技術を超えて、家族のサポートが子どもを変える (友里ちゃんの運動会での輝き)

 2008-09-30
先週の日曜日に、友里ちゃんの運動会を見に行ってきました。

どちらかと言えば、余り運動が得意ではないタイプの友里ちゃんですが、私が運動会に行くことを、とても楽しみにしてくれていたようです。

友里ちゃんの学校に着くと、お父さん・お母さん・双方のおじいちゃん・おばあちゃん・妹さん・それにお母さんの妹さんも来られていました。

入場するゲートの下で、はじめてご家族の方とお会いしましたが、まずもってここでご家族の方とお会いできて本当によかったと思いました。


ご家族の皆さんは、どの方も優しく、笑顔の素敵な方ばかりでした。 このご家族の皆さんの期待や願いには、ぜひとも応えていかなければならないという思いを、一層深くしました。


私は、午前中の種目の、リレーと表現運動を拝見しました。

私の目から見ても、友里ちゃんが精一杯取り組んでいることが、ダイレクトに伝わってきました。


きっと、モチベーションMAXの状態ではなかったでしょうか?

どんなに小手先の技術的なことに取り組んだとしても、きっと今回のリレーの友里ちゃんの走りを超えることはできなかったと思います。

ここのモチベーションがあればこそ、それぞれのテクニカルなサポートが生かされていくるのだと考えています。

この日、お母さんからいただいたメールは、次のような内容でした。




本日はお忙しい中、友里の運動会に来てくださってありがとうございました。運動会まで来てくださるSHINOBU先生の温かさにパパもおばあちゃんたちも感動していました!

友里も見たことないぐらいリレー速かったです。頑張っていました。SHINOBU先生パワーは足まで速くなるのですね?驚きです(笑) 友里も私も元気になれる一日でした。ありがとうございました。




何もこれは、リレーに限ったことではありませんよね。 ここのエネルギーがあってこその、認知特性であり、指導技術なのだと思っています。

10月25日のセミナーでは、技術的なこと、いわゆる方法論に、どんな思いを載せていくことが大切であるかを、それぞれの先生方が、それぞれの角度から提案し、発信していこうということになっています

私はただ単に友里ちゃんの応援に来ただけで、それ以上のことは何も求めていなかったのですが、もしかしたら、こういうところに、子どもの学びや育ちの大切な部分が潜んでいるのかも知れません。


私は、応用行動分析や積極的行動支援(PBS)を理論のベースとして、指導を組み立てています。

しかし、この方法論だけで、現実の子どもをすべてさばくことはできない。 感性といってはそれまでだけど、そういった方法論に、この日の運動会のできごとのような思いをどのように載せていくか、それは、今の日本の特別支援教育の大きな課題だと思っています。


この日寒く、バイクで友里ちゃんの学校までいくのは、少し大変でした。

行く前には、何の効果を期待していたわけではないこのことが、行った後では、とても大切な宝物になって返ってくる。

たまに、こういうことがあるからやめられません。


友里ちゃんのお母さんは、ネットでこのブログを見つけ、ご相談にこられました。

なるほど、こういうご家族の方に囲まれているのだなと、納得してしまいました。

こうした人と人とのつながりが、結果として、友里ちゃんの成長をサポートしているのだな、と感じた一日なのでありました。 やる気とは、人とのつながりの中から、育つものかも知れません。

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苦手なことがあっても あきらめてはいけない (算数指導で見えた希望の光)

 2008-09-29
いつまでも指を使って数え足しばかりしていると、次へ進めない、早くやめさせないと・・

時々そんな声を聞きます。 


数を量的にとらえることによって、数理的な処理方法が発展的に向上するので、目指す方向としては正解だと思います。

しかし、継次処理優位な子は、順序数で足し算処理を行っていきます。 そんな子に、手だてなしで視覚的・量的にとらえさせようと思っても、基礎的な認知能力が育っていなければ、混乱するばかりです。


じゃあ、どうすればよいのか、ということで、私は次のように取り組んでみました。

まず、得意な数え足しを使いながら、小さなステップをクリアさせながら、経験をと自信を付けさせます。

ここで重要なのは、まず、算数が嫌、という心理的なバリアを取り除くことです。 出来ないこと、苦手なことに、サポートなしで、毎日単調に責められ続ければ、子どもの心は相当痛んでいるはずです。


数え足しでも、やってれば、いろいろな能力は向上していきます。 数の継次的な処理能力も向上します。

で、ここで忘れてはいけないのは、数え足しをベースにして能力アップの取り組みを続けながらも、量的・視覚的に数をとらえさせる同時処理的な指導をミックスして、マルチセンソリーに指導を組み立てていくことです。

具体的に言うと、数図ブロック・数え棒・すごろくゲームなど、片方でいろいろな算数的な活動を取り入れていきました。

花子ちゃんは、半年前、サイコロの目を見ていても、はっと見てそれが「4」とは認知できませんでしたが、今では楽勝です。 すごろくゲームをしていて、「5」が出たら「1回休み」になっちゃう、と平気で言えるようになりました。

少し前は、1~10までの指の写真をカードにして、かず当てゲームをしていましたが、今ではそんなカードも必要なくなってきました。

今でも計算は、数え足しですよ。

でも、長さ調べの技能も向上してきました。 繰り上がりのある足し算も、繰り下がりの引き算も、2位数の筆算も、楽々できるようになってきました。 計算のスピードは、飛躍的に向上しています。

継次処理をベースにしながらも、同時処理の活動で付けた力が生かされている構図です。

本人の認知特性・得意技をまずしっかりとらえた上で、マルチセンソリーな活動を通して、子ども自身がとの良さを体感できるよう教育のプログラムは構成されるべきだと思います。

むずかしいようですが、要は、得意な方法で学習に自信を付けながら、苦手なことをクリアする、ただそれだけです。

特に、学童期前半の学習のつまずきで、学習活動自体が停滞するのは、本人の成長にとってもったいなさ過ぎです。

どのルートから行こうが、それは関係ないことです。 脳の可塑性の高いこの時期の子どもに、いろいろな刺激が与えられ続けることによって、その可能性の道は、発展的に開けていきます。

決して希望を失うことはないのです。


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子どもの心に息づく 大切な母のからの贈り物

 2008-09-28
花子ちゃんは、昨日お母さんが買ってくれた本を、私に読んで聞かせてくれました。

後でお母さんにお話を伺うと、 「何はできなくとも、人の気持ちのわかる心優しい子に育てたい、だから、この本を選んだ・・」と教えてくれました。

花子ちゃんは、本読みが得意で、スラスラと、次々とページをめくって読み進めていきます。

でも、ところどことろ、とばして読んでいるとことが、ありました。 見ると、そこは母熊が子どものために、人里の柿ををとり、猟銃で撃たれた場面でした。

かわいそうだから、とばして読んだんだね、と尋ねると、こっくりとうなずきました。


私は、幼い頃、母と生き別れましたが、その母が私に2冊の本を残してくれました。

その1冊が、世界文学全集の中のギリシャ神話でした。

その本の最後のページに、母が直筆でメッセージを書いていました。

「SHINOBU君、本を大切にしましょうね。繰り返し読むことで、きっと大切なことがわかる日がやってきます。 ママ」


その本にはひらがなのルビが打ってありましたから、小学校の1年生の時から、私はギリシャ神話を、寝る前に、毎日毎日読み続けていました。

夜になると、私の周りには年老いた祖母1人しかいませんでしたから、その本に母のぬくもりを感じていたのでしょう。 

今から思うと、小学校1年生で300ページ以上の厚さのある本を毎日読むことは、不自然なことかも知れませんが、当時の私は、それが生活の大切な一部となっていました。

40年経った今でも、一部ですが、その内容も挿絵も思い出すことが出来ます。 

特に、子どもを殺した罪を償う 「ヘラクレスの12の仕事」 は、胸を踊らせながら、何百回となく読み返したものでした。


思春期になると、さすがに「ギリシャ神話」も「ヘラクレスの12の仕事」も、どこかに飛んでいってしまいました。

中学の頃は、恥ずかしながら、私はかなりの非行に走っていましたので、学校の成績は悲惨なものでした。

でも、努力はしませんでしたが、国語だけはそれなりの成績を保つことができていました。


その後、十数年の歳月が過ぎ、私は自分の夢を実現し、学校の先生になることができました。

教員になると、私は「個と集団の育ち」をテーマに、特別活動の研究に取り組んでいました。 その時、岡山の特別活動の礎を確立した尊敬する先輩が、ある日、 「君の言葉の豊富さは普通じゃないね」 とほめてくださいました。

特別な何かをしたわけじゃないのに・・と考えていたその瞬間、私は、それが母からの贈り物であったことに、初めて気がつきました。

私を支えるすべてが、このギリシャ神話の中にあるんだと、そのとき私は強く思いました。 今の私の活動を支えている自分に対する肯定的な理解も、つまりはこの中にあるのだと信じています。


この日、花子ちゃんは、下校中に友達とのトラブルがあったようです。

熊のお母さんが猟銃で撃たれるところを、とばして読む花子ちゃんだからこそ、トラブルが起こるのです。


特別支援学級にいる子は、感情理解ができない?

発達障害の子は、何をするのかわからない?


どうしてこんな差別や偏見があるのでしょう。 とんでもない話です。

どれだけこの子が心優しい心の持ち主であるか  そして、どれだけ傷つきやすい繊細な気持ちの子であるか

私たちは、知っています。


いつも指導が終わると、花子ちゃんとお母さん、そして妹までも外に出て、私の姿を見送ってくれます。 時には、ぎりぎりのところまで走りながら手を振って送ってくれます。

その姿を背中で感じながら、私は、家路に向かいます。

いつの日かこの子が、母の想いの深さに気づき、感謝し涙を浮かべる日がやってくるのだろうと、思いながら・・

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子どもの衝動性の改善における実践事例 ③

 2008-09-27
先日、ある学校に行ったとき、ちょっとのぞいてみよう太郎君の教室にいくと、ちょうど担任の先生と支援員の先生が教室で、事務をされていました。

そこで、太郎君の2学期のようすをいろいろと聞いてみました。

1学期の一時期、学校で物を投げたり、立ち歩いたりの不適応行動が見られ、心配していたのですが、今では大きく改善しているようです。

夏休み中の学童保育での行動改善の取り組みも、無駄ではなかったとうれしい気持ちになりました。

ここに来て、歯車がかみ合ってきたようです。


30分位先生と立ち話をした中から、いろいろな大切な内容が見えてきました。

まず、太郎君の不適応の典型的なメカニズムは、①物事に進んで参加したい、ぼくもやりたい ②集団のルールの中では、やりたくてもできないこともある ③やろうとしたときに、本人にとっては予期せぬストップがかかる ④しかし、なぜ止められたのかが分からない ⑤上昇したテンションのもって行き場がなくなる ⑥不適応行動を起こす ⑦内的な興奮と注目の獲得、嫌悪刺激からの回避を得る
というものであったように思います。


まず、この先生は、子どもに対する見方が、めちゃくちゃあたたかいですね。 これで、先生好きにならないわけありません。 進んでやりたかった太郎君の気持ちを、ちゃんと受け止め、評価しています。

このことでマイナスな感情は、一気にクールダウンしていきます。

こうした中で、太郎君は自己イメージを向上させ、衝動的行動改善のベースとなる認知力をアップしていきます。

またクラス作り、学級作りのビジョンが明確でぶれていません。

いいこと見つけの花丸、160個くらいになっていました。 ちゃんと評価とごほうびのコーナーありました。 どこでもあるような取り組みも、真心こもる本物になれば、まさに形成的評価、トークンエコノミーシステムです。

軸のぶれない学級経営の方向性も、太郎君の認知力アップに不可欠な要素です。 時間の経過と共に、太郎君にとって予期せぬ出来事の数が次々に減少していったのだと思われます。

リアルな現場で、軸をぶらさず毎日積み重ねのある営みを続けていくことが、本人の混乱を防ぎ、何よりもわかりやすく明確な、行動改善のためのサポートとなっているのではないでしょうか。


「困ったときに、めちゃくちゃにならず、先生に言う」 は、バイパス行動として、夏休み中に、何度か私も指導しましたが、この先生は、いつもちゃんと太郎君の訴えを受け止めています。 簡単なようですが、クラスの他の子から信頼されていない先生は、ここができません。太郎君を受け入れることで、他の子がくずれることあります。

先生は、「先日、学級活動でクラスのみんなで遊ぶ時間があったけど、さすがに太郎君はわけがわからなくなって、何度も私の所へ来た、でも私は審判だったので、あまりサポートできず、かわいそうだった」と言っていました。

さすがに、ここの部分は、太郎君にはわかりにくいかも知れません。 でも、1年生のこの環境でのリアルな子ども集団としての活動の経験は、とても貴重だったと思います。


そう言えば、ということで、この先生の気づきとして、ノートの文字を写すより、黒板の文字を写す方が得意だ、ということを教えてくれました。 この子の文字の見え方について、気になっていることも多かったので、大きなヒントを得たように感じています。

先日連携の話をとりあげたばかりですが、こういった情報は貴重かつ有効です。


太郎君は、日に日に生き生きとした表情になってきました。 登校班は嫌なようですが、学校は大好きです。 太郎君は、担任の先生にも恵まれました。 すべてがいい方法に向かう時ばかりではありませんが、それは単なる偶然ではなく、そこに家族の意思があったからだと、私は思っています。

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知らないことが、知らせないことが子どもを痛める (だからこそつなぐべき学校・園と家庭)

 2008-09-26
以前、通常学級の担任をしていたときに、ある保護者の方から 「どうして今まで知らせてくれなかったのですか」 と言われてびっくりしたことがありました。

今から10年以上も前の話で、どういう内容だったかは忘れてしまいました。

それまで、担任としてお子さんは責任もってお預かりする、不必要な心配はかけない、という教師としての自負がありましたし、いちいち個別に保護者の方に連絡する内容ではないと思っていたので、私自身、鳩に豆鉄砲みたいなったことが、強く印象に残っています。

時代はもう、そういうステージではなくなったな、と感じた瞬間でもありました。


特別支援学級の担任時代は、とにかく毎日連絡帳を書くのが楽しみでなりませんでした。ご家族の方も、毎日私が書くのと同じくらいの分量のお返事を書いてくれました。 ご家族はこの連絡帳が宝物で、いつかこの子が大人になる前に、記念に本にしたいくらいだ、と伝えてくれました。

写真入りの学級通信を、ホームページ風に仕立てて、年度末にはCDに焼いて渡しました。

私にとっても、活動の原点・生涯の財産として、今も息づいているように思っています。


今、私がしている個別指導では、ご家庭のニーズや情報は命です。

指導の後、可能な限りご家族のお話をお伺いするようにしています。時間がとれない場合は、メールのやりとりで密接に相互の連絡を取り合っています。

そこからの気づきで、指導の内容に工夫や改善を行うのは、日常的なこととなっています。


方法が見えているときは、連携も価値があります。 いわゆる具体的な内容連携というやつです。

「今、計算のやり方がわかってきているので、宿題でミスがあっても、中断させないでそのままどんどん前へ進めてください。修正は、次のステップとして私が責任もって指導します。むしろ、どこにミスがあるかを知りたいので、今回はアシストなしで、そのままでやらせてください」

とまあ、指導に方向感があるときには、連携も楽しいものです。


難しいのは、何か問題に直面したときの連携です。

私は今、ちょうどその学校・園と家庭の中間地点に立つ機会が多いので、そのことが時々浮き彫りになって見えてきます。

基本、学校・園は学びの場であり、家庭はやすらぎと育みの場です。 子どもの意識やスタンスも、決して同じではないはずです。

私は、不適応は、その行動自体に何らかのその子のメッセージが込められていると考えています。

学校で見せる姿と、家庭で見せる姿には違いがあって当然です。

時として、その姿が、学校・園に、あるいは家庭に、全然見えないときもあるのです。 こうした時に、一方がまるでそのことを知らないでいた、ということは案外よくあることで、知らせる努力も、感じ取る姿勢も大切になってきます。

サインをサインとして受け止め、それを共有化することで、問題解決に向けて前進するケースがあります。 時には、早めに動かなくてはならないケースもあるということです。 


その昔には、今ほど、学校・園と家庭との間に、「連携」という言葉の重みはありませんでした。

「連携」という言葉は、主体者としての保護者の立場に立った概念です。

参画する保護者の役割と責任が伴います。 いわゆる一定の自己決定や自己責任が尊重されてくるわけです。


個別計画作成の推進、ということが行政側から示されて久しいですが、私の周囲ではそこに保護者がメンバーとして加わったという話は、未だに届いていません。


学校・園に任せておけば大丈夫であれば、それは幸せなことです。 もし、そうでないなら、信頼できる機関や先生を捜したり、自分の子にあったサポートの方法を勉強したり、学校・園の先生と相談したり、そういうことはとても大切になってきます。

家庭は家庭なりの立場で、この子をこう育てたい、と伝えてくださると、教育内容はかなり方向感をもつし、指導内容も充実していきます。 

現実には、わかってくれる先生ばかりではなく、うるさい保護者というラベルを貼られることもあるかも知れません。 簡単にできるような事ではないかも知れません。

学校・園が保護者と連携しようとする場合も、保護者が学校・園と連携しようとする場合も、めざす方向と決心とビジョンがなければ、何にも前には進みません。 またそこを感じ、受け止め、子どものために生かしていこうとする姿勢がなければ、連携にも何にもなりません。


連携には、主体者としての保護者の存在が不可欠であり、そこを意識した学校・園の取り組みが重要になってくると、私は考えています。

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子どもの育ちにつながらない決めつけは、子どもや家族の心を痛める

 2008-09-25
先日、他の保育園の先生方と子どもの発達についてのご相談を伺う機会がありました。

それぞれの子どもの発達面の課題について伺いながら、取り組みを振り返ったり、方向性を探っていったりいきました。

いくつかのケースの中に一つ、私の心のどこかに何かがカチンと当たったように感じるものがありました。


その内容は、以下のようなものでした。

その子は、いわゆるグレーゾーンの子で、その保育士さんは、「この子の困り感をお母さんに伝えても、受け入れてもらえない。お母さんは、この子の特性を受け入れることができないようだ。そういう時は、どうか厳しく指導してください、といつも私たちに言う。どうしたらいいか?」 と、私に尋ねてきました。


その子の様子を聞くと、集中力が持続しない、姿勢が崩れやすい、流れに乗って活動できにくい、コミュニケーションや生活面で気がかりな面がいくつかある、ということでした。

私はそのお母さんに会っていないし、その子のことを、担任の保育士さん以上に理解できているわけでもありません。

保育士さんからすれば、保護者の方に、少しでもこの子の育ちのために効果的な協力体制を作っていきたい、という気持ちがあふれていたのでしょう。

保護者の方は、とある専門家の方に決めつけ発言的なことを言われ、少し感情的・対立的になっているかも? ということも聞きました。

私にしてみれば、このお母さんの気持ちは痛いほど伝わってきます。


このお母さんの痛い気持ちについては、どうやらこの若い保育士さんの心にはそれほど届いていないようでした。

私は、「これはね、私の勝手な予想だから違うかも知れないけど」、と前置きをして、こうした状況に置かれたご家族の「きびしく注意してほしい」という言葉に込められた気持ちや願いについて、私なりの言葉で伝えました。

「もしかしたら、一人の子どもとして、行動そのものに寄り添って、きちんと育てて欲しい。障害という枠で、何もかもを決めつけないでいてほしい、そういう親として当然の願いのようにも受け取れるけど、そのへんはどうなんだろうか?」

その保育士さんは、はっとしたような顔で、うなずいてくれました。


もし、本当にこの保育士さんが、その部分について理解してくれたのなら、今度はきっとこの子を育てたいというこの保育士さんの情熱が、このお母さんにも伝わるのではないかと思います。

9/21のコメントで、同じように保育の実践者として現場の最前線で活躍をされているばせむさんが、「結局 私たちはこどもの成長を促すことでしか、親に伝えられないのではないか? という思いを新たにしました。 」  と、書いてくださったように、障害という視点ではなく、その子の特性に寄り添った指導で子どもを育てる営みこそが、保護者の心を開く一番の近道となるような気がしています。


子どもの育ちにつながらない決めつけは、子どもや家族の心を痛める。


自閉症となったら、AD/HDとなったら、LDとなったら、次の日から具体的に何が変わるのか?

そんなレッテルよりも、具体的な支援の中身を! このことを心して取り組む覚悟こそ、実践者にとっては不可欠な内容であると感じました。

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卒業後の子どもの人生のを見つめ、共に歩むと言うこと

 2008-09-24
小学校の先生をしていたときの教え子も、もう成人している子が多く、時々一緒に飲みにいったりすることもあります。

そのころの印象に残るエピソードなどは何年経っても忘れないもので、こうなると、もう一生ものです。

こちらが忘れたようなことでも、その子にとっては鮮やかに覚えている一言やエピソードというものがあるようです。10年後にその真実がわかったようなこともあります。

なかなか会う機会は限られていますが、縁があって再開できるというのは、どちらにとっても幸せなことだと思います。 逆に、連絡のとれなくなった教え子のことは、やはり気になります。

マドンナさんがよくコメントで伝えてくれますが、人生の中では、学校で暮らす時間の方が短く、卒業してからの人生の方がはるかに長いのです。 親なき後の人生だってあるのです。

障害のある人が親戚や兄弟から冷遇されたり、生活自体に困り果てる厳しい現実がないわけではありません。

幸せが、状態そのものではなく、心のあり方をあすものなら、何とかここで寄り添う人の存在あるなしが、その子の人生にかなりの影響を与えるのではないでしょうか?

私は今、身上監護協会というNPO法人の理事をしていますが、成年後見制度もまだまだこれからの仕組みであるし、まずは財産があっての成年後見制度ということになります。

うちの保育園の卒園児で、授産施設で野菜作りにはげみ、こつこつ通帳に貯金ができている子がいると聞いています。 お母さんによると、今では家族の中で一番のお金持ちなんだそうです。

私は、自分自身のテーマとして、いかに、今出会った子とずっと長く寄り添えるか、ということを考えています。

ずっと学習指導をしたい、ということではなく、いつの日か私の元から巣立っても、いわゆるカリスマティクアダルトとして、心のふるさとのような存在でいたいと思っているのです。

家族と同じ道を歩むことはできないけれど、一定の距離はあるけれど、どこかでいつもつながっている、そんな存在であり続けたいと思っているのです。

願わくば、わずかではあっても、働いて賃金を稼ぎ、倹約をしながらも安定した日々の生活を送り、差別や偏見に苦しむことなく、余暇や楽しみを見つけ、喜びや悲しみを分かち合う人と共に、希望をもって明るく、その子らしい人生を歩んでほしいと思うのです。

私自身も、やっとの思いでたどり着いたこの道を、一歩一歩踏みしめながら大切に歩んでいきたいと考えています。もう不幸な事件はこりごりです。

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子どもによって千差万別 そこがむずかしい読み書き支援

 2008-09-23
花子ちゃんは、形の認知が苦手ですが、本読みはとても上手です。

多少まちがえることがありますが、新しいお話でもすらすら読んでいきます、内容もちゃんと読み取っています。

毎週接していて、すごいなあと思うところは、聴覚性の感覚とショートターンメモリ(短期の記憶保持)が抜群だということです。

英語のリッスン & リピートなんてさせると、きっと私より何倍も優れた力を発揮するはずです。

花子ちゃんが、演劇を鑑賞したとき、「私ね、大きい音聞くと、頭が痛くなるの」 と行ったときに、もしかしたら聴覚性の感覚が優れているのかと思い、音声言語の支援をしたら、するすると入っていったことを、今でもはっきり覚えています。


太郎君は、表出言語が増え、日に日にクリアに聞き取れるような発音になってきています。

すごろくゲームでは毎回 「1・2・3・4・・・」 とはっきりとした大きな声で数え、いつからこんなふうに上手に言えるようになったのか、びっくりするほどです。

太郎君の場合、言語表出が活発になったのは、1年生になってからです。 「話す」と「聞く」は密接な関係があります。 自分の発語を耳で聞き取れる経験が増えてくることにより、自分の発音をよりクリアになるように修正していくルートが育っているのではないか、と考えられます。

聞いた音を頭の中で保持する力(ショートターンメモリ)も、きっと今、開発中なのではないかと思っています。

このメモリも、聴覚性刺激の保持と視覚性刺激の保持の双方があります。 花子ちゃんの場合は、聴覚性の保持が抜群です。 視覚性の刺激は、その入力部分が苦手なんだと思われます。 入ったものは、ちゃんと保持できます。

太郎君の場合は、視覚性の刺激の短期保持がやや苦手なようです。 お手本見ながら、ひらがなカードを並べることができますが、3秒見せて裏返すとわかりにくくなってしまいます。 だったら、わかりやすい方法で入力し、経験を重ねながら、文字識別の総合的な力を育てていこうと考えています。今の太郎君の学習アイテムは、名刺サイズのカードにひらがなを1文字ずつ印刷した手作りのひらがなカードです。

読み書き支援の論文も本もいくつか目を通しました。

読み書きのメカニズム、音韻ルート・語彙ルートなどメカニズムが複雑です。 なかなかこれを理論通りに攻めることはできにくいですね。

複雑であるがゆえに、Aちゃんで有効な方法が、Bちゃんでは使えない、ということが多いように思います。

ならば、理論はある程度理解しておいた上で、あれこれと試してみながら、ヒットした方法を中心に組み立てていく帰納的な方法の方が実用的なような気がします。

今はネットでいろいろな実践を検索することができます。 実践を見て、ピンときたら、きっとそれはお子さんの実態を知っているお母さんだからこそ感じた大切な部分なんだと思います。

私のブログにリンクしてくださっているお母さん方には、プロも裸足でにげる実践をされている方がたくさんいます。

ぜひ参考にしていただき、家庭での学習支援に役立てていただければと思います。

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信頼関係は学習意欲を育てる

 2008-09-22
私が指導しているお母さんからのメールには、よく 「うちの子はSHINOBU先生が大好き 指導の日が来るのをずっと楽しみにしている」 と書いてくださいます。

土曜日だけ、学童保育の子といっしょに給食をいただくようにしていますが、いつも太郎君は私の隣の席でないと気が済まず、約束やルールを決めても、他の子と毎回取り合いになってしまいます。

ルールを守る社会性を育てていかなければと思う反面、そこまでして隣に座りたいんだなあという太郎君の気持ちは、素直にうれしく思います。

これが、なぜなのかは、自分では分析できないでいます。 

その子を理解して、良いところを伸ばし、そこをちゃんと評価しながら、次の道筋をしっかり示す・・

そういうことが、子どもの心をとらえているのであればいいのになあ、と思ってはいますが、もしかしたら、そんなものではないかも知れません。


私の、生徒第1号は花子ちゃんです。

指導を始めて半年余りですが、確かに変わってきました。

あれだけ抵抗感があった計算も、今では得意な継次処理の方法で、ものすごい速さで計算できるようになりました。 やり方分かってしまえば、これまで全然入力方法が見つからなかっただけに、行き場のないエネルギーは相当あふれていたように思います。 速さも、正確さもびっくりする進歩です。

長さ調べも、毎週毎週繰り返し続けてやってると、ものさし、正確にちゃんとあてられるようになりました。 はじにものさし当てるのにあんなに苦労していた当時が、うそのようです。

一番苦手な形の認知や書字も、ようやく最近接領域を発見できたようで、歯車がかみ合ってきました。

9/13に紹介した書字の系統化の取り組みも、2週目にもしっかりと食い込み、今後の積み上げに期待がかかります。

粘土の書字も、物語の学習も、時間を忘れて取り組んでくれます。


友里ちゃんは、どうやら体育はあまり得意ではないようですが、運動会見に行くよ、と伝えるととてもうれしそうな顔になりました。

SHINOBU先生の勉強時間だけが、あっという間に終わる、と可愛いことを毎回言ってくれます。


○○先生と出会って、嫌いだった数学が好きになった・・というようなことは、あちらこちらで聞く話ですよね。

このメカニズムをもっと大切にしてもいいのかも知れません。


先週の土曜日のおやつの時にも、私の横の席の取り合いになって、太郎君がだだっこになって集団から逸脱してしまいました。

以前は、いつも無条件で私の横にいることができた太郎君に、指導員がワンステップ向上させようと、くじ引きなどのルールを設定したようです。

太郎君は赤ちゃんのようになってしまったので、私は、彼のおやつを別のテーブルに置き、「あとで食べるんだよ」と指示をして、その場からすぐに立ち去りました。

さて、何分でクールダウンできたかな、と思って後で指導員に聞くと、「1分」と答えてくれました。

なるほど今ここか、とすぐに分かりました。 ステップを踏んで、何回か取り組めば、この指導員の目指している太郎君にとってのルールの受け入れも、もう時間の問題となってきたようです。


子どもが信頼を寄せたり、好きになったりするのは、その子を理解することと共に、しっかりとした見通しや方向感をもってその子に接するということかも知れません。

こうした安定感が、学力向上や行動改善に大きな意味があることは、いろいろな研究から実証されています。

このブログでは、数的なデータはほとんど示していませんが、より多くのエピソードの中から質的にみなさんにその大切さをお示ししていこうと考えています。

でもね、何でそんなに勉強を楽しみにしてくれるのか、正直、特定できていないんですよ。 それがわかれば、もっとそこをうまく仕組んで学習くみたてられるのですが・・

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障害のある子をもつ家族の苦悩を理解して 共に歩むこと

 2008-09-21
先日、親の会で伺ったご家族のさまざまなご苦労の話、いまだに心の中に重く残っています。

特に、子どもの障害に真剣に立ち向かうがゆえに、そこに亀裂が生じ、母・父・祖父母・兄弟・親戚などの関係に軋轢が生じること、あまりにリアルな話で、身につまされました。

正直、そこまでとは思っていませんでした。 当事者でなければわからないご苦労があること、深く心に刻んでおかなければならないと思いました。


先日、私の敬愛する友人のお母様がお亡くなりになりました。 

その彼に、保護者の方からこんなメールが寄せられたそうです。


「お会いすることができなかったお母様、よく先生を

世に送り出してくださいました。どれだけの親子が

救われてきたことでしょう。ありがとうございました。」


彼は現在、指導的な立場で、特別支援教育の充実・推進のために、次々と大きな仕事こなしている人です。 私は、彼こそ、今後の日本の特別支援教育の方向性をリードする人材だと信じています。

にもかかわらず、ことある度に 「私は浪花節の、しがない臨床家」 と口にします。

そこには、子どもとご家族に対する深い理解と熱い情熱がたぎっており、臨床から遊離した形ばかりの理論や技術だけでは、厳しい現実の中から希望の光は見いだせない、という真心や信念が伺えます。


「先生と出会えてよかった」


そのひとことのために生きることの、すばらしさや大切さを、私は彼から学んでいます。


私は、育っていくご家族の姿を見ると、とてもうれしくなります。

苦しい中から、課題を整理し、希望の道筋を見いだし、内容や方法を勉強し、自分の務めを自覚し、意志と信念を固め、明るく前向きに立ち向かっていく・・

並大抵のことでは、ありません。

そのひたむきさ、真剣さが、私たちの心を動かします。


家族にしかできないことがあります。 

しかし、共に歩む誰がいるだけで、この家族の営みが明るく希望に満ちたものに変わっていきます。


お母様が世に送り出してくださった大切な息子さんから、私もそんな大切なことを教えていただきました。 本当にありがとうございました・・

心に突き刺さって ぬぐい去れない衝撃の一言  (決めつけは 子どもの未来を奪う)

 2008-09-20
ある日突然、先生の方から、 「あなたのお子さんは、○○です」 って言われて、目の前が真っ白になった経験のある方はいらっしゃいませんか?


こういうことに関して、私にも忘れることのできない苦い経験があります。

今から20年くらい前に、脳性麻痺のお子さんを、小学校1年生の通常学級で指導していたときの話です。


そのお母さんは、当時の就学指導委員会の判定にはよらず、通常学級での学習を選択されたお母さんでした。

当時の私は、障害児教育に対してほとんど専門的な知識ももたず、通常学級の一教師として、その子の教育を担当していました。

脳性麻痺という障害に対する知識や経験は持ち合わせていませんでしたが、その分、可能な限り、お母さんとの話し合いの時間をもつこと、そして、他の子と同じようにその子に寄り添うように心がけていました。

お母さんとも大変いい関係でいられたと、私は思っています。


でも、私は自分の気がつかない間に、どうやらそのお母さんに強い衝撃を与える一言を言ってしまったようです。

2年生に向けた懇談会(ケース会)の時に、そのお母さんは、 「SHINOBU先生が、この子が通常学級の中で、6年生になったときの姿は想像できない、とおっしゃたので、親としても、ある時期が来たら別の選択を考えて行く必要があると思っています・・・」 と、発言しました。


この時私は、いつそんなことを言ったのだろう・・ と、本当に後悔しました。

きっと、今の指導に精一杯で、その後の指導に対する見通しが持てないということを伝えたかったのだと思います。

しかし、お母さんの受け取りは完全に違っていたし、何気ない不用意な私の一言で、ずいぶんと心を痛められたのではないかと思っています。

気がついていないだけで、きっとこれまでもご家族の心を痛めるような発言が、いっぱいあったのではないかと思います。


「あなたのお子さんは、○○です、だから、将来は・・・・・」

こうした安易な決めつけが、ご家族を地獄の底に落とされたような気にさせる・・

自分も言っているので偉そうに言えませんが、そういった類の話は山ほど聞きます。


たとえ絶望の淵に落ちても、それで障害を理解したことにはなりません。 あきらめたり、希望を失うのなら、そんなものない方がいいに決まっています。

そうではなくて、苦しい中から希望の光を見つけ、わずかではあっても可能性を信じて営みを続けることが、正しい理解だと、私は信じています。

本当はあきらめてしまうより、その方がずっと大変で、努力を必要とします。

わずかでもそこに希望がある限り、それに向かってがんばることができます。


昨日、花子ちゃんの教材を探しに、岡山で一番大きな書店に足を運びました。

探しに行ったのは、国語の読解力に特化して、標準化された市販のドリルです。


花子ちゃんは、本読みが大好きですが、2年生から特別支援学級に行くようになりました。

国語は特別支援学級での指導となっているので、毎日、苦手で嫌な漢字プリントや単調な反復練習ばかり・・

大好きなお話の勉強はできません。


私は個別指導のようすから、もしかしてと思い、「黄色いバケツ」を、自分なりに教材化して取り組んでみると、これはびっくり・・  書くのは苦手だけど、読解力はすごい、という手応えを感じていました。

このことを、興奮ぎみにお母さんに伝えても、お母さんはまだ半信半疑なようです。


だったら、標準化された市販のドリルで証明しなければ、と思い、今回出かけたわけです。

なかなか読み取りだけに特化したドリルはなかったですね。 

やっと1冊だけ、目的に叶ったドリルを発見しました。


それは Gakken から出ている 「教科書を超えた学力がつく国語の森 小学2年 文章読解 物語に強くなる」 というドリルでした。

まさに、花子ちゃんのために開発されたような本でした。 

さっそく見せると、食いつく食いつく、お話読む読む、問題するする、今日はここまでと言っても、もっともっとやりたそうでした。

こんなにお話好きなのに、嫌で苦手で単調な書字学習ばかりを、特別支援学級ですることに、どんな価値があるのでしょうか?


ここに決めつけの恐ろしさがあると思いませんか? 


花子ちゃんの、読解力のすばらしさは、WISCやスクリーングのどこにも出ていませんでした。

なぜなら、それが、欠点や弱点や課題点ばっかりにとらわれていたからです。

長所活用・行動レパートリーの拡張、 こうした視点での、子どもの見直しこそが、子どもの未来を拓くものだし、今私たちに最も求められる点ではないかと思っています。

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多くの刺激を与える環境 基礎をしっかり積み上げる努力  (発達に不可欠な双方向)

 2008-09-19
子どもの発達を考えて行く上で、私が大切にしている2つの方向性があります。


ひとつは様々な角度から、いろいろな刺激を子どもに与え続けることです。

よく言われることですが、理解脳である左脳に何らかのつまずきがあった場合、感覚脳である右脳を使い始めることにより、凡人が天才になったというケースが報告されています。

脳の発達の可塑性が高い学童期までは、ある部分不得手なことがあれば、それを補うかのように別の部分がすばらしい発達を遂げるというのは、まさに日常的な話です。

こうしたいろいろな刺激を与えるためには、その環境作りがポイントです。 多くの方が通常学級を選択されるのも、こうした点からしても理解できる事柄です。

また、特別支援学級・学校を選択された場合にも、いわゆるマルチセンソリー(多感覚刺激)の手法はとても大事になると考えられます。

こうした取り組みは、今日明日にどうこうということではありませんが、継続して取り組むと必ず効果があると思います。

ポイントは継続できる環境をいかに設定していくかということで、ご家族が判断される最も大切な内容のひとつではないかと思われます。


ふたつめは、決して崩れない基礎、実生活に生きて働く土台をしっかりと築き上げていく努力です。

テクニカルな学力(テストの点数)に焦点化した方法は、自己イメージを向上させたり、マルチセンソリーな刺激を与えたり、という点から有効だと思われます。

しかし、例えば歴史年号みたいなものを機械的に暗記することは、決して無意味とは思いませんが、本人にとってそれに何らかの価値がある場合は別として、時間が経てば忘れることがほとんどです。

それに、それ自体が別の学習や活動に活用できる範囲は、かなり限定的なものにすぎません。


私がここで強調したいのは、読む・聞く・書く・数える・話す・伝える・分かるといったファンダメンタル(基礎的)な学力のことです。

テクニカルな学習を継続していくことにより、ファンダメンタルな学力も徐々に向上していきます。しかし、これに頼りすぎると、半年前に死ぬほどがんばったことを、半年後にはきれいさっぱり忘れてしまった、ということも覚悟して置かなくてはなりません。

せっかく積み上げたはずのものが、土台がもろいために、がたがた崩れはじめ、もうこれ以上積み上げることができにくくなる、こういう厳しい場面もあるかも知れません。

ここでは、どこにつまずき、何が苦手なのかを明らかにし、例えレベルを後退させたとしても、その子ができる課題から始め、絶対に崩れない基礎固めをする、という視点も大切になってくると思います。


例えば、位取りの量感覚つかめていないと、結局は何年生になっても、一位数(1の位)の組み合わせをやっているに過ぎません。 

10円は1円が10個、100円は10円が10個、ここの感覚わかるの結構難しいですよ。 逆に言えば、ここさえ分かれば、12・4は、0・1が124個と分かるのは、そう困難なことではありません。

ここを分からせるのは、相当な取り組みや努力が必要なことも多いです。 しかし、一度わかってしまえば、爆発的にいろいろなことに転位していきます。 ここに大きな可能性や魅力があります。


学校や家庭や学童保育では、、テクニカルなことマルチセンソリーな活動が多いようなので、自然、私の指導場面では、焦点化して、ファンダメンタルな所を担当させていただくことが多いです。 

これも、ご家族のご希望やお子さんの育ちを受け止めながら、個々のケースでご相談しながら、組み立ててきたことです。

私は、すごろくゲームは、いろいろな面でファンダメンタルな学力を付けるのに、有効だと考えていますが、もしかしたら子どもと遊んでいるようにしか見えないかもしれません。

高い指導料をいただきながら、こうした活動をさせていただくのも、ご家族の信頼感があればこそのことと感謝しています。 ぜひ、そのお気持ちに応える結果をと、気が引き締まります。



昨日、太郎君が、学校の生活科の時間に作ってくれたのでしょうか、朝顔の種を袋に入れて、ひらがなで「しのぶせんせいへ あさがおのたね」と書き、かわいいイラスト付きで、にっこり笑顔で、私の所にもってきてくれました。

幸せですね~


多くの人とのかかわりの中ででマルチセンソリーな刺激を・・  そしてその子に必要なファンダメンタルな力を培う内容のある専門的な指導やかかわりを・・

こういうことが当たり前に実施される世の中であってほしいものです。

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見えている親や先生は 子どもを甘やかせない 

 2008-09-18
ある保育園におじゃましていた時のエピソードです。


運動会に向けての取り組みで、これから入場門に集まって、さあ練習をするよ~ という場面です。

突然、そのクラスの女の子が、しゃがみこんで泣き始めました。 きっと、何かのアクシデントがあったのでしょう。


このクラスの先生は、相当の力量のある先生とお見受けしました。

まず、その場面を見逃していません。 瞬時に気がついて、その子にかかわりました。 しかし、その子は先生が来ても、ずっと泣いたままです。 そのうちに、どんどん入場門に子どもが集まってきています。

見ていた私は心の中で、小さく 「クールダウン、クールダウン」 と叫んでいました。

すると先生は、その子の肩を抱いて 「後でわけを教えてね」 と言うと、鮮やかに体を反転して、入場門へ向かいました。

その先生のクラスの子は、頭が揺れていません。 先生は、指揮を若い先生にさせて、全体の構成を細かく見ています。 事前準備係の先生に目配せしたり、子ども一人一人の様子をきちんと把握しています。

もちろん、くつばこの近くで泣いていた女の子のチェックもしっかりできています。

先生がいなくなると、女の子は泣いていても、何の教化刺激も得られないので、すぐに泣きやみました。 やっぱりな~ です。


運動会の競技種目の玉入れが始まりました。 あの先生の構成がしっかりしているので、見ていてもとっても楽しそうです。 活動に方向感があります。

泣いていた女の子は、すっかり泣きやんで、いっしょうけんめいその様子を見ていましたが、自分もやりたくなっておしりがむずむずしてきました。 

すると、それを見ていた先生が、すかさずこっちを見て、おいでおいでのサインを出しました。

その子は、笑顔いっぱいで、走って先生の所に駆け寄っていきました。


まあ、どこにでもあるささいなエピソードです。

でも、下手な先生がかかわると、これだけでぐじゅぐじゅになります。 

まず、女の子が泣いたときに、個の支援ということだけを意識して、必要以上にかかわると、望ましくないマイナス行動に教化(ごほうび)を与えることになり、結果としてその子を甘やかして、だらしない子にしてしまう危険性があります。

その間に集団活動が停滞すると、なんかムードがよどんで、二次的なトラブルが発生したりして、わけがわからなくなっちゃいます。

その子が、立ち直ってがんばろうと思っても、迎える場所もなければ、ほめてやれる機会も失ってしまいます。


この子の「泣く」という行動を維持している要因は、おそらく注目の獲得だったでしょう。 

しかし、泣くという行為を勧めているのであれば、それでいいですが、先生としては 「ちゃんとわけを話せる子にしたい、泣かずにがんばる子になってほしい」 と、考えていたのではないでしょうか? 

だから、短い言葉ではあるけれど、しっかりとした口調で 「後でわけを教えてね」 方向性をしっかり伝え、行動で示しています。

そして、立ち直って笑顔で戻ってきた彼女に、おもいっきりプラスの教化(笑顔・賞賛・抱きしめ)を行っています。 一人一人の子どもに、、日々同様の体験があるから、子どもの頭が揺れないのです。

この先生が、応用行動分析の手法を知っているとは思いませんが、でも、まさに理にかなったセオリー通りです。


このように、やめさせたいターゲットと、向かわせたい方向と、子どもの心がしっかり見えている先生は、決して子どもを甘やかせません。 決してマイナス行動にかかわり過ぎて、ぐちゅぐちゅにしません。

いけない行動には、クールダウンや無視は有効な手段の一つです。

「しかる」 は、時として子どもにとっての快刺激(=注目の獲得)になって、罰ではなく、ごほうびになるときがあることを、理解していただければと思います。

いけないことは、冷たく突き放すが、同時に、ちゃんと望ましい方向を提示して道筋をつけ、できたらほめる。 これが王道です。 家庭でも、学校でも、ここの部分は同じです。 甘やかさない、とは、こういうことです。

おこるときは、高い声でキンキンやると、内的な興奮を高めるので、血も凍るような低い声と表情で、突き放したように攻めましょう。 子どもの顔つきがさっと変わりますよ。 (でも、しかるは即時性はあっても、継続性はなく、自己イメージも大きく低下するので、教育的ではない非常手段として考え、乱用は厳禁です)


運動会の練習が終わると、部屋に帰って、歌を歌う活動が始まりました。

出ました、必殺のオルガンブラインドタッチ。 やっぱりね~

オルガン弾きながら、後ろに顔を向けて、一人一人の子どもの顔見て活動進めています。

これで子どもが育たないわけがありません。

こうした先生もいるわけで、日本も捨てたものじゃありません。 でも、落差は激しいですが・・

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家族を苦しめ続ける「障害児」という言葉の響き

 2008-09-17
「障害児」という言葉には、どうも差別的・排他的なイメージがつきまとい、ただ苦手なところがあうだけで、普通ではない特別な存在として、どうしても集団から分けられるというニュアンスを感じてしまいます。

こうした偏見があるから、わざわざインクルージョンという概念で、とりたててこのことを改善しなければならないわけです。

今年の保育学会で、「障害」ということばを改善できないかと、文科省の担当に質問された方があって、その答えは「国民的なコンセンサスが必要」ということでした。

やっぱりお役人ですね。

特殊学級・障害児学級を特別支援学級という名前に変えて、何か不都合なことが少しでもありましたか? 変えなきゃいけないことに、どうしてここまで慎重になるのか、そのことについては、相変わらず体質がなっていないと思いました。

「障害」を「障碍」という言葉に置き換えて使われている方も多いようです。せめて「害」という文字は、何とかしたいですよね。 本人にとっての課題であるだけなのに、すごいマイナスイメージですよね。

先日、そうたママからメールをいただいて、「例えばアスペルガーの方がいて、育った家庭が社長の家だったりすると、それは障害としてとらえられないままに一生を終えてしまうのでは」と書いておられました。

AD/HDだって、環境さえ整えば、理解と支援で個性にかわっちゃいますよ。

私は、なるべく障害という言葉を使わずに、 「発達面に課題のある子ども」というようにしています。

そもそも私は、太郎君も花子ちゃんも友里ちゃんも、障害児だなんて、かけらも思っていませんから。療育手帳があろうがなかろうが、それは別の次元の話であって、だから障害児、と思うことの方が変ではありませんか?

認知特性などは誰よりも理解しているという自負はあります。でも、まったく普通の子だと思っています。

AD/HDだのLDだのPDDだの勝手なものさしを持ち出して、スクリーニングをかけて、鬼の首とったみたいに「障害児」というラベルを貼り付けて、排除するだけ排除して、何も特性に応じた指導をしていない現実は、どこかにありませんか?

「障害児」という言葉の重みによって、苦しめられている家族の話、たくさん聞きました。 離婚した、口論が絶えない、家族が遠のいた、親子の縁を切った、秘密にしている・・・云々

うちの子育て支援センターの自慢の一つに、芝生広場や遊具や砂場がありますが、そこで遊んでいる子どもを見ていると、心が和みます。 時々、そんな様子を見て、LDとかADHDとかアスペルガーとか、そんな言葉がなかっ方がよかったかも、って考えることがあります。

「障害」という言葉には、排他的な響きがあります。でも「特性」となると、適切な支援で乗り越えてける課題というイメージになります。

だから私にとっての、太郎君・花子ちゃん・友里ちゃんは「特性を理解すべき子」ではあっても、「障害児」では決してないのです。

そもそも「発達障害」っているのは、特性を理解して指導すれば伸びる子って意味じゃなかったですか? ちゃんと理解べきという意味の障害なら、まだ私は受け入れることができます

個別にしたから、特性に応じた教育ができるなんて、大間違いです。そんなに簡単なら、私には研究も工夫も教材開発も、何も必要ではなくなってしまいます。 第一、学校では集団が小さくなるだけで、個別指導にはなっていないでしょ。

今の教育現場に必要なのは、障害児として分けることではなくて、その子の特性を理解して、指導を工夫することです。 それが出来ないのなら、分けても無意味だと思います。

私の考え、どこか変でしょうか?

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AD/HDの発達的理解とアプローチ

 2008-09-16
行動のコントロールができにくい子どもに、実際にどのようにアプローチしていけばよいのか?


図書館で、アメリカの訳本も含め、AD/HD関連の本、数冊借りて読んでみましたが、前置きや説明ばかりで、結局何なのかわかりにくい本がほとんどでした。

個々の事例に沿って考えることが基本ではあるけれど、実践レベルで、私なりにちょっと整理してみたくなりました。




① 問題行動への対処の軸をぶらさない (機能的アセスメント)

② 子どもの自己コントロール力を育てる (発達的理解に基づいた自己制御力の育成=メカニズム)

③ 方向感のある集団を育てる (指導者としてのリーダーシップ)




と、要点のみ書くとこうなりますが、もし、本を読んでも、結局何なのか、わかったようでわからなかったと思われた方は、騙されたと思って参考になさってください(笑)


①の問題行動の対処については、まずは高山恵子さんの「うっかり?」「わからない?」「わざと?」という3つの分類の仕方は、実践的だと思います。

「うっかり」のタイプであれば、まずその子が集中しやすい物理的・空間的・時間的・人間的環境の工夫が必要となってくるでしょう。

「わからない」のであれば、その子の認知特性や発達レベルに応じた指示の工夫が必要です。

「わざと」であれば、何がその子をそうさせているのか、その機能を分析して、適切なアプローチが必要となってきます。

この場合、子どもは、A注目を得たい(逃れたい) B何かを得たい(逃れたい) C内的な興奮を得たい(逃れたい) の3種類に、分類できます。

ここで大事なのは、問題行動をすれば、先生が来てくれる、というような構造にしないことです。

ゴネ得にしちゃ結局子どもがかわいそうです。時には、冷たく無視をすることも大切です。(その代わり、いいことをしたら、必ずほめてくださいね)

そんなことをしても、何の得にもならない、それより、手をあげてちゃんと言った方が、よっぽどいい、って子どもに思わせるよう、正しく教えて評価する、これぞ王道です。

ここは、車で言えば、ハンドルの部分にあたるのではないかと思います。


②の内容は、子どもが自分の行動をコントロールできるようになるためには、さまざまなプロセスが必要であることを理解して、子どもを育てていく営みです。

その内容については、(1)基本的信頼感 (2)言語による思考の発達 (3)時間や空間の認知力 (4)社会的な経験(ごっこ遊び) (5)行動の計画性 (6)自己意識の発達 など、様々な要素が考えられます。

問題行動が改善されれば済む問題ではなくて、本体の子ども自身の力を育んで行こうという視点です。車で言えば、エンジンに当たる部分です。ここのまなざしは、子どもの自己有用感や自己肯定感を育む営みとも言えます。


③は、集団の規律とモラルの問題です。

よどんだ集団で、真っ先に痛むのは、こうした子どもたちです。そりゃ子どものせいじゃないよね、って場面もいっぱいあります。

活気のある、方向感のある、目標やビジョンのはっきりしている集団では、やっぱり子どもは安定します。

ごちゃごちゃ細かいことばかり向かないで、時にはぐいぐい先生が引っ張っていく指導性は、子どもにとっては案外心地いいものです。発達の視点ばかりにとらわれて、手が縮こまって、持ち味が発揮できないような事例を時にうかがいます。

先生自身の個性や持ち味で、集団に方向感をもたせることも、問題行動改善のための大切なアプローチの一つです。

例えるなら、子どもが進む道路や道しるべをしっかり示すといったことになるでしょうか。


以上が、SHINOBU流の行動改善アプローチ法のエキスです。

後は、その個々の実態に対する、アセスメントの力量やセンスということになります。 

要点だけを短くまとめてみました。 参考になりますか、どうか・・

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学校での医療的ケアについて (子どもの最善の利益とは何か?)

 2008-09-15
先日参加した親の会で、あるお母さんから伺った話です。

そのお子さんは、人工肛門でパウチを皮膚にシールのように貼っているそうです。かかりつけのお医者さんは、これは医療行為でも何でもないので、学校の先生が行って何ら差し支えない、という見解だそうです。

しかし、教育委員会としては、パウチの貼り替えは医療行為であるので、職員が行うことはできないという判断をしています。 こうした経過から、毎日、パウチの貼り替えのために、お母さんが学校に待機しているということです。

この分野について、私はあまり深く勉強できていませんが、こうした医療ケアのニーズが年々高くなってきていると聞きます。

小学校の教員だったとき、どんな学校行事でも、緊急事態であっても、児童を自分の車に乗せてはいけない。 公的な交通機関、つまりタクシーを利用しなさい、というのが常識でした。 

私はタクシーより学校の先生の運転の方が、よっぽど信頼できると思っていました。 事故の補償も、タクシー会社が自治体よりちゃんとしたことをしてくれるとは、とても思えませんでした。

これって、責任転嫁だよな~ っていつも思っていました。

学校では、子どもを自分の車に乗せることはありませんでしたが、同じ私が、保育園では園児のバスを運転しています。 もちろん、事故があったら、全責任を負うつもりで、ハンドルを握っています。 誰よりも、その覚悟がある者の運転こそが安全だと私は考えています。 その覚悟無くして、保育園の経営などできません。

もちろん、車の運転と医療的ケアは、同じ次元の話ではないと思います。

しかし、今後、これまで在宅のみだったお子さんが、どんどん学校集団の中で共に学び、共に暮らす時代がやってくると考えられます。

うちの保育園には、看護師が正規の職員として勤務しています。

こうしたことも含めて、子どもの最善の利益は何か、という観点から、こうした医療的なケアの課題も望ましい方向で改善されることが重要だと考えます。

岡山県でも、財政上の理由で、スクールカウンセラーの配置など次々と予算の削減が検討されています。

こうした厳しい時代だからこそ、何を優先すべきかその理念が極めて大切だと思います。
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検査や診断は指標のひとつにはなるけれど それで教育の方向が決定づけられることにはならない (じゃあ一体診断って 何のために?)

 2008-09-14
9/11の「グレーゾーンという曖昧さ・残酷さ・むずかしさにとまどう保護者」という記事に対して、その後、数名の方から貴重なコメントをいただき、私自身たくさんの気づきがありましたので、今日はそのことを自分なりに少し整理したいと思います。


ひとつは、診断される中身のことです。

自閉症にしてもADHDにしてもLDにしても、それは一つの概念であり、尺度であり、ものの味方の切り口であるので、決してそれ自体が固有に存在しているのではない、ということです。

例えば、広汎性発達障害という広い枠での診断名がついたとしても、きっと100人いれば、100通りの違いがあって、自閉傾向についても、認知特性についても、衝動性についても、その程度や特性はバラバラのはずです。

それがノーマルレンジか否か、だけが明らかになったとしても、その人の特性のすべてをそんな尺度だけでとらえきれるはずはありませんね。発達障害だけの尺度で、教育の内容すべてが方向づけられるということには、ならないでしょう。

単純な疑問ですが、私の指導している花子ちゃんの国語の読み取りの、すばらしい、ほれぼれとするような長所は、私の知っている限り、どの診断にも、発達検査にも、ひとことも反映されていませんよ。

検査は、標準化されていますが、すべてを完全にとらえきれるものではありません。

生育歴・地域や家庭の状況だって、千差万別のはずです。 

だから、発達障害という小さな枠組みだけで、断定的に人をとらえるのは、相当に危険なことだと思います。


じゃあ、何のために診断があるのか? ってことになりますよね。

これも、私の独断的なとらえとして受け止めてください。


診断は、何か目的があって、そのために活用するためのものだと考えています。

私の立場で言えば、基本は日々の指導の時の子どもの様子から、どういうことが得意で、どういうことが不得手なのか、その子の特性をとらえます。

先日読んだ本では、子どもは医療・認知・教育実践の3階層から理解すべきである、と書いていました。

ですからここで、例えばKーABCなどでの認知特性のプロフィールがあると、初めてのお子さんの場合は、回り道する可能性が相当低くなることは事実です。

セラピストさんからいただいた細かい所見は、さすがに目を通します。ああそうなんだ、と参考になることも多いです。

でも、言葉の発達は、現在3歳、2語文は話せるが、疑問詞は見られない、構音も未成熟、とか書いてあっても、具体的にじゃあ、明日からこうしなさい、ということを具体的に書いてあるわけでもなければ、何かお勧めのやり方が書いてあるわけでもありません。

勉強は大切ですが、じゃあこれからといって、アマゾンで本を買って、すぐに次の日から3年間、その本一本で指導しました、何てことはありえません。

それより、自分がそれまで何年もかけて培ってきた教育実践の技能と個性を生かして、現実のこの子の指導に、こうした検査や診断のどこをどう生かしていこうか、こう考えるのが普通です。


コメントでは、何人もの方が「ていねいな子育て」という言葉を使われていましたが、つまりはこういうことではないのかと思っています。グレーだのブラックだの、どんなランクが付けられたにしても、あまり特別な新しい何か、ということばかりを先行させないことも、もしかしたら、大切なことなのかも知れません。

検査や診断も、余り意味のない枝葉の部分は淘汰され、シャープな部分・本質を射抜いたところは残ります。ドクターやセラピストにも、いろいろなタイプがあることも、心のどこかに留め置くことも必要です。(歯医者さんなら、わかりすいので選びやすいですけど・・)

あと、療育手帳が必要、特別支援学級に入級したい、個別に支援員がほしい、通級指導教室に行きたい、という場合には、客観的な一つの基準として必要となるので、こうしたことで検査が行われるのは、公平性の観点から理解をしたいと思っています。

(数値が、1足らなくて・・ 向こうの都合の良い検査だけで測られる・・ という声も聞きますが)


あなたは水虫ですから、この薬で治ります、となればめでたし、めでたしですが、お子さんはLDですから、自閉症ですから、この薬を飲めば直ります、ということにはならないですよね。

お子さんのこと、ほんとに深く理解しているのは、ドクターですか?セラピストですか?それともお母さんですか?

お子さんを育てていくのは誰ですか? お子さんと生涯歩み続けるのは、誰ですか?

答えは、明白です。 


どんな診断が付いたって、検査でどんな数値がついたって、日常はそのままです。

しかし、この子の特性をより正しく理解するために、検査や診断を使い、ご家族が何らかのアクションをやアプローチをしていこうとする意志がはっきりとあるのなら、話は別です。

もっと早く我が子のことを知り、親としてもっとしっかりしたアプローチすればよかった、空白の3年間が悔しいと、後悔されているご家族の方もいらっしゃいます。

ただ逆に、今一歩、診断や検査が生かされないケースもあるでしょう。 そうした場合は、不必要にそのことにとらわれることなく、お子さんの日常に寄り添ったアプローチが大切になっていくのではないでしょうか?

私が、検査や診断は利用するものと、とらえているのは、こうした理由によるものです。

まずは、ご家族が実態に寄り添い、その子に応じたアプローチをどう展開していこうかということが先にあって、その上で、一つの手段として検査や診断は利用するべきものだと、私は考えています。

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出来ないか! 書字にかかわる文字の系統化  (障害を理解と支援で個性に変える)

 2008-09-13
昨日は、花子ちゃんの指導の日でした。

午前中は、お母さんと一緒にある親の会に出席しました。

その席上で、「SHINOBU先生に週1度教えていただいただけで・・・・」 と、このお母さんが発言されたのには、少し驚きました。

春の頃は、「一人でいくのは不安なので、ご無理でなかったら一緒に来ていただけませんか?」 ということでご一緒し、終始不安げな表情だったのに、この日は、こうした会でわざわざ私のことを皆さんに伝えてくださるなんて相当勇気のいったことであろうに、信頼を寄せてくださるその真心を、とてもうれしく受け止めました。


夕方からは花子ちゃんの指導でした。小さいけれどもこの日も、学習のステップを、一緒に楽しく乗りこえることができました。

私にとってのこの日のテーマは、新しく考えた書字のスモールステップに、実際に花子ちゃんがどう反応するか、ということでした。


読むことはできるけど、形を正しく認知し、書字までつなげることの苦手な花子ちゃん

今日私がトライしたのは、だったら、シンプルな形の漢字をがっちり固めておいて、そこから広げていこうとするいわば「文字の系統化」です。

算数なら1+1からスタートするけど、花子ちゃんにとっては1年生で習う「赤」なんて、最悪の文字なんです  だめですよ、あいまいな曲線やハネやはらい・・ いきなりもってこられると、花子ちゃんには苦しいです。

なのでこの日は、「口」からスタートし、「田」「日」「目」「貝」「中」「早」「白」「音」「男」と攻めてみました。

すべて「口」がベースになっていますからね、今日のところは、良い感じです。

この方法なら、漢字の書き取りだって、クリアすることができました。 小さいけれど、意味のある第一歩です。


そういえば、何気なく数え棒で、「田」とか「男」作っていました。

「花子ちゃん、粘土で今度いっしょに漢字作ろうか~」 と水を向けると 「やる~、ぜったいやる~」 と強烈に食いついてきました。

粘土の文字作りは定番ですからね。 絶好の展開です。 モチベーションMAX状態になってきました。

先週、宿題の漢字ノートの赤インク、涙でにじませた子どもですよ。

日常生活で困らない書字能力の育成 これがご家族からいただいた切なる願いです


この子の聴覚性の入力能力は、抜群です。 英語だったら、30文字もないんでしょ。 AやBなら書けるので、外国だったら書字障害にならないかも・・

あたかもアルファベットを組み合わせるかのように、パーツに分解して、系統的に漢字を攻めていこうというのが、今回の私のチャレンジです。

それに花子ちゃん、英語大好きなんですよね。 もしかしたら、そういう子なのかもしれないと、その可能性に密かに期待を寄せています。

日本語を勉強している、外国人も漢字では相当苦しんでるじゃありませんか

花子やん、読めるのはちゃんと読めるわけですから、ワープロだのなんだの考えると、あまり悲観的にならずに、どんどん攻めの発想で攻略していきたいものです。


「障害は、理解と支援で個性に変わる」

ご存知、高山恵子さんの名言です。

その理解と支援とやらを、花子ちゃんに対する書字指導で具現化したい、

これも、今の私の一つの大きな目標です。

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すべての子どもにほしい わかりやすさと方向感 (発達面に課題のあるお子さんの 行動改善に必要な指導性とは)

 2008-09-12
このご私は,他の地域の保育園にお伺いする機会が増えてきました。

そこで何人かの先生と一緒に,発達面で課題のあるお子さんの育ちに向きいました。

今時ですから,どの先生方も,すでに発達に関する一定の知識はおもちです。ですが,なかなか研修に出かけたり,リアルな実践を見聞きする機会が限られますから,どうしても,これで本当にいいのかな?という不安や迷いを片方にかかえながらの毎日です。

ベテランの先生も,若い先生もそれは同じです。 

また,ご家族の皆さんも,保育園の先生や療育の先生・親の会メンバーの方などから,いろいろな情報やアドバイスを得ながらも,その温度は必ずしも同じではなく,我が子のこと,本当にこれでよいのだろうかと,日々迷う場面も多いのではないかと思います。

迷って当然です。 定番の答えなど,どこにもありませんし,A先生が言ったことを,B先生が全面否定なんてことも,あり得ることです。 それだけ方法についても,内容についても,力量についても,玉石混合というわけです。


これは私の経験則ですが,発達面に課題のある子ほど,活動に方向感があると,安定した活動をすることができます。

今,運動会の練習に取り組んでいる園も多いと思います。 

当たり前のことを言うようですが,計画がずさんだったり,段取りが悪かったり,何をやってるのかわからなくなったり,無意味なやり直しが何度もあったり,いらいらしたり,場のムードが悪くなったりすると,ここで一番に揺れるのは,発達面に課題のある子どもです。

全体の流れを立て直さなければならない,そんなことになった時に限って,特定の子にかかわったりすると,まずます事態が泥沼化してしまうこともあったりします。

案外,ちょっとだけ発達の勉強された方が,個にばっかり目が向いて,大切なその子にとっての場の構成を混乱させてしまうということも,ありがちな話です。


基礎がしっかりされ,指導性のある先生こそ,発達面に課題があるお子さんにとって,何よりの応援団となっているわけです。

何とかの一つ覚えみたいに,絵カード持って,子どもの後を追っかけているような先生を見ると,悲しくなってしまいます。


うちの保育園には,長年,大阪から岡山まで新幹線で音体の指導に来てくれている先生がいます。1回の指導料はかなりの額ですが,それだけのことはあります。

厳しい指導ですが,今日はここまで育てるというビジョンと流れが,爪の先までぎっちり詰まっていて,それは見事なものです。

うちの保育園にも,当然課題のある子はいっぱいいます。 でも,この先生の指導時間には,何だかりりしく,かっこよく,たくましく見えます。

もちろん多少の負荷はかかりますから,ケアが必要な場合もあります。

しかし,評価の場があり,達成感があり,方向感がしっかりしているので,リターンは大きいし,何をすべきか,個別サポートの方法も明確になります。

ここで著しく自己イメージを向上させ,その後大きく伸びた子どもは数知れません。

音体の先生は特別この子だけに特化した指導をしているわけではありません。しかし,本質をとらえた指導は,誰よりも,発達面に課題のある子にとって有効となっているわけです。

発達面で配慮の必要な子のことを思い描いて全体の場を構成することは,ほかのすべての子の活動に有効に働くこととなるでしょう。

その視点で,もう一度個別支援を見つめ直すと,何のために何を,ということがはっきりしてきませんか?


小さい子ほど,何かに向かって全体が進んでいく方向感に胸をときめかすものではないでしょうか?このときめきを大切にしたいと考えるのは,私だけでしょうか?

このことは,きっとご家族の役割ということについても,当てはまることだと思っています。


お子さんに向き合うことは,必要不可欠なことです。

しかし,どうしてもその特性の方ばかりに目が向き,細かいことばかりがぐるぐる回転し,空気がよどみがちになる傾向があります。

少しだけ特性や傾向があるだけなのに,人間自体があまりにも特別な存在になっちゃあ,かえって不自然な場合もあります。


人として育てる基本がきちんとあっての,その子理解なんだと思います。

そのわかりやすく,明確で,自然で,筋の通った,安定感のある,安心できる,お母さんのかかわりがあってこそ,スペシャルなサポートが生きてくるのだと思います。

勉強は大切です。 しかし,それが身につき生きて働くためには,努力も時間も必要です。

付け焼き刃や,小手先のテクニックにとらわれるリスクがあることも,理解してほしいと思います。

自分らしさの芯ををしっかりもって,そこに少しずつ厚みを増していくような吸収の仕方が,一番近道なんだと,私は考えています。

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グレーゾーンという曖昧さ・残酷さ・むずかしさにとまどう保護者

 2008-09-11
私はこれまで何度も、相談機関に行かれたり、発達検査を受けられる保護者に寄り添ってきました。

これまで、こうした検査や相談機関に行かれて、「お母さん、それは思い過ごしです。大丈夫です。ノーマルレンジなので何の問題もありません。安心してください。」と、言われたケースは、ただの1度もありません。

よく考えてみれば、何か気になることがあって検査や相談に行かれているわけですから、仮に数値的にそれほどの事がなくても、担当者の口から 「大丈夫です」 と、軽々しく言えないのは確かです。  言ったことには、責任も伴いますから・・

これも私の予想でしかありませんが、従ってそういう場合は、 「ここで障害があると断定はできませんし、全く問題がないとお答えすることもできません。」 という、いわゆるグレーな言い方になってしまうのでは、ないでしょうか?


私のかかわった経験から、このグレーという状態が、必要以上にご家族を苦しめます。

障害と、きちんと診断されたのであれば、それを障害としてきちんと受け止めて、理解して、子どもに接することが出来る。勉強して、親として出来る限りの事をしていこうという覚悟もできる。

しかし、グレーと言われてしまうと、例えば衝動的な行動を起こした時に、理解したり・受け止めたりするべきなのか、それとも毅然として躾けたり注意をしたりするべきなのか、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。

母として、家族にどう説明したらいいのかも、わからなくなってしまう。

切実な、母としての魂の言葉です。

こういう立場のご家族は、非常に苦しいです。


これは、先日ある方から聞いたお話です。(きちんと裏付けをとった話でもなく、一方的に伺った話として受け止めてください)

あるお母さんが、お子さんの検査に行かれ、どちらかと言えば、白に近いグレーの診断を受けました。

私は、この子の、実際の生活の様子も拝見しましたが、私の見た感じでも、ノーマルレンジだけどその子に応じた配慮も欲しいかな、という感じでした。

(私もわずか何時間か子どもの様子を見ただけで、大丈夫です、普通です、なんて軽々しいことは、口が裂けても言えません)


しかし、ここにある専門家が登場します。(ここからは、すべて聞いた話です)

その専門家は、そのお母さんに、「自分はどう思うのか?本当にシロだと思っているのか?親としての役割を放棄するのか?」と、強い口調で迫ったというのです。

このお母さんは、聡明な方であったので、いろいろな所から、その専門家の情報も収集され、きっと賢明なご判断ができるであろうと、聞きましたが、ここでの揺れる不安なお母さんの心情は、察するに余りあります。

その専門家の方は、きっとこの子の成長や幸せのために、自分のかかわりが是非必要と判断されてのことでしょう。しっかりとした実績とビジョンと技術をおもちなのでしょう。

でも、もしそうでないとしたら、こんなに恐ろしく、許し難いことはありません。

当たってないことを望みますが、お話を聞いた限りでは、正直、まるで人の弱みにつけ込む新興宗教のようだと思いました。

自分がこうであってはならないと、強く戒めるべき話として受け止めました。

と、同時にこのグレーで苦しんでいらっしゃるご家族には、何が大切なのか、整理しておくことも必要だと思いました。


私はとにかく、子どもが生き生きと学習に取り組み、生き甲斐や自信、こうした自己イメージを向上させ、心に余裕をもって、楽しく学習やいろいろな活動に取り組み事ができるようなサポートを、ご家族といっしょに作っていこうと思っています。

診断には、必ず何らかの基準や尺度があって、一定の境界線があるわけで、そこを超えた超えないだけで、その子が障害児かどうか? と分かれるというような印象を与えがちなところも、改善していかなければならないことの一つではないかと考えています。

人の存在は、そんなもんではないだろう、 と私は思っているのであります。

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「字なんか読めなくても何とかなる」 「でも読み書きできれば便利だね」  (自己イメージを低下させず 将来に生かしていくための多感覚指導法)

 2008-09-10
昨日は、「読み書きの苦手を克服する子どもたち」 という滋賀大学キッズカレッジ(SKC)窪島務さんの本を読みました。

計算もそうですが、「読み」「書き」は、私たちにとっても、最も大切な課題の一つです。

私は、この本,ぺらぺらとめくっただけで、この方がどれだけすばらしい論理性と実践力をおもちの方か、すぐにわかりました。

標記の 「字なんか読めなくても何とかなる」「でも読み書きできれば便利だね」 という言葉は、この本の中の一節ですが、これは、本人の自己イメージやモチベーションを低下させないための、魔法の言葉ですよね。


先日、涙を流して漢字の宿題をしている花子ちゃんのこと、お伝えしましたが、涙を流して苦手なことを無理矢理させることと、 文字を書くことに抵抗感がなくなるよう、書くことに前向きに取り組めるよう教材を工夫することと、どちらが本人の将来に生きてくると思いますか?

私は、本人の得意なことをベースに、それを膨らませていく方法 (行動レパートリーの拡大・長所活用型指導・得意な認知特性に苦手なことをミックスする二系統同時刺激など)を指導のベースにしていますが、窪島さんは、多感覚指導法という言葉で、漢字の具体的な指導を紹介されていました。

これは、例えば、空書・なぞり書き・手書き・粘土の文字・辞書など様々な活動を、30分ほどの活動の中で次々に行い、単調な反復練習は決してしない、というスタイルです。

つまり、先ほどの花子ちゃんの学習(短所矯正・繰り返し・ワンパターン型)とは、真反対の学習法と言えるかも知れません。

私は、ある程度反復練習はさせますが、90分の指導で9つのユニットを指導するタイプなので、タイプとしては、完全に窪島さんタイプです。


さらにページをめくっていくと、「安心して出来ることを課題として出す」 「子どものペースでできることを励ます」 「だいたいできたらほめる」 「間違いに気がついても、すぐに指摘したりしない」 とありました。

世の中には、似たような考えの方もいるものだなあ、とうれしくなっちゃいました。 勇気が出てきました。

花子ちゃんのお母さんがメールで 「せっかく勉強が好きになったのに・・・」 と書いていました。 花子ちゃんは、勉強が楽しいと感じたからこそ、いろいろなことで、希望がもてるようになってきたのです。

わずか数の漢字と引き替えに、勉強が嫌になったんでは、何にもなりませんよね。 そこには、やっぱり工夫が必要です。


「読み書きできれば、便利だね」 って、そう簡単に言える言葉ではありません。 

しっかりとした理論・指導技術・そして本質を見据えた教育観・人間観・発達に対する見方があるからこそ、初めて口にできる言葉です。

読み書きは,必ずできるようにできるようになるから,安心して,楽しんで勉強しようねっていう。自信とあたたかさに裏付けられたメッセージがそこに込められています。

水分もとらず,草むしりをしたり,球拾いをしたり,ウサギ跳びばかりをさせて,野球が本当にうまくなるでしょうか?

基礎運動も大切ですが,実際にバットを振ったり,ゲームに出場したり,喜びを分かち合ったり,こうしたたことがあってこそ,基礎運動に対するモチベーションもあがるというものではないでしょうか?

セルフエスティーム、肯定的な自己理などなど、むずかしい言葉を並べるのは簡単です。何か、わかったような気になります。

でも、「読み書きできるて、便利だよね」って、子どもに伝えることの出来ることって、そりゃ並大抵ではありません。

窪山さんは、認知の混乱とディスレクシア形成のメカニズムを構造的に図式化されていました。そして、どうしたらよのか、そのアプローチも明確に示していました。

ここまで、わかっているから、言えることです。

我が子にあった学習スタイルを理解したり選択するのも、ご家族の大切な役割だと、私は考えています。

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カリスマティックアダルトとしての支援者の存在

 2008-09-09
私は、高山恵子さん、大好きです。

保育園のリーダー研修で、何の予備知識も期待感ももたず、最初はぼんやりと聞いていましたが、彼女の語りは、それまでの研究者とは、ひと味もふた味も違いました。

右の愛読書コーナーにある、高山恵子さんの「おっちょこちょいにつけるクスリ」は、図書館に予約入れてもなかなか借りることができず、しばらく花子ちゃんのお母さんの本をお借りして読んでいましたが、やっぱりどうしても手元に置いておきたくて、結局購入して、このパソコンのそばに置いています。

今日のトピックの「カリスマティックアダルト」という言葉は、その著書の中で、2000年に高山さんが参加したCHADD(ADHDの支援団体)の講演会で、ハーバード大学の医学部のドクターが、「ありのままの自分を受容し、課題をきちんと指摘してくれるカルスマティックアダルトとのかかわりが、人の人生を大きく変える」という部分から、引用しました。

Googleで用語を検索してみると

「よき理解者」あるいは本人を常に無条件で受け入れてくれ、また本人が全幅の信頼を寄せている成人のことを「カリスマティック・アダルト(Charismatic adult)という。本人を心から信頼してくれる「よき理解者」こそが、その子どもの秘められた才能を引きおこす最も重要なキイ・パーソンとなる。

一次障害(機能障害)についても、PDDがケース化するかどうかは養育環境や周囲との対人関係など、環境要因が深く関わっていると思う。教育現場では「発達障害が増えている」との声が聞かれますが、発達障害そのものが増えているのかケース化しやすくなっているのか、判別が必要。ADHDについて「カリスマティック・アダルト」の存在が重要である、と唱えている人がいる。カリスマと言っても強烈な人柄や洗脳ではなくて、その子を理解してくれて、モデルになる大人と言うことらしい。カリスマティック・アダルトと出会って人生に目標ができれば、ケース化しないで済む、あるいは大化けする、と言うことら しい・・・


最近、孝志君のお母さんから、頻繁にメールをいただいています。先日18歳誕生日を迎えた孝志君の就労や将来の事で、ご相談を伺っていました。

その相談の中で、お母さんがあるNPOのセミナーに孝志君を連れて行きたいので、孝志が信頼している先生の方から、パンフレットを送ったり、勧めてくれないか・・という内容のものがありました。

そのセミナーは、ぱっと見た感じ孝志君に合っているように思いました。 でも私は、まだ担当の方に会ったわけでもないし、心の底からそのセミナーを孝志君に勧めようと思う所には至っていないので、そこはお断りをさせていただきました。

私は、小学校の教師として、孝志君にかかわったものとして、ずっと長くこの子たちとかかわり続けようと思っています。

子どもの前では、いつも直球勝負。 目先のストライクをとりにいって、一番大切なことを失わないようにしたい。 それが正直な自分の気持ちです。


ずっと昔(今から20年近く前)、私が情緒障害児短期治療施設の派遣学級にいたころ、私はその施設に入所していた子どもに深く心を寄せていました。信じられないような厳しい環境の中を、明るく生き抜いている子どもの姿に、心を打たれていました。

しかし、当たり前のようだけど、自分の子どもにすることはできなかった。

だとしたら、心を寄せれば寄せた分、いつか結果として、その子の心を裏切ることになる・・・

卒業しても、電話をかえてくるその子に、線を引く作業は、本当につらく悲しいものでした。

若気の至りと言えばそれまでですが、それ以来私は、ずっとずっとその子に寄り添える寄り添える存在に・・・  大したことは出来なくととも、死ぬまでその子を裏切らずに応援できる存在になろうと、固く決心をしたのでありました。

そのためには、軸がぶれないようにしたり、一定の距離を置くなどの工夫も必要なのです。


たぶん(これは期待ですが)、太郎君や花子ちゃんや友里ちゃんにとって、SHINOBU先生の存在は、このカリスマティックアダルトなのだと思います。

「私の指導は、特上の松坂牛です」 と、お母さんに伝えたことがあります。 

どういう風に伝わったかわかりませんが、私が言いたかったのは、

「こんなもの、おいしいからと言って、毎日食べられるものではありません。本当は、毎日食べるごはんの方が、よっぽど大切なんです。つまりご家族の愛情が、毎日食べるごはんであって、それがあっての松坂牛、ということが基本です。たまに食べる松坂牛が、大きな幸せとなるよう、そこには工夫も必要です」

というような、ことだと考えています。

欲しいですね、こんな存在。 それが担任の先生なら、最高ですが。


高山さんは、著書の中で、こんなことも書いています。

「こんな話は、わざわざアメリカで聞くような話ではない。 欧米の真似ではなく、日本の学校にある昔ながらの、子どもを想う、熱心な先生方が培ってきた 「子どもにわかる具体的な指示、その子にあったていねいな指導」 を共有することが大切・・・・

まさにその通り

9/5 に紹介した保育園の先生も、それはすばらしい先生でした。

ちゃんとイメージしてればね、見つけることもできますし、チャンスもあります。 イメージなければ、隣にいてもわかりません。

それに、ご家族がそういう期待をもっていれば、その先生も、そんな役割になっちゃいます。 (きっと今の私は、ご家族の皆さんの願いに添った活動をしているだけなんだと想います)

今日明日に、と言うことではなくて、そういう流れを作っていくことも、ご家族の大切な役割だと、私は考えているのです。

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読む・書く・聞く・話す・数える 優先して育てていきたい子どもの力 (ご家族と作る個別指導計画)

 2008-09-07
通常学級に在籍していると,容赦なく教材は進んでいきます。

では,特別支援学級にいれば,ご家族としてぜひお子さんに育てて欲しい力に焦点化したプログラムが実施されているかといえば,必ずしもそうだとは言えません。

学力を育てていくやり方にもファンダメンタル(中心的・基礎的)な方法と,テクニカル(技術的)な方法があります。

とにかく,学校のテストの点数を上げていきことが必要な場合は,それなりの方法があります。

いわゆる受験テクニックみたいなやり方で,予想問題や丸暗記や便利な覚え方みたいに,攻めていきます。

点数を上げることにより,自己イメージが上がり,そういったことがきっかけではずみがつく場合もありますので,こうした方法が必要なケースもあるでしょう。

しかし,社会にでたときには,こうしたテクニックはあまり意味がありませんので,ここにシフトした力を付ける,となると方法は変わります。

まずは,学校のテストが何点だろうと,そんなことで自己イメージを低下させない構えが必要です。(もちろん,どうでもいい,ということではありません。点数より,中身を見ようということです)

社会に出たときに,読んだり・書いたり・話したり・・・  そういったベーシックな力,大切な力をちゃんとつけていきたい,と考えたならば,中途半端にあちこち囓るより,大切なことを選んで,系統的にきちんと育てていきたいと,ご家族ならば思われるのではないでしょうか?


現在,学校では 「個別の指導計画」 などの準備が進み,自立に向けた縦軸の通しを図る取り組みが行われています。

しかし,本当に魂がこもっているかどうかは,別物です。

ここには,保護者の願いや考えが,もっともっと反映されるべきだと私は強く主張したいと思っています。

教育は,カリキュラムが先にあるものではありません。

実態があり,願いがあり,次にカリキュラムが作成される,というのがあるべき姿です。


先週,花子ちゃんの宿題ノートみると,涙で赤インクがにじんだページがありました。

花子ちゃん,形の認知,むずかしいんです。 書くのも苦手なんです。 5日連続同じところのやり直しですか? そこに,どんな手だてがあるのでしょう。 短所矯正指導で,自己イメージかなりさがってますけど・・  もう少し,長所活用方指導になりませんかね そもそも,どこまで認知特性を理解し,自立に向けた指導目標を設定しているんでしょう?

ここで,先生と相談するのも一つの手です。

ただし,相談するに値する先生でないと,かなりダメージ受けます。

そうした場合は,次の一手も考えていきましょう。(まだまだいろいろなすべき方法はあります)


時間が無制限にあるわけではありません。

ならば,まずは何を育てていきたいかを,ご家族で先にはっきりしておきましょう。

花子ちゃんはあと10年経ったら,どこでどんな暮らしをしているでしょう。だったら,今何をすべきか,答えは見えてきます。

今の,担任の先生は,そのころ転勤かご退職ですが。ご家族には転勤も退職もありません。

任せっきりにはできませんよ, と,私がご家族に何度も伝えているのは,こういうこともあるからです。

子どもの生活や幸せをイメージした,オリジナルのビジョンは,ご家族に課せられた大切な仕事であると,私は考えています。

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子どもの衝動性の改善における実践事例 ② (たたく・投げる・飛び出す・乱暴になる など)

 2008-09-06
太郎君の衝動性の改善に向けた取り組みについては、7/1の記事で紹介させていただきました。

夏休みに入る前は、いったいどうやってこのめちゃくちゃな行動を改善するか、頭を痛めたものですが、今では学童保育の場面で、特にそのことについて特別な配慮を必要しないレベルまで改善してきました。

夏休み期間中、月曜から金曜まで、朝7時半に私の運転する保育園のバスでお迎えに行き、夕方までたっぷり9時間以上、ビデオも任天堂DSもない子どもの世界で、問題行動が改善され、野球ごっこまで出来るようになったのですから、うちの担当指導員も大したものです。

2学期が始まり1週間、学校ではどうなんだろうと思っていたら、お母さんからメールが届き、 「学校でも調子いいみたいです。45分間座って勉強できるようになりました」 とうれしいお知らせです。

実験統制をしていないので、行動改善の要因を立証することはできません。

が、その取り組みについて、私なりに整理しましたので、何かの参考になればと思います。

振り返ってみると、取り組んだことの柱は、大きく分けると次の3つ


① 応用行動分析(PBS機能的アセスメントの手法を、指導員が使いやすいように整理したものを担当指導員に記入させ、行動のメカニズムと解決の方法をとらえさせる。

② きちんとした方法(視覚支援・言語化・文章化・共通化・明確化)で、本人にどうしたらいいかを伝え、指導する。

③ 子どもが集団の一員として受け入れ、子どものパワーをを活用するよう意図的に集団の場を構成する。


で、あったように思います。(最初からきっちりこうであったのではなく、指導員と話し合っていく中で修正し、今振り返ってみるとこうなった、というものです)


①の内容(7/8記入)を見ると、すごいですね。問題行動の内容を見ると

「突然、無差別に、女の子の身体をたたく、つねる、ひっかく。男の子にミニカーを投げる、追っかけてたたく、首をつかんで離さない。おはじきを投げつけて、割る。砂をスコップで投げる・・・」

このころは、大変でした。

どんな時に起こったか、の覧を見ると、

「自分の思い通りにならない時、おやつが気に入らない時、眠い時、不安な時、受け止める人がいない時、安らげる環境がない時」

と、あります。次に、その行動によって、本人が何を得たか、周囲がどうなったか?の覧では、

「おもちゃをひとりじめする。興奮した後、そのまま泣きじゃくり眠ってしまう。みんなが怖がって逃げる。」

と記入されています。


なるほど、なるほど、思うこと・思い当たることはたくさんあります。


②については、そうたママに教えてもらったイラスト集(PICOTコミュニケーションブック)を使って、イラスト入りで、「よいこと」「いけないこと」「こまったときにすること」「こほうびシート」を小さな一冊のパンフレットにして、私が指導しました。

(今日も新幹線のバラバラパズルシールをごほうびで貼りました。でもこのパンフレット自体は、大した物ではありません)


③はこの夏休みの最大の成果だったと思います。一番変わったのは、いけないことがあれば、大きい学年の子が、太郎君を注意するようになったことです。そして、そこに同じ学童保育の一員としてのメンバーシップが芽生えたことです。

100均で買った電車のおもちゃで、毎日遊びました。 「まさとくん、やさしいよ」と、同じ1年生のごっこ遊びの仲良しができたことも、大きな収穫です。

こうした価値観は、この指導員が支えたものです。ちゃんとこのことを子どもにわかるように伝えきれたのは、この指導員の指導観がしっかりしていた証です。

「ずるい」 とか 「もう、きちっとして」 という女の子も、太郎君を仲間として受け入れています。そして、この女の子たちも、厳しくて優しいこの指導員が大好きです。

毎朝、学童お迎えバスは私が運転し、園長が同乗しましたが、その1時間余りの時間が、クラスで言えば、ホームルームのような時間になっており、いけないことをきちんと指導する場になっていたことも良かったのかも知れません。

結果として、このことによって、問題行動に対しての教化(わがままが通る)のルートが遮断され、問題行動を維持する要因が減少してきたのではないかと、私は考えます。


心理面や体調面での維持管理や情報、あるいは指導方針などご家庭の協力をいただき、問題行動が起こりにくい環境づくりができたのも、大切なことであったと思います。


内的興奮や事物や注目の獲得など、問題行動を起こして得るものがなくなり、問題行動を維持する要因が減少したとも考えられます。


そこへもってきて、自己イメージの向上  望ましい行動による、プラスの教化!

このおいしい仕事は、私の役目です。

おりこうにしてたら、シール貼ってもらえます。電車のおもちゃもらえます。たっぷりほめられます。いっしょに給食やおやつがたべれます。 お母さんや家族の人にほめてもらえます。いっしょに外であそんでもらえます。


当たっているか、どうかはわかりませんが、これが現状に対する私の見方です。


今日、お母さんが手紙に添えて、笑顔いっぱいの太郎君の写真をくださいました。

さっき、学童保育をのぞいてみると、プールの中で、それは楽しそうにみんなと遊んでいました。

もうすぐおやつの時間なので、この部屋へ私を呼びに来てくれるはずです。 これからもいろいろとトラブルもあるここと思います。

ただ問題行動が起こった起こらなかったということだけでなく、ひとつひとつの事柄を通して、どう子どもを育てていくか、一番大切なのは、そういうことなんだと私は考えています。

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信頼できる先生を選択する基準 (基礎理論と臨床技術 問われる指導者の専門性)

 2008-09-05
昨日、ある方のコメントから、特別支援にかかわる先生の専門性について考えさせられました。

内容は、以下の通りです。




特別支援に来る担任が専門性があるとは
限らないですよね。

通常級では複数の保護者の激しいクレームがついて
火だるまになり、とてもやれないから、
人数の少ない特殊級(ないし特別支援学校)に・・と
いうケースもありますね。
それも決して珍しいことではありませんよね。

給料がいいから、
退職金に反映されるから
という理由の人も少なくありません。

それでもきちんと仕事をしてくれるなら
問題ありませんが。

「私は免許を持っていますから」という先生に
「大学の専攻は障害児ですか?」ときくと
「いいえ」という答え。
たかだか何時間かの講義を聞くだけで(レポート提出とかでも)
免許を持っているといわれても・・・・
しかも免許を持っていても
実践が伴わないので 何の役にも立たないのです。
こどもを不登校に追いやっても
「あの子供が(保護者が)悪い」と。反省の色は
皆無です。(中高年の教員に良く見られる現象です。
フレッシュマンにはあまり見受けられません)

「より適切な指導を受けれますから」と教育委員会がいうのなら
そういう実践を個人芸ではなく、
どこに行っても受けられるようにしてほしいですね。




この件については、私も思い当たることが、いくつもあります。

まずね、大学に行っても、研修に行っても、教えてもらえることのほとんどは、基礎理論であって、臨床技術ではないということです。


すべてとは言いませんが、大学の先生の多くは研究者であって、教育の臨床実践者でないのです。

もっと言えば、大学の先生方には、実際に、自分で子どもを教えたことがない人もいます。授業をしたことがない人もいます。

もちろん現場の連携を深め、それぞれの専門性を発揮し、優れた授業改善のために多大な貢献をされています。

でも、教育学部の教授だから、全員教員免許があるか、と言えば、それはNOです。

大学で学ぶのは、教師として最低必要な基礎理論であって、だからといって、実際の指導に必要な臨床技術が、必ず身についているかと言えば、そうは言えないのです。

じゃあ逆に、例えば特別支援学級の免許をもたない人の臨床技術はどうかと言えば、免許は無くても、障害のある子どもの力をどんどん伸ばしていく力のある先生は、山ほどいます。


じゃあ、その臨床技術をどうやって身につけていくかというと、例えば、こんな過程になります。

大学で一定の基礎理論を学び、教育現場に出ます。この基礎理論にも、定番というものはなく、大学で、これはと思う先生のゼミをとり、卒論でそのことを書いた、という程度です。

教師になって数年は、とにかく独り立ち出来るよう、子どもにしっかり向き合い実践のキャリアを積みます。

もう、誰かの世話にならなくても、自分のことは自分で出来るようになったら、今度は、教師としての自分の研究テーマ=ライフワークに向けた歩みを始めます。

ここで、様々な教育雑誌、実践研究、研究会、サークルなどで技術を磨き、我と思わん者は、積極的に自分の実践を公開するなど、情報発信をしていきます。

教師としての力量や技術は、実はここで高められるのです。


免許のあるなし、出身大学の偏差値、先生としての地位やポジション、キャリアなどは、プロフィールとしては意味をもちますが、実際の指導となると、それは参考の材料にしかすぎません。

先生にも色々タイプがあって、研究発表をやらせると、専門家も大学の先生も一目置くようなすばらしい内容の提案をする先生が、こと学級経営に関してはボロボロということは、よくある話です。

管理職に逆らって、問題教師とされている先生が、子どもにとっては生涯の師とであり、結構式で仲人なんて話もよくあることです。

特別支援の免許があるというのは、発達の基礎を学ぶ意欲と姿勢ということから、とても大切なことだと思います。


しかし、臨床技術は別です。

プロである以上、特別支援学級の先生全員が、保護者の期待に応えられる臨床技術をむつべきであり、特別支援学級の先生というからには、そうであるべきだと思います。


ただし、現実はどうでしょうか? 

そこで大切なのは、我が子にとってどうか? という視点だと思います。

免許のあるなし、とかそういうことではなくて、我が子にとってどうか?という内容で先生を選んでいくことだと思います。

うちの学区の特別支援学級の先生はどうも・・・と考えるのであれば、隣の学区はどうですか?通級指導教室はどうですか?通常学級はどうですか?校長先生や地域の方への働きかけはどうですか?


ここで、いきなりめちゃを言ったり、横車を通そうとしてもダメです。

公教育ですから、表面上は無理は通りませんが、実際は、どう考えてもご両親のひたむきな姿勢や取り組みが、この先生を呼び寄せたとしか思えない、という例を、私はたくさん知っています。

ひたむきな姿勢が、校長先生を動かし、信じられないような人事が執行されたこともあります。

それもこれも、お子さんの実態・必要感・求めていく、希望する具体的な指導形態のビジョン・正当性・公平性・手続き性など、条件が整わないと無理です。

いくらやっても、無理なケースもあるかも知れません。 それでも、次の一手は考えていかなくては、なりません。 むごい先生の実態があることも、幾度となく聞いたりふれたりしてきました。


こうしたことを専門的にサポートする存在が欲しいところですが、いなければまずは、自分で進めなくてはなりません。

その一歩は、 「うちの子は、こういう特性のある子なので、親としてこんな教育を希望している」 ということを、具体的な形で学校に伝えたり、理解していただいたりする取り組みです。

何もしなけりゃ前へは進みませんし、いきなり言っても、まず無理でしょうから、容易ではありません。


大きな社会の流れを、教育のうねりを巻き起こすために、批判を批判として形にしていく取り組みも、一方では大切な事だと思います。

と同時に、現実の我が子の教育の形を、地域社会のリソース(資源)の中から、選択したり、組み合わせたり、作ったりするのも、親として大切な役割ではないかと思うのです。

その一切な視点の一つとして、先生の臨床技術ということを頭に置かれてはいかがでしょうか?というのが、今日の私の言いたいところです。


先日、ある保育園の先生の相談を伺いました。 障害児保育という枠ではなく、普通の保育の中でかかわりをされている若い先生です。

3時間位保育の様子を拝見させていただきました。かなり、ハードなケースでしたが、子どもに寄り添い、ていねいに、しかも熱い気持ちで保育の実践に取り組まれていることが、ダイレクトに伝わってきました。

私は、発達の視点から、思うことを伝えました。 そして、そのことがどれだけ価値のあることかを話すと、しっかりとした表情でこちらをきちんと見据えながらも、大粒の涙が、ぼろぼろとこぼれていきました。

この先生は必ずやるでしょう。 尊敬とあこがれの視線でこの先生をサポートしていた新採用のサブの先生も、だんだんと表情がひきしまっていきました。

ここには免許も何もありません。

ただ質の高い・魅力ある、臨床技術向上への期待が、ここにあります。

保護者の方の信頼は、指導をする者の命です。こういう魅力ある先生を支え、手をつなぎ、いっしょに歩んでいくということも、ひとつの方法として知っておいていただけたらと思います。

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自己イメージ向上が、衝動性をおさえ 集団適応力をアップする!  (友里ちゃんのうれしい変容)

 2008-09-04
2学期が始まって、今日でもう4日目となりますが、それぞれのお子さんはどんな感じでスタートされたのでしょうか?

友里ちゃんとは、この夏休みから一緒に勉強するようになりました。

私の指導は、認知特性と応用行動分析に基づいたエラーレス完全習得学習ですので、原則、つまずきはなしです。 (つまずきそうな課題には、必ずそのときの備えをしておきます)

どうも、これが友里ちゃんにもはまったみたいで、勉強時間は、すごく盛り上がります。

1ユニット10分程度の学習を7~8用意して、その7~8のスモールステップを、確実に1つ登らせます。

ひとつのユニットを1回で7つ登らせることは不可能ですが、7つのユニットを全部1つ登らせることはできます。

毎回友里ちゃんと交わすのは、「もう90分たったの 信じられない~」 という会話です。 私も、この90分の時間の短さには、自分で驚いています。 


友里ちゃんは、時々衝動的に自分をコントロールできなくなることが、あるとお母さんから相談を受けました。

3時間近くお母さんから、ご相談を伺ったでしょうか?

PBSの機能的アセスメントの手法を使って、自分なりに分析をしてみました。

私は、そうした行動を維持している要因は、自分自身に対する不安からの回避ではないかと考えました。

ならば、学校での集団適応には、友里ちゃんが一番大切に考えている学習の不安を少なくしてやるために、復習よりも、予習を中心とした学習が効果があるかも知れないと思い、次の指導からシフトチェンジしてみました。

以下は、一昨日届いた、友里ちゃんからのお母さんから頂いたメールの内容です。




とうとう二学期も始まりましたが、友里の話によると今のところいい感じみたいです。まだ二日目ですが・・・(笑)。

今日は係り決めがあったみたいですが、「本当は保健係になりたかったけど二人しかなれなくて、三人なりたいって人がいたから友里が譲ってあげた。」とか・・・いつもならなりたいなりたいとごねていた人が(笑)

わざとらしい位に思いっきり褒めておきました(笑)

「漢字もSHINOBU先生に習ったのを今日学校で習った。だから余裕なんよ。」

「友里はな、もうSHINOBU先生がおるから喧嘩もせんしSHINOBU先生パワーで頑張れる」と嬉しそうです。

二学期のいいスタートが切れたのもSHINOBU先生のおかげだと思います、ありがとうございます。
この調子でずっといけばいいのですが・・・(汗)。

友里にとってはSHINOBU先生の存在が何よりの安定剤になっているようです。




たった2人の指導場面で、あれだけ楽しく盛り上がれば、そりゃ元気も出るでしょう。

もしかしたら、しっぽをつかんだも知れませんね。

今後も、この子がこの調子で自分らしさと、自分の力を伸ばしていくことが出来たなら、多くの方に参考にしていただいたり、希望の光を見つけるヒントになるのではないかと、楽しみにしています。

今日も3時半に来てくれるのです。

これから教材作り、これが勝負です。 

子どもやお母さんの笑顔は、私の脳内の、ドーパミンやβ-エンドルフィンを分泌させてくれるのよね~

やる気は出るし、楽しいし、私自身も自己イメージがアップして、心に余裕が生まれ、集団適応力がアップします。

ましてや、子どもならいかばかりか・・・

でも、この環境を築き上げたのは私ではなく、ネットでこのブログを見つけ、ここに相談に来られたこのお母さんの判断と行動力によるもであることを忘れてはなりません。

私はただ、プロとして、お母さんのオーダーに答える最低限の務めをしただけにすぎません。

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学校園の巡回相談

 2008-09-03
今日から、毎週水曜日に、ある自治体の巡回相談員として、その地域の各学校園に訪問させていただくことになりました。

基本は、9時から4時まで各学校園に伺い、何時間か子どもの様子を拝見した後、先生方の研修会・ケース会などに参加し、具体的な方策を考えたり、実践につながるアドバイスができたならなと考えています。

公立小学校を退職した身分でありながら、こんな形で自分の専門性を発揮できる場をいただき、うれしいし、精一杯、心を込めて自分の持ち味を生かしていければと思っています。

しかし、「何のためか」だけは崩さないつもりです。子どもの成長とご家族の幸せ、ここを曲げてまで迎合するつもりは、さらさらありません。

私を推薦してくれた方が、何を期待しているかは、理解しているつもりです。

学校現場も刻々変化していますから、その温度を肌で感じることも大切です。

私の強みは、何と言っても 「集団の中にしっかりと居場所を作り、それでいてその子の特性に応じた専門的な支援・指導を実現して欲しい」 という、多くの保護者の期待や願いを背負っていることです。

きっとすばらしい実践をされている、先生やお母さん方もいらっしゃることでしょう。

相談員には、相談員の役割がります。

どの子も伸びる~  こうした教育の確かな方向を見つめていくことが、きっと私の大切な役割だと心得ています。

1年半、最後までやり通したいと思っています。 それもこれも、私のかかわっている子どもの成長と幸せという足場があってこそです。

そう言えば、インターネット情報の中から優れた教育関連情報を選出し、紹介を分かりやすくダイジェスト版にした内容で発信するという 「学研EDUメール」 で、このブログを紹介してくださるというメールを先日いただきました。

ありがたいことです。

最近そのせいか、アクセス数も連日300を超え、励みになっています。

これもそれも、子どものため、みなさんの熱い思いがあればこそです。 私は私らしく、持ち味を失わず、これからも真心を込めて精一杯活動を続けていきますので、これからも応援、よろしくお願いします。

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大切なのは特徴を知ること それに合ったものを用意すること そしてほめること (SHINOBU流 長所活用型指導)

 2008-09-02
このブログは始めて半年余りになりますが、多くの方の貴重なのお取り組みや事例にふれることができ、発達面で課題のあるお子さんの読み・書き・計算など基礎学力を育てていくために大切なことを、吸収させていただくことができました。

教育の仕事は、奥が深いですね。 これですべて、というものは存在しない。

Aちゃんに良いからと言って、Bちゃんにも良いとは限らない。

1年生ときの指導法が、3年生でもそっくりそのまま有効であるとは限らない。

定番や既製品が合う場合もありますが、やっぱり基本はオリジナルなんだと思います。

そういった意味で、たとえつまずきがあったとしても、お子さんの特徴を見つめ、それにあった教材を準備できるかどうかということが、命なんだと感じています。

花子ちゃんの書字については、昨日のコメントでseiさんからアドバイスをいただいたり、これまでの取り組みを振り返ったり、新しく買った本を読んでみたりして、少しイメージが広がってきました。

花子ちゃんの苦手な文字は、例えば「色」であったり「教」であったり「友」であったりします。

逆に得意な文字は、「同」であったり「書」であったり「生」であったりします。

画数多い字はだめですね。 でも、これはへんやつくりを分解してとらえさせることで、サポートできます。

次は、曲がったり斜めだったり、縦横まっすぐでない特殊な形はむずかしいですね。「色」の長い曲がった部分書くの、大変そうです。先生の「先」という字のカーブも苦手です。

花子ちゃんは、ストレートには強いが、カーブに弱いバッターです。

そうとわかれば、方法はあります。 まず、得意な漢字・わかりやすい漢字・そして「木」や言」などへんやつくりで今後使えそうな字を選んで、自信をつけさせます。 

今度は、それを組み合わせていくと、かなりの数の字をマスターすることができます。

それから、今度はにがてなカーブ文字を、段階的にスモールステップでとらえさせれば良いわけです。

この辺は、これまでやってきた数量指導と同じ手順で進められるので、見通しはもてます。

ここまでイメージが浮かんでくると、教材作りは楽しいものです。 こちらが楽しいと思えているうちは、花子ちゃんもきっと楽しいはずです。

家庭学習で一番むずかしいのは、「我が子をほめる」ということです。私は自分の娘の勉強を教えた経験がありますが、「何でこんなこともわかなないのか」と、何度人格を踏みにじるような発言をしたかわかりません。

「おこる」には、即効性がありますが、持続性はありません。 私の経験からすれば、結局、「おこる」主体の指導・支援は長続きしないと考えた方が、正解だと思います。

わかってしまえば、単純なことです。 単純に整理できてこそ、それが本物に近い証拠なのかも知れません。

現実場面は、いろいろな要素が複雑に絡み合っており、それを整理するにも、観点が必要になってきます。

その観点は、子どもの良いところを見つけ、そこからできないことへのステップ・道筋をつけると言うことだと思います。

その一例が、花子ちゃんの書字です。 

これが、SHINOBU流の長所活用型指導のスタイルです。

私だって、10回バット振って、何個ヒットするかわかりませんよ。

百発百中なんて、ありえません。

打率、かなり低いかも知れませんが、バット振らなきゃボールに当たりません。

その分、うまく言ったときの気分は、最高です。花子ちゃんの指導場面でも、何度も「よっしゃー」と言って喜び分かち合いました。

これがあるから、止められません。

どうかみなさん、いろいろなご苦労もあろうとは思いますが、これからもお子さんにしっかりと寄り添いながら、歩んでいってほしいと願っております。

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長所活用型の指導で子どもは伸びる (実践場面での手応えと課題点)

 2008-09-01
私くらいの年齢になると、一度や二度やったからといってなかなか身にはつきませんが、成長期の子どもは違います。

一度目はだめでも、3回4回と続けていると、力は必ずついてきます。

逆な言い方をすれば、たとえ1回目に手応えがなかったとしても、指導の軸をぶらさずに、自信をもった対応で、最低3回くらいは続けてやることが必要だ、という事なのかも知れません。

指を使って、計算する子。 どこでも見かけます。 通常学級でも山ほどいます。

計算問題を前に「指使っちゃだめ」と言われると、それでできるレベルの子にとっては大丈夫ですが、やっと指を使って計算できるようになった子だと、ラケット持たずにテニスするようなもので、どうしたらいいのか、わからなくなっちゃいます。

そんな子どもに対して、私は、導入の時に、「すごろくゲーム」や「数え棒」などの数認知活動を取り入れるようにしています。

特殊ルールを決めていることもあり、今までにこの活動をいやがる子はいませんでした。

花子ちゃんは、2年生です。

半年前に指導を開始したときは。「1+2」にも苦労していましたが、今では「28+14」など、繰り上がりの筆算もできるようになりました。

すごろくゲームも、数え棒も週1でやっているので、数感覚もかなり向上してきました。

10の束と、ばらの1 区別して数えることができるようになってきました。

まだ、完全ではありませんが、位取りの仕組みを理解し始めた兆候です。

10回近くは、やってきましたかね。 手探りでしたが、ついにつかんで来た感じです。

サイコロの目、今では数えなくても「6」も「5」も読めます。 すごろくゲームは、コマは100あるので、100の量的感覚もそれなりにつかめて来ました。

考えてみれば、すごろくゲームを5回も10回も、教育的な意図の中でできるのはむずかしことかもしれません。

でも、環境整えて、家庭でできればすばらしいです。

(大抵は妹や弟にじゃまされたり、とても忙しくてお母さんにそんな時間がなかったり、やってもしかられるばかりで、子どもがちっとも楽しくなかったりで、うまくいかないのが現実です)

出来ないことを出来るようにさせる、というのが、教育の大切な営みです。

ですが、どの子にも苦手なことというのはあるはずで、それを乗り越えられる手だてが見えているのならよいのですが、そのことなくして激突ばかりして、自己イメージをどんどん低下させてしまうのは、いかがなものでしょうか?

やりもしないで、最初からあきらめるのは論外です。

繰り返しますが、それを乗り越えられる手だてが見えているかどうか、チャレンジしてみる価値があるのかどうか? その判断は、大切だと思います。

もし、今の段階ではちょっと無理だと判断した場合は、どうしたらいいのでしょうか?

それは、今できること、本人の得意なルートから、徐々にそこに迫っていく方法がよいと、私は考えています。

子どもが指を使って答えを出したら、「じゃあ先生が、ブロックを使って答えを確かめるよ」といって、数の量的なとらえを見せてやりましょう。

毎回10の束を作ったり、すごろくゲームもいっしょにやりましょう。

指を使って足すことを否定するのではなく、それを利用して、次のステップに向かわせるのです。

それがもし、楽しんでできるようになれば、きっと子どもは化けます。 その見通しというか、設定の方法が指導性と呼ばれるものだと思います。

ポイントは、子どものわかり方の特性(長所)を見つけること

例えばそれが指を使うような、親として期待する方法でなかったとしても、まずはそこからスタート。

それを利用しながら、自己イメージを低下させないよう、きちんと評価してやる。

そして、小さくてもいいから(小さく設定できる方が優秀です)、次のステップを見つけて、課題を設定し、1回で結果を求めるのではなく、数回のチャレンジでクリアさせるくらいの計画性をもって取り組んでみてはどうでしょうか?

私は、指導場面では、10分位を一つのユニットとして考え、1回のユニットではあまり欲張らないようにしています。

絶対出来るよう十分な事前の準備をしていますが、もし、反応がよくなければ、内容を分析して次回は組み替えて挑戦します。この繰り返しです。

花子ちゃんの場合、数量感覚は伸びてきましたが、書字についてはまだまだです。

それでも、あれやこれやと挑戦しています。いろいろな実践事例や論文を読んで、これはと言う方法でアプローチしています。

花子ちゃんに合った、やっただけの積み上げがきく方法がどこかにあると信じています。

私が知らないだけで、花子流がどこかにあるのだと考えています。

いろいろとやってきましたが、書字にかかわる、この子の長所が見つけられていないから、とっかかりも、ステップも、見通しも、計画も見えていないのです。

今はこんな段階です。

このままでは、プロとして失格です。ここに見通しがもてれば、展望は大きく変わってきます。何としても、ここを砕いていかなければと考えています。書字にかかわる実践は、たくさんあるので、研究すれば道は開ける、それが希望です。

指導のアプローチの仕方は様々です。 どの方法にも良さや特徴があります。

ネット等を利用していろいろな方法にふれてみるのは、とても大切なことだと思います。

私は、私のかかわっているお子さんには、今日紹介したような長所活用型の指導が特に有効であったと考えています。

機会があれば、家庭学習の場面での実践事例を教えていただければうれしいです。とくに、書字改善の取り組みについて、事例をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どうぞよろしくお願いします。

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大切さを全国に伝えたい
Author:SHINOBU
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