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個別の療育と集団での育ち 優先すべきはどちらなのか?

 2008-10-31
私は、まさか自分が3歳のお子さんの療育を担当させていただくなんて思ってもいませんでいた。

ご家族のかたが、私がブログで、ABA(応用行動分析)の手法を大切にしていることをお知りになり、是非にということでしたので、お引き受けをさせていただくことになりました。

私は、基本的には、インクルージョン推進派で、どちらかと言えば個別指導より、集団での育ちを大切にしているタイプです。

5月の保育学会のあるシンポジウムで、

「私は長年、子どもの発達に正面から向き合ってきた。よかれと思って、その子にあった教育の場、その子にあった専門機関はどこかと一生懸命探してきた。しかし、やればやるほど、どこか心の中に本当にこれでよいのか?という疑問がもやもやとわき、いつの間にかぬぐい去れないものになった。しかし今日、重度の自閉症のお子さんの長年にわたる実践事例から、子どもがどのように学び、どのように育っていくのか?その原点にふれたような気がした。他の子どもと生活し、共に成長していくその大切さを、今こそ私たちは発信していく時期だと感じました・・」

「私もまったく同感です。専門機関・訓練機関に通う子どもには笑顔が少ない。しかし、今日の事例・晋平君の笑顔から、私たちは本当に大切なことは何かを感じとることができた。特に小さいときであればあるほど、集団のもつあたたかさが、子どもを育てるのではないか?その大切さに取って代わる早期治療のその中身はいったい何だったのか・・・」

というフロアからの意見に胸を熱くしたものです。


テクニカルな事も大切だけれど、その子をとりまく環境づくりと、本人のモチベーションはもっと大切だと考えています。

リアルな集団の中で生きていく力を付けないで、小さな部屋や特別な環境だけでうまく行っても、それはあまり意味がないのでは、と考えています。


昨日友里ちゃんのお母さんが相談にみえました。 

友里ちゃんは、医療的な面で新しい局面になり、学校のこと、家庭での支えや将来のことについても、ご家族も一層真剣に取り組まなければならない展開になりました。

その友里ちゃんは、毎週1回の私の指導をとても楽しみにしてくれていて、SHINOBU先生のところへいくと、何だかパワーがわいてくる、とうれしいことを言ってくれます。

90分の指導時間は、あっという間に過ぎます。 指導していて、「あ、もう30分も経った」 「もう1時間も経った」 「早すぎて信じられない」 と、いつも言いますが、指導している私も楽しくて、あっという間に90分が過ぎてしまいます。

ここでの学習は、ABAの理論を基礎とした長所活用型、エラーレス完全習得学習なので、彼女はここで、教科学習を通して、自分に対する自信とイメージをどんどん向上させているのだと思います。きっと、だから、楽しいのです。

お母さんは、今朝メールをくださり、SHINOBU先生は、私のパワーの源です、と伝えてくださいました。  私の役目は、これで良いのだと思います。 このように気軽にサポートできる機関が、ご家族の身近なところに、もっともっとあってよいと思います。経済的な負担もありますから、個別支援としては、こんな感じで、私は役割を果たせているのかな、と考えています。


ダウン症のお子さんの場合は、その発達的な特性から、早期療育の効果が臨床的に実証されています。 週40時間の早期の個別セラピーが、IQの大きな向上につながったという報告も、すばらしいと思います。 しかし、すべて早期療育=個別指導ではないと思っています。

かれんちゃんは、別の保育園に通っていて、先週から、週に1度だけ私の所で個別セラピーを受けることになりました。 まずは、こんな形が自然です。 ご家族の選択も、理解できます。 私はその週1度のセラピーのために、目下猛勉強中です。 しかし、このかれんちゃんに対する勉強が、きっと太郎君や花子ちゃんの学習に役に立つであろう事は、すでに私の中でははっきりしています。

集団にもいろいろあります。 その子の発達のニーズに合った集団もあれば、そうではない集団もあります。 療育も、同じ事で、Aちゃんには良くて、Bちゃんにはそうでもないことも、良くあることだと思います。

結論は、決して一般論では語れないということ、お子さんの環境や育ちのストーリーの流れの中で考えていくこと、そして、集団に軸足をしっかり置いて、そこを支え、サポートする個別支援や療育が基本スタンスではないかと思います。

私は毎日猛勉強、でも、とっても楽しいです。 

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支援の必要な子どもだからこそ、集団の中での学びが大切 (個別支援から、集団での学びへのシフトチェンジ)

 2008-10-30
ここ何年かで、自閉症や学習障害などの理解度や認知度は格段に向上しました。

特別支援学級での構造化や認知特性に合った指導プログラムの開発で、学習への適応状況が大きく改善されたケースも次々と報告されました。

しかし、これまでにお伝えしているように、時折、私のところへは次のよう声も届いてきます。


「狭い枠の中で安定したとしても、子どもが育ったとは思わない」

「付かず離れずの見事な支援員のサポートで、運動会の表現運動を乗り切ったけど、親としては何とも言えない割り切れない複雑な気持ちになった」

「視覚支援のサポートをあえてフェードアウトすること (つまり個の育ちから集団での育ちにシフトすること) によって、クラスの友だちのサポートというねうちのある新しい関係性が育った」 


応用行動分析の手法の一つに、プロンプトフェイディングというものがあります。 

むずかしい言葉ですが、要は、最初は支援をたっぷり与え、スキルを育て、達成感をもたせるのですが、いつまでも支援を与え続けるのではなく、徐々にそれを除去していき、次のレベルでは、支援を少なくしてもそのことが出来るようになった子をほめて、最後には支援なしでできるようにさせるというテクニックです。

言葉がむずかしいだけで、誰でもが普通にやっていることです。


社会の中で生きていく力を育てていくためには、個別支援は少しずつフェードアウトしていくべきではないでしょうか?


それに代わって、私たちが構成していかなくてはならないのは、リアルな集団の中での子どもたちの学びの姿です。 

何の意図もない、荒れ果てた学級で、一番先に痛むのは、支援の必要な子どもたちです。 満たされていない子ども集団では、そのはけ口が支援の必要な子どもに真っ先に向いてしまうことがあります。

逆に、一人一人の子どもが、先生から受け入れられていると実感し、共に学ぶ喜びや充実感、何かを共に目指す方向感のある学級では、先生の思いや願いを、子ども一人一人が感じ取り、小さな先生がたくさん生まれて、クラス全体の教育機能は爆発的に向上します。

こうなると、例えばグループ学習や運動会などでは、自分のことより、グループや他の友達のことを先に考えるような子どもが生まれます。


私の実践の中では、いつかお伝えしましたが、次のようなエピソードがあります。

修学旅行のバスの席順を決めるときに、一番孤立しやすい子がどこの席を希望するかをみんなが見ていて、その子の希望がわかると、いっせいに他の子が争ってその子の隣の席を希望していました。

後で、何人かの子どもに聞くと、「一生に一度の修学旅行で、絶対に悲しい思いをさせたくなかった」と口をそろえて言っていました。

たまたまそこへ来ていた教育実習の子が、その様子を見て、うしろでボロボロ涙を流していました。20年以上も生きてきた私より何倍も、この子たちはすごい、と感動し、彼女はその後すばらしい先生となり、現在も活躍しています。

このように、自分だけでなく、所属するグループ(学級)に誇りをもち、その全体の向上、あるいは他のメンバーの向上を、自分の喜びのように感じとれる関係のことを、積極的相互依存(positive interdependence)といいます。

日本では、特別活動とか学級づくり、アメリカで共同学習の分野で研究や実践が進められています。


ミニ先生が育つと、たとえばグループ学習の時に、必要以上に甘やかさず、かといってほっぱらかしにしないで、それは見事に役割分担を決めたり、教え合い、学び合いの場が形成されます。

これ以上の支援はありません。


昨日、ある学校におじゃましました。 そのクラスには支援級から3人の子どもが交流できており、支援の先生、支援級の担任の先生も何度ものぞきにきていました。とても、いい雰囲気で学習ができていました。

その担任の先生も、3人の子のことを気をかけていました。 でも、担任の先生のできる最大の支援は、心あたたかい、活気と方向性のある学級を作ることですよ、と伝えると、大きくうなずいてくれました。

先生同士のチームワークのとれた、すばらしい学校だと思いました。 支援学級も、楽しくて活気があり、着実な学びの歩みが感じ取れました。

個別支援の次に目指すこと、それは集団の中でも学びと育ちに違いありません。

個別支援は、そのための大切なステップの一つであると、私は考えています。

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かれんちゃんへの個別セラピースタート (ダウン症のお子さんの初期の感覚性遊び・操作性遊び)

 2008-10-29
昨日は、かれんちゃん(3歳)の個別セラピー、第一日目でした。

昨日、うちの園の保育士さんにお願いして、それらしいグッズを色々と用意してもらいました。

(机・いす・フロアマット・絵本・パズル・積み木・楽器・シャボン玉・粘土・風船・ボール・クッションなどです)

今回が第1回目です。お母さんから事前にいろいろと様子を聞いていました。 この教室では最年少ということもあり、ちょっとドキドキもしていました。

一番最初に食いついて来たのが、風船でした。 「ちょうだい」のポーズもちゃんとできたし、うまくキャッチ出来たときは、笑顔一杯で私に風船を返してくれました。

しゃぼん玉にも、おもしろいように反応してくれました。 感覚性の遊びが大好きなようです。

着席は難しいかも? と、お母さんから聞いていましたが、何回か、ちゃんと座って課題に取り組むこともできました。

操作性遊びの中で一番のお気に入りは、ギザギザのびらびらの付いた入れ物の中に、ブロックをポンと押し込む遊びでした。

かれんちゃんは今、感覚そのもを楽しむ感覚性の遊びと、何らかの操作に対する反応を楽しむ操作性の遊びの中間くらいの位置の遊びがお気に入りのようです。

材料は、いくらたくさん用意したとしても、やはり、今すぐに使える物と、そうでないものに分かれますね。

今日の一番の収穫は、まずは課題の入り口を発見したことです。 それと、「すごーい」「じょうず~」などの強化子も、思っていたより手応えを感じました。

時々、部屋をウロウロ探検し、観葉植物の水差しや、パソコンのキーボード、監視モニターのスイッチをさわったり、積み木やおもちゃを投げて困りましたが、まあ、この程度のことは、これから解決できる範囲だと感じました。

「こういうことを無理に怒ると、自己刺激の強化になり逆効果なので、やり過ごして、代替行動ほめますね~」と言うと、さすがに臨床心理士のお母さん、ぴったり理解してくださり、やりやすいこと・・

時間が来て、お母さんが部屋に来た時、かれんちゃんは私たちの前で、型はめパズルのマッチングをしてみせてくれました。 「じょうず~」 とほめると、うれしようにしました。 私のひざの上にも乗ってくるし、本当に可愛いお子さんです。

3歳の子も、小学生も基本は同じですね。 子どもの実態があり、願いと目標が生じ、教材を工夫し、支援を添えて、つまずきを除去し、できたらほめる。 ただそれだけのことです。

私が参考資料にしているは、右のコーナーで紹介している「ダウン症児の育ち方・育て方」と、自閉症児のためのABA・早期集中マニュアル「つみきマニュアル」の2冊です。 ベーシックな早期療育の基本となる目標を「ダウン症児の育ち方・育て方」で確認し、ABA(応用行動分析)を基礎とした、私の具体的なかかわりや支援の方法を「つみきマニュアル」の事例を参考にして組み立てて行こうと考えています。

ABAをダウン症児の早期療育に適用するのは、アメリカのワシントン州の実践で紹介されていたので、その臨床版みたいなものになればと考えています。

「ダウン症児の育ち方・育て方」は、4750円と高額です。でも、これ1冊あれば他の本はいらないくらいです。初版からもう20年以上経過していますが、内容は豊富で、よく整理・研究されており、見やすく・わかりやすく・使いやすい本です。最初、ダウン症にお詳しいドクターにお借りしていたのですが、結局自分で購入してしまいました。

学習指導で組み立ててきたABA(応用行動分析)のやり方は、早期療育でも同じように使えます。また、このかれんちゃんとのかかわりは、きっと他の小学生の指導にも生かされていくことと思います。 ベーシックな所はみんな同じなんですね。

私の気持ちは、もはや手作りの感覚・操作性のおもちゃ作りに飛んでいます。 そう言えば、先日リンクさせていただいた「Yukaの「おもちゃ箱」にいろいろ紹介されていたので、早速調べてみようと思います。

何だか、とっても楽しみになってきました。 この子も、私に幸せ運んでくれる子です。

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ことばの問題が発生する条件(W Johnson の理論より)

 2008-10-28
今日も、土曜日のセミナーで吸収したことをみなさんにお伝えしようと思います。

4人の提案者の方のうち、2人の方が、偶然にも 「ことばの問題が発生する条件 (W Johnson)」の理論を引用されていました。

出典について、私は明確に確認をしていないので、まったくの受け売りの話になりますが、ポイント次のようになります。

言語障害の程度は、X軸に話し言葉の症状(本人の能力的なもの)、Y軸に聞き手の反応(家族・友だち・環境など)、Z軸に話し手の反応(本人の内面・性格・心理状態・主観など)の3つの軸で示すことができ、その程度は、この3つの軸に囲まれた容積で考えられるというものです。

box.jpg

ふむふむ、でもSHINOBU先生は、これをまったく別の意味に受け取っていました。 見た瞬間から、自分で勝手に、次のように置き換えて考えていました。

つまり、X軸は本人の育てていくテクニカルなこと。 (言葉の教室や言語聴覚士さんとの連携も視野に入れた個別指導を中心とした領域です)

Y軸は、子どもが楽しくコミュニケートできる場を、意図的にに構成していくこと。

そしてZ軸は、私が最も大切にしている、本人の自己イメージの向上です。


言語の指導というと、とかくX軸ばかりに目を向けがちになりませんか? それは必要だし、とても大切なことです。

でも、私はY軸やZ軸を、とても大切に考えています。 むしろ私の考えるY軸やZ軸を伸ばしていくことにより、X軸にも大きなよい影響があるのではないかと本気で考えています。

コミュニケーションは手段ですからね。 伝えたい内容や、伝えたい楽しさ、相互に通う合う心地よさなどがあって、伸びていくものだと思っているのです。

そこのベースとなる部分を作ることが、私はとても大切なことだと考えています。 学校・園の集団(小集団)で学ぶ意義も、こうしたところにあるのではないでしょうか?


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方法だけではなく、ハートが大切だという理由 (親の願いは きっとこんなところに)

 2008-10-27
土曜日のセミナーを終え、また新しい1週間のスタートです。

私の場合、本を10冊読んでも、これ!というものをゲットできるのは、そのうちのほんのわずかにしかならないのですが、今回のセミナーからは、かなりたくさんの内容を吸収できたように思っています。

今日は、その中からひとつ、会のまとめを担当した彼が伝えてくれた、給食のゼリーのエピソードをもとに、自分なりに感じたことをまとめてみようと思います。

彼の伝えてくれたエピソードの概略は、「ある自閉傾向の子が、給食当番でゼリーを配る係になった。ところがそのゼリーを配る際に、端から順番に配っていくような規則性がなく、ただ単に、バラバラにしか配ることができないでいる状況のように思えた。どう見ても、その子がちゃんとゼリーを配り終えることは困難なように見えた。例えば事前に、その子の認知特性等を理解して、マークやシールなどの視覚支援などの方法(構造化)のテクニックを使って指導を行えば、きっとこんな状況は改善されていたことだと思う・・・
それで、現実にはどのようなことが起こったかと言えば、その子がどうしたらいいかわからなくなった状況で、やさしいお友達がやって来て、子どもらしい上手なアシストを受けながら、その子はちゃんとゼリーを配り終え、友達とかかわりながら、過ごしていく大切さを学び、感じ取っていた」というものでした。

(メモをとっていなかったので、細かい部分は、正確でないと思います。すみません。)


こういうことは、現実の場面で、幾度となく起こっていることかも知れません。

しかし、その大切さを切り取って示すことができる感性と技術は、ぼんやりとしていて身につくことではありません。

視覚支援が大切だから、何でもかんでも絵カードすればそれでいいというものではありませんが、それに近いことは、あちらこちらで時々起こっています。

このケースのように、あえて視覚支援がないことによって、友達とのかかわりといった、その事以上に大切な内容をつかみとっていく場面だってあることでしょう。 それを意図的に構成できるようになれば、子どもはさらに伸びで行き、幸せに育っていくことでしょう。

花子ちゃんのお母さんが伝えてくれた 「特別支援学級に入って落ち着いたのはいいのだけれど、ただ落ち着いたのでは育ったことにはならない。みんなとかかわりながら、生きていく力を育てたい」 ということも、ゼリーのエピソードと、決して違う次元の話ではないと思います。

視覚支援を行える技術、子どもの今をきちんととらえることのできる感性、そして家族の願いを受け止め、子どもの成長と幸せを育んでいこうとするハート、こうしたことがあいまって、あえて視覚支援をはずすという方法もあり得るわけです。

単に外側から見ただけでは、「ただ何もせずノーケアで突っ込んでいる」のと、「意図と願いをもって見守っていることと」の、違いは全く見えないのです。

ここがむずかしいところでもあるし、大切なところでもあるのです。

このエピソードにふれて、お母さん方は何かストンと心に落ちた部分はありませんか?

お子さんの教育環境を、学校側と一緒に考えていく場合に、担当の先生に伝えたくても、うまく伝えられなかった何かが、少し見えたような気になりませんでしたか?

こういうことを学びとっていくことは、お子さんの幸せと成長にとって、とても意味のあることだと思っているのです。

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ストーリーとして子どもに寄り添うという大切さ

 2008-10-26
昨日ご紹介したセミナーでの発表が終わりました。

会場は300人を超え、補助いすを出しても、ギリギリといった大盛況でした。

セミナーは今回が第三回目になりますが、私は初参加でした。


保育園の運動会が終わって駆けつけたのですが、たくさんのボランティアのスタッフの方が、ていねいに準備を済ませていて、こんな環境の中で、自分が発表者の一員として、時間を頂いて思いを伝えることが出来ることをとても光栄に思いました。

さて、初参加の私は、行きの新幹線の中で、はてさてこれから、自分で自分のことが、どんな感じになるのかな? と注目していたのですが、実際に発表してみると、こんなにも楽しいものかと、びっくりしました。 

あれだけの多くの方が、熱いまなざしで、私の方を向いて、これまで大切にしてくれたことを真剣に聞いてくれる・・ 来年もぜひ、ここで発表できるような、大切な営みを積み重ねて行きたいな、という思いがこみ上げてきました。


ぼくをメンバーに加えてくれたのは、最後のまとめをした彼ですが、彼はエピソードの中から、彼自身の大切な部分を、会場の方の心にしみわたるように伝えていきました。

(彼との付き合いは長いのですが、彼は、このブログを見て私をメンバーの一人として迎えてくれました。このブログが私を育てたり、導いてくれたりする営みをもっていることを、改めて感じました)

その彼の今回のテーマのひとつは、子どものストーリー(物語)に寄り添うことの大切さということでした。

技術や理論や形が先にあるのではなく、まず一番にあるのは、子どもが生きてきた、そしてこれから生きていく歩みそのもの・・

その連続性の中で物事を見つめ、大切に織り込んでいく・・

何のため? 誰のため? まずそこにある、あたたかいまなざしが原点。 彼は「子どもを可愛いと思える」という言葉を使っていたかな?

いつかこのブログでもとりあげた 「ていねいな子育て」 ということも、きっと同じ流れの中の言葉だと感じました。


今回は、提案者4人とまとめの彼、という構成でしたが、さすがにレベルは高かったと思います。(私は別ですが・・汗)

会が終わると、参加されていた方は、一斉にアンケートを書いてくださいました。 300人の参加で、その半数以上が、A4用紙の表裏に、たくさんの内容を記入してくださいました。 そのひとつひとつの言葉に、とても勇気づけられました。

私もメンバーの話の中から、たくさんのことを吸収し、確かめることが出来ました。

また、明日から、その一つずつを、みなさんにお伝えしていきたいと思います。

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特別支援教育における人間関係論的アプローチ

 2008-10-25
本日、大阪市総合医療センターさくらホールで、人間関係論的アプローチ研究会・第3回特別支援教育を考えるセミナーが行われ、本年度から私も仲間に加えていただきました。

今日午前中は、保育園の運動会→すぐに大阪(セミナー)→日曜日12時には地域のイベント(岡山)となり、強行日程でからりきわどいところとなっています。

日程やスタッフは以下のようになっています。 このブログで私がお伝えしている内容について、全国各地で実践をしているメンバーです。 前回250人でしたが、今回は300人以上が確実な状況だそうです。

きっと、みなさんにお伝えできる何かをつかんで帰ってこれると思います。

もし、このブログをご覧の方で参加された方がいましたら、コメントなどいただけるとうれしいです。




第3回特別支援教育を考えるセミナーの開催にあたって

特別支援教育を考えるセミナーは今年で3回目を迎えます。昨年は250 名のお申し込みをいただきました。今年も多くの方々のお力添えをちょうだいして大阪の地で開催いたします。
関係の中で子どもを理解しようとする態度、子どもの障害特性にとらわれすぎないかかわり方の工夫、子どもの内面に寄り添える支援のあり方を、私たちは大切にしてきました。第1 回のテーマは、「切る保育・教育ではなくつなぐ保育・教育の提案」、2 回目は「子どもを見つめる目自分を見つめる目その間にあるもの」、そして今年は、さらに具体的な提案を意識しながら「ハート&ハード方法に思いをのせて」としました。ユニークな支援の方法は、子どもの内面に働きかける気持ちがあってこそ、はじめて息づいてくるものです。そして、人が人とつながることの意味、すなわち、「個が生きる」つながりを意識した特別支援教育を柱に掲げていきたいと思っております。
ご多忙の日々の中で、短いひとときではありますが、ホッと一息ついて、子どもや自分自身のことをみつめられる場となりますことを願っております。

                             2008 年10 月1 日実行委員長堅田利明

◇ 日時平成20年10月25日(土) 13:15~17:40
◇ 場所大阪市総合医療センターさくらホール
◇ 参加費無料 資料代1000円

◇ 日程10月25日(土)
12:30~13:15 受付
13:15~13:25 開会挨拶実行委員長堅田利明
13:25~13:40 基調報告「セミナーの経過」

山口県周南市立徳山小学校古谷充
提案の前に、セミナーがどのような思いで始まり、過去2回のセミナーで何を伝えようとしたのかを振り返り、簡単に整理してみます。参加された皆さんに、それぞれの提案をより深くとらえていただく手がかりとしていただければと思います。

13:40~15:15

提案1 「友だちがつながるためにできること」

岡山県津山市立西小学校 吉田英生

発達障害がある子どもへの指導・支援では、本人の特性を知り、それに応じた対応が大切です。同時に個に対する対応ばかりではなく、周りの子どもがその子どもをどう見ているかとか、クラスの一員としてどんなつながりをつくっていくのかといった点に指導者が目を向けると、適切なかかわりや支援が友だち同士にもみられるようになります。「障害のあるなしにかかわらず、どの子どもにも適切な指導と必要な支援は大切である」という指導者の意識の延長線上に関係作りはあります。友だちがつながるために取り組む障害理解の実践についてお話したいと思います。

提案2 「発達検査、知能検査を通じて子どもたちに伝えたいこと」

発達支援センターくさぶえ相談支援専門員(言語聴覚士) 永井智樹

発達相談では、どんなことが得意・苦手な子どもさんなのかを探り、支援の手がかりを考えるために、よく知能・発達検査を用います。親御さんや保育所・幼稚園・学校からの依頼で行うのですが、実はその子自身も「どうせみんなよりできない‥」「なんでぼく(わたし)ばっかり叱られるの」などと感じていることが多いようです。
検査結果から障害のタイプ分けやレッテルを貼ることが目的なのではなく、検査を通じて「きみの周りには、禁止や否定ばかりする人だけでなく、理解しようとする人もいるんだよ」ということを伝えられたらと思っています。

<休憩>

15:30~16:30

提案3 「親と子のつながりを支援することの意味」

大阪市立総合医療センター小児言語科 堅田利明

気持ちに寄り添ってもらえていると感じたとき、話をじっくり聴いてもらえていると感じたとき、人は、「大切にされている」「認めてもらえている」といった実感を持つことができます。これは、子どもだけではなく親も同じこと。
子どもの気持ちをどれだけ想像しながら理解していけるか。同様に、親の気持ちにどれくらい寄り添うことが出来るか。聴き手としての心構えや具体的な方法についてご一緒に考えていきましょう。

提案4 「子どもの発達を支える学校・園の役割と、保護者とのパートナーシップ」

岡山市白ゆり保育園副園長 石原忍

子どもを真ん中に置いて、保護者と学校・園が相互に信頼し合い、手を取り合う。あるべき姿はここにあります。しかし、現実場面では、複雑な要因が様々に絡み合っており、真剣に向き合えば向き合うほど、連携の難しさも浮きたってしまいます。今では保護者向けに家庭内での子どもへのアプローチ方法や学校・園との連携方法についても広く紹介されるようになってきました。
しかし、単に技術やスキルと言うことだけではなく、保護者や学校・園がどのような思いを載せて取り組むか、そこの部分が重要になってきます。子どもの発達・成長・幸せにとって、保護者と学校・園のパートナーシップは、なくてはならないものです。今回、そのあり方について、ぜひ皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

16:30~17:30
 
まとめ「ハート&ハート『一緒』に進み『一緒』に考えるということ」

岡山県教育庁指導課 青山新吾

先日起きた悲しい事件。様々な事情の中で生じた事件なのだと想像します。そこから僕たちが学ぶべきキーワード、それを僕は『一緒』だと考えています。
『一緒』に考える。『一緒』に進む。『一緒』に怒る。『一緒』に笑う等。
これらを大切にした特別支援教育を考える時、そこに2 つのことばが必要なのではないかと考えるのです。1 つは、心意気を表す日本語。ハートです。そしてもう1 つは、心意気を型に表した日本語。具体的にどうしたら良いのかをことばにしたもの。ハードです。型=ハードを支える心意気を大切にことばにしながら、特別支援教育を作っていきたいです。今回は、具体的なお話を通して、このテーマを一緒に考えていけたらと思っています。

17:30 閉会

※ 片岡一公 (岡山県総合教育センター)  久保山茂樹(国立特別支援教育総合研究所)
   (当日、都合により欠席) 



みんなそれぞれの地域で活躍されている、子どもとご家族に寄り添ったすばらしい実践者です。 

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読字障害・読み書き障害の波紋

 2008-10-24
先日NHKで読字障害についての放送がありました。

その放送の直後から、何人かの保護者の方から、私の方に電話やメールで何件かのご相談をいただきました。

偶然かどうかはわかりませんが、その多くは、文章は読めるけれど、漢字が書けないといった内容のものでした。くわしく学習の様子を伺えば伺うほど、そのお子さんの様子が目に浮かんでくるようでした。

きっと細かい形の認知が苦手で、継次処理タイプのお子さんなんだろうな、と電話での相談の中から感じ取れました。

すこし遠隔地なので、今のところ、直接会ってご相談を伺うことは出来ませんでしたが、特性をとらえて、細かいステップを構成してやれば、少なくとも今よりは見通しややる気がもち、改善できるのではないかと思います。

学校の先生が、そのことを理解して、少しでも良いから工夫をしてくださる展開になればよいのですが・・

先日、小学校の先生の研修会で、応用行動分析や認知特性を生かした指導についてのことをお伝えしましたが、切実な自分の問題として吸収してやろうということには、残念ながらすぐにはならないなと思いました。

こういった個別指導の部分で、臨床的に実践ができる先生を見つけるのは、現実にはなかなかむずかしいようです。

だったら、保護者の方で、時間的に余裕があるのでしたら、勉強されてはいかがでしょうか?

その気になりさえすれば、情報は手に入りますよ。 アクションを起こしていけば、これぞと思うものに出会う確率は、だんだんと高くなっていきます。 どんな展開になるかわかりません。

このブログに書き込みをしてくださる方の多くは、ご自身で努力をされ、自分の子どもにふさわしい環境と内容を、ご自身でコーディネートしていきました。

ある方は、これぞと思う先生に出会い指導を仰ぎながら、ご家庭での取り組みを充実させていきました。

またある方は、個別の指導員を学校にご希望され、お子さんの特性や効果的な指導を伝え、学校の中での学びの環境を、ご自身で構成されていきました。

それぞれのケースによって、特性も違えば、環境やリソース(資源)も違います。

私のところに来たメールに対しては、なるべく詳しくご相談を伺うように心がけています。

何かのことで、お子さんのお役に立つことができれば、こんなにうれしいことはありません。

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希望の光を見つける営み (花子ちゃん音楽教室に行く!)

 2008-10-23
昨日から、花子ちゃんが音楽教室に通うことになりました。

特別支援学級に行ったことで、多くの事が改善されてきたけれど、生きた集団の中で学ぶ場を、もっともっとこの子に与えてやりたい・・

そんなお母さんのご相談を受けたとき、私の頭に突然にとひらめいたのがこの音楽教室です。


「特定の楽器の上達だけがねらいなら、お子さんはお引き受けできません、社会の中でいきていく大切なパワーを、音楽を通して子どもたちに伝えたいのです」

「障害のあるお子さんは、できるだけ優先的にお引き受けするようにしています」

「礼儀作法は厳しいです。 グループの子どもたちが協力して、自分たちで作り上げて音楽活動が、ここのスタイルです だからこそ、思いやりやマナーが身についていくのです」

「どんなに技術が未熟でも、がんばってきた子はほめます。 できたことを認め、音楽が大好きな子どもに育てることで、技術は必ずついてきます  よさを持ち上げると、欠点の部分も改善されていくのです」

「医学的な診断をくつがえす奇跡は、いくつでも知っています。 私の子どもの事でもそうです・・・」


音楽教室の先生の説明を伺っている中で、花子ちゃんのお子さんは、こらえきれなくなって涙を一筋落とされました。

昨日、第一回目の音楽教室がありましたが、花子ちゃん、とっても喜んで帰ってきたそうです。

週1回の音楽教室が、花子ちゃんの心と生活に、新しい希望の光を吹き込んできました。

何かが見えないと、必要以上に不安が膨らんでいくものです。

また一つ、ご家族の強い思い、切なる願いが新しい形を作り出す結果となりました。

このことから学ぶべきことは、たくさんあると、私は考えています。

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方向感のある集団が子どもを育てる

 2008-10-22
うちの保育園では、この8月から、お迎えの時に園児の安全面を確認する警備の職員を配置しました。

先週の日曜日、和太鼓フェスティバルというものがあり、その警備担当職員が休日だからということで、うちの園児の和太鼓の発表を見に来たようです。

うちの保育園には、ダウン症のお子さんがいて、お迎えの時に隙を見て駐車場に飛び出すということがあり、園児の安全の保障という観点で警備担当を配置したという経緯があります。

その警備担当の職員は、平素この子の安全には特に気を配っています。その彼が、みんなと一緒に、懸命な姿で和太鼓の演奏に取り組むこの子の姿を見て、深く感銘を受けたと、熱い口調で私に伝えてくれました。


このブログでおなじみの太郎君も、この和太鼓での取り組みで、大きな自信を付け、その後の目を見張るような成長のきっかけとなりました。

活気のない集団、向かう先の見えない集団で、真っ先に痛むのは、何らかの発達面での課題のあるお子さんです。

学校・園は、人数に差こそあれ、多かれ少なかれ、集団のダイナミズムを、教育の根幹に据えている教育機関です。

それぞれのお子さんの特性を理解することは、極めて重要なことです。 しかし、その特性理解は、基本的には集団のダイナミズムに生かすべきだと、私は考えます。


学校・園での個別指導には、時間的・物理的・構造的に限界があります。 それを必要としているお子さんに、可能な限りの個別指導の場を設定することは、すばらしいことだと思います。

しかし、個別指導は、学校・園教育の本質である集団のダイナミズムがあればこそのもので、学校・園は、何時間個別指導をしようが、特性を理解し、集団の中でどうそだてるか、その研究の営みの手を決して緩めることがあってはならないと、私は考えています。

グループ学習や集団づくり、相互協力関係などは、これからの学校教育の場で鋭意研究開発されるべき内容だと思います。 これまでの学級経営や集団づくりに、発達や特性の理解といった視点を持ち込めばよいのです。

週40時間の個別の早期療育でIQ値が向上したという報告もありますが、この形は、本来、学校教育に求める形ではないと思います。 ここを目指すなら、現実場面では、家庭や他の教育サービスとの連携を模索するのが、正解ではないでしょうか? 

このブログで書き込みをいただいた皆さんの中からも、学校では最も学校としての教育機能が有効に働く内容(小集団学習等)に焦点化したプログラムを、先生とともに構成した事例を紹介してもらっています。


発達面に課題のあるお子さんこそ、集団の中で伸びるんですよ。

そこには、その子の特性の理解・指導の工夫・場の構成、集団としてのモラルや方向感は不可欠です。 何の工夫もない、一斉指導の中に、ただいればいいというものでは、ありません。


私の知ってる先生は、通常学級の担任で、2人の発達面に課題のあるお子さんと一緒に教育実践を進められています。

様々な工夫と勉強をされ、行動面・学習面共に多くの手応えを感じるまでに至りました。

しかし、残念なことに、そこに要求はあっても、保護者の理解や支えがない・・

これでは、担任の心は痛みます。 私の目から見たら、通常学級でこれだけの成果をあげる力量のある先生は、100人に1人であるにもかかわららず、この保護者の方は、自らそれを遠ざけていく結果となっている。

我が子の特性の理解、特性に応じた指導・支援の工夫、学校教育の場では、そこに、集団のダイナミズムという視点を決して忘れてはなりません。


うまくいている学級でこそ、子どもは伸びるのです。

キーパーソンはもちろん担任で、そこを支えるのも保護者の大切な役目と知っておいてください。

たとえ対立的になっても、言わなければならない場合もあるでしょう。 しかし、学校とすべてが対立的になってしまうのは、いかがなものでしょうか?

学校と対等な関係で、相互に連携し合う姿を、私はパートナーシップと呼んでいます。 そこには、主体者として、しっかりとお子さんの育ちに向き合う保護者の姿勢が不可欠です。

批判と要求ばかり、丸投げ、何もしない・・

そんな先生も、そんな保護者もいないとは思いますが、これでは真っ先に子どもが痛んでしまいますよね。

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意味のない反復行動(こだわり行動)の改善方法  (ひらひら・ぐるぐる・べちょべちょ・ガタガタ・・)

 2008-10-21
先日、ある保育園へ行くと、水道の水を出しっぱなしにして、その水にいつまでも手をかざしているお子さんに出会いました。

内容は微妙に違いますが、これまでも、こうした行動の目立つお子さんには、たくさん出会ってきました。


こうした特に意味のない反復的な行動を、自己刺激行動と言います。 

私はできませんが、ボールペンを指先でぐるぐる何度も器用に回す人がいます。これも自己刺激行動です。貧乏揺すりなども自己刺激行動です。

自己刺激行動は、自分自身の内的な高まりをもたらすメカニズムで、誰にでもありえる行動です。


しかし、いつまでもそれをやり続けて、活動の流れに乗れないなどの問題が生じる場合は、適切なアプローチが必要になってきます。


他の人には全く無意味な行動であっても、自己刺激は、その子にとっては、脳内に内的な高まりを生じさせ、脳神経に快刺激をもたらす構造になっている場合が多いようです。

ですから、その行動が早く切り上げられるように、別の魅力ある活動を提示して、できたらほめる、このパターンにもっていくことが基本です。

もともと内的な高まりの獲得が目的ですから、強引に引き離したり、強い叱責をしたりすると、ますますもってその興奮度は高まり、よけいにややこしくなることの方が多いようです。


「ゆみちゃ-ん、次は大好きな絵本の時間だよ~。 早く来られるといいね。 先生待ってるよ、早く来てね~」


今回の水道の水のケースなら、水道の所にいくまでのセッティングで、事前にいくつかの工夫もできるでしょう。 水道を使う後の活動には、その子の大好きな絵本の活動を計画し、予告しておきましょう。 さっと手を洗って活動に参加できたら、たっぷりと抱きしめるなど、水道の自己刺激を上回るような教化子を、その子にたっぷりと与えるようにしてみましょう。

さらには、こうしたことがこの子の脳内に刺激を与えているのだとしたら、プールや水遊び、造形活動などで、合法的?に活動できる場を増やして、そのことを教化子に使う方法だってあるはずです。

デイリーの活動に乗りにくいお子さんほど、自己刺激行動は多く見られます。

こうした理解の仕方で、かなりの面が改善できるのではないかと、私は思っています。

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自閉症児のための ABA早期集中療育マニュアル (かれんちゃん・かれんママと一緒に取り組む第一歩)

 2008-10-20
かれんママに紹介してもらった  「自閉症児のためのABA・早期集中療育マニュアル つきみBOOK 藤坂龍司著」が、先日届きました。

私は、ABA(応用行動分析)のプロでもなければ、信者でもありません。

しかし、私がすばらしい先生だと尊敬する先生方の教育実践は、すべてこのABAの理論で説明できます。 先日、花子ちゃんのお母さんのいっしょに、音楽教室の先生にご相談に伺いましたが、この時も、このすばらしい活動をされている先生の、人間愛にあふれた活動も、すべてこのABAの理論で説明できると感じました。

だとしたら、自分の実践の基礎理論(軸足)は、ここに置くしかないと考えていました。


ところが、さすがに心理学ですから、論文となると難しすぎるので、これまでは同じ実践者の事例が書かれた本を何冊か手元に置いて、自分の実践を組み立ててきました。

ご自身が臨床心理士であるかれんママは、自分の子どもに応用行動分析の個別アプローチを早期に受けさせたい、その担い手として、私に期待したようです。

そのママが、これはすぐれたものです、と紹介してくださったものが、この本です。

ひとめ目を通して、これは来たな、と思いました。

この本一冊あれば、何度も図書館に行ったり、アマゾンで探したり、コストと労力を無駄にしなくて済みます。きっと手垢でボロボロになるまで読み込んで、自分のものにしていく営みが始まるような気がしています。


このマニュアルのベースとなっているのは、UCLAのロバーツ博士のEIBI(早期集中行動介入)の理論です。

早期(2~5歳)から、週40時間の1対1の介入を2年以上継続すると、実験グループ19人の平均IQが、62.7から83.3に向上しています。

私は、小学校1年生のお子さんを、特別支援学級で、マンツーマンで2年間指導した経験がありますが、この時も、知能検査を終えて学校に駆けつけたお父さんが、「先生、IQ値が信じられない位上がりました」を、高鳴る思いで、結果を伝えてきた日のことを思い出します。

IQ値、20位は上がりますよ。


かれんママが、あわてて私のところにやって来た気持ちも理解できます。 この気持ちを裏切るわけにはいかない・・・

かれんちゃんの指導は、来週から開始します。 モチベーションMAXです(笑) 

かれんママは、「論文書いてくださいよ」と言っていましたが、プレッシャーが楽しみに変わってきました。

この本の著者の藤巻さんの娘さんも自閉症なのだそうです。 研究者としてではなく、自閉症をもつ親としての熱い願いや思いが息づいています。

随時、経過はブログで報告するつもりです。 


かれんちゃんは、ダウン症です。 ABAのアプローチは、LDでもADHDでも、障害特性を問わず実施できます。 ご家庭でも取り入れられます。

皆さんの心に、少しでも希望の光が差し込んでいくような実践が報告できれば、こんなにうれしいことはありません。

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信じればこそ起こる奇跡 (子どもの育ちと共に起こるドラマ)

 2008-10-18
以前、私が特別支援学級で教えた子どもが、来年高校受験です。

今日の私があるのも、この子とこのご家族との出会いがあったからと、心から感謝しています。

夏に、高校進学のことで、お父さんにご相談を伺ったことがあります。お父さんは、「この子は、教科学習に意欲をもっている子どもで、ぜひともその気持ちを叶える高校に行かせてやりたい」と話していました。

しかし、その教科学習に対する熱意の裏返しで、学校でのテストや高校進学に対して、拒絶感をもつようになってしまったそうです。

「ぼくは、もう勉強しません 高校へは行きません 家に引きこもります・・」

きっと、勉強したいという強い気持ちが、逆にこうした言葉となって表面化してしまったのでしょう。


こうした事態を受け、ご家族はいくつかの方針を確認されました。その一つに、高校進学に対してのこの子への直接的なアプローチを止めて、しばらくはそっと見守る、という内容があったのです。

実は、お父さんが願っている高校の願書受付期間は、もうすぐそこに迫っていました。正直、私もそのことはあきらめかけていました。

そんなある日、私が別な用事でたまたま、その子と一緒に勉強した小学校におじゃますると、何と、そのお父さんが体育館の玄関の前で、私を待ってくださっているでは、ありませんか?

そのお父さんは、少し昂揚した表情で、私に語りかけてくれました。

「先生、息子が高校へ行くと言ってくれました」

「えっ、もしかして間に合った・・?」

「今日、高校へ息子といっしょに行って手続きをしました。 本当にギリギリ、今日が最後ぐらいです。 学校に行くと、息子は、「ぼくは、ここで勉強します」と言ってくれました・・」


私は、急に胸がいっぱいになり、目頭が熱くなってしまいました。

彼が希望した高校は、私もアシスタントティーチャーとして何度か通ったこともあり、この子の大きな可能性が伸ばせるかも知れない、という大きな期待を、持っていたのです。


今から9年前、この子が小学1年生で、卒業式の練習でパニックになってしまい、もう式に参加できなのではないかと危惧されたとき、私はこの子に、「ごめん、もういいよ、何があっても、先生は君の先生だから、いつもの君でいてくれたら、それでいいんだよ・・」と語ったことがあります。

この時、興奮して、鬼のようになっていたこの子の表情が、このひとつ言葉によって、さっと血の気が引いて、いつものやさしい顔になったことを、今でも鮮やかに思い出します。不思議なことに、それ以後、本番までパニックは起こりませんでした。卒業式が終わった後で、そのことを一番にご家族に伝えると、お母さんが電話口で声を詰まらせていたことも、忘れることはできません。

今、私とお父さんが立っている場所が、その時、私がその子に話した場所と、ちょうど同じ場所だったのです。

運命というか、奇跡というか・・・


昨日、ある音楽教室の先生のお話を伺う機会がありました。

その先生は、音楽活動を通して、命の大切さ・生きるすばらしさを育てる取り組みをされている先生です。重度の障害のある子も、何人も参加されています。

その先生の一言一言を聞いていて思ったことは、

「子どもを育てることの本質は一つ」

それは、その子を信じ、その子の存在を大切にし、その子の良さを見つけ、意欲を育み、それを認め、成長の喜びを共有すること・・

たった、それだけ・・

それは、このお父さんも、音楽教室も、卒業式も、応用行動分析の理論も、みんな同じ事なんだと思いました。

わざわざそのことを伝えるためだけに、体育館の前で待ってくださっていたお父さんの気持ちも、とってもうれしく思いました。

子どもを信じ 真心を込めて支えることで たったそれだけで 奇跡は起こる!

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かれんちゃんとかれんママ (ダウン症児の育ちと応用行動分析)

 2008-10-17
この度ご縁がありまして、かれんちゃん(3歳)が、新しいメンバーに加わることになりました。

わたしはもともと小学校の教員だったので、主に6歳から12歳までのお子さんを中心とした指導を、させていただいています。

まずはお話を、ということで、かれんちゃんとかれんママに教室に来ていただきましたが、びっくりすることがたくさんありました。


まずは、かれんママについてのことです。

かれんママは、私の知り合いの紹介ということでご相談を伺ったわけですが、まずは私がお世話になった大学院の同じ講座の出身ということでびっくり、その後ネットで調べると、臨床心理士さんで、おまけにダウン症ハンドブックをご自身で制作されてということで、またまた驚いてしまいました。


ご相談を伺う中で、どうしてこの教室を選んだかという理由は主に3つ。

一つは、集団の中での保育に加えて、早期から個別に、しかも定期的・継続的に指導を受ける場を構成したい

二つ目は、母ではできない、家族ではできない、専門家としての個別な指導の場を構成したい

そして三つ目は、応用行動分析の手法を、かれんちゃんの育ちや学びに生かしてもらいたい

というものであったように受け止めています。


かれんママは、研究者でもありますから、その場で指導の参考となりそうないろいろな情報をいただきました。

どっちが先生かわかりませんが、こういう形は、ある意味私が模索してきた主体的な保護者と学校・園とのパートナーシップに近いものだと受け止めています。子どもの育ちや学びを真ん中に置けば、保護者が主役となる場は、もっとあっていいと思います。


かれんママは、相談の中で、応用行動分析と言う言葉を何度も口にされました。

きっと、このことが決め手となったのだと思います。

私は、研究として応用行動分析に取り組んだことはありません。 しかし、自分の指導を構成していく中で、この応用行動分析の論理と手法を生かすことが、結果として、子どものやる気・達成感・自己イメージの向上につながることを確信するようになりました。

3歳の子に応用行動分析? 正直、最初はちょっと戸惑いましたが、少しずつイメージがわいてくるようになってきました。

論文を書くのなら大変ですが、実践に生かすなら、研究者でなくても気軽に活用できるのが、この応用行動分析のよい所だと思います。

ならば臨床実践者の一人として、保護者ご家族に近い視点で、この実践を世に公開して行こう!という気持ちが強くなってきました。

これからのかれんちゃんとの歩みが、きっと私の幅を広げ、他の子の指導の組み立てにもプラスに働くことは疑いのないことです。 何だか、だんだん楽しみになってきました。


かれんちゃんの誕生日は? とお尋ねすると、何と3月28日で、私と同じではありませんか?

これきっと運命の出会いですよね。 巡る因果の糸車・・・

またひとつ、私にとって大切な出会いとなりました。


お母さんは、ダウン症の子どもに対する、今の教育の流れについての不安を感じていました。

何か私でできることがあれば、こうしたことに対するお手伝いもさせていただければと思っています。

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発達面に課題のある子をもつ保護者の 中学校との連携 (双子の母さんの実践事例より)

 2008-10-16
今日は、10/15の双子の母さんのコメントから、保護者としての、中学校との連携のあり方を見つめてみようと思います。

文脈の中でのコメントですので、少しだけ語句を省略したり、つけたしたりしましたが、内容は以下の通りです。




学校教育の場でこその学びとは何か? を、この数年ずっと考えています。

子供の一人が特別支援級に移籍し、4教科は普通級、支援級で1対2で5教科の取り出し授業を受けています。(同級生1人の2人しかいない支援級です)その時間数やおおまかな内容については担任はきちんと希望を聞く機会を設定し、その後もことこまかに話し合いをしています。


ドリルにかんしては「自宅課題」とし、学校では複数だからこそできる「討論」「相互意見交換」ができる「共通教材」を使っています。

「国語の森」的な読解や単位・正負の数などの算数基礎概念を実地をつみながら行っています。理科は実験をくみ、準備・実施・レポート作成・片付け等の一連の流れを学ぶ、社会は時事問題をからめながら地球儀を用いて世界地理を学ぶ等々「作業」「知識」「SST]「実行力」等々の複合的要素の授業内容かなと感じています。
英語も会話、基本的な単語の読み書きも含め、PCのローマ字入力等の作業などです。(将来の職種拡大も含め、親の希望もあり1年から情報の授業も組み込みPCを日常使わせていただいています。)

支援級だからこそできることだとは思いますが、将来を考えたとき、二人の生徒に今何が足りない部分で必要で、長所で何が伸ばせるかよくかんがえてくださっていると思います。

軽度2人のみのクラスで、今までの支援級の経験とも随分違うようでお互い試行錯誤の毎日です。ときには多少、「それは違うでしょう」と思うこともたくさんありますが、子供は非常に伸びました。

IEPや個別指導計画書は実は作成していません。当初に親のアセスメントシートを提出してあり、小学校からの書面もあって「大まか基本路線」だけ設定し「自由な発想、臨機応変」で行ってもらっています。最終的には書面作成はしますが、能力、センスの高い支援者(親・教師)間で「相互理解」がきちんとできれば「書面」は最初になくてもいいのかなと思っています。

この自由なかつ十分な支援を「普通級」でもと思うのですが、現実には厳しいです。支援級でも来年度新入生が入れば形も変化するでしょう。
ただ、「普通の中学」で「普通の先生」たちでこれだけのことができることも事実ですので、今後も連携してがんばりたいです。

中1の今からサポート校、養護学校、高等養護、技術連携校はじめ、将来を見通した高校進路の情報や見学に先生自らも動いてくださる担任です。
親の考え、親の情報も真摯に耳を傾けてくださり、そうした先生が一人でも増えてくれるといいなあと思います。


「軽度~重度も含めた障害児教育の経験や地域での強み」を担任が生かし、
親の専売特許でもある「わが子に特化した先進的な情報や療育のあり方への取り組み」を親が親の会や書籍、専門機関との相談を重ねて学校へ提案している、そんな感じです。

支援級ですので「体力作り」や「作業」の時間も週4時間程度ありますが、その際にも「ルールを学ぶ卓球等ゲーム主体に」や「作業工程表を自分で記載する票」など工夫をされています。週2回の支援級で過ごす昼休みには「トランプ」等をしてSSTの一環として取り組みをしていますが、カードをきる、配るの様子で「手先の器用さ」や家庭での「ゲーム」への取り組みを推察してくれるような担任です。


PCも積極的に使われていますが、支援級での行事の感想文をPCに「ローマ字入力」「ひらがな入力」の両方でさせたり、計算ドリルもわが子は得意のため、待ち時間に電卓で確認させ丸付けをする。それでも時間があれば相手のお子さんのこたえあわせ役をする等々「支援級ならではの将来へのアドヴァンテージ(PC,電卓使用能力等)」を自然な形で行われています。

一番信頼できたのは「本人の特性を本能的に的確に判断」されていたことです。そして、強みを先行させ伸ばし、その後弱点補強をする形にするという点が親・学校間で無言のうちに一致していることでした。

おかげで子供の興味の幅がどんどん広がっていて、その成長に目を見張ります。支援級の二人は部活動も普通にこなしています。それを自然にできるのは学校全体の支える姿勢だと思っています。

「相互連携」(家庭、学校、専門機関)としてはまだ黎明期で手探りですが、お互いが好意をもって信頼してなんとか進めていけている状態です。

なんだか、まとまりない長文になってしまいましたが
中学での支援の具体例は意外にありません。
お役に立てれば幸いです。

最後に、こうした子供を本当に伸ばすには「個別支援対応」はやはり必要だと思います。普通級では人手がありません。中間的な「リソースルーム」が形でなく、理想的なプログラム実行可能な場所として欲しいと切に思います。


子供の目は正直です。
移籍を決めたのは子供です。
同級生が全交流で同じクラスで指導してもらう様子をみて
その担任に自分が指導してもらいたかったからです。

移籍による気持の変化もありましたが
それを支え、前向きな気持を維持させたのも担任への信頼感だったからです。

子供の信頼感は先生のやる気も奮起させている気がします。




私はこのブログを通して、子どもの幸せと成長のための、学校・園と保護者のあるべき姿を見つめていきたいと考えていました。

こうして、双子のママさんから一つの具体的な形を示していただき、ブログを始めて本当に良かったと感じました。


参考になるかどうかわかりませんが、私が双子の母さんの実践から学んだことは以下の通りです。

① 学校・園での学や育ちは、本質的に集団としての学びや育ちであり、その機能を生かした場を大切にする。

② 時間は限られているので、将来の自立や社会参加に目を向け、内容を吟味・焦点化したプログラムを構成していく。

③ 短所矯正ではなく、長所活用型の指導スタイルを構成していく。苦手な部分については、マルチセンソリーな方法で、アプローチを積み重ねていく。

④ 保護者は、自分の子どもの特性を理解し、それを整理して学校に伝える。(アセスメントシートなどの作成) 保護者と学校・園とで指導・支援の方向性を確認し、情報交換をしながら、弾力的にフレキシブルに対応する。

⑤ 家庭で出来ることについては、可能な限り保護者が積極的に取り組む。学校・園は学校・園として、もっとも専門性が発揮できる部分に焦点を当てて取り組む。

⑥ 子どもの成長や変化にかかわる情報を共有し、価値を適切に評価することにより、相互の信頼を深める。

⑦ 子ども自身の主体性・意欲・願いを中心に置いた学びや育ちの場を構成し、内発性の喚起と自己イメージの向上を図る。

双子の母さん、貴重なコメント、どうもありがとうございました。 きっと、多くの方の指針となることでしょう。

子どもにとって大切なことを 焦点化していく家族の営み

 2008-10-15
当然のことですが、子どもが幸せに生きていくためには、ご家族の支えは不可欠です。

特に、発達面に課題のあるお子さんについては、その子の良さや価値を育んでいくご家族の営みが重要になっていきます。

学校教育の中で過ごす期間は、限られています。ただいろいろな体験を重ねるだけでよいのなら、それでもいいのですが、少しでも力を付けたい、能力を伸ばしたい、可能性を追求したいと願うなら、大切なことを焦点化していないと、方向感を失い、何をやっているのかわからなくなってしまうことになりかねません。

例えば、知識の記憶についても、生活場面での関連性の薄い内容は、当然繰り返しの刺激も少なく、脳内ではそれを消去する物質の分泌によって、こうしたものは消去・整理されてしまうメカニズムになっています。

きれいさっぱりお返しいただいて、あの努力は何だだろうという経験は、誰にだってありますよね。

エビングハウス忘却曲線というのをご存じの方も多いと思いますが、適度な繰り返しは、記憶の保持に大きな役割を果たします。

とすれば、この子のストレングス(長所)を育てる営みに関連づけて、知識を獲得していく営みであれば、記憶の保持も自然に容易になっていくわけです。


学校には教育課程があり、教科書があり、指導計画があり、全国ほとんど似たようなことが行われていますが、一定の基準やねらいをしっかり押さえた上で、本来は学校独自で創意工夫して作成するのがあるべき姿です。

みんな同じ金太郎飴、毎日同じのお任せ定食でよいわけはありませんよね。

文科省も厚労省も、個別の計画や縦糸を通す引き継ぎの重要性を唱え、それらしい予算をつけていますが、私の知っている保護者の方が、就学以外の場面で、こうした計画に参画したという話を一度も聞いたことがありません。

アメリカでは、IEP(個別教育計画)というものがあり、保護者との契約という形で、教育計画が作成されると聞いています。(実際に見たわけではありませんが・・)

何も形式的な、手間のかかる書類を作成しようというのではありません。 まずは、イメージや願いをもつことが、私はとても重要だと考えています。

積んでは崩し、積んでは崩し・・・まるで賽の河原のようなことを何度も繰り返すのではなく、ぱっと見はさえなくても、今後に生きて働くファンダメンタルな内容を、時間をかけてでもじっくりと育てていくような取り組みの方が、結果、正解だと思います。

私がここをするのにも、保護者への説明・理解・協力は不可欠です。

例えば、すごろく遊びを通して、私はルールの理解やゲームの楽しさを伝えたり、100までの数に親しませたり、会話やコミュニケーションの充実をはかったりしたいと考えています。実際、かなりの手応えを感じています。私とでないとできない、とても意味のある活動だと思っています。

「こんな遊びじゃなくて、ドリルをさせてほしい」 と、保護者の方に言われたら、続けることさえできません。

どんな子に育てていきましょうか? そこの話し合いの時間があればこそ、このすごろく遊びは、意味をもつのだと思っています。(もちろんすごろく遊びは10分もかかりません・・他の学習もしています)

その子にあった豊かな人生のあり方を探すのは、決して簡単なことではありません。 しかし、それが見えてくれば、なすべきことも焦点化されてきます。

特別支援教育を実のあるものにしていくには、保護者の参画が不可欠であると、私は考えています。
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特別支援学級を選択した場合に 親としてすべきこと・できること

 2008-10-14
私はこれまで、特別支援学級の入級に際して、いろいろなケースを見てきました。

この先生にぜひ指導をお願いしたいと学区外の学校に希望を出したけれど、叶わなかったケースもあれば、保護者の方の懸命な訴えに校長が応え、新しく特別支援学級を創設し、保護者のご希望に叶った先生が担任となったケースも知っています。

通常学級から特別支援学級に3年行き、また通常学級に戻った子もいました。

また、場合によっては、特別支援学級に入級はしたけれど、自分のイメージしていた教育内容とは違い、こんなことなら通常学級にいた方が良かったと言われるケースも知っています。


同じ特別支援学級でも、学校によって、あるいは先生によって、その内容は千差万別です。 言語面の指導が得意な先生もいれば、豊かな体験を通して社会性を育てることを第一に考えて取り組んでいる先生もいます。

だから、特別支援学級の先生に、そのすべてを丸投げするのは酷な話です。

では、親としては何ができるか、何をすべきか、方法は2つあると思います。

一つは自分ができることを子どもにしていく。 もう一つは、学校以外に子どもにふさわしい環境を見つけ、それを実現させることです。

例えば、学校が知的な学習に重点を置いた指導をしているのであれば、地域や家庭で、子どもの心を育む豊かな体験の場を構成していけばよいのではないでしょうか? スポーツや芸術、その子が一番好きなことで、5年以上継続的に指導してくれる先生の存在は、きっと子どもの心の大きな活力になり、自己イメージが向上する営みとなることでしょう。

探せば、求めれば、不思議なことに、運命の出会いって、きっとあります。


このブログにコメントくださったごまたろうさんは、学校に個別指導の先生をお願いして、それを実現しただけでなく、お子さんの認知特性をその個別指導の先生に理解してもらい、その指導方法まで伝えたということですから、たいしたものです。

こういうことはできなくても、今ではお子さんの特性に応じた指導をする塾もたくさんできていますから、そう言う場を選択するのも、家庭の大切な働きの一つではないでしょうか?

時々、学校・園と保護者で、「こうしてください」「それは無理です」という構図になってしますことがあります。 でも、親としてはこういうことで努力しています。だから、園では、学校では、こういうところに重点を置いていただけるという形なら、かなり改善されるのではないでしょうか?

また、学校もあれもこれも全部ということではなくて、まずここをしっかりやります、だから、保護者の方には理解とご協力をという形にしていくことが大切かと考えます。 そこのしっかりやります、を明確にして結果を出せば、保護者との信頼感も連携もずっとやりさすくなっていくのでは、ないでしょうか?

こうした具体レベル・臨床レベルでの、内容的な保護者・地域・学校園連携が、今、必要となっているような気がします。

私は、こうした形こそ、パートナーシップと呼ぶにふさわしいものだと思っています。

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視覚優位のお子さんの ひらがなと言葉の発達のために (書店で購入できる安価なおすすめ教材)

 2008-10-13
今日紹介したいのは、「声に出したい言葉がいっぱい 学研のことばかるた」 950円というものです。

いちご


がちょう

私は、可能な限り、子どものニーズにあったタイムリーな指導をしていきたいと考えていたので、あまり市販のものは使わず、手作りのオリジナル教材を使用してきました。 

花子ちゃんの読解指導のときは、教科書の巻末にある「黄色のバケツ」というお話を自分なりに教材化し、花子ちゃんのもっている優れた力を見い出すことができました。

そのすばらしさを花子ちゃんにもご家族の皆さんにも知ってもらうにはどうしたらよいかと考え、標準化された学研「国語の森 物語文に強くなる」を購入し、クリーンヒットを放ちました。


こうしたことが、太郎君の言語の発達にも生かせないかという発想で、いつも行く岡山の丸善で見つけたのが、このかるたです。

こういうものは、当たり外れが大きく、買っても全然使えず、お蔵入りの物も多くあります。

さっそく太郎君の指導に使用してみました。

いやー、これの食いつきは抜群でしたね。  市販の物の中では、太郎君最大のヒットかも知れません。 (もちろんレディネス=学びの欲求・タイミングに合っていたということもありますが・・)

まずもって、ご覧の通り、イラストがわかりやすく視覚優位のおこさんにぴったりです。それに読み札の文字の語呂ががよく、リズミカルで聞きやすく覚えやすいです。

また、清音・濁音・半濁音など枚数も豊富です。 おまけにカードの裏には、筆順まで掲載されています。 これで950円はお買い得です。

何よりも太郎君のモチベーションがポンと上がったので、これを使うと計画的に、系統的に楽しく学習が進められそうです。


先日ミカさんがブログで紹介していた「ことばつかいかた絵じてん」も、いっしょに購入しました。

こうした教材は、実態に合ってなければ、ゴミ同然です。 この教材選びこそ、実は育てたい目標と子どもの実態の精度がもっとも試される場面です。

自分で多少なりともお子さんの学びに向き合っていれば、わーこれは良い本だ、とその値打ちに気がつくことが出来るのです。

950円のこのかるた、私と太郎君には、なくてはならない宝物です。(関心のある方は、右の「愛読書」のコーナーからどうぞ」

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行動の改善を目指した 長所活用型のアプローチ

 2008-10-12
行動面で支援が必要なお子さんの場合、理解とアプローチの計画性がない場合には、ほっておくと、自然、短所矯正のかかわりになってしまいます。

とにかく短所のところばかり目立って、何かあったら、いちいち注意ばっかりするようになります。

こうなるともう、いつもそういう目でその子を見るようになり、子どもの見方がフェアでなくなり、そのことにより自己イメージが低下し、不適応行動が増えていきます。

行動面でのデススパイラルに陥るわけです。


こう指摘すると、じゃあ一切注意はできないのか? と、感じる方がいるかもしrませんが、そういうことではありません。

自分のスタイルに、長所活用のスタンスを取り入れたほうが、結果、うまく行きますよ、と申し上げたいのです。

短所矯正は、即効性はあっても、本質的には育てる営みではありません。


何か気になる行動があったら、注意しなければいけないことも多いですが、その一方で、どうやったらプラス回転でほめる展開に持ち込めるか、そこを攻める発想と計画性を大切にしてほしいと思うのです。

可能であれば、そこをあえてスルーして、次回に備えることできませんか?

多少の分析や仮説みたいなものが必要だと思いますが、作戦を考えて攻める営みには、育てるという魅力と可能性があります。

そして何より、長期的に見ると、子どもの自己イメージの向上が、行動改善のための決定的な要素になると考えています。


お母さんにも、それぞれの先生方にもスタイルというものがあります。 それは長年かけて培ったものですから、それこそ自分の短所を矯正しようとするのではなくて、自分のスタイルにこの発想を取り入れてほしいと思うのです。

お子さんの行動面で、心を痛めることも多いのではないかと思います。 でも、そこをあえてポジティブに攻める明るさと元気を取り戻してほしいと願っています。

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特別支援教育の過渡期に 保護者としてすべきこと

 2008-10-11
英語教育の推進ということもあって、外国の方が学校現場に来られる機会が多くなってきました。

私が小学校で教務や生徒指導をしていたころには、そうした先生方と職員室でいっしょに給食を食べる機会も多かったので、外国の方に、よく日本の小学校についての感想を尋ねたりしていました。

その中で印象に残っているのが、「日本の学校は、何でもかんでもやっていて、肝心な勉強時間が少ない」というものでした。

私は教育課程を編成し、直接学校行事の時数や授業時数をチェックする役どころでしたので、その指摘の意味がよくわかっていました。

4月から、家庭訪問、参観日、遠足、山の学校、プール開き、運動会、修学旅行、学習発表会・・・、それでいて何かの研究会、そして生徒指導等々、気が狂うようなめまぐるしさです。

授業時数は、私がチェックしていましたが、名目の時数でさえ、ぎりぎりいっぱいでした。

しかし、これすらもあやしい。 というのが、研究授業で他の学級に行ったり、どこかの研究授業に行ったりして、いわゆる自習で算数プリントをすれば、それでしっかり算数とカウントする。

それでもそれはまだ良い方で、何か学級でトラブルがあったり、1年生を迎える会の出し物の練習を、算数の時間にしたら、それは算数の授業としてカウントされてしまいます。こうしないと、名目の時数でさえ、確保できない現実がそこにあったからです。


かつて土曜日にも学校があったころは、余裕時数というのがかなりあったし、先ほどの1年生を迎える会の準備などは、土曜日の放課後に、何人かの子を学校に集めて、楽しくやったもんです。

そのころは、算数の啓林館のむずかしい問題集を教科指導と別にやらせたり、放課後に課外授業で今の学習塾がやっているような発展的な指導をしたこともありました。

受験に出るようなハードな問題に、どんどん食いついて来る子も、公立でも普通にいました。

それに、土曜日の午後は、昼食を一緒に取りながら、職員間で次週の教材の研究や行事の準備をいっしょにしたものでした。 気になる子どもの連絡も、こうした時間が有効に利用できていました。

もともと、日本の学校教育の文化は、こうした週6日制のシステムの上に成り立っていたのです。

これがあるから、日本独自の豊かな学校行事を、教育課程の中に織りなすことが出来たわけです。


週5日制になって、学校行事の大胆な精選が行われました。 土曜日は、地域で子どもを育てよう。 主体的な学びを形成しよう。 と様々な取り組みがされました。

そのことにより、今までの日本にはない、すばらしい・新しい取り組みも数多くなされました。

しかし今、学校が本来持つ学びの場の構成が、かなり危うくなっているのは事実です。


欧米の優れた理念も各種プログラムも、それぞれの文化や教育システムの中で機能しているわけです。

欧米の学校には、学校行事や特別活動はさほどありませんよね。 欧米では、そうしたことは社会や地域や家庭で育てる文化がそこにあるからです。

学校で「大掃除」の時間があるよ、といったら、外国の先生は、「それは本当に学校で必要なこと?」と言っていました。


こうした中で「特別支援教育」という名前で、日本型のインクルージョンが進められようとしています。

取り組みはまだ始まったばかりで、細かい面でいろいろな解決すべき問題が生じてきています。

学校にはまだ、週6日制の時と同じような文化が多く残っています。 精選と言いながら、授業時数さえも、確保しにくいのはその名残と言えます。

学校での学びの機会の充実は、誰もが認める最優先の課題です。

方向としては、学校では学びを第一に、そして人間形成や豊かな体験は、学校以外の機関が家庭と連携して充実していく、そういう方向しかありません。


じゃあ一体、そうした過渡期にいる私たちは、何をしたらいいのでしょうか?

① 学校には学力向上の場としての機能の復活をお願いし、子どもの特性を伝え、保護者としてのサポートを充実させる

② 家庭では、学力以外の部分について、社会教育の利用も含めて、可能な限り自己責任で構成していく

私は、そんな風に考えているのです。 このままでは、学校はパンクしてしまいます。

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学習不振を病理化すること罪 (ドイツのズボドレッツ教授の指摘から)

 2008-10-09
みなさんは発達障害という言葉、それに障害児という言葉にどんなイメージをもっていますか?

私が指導を受けた岡山大学の佐藤暁教授は、「困り感」という言葉で、世の中に大切なことを示唆されましたが、こっちの言葉の方が正解だと思いませんか?

本当は下手くそな指導?、あるいは指導者の無理解が原因であるかもしれないのに、一方的にそれを子どもの障害(病理)のせいにすりかえられたことはありませんか?

少なくても教育は相互作用です。 これでは、いたたまれませんよね。

昨日、窪島務さんの「読み書きの苦手を克服する子どもたち」(文理閣)を読んでいると、医療と教育とのかかわりについて、次のような一節に出会いました。




ドイツ マクシミリアン大学児童青年精神医学研究所教授ズボドレッツ教授の指摘

 読み書き障害の医学的概念にたいする批判

1 学力不振を病理化している
2 情報処理の個々の段階へ還元することによって複雑な連関を不当に単純化している。
3 疑わしい治療技法による治療ブームのきっかけを作った。
4 もともとにある文字言語の獲得に対する援助を切り離した。
5 はじめから不十分な治療の提供しかしていない。



こうしてみるとかなり過激な主張で、鵜呑みにはできないと私は思いますが、しかし医学的概念(=診断)を絶対的のものとしてとらえることの危険性について、考えさせられますよね。

医療機関は、診断はできても、クスリの投与はできても、お医者が子どもの学力を育てる教育的な営みを保障してくださるわけではないのです。

これも、窪島さんの本にかいてあったことですが、「外的作用は内的条件を通して屈折的に作用する」(ルビンシュテインの発達の一般理論)と言われるように、どんなアプローチも、結局は、子どもの心を通して反映されていくのです。

私は、自己イメージの向上、と言う言葉をよく使いますが、こうした病理的なとらえが、そこにダメージを与えることになりませんか?

こうした病理的(ネガティブ)なとらえ方ではなく、どう育てていくかという建設的(ポジティブ)なとらえの方が、結果として子どもによい結果をもたらすに決まっています。

指導がうまくいかないとき、それを病理のせいにしてしまえば、そこで教育の機能は低下してしまいます。


医療と教育の連携は大切だと思いますが、教育の専門家は誰なのか? そこの誇りと専門性を投げ出すようなことになってはならないと思います。

少しずつではあっても、子どものやる気や達成感を育む営みこそが、一番重要だと思います。

苦しくても、大変でも、困難があっても、この子を育てたいという情熱があるからこそ、教育は、何よりも尊い営みとなりえるし、相互の信頼がそこに芽生えるのです。


子どもを育てるのは、教育の仕事です。 そこの温度が命だと、私は考えています。

視覚認知の支援で 書字のスキルアップをはかる

 2008-10-08
小学校の漢字の配当は、教材の内容に準じて行われています。

もちろん、低学年の時に、画数の多い難解な漢字がいきなり配当されることはありませんが、例えば認知特性を考慮して、系統的に配当されているかというと、それは全然違うわけです。

昭文社というところが出している、壁にはるタイプの学年別の漢字の表があります。

私が買ってきて、花子ちゃんの部屋に貼ってもらっていますが、この表は、その学年で習う漢字を、にんべんならにんべんで整理して、画数の少ない順、関連のあるもの順に整理して構成しています。

例えば「休」の次に「体」を習うと、わかりやすくないですか?

英単語習うときだって、派生語といって、invennt(発明する) invention(発明)なんて関連付けることによって、理解もしやすくなるし、構造的にとらえることもできます。


花子ちゃんの場合、「大」という字はちゃんと書けるのに、「太」という字は、何度やってもカタカナの「オ」のような文字を書いていました。

ところが、自作の漢字カードを使って「大」という字を練習して、次に「太」という文字を練習する時、「大を先に書いてごらん。その後、ここに点を打つんだよ。そうしたら、太のできあがり!」と教えると、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔になりました。 やっぱり、まったく違う風にとらえていたんですね。

ここを理解した後、「太」を書かすと、あら不思議。 今まであれだけ苦労していた「太」の書字が、いっぺんに正しいものに変身していました。

ほれ、ここに点をうつと何に変身するかな? ほら今度は「犬」になった、と言うと、今度はおもいっきりの笑顔になって、キャキャッと笑い出しました。

漢字に対するイメージが変わっちゃった笑いです。

つまりは、漢字を構造的に系統化することにより、視覚認知を容易にし、そのことで書字が正確に書けるようになってきた訳です。

ただ単純に単調ななぞりプリントを繰り返しさせる短所矯正型の指導しかできないのではなく、こういう発想で工夫したり組み立てると、子どもは水を得た魚のように生き生きと学習をするようになることだってあるのです。

一人一人の特性は違うので、この指導は花子ちゃんには有効ですが、太郎君に効果的であるかどうかは、わからないのです。

ここの特性に添った教育を実施する実践力の充実が、これからの特別支援教育に求められることではないかと思っています

どちらがいいかその場所を考えることも大事ですが、それよりも、その子に応じた教育をどう展開していくか、その中身を充実させることが一番なのではないでしょうか?

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子どもの育ちと学びのリソース (就学に向けて上手に資源を活用していく姿勢)

 2008-10-07
来年度入学・進学を控えたご家庭では、就学のことについて、かなり具体的な段階に差し掛かっていることだと思います。

きのうカナダ出身の英語の先生と、少し日本の教育システムのことについて立ち話をする機会がありました。

私の英語力はビギナーレベルなので、もしかしたら大きな勘違いをしているかもしれませんが、こと特殊教育の分野については、カナダと比べてもかなり遅れているような気がしました。

子どものニーズにあったプログラムを実施できる機関を見つけるのは、容易なことではありません。

志をもってアメリカに行き、大学院でABAを学んで帰っても、日本の教育現場で受け入れられない人もいるんです、と伝えたら、それはわかる、と彼は答えていました。


私は公立小学校に長くいましたし、日本の初等教育に誇りをもっていましたが、確かに柔軟性という点からは、どうかなと思う面が山ほどありました。

既定路線を充実していくのにはよいですが、変革には向かない構造になっています。

予算・人事など、校長の権限も限定的です。 


私の保育園は、私立認可保育園ですが、その辺はかなり思い切ったことができます。

例えば、先ほどのカナダの先生も、毎週月曜日には、半日子どもたちのレッスンに来てくれます。毎回、プロとしてのすばらしいレッスンをしてくれます。公立の小学校の時には、英語教育の推進という割りには、ネイティブの先生はたまに来る程度でした。

我が保育園のウリである音体指導は、これぞと思う先生を定期的に大阪から岡山まで呼んで、子どもそして先生もみっちり指導を受けます。

硬筆やプール指導も、専任の外部講師を招いて指導を受けます。


地域の公立小学校の校長先生が来たとき、「どこにそんなお金があるのですか?」と質問されましたが、答えは簡単です。

例えば、公立で30人の職員がする内容の仕事があったら、それを全職員で分担し、効率化・システム化を図れば29人の職員ですることは可能です。

とすれば、年間何百万円というコストが削減できます。 それだけあったら、外部講師を招いても十分採算がとれるし、何よりも、経営の命である保育の質の向上に、有効に活用できます。 こうした外部資源を利用することで、結果的には、職員の連携や士気の向上→レベルアップという目に見えない効果も生まれます。

しかし、公立小学校の校長が、こういう事をするのは、構造的にかなりむずかしいのではないでしょうか?


昨日、親しくしているお墓屋さんにいろいろお話を伺いました。 人の弱みにつけ込んだ霊感悪徳業者のリアルな事実を聞きました。(このお墓屋さんは優良石材店です)

特別支援業界にも、すこしずつではありますが、民間も参入してきました。

先日ミカさんから、交通費を数家族で負担して、東京から北海道に指導に来る言語聴覚士の先生の先生の情報を教えてもらいましたが、こういう工夫もあります。

逆に、大きい声では言えませんが、どう考えても悪徳っぽい先生の情報も耳に入ってきます。


当然、時間的・経済的な制約があります。

限られた中で、公立以外の教育的なリソース(資源)はないか、もう一度調べてみることも大切ではないでしょうか? 大学の附属の発達支援センターなどもあるかも知れません。

一般の小学校ではできない、自分の子にあった価値のあるサービスを提供している所があるかも知れません。

それによって、就学自体のあり方が、大きく変わった事例もあるわけです。

悪徳業者にだまされてはいけませんが、さまざまな可能性を探ることも、就学にかかわる保護者の自己決定の、ひとつの重要な要素になると思います。



卒業後の人生を見つめる

 2008-10-06
ちょっとうれしいニュースを聞きました。


うちの保育園を卒園し、今、施設で農作物を作ってる子のことを先日紹介しましたが、その子がしいたけの品評会で、県の代表となり、全国大会で上位入賞を果たしたそうです。

障害者としての枠ではなく、一般の栽培農家の方と競っての受賞ということで、それは見事なものです。 

ご家族の方をはじめ、きっと多くの方に、喜びと幸せをもたらしたことでしょう。


これこそ、短所矯正ではなく、長所活用型の生き方の典型ではないでしょうか?


苦手な部分についての理解や認識も時には大切です。 ただ、なぜかそこばかりに目が向き、自己イメージややる気が、どんどん低下することは多いです。

これは、私自身の反省でもありますが、あせってとりくむと、結果として失敗体験を与えることになり、長い目で見ると逆効果になることの方が多いように思います。

ここを見据える計画性というか、大局観はもちたいものです。


方向性をしっかりさせることで、流れを集約することはできます。 たとえすべてのことができなくても、自分が生きていく社会の中での力を、重点的に育てていくことができたらなら、課題の多くは克服できる。

教育の果たす役割も、こういうところにあるべきです。

適切な理解と支援にがあれば、問題が問題でなくなることは、いっぱいあります。

問題が軽減されれば、障害が障害でなくなる、という見方もできますよね。


得意なことを伸ばし、やる気と自己イメージを向上させながら、少しずつ課題点を克服していく、そういうやり方が正解なのではないでしょうか?


これは、自分自身にも言えることでもあるし、すべての人に大切なことだと思います。


人と比べるのではなく、自分らしさを生かして、希望をもって明るく生きる。

私も負けないように、ブログと今の活動、ずっと続けなきゃいけませんね。  





言葉の発達に向けて 保護者ができること

 2008-10-05
最近、表出言語が爆発している子、2人に出会いました。

私は言語の専門家ではありませんが、2人の子の共通項を見つめると、そこに何か大切なことが見えてくるような気がしています。


どちらのケースも、言語の教室に月1~2回通うようになってからのできごとでした。 

何年も教室に通っても、まだまだった効果がないケースもありますが、これぐらいの取り組みでしたら、経済的にも、時間的にも、親としてお子さんのためにしてあげられる範囲なのではないかと思います。


次に、聴いてもらえる環境、子ども同士が自然にコミュニケートできる環境が整ったことです。

そこでは、いっしょうけんめい言葉を使っているその子の姿がありました。

私が内容を理解できるのは、その半分以下ですが、そこにいる子はほとんど違和感なく受け答えができています。 反対に、その子に今日初めて会ったような人は、私よりかなり聞き取りの感度は落ちています。

多少不明瞭であっても、意味が通じていれば、どんどん会話は活発になり、話す側も聞く側もスキルアップしていきます。

習うより慣れろ、は言語習得の基本ですよね。

言葉の環境から見て、実際に多くの時間を過ごしている場所はどこでしょう? そこの自然で楽しい会話ができるということが、とても大きな意味をもっているのではないかと、私は感じました。


最後は、本人の自己イメージの向上です。

目の輝きが変わってきました。 活発になってきた分、やんちゃになったり、注意を受けることも多少増えましたが、その分生き生きと活動しています。

言葉とこうした行動は、きっと相補的な関係にあるのだと考えられます。

自己イメージの向上が、言語の発達とも深く関わっている事を示す事例の一つだと思われます。


このことは、何も言語だけに言えることではありません。

計算だって、漢字だって、本読みだって、本当は同じメカニズムなわけです。


下手でもいい、失敗してもいい、ありのままの自分を受け入れてもらいながら、楽しんで続けて活動や学習に取り組める、そして手ごたえを感じる・・

長所活用型、行動レパートリーの拡充、ABAの基本的なパターンと一致します。


環境は、子どもでは選べません。 だからそこが親の仕事になるわけです。

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特別支援教育の光と影 (当たって欲しくない いくつかの危惧)

 2008-10-04
教育界において、ここ数年の特別支援教育にかかわる発展は、目をみはるものがあります。

その勢いが急激であればあれほど、一方で陥りやすいいくつかの危惧があるのも事実です。


まずは、財政的な危惧です。 教育にかかわる財源も、だんだんと地方に移譲されて行く中で、どこまで特別支援だけに厚く予算が配当されていけるかどうか、はなはだ不安です。

まだ枠だけしかできていない特別支援のハシゴを、財政的な理由でとりはずされたらなら、一体どうなってしまうのでしょうか? この不安は、だんだん現実的なものになっていきています。


内容面についての危惧もあります。

ここ何年かで、PDD・LD・AD/HDなど発達障害の特性理解は格段に進歩しました。

しかし、それを指摘することはできても、個々のケースで、具体的な指導方法を確立するだけの力量をもった先生も、環境も、残念なことですが、まだとても十分であるとは言えません。


例えば、情緒の特別支援学級に8名いて、そこに先生が1人いて、1日5時間の授業と校務。 これで、個々の認知特性に添った個別のプログラム・・?

レベルの問題もあるとは、思いますが、少なくとも私くらいの力量の者では、無理です。 例えば、今私がやっているレベルの個別指導を、毎日1時間、8人にするとしたら、きっと過労で1週間で倒れてしまいます。

ましてや、他の子と一日一緒に学習するわけです。 つまり個別指導の時間はほとんどなしで、それぞれの特性に応じた学習を、ということになってしまうわけです。

もちろん、学校は集団での学びの場です。 子どもは集団の中から、大切なことをたくさん学んでいきます。

しかし、行き届いた個別指導の時間がないのであれば、通常学級で学ばせたい、と考える保護者も多いはずです。

子どもの特性理解が裏目に出て、保護者の特別支援に対する期待が空中分解し、相互の不信感だけが残り、行き場のない子どもが取り残される・・・

何のための特別支援? 特別支援って何なわけ? こんなのない昔の方が、よっぽどよかった・・

あってはならないはずのシナリオです。


言い方は適切ではありませんが、特別支援バブルというような余りにも急激な変化には、何らかの揺り戻しがあるのではないかと思っています。

そして、多くのものは淘汰され、大切なことだけが残っていく。

そこで学び、そこで生きていく子どもを守り支えていくことが、私たちの大切な役目なのです。

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場を構成することにより 障害を個性に変える (学びの場を構成する親の責任) 

 2008-10-03
悲しい現実ですが、またしても学級崩壊の現実を目にすることになりました。 

学習がほとんど成立していません。 方向感のない集団が、時間と空間を共有しているだけです。 それでも、子どもは学校に来て、そこにいるのです。 先生方は努力をされているのでしょうが、結局、大切な学びの機会を失っているのは、子どもです。

学びの場が、成立していなくたって何だって、卒業証書を手に中学校へ行きます。 この学級崩壊の事実もいつのまにか、忘れ去られていきます。 そして、どんどん時間が過ぎ去ります。 

失っているのは、紛れもなく子どもの可能性です。 それを測るものさしはないけれど、もし整った環境なら、その子が豊かな学びをもとに、夢を抱いて自己実現に向かっていたかも知れないわけです。

特別支援教育がスタートして、多くのことが制度化されました。 いろいろなシステムや制度が整備され、予算も配当されました。

しかし、目を凝らして、事実をしっかり見つめてください。 本当にそのことが、大切なこと、価値のあること、軌道に乗っていることなのかどうかを。

掛け声だけで、いつまで経っても中身が追いついてないことが、たくさんあります。  特別支援教育は、まだスタートしたばかりの営みですから、今後多くの方の努力で、きっと一つ一つのことが、子どもの成長や幸せに結ぶつくものに改善されていくことでしょう。


ですが、それまで待っているわけにはいきませんよね。

だったら選ぶ・決めるという親の判断が、極めて大切になっては来ませんか?

私はこれまで、そうした何人かのお母さん方にかかわってきましたが、ただ口を開けていても、それはなかなか進展しません。 Aちゃんによくても、Bちゃんには合わないこともありますので、なかなか容易ではありません。 それでも動いていれば、不思議なことに道は開けてきます。

逆に言えば、環境が整い、場が構成され、積み上げができるようになってくれば、問題が表面化しなくなっていくことだって、十分可能です。


この頃、他園の園長先生のお話を伺う機会が多くなりましたが、「昔なら普通の子だったのが、今の時代は障害児」と、多くの方が言われます。 グレーゾーンなんていうとなおさらです。

大事なのは、自分の子の個性・特性にあった学びの場・成長の場を、どう構成するか。  それに尽きます。


自然な形に任せるのも、一つの方法です。  積極的に動くのも、また一つの方法・・

そこは自己責任、結果を受け入れるのは、子どもです。


特別支援教育は、枠組みの時代から、臨床実践の時代に入っています。  中身のない看板だけの特別支援は淘汰され、本物だけが残っていきます。

ある子を取り立てて障害児として扱うのではなく、その子の特性を理解した上で、それを障害として感じさせないほどに、豊かな学びや育ちの場を構成することこそが、あるべき方向であり、目指すべき姿であると感じているのです。

よいものを選び、支持する流れを作るのも、今の時代を生きる私たちの責任です。

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子どものやりたい気持ちのコントロール (学習や行動の改善に向けて)

 2008-10-02
これはきっと子どもに限ったことではありませんが、どうでもいい事に関しては、人間は過激な不適応行動は起こしません。

宿題、やってもやらないくてもいい、なんて思っていたら、やっていてパニックになったり、泣いたりするすることも少ないでしょう。 どうしてもやらなきゃいけない事だと思っているし、大切なことだと思うから、そんな行動をとらざるを得ないのです。

子どもが何かいたずらをして逃げるとき、その子が逃げながら後ろ振り返り、先生が追いかけて捕まえてくれるのを待っている光景を何度も見かけました。

一生懸命やろうと、思っていればいるほど、何かのことで自分の思い取りにまらなかったときに、衝動的に、不適応行動をとってしまうパターンも、誰ということではなしに、日常的によく見かけます。

つまり、不適応を見せる場面は、少なくともその子にとって意味のある場面で、本当はその裏返しで、ちゃんとやりたいという気持ちが強い場合が多いことを理解することも大切だと思っています。


しかし、そんな場面で子どもに迎合し、マイナス行動にご褒美(教化子)を与えると、それが条件づけになり、何かあったらいつも、めちゃくちゃ行動をするようになってしまいます。

では、どうするか? どう理解するか?

SHINOBU流の答えは、次のようになります。


まず、めちゃくちゃ行動の最中は、できるだけ刺激を与えず、被害を最小限にするようにクールダウンさせる。 (これもただ単に、無視すればいいという単純なものではありませんが、とにかくその子・その場面を落ち着かせることが第一です。)

落ち着いたら次に、気持ちを受け止めてやりましょう。 (カウンセリング風にいうと、感情の共感的理解です。「どうしたの?そうか、つらかったんじゃな」 というやつです。)

そしてさらに、あるべき方向、あるいは今よりはましな方法を短い言葉で伝えて置きましょう。 (困った時には、ちゃんと言ってね、とか、がんばっている時の君が大好きだ、とか、そんなメッセージです。ここのポイントは、ここではくどくど説教せずに、ちゃんと伝える、という事です。)

この場面では、これだけです。 どうしてもここで、大演説をしたり、こっちの方で自己完結したくなるものですが、あえてここは一旦後ろへ下がる、くらいの方がうまくいくと思っています。 


で、大切なのはここからです。 その子が、何を求めていたのかをえぐり出して、それを具体化・実現化する取り組みを始めましょう。ここが優しさであり、ここからがその真剣さが試される時です。

一見、わがままと思われるような行動の中から、その子の前向きな気持ちを選りすぐって、いろいろなことを整理しながら、一つ一つ紡いでいくような作業は、なかなか骨の折れる、大変な営みです。

ですが、ここの、安定した、揺るぎない、変わらない、長続きする、営みこそが本当の本物であり、行動改善・学習改善を考えるならば、ここの軸こそが命となります。

この軸がはっきりしていれば、評価もちゃんとでき、そのことで自己イメージが向上し、衝動性や突発性の改善にも少なからず影響を与えます。


今まで、不適応行動改善のケースをいくつも見てきましたが、オーソドックスなようですが、2ヶ月・3ヶ月、子どもの試し行動にもぐらつかない姿勢を維持できれば、もうそこに改善の道は開けています。


なんかあったその時だけ向き合うから、その子は不安なんだと思います。 何にもないその時にこそ、しっかりそのことに向き合ってほしいと、子どもは願っているのだと、私は思っています。 きっと私も含め大人は、問題の時にしか、その子に真剣にかかわってなかったんですよ。

また、何かが嫌で不適応を起こすときは、どうしてそんなに嫌なのかを、もういちど落ち着いて見つめてみましょう。 そこに何か、子どもの願いが浮かぶ上がってきませんか?


そうではない時にこそ道を示し、ほめる。 

これが、子どもがエネルギーを注ぐべきところです。

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当事者にしかわからない 発達障害に対する差別

 2008-10-01
私は、子どもとご家族の心のサポーターでありたいと願っていますが、それでも当事者である皆さんの痛みや苦労を、完全に分かち合えているわけではありません。

先日の記事で、障害のある子どものことで生じるご家族間の軋轢について紹介させていただきましたが、その後寄せられたコメントからは、私の想像を超えた、なお厳しい現実を知るこことなりました。


少し前、岡山駅で、不幸なことに少年がホームに人を突き落とすという痛ましい事件があり、皆さんの心にも深い影を落としたのではないかと思います。

私が今日ここで取り上げたいのは、 「発達障害だから~」 「特別支援の子は~」 という、表面だっては口にされない、微妙な空気、差別、偏見についてです。


例えば、登校班でお子さんが誰かとトラブルになったとします。 登校班のトラブルは、そこに何か原因があるからであって、障害があろうとなかろうと、どこにだって誰にだってあることです。

原因を明らかにし、相互の子どもの心に寄り添いながら、どうしたらよいのか考えさせ、解決法を指導していく以外に方法はないはずです。

ところが先日あるお母さんから、相手側の保護者が、直接、口には出して言われなかったけど、「あなたの子は特別支援の子だから~」 という微妙なオーラがそこにあったと聞きました。

そりゃ、子どもですから、感情的になることだってありますよ。 この子、ホントは誰よりも傷つき易く、心優しい子です。

でもそこに、特別支援 → 感情の理解が出来ない → 衝動的・突発的 → 何をするかわかなない → 電車事件  → なるべく近寄らないでおこう  なんて空気が流れたとしたら、それはとんでもないことです。


特別支援の子 = ××××  

という決めつけがあったとしたら、それは差別・偏見・無理解以外の何ものでもありません。


太郎君は、言葉の発達が遅れていましたが、この1年間でびっくりするほど表出言語が増え、コミュニケーションが活発に行われるようになってきました。

この太郎君、家で飼っていた愛犬の死と向き合い、深い愛情と命の大切さを育みました。 夏に、担任の先生からの連絡帳から、プールサイドで死んでいた生き物に、持っていたティッシュを敷いてあげていたそうです。 本当に太郎君らしいエピソードです。 一生懸命だからこそ、うまく伝わらないときは心が揺れる事はあります。 でも、それはそこに前向きな願いがあればこそです。

花子ちゃんは、今、書字の課題で苦労しています。 でも、本読みはとても上手だし、読解力も一流です。 物語を読んでいる時、母熊が鉄砲で撃たれているシーンは、かわいそうだからとばして読む、そんな子どもです。 この子も明るく前向きで向上心が強いがゆえに、時々友達とのトラブルもあります。 でも、それは書字が苦手だから、ということとは、まったく別の次元の話です。


そう言えば、今ではそんなことはないと信じたいですが、私が、通常学級から当時の特殊学級の担任になったとき、周囲からは、 「よく、思い切ったね~」 とか 「自分で希望したの~」 と言われたことが記憶に残っています。

今では当たり前になっていますが、そういう人事はこの地域には過去に前例がなく、どうやら私がその第1号だったらしいです。

私は、胸をはずませて、希望をもって特殊学級の担任になり、それまでに得たことのない大きな感動を何度も胸にしましたが、一方で、教育界でさえこんな感覚か、と失望したことを覚えています。

当事者にしか、わからないことがありますよね。

私が、子どもとご家族の心のサポーターでありたいと願う以上、この問題に対する構えもしっかりもっておかねばと、気持ちを強くしたのでありました。

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