、苦しいですが、逃げ出さないで、愛情をもって、きちんとした姿勢で子どもに向き合い続けるそのものが、私たちの役割ではないでしょうか?」

それは、自分自身に語る言葉でもありました。

今、パートナーとして手を取り合っているご家族の皆様へ伝えたい言葉でもありました。

その先生の目頭は赤くなっていましたが、その瞳の奥に輝く決意を、私はしっかりと感じることができました。


その後に、私は自分の教室で、何人かの子どもの指導に当たっていました。

ある子の指導の一場面です。

就学前のお子さんですが、次から次へと文章を読み、問題を解いていきます。

「ぶたさんの名前は?」

「どんな色のリボンをつけていたの?」

それはそれは、ほれぼれとするほどです。


しかし、大好きな雨が降ったから、かくれんぼをやめて葉っぱから出てきたかえるのこと、「どうしてカエルは、出てきたの?」 と何度尋ねても、答えはなかなか出てきません。そこにそれを理解させるための小さなステップが、いくつも必要なことを痛感しました。

また同じその日、3年生の男の子の指導場面でも、個々の細かい質問は答えられるが、全体の流れを尋ねる質問になると、急に苦しく場面に遭遇しました。


子どもによって程度や受け止め方、あるいはその後の行動への影響の違いはありますが、やはりそのことへの深い理解が必要であることは確かです。

まだまだ私には方程式も何も見えません。

愚直に、まっすぐに、あの手この手でその子に向き合うしかありません。

それしか私には出来ないのですが、これまでそこから多くのことを学んできたのです。

その姿に必ず子どもは心を寄せてくるし、一つ一つの営みから基盤が徐々に培われていくのです。

通じ合う心がそこに生まれてくるのです。


ぼんやりとそこに何かが見えているように思います。

分かりたい、学びたいという気持ちがあるのは、子どもの方です。

困難が生じた時の反応はそれぞれですが、誰一人としてそのことを中止しようとする子はいないのです。

みんなできるように、わかるようになりたいのです。

その気持ちがある限り、私たちは前へ進んでいくことができます。

あきらめなければ、夢は叶う。

その霧の方にこそ、探し求めていた大切なことがあるような気がしています。



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人間関係論的アプローチ研究会  第4回特別支援教育を考えるセミナー  

 2009-10-17
私のかかわっている大切なセミナーをご紹介します。

今回は、次週に大阪に行かせていただくこともあり、土・日の指導の振り替えなどの調整がつかず、私は不参加なのですが、花子ちゃんの実践事例を当日の資料として、書き下ろしで寄稿させていただいています。 (セミナー修了後、このブログでも紹介させていただきます。)


正直、ここのメンバーはすごいです。

子どもに寄り添う教育実践のエキスを感じていただけると思います。

ご都合のつかれる方は、ぜひご参加くださいますよう、ご案内をさせていただきます。

( ↑ PDFの少し詳しい要項はこちらより )



人間関係論的アプローチ研究会          
          第4回特別支援教育を考えるセミナー  


 特別支援教育における人間関係論的アプローチ
 「私と人間関係論的アプローチ」



<開催にあたって>   実行委員長  堅田 利明



特別支援教育を考えるセミナーは今年で4回目を迎えます。
昨年は340名もの方々に会場に集まっていただきました。
今年も多くの方々のお力添えをいただきながら大阪の地で開催いたします。
皆様方の熱意によって支えられてきたセミナーですが、一つの区切りとして今回を最終回といたします。今後の在り方については、実行委員のメンバーでゆっくり考えていきたいと思います。
また何らかのご案内をさせていただくことになるかもしれません。

これまでのセミナーで私たちは、関係の中で子どもを理解しようとする態度、子どもの障害特性にとらわれすぎないかかわり方、その工夫、子どもの内面に寄り添える支援のあり方、を伝えてきました。
第1回のテーマは、「切る保育・教育ではなくつなぐ保育・教育の提案」、
第2回は「子どもを見つめる目 自分を見つめる目 その間にあるもの」、
第3回目は「ハート&ハード 方法に思いをのせて」、
そして今年は「私と人間関係論的アプローチ」です。

さまざまな子どもとの出会い、かかわりの中から何を学ぶか、そして人が人とつながることの意味をご一緒に考えたいと思っております。
ご多忙の日々の中、短いひとときではありますが、ホッと一息ついて、子どもや自分自身のことを見つめられる場となりますことを願っております。



◆ 日 時 平成21年10月24日(土)13:10~17:30
                 (受 付  12:30 ~ )

◆場 所 大阪市総合医療センター さくらホール

◆ 参加費 無料

◆ 提案は全部で5つです。提案者、順番等は当日変更することが
  ございます。

 提案内容 「先生となら僕できるもん」
        「乳幼児の現場で大切にされてきたこと」
        「発達相談の場で出会う子ども達」
        「子どもとかかわるということ」
        「子どもとの出会い 学び そしてつながり」
            

◆お申し込み
 今回、お申し込みは必要ありません。席は先着順とさせていただきます。
 なお会場の広さの都合(330席)により、 お座りいただけなくなるかもしれません。なにとぞご了承ください。

★セミナーSTAFF(50音順)
         青山 新吾(岡山県教育庁指導課)  
         石原  忍(岡山市白ゆり保育園)
         片岡 一公(岡山県総合教育センター)
         堅田 利明(大阪市立総合医療センター)
         久保山茂樹(国立特別支援教育総合研究所)
         永井 智樹(広島県福山市草笛学園発達支援センターくさぶえ)
         古谷  充(山口県周南市立勝間小学校)
         吉田 英生(岡山県津山市立西小学校)


●地下鉄谷町線「都島」駅下車 2番出口西へ約3分
●JR大阪環状線「桜ノ宮」駅下車東口を出て北へ 約7分






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勉強したいと したくないの 間にあるもの

 2009-10-16
9月から通ってくれるようになった2年生の女の子。

やる気も元気もいっぱいの子ですが、昨日はあまり好調ではない日のモードでした。

教室に来た時点で、お母さんが事前に情報を伝えてくださっていたので、未然にいくつかのトラブルは回避できました。 (すごく助かりました)


指導が始まった時点で、「したくない」 など、「もうやめる」 とか、あれやこれやとマイナス発言が見られます。

でもね、この教室で算数できるようになってきましたし、オーダーメイドの楽しい学習が嫌っていうわけではないはずです。

私は、基本この子のそういう気持ちが理解できていますから、こうしたマイナス発言も、適当にさばくことができます。

「ふーん、嫌なら止めようか。そんじゃ遊ぼう~」 と言うと、鳩が豆鉄砲食らったみたいに、「えっ?」という顔をしました。

すかさず、「どうせならちゃんと全部やってからおにごっこしようよ、その方が楽しいかも♪」 というと、何だかんだと言いながら、予定していたものを全部やり遂げます。


エネルギーあるタイプのお子さんですからね、可愛いものです。

きっとここで目を三角にして、頭ごなしに否定的な対応をしていたら、エネルギーがしぼんでしまい、固まって動かなくなるか、拒否的な行動をしていたのかも知れません。

以前に一度、拒否的になることがありました。

この子の良さを信じるならば、やはりその良さを信じ、それを子どもに思い起こさせるような支援が有効です。

「したくない」 の意味は、「もっと楽しく勉強したい」 と言う意味に翻訳してやりましょう。

そうしてリズムを作り、自分の学びが構成できるようになれば、私のこうした支援は自然に消滅していきます。

こうしたことは、そこに向けての段階的なアプローチであるのです。


通い初めて1ヶ月くらいですが、数認知力が上がっている場面もあって、なかなか手応えを感じています。

この子の場合は、リズムが狂うと大ブレーキを踏みますが、その分調子づかせるととても生き生きと活動できます。

かれんちゃんと同じようなタイプです。

そのキモの部分が見えやすいので、私とはきっと相性がよいタイプといえるのではないかと思います。




まさと君 (高1) は、先週お休みでした。

その日、学校で心が揺れる大きな出来事があたようです。

学校を休んでも、ここの教室には来る子でしたから、よっぽどの出来事だったのだと思います。


こういう場合、私はその日は無理に教室に来るようにお勧めをしないことにします。

クールダウンして、次週に来やすい道を整備した方が有効だと思っているからです。


英語の教材も、5級から4級へとステップアップしたばかりでしたから、その事も心の負担になっていたようです。

心配をされたご家族が、そういうことなら少し簡単な問題にしてもらうよう私に連絡しようかと、尋ねてくださったようです。

でも、彼は4級の問題に挑戦したいのです。もう、5級では意味がないのです。

4級の問題に挑戦したいという思いが強いからこそ、そのことがプレッシャーになるのです。

「先生には、連絡せず今まで通りにしてください。来週は行きます」 と、彼は両親に告げたようです。


今週、元気に彼は私の教室に来てくれました。

今回が、とても大切な日であることは、私も十分認識していました。

やはり、内容はスイスイというわけではありませんでしたが、時間的なこと、量的なこと、つまずいた時の具体的な支援内容には、十分配慮した指導を行ったつもりです。

上記の内容は、指導の後に、ご両親からお聞きしました。


この子の場合は、きちんとしたいという気持ちが誰よりも強いのです。

そのことの理解の上に、最近接の教材を用意できるかどうか、そこで勝敗の8割は決まってしまいます。

彼はこれまでに学習したプリント、おそらく500ページ近くになっているのではないかと思いますが、毎回それをてさげ袋に入れてやってきます。

全部もっていかなくても、いいんじゃない、とご家族が伝えても、それをちゃんともって行きたいのです。

実は私も同じ気持ちです。

毎回そのてさげ袋を手に持ち、その重さを味わいたいのです。

きっとその重みこそが、私たちの学びのあゆみの道標になっているのです。

先にプログラムがあってそこに引っ張り上げるのではなく、その子の歩みを生かしながら積み上げていく教育。

学びのもう一つのスタイルがここにあるのです。


今は4級です。

時間はかかるかも知れませんが、2級や1級になる可能性、

私はそれを 「 0 」 とは思っていないのです。


勉強したくないは、したいの裏返し

子どもの学びの願いを、掘り起こすのも、消し去るのも、支援者の力量に負うところは多いのではないかと思います。


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特性を生かして 語いを育む

 2009-10-15
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うちの教室に来てくれている子どもの中には、立体系のパズルがとても得意な子がいます。

一般的なパズルはそうでもありませんが、上の画像のような立体系のものがとても得意です。

特に、バナナやリンゴは難関なのですが、これもあっさりと片づけてしまします。

逆に一般的な紙のパズルで30Pのものが出来る子でも、このりんごの切片がなかなかはまらない子が多くいます。

それだけ、子どもの認知の入りには、特性があるということです。


大学院にいたとき、ドクターと一緒にマレーシアに行きました。

ドクターは英字新聞を買って楽しそうに見ていますが、私は英字を見ても、辞書を片手にものすごい時間がかかってしまいます。

でも、レストランに行った時、私はウエイトレスさんの、NO SMOKING? という質問がはっきりと聞き取れました。

ちょうど毎日英会話のテープを聴いていた時期なので、聴覚情報の入力はドクターに負けてなかったわけです。


言語コミュニケーションは、私たちにとって最も大切なテーマの一つです。

私は元々小学校教師でしたから、小学校の教材レベルなら、その子の認知特性に応じた教材を用意する引き出しがかなり増えてきました。 自分と違う認知特性の子のメカニズムもかなり理解できるようになってきました。


私は、英語はリスニング優位ですが、日本語はリーディング優位です。

ほとんどの場合、文字情報を第一チャンネルにして情報を収集しています。


かれんちゃんは、今日紹介した子のように、立体や実物の認知が優れています。

お母さんの教えてくださったエピソードによると、場所や顔の認知が優れているようです。

絵本や絵カードなどは好きですが、パズルなどで絵を分解したりするものはあまり好みません。


私は、何とか早く文字との接点を見つけたいと、少し焦りすぎていたように思います。

それよりもまず、理解できる言葉と表出できる言葉を増やし、コミュニケートできる楽しさとよさをたっぷり味わうようにすべきだったと反省しました。

ならばオーソドックスに、しっかりとその芯を作って、理解言語・表出言語を一つずつ増やしていこうと考えました。

そう思うと、少し心の中のもやが晴れていくように感じました。


かれんちゃんの話せる言葉、知っている言葉は次第に増えてきています。

時に、動物の名前と体の名前はしっかりと言えるようになってきました。

手遊びの 「あたま・かた・ひざ・ぽん」 では、目・耳・鼻・口と、とっても楽しそうに動作化できます。

私の絵カードには、これまで 「め」 も 「くち」 も 「はな」 もありませんでしたから、早速この日絵カードを作成してかれんちゃんを待ちました。

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やはり初めて見た絵カードが、「め」 を示したものであるかどうかをはっきり認知できるまでは、時間がかかりました。

そりゃそうです、文字情報と矢印があるので、それが目と特定できるのであって、いきなりそれがかれんちゃんの目のまったく同じように映っているわけはないのですから。


でも、すでに認知出来ている事柄ですから、それほど大きな困難を伴うというほどではありません。

しだいにはっきりと反応できてきたので、私は思いきって 「すご~い」 と大げさにほめてやりました。

すると、それまでの雰囲気ががらっと変わり、かれんちゃんの表情が満面の笑みに変わりました。

最後には、かれんちゃんの好きな 「高い高い~」をして、何度も何度もほめてやりました。


実物・絵カード・音声言語・文字・・

同じ 「バナナ」 でも 「耳」 でも、それぞれ属性が違うわけです。

まずは、そういうことの芯をしっかりと作って、表現したり確かめたりする場をきちんと構成して、その雪だるまの芯をぐるぐるぐるぐる転がしていきたい、私はそう考えるようになりました。

学習に方向感が生まれると、子どもの表情は変わります。


認知特性に添った長所活用型指導の就学前バージョンの作成に、ちょっとだけど光が差し込んだように思いました。


[高画質で再生]

かれんちゃんの表出言語 2009-10-13 [WIKI]



※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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保育活動専門員の資格をいただきました

 2009-10-13
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連休は、皆様いかがお過ごしだったのでしょうか?

私は、今週締め切りの原稿が一つあり、唯一のお休みであるはずの月曜日も、ねじりはちまきでパソコンに向かっていました。(おかげで何とか下書きはできました。あとは読み返して、若干修正をするのみです。)


本日、私の元に保育活動専門員の証書が届きました。

この資格をいただくために、数回、みなとみらいや幕張メッセに出かけました。


最初の研修会で、AD/HDの特性理解について、えじそんクラブの高山恵子さんの講演を聴かせていただいたことが、強烈な印象として残っています。

それまで公務員だった私の感覚を、クライアント中心主義・子ども第一主義へと変換することができたのも、この研修会のおかげです。

また、全国の最前線の保育臨床現場で働く方々のエネルギーにも感銘をおぼえました。

私もそうですが、例えば研修会終了後、すぐに羽田に向かい、北海道や九州・沖縄で翌日からの勤務に向かわれる方を多く見かけました。

このパワーとエネルギーが、日本の保育をささえているのです。


私もこの認定証をいただいた者の一人として、益々日々の実践に心を込めて向き合っていかなくてはならないと考えています。

明日は、また小学校への巡回相談。

ここしばらく休みはとれそもうもありませんが、子どもの前には笑顔で立っていられる自分でいたいと願っています。

これからも応援、よろしくお願いします。


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関連性を重視した読解指導 (視覚優位のお子さんのために)

 2009-10-10
「わ・た・し・は・・・・」 というように一文字一文字が、ばらばらでしか読みにくいタイプの子どもがいます。

いわゆる逐次読みの子どもですが、同じ逐次読みでも、いろいろなタイプがありますから、一律にこうすればよいということがなかなか言えません。


今日、紹介するのは、映像や視覚による同時処理タイプのお子さんに有効だと思われる指導事例の一つです。

こうしたタイプのお子さんには、字はわりときれいに書けるが、書き順が正確でないタイプが多いようです。

多面的・全体的に物事をとらえることが苦手ですが、一つのことを集中してとらえるのは得意です。

私の教室にも、何人もこういうタイプの子どもが通っています。


こうした子どもの読解指導では、私は必ず挿絵の入った問題文を用意します。

そして、子どもと一緒に問題文を読み、その情報を整理してその挿絵に記入してやるのです。

挿絵のブタに、「ブー」 「フー」 「ウー」、「わらのいえ」 「きのいえ」 「れんがのいえ」 と、文字を添えてやるのです。

この支援は、いつもお知らせしている 「プロンプトフェーディング法」 で、子どもの実態に合わせて、最初はたっぷりで、次第に薄味にしていきます。


ポイントは、① 文章の中の様々な情報を、関連づけて整理する手法を体験させる。 ② 得意な視覚情報に、文字情報を加える。(二系統の刺激で、理解を立体的にする) ③ これを見れば、その場面が全体的に俯瞰できるようにする。 というところでしょうか?


ここまで整理してやれば、かなり内容は入っていくと思います。

そして、ここまでを先にしておいた上で、子どもに問題文に立ち向かわせるのです。

問題文を読ませてから、あれやこれやと言うと、たいてい混乱したり、嫌になっちゃう場合が多いです。


逆に、しっかりつかませてから問題に取り組ませると、きれいな水をすいすい泳ぐ魚のように、次々と問題をこなしていきます。

ここで、達成感とモチベーションをたっぷりと高めるように、強化(=ごほうび)を与えるのです。


このような体験を毎回積み重ねていくと、語彙数も増えます。 問題の意図もや形式にも慣れてきます。 自分なりの読みのスタイルも定着していきます。 色々な周辺スキルが向上していくのです。


一点集中型認知の子は、あっちこっちのバラバラ攻撃が苦手なのです。

ならば、それを整理する方法を身につけてやろうということです。

例えば、書き順も下の A のような提示よりも、 B のような提示の仕方がわかりよいようです。


A 一般的な書き順の提示
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B 視覚優位・同時処理タイプの子向けの提示
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子どもは、成長するにしたがって、多面的・多角的なとらえができるようになってきます。

だからこそ、小さいときにはその事に強い苦手感をもたせないことが大切だと思っています。


子どもの中には、全体はざーっと俯瞰できるのに、こと細かい部分を見るのが苦手な子もいます。

文章スラスラ読むのだけれど、結構いい加減に読んでいる子です (笑)

1個何かつかえると、そこ先は、ガラガラと思考のシャッターを降ろしてしまう子もいます。

こういう子は情報を映像を利用して統合してやるのではなく、言語を順序立て、箇条書きにして整理するなどの支援が有効な場合が多いようです。


言語は、人間の高度な知的作業ですから、入力 → 処理 → 出力 の過程でそれぞれ複雑なプロセスがあります。

またルートにも、文字ルートと音韻ルートとがあり、なかなか一筋縄ではいきません。

要は、自分の子どもの実態からスタートすればそれでいいのですが、今日お伝えしたようなことも、時には有効かもしれません。

何か少しでも、参考になることがあればよいのですが・・


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かれんちゃんの動画 初めてのアップ

 2009-10-09
[高画質で再生]

かれんちゃんの歌と手遊び 2009-10-6-1 [アクセス解析]



皆さん、お待たせしました。

今回、かれんちゃんの指導のようすを、初めて動画でアップすることができました。

まだ実験段階なので、動画内容の精査や、周辺環境の準備など、順次整備していかなくてはならないことも多いのですが、何とかなりそうになってきました。(笑)

カメラの選定も含め、かれんちゃんのお母さんには、いろいろと情報やアドバイスをいただき、ありがとうございました。

思えばそれまで文字だけだったこのブログに、デジカメ画像が導されたのも、かれんちゃんのお母さんのアドバイスによるものでした。

いつもながらのご協力に、心より感謝いたします。 <(_ _)>


これから、貴重な成長や指導の記録の一部として、バイアスの少ない動画も、定期的にアップしていくおとができればと、考えています。

まだまだ技術も内容も 未熟ではありますが、ブロクおご覧いただいている皆様に、何か参考になる部分があればうれしく思います。

今回はまず、かれんちゃんの生ボイスと、手遊びのようすをご覧下さい。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。



[高画質で再生]

かれんちゃんの歌と手遊び 2009-10-6-2 [アクセスカウンター]




多感覚な攻めで力をつける子ども

 2009-10-08
昨日は、ある小学校に巡回相談に出かけました。

この秋の巡回相談がスタートし、私もまた忙しくなります。

3・4・5時間目を使ってすべてのクラスの授業を拝見し、その後私の方から全体会でお話をさせていただくという構成でした。

私は子どもやご家族の代弁者として、先生方に私が感じていることや、実践事例を先生方にもお伝えしていく責務があると考えています。

現職のバリバリの先生方に、子どもやご家族の熱い願いを、うまく伝えることができたでしょうか?



巡回相談が終わったあとに、イチロー君のお宅に伺いました。

イチロー君、ずっとずっと私が来るのを楽しみに待ってくれていたようです。

イチロー君の家は、私の所からは遠いので、巡回相談に行ったあとに、お宅に伺って指導する形を、昨年の秋から続けています。

あれからもう、1年を迎えようとしているのです。


この日のイチロー君は、弾むように躍動していました。

好調時のイチロー君の姿です。

私は、ほめてほめて、ほめちぎりました。


昨日のプログラムの一つに、2桁のたし算の筆算の課題がありました。

38+69など、2回繰り上がりのある問題も含めて20問あるのですが、驚くべきは、そのスピードです。

自信満々に、次々に、あっという間に、問題を片付けて行く姿には、涙を浮かべて宿題に苦しんでいた当時の姿は、みじんもありませんでした。


200910071850000.jpg


( ↓ 下にあるのは、今年の2月に示したイチロー君の数量指導の方略です。 )







【2009-2-5に紹介した指導の方略】

そのために、これからステップを刻んで育てて行こうとする内容は以下のようなものです。

① 1~100までを順に正確に、無理なく数えられるようにする。 (今やっているすごろく・数え棒ゲーム あと30回もやれば、かなりスキルアップすると考えています)

② 脳のワーキングメモリーの保持がやや苦手なので、できるだけマッチングなどショーターンで処理できる課題を用意して、徐々にそこを鍛える。

③ 「4+4は8」 と機械的に記憶している物もあるので、「一位数」 + 「一位数」 の中で、暗記しやすい物、覚えやすい物を中心に、そのレパートリーを増やす。

④ 数を量としてとらえる感覚を鍛えるため、本人にとってわかりやすい指の操作を、毎回どこかで取り入れるようにする。

⑤ 現在、使っている20玉そろばんの操作性がやや不正確なので、毎回続けて使用していくことで操作性のスキルを高める。

⑥ 当分は、あえて本人のやりやすい継次的な方法で数処理をさせ、一定の定着が確認できた段階で、視覚認知・数の合成分解といった数理的な処理を徐々にミックスし、そのよさを体感させる。

と、まあこんな感じです。


【イチロー君の、数量の指導については、下記の記事などでお伝えしています】

2009-2-5の記事

2009-8-10の記事






そう言えば、あの頃使っていた20玉そろばん、今は完全にどっかにいっちゃいました。 (笑)

今のイチロー君、ある時は指を使い、ある時は長期記憶 (「6+6は12」と覚えてしまう)を利用し、またある時は、「15+18は18+15と同じ答えだ」 とか、いろいろな技?を使っての攻略です。

まさに、多感覚な攻めです。

どちらかといえば、ベイシックなタイプのイチロー君が、こんなに柔軟に対応できること自体も、驚きです。

お買い物ゲームで、30円を10円玉3個と置き換えてとらえる力も身についてきました。

また、一つ武器が増えてきたわけです。


もちろん、苦手なことは、苦手なこととして依然としてあるわけです。

でも、長所を生かした多感覚なトータルの力が育ってきたから、もう本丸へ迫るが如くの勢いです。

このイチロー君の弾むような笑顔が、何よりのエネルギーです。


指導の後、お母さんが時計のことを心配されていました。

「心配しないでください、絶対に大丈夫です」

そう、私は言い切りました。


花子ちゃんへの実践がありますからね、その方略も時期も、私にははっきりと見えています。

出来ないわけが、ありません。


しかし、一つだけ条件があります。

それはイチロー君の笑顔です。



この日、おばあちゃんから、自宅になったいちじくの実を、ワインで煮たものをおみやげにいただきました。

こんなおいしい物、食べたことがありません。 

何と幸せな1日であったことでしょう。


このイチロー君でさえ、涙を流して指導にならなかった日があるのです。

そこに正面から向き合う日があったからこそ、この日の笑顔があったわけです。


希望は捨ててはいけない。

方略をきちんとたて、腰をすえて続けなくてはいけない。

どちらも言葉にすればそれだけのことですが、それで成果を実感できるまでがんばるのは、容易なことではありません。

方程式も、レシピも、どこにもないのです。

あるのは、愛情と真剣度、そして信頼と連携、たったそれだけす。


2月の記事を今読み返し、毎回の指導で、それを信じ続けてきた自分を、ちょっとだけ誇らしく思います。

うまく行かない日もあったのに、いつも私を信頼し続けてくださったご家族に、改めて深く感謝しています。

もちろん私がお役に立てたのは、ほんの1%

あとの99%は本人のがんばり、そして学校での学びと、ご家族のご努力のたまものです。


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楽しい学習に向けての 特性理解と長所活用型指導

 2009-10-06
大人はご飯を食べながら、テレビを平気で見ることができます。

長年の体験の積み重ねから、ご飯を食べる行為と、テレビを見る行為を、同時進行でライブに行うことが出来るようになっているのです。

しかし、子どもはテレビに夢中になると、口と手が止まってしまうのは、日常ありがちな光景です。

私たちも、子どもの時から同時に二つのことができたわけではありません。

子どもは発達の過程でそれを今まさに培っている途中なのですから、完成された私たちとは、認知の仕方が異なるのは当然です。

ここで世代間のギャップが生じ、「何でわからなのかがわからない」 現象が起こるのです。


私は小さい子の個別指導を行っているときに、「あ、この子は先週、色優位の認知だったのに、今週は形優位の認知に変わった」 と、気がつくことがしばしばあります。

2ピースパズルなどをしていると、2つのピースを選ぶ基準が、色であったり、形であったり、図柄であったり、文字であったりするので、子どもの様子を観察しているとすぐわかります。

大人の場合、継次処理タイプの私なら、まず文字に目が行き、図柄でそれをバナナと確かめ、自信をもって形を合わせるみたいなことを、自然に総合的にこなしていきます。

でも、文字より図柄の方が優位な大人の方もいます。 言語よりも、映像が浮かぶ方も多いのです。


大人になっていくにつれて、使える武器はだんだんと増えていきます。

いくら言語優位の私であっても、物事によっては、映像を頼りにした方が楽な場合も多いです。

そういう使い分けができるようになってくるから、子どもの時のような困り感は、次第に軽減されていくわけです。


私は、幼稚園の頃から、世界文学全集を読んでいる子でした。

時にギリシャ神話が大好きで、何百ページもある本を、おそらく数百回以上読み返したのではないかと思います。

学生の時も、本棚があふれかえるくらい小説をよみあさったものです。

現代国語や論文を書くのには、ほとんど抵抗感はありませんでしたが、数学や科学は、自慢じゃありませんが、さっぱりわかりませんでした。

短い時間にざーっと文章を読んで、その要旨をとらえるのは得意ですが、細かい1個1個の内容を順序立てて整理するのは、今でも苦手です。

量的研究法で、統計的データから信頼度を計算するなんて、聞いただけで今にもじんましんが出そうになります。


皆さんご存知のことだと思いますが、同音異義語というのがありますね。

一休さんのとんちで出てくる 「はし(橋) と はし(端)」 というやつです。

このどちらを選ぶかは、いわゆる文脈の中から類推をしていくわけです。


同時処理タイプのお子さんは、いわゆる1点集中タイプの方が多いですから、こうした大きな枠から類推するのが苦手なタイプも多いようです。

細かい部分をシャープにとらえることの出来る子ほど、全体を俯瞰することが苦手なことは多いようです。

切れ味は鋭いけど、場の空気が読めないタイプの子は、このパターンに当てはまる場合も多いのではないかと思います。


では、どうすればよいか?


方法は二つ

一つは、苦手なことに立ち向かうための、小さなステップでのプロクラムを積み重ねていくこと。

もう一つは、得意な部分を中心に多面的な力を培って、苦手な部分を補っていくやり方です。


もちろん双方の軸が大切なのですが、どちらかというと私は、後者の方が、有効ではないかと思っています。


私が苦手な量的・実証的研究法に取り組んでも、成果が上がるのはきっとわずか・・

ならば言語を媒介とした質的研究法を土台にして、可能な限り量的・実証的数値を取り入れる・・

こんな姿勢でよいのではないかと思います。

長所活用型指導というのは、こうしたアプローチでもあるのです。


私、市販の問題を利用したときに、この問題を作った作者がどういう認知特性をしているのかが、分かる気になっています。 

合っているかどうかは分かりませんが、同じような題材でも、やたら選択問題が多い場合と、やたら穴埋め問題が多い場合があります。

継次処理の子は選択問題が得意で、同時処理の子はそれが苦手です。 穴埋め問題は、その逆です。


私が今行っている読解指導では、その子の認知特性似合わせて、苦手な問題は、小さなステップを刻みながら、最初は支援を厚くし、それを徐々にフェードアウトしていき、やがてはそれが一人で出来るように指導していきます。

逆に得意な問題は、初めからその子一人でやらせて、それがどれだけすごいことかを伝え、たっぷりそのことをほめます。

こうしてSHINOBU流の楽しい学習を構成していくのです。


なかなか思うように行かないことも多いですが、私がプロとして磨き上げていきたい力は、こういうものです。


この子は、全体を俯瞰することが苦手なんだ・・

具体的な場面の中で、心の底から、そう理解できるまでにも、相当時間がかかります。

子ども理解のための軸は、決して1本ではなく、認知特性も2つだけではありませんから、その1本1本を、ご家族の方のエピソードと照らし合わせて、ていねいにひもといていくのです。

そこが整理されれば、同時に方策も生まれてきます。

ですから、ご家族との連携は、とても大切なことだと思っています。


私、毎回、こんな姿勢で子どもと向き合っているのです。

それは今の私だからこそ必要なことであり、通常学級の担任の時は、こんなこと考えもしませんでした。

つまり、それぞれのプロには、それぞれの武器があるのです。

ご家族の皆さんには、それを理解し、上手に構成されることも大切なのではないかと思います。



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持続こそが、母の思いの深さを語る

 2009-10-05
この週末、何人かのお母さんの、真摯な取り組みに心を打たれる出来事がありました。


まずは、一通の何気ないメールから・・

「昨日、2年生のみんなと、生活科の校外学習に無事に行ってきました。マナーもちゃんと守れたようで、担任の先生から、ほかの子よりもいい子だったと、しっかりほめられました。」

この子、以前、ドクターから 「通常学級は無理」 といわれた子です。

1年生の夏休み前には、衝動性の問題で、担任の先生も、ご家族も、そして私も何度も胸を痛めた時期がありました。

恥ずかしながら、1度だけ、この私も弱音を吐いた時期がありました。

その時、このお母さんは、「先生、弱音を吐かないでください、この子がどれほど先生の事が好きか、知っていますか」 と、私を励ましてくれました。

そのことが、どれだけ私の背中を力強く押してくれたことでしょう。


行動改善のための、論文・書物・実践事例、山ほど読みました。

小学校にいた頃から、こうしたケースには、直接の担当として何十件とかかわってきました。

自分なりに整理した仮説も持ちあわせています。


1ヶ月や2ヶ月、集中的にかかわることは、難しいようで案外誰でも出来ます。

しかし、1年、2年とそのスタンスを崩さず、ずっと寄り添うことは、現実には容易なことではありません。


私は、保育園のころから、2年生の今日まで、ずっとこの子のキーパーソンの一人として寄り添うことができた、ラッキーな存在です。

ここに、ご家族の強い気持ちと、熱い願いが不可欠であったのは言うまでもないことです。

もちろん教育的な存在として、この子にとっては先生という立場で、接しているわけです。


何も飾らず、ありのままの思いを、相互に通い合わせる事が出来ます。

絶大な信頼感があります。

この頃の彼の表情は、以前のそれとは明らかに変わってきました。


行動改善のためには、様々な方向からのアプローチが有効です。

そのポイントの一つとして、どんなときも涼しい瞳とあたたかい心で寄り添う、いわゆるカリスマ性のある魅力ある支援者の存在があげられますが、なかなかその効果を実証することはむずかしいものです。

しかし、私自身は、何気ないこの一通のメールから、彼の落ち着いいてきたそのまなざしから、日々のこうした大切なことをしっかりと確かめることができるのです。

こうした経験こそが、真っ暗闇で何も見えないときも、きっと遠くに明かりは見えると、誰かに伝えることのできる大切な源になっていくのです。


今日、この子の通う小学校に行き、教室を訪ねてみると、図工の時間にかいた彼の作品が廊下に掲示されていました。

それが下の画像の作品です。 思わず携帯で写真を撮ってしまいました。

作品に添えられた文字も、しっかりとして美しい字です。

当初は、一文字ひらがなを書くのにも、苦労していたのに、すばらしい成長です。

また、胸を熱くなってきました。

先生も、粋なはからいです。

私がいつも彼を待つその場所に、この作品を掲示してくださったのでしょう。

お母さんが、絶大な信頼をこの担任の先生に寄せられるのも、当然のことです。


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(↑ 学校の廊下に掲示されていた作品 )





土曜日の朝の指導のあとには、4年生の男の子のお母さんが、山の学校でのお子さんの様子を教えてくれました。

印象に残ったのは、「ここまで来るのに、2~3年は準備をした」 という言葉です。

今回の山の学習のかげに、これだけの母の努力が息づいていたわけです。


人間ですから、すべてのことをパーフェクトに行うことはむずかしいと思います。

ある部分だけを取り出されて、プロから批判をされたたら、ひとたまりもないことだってあります。

しかし、母の思いは本物ですから、枝葉はともかく、その軸は決してぶれることがないわけです。

月日が経てば、本物は必ず残ります。

そして、その結果は、必ず子どもの育ちにつながっていくのです。


初めてご相談に来られた時と比べて、子どもの表情も、お母さんの表情も明らかに変わってきました。


「今は、向かう先に光が見えます。だからいくらでもがんばることができます。真っ暗闇の中で、どこへ進んでいるかわからない時期がありましたから・・」


ここまで来たら、欲が出ます、過度な期待をしすぎてはいけないとわかっているのですが・・、そうおっしゃるお母さん。

当たり前です、親子なのですから。

その強い思いと深い絆が親子の証です、ナチュラルな思いを大切にして、これからもしっかり前を向いて進んでください。そして、時々ちょっとだけ振り返ってみてください、私はいつもここにいますから・・


そこには、1年前とは見違えるようにたくましくなった彼の姿があります。

しかし、当然ですがまた新しい願いも、課題も生まれてくるのです。


状況により、展開により、変えて行かなくてはならないこと、工夫していかなくてはならないことが確かにあります。

と同時に、どんなことがあっても、どんな批判を浴びても、変えてはいけないこともあります。


苦しい展開、よく打破されましたね、さすがです。

でも、今では学校の先生の見方も理解も、ずいぶん深まったじゃないですか?

それは、一にも二にも、お母さんの深い愛情がなしえたことです。

一時はきっと、担当の先生方から、ひどい親だと思われた事だってあったのでしょうけど、今では完全にお母さんの勝利です。


ご自身で気がつかれているかどうかわかりませんが、子どもの表情と同じくらい、お母さんの表情も変わってきました。

1年前より、何だかうんと若々しくなってきました。


このお母さん、もう次に向かっての歩みを始めているようです。

本物は強いな、苦しんだ分だけ、力強い。

正直な、私の印象です。


子どもの育ちは、うまく行っているときだけでなく、課題と向き合っている時こそが大切なわけです。

そこでの一瞬一瞬が、道を開きます。

半年・1年・2年と片時も忘れることなく、ていねいに前へ前へと進む営み。

それは、深い深い家族の愛情なくしては決してできないこと、

今更ながらに、そう思わずにはいられないのです。





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果てしなき 数概念形成の道

 2009-10-02
みきちゃん (=仮名・ダウン症・小二・支援級)は、この9月から週1度90分のレッスンを受けに通ってくれるようになりました。

夏休み期間中の最初のご相談の時、「SHINOBU先生の力を借りて、どうしてもこの子に力をつけてやりたい」 という、お母さんの強い気持ちを感じました。

「形だけではない本物の力を育ててやりたい。学校を早退してでも、空いている時間に、ぜひ先生に指導をお願いしたい・・」

そうまで言ってくださいました。

いくら何でも学校を早退してまでお越しくださるのは・・ と当初はとまどっていましたが、ご縁があり、9月より毎週木曜日の放課後に90分の指導をさせていただくことが可能になりました。

いくつかの偶然が重なったわけですが、やはりご家族の強い気持ちは、運まで引き寄せる物だと改めて感じました。



昨日のみきちゃんの学習メニューです。 (1ユニット15分程度)

1 いっしょにつくろう  (昨日はティッシュの空き箱を利用したポシェットをいっしょに作りました。イントロの手作業課題です。モチベーションの高い子には、こうした活動を先に入れます。)

2 こくごプリントをしよう  (読解のプリントを3枚程度します。小さな支援をたくさん入れて達成感をもたせます。)

3 パズルをしよう  (アンパンマン30Pパズルをしました。図柄の認知力・順序立てて考えたり、手先の巧緻性を育てたいと考えています。)

4 パソコンをしよう  (学習ソフトを使って、数の認知力を養います。先週よりもかなり上達し、手応えを感じています。)

5 さんすうプリントをしよう  (導入は若干迷いましたが、先週より、学校とは違うSHINOBU流の方法で、テクニカルに正答を出させる方法を教えました。先週は抵抗感があって、3問くらいで泣きが入りましたが、今週は20問、あっという間にできました。私の方がびっくりしました。)

6 おかいものゲームをしよう  (得意のおかいものゲームです。ゆさぶりをかけながら、小さなステップを構成しながら、数概念をここで入れます。文字通りこれが今の中心教材です。先週はにんじんの葉っぱをちぎって放り投げていましたが、今週はばっちり指導に食いついてきました。)



9月の指導開始から1ヶ月が経ちました。

1週目は、お母さんが見守ってくだり、緊張感もあり、みきちゃんパキパキにがんばっていました。

2週目は、お母さんには退室していただき、基本メニューを構成してマンツーマンで指導を始めました。

3週目は、運動会を控えていたこともあってか、体調が万全ではなかったのでしょう。そんなに他意はないのでしょうが、場にふさわしくない内容の発言がいくつか見られました。こういうときは、あまりいじくらずに次の指導に賭けるのが私流です。

4週目  今週は、先週の事がありましたから、さらに気合いを入れて準備をしました。マイナス行動も1回目は仕方ありませんが、決して2週続けてはなりません。多くの場合は、次の週はうまくいくことを、私は体験的に理解しています。ですから、今週はピンチではなく、チャンスだと思っていました。


今週は、ほぼイメージ通りの指導が入りました。

こういう子は、うまく乗せると、期待以上の成果をあげてくれます。

でも、何かのことで歯車が狂うと、なかなかそれは大変です。時には、築き上げた信頼感が、たった1度出来事で崩れ去ることもあります。

それは、決して子どもの利益につながりませんから、私の立場ではどうしてもそこは慎重になります。


ご家族の皆様は、私の実践や経歴などをご覧になり、十分私のことを理解してここにお越しくださっているわけですが、子どもにとっては、これまでの実績や経歴は、何の重みもありません。

あるのはただ、先生と勉強すると何だかよくわかるとか、何かが出来るようになって楽しいとか、そういう自分が伸びていく素朴な感覚だけです。

それがなければ、こうしたパーソナルな個別指導は成立しません。

そう言う意味で、みきちゃんは、計算が簡単にできる方法を、SHINOBU流先生に教えてもらったというインパクトが大きかったのだと思います。

お母さんにも、とても喜んでいただきました。


しかし、みきちゃんがこれから歩んでいく数概念の形成は、果てしなき道です。

SHINOBU先生からまだバットの握り方を教えてもらっただけで、生きたボールが打てるようになるためには、まだまだ何千回もスイングの練習をしなければならないのです。

今やっている練習をすれば、必ず打てるようになると思えなくて、どうしてこれから毎回素振りの練習を続けることができるでしょう。

コツンとバットにボールが当たったり、練習試合で塁に出たりすることがあるから、がんばって練習ができるというものです。


自分自身で目標がもて、そこに向かって自分の足で歩めるようになれば、私の役割の大部分は終了したことになります。

そういう子に育てていくために、今は質の高い、厚い支援を施すのです。

最初は構えたバットに、私の方がボールを当ててやっているようなものです。

当たった、出来た、面白い・・

次は、少し遠くから投げてバットを振らせ、当たったことをしっかりほめます。

レベルが上がったのは誰よりも本人が自覚しますし、出会い頭のホームランが間欠強化刺激になり、やる気をさらに確かなものにしていきます。

これが私のやり方です。


こうした私のやり方を理解してくださり、その強い意志で、結果として毎週90分指導を構成されたのは、私ではなくてお母さんです。

私はそれを受けて、自分流の指導を行っただけです。 

言わば私とお母さんの共同作業で作ってきた物です。

その結果は、みきちゃん自身が享受するわけです。


その形は、百万通りあると思います。

それぞれの家庭・それぞれの地域合った形が必ずあると思いますが、まだまだ既製品は少ないようです。

それには、ご自身で作られたり、ネットで検索したり、実際に足を運んだりする努力が必要です。


決して目を三角にしてあせることはありません。

お子様のために、ていねいにていねいに作り上げていただきたいと思います。

本物を作るのは大変なことですが、それは価値ある尊いことに違いありませんから。



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楽しい学習を構成する

 2009-10-01
昨日の私は完全休養日で、この日だけは一切仕事をしないでいようと思っていました。

デジカメの写真だけを整理しようと思っていたら、どうもそれが1日中ブログにアップされていたようです。

今、気がつきました。

それでも、多くの方がアクセスしてくださったようです。

未完成の記事をそのままアップしてしまい、申し訳ありませんでした。 <(_ _)>



これらの写真は、先週のかれんちゃんの指導のようすです。

下の1から7までの画像は、かれんちゃんがパズルを楽しんでいる様子です。

安定している時には、ご覧のようにちゃんとパズルができるようになってきました。



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8~11の画像は、カード・お買い物・ギヤのおもちゃの活動です。

かれんちゃんの認知の世界は、まちがいなく広がってきています。

ギアのおもちゃをはめるのは、なかなかむずかしいのですが、偶然なのかどうか、この日は次々とギアをはめていき、私をびっくりさせてくれました。



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かれんちゃん、「め」 「あし」 「みみ」 「て」 など、体の部分の名前がしっかりと分かっています。

下の12~15までの画像は、おさるのぬいぐるみで、「かれんちゃんの手は、どこかな~どこかな~? 食べちゃうぞ~ パクッ」 とやって遊んでいる所です。

ご覧の通り、とっても楽しい活動です。

こうした楽しい活動が構成できれば、内容的なことはいくらでも発展させることが可能です。

子どもの認知レベル、理解度、モチベーション、経験の再構成、指導者のねらい、これらのいくつかの要素がうまく重なり合ったときに、楽しい活動が構成されます。

まずは、私が楽しい活動を構成し、次第にその支援をフェードアウトする。 そして出来るようになった事柄を強化して、子ども自身に達成感をもたせる。 それが、私のやり方です。


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今週の指導の時、かれんちゃんは珍しく不安定でした。

かれんちゃんに限らず、どんな子でも時々こういうことがあります。


私は、前の週に上手にできたパズルを、さらに進化・発展させてやろうと張り切っていました。

でも、その日のかれんちゃんのようすを見て、パズルをするのは中止しました。

実は、こういう日こそが勝負の日になります。

甘やかしたり、迎合したりするつもりはありませんが、目先の成果だけを優先してしまうと、これまで長い時間かけて築きあげてきた信頼感が、一瞬に崩れてしまうことがあります。

先生が何を目指しているか、どういう気持ちで君に向き合っているか、何を大切にしてこれから進んでいこうとしているのか、言葉にしなくても伝わっていくのはこういう時です。

今週は、活動自体にはハイライトはなかったかも知れません。

だからこそ、こういう時に、行動とまなざしで、私はかれんちゃんに大切なことを伝えようとしたのです。


子どもの成長のカーブは、1本調子では上がらない。

山があり谷がありながら、それでもスパイラルのように次第に上昇していくのが子どもの成長。

いくら厳しい場面があろうとも、それでも私は楽しい学習を構成していきたい。

その不安定さも、決して子どものせいだけにすることはできない。

多くの人とのかかわりの中、個別指導場面で私がかれんちゃんに果たすべき役割、

これからも、それのことをしっかりと見つめていきたいと考えています。


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※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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