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一瞬の時も無駄に出来ない そんな母の願い  (形ではないつながりという支援)

 2009-05-31
先日、私の宿泊先に、ある一人のお母さんが、お子さんを連れて相談に来られました。

「岡山に相談に行きたい」 というお申し出でしたので、近々そちらに伺う予定だとお伝えし、宿泊先のロビーで待ち合わせをさせていただきました。

現れたのは、ベビーカーに小さなお子さんを連れた若いお母さん。

さっそく、お話を伺いました。


そのお子さんは、細胞内の核に欠損があり、そのために、いつも体内に絶えずマラソンで走っているかのごとく、負荷がかかるという病気のあるお子さんでした。

お母さんは、その子のお気に入りの音楽の出るおもちゃと、何度も何度も繰り返して開かれた絵本を使って、その子のケアをされながらの相談となりました。

言葉の一つ一つから、このお母さんがどれほど心を砕き、この子と共にこれまでどれだけ真摯な思いで向き合って来られたかが、伝わってきます。

1時間ほどの相談の中で、何度涙を落とされたことでしょう。


> 私は、この子のことを理解していかなければと思う反面、必要以上に甘やかしているのではないか、親として十分なことをしていないのではないかという気持ちを、いつも抱き続けてきました。

> 今、この子の世界にいる人間は、家族と、そしてそれぞれの機関での女性の担当者の皆さんです。

> 地域の中で、健常な子ども達のなかで、ともに過ごす体験をさせてやりたい。

> うまくいかないことがあったり、つまずいたり、泣いたり、がまんをしたり・・

> そんな普通の、当たり前のことを、一人の人間としてこの子に体感させてやりたい。

> しかし、現実には、健常の方とともに過ごす接点は、ほとんどないのです。

> 先生には、社会の中の家族以外の男性として、リアルな現実社会の代表として、そして一人の教育者として、この子に接してほしいと願っているのです。

> 不定期でも構いません。 岡山なら高速を使って私が送迎をします。

> この子には、今生きている、この一瞬一瞬の時間が大切なのです。

> お願いします!


この子と共に生きてきたことで、このお母さんは、人が生きるという大切な意味を、心の芯からしっかりと受け止められているように感じました。


> すみません、こんなに何度も何度も泣いちゃって・・


涙を拭きながら、まだ少しあどけなさが残るその横顔を、とても美しく感じました。



> 私の教室、実はお引き受けできる時間の枠が、もうほとんどないのです・・

と言いながら、私の心は、もう決まっていました。


私のところにご相談にお越しくださったご家族の皆さん、すべての方が、命を削り、真摯な姿勢でお子さんの育ちに向き合っておられます。

その一つ一つを受け止めながら、私は今日まで、一歩ずつ歩んできたのです。

枠があるとか、ないとか、そういう問題ではないのです。


実は、何人もの方が、私の体のことを心配して、いろいろなご協力をしてくださっています。

正直、時間はほしいと願っています。

以前のように、毎週図書館に行って研究したり、大学の講義におじゃまさせていただくことも出来なくなりましたから・・


でも、この子なくして、このお母さんがありえないように、私は指導している子ども達との出会いなくして、今の私はないと確信しています。

私は、自分の中では、今の私が一番好きです。

> 一度かかわったら、一生担任

これが、私のモットーです。


何とか、持続可能な取り組みを、

このお母さんにお会いして以来、どういう枠組みをこしらえるか、そのことが頭の中でぐるぐるぐるぐる回っています。


「そんなにたくさんの子どもを引き受けて、大丈夫ですか?」


大丈夫ではないかも知れません。 無茶、やっていると自覚しています。

でも、この状況下で、私には、どうしてもお断りすることはできません。



形ではない、つながりという支援

それが、私に与えられた大切な使命なのだと、考えているのです。



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かれんちゃん 絵カードと出会う (多感覚刺激とその統合)

 2009-05-28
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実はかれんちゃん、先週の指導の途中で調子が悪くなってしまいました。 教室に入った時は、元気もりもりに見えたのに、いつものはずむような感じがありません。 指示の入りも悪く、あまり言うことを聞きません。 どうしたものかと、困っていたら、そのままマットでうとうとし始めました。

こらこら寝るなよ~、と抱き起こすと、何だか少し熱っぽい・・

これは大変と抱っこすると、ぐんにゃりしてしまいました。

来たときは、あんなに元気だったのに・・

体温計で熱をはかると、ノーマルレンジよりやや高い。

すぐにお母さんに連絡をして、病院へ直行です。

もしかして、新型インフルエンザ??

私もお母さんも真っ青です。 色々なことが頭を駆けめぐります。

すぐに総合病院で診察を受けましたが、インフルエンザの心配はないとのこと、ほっとしました。


かれんちゃん、しんどいのに、がんばってたんだ~

いつもと違うかれんちゃんを、きびしく叱らなくてよかったと思いました。

もし、信じる気持ちと、子どもの気持ちを感じ取れる感性をもちあわせていなかったら、紡いできた心の糸も一瞬で切れる。

子どもって、本当にデリケートだと思いました。



さあて、この日のかれんちゃんはどうかというと、いつものように元気一杯、笑顔はじけるかれんちゃんの復活です。

90分の間に、二人でどれだけ大笑いしたかわかりません。

年齢は大きく離れていますが、誕生日がいっしょなので、相性が良いのでしょうか??


この日も、いくつかのメニューを用意しておきましたが、どのメニューの入りも抜群でした。

まずはイントロの手作業課題、

本日は、ひも通し (↓下の画像) を用意させていただきましたが、食いつく食いつく・・

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パズルは時々投げてしまうときもありますが、このひも通しは楽しいようです。

うまくできないときは、私が支援して達成させ、その支援を段階的にフェードアウトしていきます。

どうしても無理してひっぱりたくなりますが、楽しい感覚と達成感を残して、すぐに次の活動に移るの方が効果的です。

2回目は必ず、今回よりも感覚が統合整理され、スムーズに、主体的に活動に取り組みます。

私は、週1指導者で、そのことを体験的に知っていますから、おいしいところでさっと切り上げます。

来週以降の活動が、私にはこの時点でイメージ化できているからです。

次回は、遅延プロント+強化

ちょっと間を置き、できるだけかれんちゃん自身に取り組ませ、ためこんでたっぷりほめる手法をとります。

きっとうまくいくはずです。


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この日の予期せぬクリーンヒットは、「おしゃべりあいうえお」 の活動です。 (↓下の画像)

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かれんちゃんの場合は毎週90分というたっぷりの指導の時間をいただいていますから、基本私は、取り組ませたい活動を事前にいくつか用意していおき、それをかれんちゃんに選ばせるようにしています。

この日、かれんちゃん、自分から 「おしゃべりあいうえお」 を持ってきました。

きっとひらかなに対する興味や関心が強くなってきたのでしょう。

自分でキーボードを押して、勝手に 「あ」 とか 「い」 とか言っています。

(大げさに言うと、腰が抜けそうになるくらい、びっくりしました。 = この子の能力と魅力を改めて感じました。)

「わんわん」 「かお」 「かさ」 「ばなな」 「パンマン(アンパンマン)」 など、表出言語も増えてきました。

私、毎週会っているのに、びっくりするやら、うれしいやら、ちょと目頭熱くなってきました。

おまけに、「あぞぶ?」 → 「うん」   「まだやる?」 → 「うん」 など、言語による応答コミュニケートも、かなり自然にできるようになってきました。

太郎君の表出言語の爆発は小学校入学後でしたから、将来、かれんちゃんと楽しくお話できるようになる日が来るかと思うと、期待で胸がいっぱいになります。

教育ってすばらしいですね。 ますます、やる気モード、「スイッチ・オン」です。




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さて、今回の中心課題は、「カードとイミテーションフードのマッチング」 です。 (↓下の画像)

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実は、この教材は養護学校に通う自閉症のお子さんのために開発したものです。

「1音、1音の文字は読めるのに、まとまりとしての文字や単語が機能的に使えない。文字や言葉による世界の広がりを、何とかこの子に与えてやりたい」

それが、終始一貫したお母さんの願いでした。

この1月に相談に来られ以後、毎週欠かさず教室に通ってきてくれています。

いろいろな教材を試してはやり直し、工夫してはトライする・・

その繰り返しで、もう半年近くになってしまいました。 

やっと、やっと手応えを感じた教材、それがこのイミテーションフードの教材です。

私にとって、重い言葉の壁をこじ開ける鍵、それがこの教材なのです。


(ごめんなさい、半年もかかってしまいました。でも、 そのお母さんは、「もう何年もここで止まっているので、半年でここまでしてくださったことを感謝しています」 と言ってくださいました。)


その男の子に指導がに入ったと感じた瞬間、私の心の中で何かがはじけました。

その子その子の発達段階に合わせて提示法を工夫すれば、すべての子どもに適応できる。 そしてその応用や発展も工夫次第でいくらでもアレンジできるのでは? という感覚です!



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さっそく、かれんバージョンに適応させてみました。

かれんちゃんは、空間認知が得意です。

ならば、まず、以前に行ったイミテーションフードによる仲間わけを

(事前に種をまいていますからね、一瞬とまどいましたが、すぐに学習でき、「ばなな」 と 「りんご」 の仲間分け、大成功です)

で、今度は同じかごに入れておいたカードも仲間わけをさせます。 が、この時点では、かれんちゃん、ばななのカードとレプリカとがつながっていません。

でも、事前にアンパンマンの人形とカードの対応させていますから、やってできないはずはありません。

かれんちゃんが、りんごのカードをばななの箱に入れると、私は、「りんごはこっち」 と言ってやり直します。

この時、一瞬かれんちゃんの動作が止まります。

カードの絵にりんごという意味があることと、りんごの仲間はこちらの箱に入れるんだ、ということを学習した瞬間です。  かれんちゃんにとって、シンボルとしてりんごのカードが初めて意味をもったのです。

このカードには、ひらがなを添えているものと、添えていない物があります。

次のステップは、絵と同じように、ひらがなに 「りんご」 という命を吹き込んでいくのが私の仕事です。

養護学校の男の子には、この日、ここを指導したわけです。

支援つきではありますが、かれんちゃん、カードの仲間分けに成功しました。 

たったこれだけのことです。

でも私にとっては、予想を超えた、大切な大切な一歩です。


この日は、それこそ、「もっとやりたいな~」 というところで終了しておきました。  

(こういう時に、指導者としてはどうしても、一気にやってケリを付け、出来た出来たと喜びたいところですが、私はあくまで子どもの温度に寄り添いたいと思っています。 積み木崩しにしないため、結局、それが近道だと体感しているからです。 これは極意です。)




こうして90分の、それはそれは楽しい時間が過ぎました。

この日は、お母さんのお仕事の関係で、お父さんが迎えにくてくださいました。 


某国立大学、臨床心理の教授のお父さん

でも、当たり前の事かも知れませんが、かれんちゃんとっては、大学教授ではなく、大好きなお父さんそのものでした。


子どもに合った指導者は選ぶことができますし、もしも合わない場合は選び直すことができます。

私は、選ばれたことを誇りに思いますが、丸投げの方はお断りですし、もし私より合っている指導者に巡り会えたなら、子どものために、どうかためらうことなくその方の所へ行っていただきたいと思います。

そうした競争の中でこそ、私の力量も高まるし、特色も明確になると考えています。

どんな料理にも、個性と特色があって然るべきだと思っています。

同じ中華でも、四川には四川の良さがあり、広東には広東の味があります。



すべての価値基準は、「我が子の最善の利益」

時代は、まさにそう言うところに来ています。


これからは、保護者が、指導者を選ぶことの自由と責任を負う時代がやってくると、私は考えています。

指導者に丸投げで、愚痴ばかりこぼしてもなかなか前には進みません。


ご家族は、唯一無二の大切な存在です。

だからこそ、私のなすべき役割が、より明確になってくるのだと考えています。



※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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実践を通して確かにしたい いくつかの大切なポイント

 2009-05-26
昨日、2年生の男の子とベイブレードをしました。

最近、子どもたちの間で、ベイブレード人気がアップしているのでしょうか? おもちゃ屋にいくと、びっくりするくらいの品薄で、1人1個しか購入できない状態になっていました。

うちの教室には、10以上の色々な種類のベイブレードがありますので、指導後のお楽しみを心待ちにしている子どもたちが、何人もいます。 


昨日の2年生の男の子は、初めてベイブレードにさわったようでした。 実物を見るのも初めてならば、操作保方も全く知らないようでした。

この子は、書字があまり得意ではなく、視覚認知と手との協応に、ややぎこちない面が課題となっていました。

1年生のころは、漢字の学習が大きな課題になっていました。 聴覚的な支援や様々な取り組みや経験によって、大きな改善が見られるようになりました。


しかし、やはりこのベイブレードのように、初めての操作となると、なかなか思うようにはできないようでした。

何度も何度も失敗とやり直しを繰り返しましたが、しばらくすると自分一人で回せるようになり、最後には私のこまをやっつけて、とても喜んでいました。

私にしては珍しく、少し厳しく指導をしましたが、「すごいね、とってもじょうずになったね、先生が負けるなんて思わなかったよ~」 と、ほめると、とってもうれしそうな顔をしました。


その後のお買い物ゲームで、「10円のキュウリ1本と20円のなす1個で何円?」 という場面で、10円は10円玉が1個、20円は10円玉が2個、なので全部で10円の3個分、つまり30円、ということが体験的に理解できたようで、この時もとてもいい顔をしました。

本当にかわいい子です。


認知発達系の書物を見ると、視覚-運動協応のことについてたくさん触れられていると思います。

要するに、「目で見て手を動かす」 ということです。

ベイブレードもパズルも、こうした能力を育てるのに有効に活用することができます。

ベイブレードをやりたい、という最高のモチベーションがそこにありましたから、私は思いきってその日のプログラムを変更して、時間をかけてベイブレードに付き合いました。

彼にとっては遊びそのものですが、私にとっては大まじめの視覚-協応の観察と訓練です。

やって良かったと思いました。

色々な事が見えてきました。


書字の時のように、小さなステップで手順を示し一つ一つ押さえて行きながら (課題分析といいます)、徐々にフェードアウトして、ほめて強化する。

動作そのものより、認知面での細かいステップを意識した指導を行う。

そして、やりたいこ、この子の生活ストーリーに寄り添って、、持続・継続できる場を構成する。

そんなことが大事なのではないかと思いました。


まず、物を物としてちゃんととらえること。 これが視覚認知です。 その認知も、色認知・形認知・平面認知・空間認知など様々なものがあり、たとえば私が子どもにパズルをさせる場合、その子が色なのか、図柄なのか、大きさなのか、形なのか、何を優位にしてそのピースを見ているかがすぐにわかります。

色優位の子とわかれば、色中心のパズルから、少しずつ図柄中心のパズルへ誘導していきます。

以前紹介したあきなちゃんは、この作戦がおもしろいようにはまった子で、あれだけカードや平面図柄の苦手だった子が、今ではアンパンマンのキャラクターで大好きで、パズルもスラスラこなせるようになりました。

以前、2片ピースのパズルの図柄の多くが上下逆さまになっていましたが、今ではそんなことも少なくなってきました。


多感覚の刺激を子どもに与え続けること

そしてその刺激を、子どもの気持ちや、生活のストーリーに寄り添いながら、ていねいに編み上げていくこと

こういうことでご家族の方と連携を図ることが大切なのかも知れない。


① 刺激を受け止める各種感覚の発達の促進 (視覚・聴覚を中心とした各種感覚) 
          
② その刺激に対して、自分が働きかけができる協応・随意運動の構成
     
③ 言語・数量・イメージ・概念の体験的な広がり

④ 教育的な配慮に基づいた、応答コミュニケーションと人との信頼感の醸成


私は、私の持ち味と個性を生かしながら、教育的に意図され構成された場で、この4つのポイントについて、その子のストーリーを受け止めながら培い、育てていく。

ご家庭では、豊かで自然な愛情と環境の中で、日常生活のリズムを大切にし、日々生き生きと楽しく生活をしながら、その子の課題にきちんと向き合っていただく。

こうした連携ができたら、すばらしいなと思っています。



昨日の指導のあと、その男の子のお母さんからメールをいただきました。


そのメールの中に、

> SHINOBU先生は、「しゅう太君は、がんばればできるんだよ」 と言ってくれたんよ。  じゃから、ぼくは、がんばれた。

という一文がありました。


あんなに厳しく指導したのに、何て健気な子なんだろうと思うと、涙が出そうになりました。


私は、自分のやっていること、やろうとしていることを、整理して、もっともっとご家族にお伝えしなければならないと思っています。

このブログも、その方法の一つではあるのですが、なかなかお一人お一人に十分な事がお伝えできなくて、心苦しく思っています。

限られた時間ではありますが、ぜひ、機会があった折には、お子さんの学びや育ちについてご相談させていただければと考えています。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


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子どもの育ちとイメージの広がり (見通しのもてる ステキなかかわり)

 2009-05-25
巡回相談である保育園におじゃました時のエピソードです。

0・1歳児クラスにおじゃますると、ちょうど先生がお話の読み聞かせをしている場面でした。

中には0歳のお子さんもいましたが、それはそれは真剣な表情で、しっかりと絵本の世界に入り込んでいました。

もちろん、0歳の子が、すべての言語を理解できているということではありません。

しかし、絵本というのは、子どもの心をつかんではなさない、大切な何かをもっているのです。

みんなと一緒にお話を聞くという場の設定も、ステキな営みです。


この春から、私の教室に来てくれるようになったダウン症の小学生の男の子

最初の頃は、教室をウロウロするばかりで、着席さえしてくれませんでした。

興味をひきそうなおもちゃを用意しても、1~2分さわっては、またすぐに離席して、さわってはいけないシュレッターや事務用のパソコンのキーボードばかりをがちゃがちゃやっていました。


意味のある表出言語は、あまり見られないお子さんです。

しかし、先週頃から、かなり様子が変わってきました。

私の横にすわって、お気に入りのパソコンソフトでずっと学習できるようになってきたし、マウスの操作法を発見したらしく、自分でやって見せては、得意な顔でにっこりと私の顔を何度ものぞき込むようになってきました。

私は、信頼関係が育ってきたのを感じていましたから、そろそろかなと思い、先週、事務用パソコンをさわったことを厳しくしかりました。

予想通り、その子はびっくりして意固地になり、涙を浮かべて逆らっていましたが、次週笑顔で教室に入ってくれば、私の気持ちは完全に通じるはずだと考えていました。

ある意味、ひとつの賭けですが、そういう指導イメージが、私には出来上がっていました。


今週、その子は笑顔一杯で教室の扉を開けてくれました。

指導の最初から、最後の瞬間まで、事務用パソコン周辺には一切近づきませんでした。


前の週、この子は1私の教室で、1冊の絵本を手にしていました。

絵本を見ることなど、ちょっと前までは考えられないことでしたから、正直私は驚きました。

私の教室は、私が横に座って直接指導するテーブルと、子ども達が自由に選んで遊んだり、学習したりするテーブルとがあります。

当然のことですが、私はその絵本を、わざとらしくない位置を選んで、そっと置いておきました。

パソコン学習が一段落すると、その子は、やはりその本を手にとって、何度も何度もページをめくっていました。


私は、例えばうちの保育園の職員が研修に行って、ぶ厚い復命書を書いてきたとしても、取り立てて高い評価をしません。

それよりも、明日からの保育に何が生かせるかを、その中からぱっと言語化できる職員、つまり学んだことをイメージ化できている職員を高く評価します。

そうでなきゃ、日常の、複雑な軸が幾重ににも複合している、現場の保育にそのことを生かせることなんてできません。


子どもにとっても、行動の安定、あるいは学んだことを積み上げていくためにも、イメージの世界を広げるということは、とても重要な事であると思っています。

脳の機能局在の面からも、言語による部分と、イメージによる部分は違っているはずです。

0歳の子が、絵本の世界に入り込めるのも、つまりはそういうことなのだと私は理解しています。


そのイメージの世界を広げていくために、絵本は最高の教材です。

絵本に描かれている場面と、自分の生活している場面を照らし合わせてとらえる。 はみがきの絵本とか、お風呂の絵本、結構子どもは食いついてきます。

自分の心に印象的に残っていることを、絵本の世界で見つける。 サンタのプレゼントを絵本で見つけては、、何度も何度も私に教えてくれる子がいます。

ページをめくりながら、次々に変化する世界を楽しむ。 最高の視覚刺激です。 こういう時の子どもの表情は、本当に生き生きとしています。

絵本の世界に入り込み、言葉・動作・リズム・小道具などを添えて、ストーリーを発展させていく・・・


コミュニケーションというと、どうしても言語コミュニケーションを中心にとらえます。

それだけ、言語コミュニケーションは、手段として、とても大切で有効だということです。

しかし、それは情報の一つの手段であって、いわゆるノンバーバルで伝わる真実も多く存在するわけです。


イメージが広がると、物事が立体的に見えます。 見通しがもて、不安なことがうんと少なく感じます。 0.1リットルのジュースを実際に飲む。  こういう事もとても大切なんだと思います。 学習も多面的にとらえ、より深い理解へとつながります。

そして、私たち大人が、子どもの育ちのイメージをつくるということが、子どもの成長に果たす役割は、極めて大きいと考えています。

私にとって最大の指導性とは、見通しをもつこと、イメージをもつことに他なりません。


特に、私にとっては経験の少ない就学前の子どもの指導イメージの構成は、今の私自身の最大のテーマです。

そのために、日々本を読み、実践を積み、そのエキスを言語化したり図式化したりして、イメージ構成の作業を行っているのです。


子どもは、日々私の何倍ものスピードでイメージの世界を広げているわけです。

言語・数量・コミュニケート・認知・感覚統合と共に、子どものイメージの世界を広げることが、文字通り私の最も大切な指導イメージの柱となっているのです。


彼が私の部屋で絵本を広げたこと

それは、私にとって、うれしくてたまらない、貴重な一歩となったのでありました。


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言語発達のベースとして培っていく力

 2009-05-22
昨日、一輪車のことを例として取り上げました。 

一輪車に乗るという行為にも、ベースとなる様々なスキルが必要だということです。 

今、何人かのお子さんの育ちにかかわりながら、赤ちゃんの時から、少しずつそのベースとなる力を培うことが、一輪車に乗れるようになるために大切な事ではないかと、思うようになってきました。


言語発達にもベースとして培っていく基礎的な力がいくつかあるのではないかと思っています。

言語表出・構音指導といったダイレクトな言葉の指導も、もちろん大切です。

コミュニケーション自体を楽しむ目的や動機や環境づくりも重要です。

そして、もっと基本的な部分、いわゆる言語表出のベースとなる地道な概念形成も、とても大切なことではないかと考えています。

表出言語が少ないのであればあるほど、そこばかりが気になったり、心配したりするのは親として当然の事です。

可能な限り、言葉の発達に向けて、親としてできることをしてやりたいと思われることでしょう。


言語の少ない子に接するとき、私はなるべく 「はい、これ新しいパズルだよ」 と言葉を添えるように心がけています。

「これ、スプーンだよ。じょうずにすくえるかな?」 といって、自分ですくって見せてからその子にスプーンを渡すようにしています。

たとえ今、表出言語が少なくても、概念や理解言語の貯金をどんどん増やしていくことで、そのことは少なくともコミュニケーションのための大切な財産になっていくと信じているからです。

理解言語は目に見えにくく、とらえにくものです。

理解言語=表出言語、というわけにもいきません。

しかし、理解言語無くして表出言語なし、と私は考えています。


はさみがはさみとわかり、黄色が黄色とわかる。

車が車とわかり、やがてそれが赤い車とわかるようになる。

イミテーションでも、それをリンゴとしてとらえることができ、絵カードでも、文字でも、それがリンゴと意識することができる。

ビヤグラスでも、湯飲みでも、それはコップの仲間だとわかる。

大きい木も、小さい木も、それが木だとわかる。

リンゴを半分に切ったパズルを組み合わせて、リンゴを完成できる。

キュウリとバナナの仲間わけができる。

赤ちゃんも、オスもメスも、それがライオンとわかる。

タオルを取ってきて、といってちゃんとタオルをもってくることができる。

ライオンは動物、バナナは食べ物ということがわかる。

鯛は魚で、きゅうりは野菜ということがわかる。


こうした概念を少しでも豊かにしていく取り組みなら、ご家庭でも無理なく楽しんで行うことができませんか?

子どもにとってご家庭は、唯一無二の安らぎの場ですから、そこは大切になさってくださいね。


積み上げてきたはずのものが、いつの間にか音を立てて崩れていった。

私は、多くの方から、何度も何度もこの言葉を聞いてきました。


算数でも、20までの数概念がきちんと構成できれば、後はその応用なので、少数でも分数でもそんなにハードではありません。

ところが、テストで小数の割り算ができても、20円のあめ2つと50円のチョコでいくら、と尋ねたら 混乱する子もいます。

数の量的感覚、位取りの量的感覚を培っていく大切さがそこで浮かび上がってくるのです。


すべての子にあてはまるとは言えませんが、言語の面でも、ベースがしっかりできると、ある時期突然の表出言語の大爆発は身近にありえます。


教育とは、可能性を信じて営む歩み

あきらめなければ、夢は叶う

行き先が見えなければ、それはとても苦しい道のり

遠くを見つめながらも、まずは毎日のその一歩を、しっかりと踏みしめてみましょう。



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各種感覚の発達の促進とその統合

 2009-05-21
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カラーボールができるようになってきたかれんちゃん (H21.5.19)


みなさんは、一輪車に乗れますか?

うちの保育園の5歳の子であれば、ほとんど全員が乗れます。

でも、大人で乗れる人はあまりいません。

小さいときから、一輪車に親しむ経験が少なく、練習をしていないからです。


私は一時期、必死で練習して、一輪車に乗れるようになりました。 バックはできませんが、宙乗り (かべなどにさわらず一人乗りで乗ること) もできますし、トラック10周だってできます。

スキーのように怖がらずに、重心を前にもってくればいいのです。

でも、いくら言葉で言っても、感覚としてつかむまでには、いくつかのステップや手順が必要です。

一輪車に乗るという一つの行為にも、さまざまなステップやスキルが必要とされるわけです。


例えば、「あ」 という文字を見て、それを紙に写すという学習があったとします。

大人にとっては何気ない当たり前のようなことでも、初めてそのことに挑戦する子にとっては、それがとてつもなく大変な作業であったりします。

一輪車に乗れない人に 「重心を前に」 と言ってもなかなかわからないように、「よく見てくるっと回して」 と言っても、なかなかうまく行かない場合があります。


一輪車に乗れない場合、その原因は様々です。

まず、こわくてとてもダメだという心理的な要因もあるでしょう。 こうした場合は、まずその恐怖心を取り除かないと練習になりません。 そのほかにも、バランス感覚、平衡感覚、筋力、体力、視覚認知、根性、モチベーションなどさまざなな要因が考えられます。

どこをどうすれば良いかという道筋さえ見えれば、練習にも活気が生まれます。 

「それ、これさえ練習すれば必ず乗れるよ」 といって、片手を支えてバランス感覚を養う練習をすれば、当然子どものモチベーションもあがってきます。


それぞれ課題や内容は違いますが、私が、この教室で子どもたちに教えようとしているのは、こういうことです。



小さい頃からその基礎となる一つ一つの感覚を、意識して大事に育てていく取り組みの大切さを、このごろ強く感じるようになってきました。

先日、かれんちゃんのお母さんから、「お母さん方に簡単な宿題を出してみてはどうかしら?」 という提案をいただきました。

子どもの発達レベルは千差万別、刻々と変化しており、ぴったりの宿題を構成することはなかなかむずかしいのですが、あまりハードなものではなく、家庭生活の自然なリズムの中で、ちょっと意識したり工夫したりすることは、大切なことかも知れないと思うようになってきました。


文字を書いたりする行為も、一輪車に乗ったりする行為も、要は様々な感覚と動作を統合して行うものです。

その基礎になるのは、 「見る」 「聞く」 「触れる」 「吹く」 「握る」 「つまむ」 「ちぎる」 「回す」 「めくる」 「さす」 「重ねる」 「たたく」 「すくう」 「通す」 「描く」 「なぞる」 「ぬる」 「線を引く」 「切る」 「さがす」 「まねる」 「動かす」 「歌う」 「踊る」 「歩く」 「跳ぶ」 「走る」 などの様々な感覚や動作です。

このひとつひとつの感覚や動作は、やがてレベルアップした課題の中で、協応したり、統合され、随意運動 (書字など) の基礎になっていきます。

小学生の子で、平面認知が苦手なお子さんがいれば、得意な言語系の支援で、モチベーションを下げずに、書字活動を続けさせることにより、こうした多感覚のスキルを徐々にレベルアップさせていきます。

これが私のやり方です。


私は、基本的には、自由度が高い方が、結果的にはモチベーションも高くなり、活動量も体験量も豊富になると考えています。

特に、かれんちゃんの場合は、いつも飛び跳ねるようなエネルギーがあり、その器を大きく構えることによって、コアな部分を攻めていきたいと考えています。

課題となる部分は、その子にとって苦手であることが多いので、それを見つけたら、すぐにそこを攻めたいと思うのは人情ですが、即効性のある指導は、持続性が欠けることも多いのでそこには配慮が必要です。



教育にも、療育にも、いろいろな形があるようです。

いろいろな意味で伝える努力は必要です。

私は、モチベーション重視の指導構成ですが、発達特性に応じた指導を無視しているわけではありません。

「各種感覚の発達促進と統合」 「コミュニケーション」 「社会性」 「数量」 「言語」 「概念」 「イメージ」 のそれぞれの段階での工夫について、皆様にもっともっと詳しくお伝えする努力が、さらに必要だと感じています。

実践をもとに内容をわかりやすく整理して、ご家族の皆さんとともに、お子さんのために、楽しみながら希望をもってお子さんを育てていけるような、そんな連携を考えたいと思っています。

微力ではありますが、一歩でも前へ進んでいけるようがんばります。

今後ともご理解とご協力、よろしくお願いします。




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「きっとすべてが美しい」 ご家族の子どもに対するプレゼント  

 2009-05-19
2月から、うちの教室に通ってくれるようになった3歳の男の子

このごろ、45分間、一度の離席もなく、パズル・カード・作業課題・書字・数対応・パソコンなど、予定のメニューを次々にこなしてくれます。

にっこり笑顔で、いつもいろいろなことを話してくれます。 とても楽しい時間です。 活動が終了したら、ボールをもって、芝生広場で遊ぶことも、楽しみにしてくれています。

連続して、安定した活動ができるようになったので、やっと枠組みができ、パイプがつながった感じです。

ご両親にそのことをお伝えすると、「信じられない」 と、とても驚かれていました。


最初のころは、電車ゲームをするのが精一杯でした。

お母さんと離れることができなくて、玄関でしばらく泣いていたこともありました。

ある日、机のうえによじ登るので、そのことをきびしく注意すると、泣き始めて、その後の活動ができなくなることもありました。


しかし一方で、私はこの子の優れた能力に魅力を感じ始めていました。

ご家族の方から、発達検査結果のコピーをいただいていますが、こんな数値の子じゃないはずだと、自分で勝手に判断をしてしまいました。 

絶対にもっとできるはずだと信じていますので、その数値より、うんと高い課題を彼には提示するようになりました。

まだ4歳になっていないのに、清音なら、すらすらとひらがなカードを読んでいきます。

この時の、うれしそうな彼の横顔、指導に充実感と活気が生まれます。

電車ゲームをしているときよりも、よっぽどいい顔です。 

ピグマリオン効果もあるのでしょう。

私もうれしくなって、本気で何回も何回もほめるので、本人にやる気が起こらないわけがありません。

当然、態度も、安定してきます。

信頼関係も生まれます。


彼の場合は、こうした課題を達成していく方向感によって、やりとりや応答関係の必要感が生まれました。

そして、その部分をていねいに構成していくことによって、コミュニケーションのスキルも少しずつではありますが、向上しているような気がします。

これは、彼の場合に限らず、個別指導ならではのキモの部分ではないかと思っています。


4月から通ってくれるようになったダウン症の4年生の男の子

最初の頃は、着席すらしてくれませんでした。

指導用のパソコンのキーボードやシュレッターばかりを気にしていました。

でも、感覚系の課題から、少しずつ着席してくれる時間が長くなり、心がつながってきました。

横にすわって、自然に手をにぎってくれるときもあります。

そして、前回、ついに絵本を読んでくれるようになりました。

その表情は、最初のころのとんぎった三角な目ではなくて、とてもおたやかなやさしい瞳です。

私は、絵本を読んでくれている彼の姿を見たとき、思わず涙がこぼれ落ちそうになりました。


 「ここに来るのを、ずっと楽しみにしているようです」


お父さんの、その言葉を支えにして、これまでずっとかかわってきました。



> どんな子も、それぞれの道を通ってここまで来たんだ。

> まずは、そのことをきちんと受け止めよう。

> こちらの都合でなく、子どものストーリーに寄り添ってみよう。

> そして、その子の中にある成長の願いを信じて、少しずつかも知れないけど、それを掘り起こしていこう。

> 不適応行動は、その願いの裏返しであると、信じてみよう。

> そして、「君の可能性を信じているよ」 のメッセージを、言葉と態度とまなざしと、そして活動の場、学びの場の構成といった具体的な形で、ずっとずっと君に送り続けよう。 

> 君の心にそれがしっかりと届いた時に、必ず君は自分の足で歩み始めるはず。

> それが、君のご家族が、先生に託した君へのプレゼント。


> 先生は、不器用だから、そんなことしかすることができない。

> 学びとは、人間が本来もちあわせている、主体的な営みのこと。

> 決してさせられるものでは、ないはずだよね。



この記事を書いている途中に、あるお母さんから、こんなステキな詩をメールで教えていただきました。


「 早く咲いても 遅く咲いても 同じ花には変わりなく きっとすべてが美しい 」


私は、ご縁があってこうしたご家族のみなさんと出会えたことをとても幸せに思っています。

ご家族の願いを背中に感じながら、そして、子どもが満足してくれるような教材の準備を行いながら、私は今日も、この教室に来てくれる子どものことを、楽しみにして待ってるのです。



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コミュニケーション能力育成のための いくつかのステップ

 2009-05-15
我が子の育ちにとって、言語およびコミュニケーションスキルの獲得は、その切なる願いの最たるものであると言えます。

学力が身につくことも大切、でも、それよりもコミュニケーション能力の育成を、と多くのご家族の方が私に伝えてくださいます。

そのアプローチには、いろいろな考えや方法があると思いますが、私はそのことを以下のように考えて指導に取り組んでいます。


① コミュニケートできるベースとなる関係を築く

② コミュニケートする内容と目的がそこにある

③ 要求の意欲、コミュニケートにかかわるモチベーションを高める

④ 要求 → 応答 → 強化 のパターンのモデルを構成する

⑤ 発達特性や段階に応じたコミュニケーションスキルを示し、強化する

⑥ できるだけ自然なかかわりの中でその力を育成し、発語のあるなしやそのコミュニケーションレベルに関わらず、かならず言語を添えて応答するよう心がける。

⑦ 日常生活 (特に子ども同士) で、コミュニケートできる環境を意図的に構成する。



私が小学校の教員をやめ、保育園で初めて発達相談を伺った子が、太郎君 (現在小2) です。

今では、語彙数も増え、かなりナチュラルに言語によるコミュニケートができるようになってきました。

私のコミュニケートにかかわる考え方は、この太郎君とのかかわりに深く・強く影響されていることは、言うまでもありません。

文字通り、私の指導の礎を、いっしょに築いてくれた子どもの一人です。


当時の発達検査では、語彙数の少なさ、構音未熟、言語理解の脆弱さ、言語表出の弱さ・・・など、様々なことが指摘されています。

私、これ読むとイヤになっちゃいます。

正直、絵カードばかりで指導するのは、楽しくありません。

モチベーション下げてまで実施する、テクニカル優先の指導への私の??は、ここからスタートしたのです。


言語発達にかかわる書物の多くには、まず第一に、安定した対人関係や、子どもを共感する姿勢が基盤となる、という内容の事が書かれています。

私と太郎君との実践の中では、ここが8、テクニカル内容は、わずか2くらいの割合です。

それだけ、私の中では、太郎君との関係作り、意欲やモチベーションの向上、気持ちの受容や、生活体験の共有、そしてコミュニケートを必要とする場の段階的な構成などをメインにして取り組んできました。


金曜日には借りてきた図書の本を一緒に見ながら、いろいろなことを教えてもらいます。

太郎君の大好きな、救急車や消防車のこと、家族旅行のこと、学校での出来事、私はたくさんのことを知っています。

時には、のりかちゃんやせいや君を教室に招いて、夢中でごっこあそびをしたこともあります。

ラジコンのおもちゃを購入するときには、パソコンの横に太郎君を座らせ、どのメーカーの物がよいかを太郎君に尋ね、その場でネットで購入します。

すると、次の指導の時まで、太郎君は楽しみで楽しみで、会うたびに何度も何度も、「ラジコン、来た?」 と私に尋ねます。

「まだだよ」

「いつ来るん?(岡山弁)」

「う~ん、たぶん月曜日かな~」

「何で?(多くの場合、こう尋ねます)」

「宅急便の会社の人が、運んでくるからだよ」

「月曜日?」

「うん、楽しみだね~」


表出言語が少なかったことから、私は基本的にはこんな感じで太郎君にかかわってきました。

今振り返っても、これ、上の①~⑦の内容にきっちり即した内容ですよね。

要は、これがSHINOBU流なのです。


私、お母さんと一緒に、関係機関主催の発達相談に数回行きました。

言語語彙発達検査にも立ち会いました。

言葉の教室にも、何度も足を運びました。

何時間も話し合いをし、数え切れないほどのメールを交わし、様々な出来事を、ご家族と共に共有してきました。

こうして、私とご家族には、相互の絶大なる信頼関係が育っていったのです。


私、決して太郎君を甘やかしているわけでは、ありません。

きっと他の子より、厳しいと思います。

私の教室で、叱られて、はらはら涙をこぼしたことが何回もあります。

そこに揺るぎない信頼感なくして、こんなに厳しく叱ることはできません。


「うちの子の、SHINOBU先生に対する信頼は絶大です。大好きでたまらないみたいです。」

何度も、お母さんにそういう内容のメールをいただきました。

図工の時間には、私宛にカードを作ってくれたり、いろいろな作品を作ってくれたりします。

旅行にいったら、SHINOBU先生へのおもやげも買ってきてくれます。


コミュニケートの方法としては、クレーン → 指さし → 身振り・サイン → 言葉 → 会話  と発展する過程があります。

でも、それは手段としてのコミュニケートにしか過ぎません。

まず目的があっての、手段というのが、のぞましい形なのではないでしょうか?

その目的とは何か?

私とならば、まずは、共有する何かを、子どもと一緒につくる関係を築くことができるかどうか? ということになってくると思います。


最近、私のところへ通ってくれるようになった子の中に、指示には従えるけれども、要求をするのが苦手な子がいます。

何回か決められたメニューをこなして帰っていましたが、どうもしっくりこないので、その日は、手番メニューを廃止して、何を要求してくるか、待ってみることにしました。

やっぱし、要求、あまりじょうずではありません。

でも、本当は電車で遊びたいこと、くるくるローラーで遊びたいことが、何となく伝わってきました。

そして、要求の手段が、クレーンと、うしろからの抱きつきということも分かりました。

やっと定番メニューではない、自然な心のやりとりが可能になってきました。


「ちょうだい、はこうやるんだよ」

「やりたいものがあったら、こうやって指差すんだよ」


用意していたメニューから離れ、私は、笑顔でその子と向き合いました。

まだまだぎこちなく、とまどっているようですが、私は太郎君の時と同じ道のりを、この子との間に、感じることが出来ました。


指導後、お母さんに、「私は認知より、この子の要求のモチベーションを高めていきたいと思います。限られた45分をそのことを中心に費やしたいと思います。定番プログラムを捨てることにもなりますが、いかがでしょう?」 とお尋ねしました。

お母さんは、その日、私がそのお子さんの理解を一歩深めたことをわかってくださったのか、「先生にお任せします」 と言ってくださいました。

その瞬間、この子と歩むこれからの道のりが、目の前に広がっていくようで、とてもうれしく思いました。


いろいろな方法を知り、様々な実践をふれ、自分の力量をもっともっと高めたい。

と、同時に、私は私の個性と持ち味を生かして、自分らしい指導を行っていきたいと思っています。


私のやり方が、優れているなんて思ってもいません。

私だけで、何かが出来るとも思っていません。

他の様々なアプローチの良いところも、しっかりと学んでいかなくてはなりません。

どうか、ご家族の方も、こういう私の個性と考えと持ち味を、うまく活用していただければと思うのです。


すべては、子どもの成長と幸せのために

賢い構成を考えるのも、私たちの大切な役割です。


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「ごっこあそび」の広がりと 行動の安定

 2009-05-14
どうです? この表情・・・

これ何の場面か、わかりますか?

実はこれ、かれんちゃん (ダウン症・4歳) が、長々と研究論文か何かを読んでいる場面です。

よく見ると、下のくちびるに小さな泡がいっぱいついているのが分かると思います。

そのことで、どれくらいかれんちゃんがしゃべり続けたかを推し量ることができます。

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実は、これ、真っ白なA4用紙を手に、きっとお母さんかお父さんの真似をして、「論文発表ごっこ」 をしているのだと思います。

もちろん、意味不明言語で、何を言っているのかはさっぱりわかりません。 でも、それらしい表情で、それっぽい口調で言うものですから、ご両親のことを存じ上げている私としては大爆笑です。

究極の遅延動作模倣、そのイメージの広がりと共に可能となる、社会性を育てる遊びの幕開けです。


そのあと、かれんちゃんは、「くま」 「ねこ」 「かえる」 「ねずみ」 の輪投げのキャラクターを使って、夢中になって遊び始めました。

私は、輪投げの輪の色とキャラクターの色を対応させたいという意図があったのですが、あまりにも夢中で遊び始めたかれんちゃんのようすを見て、思いっきりねらいをシフトチェンジをさせていただきました。


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この輪投げの先には、「くま」 や 「かえる」 などの動物の顔が、色別に区別して描かれており、よく考えればいまのかれんちゃんにはぴったりの、とてもナイスな教材です。

多くの子がパズルをするのを見ると、色を優先する子と、形を優先する子がいることがわかってきます。

どうやらかれんちゃんは、今のところ、色よりも形を意識しているようです。

何がそのきっかけになるかは様々ですが、その何かを糸口に、遊びの世界・イメージの世界がどんどんと広がっていくのは確かなようです。



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アンパンマンの自動車、やっとかれんちゃんにも自動車として認めてもらえるようになりました。

シェイプソートも、ぬいぐるみも、本来の意図に添った使い方ができるようになってきました。


このごろ、かれんちゃん、ぐっと落ち着いてきました。

それは、私だけでなく、ご家族も、保育園の先生も、他の療育の先生も、きっと同様に感じていることだと思います。


認知力のアップが行動改善につながるということは、多くの研究から実証されています。

物を投げるなど日常生活の中の不適切な行為も、使い方が理解できていないという側面や、感情のコントロールという側面やなど、様々な方向からの多面的なアプローチから分析して、望ましい行動へバイパスをつなげて強化する、という王道を歩んでいくことが大切だと考えています。

かれんちゃんの落ち着きはも、こうした認知面の発達によるところが多いのではないかと、私は見ています。


子どもによって、発達のルートは微妙に違っています。

空間認知の得意な子もいれば、平面認知の得意な子もいます。


ここでも、得意な方から入って、スモールステップで苦手な分野も克服していく長所活用型のアプローチが有効な場面も多いのではないでしょうか?

一番避けたいのは、モチベーションの低下です。


きらいなニンジン、大好きなカレーにちょっとだけ混ぜてみませんか?


※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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子どもの心に届くもの

 2009-05-12
養護学校高等部に通う大輔君が、隔週月曜日に私の教室に通ってくれるようになって、約1ヶ月になりました。

コミュニケーションの方法は、主に、大輔君の表情と、懸命に動かしてくれる指先でのポインティングです。


昨日が3回目の指導の日でした。

私が今最も大切にかんがえているのは、いかに大輔君の心を惹き付ける、学びの欲求に即した教材を準備できるか? その事でした。

指導が終わったその日から、2週間後の指導が始まるその日まで、片時もそのことが頭から離れません。


この日用意したのは、 「ここがせかいいち」 という幅1Mを超える大型本と、みなみらんぼう作 「月からきたうさぎ」 という絵本でした。 (↓下の画像)



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みなみらんぼう作 「月からきたうさぎ」 ハイライトシーン

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大型本 「ここがせかいいち」 エアーズロックのページ




「ここがせいかいいち」 には、高さ83Mのセコイアの木や、幅4KMのイグアスの滝や、セカチューで有名になった?エアーズロックなどが紹介されています。

サビの部分では、大輔君、しっかり目を見開いて、大型本の方を見つめてくれました。 明らかに興味を示した表情でした。


「月からきたうさぎ」 も予想以上にクリーンヒットでした。

大輔君は、高校生ですから、プライドを傷つけるような内容の絵本を提示するわけにはいきません。

だからといって、入っていかない内容のものでは意味がありません。


表現は平易だけど、人としての心に響くファンタジーで、彼の心をつかみたい

イメージを構成する挿絵も、十分大人の鑑賞にたえるレベルのものを

そういう視点で、教材を選択しました。 



この学習の後、私は3桁の計算を彼に提示しました。


253+526 の答えは、次のうちどちら?

(A)536  (B)779


わずかの時間の経過ののち、彼の手が動き始め、しっかりと (B) の方の選択肢を指さしました。


お母さんにとっては、日常的な事なのかも知れませんが、わたしに取っては、何かが初めて彼とつながった瞬間なのでした。

私は、そのことがうれしくてうれしくて、たまりませんでした。

何週間も、何週間も、心の中に溜め置いていた何かが溶け出し、どこかへ流れ出していくような気持ちになりました。


この日の指導の前に、私はお母さんに電話をかけ、「私はこの子の学びの意欲と力を信じて、指導者として、澄んだ瞳で、きちんとした姿勢で、真っ正面から、正攻法で向き合ってみようと思います。」 とお伝えしました。

子どもとのコミュニケートの方法が限定されている場合は、指導者がそれを感じ取ることは、指導者としての最低の責務だと私は考えています。

しかし、それは、口で言うほど簡単ではないケースも多いわけです。


「あきらめなければ 夢は叶う」

子ども発達・子どもの教育に関わる者なら、心の中に生涯しっかりと刻み置くべ、き大切な言葉の一つなのかも知れません。


指導にあたる者が、その可能性を信じないでいて、どうしてそれを子どもに伝えることができるでしょうか?


子どもの学びの欲求を信じ、それを掘り起こし、その最適の教材を提示し、適切な支援を実行し、やがてそれをフェードアウトして、出来るようになった君を正当に評価する。

わたしのやろうとしていることは、たったそれだけなのです。

自閉症であろうが、AD/HDであろうが、ダウン症であろうが、アスペルガーであろうが、それは特性理解のための一つの切り口にすぎないわけであって、私の前にいる子は、その子であって、それ以外の何者でもありませんから、すべての子どもに私はいつも同じ姿勢で接したいと願っているのです。

それは、定型発達の子でも、どの子でも、人としての教育として何ら変わりの無い部分です。

ここのスタンスがきちんとあって初めて、高度な専門的な指導、認知特性・認知処理様式に添った適切な指導が生きてくると思っているのです。

逆に言えば、そこがないのに、いくらテクニカルな指導を実施しても、積み木崩しか賽の河原・・・


私の教室に通ってくださるご家族の多くは、もうすでにそのことを身をもって体験されているようです。


「これから、先生といっしょに、人が生きるという、大切なことを勉強していこう。 君の世界を、もっともっと広げていこう。 それこそが君の大切な役目だと、先生は思っている。」

指導の終わりに、私は大輔君に、そういう意味のことを伝えたつもりです。


それが容易ではないことは、百も承知。

間寛平ちゃんが、地球1周マラソンを行うなら、私はこの教室の活動を、自分なりに真心を込めて続けよう。

「あきらめなければ、夢は叶う」

子どもの前に指導者として、きちんとした姿勢で、澄んだ目で、謙虚に、愚直に、そのことを子どもに示し続けよう、そう思ったのでありました。


ところで、うさぎの目って、なぜ赤いのか知ってました?

それは、我が子である金色のうさぎを、人間に襲われよないようにと、安全な月に帰した母うさぎが、一晩中泣きはらしたからだと、物語には書かれていました。

この場面で、大輔君の表情は、明らかに変わっていました。


本物ならば、何かがきっと子どもに届くのではないでしょうか?



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ご家族と指導者とが向き合うことによって生まれる何か

 2009-05-11
昨日、指導の直前になって、携帯に1本の着信がありました。

教室に来る途中で、車のタイヤがパンクした、というお母さんからの電話でした。

よろしければご主人が到着される前に、お子さんをお迎えに伺いましょうか? とお伝えすると、それは、本当に助かります~、というお返事でした。

その場所に伺うと、車のわきで、お母さんとお子さんが立っておられました。

少し開始時間が遅れましたが、お子さんを車に乗せ、私は再び教室に向かいました。


後部座席に座ったその子は、前回までとまったく違うオーラで、話を始めました。

お母さん、大丈夫かなと、何度も何度も心配するこの子の姿に、正直驚くと同時に、とても愛おしい気持ちが私にも芽生えてきました。

教室に着くと、その子は、「先生、ゲームの話していい?」 と、私に尋ねてきました。

この子にとって、そのゲームがどんなポジションであるのかについては、事前にお母さんにお話を伺っていました。

> う~ん、じゃあ、このタイマーのメモリがなくなるまでなら、いいよ

そう伝えると、子どもは与えられた時間で、懸命にそのゲームのことを説明し始めました。

私は、いつかきっとこういう場面が来るに違いないと思っていましたから、真剣にその話を聞き、真剣にそのことについて尋ねました。

その子は、いつもタイムタイマーの目盛りを気にかけながらも、時間が来ると、ぱっとゲームの説明を止めました。

心の糸が、1本つながったな

私は、そう感じました。


1回目の指導の時は、この子、私の用意した教材には見向きもせず、タランチュラのことばかり調べていましたが、この子がなぜそのとき、タランチュラのことをそんなにムキになって話したのか、わかるような気がしてきました。

それ以後の彼の言動は、以前のそれとは、明らかに違っていました。

まだまだ私の願っている形には遠いのですが、何か子のこと2人で大切なことを織り込んでいける手応えみたいなものを感じました。

ここは、お母さんの願いと、私の考えとの一致点が明確だったことを抜きに考えることはできません。

私とご家族との軸が一致していることを、この子は、きっと薄っぺらい言葉ではなく、時間や活動の積み重ねから感じ取っているに違いありません。

指導後、パンクの修理が終わったお母さんが教室にやって来ました。

聞いていないようで、その子はしっかり私たちの会話を気にしていて、初めの頃、会話に口を挟んできました。

でも、途中から安心しきったようすになり、二度と会話には口を挟んできませんでした。

私と、ご家族の向き合っている方法が同じであることを、またひとつ確かめ合うことができたのだと思います。


> 先生に、お願いがあります

先週、新1年生になった女の子のお母さんが、お子さんの書字について、そしてその子の行動のことについて、メールで連絡をくださいました。

私は、今は書字よりも、応答コミュニケーションや文字の認知が大切と考えていましたが、お母さんのメールを読み、書字の指導を始めることにしました。

席もこれまでとは違う学習席に変更しました。

最初の相談の時、机の上に寝そべったあの女の子です。

さて、どうかなと思っていましたが、何ともうれしそうに書字の練習を始めます。

この表情が、私は可愛くてたまりませんでしたし、時間いっぱいその子は、予定のメニューを最後までやり遂げることができました。

私のイメージと、この子の願いとのすき間を、お母さんのメールがうめてくださいました。

本当にありがたいなと、思いました。

最初の相談の日には、この子に指導が入る日はいつのことかと思っていましたから、私の喜びもひとしおです。

こうなると、私の方にも指導のイメージがどんどんふくらみ、指導のモチベーションも上がる一方で、次の指導の日が待ち遠しくなります。

こうならなきゃ、なかなか大変な仕事です。


最初大変な子ほど、つながった後は楽しい、というのはこの教室での経験を通して感じてきた真実です。

第1号の花子ちゃんの時も、第2号の太郎君の時にも、危機的場面を乗り越えての今があるのです。

最初の日、かれんちゃんが、なみだを浮かべて外を眺めていたのも、こたえました。

また大きな危機がない子の場合でも、私の存在を影でご家族がしっかりとささえてくださっていることを、様々な場面で感じ取っています。


役割を明確にすることは、大事です。

しかし、時に、そのジョイントの部分ですき間が出来てしまうことがあります。

相互の役割を明確にした上で、お子さんをすっぽり包み込むような、指導者とご家族のネットワーク

それが私の目指す形です。

それをなくして、テクニカルな指導だけで子ども変えることは、なかなか骨の折れることです。


数ヶ月の間に、大きな育ちのあった子ども

子どもを包む大きくてあたたかい信頼感の広がり

それは大切な手段であるだけでなく、目的そのものであるような気がしています。


子どもそれぞれに、

ご家族それぞれに、生活のストーリーというものがあります。

ご縁があって出会った方と、子どものために信頼の輪を紡いでいくことも大切な作業だと思います。


もちろん、ご縁はいろいろですから、パーソナリティーの部分で、合う合わないも当然あるし、ストーリーの展開上たまたまご縁がなかったという場合もあるでしょう。

そんな場合は、切り替えも大切です。

医療の場合も、同じようなことが言えるのかも知れません。

学校の先生は、選ぶことができませんが、選ぶことができる先生もいるはずです。


何のため?

それは、すべて子どものため

その責任も、決定権も、保護者にあります。

ただ、関係した者は、その責任の1部を共有します。

自己決定とは、そういうことです。


私は、そういうご家族の応援をしていきたいと願っているのです。



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一人一人に寄り添うという中身

 2009-05-08
昨日は、まさと君 (高1) の指導の日でした。

毎週木曜日、特別支援学校高等部の勉強が終わったあと、6時から7時半まで一緒に勉強しています。

内容は、漢字検定と英語検定に向けた個別学習です。

学習を終えた最後の20分は、英語のヒアリングも兼ねて、シンプソンズという英語のDVDを日本語字幕で観る約束になっています。

まさと君は、この時間をとても楽しみしていて、途中私がトイレに行ったりすると、そこでしっかりDVDを止めて待っていてくれます。


漢字検定は7級、英語検定は4級を目指して学習しています。

学習のスタイルは定着し、すばらしい集中力で学習に取り組んでいます。

よそ見もしないで、ひたすらがんばり続けるといった感じで学習しています。

昨日は漢検の学習がいつもよりハードだったので、まさと君、「ちょっと疲れた、休憩しようか?」 と言うので、「うん、いいよ。5分ほど休憩しよう。その間、何をするの」 と尋ねたら、「ポケモンの本を見る」 と言って、彼はしばらくそれを見ていました。 その後、5分たったら、何も言わない間に、自分で再び学習を再開していました。

そういう子です。


さて、この日のメニューも完璧にこなし、いよいよお楽しみにしているDVDの時間がやってきました。

彼は、急な予定の変更を受け入れるのが苦手なタイプなので、いつもDVDは事前にちゃんと準備をしておきます。

この日も、しっかりと確認して手元に置いておきました。

と、思っていたのですが、そのDVDがどこを探しても出てこない・・・


私、正直、血の気が引き、わずかな時間ではありますが、あせダクダクになりました。

私は彼の小学校1・2年の担任でしたので、こういう不手際がどれだけ彼の心に負担をかけるかを体験的に感じていました。

これまで順調にステップを刻んできただけに、こういうことでつまずくのは、何としても避けたい、そう言う気持ちでした。

しかし、どこをどう探しても、そのDVDは見つからない・・

10分近く探したでしょうか?

私にはそれが、とてつもなく長い時間に思えました。

するとまさと君、「見つからないなら、もういいよ」 と、涼しい口調で私に言うではありませんか?

後でこのことをご両親にお伝えすると、大変そのことを驚かれていました。 もし家で同じような事があったなら、それはもう大変なことになると言われていました。


不思議なものです。

この一言で、今度は私の方が落ち着きを取り戻しました。

ふと整理棚の上を見ると、ちょこんとそのDVDが置いてあるではありませんか?

もう歳ですね、指導用の机に置いたつもりが、棚の上に置いたまま、すっかり忘れてしまっている・・

しかし、ここからは約束のDVDが見つかったので、それはそれは楽しい時間を彼と共に過ごすことができたのでした。


私はここ5年以上NOVAで、1000時間を超えるネイティブの先生との会話を楽しんできましたが、最近はとてもそんな時間がもてなくなりました。

なので、まさと君といっしょにネイティブの英語に親しむこの時間を、私自身も、実はとても楽しみにしているのです。


毎回、指導の後、ご両親がお見えになります。

もう長い長いお付き合いです。

今高校生のまさと君の小1の時の担任が私なのですから、もう10年近くのお付き合いになります。


> 最近、会話がとてもナチュラルになってきて、家族中で驚いています。

> それよりも何よりも、週に1度、ここで勉強することをとても楽しみにしており、そのことで生活にリズムがつき、毎日元気で学校に行ってくれるようになってくれたことが、親としては最高の喜びです。

毎回、毎回、そのような内容のことを私に伝えてくださいます。


これ、私個人の力でも何でもありません。

私と、ご両親と、まさと君の間には、絶大な信頼感が存在しています。

私は、このご両親を、心の芯から信頼し敬愛しています。 入学前から、どれほど心を砕き、心血を注いで、この子の教育に向き合ってこられたかを、知っているつもりです。


私が、まさと君の担任をしていた当時は、今から思うと信じられないくらい恵まれた条件でした。

校長先生の絶大な理解、通常級の担任は、前年度私と同じ学年をもった優秀な先生、私は支援級の担任でありながら教務主任でしたから、やりたいと思ったことをほぼ自由にやらせていただける環境にありました。

必要と思われるマンツーマン指導も、集団の中での体験的学習も、思うがまま自由自在に構成できました。

当時はそんなことを思ってもみませんでしたが、イングルージョンのひな形がそこにあったようにも思えます。

こんな考えられないような恵まれた条件でしたから、自然、彼の周りは笑顔や歓声で包まれていました。


こうして、私とまさと君、そしてご両親との間には、少しくらいのことでは揺らぐことのない、絶大な信頼感が形成されていったのです。

構造化の中には、物理的な構造化、時間的な構造化など、様々な視点が必要であるとされています。


どんなことがあっても揺るがない信頼感

それは、それを総合化した究極の構造化ではないかと、私は思っています。


もちろん、今の教育現場で、このような環境を願っても、なかなか実現できないであろうことは承知しています。

今、私が行っている週1~2時間程度の個別指導で、何がどこまでできるのかという、限界もわきまえているつもりです。

私がスーパースターでも、天才でもなく、身の程知らずの愚直な人間であることも、常に自分に戒めています。

でも、ほんのわずかではあっても、日々の歩みは小さなものであっても、私たちが協力し合って目指すべきは、そういう形ではないかと思い始めています。

だからこそ、目指す方向がここにあると、私は感じ始めています。


親には親しかできない役割があります。

家では勉強しない子が、この教室ではがんばるというのは、日常的な事です。

それは、私の指導がうまいからではなく、ここは勉強する場と子どもがとらえ、その環境をご家族が構成されたからです。

私は、ご家族の依頼を受けて、そのつとめを果たしているにすぎません。


相互が信頼し、役割を明確化することにより、そこに大きな方向感が生まれるのだと思います。

その相互の信頼を感じ、その信頼の中で、子どもは自分の足で歩み始めるのです。


認知特性に応じたテクニカルな指導は、欠くことのできない重要な要素です。

しかし、決してそれだけではない。

一人の人間だけで、子どもの育ちや学びを支えきれるものではない。


一人一人の子どもに寄り添うという中身を、実践の中から、私はもう一度精査してみたいと考えています。



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拡大教科書から見える いくつかの真実

 2009-05-05
以前、私が教えた子のご両親、目が少し不自由なので、クラス便りや学年便りなどの配布物を、B4やA3に拡大して差し上げていたことがあります。

これは、前担任の先生から引き継いだことがらで、私はそのことをとてもうれしく誇りに思い、拡大コピーを差し上げることを、一度たりとも面倒くさいなんて思うことはありませんでした。

当時もこの学校は、人権感覚の大変すぐれた先生がたくさん勤務しており、私なんか逆立ちしても勝てない先生が、その辺にゴロゴロと転がっていました。

日曜日学校へ行ったら、何人もの先生がお忍びで印刷機を回していることは、日常的でした。

地域の子供会の行事に、当たり前のように先生が顔を見せていました。

そのことの是非はともかくとして、相手の立場に立って物を考える、子どもやご家族の願いに寄り添って物を考えるという姿勢が、学校全体に行き渡っている学校であったことは確かです。

私はその時、通常学級の担任をしていましたが、何かクラスでのイベントがあったら支援級の子を子ども達の方から自然に迎えに行っていました。

私がちょっとでも、そういう配慮を怠ると、クラスの子どもの達のだれかが、いつもカンカンに怒って訴えにきました。

私は、そういうクラスの子どもが大好きでしたし、子ども達もそういうことを、人としての誇りに感じているようでした。

そういう人権感覚が、ツメの先まで行き渡っているような学校でしたし、その努力は、何倍にもなって返ってくるように感じていました。


昨日、ある通常学級に通うダウン症のお子さんの 「拡大教科書」 という物を見せていただきました。

以前から、お母さんにお話を伺っていましたから、自分なりのイメージはもっていましたが、それを実際に見て、そのお子さんが生き生きとその教科書を読んでいる様子を目の当たりにすると、私は予想だにしないインパクトを受けることとなりました。


とても恥ずかしい話ですが、以前にこのお子さんにプリントをしてもらったときに、「大きな数字を書く子だなあ」 という印象をもっていました。

その時、この子は、見えにくい小さい文字であったにもかかわらず、何一つその事に不平を言うこともなく、健気に一生懸命私の出したプリントに取り組んでくれていたわけです。

お母さんにお伺いすると、その拡大教科書は18ポイントだということで、ポイント数はご家族の希望=オーダーメイドで、当然、ポイント数が大きくなるにつれて、そのページ数も増えていくことになります。

教科書という物は、学びを主体とする子どもにとって、特別な物、なくてはならない物であることは言うまでもありません。

その子は、4年生になって、初めてその子にあった教科書と出会ったことになります。

私の前で、その子は本当にうれしそうに、生き生きと音読をしてくれました。

ある意味、これは衝撃でした。


国語の他に、社会科の教科書を見せていただきました。

国語の教科書は、活字でしたが、この社会科の教科書の文字は手書きで、資料などもていねいに貼り付けられた言わば手作り教科書そのものでした。文科省の検定教科書ではありましたが、あるボランティア団体の協力をもとに作成されたことが記されていました。

社会科となると、資料も重要で、その一つ一つが18Pとなると、そのページ数もかなりのものになります。

しかし、こういうことは本当に大切なことだと痛感しました。

子どもの指導にあたる者、すべてかくるべし、と私は深く心に刻みました。


大切なのは、拡大教科書そのものではなく、子どもの育ちをしっかりと見つめ育む姿勢、構え、理念、愛情、そして人ひとりの命に向き合うという誇りと使命感です。

この度、機会があって、私はこのお母さんから、この拡大教科書を手にするまでの一つの道程をうかがい知ることができました。

この子の育ちのために、母としてどれだけ心を砕いて組織に立ち向かい、様々なことに道を開いてきたかも伺っています。

また、それぞれ立場は違えども、我が子のためならばと、何もかも振り捨てて、前へ前へと進んでいこうとされている何人ものお母さん方を知っています。


どんなに苦しくとも、打ち抜くことにより開ける道もある。

また、そういうことから見えてくる真実もある。

そして、誰に何と言われようとも、どんな風に思われようとも、時として貫いていかねばならぬ地合いがあることも学びました。

みんなから、いい顔されて、手を汚さずに進むことなんて出来ないなと、覚悟を決めました。

前に進めば進むほど、受ける風も強くなってくるものです。


時には小さな声にも耳を傾けよう、わずかな変化にも目をこらそう、厳しいご指摘も甘んじて受けよう。

それでも、もう私は決して後には引かない。


私は、ずっとずっと、こういうご家族の応援団でいたいと思います。

拡大教科書を手にした感覚が、私の手にはまだ残っています。

また一つ、私は自分の向かう先が、しっかりと見えてきたような気持ちになりました。


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きちんと見つめたい 子どもの発達のブラックボックス

 2009-05-03
私は、元々が小学校の教師です。

1年生から6年生までのすべての学年の担任を経験し、情緒障害児短期治療施設の派遣学級、特別支援学級、生徒指導主事、同和教育主事、研究主任、教務主任など、これまで色々な仕事に取り組んできました。


自分の教室を立ち上げたとき、最初は小学生以上を対象とさせていただいていました。

かれんちゃんのお母さんに、是非にという依頼を受け、初めて小学生以下のお子さんの指導・療育をさせていただくことになりました。

保育園の副園長ですから、保育の運営や課題については、自分なりに研修をしてきました。

しかし、指導となると、基本3才以上のお子さんを対象とさせていただこうと考えていました。


昨年秋、かれんちゃんが入ってきてくれるまでは、私の教室の生徒は、花子ちゃん、太郎君、友里ちゃんの3人だけでした。

今では、2才くらいから18才まで、様々な課題のお子さんの学びと育ちについて、ご家族の方と一緒に向き合っていくようになりました。

県外指導のお子さんまで含めると、50人以上のケースに直接向き合っているわけです。

こういう形は、あまり類を見ないものではないかと思います。


ご承知のように、発達にかかわる年齢には、実際の生活年齢と、発達のレベルを示す尺度としての年齢があるわけです。

ですから、発達の支援・指導にかかわるものとしては、単純な生活年齢でのみでその対象を限定すべきではないのかも知れません。


私は、スーパースターではありません。

私にかかれば、たちどころに子どもが見違えるように変身するわけではありません。

むしろ、どこよりも愚直に、だれよりものそのそと、ごそごそと小さなあゆみを続けているに過ぎません。


先日、何人かの3才以下のお子さんの指導をさせていただきました。

その最初のお母さんの一言です。


> 私たちには、親戚も少なく、親亡きあとのこの子の将来をとても危惧しています。

> ですから、この子のために、私たちができることがあれば、たとえどんなことがあってもしてやりたいのです。

> 後悔だけはしたくない。

> 無理は承知です。

> 先生、私たちに力を貸してください。


正直に白状します。

私はそれまで、「お母さん、お子さんが3才になったら私の所に来てください」 そう言おうと思っていましたが、そのことをとても恥ずかしく感じました。

私が、一体何のために仕事をしているのかを、改めて問い直すことができました。


私は、わざわざ私の保育園に来て頭を下げ、どうかこの子のために指導をお願いできないかという花子ちゃんのお母さんの真剣な目を見て、この教室を開く決心をしました。

このお母さんの目は、あの時の花子ちゃんのお母さんの目と、まったく同じ輝きだと思いました。


その日は、他にも何人かの3才以下のお子さんの指導をさせていただきました。

そばにいるご両親の心臓の音が聞こえてきそうな程、真剣に私のかかわりに注目してくださっていました。

これで、私の背中にあるやる気スイッチがオンになってしまいました。

もう完全に私の心から、逃げる気持ちはなくなっていきました。


私が長年愛用している発達にかかわる1冊の本があります。

初めて支援学級の担任をしたときに購入したものですが、早速それを開いて発達年齢が3才以下の指導支援について調べ直してみました。

就学前あたりの部分には、マーカーや書き込みが多くしてありますが、それより前については、読んではいますが、自分の指導の対象として精査したことはありませんでした。


それを見たとたん、私の頭の中に指導のイメージがどんどんとふくらんでいくのに気がつきました。

まるで、これまで空けようとしなかった発達のブラックボックスをのぞき見たような気分でした。


> 数を量としてとらえることができない

> 音読はできても、書いたり内言語化したり、イメージをふくらませたりすることができない

> 微細な文字の形を認知することができない


これまで何度トライしても、出来ては崩し、出来ては崩しの連続だった内容の、源泉がきっとその中にかくされているのではないかと思うようになりました。

そこの基本さえ積み上げれば、その子なりの発展は可能なのではないか?

結果はどうであれ、打つべき手の設計図みたいなものがそこにあるような気がしてきました。

奥が深いというか、何というか、原点はここだと感じました。


とにかく、いろいろと試させてください。

私にチャンスをください。

私は天才でも何でもありません。

でも、やってみたいことはあるのです。

どうかトライをさせてみてください。


いつの間にか、私の心は攻めの姿勢に変わっていました。

もしも、あのお母さんに出会ってなかったら、私はこんな気持ちにはなっていなかったと思います。


土曜日は朝9時から夜8時半まで、ぶっ通しの指導でした。

GWで広島や大阪から来られた方は、ずいぶん早く出発されたのに、渋滞で指導開始の時刻に間に合わなかったのです。

昼に学童保育の小学生が給食のシチューを運んでくれました。

半分食べたところで、次の方がお越しくださり、次に口をつけたのは夕方の6時頃でした。


ここだけの話ですが、学校休んだのに、うちの教室にだけは来るという子たくさんいます。

体の事を心配してくださる方が多いのですが、こういう子のことを考えると、指導に穴を開けることは、今の私にはできません。

無理を承知でお願いします、と頭を下げられた方に、お断りをすることもできません。


今は、神奈川県のホテルでこの記事を書いています。

時々、ご家族の方からていねいなメールをいただくことがあります。

元々あまり体力のある方ではありませんが、何かのことで子どもやご家族の方にお役に立つことができたと感じると、とたんに元気になるから不思議です。

役割が人間を変えていくのです。


多くの子どもの指導をさせていただくことができ、とても幸せです。

選んで来てくださっているので、とても光栄なことです。

そのためにも、あのブラックボックスの鍵を、何としてもこじ開けたい、

そう思っています。


それぞれに違う子どもの課題

そして色々な年齢や発達段階の子ども達

それを重いくつも重ね合わせることによって、だんだんと本質的なことが焦点化されていくような気がします。


私の営みは、まだスタートしたばかり

これからも、ぜひ皆さんと、いっしょに歩んでいきたいと思っているのです。


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困難な課題だからこそ、私は楽しい学習を求める

 2009-05-01
先日、かれんちゃん (ダウン症・4歳) の14回目のセラピーを行いました。

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この日は、私たちにとっては、とっても大きな出来事がありました。

かれんちゃんが、おもちゃの入っているボックスを指さして、何か言っています。

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> これ・・  これ・・

> えっ何? これアンパンマン? これやりたいの?

> うん  (かれんちゃん、こっくりとうなずく)

かれんちゃんは、シェープソートについたアンパンマンの車のおもちゃを要求してきたのです。


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先週つながったアンパンマンのことが、しっかりとキープできていたのでしょうか。

それよりも何よりも、自分でアンパンマンのおもちゃを見つけ、私にそれを伝え、苦手だったシェイプソートを自分から進んでするなんて、ちょっと前に比べると画期的なことです。

私が、手を添えて支援をしましたが、苦手なパズル系のおもちゃに親しんでくれて、私としては大満足の活動となりました。


この日は、輪投げの輪を カエルの 「があ」 (かれんちゃんは、なぜかカエルが大好きです) の緑に入れる練習をメインにしました。

輪投げの中に輪を入れることが、とても楽しかったらしく、何度も何度も輪投げの輪を入れる活動を続けました。

私の意図は、色認知でしたが、かれんちゃんは、輪に入れる活動自体がとても楽しいようでした。

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4月から私の教室に通ってくれるようになったダウン症の1年生の男の子がいます。

パソコンのひらがなの文字を入れる学習が大好きになったので、お迎えに来た時にお母さんにその様子を見てほめてもらおうと思い、かなりその活動をひっぱってしまいました。

ところが、お母さんは、たまたま5分ほど遅れてお迎えに来られました。

その5分は、心理的にはとても長い時間です。

ひっぱりすぎて、その男の子は、楽しかったその活動が少しイヤになってしまいました。

こういう理由で活動をひっぱるのはもう止めようと思いました。


もうちょとやりたいくらいでやめるのは、極意の一つです。

活動を押しつけないで、さりげなく予告編を見せておいて、子どもに選ばせるのも大切なことです。


なぜだと思いますか?

私は、学びは、主体的な子どもの欲求そのものだと思っています。

その主体性を信じないで、指導者のために子どもをダシに使うような形になると、一時的にテクニカルな面で成果はは上がりますが、子どもの学びのモチベーションはうんと下がります。

結局、どちらが、子どもを大きく育てることになるのでしょうか?


昨日は、まさと君 (高1) の指導の日でした。

まさと君は、中学の後半、学校に行きづらい状態の日もありましたが、ここに来て大きく変わってきました。

ご両親のお話によると、毎週木曜日の私の教室での勉強をとても楽しみに待ちかまえてくれているということでした。


まさと君は、勉強をしたいという気持ちが誰よりも強い子です。

「勉強がむずかしくなっったら、ここ止める」

初めの頃、彼は目を三角にして、何度も私にそう言っていました。

勉強したいからこそ、できない事が受け入れなれない、そういう気持ちがそこにはあるのです。


かれんちゃんが、初めの頃、パズルを何度も放り投げていたメカニズムも、基本的には同じではないかと私は思っています。


勉強が楽しい、の中身は何でしょう?

それは自分が向上している手応えそのものです。

成長のスピードや、学ぶ道筋は百人いれば百通り。

いろいろな形があるはずです。


学びの欲求を信じないでいて、何歳だからこの学習をと、無理強いすると、子どものモチベーションさがりませんか?

それは、そうまでしていますぐ身につけなくてはいけないことですか?

この子のスタイルで、もっともっと学びを深めていく道筋は他にありませんか?


昨日のまさと君の指導、本来なら第5週でお休みの日でしたが、ご両親のご希望を受けてさせていただくことにしました。

この子は、ここで学ぶことを楽しみにしており、そのことがこの子のコミュニケーションも含め、生活面にも大きな活力になり始めた、とご両親は伝えてくださいました。

私の勝手な都合では、なかなか指導をお休みにできないなと痛感しました。


かれんちゃんが、自分からアンパンマンのシャープソートを始めた姿

私は大きな可能性をそこに感じることができました。

カエルの 「があ」 の輪投げの色が緑であることが分かる日も、そう遠い日ではないはずです。

私はそれを信じて、かれんちゃんに寄り添った活動を構成し、彼女と一緒の道を歩んで行こうと思うのです。



※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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