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私が子どものために出来る事 (1%の役割に心血を注ぐ)

 2009-03-30
3月29日~31日まで、指導をお休みにさせていただいています。 たまりにたまった事務の整理、教材の作成、指導の準備などの時間に充てさせていただいています。

そうした中、どうしてもということで、昨日3件のご相談をさせていただきました。

1件は岡山の方、あと2件はそれぞれ大阪と広島からお越しいただきました。

うちの教室、高速のインターから5分で来られます。 高速割引制度も始まり、遠隔地からご相談に来られる方も珍しくなくなってきました。


「お子さんの学びと育ちを支える主体者はご家族、私はそのサポーター」

これが私の基本的スタンスですから、私は教室への入会に関しては、積極的に勧誘をしないことにしています。 相談場面では、ご家族の方が切り出さない限り、いくら時間が経過しても、私の方からの入会の話にはなりません。

この日の3件の相談でも、私はまさか皆さんが入会してくださるとは思ってもみませんでした。

遠隔地からのご相談については、基本的にメールや電話相談をお勧めしていますし、高速道路割引がなかったら、お断りしていたかも知れません。

県外の方は、春休みなので、旅行を兼ねてということでしたので、それでしたらということでお受けしたのですが、実際にご相談を伺うと、そのあまりに熱い思いに心打たれ 「私でよろしければ」 ということで指導をお引き受けさせていただくことにしました。

大阪からお越しの方も、広島からお越しの方も、「遠くても毎週通いたい」 という事でしたが、ご家族やお子さんの生活のリズムの事を考え、隔週でお越し下さるように私の方からお願いをさせていただきました。

3組とも、それはそれはすばらしいご両親で、お気持ちを大変光栄に感じました。


この1年間で、私は相当数のご家族の方の相談をさせていただき、かなりの時間をその相談に費やしてきました。

なので、発達のことで何らかの課題のあるお子さんの、そのご家族の方が私何を私に期待をしてくださっているのかを、自分なりに受け止めることができるようになってきました。

往復5時間の移動時間を費やしてまで、我が子のためにと思うご家族の気持ち・・

とてもいい加減な気持ちではお引き受けできないと、身の引き締まる思いでした。


そんな中、私にとってはかなりうれしいメールをいくつかいただきました。

一つは、友里ちゃんが本屋さんで、文学的な内容の本に興味を示し、ずっとその本を読み始めたということ。

あまりの出来事に、私も、お母さんも、びっくりしたような、キツネにつままれたような気持ち・・

うれしすぎてうれしすぎて、あとでがっかりしたくないので、息を飲みながら、妙に慎重にその事を見守っているのです。

これまで手作り文学教材で、何十時間、この子と向き合って来たか知れません。

土の中でどれだけ根が張ってるのか目には見えず、それでもねばり強く水をやり続けた種が、やっと土の上に芽が出始めたのでは・・

もしそうだとしたら、これまでの努力がいっぺんに報われるのです。

そうでなくても、この事実だけで、私はほんのわずかではあるけれど、このお母さんの熱い気持ちにお応えできたと、うれしくてたまらない気持ちです。


もうひとつは、この教室にご兄弟で通ってくださっている ちなつちゃんとすずかちゃん。

今、隔週でちなつちゃんは90分、すずかちゃんは45分の指導をさせていただいているのですが、それぞれが毎週来たい、時間を延ばして欲しいと、2人でバトルを繰り広げているそうです。

すずかちゃんは、最初の指導のとき、真っ青な顔で固まっていました。 ちなつちゃんは、あれがいい、これはイヤだとかなりぐずぐず言っていました。

それぞれタイプの違うお子さんで、正直、心の中にある学びの願いを掘り起こし、それをつかむのがむずかしい面がありましたが、このお母さんのメールをいただき、最後の最後まで子どもの願いを信じ、ていねいに紡いでいってよかったと、ほっとするのでありました。

子どもが心を開けばこそ、起こる奇跡も存在するのです。


指導がうまく行かなかった時の、私のダメージは図り知れません。

遠隔地から2時間以上かけて岡山に来てくださっている方もいるわけです。

それぞれのご家族が、それぞれの願いをもち、信頼して私にお子さんを託してくださるのです。

死んでも、いいかげんな気持ちで指導にはあたれません。


限られた時間ではありますが、お子さんの指導に当たるときは、とても恵まれた条件が用意されています。

ご家族の信頼、余計な外部刺激が0に近い環境、それぞれの認知特性に応じた教材・教具の準備、何を気にすることなく、誰に遠慮することなく、その子のことだけを考え、その子にだけ与えることのできる高品質の強化子

とても幸せで、指導者としての夢をかなえらえる環境です。


1週間は 24×7=168 (時間)

週に90分の指導をしたとしても、、実はそれは、お子さんの生活の中では、たった1%にしか過ぎない時間なわけです。

たとえそれが1%の役割であっても、ご家族が私に託す願いに真摯に取り組むことで、何かの流れが変わっていくかも知れない。

学びと育ちの主体者は、まちがいなく子ども自身とそのご家族

これからも私は、この1%の時間に、命の息吹を吹き込んでいくような指導をしていきたい。

それが私の生き甲斐。

私は本当に幸せ者です。


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子どもとご家族の気持ちに ていねいに寄り添うこと (他の方には理解してもらいにくい障がいへの対応)

 2009-03-29
昨日は、私の50回目の誕生日でした。 

保育園の卒園式と重なっていて、朝6時から始動し、何かとあわただしく時間が過ぎ、ほっとした頃にはもう夜の8時を過ぎていました。

家には、19歳・17歳・15歳の娘が3人います。

家へ帰って、風呂に入ろうと思ったら、娘たちの長風呂時間帯に突入しており、私は疲れてそのまま寝てしまい、気がついたらもう朝になっていました。

こうして、私の誕生日は、過ぎ去っていきました。

そのわずかな時間の間に、末娘がすかさず部屋にやってきて、「誕生日おめでとう」 と言ってくれました。

何人かのご家族の皆さん、子どもたち、ブログをお読み下さっている皆さんからお祝いをしていただきました。

うれしいものです。 本当にありがとうございました。


40歳になったときは、やっと男として1人前の年齢になったかと思い、それは結構うれしかったのですが、50歳にあると、「オレも半世紀生きたのか~」 と、残りの人生あとわずかみたいで、正直ちょっと複雑です。


でも、今やっている活動は、私に新しい命を吹き込んでくれているので、忙しくてつらいとか、イヤだと思ったことは一度もありません。

納得のいく指導ができなかった時は、すごい落ち込みで、すぐにでも料金をお返ししたいと思うのですが、料金返して済むというものではないので、根性入れて次回の指導に生かさねばと自分を奮い立たせています。



うちの教室に来てくださっているお子さんの中には、コミュニケーションや感情理解など、なかなか他の方には理解してもらいにくい課題をもった方が何人かいます。

アスペルガー症候群とか、高機能自閉症というカテゴリーが当てはまる子も何人かいるかもしれません。

こうした課題は、周囲の理解が得られにくいばかりでなく、本人の受け入れや対応のむずかしさがもあり、ご家族のご苦労がとても多いように感じています。


現実生活の中での、一つ一つの出来事の対応そのものに、工夫や配慮が求められ、何度も厳しい場面を超えてこられたご家族もいらしゃいます。


ここの教室は、環境的にはたいへん恵まれています。

離れの2階建て、トイレもあるし、雑音や電話もほとんど無縁です。

与えられた時間は、私の手の中に入っていますし、子どもが興味を示した学習や内容には、ほぼ即座に対応できる環境が整っています。

電車カード、昆虫カード、各種図鑑、DVD、パズル、アニメ、高速ネット環境、認知系おもちゃ、外へでれば芝生広場、砂場、遊具など、物理的にもかなり恵まれた環境だと思います。

環境には、物理的、人的、空間的環境がありますが、家庭とは違い、意図的・教育的に構成された環境であるので、子どもにとっては居心地のよい環境だと思います。


私は、与えられた時間、こうした環境の中で子どもと真っ正面に向き合います。

多くの場合、子どもはいろいろな要求をしながら、私の理念というか向き合い方を,、理屈ではなく、肌で感じ取っていきます。

いくら言葉で上手に言いつくろっても、その対応一つで、すぐに化けの皮ははがれてしまいます。

その子に対する向き合い方を精査していないと、一つの出来事で、積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ってしまいます。

その一つが、強烈な印象となって長期間、頭の中でぐるぐると回り続けるようなケースもありますから、ささいな部分にこそが、実は大切な意味をもっています。


でも、私は意図的・教育的に構成された環境の中で、ご家族の信託を受けてさせていただいていますので、かなりの精度の高さで、子どもの気持ちに寄り添いながら、これから子どもが歩んでいく方向を、一緒になって織り込んでいく作業をさせていただくことが可能です。

それと、指導を通して、わずかではありますが、ご家族と共にお子さんの課題を共有させていただくことができます。

すべてをご家族が抱え込むのではなく、たとえほんの1%であっても、それを誰かが共有するのとでは意味が違ってきます。


ご家族でしかできないことは、当然あります。

決して、誰かに丸投げできるようなことではありません。

しかし、親でしかできないことがあるように、親ではできにくいこともあるのかも知れません。

そこの一工夫は、大切ではありませんか?


私の所へご相談にこられるご家族は、どの方も聡明な方ばかりです。

私は、その方々の願いに添ったことを、ただしているだけ。

そのことが、私自身を育て、違う人間へと成長をさせてくださっているのです。


むずかしい問題だと思っていますが、たった一つのアクションから方向が見え、希望の光が差し込むことはあります。

それは一つとして同じ形はなく、方程式もありません。

まずは、そのための第一歩。

課題をご家族だけが背負い込んでしまうのではなく、わずかな負担で、何人かでシェアする賢い方法とその工夫。

ここにお越しくださる皆様と接する度に、私はいつもそんなことを感じているのです。



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特性理解から新たなステージへ (文字を内言語化できることの価値)

 2009-03-26
今朝、友里ちゃんが、指導の前に通知票を見せてくれました。

その内容もさることながら、いっしょに2人でその通知票を眺めながら、いっしょに学んできた歩みを振り返る、その営み自体がとってもいとおしく思えました。

友里ちゃんのお母さんは、私の教室を、ネットで調べて入会してくださった第1号のお母さんです。

ある意味、この教室と共に歩んでくださったお母さんです。


教室を立ち上げて1年が過ぎ、今では入会をしてくださった方が30人を超えていますが、私の教室は、花子ちゃん・太郎君・友里ちゃんの、生徒数3人の時代が半年以上も続いていました。

ご家族と共につくるオーダーメイド指導の原型は、この3人の子どもとご家族と共につくってきました。

本当に手探りの状態の中、昨年の夏には、週4時間の個別指導を友里ちゃんとともに行いました。

お母さんのいただいた情報をもとに、あれやこれや試行錯誤を繰り返し、指導の後には時間をかけてお母さんの感想やご意見をいただき、何度も何度も軌道修正を繰り返しながら、やっと今のスタイルを築き上げました。


不思議なことに、ただの1度も、指導場面で心がなえることはありませんでした。

費用と時間の枠組みがなければ、3時間連続の勉強は、友里ちゃんにも、私にも楽勝です。

大げさに言えば、半日でも1日でも、ずっと勉強することができると思います。

真剣だけども、笑いが絶えないし、それでいて停滞感はなく、充実感があります。


いわゆる継次処理タイプのお子さんに、数量感覚を育成していくためのステップの開発は、この3人のお子さんとの個別指導の実践によって培われたものでした。

3人の子それぞれ、今でも得意技は継次処理に変わりはありませんが、それぞれに計算スキルと数量感覚は確実に向上しました。

毎週毎週、ほんの小さなステップを一歩ずつ登っているうちに、気がついたら結構な所まで来ちゃいましたね~ というような感覚です。


友里ちゃんは、間口は狭いかも知れませんが、根性は抜群です。

どんなに量が多くても、やり方さえ見えれば、最後までやらなければ気が済まないタイプです。

この間口の狭さをどうとらえるかによって、この子の学びの方向は大きく左右されます。

生かすも殺すも、そこは指導者の力量が問われるところです。


様々な学習体験を通して、友里ちゃんの指導について、今私が注目しているのは、文字情報を内言語化していくための小さなステップの学習プログラムです。


友里ちゃんの場合、音韻ルートに比べて、文字ルートが苦手です。

つまりは、聞いた言葉ならイメージ化出来やすいけど、読んだ言葉をイメージ化することは、あまり得意ではないということです。


私の英語は、きっと友里ちゃんと同じです。 TOEICでも、ヒアリングの方が、リーディングよりもいいという日本人には珍しいタイプです。 (NOVAの第二言語習得法のおかげです)

その代わり、英語の新聞や雑誌を読むのは、苦手です。

花子ちゃんは、書字はは苦手だけど、音韻ルートも、本読みも抜群です。

太郎君は、計算は苦手ですが、書字能力が飛躍的に向上しました。 かるたとりをさせたら、通知票オール 「よい」 の のりかちゃんにも勝ってしまいます。

3人とも、処理の仕方は、継次処理です。


たった3人でも、認知特性はこうまで違うのです。

これがわかるとね、さまざまなオリジナル教材が自然に生まれてくるわけです。

それがはまった時の快感は、何にも代えることのできない最高のものです。


先日、まみむさんが、くもんの国語教材を、「SHINOBU先生のお役に立つのでしら・・」 と、わざわざ郵送してくださいました。

ネットをご覧になってくださる方から、郵送料のご負担までいただき、このようにお気持ちのこもったことをしていただき、私は本当に幸せ者です。 (まみむさん、ありがとうございました。ぜひ実践を通して、ご配慮にお応えしようと思います)

この小さなステップを構成する分野については、世界に誇る公文の教材は大変参考になります。

私の心の中では、WBCの侍ジャパンか、スモールステップの公文か、ということです。

ただ、子どもの特性を理解した上で教材を使うのか、そうでないのかによって、その効果に差が生じるのは、当然といえば当然のことです。


文章を内言語化して音韻ルートにのせる

ここに風穴があけば、きっと友里ちゃんの学習は飛躍的に向上する。


教育とは、可能性を信じてトライし続けること。

私の新たな目標と野望が、首をもちあげたのでありました。


この記事を書いている途中に、太郎君のお母さんから 「通知票の国語と算数の成績が上がりました」 という、大変うれしいメールが舞い込んできました。


今日、岡山は早春の光まぶしいさわやかな日

窓を開け、大きく背伸びをして、次のステージを見つめる・・

私にとって、何とも幸せな1日なのでありました。


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かれんちゃんとSHINOBU先生との 言葉では語れない深いつながり

 2009-03-25
昨日は、かれんちゃんの11回目のセラピーでした。

先週は、ママのお仕事の都合でお休みになり、2週間ぶりの登場となりましたが、ご覧の通り元気一杯の表情でやってきてくれました。

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かれんちゃん、実はパズルが大嫌い。

特に、平面的なジグソーパズル的なものとなると、私との指導場面でも目を三角にして、星一徹のちゃぶ台返し (例えが古すぎて笑えます) のごとく、放り投げてしまいます。

これ、活動をしないという意味ではなく、本当にパズルをひっくり返して抵抗するのです。


このことで、私はたくさんのことをかれんちゃんから、学ぶことが出来ました。

まず、同じ認知でも、平面認知と空間認知では、脳の機能局在的な部分が違い、それぞれの子に得手不得手があり、入り方もつながり方も違うということ。

だとすれば、空間認知では超能力的な力を発揮しているというかれんママレポートを信じるとするならば、空間認知から入る長所活用型指導を中心にして、スモールステップで平面認知の発達を促す手法がよいのではないかということ。

パズルの放り投げは、方法としては望ましいとは言えないので、代替行動を教えて強化していくことは必要であるけれども、同時にそれは、かれんちゃんの学びのエネルギーの強さの表れであり、その願いをかなえる場さえ設定すれば、生き返ったように活動に集中できるということ。

(ここが、人を惹き付けてやまない、かれんちゃんの最大の魅力でもあるのです。)

というわけで、平面認知の活動は、ほとんどスルーして、カップの3Dマッチングから始めることにしました。 (↓下の画像)

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これも面白いですよね。

かれんちゃん、最初私がテーブルの上に置くと、手でつかんで放り投げてしまいました。 で、私が教材置き場の端に置いておくと、今度は自分で持ってきてやり始めました。

だったら、やらせたい内容をそこに置いておいて、かれんちゃんに選ばせてやればいいだけのことです。

指導者に余裕がなかったり、自信がなかったり、子どもと気持ちが通じ合っていなかったり、単なるマニュアルで、指導の本質が見えていなかったりした場合には、こういう切り返しはできません。

かれんママも、かれんパパも、ご自信が発達にかかわるすばらしい研究者でありながら、私の指導に対しては一切口をはさみません。 どうぞ、先生の思うように指導をなさってください。 私は親として、信頼して、先生に子どもを預けているわけですから、すべてをお任せします。 そう言った気持ちを、私は感じているからこそ、パズルを放り投げても、決して動揺することなく、柔軟に対応することができているのです。

(本当に感謝しております。だからこそ、なおさら真摯に向き合っていこうと思うのが、人の気持ちというものです。通じ合うものは、ここにもあるのです)


おやおや、そうしているとかれんちゃん、教材コーナーから 「ひながなボード」 を持ってくるではありませんか? (↓下の画像)

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君、平面認知苦手だったはずでは?  ま、いいや、 でやってみるかい?

すると、ここから予想だにしなかった展開に!

とまとの 「と」 を押してやると、かれんちゃん 「と」 と発音しているではありませんか?

かえるの 「か」 も、ありの 「あ」 も、かえるの 「か」 も、見事なものです。 特に、「あかさたな」 と 「おこそとの」 が得意なようです。

思いがけないところからのビッグヒットで、とてもうれしい気持ちになりました。



さて、次の活動はくまさんを使っての応答コミュニケーションの場面です。

安藤先生の 「ダウン症児の育て方」 には、ごっこあそびの目的として、次のようなことが示されています。

「応答関係や動作をことばと結びつけ、抽象的なことばを覚え、イメージを広げ情緒を豊かにし、社会性を育てる」

何とすばらしい言葉でしょう。

この日も、くまさんがキーパーソン (キーアニマルでしょうか?) となって、楽しいやりとりが繰り広げられました。

やり方は簡単です。

私がまず、お手本で 「くまさん大好き、だっこ」 とやってかれんちゃんにくまさんを渡すと、かれんちゃんも同じように 「だっこー」 と言って同じ事をします。 言葉はポイントになりますので、この時に、必ずかれんちゃんも 「だっこ-」と言ってくれるのが最高です。

「バイバイ-」 「よしよし」 「バンザ-イ」 「チュッ」 など、様々なパターンを、それはもう楽しくしてくれました。 (↓下の画像)


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ここには、もう目を三角にして、パズルを放り投げているかれんちゃんの面影はありません。

パズルを投げないことを教えることは大切なことです。 しかし、その裏にある言葉にならない子どもの気持ちを感じ取れる才覚のない人が、そこの部分だけを取り上げて、薄っぺらい対応をしても、本当に子どもの育ちにつながるかどうかは疑問です。

教育は、信頼関係を基盤にしてこそ成立する。 教育原理の本の第1ページに書いてあるようなことを忘れてはなりません。 通じ合ってこそ、学びは成立するものなのです。


さて、ここからSHINOBU先生、思い切ってテーブルといすを片付けてしまいました。

かれんちゃん、君は体育会系なんだよね。 おもいっきり体を動かしながら、得意の空間認知に磨きをかけようや、その方がきっと平面認知の近道でもあるんだよ~

かれんちゃんは、体が柔らかいし、筋力もけっこうあります。

そのあたりの配慮事項、しっかりとご家族に確かめておかなければならないので、遠慮がちにいろいろな活動に取り組んでみましたが、それはすばらしく、楽しく、イケテル感たっぷりの活動となりました。

ぐるぐる回りも、肩車も、はいはい競争も、おいかけっこも、それはもう抜群の表情で取り組んでくれました。 (↓下の画像)

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さすがに2人組みでやってるときの写真は撮れず、それをお見せできないのが残念です。

ここが一番楽しく、めっちゃくちゃかわいい表情、かれんちゃんが天使の顔になる瞬間です。


私の体力がもたず、ヘトヘトになったので、最後に取り入れた 「お買い物ふくろをもってのお使いごっこ」 も、とても楽しんで活動してくれました。

こうした活動の動線の中で、柔軟に対応できるのも、かれんちゃん、そしてご家族との心のつながりと、何のためにその活動を行い、何を目指しているのかの問いかけがあればこその話です。

この日も、かれんちゃんが発した言葉の中には、初めて聞いたニューワードがたくさんありました。

かれんちゃんの場合は、テーブルの上での活動より、ダイナミックに動き回っているときの方が生きた言葉としてエネルギーがありました。

研究者としては、それをビデオに撮ったり、記録者がチェックをしたりして、回数を数え、統計的手法を用いて有意差を検証し、何が有効な支援であったのかを立証せねばならないのでしょう。

しかし、実際の子どもの育ちは、統制された環境の中では、生きた動きにはなりにくいですね。

私たちは、研究者やドクターから教えていただくこと、知り合いのお母さんから口コミで教えてもらうこと、お子さんから直接学ぶこと、こんなかれんちゃんの実践記録や画像から感じることなど、様々な方法でアプローチしていくことが大切なんだと思います。


真剣にお子さんに向き合っている人でないと、本当の事は見えないのではないかと思います。

子どもには理屈は通じません。 肩書きも権威も無意味です。

では何か?

テクニックだけではないと思います。

それはそこにある熱い願いと、通じ合う心なのだと、私は信じているのです。

※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。また、平成21年度、福武教育文化振興財団による研究助成をいただいています。


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共に学び 共に育つということ

 2009-03-23
地域の中で、みんな共に学び、育つ子どもであってほしい

親ならば、誰しもが願う、当たり前のことですが、実はそれは、とても大切で尊い思いです。


たとえ発達面に何らかの課題があっても、地域のみんなと分け隔てなく学び・育つ環境づくりを、という方向性を示すものとして、インテグレーション(統合教育)という言葉があります。

また、専門的・個別的な配慮の方向から、可能な限り教育の本流へ移行しようという方向を表すものとして、メインストリーミング (本流化教育・主流化教育)という言葉もあります。

これらの概念は、結局根元には、そもそもそういう子は分けて教育するという前提があって、それを何とかしようという考えにすぎないという見方もあります。

そうではなく、まず同じ社会の大切な一員としてインクルード(包括)した上で、どの子にも適切な教育の場を保障するという概念を表す言葉が、インクルージョン(包括教育)です。

注.こうした言葉の定義は、SHINOBU流の勝手な解釈が入っていますので、かなりバイアス(歪み)があると思ってください。


インクルージョンこそが、私の活動のエネルギーになっていて、「子どもの最善の利益」 という言葉と共に、今の私の価値基準・判断の根幹になっています。


こうしてインクルージョンが目指す方向として、あるいは概念としてきちんと整理されたとしても、例えばリアルな就学の場面では、なかなかそれが保護者の願いに添ったものにはなりにくいようです。

たとえば、「○○症なら、あそこへ行ってください」 という目に見えない圧力みたいなものです。

障がい種別によるものではなく、「場による教育から、個のニーズによる教育への転換」 という特別支援教育の金看板も、その呼びかけが、現実には逆の方向に流れやすい悲しい現実があります。

専門的な指導という名のもとに、通常学級からの切り離しに結び付きやすい場面に、これまで何度か遭遇をしてきました。


集団の中に居場所のない状態での専門的な指導は、切り離しと受け取られても仕方がありません。

ただ集団の中に投げ入れられて、個のニーズに寄り添った教育が実現できないのであれば、子どもの心は痛み、学ぶ権利が剥奪されることになります。

どちらが良いと言うことではなくて、「集団の中の居場所」 と 「特性に応じた専門的な指導」 というその双方向の営みが不可欠なのだと私は考えています。


私は、メタボ対策で、週に1度は自転車で通っています。

今朝、河原の自転車道を通っていると、運動部の子がみんなでトレーニングをしていました。

みんなやっていると、厳しいトレーニングも何とか乗り切れることがありますよね。

プールの飛び込みが出来ない子が、みんなが飛び込んでいると、自分も勢いで飛び込んでしまうことってありますよね。

九九の勉強、みんなでやると、活気があって楽しく勉強できるってこともありますよね。


私は、通常学級の学級担任も結構長くやりましたから、集団での指導の方が個別指導よりもはるかに効果的な部分があることを理解しているつもりです。

逆に、今私がやっている個別指導の内容は、個別指導が可能な教育環境と、相応の力量がなければ実施不可能な事も感じています。

ここも、この双方向の営みが大切なのではないでしょうか?


学びの場の環境づくりは、障がい名で方向づけられるものではありません。

障がいという概念は、しばられるものではなく、「お子さんの最善」 という観点から精査して、その子の命を輝かせていくために生かしていくためのものです。

時にはお子さんの特性を深く理解するための手段として活用したり、当然あるべき公的なサポートを受けるために利用したりするものであって、決してしばられるものではあってはならないはずです。

女性だから弱いとか、黒人の方はリズム感がいいとか、○○県出身は○○だというのは、偏見ですよね。

大切なのは、その方自身の輝きであって、カテゴリーではないはずです。


この世に意味なくして生を受けた者はいません。

私も、それぞれの輝きをもった多くの子どもたちと出会い、感動で胸を熱くする毎日です。

それぞれが大切な命をもった存在として、人とのかかわりの中で命を輝かせること。

「誰かのために、何かが出来ることのすばらしさを伝えたい」

「自分の苦手なことも含めて、自分の事が好きになれる子どもに育てたい」

子どもたちのそれぞれの命の輝きが、今、私を熱く突き動かしているのです。



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「色から形 形から平面認知」 子どもがパズルができるようになるという意味

 2009-03-19
これは、あきなちゃんがアンパンマンパズルができるようになった決定的な瞬間です。 

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あきなちゃんは、昨年の終わりから教室に通ってくれていますが、このところめざましい成長ぶりです。

指導を始めた頃は、カラーボールを色別にペグに差す課題が出来るようになったことだけで、ご家族はとても喜んでくださいました。

2片のペアペアくだものパズルをした時、パズルをはめること自体は、すぐにできるようになりましたが、ディズニーのキャラクターの半分は、上下逆さまになっており、なかなか平面に描かれた図柄に意識が向きませんでした。

100円ショップで買ったレプリカのフルーツでポインティングをすればうまく行くのに、絵カードで同じ事をしようとすると、なかなかうまく行きません。

しかし、2片パズルでの活動は、小さいステップを刻み、毎回毎回確実にステップアップしていきました。


(↓ あきなちゃんの指導に使った2片パズル)

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その小さなステップを振り返ると、およそ以下のようになります。

① 最初は、私が20枚のパズルの中から、あらかじめ2片を選び、手を添えるようにして、完成させました。

② 次に、だんだんと手を添える回数を少なくして、「出来たらほめる」 を繰り返しました。

③ 2枚なら大体できるようになった時点で、こんどはその数を4枚にして取り組みました。 この時点では、あきなちゃんは色を頼りにして識別していましたから、リンゴとバナナのように、はっきりと色の違う物を選んで提示するようにしました。

③ 進歩の状況を見て、一度に提示するパズルの数を、4枚から6枚、6枚から8枚という風に増やしていき、最終的には20枚全部のパズルを一度に提示するようにしました。

④ 20枚いっぺんに提示した時には、まずは大好きなバナナから探すように支援していきました。黄色は、バナナとパイナップルの2種類ありますから、ここで平面に画かれたバナナの図柄に注目するよう何度も指示しました。 (バナナの図柄を見ると便利だね~、と教えていきました) これを繰り返しているうちに、ほとんど自力で10組・20枚のパズルを完成できるようになりました。

⑤ この時点から、同時進行で様々な絵カードを提示し、絵カードによる指導が可能になってきました。

⑥ これまで、識別には色と形を使っていたあきなちゃん、ついに平面画像に目がいくようになりました。 この日も最初は形で迫っていましたが、一枚のパズルを見て 「アンパンマン」 と叫んだので、すかさず 「アンパンマンは、ここよ」 と指示をすると、あきなちゃんの脳の中の血流が一気に活発になっていくのが見えました (=俗に言うAHA体験の瞬間です)

⑦ このセイカのアンパンマンパズル (8片)、 よく出来ていますね~ アンパンマンができれば、ジャムおじさんだって、メロンパンナちゃんだって、しょくぱんマンだって、何だって出来ちゃいます。

⑧ これをやっていれば、ペアペアくだものパズル、やがて反対に向かないようになるはずです。

⑨ そして次には、私の手作り 「アンパンマン」 ひらがなカード」 での学習につながり、やがて日本の幼児の認知を引きつけてやまない、あのアンパンマンの笑顔が、あきなちゃんの脳の中で、ひらがなの 「あんぱんまん」 という文字にとってかわる日がやってくるのです。


(↓先日たくやママと一緒に作ったアンパンマンカード)

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こういうことは、意図をもって取り組まないとなかなか形にはなりません。

かと言って、こっちの都合通りに子どもは動いてくれませんし、マニュアル通りにやっても、本当に力が付いたかどうかは別物です。

障害児なのにどうして英語なんてやらせるの、という薄っぺらなことを言う人はいないと思いますが、どんな子にだって、マルチな刺激とファンダメンタルな取り組みの双方向、集団での育ちと特性に応じた個別指導の双方向が、必要です。


子どものやる気、主体的に学ぶ環境、そして特性に応じたおいしい教材

この3つがそろったときに、子どもの学びは爆発的にアップしていく物だと、私は考えています。



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君の学びが希望を拓く 重度の困難をも砕く学びの力

 2009-03-18
昨日、養護学校高等部に通う大輔君(=仮名・17歳)のお宅に、2度目の家庭訪問に行かせていただきました。

大輔君は、、重度の困難にも負けず、お母さんと共に、これまで地道な学習を続けてきました。


1週間前、私が初めてご家庭に伺った時には、かなり緊張したり、とまどったようすで、私の前では、なかなかいつものような学習ができなかったようです。

でも、私は、大輔君に次のような内容を伝えて帰りました。


> 君のがんばりが、多くの子どもたちに勇気を与えるんだよ

> 先生は、もしかしたら、君に出会うために、生まれてきたのかも知れない。 だとしたら、君は、精一杯勉強することで、君の大切な命を輝かせてほしい。

> その事が、君に与えられた大切な役割だと、先生は思っているんだ。

> でも、君がその気にならないのなら、先生は無理に勉強を教えようとは思わない。

> また、今度来るから、その気になったら教えて欲しい・・


聞いているような、聞いていないような・・・  この日、大輔君の視線はうつろで、私の方へ向こうとはしませんでした。

お母さんは、ちょっと話がむずかしかったので・・  と、気を使ってくださいましたが、私は、内容どうこうではなく、私の気持ちだけは伝えておこうと、思っていました。

そして、それが口先だけでないことを、これからずっと行動で示していこうと考えていました。


1週間後、私は再び、大輔君のお宅に訪問しました。

大輔君は、横になっていました。

でも、今度はしっかりと私の方を向いてくれています。

そして、今度は笑顔で、輝いた表情で私を見つめています。

どうやら細いけれども、1本線はつながったように感じました。


私の教室は2階にあります。

お母さんが、初めて私の教室に来られたとき、車いすを2階の教室に上げることは不可能なので、自宅に来て教えてもらうことは可能でしょうか、という話になったのです。

できれば、教室に通っての指導を受けさせたい、少しでも違う世界に目を向けさせたい、わずかでも新しいこと体験させたい・・

そう言う願いが、お母さんの言葉の端々から伝わってきました。


> 普段の日は、1階の部屋は保育に使っていますが、土・日なら1階の部屋での指導は可能です。バリアフリーな環境になるように、少しお時間をいただけませんか?

> わかりました。 私も車での移動による大輔の体力的な負担がどれくらいか、一度検討してみます。

> それと、あせらずに、協力して、これからも大輔君の学びの心を、育てていく営みを一緒に続けていきましょう


そう言って、この日の相談は終了しました。

それを聞いていた大輔君は、満面の笑顔で私を見送ってくれました。


この子の体には重度の困難があります。 指先によるポインティングも、かなりの時間と体力を要します。

しかし、知的な部分や精神性の育ちには、無限の可能性があると私は信じています。


私が駆け出しの頃、当時の校長先生が

「警察は最後の最後まで疑うのが仕事、それが社会正義のために大切なこと」 

「教育とは信じるのが仕事 たとえ一時的に裏切られることはあっても、どんな不幸な結果となっても、最後の最後まで子どもの可能性に信じるのが教育者としての使命」

そう教えてくれました。


> この子は、○○症だから、IQが○○だから、そんな無駄なことやっても無理ですよ、

そういうあなた

はっきり言います。 あなたは教育者としては、失格です。


子どもの可能性は、無限です。 それは誰だって同じです。

たとえ困難な状況であっても、その無限の可能性を信じて歩む営みのことを、私たちは 「教育」 という名を付けて、誇りをもって取り組んでいるのです。


100点以上の差で敗れたラグビーの伏見高校が、後に全国制覇を成し遂げることを、その時誰が信じることができたでしょう。

あんな高校が、練習したって、たかが知れてると、多くの人は思ったでしょう。


ポイントは2つ

一つは、子どもの可能性を、最後の最後まで信じることができること

もう一つは、子ども自身が、自分のためではなく、誰かのためにがんばれること  です。


だから私は、大輔君には、単に自分のためではなく、後に続く多くの子どものお手本になってがんばって欲しいと思っているのです。

困難を打ち砕く学びの奇跡を起こしてほしいと思っているのです。


私は、どうしてもこの気持ちを、大輔君の心の芯に届けたい。

私も、誰かのために何かができる人間になりたい。

子どもためだからこそ、私はがんばれる。

私は、絶対にあきらめません。


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子どもから絶対に逃げない

 2009-03-17
私が個別指導の教室を始めてから、約1年。 その間に私が学んだことがあります。

それは、どんな困難な課題であろうが、どんな重い障害であろうが、私の教室を選んでお子さんを連れて来てくれる限り、私は絶対に逃げてはいけない、ということです。

ちょっとでも逃げ腰になったら、すべての子どもの指導に影響します。 

ここへ来るご家族の皆さんの多くは、これまで何度も、命がけの選択を積み重ねて来られた方です。

半端な気持ちで、お子さんの育ちに向き合っている人など、一人としていません。

私の心に、弱腰な部分があって、こうしたご家族のサポートをしてお金をいただくなんて、考えられないことです。

これまで、何十人というご家族の方と向き合ってきて、私はだんだんとそんな風に思えてくるようになりました。

ですから、もし、わずかでもそんなことになったら、私はブログも止め、この仕事から即引退します。 このことだけは、いつも心の中で自分自身に言い聞かせておこうと考えています。


私の友人に 「しがない臨床家」 と自分のことを称している奴がいます。

この臨床家という言葉は、言い換えれば 「現場の最前線にいる現役選手」 という意味です。 

しがないという意味は、どんな高邁な理論より、しがない実践の方が、何倍も価値があるという意味だと、私は思っています。

男の心意気と、魂の込められた言葉です。


私はこの頃、自分のことを 「もぐりの教育屋」 と考えることがあります。

「もぐり」 というのは、規制の枠には、はまりません。 ただただ子どもとご家族のニーズのみに寄り添いますよ、という意味です。

最近、ご相談に来られる方の中には、費用の面で、公的な支援は受けられていないのですか? とか、 認可を受けられて、学校の授業を抜けてここに来られるようにはないませんか? というご質問を受けることがあります。

すみません、将来的にはどうなるかわかりませんが、私の教室、昨年秋までたった3人でしたので、そんな事、思ってもみませんでした。 少し、勉強の時間をいただけたらと思っています。

「教育屋」 というのも、今の私がこだわっている言葉です。

それは、お金を直接いただいて、指導に当たっているという誇り。 選んで私の所へ、足を運んでくださっているという誇りです。

私に子どもから逃げる気持ちがあったなら、きっと潮が引くように、私の教室から人はいなくなっていくに違いありません。

私の言葉、動作、所作、言動の一つ一つから、私の向いている方向・覚悟・決心・温度・空気を、子どももご家族も、日々敏感に感じ取っているのです。


私が親しくさせていただいている大学の先生は、「オレなんか、肩書きがあるから人は話を聞いてくれるけど、それなかったら誰もまもとに話を聞いてくれないよ」 と、酒席でもらしたことがあります。

私は、人格・研究内容共にこの先生を心から尊敬しています。 

そういう気持ちがある先生だからこそ、1回1回の講義が輝いているのだと思いました。


もう私の後ろには、帰るべき道は何もなくなりました。

後は、日々ご家族の皆さんと共に前へ進んでいくしかありません。

今日も教室に足を運んで来てくださる子がいる限り、私は前へ進んでいきます。


私の教室は、駐車上の2階にあります。

時間が来て、コツコツと階段を上がる音がすると、私は 「今日もまた、私を信頼して来てくださった」 と、感謝の気持ちで一杯になります。

指導が終わり、また階段を降りられる時にも、いつもありがたいという気持ちで深々と頭を下げ、見送りたいと考えています。


中には高速で片道2時間近くかけて通ってくださる方もいます。

「先生の教室の名前の横に (岡山) という文字を見つけた時、本当にうれしかった」

「先生のような方が、岡山にいてくださって本当によかった」

こういう言葉の一つ一つが、私を奮い立たせ、別の人間に育ててくださっています。


自分の志を理解して、共に歩んでくださるご家族の皆さんが一人でもいる限り、私は決して逃げません。

「もぐりの教育屋」 ですが、私は120%本気モード。

しんどいとか、えらいとか、思ったことは一度もありません。

迷惑かけるといけないので、体調管理だけは気を付けて、これからも、毎日子どもに学ぶ喜びを体感できるような、そんな指導を目指していきます。


皆さんと共に歩む、共に育つ、共に作る学びの場の構成。

それが私の大きな目標となっているのです。



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教育と医療 双方向の営み

 2009-03-16
治療教育的なかかわりという言葉があります。 私自身は、わかったようでわからない言葉だったのですが、最近その 「治療」 と 「教育」 との役割や色分けが、少しくっきりと見えてきたように思っています。

この土・日に新しく3名の子どもたちが、白ゆり教室に来てくれるようになってきました。

その時のエピソードを紹介します。


かずお君 (=仮名・小3)は、教室に入るなり、いきなり不安いっぱいな顔で、落ち着かず、バタバタと部屋の中を動き回り始めました。

私は涼しい顔でやりすごしていましたが、ご両親はかなりとまどった表情をされていました。 

5分前に教室に入りましたが、その5分をきっちり動き回り、言いたいことを言いながら、強烈な自己主張をしていました。

定刻になり、ご両親が教室から出ようとすると、「両親に見捨てられた~」 と笑わせてくれました。


さあ、ここから90分の指導が始まるのです。

涼しい顔をしていた私も、さすがに心の中ではあぶら汗

みなさんが私と同じ立場なら、どうします?

ある意味かなりの修羅場です。

覚悟と根性決めないと、この仕事はできません。

大げさに言えば、個別指導教室の看板を賭けた営みです。


これまで何回か紹介しましたが、私が心の拠り所としているものの一つに、PBS(積極的行動支援)の理論があります。

詳しい中身については、ここではふれませんが、簡単に説明すると、「子どもの不適応行動は ①注目の獲得 ②事物の獲得 ③自己刺激 (または①~③の回避) に分類され、それを解決するためには、そんなことをしなくたって、①~③の願いを叶えるバイパスを作ってやって、それで不適応行動を回避する」 というものです。

かずお君の場合は、新しい環境に対する不安があり、デリケートな気持ちの裏返しで、そのハードな内容から回避したいという気持ちが、様々な不適応言動となって現れているに違いありません。


事前のお母さんからの情報で、気象や地球に興味があると聞いていたので、私何時間もかけて、それを教材化するための準備をしていました。

かずお君、横目でそれを見ていたはずですが、いきなり食いつこうとはしません。

デリケートな気持ちが警戒心を煽り、素直な行動には結びつきません。

でも、私はやがていつかここに帰ってくるのは、わかっています。

彼が確かめようとしているのは、私がどんな姿勢で彼に向き合おうとしているのかという、私の気持ちの真実です。

本当はやりたいのに、やりたくないと言ったり、パソコンの電源勝手に抜いたり、私のアドバイスとわざと反対の事をしたりして、私を試しまくっています。

私、情緒障害児短期治療施設で3年間、それはハードな環境の中で生き抜いて来た子と、真剣勝負で毎日戦い抜いてきましたから、お試し行動の対処の方法については、プロ中のプロです。


かずお君とは、結局90分間、パソコンを使って3年生の理科の学習をしました。 昆虫の体のつくりについては、たぶん昆虫学者も真っ青なほどハイレベルの認知ができたと思います。、

乾電池と豆電球の回路の接続についても、4年レベルの内容の学習ができました。


こうして90分の指導は終わりました。

彼にとっては、きっととてつもなく、長い長い90分だと思います。

うちの教室には、セコムのTVモニターがあります。

90分が終わり、モニターにご両親の乗る車が映り、やがて歩いて教室にやってくるご両親のが見えると、かずお君の顔に、子どもらしい笑顔がおもいっきりはじけました。

そこには、90分逃げずにやりとげた、彼の満足感がぼんやりと浮かんでいるように思えました。

かずお君、一歩大きくなったね。

ふ~、私も大切な第一歩を切り抜けたということろでしょうか?

一度、厳しい顔で 「いい加減にしなさい」 と叱ったタイミング、あれで良かったかどうか、心の中に不安がないと言えばウソになります。

指導の後の相談で、ご両親に、「今日の指導の後で、かずお君がご家庭でどんなリアクションをされるか教えてください。それによって次回の組み立て考えますから」 とお伝えしました。

数時間後、お母さんから以下のようなメールが届きました。




今日は大変お世話になりました。
ありがとうございました。


先生のお話の中で、次回の本人の気持ちをおっしゃっていたので、実は私も聞くまで不安があったのですが、「楽しかったよ!」という返事が返ってきました。「虫のパズルが楽しかった。」「5分位しかたっていないと思ったら一時間半なんてあっという間だったよ。(これはちょっと強がり?)」ということで、私が「次は・・29日だね。あ、ところでどうする?」と、少しとぼけて聞いたのですが、「もちろん行くにきまってんじゃん。」と言っていました。

かずおは、ご覧になった通りあまり気を遣ってのコメントをする子ではないので、本当に楽しかったのだと思います。
今一番頭の中にある「動物の森」のゲームに出てくる、最近捕獲できるようになった「サソリ」と「タランチュラ」を印刷していただいていたので、「やっぱりそこかぁ」と、家でも一緒に説明してもらいました。

先生のことも「優しい先生だった」と話してくれました。
帰宅後、先生のプロフィールを見せていただきながら、「先生クイズ!」を少しだけ一緒にしました。
先生にお子さんが娘さんが三人いること、名前は「ゆ」の部分だけ正解でしたが、犬がいて「シン」という名前なこと、先生の好物は「ラーメン」(とんかつは忘れてました。)ということも教えてくれました。

かずおは、初めての場所と人が特に苦手で、不安や緊張がハイテンションという形で表現されてしまうところがあるので、実は最初の別れ際、「やっぱり行っちゃだめ!」となるかも・・と一瞬脳裏をよぎったのですが、思っていたよりもすんなりと離れることができたので、私たちとしては「大丈夫そうだね。」と、安心してお任せすることができました。

帰宅後は、テンションの高さが少し残っていて、多弁だったり声の大きさが大きいところはありましたが、とても楽しい話ばかりです。

きっと、回を重ねるごとに、本人も見通しがついて、不安も少なくなってくれると思います。
ただ、慣れるまでの難しさと、慣れてからの難しさなど、課題も山積みになるかと思うのですが・・、私たちも家でできることなど、一緒に協力させていただきたいと思っています。

お気づきの点がありましたら、是非遠慮なく教えていただけたらと思います。
また、家や学校でのことも、参考になることがありましたらお伝えさせていただきたいと思います。
私たちの願っている本人の成長は、きっといつの間にか「そう言えば・・前はこうじゃなかったよね。」というように、長い期間をかけて、気づいて感じていくものだと理解しています。

どうぞ、これからも末長く、よろしくお願いします。




ふ~、最後まで同じスタンスで、寄り添うことができて本当に良かった。

かずお君は、言語ではなく、90分の活動の中の私の所作の一つ一つの中から、私の姿勢をずっと感じ取り続けたのです。

マイナス行動の子ほど、通じ合った時のリターンは大きいものがあります。

私たちはこうした 「真心」 を子どもに伝え、その 「真心」 が、子どもを育て幸せにしていくのです。

こうした営みこそが、教育のダイナミズムです。


そういえば、前日初めてこの教室にやってきた すずかちゃん(=仮名・小1)も、教室に入ると真っ青な顔をしていましたが、45分が終わるとるんるんで帰って行きました。

お姉ちゃんのちなつちゃん(=仮名・小6)は、最後にご褒美で作成したクラフトで、すっかり心が通じ合ってしまいました。


教育は、希望をもって一つずつ積み上げていく営みです。  医療は、科学的な判断に基づき、的確な治療を行う場です。

どちらがどうということではなく、子どもの幸せと成長のための、この双方向をうまく選択し、コーディネイトしていくのが親のつとめです。

治療教育的なかかわりという、ハイレベルな判断を必要とするケースには、こうした2つのフィルターを通して、もう一度そのことを見つめ直してみると、見えてくる何かがあるのではないかと私は思っています。


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エンジンのかかりの悪い子ほど 有効な支援が生きる

 2009-03-13
昨日は、まさと君 (=仮名・中) の第3回目の指導を行いました。

指導3回目と言うことなら、今回が学習スタイルの定着のポイントです。 まさと君の学びの欲求に添った内容の構成ができるかどうか、その枠組みが試される場面です。

まさと君タイプのお子さんは、曖昧な時間、意味のない時間、見通しももてない展開が大きな障壁になってしまいます。

逆に言えば、もっともキモの学習内容を、整理して提示してやれば、食いつくように、むさぼるように学習を進めていきます。

こうした意味でも、スモールステップの長所活用型指導は有効です。


この日、まさと君に用意したプリントは、漢検プリント10枚、英検プリントは30枚以上になります。

前回の2倍近くになりましたが、私はイケルと確信していました。

これまでのアセスメント(調査)で、彼がこのプリントのどこでつまずき、どれくらいの時間がかかるかを、ほぼ見通すことができていましたから、その時の支援方法もしっかりイメージできていました。

一つのユニットをこなすごとにシールを貼っていきました。 途中 「う~ん、間に合わないかも知れない」 と泣きが入りましたが、これも予想済みなので、「絶対大丈夫、できることまでやればいいし~」 とさらっと流すと、またカリカリ鉛筆を動かし始めました。

途中リズムがつき、時間以内にできそうな手応えを感じると、途中鼻歌は混じるし、ニコニコ笑顔で学習をするようになりました。

ここに来ての集中力は、すばらしいものがあります。

息も付かず70分以上学習に集中し、残りの20分で、ごほうびで、楽しみにしていた英語のDVDを一緒に観ました。

DVDの途中で、電話がかかって来たもですが、まさと君はしっかりその間DVDを止めていました。 (私と一緒にそのDVDを観ることに意味があったのです)


指導後のご両親とのお話の中で、最近、学校にも行きにくい、宿題もしない、何も書こうともしない、すべてにやる気をなくしてしまったまさと君が、そんな風に集中して勉強したなんて、信じられないことだし、うれしくてたまならいと、何度も何度も頭を下げて帰られました。

今回の90分指導で、私も達成感を感じました。


マドンナさんコントでが、学習の手応えを感じることによって、よだれが止まった子どものことを教えてくれましたが、これは真実だと私も思います。

人間のいう生き物は、みんな伸びたいし、向上したいという基本的な欲求をもっています。

私の所に通って来てくれる子の多くは、その間口がちょっと狭い傾向がありますが、その分入ったときの推進力には、抜群のものがあります。

学びに飢えていた分、そのフィールドに立った瞬間、爆発的に学習を進めていく場面を何度も目にしてきました。

私の仕事は、その間口に子どもを立たせること。 それは子どもの特性(長所)に合わせたスモールステップの構成と、支援の出し入れ、そして形成的な評価や新たな目標づくりです。

そこまで出来たら、家庭や学校にその事を生かす環境を構成していくことです。


まさと君の前に、友里ちゃんの指導もありましたが、この90分もあっという間で、休憩なんかはいりません。 友里ちゃん、ここで勉強すること自体が楽しくてたまらないようです。

この友里ちゃんも、エンジンのかかりは悪いですが、方法をつかめば、イノシシのように一気に前へ進んで行くタイプです。


やりたいという気持ちの強いこほど、できないことを受け入れることがむずかしいようです。

ならば、例え簡単なことから初めても、勢いを付けて、上へ上へと目指す長所活用型指導はいかがでしょうか?

頑固・こだわりは短所矯正的な見方であって、長所活用型の発想では、それが爆発的なエネルギーとなって結びついていくのです。


昨日の友里ちゃんの国語指導で、全体的なアウトラインをつかませた上で、個々の文章の読み取りを行わせると有効であることがわかってきました。 これは、かれんちゃんの認知特性を考えていた時の気づきをベースにしたものです。

この辺りは、短い言語で端的に表現できるレベルではないのですが、人がものを認知するメカニズムの淵を覗いているような気分です。


その扉を開けて、子どもたちを、でっかい学びのフィールドで思う存分駆け回らせたい。

これからの指導には、そんな気持ちで向き合いたい。

今、そんな事を考えているのでありました。


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かれんちゃんの瞳に映る もうひとつの認知の世界

 2009-03-11
昨日は、かれんちゃん (ダウン症・3歳) の10回目のセラピーでした。  あらあら、かれんちゃん、左目にけがしちゃってます。 ですが、きょうも元気一杯にこの教室にやって来てくれました。

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皆さんは、バナナと聞くとどんなイメージを思い浮かべますか?

年配の方でしたら、昔は病気の時しか食べられなかった高級なくだものであったり、若い方ならすぐにバナナダイエットと結びついたりします。

この教室に通うあきなちゃんは、ちょっと前までは、黄色くて長いものであったら、それがとうもろこしであっても、クレヨンであっても、お月様であっても、みんなバナナと呼んでいたと、ご両親が教えてくださいました。

フッサールという哲学者は、「認識とは、知覚による情報から意識が作り上げた像であって、存在そのものではない」 と奥の深いことを論じています。


先週のパズル放り投げ事件を発端に、かれんママは、このかれんちゃんの認知を 「かれんママレポート」 として興味深いエピソードにまとめてくれました。

今回の私のテーマは、このかれんちゃんの目に映る、認知の世界を共有することです。

さて、かれんちゃんの目には、いったいどんな小宇宙が広がっているのでしょうか?


先日、高次脳機能障害で、平面認知が極端に苦手なお子さんといっしょに勉強しました。 インフルエンザ脳症によるものだとお聞きしましたが、聴覚野の機能はすばらしく、聴覚性の支援で、ある程度は平面認知の機能障害を補って学習が工夫できるのではないかと、私は感じました。

かれんちゃんの場合は、私のイメージとかれんママレポートを分析したかぎりでは、でっかい空間認知が得意で、チマチマした平面認知が苦手

つまり、パズル系は苦手だけど、実物やお部屋の場所とかはしっかりわかるタイプのお子さんらしい、ということがわかってきました。

ならば、得意な方から苦手なことを攻める二系統でよいのではないかというのが、私のとらえです。

つまり、実物から入って、少しずつ絵本やパズルに迫る小さな階段を登っていけばいいのではないかという作戦です。

かれんちゃんの認知できているらしいものの中に、犬とカエルがありました。

まずは、100円SHOPで買った、おもちゃの犬を提示しました。 (↓下の画像)

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やっぱり、これ、思いの他、入りがよかったですね~

ラッコと犬で、犬はどっちのランダムローテーションかけてみましたが、10試行でパーフェクトでした。どう見えているか、不思議なところもありましたが、しっかりねこやラッコと区別できているのは、明らかでした。

でもね~ これ、色で見ているか、形で見ているか、子どもによって違うし、あきなちゃんのように黄色いものがすべてバナナだったりしますから、そこの精査も必要です。

ストループテストといって、人間、赤で 「黄」 と書いても、赤って読んじゃうこと多いです。

トイレに赤で男性マーク書いたら、多くの女性がまちがえて男性トイレに入ってきます。

ならば、そういうことを意識して、認知の階段作ればいいのではないか、というのが今回の私の気づきの一つです。



次の画像は、はみがきしなかったワニさんが泣いている絵本があったので、私が泣く真似を先にして、かれんちゃんになく真似をさせたところです。(↓下の画像)

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さすがは、このブログのスターかれんちゃん、アカデミー主演女優賞、狙えます。

これも 「かれんママレポート」 の報告をもとに、実験してみました。

「そうか、泣くはわかるか、ならこれも使って広げよう」 が、今後の私の作戦になります。 平面画像も、三角四角はわかりにくくても、こういうことはわかるのです。

三角四角、パズルが苦手でも、悲しい気持ちがわかる方が人間らしいですよね。

かれんちゃん生活力あるし、どこへ行っても人気者。 

君の魅力は、何と言ってもそのエネルギ-

チマチマパズルは、認知力アップの手段であって、それ自体が目的ではないので、そこにとらわれすぎるのは、やめておこうと感じました。

このかれんちゃんの最大の魅力をベースにして、長所活用型のプログラムを再構成してみようかと決めました。



最後の画像は、かれん先生の読み聞かせを、私が聞いているところです。(↓下の画像)

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かれんちゃん、抱きしめたくなるくらい可愛い場面です。

一番下の画像は、「トントントン-」 の私の求めに、かれんちゃんが反応してくれた場面です。

これも、かれんままの情報を、実際に私のセラピの場面で試してみました。


もちろん、明瞭な言語を発声しているわけでは、ありませんよ。

かれんちゃんが今言えることばは、「よんで」 とか 「ここ」 とか 「せんせい」 とか、それくらい。

それもフッサールではありませんが、特別な意味で使われています。 でもそれを共有する同じステージがあるから、コミュニケートが成立するのです。


この体験が豊富になればなるほど、認知・認識が深まり立体的になっていくと考えるのは、おかしいでしょうか?

脳の視覚野に機能障害があっても、聴覚野からネットワークを広げていけば、可能性が広がると思うのは、まちがった考えでしょうか?

それでもやっぱり、苦手な部分ばっかり、何度も何度も繰り返す方法が必要なのでしょうか?

パズルができるということの、何を私たちは喜ぶべきなのでしょうか?


目に見えるけど、時が経つとくずれていくものもあれば、今は目に見えなくても、やがては大木に育つ根を、しっかりと張っている時期もあります。

どちらがどうと論ずることではなくて、子どもの育ちをしっかりと見つめていくことが大切。 そのためには、指導者と保護者との連携は、極めて有効な方法だと私は考えます。

そうしたことをふまえた上で、私はかれんちゃんがパズルが出来る日を心から願っているのであります。


(このかれんちゃんの実践記録が、ある財団の教育研究助成の対象となることが内定しました。正式決定通知をいただきましたら、改めて皆様にお知らせをいたします)


※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。


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小学校で学ぶダウン症児への 個別指導の重要性

 2009-03-10
先日、通常の小学校で学ぶ、何名かの発達面に課題のあるお子さんの指導と、そのご家族のご相談を伺いました。 お子さん全員がダウン症というわけではありませんでした、その大半はダウン症のお子さんでした。

ほとんどが、アセスメント(調査)的な指導であったとは言え、1日のうちに学齢期にある、数名のダウン症のお子さんの学習指導をさせていただく機会に恵まれたのは、本当に幸せなことだと感じました。

指導前に、ご家族の皆さんから、内容の深い、たくさんの資料を用意していただきました。

正直、指導前には、ご家族の期待に添える内容になるかという点で、不安な気持ちもかなりありました。

朝9時~夜10時まで、途中30分の食事休憩を2回入れただけの、13時間ロングラン指導(相談)でした。

ところが、ちょっとだけ不安だった、子どもたちへの学習指導の楽しいこと、楽しいこと・・

13時間は、過ぎてみると、あっという間の出来事でした。


子どもも指導する側も、このやってて楽しいと思える感じ、イケテル感は、私が最も大切にしているモチベーション (学習の動機付け) に関連する、最も大切な要素の一つと考えています。

この学習の手応えというか、成長の実感というか、そういうものは、決して誰かと比べることから生まれるものではありません。

その子自身の、イケテル感覚が何にも増して重要で、それを支えるご家族の愛情と理念の深さも、お子さんの学びのあり方に大きく影響を与えます。


私の行っている指導法は、応用行動分析を個別の学習指導に取り入れた、長所活用型スモールステップ学習法です。

これは、特定の障害特性にシフトしたものではありませんが、感覚としては、この数名のダウン症の子どもたちには、極めて有効だと感じました。

スモールステップの即時強化で、あれだけ毎回ガッツポーズをしてくれて、それでいて、あのとんでもなくすばらしい笑顔で攻撃させてたら、私うれしくてうれしくて、旅の疲れもいっぺんに吹き飛んで行ってしまいます。

これ、私がこうですから、子どもたちにはもっとインパクトがあったのではないかと感じています。

我が子のようすを扉の向こうで、心配されていたお母さんもいらっしゃいましたが、私の 「すご~い」 「よくできたね~」 みたいな即時強化の嵐に、かなり驚かれていたようでした。

スモールステップ → つまずきを見通したプロンプト(支援) → 即時強化 → 次のステップ → 伸びてる感・イケテル感 → 自己イメージとモチベーションの向上

このサイクルは、まちがいなく今回指導をした子どもたちの心に食い込んだと感じています。


こうした指導を行うためには、場の設定とアセスメント、指導技術が必要ですが、それさえできれば有効性は明らかです。

特に臨界機がある学齢期の子どもたちにとっては、この時期の教育のもつ重みは、定型発達の子どもと比較することはできません。


この大不況の中、地方教区行政の予算も限りがあることは、百も承知です。

しかし、同じ子育て支援であっても、フランスの政治と日本の政治では、まったく温度も覚悟も本気度も違います。


要は、本当に子どもを社会に役立つ存在に育てることが、費用対効果の面からも、教育の果たす役割の面からも、ユニバーサルな社会を作るという面からも、それが必要欠くべからざる内容だと、心の底から、芯の芯から深く理解し、それを何が何でもやり抜こうという理想に燃えた決心が、校長や行政担当者にあるかどうか、その一点に尽きると思います。

私は、ダウン症のお子さんを直接指導した者の一人として、今しかできない教育、学齢期における個別指導が不可欠であるという認識を、世の中に、そして教育行政にかかわる担当者に、もっともっと伝える努力をしていかなければならないと、強く決心したのでありました。


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教育の力による 行動改善の姿

 2009-03-09
昨日、つよし君 (=仮名 1年男子) のお父さんから、下記のようなメールをいただきました。




こんにちは つよしの父です

先生のところでお世話になってから、つよしが明るくなりました。学校でのトラブルも少なくなり、いつも学校であったことを話してくれるようになりました。

そのときの表情がとてもいいんです こちらも楽しくなるくらい。本当にうれしいです。

白ゆり教室へいくことを いつも楽しみにしてます。

これからも、いろいろと お世話になります  よろしくお願いします。




このお父さんは、決して多弁な方ではありません。 ひとつひとつ言葉を選ばれて、お話をされるような感じのお父さんです。

何気ない、飾り気のないメールのようなのですが、実は私、飛び上がって雄叫びをあげたくなる程、うれしい気持ちになりました。


子どもの行動改善は、私のライフワークの一つです。

クスリによらない、教育の力による行動改善の臨床事例

死ぬほどあこがれた、わたしのめざす山の頂がそこにあるのです。


今時ですから、本を探せば、理論的なことはいくらでも見つかります。 方法論をマニュアル化した、ペアレントトレーニングだって存在します。

しかし、教育の力による臨床事例が、いったいどこにあるのでしょうか?

私は、このブログで、ぜひその教育の力による行動改善の一端を、紹介させていただきたいと願っておりました。


日本の教育現場では、生まれ変わったように、子どもの行動が改善された事例は、山ほどあります。

しかし、それは意図をもって治療教育的にかかわった事例として報告されることは、ほとんどありません。

きっとそれは、学級作りであったり、教育愛であったり、クラスの歩みであったり、そんな形でまとまられてしまっているものだと考えられます。


ちょっとしたエピソードですが、忘れなれない一コマがあります。

私が6年生の副担任だったときに、ある教室に行くと、給食の前にふてくされてしゃがみ込んでいる男の子がいました。

女性の若い担任の先生でしたが、それはすばらしいセンスをもった担任の先生でした。

私は彼女を完全に信頼していましたから、どうするかなとそのまま見ていたら、「あなたが給食食べないなら、私も給食食べない」 と言って、何とそのこの横にしゃがみ込んでしまいました。

で、ここからがハイライトです。

そこにいるクラスのみんなは、それを見ているような、見ていないような顔で、淡々と給食の準備をしています。

私が、何をそこで感じたかというと、子どもたち一人一人が、この先生に対して絶対的な信頼感をもっているということです。

誰一人として、冷やかしたり、斜めにそれを見て通りすぎる者はいません。


今は、この子がその対象となっているけれども、みんな形は違っても、これまでどこかでこの先生の深い愛情を感じ取っているので、みんな心の中で、その子と先生を応援していることが、私にはしっかりと伝わっていました。


やがで数ヶ月後、このクラスで研究授業が行われます。

この学年、5年生の時は、崩壊していたと聞いていましたから、そもそも外部の方を招いて研究授業をすること自体が奇跡です。

算数の授業でした。

そこで、あの給食の時にしゃがみ込んでいた子どもが、前に出て、恥ずかしがりながらも自分の言葉で、自分の考えをしっかりと発表している姿がそこにありました。

もちろん、学力的にも厳しい子どもでした。

はにかみながら、たどたどしく、それでいてしっかりとした彼の表情には、数ヶ月前、目を三角にして教室でしゃがみ込んでいた面影はどこにも見あたりませんでした。

後ろで見ていた、この学校の先生のほとんどは、目に涙を浮かべてその発表を見つめていました。

その子は、表情も、物腰も、学習に対する姿勢も、1年前とは違う人間に変容していました。

これが、教育の力による行動改善の姿です。


つよし君は、1月4日から私の教室に通いはじめ、これまでにマンツーマンの個別指導、隔週90分を5回させていただきました。

私が、つよし君にとってあの若い女性の先生のように、大切な存在になることによって、この子の行動改善の道筋を付けたい

それが私の意図であり、願いでありました。


たぶん、勉強は、うちの教室の中では一番しごいている部類に入ると思います。

でも、活気はあるし、楽しいし、充実感があります。

なので、ちょっと期待はしていましたが、それでもやっぱりこのメールには、飛び上がって喜びました。


私は、クスリを否定するわけでも、ペアレントトレーニングを否定するわけでも何でもありません。

しかし、子どもの行動改善のためには、子どもが生活のベースとしている学びの場の構成、教育の果たす役割を、もっともっと見つめ直してもよいのではよいのではないかと考えています。

それがあっての、クスリであり、ペアレントトレーニングだと考えています。



絶対にあって欲しくない、架空の先生のネガティブなストーリーです。


(ネガティブ先生のセリフ)

おたくのお子さん、学校で落ち着きがないから、検査に行かれてはどうですか?

ペアレントトレーニングを受けられては、どうですか?


(SHINOBU先生の反論)

ちょっと待ってください。

先生、あなた自分のすること、何か忘れていませんか?

自分の、教育的な情熱や技術や力量不足によって起こったトラブルを、何でもかんでもAD/HDのせいにしてませか?

そんなすりかえは、いい迷惑です。

そんなのは、特別支援教育でも何でもありません。



教育の機能があってこその、医療や諸機関との連携です。

それをせずして、病院や機関に子どもを押しつけて、子どもから目をそらすのは、いい加減にやめてほしいと思います。

リタリンやコンサータを必要とする部分、ペアレントトレーニングを必要とする部分があるように、行動改善のために教育の営みを必要とする部分が必ずあります。


私は、教育の実践者ですから、当然教育的なアプローチによる行動改善をめざします。

そして、その魅力と可能性に大きな誇りをもって、日々の実践に取り組んでいます。


クスリによる行動改善に対して、それを手放しで喜べる保護者の方は、少ないと思います。

それは教育が対象としている部分と根本的に何かが違うのです。

関係機関との連携は重要ですが、丸投げは御法度です。 問題のすり替えも、もってのほかです。


つよし君のお父さんのメールが、どれだけ私に勇気とやる気をみなぎらせる結果となったか、お分かりいただけるでしょうか?


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コミュニケーション能力を高める指導のアイデア

 2009-03-07
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このブログでおなじみの太郎君(=仮名 現在小1)についての実践事例が、本に載りました。

私が書いたのは、 「 4 」 自分の意志を伝えるのが、むずかしい子ども  「1 」 自己表現を育む共通のステージ  というコーナーの数ページです。 (p55-p59)

原稿を書いたのは、確か昨年の8月位だったのですが、今読み返すと、その時よりも太郎はうんと成長しており、もうその時のレベルが、遠い過去のように思え、なつかしくさえ感じます。

正直、その後の成長について付け加えたいくらいです。

コミュニケーション指導について、全国の色々な先生方の具体的な実践例が、豊富に掲載されていますので、関心のある方は、ぜひご覧になってください。


また、4月25日刊行予定の 「自閉症教育の実践研究」第13号 明治図書   にも、~情緒を安定させる効果的な指導の実際~ ということで、原稿を寄せています。


機会がありましたら、ご覧いただければ幸いです。


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カコチコチの氷がとけ始める瞬間

 2009-03-06
昨日は、まさと君(=仮名 中3・男子)の、2回目の指導の日でした。 まさと君は、小1の時と小2の時の2年間、私が特別支援学級で受け持ったお子さんで、7年ぶりの再会です。

まさと君のご家族とは、私が転勤した後も、ずっとお付き合いをさせていただいております。

いろいろなことがあり、中学で少し学習の自信を失いかけ、7年ぶりにいっしょに学習をすることとなりました。


前回の指導の時は、まさと君もちょっと緊張しており、私も何からどうしたらよいか迷っていたところもありましたが、今回は2回目ですから、ある程度の見通しを持って準備をすることができました。

(1回目の指導の内容については、2/27の記事をご覧ください)



以下の画像は、2回目の指導の様子です。

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まさと君は、4月から特別支援学校高等部への入学が決まっています。

本当は勉強をしたいのに、自分のイメージ通りに学習が進まない痛みが、まさとくんとご家族苦しめていたことを、以前からお父さんにお伺いして知っていました。 特別支援学校への入学決定までにも、様々な葛藤やドラマがあったことも、以前よりご家族からお聞きしています。


今回、私が指導をさせていただくことになり、まず私が考えたのは、まさと君の学びの心を、しっかりと育んでやりたい、ということでした。

そこで、ご家族に情報をいただきながら、まずは英検4級と漢検7級を目指した学習を進めてみようと考えました。


書店に行って教材を選び、前回そのうちの何枚かに取り組んで、その感触を試してみました。 

まさと君、最近は、学校での勉強がほとんど成立していないということでしたので、内容は少し易しすぎるな、という程度のものから初めて、リズムを付けようと考えました。

漢検のプリントを3ユニット(6ページ) 英検のプリントも3ユニット(22ページ)用意しておきました。

今日はこれだけがんばろうと、学習計画表を作成し、1ユニットが済むとそこにシールを貼っていきました。

同時にタイムタイマーをセットして、正味1時間は、国語と英語の学習に集中し、残りの30分は楽しい活動に使うというフレームをこしらえました。


「今日からの勉強は、こんな感じで行こうね」

これだけ話すと、まさと君の表情が、ふっと緩むのを感じました。 もうここで、完全に受け入れたと、私は判断しました。

前回のような緊張も、ギラギラとした感じも、もうすでにそこにはありませんでした。


まさと君が、小学校1・2年生の時は、私のクラスはまさと君1名だけでした。

おまけに、1年生の通常学級の担任は、前年度私と一緒の学年を担任した先生でした。

(私が一応学年主任でしたから、何でも無条件にお願いを聞いてくれました。彼女も特別支援の深い理解と技術をもった先生でした)

なので、交流で1年生の学級にいくことはあっても、この2年間、まさと君が学校にいる間、私はずっとまさと君に寄り添っている状況でした。

ですから、何年たったにしても、この2人で勉強する感覚や、お互いの信頼感みたいなものはすぐによみがえってきます。

私、この取り組み、イこの時点でもう、イケルと感じることができました。


4月からの特別支援学校高等部のマルチな学習と、週1度のこの教室での中身の濃い個別教科学習との組み合わせ、悪くないと思いますよ。

私、まさと君の行く特別支援学校で、中学校のアシスタントティーチャーをやったことありますから、この学校のすばらしさも知っています。


まさと君の英語のリピート、思っていたよりずっとずっとクリアな発音でびっくりしました。

私もNOVAで、1000時間近いレッスンを受け、大学院で英語の論文を何度も翻訳した経験が、こんなところで役に立つとは思ってもみませんでした。

初めて人に教える英語、楽しくてたまりません。

私は、まさとくんと一緒に検定試験受けにいく日がくる Xデー が、今から楽しみで、楽しみでたまりません。 検定合格証書をもって、2ショットで写真をとって、ご家族とファミレスで乾杯~などと、悪のりの妄想まですでに始まっています (笑)


指導が終了すると、またご両親と時間をかけて情報交換をさせていただきました。

このご両親、よっぽどのことがない限り、ご夫婦で続けてこの教室に来られると思います。

私、このご両親と連絡帳で、電話で、家庭訪問で、何回連絡を取り合ったかわかりませんが、その連絡や相談自体が、毎回楽しみでなりませんでした。

そうでなきゃ、あんな感じにはなりません。


> 先生、この子の何かが変わってきているのが、はっきりわかります。

> ちょっと前まで、家を出る時も、何も反応がなかったのに、今日は 「行ってきます」 と自分から言葉をかけてきました。  こんな事は、生まれて初めてのことです。

> あんなにトラウマのように頭の中でぐるぐる・ぐるぐる回っていた  「BSジャパン」 へのこだわりが、目に見えて改善されて来ました。


指導が終わって、30分も経たないうちに、またお父さんから電話をいただきました。

やさしい自然な笑い方になってきた・・ 本当にうれしくて・・・ 

かなりうわずった声で、何度も何度も、感謝のお言葉をいただきました。


それは、まさ君の心の中の、カチカチの氷が、まさにとけ始める瞬間なのでありました。

これ、私の手柄じゃありません。

ご両親が私の所に、まさと君を連れてくること、本当はそんなに簡単な事じゃないはずです。

それに、1回の指導にかかる費用も、決して安くない金額です。


私は、与えられたフレームの中で、最低限の仕事を、ちょっとだけ心を込めてさせていただいただけのことです。

氷がとけ始めたのは、ご両親の願いが、私を通してまさと君に伝わったからに違いありません。


このお父さんは、親の会の役員 (かなり責任のあるポジション) をされています。 お母さんもPTAの役員だけでなく、地域のボランティア活動を何年にもわたって続けられています。 ご両親ともお仕事をもち、超多忙な方です。

私が、主体者としてのご家族と、共に歩む特別支援教育のスタイルを目指すようになったのも、このご家族とのかかわりを抜きに考えることはできません。

あの小学校の2年間、双方が信頼し合うことによって、どれだけ多くの教育的な効果をもたらしたことか、その感覚は、今でも私の活動の原点であり、エネルギーとなっているのです。


繰り返しますが、主体者はご家族で、私はほんのちょっとだけお手伝いをするのが仕事です。

そのほんのちょっとのサポートが、ご家族の目指す方向のシンボルみたいになることがあります。

私たちの歩んでいく道には、既製品の道標もなければ、方程式もありません。

その判断に対する責任は、すべて自分の子どもにふりかかってきます。

どんな人でも、時にはサポートやセカンドオピニオンは必要です。

今、必要とされていることの内容の一つが、こんなことであると私は考えているのです。


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点の 「わかる」 を 線へつなげる

 2009-03-05
先日、かれんちゃん(ダウン症・3歳の)9回目のセラピーを行いました。

まずは、この日一番盛り上がった 「おにごっこ」 のかれんちゃんの表情からご覧ください。

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この教室には、私とかれんちゃんの2人っきりなんですよ。

で、どれだけ楽しい 「おにごっこ」 が展開されたかが、きっと映像からも伝わっていくことでしょう。

このエネルギーというか、躍動感というか、かれんちゃんのもつ魅力と可能性があふれ出るように感じます。


しかし、この日に私がねらっていた中心的な内容は、この 「おにごっこ」 ではありませんでした。

実は私、絵画指導みたいな形で、かれんちゃんにクレヨンでスパゲッティーとおせんべいを作ってもらう予定だったのです。


正直に言って、この日は、ちょっとまずい展開になってしまいました。

かれんちゃんは、キリンさんの首に輪を入れる活動が上手にできるようになりました。

ぽぽちゃんハウスで、30分以上も応答的なコミュニケーションを楽しむこともできるようになりました。

ならば、フルプロンプトなら楽勝で、型はめパズルくらいはできるだろうと考えて、導入に動物型はめパズルを用意してみました。

お母さんに、えっこれ出来るんですか? と尋ねられたので、できますよ、楽勝ですと答えた瞬間、かれんちゃん動物パズルをつかんで、投げしまいました。

久々に見ました。 (ちょっとショックでした。でもそこで、何か大切なことに触れたような気持ちになりました)

その直後、外部から急ぎの電話が入ってきて、30秒ほど対応している間に、机の上のパズルは見るも無惨な状態になっていました (汗)

スタートがこうなると、やることなすことちょっとずつかみ合わなくなりますね。 

時間をかけて準備した 「スパゲッティー」 も、とても私の意図にそった活動にはならず、時期をみてもう一度トライしようと思いました。


ならば、ここは展開を変えようと判断し、運動系・社会性を育てる遊び系に切り替えて、活動を組み替えました。

ダウン症のお子さんにも、認知系に強いお子さんもいれば、運動系に強いお子さんもいるでしょう。

もちろん共通点もあるわけですが、一口にダウン症といっても、いくつかのタイプにわけて理解することも、時には必要かも知れません。

かれんちゃんの場合は、いすにすわってのパズル系のチマチマ認知は大嫌いですが、おにごっこのようなダイナミックな活動になると、ご覧のように、見事に生き返るタイプのようです。


このかれんちゃんのパズル放り投げ事件は、思わぬ収穫を、私たちにもたらすことになりました。

翌日、かれんママが、かれんちゃんの認知にかかわるエピソードをメールで送信してくださいました。 (A4用紙におとすと、数枚になる量でした)

かれんママは、臨床心理士さんで、保育・発達にかかわる大学の研究者ですから、その質的なデータはそれだけで大きな、指導に行かせる財産になりました。

今後の私の指導は、このレポートの内容をベースに再構築されていくことになると思っています。 この内容については、次回以降、実践を通して皆さんに公開させていただこうと思います。


【現時点で、私の感じていること】

・ 同じ認知でも、微細系のルートが得意な子  粗大系のルートが得意な子がいる (かれんちゃん、チマチマ系のパズルは苦手でも、遠くから50枚並んだ布団の自分の場所が認知できるそうです)

・ 言語系の認知も、その段階によっては、大人が使っていることばと同じ意味にとらえているとは、限らない (かれんちゃんの場合、今は 「パパ」 「ママ」 「ばあば」 が同じ意味をもつ言葉としてとらえられている)

・ 視覚系の認知も然り、子どもの見え方は、大人の見え方とは違う (別の服を着ていて見分けのつかなかった栄養士さん、かれんママは気がつかなかったけど、かれんちゃんは気がついていたというエピソードもあるそうです)

・ 認知の点は、次第にその数を増やし、その情報が様々に統合して 「犬」 なら 「犬」 という概念が形成されていく。 (したがって今かれんちゃんのもっている 「犬」 という概念と、私たちのもっている 「犬」 の概念は同じではない。


その他にも、いろいろありますが、これから取り組んでいきたい大きな道標がしっかりできたような、すごいうれしい気持ちになりました。


そうとわかれば、方法はいくらでもあります。

私は、基本、長所活用型指導 & スモールステップ達成感 &フ ルプロンプト→フェードアウト & 得意に苦手を混ぜる2系統指導 などのスタイルですから、そこが見えれば具体的な指導は何通りだって組み立てることができます。

そして、このことはかれんちゃんだけでなく、どんなタイプのお子さんの指導にも生かすことが出来ます。


3月28日、かれんちゃんは4回目、私は50回目の誕生日を迎えます。

次の1年は、お互いに大きくジャンプできる1年になるよう期待しています。

春はもう、すぐそこにまでやって来ました。

※ この実践記録は、適切な教育によるダウン症児の成長の可能性を、より多くの方に理解していただきたいというご家族の願いと要請を受け、かれんちゃんの表情なども含め、リアルな指導の様子を公開させていただいております。



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指の隙間からこぼれ落ちそうになる 小さな真実  (データに表れない 子どもの大切な力)

 2009-03-04
昨日、あるお母さんがご相談に見えられました。

謙虚な受け答えでしたが、とても聡明な方で、地域の教育的なリソースを有効に利用し、私から見ると与えられた環境の中でほぼベストな選択をして、お子さんの望ましい教育環境を構成されている方のように思いました。

そのお母さんとの会話の中で、 「先生、内容はすべて先生にお任せしますが、やっぱり勉強は、しなければいけませんか?」 という内容の言葉がありました。

子どもにとっては、学ぶ楽しさや向上の手応えを体感させることが、行動改善など多くの面でよい影響をもたらします・・ と、型通りのお答えをしながら、私は、このお母さんが、私に希望されている内容が、痛いほど伝わってきました。


私の教室のQ&Aのコーナーの一つに、こんなことを書いた部分があります。

話の内容から、このお母さんは、きっとこの部分に共感して、この教室に来られたなと感じました。





Q9.白ゆり教室で、大切にしていることは何ですか?


一言で言えば、 「肯定的な自己理解」 の育成です。

これは、自分の苦手なことも受け入れた上で、「でも自分も結構、イケてるかも?」 という感覚です。
 
 自分の苦手なことも含めて、自分がスキになれる感覚- 

ここが育つと、自分に自信がもて、表情が明るく前向きになるだけでなく、同時に、他者を受け入れるあたたかい心が育っていきます。

このことが、その子の社会参加のための、大きなエネルギーとなっていくのです。

こうした肯定的な自己理解を育成していくために、 ①本人のやる気やモチベーションを高める工夫  ②学びや育ちの環境づくり ③認知や発達特性に寄った高度なテクニカルなサポート の3つの柱を考えています。

私自身の思いは、①が50% ②が30% ③が20% という割合です。

それくらい、私はその子の 「内発的な学びの動機付け」 を大切にして、日々の指導を行っています。

勉強が楽しい、わかる、できる、学びたい・・・

誰しもが、心の奥にこうした欲求をもっているのです。 こうした子どもの願いを叶えるための、一つの理論的なベースとして、私は、応用行動分析(ABA)の手法を取り入れているのです。




このお母さんがコピーをして持参してくださったものの中に、就学前に受けられた療育のIEP(個別指導計画)がありました。 以前私も訪ねたことのある療育機関のもので、太田ステージをベースにしたかなり内容の濃い指導計画でした。

次に、現在通っておられる特別支援学級の個別指導計画を拝見しました。

ウン? これまでに見たものの中で、こりゃ最高レベルのものだぞ~ と、思いながら記入者を見ると、そこには私の敬愛している先生の名前が記入されていました。 さすがはこの先生です。 特別支援教育もここまで来たか、という感じです。

この岡山は、TEACCH構造化の父・佐々木正美先生と、行動療法の雄・小林重雄先生にご活躍いただいた地でもありますから、そう言う意味ではなかなかの土地柄であります。


学び場のメインステージは、まちがいなく学校です。 

医療・福祉・関係機関それぞれの果たすべき役割は、子どもにとってもご家族にとって、もはや必要不可欠なものとなっています。

もはや、そういった機関の連携無くして、子どもの学びも育ちも考えられない時代になりました。


しかし現実には、それぞれの機関の間に微妙な隙間が生じているのは事実です。

だからこそ、それぞれの立場からではなくて、子どもやご家族の視点から見つめ直してみる感覚が重要になってくるのだと考えています。


このお子さんが通っておられた療育機関のIEPは、個別認知治療療育とグループ療育に分かれていて、質の高いハイレベルな内容が記入されてあります。

きっと、今特別支援学級で行われている教育内容も、おそらく最高水準に近い内容だと私は思っています。

それでもこのお母さんは、私の所にお越しくださり、数的なデータではない、質的なお子さんの育ちに真剣に向き合っておられます。

このお母さんが今、お子さんに付けたいと考えている力は、きっと、何かの尺度では明確に示すことはできないけれど、子どもが生きていく上では欠くことのできない大切なものなのです。


専門用語を使い、特別な何かをやっていれば、何かしら救われているような気にはなりますが、それが実は問題の本質ではないことも多くあります。

泥臭く、面倒くさく、格好良くないところ・・

日々の生活、日常の中にある本質的な課題

そこにいつも真っ正面から対決していかなければならないのは、その子を産んだお母さんであることが圧倒的に多いように感じています。

指の隙間からこぼれ落ちそうな部分に潜む、大切な真実。


このお母さん、謙虚で清楚な方ですが、自分の命、とっくに捨てている覚悟をおもちのように見えました。

私の教室に来られるほとんどの方は、こうしたタイプのご家族の皆さんです。

私は、そうした小さな真実をしっかりと受け止めて、ご家族の皆さんとともに歩んでいきたい。

それこそが、私に与えられた社会的な、そして運命的な役割ではないかと、今、感じているのであります。


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個別指導での最高の達成感 (手作り教材のはまり具合と 支援の微妙な出し入れ)

 2009-03-02
先日は、はるかちゃん(=仮名 5歳)の2回目の指導の日でした。

お母さんと相談に来られた日に、机の上で寝っ転がって、ぐずぐず言ったり叫んだりしてさんざん私を困らせたあの子です(笑)

この子、検査場面でもこれやったらしく、これでIQ値が出るはずもなく、重度の判定もらっています。


今回も、教室に入る前から、「行かんのー」 「トイレー」 などの声が聞こえ、すでにお母さんを困らせています。

来た早々、いきなりトイレに立てこもってしまいました (笑)


しかし、私、今回、必殺技を用意してはるかちゃんをお待ちいたしておりました。(下の画像)

ですから、はるかちゃんがトイレに立てこもっていても、わりと余裕をもってやりすごすことができていました。 

(この覚悟がなければ、個別指導教室なんて 看板はあげれません)



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これぞ、今回の必殺技 オリジナル作品
 「ひながなマスター くすりカード?? FORはるか」 です 



↓ 以下は、実際の指導場面でのようすです。
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クスリのパッケージが、はるかちゃんの心をしっかりととらえていることは、相談の時にお母さんからたっぷり伺っていました。

ならば、重度の判定をもちながら、ひらがなの読める (と聞いていた) はるかちゃんの指導では、これを教材化しないテはありません。

クスリのパッケージに、補助刺激であるひらかなを添えたカードを使い、メインの映像に、文字と音声情報をミックスさせて入力していく3系統同時刺激で、はるかちゃんを攻略していこうという作戦です。


このカードは、2枚をペアにして、30枚ほど作っておきました。

(クスリのパッケージの映像をネットでひっぱり、それをサービスサイズに焼いて、「ぱぶろん」 「るる」 「りぽびたん」 とひらがなを添え、ラミネーターでパックしておきました。

そして、指導用のテーブルに数枚、さりげなく (わざとらしく) 並べておきました。


はるかちゃん、お母さんを困らせながら、トイレに駆け込んではいましたが、私、はるかちゃんが横目でこのカードを見ながら、トイレに駆け込んでいくのをしっかりと確認しています。

この時点で、すでにこの日の私の勝利は、決定づけられているのです。


トイレで数分グズグズ言いながら、お母さんといっしょに出てきたはるかちゃんは、何とかいすに座ることができました。

(そりゃ、座るわなー 本当は早く座って、このカードが見たかったに違いありませんから)


座ってしまえば、もうこちらの完全勝利

さっそくカードを使って、映像・文字・音声の3系統での入力を開始しました。

心配そうなお母さんは、はるかちゃんのうしろにぴったり貼りついています。


私、普段は、指導場面での保護者の方の入室はお断りしています。

理由は一つ

お母さんが気になって、横でごちゃごちゃ言ったり、「ちゃんとしなさいー」 みたいなオーラを出すと、指令系統が2本に分散してしまい、子どもはどっちの言うこと聞けばよいのかわからなくなって、混乱してしまい、指導の効果が著しく低下するからです。

(でも、お気持ちは理解していますので、きつくは言いません。 でも、一歩この教室に入ったら、ご家族は、できるだけ子どもに色々言わない方がベターです。 教室を出たら、すべてご家族の方にお返しいたしますから、しつけは教室を出た後に、お願いしたいと思っています。 もし、私を信頼できないのでしたら、信頼できる他の所を探して欲しいと考えています。 そもそも信頼感がなければ、こうした個別指導は成立しません。 私がブロクを書いて、指導の内容を公開しているのも、一つにはこうした理由があるからです)


お母さんが安心された頃を見計らって、私は目で合図を送り、退室していただきました。


ここから45分間、私とはるかちゃんとのやりとりは、一度も途切れることなく、一度の離籍もなく、延々と続いていくのです。


> これなあに? (まず私が、はるかちゃんにカードを示して尋ねます)

> (2~3秒間を置いて、私が小さい声で 「ぱぶろん」 と言います)

> すると、今度は、はるかちゃんが小さい声で 「ぱぶろん」 と言います

> すごーい 正解 (即時強化でレスを返します)

> 30枚のカードを全部クリアすると、拍手して、大げさに喜ぶ私 (一応、間欠強化スケジュールのつもりです・・)


はるかちゃん、うれしくて、途中から鼻歌が混じり始めました。

満足するまで、このカードでの学習は数回以上も続きました。


一定の時間が過ぎると、はるかちゃんのリクエストもあって、アンパンマンのひらがな表を提示しました。

絶対、この展開になると思っていましたから、要求があって1秒で教材をはるかちゃんの前に提示しました。

このひらがな表は 「あ」 → 「あんぱんまん」  「め」 → 「めろんぱんなちゃん」  「て」 → 「てんどんまん」 みたいになっています。

他のひらがな表ではダメです。 私はこれしかないと思って、自信をもって用意していました。

これも、はまりました。

こういうところの追求心は旺盛ですからね。 納得いくまで、私に尋ねてきます。 アンパンマンのキャラクター、事前に勉強してきましたからね。 私、1秒以内にすべてのキャラクター名をお答えさせていただきました(笑)


そして、仕上げは 「おしゃべりアンパンマン」 の電子ボードです。

これは、音声がクリアでないので、質的には気に入っていないのですが、いくら質がよくても、「あ」 という文字が、アンパンマンの絵と対応していなければ意味がありません。

はるかちゃん、 一文字一文字、指で押して、ひらがな表記と音声を対応させています。


この子ね、勉強したいんですよ。

私は、そこの気持ちを感じ、そのことを信じれたからこそ、こうした教材が作成できたわけです。

(でも、本当はせっかく作ったカードを破られたり、無視されたらどうしようかと不安でたまりませんでした。 何せ、オリジナル教材の打率は、イチロー選手の打率よりかなり下ですから・・)


はるかちゃん、楽しすぎて、なかなか帰ろうとしません。  来るときには、トイレに立てこもっていましたが、帰るときにはオリジナルクスリカードを手に持って離しません。 

家に持って帰ろうとしているのです。 これも予想していました。 でも、このカード、まだまだここでの学習の動機付けに使いたかったので、あえて鬼のようにカードを返していただきました。 (笑)


帰る間際にお母さんが、「先生、太田胃散を忘れています。 はるかは太田胃散に目がないのです」と教えてくれました。

うふふ、お安いご用です。 ちゃんと作って、次回の時は、テーブルの上には、「太田胃酸」 の他、はるかちゃんの大好きなおクスリのパッケージが、ずらりと並んでいるはずです。

それに、次回は、オリジナルの 「アンパンマン」 のひらがなカードが出来ています。


今日の指導の最中に、そのカードを使っての次のステップがすでにイメージ化できています。

指導というのは、マニュアルではなくて、このイメージが重要なのです。

研修に行って、分厚い復命書いても、結局それだけで指導に生きないのでは何にもなりません。 それより具体的な明日の実践に生きる指導イメージを、一つでも思い描くことが大切です。

特に、何らかの指導の切り口をもっている指導者 (私の場合は、応用行動分析) は、どうしてもテクニカルな方に走りがちですから、逆に臨床場面では、そういうマニュアルやテクニカルな部分を捨てて、まっさらで子どもに向き合う方が、結果うまく行く場合が多いように思います。


ここまで来ると、アンパンマンのカードづくりも楽しいものです。

45分の指導のために、実はその何倍もの準備の時間が必要です。

しかし、このはるかちゃんへの教材開発のエキスは、他の子の指導や教材づくりにも、大きなプラスの影響を与えていきます。 教材づくりの工夫によって私の力量は確実に進歩します。

先日、ミニプリンターを購入しました。

それは、花子ちゃんの指導場園で、その日の学習の展開によって、1分以内に新しい教材をプリントアウトできるシステムを、ご家庭におじゃました時にもできるようにしたいと考えたからです。

マクドナルドで、注文してからパティーを焼いて商品を作る、あの感覚です。

これも、個別指導ならではの醍醐味です。

また、プロンプト(支援)を、子どもの手応えや表情・学習の展開によって厚くしたり、フェードアウトしたりする、いわゆる支援の出し入れが出来るレベルになると、指導していれゾクゾクするくらいの快感で、疲れもふっとびます。

個別指導、最高の場面で、やっていてよかったー と、思える瞬間です。


今の私の最大の悩みは、「散髪に行く時間がない」 ということ・・

今日も私は、散髪に行く時間を削りながら、アンパンマンカードをせっせと作っているのありました。


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