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子どもを落ち着かせるための支援ではない 子どもを育てるための支援なのだ

 2008-11-29
いつだったか、運動会ですばらしいサポートをされる先生がいて、昨年度まで集団の流れに乗りにくいお子さんが最後まで演技に参加できたけれど、親としては何とも割り切れない感覚になった・・という内容のコメントをいただいたことがあります。

先生の支援のすばらしさは、本当にありがたいことで、学校・園としては達成感があるのかも知れないけれど、本当にそれで子どもが育ったことになるのか・・・

この感覚は、まるでリタリンやコンサータを飲んで行動が落ち着いたしても、決して手放しで喜ぶことの出来ない親や本人の気持ちに、どこか通じるものはありませんか?


子どもが落ち着いた???

それって、育ったことなんですか?

クスリや、先生の大活躍で、喜んでいるのは一体だれ??

何のための支援??

主体者は誰??

特別支援学級に行って、トラブルがなくなった?

環境を変えて、トラブルがなくなっても、それは、本当に子どもが成長したということなんですか?

トラブルがなければ、それでいいと考えているのでは・・??

目指すもの、目指すことは一体何??

目的と手段、どこかではき違えていませんか??


昨日、花子ちゃんのお母さんと、そんなことを話し合いました。


支援もクスリ関係機関も、子どもの成長のための手段であって、決して目的ではありません。

関係機関につなげたら、特別支援学級に入ったら、医療機関にいったら、すべてのことが解決したように勘違いして、学校・園が肩の荷を降ろすような連携は、もうこりごりです・

主体者としての学校・園があってこその連携であり、つないだところが大切なスタート地点であり、子どもの成長があってこその連携と言えるのです。


もちろん、丸投げ・つっこみ・ただ集団にいれば育つというものではありません。

最初は、フルプロンプト(手厚い支援)であってよいと思います。

でも、それは少しずつフェードアウト、あるいは遅延プロンプト(=支援をわざと遅らせる)などの手法を用いて、それがなくてもできる子どもを教化する (=ほめる) 営みが不可欠です。

行動が落ち着いたから喜ぶのではなく、こういうことが出来て、子どもが育ったときに、その喜びを共有するのが、プロとしてのあるべき姿であると私は考えます。


私は、支援がなくても出来るようになった子どもの姿を見て、初めて、お母さんといっしょに涙を流したいと思っています。

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わかる・できるは何よりのモチベーション  (発達の最近接領域とABAとの融合)

 2008-11-28
一昨日、ちょっとしたアクシデントで、イチロー君のお宅に指導に伺う時刻が考えていたより1時間も遅くなってしまいました。

やばいなあ~、 と思いながら車を運転していましたが、後でご家族の方にお話を伺うと、イチロー君は日も暮れたその時間、冬空の下で外に出て、ずっと私の車が到着するのを待ち続けていたそうです。


ご家族の皆さんの希望もあり、花子ちゃんと、友里ちゃんには1週間分の宿題を毎回渡していますが、学校の宿題はなかなかしないのに、私の出した宿題は、ほっておくとあっという間に、1日で全部してしまうような勢いだと聞きます。

ほとんどの子が、イチロー君のように、毎回私の指導を心待ちにしてくれている最大の理由が、何なのか自分でもあまり分からなかったのですが、どうやらそれは単なる私のパーソナリティーの問題ではなく、勉強が楽しいから、というのが主な理由だと思うようになりました。


漢字の書き取りのプリントをイチロー君に見せた瞬間、まだ何も説明もしていないのに、 「よっしゃー、これ知っとるー」 と、ものすごい勢いで食いついてきました。

やりたくて仕方がないというように、思いっきりエネルギーがほとばしっています。

イチロー君も書字系は苦手なタイプなので、書き順を継次的に、言語系のプロンプトを添えただけで、みるみる形が整っていき、指導する方もちょっとした快感です。

もちろん個別指導なので、誰に気兼ねすることなく、思いっきりほめちぎります。 当然、即時教化です。

この時、イチロー君も自分自身で向上していることがはっきりとわかっているので、私がほめることもさることながら、自分自身による内部的な教化が自然に行われているような気がします。


何日か前に、イチロー君の学校におじゃましたときとは、授業中まったく別人の表情がここにあります。要するに、授業の中身が入っていないという表情です。


個別指導を有効に機能させていくためのポイントは、主に2つだと私は考えています。

一つは教化子をMAXに使えること (ABAの視点)

もう一つは、その子に手応えのあるプログラムを独自に構成できることです。 (発達の最近接領域)

逆に言えば、この二つを機能させることのできない個別指導なら、集団で学ぶ利点を削ってまで行う価値がないのでは、と考えています。


例えば特別支援学級で、この二つが構成できているならば、きっと大きな成果を上げることができると思います。

しかし、ただ人数が少ないだけで、その子にとって手応えのあるプログラムを構成できなっかたり、適切な支援や強化が行えるシステムがないのであれば、あまり子どもにとっても、保護者にとっても、魅力あるものにはなりにくいのではないでしょうか?

私は、通常級か支援級かで迷っている保護者の方には、必ず支援級の先生に会って話を聞いてみてください、と助言しています。

就学にかかわる決定は、単なる場所の選択ではなく、教育システムの構築であると考えています。


できだしたら、わかりだしたら、子どもの表情はみるみる変わっていきます。

昨日、友里ちゃんの指導では、予定を変更して、90分の指導の大半を、苦手なはずの文章題につぎ込みました。 でも、友里ちゃんの表情は生き生きです。 それは、この分野の最近接領域を、やっと私がつかんできた証です。

途中何度か間違えたりしましたが、ツボの所にはちゃんと指があたっているような気がします。

だからこそ、ちっとも集中力を切らすことなく、時間を少しオーバーしてまで文章題に取り組んだのです。


それは、文科省の学習指導要領に定められている何年生の内容か? そんなことばかりにとらわれるから、一番大切なその子の最近接領域が何か、見えなくなってしまうのです。

特別支援教育の特別(Special)の意味は、何なのでしょう?

それは、子どもの学びのニーズにきちんと応えられる教育の場を保障していくことだと、私は考えているのであります。

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保護者として 学校対応への困難さにくじけない方法 (たった一つのアクションが運命を変える・・)

 2008-11-27
皆さんは、お子さんのことで、直接学校側にお願いをしに行ったことがありますか?

私は何人かのお母さん方から日々ご相談を伺っていますが、そこに費やすエネルギーは相当なものだと感じているところです。

一般的な話なら、「ハイハイ分かりました」 「今後配慮してきます」 「今後気を付けていきます」 という感じで済みますが、具体的な生活や学習のこと、例えば個別指導をどんな形で進めるとか、内容をこういった形でお願いしたいとか、支援員さんのサポートはこんな形でお願いしたいとか、そういう具体的な内容のすりあわせになると、そう簡単には思っていることが相手には伝わっていきません。

これまで、信頼していた、良い先生だと思っていた先生が、こうした具体論になると、何でこんなこともわかってもらえないのだろうと、思い切り株が下がったりするようなこともあれば、逆に、冷たいと思っていた先生が、こういう具体的な話になると、とてもたのもしくしっかりした対応をしてくださり、そのことを契機に心が通じ合ったようなケースも知っています。

言ったことがすぐに響くような担任の先生であれば幸せなことですが、そうでない場合には、校長先生などに言うしかない時もあり、そこには相当なエネルギーを必要とします。

この校長先生も、全くの石頭であったり、調子の良すぎる先生だったりすると、どっと疲れが吹き出してしまいます。

うまくいけば苦労も報われるという物ですが、何度言っても同じ事の繰り返しだったりすると、もうどうしていいかわからなくなったり、絶望的な気持ちになったりするときもあります。

こんなときに、ご主人であるとか、ご家族であるとか、身近にそのことを共有できる方がいれば、またそこで気を取り直して、もう一度立ち直ることも出来ますが、そうでない場合は、自分一人でそのすべての責任を背負わせれたような気持ちになり、絶望的で身動きできなきくなったりするケースもあるようです。


全く迷惑な話で、巷で言う「モンスターペアレンツ」という言葉や存在が、それとなく重くのしかかってくることもあえります。 最低限な切なる願いが、こんな理不尽な言葉にすり替えられたりすれば、本当に目も当てられません。

時々学校の先生からのご相談もいただきますが、私から見ると、理念・力量ともトップクラスで、これほど優秀な先生はいないという程の方が、どう考えてもメチャクチャな方の要求に、やる気と才能が無惨に押しつぶされているケースもありました。

学校側の痛手も大きいですが、他の保護者の方にも、結果として相当深く、厳しいダメージを与えることになります。


でも、そうかといって、あきらめられることと、あきらめてはいけないことがあります。

どんなに険しい道のりであろうが、どんなに厳しい現実を突きつけられていようが、それでも前へ進まなくてはならないときもあります。

先輩のお母さん方で、そこを乗りこえて、やっとの思いで、お子さんに添った環境を創造された方々がたくさんいます。

目指すべきは、親としてすべきことに、真心をこめて、ていねいに取り組んでいく自分の姿です。

しかし、そこに、心の支えは絶対に必要です。 希望の光こそが大切です。 ここに人と人とのつながりや、支え合いは不可欠です。 


そのための工夫も重要です。

まずは、アクションを起こしましょう。 まず、一番身近で信頼できる人に相談しましょう。 力になりそうな方を紹介してもらいましょう。 親の会などにも参加してみましょう。 隣に座った人に勇気を出して声を掛けてみましょう。 

たった一つのメールから、 たった一本の電話から、 たった1回の出会いから、 運命の歯車が大きく動き出すのが、人生というものです。

あの日、あの時、あの場所で、先生に出会えてなかったら・・

私の所に来てくださるお母さん方の多くは、そんなふうに言ってくださいます。 そんなドラマは日常的に起こっています。

まずは、たった一つのアクションから・・

そこに意思のある限り、運命の歯車は大きく動いていくのです。

決して、決して、あきらめないでいて欲しいと願っています。

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課題を明らかにして 小さなステップを一つずつ積み上げていく営み 

 2008-11-26
昨日は、かれんちゃん(ダウン症・3歳)の第3回目のセラピーの日でした。

この日は朝9時からの開始にもかかわらず、元気いっぱいに教室に来てくれました。

2週間続けて、セラピーがお休みだったのでどうかな、って思っていましたが、来るといきなり前回がんばった 「着席行動」 をしてくれ、みんなを安心させてくれました。

今日は開始の前に、この「着席行動」の他に、「積み木を入れる」「積み木を積む」(手作業課題)、 「お絵かき」「がちゃがちゃ」「くるくるローラー」「シール貼り」(操作性遊び)、 ディズニーパズル(マッチング)、 「ちょうだい」「ハーイ」「バイバイ」(音声指示による動作)などのメニューを考えていました。

DSC00578.jpg
      かれんちゃんお気に入りの 「くるくるローラー」



たった45分の間なのですが、結構いろいろな場面がありました。

まず、着席行動と教化(ごほうび)の関係が理解できたらしく、わざと席を外して私の方に注目しています。 私はその時は、当然無視をしてやり過ごしています。 ちゃっかり私を試しています。 それでも平気で無視をしていると、ケラケラ笑ってやがて席に着きます。

席に着くと私はすかさず、教化子の「シャボン玉」や「巻き取り」を吹いて見せるのですが、さすがに、席に着く=教化子の関係がはっきりとわかっらしく、何度も何度も確かめていました。


集中力の持続性もありますから、離席したらしばらくはやり過ごし、その場合は、サインとして「巻き取り」を2~3回吹けば、少しのプロンプト(支援)をするだけで、着席行動はできるようになりました。


しかし、私の心にメラメラを湧いてきたのは、活動自体のおもしろさを、何とかかれんちゃんにスモールステップで提供したいという気持ちです。

いわゆる発達の最近接領域の発見と、かれんちゃんの長所・好きなことと・楽しいこと・やりたいとこ・行動レパートリー・ストレングス等の把握です。


小学生の場合は、「勉強が出来るようになりたい」 という基本がありますから、国語だの算数だのそう言ったカテゴリーの中から、得意なことやりたいことを見つけ出し、そこを武器にいろいろなことを切り開いていくようにしています。

今日やったいくつかのメニューの中では、お絵かきが一番、楽しんで取り組んでいるように思えました。 それも、パステルではなく、ハイマーカーという幼児用のサインペンの方がお気に入りでした。

(ただ、手や顔にインクがついたり、フロアマットに描いたり、トリッキーな動きも多いので、工夫が必要だと感じました。 でも、私としては、こういうことから入り込んでいきたいと考えています)

シール貼りには、見向きもしませんでしたが、くるくるローラーは、自分で操作して遊ぶことができました。 

そう言えば、今回は、ただの1度も物を投げませんでした。 (1回目の時は、10回以上投げましたから・・・汗)

それに、「ちょうだい」や「バイバイ」など、言語系の入りは、思っていたよりもずいぶん良い感じでした。 ここもビックチャンスの領域です。


かれんママには、SHINOBU流でやらせていただきます、と宣言しています。

かれんちゃんの課題は、私とかれんちゃんとのストリーの中で構成していきたいと考えています。 もちろん、幼児への指導経験は少ないですから、どうしても小学生への指導をベースにしたものになってしまします。

事例も、文献も大いに参考にさせていただきます。 でも、かれんちゃんがかれんちゃんであるように、私は私なので、誰かのパターンを物まねしても、結局は長続きしないと思っています。

時々、プロンプト(支援)は、もう少し厳しめに行った方がよいかもしれない、と考えることがあります。そう思いながらも、結局あまり強引なやり方はしないのが私流です。

ABA・応用行動分析というと、ちょっと冷たい感じがする方もいるかと思いますが、私の場合は、まずはお子さんとの関係やストーリーの方を重視します。 ABAは本当に優れた方法だと確信していますが、それはあくまで方法であって、目的ではないと思っています。今日、指導の後半で、ちょっとつらくなったのか、教室のドアを開けようとした瞬間があります。 こういう心をちゃんとわかってあげられる先生になりたいと思っています。

今日笑顔いっぱいで着席できたのも、そこが伝わっているからだと信じています。


今度新しく、かれんちゃんより1歳上の女の子も、この教室で指導を開始させていただくことになりました。 お父さんに似たのか、運動系が大好きな女の子です。

ご縁があり、そしてここを選んで来てくださるご家族の期待に添えるよう、その子の育ちに着実な一歩を刻めるような営みを続けて行きたいと考えています。


私にとっては、新たな分野のチャレンジに、これからも真心を込めて懸命に取り組んで行きたいと考えています。

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親の真剣な気持ちが 担任の先生につながるとき

 2008-11-25
花子ちゃんの学校も、先週の金曜日が学習発表会でした。 

種々の都合で今回は、花子ちゃんの学校には行くことが出来ませんでしたが、お母さんがその日撮った写真を見せてくれました。 花子ちゃんはガチガチに緊張していたそうですが、お母さんはその成長ぶりに胸を熱くされたそうです。

金曜日の4時半からの90分が、花子ちゃんとの指導の時間です。

約束通り、今日のメインは、通常学級での算数授業のスタイルで、マンツーマン指導を行うことです。

算数授業ごっこみたいなものです。花子ちゃんは、ホワイトボードをしっかり用意して、やる気満々で私を待ってくれていました。


花子ちゃんは、1年生の時は通常学級でした。

国語が大好きで、発表したい場面もいっぱいあったそうですが、なかなか答えたいときに当ててもらえなかったという思いが強かったようです。 (ほとんどの子がそうですよね)


この日は、その夢がいっぺんに叶う、約束の日でした。 私も小学校の現場経験は長いですから。そりゃあリアルなバーチャル授業?を行いました。


この日の私のテーマは、花子ちゃんの言語の継次的な優位性が、四則計算の選択や、状況の理解や場面のとらえにどれだけ有効か、という確認でした。


実際にやってみると、四則計算(といっても、今はたし算・ひき算の選択のみでしたが・・)の選択は、ほぼパーフェクトで、ホワイトボードに書いた場面の様子も、字や形は不正確な面もありますが、内容はきちんとつかめており、改めてびっくりしました。

発表も、とても生き生きと受け答えを何度も繰り返し、私の夢も、花子ちゃんの夢も、まるで同時に実現するかのように感じました。 本当に楽しい時間でした。

例えば9人のうち4人が女の子なら、男の子は何人?という問題では、ひき算で9-4=5は、簡単に出来るようになりましたが、場面図は不正確でした。 でも、こういうレベルでの課題が明らかになるなんて、うれしい限りです。 2年の初めの時には、数の認知自体が危うい状況でしたから・・


お母さんの学校側との交渉? も、ひとつの成果を収め、念願だった国語の授業が通常学級で受けられることになりました。 (ここまで来るのも大変でした・・)

この日、お母さんが通常学級で受けたという国語のテストプリントを見せてくれました。 漢字の書字の部分は、さすがに全滅でしたが、言葉の意味や読み取りの選択問題は、全部出来ていました。

私にしてみれば、このくらいのこと出来て当たり前です。 マンツーマンの指導とはいえ、今、標準化された学年相応の問題集を問題なくこなしていますから。


お母さんの命がけの交渉?から、それぞれの先生の対応にも、変化があったそうです。

特に特別支援学級の先生は、それ以来、以前にも増して、花子ちゃんに寄り添った指導をしてくれるようになったと聞きました。

特別支援学級の授業を、通常学級へ戻して欲しいという交渉は、特別支援学級の先生にとっては、気分の良いモノであるはずはありません。

でも、そのお母さんの真剣度と願いを理解して、先生が子どもと向き合ったとするなら、きっとこの先生は、さすがと言う言葉に値する先生に違いありません。

この話を聞いて私は、「ああここで、お母さんと特別支援学級の先生とは、つながったな」 と感じました。


この日、友里ちゃんママがメールで、広島の講演会の報告をしてくださいました。

どうやら友里ママは広島の講演を聴いて、ABAの優れた点を深く理解されたようです。 普段私がお伝えしていることが、頭の中で一気につながった、というような内容のメールをいただきました。

このお母さんがABAなどを身につけたなら、まるで「岡山のマドンナ」や「岡山の双子の母」になっちゃいます (笑)

やっぱり、アクションは起こさなくてはいけませんね。


私の教室に来られるお母さん方は、それぞれ個性は全然違いますが、共通点はあります。

それは、親としての強い願いと決心と覚悟をお持ちであるという点です。 決して丸投げをしないということです。

私は、いつも主体者としてのご家族を支える、というスタンスで取り組んでおり、 よほどの場合を除いて 「こうしなさい」 というようなことは、なるべく言わないようにしています。

また、必要以上に私に寄りかかって来られた時は、あえて心を鬼にして突き放すようにしています。

それは、私が大活躍して、たとえ状況が短期的に好転しても、その効果は限定的だということを、体験的に感じているからです。


私がヒーローになっても何にもなりません。 主役はご家族で、私は一時的なサポーターにしか過ぎないのです。


でも、こうしたお子さんの教育を組み立てていくことは、あまりにも大きな内容であり、それをご家族だけに押しつけるようなことはあってはならないと思います。

昨日も書きましたが、どんなことがあってもがんばることのできるご苦労と、そうでないことがあるのです。 特に、母としての心の問題は大きいと思います。 希望の光さえ見つければ、どんな苦労も耐えていくことができるのです。

その希望の光を踏みにじるようなことが、現実場面では多すぎるように思います。 IQ値や発達検査による決めつけは、その最たるものです。

そういう理不尽なことに対しては、私も夜叉のごとく、お母さんといっしょに怒りを爆発したことだってあります。


でもね、基本はやっぱり、「主役はご家族」  私は通り過ぎていくただの黒子であらねばならぬと思います。 

あと1年でいいから続けて指導をお願いできませんか? というくらいで惜しまれながら、風のように去って行くのがいいのではないかと思っています。 (でも、本当は子どもが可愛くて、ずっとかかわり続けたいと思っているに違いないのですが・・)

脱線しましたが、言いたいことは、親の真剣な気持ちとアクションは何よりも大切なことで、そこをサポートするシステムと人材も必要だ、ということです。

伝わりましたでしょうか・・ (笑)

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行動に込めて伝える気持ち (子どもの行動改善に向けて出来ること)

 2008-11-23
友里ちゃんの指導は、木曜日にあります。 

今週の木曜日に友里ちゃんは、明日音楽発表会があるから来てね、と言ってプログラムを私に見せてくれました。

プログラムを開くと、いきなり一番に 「SHINOBU先生~・・・・」と書いているではありませんか?

これ、主旨はご家族向けのはず・・  学校の指導の一環で書いた物でしょうから、当然担任の先生のチェックも入っているはず・・・

この子にとって私は、いったいどんな存在なのかと思うと、うれしいような、でも正直、何でこれほど・・と、とまどう気持ちの方が大きいように思います。


花子ちゃんも、太郎君も、イチロー君も、そして新入部員のたくや君も、なぜか私の指導の日を、毎日首を長くして待っているのだと、ご家族の方が教えてくれます。

金曜日は、それぞれ別の学校なのですが、太郎君と花子ちゃんと友里ちゃんの3人が発表会の日になっていました。

どの学校へも車の乗り入れはできませんから、私は原付バイクで、発表会の掛け持ちです。 (今回は諸事情で、花子ちゃんの学校へはいけませんでしたが・・)

まず太郎君の学校におじゃまして、済み次第直行で、友里ちゃんの学校へでかけました。


この日の岡山は冬空で、さすがに30分以上バイクに乗っていると、体が冷えます。 

車ではありませんから、さほど渋滞は気にしなくて済みますが、友里ちゃんのお母さんは、毎週これだけの時間をかけ、この不景気の世の中で、これだけ高い指導料を毎月負担していただいているかと思うと、この仕事、半端な気持ちじゃ受けられないと、バイクに乗りながら、そんな気持ちになりました。

学校に着くと、すでに体育館の前には長い行列ができていました。 私は、スリッパに履き替えようと靴箱の所に行くと、そこでばったり友里ちゃんに遭遇しました。

この辺、運命的ですよね。

ひとこと・ふたこと言葉を交わし、何だかとっても良い感じです。


やがて体育館の一番後ろの席に何とか座ることが出来ましたが、ふと横の4年生の集団に目をやると、少し遠くで、友里ちゃんがずっとこっちの方を向いています。 手を振ると、すぐにこちらに返してくれます。その後何度も何度も、こちらの方を向いて手を振ってくれました。

4年生の出番となり、友里ちゃんもステージの上にあがりましたが、何とその位置は、ちょうど私の真っ正面、遠いけれどド真ん前です。

私と友里ちゃんの間には、何十人何百人もの人がいますが、ちょうどそこにまっすぐな1本の糸で結ばれたような不思議な感覚に包まれました。 遠くても、手の動き・表情・そして心の中までがダイレクトに伝わってくようようでした。

来て良かった、と心の底から思いました。


百万の言葉より、ここにいることで、私が友里ちゃんにどんな気持ちで向き合っているかが、行動を通して伝えることが出来る。


ご自身がAD/HDであると公表し、日本のAD/HDの支援に大きなインパクトを与える活動を続けていらしゃるえじそんクラブの高山恵子さんは、その支援の重要なひとつとして、カリスマティックアダルトの存在を上げています。 (要は、ご家族以外に長期的に寄り添うことのできる支援者のことです)

いわば、私は友里ちゃんたちのアイドルです。

この子の前では、誰よりも大好きなSHINOBU先生でいられるわけです。 これは週1日とか、2日とか、そういう環境だからできることです。 ご家族がこれをやると、しんどくて仕方ないと思います。

それに、すべてを共有し、ともに生きていくご家族が、アイドルであってはいけないと思います。家族とは、そんなものではないはずです。 アイドルは偶像であって、実像ではないのです。


しかし、子どもは、その偶像に、あこがれや生きる希望を見つけることがあります。

偶像には、偶像としての持ち味がそこにあるはずです。

私は、このすばらしいお母さんの信託を受け、そのおいしいアイドル役をやらせてもらっているわけです。

後ろで小さい子がぐずっている声がしたので、振り向くと友里ママが、妹を抱いてあやしている最中でした。 2・3お母さんと言葉を交わし、4年生の発表が終わると、少し早めに体育館を出ました。


このお母さんは、翌日、友里ちゃんのことで広島まで勉強に行かれています。

私は、今の友里ちゃんがあるのは、このお母さんがいればこそ、と心の底から信頼し、尊敬しています。 毎週の送り迎え、家庭学習、家事、妹の子育て、学校との交渉、医療機関への通院、親の会への参加、ネットや文献での学習や研究、そして様々な経済的負担・・・・

もちろんご家族の皆さんの協力があればこそのことですが、このお母さんの肩にのしかかるものははかりきれません。

人間、耐えていけることと、そうでないことがあります。

それは、決して経済的なことではなくて、時間的なことでもなくて、心の問題です。

どんなに忙しくたって、苦しくたって、そこに希望があれば、人間は立ち向かっていくことができます。

パンドラの箱に残されたたった一つの宝物は、希望であったはず・・

私は、その希望を支える営みこそが、何よりの任務であるに違いない、そう信じているのであります。

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集団から排除する特別支援教育にしないで・・

 2008-11-22
昨日は、太郎君・花子ちゃん・友里ちゃん、3人のそれぞれの学習発表会でした。

初めに太郎君のいる学校におじゃましました。 教室の扉から覗くと、すぐに目が合い、とてもうれしそうな顔になりました。 学童保育の担当保育士もすぐにやって来ました。

歌も踊りも演奏も、みんなと一緒にとても上手にできていました。 1学期の頃と比べると、何もかもが大きな成長です。 後で聞くと、このクラスのすばらしい担任の先生は、全員で学習発表会を成し遂げたことに感激し、涙を流されたということです。 「できれば、ずっと太郎君の担任でいたい」というこの先生の言葉は、今でも私たちの心の奥底で、幸せの光を放ち続けています。


学校の勉強が終わり、3時からは、私との指導の時間です。

自信満々・笑顔いっぱいの表情で、私の教室に飛び込んできました。 何とたくましく、明るい表情になったことでしょう。

指導を開始してしばらく経つと、太郎君は 「SHINOBU先生、足は?」 と尋ねてくれました。 先週足をくじいて、幸い骨には異常なっかったのですが、実はまだ痛みが残っているのです。 

そう言えば先週、足をひきずりながら太郎君と野球をしました。 その時の事、ちゃんと覚えていて、ずっと心配してくれていたんだ・・

今度は、私の方が目頭が熱くなってきたじゃありませんか?


ちょうど1年前は、この子の就学について、お母さんと一緒に何度も学校にお願いを重ねた時期でした。

書類や検査からは、集団活動をこなせないなどの社会的対人行動の未熟さとか、コミュニケーションの困難さとか、様々な指摘を受けてきました。

今では、あの頃のことが遠い昔のように思われます。


少なくともこの学級担任の先生は、集団の場にあっても、太郎君の心が理解できています。 私も、太郎君と心が通じ合っていると思っています。 コミュニケーションって、そもそも双方向のものであるはずです。


どんなに発音がクリアであっても、心が通じ合うわけではありません。

社会性も、集団の関係性の中で育っていくものであって、その子だけの問題ではないはずです。

うまくいかないことが、何でもかんでも、その子の障害のせいにされてしまうようなことが、よくあります。

本当は、先生の指導のミスで引き起こされた反応が、いつの間にか、その子の障害のせいだと、中身がすり替えられてしまうこともあります。


今、お母さんは、通常学級を選択して本当によかったと思っています。 私も、お母さんは、すばらしい選択をされたと思っています。

そう言えば、 「もし無理があるのに、通常学級を選択し、その事で子どもが傷ついてしまったら、親としてどうするんですか?」 と、口をとんがらせた担当者が何人かいました。

その方は今、どんな反論をされるのでしょうか?

わたしは、この太郎君のケースは、たまたまではなくて、そこに強い意志と願いと努力があればこそ、実現できたものと信じています。 初めからうまく行かない、無理がある、と考え、全く取り組む意思のないようなメンバーに、どうして子どもの可能性を信じることが出来るのでしょう。


私は、まず集団の中で、その子の存在・人権・人間性をしっかり確立し、保障することが先。

その基盤が出来た上で、その子の特性に応じた高度な専門的な教育サービスを提供すべきだと考えています。 


きっとこれからも、いろいろな課題にぶつかることもあるでしょう。 でも、何もしないで、ただ集団から除外する特別支援教育だけには、絶対になってほしくないと思っているのです。

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学校行事のすてきな所 (全員で相互に高め合う関係づくり)

 2008-11-21
この時期、学習発表会が行われる学校・園も多いのではないかと思います。

行事の良いところは、クラスの中に共通の目標ができ、指導に方向感が生まれることです。

それぞれの子どもも、先生も、ご家族も、地域の方も、いっしょに支える場がそこにあるから、みんな一生懸命取り組む事が多いようです。

自分の所属するグループやクラスのできばえと、自分自身ののできばえとは、運命を共にしていることが多いですから、相互に協力し、喜びを共有できる関係になります。

先生やご家族の、拍手やあたたかい言葉など、即時教化の場も明確です。

こんな感じで、普段の学習もできたらいいのになあ、と思うことがよくあります。

Aちゃんが漢字が書けるようになったからうれしい、そんな子がたくさんいるクラスは、すてきだなって思います。

相互に成長を喜びあえるようなクラス、Aちゃんがいなかったら自分たちのクラスじゃない、と思えるような、いわゆるインクルーシブな関係づくりが、私たちの目指すところではないかと思います。

今日おじゃまさせていただく学校で、それぞれの子どもがどんな成長ぶりを見せてくれるか、とても楽しみです。

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おばあちゃんのくれた大切な宝物 (思いがけないところから子どもの可能性は拓ける)

 2008-11-20
昨日は、イチロー君の指導の日でした。 今回で3回目の指導になるので、だんだんと核心の部分に迫るアプローチが始まりました。

「広汎性の課題のあるお子さんは、視覚優位で聴覚性の指示が通りにくい」 という伝説? があります。

こんな事を一般論で語ること自体、どうかと思いますが、具体的な指導場面で、何の迷いもなく、そう思いこんでしまうことは、相当に危険なことだと思います。

特に目的が焦点化されていないデジカメ写真などは、意図が伝わらず、返って混乱をさせるばかりです。 また具体物ならわかりやすいけども、平面的な絵や形が認知できにくいお子さんだっています。

こうしたお子さんに対して、この子は広汎性の課題があるからといって、教室では視覚支援・絵カードの類が氾濫し、不適応行動を起こしているお子さんの後を、デジカメ写真を持って追いかけている支援員さんの姿は、見るにたえないものがあります。

私が指導しているお子さんのほとんどは、いっぺんに一枚の写真などで情報を与える(同時処理)より、継次的に、一つずつ小さなステップで提示する方が、入りやすいお子さんです。


この日私は、物語文の教材を使って、言語面のイチロー君の短期記憶(ショートターンメモリー)に注目して指導を行いました。 (英語でいうリッスン&リピートです)

「くじらがのせてくれたから、ついでになんきょくによってからいくよ」 なんていう文を一気に伝えても、何の抵抗もなくスラスラとリピートできます。 

それでいながら、「田」という文字の書き順や、「大」という文字の形の認知には、かなりの抵抗感があります。 どう考えても、視覚優位という言葉はなじまないいのですが・・


私の指導が修了した後、お父さん・お母さん・おばあちゃん・それにお姉ちゃんまでが集まって、イチロー君の算数についての、教材研究というか、ケース会みたいのものが、ご自宅の居間で自然発生的に始まってしまいました。

繰り上がりの計算プリントを囲んで、みんなでこれが良いのでは、あれはどう? など、、算数セットの補助教材を持ち出して、家族+私の正味の話し合いが始まりました。

その話し合いの中で、このイチロー君のすばらしい言語入力の背景には、おばあちゃんが長年にわたって、のべ何百冊というお話の読み聞かせがあったことを知りました。

もちろんイチロー君の生まれもった才能でもあったことでしょう。 でも、そこを手がかりに、ここまでのすばらしい力にまで育てあげたのは、おばあちゃんの愛情とその営みのたまものです。


国語力が、すべての学習の基本という見方があります。

こうした見方からも、こ言語入力の優位性は、大きな戦力になります。

イチロー君は、「田」も書き順や、「木」の形の認知に不正確な部分がありました。

「大」や「木」という文字を書かせたら、カタカナの「オ」のような文字を書きました。 これ、花子ちゃんとそっくりなので、このことにも驚きました。

そこで花子ちゃんの時と同じように、「横・たて・ななめ・ななめ」 と言語系のプロンプト(支援)を添えると、とても上手に「大」や「木」が書けるようになりました。 すかさず、大きな花丸をつけると、イチロー君は、にっこり、すばらしい笑顔を見せてくれました。

おばあちゃんは、「SHINOBU先生が来るようになってから、勉強を途中で投げ出すことがなくなり、生き生きと自信をもって取り組むようになってきました・・」 と言ってくださいました。

いえ、いえ、これはおばあちゃんが長年読み聞かせをして、イチロー君の力を育ててきたからです、それがなかったら、とてもこんなふうにはできません・・  私は、おばあちゃんの作った商品の集金をしただけです。

そういえば、花子ちゃんのお母さんも、花子ちゃんにずっと読み聞かせをしていたと言っていました。


この得意技=長所=行動レパートリーを使えば、いろいろな学習展開が可能になります。 つまり、そこには、無限の可能性があるわけです。 スピードも、方法も、それはイチロー流ではあるかも知れませんが、どうしてそれがいけないのでしょう。

その子なりのスピードやスタイルでいいじゃあありませんか? 多くの人と同じようなパターンであるかどうかということは、本当はそれほど意味のあること・価値のあることではないはずなのに、一方的な尺度、一方的にある方法が苦手ということで、子どもの大切なやる気や自信を失わせるようなことになっていいはずがありません。

私は、イチロー君の作ったカブトガニの手作り模型の精巧さを知っています。 天才です。

これだけ精緻に立体模型を作るイチロー君が、どうして「大」という文字を書くのが苦手なのか?、私に説明する能力はありません。

しかし、この子にも無限の可能性があり、大きな夢を実現する可能性をもっていることを、心の底から信じています。

だからこそ、教材を作るのも、指導に来るのも楽しみなのです。 成長と幸せを共有する、そのことが私の生き甲斐になっているのです。


きっと、おばあちゃんは、そんなことをねらって毎日読み聞かせをしたのではないでしょう。 お孫さんの幸せを願っていた、ただそれだけのこと・・・

育てること、教えることとは、本来そういうことなんだと,、私は、おばあちゃんから教えていただいたように思っています。

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主体者としての子どもの学びを支える保護者の役割

 2008-11-19
大学の教育原理か何か、最初の講義でこんなことを学んだ記憶があります。

「教育はまず子どもの存在が先にあって、そこに指導者としての願いが生まれ、それを可能にしていくために教材の工夫が必要になる・・・」

大学では指導のテクニック的なことばかり習うのだと思って私にとって、こうした教育に対する理念的なことに最初に出会ったことは、強烈なインパクトとなりました。

以来ずっと、このことは私の中で最も大切な理念の一つとして私の心の中に息づいているのです。

しかし、現実には学習指導要領が先にあり、それに基づいて教科書が作成され、学校で業者テストを購入し、パソコンソフトで到達度だの何だのが集計され、それが成績決定の重要なデータとなってしまいます。

小学校に入学したときは、あれだけ勉強したいと目をきらきら輝かせていた子どもが、いつの間にか、勉強がわからなくて置いてけぼりにされ、学ぶ喜びを忘れてしまったケースを何回見てきたことでしょう。

以下の文章は、先週から私の所で指導を受けるようになった、たくや君のお母さんからのメールの内容です。  ( )の部分は、私の補足です。




親も子もドキドキだった初めての指導でした。
まずは私の感想から…

指導の終了の時刻に教室に迎えに行き、たくやがいきいきした表情でパソコンを操作する姿に、楽しい90分だったことが一目でわかりました。
さらに、たくやがタオルを持っていないことに本当に驚きました。

(たくや君はいつもはハンカチが離せないでいるようです。 このことは事前に聞いていました)

(90分での)学習の内容の多さにも驚きました。
たくやの感想は…「楽しかった」 の一言だけ… まあ 最初だし…「もういかない」じゃなくてよかったと思いました。

帰ってきてすぐに、たくやは、折り紙で手裏剣を作って欲しいと姉にたのんでいました。

(手裏剣は、私の学習の最後のメニューに取り入れた社会科学習(パソコン)の重要アイテムです。たくや君は3年生ですが、エラーレスで最初に取り組める最初の教材はこれしかないと考えていました)

慣れた手つきで 手裏剣を姉に作ってもらい満足そうなたくや。
どうやら、最後のパソコンで忍者がでてきたので、忍者ごっこをしようと思ったそうです。

そしてここからがミラクル! 上手く折れない(手先が不器用なので…)「折り紙」はたくやは幼稚園の時から苦手にしているもののひとつです。 忍者ごっこには、何個も手裏剣が必要になりますよね。もうひとつ折って欲しいと姉に頼んでいましたが…意地悪な姉の返事は「自分で折ってみたら」と… いつもなら「よう折らん!!」とケンカ別れになるはすが、自分で作りたいから折り方を教えて欲しいと姉に頼んでいました。今まで見たことのない姿に驚かされましたが、なにより頼まれた姉が一番おどろいていました。 10個ほどの手裏剣を姉と一緒に折り、大満足で近所のお友達と忍者ごっこができました。本当に楽しそうでした。

次に伺うのは 2週間後… せっかくの楽しい90分をわすれないようにと、ファイルにとじて持って帰ってきたプリントを全部部屋のボードに貼り付けてみました。(以前、まったく絵を描くことができなくなった時もこの方法で成功してますので…)

さっそく今日「のんきな白くまくん」 (国語の教材) を読んでくれましたし、すごろくの後、先生から飴をもらったことなど色々なことを思い出して、話してくれました。

そして最後に「またいきたいな~」と一言。 2週間後が楽しみになりました




社会の「昔の道具・昔の家たんけん」は、本当に楽しかったんだと思いますよ。 

真剣に、集中して取り組んでいましたから。 みなさん「御幣」とか「あかし台」って何のことかわかりますか? このソフトを使うと、子どもはパソコンでバーチャルな探検をしながら、こうしたことを学んでいくのです。 

どん高邁な理論を展開される学者さんより、こうした子どもの心に添った教材を自然に提示できる引き出しをもっている実践者の方が、子どもにとっては何倍も魅力的なはずです。

特にたくやくんは、これまでの色々な経過から 「3年生の教材自体に飢えているのではないか」 という私の読みも、ほぼ的中してように思います。

こうしたことからもわかるように、子どもは本来、学びの欲求というものをもっています。

勉強したいんですよ、それが子どもです。

その大切な気持ちをくみ取り育んでいくことも、親の役目でもあり、指導者の役目でもあります。
学習指導要領も大切ですが、学ぶという基本原理から逸脱しては、学びというものの本来の機能を失うことにもなりかねません。

「教科書を教えるのではなくて、教科書で教える」 というのも、教育原理で学ぶ内容ですが、現実場面では、その目的と手段が反転しているのは、よくある日常的なことです。

そのことに対する感性がある人は、きっと子どもに寄り添うことのできるすばらしい支援者としての資質のある方に違いないと、私は思うのであります。

ここは本来、学校の先生の仕事ですが、このブロクをご覧頂くまでの意識のあるご家族の方でしたら、そのこともぜひ一度、確認してほしい事柄だと考えています。

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親が知らないこと・見えていないことで生じる 子どもの学びの困難さ (再び発達の最近接領域について)

 2008-11-18
子どもには、発達の最近接領域というものがあります。

むずかしい言葉のようですが、要は、その子のその時のレベルにあった学習内容が、子どものやる気を育てていくという古くからあるベイシックな学習理論です。

ここのレベルを一番肌で感じているのは、まちがいなくその子に一番より添った指導をしている先生や保護者の方です。

例えば、文章題をさせてみたとき、「今日の単元はたし算だから、とにかく数字を足しちゃえ~」 なんて感じで取り組む子どももいれば、ちゃんと文意をとらえて、図式化し、イメージをふくらませて立式できる子もいます。

こうしたケースでは、とにかく足しちゃえ~、という子にとっては、その学習のレベルはかなりハードなものになっており、例え一定の点数が出たとしても、その子はちっとも内容が理解できず、学習のモチベーションが低下していくことがあります。

こんな時にはは、一旦レベルをその子にあったものに戻し、そこからきちんと土台を作って積み上げた方がよい場合が多いようです。 土台ができていないのに、テクニカルなことばかりを先行させると、いつか行き詰まって、そこからガラガラ崩れ始め、大きなダメージを残してしまうこともあります。

我が子に質の高い、レベルの高い教育の機会を与えたいという親の願いは、当然のことです。

しかし、その質の高さの内容は、ただ単にむずかしいことを勉強すればよい、ということではなく、子どもにとって最適な内容=つまり発達の最近接領域に合った内容を構成していくことです。

内容が単調で低すぎてもダメです、その子の今のレベルでちょっと手を伸ばせば届くような、あれっとか、面白そうとか、やってみたいと思うような学習内容が、それにあたります。

ここが見えていないと、なかなかうまくいきません。

先日、保護者の方と先生との間に、こうしたズレがあり、そこにWISCを利用したという報告をある担任の先生からいただきました。

目的を明確にした発達検査は、意味がありますね。 

この先生は、漢字テストも、その子の最近接領域に設定して、モチベーションを大幅に向上させたようです。

しかし、一番恐ろしいことは、こんなに優秀な先生の取り組みのすばらしさに、保護者の方があまり気がつかれていないことです。

私から見れば、絶対に手放してはいけないこの先生との絆を、保護者の方が自ら遠ざけるような流れになっていることです。 本当に残念な話です。


今日、東京のりんかい線に乗って東京ビッグサイトに来ましたが、蒲田からだと、わざわざ大崎まで来なくても、大井町で乗り換えれば良かったということに、後で気がつきました。

昨日、新幹線から降りたときに品川駅の案内の方に聞いたので、大崎ということになったのですが、しっかり調べれば、宿のある蒲田からなら、何もわざわざ品川まで行き、乗り換えなくても大井町で降りれば良かったわけです。

おかげで私の買ったコンビニ弁当は、満員電車の中で、ぐちゃぐちゃにつぶれてしましました。

また、岡山で使っていた磁気のバスカードが、いつの間にかそれがSUICAのようなハレカカードというデポージットのものに変わっていて、使用できなくなっっていたのにも驚きました。 (残高1万円以上あるのですよ 泣~)


知らない・見えていないというのはこういうことです。

でも、ここを打破することは、そんなにむずかしいことではないかも知れません。

詳しい人と仲良くなればいいのです。 

マニュアルを読んでわからないことでも、サポートセンターに電話したらすぐに解決できることがあります。

総武線への乗り換え、路線図を何回見てもわかりませんでしたが、駅員さんに聞けば、「お茶の水で乗り換えですよ~」と、あっという間に解決です。


先生と正味の部分の情報連携ができる・できないは大きいですよ。

言うべきことは、きちんと主張することも大事です。 ケースによって違いますから、一般論では言えませんが、できることなら、担当の先生と成長の喜びを共有できる間柄でいたいものです。

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親だから出来ること 親だから出来ないこと (子どもの発達と家庭の役割) 

 2008-11-17
私は今日と明日、保育の関係の研修で東京に出張です。便利な世の中になったもので、この記事も新幹線の中で書いています。3時間の時間が有効に使えるし、日常のリズム、デイリーなルーティン(毎日定期的に行うこと)を崩さずにすむのもありがたいものです。

学校・園でも、家庭でも、基礎をしっかり固めてそこを崩さず、毎日積み上げていくことが、その子の理解・支援にとってとっても大切なことではないかと思います。

ここらあたりの組み立てとか、環境づくりとか、配慮とか、考え方とか、具体レベルでどう整えていけるかは、親として、あるいは支援者としての生命線だと思います。つまりは、子ども目線で物事の流れを、どう立体的にとらえ、その子のストーリーや生活の流れの中で実現させていくか、そのセンスというか、感覚というか、そういった高次なレベルでの内容なのだと思います。

野球でも、ゴルフでも、結局、理論とかフォームの問題ではありませんよね。お子さんの学びも育ちも、実践のフィールドこそが大切なのであって、理屈がどうこうではなくて 「あがってなんぼ」 の視点は大事なのではないかと思っています。


もう一つ、これはこれまで何人かのお母さん方に接してきて感じてきたことですが、上手に人の輪を作るというか、何でもかんでも自分一人でしようとしないことは、結構、極意に近い物があると感じています。

本当に自分の子どものことを真剣に考えているのは、親だけです。だからこそ、その役割を焦点化し、真に重要なところの軸をぶらさないようにすることで、色々な事がうまくいきます。「出来る事でもあえてしない」ことにより、周囲が育つということは、よくあることです。

ただしないというのではなく、上手にしむけなくてはないませんから、内容によっては、自分がした方がよっぽど簡単かも知れません。

それがお父さんだったり、学校の先生だったり、保育園でお世話になった先生だったり、私のようなサポーターであったり、親の会で知り合った他のお母さんであったり、それは様々ですが、もしもこうした環境作りが出来、役割分担の色分けが出来はじめると、子どもも安定し、基礎が出来、積み上げがきくようになります。場が変わることで、子どももわかりやすく、構えがしっかりできます。

臨床心理士のかれんママが、あえて私のところにかれんちゃんを連れてくるようになったのも、こうした理由によるところが多いのではないかと、私は考えています。

かれんちゃんが家庭でいてほしいのは、有能な臨床心理士さんではなく、ただの素の、普通の笑顔のお母さんなのです。ここの基盤がしっかりしていれば、どんなことに取り組んでも大丈夫だと思います。

でも、ここの軸がぶれているのでしたら、まずは最優先で、もう一度お子さんを受け止めることが必要なのだと思います。

私には、決してご家族の代わりはできません。でも、家庭でしっかり愛情を受けて育ったお子さんであれば、私のような立場の物がすべきこと、もっと言えば私でしかできないことを、お子さんに目一杯して差し上げることができます。こうなれば、1+1が、2にも3にもなる可能性があります。


発達面に課題のあるお子さんを育てていくご苦労については、私も私なりに理解しているつもりでいます。

到底、半端な気持ちで立ち向かえるような内容でないことも、知っているつもりです。

だからこそ、あえてオーバーヒートしないよう、お母さん自身が手応えを感じながら進んでいける、「向かう先」を見つけるお手伝いを、いっしょにさせていただきたいと考えているのであります。

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子どもの内面を支えることが 学びと育ちの原点となる (たくや君とのすてきな出会いから)

 2008-11-16
昨日から、たくや君(小3・男子)の指導をすることになりました。

お母さんといっしょに一緒に教室に入ってきたたくや君は、シャイで礼儀正しい、とってもナイスな少年でした。

少しデリケートな面があるのでしょうか? 事前のお母さんとの相談では、これまでに自信を失いかけ、学校に行きづらい時もあったように聞いています。

でも今は元気になり、毎日元気に学校に通っています。


お母さんからいただいていた情報をもとに、1回目のメニューを構成しました。

先生のお話、すごろくゲーム、漢字の書き取り、じゃんけん数え棒ゲーム、数認知や計算のプリント、物語文の音読、パソコン学習(社会・昔の道具)、絵カード合わせ、ベイブレードなどを用意しておきました。

処理の仕方は、やや継次的でしたが、認知面に大きな偏りはなく、きっとここで時間をかければかけるほど、多くのことを吸収していける、大変教えやすいタイプのお子さんのように見受けられました。


最初はやはり、かなり緊張ぎみでしたが、すごろくゲームからいきなり、生き生きと学習に取り組んでいくことができました。

お話が好き、ということを聞いていましたので、言語系のプロンプト(支援)を中心に考えていました。 漢字の書き順には、不正確な部分もありましたので、聴覚性の支援を軽く入れると、すぐにルートがつながりました。本当にやりやすいお子さんで、すぐに成果となって反応が返ってきます。

繰り上がり・繰り下がり系の計算は苦手なようですが、継次性の支援を添えると、すぐにクリアできます。 この調子なら、どんどん吸収できるように思われました。


一番気になったのは、指導開始直後にポケットから取り出したタオルハンカチです。 たくや君は、いきなりそれを口にあて始めました。

移行対象としての、愛着行動です。 君は今、新しい世界へ飛び出そうとする、その移行期にいるんだね、いい時期にここに来たね、と私は感じました。


この教室を、この子が巣立っていくための大切な場所にしてやらなければならない・・・


指導の最後には、パソコンの 「社会=昔の道具(3年)」を選択しました。

お母さんから、ポケモンが好きと聞いていたので、最後の強化子はこれしかない、と判断しました。

内容は、くまニンといういたずら好きのキャラクターが巻物をもって逃走し、昔の民家に逃げ込んだところへ、様々な問題をクリアしながら、捕まえるという設定の学習ソフトです。


やり始めると、予想通り、完璧にはまっていました。 最初は小さい声しか出ていませんでしたが、このころになると、結構大きな声も出るようになりました。 最後にくまニンを見事に捕まえて、ゲームをクリアした時には、来たときとは全然違う表情になっていました。

(注目していたハンカチタオルは、この時は、どっかに行っていました。 内面の世界から、リアルな世界へと移行しているサイン、だと私は感じていました)


こうして1回目のこの教室での90分のセッションは終わりました。

このことが彼の生活にどんな変化をもたらすか? 


たくや君は、2週間後にまたこの教室にやってくる予定です。 今日の指導が何かのきっかけになっていれば、と期待せずにはいられません。

ケースによって一概には言えませんが、子どもの心を育むことと、環境を構成することで、支援の8割は決まると私は考えています。 テクニカルなことも重要ですが、私の中ではそれは2割位の比重になっています。

どんなにテクニカルなことを工夫しても、ファンダメンタルな心の部分が揺らいでいては、結局積み上げは効かないと体験的に感じているからです。


今度は私が、ドキドキする番です。 

2週間後、元気な顔でまた来てね。

私はずっとずっと、たくや君とお母さんの後ろ姿を見送るのでありました・・・

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書字が苦手でも 得意なルートで切り開く未来 (花子ちゃんの限りない可能性と希望 )

 2008-11-15
今の私の生活の中では、子どもの指導に当たっているときが、一番楽しく充実している時間です。

1対1の個別指導ですが、その日その日の指導で、目頭が熱くなるような感動的なことが次々に起こって行きます。

毎週金曜日は、花子ちゃんの指導の時間。 花子ちゃんは、白ゆり教室第1号の子どもで、今月で9ヶ月目の指導になります。

この日の指導で、私は感動の余り、思わず涙を落としそうになる局面がありました。


DSC00565.jpg

↑ これは、昨日の指導で使用した文章題のプリントです。


花子ちゃんは算数が苦手で、9ヶ月前には、1+2の計算もできにくく、提示した具体物や半具体物も、なかなか数の認知とは結びつきにくい状態でした。

しかし、書字は苦手でも、本読みは大好きで、継次的に物事をとらえて理解するルートや方法の体験・経験を積み重ねていきました。

今でも、同時処理的に認知をすることは苦手ですが、継次的な方法ならば、繰り上がりのたし算も繰り下がりのひき算もできるようになってきました。


私も懺悔しますが、実はこの私も、「1+2もできにくい子どもが、文章の読解問題なんてできない」 と、正直、思いこんでいました。 (花子ちゃん、ごめんなさい!)

しかし、「黄色いバケツ」の自作教材に取り組んでからというもの、私は花子ちゃんの読解能力のすばらしさに、すっかりと のめり込む結果となりました。

そして、先週から取り組んだ文章問題で、ついにこの花子ちゃんの読解能力が、算数の数認知に大きなインパクトを与える場面がやってくるのでした。

花子ちゃんは初め、きりんやそうやリンゴの絵のついた一般的な算数プリントに取り組みました。

そして、写真にあるような、自作の(言葉だけで書かれた算数の文章題)プリントをする場面となりました。


最初は、「なになに、バナナが3本、ふむふむ、それでおとうとが1本食べたのか、じゃあひき算だ、3-1=2、か~んたん」 と、口でぶつぶつ言いながら、問題に取り組んでいました。

そのうちに、調子が出てきたのかどうか、あれあれ、とうとうその場面を絵に描き始めたではありませんか?

「おはなしの本6さつ買ってもらったって?  じゃあこれが「むかしばなし」、 これは「あんでるせん」、 これは「きんたろう」・・・ と、次々に場面をリアルに想像しています。 そして、「そのうち1さつ読んで、まだ読んでいない本は? そんな簡単! 6-1=5」 と、鮮やかに答えてくれるではありませんか?

この子、数図ブロックではほとんど反応ないのに、文字情報だけで、こんなに具体的に状況が把握できるなんて、まるでキツネにつままれたような気持ちです。

そういえば、木曜日に、友里ちゃんのお母さんが、「花子ちゃんの事、とってもうらやましい」 と、言っていました。 (さすが友里ちゃんママ、とってもシャープです)


確かに、こうなると、この先このルートを使って、花子ちゃんがどこまで伸びるか? その可能性は無限です。

私の頭には、「通常の高校への進学!」の、夢と可能性が、ぐるぐると頭の中に渦巻いていきました。

イケルかも知れない、 いやイケル、 イケルに決まってる・・・


3月の時は、1+2であれだけ苦労したのに・・ と思い返すと、私の方は涙目になるわ、声はつまるわ・・ 

花子ちゃんもそれを横目で身ながら、何かが心の中で、ストンと落ちたような顔をしていました。


書字はやはり苦手なのには変わりないので、書いてる文字は写真の通り、とてもていねいとは・・・


でも、まてよ・・  こうして改めて見ると、ちょっと前より、相当上手になっているではないか!

感動の余り、私は記念にこのプリント、もらって帰っちゃいました。


この日も花子ちゃん、手を振って、姿が見えなくなるまで 私を見送ってくれました。  何という幸せ感・・

原付バイクで家路に帰る道すがら、また目頭が熱くなるSHINOBU先生なのでした・・ (もう年ですね・・ 涙腺ゆるすぎ・・?)



発達面の課題の大きい子ほど 感受性は豊かである

 2008-11-14
もしもクラスのムードが怪しくなり、学級崩壊の前兆みたいになってきたら、一番に揺れたり、傷ついていく子は、支援の必要なお子さんである場合が多いように思います。

もし、夫婦の仲が気まずい局面にさしかかたら、一番にデリケートになるのは、お子さんの中でも一番気になる子、手のかかる子、心配な子であることが多いのではないでしょうか?

何の実証的なデータも根拠もありません。ただ、これまで生きてきて、教育の現場に長くたずさわってきて、感じてきた私の経験則にしかすぎません。

私は 6月14日の記事 に次のようなことを書きました。




今朝の事ですが、浪速の女芸人として一世を風靡したミヤコ蝶々さんの在りし日のインタビューが放映されていました。

何気なくそれを見ていました。

彼女は、お父さんが駆け落ちした芸者さんを継母として、東京から関西に移り、幼少から旅芸人としての人生を歩み始めたようです。

この継母がたいへん厳しい人だったようで、ことある度に、三味線のばちで子どもをたたき、継子いじめ(今では児童虐待?)と周囲から、何度も言われていたようです。

それは、きびしい修行だったようです。

でも、蝶々さんは、ちっともぐれたり横道にそれたりは、しなかったというのです。

「継母が、ばちで私をたたく時、継母は、いつも目に涙を浮かべていた。子どもというのは、そういう気持ちは、ものすごく敏感に感じるもので、だから私は、一度として恨んだり、ぐれたりすることはなかった・・」

古い映像の一コマでしたが、見ている私の胸にも、熱い物がこみ上げてきました。




子どもを見るまなざし、というか温度に対する感受性は、課題の大きい子ほど豊かであると思います。

それまで、毎週土曜日だった太郎君の指導が、先週から月・金に変わりました。

土曜日の指導がなくなったので、その時間を利用して太郎君のお母さんと教育相談をさせていただいていた時のことです。

事前にちゃんと伝えてはいたのですが、その時に、学童保育の教室にいるはずの太郎君が、先週までと同じように、個別指導の部屋に元気よく飛び込んで来てしまいました。

「太郎君、土曜日はなくなったんだよ、その代わり来週の月曜日にあるから・・・」

私がそう伝えると、太郎君は血の気がさっと引き、いっぺんに泣き出しそうな顔になりました。

1瞬であんなに顔が土気色になるなんて、信じられない思いでした。

「う~ん・・・  よし! じゃあ今日は、ちょっとだけだけど、先生と一緒に遊ぶかあ~」

可愛いもので、いっぺんに太郎君の顔に笑顔が戻りました。


友里ちゃんにしても、イチロー君にしても、花子ちゃんにしても、こうした日常場面でのささいなやりとりの中から、私の心の中の思いを感じ取ってくれているに違いありません。

教室で先生がいくら熱弁をふるっても、説教をして自分自身が高揚感を感じていても、子どもが先生の本当の気持ちを感じるのは、例えば牛乳びんを倒したそのときの、その先生の第一声であったり、その表情やまなざしだったりするわけです。

つまり言語ではない、空気や温度の部分であるわけです。


例えば、聴覚性や言語系の入力が苦手な子なら、生きていくために他の感覚が鋭くなることは容易に理解できます。

そしてそういうこと以上に、生きるということ、今日出会う人とのかかわりの重さを、ダイレクトに感じ取ることのできる力を身につけているのだと思います。

どんなに社会的な地位が高くても、お金持ちでも、成功を収めた人でも、人間としてのオーラが本物であるかどうかを、感じ取る力をもっているのだと思います。

私は、教育委員会の巡回相談員として学校に行ったときは、管理職の先生に出迎えていただき、研修会ではそれぞれの先生が熱心にメモをとりながら話を聞いてくださいますが、子どもの前では、そんな権威は何の役にも立ちません。

高学年の子なら、私をお客さんだと判断し会釈や挨拶などをしてくれますが、支援の必要な子の場合は、私のパーソナリティーを敏感に感じとってくれることが多いです。 こうした子どもの前では、人間を丸裸にされてしまいます。


私は、蝶々さんの話のようなことは、子どもに伝わると考えています。

太郎君にも、花子ちゃんにも、イチロー君にも、友里ちゃんにも、結局はそれが伝わっているのだと思います。

百万の理屈より、あたかかなそのまなざしを子どもは感じている・・

毎日の生活の中でも、軸のぶれない、厳しくもあたたかいまなざし・・

子どもを育てる大切なポイントは、きっとそんなところにもあるのだと思っています。

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WICS-Ⅲなんかには絶対に表れない ほとばしる子どものやる気とその可能性

 2008-11-13
昨日、イチロー君の2回目の指導がありました。 

イチロー君との指導を開始する前に、事前にご両親といろいろと相談を伺いました。

その折りには、WISC-Ⅲの検査結果も見せていただきました。  

ふむふむ、言語理解・・・・ 知覚統合・・・・  注意記憶・・・・  処理速度・・・・

なるほど~ ありがとうございました。 参考にさせていただきます。 それで終わりです。


ところが、そのあとおばあちゃんが、その育ちを記録したイチローノートというものを見せていただきました。

これには正直驚きました。 1歳のころからのイチロー君の育ちの歩みが、おばあちゃんの言葉で、時にはイラストやエピソードを交えながら綿々と綴られています。

私は、このイチローノートは、何度も何度も繰り返し目を通しました。


私は、上野一彦ら編の「軽度発達障害の心理アセスメント WISC-Ⅲの上手な利用と事例」 という本をいつも手元に置いており、時々参考にさせていただいています。

でも、直接指導に当たることが可能な場合は、具体的な指導の場面でその子にかかわった方が、WISC-Ⅲの数値を見るより、よっぽど立体的に子どもの姿や課題をとらえることができます。

なぜなら統制された環境の中で行われるWISC-Ⅲの数値と、現実のリアルな環境の中で行われる指導との間には、相当な距離があり、私はその間をうめるだけの力量を持ち合わせていないからです。

WISC-Ⅲの検査のできるセラピストさんは、たくさんいると思います。 しかし、その数値から、現実場面の指導を具体的に組み立てる力をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひお目にかかって、ご指導を仰ぎたいと思います。

今の私の力では、そんなことは到底できません。


昨日は、2回目の指導でしたので、おばあちゃんにコピーさせていただいたイチローノートと、1回目にイチロー君といっしょに取り組んだお試し課題をもとに、新しい課題を作ってお宅におじゃましました。

この日は

① お約束の「恐竜図鑑」の話をイチロー君から聞く
② 国語の森の読解教材を、予備刺激として、イチロー君といっしょに読む
③ 算数プリント (継次的に処理可能な教材)
④ 漢字カード(この日は予備刺激で読むだけ)
⑤ パソコン(数の認知にかかわる視覚的なもの)
⑥ ベイブレード(勝敗理解・余暇の充実・楽しみ=強化子)

と、いうメニューでしたが、はまる・はまる! その表情や態度から、「できる」「わかる」「楽しい」感がビンビン伝わってきます。

おそらくこの日は、私が事前に予想していたイチロー君の特性理解は、ほぼ完璧に当たっていたと思います。(毎回こうでは、ありませんよ、この日はたまたまです)

だから、例えは適切ではないと思いますが、のどが乾いていた生き物に水を与えたように、イチロー君は、次々と課題を吸収していったのではないかと思います。

私も、楽しくて楽しくて、ちょっと興奮気味でした。 

指導が終わると、イチロー君は超ハイテンションで、冬空の元、道路でぴょんぴょんはね回って私を見送ってくれました。

後で、ご家族からいただいたメールには、「この日は、それまでおばあちゃんといっしょに1時間かかっていた宿題を、自分だけで10分で済ませてしまい、時間割も自分でしていました・・ 先生との時間が相乗効果を生んでいるようです・・」と書かれていました。


これはね、私ではなくて、おばあちゃんの力ですよ・・

お孫さんのために、おじいちゃんと毎日、お寺で拝んでいたんでしょ・・

WISC-Ⅲより、何倍も汎用性の高い質的なデータをイチローノートにずっと綴ってきたのは、おばあちゃんじゃありませんか? このイチローノートがなければ、この日の私の指導は、決して構成できませんでしたよ。

それに、そのおばあちゃんの真心が、お母さんに伝わり、そのお母さんがあの日、たまたまお母さんの学校に巡回相談でおじゃました私に、声をかけてくださる結果につながったのでありませんか?


現実の子どもを取りまく状況は、こんなふうに動いているわけであって、そのすべてをWISC-Ⅲで切り取れるわけじゃあありません。

私は、WISC-Ⅲに限らず、いろいろな検査自体を否定しているわけではありません。 でも、それがあたかも絶対のものであるかのように扱われがちな現実には、強い抵抗感をもっています。

尊敬する偉大な上野先生のWISC-Ⅲの解釈の本のどこを読んでも、強化子(ごほうび)にベイブレード(おもちゃのコマ)がよい、なんてことにはたどりつきません。

これは、私のとイチロー君とのストーリーの中だからこそ、生まれてくるものです。

きっと今頃、イチロー君は、「来週の水曜日に、SHINOBU先生とベイブレードするのが楽しみだ」 と思っているに違いありません。 絶対です。 なぜなら、私も楽しみで仕方ないからです。 

来週は、イチロー君の学校に巡回相談に行くのです。 こんな巡り合わせを奇跡と呼ばずして、何と呼んだらいいのでしょうか?

これが、私とイチロー君とのストーリーなのです。


このイチロー君の、ほとばしるようなやる気は、数値では説明できませんよね。

向き合うべきはリアルな子どもの姿であって、決して数値ではないのです。 数値より、イチローノートの言葉、あるいは日常の教育や保育のエピソードに、大切なことが含まれていることの方が多いと思うのです。

そのスタンスをがっちり固めた方こそ、諸検査の数値を解釈する資格があるのだと思います。

帰る間際に、そのおばあちゃんがみせてくれた「カブトガニの手作り模型」 イチロー君が、セロテープやつまようじを使って、自分で作った物です。 何という精巧さ。 まさに天才です。 私がどんなにがんばっても、こんな精緻なものはできません。

これWISC-Ⅲの下位検査のどこを見たら、数値化されているのでしょうか???


私くらいの年齢の方なら覚えている方も多いと思いますが、昔カップヌードルのCMソングに、こんなのがありました。(30年以上前のかなり曖昧な記憶ですが・・)

♪ 常識っていう奴と おさらばした時に 自由という名の 切符が手に入る
   古ぼけた頭には 曇りが来てるから 不自由という名の 眼鏡に困ってる

  OH ハッピーじゃないか~ OH ハッピーカップ OH MY ハッピーカップ
  OH ハッピーじゃないか~ MY カップヌードル ♪


すばらしいWISC-Ⅲの尺度や客観性を、決して 「不自由な眼鏡」 にしてほしくないと、私は思っているのです。

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勝ち負けの概念やルール理解の力を育てる実践例

 2008-11-12
私は、教科指導とゲームを組み合わせた学習を積極的に取り入れています。

すごろくゲームは、100までの順序数を身につけるために、これほど優れた教材はないと思っています。 サイコロの目を読むことによって、数感覚もマルチになっていきます。 何回かしていると、いくつを出すとラッキーだとか、いくつを出さないように気をつけようとか、そういう感覚も育っていきます。

また、じゃんけん数え棒ゲーム(私が勝手に考えた遊び)では、数の量的感覚を遊びながら身につけていくことができます。

もちろん、教育的配慮というか、プロンプトというか、最初は子どもが勝てるような構成を設定していき、だんだんとそれをフェードアウトしていくABAの手法をベースにしています。

だから、私とやると楽しいし、何回かやっていると必ず勝敗やルールを受け入れ、理解できるように育っていきます。

じゃんけんがわかりにくお子さんもいらっしゃいます。

男の子の場合、そういうお子さんにはベイブレード(市販されているベイ独楽)が、一番合っているように思います。

見て、勝敗がはっきりわかる。 やってて面白くあきない。 ちょっと慣れるだけで、すぐに回すのが上手になる。 視覚的にとらえやすい。 コマとコマには、じゃんけんのように相性があって、ある程度勝敗をこちらからコントロールすることもできる。 それでも、実際にやってみないとわからない意外性があって、大人もやっていて面白い・・・

太郎君は、すごろくで「6」しか受け入れられなくなってきたので、このベイブレードを取り入れてみたら、とても喜んで取り組みました。

これで勝負の楽しや、負けも受け入れられる気持ちが育ったら、また次のステップへ進みます。

今日は、イチロー君の2回目の指導ですが、このベイブレードに取り組んでみようと思い、何だかこっちまでワクワクしています。

指導者がワクワクするくらいですから、子どもも楽しいに決まっています。 臨床場面では、難しい理論だけでなく、こういう感覚というか、センスがとても重要な意味をもってきます。

ストンと心に落ちていない活動は、やっぱり子どもには響きません。

(毎週火曜日は、かれんちゃんの指導の日ですが、今週と来週は、お母さんと私の他の仕事の関係でセラピーはお休みです。「ダウン症児の学びと育ち」を期待してくださった方、申し訳ありません。再来週の指導の後には、必ず経過をご報告させていただこうと思っていますので、お許しください)

集団で学ぶことの良さと 個別に学ぶことの良さ (強化子=ほめる の観点から)

 2008-11-11
先日、ある学級担任の方からメールをいただきました。

その先生は、新採用教諭の指導にあたる立場の先生で、週に何度か自分の学級を別の先生にお願いし、新採用教諭の指導に行かれています。

その補欠授業で、ミスが多く、学習に集中できていない子どもに、その理由を尋ねたら・・・ 「あの先生は厳しくないから・・・」 と、いう答えが返ってきたそうです。

なるほどな、と思いました。

これは、通常学級にいる支援の必要なお子さんほど、その傾向にあると思います。


この頃は、毎週小学校の巡回相談に伺っていますが、そこでも同じような事を感じています。

クラスのモラルや規律を保っているクラスは、子どもが安定します。 逆に、集団のモラルが低下しているときに、下手に個別にかかわろうとして、学級が崩壊していくケースを何度も目にしてきました。

学校は、集団で子どもを育てるところなので、学級担任の仕事はクラスのモラルと学級の方向感を築いていくこと、そしてクラスが目指す方向をはっきりと示し、先生だけが個の支援をしようとするのではなく、個の支援ができる子ども(仲間)を増やしていくことです。


私が個別指導でしているような強化を、集団の中にもちこんでも、それはうまくいきません。 Aちゃんに特別にほめたら、なんでAちゃんだけ特別にほめるのかと、他の子の反感をかってしまいます。

まず他の子の心を満たしていないと、個別支援は成立しない、というのは集団づくりと個別支援の鉄則です。 ここが、学級担任の仕事の中心です。 そのためには、きちんとした学級のモラルと、集団として向かう先、方向感が学級に存在していることが絶対条件です。

ここがしっかりしているクラスでは、子ども同士が、相互に助け合い、協力し合って伸びていく関係ができあがります。 先生以上に厳しく、先生以上にあたたかいミニ先生が、クラスのあちこちに出現します。 集団で学ぶことの良さがここにあります。 

特別支援学級も、小集団学習であって、個別指導ではないので、原則は集団の中で育てるスタイルが当てはまるのではないかと、私は考えています。


個別指導のよいところは、強化子=ごほうびを、何の遠慮もなしにMAXに使えることです。 どんなにほめても、何のひいきにもなりませんから、めちゃくちゃほめることができます。

特に、それまでほめられた経験の少なかった子には、大きな自信や喜びややる気につながります。


でも、これは特上の神戸牛のようなものなので、特別な場合を除いて、週に1度か2度、その子の個性や能力、認知特性や心情に寄り添った指導の場があれば、随分子どもは心に張りができ、元気になって、自分のクラスに帰っていきます。 私のところに来ている子どもは、みんなそんな感じです。


そうしているうちに、きっと、私の元から巣立って行く日が、やってくると思います。

個別支援は、、大空へ旅立っていくための、大切な1ステップ

時には羽を休めたり、パワーを充填することも必要でしょう・・

幸せの形は100通り・・・ だけれど、みんなが巣立っていく場所は、大空の同じ仲間のいるあの場所だと、私は信じているのです。

書字障害の臨床的・実践的 摩訶不思議?

 2008-11-10
私より年下ですが、長年、こいつにはなかなか勝てないな、と思う奴がいます。

理論でも、臨床経験でも、ハートの部分でも、人柄でも、同じステージでは勝負にならないので、私はわざと、その彼とは違うポジションや切り口で向き合うようにしています。

特に臨床の面では、すべての者が彼のようにあるべしと思い、私も大きな影響を受けています。


その彼に、私が唯一勝てる部分があります。

それは、彼は字を書くのが下手!、という事です。

そんなこと一度も口にしたことはありませんが、心の中ではいつも、これだけは勝てる、とニヤニヤしています。 ワープロなどと言う物は、神が彼のために与えた産物です。


うちの次女(高2)は、勉強が苦手です。 私が個別の学習指導を始めるようになったのも、この子の赤点対策がきっかけです。

1学期の期末、39人中39位だった成績は、2学期の中間では、私の個別指導で真ん中くらいになりましたが、もう大丈夫だろうとほっておくと、すぐに最下位に転落してしまいました。

その子は、勉強は大の苦手ですが、小1の(かなりの昔の話)硬筆コンクールで銀賞をもらいました。

私は、審査に立ち会ったことがありますが、硬筆塾に通ってない子が、特別な練習も指導もしないでぱっぱと書いた作品が、銀賞(後で先生に聞くと、金賞との当落線上だったそうです)になるのは、かなりレアなケースだと思います。


この2つの例からしても、学力と書字の能力との相関係数は、相当に低いものであると言えます。


先日、大学の教職相談室という所に遊びに行ったら、養護教諭の採用試験の1次に受かった子が2次の願書を書いていましたが、そこ子のペンの持ち方が、花子ちゃんといっしょで、これまたびっくりしました。 花子ちゃんも、将来、こんな笑顔のすてきな先生みたいになれたらいいのに、とその時思いました。

実は、私も字を書くのは下手でした。 でも、それは過去形です。 今では、香典などの包みを書いたら、うまいね~と言われることの方が多いです。

うまくなったきっかけを覚えています。

それは、小学1年生の担任になって、子どもといっしょにひらがなの練習を1から毎日続けたからです。

1年生の担任をすると、字がうまくなる説?は、私の1つ下の先生が1年生の担任をした時もそうだったので、臨床的に実証されています。 敬愛する彼は、通常学級の1年生の担任を1度もしていないので、いまだに字が下手くそです。
 

これ、認知面からは、それこそ毎日大きな黒板に「あ」はこう、「い」はこうと、分析的に提示し、視覚・聴覚・微細・粗大運動というマルチセンソリーな刺激が毎日続くということが大きいでしょう。 

また、1年生の先生ならていねいな字を、という自分自身の内的なモチベーションも大きな原動力になっていたでしょう。


だとすれば、これに似た環境とモチベーションを構成すればよいのではないかというのが、今回の提案です。

字は下手でもいいんだけど、きれいに書けたらすてきだね。 まちがえてもいいから、楽しみながら、いっぱい挑戦しよう。 粘土やバラバラカードにも挑戦しよう。 うまくできた漢字は、ファイルに保管しておこう・・・

まちがえた文字を、認知しにくいカーブの文字を、これでもかこれでもかと、何とかの一つ覚えみたいに単調な作業プリントばかりさせて、やる気と自信と絶対的な時間数を減少させる取り組みは、ちょっと考え直してみませんか?

間違えたら、そこをあえてスルーして、次回は認知特性に合わせて工夫した教材を作成して、もう一度トライさせ、エラーレスで達成感をもたせることは、誤った指導法なのでしょうか?

そして、苦手なことであれば、その支援を少しずつフェードアウトしていけばよいのではありませんか?

そうした毎日の取り組みを、どこまで継続して取り組むことができるか、そこがポイントであるような気がします。


結果は、子どもが出してくれます。 

例えば、テクニカルにある文字だけ上手に書けるようになると言うことはあると思いますが、絵が急にうまくなることがないように、字も明日から急にうまくなる、ということではないと思います。

書字を、九九や筆算と同じ次元で考えない方が、とらえとしては正解なのではないかと、私は考えています。

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すべてを0にして生きていることに感謝する 超ポジティブシンキング

 2008-11-09
このブログでは、たくさんのお子さんの育ちにかかわるエピソードを紹介してきました。

その中には、もうダメだと思った瞬間が、実はお子さんと向き合う大切なスタート地点だったというものもいくつかありました。

卒業式の予行演習でがまんできなくなった子どもに、どんな風になってもこの子を受け入れると決めた瞬間に、その子の表情がいっぺんに変わり、本番ではいっしょうけんめんがんばれたこと

勉強をがんばりたいという気持ちが強いあまり、テストに対する意識が過剰になり高校受験を拒否していた子どもに対して、ご家族が本人の気持ちを受け入れた瞬間に、「ぼくは高校へ行く」と前向きな気持ちをもてるようになったこと

障害名・病名・診断名を聞かされ、厳しい現実をつきつけられた瞬間に、立っていられなくなった・目の前が真っ白になった・どうしたらいいかわからなくなった・この子を抱えて命を絶とうと考えた・・・・


花子ちゃんが通っている音楽教室の先生は、第1子のお子さんを出生時に亡くされ、医師からもう子どもを授かるのは不可能、それは自分の命にもかかわることだと、宣告されたのだそうです。95%は無理、ということだったそうですが、その残りの5%の可能性を信じ、結果3人のお子さんを授かり、命の大切さ・尊さを伝える活動を現在でも続けておられます。

その音楽教室の先生からも、重度の障害がありながら言葉がしゃべれるようになったエピソードや、2年間の麻痺から回復し、編み物ができるようになったエピソードなど、医学を超えた様々な奇跡的なエピソードを聞くことが出来ました。


「すべてを0にして、毎日生きていることに感謝したい」

あれが出来ない、これもできないではなくて、究極の長所活用型・ポジティブシンキングです。

わかっていても、なかなかできないことです。

しかし、私がかかわったケースの中で、奇跡的なもの・うまくいったことを帰納的に分析すると、そのほとんどは、絶望からの受け入れが、そのスタート地点になっています。


信じればこそ、奇跡は起こる。

幸せの形は100通り

あきらめないで、ていねいに、ゆっくりと、無限の可能性を信じて・・・


言葉は違うけれど、指している方向はみな同じだと、私は考えているのであります。

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長所活用型指導のよさと可能性 (得意なことで苦手な学習をカバーできる具体的な実践例)

 2008-11-08
花子ちゃんは、本読みが大好きな2年生の女の子。 でも形のとらえが少し苦手なので、1年生のころは、計算問題でとても苦労しました。

でも、順序性を重視した段階的な指導・時間的分析的な教材の提示・聴覚的言語的手がかりといった、いわゆる継次処理的な指導によって、たし算やひき算、繰り上がりや繰り下がり、筆算まで、自分の得意なやり方で出来るようになってきました。

今でも指を使ったり、数図ブロックを使ったり、数え棒を使ったりしますよ。 でも、もうそのことで涙を流すことはなくなりました。 そればかりか、じゃんけん数え棒ゲームを毎回やっているうちに、あらあら不思議、あんなに苦手だった位取りや数の量的・視覚的とらえも、いつの間にかスムーズにできるようになっているではありませんか?

漢字や書字が苦手なので、読解も苦手なのかと思っていたら、それはとんでない誤りでした。 今では、標準化された「国語の森」の問題集を、毎回きちんと1単元消化できています。 とても楽しい勉強の時間です。


今回の指導では、文章題の問題に初挑戦です。 単調な計算問題は苦手ですが、文章題はイケルのではとふんでいましたが、内心はドキドキです。

課題として提示していた「さんすうプリント5まい」のうち、3枚はイントロ、残りの2枚が今日のミソという構成です。

イントロの3枚を済ませ、いよいよ文章題に突入です。

イケルとふんでいますので、作戦としては、できるまで待つ「遅延教化」のパターンです。

もしかしたら、生まれて初めての本格的文章題?

花子ちゃんは、一瞬ためらったようにも見えましたが、5秒もたたないうちに、文章読み取り回路が機能し、5問の文章題を一気に解いてしまいました。

驚くべき事に、立式も単位もパーフェクトです。 おまけに、書字の機能訓練にも最適な課題です。

私は、わずか半年でここまで来た花子ちゃんの姿に、目頭が熱くなりました。

単調な計算問題は苦手だけど、文章題が得意な女の子の、華麗なるデビューです。


言っておきますが、花子ちゃんの場合、文意を理解せずに、数字の部分だけ見て適当に四則計算を当てはめているパターンでは、決してありませんから・・

むしろ、文章の継次性からくる状況把握が、空間性・直感性・視覚性を補助する、まったく逆のパターンです。

花子ちゃんにとっては、得意な継次性の課題をメインにして、苦手な同時性処理をミックスして刺激していくこの方法の方が、何の工夫もせずに、苦手な所だけを繰り返し単調に攻める短所矯正型の指導より、楽しいし、成果が上がるに決まっています。

大好きなカレーライスに、苦手なにんじんを細かくきざんで食べさせるようなものです。

もし、この方法に気がついていなかったら・・と思うと、背筋が寒くなるほどです。

これで一気に、向かう先に光が見えてきました。

花子ちゃんはこの日、また一つ、私に大切な宝物をプレゼントしてくれました。

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我が子の環境改善へ向けて大きく踏み出した 母の強い決心

 2008-11-07
先週、友里ちゃんのお母さんがご相談に見えられました。

ここ何ヶ月かで、医療的な面から友里ちゃんの特性について明らかになったことがいくつかあり、学校での適応のこと、学習のこと、そして健康管理も含めて学校との連携が必要な段階になりました。

ドクターからの説明もさることながら、お母さんはさっそく友里ちゃんの特性についての情報収集や勉強に奔走されました。

ご経験のある方ならわかることでしょうが、まさに地獄の底に突き落とされた、そこからのスタートです。 もうだめだ・・ どん底からの開き直り・?・ 変な爽快感・・?  頭が壊れた・・? 

もうこれ以下はない・・

相談に来られた時のお母さんの表情は、(失礼な表現かも知れませんが) 透明感があって美しいと、私は感じました。


とにかく、校長先生にお会いするべきです! と、私は、お勧めをしました。

この日の相談のポイントは、次の週にある校長先生へのお願いで、どのような内容をお伝えしなければならないのか、その内容の整理です。

私は、校長先生なんかと相談したりするのは、大の苦手なタイプだったのですが・・ と、お母さんは言いましたが、その目つきも、表情も、言葉とは裏腹に、本当に透き通った、しっかりとしたものに見受けられました。

具体的な、望ましいイメージを描いてみましょう、情報はちゃんと伝えましょう、家族の具体的な願いもちゃんと伝えましょう、遠慮なんかしちゃだめです、一人に寄り添うことで、全体の学校教育の質も向上します、心ある校長なら、きっと動いてくれます、担任でらちが開かなければ、ダイレクトに校長に相談するのが、一番、それで無理なら、別の方法を考えましょう・・・

この秋に、この学校の運動会に行きましたから、校長先生や教頭先生、そして学校の温度や空気も、それなりに把握していました。 ただ、校長先生とは、具体的な接点がないので、そこがどう出るかは未知数でした。

昨夜、友里ちゃんのお母さんからメールが届きました。 内容の一部は、以下の通りです。




今日、校長先生とのお話に行きました。結果は、大成功でした!とても理解のある校長先生で、給食のこと、これからの支援のことなどなどこちらが望むようなことを次々と提案してくださり言うことなしの結果でした。来年度の先生のこともしっかりお願いしてきました。これからは学校とお家とで遠慮しないでしっかり情報交換などしていきたいとか・・・頻繁にみんなで集まってケース会議を開こうとか・・・すべては「for the 友里」で行きましょう!!!・・・ってちょっと???なこと言われていましたが、校長先生曰く、友里ちゃんの幸せの為にみんなで力を合わせていこうとのことでした。こちらの思いをとても感じ取ってくださり特に校長先生からは支援学級のことは出ず、どちらかというと応援してくれていましたね。

その話の中で、友里が孤立しつつあると担任から言われ心配していること、そう思うのであればそうならないような環境、クラスを作ってほしいと伝えたのですが、校長先生、教頭先生、ご立腹な感じでした。「そんなこと担任が口にする言葉では絶対ない!そうならないクラスや環境を作るのが給料を貰ってやっているプロの教育者の仕事だっっ!!!」ってな感じで「お母さんよく我慢されましたね?辛かったでしょうに・・・」と言ってくださり担任の先生にしっかり指導するといわれていました。明日の終礼でも教員みんなに友里のことを伝えみんなで応援していく環境を作ると言ってくださいました。理解者が増え友里がのびのびと成長していってくれたらと願っています・・




プライバシーのことがありますので、メールの最初の部分だけ紹介させていただきました。

地獄の淵に足をつっこんだ母だけに、言葉の中に力強いエネルギーを感じます。


この日、友里ちゃんは、社会のテストを私に見せてくれました。

SHINOBU先生にテストをほめてもらいたい、という一念で、学校で時間オーバーしてもテストやめず、必死に担任の先生にくらいついたということを、指導の後、お母さんがメールで知らせてくれました。

そんなことは、何も知りませんでしたが、テストの内容を、私は友里ちゃんといっしょに10分以上たしかめ、共有する時間を作りました。

この日の、友里ちゃんの指導も楽しかったなあ、1対1なのに、勉強時間なのに、何であんなに笑い声の絶えない90分なのでしょうか? 馬が合うのかなあ・・? ほんと、あっという間の90分です。

そのメカニズムについては、やっと自分自自身の答えが見つかりました。

それは、個別指導だからできる即時教化と、他の子の目を気にすることなく、たっぷりとほめることの出来る質的に最高の教化子(ごほうび)の設定が、この子には有効だったということです。

(むずかしい表現を使いましたが、要は、学級では、よほど学級経営がちゃんとしていないと、この子だけを取り立ててほめることができにくいということです。ひいきになっちゃいますから・・ 教化子の質については、特に個別支援にあたる先生は、有効に活用すべきではないかと思います)

学習は、本人の心のエネルギーが5、環境作りが3、認知特性などのテクニカルなサポートが2

実践を通して編み出した、新しい「5・3・2 SHINOBU流学習理論?」 の完成です。


相談の時、お母さんは、「カフェオレ大福」なるお菓子を持って来てくださいました。 雪見だいふくの中がカフェオレになったようなものですが、これが新食感で、めちゃくちゃおいしいものでした。

最近、ご家庭ではどうですか? とお尋ねすると、以前よりずっといい、と答えられました。

そりゃ、そうでしょう、オーラが全然違いますから・・

どん底の苦しさから、一歩踏み出したそのお母さんの表情は、以前のそれとはまったく違う物に見えたのでありました。

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アンテナを張ればこそ可能な 子どもと先生とのすてきな出会い (イチロー君との運命の出会い)

 2008-11-06
昨日から、イチロー君(小1男子・仮名)の指導をさせていただくことになりました。

少し、事のきっかけをお伝えします。

私がある小学校の巡回相談にでかけ、まずどこへ行ったら良いのだろうと迷っていたときに、近くにいた保健室の先生が、とてもていねいな応対をしてくださり、「何て感じの良い学校だろう」 と、とてもさわやかな気持ちになりました。

その学校での特別支援の取り組みはすばらしく、どの先生も、私がお伝えしたことをとても前向きに受け止めてくださり、私もまた、この学校の取り組みから多くのことを吸収させていただきました。

全体研修会のときに、このブログのことも少し紹介させていただきました。

帰るときに、先ほどの保健室の先生が、「先生のブログは、どうやったら見ることが出来ますか?」 とお尋ねになるので、このブログの検索方法をお伝えして帰りました。

次の日には、その先生(ここからはお母さんになります)から、メールが届きました。 

「実は、自分の子どもの発達のことで、先生との相談をお願いしたい」

3日後には、ご両親が、車で1時間半もかかる遠方より来られました。

そして、何とその1週間後には、実際に私がそのご自宅にお伺いして直接お子さん(イチロー君)の指導をすることになったのです。 結婚でも何でもそうですが、決まるときはこんなものです。


第1回目の指導が終わった後、おじいちゃん・おばあちゃん・お父さん・お母さん・イチローくん・私で一緒に夕食をごちそうになりました。

畑でとれた有機無農薬の新鮮な野菜をはじめ、まるでお正月のような真心のこもったごちそうです。

おじいちゃんも、おばあちゃんも、イチローくんの発達の事をたいへん気にかけておられ、「毎日お寺で長時間、この子のことをお願いしていたから、先生と出会うことが出来た・・」 と、身に余るお言葉をいただきました。

最初の指導で、イチロー君は、書字や数の量的な感覚面に少し課題があるように思われました。 昆虫や恐竜が大好きで、図鑑を読むときには、カタカナのむずかしい表記も次々にこなしていきます。

割り箸やつまようじやセロテープを使って作った、昆虫や恐竜の立体模型も見せてくれました。

器用でやさしいお父さんだな、すごくリアルにクワガタなど作っているなあ、と感心していましたが、帰る時になって、それがイチロー君一人で作った物と聞かされ、この子、造形の天才かと、本当にびっくりしました。


この日は、別の小学校に巡回相談に行きました。

ここの学校もすばらしい取り組みをされていて、特にコーディネーターの先生は、細かいところまで気を配る行き届いたお仕事をされるかたで感心しました。

そのコーディネーターの先生の計画で、2名の保護者の方と発達相談をさせていただきました。

1名は今年入学した1年生のお子さんのこと、もう1名は来年卒業していく6年生のおこさんについてのご相談でした。

どちらのお母さんも、相談の途中からずっと目に涙を浮かべられていました。 こうした場を構成されたコーディネーターの先生の見識の深さに、さすがと思わずにはいられませんでした。

6年生の子のお母さんは、コーディネーターの先生に6年支えていただいたことをとても感謝されていると同時に、卒業後のことをとても心配されていました。

「これから、誰をたよったらいいか、とても不安でたまらない・・」

私の頭には、イチロー君のお母さんやおばあちゃんのことが、さっと頭をよぎりました。

「アンテナ張って待ってないと、大切な人が目の前を通っても、見えないよ。 それと大切な人をイメージしていると、不思議なことにそういう人が、現れてくるんだよ・・・・」

ここでは、太郎君の担任の先生をぱっと思い浮かべました。

この4月、小学校の入学式の予行で、そこにどんな先生が来るだろうと待っていると、そこには私たちの期待した通りのすばらしい先生が立っていました。 本当に自分のイメージ通りで、わたしゃ予言者かと思って、何度も目をこすりましたよ(笑)


イチロー君のご家族とお話を伺っていると、時刻はもう8時をとっくに過ぎていました。

今日初めてお会いしたご家族なのに、ずっと前から、知っているような気がする、 ここに来るのは、ずっと前から、運命づけられていたような気がする、 神様や仏様の話も、けっして絵空事ではないような気がする、 ずっとそんな思いにかられていました・・

帰るときには、家族全員(お姉ちゃんは、この日、体調が悪く会えませんでしたが・・)が、外に出て見送ってくれました。

これから、どんな運命がまっているのでしょうか?

私は、イチロー君も、必ず幸せに育つと確信しています。 

運命ってふしぎなもの・・ 人生も捨てたもんじゃない・・

今日から、私もこのご家族の、応援団の一員です。

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しゃぼん玉でつなぐ心 (ABA=応用行動分析の手法で 子どもとの信頼感を育む営み)

 2008-11-05
昨日は、かれんちゃん(3歳・ダウン症)の2回目のセラピーでした。

この日のかれんちゃんのターゲット行動は、「指示に従い 椅子にすわる」  

指導者としての私のテーマは、「何が最高の教化子(ごほうび)に成り得るかを探る」  ということでした。

初めてのセラピーでは、ボール、絵本、パズル、人形、風船などいろいろな物を用意しておきましたが、ヒットしたのは、風船、打楽器、くるくる回る系のおもちゃなどでした。何となく、かれんちゃんの喜びそうな物の、傾向はつかんだつもりでいました。

先日、ダイソーとトイザらスに行って、これだけあれば大丈夫だろうと言う位、教化子になりそうなものをいっぱい買い込んできました。

ピコピコハンマーだとか、くるくる回って落ちるおもちゃとか、押すと回ったり、音が出たり系の、感覚・操作遊び系のおもちゃが中心です。 便利な時代になりましたね、 ダイソーとトイザらスが同じ敷地内あり、思ったよりずいぶん安く、大きな袋2つ分のおもちゃを購入することができました。

初めての時のセラピーでは、風船やボールで多少からんできましたが、席に着かず立ち歩く、物を投げる、勝手に水差しの水をこぼす、事務机のパソコンのキーボードをたたく、など、さすがの私も少しあぶら汗の出る展開でした。 特に、物を手当たり次第、物を投げるのには、正直とまどいました。

今日、教室に入って来たときも、少しお母さんと離れにくく、ちょっと不安なスタートとなりました。

期待していたたくさんの教化子(おもちゃ)も、いくつかはヒットしましたが、あまり長続きしませんでした。 結構空振りのものも、ありました。 

教化子が空振りの終わると、離席が目立ち、「座りましょう」と言っても、「イヤ」と拒絶され、なかなかうまくいきません。

そこで、ついに真打ちのミニ水風船と、しゃぼん玉の登場となったのです。

シャボン玉を吹き始めると、いっぺんにムードが変わりました。 お菓子を教化子に使うこともあるのですが、私は3歳の子どもには、できればお菓子を使いたくなかったので、心の中では「やった」 と、ガッツポーズです。

教化子さえつかめば、主導権は、完全にこっちのものです。 いすに座ることをフルプロンプト(この場合は支援によって何とか座らせること)で教え、できたらしゃぼん玉をふーっと吹きました。

かれんちゃんは、キラキラ目で、しゃぼん玉を眺めています。 都合のよいことに、立ち上がって、手でそのしゃぼん玉をつかもうとしています。 抱きしめたくなる位、かわいい姿です。

しゃぼん玉で一旦立ち上がっていますので、もう一度「座りましょう」という音声指示を出し、最初はちょっとだけ、手を添えて座らせ(支援=プロンプト)、出来たらすぐにシャボン玉をふーっとやります。 即時教化と言って1秒以内が原則です。

これ、3回もすれば、「座ると → ふーっ」 が分かってきます。 何回かできたら、これまた別なごほうびとして、離席して自由なおもちゃ遊びを認めます。

そして、また 「座りましょう」と指示を出し、自分でこっちへ来たら、めちゃくちゃほめ、また「ふーっ」とやります。 後は、この繰り返しを何度かすれば、今日の目標は到達です。

この日のターゲット行動の、「指示に従い椅子にすわる」 は、見事にクリアです。 1週間後であろうが、10日後であろうが、しゃぼん玉さえあれば、いつでも私は、かれんちゃんに対して 「音声指示を出し、椅子にすわらせる」 ことができます。 シャボン玉で、私とかれんちゃんの心がつながった瞬間です。 

今はしゃぼん玉でつながった心ですが、やがてその強化子は、シャボン玉ではなくて、賞賛  → ほほえみ → 自己の達成感 → 社会での適応感 → 自己実現 などと進化していきます。大げさに言えば、私と歩むかれんちゃんの壮大なストーリーの幕が、今このとき開いたのです。 

来るときに半ベソをかいていたかれんちゃんは、帰るときには、私のひざの上に乗ってくるようになりました。 帰るときには、お母さんの前で 「座りましょう」 がちゃんとでき、いっぱいほめてもらいました。 強烈な間欠強化刺激で、だめ押しです。

初めてのセラピーの日は、つみきとかおもちゃを10回以上(もっとたくさんかも知れない・・汗)ほり投げましたが、今回は、最初の時にマラカスを1回投げただけです。 立ち歩きもシャボン玉が始まってから、私の手の届かない所へは1度も行かなくなりましたし、事務机のパソコンにも1回もさわりませんでした。

三角の目がまんまるになり、どんなにかわいかったことか・・

ダイソーとトイザらスに行って、袋いっぱい買ったけど、結局は、しゃぼん玉と水風船と風車くらいでよかったみたいです。 これもいい勉強になりました。

さあ、これからはどんどん作業課題・学習課題へ突入です。

我が子は3人育ててきたけれど、指導で3歳の子に接するのは初めてです。

SHINOBU先生、3歳児も結構イケルかも! 

私のABAは邪道で、心理学の応用ですが、自分の心にピンと来ないものは使わないし、その子のストーリーに添ってないことはしないことにしています。 変な言い方ですが、日本版・浪花節のABAです。 

かれんちゃんは、ママに手をつながれて、ちょこちょこと帰って行きました。 このときのかれんママの顔は、先日の講演会をプロデュースした臨床心理士さんの顔ではなく、愛情一杯のお母さんの表情そのもでした。 その後ろ姿を見送りながら、何だか、とってもうれしい気分になった1日なのでありました。

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ゆっくりでもあきらめないで・・ 徐々にではあるが、無限の可能性がそこにある

 2008-11-04
昨日は、かれんママのお勧めということで、岡山県臨床心理士会主催公開講座に参加し、日本で初めてダウン症者で4年生大学を卒業し、「ダウン症世界世界会議症」 を受賞された岩本綾さんと、そのお父さんで、元高校の国語教師、現在は鹿児島子ども研究センターの所長をされている岩本明雄さんの講演会に参加しました。

心の中でいくつかの部分がクリーンヒットしたのですが、今日はそのうちのいくつかを紹介したいと思います。


お父さんの話の中で心に残ったフレーズは、

「国語科で、文科省の決める学年別配当漢字などは、ゆっくり発達していく子どもにとっては、逆に学びの大きな妨げになる」

「ゆっくりだけど、子どもの無限の可能性を信じられるかどうか、ということが教育者としの才覚」

「幸せの形はそれぞれで、それがだんだん膨らんでいくもの・・」

という、ものでした。


綾さんの講演で心に残ったのは、

「障害をある子を産まれないようにする動きではなく、同じ命をもつものとして、共に輝き、生きていくことが大切」

ということと、特に英語で話されている時、何て感情表現が豊かなんだろう、と言う印象でした。


多少発達のスピードが遅くても、そこにある無限の可能性を信じることが出来れば、何のコンプレックスも劣等感をもつ必要はありません。

自分らしさを生かして、自分の長所を活用し、目標に向かって進んでいくだけです。 私は実際に、学年別配当漢字を、その子の特性に応じて、勝手に組み替えています。

例えば英会話をマスターしたいとなると、よく使う重要単語から覚えるでしょ、日常会話の中、あるいは文脈の中から、必要な単語を学び取っていくでしょう。その身につけた単語を、少しずつ膨らませていくでしょ。

そういうことが大事なのであって、何も2年生だから200字マスターできなければダメ、ということではないと、私も思っています。 ましてや、それで子どもの心が痛んで、漢字に対する興味や関心を失ってしまっては、取り返しの付かない大きなつまずきを与えてしまうことになります。

漢字っておもしろい~ とか、便利だね~と、仮に子どもが感じるような瞬間があれば、ほっといてもその子は漢字を身につけて行くようになるとは、思いませんか? 岩本明雄さんのおっしゃる通りです。

綾さんは、きっと英語にそれを感じたのだと思います。 私は、今小学2年生の花子ちゃんに、本格的に英語を教えようかと、本気で考えちゃいました。

苦手なことならともかく、得意なこと、好きなことを長く続けられれば、きっとものになりますよ。 

そのものさしは、他人と比べることではなくて、自分自身の生き甲斐とか、肯定感とか、自己イメージに根ざしたところに存在しています。 それが、幸せの形がいくつもある、ということではないでしょうか?

障害のある方の共に生きるという感覚のある方は、きっと自分の命も大切にされている方だと思います。

子どもたちに、もっともっと自分のよさを実感できるような指導やサポートを行っていきたい。

ご縁があって出会った子どもに、自分の命の輝きを感じ取れるような指導やサポートしていくこと、今の私にとっての生き甲斐は、ここにあると感じ取った1日なのでありました。

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すべてを子どものせいにしないで (関係性の中で育つ子ども)

 2008-11-03
1年生で暴れん坊だった子が、2年生になるとまったく目立たないようになることがあります。

逆に、保育園では普通通りに過ごしていた子どもが、小学校になると、突然に問題が表面化することがあります。

「保育園と小学校では違いますから・・」 と、小学校の先生は、よくおっしゃいます。

保育園と小学校ではレベルが違うのよ・・とでも言いたげな口ぶりですが、私からしてみれば、「君の指導が下手くそだから、この子がこんなになったんだ・・ 一度保育園に来て、一から勉強してみたらどうなんだ!」 と、言いたくなる時があります。(実際には、そんなこと言ったことはありません・・笑)

いろいろな意見や見方がありますが、私は、基本的にそれは、子どもだけのせいでもなく、先生だけのせいでもなく、その関係性がまずいからだと思っています。(実際に、その先生の言うことをよく聞く、相性のいい子どもだっているでしょうから・・)

でも、先生と子どもでは、圧倒的に力関係が違います。 だとしたら、その関係性を改善していくためには、先生側の対応を変えていくことが必要だと、私は思っています。

PDDだから、AD/HDだから、通常学級では無理と、最初から一方的に決めつけたりすることは、差別であり偏見です。

また、うまく行かなかったことを、すべて障害のせいみたいに言うのは、責任転嫁です。

すべてが先生のせいだとは言いませんが、はじめから、心の底に、その子を受け入れようとする気持ちがないのなら、教員免許を返上するべきではないでしょうか?

可能なかぎりみんなといっしょに育てよう、初めからそういう気持ちのない先生に、どうして子どもが心を開くことができるでしょうか?

真心を込めて、精一杯努力をした上で、それでもやはり適応がむずかしい場合は、保護者の方もいろいろな選択肢を検討なさると思います。誰よりも大切な、我が子ですから。

しかし、何もしないで、障害名や診断だけで、集団から除外していくように感じる対応が、現実には多すぎます。 いくらそうではないと、事務口調で説明されても、保護者の気持ちがズタズタに傷ついているケースを何度も目にしてきました。

太郎君の担任の先生は、「出来ないことかも知れないけど、この子をずっと担任していたい」 と、言ってくれました。 そのまなざしが、太郎君には、何よりの支援となっているのです。  1学期は、行動面で、いろいろな課題がありました。 時には不適応な行動を起こす場面もあるでしょうが、すばらしい成長・適応だと、私は思っています。

「いつまでも、この先生が担任でいられるというわけでもないので・・」 と、ある先生は私に言いました。

だから、特別支援学級、というのは変な話じゃありませんか? 本人の幸せと成長に最もふさわしい場が特別支援学級であると判断したら、きっと明日にでも手続きに行かれると思います。

今、ご家族の方は、きっと通常学級でよかった、と思われているはずです。

通常学級にも、特別支援学級にも、それぞれのよさがあります。 それは、その子の生き方やストーリーに寄り添い、関係性の中でトータルに判断していくべき内容です。

決してそれを、障害名や診断、あるいは指導のまずさによる不適応とすりかえないでいてほしいと思うのです。

平素の実践と、きちんとした説明があれば保護者は理解します。

逆に、まったく聞く耳もたない、無茶苦茶な要求ばかりする保護者がいると聞きます。これでは、他の保護者の方が迷惑しますし、何よりも担任の心がズタズタに傷つき、やる気をなくします。真剣に取り組んでいた担任の気持ちが、そのことで完全に離れていった事例を知っています。第三者の私から見て、これは明らかに子どもの利益の放棄であり、損失です。親が見えていないことで、子どもの利益を投げ捨てている、何とも悲しい現実です。

時には、毅然として学校にお願いしなくてはならない時もありますので、こういう保護者の存在が、事態をややこしくします。

どこまでが無茶な要求なのか、そんな基準はありませんので、正当なお願いを都合良く無茶な要求としてすりかえられたり、保護者が正当なお願いという形で、無茶な要求をするケースもあるのかも知れません。

一方的ではなく、保護者と学校が対等な関係で、お互いがストーリーや関係性を大切にし、個々のケースに寄り添い、真剣に知恵を出し合い、共に創り上げていく形が必要なのだと私は考え、そのことを私はパートナーシップと呼ぶことにしているのです。

インクルージョンを目指して行く上で、今の日本の特別支援教育には、この部分が必要だと思います。 このブログですばらしい実践を伝えてくださる方は、保護者の方が、自力でこうしたことを実践されていますが、こうしたことを特別支援教育コーディネーターの方が、計画作成の段階で専門的に手腕を発揮されるようになればすばらしいと思います。
(現実的には、時間的にも環境的にもかなりむずかしいようですが・・)

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子どもの未来を信じてこそ 起こる奇跡がそこにある

 2008-11-01
現在、来年度に向けた新入児童の健康診断や就学相談(指導)が真っ最中の地域も多いのではないかと思います。

1年前に 「通常学級は無理」と、ドクターにはっきりと言い切られた太郎君、 通常学級の入級については、インクルージョン推進派の私も正直揺れました。 ドクターの社会的な権威は、やはり強いですから。

でも、ここでがんばったのは、私より太郎君のお母さん、「この子は集団で伸びる」という強烈な信念をおもちでした。

去年の今頃は、まだ表出言語は、ほとんど見られませんでした。 そんな太郎君は、この春、新1年生として小学校の門をくぐりました。 1年B組でした。 そこになすばらしい笑顔の担任の先生と、たくさんの友達が待ってくれていました。


「くじらぐも」 という1年生の国語の教材があります。

今から20年近く前、私が脳性麻痺のお子さんを通常学級で担任していたとき、この教材で研究授業をしました。 

「天までとどけ、1・2・3!」 

その子は少し体の不自由な面もありましたが、みんなと手をつないで、元気よくジャンプしたの笑顔が目に焼き付いています。 研究授業が終わった後、教室に掲示したでっかい雲のくじらを見て、わけもなく涙がこぼれ落ちそうになったことを、はっきり覚えています。

私にとっては、生涯の宝物です。


昨日、太郎君の個別指導をしました。 連絡帳を見ると、宿題で本読みがあったので、何だろうと思って見ると、その「くじらぐも」が宿題になっています。

私は、文節を区切ること、聴覚性のプロンプトを事前にいれて読ますこと、そして間違えても修正せず、うまく読めたところに即時教化を入れる、という自分流(名付けて、認知特性活用SHINOBU流ABA音読指導法=何のこっちゃ)の方法で、アプローチをしました。

これは、きっと私の力と言うよりは、太郎君のすばらしい担任の先生や、お母さん、学童保育の指導員の血の滲むような努力に支えられたからだと思います。

太郎君は、10ページにわたる 「くじらぐも」 を、一度もストップすることなく、私に聞き取れるように、最後までちゃんと読みました。


実は、先週のセッションのときに、太郎君が学習の最後に、わざと物を落としたので、叱って拾わそうとしたのですが、結局ふてて固まってしまったのです。 何かが、そこでずれ始めたのを、私は感じていました。

この後、お母さんと何度かメールのやりとりをしているうちに、わたしは、もう一度まっさらでこの子に向き合い、原点に帰ろう、と心に決めていました。

こうなると、最初からオーラが違っていたのでしょう。 最初の 「くじらぐも」 から、感動の嵐です。 指導をしていて、こんなに楽しい時間はありません。 私は、今、世界で一番すばらしい時間を、この子と共有しているんだと思いました。

1年前は、ほとんど表出言語がなかったことを考えると、奇跡といっても大げさではないと私は思っています。 結果は、完全にお母さんの勝利です。


ファイルの中には、算数プリントが3枚入っていました。 それは、すべて繰り上がりのあるたし算のプリントでした。

今の段階では、これをこの子にさせるのは、むずかしいだろうな、と思いました。 お母さんが 「算数の宿題のことも気になっているので、特別に今週、金曜日もみてほしい」 と言われたのは、このことかな、って思いました。

数の合成・分解のできない子に、どうやって繰り上がりの計算をさせるか? ここは、私の得意分野です。 ここもSHINOBU流ABA指導法算数編、フルプロンプト=なんのこっちゃ、でそのうちの1枚(B4・1枚、40問くらいありました)をかたづけ、残りの2枚は明日やろうね、と約束しました。

もちろん、フルプロンプト(ほとんど先生の支援)ですので、今の段階では、私がいないと太郎君だけで、この計算をすることはできません。

でも、太郎君は、まちがいなく、今日元気いっぱいで、算数のプリントをもって私のところに来るはずです。なぜなら、SHINOBU先生といっしょだったら、このプリントができるからです。太郎君は、SHINOBU先生に教えてもらえば、自分の力でできると思っているはずです。

後は、段階的にこのプロンプトをフェードアウトしていくだけです。 時間はかかりますが、その時間さえいただければ、私がいなくても必ずできるようになります。

これは、通常学級のあの先生が担任だったからできたことだと、私は思っています。 この1年生の先生は、宿題ができていなかったら、残り勉強という名目で、この子の個別指導を放課後してくれているようです。

本当にすばらしい先生です。 通常学級が無理と言われた太郎君は、入学以来1日も休むことなく、笑顔いっぱい・元気いっぱいのすばらしい1年生になっています。

岡山は全国でも珍しく小学生も制服なのですが、この日、冬の制服を着た太郎君のりりしい姿は、1年前、絵画語彙発達検査をしていたころの彼とは、まったく別人なのでした。

終わった後のごほうびタイムも、とっても楽しかったです。 どれだけ私に大きな幸せを運んでくれる子どもなのでしょうか? これから始まる今日の指導も、楽しみでなりません。

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