我が子を通常学級で学ばせたいと考えたなら (発達面で課題のあるお子さんを支える具体的な親の役目)

 2008-08-30
検査などで一定の数値が出ない場合は、担当の先生はほとんど例外なく、特別支援学級の入級を勧めます。

特別支援学級に入級するこによって、学校の制度として、その子のニーズに添った指導を開始することができます、とこう来ます。

特別支援学級に入級しても、通常学級との交流は積極的に行っていますから、決して集団から切り離すようなことはありません。

きちんとした専門の担当者により、行き届いた教育のサービスを行うことができます。だれでもこうしたサービスが受けられるということではなく、公的機関ですので、必要感・いわゆる教育的なニーズがあるかどうか、ということの正式な手続きと確認を行います。

それが、特別支援学級に入級するという手続きであり、在籍、というひとつの形になります。

ですから、在籍が通常学級のままでは、原則、こうした教育的サービスの対象はむずかしいと考えていただかなくてはいけないと思います。

これが、 「通常学級に在籍したままで、この子のニーズにあった教育的サービスは受けられませんか?」 という、私の質問に対する、ある学校からの回答でした。

このケースでは結果として、 「わかりました、それでは、特別支援学級に入ります」 という決断を、保護者の方がされました。それは、実際にお会いした、特別支援学級の先生のすばらしい教育実践と理念にふれたからであり、この先生でなかったら、違う選択をされていた可能性もあったと考えられます。

結果として 「特別支援学級にして、本当に良かった」 というケースも知っています。

逆に 「特別支援学級に入っても、ただ別々のプリントを黙々とするだけで、何の力が付いたということもなく、学び合いや高め合いの機会も奪われ、何事もなく時が過ぎ、気がついたら学校の隅っこに追いやられていた、疎外されたような形になった」 と言った保護者の方も知っています。


では、もし、「それでも通常学級を選択します」 となったらどんな展開になるのでしょう。

これも、結構難しいものが、あります。 特別支援学級を蹴って、通常学級に来た、という形になりますから、何かにつけて、それなら、特別支援学級にいかれたらいかがでしょう、ということになるかもしれません。

逆に、 「どんな理由であっても、担任となった以上は、クラスの大切なメンバーとして、真心込めて、指導をさせていただきます」 という姿勢で、取り組んだ担任の先生もいます。

超多忙な学級担任の指導の中で、特別支援学級に劣らないきめ細やかな指導や配慮をされている先生もいます。

しかし、その逆の場合もあることは、覚悟しておかなければなりません。

通常学級への入級は、保護者としての自己決定ですから、その結果に対しては責任が伴います。

何のために通常学級を選択したのか、それを貫き通すだけの、決意・姿勢・信念・努力・問題解決力などが求められます。

結果として、子どもが痛んだのでは、何にもなりません。

「算数の時間、何もわからずに、お客さんでただ座ってるだけになりませんか・・・・」

だったらお母さん、あえて通常学級で学ばせている子どもに、親として一工夫してみませんか?

「黒板の文字をちゃんとノートに写してくるのよ」

「一人勉強の時は、ノートのこの問題をするのよ。 今習っていることの大切なところだよ。 りょう君の得意なやり方でできるように、お母さんが工夫してみたから」

「カードの裏に、答えを書いているよ。なるべく裏を見ずにがんばるのよ。でも、わからなくなったら、自分で裏を見て答えを確かめるのよ」

こんな努力なら、やってみたい、というお母さんはいませんか?

最初から、そんなにうまく行かないかも知れません。 でも、根性出してやっていれば、その姿勢は、子どもにも、担任の先生にも伝わると思います。

力を注ぐなら、生産性のある、建設的な取り組みの方が、力が出ますよね。

その情熱の深さ・志の尊さが伝わってこそ、周りが動いたり、新しい方向が見えてきたり、思わぬチャンスがやってきたりするのではないでしょうか?

何のための通常学級の選択か、 そこをはっきりさせることによってエネルギーは出ます。

課題点があれば、整理して、ひとつひとつ解決して行きましょう。

目的は、我が子の成長と幸せ

結果もさることながら、それに向けての営みそのものが大切なんだと、私は考えているのです。

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学校や先生と対立的になる時・・ (モンスターペアレンツとの境界線)

 2008-08-29
皆さんは、学校の先生と対立的になったときが、ありますか?

私は、しょっちゅうです。 たまにブチ切れて、言わなきゃ良かったと後悔した場面は、山ほどあります。

聞き捨てならないない発言 (例えば安易に使われる「保護者の無理解・・」という言葉など) には、感情を抑えることができなくなります。

私は、元小学校の先生です。 地域の小学校に行けば、かならず元同僚なり、知った先生の一人や二人には、必ず出会います。

なので、先生同士の会合の時には、「今日は、余計な事言わずに、おとなしく返ろう・・」と、自分に言い聞かせることが多いのですが、そういう時に限って例の 「聞き捨てならない発言」 があって、何故か、そんな時に限って発言を求められ、言ってるうちに、本音が出て、聞く人にとっては、耳の痛いであろう内容を厳しく追及するような内容になって、結局は 「あんな場で言っても、理解はしてもらえない・・」 と、後悔することも多いです。

いつの頃からか、「モンスターペアレンツ」という言葉が使われるようになってきました。

これは、学校側にとっては便利な言葉、そうでない保護者にとってはやっかいな言葉ですね。

熱心で、前向きで、当たり前のことでも、学校側に耳の痛いであろうところになると、都合良くこの言葉が利用されてしまう。

理不尽な要求と、建設的な提案が、受け取る側の都合で、勝手に混同されてしまう・・・

一昔前は、「診断を受けた子は、特殊学級」という方程式が完全に出来上がっていて、就学指導という名の下に、集団での学びが平気で遮断されてきた・・

それが、当たり前で、「それでも我が子を、通常学級で・・」という親の願いは、理不尽や要求・無理解な保護者という偏見に跳ね返されてきた。

そこにあった苦しい戦いがあってこその、今日があるわけです。

私は、元小学校の教師という経歴なので、そこの部分を生かして、何とか学校と保護者の橋渡しを、と考えていましたが、個々のケースに寄り添えば寄り添うほど、そんな次元での話にはならないということが、すぐにわかってきました。

その問題に対する切実感も影響も真剣度も、学校と保護者では違いすぎる。

命がけで取り組んでいる保護者の方の、切実な思いにふれてしまえば、おのずから方向感は決まってしまいます。

何をもって「モンスターペアレンツ」とされるのか、定義は知りませんが、その枠組みを都合良く使われるのは、迷惑ですね。

学校にきちんとお伝えし、子どもの成長と幸せののために改善の工夫をお願いすることも、その延長線でとらえられてはたまらない。

かと言って、めちゃくちゃな要求を非常識な方法でごり押しすることが、まかり通るとすれば、それもまた迷惑な話。

そのベースとなる体験が人によって違うから、どうも話がかみ合わない。

少なくとも、今わたしがかかわっている保護者の方は、すばらしい方ばかりだし、この真剣な取り組みなくして、今のお子さんの成長は考えられない。

また逆に、とんでもない保護者にやりこめられ、おじけづいてしまっている先生の話も聞きます。

私は保護者のサポーターでありながら、最近、学校の先生方の講習会などでお話させていただく機会があり、この辺の感覚がちょっと混線してるの、最近感じています。

まあ、それは余計なことで、ただ子どものために真剣に取り組み、しっかりと勉強し、現実の体制を受け入れた上で、一歩ずつ改善に向かって歩んでいく、それだけのことです。

私の仕事も、保護者の方の取り組みも、人目を気にしてするような内容ではありません。

決して他の意見を受け入れないということではなく、アンテナは敏感に張っているつもりです。

だからといって、少々の批判に腰砕けなんかには、なっていられないのです。

その力強い決心なくして、子どもと保護者のサポーター、そんな看板はあげられない。

時々遠くから自分を見つめてみながら、それでも強い意志と志を捨てずに、力強く、ご家族と共に歩んでいきたいと思っているのであります。

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早期に就学先の先生と連携することのメリット

 2008-08-28
昨日は、保育園の参観日でした。

5歳児組のお子さんに、小学校の特別支援学級への入級を希望されている保護者の方がいらしたので、今回はかなり早くから小学校とのコンタクトをとりました。

5月には、お母さんと一緒に、小学校の校長先生にご挨拶。

その後すぐに、その子とお母さんとで、特別支援学級の先生と簡単なケース会、特別支援学級の就学にかかわる検査も夏前に終え、今回、特別支援学級の先生・コーディネーターの先生3名の来園となりました。

この時期に、直接指導にあたる特別支援学級の先生が、保育園に来て、その子の育ちの姿を生で見ていただくことには、いくつかの大きなメリットが考えられます。

まず、書類の前に、ありのままの子どもの姿や成長を受け入れてもらえる。

保育園でどのような保育をしてきたか、肌で感じ取ってもらええる。

保護者の方と小学校の先生方との信頼感が、格段に向上する。

保育園として、当該小学校への入学に向けての、事前指導を具体的に進めることができる。

小学校側としても、事前に子ども理解のための生きた情報を得られることによって、人事面も含め、しっかりとした準備・体制のもとに受け入れることができ、望ましい小学校のスタートを切ることができる。

今回来られた3名の小学校の先生は、本当に感じの良いすばらしい先生方でした。

でなけきゃ、なかなかこんなにスムーズには行きません。 いい感じです。

しかし、就学の決定において大切なのは、場所よりも、具体的な就学後にどのような教育が展開されていくか、その中身です。この子の場合、安全面での配慮が課題となっているため、保護者の方の希望が、具体的にどんな形で反映されるか、そこが大きなポイントとなっていきます。

これは、受ける小学校と保護者のご希望との関係が中心なりますが、保育園として果たすべき役割も、当然のことながら大切だと考えています。

これからも、そこに着目しながら、なすべき役割について、真心を込めてサポートしていきたいと考えています。

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効果の見られた実践事例 (ひろい読みからまとまり読みへ 友里ちゃんの事例から)

 2008-08-27
暮らしで困らない読みの力を身につけさせたい・・

これが、友里ちゃんのお母さんの切なる願いです。

その一つのステップとして、4年生の2学期の教材「伝え合う」ということ(光村図書)を使って、音読の指導を行いました。

確かに、例えば「わ・た・し・は・き・の・う・・・・・」 みたいに一語一語の逐次読みです。

お母さんに聞くと、クラスでの国語の時間に、音読のスピードが遅いことで、かなりの負荷がかかっているということでした。

何が、スムーズな音読を阻害しているか、いくつかの要因を分析してみました。

まず、漢字の変換にとまどっている。

例えば、「生花」という字は、あるときには「いけばな」だし、あるときには「せいか」だったりしますよね。音で読んだり・訓で読んだり、文脈で左右され、法則性を理解することはできにくい。

ならば、ひらがなうって、確定させましょう! という取り組みがひとつ。

次に、いわゆる同時処理が苦手なタイプなので、ごちゃごちゃした映像は大の苦手、なので教科書をスキャナでとって、B5サイズをB4サイズに拡大しちゃいました。

(A4サイズじゃものたりない。A3サイズじゃでかすぎて、使いにくい)

案外、こんなことも大切です。

そして次は、本人の得意分野を利用すること。

友里ちゃんは、聴覚性の入力は得意で、ショートターンメモリー(短期記憶)=パソコンの一時保存のメモリーのようなもの、が発達しています。

ならば、文章をショートターンメモリー(短期記憶)の使用可能な文節ごとに区切って、なおかつ音声による補助刺激を添えてみようということです。

先週から始めて、昨日が3回目のトライです。 1回目は予備刺激と考えていましたから、実質は2回目です。

子どもってすごいですね。 明らかな変化が見られました。 これ、化けるかも知れません。

やりかたわかったら、この子の努力はすごいんで・・・

うまく行きだしたら、支援を少しずつ、フェードアウトしていけば良いのです。

2学期に、担任の先生をびっくりさせてやろう! なんていうと、友里ちゃん燃えるだろうな~

何だか、わくわくしてきました。 次の指導が、待ち遠しくてたまりません。

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ならば我が子のことは自分の力で・・ (相談機関・関係機関巡りの果ての親の決意)

 2008-08-26
昨日,友里ちゃんのお母さんと,今後の指導についての相談をさせていただきました。

衝動的な行動の改善,単に点数を取るための学力ではなく,本人のわかり方の特性をベースにして,文字情報・映像情報からの情報を,日常生活で使えるレベルへどう身につけていくか?

短期目標をどこに設定し,中長期的にはどこを目指して進めていくかなど,時間を忘れるくらい真剣に検討していきました。

学校での状況や生育歴などについても伺い,気がついたら,昼の1時を過ぎたので,とりあえずの区切りをつけようとしたときに,お母さんがポツリと一言

「いろいろな相談機関に行ったけど,結局は何にもならなかった・・」

何とも重い一言でしょう・・・

またしても,診断する人はたくさんいても,解決できる人はいない,という厳しい現実。

ならば,ならば,私たちでいっしょにやっていきましょう,ということになります。

ここの強みは,何と言ってもお母さんが4年生のこの時期まで,友里ちゃんの学習にぴったりと寄り添って支えてきた実績です。

だからこそいっしょに設計図を作って,役割分担をしていこうと考えたのです。

私が,いろいろな指導事例を調べ,友里ちゃんの実態や目標にあったものを選び出す。それを教材化し,個別指導の時間に実施する。手応えを感じた時点で,その教材とポイントをお母さんに伝え,可能な時間に,家庭でそれを実施する。

そんな感じで,やっていきませんか,ということになったのです。

学校との連携も,ここをベースに,こちらから提案したり,お願いしたりする。そうでもしなけりゃ,前には進みません。

実際に,すでにこうした取り組みをしているご家庭もあるようです。

まず,何を目指すかについては,この日の相談でかなり方向が見えてきましたので,さっそく事例について調べてみました。

いくつか候補がピックアップできたので,すぐにその文献が手に入らぬものかと,県立図書館で検索したら,ちゃんと蔵書があるではないか。さすが,利用率全国トップレベルの岡山県立図書館です。

時刻を見ると夕方6時,いてもたってもいられなくなり,メモを片手にバイクで直行しました県立図書館!

しかし,何とこの日は月曜日  そうだ~ 休館日なんだよね  何やってんだか  焦りすぎ・・

明日は,保育園児と学童保育の小学生の合同遠足,その後に友里ちゃんの指導があるので,何とか見通しだけは付けたかった・・

まあ,本はあくまでヒントなので,組み立てはオリジナルになるし,本も10冊見て1冊当たればいい方だし・・そんなに過度な期待はしていないのだけど。

でも,このケースは,完全にこのお母さんとの共同作業。

形はそれぞれあるてしても,保護差の方に主体となって考えていただき・情報を整理したり・指導に参加していただくことに,もっともっと積極的に取り組むべきかもしれない。

誰かにお任せ,全部背負い込む,ということではなくて,それぞれが主体者として,それぞれの役割を尊重し信頼し合い,相互に持ち味や役割を分担しながら,連携しあう。

これこそ,パートナーシップの中身であり,具体的に目指していく姿なのではないかと,考えたのでありました。

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しつける 支える そこの上手なさじ加減

 2008-08-25
私が、発達面に課題のあるお子さんの個別指導を行ってきて、とくに有効だと思われる方法の一つに、補助刺激の活用があげられます。

書き順など目で形がしっかりととらえにくい子に対して、言葉でたて・横・横・・・と、その子の得意な聴覚性の刺激を添えて補助し、様子を見ながら、少しずつそれを除去していく方法です。

例えがいいかどうかはわかりませんが、リハビリで、最初は松葉杖、次はてすり、というように少しずつ補助刺激を除去して、やがて一人で歩けるように、というやりかたです。

応用分析風に言うと、得意な行動レパートリーを利用して、苦手なことを克服していくプロンプトということになるのかも知れません。


先週、花子ちゃんの宿題直しで、あることに気がつきました。

それは、このことが、学習面だけでなく、行動面でも使えるということでした。


この日、花子ちゃんは、私がお盆に大量に出した宿題を全部すませ、得意そうに・嬉しそうに・誇らしげに私に提出してくれました。

簡単な内容ですが、A4プリント30枚くらいはあったでしょうか。

中には、始めたばかりの繰り上がりのあるたし算の問題もあり、結構直さなくてはならない箇所が大量に生じてしまいました。

私は、エラーレスの完全習得学習を基本にしていますから、これほど大量の直しが生じたのは、はじめてです。

むろん、花子ちゃんはほとんど全部正解のつもりでいましたから、かなりの負荷がそこにかかっています。(15枚くらいの直しプリントが発生してしまいました)

その日の指導メニューは事前に用意していたこともあり、プリント直しは、指導の後に、お母さんとの懇談中にしようということになりました。(これまでは、量も少なかったので、まったくそれで問題はなかったのです)

しかし、今回は、今までにない量の直し(当然、内容のむずかしいもの)ばかりが残ってしまいました。さすがに、集中力を欠いて、売り切れ状態に近くなってきました。

間違えた箇所は、私が消しゴムで消して、花子ちゃんに再提示しました。

するとお母さんは、「間違えたところは、自分で消しなさい」と、花子ちゃんに注意をしました。

さすが、お母さん、こうしたことを決してゆるめずに、こうしてこれまで花子ちゃんのしつけをされてきたことが、こうしたことからも伺えます。

でも、私はこれまでの経験とこの場の状況から、花子ちゃんがこの十数枚のプリントのまちがいを自分で消しゴムで消して直すことは、やってできないことはないけれど、そのことにより相当の負荷がかかってくると判断しましたので、私はただひたすら、いっしょうけんめい消しゴムで間違えたところを消す作業を続けました。

それやるなら、ここから最低30分かかります。個別の指導をはじめてからは、2時間くらい経過していましたから、かなりハードになったのは確かです。

お母さんは、私のことを信頼してくださっているので、とりあえずは、私のしたいようにさせてくださいました。

(こんなことなら、個別学習の時に、事前にに消しておけば良かったと本当に後悔しました)

しかし、ここでのお母さんの「自分の間違えたところは、自分で消しなさい」と一言は、とても大切な意味があったと考えています。

この一言があったので、私の方も次の組み立てができます。花子ちゃんも、それをしっかり感じとっています。

その時私は、なるほど、学習面だけでなく、行動面・しつけの面でも、補助刺激の組み合わせは有効なんだなと感じました。

一度甘やかすと、そのことを何度でも要求するようになる。

これは真実です。マイナスの行動に、お墨付きやご褒美を与える結果となるからです。価値観の変化を、現実場面では、子どもは見逃しません。

そこの決心や価値観がぐらつくと、わけわからなくなり、学級崩壊と似たようなメカニズムが働きます。

この方向感が、指導性であったり、目標であったり、願いであったりします。そこをしっかりと示したと言う意味で、お母さんの一言は、非常に価値の高い物であったと思います。

この方向感があるからこそ、私は、この日消しゴムを使い、最後の一問まで間違い直しをさせることができたし、私の目指すスタイルも何とか維持することが出来たのだと感じました。そして、このサポートは、段階的にフェードアウトしていかなくてはなららいことも、しっかりと確認できました。

もう少し専門的な見方をするとするならば、補助刺激は、マイナスの教化にならないよう配慮してこそ効果があるということで、そこで大切になる基準が、どんな子に育てようとしているのか、という目標なり方法性なり、そういうものなんだということです。

むずかしいですね。こうした現実場面の、細かい部分にこそ、理念や価値感が問われる場面が生じてきます。

私とこのお母さんのパートナーシップは、こんな形でも形成されているんだと思いました。


原理・原則や理論は、誰でも言える。

しかし、現実部面でそれを使う、いわゆる臨床こそ、一番真価が問われるのはまちがいありません。

私たちは、いつもその最前線にいるわけです。

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知能検査・発達検査の怪  (こんなもので 子どもを苦しませてはいけない)

 2008-08-23
大学などの研究法で,「量的研究」と「質的研究」という2つのとらえがあります。

「量的研究」というのは。歴史のある研究のスタイルで,例えば,自閉症のお子さんに有効かも知れない支援の方法があったら,本当にその支援によって子どもに有効な成長が見られたかどうかを,データによってきちんと証明していく方法です。

一見その方法が有効なように見えても,実は別な要因が作用していた(例えばたまたま体調がよかったとか,先生が大好きだったとか。ごほうびがめあてだったりとか・・)という話は,よくある話です。

だから,他の要因を排除した,統制的な環境で,本当にその方法が有効かどうかを,信頼できる統計的手法なども取り入れながら実証していくのが,この「量的研究」のスタイルです。いわゆる。実験的なやり方です。

しかし,現実生活は,さまざまな要因が複雑にからみあっており,実験室の中で有効であっても,それはそれだけのことであって,実際の家庭や学校で役に立つのは別問題,という見方もあります。

もっと,リアルな人間社会の中で。トータルな子どもの育ちの中で,その方法の有効性を見つめてみよう,というスタイルもあります。これが「質的研究法」です。

質的研究では,例えば,現実社会の中での子どもの育ちを観察して,それを言葉で記録していきます。一定のルールのもとに,可能な限り言葉によるデータを大量に収集していきます。

その膨大tも言えるデータを,次は細かく分類しながら整理していくと,一定の法則生を編み出していくことができます。その編み出された法則性をもとに実践を重ね,また記録を積み上げ,より豊かで信頼できる方法を編み上げていく,これが質的研究のスタイルの一つです。

どちらのスタイルもそれぞれのよさがありますから,どちらがどうと比べることはさほど意味がなく,要は,実際に子どもの育ちにどれだけその方法が有効か,その中身こそが重要なのだと考えています。

知能検査は,ばっちり数値で示されますから。完全に「量的なデータ」です。

ある意味,公正で客観性がありますから,療育手帳の交付とか,特別支援学級の入級とかで,何らかな基準が必要な場合には,こうした検査が有効だと,思ってはいます。

しかし,しかし,これは統制された,現実ではあり得ない空間の中で,初めて会ったセラピストの手によって,一つの方法で,ある一つのものさしで,せいぜい半日,子どものプロフィールの一面を映し出した,ということであって,恐れ多くも,人間の価値を決定づけるものでも何でもないことを,十分・十分理解していただきたいと,思っています。

「あなたのお子さんのIQは50でした。生活年齢は6歳ですが,精神年齢は3歳になります。」

こんな言い方で,それを聞いたご家族が,どんなイメージをもつか,担当者は理解して伝えているのでしょうか? きっと客観的なデータを示すことによって,子どもの障害に対する認識と受容の一助としていただきたい,くらいのことは考えているのだと思います。

でも,それって,本当に,命をかけて,この子は3歳くらいの知能ですって,断言できますか?

今日初めて会った子に対して,わずか3時間ほどのかかわりで,たったひとつの検査で,本当にそんなことが言えますか?

そのことによって,もし,ご家族や本人のセルフイメージがマイナスに作用したとしても,あなたは責任もって,今後の対応についての指針を示すだけの力量と決意があるのですか?

と,私は言いたい。


花子ちゃんが今回検査を受けられましたが,IQ値は,私が思っていたものより,かなり低いものでした。

この私でさえ,検査結果を聞くと,正直,心が揺れてしまいます。 自分の子でなくても,こうですから,ご家族の気持ちは,いかばかりかと容易に想像できます。

療育手帳など,行政サービスを受ける権利を得たという見方もできますが,それは違う次元の話になってしまいます。

しかし,これは,単なる「量的データ」の一部にしか過ぎません。

私には,これまで何十時間と,一緒に個別学習を進めてきた「量的なデータ」が豊富にあります。

昨日,2年生の教科書の巻末教材の「黄色いバケツ」の読み取り学習をしましたが,それは,ほれぼれする内容です。

十分2年生としての水準超えてます。 私,2年生の学級担任,やったことありますから・・ これまで,何百人という子に勉強教えてきましたから・・

ここの部分は,自信もって断言します。

この子は,聴覚性の入力と言語表出(スピーキング)は得意ですが,視覚認知と動作性の出力(ライティング)は苦手です。

今回は,田中B式の検査だったようですが,この検査法って,苦手な方法のみでやってませんか? 

こうした検査自体,予備検査みたいなものをして,その子にあったものをするみたいな感じにはならないんでしょうか?

花子ちゃんのすばらしい読解能力,どこへ飛んじゃったんでしょうか?


そう言えば,私の大学の時の友達,子どもの時,発達遅滞と診断されたと言ってました。

「分からない問題が1問あって,それを飛ばして次の問題をするということがいけないことだと思ったから,最後まで真剣にその問題だけ,時間いっぱい考えていたら,そうなった・・」

と,笑っていましtが,こんなことだってあって当然です,子どもですもの。 

ちなみに彼の大学の成績は,私よりはるかに優秀でしたよ。


知能検査・発達検査は,単なる一つのプロフィール,と,大学院で私は何度も何度も,そう教えられました。

しかし,検査を受けられる方,すべてが心理学を学んだものでもなければ,検査がどんあものかを理解しているわけではない。

しかも,命より大切な我が子の宣告です。

密室の中で行われ,詳細については秘密で,結果だけが断定的に提示される。

少し「量的データ絶対主義」みたいになっていませんか?


検査は,何かに生かすための手段であって,それが少しでも,自己イメージや意欲を低下させるリスクがあるのなら,その点を十分に配慮すべきだと考えます。

親の目の前に厳しい物だけを突きつけて,突き放すようなことだけは,いい加減にやめて欲しいと思います。

数値がこうだから,指導をしても無駄ですよ,というように受け取る方は聞こえてしまう場合もあるのですよ。

子どもの成長や幸せに結びつかないのであれば,自己イメージを傷つけるような検査はするべきではないと,私は考えます。

今の日本では,検査をするは山ほどいるけど,検査結果を見て,子どもをちゃんと育てられる人は,そうざらにいないような気がしています。

それより私は,花子ちゃんの読解の才能を,どう開花させるか,そこに集中したい。

マドンナさんのまこちゃんが,二次方程式や英検に挑戦し,自己イメージをぐんぐん伸ばしているように,花子ちゃんに自信と誇りと生きがいをもたせ,笑顔いっぱいの人生をおくらせたい。

検査により,そこが提示できる方がおられるのなら,今日にでもお伺いして,ご指導をいただきたいと思うのであります。




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子どもの発達に寄り添う家族として 身につけていきたい能力・資質とは?

 2008-08-22
私はこれまで、いろいろな経緯から、発達面で課題のあるお子さんの、その保護者の方の支援について考えてきました。

小学校の教員をやめた直後は、何とか自分の経験や知識をお役に立てたいという気持ちがばかりが先行しがむしゃらに突き進むような感じでしたが、実際に活動を初めてみると、それではいけないんだなと、すくに気がづくようになりました。

いくら私が活躍して、何かをの問題を解決し、それなりの達成感をもったとしても、それは一時的な何らかの問題が軽減されただけで、子どもやそのご家族自身の育ち・成長がなければ、またいつかは元に戻ってしまいます。

まぎれもなく主体者は、子どもであり、そのご家族。

だとしたら、私のすべき本当の中身は、お子さんやご家族が育ち・成長されていくためのサポートであって、必要以上にしゃしゃり出ては、決していいことにならない、と考えるようになりました。

じゃあ、そのご家族、特にお母さんにはどんな能力や資質を身につけていただいたらいいんだろう、と考え、いくつかの論文や文献をあたってみました。

(国会図書館に3日通いました。今となっては、いい思い出です。)

そこで出会ったのが、「対人援助の心理学」 望月昭編 朝倉書店 です。

中でも、これだとヒットしたのは、「自己決定の本質的な特徴とその構成要素」(Wehmeyer,Agram,&Hughes,1988)でした。

これを見つけた時の身震いするような喜びは、忘れることができません。今の私の活動の原点は、すべてここにあるといっても過言ではないかも知れません。

その後、これをベースにいろいろと活動を始め、実践を通してそれを自分なりにアレンジしたり、少しでも多くの方にこのことを理解していただこうと考えたりしたのも、このブログを始める大きな理由の一つでした。

Wehmeyerさんの原文は少し難解だしわかりにくい部分もあったので、私はそれを大胆にシンプルに、そして自分勝手に、以下のように読みかえてしまいました。




【ご家族・保護者の皆さんと共に、身につけていきたい能力や資質】

1 自己決定の意志や能力 (決断力・課題解決力・情報収集力)

2 使命感・自己統制力 (自分を奮い立たせる気持ち・課題に対する前向きさ・自己評価力)

3 前向きな気持ちや態度 (自己有用感・状況を把握する力・共有できる喜び・感謝)

4 肯定的な自己理解 (自己を客観視できる力・自己の長所の気づき・自己の役割の自覚)

  
  ~ 人生の主体者はお子さんとご家族の皆さんです。 さあ一緒に歩んで行きましょう ~




まとめてみると、わずか数行になっちゃったんで、それは自分でも驚いています。 何だ、たったこれだけのこと~、みたいに(笑)

でも、このことは、お子さん自身の育ちの目標とも言えるし、人が生きること=幸せの中身だとも言えるのではないでしょうか?

人生の主体者として生きるために身につけていきたい力は、何もご家族の皆さんだけでなく、お子さんにも、サポーターにも、私にとっても大切な力なんだと思います。

PBS(Positive Behavior Support) という専門的な切り口から見たことも、整理すると、結局は人が生きるということに根差したところから切り離すことはできない。

今回、自分でまとめる作業をやってみて、そんなことにも気づいたのでありました。

何かの参考になればよいのですが・・

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子どものプラスイメージを育む 生活や学習の支援

 2008-08-21
来週は、ある自治体の「手をつなぐ育成会」で、講演をさせていただく予定になっています。

今回は、学校関係者だけでなく、民生委員・町内会長・愛育委員・婦人会・福祉課長・文教厚生関係の議員さんなど、この地域を中心となって支えておられる方の研修会ということで、そういった方々の目にどんなふうに映っていくのか、ある意味、興味深いものがあります。

前回は、学校の先生方の研修会でしたので、同じベースで話をすることがで、先日皆さん方のアンケートを送付していただきましたが、私が期待したものより、かなりよい感想をいただき、とてもうれしく思いました。

今回も、テクニックで勝負しようとはまるっきり考えていないので、このブログでお伝えしているような、ありのままの思いを、ダイレクトに語っていくスタイルは、変えないでおこうと思います。

今、そのためのパワーポイントを作っている真っ最中なのですが、内容の柱については、以下の3本にしようかな、と考えています。

Ⅰ 発達の課題のある子どもにとって、集団とはどのような意味をもつか? 
  (地域社会と発達課題のある子ども)
 
Ⅱ 発達の課題のある子どもに対して、指導者は何をしていくべきか? 
  (求められる指導者の専門性)
              
Ⅲ 子どもの自立と幸せのために、保護者とどう連携していくべきか?
  (保護者とのパートナーシップ) 

今回は、直接子どもの指導にあたっている学校先生の方が圧倒的に少ないので、支援・指導にかかわることは、できるだけコンパクトにしておこうと考え、そのことをまず整理してみると、以下のようになっちゃいました。

 

 
 【子どものプラスイメージを育む 生活や学習の支援】
 
 (1) すぐ ほめる (即時強化=手応え・見てわかる評価)
 (2) ちょっと待って ほめる (遅延強化=内発性を育てる)
 (3) じらして ほめる (間欠強化スケジュール)
 (4) 見え方・わかり方の特性を理解した支援・指導
      こつこつタイプ(継次処理)  /  感覚タイプ(同時処理)
 (5) 得意な方をメインにして、苦手なことを補助刺激に
               (聞く・見る・読む・書く・話す・感じる・動く・・)
 (6) 子どもにまちがえさせないエラーレス学習
 (7) 最初は支援をたっぷりに (プロンプトフェイデイング)
 (8) 最初は予告、2回目は練習、勝負は3回目から
                   (脳内ネットワークの形成を意識して)
 (9) ごほうびも段階的に(物→活動→賞賛→自己目標・自己強化)
(10) 自己の課題となる面の受け入れ (肯定的な自己理解)




子どものプラスイメージについては、語り口によって、自己肯定感であったり、セルフエスティームであったり、肯定的な自己理解であったりしますが、要は、子ども自身のイケテル感であり、このことは、発達面で課題があろうが、なかろうが、子どもが幸せに育っていくためには、なくてはならない大切なことであるという思いが、活動を重ねる度に、強くなってきたのを感じています。

この10のポイントは、ある意味、私のこの半年の活動の集大成になるかも知れません。

その一つについて語るとしても、楽に2時間くらいは、事例をもとに語ることができます(笑)

マドンナさんが伝えてださったように、10歳までの、かなり可塑性の高い時期ほど、支援・指導の手応えは感じられます。

どんな形であるにせよ、子どもの育ちに、親の支援は不可欠です。

いろいろな情報を入手して、勉強して、自分に合った、自分の子に合ったスタイルを獲得されることが望まれます。

このブロクは、このように主体的に学び・歩むご家族を、これからも真心込めて応援していきたいと考えています。

何故ならば、そのことこそが私自身のプラスイメージであり、肯定的な自己理解に他ならないと、私自身がとらえているからなのです。

これがあるから、やっていける。 これなくしては、やっていけない・・・

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コミュニケーションの発達と 肯定的な自己理解

 2008-08-20
先週がお盆休みということもあって、今日太郎君の指導を行いました。

以前は、あの手この手と相当な工夫がないと場がもたない感じでしたが、今では終わった後のごほうびがなくても、勉強だけを楽しみに、時間いっぱいがんばってくれています。

慣れたこともあると思いますが、わざわざ呼びに行かなくても、ちゃんと伝えておけば、自分から教室に来てくれるようになりました。

この春に、「45分もたないのでは・・」とお母さんが危惧されていたのも、遠い昔のようです。

言葉の量も、またまた豊かになってきており、家族で行った旅行のことを、笑顔いっぱいで教えてくれました。たし算の処理スピードも、前回よりうんと向上していました。

旅行のことについは、お母さんが連絡帳に、事前に書いて知らせてくれました。

太郎君の、言葉によるコミュニケーション力が飛躍的に向上したことを、旅行の間でしっかりと感じ取られたようです。

単に言葉の発達のことだけでなく、行動の一つ一つに太郎君の人間的な成長をしっかりと受け止められ、その成長を旅行の中で、家族全員で味わっておられるようでした。

この連絡帳があればこそ、私と太郎君との会話も、しっかりとかみ合うことができました。

「カメがいたの?」

「うん、でっかかった」

「水族館行ったんだ、楽しかった?」

「楽しかった」

「誰と行ったの?お父さんとお母さん?」

「うん、おにいちゃんも行った」

「ごちそう食べた?」

(太郎君、満面の笑み・・・)

ついでに、学童保育の中で、やさしい大好きな友達のことも教えてくれました。

言語の量としてはそれほどではないかも知れませんが、太郎君と私の間に、またひとつ豊かな感情が通い合う機会が増えました。

言語は、コミュニケーションのツールと考えれば、これで十分機能しています。その成功体験があればこそ、もっともっと言葉を使って話したいと、思うようになるに違いありません。

以前は、どんな言葉でもいいから、とにかく単語を出してほしいと願っていましたが、今では、単語から文章に発展し、今度はサ行など、構音のことが気になるレベルになってきました。

友里ちゃんは、「SHINOBU先生の所へ毎日でも行きたい」と言ってくれているようです。花子ちゃんも、一週間指導が飛ぶとなると、がっくり、となるようです。

発達の課題のあるお子さんは、集団の場面で、トラブルが起こることも多いと思われます。

そう言った意味での集団活動は苦手なタイプの子も多いと思います。

しかし、だからといって、人とのかかわりそのものが嫌な訳ではないのです。むしろ、うまく行かなかった体験があるだけに、よけいに人とのかかわりの大切さを欲しているのではないかと、私はとらえています。

私の指導では、導入にすごろくゲームを取り入れることが多いです。

これは、数に対する感覚を育てるというねらいの他に、やり方やルール・社会性を培うというねらい、そしてリアルな人間とゲームを通して、コミュニケートする楽しさを体感させるねらいを込めて実施しています。

むろん、特殊ルールを決め、指導の一環として行っていますが、そりゃきっと、お母さんも見たことのないような楽しそうな表情で取り組んでいます。

指導している私も、他のどんな時間よりも指導時間が楽しいです。(準備は大変ですが・・・)

発達課題のある子にとって、肯定的な自己理解は命綱だと考えています。

だから私は、私の指導場面では子どもにつまずかせないし、できたこと・育てたことをわかりやすく提示し、評価します、ほめます、プラスのメッセージを届けます。

自己イメージがネガティブだと、行動障害や引きこもりなど二次的な問題につながりやすくなるのではと危惧しています。

それくらい私は、肯定的な自己理解、セルフエスティームを重要視しています。

その肯定的な自己理解は、個人の努力だけでは培うことのできないもの・人とのかかわりのなかでこそ培うことが出来る物だと考えています。

ここも小さい時から育てていきたい。

ならば、家族も含め身近な存在の役割は重要です。

SHINOBU先生は、きっとかかわっている子どもにとっては、家族の次に大切な理解者になっていることと思います。

この指導も、育てておいて、少しずつ少しずつ自分の足で歩めるように、フェイディングしていく作戦です。

私は、育てていくと言うことは、こういうことなんだと考えています。

親と指導者では、役どころが違うし、親では到底出来ない部分もあることは理解できますが、逆に親だからできることは何だろうと考えたときに、もしかしたら何かの参考になる部分もあるのではないかと思っています。

衝動性・突発性の問題行動も 整理するとかなり見えてくる  (心理学の手法を生かした問題行動解決へのアプローチ)

 2008-08-19
私は、小学校の教員時代、子どもの問題行動解決に向けた取り組みを、長年にわたり自分の活動の大きな柱の一つとしてきました。

ある時は、学級経営・学級づくりの立場から、またある時は、情緒障害児短期治療施設の学校部門の担当として、セラピストの方や生活指導の方と連携をとりながら、その指導にあたってきました。

情緒障害児短期治療施設では、その子の生育歴や心理検査の結果をもとに、毎週ケース会議に参加していました。

個々のケースを深く理解し、それぞれの専門性を生かした指導を行うと、一定の条件さえクリアすれば、措置前はどうしようもない乱暴だった子も、退所前には涙を流して見送るほど、心が通じ合い、信じられない位問題が軽減したケースとも数多く出会いました。

ここでの体験は、今の私の血液となって、体中を駆けめぐっていますが、それはあくまでも経験則であり、一般化した理論として構築できるようなものではありませんでした。

その後、通常学校で生徒指導主事を何度か経験し。それなりに研究もしましたが、事例を通して学んでいくことはあっても、こうしたことをなかなか整理し、論理的に体系づけられたものと出会う機会はほとんどありませんでした。

しかし、大学院に行き、応用行動分析・機能的アセスメント・積極的行動支援(PBS)の手法を学んでからは、問題行動に対応するためのセオリーらしきものを自分なりに会得することができました。

最近になって私の所に、お子さんの突発的な行動・衝動的な行動についてのご相談をいくつかいただきました。

以前なら、どんなときでも、とにかく現場に飛び込んで、状況を把握して、当事者の気持ちを受け止め感じたことを心をこめて語りかけるといったやり方しかありませんでしたが、今は、それに加えて、冷静な分析と事実の整理・対応にかかわる方策の仮説立ては、必ず行うようにしています。

問題行動の解決は、理論通りに行かないことの方が多いです。 しかし、その時点で事実を整理したり、一定の観点から分析したり、だいたいの対応の仮説を立てておくと、その後の動きがよく見え、対応も迅速になり、結果が好転する確率は、かなり高くなったと、自分自身が感じているのは事実です。

そのすべてを、ここで紹介することはむずかしいですが、要点をあげると以下のようになります。

① 問題緒行動には、必ず原因がある。(そうまでして得たい・避けたい何かがある)

② 問題行動を起こす前には、必ず余震(サイン)がある。

③ 問題行動を起こすことによって子どもが得ることは、「注目の獲得」「内的な興奮」「事物の獲得」(快刺激) 「注目の回避」「内的刺激の回避」「課題からの回避」(不快刺激の回避) の2種類に整理される。

④ たとえば、物を投げて、支援員がかかわると、それが子どもが欲していることであった場合、それは問題行動によって得られた快刺激となるので、問題は解決されるどころか、結果として助長しているメカニズムとなる。

⑤ これを解決するためには、マイナス行動にご褒美を与えるような関わりはしないこと、もっとましな方法を教え、できたらほめる、を繰り返すのが目指すべき王道となる。

⑥ 問題行動が複雑で多岐にわたっている場合は、まずその中で、何に一番に取り組んでいくか、優先順位をつける。

⑦ その問題行動が、いつ・どのようなときに・だれといて・どんな状況の時に起こりやすいか記録を整理し、除去出来る要因(埋まっている地雷)は、可能な限り取り除く。

⑧ 可能な限りあらゆる状況を予測し、最悪の場合は、どんな形で、何分位、どこでクールダウンさせるかを決めておく。

⑨ 先行要因(引き金となるできごと)は何か、具体的につかんでおく。

⑩ わざわざエネルギーを使ってそんな問題行動をしなくても、別な方法で、本人の望む物(支援員のかかわり? 先生の賞揚? クラスのみんなからの注目? 食べたいお菓子?) が叶うことを、体験的にわからせる。(問題行動の無意味化)

私の経験からすると、傷つきやすい子、恐がりの子、何かに不安を感じている子など、デリケートな子ほど問題行動は起こりやすいように思います。

不安だから、心配だからこそ、いてもたってもいられないのです。

また、社会的な体験が未成熟で、集団生活のルールやマナーが理解できていないことが原因の場合もあります。

こうしたときは、その子のレベルにあったわかりやすい方法で、そのルールなマナーを体験させることが重要です。こうした場合は、教育的に意図された子ども集団(例えば学級集会やお楽しみ会・係活動など)での指導が効果的だと思います。

(うちの太郎君は、学童保育の電車ごっこで、今、毎日社会性の特訓中です。だいぶわかってきたよです。指導員にもかなり余裕がみられるようになってきました。)

衝動的・突発的な行動は、相手を傷つけてしまうことが多く、ご家族の衝撃もいかばかりかと思います。

特に、家庭外の出来事であれば、どうしたらいいかわからず、ただひたすら謝るばかりで、途方に暮れることもあるでしょう。

しかし、難しくとも、困難でも、必ず解決の方法はあります。

希望を見つけて、これからも一緒にがんばっていきましょう。

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自己有用感が 子どもを育て 子どもを救う (二次障害から脱却するための家族の役割)

 2008-08-18
花子ちゃんは、形の認知と書字が苦手です。

でも、ご家族としては、その苦手なことそのものではなく、花子ちゃんが社会の中でどう適応し、どんな幸せの形を作っていくか、そのことを大切にして花子ちゃんを育てて行こうとされています。

私が、学習指導を行う目的も、ただ単に何かが出来るようになることだけではなくて、そのことを通して、花子ちゃんがリアルな子ども集団の中で、どう育っていくか、その中身が重要となってきます。

単に、漢字テストや計算テストで何点とったかということよりも、その学力の育成によって、花子ちゃんの将来に何が見えてくるか? そのことを大切にして指導をしていくように心がけるようになりました。

何と尊い、やりがいのある仕事であるかと、身が引き締まる思いであると同時に、本当に夢のある楽しい仕事であると感じています。

でも、ぼんやりしていて、自然にこうなったのではありません。様々な試行錯誤の後に、やっと見つけた一筋の光で、何も見えなくなったときの不安な気持ちは、今でも忘れることはできません。

私の夢は、この花子ちゃんの苦手な部分の克服と同時に、例え書字は苦手であっても、潜在的にもっている大好きな国語の力を、本人の宝物に育て上げたい、という野望です。この夢を持ち始めてから、受け身ではなく、前向きに攻める姿勢をとることができるようになりました。

どこまでできるかどうかわかりませんが、ここに一本筋が通ると、きっと彼女は、彼女の人生の中で、自己有用感を感じることができ、ご家族の願いに添う自分の人生を歩んでいくのではないかと、私は考えているのです。

学力は、最も大切な価値の一つではあるけれど、それは幸せな人生を歩んでいくための一つの大切な要素ではあるけれど、それ自体が決して目的そのものではない、ということを、私はこのご家族から学ばせていただきました。

どんな価値を中心に据えるかによって、物事の見え方は、まるっきり変わっていきます。

高い目標を掲げ、それに向けて努力することも有効ですが、それがもし、自分に対して決定的なマイナスイメージを植え付けてしまうことになるのでしたら、そこには、適切な目標設定への見直しが必要となるでしょう。

かと言って、夢のないあきらめの人生には、何の魅力もありません。

ここに、家族や友人の、深い人生観や価値観が必要となってきます。

迷ってばかりの人生の、現実での様々な出来事の中で、こうした価値を構成していくことは、たやすいことではありません。

誰にだって自分が不安になったり、生きる意味を見失いかけるリスクはあります。

こうしたときに、寄り添う家族・友人の存在は重要な意味をもちます。

そこで子どもの心にストンと落ちるように、現実場面の中で、その子のもつ大切さを語ることができるかどうか、平素からの子どもの見方・価値観・人生観が問われる場面です。

他の誰に何と言われようと、愛する家族の言葉の輝きは別物です。 それさえあれば生きていける、そのくらいの意味をもちます。

その子の持ち味に、命を吹き込むのは、その子に寄り添う家族です。 友人や先生の中にそう言う方がいると、なおすばらしい限りです。

そこがあれば、光が見えます。 なすべきことも明らかになっていきます。 目標や夢も生まれます。 計画や組み立ても、そこからスタートできます。

たやすいことではありません。 

しかし、花子ちゃんのお母さんは、ご家族は、そこに向かって進んでいこうとしています。

子どもが困難な課題にもくじけず、社会の中で、その子らしく生き生きと暮らしていくために不可欠な自己有用感は、人との関わりの中でこそ、育まれ形成されていくもの・・・

ならば、最も身近な存在の、家族の価値観が影響されないわけはない。

私の仕事の内容を方向づける基準も、結局はそこにある。

本人の、ご家族の自己決定とは、そういうことなんだと私はとらえているのです。

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がんばれ鳶職! 自立に向けて (就労に向けて歩む教え子へのメッセージ)

 2008-08-14
私が、以前小学校6年生の副担任をしていたころ、教室で勉強できなくて、校内を徘徊している2人の男の子にかかわっていました。

そのうち一人は、中学から特別支援学級へ、もう一人は通常学級へ行きました。

通常学級へ行った子の様子を見に中学校へ行くと、その子はちゃっかり、何事もなかったように通常学級の教室でノートをとっていました。

その後、高校に進学したものの、結局1年位で中退してしまいました。

いつだったか 「おれは、○○高校へ行って、お父さんの跡を継ぐ」と、言った日のことが、目に焼き付いています。

一方、特別支援学級へ行った子は、友達からの心ない言葉に傷つき、中学生活の適応はかなり厳しかったようです。たまたま、お好み焼き屋さんで会った担任の先生から、そういう内容のことを聞きました。

高校は通信制のところへ行きましたが、この子も1年もたずにやめてしまいました。

私は、副担任でもあり、特別支援のコーディネートのようなこともしていましたから、その二人のご家族の方とは、ずいぶん時間をかけていろいろなことを相談していきました。

今から考えると、あの時、何が一番大切だったのか? 良かれと思ってしたこと・言ったことが、本当はどうだったのか、振り返り、何か複雑な思いに駆られるときがあります。

そのうちの一人が、このブログで紹介している孝志君です。

ご縁があって、5月と6月に一緒につりに行きました。

7月には、お母さんといっしょに、発達支援センターに就労相談に行きました。

では、8月は? と思っていると、孝志君のお母さんからメールが届きました。

この孝志くんと、小学校時代一緒に校内を徘徊していた男の子が、鳶の仕事を一緒にすることになった、という知らせです。

この孝志君の仲間は、今、ほとんで高校に行かず、深夜につりに行ったり、何をするのでもなくたむろしたり、果てしなくゲームをしたり、誘惑にはからっきし弱い、かなり危険な仲間です。

詳しくようすを聞いてみると、そのメンバーの名前は、当時私が生徒指導担当としてかかわった子ばかりで、今でも関係が続いているのか、何て狭い世界でぐるぐる回っているのかと、ただただ驚くばかりでした。

でも、私には、希望の光があります。

それは、つりに行ったときの孝志君の心は決して腐っていなかった、ということです。朝7時から、夕方4時までいっしょに過ごした孝君は、課題はまだまだあるけど、私にとっては愛すべきいい男です。

お母さんが心配している、鳶の相棒も、しばらく会っていませんが、きっと中身はそんなに変わっていないのだと思います。

むしろ、よくそんな状況の中でがんばってきたねと、抱きしめてやりたいような、そんな気持ちでした。

孝志君の携帯は、しょっちゅうアドレスが変わったり、機種が変更されます。

勉強じゃなくて、人生の大切な所、育てなくてはいけない、そんな思いでいっぱいです。

今回のアドレスでの返信が、なかなか返って来ないので、かなり気になっていますが、それはきっと、慣れない仕事でヘロヘロに疲れているからだと、勝手に想像しています。

もう少し経てば、いっしょにお酒も飲めるようになります。

きっと、あのメンバーは、それとなく続いているような気がします。

大したことはできないけれど、先生が君たちの一生の応援団であることだけは、本物であることを伝えたい。

そして、君たちは、まんざらでない、いい奴だということも伝えて行きたい。

そこさえしっかりしていれば、道はいくらでもあるんだよ。

せまい価値観で、必要以上に、自分たち追い詰めなくてもいいんだよ。

ていねいに、誠実に、心を込めて、社会の中で、自分らしさを発揮して欲しいと、これからも、心を込めて応援させてもらうからね。

そんなことしかできないけれど、先生が、ジジイになっても、そこは変わらない。

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学童期に大切なこと 中学校期に大切なこと  (道は先生が作る  さあ、進むのは君たちだ)

 2008-08-12
昨日は、おかやま発達障害者支援センター所長 土岐淑子先生の講演を拝聴する機会がありました。

ノースキャロライナでティーチを学び、長年にわたり岡山の療育をリードされてきた方だけに、内容に重みがあるだけでなく、、一つ一つの言葉を慎重に吟味され、様々な配慮をされながら、大切なことを紡いでいかれるような話ぶりで、感銘を受けました。

この講演の中で土岐先生は、学童期に大切なこと、中学校期に大切なこととして、以下のような点を整理されていました。




【学童期に大切なこと】

・ 
・ 役に立っている自分 (うまくいっていると本人が感じる生活)
・ 学校との協力関係
・ 評価の共有、優先順位のすりあわせ
・ コミュニケーションバランス
・ 小さなわかる、できるの積み重ね

【中学校期に大切なこと】

・ 自尊感情の回復
・ 肯定的な自己理解
・ 学校生活:援助の要が希薄、子ども集団の変化
・ 進路:周囲の価値観、社会の仕組み → 対応できない子どもたち 二次障害(追い詰めない・混乱させない・孤立させない=予防)




基本的なこと、大切なことを吟味・精選されるような内容でしたので、私の方も、一つずつ自分の実践を振り返り・確かめながら聞かせていただきました。

まず、何といってもキーワードは「自己有用感」だと感じました。

ここからは、私の思いになりますが、とにかく子どもに自分がダメだと思わせたら、教育になりません。

あれもできません、これもダメです、ここが限界です、それは無理です・・・・・

誰かの都合で勝手に決めた線で、子どもにマイナスのダメージを与え続け、どれだけ自己イメージを下げたら気が済むのでしょう。

それで一体、子どもの自立や幸せに対して、どんな意味があるのでしょう。

誰かと、何かを比べるのではなく、その子の強みを見つけ、その子らしさを生かして、どんどん行動や学習のレパートリーを広げていけば、必ず自己有用感は向上します。学ぶ楽しさ・知る喜びも生まれます。

一人でも多くの実践者がこのことを大切にされ、子どもの自立や幸せに直接結びつく取り組みで成果を上げていかれることを、願ってやみません。

中学校期については、私はそれほど踏み込んだ実践がありませんので、貴重なご示唆として深く心に留め置きました。

このことも視野に入れた学童期の教育ということも、考えなければならないなと感じました。

私の学習指導は、 「とにかく子どもが楽しいと言う 」と、どのお母さん方も異口同音におっしゃいます。

理由は簡単です。

多少お笑いも入れますが、そんなことで長続きするわけもありません。

正解は 「学習で、ほとんどつまずかせないから」 です。

必ず向上した成果と手応えを見せ、そして評価し、次の目標に向かわせる、このまま行けば、もっとイケルかも知れない、という期待や手応えを感じることができるからだと、私は考えています。

それは、毎日が小さな目標だからです。

少なくとも、今日のこの学習内容にかかわる、この子の認知特性は、世界中で私が一番よく知っているはず、という自負があります。

小さな目標では、いけませんか? それでも、大きな目標で、子どもを痛めた方が伸びると考えますか?

太郎君のお母さんが、「たとえ遅くとも、必ずそこへ行かせる」という内容のメールを下さいました。何と力強い決心、私は心の中で大きな拍手をおくりました。

例え、多少遅くても、小さなステップで、必ずゴールに行かせてみせる!

土岐先生の言う 「わかる、できる積み重ね、知る喜び」 は、SHINOBU流ではこういうことです。

私は尊敬する先輩の先生から 「教師の最大の指導性は、見通しをもつこと」 ということを徹底的にたたき込まれました。

小さなステップも積み重ねていけば、かなりのとこまで行きますよ。 

先を急いで、土台を崩したり、何をやってるのかわからない迷い道では、苦しいけど、小さな一歩も、成長の手応えさえあれば、それは大事な一歩です。

たとえ1円でも、お金であれば、倹約し積み立てていけば、知らないうちに海外旅行に行けちゃいます。

楽しみながら、続けられればなおさらです。 

でもそこに、見通し・計画・設定、そして意志と価値観は不可欠です。

みんなSHINOBU先生に任せさいな。 

道は先生が作る。 さあ、進むのは君たちだ。



発達の課題のあるお子さんにとってのコミュニケーションスキルとメンバーシップ (インクルーシブな集団への所属感が子どもを育てる)

 2008-08-11
このごろ太郎君、いい感じです。

あれ程頻繁だったおもちゃのトラブルも、物を投げたり、けんかをしたりすることも、めっきり少なくなってきました。

先日、「ドミノを十段積んだら、SHINOBU先生が賞品をあげる」と言ったら、1年生の子も5年生の子も、今までに見せたことのないような真剣な表情で、ドミノを積み始めました。

クリアできた子は、友達にやり方を教え始めました。そして、そんなこととは無縁だろうと思っていた太郎君まで、その活動に参加して、見事に賞品のアンパンマンのグミをゲットしていました。

先日、小学校の担任の先生が3名、保育園に来た時には、ほんの短い間ではありましたが、みんなといっしょにボードゲームに参加することができました。

土曜日には、健太君と太郎君と私の3人で、1時間以上かけて鉄道パノラマを組み立てました。

私は、最初ははりきってやっていましたが、結局、子どもたちの方がスキルが上なのがわかったので、途中で投げ出しました。すると、太郎君と健太君が協力して、見事にパノラマを完成させてしまいました。

できたパノラマを3人で眺めながら話をしていると、何人かの女の子がやってきて、いろいろと楽しく話をしました。2人ともお笑いのファンなので、「将来、二人で吉本に入って漫才師になろう」ともちかけると、2人ともその気になって、女の子たちにバカ受けでした。

夏休み期間中は、早い子は朝7時にバスで迎えに行き、テレビもビデオも電子ゲームももない環境で、10時間以上共に過ごします。 そこに活動がある限り、多少のトラブルは、起こって当然と考えています。

そのトラブルに向き合い、共に快適に暮らすための社会性を養うことこそが、大切なんだと考え、そういうときにはいい加減に済まさないで、真剣に対応していこう、と指導員といつも話し合っています。

私が太郎君のことが気になって、何か特別なプログラムを考えたとき、時々周囲の子が、「太郎くんだけセコイ」という指摘をしてくれます。ありがたい指摘です。信頼関係が出来ている証拠です。

こうしたときは、私の目標設定が曖昧だということなので、その子の言い分を聞いて必ず全員が納得できるプログラムに修正するようにしています。

その代わり、私には、子どもたちに対してどうしても譲れないポイントがあります。

それは、相手の子を、同じ学童保育のメンバーの一員として、大切に考えているかどうか、ということです。

ここをいい加減にしておくと、子ども集団は暴走する可能性があります。

不公平でなく、全員を大切にし、誰かの喜びも、誰かの悲しみも、同じ集団に所属する者として、結果の一部を共有する。

そのことを生きた活動の中で、子どもわかりやすい形と内容で、伝えることが・語ることが・示すことが出来る、リーダーとしての指導性の中身は、そう言うことだと思います。集団での教育の、大きな武器が、ここにあるのです。

これがメンバーシップであり、相互協力関係の基本です。これがあってこそ、生きたコミュニケーションが成立すると考えます。

このように、指導者により、ある程度、意図的・教育的に構成された子ども集団でこそ、コミュニケーションそのものが意味のあるものとして機能していくのです。

同じ場にいても、似たような活動をしても、ただそこに居るだけでは、真の意味でのメンバーシップとは言えないかも知れません。

例え小さくても、大切なメンバーの一員として共有できる何かがある、太郎君を見ていると、こうした環境こそがコミュニケーション力を育てる大切な舞台になっているように、思えてならないのです。こうした水の中で、今、太郎君は泳ぎ回り、力をつけています。

発達の課題のある子が、集団の中で学習する意義も、そこにあると私は思っています。

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信じてこそ トライしてこそ見える 発達の可能性 (すべてが苦手だと 思っちゃいけない)

 2008-08-09
昨日、私は大変なことに気がついてしまいました。

指導を行っている2年生の花子ちゃんの、読解力が、相当なレベルであることを発見し、実感してしまったのです。 ちょっとふるえましたよ、正直。

おそらく、この才能に気がついているのは、世界で自分一人だろうな、と、そのとき、そう思いました。

鍛えれば、相当いける。読書感想文コンクールだって何だって、この子の感性なら、かなりの線までいける。そんな感覚です。

そりゃ絶対という保障はできません。でも、少なくとも指導している私に、大きな夢が広がってきたのは、まぎれもない事実です。

守ってばっかりじゃなくて、たまには攻めてみたいものです。

もし、このことで、彼女が自分に対するセルフエスティームを向上させ、自己実現に向かってさらに力強く進んでくれたとしたら、どんなにすばらしいことでしょう。

花子ちゃんは2年生から、特別支援学級で勉強をしています。

形の認知や細かい運動系に少し課題があるので、書字は苦手中の苦手です。

読めても、わかっても、それを文字で表現するのが苦手なタイプです。

英会話なら、リスニングもヒアリングもスピーキングもOKだから、日常会話は全く支障のないタイプです。NOVAへ行けば、バリバリのエリート候補生です。

でも、学習の評価の大部分はは、ライティング(書くこと)でなされます。

こうしたことが、彼女を必要以上に不利な立場に、追いやっています。

言語コミュニケーションに重要なのは、リスニング・ヒアリング・スピーキングなのに、花子ちゃんの評価は、苦手なライティングでほとんどがなされます。

昨日、花子ちゃんがこんなことを言っていました。

「私、この間、劇を見たとき、スピーカーの音が大きすぎで、頭がいたくなっちゃった、だからね、今度耳栓していくんだ、それすると、ちょうどいいくらいに聞こえる・・・」

この言葉は、私にさらなる勇気を与えました。

聴覚性の言語が、すばらしく発達しているのかも知れない!

苦手な部分を補うために、他の系統が著しく発達することは、この世界では、もはや常識的なこと!

この子に対しての、聴覚性言語プロンプト(支援)の入りは、そりゃすばらしいです。

パソコン画面による書き順指導は、かなり抵抗感がありますが、「たて・たて・よこ・よこ・はらってちょん」なんて、聴覚言語で教えると、砂にしみこむ水のようにすっと入っていきます。

昨日は、「黄色いバケツ」の読解指導を行いました。前回が予備刺激、今回から本格的にと思い、例によってエラーレスの読解カード用意してきましたが、そんなの瞬時にクリアされてしまいました。

通常学級で使用されている市販の業者テストの内容くらいなら、簡単にできるレベルだな、とすぐにピンときました。(でも、それを文字で表現することは、今の段階では、おそらく無理・・)

しかし、ちゃんと読解できているんですよ。 それなら、それで出力ソースを工夫すればいいのですよね。 たったそれだけのこと。 そんな工夫なら、いくらでもある。

例えば、マークシートとかは、案外いけるのかも・・? なんて考えちゃいましたよ。


花子ちゃん、花子ちゃん  苦手なことは、苦手であっても、君にはすばらしい宝物があるんだよ。

お父さん・お母さんからいただいた、素敵なプレゼント

これから、そのプレゼントに水をやり、芽を出し、花を咲かせていこう

どんなに夢のある営みであることか


花子ちゃんの個別指導を始めてから、約半年。

どれだけのことができたのかはわかならいけど、もしも、お母さんが、あの日あの時勇気を出して、見も知らない私の所へ相談に来ていなかったら・・

もしも、私がいつまでも、ぼんやりとして、マイナス面の矯正ばかりにとらわれた指導を行っていたら、こんなにも前向きで、明るい希望をもてなかったこもしれない。

リスクや困難は、誰にでもある。 まずは、可能性を信じて、トライしてみましょう! そのことで、それまでには予想もできなかった展開が開けてくることもあります。

光があれば影はある・・  山があれば谷もある・・

やりもしないで、あきらめたり、自分はだめだと、思わないで、思わせないでいてほしい・・

まずはとにかくやってみましょう

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行動改善のためにクスリを飲むことをめぐって (クスリは万能ではない 傷ついた心をいやすことはできない)

 2008-08-08
以前にも書きましたが、私はクスリの服用については消極派です。

しかし、先日知り合いの小学校の先生から、「クスリを飲むことによって、それまでできなかった教育が可能になる」と言われ、正直かなり揺さぶられています。

別に、クスリを全否定しているわけではありませんが、心の中で割り切れない、いろいろな思いが今でも交錯しています。

あえてクスリを拒んで、いろいろあっても前向きに成長した子もいれば、クスリによって劇的に問題行動が改善された子も身近な例として、知っているからです。

右のコーナーで紹介している高山恵子さんの「おっちょこちょいにつけるクスリ」(家族の想い編)には、このクスリの服用にかかわることについて、30ページにわたって記述されています。

高山恵子さんの講演は、今年の6月に、何の期待もせずに、タマタマ出会った講演でしたが、今となっても、じわりじわりと影響されてきていますね。これ、本物かも・・と感じ始めています。

「おっちょこちょい~」という本、すごい人気で、県立図書館に予約を入れても、もう何ヶ月も借りることができません。結局、私が勧めた本なのに、今、花子ちゃんのお母さんにお借りして読んでいます。(自分で買うべきですよね)

今、読んでみて、知らなかったこと・整理しておかなくてはならないことがいくつかあります。

○ リタリンは小学校1・2年生から処方し、小学校卒業までにやめるのが望ましい。中学生以上は新規では処方しない、というガイドラインがある。(むやみに処方しない、身長・体重の成長障害のリスク、頭痛・腹痛・食欲不振・睡眠障害などの副作用・リバウンド・依存性・セルフエスティームの低下)

○ こうしたクスリは、「性格という部分に作用するクスリ」がゆえに、単純に「クスリを飲んで良かったね」と、言えるものではない。

○ 「クスリがないとダメな自分になる」といったマイナスイメージに耐えられなくなる、精神的な依存度が強くなる。

○ 自分がクスリを飲んだときの利点として、「集中する・静かにする、がどういうことなのかを実体験できる」「クスリを飲むことによって、自分を客観的に見る力が急に伸びる」が、あげられる。

○ どんなに努力してもできなかったことが、クスリを飲むだけで改善されてしまう、じゃあ、これまでの自分は何だったんだろう、自分が自分でないような、これまでのアイデンティティが崩れる、本当の自分は何、と思い、涙が止まらなくなってしまう・・・・

この最後の文章にふれたとき、私の胸に湧き上がっていた、熱い怒りにもにた感情が何であったのか、わかってきたように思いました。

「クスリを飲むことによって、それまでできなかった教育が可能になる」

その言葉の中に、そうした、人として生きることの尊厳に向き合う姿勢が、感じられなかったから、私は激昂したのだと思います。

きっとその方は、ただ単に、クスリの利点についてのみ伝えたかったのでしょう。二次障害を起こさないで、豊かな教育・質の高いを実践したい、ただ単にそう言いたかったのでしょう。

失礼な言い方をした私を、どうぞお許しください。

しかし、ここまでバトルが起こるくらいデリケートな問題であることは確かなようです。

クスリを飲んだら、自己イメージは必ずいくらか下がる。 そうまでして飲む価値があるかどうかを、判断したい。

そしてクスリの効果は人間の育ちの一部分、クスリを飲んで解決することと、クスリを飲んでスタートすることの両方がある。

これが、この本を読み、現時点で私が学んだことなのかも知れません。

少し、深まった見方ができるようになった気もしています。

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数えるということの本質 (発達課題のある子の算数指導)

 2008-08-07
どんなお子さんにとっても、社会的自立に向けて、数えることは重要ですよね。

今日はこうした、お子さんの数えるというメカニズムにかかわるトピックです。

1・2・3・4・5・・・・・・・・と数えていって10になると一つの束になる・。

1円・2円・3円・・・と数えていって10個集まると、10円玉1個と同じになる。

これが位取りの原理です。私たち大人は、様々な学習や体験を通して、当たり前のような感覚で、このことをとらえることができていますが、小さい子、特に発達面で課題のあるお子さんにとっては、なかなか理解しにくい内容です。

私のこれまでの経験では、位だけを意識させるのだったら、数え棒が一番でした。 「10で1」ということが、一番視覚的にとらえやすいからです。

友里ちゃんのばあい、かけ算もわり算の筆算もできますが、この「10で1」という感覚は、まだ十分ではないようです。

継次的なとらえ方をするので、1・2・3・・10と1本ずつなら楽々数えられることでも、10・20・30・40・・・と束で数える事は苦手です。

束で10・20・30・・・・と数える位なら、ばらして1本ずつ1から100まで数えた方が楽なのです。そんな子もいるのです。

ですから私は、この継次的な数え方をベースに、様々な量的刺激をミックスしていきます。例えば、バラの20本と束の2つを用意して、双方とも数えさせます。そして束とバラをミックスした「25」を数えさせます。私の言う二系統同時刺激です。

すごろく・さいころ・おかし・お金・・・・

ありとあらゆる刺激を用意して、「10個になると1つのまとまり」 を意識させます。

毎回、毎回、意識してやってると、苦手ではあっても、必ずできるようになってきますから、それは楽しいです。

友里ちゃんの場合、教室でその日学習する内容が理解できないことがあると、行動面に大きく影響があるということを聞きました。

そこで今回、学校で習うより先に指導を行い、それが教室での行動改善にどこまでつながるか、トライしてみることになりました。

「みんなより先に少数習う!」 ということで、友里ちゃん、モチベーションはビンビンです。

学校の先生ならどなたもご存知だと思いますが、少数も「0.1」を一つの単位として考えれば、計算そのものは、整数と基本的には何も変わりません。

つまり、1年生の太郎君がやってることも、2年生の花子ちゃんがやってることも、4年生の友里ちゃんがやってることも、原理から見れば、そんなに変わりのないことなのです。

少数の場合、「0・1Lが10個で1L」 ここがミソです。 今日は、1Lのペットボトルに、0・1Lずつ水を入れて目盛りをつけ、10杯で1Lという算数的な活動に取り組みました。

これ、いいですね~ 数え棒にさらに強烈な、視覚的補助刺激になりました。

友里ちゃんの場合、量的なとらえは、4年の少数の教材の方が、1年生のおさらいをするより、さらにパワーアップして、数というもののとらえに、有効に機能している気がします。

指導していて、正直、手応えを感じています。

ここができれば、大きな数だって、少数だって、何だって、後は応用です。逆に言えば、ここができていなければ、なかなか使える理解には至らないということです。

ここをお子さんの認知特性に合わせて、どう教材化するか、ということが指導者の腕の見せ所ということになります。

ご家庭の宿題などに取り組まれるときに、少しでも参考にしていただければと、願っています。

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会得したい 理解したい 早期療育のエキス

 2008-08-06
あなたは、早期療育について、どのようなイメージをもち、どんな考えでいらっしゃいますか?

わたしは、どちらかというと、これまであまり積極的な見方をしていないタイプだったと思います。

敬愛するマドンナさんが、早期療育の大切についてコメントしてくださった時も、ここの部分のとらえについては、かなりの温度差があるな、と感じていました。

クスリの服用についても、慎重派です。 もちろん全否定しているわけではなく、ケースによっては重要なはたらきがを示すことも理解しているつもりです。

「クスリを服用することによって、ちゃんとした教育の場が構成できる」と、強く主張される方もいますが、クスリの前に、そのちゃんとした教育とやらを、先に実践してほしいと思ってしまいます。

しかし、これが、一般論で議論できない内容だといくことも、わかってきました。

こういう議論になると、私は熱くなってしまいます。 根幹にかかわること、こだわっている何かが、そこにあることを感じていました。

それが、これまでにかかわってきた子どもとご家族の思いに強く影響されているということに、昨日、ハタと気がつきました。

私が、早期療育にあまり積極的になれないのは、その早期療育で傷ついてきた保護者とのかかわりをぬぐいさることができないからに他なりません。

そのご両親は、今でも尊敬しているすばらしい方です。そういう意味では、早期療育を先進的に取り入れられたモデルとなるようなご家庭だと言えます。

しかし、私はその影の部分に何度もふれてきました。専門用語ばかりで、子どもの姿が見えない、テストで、可能性を厳しく限定した言い方をされる、挑戦もしないで、将来を決めつけられる・・・

それが、決して他ではもらさない小さな声であったので、よけいに心に深く刻まれました。

マドンナさんとの、温度の違いが、ここから生じていることに、やっと気がつきました。ベースとなる体験が、違いすぎる。

同じ早期療育という看板がついていても、その中身はきっと全然違うんだ、それじゃあ、議論はかみ合わないし、熱くなるのは当たり前と、やっとわかってきました。

マドンナさんの語る早期療育については、ブログで時々拝見していますが、でもまだ私にとってはリアルなものでないので、やっぱりエキスが体感できていない。

私のイメージしている早期療育とは、せまい部屋の中で、週に1度、セラピストさんが定番のプログラムを淡々とこなす、そんな感じです。

このイメージをもってして、早期療育の是非は議論できませんね。正直、知らないのですから、ぜひ勉強したし、得心したら、保護者の方に情報として提供していきたいと考えます。

早期療育を勧める方に、「じゃあ、その具体的な中身、どれだけ把握しているんですか?一度でも、その場面をご覧になったんですか?」と切り返すと、「いや、全然知らない」と言っていました(笑)

私は、「先生の、今やっているの教育的な取り組みの方が、何倍も子どもと保護者のためになってると思うんだけど・・」と言うと、その先生も、笑っていました。

特別支援学級と言っても、先生によって天と地ほどの差がありますよね。それは、知ってます。もしかしたら、早期療育も、そういうものかも知れません。

特別支援学級の入級も、最終的には、中身で判断しますよね。

友里ちゃんのお母さんが、今、専門機関をずいぶん巡られたり、情報収集をされていますが、どうもやっぱり、期待するものとは異なっているようです。

結局は、看板より中身だと思います。、

早期療育が効果的だったケースを、早く理解しなければな、と思いました。

それを知っていれば、自分の活動にも、何かがきっと生かされると思います。

早期療育の、私の偏見は、今日をもって閉店させていただきたいと思います。今日からは、まっさらの目で、子どもの幸せと成長という視点から、見つめ直していきたいと思います。

これまでの議論の中で、私の熱いミサイルの直撃を受けた皆様、どうぞお許しくださいませ・・・

このことについて、皆様方からの情報やお考えがありましたら、ぜひお寄せいただけたらと思います。

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特別支援教育 新時代 (必要とされる臨床・実践の技術=もはや理論の時代ではない)

 2008-08-05
昨日は、ある自治体の特別支援教育研修会で、保・幼・小・中の先生方、約50名に、このブログで紹介させていただいた実践についてのお話をさせていただきました。

最初は十数名と伺っていたのに、開けてみると50人ということで、それも嬉しかったことの一つです。

私が約90分話をして、残り30分が質疑応答というオーソドックスなパターンです。

以下のような柱を3本立てて、このブログでおなじみの子どもたちの指導・実践事例とそれを支えてこられたご家族のことについて伝えていきました。

 Ⅰ 学校園本来の 「集団での育ち」 という機能の大切さ

 Ⅱ 個別の発達・認知特性に寄り添った指導実践から

 Ⅲ 各学校園の役割 (子どもの自立と幸せという視点から)

安請け合いした講演でしたが、今、私自身は本当にお引き受けして良かったと感じています。

当然、パワーポイントも資料もありましたので、当日の完成度にどれだけ気を使っても、たかが知れています。

なので私は、現職の先生方が何に反応するか、それに応じて内容のバランスを変えて行こうと考えていました。

初めて3分も経たない間に、いきなり眠り始めた方もいらっしゃって、最初はちょっとずっこけました。

しかし、話を進めてくと、だんだん先生方の表情が変わっていくのがわかり、ぼんやりと聞いていた方が、中盤以降はメモを取り始めたので、これは入ったな、と思いました。(単なる思いこみかも知れませんが・・)

先生方の顔が上がり始めたのは、具体的な指導場面での臨床技術を紹介しはじめてからです。

この辺から、「またか~」みたいなムードが、「ん?」とか「えっ?」みたいな感じになってきました。


「画数の多い感じも、へんとつくりに分けて、順に提示すると書けるようになる」

「視覚的に漢字の書き順がとらえにくい子には、「たて・たて・横・たて・・・」と言葉をそえて、書かせるときちんとかける」

「問題行動を、キャラクターのごほうびで改善した事例とは・・」

「数え足しの子には、その得意なやり方に、苦手な視覚や動作の補助刺激を、同時にミックスする方法が効果的」

「最初は予備刺激程度にして欲張らない、2回目は支援をたっぷりくっつけてエラーレスに、不必要な情報と重要な情報が整理されていた3回目ころに、支援を少しずつ消去していく方法が、体験的にはグーだった」

など、これまでの具体的な指導法を紹介し、どうしてこうした指導法を生み出していくことになったか、原動力となったその背景となるご家族の願いや思いも合わせて伝えていきました。

質疑応答の時間には、数人の先生が、次々と手をあげ、予定の30分に空白の時間はありませんでした。

私の話がうまいとか、講演自体がどうだとか、そんなことは正直、あまり興味がありませんでした。

それよりも、話をしているうちに、これまで太郎君や花子さんや友里さんと取り組んできたことが、結構価値あることなのかも知れない、と感じることができたのは、何よりの収穫だと思っています。

(太郎君の電車事件も、話題になりました)

会が終わると、何人かの先生方が、「後でメールをします」「ブログ、ぜひ拝見させていただきます」とわざわざ歩みよってくださいました。

在籍8名の情緒学級の先生の「やる気と元気がわいてきました」という発言にも、心が熱くなりました。

もしも、私に太郎君・花子さん・友里ちゃんがいなかったら、こんな幸せを運んでくれることはなかったことでしょう。


今日は、4年生の友里ちゃんに「少数」の勉強を教えました。「まだ学校で習ってないけど、やるかっ!」って聞いたら、にっこりと「うん」と答えました。

朝コンビニで買ってきた1Lのアクエリアスを、0・1Lずつ小さいコップに分けていきました。「0・1Lどれくらいか、飲んでみようと」というと爆笑顔になって、お母さんのいない隙に3杯ものんじゃいました。

「わー、0・3Lも飲んじゃった感想をどうぞ」というと「もっと飲みたい」と答えていました(笑)

コップには全部、青いマジックで「0・1L」と書いています。

これなら、少数のたし算も、楽勝です。同時に、数字・数詞・具体物のマッチングにもなります。コップを上から見ると、数図ブロックと同じ形に見える→十進位取り記数法の学習にもなります。

何て楽しい時間でしょう。指導者にとっては夢のようなひとときです。

これを今日実際にすることにしたのは、昨日、講演で自分がしゃべっていて、自分で勝手に思いついたことがっきかけとなりました。考えを整理することによって生まれた気づきが、そこにあったわけです。


藤井フミヤは、自分がスターになっても、ずっと付き合ってた彼女を裏切ることなく、ゴールインしました。

私も、どんなことがあっても、「もう結構です」とお断りされるその時まで、太郎君たちの先生で居つづけたい、と思っています。

私の友達に「夢追い人」さんという方がいて、その方も臨床という2文字の魔力に取り憑かれています。

何か、わかる気がしてきた。

私も、この臨床から離れたら、すべてを失ってしまうような気がしてきました。

今、必要なのは、真に子どもに寄り添い、成果を上げた臨床実践である、そんなことを感じた、昨日の体験なのでありました。

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子どもの自立と幸せを支える 各学校園の役割 (特別支援教育研修会)

 2008-08-04
今日は、標記のような内容で、ある自治体の特別支援教育の研修会に講師として行きます。

元小学校の教員ではありますが、今は「保護者のサポーター」が本職と自認していますので、このブログで皆さん方からお寄せいただいた、これまでの熱い思いを、ぜひ現職の先生方に伝えることができるようトライしてみたいと考えています。

よく考えたら、大学院の卒業(修了)証書を手にしてから、4ヶ月余しか経っていない・・・

自分としては、がむしゃらにやってきて、遠い昔のことのような気がします。個別の学習指導もこのブログも、いつも真剣勝負で、自分では魂を込めて取り組んできた。

なので、わずか4ヶ月の中で、他では替えることの出来ない大切なことを勉強し・吸収できたと思っています。

気楽にお引き受けした今回の講演でしたが、先週末にはかなり苦しみました。

皆さん方と共に考えてきた中身を、学校の先生方に理解してもらうことは、私に与えられた大切な使命のひとつだということが、心の中で、次第に大きく膨らんでいきました。

必ず理解してもらえる  必ず理解していただく  そんな思いがだんだんと湧き上がってきました。

先生方の気持ちを揺り動かさなければ、技術のみを紹介しても、決して実践にはつながらない。

子どもや保護者のところに届かないのだとしたら、こんなこと、時間をかけてするようなことじゃない。

だとしたら・・  だとしたら・・・

生身の今の気持ちを、ダイレクトに表現していこう、そんな思いが広がってきました。



母がどんな思いで我が子と向き合っているか?

せめての思いで、学校に何を期待しているか?

わずかな可能性であっても、希望をもって、真剣に教育に取り組んでいく姿勢が、どれほど子どもの幸せにとって意味のあることか?

子どもの認知特性に添った指導を工夫すれば、どれだけ学習の成果が期待できるか?

子どもの問題行動は、関係性の問題が大きく、決してその子だけに原因があるのではない。要因分析をして、適切な指導をすれば、必ず問題行動は解決できる・・・

そんなことを、心を込めて、訴えて来ようと思います。


パワーポイントは昨日完成、資料は今(当日の朝)印刷中

いつまで経っても、計画性はありませんが、心はすっきり、体もほぼベストな状態にコンディショニングできました。

この口が、どんなことを言い出すやら、自分でもさっぱりわかりません。

ちょっとワクワクしていますが、はてさてどうなりますことやら・・・?

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発達の課題のある子どもが リアルな子ども集団から学んでいくこと (通常学級での育ちの魅力)

 2008-08-02
夏休みになったということあって、学童保育の子どもたちに、100円ショップで買いそろえた電車のおもちゃをプレゼントしました。

もちろん太郎君は、乗り物系のマニアですから、だれよりもその鉄道おもちゃに食いつきました。

あまりにも好評で、電車の取り合いになり始めたので、一人に2両はプレゼントして、名前を電車に貼り付けました。

自分の電車ということで、ますます子どもたちは、電車遊びに夢中になっていきました。

車両は個人持ちになりましたが、線路や駅や踏切は、もちろん共有です。しかし、乗り物系マニアの太郎君は、どうしても全部を自分のもののように使いたくて仕方ありません。

しかし、2年生の健太君たちも、今回ばかりは引き下がるわけにはいきません。

そこで、当然のようにけんかが始まってしまいました。

たぶん、こんなふうにリアルな次元で、太郎君とみんなが向き合ったのは初めてではないでしょうか?

私たち指導者は、絵カードなど、太郎君にわかりやすい方法で、おもちゃを使うときのルール、してはいけないこと、困ったことには暴力ではなく 「先生に言う」 ということなどを教えました。

まわりの子どもたちも、真剣にそのようすを伺っていました。

しばらくすると、最初は「そんなのやらな~い」と、全然興味を示さなかった女子軍団が、「私たちにも電車、ちょうだい~」と、やってきました。

たくさん線路はあっても、最初はつながりのないバラバラのパノラマでしたが、大きい学年の子や女の子まで参加し始めると、保育室いっぱいに広がる、結構まともなパノラマに変身してきました。

でも、太郎君は、まだぜ~んぶ、自分の物でないと気が済みません。せっかくみんなで協力して作った、鉄道パノラマを、興奮した赤ちゃんのようになって壊してしまいました。

こうなると、女の子も大きい学年の子も黙ってはいられません。指導員の顔を伺って「やってもいい?」と、おそるおそる尋ねると、指導員は 「やっちゃいなさい」 と答えてしまいました。(何と素敵な感性の指導員でしょう)

ここで、太郎君は、大きい学年の子や女の子に囲まれ、こっぴどくしかられました。

暴力こそ振るいませんでしたが、全員一致団結して立ち上がっていますから、太郎君ごときでは、ひとたまりもありません。

たちまち、太郎君は泣いてしまい、ジ・エンド。 壊されたパノラマは他の子どもたちによって、粛々と修復されていきました。

太郎君は、10分ほど泣いていましたが、見るといつの間にか復活して、そのパノラマの中で、自分の電車を走らせています。さすがに、今度は破壊行為はできません。そういうことをすると、どんなことになるのかを、こうした体験を通して学習したのです。

ソーシャルスキルトレーニングを100回やったとしても、こうしたこのリアルな体験のインパクトには到底及びません。

私は、その後も、太郎君の表情と、学童集団の空気を注意深く見守っています。

今は、朝、園長と二人で学童の子どもたちをバスで迎えにいっています。その朝の表情は、さわやかそのものです。この子の、本当にすばらしい宝物です。

先日は、朝ちょっと時間があったので、公園まで内緒でドライブに行き、養護学校で買ったミニトマトと、コンビニで買ったおかきをに食べ、わずか15分くらいでしたが、一緒に遊びました。

言葉使いのこと、差別的な態度、子ども集団はある意味とてもシビアで残酷な面があります。それがエスカレートするといじめとなり、取り返しのつかない深い傷を子どもの心に残します。

私は、どんなに口は悪くとも、太郎君は学童保育の大切なメンバーの一員であると、みんなから受け入れられていると信じています。そうでないと感じたら、人格を傷つけるような発言や行動があったら、決してそれを見逃さない信念と覚悟だけは持ち合わせています。

大切なメンバーだから、家族のような同じ仲間だから、いけないことは怒る!

大げさに言えば、このことによって、太郎君の社会性発達の可能性の道は大きく開けたと考えています。 社会性を育成するための、リアルな実践の場が形成されたと考えています。

通常学級の捨てがたい魅力と可能性が、ここにあるのです。

太郎君のお母さんが、このことを理解してくださったのも、本当にありがたいことだと思っています。

私は、太郎君も含め、この学童のメンバーがますます好きになっています。

指導員さんには、苦労もかけていますが、この部屋にいると心がなごむ不思議な空間です。

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企業からの就業支援の視点に学ぶ ② (障害の度合いは、場合によって就労に支障ない)

 2008-08-01
昨日紹介した、NTNの高津部長による、企業の立場からの就労支援の講演の続編です。(内容は一部、私の解釈した表現に変えている部分があります)

【NTTワークショップ夢工房の運営について】

・ 障害者雇用は、社員の一員として主役で働くことから、ボランティア活動ではない。

・ 障害者雇用の職場だから効率が悪い、品質も悪いでは企業に認知される職場にならない。

・ 障害者雇用だから赤字はしょうがない、では、障害者雇用の拡大は望めない。部門目標として、採算のとれるものにしたい。

・ 企業として収益性は重視するが、企業の理念や社会的な貢献、イメージなどから考えても、障害者雇用は、十分に取り組む価値のあることと考えている。

【弊社が経験から感じていること】

・ 障害の度合いは、場合によって支障ない。

・ 基本的な生活習慣が自らできると、一日の職場生活に早く順応できる

・ 働くことの動機付け、意欲づけはあるか  家庭でのお手伝い=お駄賃(給与へ)

・ 楽しみ方を知っているか  給与を使う=働きたいと思う

・ 職員の採用に際しては、保護者の子どもの自立に向けての熱意と努力が、判断の大きな材料になる。
・ 就職したからと言って、すべてを会社任せにしてしまうと、結果的に継続就労が困難となる。。(企業として、家族からの情報提供やサポート体制が必要となる)

【自閉症協会川崎支部長 明石洋子氏の講演内容から】

・ 家事労働が出来る中で、家庭の中での存在感が高まる。

・ お互いがいてよかった、と思え感じられる家庭であること。

・ 基本の行動ができて、自立した生活習慣。

・ 伝え方を工夫し、否定することよりも、ほめることを基本に




働くということだけに限らず、幸せに生きることの基礎要件として、自分自身の存在を受け入れたり、自分もちょっとはいけてるかなって、感じられることは、とても大切なことであると考えます。

集団への所属の欲求は、人間の基礎欲求のひとつです。

集団への所属感があってこそ、自己有用感が育まれます。自分が何かのことで、誰かに貢献できていると感じることは、それ自体が本人の幸せにつながっていると思っています。

こうした意味でも、子どもの就労は、私たちの目指す大切な方向です。

障害が、重度だから軽度だからということではない、と、高津部長は何度も口にされていました。

軽度であるがゆえに、余計周囲から理解されない、自分で自分をコントロールできないという、別なむずかしい側面があるのも現実です。

また、昨日のマドンナさんのコメントにあるように、そうは言っても収益性が先行すれば、重度の子は苦しい立場に立たされるという危惧も理解できます。

しかし私は、この先は、障害の種別・程度ではなく、人間としての根本の部分の育ちで、就労先は決められて行くのだと考え、その根本の部分をしっかりと見据えた指導・支援を行い、ほんのわずかであっても、こうした流れ世に示していきたいと願っているのです。

現実認識が甘いかも知れません。しかし、これからも自らの志をしっかりもって、持ち味を生かした活動を続けていきたいと考えています。

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Author:SHINOBU
新大阪教室

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