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子どもはテクニックではなく 心で動く

 2008-12-30
「うちの教室の指導には、マニュアルがないのですよ。 まずお子さんと向き合って、そのよさと特性を理解し、発達の最近接領域を見つけ、そこに願いと目標がが生まれ、オリジナルの教材を開発する・・  時間がかかります。 ご家族と何度も情報交換をして、何度も試行錯誤を繰り返します。 やることなすこと、とてもすべてパーフェクト、というわことになりません。  当然、打率も低いです。 何やっているのか、わからない時もあります。 それでも、よろしいですか?・・」

私は、保護者の方との相談の折には、必ずこうした内容をお伝えすることにしています。

この説明をすると、ほとんどの方は、ほっとした表情になります。 オリジナルで考えていただけるのは、とてもありがたい、と多くの方がそう伝えてくださいます。


定番指導マニュアルには、定番指導マニュアルの良さがあります。 失敗が少なく、一定の品質が担保され、開発費もロスも少なく、ある意味効率的です。

学校の教育課程などは、その典型です。

しかし、定番指導マニュアルが、完璧で、何の欠点もないのかと言えば、それはケースバイケースであると考えています。

1年生にできていたはずの学習が、2年生も後半になると、跡形もなく消え去っていることがあります。 取り組んだドリルやプリントの枚数だけがどんどん増え、できたつもりでいても、まるで賽の河原や積み木崩しのように、いつの間にかガタガタと崩れ、また1からやり直し、ということもあります。


ここで一番恐ろしいのは、学習者の心が痛んでしまうことです。

モチベーションが極端に低下したり、自分はダメだと思いこんだり、集団から疎外されたような気持ちになってしまうことは、本人にとって大きな不利益になってしまいます。

マニュアルは単なる一つの手段であって、それ自体が目的ではないはずです。

私は、子どもと向き合うときには、どんな子どもであっても、気持ちをまっさらにして向き合うことにしています。

そして、その子と共にできること・わかることを一つ一つ積み重ね、評価し、学習の意欲、分かる喜び、出来る楽しさを体感させ、学習の意欲を高めていきます。

いつもお知らせしていることですが、私の気持ち的には、モチベーションの育成5 : 学ぶ環境作り3 : 特性に応じたテクニカルサポート2 の割合で構成しています。


12月から、しゅう太君(=仮名 小1男子)が、隔週90分の指導を受けに私の教室に通ってくれるようになりました。

このお母さんは、花子ちゃんの認知力アップの記事(12/7)を読んで、確かその日にメールをくださり、次の日にはご相談にお見えになり、翌週には指導を始めさせていただいた方です。

この子と学習のゲームをしてほしい、形式ではない真の学力を付けて欲しい、この子の特性にあった内容を構成して欲しい、それがお母さんのご希望でした。 (ずっと前からこのブログを読んでくださったようで、私のスタンスを十分理解してくださっていましたので、私としては異例のスピードで指導を開始させていただきました。)


昨日が第2回目の指導の日でした。

しゅう太君は、勉強の最後にあるカーレースが楽しみで楽しみで、何度も何度も学習メニューの
 「カーレース」 の文字を見つめていました。

しゅう太君も、お母さんの事前の情報通り、形の認知、それも斜め系が苦手なお子さんのようでした。

さっそく先日紹介した 「十の画べえ」 と 「書字系統プリント」 などの学習に取り組みました。 半年間、花子ちゃんと格闘した分野ですからね、とこがどのレベルなのか、気持ち良いくらい感じ取ることが出来ました。

学習に手応えがあると、マンツーマンでも、盛り上がるんですよ。 本当に楽しい。


前回は、カーレースのパーツが1個足らなくて、しゅう太君、不完全燃焼でした。

なので、今回は、しゅう太君のために、おもちゃ屋を2件まわり、ネットでパーツを購入して万全の構えで待っていました(笑) こういうところは、マニュアルには絶対に無い部分です!

最後の学習メニューをこなして、 「カーレース」 をするときのしゅう太君、うれしそうでしたね~

お母さんのメールによると、帰りはかなりの上機嫌で、車の中でオリジナルの鼻歌を歌っていたようです。 (満足してもらえてよかった)


ABAの理論で説明すると、これがしゅう太君が熱心に学習に取り組んだことに対する、最高の強化子になると、私は考えたわけです。

時間に追われ、死にそうな中を、寒風の中2件のおもちゃ屋をバイクでまわり、それでも見つからない最後のおもちゃのパーツをネットで購入するド根性! これもマニュアルにはありません。

私は、しゅう太君に、私の気持ちや願いを伝えるには、この方法しかありえないと思っていました。 

君の大好きなこと、先生は知っているよ、そして君のこと、もっともっと理解して、これからも先生といっしょに、楽しく勉強していこうよ、そんな気持ちは、このおもちゃなくして伝えられないと考えていました。

この私のエネルギーの原動力となったのは、花子ちゃんの記事を見て、翌日に相談に来られた、このお母さんの思いであることは言うまでもありません。

人間って、こんな気持ちって、伝わるものじゃありませんか?


私はもこれまで、重度の障害をもつ子どもとも、何度も接触をもってきました。

そこで何度も感じてきたのは、子どもは理屈や口先やテクニックではなく、心で動くと言うことです。

それは障害の種別・程度には全く関係なく、その感性はどの子もみんな同じであるということです。


私は、しゅう太君が大好きになりました。 カーレースでのしゅう太君の喜び方は、私の予想を超えたものでした。 なんか、心つながったなって思いました。 と、なると、自ずから私の教材研究のモチベーションも上がりますよね。 人間ってこんなものです。

しゅう太君は、その特性から、同年代の子どもとのかかわりにやや苦手な傾向があるということを知っています。

だからどうしたら良いのか、それは誰にも分からない。 だからこそ、私はこのご家族と一緒に歩み、私でお役に立てることを探し続けていこうと考えているのです。

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模索・選択・決断・創造・・  真剣であるほど困難な 家族としての願い

 2008-12-28
先日、関東地方にお住まいの、あるお母さんから、お子さんの成長記録を送っていただきました。

現在、小学校の、通常学級で学んでおられる、ダウン症のお子さんの成長記録です。

プライバシーの事があるので、画像を公開できないのが残念ですが、あまりにも精査された内容と、そこに流れる豊かで深い愛情に、しばし言葉を失ってしまいました。


このブログを熱心にご覧いただき、以前メールで 「今すぐに、私に会いに岡山に来たい」 とおっしゃってくださいましたが、「いくらなんでもそれは・・ 」 ということで、次回東京へ行ったときにご相談を伺うお約束をさせていただきました。

お母さんは、それでは、その時までに目を通していただければ・・・ と、いうことで、何日もかけて資料をもう一度整理され、ご丁寧なお手紙を添えて送付してくださいました。

その1ページ、1ページから、切なる思いがダイレクトに伝わってくるようでした。


以後、その記録はいつも私の手元に置き、時間があるときには何度も目を通すようにしていますが、読めば読むほど、何がそこまでお母さんの気持ちを突き動かすのか、理解できるようになってきました。

私が、このブログで私が訴えてきた内容と、あまりに共鳴する部分が多いことに、変な話ですが、私の方が驚いてしまいました。

と同時に、そこに幾多の困難があったか、痛いほど伝わってきました。


集団の中に居場所がしっかりあることと、高度な専門的な指導とは、相反する物でも何でもないはずです。 

なのに集団から除外しないと、専門的な指導が受けられないというような空気があることに強い憤りを覚えます。

集団には、集団でしか育たないエネルギーやパワーがあり、優れた専門的な指導には、子どもの可能性を見つけ、それを引き出す道筋というものがあります。

ところが、悲しいことですが、ただ集団から除外して、せまい部屋の中で、専門的な指導も何も行われず、単調な反復学習ばかりをしているケースがないとは言えないのが、現実です。

こうなると、親の気持ちの行き場所はありません。


例え、みんなと同じような活動はできなくても、リアルな子ども集団の中に居場所があり、メンバーの一員として知って欲しい、受け入れて欲しい、ただそれだけでいい。

それでいて最低限でよいから、ほんのわずかでよいから、この子の特性に応じた専門的なかかわりををお願いしたい、こうした親の気持ちの、一体どこに誤りがあるのでしょう?


どこかであきらめてしまえば、どんなに気が楽になるかも知れない。

でも、親である以上、それだけはできない。


真剣に向き合えば向き合うほど、その困難指数は、どんどん上昇していきます。

具体的であればあるほど、実現に向けて、思わぬ困難が次々と訪れます。


同じ苦労でも、耐えられる苦労と、そうでない苦労とがあります。

その違いは、心の支え、そして希望と可能性の存在です。

それさえあれば、どんな苦労だって耐え抜いてみせる、 それで子どもが幸せになるのなら、どんなことだってすべてやってみせる!


私の周りのご家族は、そんな方ばかりです。

私、このお母さんに会いに行かせていただきます。


きっと、具体的には何もできませんが、実際に会って、その表情を伺い、そのお気持ちを受け止め、そのお気持ちを支えてこようと思います。 そして、希望の光を見つける作業を、少しでもお手伝いさせていただこうと思います。


バーチャルなネットの世界だからこそ、人の真実が浮かびあがることがあります。

真剣だからこそ、思いが強いからこそ、そこに難しさもあり、苦しさもある。

最近、特にそんな風に感じることが多くなってきました。


まだまだ駆け出しで力量が足りませんね。

もっともっと力量を高め、本当にご家族のお役に立てるサポーターに、一日も早く成長しないといけません。 

みなさんの応援、よろしくお願いします。

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リアルな子ども集団での育ち (インクルージョンとは何か?)

 2008-12-26
冬休みが始まりましたね。 私の方は、学童保育の小学生を園のバスで迎える当番になっているので、朝7時からバスの運転手さんです。

夏休みは、バスの中がいっぱいになる人数のご希望がありましたが、冬休みには、下の写真のように数名の児童の迎えに伺っています。 (この中には、ブログでおなじみの太郎君もいます)


20081226.jpg
       子どもたちが夢中でケイドロをした山林


ご家庭の都合で、7時半には職場に向かいたいお母さん方のニーズに応えるためで、学童受け入れ開始の8時半までは、SHINOBU先生が、お世話をさせていただこうということになっています。

この日は、1年生2人、2年生2人、3年生2人、5年生1人の合計7人、本当に個性豊かで、私はこの子たちが大好きです。

長期休業中は、ご家族と過ごす時間より、学童保育で過ごす時間の方が、長いくらいで、こうなるともうみんなは、兄弟・家族と同じようなつながりがあります。

8時半までは、とにかく私が面倒を見ることになっているので、園のバスで、いろいろな公園へ連れていくことも多いです。 わずかなお菓子を用意して、公園でいっしょに食べたり、空港に隣接する公園まで足を伸ばして、みんなで飛行機といっしょに走ったこともあります。


この日行った公園は、住宅地の中にあり、小学校の近くの大きな公園です。

この公園の最大の魅力は、遊具の裏手にある、こんもりとした小さな山林です。 子どもの冒険心を駆り立てる絶好のシチュエーションです。

この日は、すでにケイドロをこの山林で行う作戦が、子どもの話し合いで決定されていました。

バスを降りると、子どもたちは警察とどろぼうに分かれて、一斉に山林の中に消えていきました。


この日の朝は肌寒く、岡山でも小雪がちらつき、見ている私は縮み上がっていましたが。子どもたちは元気満々、朝の8時前、林のあちこちでから子どもたちの歓声があがっていました。

この子どもたちの様子を見ていて、私は驚くことがいくつもありました。

まず、太郎君がちゃんとじゃんけんをして、ケイドロのルールの中で、思いっきり活動を楽しんでいることです。 さらには、天敵の健太君とチームを組んで、いっしょに逃げ回っています。 言語によるコミュニケーションも、とんでもなく活発で、めちゃくちゃ生き生きとしています。 こりゃ、太郎君、表情変わるわけだ、と心の芯から納得しました。 電車ごっこのパートナーの親友、せいや君もいっしょにいるもんね~

こんなの、どんな優秀な方が、どんなにがんばったとしても、個別支援では構成できませんよ。 せまい部屋、バーチャルの世界では、どうやったって限界があります。

生きた集団、リアルな子ども集団の魅力と可能性はここにあります。

太郎君は、SHINOBU先生の個別支援で育ったのではなく、こうしたリアルな子ども集団の中で育ったのです。 


夏休みの頃は、ノートを破く、物を投げる、人をたたく、泣いて部屋の中でうずくまる・・  このブログでも、そこの取り組みを紹介したものでした.。

あの衝動性の太郎君は、どこに消え去ったのでしょうか?

お母さんは、2学期の通知票を見て、大きな感動に包まれていたんだよ~


その答えは、どこにあるか?

私には、実はそれがはっきりと見えています。

それは、太郎君が、家族のようにこの集団になくてはならない存在として、みんなから受け入れたからです。 毎日車座になって、顔を見ながら給食を食べ、おやつをいただき、テレビも電子ゲームもないところで、夏休みも、冬休みも共に過ごした、みんなが家族であるからです。 口は悪くても、けんかをしても、私たちは仲間です。 かけがえのない、そういう存在なのです。
 
そして、あのすばらしい笑顔の小学校の担任の先生も、太郎君を誰よりも大切に受け止め、心の通い合うあたたかい学級集団を作り上げてくださいました。

インクルージョンというのは、こういう姿なのではないでしょうか?


ここが盤石にあってこそ、高度な専門的指導は可能になるのです。

ありのままの存在が受け入れられ、集団に居場所がしっかりあって、その上でその子の特性に応じた高度な専門的教育を!

たったそれだけの事なのに、どうしてわかってくれないのでしょう?

私は、これからもリアルな実践の報告を積み重ねて行くことによって、そのことを世に訴え続けていこうと考えています。


公園から帰ってみんな私の教室に入ると、すぐに、一生懸命冬休みの宿題に取りかかっていました。 本当にみんないい子になったね!

この日は、めちゃくちゃ寒い朝でしたが、SHINOBU先生の心は、ぽかぽか、とってもあたたかくなったのでした。

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書字改善の未来を拓くか? 「十の画べえ」

 2008-12-25
この1年間、書字改善のために様々な取り組みをしてきました。

その中で、視覚認知が苦手な継次処理系の子どもには、パーツに分解して順に提示する方法や「 縦・かぎ・縦・横・横=田 」 のような言語プロンプトも有効なことが分かってきました。

また、ホワイトボードや粘土、あるいは半紙1枚1文字を大きく書いたり、空書させたりする、いわゆるマルチセンソリーな方法も有効であることもわかってきました。

ならば、こうした手法を、子どものモチベーションを高めながら、楽しく継続して取り組ませる方法はないかと考え、今回いくつかの教材を購入しました。

その中で、今回ご紹介するのは、漢字組みたてパズルセット 「十の画べえ」 太郎次郎社 1835円です。 (右の愛読書のコーナーでも紹介しています→)


DSC00812.jpg
試しに まず 「永」 の字を作ってみました。


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赤=たてせん 青=よこせん 黄=ななめせん  です。


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緑=かくかぎ  ピンク=てかぎ です。



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オレンジ=ななめかぎ 紫=つりばり 茶=点 水色=くのじ 灰色=あひる です。


以前、小学校で書写の指導をしていたときに、こうした自作のパーツで組み合わせると、子どもが飛びついて来た経験があり、粘土ではなくて、こうしたパーツを作らなければなあ~、と思っていた所へ、あるものですねえ~ ちゃんと研究・整理して商品化してくれています。 おまけに解説書まで付き、特許出願中ではないですか


これ、まちがいなく花子ちゃん・イチロー君・しゅう太君には有効です。

今回いいネタ仕入れました。 後は、お客様の味覚に合わせて、どう味付けをしていくか? シェフの腕の見せ所です。

まず、パーツがあまりにも多いですからね。 この中からいかに厳選して、最小限でたくさんの漢字を作らせるか、そこが第一の調理法です。

それといつもながらのスモールステップと即時強化、そして学習の最近接領域の構成と評価となります。

以前に開発した自作の書字系統プリントとのコラボも楽しみです~

こうした研究は楽しいですね!

書字苦手なお友達は、ぜひSHHINOBU先生の所においで、

楽しく勉強して、いつの間にか上手に字が書けるようになるかも知れないよ。

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ABA(応用行動分析)の取り組みで情緒が安定する (就学相談に見えられたご家族の事例から)

 2008-12-24
今日、来春就学を控えられたご家族の方の相談を伺いました。

そのお子さん(5歳)にABA(応用行動分析)の手法で、毎日何時間か支援者の方のサポートを受けています。

その支援者の方も一緒にお見えになりました。

私がご家族の方にお話を伺っている間、教室にある絵本やおもちゃで、そのお子さんは遊んでいました。 (支援者の方が、上手にサポートしてくださっています)

おかげで1時間以上の相談の間、とても楽しく上手に過ごすことが出来ていました。

ふと表情を見ると、これがまたすばらしい笑顔で、めちゃくちゃかわいい表情です。

ちょうど先日、ある出版社から、情緒を安定させる効果的な指導の実際、という内容の原稿依頼を受けていましたので、思わずそのご家族と支援者の方に尋ねてみました。


>すばらしいお子さんの表情ですね~  お子さんの育ちは、表情に出ますよね~
>これ、ABAのかかわりが始まって、変わってきました
>と、言うと?
>前は、何か気に入らないことがあったら、物を投げていました。 それが要求行動のサインでした。
>ほう、それ代替行動に変化させましたね
>まず、コミュニケーションがとれるようになってきましたし、できたらほめる、の関わりで、物なんか投げなくても、ちゃんと望ましい方法で要求表現ができるようになりました。
>家族も、出来ないからそこを何とかしよう~ という発想から、できることをどう活用し伸ばしていこうか、そんな発想に変わってきました~
>支援者の先生、すばらしいですね~
>家族全員、ありがたく思っています、先生に任せるだけでなく、親としてもABAの考えをもっと理解し、活用できるようになりたいと思っています。

支援者の方は、ほぼ毎日3時間以上そのお子さんに関わっているということでした。

こうした環境は、どこの家庭でも実現できるということではないと思いますが、親としてすべきこと、考えなくてはいけないことの、何かの参考になるのではないかと思いました。

そのお子さんは、今年3月に手術を受けられ、大きな成長のチャンスを今、迎えているのに違いありません。


私のまぶたから、その子の笑顔が焼き付いて離れません。

お子さんの成長に前向きに取り組んでおられるご家族の姿にも、たいへん共感をおぼえました。

今回は、来年以降の就学についてのご相談と言うことでしたが、この子の今後の成長についても、ご家族といっしょに見守ることができたらうれしいな、って思っています。

ぜひ、よい小学校のスタートを切ってほしいと願っています。

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子どもの視線で物が見えるということ  (AD/HDの疑似体験から)

 2008-12-23
先日ニュースを見ていると、ある特殊なめがねをかけると、AD/HDの方が、どんな風に世界と接しているかがバーチャルに体験できる装置が開発されたことが伝えられていました。

途中で、えじそんクラブの高山恵子さんが登場して、コメントを添えられていて、さすがにいろいろなことにチャレンジする高山さんらしいな、と感心しました。

個別指導をしているときに感じることですが、勉強、できるようになりたくない、と思っている子は一人もいません。

むしろ、人よりも何倍も勉強したいのに、それがうまく行かないから苦しんでいる・・ そんな場合がほとんどです。

ところが、どうしてその子がたし算ができないか? どうして 「大」 という字が書けないのか? どうして、四則計算の判断ができないのか? どうして逐次読みから抜け出せないのか? そのメカニズムが理解できないときには、なかなかリズムに乗った指導ができません。

私の指導の大半は、活動を通してそのメカニズムを解明する営みであるような気がします。

サイコロの目の6を見て、なぜそれが 「6」 と瞬時に判断できないのか? 私には理解できませんでした。 でも、そのことが数の認知の大きな妨げになっていることは、すぐにわかりました。

たったら、そこだけアシストすれば、計算ができるようになるのでは? というのが、私の思いでした。

こうやってつまずきの部分を補助してやると、それまで固まっていた流れが動き出すようになります。

プラグの接触が悪くて動かなかった車に、エンジンがかかったような感じです。

こうして車が動き出すと、不思議な物ですね、3ヶ月も過ぎると、サイコロの目が 「6」 と読めるようになっているのです。

いわゆる多感覚同時刺激(=マルチセンソリー)により、それを 「6」 と、とらえることができるようになったのではないかと考えています。


私は、教材探しに、 「100円ショップ」 「書店」 「トイザらス」 などに毎週出かけます。

最初の頃は、これ良いかも、と思って買った商品が全く役に立たず、ゴミの山を作っていましたが、最近は、これは太郎君とイチロー君にはピッタリだ、とか、花子ちゃんにはこれ、友里ちゃんにはこれ、というようにかなり打率が上がってきたように思います。

日々成長してますからね、どれだけ子どもの今をとらえられるか? そのアセスメント力が、プロとしての力量だと思っています。

バーチャル眼鏡、どこにも売っていませんからね~

定番プログラムでマニュアル通りに教えられたら、どんなに楽なことか知れません。

でも、そんなものにをしようとは、ちっとも思わないのです。 

発達の最近接領域の構成、これこそが教育者としての誇りであり、魅力ではありませんか? ここは医療でもなく、関係機関でもなく、教育者の仕事です。

SHINOBU先生と勉強して楽しい、の中身はぜひこれであって欲しいと願っています。


発達のテクニカルなこともしっかりと勉強しながら、本業である教育のプロとしての専門性を発揮してこそ、真の連携と言えるのかも知れません。

しかし、学校には個別指導の文化はありません。

ならば、集団の特性を生かした学習の再構成を行うか、個別指導の場と文化を新たに構成するか、どちらかになるのではないかと思います。

私は、どちらも工夫の余地がある楽しい仕事だと思います。

これも形や枠で決めるのではなく、太郎君、花子ちゃん、という目線で見ることが大切なんだと思っています。

売ってはいないけれど、心の中にバーチャル眼鏡をもっているかどうか、そこが大事なことであり、すばらしい先生というのは、いつもそういうことをされている先生なんだと思っています。

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子どもが育つというその中身 (友里ちゃんの数量指導の事例から)

 2008-12-22
これは、木曜日(12/18)に、友里ちゃんと一緒に行った算数プリントです。

どこにでもあるような、ただの文章題のプリントですが、私と友里ちゃんにとっては、もしかしたら今後の展開に影響する貴重なターニングポイントとなる課題になったかも知れません。

DSC00811.jpg


友里ちゃんは、毎回私の教室に来ることをとても楽しみにしています。

ここに来て、SHINOBU先生にほめてもらいたいから、学校の勉強をがんばっている、と毎回のように言います。


>私は勉強が好き、でもその勉強ができないのはイヤ   

>ここに来るとその勉強を、ちゃんと教えてくれるし、わかるようになるから、すごく楽しい 

>時間があっという間に過ぎる・・  もっともっと、ここで勉強したい


ウソのようですが、毎回そんなふうに会話をしながら、勉強します。

90分間、休憩時間はなしで、鉛筆が止まることはありません。


お母さんとは、毎回指導の後、その日の学習内容を説明し、学校での様子を尋ねたり、今後の指導のプログラムの相談をしたりします。

私の場合、保護者の方と共に作る個別支援ですから、こうした保護者との話合いは命です。


友里ちゃんの場合、今、重点を置いて指導しているのは、言葉から状況をリアルに思い浮かべる力の育成です。

それは、「生活の中で生きる力を優先して身につけさせたい」 という、お母さんの強い希望を受けてのものでした。


いろいろ試行錯誤の結果、数量の指導も兼ねて、オリジナルの文章題をメインの教材に据えて取り組むことにしました。

文章題を始めた頃は、ろくに文章も読まず、書かれている数字だけをピックアップして、足してもだめなら引いてみな、引いてもだめならかけてみな、という調子で取り組んでいました。

四則計算の選択・判断のスキルが身についていないので、キーワードとなる言葉を探し、それを類型化する作業から始めました。

もちろんスモールステップで、ABAを生かした完全習得エラーレス学習ですから、達成感を持ちながら学習を進めることができます。


この日のプリントでは、友里ちゃん、1の問題では場面絵(情景図)が描けませんでしたので、私がフルプロンプトで、絵を描きました。

2の問題では、私が先にケーキの絵を描くと、友里ちゃんは 「私はモンブランが好きだから・・」と、自分から絵を描きました。

3の問題では、かごだけ私が描いて、トマトの絵は最初から自分で描きました。

4の問題では、みかんを描くとき、1個ずつ描くのではなく、最初に9個のまるを描き、それをリアルなみかんに仕上げていきました。

5の問題では、ノートにシールを貼る問題だったので、写真のようにさっさと30秒ぐらいで、かなり精査された場面絵がすばやく描くことができました。 (ここでは、ノープロンプトでした)


この課題に取り組んで、なるほど~ と思ったことがあります。

友里ちゃんは、 「トマトを9人に5こずつくばります」 という問題の時に

   5+5+5+5+5+5+5+5+5

と、立式しました。 ならば、5+5は10、 10+5は15 ・・・・  と計算するのかなと思ってみていると、答えは45とさっと書くでではありませんか?

どうして45ってわかったの? と尋ねると 5かける9で45だから・・ と答えました。


あっそうかあ~ 君の得意技は、継次処理だったよね~

ならば、5×9の前に 5+5+5+5+5+5+5+5+5 というプロセスがあるんだ~

そこを先生が、自分の都合で勝手に飛ばしていたから、足し算とかけ算が混乱しちゃうんだね~

君の場合、継次処理のスピードは誰よりも速いし、その持続性は世界一なんだから、プロセスが同時処理タイプの子より一つ多くても、 5+5+5+5+5+5+5+5+5 って書いた方が、結果的には早いし、ちゃんと理解できるから、楽しいわけだ~

ふむふむ、わかったよ、 そういう事だったのか!

じゃあ、ちょっと遅くなったけど、これから友里ちゃん方式でがんばって、いつかみんなを逆転してびっくりさせてやろう!

やり方さえ分かれば、君は人の3倍は楽々努力する子である事は、先生が誰よりも知っているよ!

何だか、先生も燃えてきましたぞよ~


ずっと謎であった 「SHINOBU先生 大好き現象」 の中身が、何だかちょっとだけ見えてきたように思いました。

ちょっと別な話だけれど、保育園の調理の先生が、太郎君の事 「あの子すごいね~、表情も、言葉も、まったく変わってきた。すごい成長だね~」 と言ってくれたことが、私の所にも伝わってきました。


誰にもあるんだよ、その子の良さというものが、

そこを生かすのが教育じゃないか!

勝手な物さしだけで、それが出来ないと切り捨てるのは、子どもを痛めるし、教育の営みとしては最低のスタンスです。

よさを見つけ、そこから組み立てるABAの発想は、教育の中でももっと生かされて行くべきだと、私は考えているのです。

こうした事例を、これからもどんどんと紹介していくことが出来れば最高です!


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甘くなかった 学校・園への具体的要望 (こんなことで 負けちゃいられない!)

 2008-12-19
月曜日に友里ママの代理人として、意気揚々として学校側との交渉を終えたSHINOBU先生 (その様子は、12月16日の記事 をご覧下さい)


しかしその後、 「やっぱり甘くなかったな・・」 と、がっくり肩を落とすような展開となってしまいました。

どういう事が起こったかと言うと、学校というのは組織であって、いちいち全部の人にわかってもらうというのは、至難の業となってしまう、ということです。

もっと言えば、いくら心を込めてお願いし、そのことについて管理職が理解を示してくれたとしても、その温度は、実際の担当者には伝わらない、ということです。

友里ママ、担当の方との直接の話し合いで、どっと疲れた表情で帰ってきました・・

管理職との話し合いは、何だったのでしょう?

まさに総論OK、各論アウトの構造です。

この辺、マドンナさんが以前、よく伝えてくださっていました。


これはしわい問題ですね。

筋を通すには、まず管理職の理解が不可欠です。

しかし、学校という組織では、スタッフ全員が管理職と一枚岩ではないのです。
(管理する側とされる側、  ひどいときには組合と行政、みたいに対立していることもあります)


うちの保育園は認可保育園ではありますが、私立保育園ですので、こういうことは起こりにくいです。

とくに園長(私の奥さんです)は、保育士の時からのたたき上げですので、こういうことについては、何があっても、一歩たりとも譲らないと思います。 そこの覚悟は違います。

公立の場合は、校長といっても雇われの身分ですので、5年もすればいなくなっちゃいます。10年もすれば、職員全とっかえです。

何かやりくってしまえば、転勤したり、降格して、はいさようなら~です。


しかし、私立はそうは行きません。

どこにも逃げることも、隠れることもできません。

何かあれば、私財を含め、全財産投げ打って、経営者が責任をとります。

結果についても、園長が全責任を背負って、日々の保育にあたっています。

ここの覚悟は、申し訳ありませんが、比べものになりません。

ですから、園長の命令には絶対服従です。 そうでない職員の来年度の席はありえません。

人事権も、予算権も、内容も、園長が全責任を背負って行いますから、思い切った改革も即座に実行することが可能です。


でも、公立では、いくらすばらしい企画があっても、それが実行可能な範囲は、相当制限されています。 いくらすばらしい人材がいても、それが個人プレーとみなされれば、組織からははじかれてしまます。 管理側の言うことを聞いているうちは可愛がられますが、そうでないと見なされると、一気に冷たい待遇です。

良くも悪くも、これが、行政組織のメカニズムです。


ここの狭間に保護者が入り込んでしまうと、まったく不幸な構図になっちゃいます。

子どものお願いに、管理職と職員の関係性の問題がからんでくると、いっそう何のことかわからなくなります。

ものすごいエネルギーを使ってやっとここまで来たのに、どっと疲れが出ちゃいます。

どうしたもんでしょうかね~

友里ママと、また作戦練り直さなければなりませんね。

それならそれで、考えていかなくては・・

やっぱり人任せでは、うまくいかない。 すべて、こっちで考えて提案するくらいでないと、具体的な、実効的な改善には結びつきませんね。

いい勉強させていただきました。


こういう例は、全国で山ほどあるでしょう。

わかってもらえない事例、がっくり来た事例、涙がこぼれた事例、くやしかった事例、ご苦労された事例、死にたくなってしまった事例、山ほどあるでしょう。 

ぜひお聞かせ下さい!


子どものために、鬼母になったり、分からず屋のレッテル貼られたりしても、あえて弁解もせず、耐えて、忍んで、それと引き替えに、子どものコマを一歩を前に進められた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そんなことさえ、誰にも理解されず苦しんで来た方もいらっしゃるのではありませんか?


何も出来ないかも知れないけど、私、そのことを理解することだけはできます。

そういうことが、私に与えられた一つの役割だと思っています。

絶対、負けてなんかいられませんよ。 何と言われようと、引き下がってなんかいられないじゃありませんか。 それもこれも、すべては子どものため、  そのためだったら、どんなことにも耐えてみせる・・  それが母たる証であったはずです。 

ぜひ、これからも、子どものために、一緒に歩んでいきましょう。

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「子どもとゲームができる」 というねうち

 2008-12-18
昨日、イチローくんと、例の 「じゃんけん数え棒ゲーム」 をしました。

本気でじゃんけんをしたのですが、5回とも私が負け、イチローくんが確か74本の数え棒をゲットしました。

「じゃあ何本勝ったか記録しよう」 ということで、イチローくんは数え棒を数え始めます。

やはりまだ、10をひとつの束にしてという感覚は育っていないので、9・10・11・12・・・・・・と、74回数えます。

30位までは、かなり正確でしたが、40を超えるころから怪しくなりはじめました。 

でも、SHINOBU先生の言語支援がありますから、ちゃんと74本、最後まで数えきることができました。


これ、プリントだったら、きっと挫折しています。

でも、今回、イチローくんは、パーフェクトでじゃんけんに勝ったことを、点数としてとらえたいという達成動機がしっかりとあります。 だから、最後までたどりつくことができたのです。

イチロー「74」  しのぶ「0」 と用紙に記入すると、イチローくん得意顔でのガッツポーズでした。


もちろん、私はその数え棒を 10ずつ輪ゴムでとめ、7つの束にして、10・20・30・・・70  71・72・73・74 わーホントだ、74本だね、とイチロー君に見せます。

今日は、これでよし、というところです。

この10進位取り記数法の原理は、奥が深いし、なかなか手強いものです。

多面的・構造的に理解していくためには、プリントより、こうしたゲームがよっぽど効果的だと私は考えています。


苦労して何度も何度も積み上げたはずの学習が、いつの間にか、きれいさっぱりなくなってしまった経験、みなさんにはありませんか?

問題集1冊やりとげて、先生の方には達成感があるけど、小手先だけの理解でしかなかった体験ありませんか?


先週からうちの教室に来てくれるようになった しゅう太君のお母さんは、メールで次のように知らせてくれました。




ゲームなどは、楽しい!おもしろい!に到達するまでに、たくさんの挫折ポイントがあるので、それに付き合うのは大変です。家でもいろいろやってみるのですが、我が子にはどうしてもいらいらしてしまい、難しいです。家でやると逆効果なのでは、とさえ思えるときもあります。暖かくじっくり子供と向き合ってくれるSHINOBU先生の存在がすごく有り難いです。




昨日のすごろくゲームでは、細かく見ていると、イチロー君には、たくさんの気づきがあったようです。


> へっ  「10戻る?」 よくまあ一方的に、そんなあつかましいことさせるな、誰が勝手にそういうきまりを作ったんだ!

> 何でこんな迷路みたいな、くねくね道なんだ、まっすぐすりゃいいのに・・

> 100って意外と遠いな、 でも続いているんだあ~

> 最初の「1」は、自分のいる所からじゃなくて、次の所からかあ~


こんな事、いちいち言語化できるわけありませんが、何となくそんな思いかもしれないなあ、と想像させるムードはありました。

数の仕組みが分かってない子は、まず自分のいるところから1と数え始め、6が出ても5しか進めないでいることがよくあります。 これ、ゲームで指使って、ゲームの中で何回かやってると、いつの間にかクリアできます。

この感覚は、ものさしを使うときにも生かされます。 起点としての「0」の発見です。

私、子どもと遊んでますけど、そういうことはちゃんととらえています。 (当たり前ですけど・・・)


楽しく勉強させる中身は、 ①でごたえ・評価(特に即時強化)の観点が明確であること ②発達の近接領域に近い学習内容であること ③つまづいたときの手だてが適切に構成できていること ④信頼できる人とコミュニケートできること ⑤マルチな快刺激を脳に提供すること などではないかと私は考えています。


私、週に1回くらいしか、その子とはかかわれないのです。

プリント系は、学校でも、できるもんね。

夢中になって遊びながら、力がどんどんついて行くような、ゲームのような遊び感覚の勉強ってもっとうまく構成できないかなあ~

言語でも、数量でも、子どもの最近接領域と、育てる方向が明確になるならば、その接点は見つかるかも知れない。

今、漢字のカードを何種類か注文しているんだけど、その内容を楽しみにしています。

プリントできれば楽なんだけどね、それでわかってないってことが、私には許されないのです。

パソコンも食いつく物と、全然使えない物がある・・

おもちゃだってそう・・

ひとつのおもちゃを見て、「これだ!」 と思うように、こうしたことを結びつけられる人が、本当に実力のある人なんだと思います。


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かれんちゃん コミュニケーションの扉を開く!

 2008-12-17
まずは、下の写真をごらんください。 かれんちゃん(ダウン症・3歳)の第5回目のセラピーの様子です。



DSC00728.jpg
↑今日の最初の課題は、まるい形を描くこと


DSC00758.jpg
↑かれんちゃん絶好調! なかなかイケてます。


DSC00759.jpg
以前に描いた作品はこれ、 大きく進歩しました!


DSC00705.jpg
↑次の課題は、言語模倣と応答表現
(まずは、カエルのグァでつかみはOKです)


DSC00753.jpg
↑この後、 私とかれんちゃんの応答表現の嵐が
起こります。  (写真がないのが残念!)
強化子はしゃぼん玉から、高い高い~になりました。



実は先週、うちの娘(高2)の体調が悪く、楽しみにしていたかれんちゃんのセラピーを、私の都合で勝手にドタキャンしてしまいました。

あいだが1週間空いてしまいましたが、かれんちゃんは、この日も元気いっぱいで教室に来ると、くつをそろえ、すぐに着席すると、お母さんにバイバイと手を振り、最初の積み木課題をあっという間にクリアしてしまいました。

積み木を投げたり、歩き回っていたころの面影は、もうどこにもありません。 たった5回の指導でこうまで、コンプライアンス(指示の遵守)ができるなんて、こちらの方が驚きです。


この日の私のテーマは、お絵かきで 「上下左右の動き」 から 「始点と終点の一致する円の動き」 へと、なぐりがき(錯画)を発展させること、そして、言語による応答表現・発語など、言語面への強化の手がかりをつかむこと、でした。

中1週間ありましたので、どちらか一つでも手がかりがつかめれば良い、くらいのつもりでふところを広く構えて取り組むつもりでいました。


かれんちゃんは、お絵かきは好きなので、 「今日はまる~」と、言語と動作で指示し、黄色のクレヨンで私がお手本を示すと、なかなかの腕前で、まるを描いてくれました。 (ただしこの後暴走して、机にも、マットにも強烈な黒のクレヨンで、いっぱいまるを描いてくれました・・・汗

しかし、ひとつの課題はクリアです。

(これで、ブログに描くネタがキープできたので、正直ほっと一息です。 かれんママによると、このブログは、教育や医療の方など様々な方に注目をしていただいているとのことです。 そう言えば、あきなちゃんのお母さんも、かれんちゃんの様子を見て、私の教室に来ることを決めたと、掲示板に書いていました。  学生さんの授業でも、このブログ、使われているようです。 結構なプレッシャーです・・)


さて、次は言語系の課題です。 そろそろ、ここをどうにかしないと今後の展開に影響します。

とにかく、私の願いは、 「まずは、何でもいいからしゃべらせること、 それをきちんと強化すること、 そしてコミュニケーションの楽しさをいっぱい体感させること」 なのです。

例によって、テクニカルなことは、藤阪さんの 「つみきBOOK ABA早期集中マニュアル」を中心に、ネットや文献を一通り目を通しました。

でも、私には太郎君(=仮名 自閉症・小1)との1年間の歩みがあります。 ですから、言語の発達には、①本人のモチベーション ②言語環境 ③テクニカルサポート の3つの柱があり、その割合は、5:3:2というSHINOBU独自の5・3・2理論がその底に流れています。


かれんちゃんは、これまで4回のセラピーによって、すっかり私に心を開いてきました。

1~2回目は、シャボン玉が心をつなく唯一の強化子でした。 3回目にだっこしたときも、かなり緊張していることが、私には感じ取れました。 4回目の最後くらいに、やっとかれんちゃんの方から、私のひざにのってくるようになりました。

この日、かれんちゃんの手がクレヨンで真っ黒になったので、台所へタオルを取りに行くと、かれんちゃんが入ってきてしまいました。

最初の頃は、台所や事務机のパソコンや引き出しを勝手に開けて好き放題していましたので、そういうことは未然に防いだ方がよいと判断し、ひょいっとかれんちゃんを抱っこしてみると、これが何と、うそのように軽い!

私は以前、情緒障害児の短期治療施設にいましたから、ある程度、抱っこした感触でその子の信頼度を感じることができます。

これはイケる、と思ったので、あきなちゃんの強化子の 「いないいないバア~」 を1発やってみました。  (ウケはいまいちでした・・)

なので、ダメでもともとで、 今度は 「高い、高い~」 をやって、ぐるぐるとかれんちゃんを回してみました。

すると、これがまた、天使のようにケラケラと笑い始めるではありませんか・・・

この表情を、デジカメで撮れないのが残念でたまりません。 大げさに言えば、この瞬間、世界で一番かわいい笑顔です。


これを、強化子に使わないテはありません。

さっそく、少し離れて  「かれんちゃん~」  と呼ぶと、小さい声で 「は~い」 と応えます。 私はすかさず、ドタドタとかれんちゃんに駆け寄って、抱っこして、高い高いをして、また少し離れました。

すかさず、 「かれんちゃ~ん」と呼ぶと、前より大きな声で 「は~い」 と応えることができたので、今度はもっと大げさにほめ、高い高いをして、ぐるぐる回してやりました。

これ、10回くらいやりましたかね・・

もうくたくたです。

でも、こんなに愉快で、楽しく、充実した時間はありませんでした。


セラピーが修了し、お母さんに報告や打ち合わせをし、いざ帰ろうとすると、かれんちゃんはよっぽど今日の活動が楽しかったのか、なかなか帰ろうとしません。

ついに、かれんちゃんも、SHINOBUワールドに入り込んでしまったようです。

太郎君も、花子ちゃんも、友里ちゃんも、うちの教室の子は、小学生であっても指導の時間が楽しみでたまらなくなるのです。

SHINOBU流5・3・2理論の 「5」 の部分は、ここなのです。


おしっこのこともあったんだけど、最初の頃、涙を浮かべて、出口のガラス戸をたたきながら、外を見ていたこともあったよね

あの顔は、忘れないよ

でも、もうこんなに仲良くなった

かれんちゃん、良いこと教えてあげる

人と心が通じ合うことって、楽しいこと、すばらしいことなんだよ

君は今、そのすばらしい世界の扉を、力強く開けようとしているんだよ!


私のそんな気持ち、かれんちゃんに伝わったでしょうか・・・・

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SHINOBU先生、単騎で小学校に乗り込む!? (学校・園との具体的な連携と 保護者サポート)

 2008-12-16
いろいろな経過から、昨日、友里ちゃんの学校へ、校長先生と教頭先生のお話を伺いに行くことになりました。

友里ママの代理人と言えば、少し大げさな感じになりますが、一人のキーパーソンとして友里ママの思いを代弁し、学校側の提案を伺い、保護者側に立った専門家として、具体的なレベルの望ましい支援のあり方を詰める、という、もしかしたら画期的な交渉だったのかも知れません。


初めに、校長先生から、学校側の基本的な考えを伺いました。

私が今回、この役割を引き受けた背景には、この校長と教頭なら、きっと建設的な話し合いになる、という期待と見通しがあったからです。

校長は、教頭を通じて、私のプロフィールについても、ある程度理解しているようでした。 

具体的な提案などについては、教頭と詰めてほしい、と前置きをして、校長としての基本的な姿勢についての話を伺いました。 私としては、直接校長に具体レベルで伝えたいことが山ほどありましたが、それは教頭へ、ということでしたので、何度も喉まで出かかった言葉を飲み込んで、校長の思いを受け止めました。 

校長と直接話す時間が少なかったのは不本意な事でしたが、短い中にも、私としては、とても前向きな姿勢を感じることができました。

教頭は、旧来の知人ですし、発達への理解や力量、人間性共に水準以上の方ということは百も承知していました、即、具体的・専門的な中身の詰め入りました。


今回の学校からの提案は、主に次の4つ

① 保護者との緊密な連携を図るための具体的な方法について

② 学級での支援・配慮の具体的な方法について

③ 健康面についての具体的な方法について

④ 日常生活の具体的な配慮について


①の保護者連携については、私は以下のような内容を、学校にお願いしました。

連携というのは、主体者としての学校教育の方向性を明確に示した上での連携にしてほしい。そこを明確にしていないと、ともすれば学校であったことをすべて保護者に伝え、じゃあどうしましょうか?と、本来学校ですべき内容までも、保護者に負担をかけるようになり、結果としてうまく行かない。学校としての最大の専門性は、集団の中で子どもを育てるという営みなのだから、学級経営のビジョンを示し、その具体策の中で、学校では子どもがこう育っている、今の課題点はこうだ、だから家庭では、こんな役割を分担していただきたいがどうか、という形にしてほしい。それがなければ、こんなjことがありました、あんなことがありました、じゃあどうしましょうか? になってしまいがちである。私は、なんでもかんでも混ぜご飯は、望ましい連携とは思わない。役割を明確にして、手をつなぐことが連携であると考えている。最低限伝えなければならないことも当然あるので、連絡ノートの件は、私の方からも保護者に協力をお願いするが、目的を明確にしていないと、何のための連絡ノートかわからなくなるので、ご配慮をお願いしたい。

と、まあ、こんな調子で①~④の内容について、具体的な話の詰めを行いました。

どの内容も、すでに担当者でかなり詰めた内容なので、最後の磨きを、教頭先生といっしょに行ったという感じです。

正直、私はこの段階では、十分に合格点だ、胸を張って友里ママに報告とお願いができる、と思っていました。


私はこれまで、何回となく友里ママとは相談を伺っています。 

どれだけ、友里ママが深い愛情をもち、努力をされ、今の友里ちゃんを支えてきたか、理解していると同時に、絶望の淵で苦しまれ、そこからはい上がるようにして今があることも知っています。

また、その力量と決心と覚悟の深さ、気持ちの強さが一級品なのも知っています。


話合いは1時間足らずで、実に機能的に進められました。

話合いの最後に、私は教頭先生に、 「きっと、私の出番は、今後はさほどないと思いますよ、あのお母さんは一級品ですから・・」 と伝えて会議室を出ました。


大好きな博多ラーメンを食べた後、すぐに私は友里ママに電話で内容をお伝えしました。 すると程なく友里ママから、以下のようなメールがとどきました。




今日は、本当にありがとうございました。

早速、教頭先生にお礼の電話をさせていただきました。木曜日に担当の先生と具体的なお話をさせていただけることになり、教頭先生は「冬休み中にしっかりまとめて三学期からすぐスタートできるようにしましょう!」とおっしゃってくださり・・・あまりに早い対応に驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。

これもSHINOBU先生の応援のおかげですね!SHINOBU先生にも感謝の気持ちでいっぱいです・・・いつもいつもですが(笑)

今回たくさんご迷惑をおかけしましたが、このSHINOBU先生がサポートしてくださった事を忘れず無駄にしないよう・・・これからは友里の為にどんどん進んでいこうと思います。




さすが友里ママ、ここも期待通り!

私はこの日(月曜日)は、本当はお休みの日なんだけど、もう何週間もお休みなんてとっていません。 でもね、家でゴロゴロしているより、よっぽど楽しんですよ、こういうことが!


このケースから見えるものは、人によって様々だと思います。

ただ、ほんのちょっとのアシストで、友里ママが生き返ったようになったことを、担当者は深く受け止めていくべきだと私は思います。

当たり前の、ほんのわずかなサポートですら受けられず、苦しんでいる保護者がたくさんいるのです。

こうした現実を、我々はいつも、心に刻んでおかなければならないのだと考えています。

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保護者の手による質的データの積み重ね

 2008-12-15
イチロー君のおばあちゃんによる 「イチローノート」 の事については先日お知らせしました。 その後も、おばあちゃんの手による 「イチローレポート」 もいただき、私の指導の組み立てになくてはならない資料のひとつとなっています。

土曜日には、たくや君のお母さんがこれまでに作成・収集され、学校の担任の先生との懇談にも活用されてきたという資料の一部を拝見しました。 まさに魂のこもった資料です。

今日から指導を開始するしゅう太君(=仮名 小1・男子)のお母さんも、小さい頃からの取り組みの記録や資料をきちんと整理して、私に預けてくれました。

こうした生の資料は、本当に指導に効いてきます。


私がブログを書いている動機の一つは、量的(数値)では示しきれない成長の営みを、質的(言語的)な厚いデータの積み重ねによって実証していきたい、ということなのです。

学校の成績なんて、社会にでたらさほど役に立たない、なんて古くから誰しもが何度も聞いた言葉です。

君は成長したねえ~ という時には、点数とかではない、トータルな人間的な成長を指して言う場合がほとんどです。

量的なデータは、部分的な力を、客観的に、公正に、標準化してとらえるのには有効ですが、トータルな人間の成長を数値化する尺度としては、あまり適切なものとは思えません。


私たちが目指しているのは、子どもの成長であり、幸せであり、自立であり、社会参加なのですから、プロフィールとしての数的なデータも必要ですが、トータルで成長をとらえていく質的なデータこそ大切な意味をもつのではないかと考えています。

また、書くという行為によって、自分の方向性を確認したり、物事の見方がシャープになったり、ねらいが明確になったり、行っていこうとすることが整理されたり、やっていこうとすることに自信がもてたりするなど、自分の力量が向上していくのも、大きな魅力です。

私は、このブログが自分自身の力量を高めてくれていて、振り返ってみると、まるで数ヶ月前の自分とは違う人間になっているように感じることもあります。


今では多くのお母さん方が、ブログでお子さんの成長を綴っています。 パソコンにある程度親しんでおられる方なら、こういうスタイルも一つの方法です。

また、大学ノートに書かれた直筆の記録も、とても貴重な意味をもちます。

負担感の少ない、自分に合ったスタイルで、ある意味楽しみながらできるような工夫も必要です。

私なら、リンクやコメント、これまでの活動を記録していくことで、ブログやHPの厚みが少しずつ増していくのがとても楽しみです。

来年の2月でブログを初めて1年になりますが、それまでにHIT数が10万になったら嬉しいな、と考えるのも長く続けるための工夫の一つです。


でも、それは手段の一つであって、目的は、自分の活動や子どもの育ちの質的なデータを積み重ねることによって、内容の向上をはかりたいということに他なりません。

私の記録が、お母さん方の参考になるように、お母さん方の記録は、指導にあたる者の貴重な資料にもなります。

リアルな臨床データ・実践データほど貴重なものはありません。 ましてや、自分のお子さんのものとなると、世界にたったひとつの大切な資料です。 データそのものも大切ですが、その営み自体が大切なわけです。


学校・保護者・関係機関の連携は大切です。  私はそれを否定しているのではありません。

しかし、連携と丸投げは違います。

本来どちらかがすべき内容を、ごちゃまぜにして、それをいっしょに持ち合うというのも、私は違うと思っています。

保護者には保護者のすべきことがあって、サポートは必要ですが、主体者として独立した存在でいてほしいと私は思っています。

学校・保護者・関係機関が、それぞれが主体者として独立した機能が発揮できてこその連携であり、炊き込みご飯のように、みんな混ぜていっしょにしましょう、みたいなのはどうかと思うのです。


イチロー君のおばあちゃんや、たくやママ、しゅうたママの資料は、主体者としての保護者の営みそのものであると、私にはまぶしく見えて仕方がありません。

このご努力に応えなくては、人間ではない ―

私の心を強く揺り動かすエネルギーが、こうしたご家族の資料には込められているのです。

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セラピストみたいな先生で良いのか? 特別支援教育の進む方向とは・・

 2008-12-13
先日、ある保育園におじゃまさせていただきました。

その幼稚園では、前日が学習発表会の振り替え休みで、この日は朝一番に体重測定が行われていました。

私は、予定より少し早めにこの幼稚園に着いたので、しばらくその体重測定の様子を眺めていました。

園長先生を含めて4人の先生で指導にあたっておられましたが、その子どもたちの表情といい、受け答えといい、先生方の関わり方といい、実にあたたかく、ほほえましい雰囲気です。

教育委員会から嘱託で派遣された相談員の私は、この体重測定の時間は、ある意味置いてけぼりです。

>体重測定なんですね。 だったら子どもの活動をまず優先してください。 打ち合わせなどは、子どもの活動の区切りが付いてからにしませんか?

この時点ではわかりませんでしたが、この園長先生は、スーパー園長先生でした。 わかりました、と短く一言私に告げると、すぐに子どもの輪の中に入って行かれました。

子どもとの一瞬一瞬のかかわりを大切にされているその教育観が、何も言われなくてもダイレクトに私に伝わってくるようでした。

体重測定が終わると、この日の巡回相談の打ち合わせを行いました。 何人かの子どもについての課題点をお伺いし、教育活動の様子をみさせていただき、その後ケース会を行う段取りになりました。

園内を歩いてみると、やはりいちいちが、子どもの目線や動線で、きちんと行き届いた配慮が伺えます。 それに、子どもの表情が底抜けに明るいのです。

授業を参観していると、ポニョの踊りの活動の時に、ある女の子が一人ぼっちになって泣いていました。 4人の先生は、別の子にかかわっていて、まだその子が泣いていることに気がついていません。 その子は、さきほど打ち合わせの時に、ピックアップされていた子どもの一人です。

早く先生が気がついてくれたらいいなあ、と思ってみていると、そこにジャイアンみたいな大柄の男の子が来て、すぐにその子の手をひいて、いっしょに踊り始めました。

ミニ先生も、育っていますね。 心が満たされている集団の子どもは、先生の気持ちを感じ取って、いつの間にか、こなふうにミニ先生に育っていきます。

この園長先生の快進撃は、とどまることを知りません。

給食時には、まるでABAを絵に描いたように、支援の必要な子への即時強化、あれっどこに行ったのかな、と思うと、園庭で子どもと縄跳び、笑顔いっぱいでバスの見送りをしたかと思うと、すぐに廊下の掃き掃除・・・

見ていてほれぼれするほど、かっこいい姿です。 最後の最後まで。とても本年度でご退職の年齢には見えませんでした。 (10歳は若く見えました!)

謙虚な先生でしたが、私はケース会の時に、論理的な背景なしでここまでの流れを作られたのですか? とお尋ねすると、今まで職員にも話したことはなかったけれど・・といって、これまで専門的に研修を積まれてきた経過をお話くださいました。

私も、かくあるべしと、切に思いました。


教育の営みは、医療と同じではありません。 教育には教育の王道というものがあります。

教育の主体性、教育の王道を歩んでいきながら、専門的な知識や技能を高めていくことは大切なことです。 しかし、その教育の王道自体が揺らいでいたのでは、専門的な技能が、逆にじゃまになってしまうこともあります。


過日、ある全国規模の保育士の研究大会で、発表者の方は、しきりに 「専門家との連携」 という言葉を、強調して使われていました。

でも、私は心の中で、連携は大切だけれど、主体者としての保育の中身はどこに行ったの? と何度もつぶやいていました。 その専門家と称する方の、断定的な言い切りにも何度も耳をふさぎたくなりました。

あなた、保育の臨床経験あるの???

専門家には、専門家としての力量は大いに発揮していただきたいですが、それがすべてであるかのような断定的な物の言い方に大きな違和感を覚えました。

教育のプロとしての、校・園の主体性があってこその連携であって、特別支援の名のもとに、学校・園の先生方が、安物のセラピストみたいになっていくのはいかがなものでしょうか?

私は、「マニュアル化された療育を受ける子どもには、笑顔が少ない」 という言葉を重く受け止めています。 この言葉についての真意については、いろいろなご意見があるとは思いますが・・・

それよりも、先日行った園長先生のはずむような姿が、今でもまぶたに焼き付いて離れないのです。

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心がつながり 学びが成立するメカニズム  (あきなちゃん/ダウン症・4歳のデビューから)

 2008-12-12
火曜日は、かれんちゃん(ダウン症・3歳)とのセラピーの日でしたが、私の娘(高2)の体調が悪く、当日の朝になって、かれんママにどたキャンの連絡を入れてしまいました。 (かれんちゃん、楽しみにしていたと思います。ごめんなさい・・・)

さて、今日は、11月から私の教室に来るようになった あきなちゃん (=仮名 ダウン症・4歳)のことについて紹介させていただこうと思います。

あきなちゃんは、保育園でみんなといっしょに活動し、いろいろなことが出来るようになってきています。 最初のご相談の時は、家族全員(お父さん・お母さん・妹さん・そしてあきなちゃん)で来ていただき、発達にかかわるいろいろな経過について聞くことができました。

  - 特に、言葉の発達についての個別なサポートをお願いしたい -

このことを、ご両親の強いご希望として承りました。 

私は言語聴覚士さんではありませんが、私は私の持ち味を生かして、このご両親のご期待に添えるよう、真心を込めて取り組んでいきたいと考えました。


DSC00645.jpg
↑ 色の識別課題クリア 学習が成立した瞬間です!



DSC00639.jpg
↑ これは私とあきなちゃんとの秘密のポーズ
(いないいないばあ! が最高の強化子になっています)



DSC00696.jpg
↑ きっとこれから私たちの教材となると思われる絵本
(大好きなお買い物で、言語と数量 一気にクリアじゃあ!)


上の写真は、今日のあきなちゃんのセラピーの様子です。

あきなちゃんは、今日が3回目のセラピーとなります。

これまでの2回では、アセスメント(実態把握)と、コンプライアンス(指示に従う関係作り)を中心に行ってきました。


前回までに、棒に球を差し込む課題は、楽々とクリアできていました。

今日は、それを色別に分けて差し込む課題に挑戦です。

この課題の前に、カップと積み木のマッチングの学習をしました。 

カップ・立方体積み木・直方体積み木の3種類のマッチングも、ランダムローテーションで見事にクリアでき、私とあきなちゃんの間に共通の  「いっしょ~」 という概念ができあがりました。

そして、うまく行ったときには 「ピンポ-ン」という言語による即時強化、間違えたときには「ブブ-」という嫌子を提示して行動を弱化、そして最高にうまく行ったときには、あきなちゃんが一番喜ぶ「いないいないバア-」 を強化子として与えるという、間欠強化のシステムがそれとなく出来上がっていました。

まず最初にあきなちゃんは、黄色の玉を赤の軸に入れました。

私はすかさず、「ブブッ-」とやって、黄色の玉とあきなちゃんの手を添え(フルプロンプト)、黄色の軸に入れ、「いっしょ-」と教えます。 これ、ほとんど私がしたことですが、すかさずそこで、「ピンポン~」とやります。

あきなちゃん、最初は目をクリクリしていましたが、2~3回やると、それがどういう意味かちゃんと理解できたようです。

「ピンポン~」  「ピンポン~」  「ブブッ-」 

こんなやりとりを何回か続けます。

あきなちゃんは、楽しくて、ケラケラ笑いながらも、集中してこの課題に取り組んでいます。

離席も、注意も一切無く、とうとう自分一人で色の識別課題を完璧にクリアしました。 

ここで大好きな「いないいないバー」 をやるものですから、私とあきなちゃんだけのこの教室は、めちゃ盛り上がりです。 

(これこそ、個別指導のダイナミズムです。ここにお母さんがいたり、他の先生やお友達がいたら、こんな盛り上がり方にはなりません。 こうした体験を共有することで、私とあきなちゃんに強い絆が形成されていくのです)


今日を含めて3回の指導で、いろいろなことが分かっていました。

語彙数、興味の対象、色や形の認知方法・・・

これは検査ではなく、私自身が肌で感じてきた質的なデータです。 教育は、こうした日々の質的データの積み重ねから、その子のストーリーに添って構成されていくものです。

量的なデータによってできるものは、レシピ通りのファミレスの料理みたいなもので、このように、個別支援で積み重ねていく、質の高い教育の内容は、いわゆる職人技の日本料理みたいのものです。そこには、数値もレシピも存在しません。


今日絵本を読んでヒットしたのは、一番下のカエルのお買い物の場面です。

この瞬間、これから先、何ヶ月かの営みを通して形成させていくであろうあきなちゃんとの学習の内容が、ぼんやりとではありますが、私の頭にひらめいて来ました。

ここにはマニュアルはありません。

研究と創造・・

難しいかも知れないけれど、だからこそ魅力のある取り組み、それが教育です。


本当に楽しい45分だった。

きっと来週は、もっと楽しくなるだろうな~


学ぶって、できるって、楽しいことですよ。

私の教室での勉強がどうして楽しいのか、心ある方は一度、考えてみていただければと思っています。

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学校・園との話し合いの中から、具体策を作り出すためには・・

 2008-12-11
学校との話し合いの中から、具体的策を作り出していくこと・・

並大抵のご苦労ではありませんね。 元教員の私でも、サポートしているお子さんのことで、ちょっとお手伝いさせていただいただけで、ものすごい疲労感です・・

我が子のことで、ご家族が学校と交渉されるとなると、如何ばかりか、想像に難くありません。


うちの保護者の掲示板に、たくや君のお母さんが、下記のようなアドバイスを書き込んでくださいました。




学校との「具体的な支援」は、私の場合 自分の子どもの状態に似た支援例を書籍などからコピーして 先生に渡したことがあります。

「学校、担任との話し合い」にも、あらかじめ話し合いたい内容の参考になる新聞や本のコピー、今までの経過、子どもが困っていることの具体的な内容、その支援に対しての具体例などを、資料としてまとめ話し合いの前に学校へ渡しました。

資料を作ることは、大変な作業ですが、それまで何度話し合いをしても、前にすすまなかったことが、あっさりまとまった経験もあります。

学校、先生側も、話し合いの時間のなかでは、答えが出しにくい場合もあるでしょうし、私はその場で答えを求めてしまいます、あらかじめ問題を投げ掛けておいて、考えてもらう時間も必要と考えて、私はこのような方法をとりました。




実体験を通してのコメントですので、大変参考になります。 さすがは、うちの教室の保護者の方です。 なるほど、こんな工夫が生きる場面も多いかも知れません。

一人一人お子さんは、特性や困り感の程度も違えば、教育の主体者としての学校側のリソースも全く違います。

ですから、「この子のために、みんなで協力してがんばりましょう~」 の段階では良い感じでも、具体の部分を形で示す作になると、とたんにそれは至難の業となってきます。

これは、本来は学校の仕事です。

マドンナさん、双子の母さん、ごまたろうさんなどのように、保護者の方の超人的なご努力ななくてはできないというのでは、とても本来のあるべき姿とは言えません。

ここは整理しなければいけませんね。

うちの教室の保護者掲示板にも、学校との交渉にかかわる生の声をいろいろと書き込んでいただいています。

特別支援教育が様々な意味で具体化の時期にさしかかっているのは事実です。

このブログを読んでくださっっている皆さんと共に、学校と保護者とのパートナーシップ、あるいは学校・園とが向き合う形について、具体的な実践を通してのモデルを創り上げていくことも、私たちの大切な役割の一つなのかも知れません。

私は、私なりの考えやビジョンをもっています。

それをこれから、具体的な子どもの事例を通して、学校の先生、保護者の皆さん方と一緒に創り上げていくことができればな、思っています。

うちの教室に来られているお子さんのことでも、いろいろな動きがあります。

ブログを読んでくださっている皆さんにも、コメントなどを通して、積極的に情報やご意見をお寄せいただければと考えています。

どうぞよろしくお願いします。

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あまりにも不利な 保護者による学校・園との交渉!

 2008-12-10
月曜日に、友里ちゃんのお母さんと、学校に行ってきました。

教頭先生と学級担任の先生と特別支援学級の先生とお母さんと、代理人と言うか何というか、微妙な立場の私・・・  初対面の方は、ご主人だと思われていたみたいです。  私は、そんなに若くないです (笑)

しかし、ここの教頭先生は、子どもの発達に理解ある先生で、私とはもう20年位の面識があります。コーディネーターの先生も、私の小学校のでの実践をある程度知っていたかのようでした。

このメンバーですので、内容についての水準は、そこそこイケていたと私は思っています。

ですが、今日取り上げたいのは、内容ではなく構造のことで、こりゃ圧倒的に保護者の立場が不利で、対等な話し合いにはなりにくい、という現実です。


私は、今年の3月から発達支援や学習指導のサポートをスタートして、今回初めて、個人とはいえ事業者としての納税をすることになります。

私はこの納税については、さっぱりわかりません。 税務署の方に、ここはこうです、と言われたら、ああそうなんですか、としか言いようがありません。 素人ですから。

でも、ここに税理士さんがいれば、適切なサポートが受けられます。 初めての私の立場に寄り添い、専門家として私の立場でアドバイスやサポートをしてくれるはずです。

でも、こと就学あたりの相談になると、教育相談室の先生も、結局は教育委員会の嘱託の先生で、言い方が良くないとは思いますが、まるで、税務署の職員が税務相談をしているみたいで、税理士さんのように納税者にぴったり寄り添っているいる感覚はもてません。

多くの方から指摘していただいている、関係機関の上から目線も、要はこうした構造的な欠陥がもたらしているのではないかと、私は考えます。


今回の経験から、私は、ここのサポートにもっともっと力を注いでいかなければならないと思いました。

あの友里ママでさえ、大きな心の負荷がかかっていました。

個人 VS 公権力が背景にある組織
保護者 VS 指導者
素人 VS プロ

とても対等な関係ではありません。


例えば税理士のように、完全に利用者の立場に立ってこそ、本当の支援者と言えるのではないでしょうか?

果たして、そう言う立場で、保護者の方に向き合っている支援者がどれ位いるのでしょうか?

もちろん、保護者に寄り添い、すばらしいサポートをされている方もたくさんいることでしょう。

しかし、どこの相談機関に行っても、明るい気持ちで帰れたことはなかった・・

そんな保護者を、私は何人となく知っています。 

それは、そういう支援者の先生方が、どちらかと言えば、保護者より、学校・園や組織の方に自然に体重がシフトしているからではありませんか?

(関係機関の先生、ごめんなさい、私の周りの方は、ほとんどがそう言っているのです・・)

ですから、本当に、保護者の身になってサポートする意味について、支援者の方には、もう一度見つめていただきたいと思うのです。


プロ野球選手だって、交渉事は代理人がしますよね。

これほど、保護者だけが不利な状況に置かれているのは、どう考えてもおかしい、と私は感じているのですが、これって間違っているの事なのでしょうか?


そういえば、土曜日に相談に来てくださったお母さんは、市会議員さんが同席されたと伝えてくださいました。 しかし、あまりにも冷たい学校の対応に、肩を落とされていました・・・

花子ちゃんのお母さんも、今週、学校で相談されると聞いています。

何だか、とても心配になってきました。

決して無理な要求をしているわけではないのです。 せめてもの親の思いを受け止めて、できるところからでいいから、取り組んでみてほしい。 願いは一つ、そのことだけなのです。

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療育・教育の本当の品質とは?

 2008-12-09
12月7日の花子ちゃんの認知の記事を書いたその翌日、一人のお母さんが私の所にご相談にみえました。

お母さんは、これまでの療育や保育、あるいは今の特別支援学級での学習の内容など、資料をたくさんお持ちくださいました。

どれを見ても一定の水準以上の物です。

その中でも特に目を引いたのが、お母さんの手書きの成長記録です。 イチロー君のおばあちゃんの手書きの記録に匹敵するすばらしい内容です。 相当、勉強されたお母さんとお見受けいたしました。


ここまで高水準の保育・療育・教育の環境を作られたお母さんが、なぜ、遠隔地の私の教室の扉をたたいたか?

その答えは一つ

私の指導が、マニュアルのないオーダーメイドだからです。


ご相談の中から、この1年生の息子さんの認知特性が、あまりにも花子ちゃんにそっくりだということで、どうやらお母さんは飛んで私の教室に来た、というのがきっかけのようです。

ぜひ、自分の子どもに、花子ちゃんと同じような成長の体験を積ませたい、その思い一心が、こうした母さんの行動に駆り立てたのだとすぐに感じ取れました。


教科書も、教育課程も、いわばマニュアル通りの定食にしかすぎません。

定食には定食の良さがあり、決してそれを否定するつもりはありませんが、その定食が口に合わない人がいても、何の不思議もありませんよね。

人参が苦手な人もいれば、卵が本当にだめな人もいるでしょう。

だったら、裏メニューかも知れないけれど、ここはちょっと工夫してみませんか?

というのが、本日、私が言いたいことです。


卵は体にいいのよ、がんばって食べましょう

でも毎日、ゆで卵や卵焼きばっかり出されたら、本当に食べられない人はない子は、まいっちゃいます。

卵が苦手な子であれば、最初はサラダにちょっとミックスするとか、あえて生卵は出さないとか、そう言う工夫をしながら、抵抗感をなくしていくのも、一つの手段じゃありませんか?


>お母さん、学校でここまでやっているのなら、私は、同じ内容のものはせず、例えばすごろくゲームや形遊びなど、遊んでいるような学習を中心になるかも知れません

>テキストは無いし、ドリルもない、マニュアルもなければ、計画書もありません

>形だけの短期的な成果は見えないかも知れません・・・


あえてそんな言い方をしましたが、お母さんは、すでに心に決めた何かがあるようです。

(結果は、お子さんの育ちで必ず返します。 本当の学びの楽しさ、向上の楽しさを感じなければ、子どもの表情は変わりません。 卵が苦手でも、給食嫌いな子にはしませんから・・)

そんな風に言わなくたって、もうこのお母さんは理解してくださっているようです。


来週からお願いします。

私の相談としては、異例の1時間弱で、申込書をもってお母さんとお子さんは教室を後にしました。

後ほど、お母さんからいただいたメールには  「子どもの相談に伺って、こんなに明るい気持ちで帰れたことは今までありません」 と、添えられていました。


療育や教育の品質の尺度とは?

それは、子どもに合ったものであること

子ども自身が、学ぶ楽しさと成長の手応えを感じられること

それに尽きると思います。


何冊ドリルをやったにしても、マニュアル通りに何時間療育を受けたにしても、形だけでは何にもなりません。

その答えを測るものさしは、子どもの表情だと私は思っています。


「もう息子は、今から来週からの指導を楽しみにしています」 とメールの続きに書いていました。

そりゃそうでしょう、短い時間ですが、私にはもうこの子との関わりの中から指導イメージがすでに出来ていて、私自身が楽しみになっています。


そう言えば、先週ちょっと痛んでいたイチロー君が、土曜日の90分で、かなり自信を取り返したように、お父さんからのメールに書いていました。

えっ、最近字がきれいになった?

書字指導が早くも効果? いくら何でもそりゃ早すぎと思いますが、もしかしたら、私の考えた書字系統プリントがヒットしたのかも? 

聴覚性の指示の入りもいいしなあ・・、と色々と思いが巡ってきます。

これもそれも、この書字系統プリントも、私自身のオリジナルで、いつも私の手足にぴったりとくっついているからの話です。

ここに至るまでに、何百枚の試作プリントがボツになったか知れません。

私と花子ちゃんとの歩みは、試行・試作・失敗の連続でした。

それがあるから、イチロー君の特性も理解でき、それに合わせた指導も行えるようになったのです。

保護者の方の信頼が、私を育てます。

イチロー君のお父さんも、「目先の結果なんて問題にしていません。それよりも大切な土台を、先生のやり方で、思い通りに作ってください」 と、いつも言ってくれます。

これで、燃えないわけがありません。

この書字系統プリントも、今日来たこの子との指導を通して、やがて進化・発展していくことになるかもしれません。


この書字系統プリントがどんなものか?

知りたい人もいるでしょう。 でも、まだ業務秘密にしておきます。

形だけ真似ても、それほどうまく行きません。 

私がするから効果があるのであって、形だけのマニュアル教材になれば、市販の物より程度はずっと落ちます。


教育・療育の品質とはそういうものです。

Special Educational Needs (特別な教育的ニーズ) 「Special」 の意味は、こういうことだと私は考えているのです。

例え経験は少なくとも、子どもに寄り添うことのできる先生が、結局は子どもを育てることになるのです。

大切なのは、権威でもなく、経験年数でも、肩書きでも、学歴でもなく、「子どもに寄り添う気持ちとそこに注ぐ情熱」なのです。

子どもの教育環境を整えることが、大切な親の役目の一つであるならば、ここの評価の尺度こそ、その生命線になると思っています。

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検査等で 本当の姿を見せない子ども (数値が出なかった 本当の理由とは?)

 2008-12-08
土曜日の晩に、来年就学を控えた女の子の、就学についての相談を伺いました。

私の時間的な都合に合わせくださり、遅い時刻にもかかわらず、車で1時間以上かかる地域から、わざわざ来ていただきました。

内容は、 「親としては、地域の特別支援学級への就学を希望しているが、就学相談では養護学校(特別支援学級)を勧められ、親としてどう判断したらよいか、アドバイスをいただきたい」 という内容のものでした。


その女の子は、教室に入ってくると、早速いきなり始まってしまいました。 

いわゆる子どものお試し行動です。

少しの間もじっといすに座っていることができず、ぐねぐね動き回るわ、ぐずぐずわけのわからない奇声をあげるわ、おまけに最後には、テーブルの上に寝転がって、手足をバタバタさせるようになりました。


こりゃ、行動障害級だ、さすがに特別支援学級は無理なのでは? と正直、思いました。

めちゃくちゃ行動で、自分の目の前にいるおじさんの値段付けをしています。

さすがの私も、「お母さん、もっとこの子の事、わかってあげて! 」 という言葉が、のどの先まで出かかりました。


しかし、お母さんの話を聞けば聞くほど、どうもそうではないらしい、とてもお母さんがウソをついているようには思えなくなりました。


>児童相談所に相談に行った時も、こうだったんです。

>どれ位の数値が出たんですか?

>確か20いくつ、 重度の診断もらっちゃいました(笑)

>いつもこうなんですか?

>いえいえ、家ではわりと普通の子です。 こんな風になって、今、正直驚いています。勉強も好きだし、言うこともちゃんと聞いてくれます。 ひらがなにも興味を持ち始めました?

>えっ、そうなんですか?  じゃあちょっと待ってください。


私は、教材を保管してある書庫の中から、 「おしゃべりアンパンマン あいうえおで あそぼう」 を、その女の子に与えました。


そこから、いっぺんに女の子の様子が変わりました。

まず、机の上に寝そべるのは止め、着席行動がキープできるようになりました。

次に言語によるコミュニケーションもとれるようになりました。

また、標識・おかしやクスリのパッケージ・マークなど視覚系の入力に優位性があることも明らかになってきました。

また、おかしが大好きなようで、これならABAの強化子として、この教室であればその事も有効に活用できるのではないか、という見通しも持てるようになりました。


さっきまでは行動障害かと思っていたのに、もうこの時点で、私にはムラムラとこの子の指導に対するモチベーションが上がってきています。

「アンパンマン」 「しょくぱんまん」 「はみがきまん」「太田胃散」「これ何?」

しまいには、幼児用の指導コーナーにちゃっかり着席して、私の与えたクスリやお菓子のパッケージでおりこうさんに遊べるようになりました。


>家では、ほとんど困らないのですが、保育園では、小学校の特別支援学級では他の子に迷惑がかかるとまで言われました。

>就学時の健康診断の時は、暴れなかったが、養護学校へ行ったときは拒否的な態度だった・・

>児童相談所に検査に行ったときも、めちゃくちゃな状態だったので、それこそ測定不能→重度の診断が下され、その書類に添った内容で就学指導・相談が進められるので、誰もわかってくれない・・

>やっと、わかってくれる人に巡り会えたかも知れない・・・


ぜひ、先生に指導をお願いしたい・・ と言って、お母さんは申込書を持って帰られました。

帰る時に、その女の子は、バイバイと手を振り、おりこうにいっしょにお片付けをして帰りました。

そこにはもう、あのとんぎった三角のまなざしはありませんでした。


月曜日にはまた、就学指導委員会を交えての話合いがあるそうです。

就学にかかわる流れが、どういう形になるかは、わかりません。

ただ、この子の心の扉を開く、学校の先生との出会いがあることを、強く願っています。


IQ20?

良い機会です。

検査は断片的なプロフィールを示すものであって、可能性を限定するものではないということを、私は実践を通して、世に問うてみたいと思います。


>あれ、買って!

>お金がないのよ

>じゃあ銀行、行って!


お母さんとのこんなやりとりも、あったようです。  ここに可能性を感じない人っているのでしょうか?


どうして検査では、めちゃくちゃになったか?

家では従える指示に、どうして保育園では従うことができなかったのか?

そのことの精査を、ぜひ、関係機関の方は行っていただきたいと思うのであります。

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「あっ そうか!」 子どもの認知力がアップする決定的瞬間 (学習場面におけるAHA体験)

 2008-12-07
まずは、下の指の写真をご覧ください。 これは、4月ごろに花子ちゃんの算数指導で使用したものです。


DSC00633.jpg
↑ 名刺判のカードに印刷しました。


DSC00632.jpg
↑ 指はうちの奥さんの指 ブログ初登場です(笑)


花子ちゃんは4月頃には、指で 「7」 と示しても、それを ぱっと見て 「7」 と認識することが、苦手でした。 カードを示しても、初めはやっぱり写真の指を1本ずつ数えていました。

私たちは、それが当たり前であるかのように、指を見て 「7」 と判断していますが、当の子どもはこうした状態であることもあるわけです。

4月の頃、花子ちゃんとこのカードを使って、「これはいくつ?」 「3!」 「やったー 大正解!」なんて学習をかなりやりました。

でもね、この頃は、繰り上がりの計算も速くて正確になりましたよ。 もう 「7」 でも何でも、瞬時に認知できるようになりました。 サイコロの目もマスターし、数え棒ゲーム・すごろくゲームなどで、十進位取り記数法や数認知のスキルも格段に向上しました。 目をみはる進歩です。


この下の映像も、花子ちゃんといっしょに取り組んだ形の認知学習です。 (ソフトは 「がくげい・ランドセル 小学1年生」 です。


DSC00628.jpg
↑ これだとごちゃごちゃしてわかりにくい形も 


DSC00629.jpg
↑ こうすれば、形の認知がしっかりできます



ひとつだけ違った形を選ぶ問題ですが、ボーリングのボールの穴とサイコロの目がじゃまをして、「球」 と 「立方体」 との識別の方に意識が向きません。 こうした余計な情報が、形の認知を妨げていたのです。

花子ちゃんは、これまで何度もこのテの問題でつまずいていました。

ところが、こうした余計な情報を消去した下の緑色の立体を目にした花子ちゃんは、 「あっ、そうか、わかった!」 と力強くつぶやきました。

 ついに来ましたね、脳内のネットワークが、瞬時につながるAHA(アハ)体験です。 (こうした場に遭遇するのは、指導にたずさわる者としての最高の瞬間です)

いわゆるカクテルパーティー効果と言って、余計の情報の中から、ポイントのなる情報のみを選択して取り入れることができるようになり、これまで学習してきた、形の認知の様々の情報が、一気に集約されたわけです。

私は、「やった」 と心の中で叫んでいました。 大げさに言えば、この日のために半年間、様々な算数的な活動に時間を費やし、工夫を重ねてきたわけです。

ご家族の方には、この算数ゲームに、合計で言えば何万円という私の指導料をご負担いただいたことになります。私を信頼して応援してくださったご家族に、やっとひとつ恩返しをさせていただくことができました。


三角カードの敷き詰め学習も、そりゃあ たっぷり時間を書けました。 花子ちゃんは、書字の時、まっすぐの 「田」 はちゃんと書けるのに カーブの入った 「大」 という字を書くのは苦手です。 斜めの形の視覚認知が、あまり得意ではないようです。

花子ちゃんは、以前は私の支援なしでは全くクリアできなかった、三角系の形のマッチング課題に自分から挑戦し始めました。 4月には、支援つきでも途中で投げ出して、涙を浮かべていた課題に、今回は自分から選んで挑戦です。

そりゃできますよ。 書字能力自体もあれだけ向上しているのですから・・  と思っていた私にも、内心はドキドキして注目していました。


DSC00631.jpg
↑ 4月頃は、支援なしではとてもクリアできなった
  マッチング課題も


DSC00630.jpg
↑ この日は、見事にノープロンプトで1発クリア 
  (感動じゃ~)


結果は → お見事、花子ちゃん大成功! でした。 つまづきは、一切なし。 何と晴れやかな笑顔でなのしょう。 新しい世界への重い扉を、自分の力でこじ開けたのです。

指導時間は90分のお約束なのですが、気がついたらもうとっくに120分を超えていました。 実は、今お知らせした内容は、この日の指導プログラムのおまけの部分で、花子ちゃんへのこの日の勉強のごほうびとして、与えた時間の出来事なのです。

こういう所に、実は大切なことが潜んでいるのは、よくあることです。 これも、子どもの可能性を信じて寄り添う指導者と、ご家族とのゆるぎない信頼感があればこそできる話です。

この日の岡山はかなり冷え込みました。 でも花子ちゃんは薄着のまま外に出て、ちぎれるように手を振りながら、私の車を見送ってくれました。

4月に使った指カードを見ると、私は思わず、涙がこぼれそうになったじゃありませんんか・・・

一足早い、クリスマスプレゼント!

この子は、次にどんな感動を、私にプレゼントしてくれるのでしょうか?

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行けば行くほど凹む 関係機関の相談 (「相談支援ファイル」の生きた活用とは!)

 2008-12-05
最近、私の所に来てくださっている保護者の方の専用の掲示板を設置させていただきました。

パスワードを決めていますので、部外者は立ち入り禁止です。

なので、保護者の方のいろいろな情報や本音の部分を感じることができます。


その中でのトピックの一つだったのが、相談機関に行けば行くほど凹んでしまう、という事を、多くの方保護者の方が感じておられるという事実です。

希望の光を見つけるはずの相談機関で、担当者からの上から目線・他人事・可能性の決めつけ・してやってる感覚・事務的な口調・対応・・・

おまけに、「お母さんの愛情不足では」 などの不用意な、配慮のない、人の心を踏みにじる発言。


「ありとあらゆるところに行ったけど、結局は時間と体力の無駄だった・・」

「頼れる場所は、一つとしてどこにも無かった・・・」


どうしてこうなんだろうと、悲しくなってしまいます。

かく言う私も、ある教育相談室にお母さんに同伴し、担当者の見下し発言に、怒りを爆発させた思い出したくもない経験を持っています。

最近は、少しは改善されてきたのでしょうか?


先日、ある教育事務所の担当者の方から、できたばかりの 「相談支援ファイル」 を見せていただきました。

ご存じのかたも多いと思いますが、その子の支援や相談・療育に関わる情報や経過を1つのファイルに集約し、それを保護者が管理し、その子の縦の連携に役立てていこうというものです。

以前に、文科省や厚労省の担当者から、このことに関わる情報を聞いたことがありますが、ここでついに具体的な物を見ることが出来ました。


掲示板の保護者からの反応   →   「面倒なものにならなきゃいいけど・・」


確かに、生きて働く物とならないのであれば、「ない方がまし?」 にならないとも限らない。

ファイルを活用し、子どもの育ちにつなげる人材がいないのであれば、ファイルがあっても何にもなりません。

ならば、目的外に使用されたり、かえって煩雑にならないよう、シンプルで機能的なものが良いのかも知れません。


このファイルが一つの材料となり、子どもの育ちを中・長期にトータルにサポートできる人材と意識が育っていってほしいと願わずにはいられません。

発達検査が、その本来の意図とは離れ、大きな心の傷を、多くの保護者の方に残してきた、あのあってはならない過ちを、再び犯してはならないと思うのです。


私は、支援の縦の軸を通すために、相談支援ファイルは有効だと思っています。

しかし、煩雑にならなければいいけど・・  という保護者の反応は、真実をえぐった内容であり、真剣に受け止めなくてはならない言葉だと思います。

誰のため? 何のため?

主体者は誰なのか?

子どもの学びや育ち、そしてそのサポートにあたろうとするものは、一瞬たりともそこから心を離してはいけないのです。

お母さん方の、何気ない思いの中にこそ、本当に大切なものがあるのです。

掲示板、作って本当によかったなと思いました。 今日は、どんな書き込みがあるか、また一つ楽しみが増えました。

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希望を捨てちゃいけない その理由 (ちゃんとわかるような時が きっと来る)

 2008-12-04
昨日イチロー君のお宅におじゃましました。

でも、この日のイチロー君は、いつものテンションとはちょっと違っていました。 ぴょんぴょん跳ね上がるようなエネルギーがありません。

イチロー君が、トイレに行っている間におばあちゃんがやって来て、実は・・・、という事で、先日で学校であった算数テストでかなりのダメージを受けている、ということを教えてくれました。

なるほど、いつものスモールステップの算数問題、先週は楽々出来ていた問題も、かなりヨレヨレになって取り組んでいます。

それでも全部が全部投げやりになっているわけではなく、漢字の書字や、じゃんけん数え棒ゲームでは、いつものイチロー君のはずむような姿を見せてくれました。

でも、あれだけ楽しみにしていた最後のベイブレードでは、「もっとでかいのをネットで買って!」など無理な注文を出してはぐずぐず言い、コマ自体もテキトーに回してちっとも面白くありません。

こういうことは、花子ちゃんの指導の時にも、太郎君の指導の時にもありました。

でも、ここで初めて本当の子どもの願いを見つめ、教材を組み立て、共に歩んでいく信頼感が形成されるきっかけになったと思っています。


できないことで揺れるのは、できるようになりたいというエネルギーの裏返しです。 そこにできるようになりたい、という気持ちがあるから、ここまで態度が揺れるわけです。

ならばここがスタートです。

学校とは違う形で、できるわかるのプログラム、そしてこれなら自分も結構できるという、自信やイケテル感を、何とかして育てていきたいと思っています。


これは私の体験ですが、私はかの有名な英会話のNONAの生徒でした。(今もそうなのですが・・)

何十万円も出して、前払いで授業料を払い込んだ生徒の一人です。

習い始めた頃の出来事ですが、レベルが7Aから6に上がった途端に、先生も、それから同じレベルの生徒の言っていることも、さっぱりわかななくなってしまいました。

レッスンは当時は3~4人で行われていましたが、自分だけ異空間に置いてけぼりになったような気持ちになり、あぶら汗がだらだら流れていました。

他の生徒が楽しそうに会話しているのに、自分だけ入っていけないのは本当につらいものです。 おまけにレッスン料は、払い込んだ5分の1位しか消化しておらず、止めるに止めることができません。

カウンセリングを受け、相談した結果、私が選んだのはマンツーマンでのリスニングの特訓でした。

ポイントは3倍消化しますが、止めてしまうようりはましだと思い、必死でレッスンを受けました。

で、何週間かがんばった後、通常レッスンに戻ると、今度は何とかみんなの話していることが聞き取れるようになりました。 その時のうれしさといったらありませんでした。


最近、何人かの子どもにかかわってみて、もしかしたら、この子たちにもこんなことが起こっているのではないかと感じることがありました。

わかってみれば、何のことはありません。

でも、何がなんだかわかならい時期は、本当に奈落の底に突き落とされたような気持ちになります。

私の場合は、大人ですし、たかだか趣味の英会話レッスンなので、単にお金で済むことです。

でも、子どもの場合は、私とは比べものにならないくらい、切実な生活の問題だし、ましてや経験の少ない、純朴な心をもっています。

経験さえあえば、学習の積み上げさえあれば、子どもはきっとできるようになります。 恐ろしいのは、今できないことではなくて、その子が心を痛め、やる気を失ってしまうことです。


イチロー君は、今週から隔週土曜日にも、私の教室に来てくれることになりました。

私は、心さえ痛んでないのなら、時間とやる気さえあれば、今やっている繰り上がり・繰り下がりの計算は、必ずできるようにさせる自信があります。

そのためには、まずありのままのイチロー君を受け入れ、できた・やれる・うれしい感をたっぷり味わうことのできるプログラムを考えなくてはならないと思っています。

ここは、あせってはいけない。 できないからといって、こちらがいっしょになって揺れてはいけない。

それよりも、私はイチロー君のもっている、ほとばしるようなエネルギーと才能を、ぜひイチロー君自身が体感できるよな指導とサポートを考えていかなければならない、そう心に誓っているのでありました。

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かれんちゃん 君の笑顔は天使の笑顔! (ダウン症児へのABAセラピーの実践から)

 2008-12-03
この日はかれんちゃんの4回目のセラピーの日でした。

いつものように長い階段を登って教室に入ると、自分一人でくつを脱ぎ、くつばこの上にきちんとそろえて置くと、用意していたいすに一発で着席し、お母さんにバイバイと手を振っていました。

1回目のセラピーの時は、立ち歩き、与えた物を何回もほり投げ、泣いたり、不安な表情でいっぱいの中、汗だくだくで何とか強化子(=ごほうびとなる物  かれんちゃんの場合は、シャボン玉・マラカス・巻き取りなど) を見つけ、着席行動を指導していた頃のことも、もうなつかしくさえ感じます。


下の写真は、この日のセラピーの様子を、私が自分で撮影した物です。 セラピーの途中で写真がとれるなんて、余裕が生まれた証拠です。 正直、やっていて楽しくてたまりません。


DSC00579.jpg
↑ 指導4回目にしてこの笑顔 (右目、けがしちゃ
ってます。早く治るといいね!)


DSC00611.jpg
↑ この日初めて取り組んだカップによるマッチン
グ課題を、見事にクリア! 感動です  涙が出そ
うになりました。

DSC00599.jpg
↑ どうです、この真剣な表情。 大好きなお絵か
は、ノープロンプト(支援なし)で、集中して取り組
んでいました。


この日の、私の最大のテーマは、カップによるマッチングの実施です。

私がセラピーの参考にしている 「つみきの会」 の藤巻さんは、おわんを使っていましたが、私はコーヒーなどをいただくときに使う、使い捨てのカップを選びました。

理由は・・  かぷせた時に、おわんよりピッタンコになり、「カポッ」 とはまって面白い  ということです。


私は、ABAにも、活動自体のおもしろさ、いわゆる発達の最近接領域を重視したプログラムを構成していこうと考えています。 それは、小学生の指導をしたとき、できた・わかる・おもしろいという、教材自体の魅力が、その子の何よりの強化子になっていると感じているからです。

かれんちゃんの場合、大きな穴に物を入れることは出来ますが、例えば、□とか△の形に合わせて物を入れることは、まだあまり得意ではないようです。

でも、このカップはコーヒーが入る部分の直径は大きく、下が円錐のように小さくなっていますから、重ねやすく、入った時に 「カポッ」 という手応えがあって、感覚系・操作系の遊びのかれんちゃんにとっては、ぴったりかも知れないと考えていました。


先週までやった定番プロクラムの後、いよいよ今日の新課題、カップによるマッチング課題の登場です。

言語指示による着席も、ばっちしです。 さて、まず私がかれんちゃんの前で 「いっしょ~」 と言語指示の言葉を添えて、「カポッ」 とやってみせます。 これはライブモデリング法と言います。

これが効き目がない場合は、手を添えて誘導 (身体的プロンプト)を使おうと思っていましたが、やっぱしこの、「カポッ」 は魅力的だったのでしょう。

かれんちゃん、自分から一発でクリアです。

私はというと感動で、涙が出そうです。

調子にのって、同形の積み木でやってみても、見事に般化・転移できています。

こうなるとシャボン玉どころではありません。 うれしくてうれしくて、「すご~い! じょうず~」の私の声が、教室中に響き渡っています。 (こうした最大級の強化が遠慮なしにできるのも、個別指導の最大の利点の一つです。 集団の中でこれをやると、別のマイナスの問題も起こってきますので・・)


今日は、3Dマッチングという最大の課題がクリアできたので、もうこれ以上欲張らないことにしました。

後は、時間が来るまで楽しい時間を共有して、次につなげようと考えました。

こうしたゆとりのあるオーラに、子どもは敏感に反応しますね。 イナイイナイばあ~とか、ままごとごっことか一緒にしていると、ますます心が通じ合ってきました。

ほほとほほとが寄せ合ったり、ひざの上に乗ってきたり・・ スキンシップによる信頼感まで向上しちゃいました。

小さい子で男性が苦手という子はたくさんいますが、なぜだか私の所では、すぐに仲良くなって、ご家族の方も、びっくりされます。

でも言語指示による着席行動は、いつでもちゃんとできますよ。


セラピーの後、かれんママにお伝えしたら、積み木はこれまで 「投げる物」 になっていたので、マッチングができるなんて信じられない、と目を丸くされていました。

私のセラピーの様子をビデオにとって、大学の授業で使いたいとおっしゃってくださいましたが、まだ、それ程の物ではないので、ちょっとだけ待ってもらおうかと思っています。

(しばらくは、ブログのアップで勘弁させていただこいうと思っています。 ビデオに撮られるとなると、ヤバイ場面もバレちゃいますし、妙にカメラを意識しちゃいますので・・土台がしっかりできてから、ビデオに挑戦させてくださいね)


正直、私に、3歳の子の指導なんかできるのかどうか、不安を感じなかったと言えばウソになります。

でも、今日のこの指導で、不安は楽しさに、確実に変わりました。

私がこれだけ楽しかったのですから、きっとかれんちゃんも楽しかったのだと思います。


かれんちゃん 君の笑顔は天使の笑顔!

来週が来るのが待ち遠しいです。

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集団のもつエネルギーが 子どもに与えるもの

 2008-12-02
花子ちゃんは、先日から、国語の時間5時間が、特別支援学級から通常学級へと移行しました。

さっそくテストがあったようですが、点数が70点で、お母さんはとても喜ばれていました。


通常学級へ行き始めてから、思わぬ波及効果が現れ始めました。

「SHINOBU先生、九九カード、8の段や9の段も作って~」 が、それです。

へいへい、そんなのお安いご用ですよ、 でも花子ちゃん、ちょっと前まで2の段と5の段で、後はもういらないって、言ってたじゃあありませんか?

そして、恒例のじゃんけんかぞえ棒ゲームをして、さらにびっくり・・・

2・4・6・8・10・・・ と、2本ずつで数え始めたではありませんか?  まだ、手つきはたどだどしい時もありますが、この進歩は、大きな一歩です。 これ、以前はすごく苦手だったのに、何かがつながり始めた証拠です。


話はちょっと変わりますが、これも個別指導の実践から気がついたこと・・

もしかしての推測ですが、形の認知が苦手な子どもは、印刷した形はわかりにくくても、自分で描いたものについては、はっきり認知できているのではないか? という仮説です。

花子ちゃん、このごろ自由帳にいろいろな絵や文字を大量に書き込むようになってきました。

これこそ、こちらとしては、願ったり叶ったりの展開です。 粘土文字や文字パズル、やってよかったな~ と、心底思いました。

でも、私が花子ちゃんの自由帳見ても、正直何を描いているのか、説明なしにはわかりません。

でも、花子ちゃんは、それを見て、とんとんと状況を説明してくれます。 これは、算数の場面絵を描いた時にも同じ事ができます。

私たちも、ちゃら書きのメモ類は、自分しか読めませんね。 英語でも、私、活字体の文字は読めても、筆記体の文字、全然読めませんから・・

ということは、自分で書かすと言うことは、形など認知面のでも大きな支援(=プロンプト)になるのではないかという仮説も成り立つのではないかと思えてきました。

ホワイトボードという教具は、神様が私たちにくれた、クリスマスプレゼントになっています。


とにかくここに来て、花子ちゃんには大きな変化が見えてきました。 

あれだけ涙を流していた書字にも、希望の光が見えてきました。

指導の後、私を見送りながら、ちぎれるように毎回手を振ってくれる花子ちゃんの姿には何の変わりもありません。

この花子ちゃんの特性を、どうとらえ導いていくかが、指導者としての力量であり、腕の見せ所なのではないでしょうか?

マイナスにとって、集団から除外するのではなく、プラスのとらえて集団の中で活用していこうという姿勢こそが、教育者に求められる姿勢なのだと思います。

結果を、どうこう言うのではありません。

そういう姿勢でチャレンジすることが、あるべき姿であると主張したいのです。

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可能性は それを信じる親が作り上げるもの (積み上げのきく環境づくりが 子どもの奇跡を起こす)

 2008-12-01
皆さんは、自分のお子さんの可能性について、どのようにお考えですか?

「あなたのお子さんの数値は、こうこうだから、将来はこうこうです」 と、断定的に伝えられた検査結果に、心がふるえた経験はありませんか?

しかし、私の周りにいる方々には、こうしたことをはねのけ、奇跡と思われるようなことが毎日平気で起こり、過ぎてしまえば、1年前とは全く別人のお子さんがいっぱいいます

何度も何度も言いますが、検査結果は、ある特定の場面で、特定の観点から、客観的に切り取った、現時点のプロフィールの一部であり、恐れ多くも将来を決めつけるものでも何でもありません。


特にある部分は得意なんだけど、ある部分は苦手なんだ~  というタイプのお子さんは、積み上げの効く環境さえ整えば、大化けする可能性があります。

信じる、信じないはその方の自由です。 

でも、それを信じて取り組む人生の営みと、希望を捨てたあきらめの人生と、親としてどちらを選択されようとしているのでしょうか?


金曜日の花子ちゃん、この週も、バーチャル算数授業で文章問題に取り組みました。

そこで気がついたこと・・

きみはいつの間に、そんなに計算が速く・正確になったの~ という驚きの成長です。

指、使ってるんですよ。 数の合成・分解は、大の苦手です。 でも、その指の使い方が、ある意味、天才的に早く・正確になってしまいました。 繰り上がりの計算でも、ささっと指を使って計算できちゃいます。 筆算を使えば、何桁の計算でもできちゃいます。

不思議なことに、こうやって算数問題にチャレンジしていくうちに、あれだけ苦手だった視覚的な形の認知能力も、知らないうちにアップしています。

今、WISCーⅢの検査をしても、どこがどうアップしたということはないかもしれません。 でも、現実生活の中では、こうやって確かな成長を感じ取れているわけです。 

大人はこうは行きません。 恐るべきは子どもの成長とその可能性です。


私は、大学院で、外国の論文 (もちろん英文) を自分で選び、数名の教授と十名程度の院生の前で紹介する課題に取り組んだとき、その1週間前まで、そこに何が書かれているのかさっぱり分からず、気が狂いそうになった経験があります。

英文ににらめっこしたまま、半日、一歩も前に進まず、どこかへ逃げだそうかと、真剣に思ったモものです。

それがある日、ある時、たったひとつのキーワードの解釈をきっかけに、それまでばらばらだった言葉のそれぞれが、一気につながり、その論文が何を述べようとしっていたのかが、まるでベールをいっぺんに引きはがすように見えてきた経験があります。

この瞬間のことは、きっと一生忘れないと思います。

わかるということ、伸びるということは、こういうことなんだと思っています。

ならば、たとえ今はできないこと苦手なことがあっても、その子の得意な事をベースにして、毎日積み上げていく体験が、どれだけ値打ちのあることか、みなさんならわかっていただけるのではないかと思います。


何でもすべてが、できるようになるとは限りません。

でも可能性自体は、無限です。

そして、そこに向かって、希望をもって生きるそのことが、最も大切な営みであると考えています。

ただ闇雲に、暗闇の中で鉄砲を撃ち続けるようなことでは、疲れ果ててしまいます。

そこには、努力もビジョンも工夫も必要なわけです。

どんなに目先の課題であっても、別の道であったり、逆方向に進んでいたのでは、一生たどりつきません。

どんなに遠い道のりに見えても、その道がちゃんとつながっているのであれば、前へ進んでいるのであれば、必ずそこにたどりつくことができるはずです。

こうした積み上げのきく教育の環境づくり、毎日取り組んでいることの手応えを、子ども自身が感じ取れるようなシステムづくりは、必ず子どもの成長や幸せに大きな影響をもたらします。


これを、保護者だけの力で、すべて作り上げて行くことはむずかしいと思います。

そこに確かな意思があるのであれば、状況を変えていく道筋が見えてきます。

容易なことではありません。

しかし、可能性を信じる取り組みこそが、子どもの成長に大きな役割を果たすことは、まちがいのないことだと思っているのです。

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