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志あるところに人は集う

 2009-04-30
昨年の10月の末、大阪府にお住まいの方から、1通のメールをいただきました。

内容は、「約1年後に就学を控え、幼稚園の年中クラスに通うダウン症児の母です。大阪からではありますが、ぜひ先生の所で指導を受けたいと考えています。とにかくぜひ先生に1度会って相談したいのですが・・」 というものでした。

当時は、大阪から交通費をかけてご相談にお越しくださるなんて、夢にも思わなかったことですから、メールを通して私なりのアドバイスををさせていただき、そのお子さんはある療育園に通われるようになりました。

それ以後、広島から、大阪から、何人もの方がご相談にお越しくださるようになり、中には県外から定期的に教室に通ってくださるようになった方もいらっしゃいます。


そして、数ヶ月後が過ぎ、実は私、このお子さんと昨日、3度目の出会いをすることになりました。

月に1度、定期的に大阪におじゃまさせていただく枠組みが出来上がったのです。

前例のあることではありませんから、これだけでも奇跡と言えば奇跡です。


その子の指導が終わり、ご両親と、今後の打ち合わせなどをさせていただいたその時です。

突然、会場の扉が開き、2人の女性が入ってこられました。

それは何と、その子が通っておられる幼稚園の園長先生と担任の先生でした。


もちろん、ご両親がお招きされたわけではありません。

あまりの出来事に、ご両親はしばし言葉を失っておられました。


「とにかく、ここに足を向けないではいられなくなった」

私は、園長先生と担任の先生のお話をお伺いしながら、先生方のそんな情熱をダイレクトに感じ取ることができました。

お母さんは前日、「幼稚園で逆上がりができるようになったんです」 と、うれしいお知らせを私にしてくださっていました。

こういう幼稚園なら、生き生きと遊び、学び、暮らし、子どもが育つのは当たり前だと、私は思いました。



実は園長先生、その2時間くらい前に、私のところへお尋ねに来てくださっていました。

他の子の指導中でしたので、昼の12時からこの子の指導をさせていだだくことだけをお伝えしておきました。

それがまさか、園長先生だとは思ってもみませんでした。

園長先生と担任の先生は、飛び込みで来られ、その子の指導時間が終わるまで、ずっと待つつもりで来られていたのです。


岡山から新幹線で通う私

前日の指導を終え、大急ぎでボストンに教材を詰め、タクシーで駅に向かい、会場近くの宿泊施設に着いたのは深夜11時を過ぎていました。

土日で20人近くの子どもの指導を終え、月・火の指導を行い、水曜日に大阪で10名近い子どもの指導を行うのは、肉体的にはめちゃくちゃしんどいです。

でも、何かが私に大阪に足を運ばせるのです。

倒れちゃいけない、迷惑はかけられない、少しセーブして、安易に指導をお引き受けしてはいけない・・

いつもそう心に誓いなから、結局は子どもを前にすると、どうしてもお断りできない私がそこにいます。


公私共に大変忙しい中、休日であるのにもかかわらず、たった一人の子どものために、飛び込みで会場にお越しくださり、その間ずっと外で待っておられる園長先生と担任の先生

私、教育者の一人として、この気持ちが痛いほどわかります。

何が園長先生と、担任の先生に、ここに足を向けさせたか、それはきっと私と同じ思いであるに違いありません。



一人の小さな子どもが真ん中にいます。

小さいけれども、すばらしい命の輝きをもつ大切な子どもです。


その子を深い愛情で育み、背中をまっすぐに伸ばし、透き通ったまなざしでその行く先を見つめ、子どもと共に一歩ずつ前へ進んで行こうとされているご家族がそこにいます。

そして、そのご家族を包み込むように寄り添う私と、幼稚園の先生方


まるでひとつの小宇宙

人生って、生きるってステキだなって思いました。


私、その瞬間、体内の細胞が活性化していくのを感じましたよ (笑)

疲れてボロボロのはずなのに、ちっともそれを感じません。

今回の出張指導で、私また別の人間になっちゃったかも知れません。


この日に初めて指導をさせていただいた子が、何人かいます。

その1時間、1時間がそれぞれ大切な瞬間でした。

まさに一期一会

それぞれに、小さな宇宙を感じました


最後の指導をした小さな男の子

お父さんの前で、その子を抱っこすると、何とも言えないすばらしい笑顔を返してくれました。

この笑顔に応えたい

ご家族の期待に応えたい

ご家族と共に、しっかりとこの子の課題に向き合っていきたい

誰だってそう思います。


ご家族の真摯な思いこそが、天に通じ、道を開きます。

前日にこんなことが起こるなんて、夢にも思っていませんでした。

ですから、明日どんなことが起こるのかも分かりません。


運命は、人の気持ちに添いながら、動いていくものなんだなって思いました。

その志があればこそ、子どもの周りにすばらしい人の輪ができていくのではないでしょうか?

すべては、あの1通のメールからスタートしたのです。




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手を添えて、日々しっかり歩んでいくという営み

 2009-04-28
しゅう太君 (小2) のお母さんは、昨年の12月、花子ちゃんの書字改善の実践事例をこのブログでご覧になり、すぐに入会の申し込みに来られました。

それ以後、しゅう太君には、隔週で90分の指導をさせていただいています。

昨日の指導では、私の組んだプログラムに、とてもぴったしに反応し、楽しく充実した時間を一緒に過ごすことが出来ました。


しゅう太君の書字の課題は、7番染色体のわずかな欠失が影響を与えているという情報も受け止めています。

「ほめて伸ばす」 は、どの子にも大切な事ですが、特にしゅう太君は、即時強化に敏感に反応してくれるので、マンツーマン指導ですが、のってくると非常に盛り上がり楽しい学習になります。

この日は、最後の後片付けもあいさつの時も、生き生きとした表情で、とても可愛くうれしく思いました。


ご家族の願いの第一は、もちろん書字系の改善です。

私は取り組んだことは、① 漢字を学習しやすいように系統的に配列して提示すること (つまりは、 「木」 → 「林」 → 「森」    「日」 → 「目」 → 「貝」 ・・・・ という順の提示の仕方です)、② 言葉による継次的な支援  (「林」 は 「木」 が2つ とか 「一」 書いて 「人」 で 「大」 とか・・・) に、視覚的な教材 (「十の画べえ」)などを同時に盛り込んで行く方法、③ パソコンなど楽しく学習出来る方法で、モチベーションを下げずに、苦手な視覚認知同時処理系の刺激を系統的に与え続けることなどでした。


実験的・統制的に取り組んできたわけではありませんから、私のやって来たことが、どれだけしゅう太君の書字改善に有効であったのかを、科学的に明確に立証することは出来ません。

しかし、12月時点でのぐにゃぐにゃ文字は、かなり改善され、たまたまかも知れませんが、昨日書いた 「森」 という文字は、なかなかのできばえでありましたので、お母さんとそれを見ながら喜びを分かち合うことができました。

私としては、何とか少しでもお役に立てたのではないかと、ほっとした気持ちです。


それよりも何よりも、毎回90分間、子どもらしく素直に、一所懸命学習に取り組んでくれているしゅう太君の態度が、かわいくてたまりません。

この日は、わずか10分程度ですが、ごほうびの 「電車」 と 「ラジコン」 遊びを、とっても堪能してくれました。

こういうことも、私としては、とってもうれしく思うのです。


確かに苦手なこともありますが、私はこれまでの指導を通して、この子のすばらしい輝きと魅力をいっぱい発見するできました。

私がしゅうた君を大好きになれば、しゅう太君にも、私の気持ちが響かないわけはありません。

関係性はこうした形で育まれ、こうした関係性の中での学習は、当然、子どもの学びのモチベーションを高めて行きます。


これもそれも、結局はご家族が作られたことです。

私はただ、ご家族の気持ちを伺い、私の役割を少しずつ意識し、それを形にしてきただけです。


今月から、重度の困難があるにもかかわらず、養護学校高等部の大輔君が隔週で通ってくれるようになりました。

車いすなので、2階の教室ではなく、バリアフリーの保育室を使っての指導です。

会うのはもう数回目なので、大輔君、私の顔を見るとにっこりと笑ってくれるようになりました。

お母さんの話によると、ここに来ることをとても楽しみにしてくれているようです。

その笑顔を見ると、何とも言えない幸せな気持ちになります。

大輔君は、鉛筆をもつことさえできず、実際にどこまでご家族の期待に添う指導が行えるのか、不安がないといえばウソになります。

でも、私は大輔君がここに来てくれる限り、ご家族と一緒に、精一杯指導に取り組んで行きたいと思うのです。


100%子どもを変えてみせるという自信なんて、どこにもありません。

その日、その日の指導に心を込め、精一杯取り組む事しか私にはできません。

でも、その1日1日の指導の積み重ねで、半年後には子どもが大変身していたという体験は、たくさんあります。

しゅう太君のや花子ちゃんの書字についてもそうです。

太郎君の発語についてもそうです。

友里ちゃんの読字についてもそうです。


軸をぶらさないように、毎回きちんとした姿勢で子どもの指導に向き合いたい。

そのための努力や精査を怠ってはいけない。

愚直に、そして一歩ずつ、私はその山を目指したい。

それは、決して一人で歩むと言うことではなく、子どもとご家族と手を添えて歩む営みであると、私は信じたい。


私は、日々こうして、子どもとご家族と共に歩んでいくことを、何よりも意義あることと感じ、誇りに思っているのです。

すべては、子どもの笑顔と成長のために

私は、そんな自分が大好きです。


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親として子どもに向き合う姿勢とは?

 2009-04-27
私は、ここ1~2ヶ月の間に、多くのご家族のご相談を伺ってまいりました。正確な集計はまだ行っていませんが、もしかしたらこの期間だけで、50件以上の相談を伺ったのではないかと思います。

決して他人事ではなく、お子さんの育ちや学びにかかわる者として、一部ではあってもご家族の皆さんと責任を共有するスタンスで助言をさせていただく、というのが私の相談にかかわる信条です。


私の所に相談に来られる方は、真剣モードのレベル、相当高いところにあります。

ですから、どの方も、自分自身の親としての在り方を、かなり厳しく見つめていらっしゃいます。


> 自分に、親として欠ける部分があるのではないか?

> 我が子に対する理解度が低いのではないか?

> 親として果たすべき役割は何か? 今何をすべきなのか?

> 今、進もうとしている方向に、誤りはないか?


どの方も、お子さんの課題を真っ正面に受け止めて、懸命に取り組まれており、その真摯な姿勢に私はいつも、強く心打たれる気持ちで一杯になります。

これぞ、真の親の姿と、まさに頭の下がる思いになります。

そして、お子さんは、こうした深くそして熱いご家族の気持ちを感じ取ればこそ、自分自身の自立に向けての歩みを続けていくことができているのだと、私の目には映って見えます。


人ひとりが育つマニュアルなんて、どこにもありません。

理論通り、セオリー通りに育つ子なんて、どこにもいません。

理想の家庭、理想の子育ても、それは一部のモデルとしては存在しても、リアルな現実生活の中ではあり得ないと、私は思っています。

人が育つと言うことは、子どもに寄り添い、悩み、迷い、戸惑いながら、百の失敗の中に一つの喜びを見いだしながら、その瞬間その瞬間での判断と、努力をもとにしながら、一つずつ一つずつ、ていねいにていねいに、それを織り込んでいく作業そのものなのではないでしょうか?

お子さんの課題の種別や程度にかかわらず、人が生きること、人が育つと言うことはそういうことなのではないでしょうか?

それは、どの家庭であっても、どの子どもであっても同じ事で、人が人として育つためには、どうしても必要な営みであると考えることはできないでしょうか?


私は、親は親らしく、親にしかできないことを、ご自身の個性と持ち味で、ストレートにお子さんに向き合っていただくことが第一だと考えています。

そこのベースをしっかりとお持ちになった上で、様々な事例や方法を勉強をされ、多くの方のご意見や理論を取り入れて、それを肥やしに吸収されていってほしいと願っています。

くれぐれも、ご自身の土台そのものを、崩されないようにしていただきたいと思っています。

たとえそれがどんなに優れたものであっても、既製品の子育てマニュアルなんて、私はないと考えているのです。


たまには焼肉も、フランス料理も、お寿司も食べたくはなりますが、それはあくまで、たまにの事です。

日々食するものは、ていねいで、まごころのこもった手料理でなければなりません。


お子さんの課題がシビアであった場合に、テクニカルなサポートに頼らざるを得ないこと

わらをもすがる思いで、方法にすがりつかざるを得ないことも、私なりに理解することができます。

それを必要とする現実を、ご家族が受け止めていらっしゃるからです。


私がここでお伝えしたいことは、テクニカルなことはなるべく、信頼できる方や機関ににお任せをする環境を構成して、可能であれば、親は本来のありのままの親としてストレートにお子さんに向き合っていく方向を模索してみませんか、ということです。

これは、これまで何十件というケースに現場でダイレクトに接してきて思うことですが、うまく行っているケースを振り返ると、専門家と家庭のそれぞれの本来の機能がうまく相互にからむ形にする事ができれば、気のせいか子どもの笑顔が一層まぶしく見えるような気になってきます。


親として、真剣で自然な子どもへの向き合い方

テクニカルな機能をもつ学びや育ちの環境の構成

こうした事が、ご家族の目指す方向、求める形になるのではないかと、私は思うのです。


お子さんに合った指導者を見つけて、ご家族として、可能な限り自然な形で、愛情をお子さんに注いでいただきたい。

そのための、オリジナルレシピを、私はご家族の方といっしょに考えて行きたいと考えているのです。


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意思ある所に道は通ず (希望をもって歩む道のり)

 2009-04-24
昨年の12月、いろいろな経過から、私は友里ちゃんの学校に出向き、友里ちゃんの個別指導にたずさわる者として、校長先生と教頭先生にお会いし、いろいろなことをお願いしました。

(その様子については、12/16の記事12/19の記事で紹介させていただいています)


先日、その友里ちゃんのお母さんから、以下のような内容のメールをいただきました。




昨日、家庭訪問がありました。

やはり話してみてもとても感じのよい先生でした。

先生の話では、発表なんかも頑張っているし、勉強だって頑張っている、お手伝いなんかも自主的によくしてくれて、とっても優しくて頑張り屋さんです。と言われていました(ノ∀`)

昨日の家庭訪問で簡単な挨拶のお手紙見たいなものを作りお渡ししました。

内容は簡単な友里の説明と親の想いなど・・・伝えておきたいことを先生が負担に思わない・プレッシャーを感じない程度にちょこっとだけ書いてみました・・・( ´艸`)

そして今日早速先生からこんなお返事のお手紙をいただきました。



「昨日は、お忙しい中時間を作ってくださり、また友里ちゃんについてのお手紙ありがとうございました。
私自身勉強不足でしたので、とてもありがたかったです。
またご両親の友里ちゃんへの想いの深さを感じ、思わず目頭があつくなってしまいました。
これから先、ご迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、精一杯がんばりたいと思います。
また、友里ちゃんの特性のことについても、勉強していきたいと思っていますので、いろいろと教えてください。
友里ちゃんとの素敵な出会いに感謝して」             


お返事をいただけるとは思ってなかったのでびっくりしました・・・それだけのことなのですが(笑)

文面からも先生の温かさが感じられ、なんだか嬉しくて思わずSHINOBU先生にメールしてしまいました。

まだ始まったばかりで・・・浮かれていてはいけないとは思いますが、いいスタートが切れていることが嬉しくて・・・これもSHINOBU先生のアシストのおかげととても感謝しております。





花子ちゃんの所は、今日が家庭訪問。

私は、花子ちゃんの支援級の先生と通常級の先生に 「花子ちゃんの個別指導について」 というお手紙を書かせていただきました。

ご家族の気持ちが、うまく先生方に伝わるとよいのですが・・


たくやママは、来週の月曜日に、校長先生・教頭先生・コーディネーター・通常級・支援級の先生と相談をされに行くようです。


ご家族も、学校の先生も真剣です。

真剣だからこそ、大切な事だからこそ、時にはうまく行かないこともあれば、対立的なってしまう事だってあります。


友里ちゃんの担任の先生、私は、結局は友里ママが引き寄せた先生だと思っています。

太郎君の1年生の時のステキな先生も、お母さんが引き寄せた先生だと感じていました。


私が、小学校に行ったのも、友里ママの熱い気持ちに応えたいと、ただそういう気持ちが私の手足を動かせただけの話です。

秦野市に出張指導に行くようになったのも、堺市に出張指導に行くようになったのも、結局は人と人とのつながり=運命の出会いがそこにあったからに他なりません。


巡る因果の糸車

今歩む道の先が、どこに通じているのかは、誰も知ることはできません。

まるで、暗闇に向けて矢を放つようなものです。

しかし、矢を放たない限りは、決して的を射抜くことはできません。


今、歩む道をたどれば、本当に向かう先にたどり着けるのかどうか?

もしかしたら、反対方向に進んでいるのではないのだろうか?

これほど、苦しくも、不安な瞬間はありません。

信じて歩み続けない限り、決して目指す所に到達することはないからです。


こんな不安をかかえた道のりの中では、何気なく聞いた誰かの一言が、心の中でぐるぐると回り始めて、ぬぐい去ることのできない思いに膨らんでしまうことだってあります。

でも、負けちゃいられません。

すべては、我が子のためですから。

誰に何と言われようとも、生涯お子さんに寄り添うのは、ご家族でしかありません。

誰に何と言われ、どのように思われようとも、それが子どもの幸せと成長につながるものと信じればこそ、前へ前へと進んで行けるわけです。


決して一人では、ありません。 応援はさせていただきます。

しかし、その主体者は、やはりご家族に他なりません。

意思ある所に道は通ず

あなたのその尊い歩みは、決して無駄足には成り得ないのです。

多くのご家族の取り組みが、私にそのことを教えてくれています。


その道は、決して平坦な道ではありません。

だからこそ、今日も笑顔で、前をしっかり向いて、お子さんと一緒に、前へ前へと進んでいきましょう。

その先に、きっと希望という名の道しるべがあるに違いありません。

そう信じて歩んでいきましょう。

希望をもって歩む道そのものに、私たちは 「幸せ」 という名前を付けているのです。


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かれんちゃんの瞳に映る世界の広がり (小さな種をまき、大切に育てるという営み)

 2009-04-23
一昨日は、かれんちゃん (ダウン症・4歳) の、13回目のセラピーでした。

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まずは、この日初めて取り組んだ 「ドキドキアンパンマン」 のようすをご覧下さい。


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かれんちゃんは、あまりこうしたパズル・キャラクター系のものはあまり好きではありませんでした。ですから、私の方から 「これやりなさい」 みたいな感じでドンとテーブルの上に置くと、どこかへ放り投げてしまう可能性が高いのです。


そこで、目の付くところにしばらく置いておいて、かれんちゃんの方から食いつくのをしばらく待っていましたが、この日は、自分でこれをテーブルの上に持ってきてくれました。

アンパンマンの教材は、いろいろと作っていますからね。 これに食いついてくれると、私としては非常にやりやすいのです。


かれんちゃん、アンパンマンのスティックを、上下逆さまにしたり、左右反対にしたりして、なかなか思うように刺さりません。

こういう時私は、手を添えて、うまくいくようにアシストします。 

自分で選んでここへ持ってきたわけですから、とてもモチベーションが高いのです。 支援を加えてでも達成感をもたせ、できるようになる寸前で、わたしの支援を無くしていく、プロンプトフェイデング法でいいわけです。

かれんちゃん、何とかアンパンマンといい出会いができたようです。


本当は、この日はこれで十分なのですが、ついつい欲張って、試しにアンパンマンカードをかれんちゃんに提示してみました。

ここで欲張りすぎると、かれんちゃんには 「やらされた感」 が残ってしまいますから、この日は予備刺激で十分というつもりで、見せておくだけにしようと、考えていました。


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事前にドキドキアンパンマンをやっていたせいか、私が期待していたより、ずっとずっと手応えを感じました。  まだまだ完全とは言えませんが、マッチングみたいな活動にも、楽しく取り組んでくれました。

以前、あきなちゃん (ダウン症・5歳) の指導の時、なかなかカード系の入りが悪く、まずは実物のくだもののレプリカから入り、たっぷりとお買い物ごっこを楽しんでみましたが、それ以後、面白いようにパズルやカードに活動が発展していった体験があります。

かれんちゃんは、カードなどの平面認知より、実物などの空間認知が、今は得意なようです。

ならば、得意なことをメインに、苦手なことをちょっとミックスしていく二系統同時刺激でよいのではないかと考えました。


平面認知にかかわることと、空間認知に関わることでは、脳の機能局在が違うようです。

まだまだ未分化な子どもですから、そのネットワークはこれからどんどんと構成されていくわけです。

その構成の手順やルートは、画一的なものでなくても、その子らしいやり方でよいのではないかと私は考えています。

苦手なカードを何度も何度も繰り返しモチベーションを下げるくらいなら、得意なレプリカで、どんどん学習を進めていき、あっちこっちにシナップスやニューロンのひげを伸ばしておいて、その子にあったネットワークを構成するのを待てばよいのではないでしょうか?

ただぼーっとして待つのではなく、畑を耕し、種をまき、水を与えて待つわけです。



実は、今日のメインに考えていた活動は、野菜・くだもののレプリカを使ったお買い物ごっこ (野菜・くだものの仲間分け) でした。 (↓下の画像)

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この日は、すっかりアンパンマンに食われた格好ですが、お買い物ごっこも、なかなかどうして楽しい活動でした。

どうです、このレプリカの野菜とくだもの  画面では本物に見えませんか?

100円ショップダイソー岡山中央店に1個~2個100円で売っています。 こういうものが、100円ショップで購入できるなんて、本当によい時代になったものです。

それぞれ10個ずつ購入しましたので、将来、数の学習にも使えます。

かれんちゃんが、これを1個2個と数え、仲間わけをし、お金を払う日を今から楽しみにしています。



「まかぬ種は生えぬ」

この日にも、ちっちゃいですけど、大切な種をまた一つまいておきました。

育てるというのは、こういう事なのかも知れませんね。


願いを持ち、工夫して、だけども無理して引っ張っちゃあいけません。

お子さんの心に芽生えた小さな可能性

大切に大切に育てていきましょう


お母さんの深い愛情が、やがて花を咲かせ、実を結ぶ日も、きっといつかやってくるはずです。

それはきっと、世界に一つだけの花で、誰と比べるものでもないはずです。

土の中は見えないですから、毎日水をやるのも大変です。

芽を出すと信じていないと、出来ないことです。

すべては、種をまくことからスタートするのです。


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※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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意図的構成された 豊かな教育空間を (問題行動はその子だけのせいではない)

 2009-04-21
下の画像は、昨日の太郎君 (仮名=小2) の指導場面のものです。

太郎君は、1年生の2学期、学習内容がが少しハードになったこともあって、私の個別指導の時に、クラスメイトののりかちゃん (仮名=小2)と、いっしょに勉強してもらうようにしました。

2名とはいえ、私が構成した 意図的な教育集団です。

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のりかちゃんは、学校の先生になるのが夢で、この日も 「ふきのとう」 の音読の時に、句点や読点の時に手をたたいて、間を開けることを太郎君に上手に教えてくれていました。

のりかちゃんが来てくれるようになり、太郎君のモチベーションはうんと向上していきました。

この日の学校の宿題では、「週」 という漢字の学習もありましたが、こうした画数の多い時も、とても上手に書けるようになってきました。

お楽しみの工作の時には、学童保育の3年生の子も飛び入りで、とても楽しく活動に取り組みました。

ここには、昨年の夏、突発的・衝動的な問題行動が表面化し、この教室にうずくまって固まり、涙を落とした太郎君の姿はどこにも見あたりませんでした。




「リアルな子ども集団」 「生きた子ども集団」 と大人は一口に言いますが、子ども集団には、教育的に構成された (モラルの存在する) 集団と、そうでない、残酷な子ども集団 (烏合の衆) との2種類が存在します。

以前、誰かが嘔吐したら、何も言わず数人がぞうきんをもってさっと集まるクラスのことを紹介しました。 

そのクラスでは、修学旅行の時、出発前に、宿の清掃を子どもたちが自主的に(勝手に?)していました。 登校中、歩道橋の下の自転車が将棋倒しになっていたのを見たとき、数人の子で一台ずつそれを直していたのを見かけたことがあります。自分の事よりも、まずみんなのことを大切にする尊さと喜びを、多くの子が体験的に感じ取っていました。

こんな集団もあります。


しかし、このような天使のような子ども集団もあれば、いじめや学級崩壊に代表されるような、大人の想像をはるかに超えた残酷で、悲惨な子ども集団にも何度も遭遇してきました。

モラルの崩壊した子ども集団ほど、残酷で悲惨なものはありません。

集団心理がそこに働き、個々の子どもの人間らしい感情のコントロールが崩壊。 考える力そのものを失っていますから、特定の個人の人格を否定・崩壊するようなベクトルがそのに働き始めます。


天使のような子ども集団では、個々の問題行動は、当然顕在化しなくなります。 逆に、その逆の集団では、そこだけが取り立ててクローズアップされてしまう可能性が高くなります。

すばらしい指導性をもった先生のクラスでは起きなかった問題行動が、そうでない先生のクラスでは、とたんに表面化して、それがすべてその子の問題として突きつけられてしまうこともあります。

つまり、問題行動というのは、個々の子どものもつパーソナルな部分だけではなくて、関係性の中で存在する部分が大きいということです。


リアルな子ども集団の中で、生きていく力を我が子に身につけさせたい。

親なら、誰しもが願う自然な気持ちです。

しかし、時として子ども集団は残酷です。 これ以上ないというくらい残酷な場合もあるのです。 子ども集団=純真で素直、という甘いイメージだけで、とらえると、思わぬエアポケットに吸い込まれます。

それに比べれば、まともな一般社会であれば、まだまだ課題点も多いとはいえ、そこには多くの方のご尽力により、長い時間をかけて構成された人権感覚・人権意識が存在しています。

心ない、残酷な、子どもの発言や行動といったミサイルを、毎度毎度まともに食らってしまうのは、いかがなものでしょうか?


我が子をとりまく子ども集団は、親としてちゃんと見つめておきましょう。

それが我が子を育てるのにふさわしい集団かどうかの見極めは、きちんとしておきましょう。

リアルな子ども集団の中で生き抜く力を付けることは大切ですが、それで子どもの心が痛んでしまっては、プラスどころか、取り返しの付かない傷を残してしまくことだってあります。


私の教室に通ってきてくれている子どもの中には、私立の小学校に通い、有名私立中学の受験を目指している子もいます。

ここでは、みんなが受験という共通の方向を見つめているので、あまり相互に余計なことで子どもの心を痛めない不思議な公平さが存在し、ある意味子どもにとって居心地のよい集団です。

私は、子どもの環境を構成することこそ、親の大切な役割だと考えています。


我が子自身の問題なのか、所属する集団の問題なのか、相互の関係性の問題なのか、何を育てていくことが大切で、今はどうすべきなのか。

そこをちゃんととらえておくことも、時には大切な事だと、私は考えているのです。


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教育とは、子どもの可能性を信じ続ける営み

 2009-04-20
私は以前、情緒障害児短期治療施設というところに勤務していました。

そこでは、学校教育部門・心理治療部門・生活指導部門の3つがあり、相互に連携し合って、子どもの指導・治療・処遇の方針を決めていきます。

毎週ケース会議というものが行われていましたが、あるとき、きよし君(=仮名・当時5年)の原籍校復帰についての話し合いが行われました。


きよし君との出会いは強烈でした。

学校教育の場面でも、まず視線を合わさない、表情はキツイ、口数は極端に少ない、それでいて突然にイスをけったり、時には机をひっくりがえすこともありました。

理由を聞いたり、諭したりしようとしても、何も言わずただ横を向いている・・

そんな日々がしばらく続いていました。


私はこういう子の力になりたい、というのが教員をめざした動機そのものでした。 何かと友達とのトラブルが多く大変でしたし、プレッシャーも普通ではありませんでしたが、心の中には逃げる気持ちはみじんもありませんでした。


> 口先ではなく、まなざしで子どもに伝えよう。

> 不適応行動は、その子の成長への欲求・行動改善の願いであると、最後の最後まで信じよう。

> その気持ちが本物であると、どんなときにもきちんとした姿勢で子どもに向き合おう。

> 子どものどんな強烈なお試し行動にも、その心の糸だけは決して切らないでいよう。


これが私の、当時の教育方針でした。

それ以外に、特別に何をどうしたという記憶は残っていません。

数ヶ月後、きよし君の顔には、出会いの頃からは想像もつかないほどの笑顔がみられるようになりました。

5年生の彼は、「算数をちゃんと勉強したい」 と言うようになり、体験学習・算数的活動を取り入れた学習を彼のニーズ似合わせて、低学年の内容のものから順に構成し、彼は真綿に水が吸い込まれるように学習を取り戻していきました。

よく考えたら、これは今私が教室で行っていることと、本質は何も変わりません。 (今では、その理論的な裏付けが厚くなり、ご家族にきちんと説明できるようにはなりましたが・・)

そして、さらに何ヶ月か立った後、彼は私に 「先生、オレ元の学校に帰りたい」 という日がやってきたのです。


私は、学校教育場面での彼の成長の様子を、ケース会議で心を込めてお伝えをしたつもりです。

当時は今よりも血気盛んな頃でしたから、何とか彼の願いを叶えてやりたいと、相当な勢いで話したことだと思います。

当然ながら、ケース会議では、慎重派の先生も多く、すぐに原籍校復帰ということにはなりませんでした。

しかし、私が予想していた以上に早く、試験登校の決定がされ、やがて彼は原籍校に復帰していきました。

彼は、笑顔で施設を後にしました。

そして私も、任期を終え、もとの通常の小学校へ帰る日がやってきました。


通常の小学校の学級担任に復帰して数ヶ月経ったある日、私は突然校長室に呼び出されました。

校長室に呼び出されるような心当たりは何もなかったので、不思議な気持ちで扉を開くと、何とそこには、あのきよし君がお母さんと一緒に座っているではありませんか?


> おれ、がんばっとるけえ~

> 先生に、算数教えてもらったけえ~

> それだけ、言いたかった・・


もともと口数の少ないきよし君でしたから、この言葉がどんなに私の胸に響いたことでしょう

わざわざ、この学校を探して来るような子じゃないはずなのに・・

子どもを信じて本当によかった

私は、あふれる涙をこられきれることが出来ませんでした。


この体験は、私にとって生涯忘れることの出来ない大切な宝物となって、しっかりと私の心に根付いているのです。

これが、私の教育者としてのストーリーであり、そのストーリーの延長線上で、私は今の活動を行っているということです。

何があっても決してぬぐい去ることの出来ない、私自身の教育者としての、ひとつの原風景となっているのです。


最近、私の教室に通ってくれるようになった子がたくさんいます。

初回の指導では、なかなか着席できない子もいます。

玄関先のマットに寝そべって、次から次へとスリッパを投げた子もいます。

突然、離席し、階段を駆け下りて、両親の車を探し始めた子もいます。

突然、私の目の前で、ガラスのアートフラワーを手に持ち、それをそのまま床に落とした子もいます。(幸い、それは強化プラスチック製で、割れないものだということも判明しました=苦笑)


30分間、スリッパを投げ続けた子は、1時間後には私の指示を受け入れるようになり、指導が終わった時には、笑顔で握手をして帰ることができました。

細いけれども、1本線がつながりました。


心を開くまでの期間が長い子ほど、そのつながりがやがて強く、そして深くなることは、何より、きよし君の体験から、私の心にはしみついてしまっているのです。

こうした空間は、ある意味修羅場です。

でも、私は目をそらしません。


きよし君は、きっともうすっかりおじさんになっている年頃です。

今、どこで何をしているのかは、知りません。

でも、彼と過ごした体験は、今も私の心の中ではしっかりと息づいています。


スリッパを投げた子や、アートフラワーを落とした子が、やがてここを卒業した後も、「がんばってる姿を先生に見せに来た」  と言って、また私の所へ来てくれる日を、私は今から楽しみにしています。

私はずっとこの場所で、彼たちを待ち続ける存在で居続けたい。

私の教室には、転勤も定年もありませんから、ずっとずっとこの子達が帰って来られる場所で居続けたい。

まだ1回来ただけの子もいるのに、また私の勝手な妄想が始まってしましました (笑)


子どもの不適応行動は、子どもの成長の欲求の裏返しです。

そう言えば、初回・2回と着席できなかった子の3回目の指導の時、彼は私のひざに体をすりよせ、手を握ってきました。 (小学校、中学年の男子です)

ずっと心を込めて向き合ってきて、本当に良かったと思いました。

この子達の心を裏切らないようにするためにも、どんなことがあっても、どんな子にもいつも熱い心で、そしてやさしいまなざしで、向かい合っていかなければなりません。

言語は、コミュニケートの単なる手段

伝えていくのは、気持ちそのもの、心そのもの

問われているのは、その信念の深さと広さ、そしてその愛情のクオリティです。


私は、ご家族の方がここに大切なお子さんを連れて来てくださる限り、いつも変わらぬ姿勢で、いつも笑顔で、真剣に子どもと向き合って行く自分であり続けたいと願っています。


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心の芯から子どもに寄り添うこと (親と指導者の機能分担)

 2009-04-17
たくや君 (小4) が、新しいステージに突入したような気がします。

たくや君は昨年の11月から、隔週で90分の勉強を一緒にしてきました。

初めてこの教室に通い始めた頃は、手にしっかりハンカチをもって、片時もそれを離しませんでした。

このハンカチで、デリケートな感情のコントロールを行っていたのです。

しかし、ここでの活動が夢中になるにしたがい、だんだんとそのハンカチは、たくや君の手から遠ざかっていきました。


ついに先日、たくや君はハンカチを持たずにこの教室にやってきました。

他の子の場合は、その日のメニューを全部やりきったご褒美 (強化子) として、工作をしたり、ブロックをしたり、電車のカードで遊んだり、ラジコンをしたり、パソコンをしたりするのですが、たくや君の場合は、まず来たら、たくや君の好きな活動をイントロゲームとして先にやらせてきました。

まず心を解放して、エンジン温めてから勉強です。

たくや君の場合、時間の約束はきっちり守りますから、この方がその後の学習が、ぐっともりあがってきます。

最近は、ベイブレードにはまっていて、実況中継はするわ、新しいルールは考えるわ、以前のたくや君とは別人のように活発になってきました。


よし、じゃあ勉強しようか~ と、投げかけると、さっさとベイブレードを片付け、すぐに学習に集中することができます。

漢字に映像を組み合わせたカードなど、ここで取り組んだ学習方法は、すぐにお母さんが吸収し、家庭学習でも取り組んでくださいます。

> 学習内容そのものよりも、まずは心の育ちを優先してください

そんなお母さんのご希望でしたから、学習内容の発展には、かなり慎重に構えていますが、もう次のステージに向けて GO サインを出してもよい時期になったのではないかと感じています。


たくやママは先日、仕事がお休みの日に、私の教室に来て教材づくりを手伝ってくれました。

私が学習面の一部を分担させていただくことにより、お母さんの心に少しゆとりが生まれてきたのではないかと思います。

もちろん、こういうお母さんですから、子どもへの愛情の深さには何ら変わりはありません。

家族には、家族にしかできない子どもへの接し方があります。

親にしかできない役割があります。

それは、ありのままの自分であり、ありのままの子どもを受け入れ、自分の気持ちに正直に生きることです。


私はこの1年間で50組以上のご家族の相談を承ってきましたが、「自分のおなかを痛めた子」 という母の思いの強さを、毎回感じてきました。

> 全部自分のせいだと、何度も何度も、自分自身を責めたのではありませんか?

そう伝えると、多くの方が私の前で、大粒の涙をこぼしました。


私が何とかしなければ、そういう強い思いが根元にあることを、私はその都度、感じてきました。


私は、家庭では、セラピストや教育評論家のような親であってはダメだと思っています。

まずは、まっさらの、ありのままのお母さん自身でいてほしと願っています。

そこをきっちり固めておいた上で、色々と勉強されたことを生かしていただきたいと思っています。

そのお子さんの課題の大きさによって違うとは思いますが、本来の自分の姿を変えてまで、特定の方法に傾斜してしまうことは、本当にそれが子どもの最善の利益につながるかどうかの精査が必要だと思っているのです。


私は、たくや君のお母さんの願いを受けて、いつも同じ姿勢で、最もたくや君を理解している 「指導者」 として、たくや君に寄り添っていこうと思っています。

私がきちんとした 「指導者」 でいられるから、お母さんは本来の 「母」 として接することが大切だと思うのです。

「あ~、また言い過ぎちゃった。 う~ん、落ち込み・・ なかなか本や講演会のように行かないものね~」

私は、こんなお母さんの方が魅力的だと思います。


勉強はしてください、向上もしてください、努力も怠らないでください

でも、笑顔の自分を忘れないでくださいよ

すべては、それがあってこそ、意味のあるものになるのですから


子どもにあう指導者を見つけるのも、親の大切な役割の一つです。

それは、担任の先生であったり、音楽教室の先生であったり、公文の先生であったり、スポ小の指導員だったりします。

その先生に任せる所は任せて、家では本来の笑顔のお母さんでいてください。


すばらしい指導者は、きっとどこかにいます。 いなけりゃ育てる、です。 (私なんか、育てられている典型です)

でも、家族は、子どもにとってかけがえのない大切なものです。

私が何とかしなければ、そんな思いがとかく強くなりすぎて、時には大切なことを見つめ直すことも、必要な時期がやってきます。

みんなそうです。 その繰り返しです。


やるときはやらなければなりませんが、時には振り返って見ることも大切です。

何よりも、本当の自分らしさと笑顔を見つめ直してもらいたいと思います。

そんなことが、子どもの元気につながることだってあると思うのです。

子どもを真ん中に置いて、うまく連携できる方とのつながりを、しっかりとイメージしておきましょう。


そのイメージをしっかりと作っている人には、ある日突然、道の向こうから、手を振りながら笑顔でやってくる指導者と巡り会えると、私は思っているのです。

運命は、結局は自分が引き寄せるものなのです。


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子どもの発達のストーリーに寄り添うこと

 2009-04-15
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昨日は、かれんちゃ(ダウン症・4歳) の12回目のセラピーでした。

先週は、お母さんのお仕事の都合で、セラピーはお休みでしたので、2週間ぶりの登場です。

その間、私は、岡山のビックカメラで、外国製の認知系おもちゃを大量購入しました。

その一つが、Fisher Price というメーカーのおもちゃですが、人形の頭の所にボールを入れて、レバーを押すと下からボールが出てくる、ただそれだけのおもちゃです。

でも、ボールの色・重さ・模様・レバーを押したときの効果音と、光やランプの付き具合は秀逸です。(↑上の画像)

大人がパチンコ中毒になるのも、大当たりをしたときの光と音が、脳に強烈な快刺激を与えている事が大きな要因であると指摘する方も多いようです。

ましてや子どもです。 こうした感覚刺激ももつ意味は、私たちが思っているよりも、ずっと大きいのではないかと思います。


kimikoさんのように手作りでおもちゃができれば最高なのですが、そういう能力がないので、私にとって、おもちゃ選びは重要な作業です。

最近は、その確率もかなり向上し、このおもちゃは彼、この本は彼女がよろこぶだろうな~、と見た瞬間にわかるようになりました。

私の部屋には、電車・昆虫・恐竜の本やグッズ、かなり豊富にそろっています。

うれしいですね、新しいグッズが入ると、本当にみんな喜んでくれます。 うちの教室の子は、間口はせまいけど、奥が深い子が多いので、ツボをつかんでいると、神様のように私を慕ってくれます (笑)

先日、たくやママが大阪のポケモンセンターで買ってきてくれたポケモンシールなど、どれだけ子どもの心を引きつけたことでしょう! 子ども達の学習のモチベーションを確実に向上させています。

こうした部分での子どもの特性理解も、主体的な学びを構成していくための大切なエレメントだと私は思っているです。


さて、今回イントロゲームで用意したこのおもちゃ

かれんちゃんの心で、爆発的にヒットしました。

ぜったいイケルとは思っていましたが、ここまでとは思いませんでした。

これ、外国メーカーのおもちゃですが、たぶん相当認知の事を勉強しているメーカーです。 これ以外にもこのメーカーのおもちゃを数点買いましたが、どれもクリーンヒットです。

他の種類もいろいろありましたが、まずは様子見で、数点のみの購入でしたが、この信頼度なら、売り切れないうちにもう一度ビックカメラにいかなければなりません。


まずは、どれだけこのおもちゃがかれんちゃんの心をつかんだか、画像を通して感じてください。


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イントロゲームのつもりで購入したのですが、これほどまで喜んでくれるとは思いませんでした。

これ、かれんちゃんの今、を感じているからこそ、つかんだビッグヒットです。


個別指導をしていると、たとえばダウン症の子に共通する特性があることはよくわかります。

しかし、ダウン症だからと言って、すべての子が同じ発達の過程を通るとは限りません。

視覚優位の子だからといって、処理の仕方が同時処理であるとは限りません。

書字が苦手だからといって、読解が苦手だとは限りません。

その子はその子であって、その子以外の何者でもないのです。


どんな子にも、その子特有の発達のストーリーがあるわけです。

かれんちゃんの場合、こうした認知系の感覚が、この部分での最近接領域です。

しかし、生活場面での空間認知能力は抜群で、お買い物やお手伝いは大好きです。

ならばどうするか?

短所矯正で苦手のカード学習をさせるか? 

それとも、長所活用で、ごっこ遊びを中心とした生活場面での体験的学習を構成し、スモールステップで平面認知の階段を登らせるか?


出来ないことを出来るようにさせたい

親なら当然の思いです。

その部分は、遠慮せずに、しっかりとお子さんに向き合ってください。

ある意味親は、短所矯正であってよいのだと思います。


しかし、家であまりしゃかりきにやりすぎると、最後には子どもとケンカになって、結果としてモチベーションを下げることになりかねません。

そこは、じょうずに先生に任せましょう。


長所活用型指導は、ある意味プロにしかできない指導なのかも知れません。

私もご家族も、子どもにかける真剣度はいつもMAXですが、その真剣度の質は、決定的に違うのものだと感じています。

かれんママが、わたしにかれんちゃんを預けてくださる理由の一つがそこにあります。

指導者の代わりは探せば山ほどいますし、指導が合わなければ止めればいいわけです。

でも、親の代わりはどこにもいません。

家庭では、何よりもありのままの親であり、子どもでいてほしいと願います。


母には、母にしかできない役割を

そして私は、ご家族の願いを受けて、私にしかできないことをさせていただこうと思います。

私は、ほめてほめて子どもを伸ばそうと考えています。

週に1度、この環境ならそれができるのです。


私もかれんちゃんも、毎週火曜日が楽しみになるような、そんな時間にしたいのです。

どんな子にも、成長や学びの欲求があります。

その子どもの夢や願いを叶える時間が、私たちの時間であるのです。


こうした時間を仕組んだのは、実は私ではなく、ご家族の皆さんです。

胸元をえぐる剛速球よりも、時にはゆるいカーブも有効です。

お母さんの深い愛情が、私に自然に、こうしたおもちゃを選ばせてくれているのです。


※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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子どもを信じ続ける 希望という名の営み

 2009-04-13
新学期から、友里ちゃん (小5) の指導日が、木曜日から金曜日に変わりました。

夜の7時から8時半までの指導ですが、友里ちゃんの学びの意欲にみじんの衰えもなく、まさにこの子のパワー恐るべしと言ったところです。


昨年の初夏、私の携帯に一本の着信がありました。

このブログからの初めての指導のお申し込みでした。

その時のうれしさと言ったらありませんでした。

そのお母さんが、友里ママでした。


> 表面的なものではなく、地に足のついた、生活の場面に生きる本物の学力を・・

> 特に、文章を読んで理解する力を育てて欲しい

それが当初から一貫した友里ママの願いでした。


何の実績もない私に、友里ママは、夏休み週4時間の指導を依頼してくださいました。

今から思うと、この友里ちゃんとの指導のあゆみが、今私の指導の柱となっている 「長所活用型・スモールステップ・オーダーメイド指導」 の原型そのものになったわけです。

この頃の生徒は、太郎君・花子ちゃん・友里ちゃんの3人だけでしたから、毎日県立図書館で10冊の本を借り、ありとあらゆる指導法を参考にしながら、自分のスタイルを構成していきました。


そうした中で、私には信念にも似た確かなものの芽生えを感じていました。

それは、
「子どもの心の中にある学びの欲求を信じ切れるかどうかが、教育者としての自分自身の力量そのものである」

という考えです。


夏に太郎君の衝動性の課題に取り組んだとき、「私にはこの子の指導は無理かも知れない・・」 とお母さんに漏らした時があります。

その時、太郎君のお母さんは、「先生、弱音を吐かないでください。太郎がどれほど先生を慕っているか、その気持ちを知っているのですか」 と、私を励ましてくださいました。

この時の衝撃は、生涯忘れません。

子どもを信じる力こそが、何よりの教育者としての力量なんだと、私はその時のお母さんの言葉からはっきりと感じ取ることができました。


当時、友里ちゃんは、文章を一文字一文字読むいわゆる 「逐次読み」 の状態でした。

そこで私は、文節ごとの聴覚刺激を補助にして、視覚性の刺激をミックスして取り組む 「二系統同時刺激」の方法で、友里ちゃんと一緒に歩んでいきました。

私なりの手応えはありましたが、絶対的な自信があったというわけでもありません。

しかし、これだけの前向きな姿勢がキープ出来ている以上、この子の可能性を信じていこう

そういう気持ちが強くなり、その分それを具現化していくための、臨床場面での細かい指導の支えを毎回毎回工夫していきました。

この子の前向きな気持ちが、私の研究の最大のエネルギーになっていったのです。

私と友里ちゃんは、だんだんとそういう関係になっていったのです。


先月から、友里ちゃんは、ミステリーですが、200ページ以上もある長編の読み物に親しむようになりました。

私もお母さんも、うれしくてうれしくて、夢なら醒めないでくれというように、妙に慎重になっっている不思議な感覚に包まれています。

読解力向上の小さな芽が、やっと顔をのぞけてくれたように思っています。


> わずか半年で、ここまでしてくださり、ありがとうございました


先週の指導の最後に、友里ママはそう私に伝えてくださいました。

その時私は、正直、誰にもいないところに行って、思いっきり・思いっきり、泣きたいような気持ちになりました。帰りの車の中でも何度も何度も、涙がにじむのをこらえることが出来ませんでした。


交通渋滞の中の毎回の送り迎え

どれだけの時間を、この日のために費やしてくださったことでしょう

決して安くはない指導料の負担

そして、母という特別な思いの中、このこの将来に対して、どれだけ心を砕いて取り組んで来られたことでしょう


ほんのわずかだけれど、何かをお返しすることができた・・

そう思うと元気も百倍になってきました。


先が見えないことは、本当に苦しいことです。

しかし、そこで投げ出すか、最後まで信じることが出来るか

運命の分かれ道は、きっとここにあります。


子どもの可能性、学びの欲求を信じるからこそ、努力もかみあっていくわけです。

不安な気持ち、迷う気持ちがあって当然です

それだけ大切なことに取り組んでいるのですから、それは当然のことです。


泣きたいときは、思いっきり泣いてみてください。

そして、涙がかわいたら、お子さんの目を見て、もう一度、一歩だけ進んでみてください。

そのあゆみをとめない限り、きっと新しい何かが見えてきます。

その何かを、私たちは 「希望」 という名を付けて、心の支えにしていくのです。


私だってそうなのです。

決して苦しいのは、自分だけではありませんよ。

心が折れそうになったその時は、ぜひとも私の所にきてください。

希望をみつける営みを、私たちと一緒に進めていきませんか?


希望というのはきっと、子どもを信じて前へ進んでいく営みそのものなのではないでしょうか? 

「それを信じてますオーラ」 は、あなたのお子さんに伝わり、きっと何かを変えていくはずです。


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子どもが私を超えていく日

 2009-04-10
みなさんは、「平行」 の反対言葉 (対義語) が、何だかご存知ですか?

私、垂直だと思っていましたが、どうやらこれは 「交差」 らしいです。


昨日は、特別支援学校高等部の入学を直前に控えたまさと君(高1)と、こうした対義語とじゅく語の学習をしました。

「集中」 の反対は、「分散」、「円満」の反対は、「不和」・・・・・・


漢字をそのまま書いたり、読んだりすることはできても、きっとまさと君は、対義語などでは相当苦労するのではないかと思い、事前につまずいた時の支援(プロンプト)を、たくさん用意しておきました。

ところが、ところが、私の予想は見事にはずれて、こうした対義語の半数以上 (60~70%) は、まさと君、自力で解決していきました。

私、感動で少し興奮ぎみになってしまいたした。


こういうリアルな感動は、必ずまさと君に伝わりますね。 言葉でこそ表現しませんが、その横顔が私には誇らしげに表情に見えました。


英語の方では、この日のテーマの一つに 「数を数える」 というのがあって、これ、私も苦手でリーディングにつまったせいもあって、思うようには進みませんでした。

まさと君、先週と同じで、すかさず 「問題がむずかしくなったら、ここ止める」 と言い出しました。

まさと君の 「ここやめる」 は、「先生、スモールステップでちゃんと学習を構成してよね~ 先生、教材研究、しっかりしてよ~」 という風に、私には聞こえるので、「うん、いいよ」 と答えておきました。


ご両親の話によると、まさと君、私の教室に来るために、生活のリズムを整えているのだそうです。

まさと君の学習時間は、木曜日の18時~19時半までなのですが、高等部は木曜日には少し早く帰宅できる日ということがわかり、まさと君はホッと胸をなで下ろしたということを、ご両親が伝えてくださいました。


まさと君は、自力解決できなかった問題は、赤ペンできっちり修正しています。 これまでに、もう何十ページも、こうしたチェックを済ませたプリントが保存されています。

全部の問題をやり終えたら、きっとこの赤ペンの漢字を征服していくに違いありません。

どうやって征服させていくか、そこのイメージは、私はとっくに構成しています。

(小学校で1・2年の担任でしたから、それはお互いに見えているのです。 だから安心してまさと君は、前に進んでいるのです。)

きっと、近いうちに漢検7級はクリアし、検定書が彼の手元に届くでしょう。


まさと君も、間口は狭いですが、奥行きは深いタイプの子どもです。

私も漢字は得意な方なので、今のレベルなら、とっさの質問にも即座に対応できますが、1年後となると、ちょっと怪しくなってきました。

7級で、自力学習のスキルを完全に身につけ、週1度の指導を毎回欠かさず続けることが出来たなら、彼はどんどん前へ前へと進んでいくに違いない。

この力なら、漢字で彼が私を超える日も、そう遠い日ではないと、この日の指導を通して、私は感じたのでありました。


指導後のご両親との話の中で、次のような事をお伝えせていただきました。


> 今は、霧の中でわずかに光が差し込んできたような感じではないでしょうか?

> でも、この霧は、もしかしたら、もうちょっとで抜け出せるのではないかという気になってきました。

> この霧が晴れたなら、きっと目の前に広がる景色は、ずいぶん違ったものに見えるのではないでしょうか?

> その先、どこまで行けるか、断言はできません。

> でも、私は教育者ですから、そこを信じて前へ進んでいきます。

> また、景気のいいことばかり言って・・・ そんな風にとられたとしても、それは結構ですが、正直、私の中では、その可能性と夢が、どんどん膨らんでいます。

> それが、仮に現実にならなくても、希望をもって取り組む営み自体が、彼の成長や心の安定に重要な意味をもつようになると考えています。

> 私が心の芯で思っていることは、必ず彼に伝わります。

> もうすでに、彼の目は変わってきています。


中学校で、登校しづらい状況にあった彼が、うまく高校のスタートを切れるかどうか?

来週1週間は、注目です。

ここを乗り切れば、うんとはずみがつきます。

祈るような気持ちで、私は彼が来週の木曜日にここに来てくれる日を待ち続けるのです。

まさ君、がんばれ!

考えただけで、涙がこぼれそうになります。


学びたいからこそ、心を痛めている子はたくさんいます。

まさ君は、ここを乗りこえ、後に続く子の希望の星となって輝いてほしい。


来週の木曜日、どんな足音で、彼が階段を登りこの教室にやってくるか?

私は、息をのんで待ち続けるのです。



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小さなさざなみを やがてはビックウエーブに

 2009-04-09
「教員は現場で育つ」 という言葉があります。

色々な場面で、その方の都合で、さまざまな意味に使われるので、私はあまり好きな言葉ではありませんが、一面真実をえぐった言葉だと思っています。


私はこの1年で、50人を超える子どもたちの発達の課題に、真剣に向かい合ってきました。

この臨床経験が、未熟な私の技能をどれだけ押し上げたか、本当にありがたいことだと感謝しています。

昨日も、新しく3名の子どもたちの個別指導に実際にかかわりました。

そのうちの一人のお母さんから、次のような内容のメールをいただきました。





今日はご指導頂きありがとうございました。

「楽しかったなあ。明日もあるの?次はいつ行けるの?」とすっかり気に入った様子でした。

今まで出来て当たり前としか思ってもらえなかった事を、たくさん誉めてもらえてすごく満足そうな顔をしていました。

今まで学習のごほうびはおやつや怪獣遊びだったのですが、学習そのものがごほうびになるなんて夢のようです!健常児の親でもこんな喜びは味わえないですよ、ふふふっ…f^_^;

算数の問題もあの量をあんなに集中して取り組む姿は意外でした。

普段宿題は今日の半分位の量ですが、なかなか進まないのです。簡単に解ける問題であっても…です。

漢字の読み方もかなりいい線いってましたねえ。いつの間にこんな読み方覚えたんだろうと驚きの連続でした。漢字が好きなことはわかっていましたが、どう伸ばしてやればいいのかがずっとわかりませんでした。

漢検も、失敗を恐れてやりたがらないのではと踏み出せずにいました。でも、先生が一緒だったら挑戦出来るかも知れないと思えました。

ありがとうございます。よろしくお願いします。次回を楽しみにしてます。






私、このお子さんのようなタイプのお子さん、実は大好きです。

せまいツボの在処を知っていますから、そこを押すと、面白いように子どもの脳がピクピク反応していくのがわかります。

これは、WISC-Ⅲのプロフィールを見ても、絶対にわかりません。

事前にいただいていた、この子の各種検査は、何度も目を通してました。

でも、その時には、パソコン学習のことは思ってもみませんでした。


この子と会うのはこの日が初めてでした。

部屋に入るなり機関銃のようにしゃべり始めた彼の様子と、その話す内容を聞いて、すぐさま私は事前に用意していたプリント類をさせることを止めて、パソコンの漢字学習へと切り替えたのでした。


新2年生の彼でしたが、学習した漢字の音訓読み替えの学習を、小さな言葉の支援だけで、次々とクリアしていきました。

私がこれまで指導してきた子の中で、これにスラスラと取り組めたのは、この子ただ1人でした。

約束の1時間が過ぎても、一向に止めようという気配は見られません。

私も彼も、そしてお母さんにとっても、本当に楽しい1時間でした。


用意していたプリントをぱっと捨て、パソコン学習にすぐに切り替えることができたのも、これまでの数多くの子どもたちとの、真剣勝負のおかげです。

準備や計画は出来る限り綿密に

しかし一旦子どもと向き合ったら、教材よりも何よりも、子どもの目を見て指導にあたること

これぞ臨床家の鉄則です。

こういうタイプのお子さんは、初回の出会いが、その後の展開に強烈な影響を与えます。

方法にとらわれすぎて、子どもの目を見なくなり、何をやってるのかわかならくなった経験はありませんか?  私なんか、しょっちゅうです(笑)

こういう事も、ご家族の方に学んでいただきたいことの一つなのかも知れません。


今日は、この子の心の中に、小さな小さなさざなみを、起こすことが出来たのではないかと思います。

一緒に学んでいて楽しいと感じることができる空間、そして時間。

この意義は、深いものがあると私は感じています。

根拠も、エビデンスもありません。

私の感じている経験則です。


教育は、リアルな、子どもをとりまく実社会の中で行われる営みです。

将来、子どもたちが生きていくのも、リアルな現実社会であるはずです。

その子どもの今、その時に寄り添うこと。

結局は、そこが大切なわけです。


たとえ今は小さくとも、そのちいさなさざ波を、この子の生きる根幹にふれる大きな波動につなげたい。

小さな小さな雪だるまの芯を、今日はお母さんと一緒に作ることが出来たような気になりました。

次回の指導、私がこれだけ楽しみにしているのだから、子どもたちもきっと楽しみにしてくれたのでしょう。


今日は、3人のかわいい子どもたちと、心の中で、ちいさな握手が3回できたステキな1日でした。

車の中から見えた満開の桜が、心の中に焼き付いて、なかなか離れません。

人生って、生きるって、すばらしいなと思いました。

ステキな出会いを構成してくださったご家族の皆さん。 私は、感謝の気持ちで一杯です。


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最後まで美しかった先生

 2009-04-07
地域によっては1学期がスタートし、新しい担任の先生も決まったことでしょう。

やっと3学期に安定したと思ったら、4月になると不安定になり、また1からのやり直し、毎年の事だけど本当に嫌になってしまう・・ なんて話は、よく聞く話ですが、笑うに笑えない厳しいケースにも何回か立ち会いました。

去年の今頃は、太郎君の入学式に向けての作戦を、お母さんといっしょに、一生懸命考えていたのが、もう遠い昔のように思えます。

あの頃は太郎君、ほとんど発語がなかったわけです。

昨日は、指導の後に、クラスメイトののりかちゃんと一緒に、私の教室でコミュニケーションカードのラミネートかけを手伝ってくれましたが、 しゃべるしゃべる・・ 優等生ののりかちゃんもたじたじです。

それに字を書くのがすばらしく上手になりました。 漢字も視覚系のサポートが、だいぶスムーズに入り始めました。ブロックやそろばんの操作も上手になり、だんだんと数の認知力も上がってきました。

物を投げたり、机を倒したり、うずくまって固まったり・・

もう、この子の指導は無理かも知れない、とお母さんに弱音を吐いたあの夏の日が、今では恥ずかしくてたまりません。

もちろん、太郎君の育ちは私の手柄ではありません。 まずは本人のがんばり、そしてご家族の皆さん、学童保育の指導員、ごっこ遊びでコミュニケートの扉を開いた親友のせいや君、そして、学級担任として最後の最後まで美しいかかわりを続けた担任の先生など、多くの方のご努力の賜です。


その1年生の担任の先生が、年度末に、お母さんあてに、真心のこもった思いを、便せん数枚にしたためておられました。

ただの1度たりとも、我クラスの大事な子どもという軸をぶらさなかった先生。

まさに万感の思いを込めて、インクルージョンと個別指導の大切さについて、整理されて語られていました。

これぞ美しい担任の仕事だと、改めてこの先生のすばらしさに胸を打たれたのでした。

これで子どもが育たないわけはありません。 日本には、こうしたすばらしい先生が、まだまだたくさんいるのです。


冷静に見ると、太郎君、相当恵まれていました。

でも、これは決して、寝た口に落ちたまんじゅうではありません。

高速道路が1,000円になりましたね。うまくそれを利用して、遠隔地から私の教室にすかさず相談に来られた方がたくさんいます。ETCを入会後に付けられた方もいます。

こういう方は、いろいろな事で、様々なアクションを起こされています。


前にも書きましたが私、この先生も、このお母さんが引き寄せた先生だと思っています。

家庭・学校・専門機関に、それぞれに役割と機能があります。

どんな状況になったにせよ、嘆いてばかりでは、決して前には進みません。

粛々と、時には愚直に、自分の役割を果たしていくスタンスも、時には大切になってくるときがあります。

さて、新年度は、お子さんにとってどんな1年になるのでしょうか?

私も気持ちを新たに、ご家族の皆様と一緒に歩む1年であり続けたいと願っています。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


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指導者と子どもとのストーリー

 2009-04-06
新年度が始まりましたね。

私の保育園は、先週の土曜日が入園式

昨日は日曜日でしたが、私はこの教室始まって以来最多の、1日7名のお子さんの指導をさせていただくことができました。

中には、4月から新しく指導がスタートする4人のお子さんが含まれており、それぞれ内容の深い出会いがそこにありました。


子どもと私との出会いは、様々です。

しかし、公立の小学校にいた時と決定的に違うことがいくつかあります。

それは、1年だけの付き合いではなく、長く長く子どもとかかわり続けると言うこと

そして、私はどこににも逃げることができない、真っ正面から真剣に向き合うしかない、という覚悟と決心が必要とされることです。


今回初めて来るお子さんの中には


> 家でも、学校でも大変厳しい状況です

> 突発的、衝動的に、予期できない行動をします

> 先生、机の上には時計やパンチなど、手に持って投げやすい物は置かないでください


事前に、そうお伝えいただいたお子さんもいました。

この子を教室で待っている、私の気持ち、想像できますか?


> 着席出来ないかも知れない

> 学習が成立しないかも知れない

> 何かを壊されるかも知れない


いつも使っているタイムタイマーや置き時計、パンチなどは手元に置かないよう配慮はしました。

しかし、人間って不思議なものですね。 

最悪を想定して、覚悟を決めてしまえば、何て事はありません。

この教室で死ねるなら、本望です。


結果、どうであったか?

事前にお母さんからいただいたアセスメントをもとに作成した課題は、ほぼパーフェクトにやり遂げました。

45分間、1度の離席もなく、1度も集中力を切らすことはありませんでした。

時には笑顔と拍手に包まれ、それはそれは2人で楽しい学習時間を過ごすことができたのでした。


その夜、お母さんから次のようなメールをいただきました。




遅くにスミマセン。

初教室 ハラハラドキドキで階段を上がらせていただきました。
物が壊れちゃったりしていませんかぁ??

帰る時 どうでしたか??の質問をしたところ  「楽しかったよ!!」

又 きますか?? の質問に  「またくるよ!!」 と笑顔で答えていました。

この笑顔は 何かしでかしちゃったの?とか ちょっと気にもなったのですが‥m(_ _)m

どうか どうか こんな我が息子ですがこれからもよろしくお願いいたします。(^-^)/ ありがとうございました。

 




私、これまで、学級崩壊したクラスの立て直しのため、何度もそういうクラスに立ち会ってきました。

しかし、外部の者が入れば入るほど、その学級担任の立場はなくなっていきます。

マウンドに立つ投手が孤独であるように、子どもの指導に立ち向かう指導者も孤独です。

立ち直れないなら、基本的にはマウンドから降りるしかありません。


そうは言っても、この教室の中で、あぶら汗が流れたことは何度もあります。

マンツーマンの空間が、逆にシビアな状況を生み出すことも多くあります。

何十分も着席できずに、ウロウロされ、教室内を物色されたことも何度かあります。

かれんちゃんも、1回目の時は、扉のガラスを何度も何度もたたき、涙を浮かべて外を見つめ、しばらくお母さんの姿を捜し求めていました。


この日も、20分ばかり教室をうろうろと歩き回った子がいました。

言語によるコミュニケートが苦手なお子さんで、きっと不安感も強かったのでしょう。

この子のためのグッズを買って用意しておいたのですが、なかなか思うように食いつきません。

でもね、横目でちらっとそれを見たのを、私は見逃しませんでした。

タイミングを見て手招きしましたが、それもダメです。

最終手段で、私が離席し、その子に席を空けると、その子はさっと学習席に着くことができました。

すかさず私は横にぴったりマーク。

その後は時間まで着席することができ、気がついたらその子、私の手を握っていました。


とにもかくにも、子ども信じること

覚悟を決めて、絶対に逃げない

どんなお試し行動があろうと、最後の最後まで子どもを信じてていねいに向き合おう

どんなゆさぶりにも動じないで、涼しい目で子どもに接しよう


これ、ご家族が私を信じて、お子さんを預けてくださるから出来ることです。

日常生活の中で、1日中これをやると、精神的にはボロボロになります。

この環境の中で、ご家族の信頼があればこそ出来ることです。


こうした苦労があった子こそ、その後のつながりは深く強固なものになることは、体験的にはっきりと感じ取っています。


子どもは、子どもなりに、自分のもつ大きな課題に真っ正面から立ち向かっているわけです。

私がいい加減な気持ちでいたり、逃げ道を作っていて、まともな指導が出来るわけはありません。


私の死に場所は、この教室です。

ここから逃げたら、私の行く場所はもうどこにもありません。


山を越えると、必ず違う景色が目の前に広がっていく

それぞれの子どものストーリーに寄り添いながら、子どもとそしてご家族と、私は今日も一緒に歩んでいくのです。



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子どもの心の中にある もうひとつの言葉

 2009-04-03
昨日、まさと君 (4月から高一) の指導を終えて、ご両親とお話をさせていただいていた時の出来事です。

突然、まさと君が 「勉強むずかしくなったら、ここ止める」 と言い始めました。

以下は、その時の私とまさと君とのやりとりです。



> 勉強、むずかしくなったら、ここ止める

> あと1年で、ここ止める


> いいよ、それはまさと君の思うようにしたらいいよ。 勉強やりたい時に、ここに来ればいい。 ここは、勉強したい人が来るところだからね。

> ところで、今日の勉強、むずかしかったかい?


> まず、1年やってみる。 その後もがんばる。 大学生になってもずっと来る。


> そうなの わかったよ。  そりゃ先生も楽しみだ~ ♪



勉強むずかしくなったら、ここ止める、と言った瞬間、私も、ご両親の顔も、一瞬凍てつきました。

中学で痛み、しばらく学校に行きにくい状態が続いていましたから・・

で、この瞬間に私がどう答えるかで、今後の彼の運命が大きく左右されるわけです。


もしここで、「もう投げ出すのか」 とか 「そんな事じゃダメだ」 と私が切り込んだならば、きっと展開上、わけのわからない方向に流れていったことでしょう。

私は、小1・小2と、特別支援クラスでこの子の担任でした。

私たちには深い深いつながりと、相互の信頼がありますから、私には、まさと君が今、何を確かめたいと願っているのかが、その瞬間にピンときました。


彼がこの教室に通い始めてから、この日で4回目になります。

この一月あまりの間に、彼の表情や物腰は、格段にソフトになってきました。

最初は、肩に力が入り、お互いに緊張感も漂っていましたが、今では途中で鼻歌も混じるようになってきました。 元々、いっしょうけんめいがんばりすぎるタイプの彼ですから、鼻歌が出るくらいの方が、きっと力が発揮できるはずです。


つまり彼は、「ここでずっと勉強してもいいか?」 ということを、「勉強むずかしくなったら、ここを止める」 という言葉で表現したわけです。

中学での痛みについて、私はご両親から時間をかけて伺っていましたから、どうして彼がこんな表現をしたのか、私と一緒にどんな風に学びに向き合いたいのか、そんなことが、しわりじわりと心にしみこんで来るような気持ちになりました。


ん?

君、今、大学生になっても、って言ったよね。


もしかして、それ大学進学宣言???

だとしたら、こんなにうれしいことはありません。


とりあえず、漢検と英検を目指しておりましたが、夢が次々と広がっていくではありませんか?

行ける、行けないは結果であって、まずはそこを目指そうと、本気で思ってくれたくれたのなら、私たちにそれ以上の喜びはありません。

何大学だっていいんですよ。

大学=ずっと学んでいくことの象徴なのです。


この子も学びたいんだ。

どんな子だって、学びたいんだ。


ずっと学びたいから、スモールステップで学習を積み上げたい

今日のように、楽しい学習を、ずっとずっと続けたい


君が言いたかったのは、きっとこういう事なんだよね。

中学で色々なことがあったことは、先生は理解しています。

でも、先生は君の真実を知っている。

だからこそ、君の思いを受け止めることができるんだ。


巡る因果の糸車

人生、捨てたものでは、ありませんね

私たちの人生ストーリーは、今後どのようになっていくのでしょうか?


私も、まだまだ死ねませんね。 

新しい夢と希望の芽が、こうしてまた一つ、ふくらんできているのですから・・


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誰かのために何かが出来る子に育てたい

 2009-04-01
今日から新年度のスタートです。 

一つの大切な節目を迎えたわけですから、この一年のお子さんの学や育ちが、一層意義深いものとなり、ご家族の希望と幸せ感が益々とふくらんでいくことを、心より願っています。


私は、昨年度の一年間で、数多くのお子さんとそのご家族に巡り会いました。

これまでとは、全く違った立場でのこうした出会いは、私の人生観・価値観・教育観・人間観に、強く・深く、そして鮮烈な影響を与え続けました。


障がいの種別や程度は、子ども理解のための手段となることはあっても、何らそれにとらわれるべきものではありません。

そんなカテゴリーで、人間をとらえられるものではありません。

そこにあるのは、かけがえのないその子の存在だけであるはずです。

子どもにしっかり向き合うこと

それ以外には、何にもありません。


どんな子どもにも、学びの願いやエネルギーがあり、一時的な不適応は、その学びの願いの裏返しです。

不適応の強い子ほど、それを越えた時のエネルギーは強いのです。

その感動も、ひとしおです。

指導者の力量は、最後までその子の学びの力を信じ切れるかどうか、その1点にかかっているのです。






誰かのために、何かをできる子どもに育てたい


あなたが、この世に生を受けた本当の意味を、

あなた自身が、世に必要とされて生まれてきたことを、

時には涼やかな語りで

時には燃えたぎる熱い目で、

あなたの真心に、しっかりと届けたい


君にしかできない何かが、きっとある

君の成長とがんばりは、決して君だけのものではないのだけれど


たくさんの人に夢と希望を与え、後に続く後輩たちの道標となること

君は、君は、そんな大切な役割をもって、この世に生まれて来たんだ


だからこそ見える、大切なことがきっとある

だからこそしなければならない、大切なことがきっとある


そこには厳しいことも、苦しいことも、つらいこともたくさんあるけど、

いつまでも、いつまでも、甘えてばかりじゃいられない


自分の目でしっかりと見つめ

自分の手で、しっかりとつかみ

自分の心で、しっかりと感じ取るんだ


先生は、いつも君のそばにいるよ

君は、ひとりぼっちじゃないんだ

だからこそ、だからこそ、自分の足で歩むんだ


あなたの命が、最高に輝く瞬間

誰かのために、何かが出来る君


そこから目をそらさなこと

ゆっくりであっても、あゆみを決して止めないこと


君の輝く未来が、きっときっとそこにある






ガラにもなく、今日は詩人になってしまいました (笑)



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