通じ合う心 心の中に ともるあかり 

 2009-09-29
昨日は、大輔君 (養護学校高等部3年) の指導の日でした。

大輔君との主なコミュニケートの方法は、指先でのポインティングです。

ところが、この頃はその指先に力が入りにくくなってしまい、ポインティングにも相当な負担がかかるようになってきている、とお母さんは伝えてくださいました。

では、どうやって心をつないでいけばよいのだろう・・

頭の中に、いくつかの迷いや不安が横切りました。


私がこの教室での活動を始めてから、たくさんの子どもたちに出会ってきました。

最初の日から、心がぴったりと通じ合って、ずっとそんなステキな関係が続いている子もいれば、最初は全く相手にされず、教室の中でもがき苦しんだ子も何人もいます。

アンパンマンのおもちゃとか、子どもはほんの小さなきっかけから心を開いていくのですが、その心をつなげる作業には、決して方程式はなく、結局は心と心、人と人とのガチンコ勝負となります。

私の真剣度と真心が、子どもに届くかどうか、それを子どもの心に響かせることができるかどうか、その1点に尽きるのではないかと感じています。


実は私、大輔君に向き合うときに、少し構えすぎていたのではないかと反省をしています。

言語コミュニケートができない子と通じ合う事に対して、今一歩自信がもてない、不安な気持ちが強すぎたのではないかと思っています。

言語は単なる手段、通じ合うのは心であるはずなのに、その心に迷いがあるから、今一歩大輔君の心を響かすことはできないのではないか?

ならば、これまで多くの子どもと通じ合ってきたように、ありのままの自分でこの子にもう一度向き合ってみよう・・

私は、次第にそんなふうに考えるようになってきました。



「あきらめずに取り組めば、奇跡は必ず起きる」

空港に行く車の中で、いつかお母さんは私にそう教えてくれました。

私を信じて、毎回欠かさず送迎をしてくださるお母さんの気持ちに応えること・・

決して逃げちゃだめだと、私は心の中で何度も言い聞かせました。


昨日の指導で、私は指先によるポインティング減らし、視線や表情からその意志を確かめる方法に切り替えてみました。

終盤の算数(数学)の指導の時です。

足し算のポインティングが可能だとすれば、この子の認知処理様式は、同時処理なのだろうか、継次処理なのだろうか?十進位取り記数法の概念は、どこまで入っているのだろうか・・  そんな疑問が私の心の中でパチンとはじけました。

よし、なら試してみようと、他の子の指導の時と同じように数字と半具体物をボードに書いて、さあどっちが正しいかと、大輔君に提示してみました。


大輔君、つまらないときは目を閉じてしまいます。

指導者にすれば、正直、これはこたえます。

何よりのプレッシャーになります。


ところがこの時、大輔君の目は大きく見開き、満面の笑顔を私にふりそそいでくれました。

「あのね、大きな数を数えるときはね、1・2・3・4・・・・と30まで数えるよりも、10・20・30とかたまりで数えると便利なんだよ、知ってた?」

大輔君は、本当にうれしそうな表情でした。

「そうか、大輔君は算数が好きなんだな。じゃあ、これから算数のおもしろさを先生と一緒に勉強していこうね」

そう伝えて、この日の指導は終わりました。


やっと、やっと、スタート地点に立てた・・

そんな気持ちです。

こんなに時間がかかってご家族に申し訳ない、という気持ちが半分あります。

と同時に、今まで心の中で割り切れなかった気持ちが、心の中でうそのように晴れていくのを感じていました。

やっぱりありのままで向き合わなければ、何も通じないのです。


通じ合うのに時間がかかった分だけ、その後のつながりが深くなるのは、これまで出会った多くの子どもに共通する事柄です。

間口の狭い子ほど、奥が深いような気がします。


ここから一本調子に登っていくなんて、夢にも思っていません。

しかし、どんな困難があろうとも、心がつながっていれば大丈夫だと、私は思っています。


まず伝える内容そのものがあって、その方法がいろいろと生まれてくる。

決してコミュニケートの方法だけに焦点を当ててはいけない。

通い合う心があって、はじめてそのスキルも向上していくのです。

それは、これまでの実践と何も違ってはいないのです。


「あきらめちゃいけない、奇跡は起こる」

改めて、お母さんの大切な言葉を噛みしめています。


秋の夕暮れ、あたりはすっかり暗くなっていました。

大輔君の帰る車を見送りながら、私は心に一つのあかりがぽっかりと点灯したように、とてもあたたかく感じているのでありました。


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運動会でめざすこと

 2009-09-28
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私が指導をさせていただいているお子さんの家庭でも、週末運動会だったところも多かったようです。

運動会が終わったその足で、私の教室に来てくれた子どももいます。


昨年は、友里ちゃんの学校に運動会を見にいきました。

入場門で、笑顔いっぱいの表情で迎えてくれ、「先生が見てくれるから、一生懸命走る」 と、言ってくれました。

今年は、土・日には指導が一杯で、出かけることができないことを伝えると、「先生が見てくれていると思って走る」 と、言ってくれました。

友里ちゃん、今年は応援団に入ってがんばった、と教えてくれました。


金曜日には、あきなちゃんの保育園の予行演習を見に出かけました。

お母さんが保育園に連絡をしてくださっていて、私の姿を見つけると、園長先生がとてもていねいな対応をしていただきました。

あきなちゃんは、ダウン症ですが、運動が大好きな女の子です。

ダンスの時には、少し場所がわかりにくい時もありましたが、保育園の先生の過剰な支援はありませんでした。

私は、その先生方の姿勢に共感をおぼえ、そのことを園長先生にお伝えして帰りました。

そして、この子の育ちにはナチュラルな集団が不可欠であること、そして私が背負う役割の大きさを、改めて感じました。


特性理解と過剰な支援は別物です。

運動会もできばえそのものよりも、子どもの育ちの方が重要であるに決まっています。

しかし、現実にはできばえの方が優先され、子どもや家族の心が痛む場合も場合もあるようです。


順位はビリだったけど、クラス中が互いの健闘をたたえ、抱き合って喜んでいるクラスがあります。

何のハンディもなしで全力で運動会に向き合い、精一杯取り組むその子の尊さを、クラス全体で受け止めているのです。

きっとその体験は、長く長く子どもの心に息づくことでしょう。

そして人が生きるという尊さを、運動会という行事の中から、体験を通して学んでいるのです。

私が考えるインクルージョンの姿は、こんな形です。


子どもの心は正直です。

形だけを整えた運動会は、すぐに風化します。

どんなにささやかな一コマでもいい、その子の命が輝く瞬間、

私たちが見つめたいのは、そんな瞬間なのだと思います。


私が、あきなちゃんの予行演習で、目頭が熱くなった理由、皆さんにはわかっていただけるでしょうか?


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いろいろな学びの形

 2009-09-25
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上の教材は、昨日まさと君 (特別支援学校高等部1年) と一緒に勉強したものです。

印刷物は、英検4級のリーディング問題です。

この教室でリーディング問題をするのは初めてでしたが、なかなかの手応えでした。

プリントをした後で、字幕スーパーで 「トムとジェリー」 を見るのが、いつもの流れです。

ご存知の通り、トムとジェリーに会話はほとんどないので、たまに会話や英語の文章が出ると、2人で盛り上がって観ています。


いろいろな状況を総合的に判断して、ご両親は特別支援学校を選択されました。

4月に入学して以来、様々な体験的な学習を通して、この子は特別支援学校ですくすくと育ち、たくましさと安定感を取り戻してきました。

驚くべき変化です。

ご両親の英断と、特別支援学校の先生方の教育に対する情熱と力量の高さに、心より敬意を表さずにはいられません。


この子とは、毎週90分、国語・数学・英語の3教科の学習をしています。

基本25分の学習に5分の休憩をはさんでいます。

この5分の休憩に、私は次の教科の準備をし、彼はインターネットでネットサーフィンを楽しんでいます。

この頃は、何も言わなくても5分経ったら、ちゃんとネットを自分で中断して、教科学習に戻ります。

ちょっと前の不安定な時期には考えられなかったことです。


「この子が、こんな教科学習に取り組めるのは、この教室の中だけです。」

「この子は、ここでの学習をとても楽しみにしています。」

「学校を休んだ日でさえ、この教室には行くと言い張ります」


ご両親はそう伝えてくださいます。

「勉強わからなくなったら、ここは止めます」

と、涙目で訴えていた頃のことが、遠い昔のことのように感じます。

学びたいのですよ、この子、その思いが誰よりも強いから、こんなことを言うのです。


この子は、国語より英語学習が大好きです。

例えば、問題集を見ると 「2年国語」 とか 「3年国語」 とか、学年別に販売されていますが、その学年の根拠は、文科省の教科書に準拠しているというだけのことでしょ。

そもそも国語に 「2年」 と 「3年」 の境目ってありますか?

私はたくさんの問題集に目を通しましたが、例えば 「2年国語」 の難易度が、「3年国語」 のものより上であることは、日常的に見かけることです。

それに学年別配当漢字だって、「干」「穴」 が6年で、「談」「農」 が3年ですよ。

どこにその内容的な妥当性があるのでしょうか?


一定の基準を設けてその到達を目指すのは、公教育では大切な営みだと思います。

でも、それがあたかも絶対基準であるかのように考えるのは、私は誤りだと思います。

学びの道もスピードも、それは千差万別であってよいはずのものが、そのことによって、自分はダメだと思ったり、学びの意欲をそぎ落とされる結果となったのなら、いったいそれは何のための基準であると言えるのでしょうか?


この子が英語が好きな理由を、お母さんに尋ねてみました。

どうやら中学の時の、すばらしい英語の先生との出会いがあったようです。

こういうことも日常的に起こる出来事です。


私は、この子との英語の時間がとても楽しみです。

私もこの子の指導を通して、英語指導の在り方と、英語そのものをもう一度学んでいこうと考えています。

まさに主体的な学びがここのあるのです。


いつかこの子と一緒に、外国に行けたらなあ~

私の妄想は、またまた膨らんでいきます。


私は、どの子にもきっと、学んでみたい願いや気持ちがきっとあると信じています。

それは、ステキな自分、未来への自分に向けての旅立ちです。

その気持ちの尊さに、レベルなんてあるはずもありません。

もっともっとそんなステキな自分に向き合う子どもを増やしたい。


私はいつもそう思っているのです。


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子どもが見える

 2009-09-24
昨日、4年生の男の子の読解指導をしていた時のことです。

「その様子がわかる文を見つけ、最初の5字を書きましょう。」 という設問がありました。

彼の鉛筆は、「ぼ」「く」「は」「 」「 」  で、ピタッと止まっています。続きの 「え」「ん」が、なかなか書き出せずにいるのです。

文章は、「ぼくはえん筆を置いて、ドリルをとじた・・・」 となっています。


「もしかしたら、ぴったり意味の合う言葉じゃないから、迷っているの?」

私は、そう尋ねました。 その子は、こっくりと 「うん」 とうなずきました。

「こういう問題はね、いつもぴったり意味のあう言葉が入るとは限らないんだよ。文を見つけたんだったら、自信をもって 「え」「ん」 と書いてごらん」 

私はそう教えると、書庫から解答集を引っ張り出して、彼に見せました。

「ほらねっ」

彼の顔に、いつもの明るい笑顔が、さっと戻っていきました。


この頃、ある女の子は、問題に取り組んでくる途中に、私にシャワーのように次々と尋ねてくるようになりました。

「ふるめかしい」 の 「めかしい」 ってどういう意味?

「昭和」 って何のこと?

「あかはだか」って、何?


スイッチが入った証拠です。

「そういうことか~」

「わかった~」

そういう発言が、1日にいくつも見られるようになりました。

それはすごい集中力で、1時間以上1度の休憩もなく、今日は7枚出来た、10枚出来たと喜んで学習に取り組んでいます。

毎回の学習に達成感があります。


問題は、まだ当該学年より下の内容です。

しかし、この集中力をもってすれば、これからかなりのところまでイケルのではないかと考えています。

夢は膨らんでいます。


この子の場合も、課題を焦点化していくために、大変な時間と労力を要しました。

様々な回り道を通り、試行錯誤を繰り返し、やっと今の学習スタイルになってきたのです。

その回り道や試行錯誤の体験が、私と彼女の双方に共通にあるからこそ、信頼感と深い理解が形成されていったのだと思っています。

決してスマートな道のりでも何でもなくて、悪戦苦闘・あずりまくった結果が、やっと今につながっているのです。


もちろん、私が行っているのは、この子の育ちの中のほんの一部分にしか過ぎません。

でも、この学習がこの子の育ちの中で、どんな意味をもっているのかは、ご家族の皆さんとしっかり精査してきたつもりです。

専門用語でいうならば、「指導の妥当性」 と言い換えることができるのかも知れません。


私にとって 「子どもが見える」 というのは、こういうことではないかと考えています。

今の私の実力では、心にストンと落ちるまで、ていねいに寄り添っても、最低半年はかかります。


先に定番プログラムがあり、それを順番にしていくのなら、いつだって指導はできます。

でも、その子のつまずきの根元をえぐり出し、どういう指導支援が大切なのかを精査し、それをふまえて指導を組み立てるのが、私の仕事だと考えています。


「SHINOBU先生と一緒だったら、勉強がわかるから楽しいんよ~」

「学校でも、私にはSHINOBU先生がいるんだって思いながら、いつも勉強するんよ~」


本当にありがたい言葉です。 これがあるから、やっていられます。

実力不足ですからね、なかなかすべての子どもに達成感を与えるような指導はできていません。

どうしてもブラックボックスを開けることができずに、いまだにあがいているケースも数多くあります。


信じてお子様を連れてきてくださるご家族のご期待に、ぜひともお応えせなばと思いながら、力不足の場合も多いのではないかと思います。

思い通りの結果を出せないことも多いです。

でも、私は逃げません。

1回1回の指導には、いつも真っ正面からぶつかっていきたいと思います。


いつもそうしてきましたし、ダメだと思ったところが、多くの場合そこが出発点でもありました。

こうした歩みは、きっとご家族の皆さんも体験されてきたことなのでしょうね。


あきらめないという、大切さ、

私も、少しだけ皆さんのパートナーらしくなってきたのかも知れません。


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花子ちゃんの発達のカーブ

 2009-09-21
先日、花子ちゃん (3年生) のお母さんから、お子さんに学習専用のパソコンのについてのお尋ねがありました。お子さん専用のパソコンの購入を検討されているということでしたので、設定など多少のお手伝いをさせていただきました。

花子ちゃん、2年生のころはよくパソコンを使って学習をしたものです。

当時は、形の識別が苦手だったので、その分野はキャラクターと楽しく遊べる教育ソフトを頻繁に利用しました。

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パソコンの設定について説明をさせていただいているときに、昔やったなつかしいソフトのことを思い出しました。

その頃は、文字を書くのが大の苦手で、涙を流しながら宿題をしていたはずです。

でも今は、へんとつくりの勉強が大好きになり、例えば3年生で習う 「死」 という字なら、「一」 「タ」 「ヒ」 というように分解して認知できますから、その時の花子ちゃんとは全く別人になり、漢字学習にも生き生きと取り組むことができるようになりました。


算数でも、「37+85」 なんて計算も、楽々出来ちゃいます。

少し前までは、一桁の繰り上がりのない足し算でも、涙がでていたのに・・

指カードで、「これはいくつ」 なんて学習をしていたことさえ、信じられない気持ちです。


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スクリーニングをして、子どもの苦手な部分をフォーカスすることも大切なことかも知れません。

でも、苦手なことだけを指摘しても、手だてがなければ、子どもも家族も疲弊するだけです。

例えばそれに、何かの障がい名を付けたところで、それが子どもの成長につながらなければ、無意味どころか、ネガティブな心だけが残る結果となってしまいます。


手だてが見えてこそ、そのフォーカスは有効です。

1 スクリーニング → 2 障がい名(診断) → 3 特別支援学級入級 → 4 高度な専門的・教育的なアプローチ

4の具体的な取り組みがあってこそ、1~3が生きるというものです。

3でジ・エンドでは、悲しすぎます。


今、私は花子ちゃんに、学年相応の国語の読解問題をやらせています。

この子、書くのは苦手でしたが、読む力には目を見はるものがあります。

でも、ご家族と私以外の誰かがその事に気がついているなんて話は聞いたことがありません。

スクリーニングって、良いこと見つけは苦手なようですね。

教育は、可能性を信じ、それを育む営みなのではないでしょうか?


苦手な所だけ、ほじくりだして、「あれもできない」 「これも心配」 「それを何とか・・」 とやるのが、本当の特別支援教育なのでしょうか?

この子の良さを集団の中で発揮させてやりたい、みんなの前でこの子の良さを認めさせてやりたい、そういう営みは、教育とは呼べないのでしょうか?


もちろん、今の花子ちゃんにも苦手な所はあります。

行き届いた教育・専門的な指導が必要です。

しかし、2年生の時の花子ちゃんとは別人です。


今苦手だからといって、一生そうだとは限りませんよ。

私は、この子の得意な読解力で、もう一花もふた花も、マジで咲かせるつもりでおります。

信じているんですよ、この子の力を。

文字に書くのは苦手だけれど、どれだけ豊かな心と読み取りの力をもっていることか・・

そのことを発見したときに、どれだけ教育者としての魂を揺さぶられたことか・・


こう考えると、毎回の指導が待ち遠しくなります。

花子ちゃん、プリント教材にずっと抵抗感がありましたが、このごろは結構食いついてきました。

そりゃそうでしょ、むずかしい漢字も書けるようになってきたのですから。

そうなりゃどんどん行きますよ、文学教材!


あなたの時代は、ここから始まります。

足場が固まり次第、ロケットスタート♪


あなたの発達のカーブは、ここからが急上昇!

これまでの苦労は、無駄にはさせません。

回り道した分、エネルギーはたまっています。



何と言っても君は、SHINOBU先生としての教え子第1号。

期待してます



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支え合うという 私とご家族との関係

 2009-09-18
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 (やさしいかれんちゃんの表情 心がなごみます)



かれんちゃんのご家庭、お父さんもお母さんも超多忙です。

9月は、いつも通りの曜日に指導が行えず、お母さん、お父さん、そして私の日程をやりくりして週1回の指導を何とかキープしています。

この日は、朝、お母さんが連れてきてくださり、そのままご勤務されている大学へ、そしてお迎えはお父さんが時間を調整してきてくださり、そのままお父さんが保育園に連れていかれました。

お父さんから、「いつもブログを読ませていただいています。心のこもった指導に感謝しています」 と、大変ていねいなお言葉をいただきました。 著名な研究者でいらっしゃるのに、恐れ多いお言葉です。

そこまで私のことを信頼してくださるご両親のお気持ちには、何としても応えたいというのが、正直な私の気持ちです。



この日のロールプレイは、「かれんちゃん、ちいぽぽちゃんのお姉ちゃんになる」 という設定です

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かれんちゃんのお母さんからは、メールで発達に関わる様々な情報をいただいています。

かれんちゃんのお母さんと私は、同期ではありませんが同じ大学院の講座を修了した間柄です。用語も考え方も共通するベースがありますから、密度の濃い情報を、本当にありがたく思っています。

しかもその視点は、研究者のものではなく、母の視点によるものですから、私にとってのその価値はダイヤモンド級です。



この日、かれんちゃんは、お月謝袋を手に持って教室に来てくれました。

お母さんは、「この頃は、家でも色々なお手伝いにはりきって取り組んでいる」 そう私に伝えてくださいました。

こういうところが、かれんちゃんのすばらしい魅力です。


ならば、そのよさを、その大切さを、ここで思う存分発揮して、家庭で培った力を思う存分発揮していただきましょう。

この教室は、マンツーマン・オーダーメイド指導が売り物です。

環境には、自信があります。

たっぷりとフィードバックして、そのことを本物に仕上げていくお手伝いをさせていただかなくてはなりません。


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かれんちゃん、お買い物活動にも、生き生きと取り組むことができました。

以前、お母さんがビデオを持って来られたときにも、この活動を見せようとチャレンジしたことがありますが、その時はちっともうまくいきませんでした。

でも、今日は、「ちいぽぽちゃんのお姉ちゃん」 という設定がよほど気に入ったのでしょう。 ちゃんとふくろに入れてお買い物ができました。

ならばということで、今日はできるだけいろいろな活動を、、「ちいぽぽちゃんのお姉ちゃん」 シリーズで構成してみようと考えました。





「ちいぽぽちゃんに電車を見せる」 「先生に封筒を渡す」 「ちいぽぽちゃんと遊んであげる」


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こうしたかれんちゃんとの応答的なやりとりは、可能な限り記録していくようにしています。

この日は、こんなやりとりも記録されています。


「きれいにあらってあげたの?」

「うん」

「服着る?」

「だめ」

「服は着ないの?」

「うん」

「ぽぽちゃん、裸なのね?」

「うん」


かれんちゃん、机の上にあった木工用ボンドをシャンプーに見立て、のりの容器を化粧品かパウダーに見立てているようです。

こうした見立て遊びの指導マニュアルは山ほど見てきましたが、こんなに生き生きと取り組むと、私の胸も高まります。


このようにひとたびツボにはまれば、どんどん発展するのが、かれんちゃんの特徴です。

こうなったときの持続性は、おそらく、私のかかわっている子どもの中ではトップクラスです。

逆にモチベーションが低いと、すぐに目が三角になって拒絶してしまいます。 そう言う状況でやらせようとしても、ちっともうまく行きません。

よくも悪くも、これがかれんちゃんの特徴であり、魅力なのです。



「ぼうしをかぶせる」 「寝かせる」 「先生の髪をとく(笑)」

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指導の前後に、お子さんにかかわることで、いつもメールをくださる方がいます。

毎回の指導の後に、ご両親でお越しになる方もいます。

すばらしい力量をおもちであるにもかかわらず、あえて 「ここの教室では、原則、先生にすべてをお任せします」 と、おっしゃり、あたたかく見守ってくださる方もいます。


文字通り、百人いれば百通りであるわけですが、どの方のお気持ちも、私の気持ちを十分に支えてくださっています。

私は、保護者支援を自分の大切な仕事の一つとして考えていますが、この私も、ご家族のあたたかいお気持ちに支え続けられているわけです。


かれんちゃんは、毎週、いったいどんな気持ちでこの教室の階段を上がってくるのでしょうか?

この教室に来るということ自体に、どれだけのご両親の真心が込められていることか・・

かれんちゃんが、この教室で生き生きと活動できるのも、きっとこうしたご両親の真心と愛情、そしてご努力がちゃんと伝わっているからではないでしょうか?


かれんちゃんの急速なコミュニケートの発達には目を見はる物があります。

私は、デジカメ写真と言語によって、その育ちを記録していこうと考えています。

研究助成もいただいていますので、一定の時期になれば、その内容を分析・総括しようと思っています。

最近はデジカメに動画機能のついているものも、販売されているようです。

持続可能な技術と環境が整えば、より客観性の高い動画記録も導入したいと現在検討中です。


半年もすれば、子どもは別人に生まれ変わる。

子どもの可能性が無限であることを、改めて感じるのでありました。


皆さん、希望をもって、粛々と、笑顔で歩んでください。

支え合うというのは、とても大切なことなのです。

ほんのわずかな力しかありませんが、少なくとも私はあなたの応援団です。


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文字がすらすら読めるという不思議

 2009-09-17
「書くのは苦手なのに、読むのは得意」 という子がいます。

特に、「弓」 とか、「大」 とか、曲がった文字を書くのは大嫌い。でも、物語の会話文などは、心を込めて上手に読めます。 多少あてずっぽにアレンジして読むこともありますが、それもアドリブが効いているように感じ、聞いていて心地よい感じがします。 読解問題では、選択問題が得意です。

逆に、「書くのは得意だけど、読むのは苦手だ」 という子もいます。

わ・た・し・は・・・ と逐次読みになりがちで、文節をまとまりとしてとらえにくく、流暢に文を読むことが苦手です。 読解問題では、穴埋め問題が得意で、選択問題が苦手なタイプです。


初めの頃、私は「弓」 と書けない子が、どうじてあんなに上手に本が読めるのか、不思議で不思議でたまりませんでした。

でも、今は自分なりにそのことが理解できるようになってきました。


どうしてこういうことが起こるか?

読むのが得意なタイプの子は、全体やまとまりをとらえることが得意だけれど、一文字一文字の細かい部分をとらえることが苦手なのです。

書くのが得意なタイプの子は、一文字一文字の細かい部分をとらえるのは得意だけれども、情報が多すぎる (長文など) では、対応できにくくなるのです。

細かい部分にとらわれないから、全体をすーっと読むことができるのです。

このことからも、長所と短所は表裏一体であることがわかります。

苦手の裏の長所、それを生かすという発想も、時には有効です。


また、自閉症のお子さんには、「読むのが苦手・書くのが得意」 のタイプが多いように思いますが、すべての子がそうだとは限りません。

言語活動は、かなり複雑なルートで構成されていますし、認知(入力) → 頭の中の処理(メモリー) → 表現(統合化)  のそれぞれに特性がありますから、「何々症だからこうすればいい」 ということには、なりにくいと思います。

また集中力の特性や、視線・視点移動、文字の大きさといった面の課題が大きい子の場合もあるようです。

私の仕事は、具体的な学習レベルで、その子の特性を理解し、オーダーメイドでその子にあった学習指導を構成していくことです。


例えば、下記のような絵カードは、「ばなな」 という文字に、等価な映像の情報がつけられています。

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書くのが得意な子であれば、きっと映像系の刺激は得意であるはずです。

そこに、「ば」 「な」 「な」 ではなくて、「ばなな」 と、三つの文字を組み合わせた情報を添えて提示します。

「Knife」  は、ローマ字読みでは、「くにへー?」 かも知れませんが、単語の意味を知っていれば、「ナイフ」 と読むことができます。

「ばなな」 を固まりとして認知できれば、「ば・な・な」 ではなくて、「ばなな」 とかたまりでとらえることが出来ます。

その移行のための映像情報を、その子のレベルに合わせて、少しずつフェードアウトしていきます。

やがては、文字だけのカードで、あっさり 「ばなな」 と読めるはずです。


今はサービス版サイズのカードしか開発していませんが、ラミネーターとプリンターさえあれば、A4サイズの文章カードに、主語・述語をはめ込んでいくカードも自由自在に作ることが出来ます。 それに映像情報を添えることも、除くことも可能です。

就学前で、まだひらがなの書けないお子さんの指導には有効ではないかと考えています。

幼児教育の様々な教材が次々と開発され、きっとこの部分の研究はさらに進んで行くのではないかと思います。


よい教材があれば、大変ありがたいです。

その良さが瞬時に見抜けるには、かなりの実践が必要だと思います。

探している時間があれば、自分で作った方が簡単かも知れません。


今の私に、1週間自由な時間があったら、部屋にこもって教材の試作品を大量に作ってみたいです。

きっと山ほど失敗作が出来るでしょうが、きっと一個くらいはお気に入りの宝物ができるような気がしています。

それもこれも、すべては子どもが見えての話です。




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物を投げるという 子どもの行動を読み解く

 2009-09-16
人間にとってコミュニケートは、とても大切なことです。

狭義では、言語コミュニケートが中心になりますが、動作・しぐさ・表情・それまでの展開なども、コミュニケートの大切な要素となります。

言語を媒介としなくても、通じ合う心というものはあるはずです。

人間の集団所属要求を司るのは、大脳辺縁系といって、食欲や睡眠など、人間の生存にかかわるぶぶんなのです。

それだけ、通じ合うと言うことは、人間の存在そのものに深く関わっているということができます。


私の指導のねらいと子どもの心が一致しない場面があるとします。

そのことを言葉で言う子もいれば、そうでない子もいます。

たとえ言葉では言わなくても、表情や鉛筆のスピードなどで、そのことは伝わってきます。

何でもかんでも子どもに迎合するわけにはいきませんから、キリのよい所までは続けますが、次の指導にはそのことを踏まえて、何か一工夫するように心がけています。

私は、子ども本来の成長の願いをかなえる、ということを指導の特色と考えていますから、こういう指導のスタンスを取るのです。


先日、小さい子に、絵カードを使った指導をしていました。

動物やくだもののカードは、それは楽しそうに受け取って眺めています。

特によくわかるカードの時には、発語も見られます。

ところが、わかりにくいカードを渡すと、とたんにその子はカードを放り投げてしましました。


もちろん、行為として、カードを投げるといくことは望ましくないことですから、見過ごすわけにはいいきません。

望ましいコミュニケーション方法を教えて、やらせて、ほめて、育てていかなくてはなりません。

これが、この子の今後の課題となります。


でも、コミュニケートは相互の関係性の問題ですから、私自身が大いに反省しなければならない点が多くあるわけです。

これだけはっきり示してくれれば、次の教材作成の大きな資料となります。


もし、この子がそこまでの反応を示さない子であったら、果たして私はすぐに教材の見直しに取りかかったかどうか?

もしかしたら、レベルに合っていないつまらない教材を延々と提示して、たいくつな時間を過ごさせることになったのかも知れないわけです。

うまくいかないという反応があるからこそ、より緊急に、真剣にその解決に向けて取り組んでいくわけです。

このことは、子どもの利益という観点からみれば、むしろ大切なことではないかという気になってきました。


適応しないより、適応できたほうが良いに決まっています。

活動に目を輝かして、生き生きと取り組み、自分の力をどんどん伸ばしていく、

これが、私の目指す姿です。


しかし、何事もなければ、淡々とメニューが進んでいけば、それでいいとは思っていません。

離席をしたり、物を投げたり、活動に消極的なるのは、私への大切なメッセージであり、そこに成長の願いや欲求があるからこそ起こる出来事だと私はとらえています。

でなきゃ、カードは投げないと、私は思います。

信頼感や期待があるからこそ、投げるカードもあると私は思っています。

何事もなければそれでよい、安定していればそれでよいというのではなくて、子どもが育つのであれば、それが子どもの成長や利益につながるのであれば、そのことはむしろ大切で尊いできごとなのかもしれないと思うのです。


学校や園ではよい子なのに、家では困ることが多いというケースもよく伺います。

それは、家での対応がまずいということでは、決してないのです。

それだけ家庭が、その子を受け入れる器が大きいということなのではないかと思います。


離席などを、力で押さえつけるのは簡単です。

きびしく叱ればいいわけですから・・

勘違いしてもいけませんから、ちゃんと教えて、明確に枠組みを構成することも大切です。

与えられたメニューを淡々とこなし、受け身のままで指導が済んで、それがご家族の願いであるならば、それが子どもの利益につながるのであれば、喜んでシフトチェンジをさせていただきます。


しかし私は、子どもの心のメッセージを読み解き、子どもの本来の学びの欲求を掘り起こし、命を輝かせるような指導を行いたいのです。

次の指導の日、新しく作った絵カードで、あの子がどんな反応を示すか、私の心はドキドキです。

そして、生き生き笑顔でカードの活動に取り組んでくれたなら、きっと私とその子とのパイプは、一回りも二回りも太くなっていくのではないかと思っています。


それが簡単でない作業であることは、百も承知です。

困難指数が多ければ多いほど、それが育ての主体者であることを示しているのでないでしょうか?


不適応な行動は、子どもの願いの裏返しに違いありません。

そのしんどいところに、ご家族とともに、真っ正面から向き合っていく自分でいたいと思います。



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選ぶという自由と責任 (決して家族だけにすべてを背負わせない)

 2009-09-15
委託と請負の話は先日しました。

委託というのは、主体者としてのご家族が、プロの先生にに、専門性を生かした指導をお願いするということです。

例えば、税理士や弁護士の先生に協力をお願いするといった形です。


同じ民事裁判でも、経済問題に強い方もいるでしょうし、不動産に強い方・家族問題が専門の方など様々な先生がいらっしゃることでしょう。

どの弁護士に依頼するかは、ご家族の自由です。 そこには選ぶ自由があり、選んだこ結果に対して責任が伴います。

合わない弁護士なら、変えればいいのです。 それも自己責任です。

ですから、ご家族と弁護士は、相互が主体者で、ほぼ対等な関係であるといえます。


通常学級の担任を選ぶことは、ほとんど不可能です。

ならば受け手の学校は、最低限の教育の質を保障する責務が生じます。

選ぶ自由がないのなに、まともな教育が実施されないのでは、とても対等な関係とはいえません。

双方にとって不幸な関係が1年続いてしまうわけです。


保育の世界には、直接契約制度といって、保護者が保育園を選ぶ形が模索されています。

この先、どんな保育の枠組みが構築されるかわかりませんが、保育の質を保護者が選択する時代がやがて来ると私は思っています。

公立ならそれはそれで終わりですが、私立は死活問題です。

今から生き残りをかけて、保育の質と保護者サービスの充実に磨きをかけ、それが利用者に理解されなければ、多額の借金をかかえて破産です。

真剣度が、まるっきり違います。


私は、教育の世界も、もっと選ぶ・選ばれる時代がやって来るのではないかと思っています。

選ぶという形になれば、そこに信頼と責任が伴いますから、相互が主体者として協力する形になりやすいと思われます。

選んでいただいた気持ちに応える教育を行いたいと思うのは、教育に携わる者なら、当然の気持ちです。

選ばれない者は、研鑽を重ねてレベルアップをするか、それができないなら、静かにそこを立ち去るべきです。


プロの仕事ですから、厳しいのは当然です。

一般社会では、まずいラーメンは誰もお金を出して食べてくれません。  当然のことです。

しかし、うまいラーメンを提供すれば、行列ができます。

だからこそ、スープづくりに命をかけて取り組むことができるのです。


教育に請負はありません。

お金を出してあそこに入れれば、それでもう親は何もしなくてもよい、なんてことはあり得ません。

本来家庭で育てるべきものを、学校に任せることは決してできないのです。


ですが、発達面に課題のあるお子さんを育てていく場合、ご家族が、特にお母さんが、そのすべてを一人で背負い込んでいる場合が多すぎます。

「いくら何でも、これじゃあ、いかん」 と、いうのが私がこの活動を始めた原動力になっています。


今の世の中で、こうしたお母さん方の立場でサポートを行ってくれる所が、どれだけあるのでしょう?

「ありとあらゆる相談に行きましたが、みんなあっち側 (行政・学校) の人でした・・」

そんなつぶやきを、私は何度も何度も聞いてきました。


「主体者は、お母さんですから、私は大したことはできません。過度な期待をされても困ります。 でも私は、生涯お母さんの応援団です。 決して一人にはさせません。 大したことはできませんが、ずっと一緒に歩いていきますから・・」

いつも私は、そういう気持ちを込めて、ご家族の皆さんに接しています。


この週末にも、県外から新幹線でご相談にお越しくださる方がいます。

私は、私を選んでご相談にお越しいただけることを、何よりの誇りに思っています。

だからこそ、何かの形でお役に立ちたいと願っています。


子ども第一主義・・

すべては子どもの成長と笑顔のために・・


自分の命を輝かせ、誰かのため、何かに役立つ子どもに育てたい、

時として、それを支える存在が重要であることを、私はひしひしと感じているのであります。


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子どもを知ってもらうという 大切な営み

 2009-09-14
知らないということは、おそろしいことです。

何も知らないがために、ずっとずっと誤解され続けること・・

こういうことが、一番困ることです。


差別や偏見の多くは、知らないがために起こる不条理な出来事です。

いじめも、相手の心と自分の良心を見失ってしまう大変不幸な現象です。

知らないでは、すまされないことも多くあります。

時として、知らないことは罪であり、許されないことであり、とても残念な結果を引き起こすことにつながります。


ありのままの子どもの姿を見つめてもらえず、「何々症だから、云々・・」 というのは、時として大きな偏見につながることがあります。

これまで紙切れだけで決めつけられてきたことに、何度強い憤りを感じてきたことでしょう。

数値をある視点から精査することと、子どもの可能性を否定することを、混同しているような場面にも多く出会ってきました。


可能性を信じなくて、どこに教育の営みが成立するでしょう。

困難ばかり目の前につきつけるのと、わずかであっても希望をもって進むのと、どちらが子どもの利益につながるのでしょう。

数値の枠から、あるいは過去の事例からはみ出したものを奇跡と呼ぶならば、私は毎日奇跡を目指して指導をしているわけです。

ならば、奇跡は奇跡でも何でもなく、それは日常的な出来事なわけです。


毎日、たくさんの子どもと接していますから、子どもの意外な一面を発見することは多いです。

感情の理解が苦手?と称されるタイプの子どもが、ふとした事でダジャレを言って、顔を見合わせて大爆笑したことがあります。

私に対するいたずらが、最大限の信頼の表現だったりします。

急性の花粉症?で、くしゃみばかりしている私を、何度も何度も気遣ってくれるやさしい女の子がいます。 いつもやる気もりもりで、負けず嫌いなくせに、こんなにやさしいんだと心がとてもあたたかくなりました。

「どれだけ我が子が先生のことを信頼しているか・・」

ご家族の方からいろいろなエピソードをお聞きする度に、子どもの心の底に流れるあたたかい気持ちを感じ取ることができます。

もしも、どんなにわずかであっても決めつけや偏見があったなら、その子に開く心などありえないわけです。


接触体験が理解につながるというのは、各種論文できちんと証明されています。

特に、幼少期の体験が大切なようです。

例えば、幼少期に外国の方と接したり、ご高齢の方とせっしたりする体験が、差別や偏見のない豊かな心を育てるために、とても貴重なものになっていくのです。

何々症の人は、何をするか分からない、とかいうような、言われなき差別や偏見は、こうした接触体験の欠如も大きな一因であると考えられます。


地域社会ではなおさらです。

だからこそ、我が子と多くの方がふれあう場を大切にしていただきたい、そう願っています。

一言でも、言葉を交わしたり、一緒に何かをしたりすれば、その子はぐっと身近な存在になります。

我が子にとって、生涯心を寄せ合う大切な人との出会いになることだってあります。

そういう観点からも、私は集団の中にきちんとポジションがあり、それでいてその子の特性にあった、内容の豊かな教育の場を設定してやることが大切なことなのだと考えています。


美しい心をもった多くの子どもたちとの出会いが、私の人生を動かしたのは確かです。


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育ちを共有できる最高の瞬間

 2009-09-11
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今日は、昨年11月から通ってくれるようになった、ダウン症の5歳の女の子の指導の日です。

時間が来ると、いつも通り元気一杯で階段を登ってきてくれました。

これまた元気一杯のあいさつの後、いつものように指導を始めさせていただきましたが、この日の指導で、私が胸一杯の大きな感動を覚えるなんて、その時は思ってもいませんでした。


つみき遊びの後で、この子は自分で 「りんご・ばななカード」 を持って来ました。

このカードは、私の手作りカードの一つで、「リンゴの絵」 「りんごというひらがな」 「りんごの絵とひらがな」 の3タイプが印刷されており、それを仲間分けしていく活動です。 (↓ 下の画像)


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実物(レプリカ)の仲間分け → 絵カードによる仲間分け →  ひらがなカードの仲間分け  と学習を進めていくための小さなステップを刻んだつもりです。

この子の場合は、絵の情報で判断できるようになったばかりですから、ひらがな情報は二次刺激としてしばらく補助的に与えていけばいい・・

と、思っていましたが、なんとこの子、ひらがなだけのカードを、苦もなくスラスラと次から次へと平気な顔で分類していくではありませんか?


えっ~ 、確か前の週までは出来なかったじゃない?

ついに 「ひらがな」 だけで読めるようになったのね~!!


わかるという時は、こんなものです。 じわりとわかるのではなく、パキンとわかるのです。

脳内ネットワークが、音を立ててつながった瞬間です。


私が第一発見者なら、こんなにうれしいことはありません。

まさか、来週になったらできなくなることはないよね~、私はほっぺをつねりたくなりたいような気持ちになりました。


このカードを作ったのも、この日のために作ったわけですから、まさに苦労が報われる瞬間です。

もちろん、子ども自身の成長のエネルギー、保育園での教育的なかかわり、ご家族の献身的なご努力が総合化され、子どもの育ちが形成されているのですから、私の果たした役割はほんの少しにしかすぎないことです。

でも、私自身は、格別の喜びです。


私が感動に酔っている間に、この子は、「くだものペアペアパズル」 を持ってきました。

このパズル、中心教材の一つですから、これまで何十回やったか知れません。

しかし、認知の世界がここまで広がったのですから、これも出来ないわけはありません。

案の上、この子は、ほとんど私の手を借りずに、スラスラとパズルを完成していきました。

絵カードの学習も、すごい集中力・・

おまけに、お母さんが迎えに来られた後も、ブロックで色々なものを作り始め、なかなか帰ろうとしませんでした。

まさに、「認知の爆発的モード」 への突入です。


ここで一つの気づきがありました。

くだものペアペアパズルは、手のひらサイズの小さな2ピースパズルです。

これまでも、この子はそれを何枚か逆さまに組み合わせるので、私は図柄ではなく、形認知の方が優位なのだと思っていました。

ところが今日、この子は。一旦組み合わせたパズルを次、から次へと逆さまに向けていきます。

3つほど逆さまにした時点で、それは対面の私に見えやすいようにわざとひっくり返してくれていることに気がつきました。

何てやさしい子なんでしょう?

何も知らず、逆さまのカードを元に戻していた自分が、恥ずかしくてたまりません。



今日、絵にひらがなをはめる新しいカードの試作品 (改良モデル) を作りました。

さっそくこの子で試してみると、なかなか良いあんばいです。


う~ん、楽しい仕事ですね~

こういう日があるから止められません。

カードが完成したら、特許をとって販売したいくらいです。


そういえば見学に来られた学校の先生が、バチバチとデジカメでこのカードを何度も撮影されていましたが、既製品と自分自身で改良を重ねたものでは、ちょっと違います。

私の書庫には、何百枚という試作品や、使えもしない失敗カードの墓場があります。

実際の子どもの指導に使えるのは、ほんのわずかのものだけです。

私は、プロのお寿司屋さんに負けないような、職人の技を磨きたいと願っているのです。

ご家庭とはちょっと違った、こだわりのスープを仕込みたいのです。


子どもも大人も楽しいと、やる気もアイデアも膨らんでいきます。

育てる内容を精査し、方向性を見据え、小さなステップをこしらえ、子どもの願いと可能性を信じ、主体的で楽しい学習を構成し、あせらず、あきらめず、安心せず・・

私の楽しい挑戦は、今スタートしたばかりです。



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子どもの夢をかなえることこそ 奇跡を起こす第一歩

 2009-09-10
私が大学院でお世話になっていたとき、小児神経科のドクターと2人で、マレーシアに旅行に行かせていただきました。

ドクターによると、「海外の強い日差し浴びて、視床下部に刺激を与え、脳内のセロトニンを活性化させるため (笑)」 ということでした。

冗談ぽくドクターはおっしゃっていましたが、その半分は大まじめだったのかも知れません。


ストレスがたまると、ドーパミン・セロトニンなど神経伝達物質が枯渇して、うつ病になることもあります。

逆にうれしことが重なると、脳が活性化し、神経ネットワークが次々とつながり、頭がよくなるのは確かです。

私の指導で、やる気・モチベーションを大切にするのは、こういうことを大切にしているからです。

この日プリントを3枚するのと、大好きな工作をするのと、トータルでどっちが子どもの利益につながるか、そういうレベルの判断も時々行います。



うちの教室、ラジコンカーが10台近くあります。

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「先生、次々とおもちゃ増えますね~」

隔週でお越し下さる方などは、よくそう言われます。

ベイブレードは10個以上、パズルは2ピースから小さいステップで段階的に何十種類もあります。

お兄ちゃんの指導のお迎えに来て、妹や弟がそのおもちゃで遊び始めて、帰るのに一苦労、というのは、日常的な光景です。


カラー粘土、牛乳パック、グルーガン、発布スチロールカッター、食品トレイ、テープ、たこ糸、ビーズ、刺繍、風船、シャボン玉など、子どもが喜びそうな工作の材料も、大抵そろえています。

大きい学年の子は、指導の後、結構高度な工作に取り組んだりしています。


教材作成の参考となるドリル類も、幼児用の物から有名中学受験用の物まで、私のお眼鏡にかなった、ほとんどの段階のものを揃えることができました。

まだまだ完璧にはほど遠いですが、ゆくゆくはその子の最近接のプリント類が瞬時に提示できるようにデータベース化したいと考えています。

たくさんの方が教室に来てくださるようになったことや、助成金をいただけるようになったおかげです。この教室を 「子どもの夢の城」 にしたい、というのも私の夢の一つです。



うちの教室にくる小さい子、

おもちゃより、絵カードで遊びたいという子が、たくさんいます。

子どもには、まちがいなく成長の欲求という物があります。

できる・わかるこそが何よりの喜びです。 だから絵カードが楽しいのです。


くだらない低レベルの遊びは、すぐに衰退していきます。

また、プリントを何枚やっても、それは大人の自己満足で、それがほとんど子どもの育ちにつながらない場面にも、幾度となく遭遇してきました。

子どもの実態があって、そこに指導者の願いや目標が生まれ、そして教材を開発する、

これが教育原理の基礎中の基礎でありながら、なかなかそのことを実現するのはむずかしいことです。

そう言う意味でも、私にとってこの教室は 「夢の城」 なわけです。



昨日テレビで、事故で右脳前頭葉の大半を失った方が、本人の希望や夢、そして家族の支えによって、それを補完するように他の部分の脳機能が劇的に発達したというドキュメント番組を見ました。

さすがに私もここまでの事例はもっていませんが、奇跡と呼ぶかはどうかとして、それに似たようなことには何度も遭遇してきました。


どこかが苦手な子は、それを補完するように、脳機能の他の部分が必ず発達します。

そのスピードには、当然個人差がありますが、可能性という面では、無限であると私は思っています。


その脳機能の発達に不可欠なのが、やる気やモチベーションと言ったいわゆるハートの部分です。

子どもの瞳は、ある意味、やる気を示すバロメーターです。

そのための家族のかかわりは重要です。

昨日紹介した事例にもあるように、育っている子どもの目は輝いています。


自分自身を肯定的に受け入れ、自分が意味のある存在であることを知り、自分自身の可能性を信じてこそ、子どもの目は輝きます。

私が教材を通して、あるいは一緒に遊ぶ活動を通して、培いたいのはこうした力なのです。


子どもの夢、それはすなわち自己実現の姿に他なりません。

ラジコンカーの大好きな太郎君の夢、

それは警察官になって、パトカーに乗ることです。

算数の勉強の後、牛乳パックで何台車を作ったか知れません。

私にとって、彼と一緒に作った牛乳パックの車は宝物です。

そこに夢があればこそ、太郎君の瞳はずっと輝き続けるのだと、私は信じています。


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深くて美しい母の気持ちが 子どもを育てる

 2009-09-09
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子育ての主体者は、間違いなくご家族です。


かなり前の事ですが、ある方からこんなご指摘を受けました。

「あなたは、何十件ものご家庭にかかわって、東京や大阪やあっちこっちに行って、それで本当に一人一人の子どもに寄り添っているって、胸をはって言えますか?」


私、昨年までは、ほんの数人の指導だけでしたから、時間的には、かなりゆとりがありました。

一人二人とご相談に来られる方が増え、その一つ一つのケースにていねいに向き合っていく、ただそれだけのことを積み重ねて、ここまで来ましたから、そういう言葉には強い衝撃を受けました。

自分の心の整理がつかず、しばらくは心の中で、何度も心の中でその問いを繰り返していました。

例え何人の指導をしようが、自分自身納得のいく指導をしていこう。

そのときは、そんな風に自分の心の整理を付けました。



先日、あるダウン症の4年生の女の子に買い物ゲームの指導をさせていただきました。

机上の算数ではなく、日常生活に生きる数学的な力をつけるために、今の私がとても大切にしている活動です。

私としては、1個10円、1個20円といった単位量でとらえる数感覚を身につけさせるのがねらいでしたが、その子は近くにあった電卓を使って、とても手際よく私の注文に次から次へと応えていきました。

まあ、その応答のすばらしいこと、恐れ入りました。

この子が本当に店員さんだったら、きっと売り上げはぐっと増えるに違いないと思います。

今はバーコードだし、レジによってはおつりも自動で出てきますよね。

ならば、社会で豊かに暮らしていくためには、何が重要なのでしょうか?

この子の抜群の生活能力、それはこの子の横で笑顔で見つめていた、そのお母さんがこれまで大切に培ってきた宝物に違いありません。


私がその地域に訪問させていただくときは、送り迎え・会場準備・日程・食事の世話などは、いつもそのお母さんにお世話になっています。

それはそれは真心のこもった対応で、私はいつもこのお気持ちに何としても応えたいと思わずにはいられません。

私のブログを読み、ありとあらゆる調整を付け、わざわざ岡山から子どものためにと私を呼ぶことは、並大抵の気持ちでできることではありません。費用だけでも、かなりのご負担をいただいているわけです。

こうしたお母さんの深くて強く、そして美しい気持ちが、この子の笑顔の原動力になっていることは明らかです。

このお母さんで、子どもが育たないわけはない。

今回が3回目の指導でしたが、私はその秘密を垣間見たような気持ちになりました。



その前日、私は教え子と20年ぶりに再会しました。

時間を忘れて楽しい時間を過ごしましたが、彼の行っている弁護士としての業務と、私の行っている活動との間に、多くの共通点があることに気がつきました。

「弁護士の仕事は、委託であって、請負ではない。」 と、彼は教えてくれました。

つまり主体者はあくまでクライアントであって、弁護士はその内容の一部を、法律のプロという専門性でサポートするのだ、と彼は続けました。

つまり、何もかもを弁護士に丸投げするのではなく、パートナーとしての共同作業が大切なんだと言うわけです。

そうだよね、さすが私の教え子、いいセン行ってます (笑)


4年生の女の子のお母さん

これだけの人物ですから、全国各地、いろいろな所からいろいろな方が、相談を寄せられています。

でも、こんなお母さんだからこそ、私に相談したいことも山ほどあるわけです。


法律の事は弁護士、税務の事は税理士・・

では、教育のことは誰がサポートしてくれるのでしょう?

裁判官や税務署の職員の相談業務と、弁護士や税理士の相談との違いは何でしょう?

それはクライアントと運命を共にするパートナーシップがあるかどうかということです。

私の活動も、請負ではなく、委託です。

だからこそ、ご家族の力になることができるのです。


主体者は、あくまでもご家族

しかし、私はそのご家族の立場に寄り添って、ずっとずっとサポートをさせていただきます。

お母さんだけが、そのすべてを背負い込んでいるケースが多すぎます。

私の専門性を、どうか子どもの幸せと成長のために、どんどん活用なさってください。


何十人いようとも、私はこんな形で一人一人の子どもに寄り添っていきます。

広い世界の中で、ご縁があって巡り会った子どもたちです。

私の指導だけで、子どものすべてを変えようなんて思ってもいません。

例え月に1回の指導であっても、3ヶ月に1回の指導であっても、その1回1回の指導に魂を込め、ご家族と力を合わせて取り組むことによって、きっと何かが変わっていくと信じています。


先日の指導中、ある支援学級の4年生の男の子が、山の学校のことで、通常学級の中話し合いの中で、副班長に立候補したということを教えてくれました。

「なれんかった~」(岡山弁)
と、その子は残念そうでしたが、私は抱きしめてやりたいような気持ちになりました。

よくぞまあ1年足らずの間に、ここまで育ったものと、涙が出そうになりました。

彼は、2週間に1度90分の指導をさせていただいています。

「これも、あきらめないことを教えてくれた先生のおかげです」

と、そのお母さんは後にメールをくださいましたが、いえいえそれは、お母さんのご努力のたまものです。


どんなに体が疲れていても、この仕事はやめられません。

今の私から、この仕事を取ったら、まったくの抜け殻になってしまいますから・・

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自信とやる気を育てる 小さな小さなステップ  (行動獲得のための課題分析)

 2009-09-07
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上の画像は、うちの教室の子に大人気のパソコンソフト 「もじもじサーカス」 の画面です。

これまで、のべ何百人?という単位で、学習ソフトを試してきましたが、優れたソフトは多くの子が何度でもやりたがりますが、似たようなものでも子どもの感覚にそっていない物は、まったく見向きもされません。

それと、音と光の強烈な快刺激がありますから、きちんときまりや枠組みを守らせることも必要で、扱いは簡単ではありません。


鉛筆をもつことに抵抗があり、このパソコンソフトが学習の窓口になった子もいます。

写真の彼も、その一人です。


彼がこの教室に来はじめた頃は、着席さえしてくれませんでした。

教室をウロウロしたり、入ってはいけない事務用のコーナーに入ったり・・

唯一の手がかりは、光と音の刺激でした。


何かのボタンを押すと、彼の大好きな音や光が与えられる。

私と彼の学習は、そこからスタートしました。

着席時間が来るたびごとに、5分、10分と伸びていき、前回はついに、45分ずっと着席して学習を続けることができました。

そして、ついに鉛筆をもって、学習するまでになりました。


マウス操作も、最初の頃はできませんでしたが、この頃はかなりスムーズに操作することができるようになってきました。

この操作の獲得にも、小さな小さなステップを刻んでいきました。

この教室で子どもが使うマウスは、右クリックやスクロールなど余計な操作をしてしまわないように、セロテープで細工がしています。

マウス操作獲得のための手順を小さく分け、その1ステップを焦点化し、それ以外の部分は私がやって見せます。

そして、それが獲得できたら、次のステップに進み、その分だけ、私の支援をフェードアウトしています。


例えば、「マウス操作」 を、このように小さなステップに分けて指導することを、課題分析と言います。

私は、ここのステップは、慎重に慎重に進めます。

ランダムローテーションといって、どんな場面になっても使えるようになっているかどうかを見極めながら、次のステップを考えていきます。


親子の絆は、永遠です。

学校も、子どもにとっては、オフィシャルな場です。

しかし、私の教室はやめたいと思えばいつでもやめられるし、嫌だと思えばもう次から来なくても良いわけです。


そこに、「できる」 「わかる」 がなければ、何もないのと同じです。

だからこそ、私は必死ですし、慎重なわけです。


もしも何かができるようになったら、私はめちゃくちゃにその子をほめます。

ほめられ体験の少ない子も多いですからね、

こうした体験が 間欠強化刺激になって、子どもの大きなやる気や自信につながってきます。

そして、1週間後には、一回り大きな子になって、この教室に帰ってくるのです。


私は、「自分が好きな子」 に、子どもを育てたいのです。

この教室で、培った自信とやる気で、学習や生活の日常を力強く切り開いていってほしいのです。


「できるようになったことを、SHINOBU先生に見てもらいたい」

そんな笑顔で、この教室の階段を弾むように登って来る子を、私はいつも楽しみに待っているのです。


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かれんちゃんの 心のメッセージを読み解く

 2009-09-04
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昨年の秋、私の携帯に1本の着信がありました。

かれんちゃんのお母さんからの問い合わせの電話でした。


私は元々小学校の教員でしたから、小学校教育の経験はありましたが、直接、就学前の子どもの指導に携わった経験はありません。

応用行動分析の手法を生かした教育実践という旗印は掲げていましたが、幼児教育に関して、何の実績も、何の経験もない私を指名してくださったことに、正直私は、驚きをかくしきれませんでした。

今では、20名を超える就学前のお子さんの指導をさせていただいていますが、原点はすべてここにあったのです。


そこから、私なりにありとあらゆる試行を重ね、修正を加えながら、今の指導のスタンスを築き上げてきました。

特にかれんちゃんの場合には、チマチマとした小さな枠にはめようとすると、思い切りドロップアウトすることがあるかと思えば、予期せぬ活動から目を見はるような充実した楽しい活動に発展することもしばしば見られました。


臨床に携わる者は、理論の枠組みを先に当てはめようとするのではなく、まず子どもの実態からスタートし、そこから帰納的に論理を構築していくべきだと、私は考えています。

指導後には、その日の活動をしっかりと振り返り、精査し、次の指導に結びつけていく。

そして、一旦子どもと向き合ったならば、綿密な計画を土台としながらも、子どもの目をちゃんと見て、体温が感じ取れるような指導をしていこう。

そのように考えるようになりました。



かれんちゃんは、この嗅覚、並大抵ではありません。

微妙に目的と手段を差し違えると、まったく活動の手応えが変わってきます。

無理矢理何かをさせようとすると、ちっともうまくいきませんし、全く楽しくなくなります。




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この日、かれんちゃんは、本棚から 「どうよう うたのえほん」 を、持ってきました。

タッチパネルを押すと、「ぞうさん」 だとか、 「いとまき」 だとか、 「さんぽ」 だとか、ポピュラーな歌が歌声つきで流れるものです。

かれんちゃん、手拍子をしたり、そうさんや鳩ポッポのまねをしたり、大きな声ではっきりとした声で、いろいろな曲を歌っています。

きっと、保育園で教えてもらったことをしているんだな~、と思っていましたが、後でママに聞いてみると、どうもそうではないようです。




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「もう、おしまい?」

「だめ」

「もう1回するの?」

「うん」


ママに聞くと、こちらが語尾を上げて疑問文風に尋ねると、かれんちゃんはまだまだ適当に 「うん」 と言ったりすることも多いと言うことでした。

たとえそうだったとしても、コミュニケーション自体は成立しています。

これだけでも、とても大切なことです。





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「これなあに?」

「アンパンマン」

「そう、アンパンマンなの?」

「うん」


こんなやりとりを繰り返していくうちに、コミュニケートの内容も、どんどん進化・分化していくものではないでしょうか?



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この日、かれんちゃんは、円柱の積み木を積み重ねていく活動に取り組みました。

こういう活動は、あまり好きではないのにな、って思ってみていると、偶然かも知れませんが、この細い円柱を4段まで積み重ねて、見ている私がびっくしてしまいました。




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大好きな絵本を見ているときです。


「これは?」

「ん?お母さんだよ」

「これは?」

「おねえちゃん」

「これは?」

「お父さん」 「かれんちゃん、お父さん好きなの?」

「うん」



こうした会話のどこまでが言語として理解できているのかはわかりません。

単なる私の思いこみと、偶然のシチュエーションがそうさせたのかも知れません。

だけど、私のたちの心の中に通い合う、このあたたかな感情のやりとりは、一体何のでしょうか?



この日、かれんちゃんは、離席がほとんどありませんでした。

積み木を投げることも、パズルを投げることもありませんでした。


この教室は、かれんちゃんにとって特別な空間であることは、まちがいのないことです。


「この子もしかしたら、この教室では、めちゃくちゃ一生懸命がんばっているんじゃないか?」

「先生は、とにかく君に向き合う。 向き合ってこそ、君に大切な一歩を示すことが出来る。」


とにかく、視線が合わなくなったら、この子との指導は成立しません。



この子の成長のために、この教室で私の果たすべき役割、

輪郭はまだ不明確なものの、その姿は、ぐっと間近に近づいて来たような気持ちになってきました。



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個別指導をすれば 子どもは伸びるか?

 2009-09-03
「大集団では行き届いた教育ができませんので、個別指導のできる学級をお勧めします」

相談場面で、何度も聞いてきた言葉です。


では、個別化だけすれば、行き届いた教育ができるのか?

答えは 「NO」 です。


個別指導を週何十時間も行っている私だからこそ、はっきりと言える答えです。

個別化しただけで、充実した教育ができるのなら、こんなに楽な事はありません。

私が、日々どれだけ工夫をして、どれだけ悪戦苦闘しているか、その方に教えてあげたいくらいです。

集団のエネルギーがないマンツーマンの空間では、魅力のない教材、工夫のない指導はほとんど通用しない真剣勝負の世界です。

個別指導には、高度な専門性と力量が必要で、誰にでもできる仕事ではないと考えています。


私は、真剣勝負の45分に、何度も教室から脱走されたり、物を投げられたり、着席せずに教室を徘徊されたり、奇声ををあげられたりされてきました。

普通の覚悟なら、とっくに投げ出しています。

でも、もう私の後ろにはもう崖しかありませんから、ちょっとでも逃げる気持ちが生じたら、廃業する覚悟で毎回の指導に当たっています。

「絶対に逃げない」 は、ご家族の皆様にもお伝えしていますし、いやしくも発達支援を看板に掲げている以上、肝に据えておかなくてはならない大切な気持ちだと考えています。


うちの教室に来てくれる子どもたちは、感受性の強い子どもたちばかりです。

そうした真剣な向き合い方できない者に、通じ合う気持ちなどありえないと考えています。

半端な気持ちで、開く心などないと思っています。





昨日は、4月からうちの教室に通ってくれるようになった3年生の男の子の誕生日でした。

そのお母さんから、昨日こんなメールをいただきました。






SHINOBU先生

今日は、誕生日カードを頂きましてありがとうございました。

先生はお忙しいのに、お気遣い頂きまして本当に感激致しました。

本人はお誕生日=ケーキの思考が出来上がっているようで、今日は朝から 「ケーキ食べる~」 とご機嫌でした。

学校や学校帰りのデイサービスでも 「お誕生日おめでとう」 と声をかけてもらったようですが、 「お家で誕生日する(=ケーキを食べる)」 と答えていたようです!(^^)!

前回教室に行かせてもらった時、少し早く着いたので 「もうちょっと車でまつよ」 と声をかけると、 「もうちょっと~」 と機嫌よく時間がくるまで待てました。

元々待つのは苦手ですが、教室に通い始めた最初のころは、待つ時間には奇声をあげて怒っていましたが、回数を重ねるうちにこの辺り成長したなぁと感じました。

また、時間がくるまでの間の表情が、なんともいえませんでした。

本当に楽しみで仕方ないといった表情で、目がキラキラ・イキイキしていて、こんなにいい表情で何かを楽しみにできるなんて初めてでした。

帰りにまだ帰らないとダダをこねたのも、よほど教室が楽しいのだと思います。

今後とも、どうかよろしくお願いします。

改めまして、今日はありがとうございました。








個別指導、やっててよかったと思うのは、こういう時です。

最初の頃は、「もう帰る」 と言って、何教室を度も飛び出していました。


「申し訳ありません。今は、鉛筆をもたすことさえ出来ていません。  あとは、こういう状態でも、私を信じて続けて来ていただけるかどうか、ご家族の判断にかかっていると思います。」

最初のころ、何度かそんなやりとりをしたことを、はっきりと覚えています。


彼とは、ほんのささいな事から、心がつながっていきました。

ある日、バイキンマンのおもちゃを、彼のためにアマゾンで購入してやりました。

届いたパッケージを開けながら、彼は本当にうれしそうな表情を浮かべました。 その横顔を見ながら、まるでカチコチに固まった氷が、少しずつ溶けていくような、そんな気持ちを感じていました。


ご家族は、私を信じて毎回連れてきてくださいました。

そして、学校での様子、本人の好きなこと、興味のあること、得意なことなど、いろいろな情報を伝えてくださいました。


彼の粘土細工の才能は、半端ではありません。 (↓ 下の画像はその作品の一部です)



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私は、何が何でも、この子の才能に花を咲かせ、社会に役立つ子に育てるために、自分の役割を果たさなければないません。

そのためには、うちの教室の目標である 「肯定的な自己理解」 (=苦手なことを受け入れたうえで、自分のことが好きになる気持ち) を深めていくことが、近道であると信じています。


最近は、わずかの時間ですが、鉛筆をもって勉強をしてくれるようになりました。

私は、「バイキンマンが、心をつないでくれた」 と思っています。

そして、あんな状態でありながら、私を信じてお子さんを連れて来てくださったご家族の熱い気持ちが、山を動かしてきたのだと感じています。



苦労した子ほど、つながった気持ちが深くなっていくのは、真実です。

個別指導は大変な仕事です。

しかし、時として大きな感動を、私にプレゼントしてくれるのです。



私は、今の自分の仕事に大きな誇りと喜びを感じています。

そして、私を信じてお子さんを連れてきてくださるご家族の気持ちに少しでも応えたい、

それが私の最も大切な気持ちだと思っているのです。



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私のインクルージョン感覚

 2009-09-01
たとえどんなに発達の課題があっても、クラスの居場所は、とても重要だと私は思っています。

まずは、何を差し置いても、「あなたは、うちのクラスの大切なメンバーです」 という感覚があって、それでいて、通級や支援級や専門機関に行くのが、とてもステキなシステムだと考えています。


「あなたは何々症だから、ここではなく、専門家の指導を受けた方がいいですよ」 という言葉には、どこかその存在そのものをを排他的にとらえている部分はないでしょうか?

「あなたは私たちの大切な仲間、社会の重要なメンバーの一員!」

本当に心の芯かそうら思っていたら、果たしてそんな言葉が飛び出してきたりするでしょうか?


存在そのものを心の中で分けていて、それで 「一緒にしてあげましょう」 というのは、一段も二段もレベルの低い感覚です。

そうではなくて、「まずは大切な存在・大切な仲間という意識が定着したうえで、その上でその子に必要な専門的な教育を」 これが、私の考えるインクルージョンです。



土曜日に、新宿の居酒屋で、20年ぶりに教え子に再会しました。

ネットで私の名前を検索し、このブログにたどりつき、私にメールをくれたあの弁護士の彼です。

本当に東京で会ってしまいました。


その居酒屋で、彼は言いました。

「小学校の3・4年生の時、先生とあのクラスのみんなは、私のわがままな言動もしっかりと受け止めてくれた。どんな私の発言もちゃんと聞いて考えてくれた。そんなクラスは、後にも先にも、あの2年間だけだった。その後の学校生活で、私があのようにクラスから受け入れられることは、決してなかった。私は司法試験に、何度も何度も挑戦し続けるような時期が、長く続いた。その苦しい時代をぶち抜けたのは、家族の支え、そして先生と、あのクラスのみんなとの2年間との営みを抜きにして考えることは出来なかった。私が自分の可能性をずっと信じられたのも、あの時の2年間があったからだ。だから、先生にどうしても会いたかった。・・・」


20年ぶりにあった彼は、本当にいい男に成長していました。

またインクルージョンという言葉も何も知らない、通常学級の学級担任をしていたあの頃。

一人のどんな発言も、クラスみんなの問題として一緒に考え解決していこう・・

そんなステキなクラスだった。

彼には怒られると思いますが、彼は優等生でも何でもありませんでした。


奇しくもその翌年、私は脳性麻痺のお子さんを、通常学級の担任として1年生で受け持つことになるのでした。

当時の校長は、「担任はおまえ」 と、一番に私を指名してくれたと聞いています。

インクルージョンという言葉はなくても、日本の教育は、ずっと前から一人一人の存在を大切にする教育を行ってきていたのです。

むずかしい言葉の定義なんて必要ありません。

ただ、輝ける一つ一つの命を、ありのままに受け入れ、どの子も同じように育んでいく、たったそれだけの事です。



「先生、今度岡山に遊びに行きます」

「それと、法律の事でお困りの事があったら、遠慮なくお声をかけてください」

東京で弁護士として活躍する彼、

彼はまた、私にもっとも大切なことを確かめさせてくれました。


私は、岡山で、君に続く子を育てなくてはならない。

弁護士であろうと何であろうと、自分の存在と命を輝かせる子どもを育てなくてはいけない。

あなたが、どれほどステキで大切な人かを、ちゃんと教えてあげなくてはいけない。


自分のことを肯定的にとらえられてこそ、初めて、誰かのために何かのできる人に育つ。

それは、すべての人にあてはまる、人としての真実に違いありません。

君の存在と活躍は、先生にまた一段と大きなエネルギーを与えてくれました。


きっと彼は年末にも、岡山に来るでしょう。

ミニ同窓会になるかも知れません。

それまで目立たない子が、発表会で主役になるようなクラスでした。

彼は弁護士ですが、そのクラスの中にはパイロットになった子もいます。


肝心なことは、何の仕事をしているかではなく、どれだけ自分の命を輝かせているかということです。

私は胸を張って彼らの前に立てるよう、尊い実践を、毎日ていねいに積み上げていかなければばらなりません。

私は今の仕事を、何よりの誇りに感じていますから。


新宿の夜は、あっという間に過ぎました。

私は、小田急ロマンスカーの窓に映る景色をながめながら、人生もなかなかステキだと思っていました。


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Author:SHINOBU
白ゆり発達支援センター

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