企業からの就労支援の視点に学ぶ ① (親として 子どもつけたい力の優先順位)

 2008-07-31
昨日は、岡山東備養護学校の公開講座に伺い、企業の立場からの就労支援ということで、ベアリングの生産工場である、NTNテクニカルサービス 夢工房岡山の高津部長の講演を拝聴いたしました。

ずいぶん前から、注目していた講座でしたが、予想通り、手応えは十分でした。今日は、その講演の中から、まず、「企業から保護者の皆様にお願いしたいこと」というトピックを紹介させていただきたいと思います。

【企業からお願いしたいこと】

  保護者はお子さんの一番のサポーター 

  ご両親は将来どのような自立をさせたいか、目標を立てていますか?

  ・ 働きたいという意欲をまたせているか もっているか?
 
  ・ 障害があるからこんなことをさせるのはかわいそうだ、は、禁物

  ・ その子に出来るお手伝いをしてもらい → 達成感を与える ほめてあげる

  ・ お手伝いの継続性 → 仕事ができるようになります

  ・ 子どもが育っていないのは、学校のせいだと思っていませんか?

夢工房では、彼らに主役で働いてもらうために、各人の不足した部分を補います。(その人に合った治具=私たちは、仕事が出来なければ教え方が悪いと判断し、サポートの改善に取り組みます)




まず、前日にあった、新潟アルビレックスの中野社長の講演(昨日の記事で紹介)と、多くの点で、内容が重なり合っていたので、驚きました。

NTN夢工房岡山でも、障害があることでの、品質面での妥協や甘えは、一切認めないそうです。

それは、障害者の法定雇用率の達成というような安易な考えで雇用をしても、雇用の内容が本物でなければ、その方が正規の戦力とならなければ、決してそれは、長続きはせず、やがては競争社会の中で自然淘汰される運命にあると考えているからです。

逆に言えば、本人が力をつけ、企業が工夫をすれば、健常者を凌ぐ優秀な戦力になるという勝算がそこにあるということです。

ここに、我々が目指すべき大いなる希望と可能性が存在します。

私は、このお話を聞きながら、頭の中ではぐるぐると、孝志君や、太郎君や、花子さんや、友里さんの姿がかけめぐっていきました。

そして、やはり大切なのは、自分を客観的に受け入れながら、得意な行動レパートリーをもとに、「これならできる」「これは得意」「これなら私も貢献できる」という、自己有用感を育んでいくことです。

そして、そのためには、スモールステップで、できたらほめるという、応用行動分析的なかかわりの工夫が有効となります。。

しっかりとしたビジョンをもち、甘やかさないで鍛えなくてはいけません。

出来ないからと言って、親が子どもを責めると、子どものモチベーションは低下します。

大変だけど、出来ないのは私の設定の工夫が足らない、というように、親の方が発想を切り替えた方が、返って気が楽だし、結果としてうまくいきます。

うまくいかないのは、本人のせいではなく、本人とそのことの関係性が悪いのだと考え、その改善に向けた工夫をすることが大切です。

「人を責めない」「自分を卑下しない」「時間を守る」「約束を守る」「健康や安全に気をつける」「挨拶ができる」「あやまれる」「苦手なこと・できないことを担当者に伝えることができる」あ「自分の得意なことを知っている」「ルールーを守る」「楽しみや趣味がある」「目標や夢がある」「金銭感覚を身につけている」「同僚と仲良くできる」「何かで誰かの役に立つ」「自分なりの情報入力ソースをもっている」 

しかし、こうした力はぜひ必要で、その力を身につけるためには、親としての、厳しさも勉強も粘りも根性も覚悟も必要です。

希望を失っちゃあいけませんよ。 あきらめちゃあいけませんよ。

しっかりとした方向性を見つめる聡明さと、決めたことをゆるめないド根性こそ命です。

ポジティブ思考で、どんどん攻めていきましょう。

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子どもが幸せになるための条件 

 2008-07-30
昨日は、サッカーのJ1チーム、新潟アルビレックスの中野社長の講演を伺う機会がありました。

皆さんは、ライブで、サッカーや野球やバレーボールなどの試合をご覧になったことは、ありますか?今は、どこのスタジアムでも、障害者の方が快適にゲームを楽しめる様々な工夫がされています。

私は、アメリカのシアトルにセーフィコフィールドというスタジアムに行ったことがありますが、そのうちの1ゲームは、隣の席が障害者の方の専用シートでした。

その試合は、イチロー選手も佐々木投手も活躍し、私はとなりの車いすに座っていたシアトルの青年と抱き合って勝利を喜び合いました。

私は、英語さえ話せたらきっとこのこの青年ともっと仲良くなれたのに、と、それ以来現在まで英会話の勉強を続けています。それくらい、貴重な体験でした。

新潟アルビレックスの企業戦略の中核は、無料券を何万枚くばっても、とにかく4万人収容のスタジアムを満員にして、その一体感のもとで、サッカーを楽しんでいただくというコンセプトでした。

中野社長によると、何らかの障害をある方の入場者数は、年々増加しており、他のサポーターの方も、障害者だからということではなく、同じアルビレックスのサポーターの大切な仲間として、受け入れているようです。

情熱的な応援は、力強いチームのエネルギーとなっているようです。

これぞあるべき姿の一面ではないでしょうか?

その中野社長が語るチームづくりのベースとなる 「幸せの条件」とは、

① 役割があるということ

② 社会的な貢献度があること

③ 将来性・継続性があること

まさに、私たちが追い求めてきた、子どもの幸せの条件とまるっきり同じではありませんか? 正直、私は心がしびれました。

そのためにどうしても必要な事柄としては、

① うそをうかない (→自分の特性・長所・短所を、きちんと受け止め、その上で自分の役割で全体に貢献するという認知の力)

② いいわけをしない (挑戦もしないで、やりもしないで自分で勝手に限界を決めない。苦手な事があっても、必要以上に特別扱いをしたり、甘やかしたりしない)

③ 人の悪口を言わない (集団の中の一員としてのメンバーシップを育てる)

の、3つを挙げていました。 (かっこの中は、SHINOBU流の解釈です)

さすがは、地域活性化の全国モデルとなり、盛り上がり・観客動員数・収益・将来性共に、世界に発信できる急成長企業のトップの理念です。

皆さんは、どんなことをお感じになりますか?

私は、これからお会いしたお母さん方には、次のように伝えていきたいと思います。

お子さんには、その長所を生かした役割を担わせてください。社会に貢献できる人に育ててください。そして、何年も集団の中で継続的に仕事を続ける子に育ててください。

そのためには、自分の長所と短所を理解したうえで、自己有用感を育んでください。やりもしないで、勝手に限界を決めたり、あきらめたりしないしないでください。そして、人と関わり、人の中で暮らす喜びを体感させてください。

どんなり道のりは厳しくとも、あきらめたら終わりです。主体者は、子どもお母さんです。でも、決して一人じゃありません。

パートナーは、きっとあなたのそばにいるはずです。

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発達に課題のあるお子さんに対する 学校園連携のあるべき姿

 2008-07-29
昨日、思いもかけず、地域の小学校の1年生の担任の先生が3名、保育園を訪れてくださいました。

学区の巡回補導の一環として訪問してくださったようでしたが、保育園としては、誠にありがたい機会となりました。

ちょうど先週の土曜日に、学童保育の指導員に、「どうしても一度、小学校の先生に、学童保育の様子、そして、保育園の生の保育の様子を、じかにその目で、ご覧いただきたい。管理職の先生だけでは、ダメで、できれば1年生の現職の担任の先生に、来ていただきたい。でも、太郎君の担任の先生だけだと、他の子が、「どうして太郎君だけ・・せこい!」という思いをもってしまう・・どうしたら、学年全員の先生に来ていただけるのだろうか?」と、話したところでした。

あまりにも急な訪問でしたので、その時はは園長も私も、他の用務で手が離せない状態でした。そこで改めて、夏休み中に、3名の先生に保育園に来ていただくよう電話でお願いをさせていただきました。

小学校の先生が、保育園に見学に来ていただくことには、大変大きな意味があります。特に、発達の課題のあるお子さんの保護者の方にとっては、「少しでも我が子のことを理解して欲しい」という切実な願いが込められていきます。

太郎君の場合は、4歳児の後半になって、言葉の遅れが発端となり、広汎性発達障害の診断を受けました。

しかし、そんな診断があろうがなかろうが、太郎君は太郎君なので、これまで通り個別のケアはありますが、診断の次の日から急に保育の内容を変更するようなことはしませんでした。

子どもの全面的な発達に大切なことがらを、集団の中で、しかも一人一人に寄り添って展開していく、そのこと自体が、太郎君にとっても、他の子にとっても、何よりも大切なことであるという保育者としての信念がそこにあったからです。

しかし、こと就学に際しては、書類ばかりが動きます。やれIQがどうの、診断がどうの、そんなことばかりが選考して、肝心な太郎君の生の姿がどこかへ行ってしまっています。

これじゃ、お母さんが頭に来るのも当然です。

「一度も子どもの姿を見ずして、紙切れだけで決めつけないで欲しい・・」

それは、切なくも、母として・親として・家族として・人間として、当たり前の気持ちです。

私は、園として正式に小学校に派遣申請をうって、夏休み中の先生の訪問を待ち続けました。お母さんも、首を長くして待ち続けました。しかし、その学校の先生は、とうとう来てはいただけませんでした。

その夏の、ある特別支援の研修会に、その学校のコーディネーターの先生が来られていました。

私は、口頭で再度、保育園への訪問をお願いしました。しかし、残念なことに、完全に「夏休み中にそんなこと考えたくない」という夏季休業モードに入っているように私には感じ取れました。

そこで、そのコーディネーターの先生が言った一言

「保護者の障害に対する無理解がどうのこうの・・・」

頭にこびりついて忘れられない一言でした。 まったく無理解なのは、どっちなんだ・・・

他の小学校の先生の中には、半日かけて、じっくりと保育や子どもの様子をご覧になった方もいらっしゃいました。休日の土曜日に、生活発表会を見に来ていただいたり、コーディネーターの先生と特別支援学級の先生と教頭先生と3人でおみえになったこともありました。

私は、こうした先生方の姿勢が、ご家族の心に深く滲み渡っていくのを、そばで感じとっていました。

教育というのは、まずありのままの子どもの姿を受け入れ、そこに育てていきたい目標を決め、そして教材を作成する。

それが当たり前の姿なのではないでしょうか?

小学校の1年生の担任の先生3人が、保育園を訪れる・・・

子どもたちと、保護者の笑顔が、今から私にはありありと、思い浮かんできます。

それは、こうした行為の中に流れる先生方の、子どもや教育に対する愛情や熱意そのものが、そこに感じ取れるからに違いありません。

本当に、ここのパイプが通ったら、違うと思いますよ。 熱い期待が寄せられます。

なぜなら、その信頼の輪を、子どもたちも保護者も、敏感に感じ取れるからです。しっかりとした土台の上に立って、まちがいのない方向に向き始めたことを、感じ取れるからです。

学校園連携というのは、内容連携というのは、こういうことを大切にするべことではないのでしょうか?

私の保育園では、地域の小学校の参観日に、可能な限り、保育士を参観に行かせる取り組みを、本格的に実施することにしました。

学校園で情報を交換したり、平素交流のない教職員同士が親睦会を開いたりすることも大切だとは思います。

しかし、私は、こういうことこそが大切なのだと考えています。

子どもを中心に手をつないでこそ、連携であり、今はこうしたことが、どうしても必要な時代となっているのだと考えています。

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子どもの 人としての尊厳 (子どもの自立を支える親と指導者の哲学)

 2008-07-28
私は、「「立って半畳、寝て一畳、天下とっても二合半 」という言葉が大好きです。

豊臣秀吉が言ったとか、言わないとか、諸説明らかでありません。

きっと貧乏人のひがみと思われるでしょうが、私はこの言葉を、次のように解釈しています。

「いくら表面的な欲望を満たしたところで、そんなものはたかがしれている。豪邸に住んでも、掃除は大変だし、物取りに行くのも大変だし。クルーザーに乗っても燃費は気になるし、金持ちなら強盗に命を狙われるし、高級クラブで何十万使っても、心が通わない酒は、本当はそれほど、うまくも何ともないんだよ。高い金使わなければ、誰も相手してくれないんだから・・それより、心を許す語らいと、共に交わす杯の、何とも愉快で、美味なることか・・・」

もしも、金持ちになることだけに価値を置くのであれば、もしも、大学に行くことだけに価値を置くのであれば、もしも、誰かと比べるところに価値をおくのであれば、たとえそれが実現されても、またさらなる欲望の芽が頭を持ち上げてくる・・

高級車が欲しい・ヘリコプターが欲しい・自家用ジェットがほしい・・・

それか今度は反対に、おれはクラウンに乗ってるぞ、隣の奴は軽四だ、みたいな何とも薄っぺらい優越感(まるっきり劣等感の裏返しではありませぬか)で、自分をなぐさめる・・

それよりは、その日一日精一杯働いて、自宅の小さなベランダで、炭火をおこして焼き鳥と発泡酒、そこへ近所の友達が、畑の野菜をもってやってくる、なんてのが最高じゃありませんか?

人の幸せとは、ある状態を指す言葉ではなく、人の心のあり方を指す言葉、ですよね。

だとしたら、例えどんな障害や困難があろうとも、その子が、自分自身の人としての貴さを受け入れ、セルフエスティームをもって生きること、これが何よりも大切なポイントとなってくるのではないでしょうか?

子どもは、言葉ではなく、肌で感じる独特の感覚をもっています。傷ついた体験があればあるほど、その感覚は研ぎ澄まされていきます。

いくら言葉で説明しても、心にストンと落ちない限り、子どもの心に響きません。日常の行為の隅々まで、行き渡っていない限り、決してそれを、信じるようにはなりません。

理屈じゃないけど、あの先生好き、何か知らんけど、お母さん好き、こうした感覚こそが本物です。

こうした日常の隅々まで行き渡る小さな行動一つ一つにまで「あなたはすてきな存在よ、あなたらしく生きることが何よりも尊いこと、決して誰かと比べることじゃない、だからこそ、あきらめないで自分の可能性にもっともっと挑戦してほしい、そして、自己実現をしてほしい、人との関わりの中に、喜びを見いだせる人に育って欲しい」 こうした思いや願いが、まるで金太郎飴のごとく、変わらず子どもに示せるようになったとき、初めて子どもは、幸せに向かって力強い歩みを始めるのではないでしょうか?

そんなことは、わかってますよ。 理論は、簡単です。

しかし、現実世界・日常場面の隅々までに滲み渡らせるのは、容易なことではありません。

そこに、私たちの努力と感性が必要なわけです。 結局は、哲学がものをいうことになるのです。

今、問題行動改善のためのSSTの取り組みをしていますが、実際にやってみると、これ、日本の小学校の学級活動でやってるものと、エキスは何も変わりません。

それを理論だけでいうか、現実の子どもの世界で活用できるか、臨床の力量とはそういうものです。

理論知ってなくても、クラスまとめてる先生は、子どもから好かれます。案外、まわりを唸らせる理論を展開する先生のクラスは、ぐちゃぐちゃってこと、よくあることです。

親にとって大切なことは、我が子に、日常場面で、自分の特性をきちんと受け入れた上で、その尊さを感じ、その可能性に挑戦しながら、人との関わりの中で育てていくことです。

子どもの自己肯定感を育むことは、生活の質(QOL)を高めるということと同じではないかと、私は思います。

だからこそ、そこで問われるのが、親(指導者)の価値観であり、哲学であると、私は考えているのです。

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今、安定していればそれでいいのではない! 希望がもてないのなら 幸せに育てられないのなら 死んだ方がまし (絶対にあきらめない 我が子の可能性)

 2008-07-26
花子ちゃんのお宅には、毎週金曜日に指導に伺わせていただいています。

指導の後で、お母さんと、学習の様子や家庭での様子についての情報交換をしているのですが、昨日の花子ちゃんのお母さんの言葉の一つ一つから、私はこれまでにない、魂を揺さぶられるような、熱い思いがわき上がってくるように感じました。

そういえば、ちょうど1年位前だったでしょうか? 別の保育園の先生の紹介ということで、花子ちゃんのお母さんは、突然、私のところに相談に見えられました。

お話をお伺いしていると、夏休み前の懇談で、担任の先生から、「花子ちゃんに発達障害の可能性があるので、検査を受けられた上で、特別支援をお勧めします」と言われ、そのことについての助言をいただきたい、ということでした。

ここまでは、まあよくある話です。しかし、ここからの、このお母さんの動きは、何かが違っていました。

その後は、お父さんといっしょに相談に見えられたり、いっしょに学校の参観日に伺わせていただいたり、そしてついに、「花子の勉強を見ていただきたい」と、直々に相談に見えられました。

そのころは、私はまだ、個別に子どもの学習の指導を始めていたわけでも何でもなくて、少し発達のことを勉強した経験のある、ただの保育園の職員にしかすぎませんでした。

しかし、この時のお母さんの決心や表情から、とてもじゃないけど「NO」というお返事をすることはできませんでした。

決心がつかず、ゆらぐ私の心に、熱い火がともった瞬間でもありました。

この時から、私自身、人生そのものの向きが、少しずつ少しずつ、違う方向にシフトしていくのを感じ始めました。

花子ちゃんが1年生の終わりに、ご家族は、特別支援学級を選択されました。どれほどの深く厳しい思いが、そこに込められていたか、想像に難くありません。

その3月から、私は、花子ちゃんの個別指導をさせていただくようになりました。最初は、週に1時間でしたが、これもお母さんの強い希望で、今は週1回2時間の指導を行っています。

私は、力一杯研究をしました。これまでの経験・知識をベースに、学習指導の臨床にかかわる実践をむさぼるように調べました。時間を忘れて、教材作りに没頭する日もありました。

このブログを始めたのも、こうしたことの延長線にありました。

もちろん、花子ちゃんだけでなく、かかわりのあるすべての子どもたちの成長と幸せを目指しての営みです。

私を突き動かすエネルギーは、まちがいなく、こうしたご家族の熱く・真剣な思い以外の何物でもありませんでした。

指導の手応えは、自画自賛になりますが、私の予想をはるかに超えたものになりました。こんなにやってて楽しいものかと、指導中に感じたこともしばしばです。

昨年の今頃、ご家族を苦しめていたいろいろな問題は、現在ではほとんど影が薄くなり始めました。

しかし、ご家族の思いは、今、安定していれば、何もなければ、それでいいというものではありません。

「発達障害という枠組みの中に入り、その狭い枠で安定したとしても、この子が育ったとは思いません。幸せになったとも思いません。環境が変わって安定したのなら、この子が育ったことにはならない。生きた集団の中で、この子らしさが発揮できてこそ、この子の成長であり、幸せなんだと思っています。目先の学力や学歴ということではなく、人間社会の中で、当たり前の人とのかかわりの中で生きていく基本的な力をつけてやりたい。発達障害ということで、何をやっても無駄というなら、この場で死んだ方がましです。私は絶対にあきらめません。何としても、社会の中で、この子らしく生きていけるように、親として、できることはすべてやっていきたいと思うのです・・・力が入りすぎてはいけないと、わかってはいるのだけど・・」

まさに、魂の言葉・・・

この言葉の一つ一つから、私は百万の書物をも凌ぐ人間の真実を学び、これからの自分自身の活動を支える、力強い原動力を吸収させていただくことになりました。

そして、きっと私の指導内容も、今日を境に、若干のシフトチェンジをすることになるような気がします。そうなると、のんびりなんかしていられない。内容をもっともっと精査しなければと、真剣に考えてしまいます。それくらいの、インパクトはありました。

こうした真摯なな気持ちこそが、現状を打開し、人を動かし、未来を切り開く、子どもの成長と幸せにつながっていくことに間違いはありません。

花子ちゃんは、ちょうどその時、妹といっしょに、何も知らないような顔で、ドラえもんを一生懸命見ていました。

しかし、そのテレビを見ている幸せそうな横顔に、私はこのお母さんの真摯な気持ちが、ぼんやりと映っているように思えてしかたがないのでした。

家族の幸せを陰で支える、母の強い決心・・・

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厳しい先生と 優しい先生 (その持ち味を生かす保護者の工夫)

 2008-07-25
小学校の1年生の学級担任をしていたころのエピソードです。

参観日に、「はしのうえのオオカミ」という題材で道徳の勉強をしていましたが、あるお子さんが、突然舞い上がってしまい

「オオカミはどうぶつじゃ~ オオカミがしゃべったらおかしいし~」など、クレヨンしんちゃんみたいになって止まらなくなったことがあります。

後々の懇談で、「あの時ほどびっくりしたことはありません。家ではホントまじめな子なんで・・・」と、お母さんおっしゃっていました。

すべてがそうでは決してありませんが、家で厳しい場合、学校で結構発散していたり、その逆で、家ではだらしのない子が、学校ではしゃっきとしてリーダーだったりする場合も、結構多かったように思います。


うちの保育園は厳しい指導で名が通っています。

いろいろな発達の課題があったとしても、原則同じ活動に取り組ませます。もちろん個別のサポートは行います。行き過ぎた指導にならないよう配慮をしています。

しかし、初めから無理だと勝手に判断してしまうのではなく、今は出来なくても、必ず手を添えてでもチャレンジをさせます。

もう何十年もこのスタイルです。批判的な見方をされることもありますが、こうすることにより、多くの子どもを育ててきたという手応えと誇りがそこにはあります。

給食の指導も、今時めずらしく厳しいです。ほとんど、お残しはありません。いつも背筋がピント伸び、あいさつも大きな声できちんとできます。

何度か地域の小学校先生が朝礼や発表会などを見に来られましたが、子どものきびきびとした動きに、みんな目を丸くして帰っていかれます。

太郎君も、保育園では相当しごかれました。なわとびも、かけっこも、発表も、鉄棒も、一輪車も、竹馬も集団行動も、それはビシバシしごかれました。

給食だって、お残しは許されませんでした。

しかし、家に帰るとその反動かどうか、赤ちゃんになり、泣いたり、駄々をこねてお母さんを困らせることも多かったようです。かなりの負荷が、そこにかかっていたのは事実です。

しかし、卒園時には、言葉も出るようになり、発表もでき、姿勢もシャキッとし、一輪車も乗れるし、集団行動で輪を乱すことは、まったくありませんでした。

ところが、小学校の1年生になると、運動会の時、あらあら、開会式で砂いじりをしています。授業中に、オルガンの隅にかくれたり、教科書を破いたりすることもありました。学童保育の給食だって、残すこともあります。

(ちなみに給食は、保育園のときも、学童保育の時も、まったく同じメニューです)

しかし、表情はたくましくなり、家では泣かなくなったと、お母さんは言っておられました。

このこと一つにしても、人によっていろいろな見方や考え方があるでしょう。

私は、自分の保育園の内容に強い誇りをもっていますが、今の太郎君は、決して嫌いではありません。

これまでの担当保育士の営みもすばらしかったと思いますし、今の学童保育の担当も、タイプは違うけど、すばらしい感性と愛情で太郎君を育ててくれていると思っています。

たしかに、友達とのトラブルも多くなったし、学童保育中にすねたり、泣いたり、給食を残したりすることはあります。でもそこがまた、大切な指導の機会だと考えているからです。

先生によって、あるいは学年によって、園によって、指導のスタイルがまったく違うことは、特別でも何でもありません。

どんな指導のスタイルにも光と影はあるし、案外入り口は違ってもゴールはいっしょということだってあります。

要は、一番得意なやり方で子どもにアプローチしていくことが大切な事だと思います。そして、自分の指導スタイルをメタ認知(客観的に見ること)して、その影の部分に適切な対応をしていくことだと思います。

保育園の指導場面ではどちらかと言えば、鍛えるという感覚で、子どもの全面発達を目指して取り組んでいます。

学童保育では鍛えるということよりも、むしろ家庭に代わる安らぎの場として、あたたかく育んでいく色彩を濃くしています。

ですから、少し甘くなってしまったところへの、対応は必要になってきたなと感じています。

小学校でも担任の先生により、やり方は全然違いますよね。でも、年度途中で担任が替わることは、あまり望ましいことではありません。

もちろん限度というものがありますから、そこはよく考えなくてはいけませんが、対立的になるばかりがよいとは限りません。

「その先生の良いところを我が子に生かすには?」みたいな発想で、時には工夫してみることも大切なのかも知れません。

光があれば、影もある。

当たりもあれば、はずれもある?

だったらだったで、方法を工夫してみませんか?

なかなかそんな切り替えができないことも多いですが、もし、それもそうかなって、思えるようになったら、それは状況が少し好転している証拠です。

立場上、お母さん方に接する機会が多いので、時々そんなことを感じたりもしています。

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学習したバラバラのことをつなげる営み (SHINOBU流・個別教育計画)

 2008-07-24
今日は友里ちゃんの2回目の個別学習。

友里ちゃんは、割算の筆算も楽々出来ます。勉強が大好きな女の子です。

しかし、数図ブロックの9を見て、ぱっと「9」と答えるのではなく、いちいち「1・2・3・4・・・・・」と9まで数えます。

これは、具体物の「9」と数図ブロックのような半具体物の「9」と数詞の「9」と数字の「9」とが、まだしっかりとつながってきない証拠です。

おもしろいことに、数図ブロックを印刷したカードは、ぱっと見て「9」というのに、本物の数図ブロックとなると、また「1・2・3・4・・・・」と数えちゃいます。

印刷したカードと、本物の数図ブロックを横に並べて、これは同じだから、いちいち数えなくても「9」だとわかるよね? と言ったら、キツネにつままれたような顔をしました。

私は、心の中で「ふむふむ、もうつながる日は近い」と確信しました。

こうした学習したバラバラな知識は、じわりじわりつながるのではなく、その日その時、お風呂の中や、いかフライを食べているときに、突然つながります。

まさに脳内でニューロン&シナップスが、ネットワークを形成した瞬間です。

私は、何度もこうした瞬間に出会いました。

ある日、1年生の自閉症の男の子が、十の位の意味がわかったときに、「わかったー」と突然大きな声でさけんだことがあります。

その時の高揚した表情は、今でも目に焼き付いて離れません。

しかし、ただ口を開けて、饅頭が落ちて来るのを待っていても、なかなか思うようには行きません

あの手・この手で、周辺の刺激を送り続けておくことが重要です。

いくつかポイントをあげると

① 一日目は予備刺激(あせってはいけません。まずは予告編(呼び水くらい)で。

② 最低でも3回は、日にちを空けて、同じ刺激を繰り返す

③ もろに苦手なことだけに焦点を当てず、最初は得意なことに付け足す形で(絵+言葉=二系統同時刺激)を

④ つまずいたことを見通して、ふところに「必殺ヒントカード」の準備を

⑤ 小なるべくさなステップで一歩ずつ、できたら表やカードによる形成的評価で達成感を

と、いうところでしょうか?

発想としては、今その子のもっている学習のレパートリーを、広げ、体系づけてやる作業と言えるのかも知れません。

これを、就労とか、社会的自立とか、その子の成長と幸せという観点から優先順位をつけて、整理したら、それが現在のSHINOBU流の教育計画となるわけです。

まだまだ勉強して、改善していきたいとは思いますが、とにかく2回目の学習は、1回目よりいろいろなことが見えた収穫の多い学習になりました。

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文字を読んで 状況や感情を理解していくというプロセス

 2008-07-23
花子ちゃんは、文字を書くのは苦手ですが、本読みはとても上手です。

今は、「マリと子犬のものがたり」という本を指導の後で読んでくれます。2年生の花子ちゃんには、ちょっと難しい、中学年以上~の対象の本ですが、いつも楽しそうに読んでくれます。

まだ習っていない新しい漢字が出た場合は、私がそっと小さい声で「読み方」を教えます。花子ちゃんは、こうした文字情報に聴覚性の支援を加える(二系統同時刺激)方法が有効です。文脈の中で、次々に読み方を習得していきます。20分でも30分でも、本読みなら、ずっと継続して取り組めます。

私は、花子ちゃんをいつも「本読みの天才」といって褒め称えています。

一方、友里ちゃんは、コツコツする努力家です。第1回目の指導で、すっかりSHINOBU先生のファンになったそうです。

お母さんのメールによると、「友里は、土曜日以来、ほぼ一日勉強机に向かっています。「休みなよ」、とか「ゲームしたら」とか「遊ぼうよ」とか言ってみるのですが、「勉強がすごく楽しんよ!SHINOBU先生の所に行ってから勉強するのが楽しくなったんよ!」・・・らしいです。口を開けば、「勉強していい?」ってこれもいつものこだわりの一つでしょうか・・・すごく次に行くのを楽しみにしています。一度行っただけなのに、一度会っただけなのに驚きです。」とのことです。

こういうお子さんですから、計算も漢字もよくできます。

でも、読みの流暢性・意味理解・文脈の理解・相手の気持ちの理解といった分野は苦手です。お母さんは、単なる点数稼ぎではなく、こうした意味理解の力が付くことを期待されています。

この方も、すばらしいお母さんだと、私は思っています。

一般に、文章を読んで理解していくためには、

① 音と文字との対応

② 語彙数の増加

③ 逐次読みから、まとまり読みへ

④ 文脈の理解「5W1H」

⑤ 感情の理解

という手順がとられます。

どうしても、文字から絵を想像しにくいタイプのお子さんもいらっしゃいますから、まず「絵」を見せ、それに対応する言葉を教え、そして、最終的には、文字だけで状況が想像できるようになるまで、学習を積み重ねていきます。

そして少しずつではあっても、意味理解や社会性についても、着実に向上し、達成感をもちながら、その大切さや心地よさを体験させてやりたいと思います。

私が、そのモデルであり、社会の窓口になるべきだと考えているのです。

友里ちゃんの場合は、勉強が趣味なので、プログラムさえ準備してやれば、機械的な学習は前へ進みます。

しかし、この子の将来を考えると、漢字テストの点数もさることながら、コミュニケーション能力や社会性の育成が重要です。自分の特性を受け入れ、認知した上で、自分の良さを社会の中で発揮していくための力が大切になってきます。

友里ちゃんは、きっと計算ドリルや漢字ドリルを、次々とこなしていきたいのだと思っています。その方が落ち着くし、達成感もあるのだと思います。(ある意味うらやましいお子さんですよね)

まずは、ここを受け入れながら、苦手な部分の刺激を同時にミックスしていこうと考えています。

すごろくなどの算数ゲーム(算数的活動)や、場面状況の絵カードを組み入れていきます。

こうした活動は、きっと友里ちゃんは苦手なはずなので、絶対にこけさせない、SHINOBU流・必殺完全習得エラーレス学習(おせっっかいヒントつき)で、必ず攻略させます。

花子ちゃんと友里ちゃんのいいとこだけを取り出して、それを2倍にして、苦手なところと交換できればいいような気にもなりますが、やっぱりそれは違います。

野球でも、守備のうまい人もいれば、打つのが得意な人がいる、そういうチームの方が魅力的だし、強いのだと思います。

得意な打つ練習もするけど、守備の練習もする、そして社会というチームの中で、自分の持ち味を生かして貢献する、これが正解なのではないでしょうか?

いろいろな個性や特徴をもった者を、大切な戦力としてうまく生かす。

社会というチームが真にこうした戦略を実行できるようになってこそ、すべての人にとって魅力的で、輝いた世の中にになっていく。

よく言われるユニバーサルデザインとは、こういう方向性を示した概念だと、私は考えているのです。

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大変じゃありませんか? 夏季休業中の我が子のケア

 2008-07-22
うちの保育園では、今日から40人余の小学生を、学童保育という形でお預かりしています。

このブログでおなじみの太郎くんもその一人です。

私は、朝の7時からお迎えバスの運転で、早朝からご両親お勤めのご家庭8軒に、お伺いさせていただきました。

バスでお迎えに行かせていただくのは、今年度から初めて始めさせていただきました。今日が初日ということもあって、どのご家庭でも、軒先まで、お母さんが手を引いて待ってくださり、とてもほほえましい印象をもちました。

学童保育の需要は、年々高まっています。うちの保育園でも、数年前は、3~4人、個人的にお預かりしているような感じでしたが、年々申込数が増大しており、施設等の関係で、劣悪になったり、無責任になってもいけないので、今は、保育園の卒園児のみお引き受けさせていただいています。

それでも泣くように懇願されるかたもいらっしゃいますが、その方のみ特別扱いするわけにもいかず、こちらとしても泣く泣くお断りをしているのが実情です。

学童保育の料金が高いというご指摘をいただいています。おっしゃる通りであると思っています。しかし、料金が高いのには理由があります。それは、学童保育が、補助金のつかない自主事業として行っているからです。

ちなみに保育料が安いのは、措置制度として、かなりの額が公費で負担されているからです。

学童保育の事業を、独立採算として計算すると、赤字ギリギリの線で運営させていただいていることになります。途中で頓挫するような無責任なことにだけはしたくないし、公平性の観点から、保護者の皆さんには、相応の経済的なご負担をお願いしています。

卒園したお子さんの就学後のサポートも、保育園としての大切な役割だと考えています。だから、利益はなくとも、「あの保育園に預けると、就学後にも応援してもらえる」と、保護者のみなさんに言っていただけるように、この事業を一層充実させていくことこそが、私たちの使命だと考え、できれば、これからの新しい形の学童保育を全国に発信したい、という、そのくらいの意気込みはあります。

さらに大切に考えているのは、発達課題のあるお子さんがいらっしゃるご家庭のサポートです。

今日は、普段指導を行っている学童指導員の他に、3名の高校生ボランティアが来てくれました。今後も、短大や大学の学習ボランティアに来てもらう予定です。

高校生といえども、勉強時間には、本読みを聞いてやったり、漢字を教えたり、100マス計算のタイムを計ったり、とてもよく働いてくれました。

勉強が終わると、園庭で花いちもんめをしたり、かごめかごめをしたり、バトミントンをしたり、子どもにとっても、学生ボランティアさんいとっても意味のある時間を共有することができていました。

保育園として、もっともっと、こういうことを、コーディネートしていけばよいのかも知れないと、その姿を見ていて感じました。

集団には、集団のダイナミズムというものがあります。たとえば、うちのADHDのお子さんも、そのクラスの集団の中で、その先生の指示であれば素直に従います。

(私が個別に注意しても、まったく効果はありません。お母さんも手を焼いています。でも、この若い先生の言うことなら、さっさと聞きます。そういうものです)

ご家庭での、夏休み、結構大変じゃありませんか?

こんなふうに、学生ボランティアさんなどをうまくコーディネートすることにより、お子さんも、お母さんも、ボランティアさんも、さらにさらに楽しい時間を過ごすことができるかも知れません。

こんな工夫って大切ですよね。

「SHINOBUは、いつも行政がやらなければならないような金にならないことを、補助金もなしに、道楽みたいに平気でやっていく・・いい気なもんだ・・」

また、言われちゃいますね。

ですが、私は保護者の皆さんのニーズに応えずして、措置制度のように「してやってる」感覚で、少子・高齢化の時代に、保育園は生き残れない、と考えています。

小学校にいたとき、特別支援学級の先生が、「SHINOBU先生、夏休み中のデイケア、何とかしてあげてください。お母さん方、悲鳴をあげています」と教えてくれたことがります。この一言は、今でも私の耳に残っています。

いかがなものでしょうか?

皆様方の、生の声、ご意見、アイデアなどを、ぜひお伺いしたいと考えています。

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信頼の輪の中でこそ育つ 学びとコミュニケーション (身につけたい非言語の受信機)

 2008-07-20
夏休み1日目、学童保育に、太郎君が持ってきてはいけないはずの任天堂DSを持ってきていました。

なぜだか、そのことを他の子どもたちも知っていて、朝からちょっと物騒なムードになりかかっています。

「大丈夫、先生が取り上げるから!」とみんなに宣言して、何とかその場をしのぎました。

太郎君は、9時からSHINOBU先生と個別学習の時間になっています。夏休みの宿題や、いただいたプリント類に目を通したあとで、あのDSを何とかしなくてはいけません。

私の頭の中では、「これで何もやらせず、むりやりはぎ取るようなことをすると、きっとその後の活動に負荷がかかるのでは・・」という考えが広がったので、あらかじめタイムタイマーで時間の制約をつけて、それが済んだら私が預かっておこう、と考えていました。

で、さっそくDSの画面を起動させました。と。そこに映っているのは、大好きな「機関車トーマス」のソフトでした。(私はてっきり、ポケモンの類だと思いこんでいました)

さすがにこうなると、頭にピンとくるものがありました。

「太郎君、先生にこれ見てもらいたかったの?」

「うん」

「そう、ありがとう。大好きなトーマス買ってもらったんだね。へー、これで勉強もできるんだ。よかったね。すごいね。」 (と、10秒くらい見る)

「太郎君、見せてくれてありがとう。じゃあ、大切なトーマスが壊れたらいけないから、帰るまで先生がこれ持っておいてあげるからね。この部屋に置いておくからね!じゃあ、勉強しようか。」

「うん」

太郎君は、さっそく計算カードに取り組みました。

もし、何も理由を聞かず頭ごなしに取り上げていたら・・ もし、私に体調が悪く、柔軟に対応できる心のゆとりがなかったら・・ もし、私がお休みで、別の者がD太郎君がDS持ってきた事を一番に知ったとしたら・・

展開は、随分と変わっていたはず・・ 

太郎君は、ただ単に大好きな私に、トーマスを見てもらいたかっただけ。見せびらかす気も、規則を破る気も、学童の場でゲームをする気も、最初から全然なかった。

でも、そんなピュアな気持ちも、現実の状況の中で、きちんと言語で説明できるようなスキルは、この子にはまだ備わっていない。

太郎君は、太郎君でそのままなのに、もし他の職員が頭ごなしに叱りつけていたら、その日1日の活動はきっと、太郎君にとっても、みんなにとっても、望ましいものにはならなかったような気がする。ある意味、背筋が寒くなる話です


太郎君と私のと中には、少なくとも、お互いに分かり合えるという期待感は成立しています。

私は、太郎君なくして、他のどんなことがうまくいっても、そんなのは本物ではないと思っています。いわば、運命共同体。太郎君が、どつぼに落ちれば、私はもっと深いどつぼに落ちると考えています。

こういう感覚は、それこそ言語化できないけど、子どもは敏感に感じ取ることができます。

左脳に何らかの障害がある場合、右脳が著しく発達し、常人ができないようなことをする、それを天才と呼ぶのだという人もいます。(アインシュタインなどエピソードは多くあります)

これも経験則で、実証データはありませんが、言葉でうまくコミュニケートできない子でも、人を見る目、やさしい先生・そうでない先生、やばそうになったらちゃっかりどこかにいなくなっている感覚やその場のあやしいにおいに敏感な子どもはたくさんいます。

太郎君は、まさにこのタイプで、言語のコミュニケートは苦手ですが、非言語の受信機を持っている人を見分ける感覚はもっているようです。

「太郎君は、SHINOBU先生の言うことはきく」

よく聞く言葉です。

太郎君は、私の運命共同体だし、彼もきっとそう思っている。

だから、いつの間にか、受信機の周波数が瞬時に同調できるようになりました。

周波数が同調しないのに、言うことはききませんよ。

私はよく「覚悟と決心」という言葉を使います。

子どもの心世界にとびこむ覚悟も決心もないのに、周波数が同調できるわけありません。アンテナも張らない奴に、子どものコントロールなんて、できるわけはありません。

「水筒でお友達たたいたら、だめだよ。びっくりしても、たたいたらだめだよ。そんな時は、ちゃんと言うんだよ」

「ブロック投げたらだめだよ。腹がたっても物は投げないよ。そんな時も先生に言うんだよ」

太郎君は「はい」といって聞いてくれます。(でも、だからといって、すぐに改善できるといわけではありませんが・・)


昨日、100円均一のダイソーで見つけた、線路ジオラマパーツで、この日、学童のみんなといっしょに遊びました。

以前、太郎君が折り紙で道路や線路を作っていましたが、何枚も何枚も折り紙を浪費?するので、とうとう禁止になってしましました。(実は、この光景を見たとき、私の受信機がぴくぴく反応していたのです。

百均に仕入れ?にいくと、ふと5本100円の線路パーツが目に入りました。そこへ、これもまあ、偶然中の偶然で、同じ学童の1年生の女の子が、いました。(お母さん、苦笑い。保育園から30分も離れた百均で会うとは・・)

「これ、みんな喜ぶと思わない?」

「絶対、男子とか大喜びするわー!」

この日、担当の指導員が「線路で遊びたい?」と聞くと、まず男子の背中が急にピンと伸びました。「けんかしたらやめるよ。」「とりあいになったら、先にどうぞ、後で貸してね、というんだよ」みんな、うんうん、と真剣にうなずいています。

(この学童指導員もなかなかの感性で、信頼しています。将来性も抜群です)


20分後には、保育室いっぱいに広がった線路で、男子も女子も、いっしょになって遊んでいます。

太郎君の折り紙線路が、ダイナミックな集団遊びへと発展した一コマでした。

百均&オリジナル&太郎君がいる学童保育でなければ、こんなパノラマはあり得ません。この学童のみんなは一つの家族であり、運命共同体なんだと感じた瞬間でもありました。

ただ単に籍があるのとは、意味が違います。こうした家族にも似た、運命を共同する感覚こそが、集団の所属感と呼ぶにふさわしいものだと考えます。

Aちゃん成長無くして、クラスの成長なし、こうした感覚があってこそ、メンバーシップと言えます。アメリカの共同学習もここがベースになっています。

こうした意識があってこそ、子ども同士の受信機が高性能になり、周波数が同調してくるのだと思います。たとえ発達の課題があっても、集団としての学びが成立ための大切な要件がそこにあります。

朝、DSで、めちゃくちゃにならなくて、本当によかった。

改めて、問題行動とは、個の問題ではなく、関係の問題なんだと思い知らされたこの日の一日なのでありました。

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進学・就労・結婚・自立 縦糸を通すのは親の役目

 2008-07-19
私は、前職は公立小学校教諭で、現職は、私立認可保育園副園長です。

この2つの立場から感じる、公立と私立という点での、決定的な違いをお知らせします。

それは、公立は1年勝負、私立はトータルで勝負、という点です。

私立の園長となると、それはもう一生もんです。どこへも転勤できませんし、どこへも逃げることができません。保育園がそこにある限り、ずっとそこで、地域の方やご家族や子どもたちとかかわり続けていくわけです。

自分の教えた卒園児が、保育士となって帰ってくることも多く、トータルで勝負という醍醐味は、こんなところにあります。

ところが、公立の場合、年々かなりの規模の人事交流が行われ、トップの校長でさえ、まあ5年いれば長い方です。

メンバーも、校務分担も、職員組織も、1年単位で、まったく同じ体制でもう1年、というようなことは、ほとんどありえません。まさに、1年勝負です。通常の担任が2年もちあがり、なんていうことも、特例を除いて、岡山市ではほとんど見かけられなくなりました。

当然、教育内容も、横の輪切りで、1年1年のスパンで構成します。その積み重ねで、小学校の6年間が構成されるわけです。

先生の意識も、その1年がどうであったか?ということが中核となり、なかなか就労や自立など、将来に向けてのこの1年の位置や役割などに目を向けにくい体制になってしまいます。

そこで、その子の生涯に向けた計画の必要性が重要となってくるのですが、なかなか10年も20年といた長いスパンで付き合っていくことができにくいのが現状です。

例えば特別支援学級の先生や療育の先生などで、本気でその事を考えてくださる方がいらっしゃたら、それはその子にとって最も大切な、かけがえのない存在の一人であると言えると思います。

その方と、しっかりパートナーシップを形成し、1年単位の輪切りの教育に、しっかりと太い串を差し込むようにしましょう。バラハラな横糸に、縦糸を織り上げていきましょう。

そして、希望や目標をもって、そこを目指しながら、一歩一歩積み上げながら、着実にステップを登っていくような、そんな毎日の学習でありたいものです。

我が身になって、そこを真剣に考えてくださる方の存在は、本当に貴重です。

ほとんどの先生は、何年かたったら、「さようなら」となってしまいます。

残されるのは、お子さんとご家族です。結果を背負うのは、最終的に、自分自身です。

主体者は、あくまでも子どもであり、そのご家族。

そう覚悟と決心を決められたときにこそ、運命の出会いがあったり、思いがけないすばらしい方と出会えたりするのではないでしょうか?

私は、苦しい崖っぷちの中からはい上がり、人間としての幸せや大切なことをつかまれ、お子さんとともに輝いて生きていらっしゃるご家族と何度も出会ってきました。

もつれた糸をひもときながら、いろいろと身につけて来たことにていねいに縦糸を通し、その子の幸せと成長を編み込まれていくような、そんな営みをされていました。

言葉では語り尽くせないたくさんの事を、学ばせていただきました。

そのご家族との出会いがあったからこそ、今日の自分があるのだと、今でも心から感謝をしています。パートナーシップとは、こうした深い絆のことを指すのだと私は考えているのです。

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学ぶ楽しさ 教える喜び (学習における楽しさと成果の相関係数)

 2008-07-18
先日のDr との昼食の時の会話の一コマ

Dr: 個別に子どもに勉強教えてるんだって? ペイできるの?

私: そりゃ無理です。教材準備や研究の時間的コストを考えると、倍の費用はかかります。かといって、たくさんの人数で、同じことをするなんて、できませんから。

Dr: だろうな? 君のやってることは、完全に福祉の領域で、補助金もらってやるようなことだよね。

私: 私は、社会福祉法人の一員ですから、営利より、法人の理念を優先したい。まあ、ある意味、自分ではごちそうをいただいていると思っています・・・

私は、45分の個別指導で、2,500円いただいています。払う方にとっては、高額だと認識しています。ですが、いただく方としては、コスト的には、割はあいません。個別の教材づくりや研究に相当な費用がかかりますから、現時点で独立採算は不可能です。

先日ある自治体から、特別支援教育巡回相談員のお話をいただきましたが、時給2,640円×1日6時間ということでした。金額だけのことを考えると、こっちの話の方が、おいしい話かも知れません。

図書館へ行ったり、本屋に行ったり、教材をつくったり・・・

しかし、これが実に楽しいのです。やらされてる感0%。手応え十分です。

教員時代にできなかった、納得のいくまでの教材準備ができるのが、何よりの幸せです。

小学校の学級担任であれば、1日5~6時間、違った教科の指導をします。教科指導の他に、校務分担、各種会議や出張、集金や報告書の作成、生活指導、宿題やテストの採点、通知票や指導要録の記入など、殺人的な内容の仕事を毎日こなし、家に帰ると子育てや地域の役員なんかもあります。

いったい6時間の授業準備をいつできるのでしょうか?

多くの先生は、次の日の授業について、しっくりと時間をかけて納得するまで研究したい、と思っています。ですが、そんな時間的なゆとりはないので、これまでの積み上げた経験や技術、同じ学年の先生と教科を分担して、準備をするなどの工夫を重ねながら、毎日少しでも納得のいく授業ができるように奮闘努力をしています。

しかし、そんなことはもうとっくにあきらめて、「え~っと、昨日はどこまでやったっけ。じゃあ、今日は次の所から、順番に一人ずつ読んでみよう~♪」みたいな感じで、お気楽にしている先生もいます。

周到な準備も必要ですが、実際の子どもの反応に柔軟に対応する力量やゆとりも必要なわけで、ここらがまた、不思議なところです。

ただ言えることは、子どもが楽しそうでない、教えていて手応えを感じていない、そういう時は、やはり学習が停滞している時です。逆に言えば、教える側が楽しいと感じているときは、やっぱり、子どもの学習の成果も向上しています。

つまり、学習におけり楽しさと成果の相関係数は、かなり高いのではないかと思います。

家庭で教えていても、こっちが苦しんでいるときには、やっぱりお子さんも苦しいわけです。

そこで勢いで押し切れちゃう場合はいいのですが、そうでない場合は、やっぱり方法や内容の見直し、つまり、楽しく勉強を進めていくための改善が必要だと考えるべきではないでしょうか?

例えば、そう言うときには、学習内容をワンランク下げて、少しずつ階段を登り、一定の所まで到達したら、きちんとほめる、このプラスのサイクルに巻き戻していくことじゃないでしょうか?

教える自分が楽しく感じてない、と感じて修正できる感覚が備わることは、かなり自分自身の力量アップにつながることだと思います。

うちの子、先生のこと、大好きみたい

この言葉が、今の私を支えています。どんなに時間がかかろうが、どんなにコストがかかろうが、やってて楽しいし、すごい幸せを感じています。

もう夏休みになりますよね。みなさん、1学期お疲れ様でした。

特に夏休み期間をチャンスと考えておられるならば、つまった時にはワンランク下げ、できたらほめるのサイクルにのせ、楽しい勉強でさらに発展! てな発想で、やってみられてはいかがなものでしょうか?

かなりのおすすめなんですけどね!

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ソーシャルストーリーブック(キャロル・グレイ)から学ぶ 子どものとの見え方の違い

 2008-07-17
岡山市では、明日が1学期の終業式。ひとつの大きな節目を迎えます。

太郎君は、今日まで一日も休まず学校に行くことが出来ました。0歳の時から過ごした保育園から、まったく違う 「小学校」 への入学。

きっと、本人にしてみれば、信じられないような環境の変化だったと思いますが、よくぞここまでいろいろなことを、笑顔で切り抜けたね、と抱きしめてやりたいような心境です。

お母さんも、いろいろな課題に真剣に立ち向かい、またひとつたくましくなられました。早くも、勉強についてもこ、れからお子さんといっしょに、ていねいに取り組んでいこうとする姿勢が見受けられます。

太郎君の今の課題は、「読み」「数量」「衝動性」といった所でしょうか?

衝動性を中心とした「行動改善」のアプローチのひとつとして、「ソーシャルストーリー」というものがあります。

大学院にいたときに、一つ上の学年の方が研究テーマにされていたので、以前から関心はもっていました。県立図書館で、ずっと「貸し出し中」だったのですが、昨日、ようやく借りることができました。

その序文には、次のような言葉が書かれています。


自閉症スペクトラム(ASD)の大人や子どもたちは、自分を取りまく社会についての情報を読み取ることや、それを解釈すること、それに対してうまく対応することに困難をかかえています。彼らの目には、他者の言葉や行動は、しばしば意味や目的のないものに見えたり、予告や論理的な根拠もなく無秩序に生じるように見えます。
 一方、親や教師といった彼らにかかわる人々の側からすれば、ASDの子どもの行動は、「はっきりした理由もなく」、また、まったく「脈絡のない」ように見えます。
 ソーシャルストーリーズは、両親や教師が、まず一度立ち止まって、ASDの大人や子どもの立場から、その状況をとらえなおし、次に見落とされがちな情報を見つけ出し共有することによって、混乱を解決しようとするものです。その結果として、社会的に対等な両者の相互理解が促進されるのです。


参考までに、ソーシャルストーリーの文例をひとつ紹介します。

「おもちゃをゆずりあうこと」

たいていの子どもはおもちゃであそびます。
おもちゃであそぶのは楽しいものです。

ほかの人といっしょに、おもちゃであそぶのもおもしろいときがあります。

わたしは、おもちゃをゆずりあうという練習ができます。

ゆずりあってあそぶのも、楽しいことかもしれません。

わたしは、ゆずりあったりしてみようと思います。
そして、楽しんでみようと思います。


細かい文章の作成方法や提示の仕方が規定され、研究されています。

視覚性優位のお子さんに対して、どこまでこうした文章での継次的なアプローチが効くのか、興味津々です。

私は今、こうした行動改善に向けて、どうやって太郎君とパイプをつなげるか、いろいろな方法で試行錯誤しています。

命綱は、保育園の学童保育に喜んできてくれているということです。そして、私も太郎君が大好きで、心の底からいっしょにいたい、と思えていることです。

太郎君のことを、もっと理解できるようになり、私の願いも太郎君にもっと届くようになったそのとき、行動改善に向けた大切なステップが踏み出されるのではないかと考えています。

その切り口の一つとして、こうしたソーシャルストーリーの手法も参考になるのだと思います。

血の通わない、猿まね的・形式的な手法をいくら使っても、なかなか子どもには届きません。

夢追い人さんは、「非科学的専門性」と名付けていましたが、私は、こういうやりかたこそ実効的であり、子どもと向き合う、子どもと寄り添うということは、こういうことなんだと思っています。

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特別支援教育の指導にあたる 人材育成とその課題

 2008-07-16
昨日は、いつもご指導をいただいているDrに、昼食をごちそうになりました。

もうすぐ大学も夏休みですね・・ということから、教員の夏季研修の話題になりました。

国立の教員養成系大学の教授ですから、夏休みには、いろいろな研修会での講義があるそうです。

・ 一般の(特別支援教育関係以外の)先生に向けた特別支援教育関係の研修 

・ 特別支援学校教諭免許取得にむけた認定講習

・ 教職員免許法改正に伴う、基礎免許の更新に向けての研修

など、これまでの何倍もの仕事が、この夏休み期間に集中して行われ、その数も、ちょっと前の何倍もに膨れあがっているということです。

ここ何年かの、特別支援教育にかかわる教育界の動きは、それ以前のものとは全然違います。

かくいう私も、現職の教員でありながら、休職までして大学院へ進んだ強者です。

行政の派遣で行けば、給与は保障されますが、自己研修だと無給でしかも相当な学費がかかります。

(ただし、派遣で行けば、当然その後の活動のしばりはかかります。その点では、私は自己研修で行ってよかったと思っています。しかし、トータルで言えば、何百万というコストを自己負担するわけです)

しかし、プロとして一定の力量を身につけるためには、相応の研修の機会は必要です。決して、一朝一夕に、専門性が身につけられるというものではありません。

この大学には、「特別専攻科」という制度があり、現職の先生方が、派遣で来られたり、夜間の講義を一定期間受けられたりしながら、特別支援学校教諭の免許を取得されています。

イメージで言えば、ミニ大学院といった感じです。ここで学んでおられる先生方のモチベーションは相当高いものがあります。

しかし、こうした場で勉強できる先生は、本当に恵まれた環境の方ばかりです。

自費で行くには、経済的な相当の負担が家族にかかります。そんなわがままは、言いたくてもとても言えない方が普通です。

行政の研修で行くのにも、一苦労です。

私は、大学院に行く前は、教務主任でしたが、研修に行くとなると、管理職の理解がなくてはまず無理です。それと、研修に行くと言うことで、教務主任の席を放棄したことになりますので、そういった覚悟と決心も求められます。

行政からの派遣の枠は限られており、年間何百万の費用がかかるわけですから、希望してもいつ派遣されるかは、未知数です。それと、卒業後に、行政的に成果が求められるのも、当然といえば当然で、そういったことが可能な人材であることが、その条件になります。

もう少し言えば、その自治体の指導者たる人材であることが求められ、現場では当然そうした役割が期待されます。

世の中には、すばらしい臨床実践をされている方は、たくさんいらっしゃいます。もっと多くの方が、そういう方の指導で、どんどんとその子らしさを発揮し、成長されていかれるべきだと思います。

しかし、供給側は、そのニーズに追いついていません。昨日のそうたママもコメントで、特別支援教育の環境が整っていないことを嘆いておられました。

以前、このブログでも志木市のことが話題になりましたが、学校や自治体による取り組みにも、相当な違いがあります。

それと、にわか勉強の専門家(たぶんわたしもそうだと思いますが)も多くいて、まだまだこれから多くの時間や経験が必要な場合もあります。

しかし、特別支援にかかわる情報の入手方法は、驚くほど進歩しました。

それに、ケースによって違いますが、たとえそれ程専門的知識はなくても、教育者としての基本が出来ている先生なら、にわか専門家より、何倍もすばらしい教育実践をされていることは、日常的に起こっていることです。

知識も意欲も資格も情熱も経験も愛情も専門性も、何も無いのは論外です。

すべてを備えている先生がいらっしゃれば、それはベストです。

でも、我が子の教育的な資源(リソース)を判断する場合、多くの場合は、そのうちのどれを優先するかという判断になると思います。

私は、浪速節かもしれませんが、愛情や情熱を優先します。いろいろな子に対応できる力量よりも、我が子にどれだけ行き届いた指導をしていただけるかが大切であり、そのことがあれば、知識も技術も専門性も必ず追いついてくると考えているからです。

もうひとつは、家庭とのパートナーシップの形成です。

これだけ多忙な教育現場です。家庭でできることは家庭でしていただいて、学校では先生にしかできないことを、効果的に特化して行っていく、こうした取り組みにより、まだまだ可能性は広がっていくと思います。

個々の地域や学校によって、条件は全く違います。

文句ばかり言っても、誰かに丸投げしても、結局そのことが返ってくるのは、自分の子どもです。

場合によっては、学校を信頼して、側面からバックアップすれば良いときもあるでしょう。でも、もしかしたら、親が動くことによって、大きな進展が見られる場合もあるかも知れません。

そのことの、方程式はありません。

たがらこそ、ていねいに子どもの育ちや学びに、教師も親も寄り添って、見つめていくことが大切なんだと思います。

「子どものニーズにあった教育の実現」とは、わたしはそういうことなんだと考えています。

子どもをはかる たくさんのものさし  (一つの尺度だけで決めつけないで)

 2008-07-15
最近は、夏休み前に懇談会が行われる学校が増えてきましたね。

友里ちゃんのお母さんも、個人懇談が昨日あったのですが、通常学級の先生からいろいろと言われ、相当なダメージを受けられたようです。

たまたまこの日、そうたママに紹介していただき注文した、PICOTコミュニケーションブックが保育園に届いていました。

で、そのコミュニケーションブックといっしょに、たくさんの心理発達検査のカタログが同封されていました。

みなさんよくご存じの、WISC-Ⅲや田中B式、KーABC、CARS-小児自閉症評定尺度、YG性格検査、絵画語彙発達検査、ロールシャッハ、QOL。内田クレペリンや、サイコロジーゲーム・SST(ソーシャルスキルトレーニング)ボードゲームなんていうものまでありました。

業者のカタログでリアルに見るのは初めてでしたので、興味津々資料として大切にファイリングさせていただきました。

以前は、学校でも保育園でも、知能検査は普通に行っていました。岡山市の小学校では、下学年と上学年と2回している時代が長く続いていました。以前は、予算が付いていましたし、指導の参考にということで、指導要録にIQ値を記入するのが常でした。

私個人は、クラスの全体的な傾向と、極端なオーバーアチーバー(IQ値より学力が高い)子と、アンダーアチーバー(IQ値より学力が低い)子はチェックし、指導の参考にしていました。

知能検査については、そういった感覚で受け止めていました。

ところが、最近の検査の場面では、以前と明らかに違う感じになってきました。

田中B式は言語色の強い検査で、IQ値がWISC-Ⅲより少し高く出る傾向があるようです。

WISC-Ⅲは、言語性・動作性など下位検査の解釈が指導に有効ということで、多く使用されているように思います。

そのIQ値ひとつで、手帳が交付されたりされなかったり、補助金の申請ができたりできなかったり、通級指導教室に行けたり行けなかったり、悲喜こもごもです。

こうなると、かなりの厳密性が求められ、学習効果の関係で、今は検査を受けたくても受けられないというケースにも遭遇しました。

ある日には、たまたま数値が高く出てしまい補助が受けられなかったので、次の検査の時には、頼むから数値が高く出ないでくれ、と願う保護者の方のお話も伺いました。

お子さんは、いつものままなのに、変な話だとは思いませんか?

知能検査の数値が高いことを素直に喜べない、別の次元の切実な問題がそこにあります。

行政側の立場に経ったとすると、どこかでは線引きをしないと公平性が保たれませんから、ある意味仕方がないことなのかも知れません。

「ちょっと数値がたりませんでしたけど、まあ今回はちょっとおまけしておきましょう」なんて訳にはいきませんから、私たちが指導の参考にしていた知能検査とは、ちょっと重みが違ってきます。

そこにあるのは、客観的で公正な尺度ということになります。

オリンピックの選考なら、一発勝負の予選会が公平なのはよくわかります。

入学試験の点数に、質的なことを持ち込むと、コネとか、裏金とか、不正なものが入り込む余地ができることも、理解できます。

公正さが必要な時には、あえてそのことを受け入れる度量も、一方では必要なことかも知れません。

しかし、その数値だけで、すべてが決定づけられるように思うのは誤りです。

こと教育の現場にあっては、検査の数値でいくつから下だから特別支援学級、それよりもひとつ上だから通常学級、そんなことはありえないことです。

少なくとも教育の現場では、そんな検査の数値よりも、「いま数概念のこのくらいのところまで、とらえられている」とか、「2年生の時よりも、漢字の学習が好きになってきた」「クラスの中での学び合いが軌道に乗ってきた」とか、そうした質的なデータの積み重ねの方が、ずっと大切です。

この点は、教育のプロたる先生が、もっともっと医療の先生に立ち向かって行ってほしいと思うことです。そこで対等になってこそ、医療と教育の、有意義な連携が一層進展するのだと考えています。

診断 → 発達検査 → 特別支援学級

ご家族も、お子さんも、喜んで選択される場合は、それはすばらしいことだと思います。行き届いた教育が、お子さんの成長や幸せに結びつくほど、望ましいことはありません。

ですが、たったひとつ検査から、それまで所属していた集団から排除されていくような流れが生まれていくことに、割り切れない複雑な思いをもつのは、私だけでしょうか?

特別支援教育って、分けて専門的に教育をするってことですか?

場による教育から、ニーズによる教育って、そういうことでしたか?

どうして、集団にきちんと居場所があって、それで専門的な指導ってことにならないのか? 私には不思議でたまりません。

また、このまま特別支援学級の人数が肥大化して、どこまでその子のニーズが特別支援学級で満たされるのだろうと、疑問に感じることもあります。

大切なのは。子どものためにどんな内容の教育が行われるかという中身そのもののはずです。

私は、これから、友里ちゃんのお母さんにいろいろと話に耳を傾け、どんな形が一番良いのか、いっしょに考えていこうと思っています。

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エラーレス学習の驚くべき可能性 (親にもできる家庭学習)

 2008-07-14
昨日、花子さんのお母さんから、次のようなメールをいただきました。


金曜日に先生に出していただいた宿題なんですが、
もう全部してしまいました!
花子が「何枚やってもいい?」と聞くので
「いいよ」と言ったら少しして「全部した・・」
と言って持ってきました。

三つの足し算もちゃんと出来ていました。
金曜日に先生に「出来ますよ!」と言われたときは
半信半疑でしたが(すみません・・)一人で出来ました。

漢字も今日、全部してしまいました!!!
先生のおかげで自信がついてやる気になっているんだと
思います。
本当に嬉しいことです!!!
先生は本当にすごい先生ですね!


私はプロとして、発達の課題のあるお子さんの、個別指導をさせていただいています。

かなりの経済的な負担をいただき、恵まれた環境で指導をさせていただいていますから、一般のご家庭で全く同じ事はできにくいと思いますが、親としての学習支援をする場合の、何らかのヒントになることは、あるのではないかと思います。

宿題は、算数と国語、毎日2枚ずつ、合計12枚出しておいたのですが・・・2日でやっちゃいましたか?

教材作り、追いつかなくなっちゃいましたね。自作教材は、時間かかるのですが、これだけ効果があると、時間的なことは全く苦にならないから、不思議なものです。

今、花子ちゃんがやる気になったのは、自分の得意なやり方(言語中心の継次処理の方法)が定着し、そのやり方をしているうちに苦手のやり方(視覚中心の同時処理の方法)も、使えるようになってきたからだと分析しています。

学習方法のミソは、必殺のヒントカード! つまずきを事前に予想して、ヒント(場合によっては、ほとんど答え)を書いたカードや具体物を用意しておくことです。

(例 漢字のカードの裏に、ひらがなの読みを事前に書いておくんですよ 「むずかしい読みは、裏を見て調べよう、自信がついたら、先生に教えてね」 構成はたったこれだけです)

とにかく、私の個別学習には、できないという文字はありません。

計算でも何でも、むずかしいことには、ヒントカードがあり、それがあれば必ずクリアできるものばかりです。

そして、たいていは3週間後には、そんなヒントカードはなくてもできるようになっています。毎日2枚の宿題をしていれば、ほとんどの場合、脳内ネットワーク、形成できています。

自然にヒントがなくなっていきます。(ナチュナルなプロンプトフェイディング法と言うこともできます)

え~~~、ヒントがなくても、できちゃったの?  信じられない 君は天才か? どうしよう、もうプリント売り切れだよ 困ったなあ もうかんべんしてよ

と、適当な時期での、間欠強化スケジュールも忘れません。

苦手なことも、刺激だけは、毎週与えます。 抵抗感が強ければ、得意なことにミックスする「二系統同時刺激法」でアプローチします。 花子さんは、聴覚性の入力が優れていますから、苦手な絵カードには、必ず私の聴覚性の言語の支援を添えています。

毎週これやっていたら、すごろくゲームも、同時処理能力も、ずいぶん向上しましたから、子どもの成長力には恐れ入ります。

花子ちゃんの、書字改善にも、光が見えてきました。

① へんとつくりに分け、文字の構成要素を分割してとらえさせることにより、同時処理としてのとらえが容易になってきました。

② 算数の形作り(パソコンゲーム)により、文字の形を識別する力も向上していきました。

③ ゆっくりかこう という指示を受け入れることが容易になり、手先の微細運動の訓練もさほど抵抗感がなくなっていきました。 

(SHINOBU先生といっしょに勉強すれば、必ず勉強ができるようになる、という暗示がかかってきました=これぞエラーレス学習の絶大な効果です)

あと、ご家庭の絶大なご協力も大きな力になりました。

高い月謝をいただいていますので、とかくプリントのみの学習になりがちですが、すごろく遊びやパソコンゲームもあたたかく見守ってくださいました。(実は、結果としては、こっちが近道でした)

保護者の方の私に対する信頼感が、お子さんに伝わり、そのことが私自身のモチベーションをどんどん高めていきました。(教材づくり、楽しくてたまらなくなってきましたから・・)

この前、そうたママに、視覚支援のイラスト作っていただき、添付メールで送っていただきました。

ブログで知り合ったお母さんにこんなことまでしていただいて、これからどんな風に発展するのか、とてもありがたいことです。

親だからできること、親でもできること、先生だからできること、先生でもできること、いろいろありますよね。

お子さんの幸せと成長を真ん中に置いて、手と手をつなぐパートナーシップ。

ここにもまだまだ大きな可能性が残されていると考えています。私のまわりのお母さんって、どうしてみんなこんなにも前向きなのでしょう?

答えは、簡単。

子どもの力が、母も家族も、指導者さえも、みんなまとめて育ててくれているのです。

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事業主として 発達課題のある方の就労について取り組むということ

 2008-07-13
先日、保育園の園児の安全管理のお仕事をいていただく方の募集で、ハローワークに行かせていただきました。

私は、保育園の経営者の一員ですが、経営者としてはまだまだ駆け出しなので、こうした一つ一つが勉強です。

先日、発達障害者支援センターの就労指導の心理士さんに「事業主と障害者のための雇用ガイド」が、ハローワークにあるよ、という話も聞いていたので、そのパンフレットを手に入れることも、一つの大きなねらいでした。

私の保育園は、40人程度の職員がいる事業所です。

ハローワークでいただいた雇用ガイドに目を通しましたが、これがわかるようでなかなかむずかしい。そこで「おかやま発達障害者支援センター」という所に電話をかけて、いろいろと尋ねてみました。

まず、法定雇用率1・8%のことですが、計算すると56人に1人という割合になります。うちの保育園の職員は40人ですから、一人障害者の方を雇用すると、それで法定雇用率の1・8%を超えることになります。

ですが、56人以下の事業所では、2人以上の障害者雇用がないと、事業主に対する各種の特典は受けられないということでした。つまり、100人の事業所でも2人、5人の事業所でも2人で特典が受けられるということいなります。

この辺は、この法律が中規模以上の事業所を対象としていることがわかります。100人以上の職員のいる保育園など、そうあるものではありませんから、ほぼこの法律の対象外です。

障害者雇用給付金制度も、300人以上の事業所が対象ですから、小規模の事業所は、納付に関しても、給付に対しても対象外です。(ちなみに納付金は一人当たり50,000円、報奨金は一人当たり21,000円です)

もうひとつ気になっていたのが、孝志君の就労のことです。

孝志君は、小学校5年生の時にアスペルガーの診断をうけていますが、この子に対して様々な特典が受けられるかどうか?ということです。

担当の方にそれとなく聞いてみましたが、ただ単に診断がつけばフリーパスということでかなくて、専門の判定員による審査があるということで、孝志君の場合には、何とも言えないということでした。

マドンナさんのブログでも話題になっていた特例子会社制度も、大企業だからできるというものなのでしょうか?(勉強不足ですみません)

そうこうしていると、ある知的な障害のある方が、偶然にもハローワークの募集に応募してきてくださいました。

報奨金などの特典は何もありませんが、お人柄も良いし、何かうちの法人のカラーに合っているような気がして、ご縁があればぜひお願いしようと、園長と話を進めていました。

ところが、面接から帰られて、その方からまたお電話があり、少し遠隔地であったこともあり「別な仕事が見つかったので・・」というお断りの電話がありました。

「ご縁がなかったね。残念だね」と言って間もないうちに、応募されていた別な方からお問い合わせがあり、時間的なリミットも迫っていたので、別な方に決めさせていただきました。

私は、働いていただくからには、その方の個性や特性を生かして、ぜひ私たちの法人の目指す子ども成長やとご家族の幸せに貢献していただきたいと考えています。

単に与えられた業務を、こころを込めず形式的に流すような職員は評価しません、。利用していただく方の満足感や信頼感こそが、その尺度になります。そういう意味では、職員に厳しし職場だと思っています。

保育も調理も経理も警備も、どんな仕事も全部その方向に向けて、力が集約できる法人でいたいと考えており、この姿勢こそが、利用者である皆さんの信頼感・満足感につながっていくものと確信しています。

逆に言えば、この姿勢さえあれば、障害があろうとなかろうと、それは全く関係ありません。

何かの障害があるからということで、その人のもっているストレングス(長所)が生かされないのは大きな社会的な損失であり、そのことで公平な機会が与えなれないのは、差別であると考えます。

その方の行動レパートリーを生かし、発展させるという手法をとれば、もっともっ社会に貢献し、生き甲斐のある人生を歩んでいかれる方が増えていくのではないかと思っています。

そのための本人の努力や教育やサポートのあり方の研究も重要です。

全国各地で、新しい就労の試みも始まっているようです。

学校で学ぶ人生より、その後の人生の方がはるかに長いわけですよね。どんな形であっても、就労と全く無縁の学びであっては行けないのかも知れません。

私は、まだまだこの分野については勉強不足です。

就労に関わる中央の動き・地域の情報・そして皆さん方のお気持ちや願いを、是非とも、お伺いしたいと思います。

皆さんとともに見つめ、ともに考え、ともに歩むブログであり続けたいと考えます。

そう考えると、これも何だか楽しい。皆さん、これからも、どうぞよろしくお願いします。

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天使になる子 悪魔になる子  (集団力学の光と影)

 2008-07-12
昨日のかたこさんのコメント 「学校で気分が悪くなって嘔吐しているクラスメートにに駆け寄り、、大丈夫、ココに吐きなさい、と両手を差し出した6歳の女の子がいたそうです。」 を拝見して、私も、ぜひ皆さんにお伝えしたいことをいくつか思い出しました。

私が6年生の通常学級の担任をしていた時、それはすばらしい子どもたちと出会いました。

ある日、ある子が気分が悪くなって、給食の後、床に大量に嘔吐物を出してしまったことがありました。これまでのイメージでは、そこから逃げ出す子はまだ良い方で、大きな声で「わーきたねー」と言ってからかうような子がいても、ある程度それは仕方がないとこかな、という位の感覚でいました。

しかし、そのクラスの子どもたちは違いました。

その瞬間、その場にあったざわざわ感が、一瞬にしてなくなり、そこにいた数人の子どもたちが一斉にぞうきんを持って、何も言わず、吐瀉物を片付け始めました。

それは、0コンマ何秒というスピードで、学級担任の私よりも、その子たちの一歩の方が確実に早かったと記憶しています。この0点何秒に、この子たちの精神的な高さが伺えます。

こういう子どもたちですから、いろいろな伝説を残してくれました。

修学旅行の宿で、何を考えたのか、宿の掃除を始めだしたのもこの子たちです。「あんまりやりすぎると、返って宿の方失礼かも知れないから、もうそのくらいにしておこう」と止めるのに苦労しました。宿中のスリッパを全部同じ方向にそろえて、この子たちは、バスに乗り込んでいきました。

旅館の方は、長年修学旅行のお世話をしたが、さすがにこんなの初めてです、と目を丸くされていました。

奈良駅から京都駅までは、近鉄の在来線を利用させていただきました。同じ車両の方のご迷惑にならならないように、と指導はしましたが、この車両でのマナーの良さも伝説として残りました。

たまたま隣にすわられた紳士の方から、どちらの学校からお越しなのか、ぜひ教えていただきたい。とおっしゃっていただきました。少し離れたところに座っていた校長も同じようなことを尋ねられ、嬉しかったと後で教えてくれました。

このクラスに、教育実習の先生がお見えになったことがありました。

ある日、「修学旅行のことをくわしく決めよう」という学級会の時間がありました。私は、準備委員会では議長グループの指導をしますが、本番の話し合いは、原則、子どもに任せるというスタイルをとっていました。

で、バスの席順を決めるとき、女子がなかなか自分の希望を言おうとしない。妙な沈黙があって、ある子が自分のネームカードをバスの枠の中に入れると、みんながそれに合わせるかのように、次々とネームカードをはめていきました。

実は、最初にネームカードをはった子は、このクラスの中では一番友達の少ない子でした。クラスのみんなはその子のことをずっと気にかけていて、最後にこの子があぶれてしまうことを、何より恐れていたのです。

一生に一度の就学旅行で、自分の友達につらい思いをさせてくない、そんな思いがみんなの心の奥にあったのです。だから、みんな、自分がその一番友達の少ない子の隣にすわろうと、待ちかまえていたというのです。

それを知った教育実習の先生は「20歳を超えた私ができないことを、何で小学生のみなさんができるのか?信じられない気持ちでいっぱいです」と、実習中に、大粒の涙を何度も流されていました。

このクラスの伝説は、思い出せばいくらでもあります。

ちなみに、右のおすすめの本として紹介させていただいた「われ様のどんぐり」の作者のあさまれいこさんの、娘さんも、そのクラスのメンバーの一人でした。

この本も、感動の一冊です。アマゾンで購入できますので、ぜひこのブログの読者の皆さんには、読んでいただきたいと思います。


以上が、天使編、以下は悪魔編です。

別な学校で、私が生徒指導の担当をしていたとき、リアルないじめの構造に直面しました。

これぞ集団心理の影の部分で、構造的に自分の判断力がマヒしてしまう。みんながするから、と言う恐ろしげな理由で、一人ではとても出来ないような残忍なことが、平然と行われてしまう構造となっていました。

世の中で、こんな恐ろしいことはないと、背筋が寒くなるような思いでした。

靴を隠す、無視をする、陰でこそこそ悪口を言う、怪文書を回す、いやがる物を机の中に入れる・・・・

ターゲットになったのは、まじめで、おとなしい、心優しい子

方法は、巧妙で、先生にはなかなか見えないような形で、じわりじわりと潜行し、真綿で首を絞めるように、特定の子を血祭りに上げ、そんな物の上に、集団のマイナスモラルのような何かが成立している・・

何とも恐ろしい構造、集団心理のなせる技です。もちろん、しらみつぶしに該当の子一人一人に当たりましたが、もうひとついじめ構造という見えない敵との戦いでもありました。


このように、学級集団・子ども集団には大きなエネルギーがあります。

それこそ子どもは、天使にもなれば、悪魔にもなります。一人では考えられないような、集団のベクトルが、何倍ものエネルギーとなってそこには働くようになるのです。

親の立場から考えると、我が子のいる集団に対する理解は大切なことだと思います。

なかなか見えないし、手が出しにくい部分もあるとは思いますが、少なくともお子さんの目を通して、その集団をとらえることは必要なことなのだと思います。

集団といかないまでも、自分の子を取り巻いているほかのお子さんについては、親として最低限の理解が必要だと思いますし、それを支えたり、ときには判断が必要な場面もあるのではないかと思います。

お子さんは将来、多かれ少なかれ、地域社会の中で生きていくことになります。

同じ時代を共に生きていく仲間としてのとらえも、時には必要です。

最後に我が子を守るのは、家族以外にありません。必要以上に緊張しすぎても、まいってしまいますが、社会で起こる様々な事件と、私たちは決して無縁ではないと、私は考えています。

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子どもの心の原風景 (生きる指針となる 子どもの心の拠り所)

 2008-07-11
私が新採用の教員だったころ、1年生の研究授業に伺うと、そこには動物のように泣き叫ぶ一人の男の子の姿がありました。今から20年以上も前の話です。

どういうメカニズムなのかは、わかりませんが、その時、私の心の中で何かがパチンとはじけました。

当時その子は、特殊学級に在籍していました。私は3年生の担任をしていました。若かったですね、その日から、私は少しずつその子に近づいていきました。

ある日、その子と砂場で遊んでいました。

「もうこれで終わりにしようね。今度この棒が倒れたら、やめておうちに帰ろうね」と約束をして、砂取りの遊びを始めました。

何かのはずみで、不意にその棒が倒れてしまいました。何気なく私がその棒をつかむと、あわててその子は、その棒の反対側をつかみました。

私はこの時、この棒一本で、この子と心が一つにつながったような感覚になりました。「先生といっしょにまだ遊びたい」、という非言語の言葉が、その棒からダイレクトに伝わってくるようでした。

その日から、素敵なことがいっぱい起こるようになりました。

私の職員用の靴箱をあけると、小さな花束が時々入っているようになりました。

縦割り掃除で、その子が私の3年生の教室で、それはいっしょうけんめいそうじをしてくれるので、図工の余りのセロファン紙を与えると、その子はそれを両目に当てて、何度も何度も私の方をキラキラとした目で見つめてくれました。

その学校での勤務は5年、あっという間に転勤の日を迎え、その子も5年生になっていました。私が、体育館の壇上でお別れの言葉を言い、花束をもって玄関を出ようとすると、なぜかその子はその場所にいて、私の方を指さし、そして何とも言えない悲しそうな瞳で、「あっ」と一言発しました。

百万の言葉に代わる何かが、その「あっ」という言葉からお互いの心に伝わっていきました。

こうした体験が、結局は、その後の私の行動を決定づける原風景となっているのです。

先日、太郎君のお母さんが、こんなことを教えてくれました。

太郎君の家では、以前ラブラドールを飼っておられ、太郎君が5歳の折には、かなりの老犬になっていたということでした。

ちょうどお母さんが休みに日に、その老犬は心不全を起こし、太郎君とお母さんは、歩けない犬をシーツにくるみ、唇が真っ青になり、呼んでも振り向かない犬を、病院へと運ばれたそうです。

それ以来、太郎君は、同じような他の犬を見る度に、、「えりちゃん(その犬の名前)によく似てるね、えりちゃん天国にいったんだよね」 と、何度も口にするようになったということです。

先日、太郎君の連絡帳を拝見すると、担任の先生から、「今日、プールにはいるまえに、スズメが死んでいるのをみつけた太郎さんは、「いたい(かもしれない)から、タオル(をひいてあげる)」と言って、自分のタオルをスズメの下にしいてあげたそうです。やさしい気持ちに感動し、学級で紹介しました!!!」と書いてくださっていました。

ここに、太郎君の行動の指針、生きる指針となる原風景が存在しているわけです。

私は5歳で母と生き別れ、写真一枚もっておらず、どんな顔だったのかのさえ曖昧なのですが、それでも心の中にある原風景が2つあります。

一つは、母が裁縫か何かで生計を立てていて、家でよく縫い物をしていました。ある日、畳の上に落ちていた針を私が踏んづけて、その針が折れてしまいました。

私は大して痛くもなかったし、歩けば歩けたと思いますが、母は必死の形相で私を抱きかかえ、病院まで必死で走っていました。

その腕の中で上下にゆれる振動の感覚は、今でも深く私の体に焼き付いています。これが、あったからこそ、5歳で生き別れても、私は現在まで、生きていられたのだと思います。

思春期に危うい場面、何度もありましたが、向こう側から、枕を濡らしながらでも戻ってこられたのは、こうした原風景があったからです。

もうひとつは、保育園のお迎えで、私が最後の一人になり、ジャングルジムのてっぺんで外を見たとき、遠くから手を振ってくれた母の姿です。母の顔は思い浮かばないのですが、なぜか、保育士さんの「お母さん遅いね」の言葉は覚えています。

まったくの日常で、特別な事でも何でもないのに、なぜかそれが原風景となって、それが生涯心に刻まれ、生涯生きる指針になる、そんなことだってあるのです。

みなさんには、そんなご経験はありませんか?

それと同じように、この原風景に対しては、IQだの特性だの、そんな薄っぺらい数値や概念はこっぱみじんです。

そこにあるのは、切っても切れない、親子の絆、 生きるという営みそのものなのです。

知識も技術も判定も、それは単なる一つの手段。

目的はいつも、幸せに生きるという営みそのものであるはず。

その土台があってこそ、教育・療育・支援の方向性も決定づけられるのだと、私は考えています。

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自分に合った子どもへの支援のスタイルを  (ワークライフバランスとメンタルトレーニング)

 2008-07-10
誰しもが経験することですが、お子さんの状態が思わしくないときは、支援にかかわる方々にも負荷がかかり、そのマイナスオーラにお子さんがハレーションを起こして、さらにどつぼに陥り、負の連鎖がスタートしてしまうということがあります。

つまりは、初期対応の時の、支援に当たる側の、柔軟さや懐の深さが大切になってくるわけです。

私は、こうした少し余裕のある状態の時にこそ、支援者は「好き好きオーラ」」を醸し出し、お子さんは「行けてる感」をもつことができ、お互いがさらに発展的なステージへと進めるのではないかと考えています。

体の構造の観点から見ると、こうした状態の時には、「筋弛緩」(リラックス状態)が起こり、血流が全身に行き渡り、アルファ波優位の脳波形態となり、ドーパミンやβ-エンドルフィン(脳内物質=脳内モルヒネとも言われます)が充満し、何だかとってもHAPPYな効果が現れてきます。

その逆の場合は、アドレナリンやノルアドレナリンの作用により筋緊張が起こり、心拍数が増加し、β派優位の脳となり、体中が戦闘モードになり、結果として体のあちこち(特に内臓や皮膚)に負荷がかかり、免疫力が低下します。そして疲れます。

こうなると、緊張がなかなかほぐれず、眠りも浅く、朝起きても体がだるーい状態が続き、集中力も低下します。余計なことばかりに気がいって、肝心なことがおろそかになってしまいます。そして、底なし沼の、負の連鎖が始まったと、取り越し苦労の連続です。

かく言う私も、このマイナススパイラルに何年間かもがき苦しみました。(まじめな人ほど危険度は高いですよ)


今朝は、この何年かぶりと言っても良いほど、ぐっすり眠ることができました。昨日、保育園のキャンプの下見で、山登りしたのが良かったのでしょうか?余計な所に力が入っていない感じです。体がとても軽いです。

こういう日は、きっと思わぬアイデアがひらめいたりする日です。(そう思えるところで、現時点で、すでにいつもより好調です)

私は、小学校の教師であることに、強い誇りと愛着をもっていました。

でも、それだけ愛して止まなかった教師という職業に、結果として、自らの手で終止符を打ってしまいました。

こうした決断に至るには、語り尽くせないほどの苦悩もありました。家族にも、大きな負担を強いてきました。カウンセラーの先生にも「まだ、教師の仕事、捨て切れないね」とはっきりと指摘された時期もありました。

でも、ここに来て、ようやく自分らしさを取り戻して来たように思います。

そのことを自分なりに分析すると、私にとっては、あることがきっかけで何気なく始めた、このブログが、知らない間に、自分自身にとって、とても大きな意味をもつようになったからではないかと考えています。

まずは、自分の思いを文章として言語化する作業が、知らず知らずのうちに、プラスのセルフトーク(自分へのプラスの言い聞かせ)になり、自然に、自己暗示がかかるようになってきました。

「好き好きオーラが大切ですよ」「ちょっとだけ肩の力を抜いて、ていねいに取り組んでみたら」「言葉にならない笑顔のビームを」 なんて言葉は、何を隠そう自分への暗示そのものだったのです。

このブログこそが、私のメンタルトレーニング・イメージトレーニングの場となったのです。

それに、自分自身を客観的にモニタリングできるし、アクセス数やコメント数の増加といった、強力な間欠強化スケジュールも、自然にできあがってきています。

私なりの、どつぼ回避の工夫です。


もうひとつ、気をつけていることがあります。

それは「身の丈にあった生活」ということです。

私は小学校の教諭だったとき、朝一番に学校に行って警備会社のセットを解除し、一番最後まで残って最後に警備のセットをして帰るという生活を長く続けていました。

日曜日も休日も、いつもやらなければならないことが気になり、いわゆる緊張状態を解放することが出来ず、休みなのに休んだ気にならず、疲労だけがどんどん蓄積されていきました。

これじゃあ、モーター焼き切れて当然ですよね。

この貴重な?体験をもとに、今ではわざと、仕事は選び、腹8分目とするよう配慮しています。

こだわっている部分の仕事は受けますが、それ以外の所は、ごちそうに見えてもなるべく手を出さないように気を使っています。

収入は激減です。

昨日もコンビニで「えびぷりぷり弁当・450円」、うまそうでしたが高くて買えませんでした。こんなの教員時代には考えられませんでした。

結局、「ねぎとろ細巻きセット260円」しか買えませんでしたが、それでもねぎとろ細巻き、結構おいしかったし、今の方が教員時代より充実感あり、幸せです。

(こういうこと書くこと自体が、内的言語化=自己暗示=メンタルトレーニングになってるわけですよ)

プールへ行ったり、英会話のレッスンを止めないのも、身の丈を超えた仕事で、二度と自分を破滅させないようにするための工夫です。

ノルマを決自ら決めて、その負荷をクリアしていく方が伸びるタイプの方も多いでしょう。

でも、私のようなタイプは、必要以上に自分に負荷をかけすぎて、筋緊張を引き起こしがちなタイプなので、むしろ気をつけて、リラックス状態をキープしていく方が、結果としては、良い方向に進んでいくようです。

発達の課題のあるお子さんのご家族の場合、「わたしがやらねば」という強い気持ちばかりが先行し、筋緊張=β波=アドレナリン、のパターンになりがちではありませんか?

ならば、このように自分のパーソナリティに合わせて生活をコントロールしていく発想=いわゆるワークライフバランスの考えも、発達の課題のあるお子さんのご家族の皆さんには大切になってくると思います。

以前に紹介した東北大学の渡部信一先生の「ていねいな子育て」を、SHINOBU流に言うと、こんな表現になるのかも知れないと思っています。まったく、余計なことかも知れませんが・・・

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我が子のわかり方を担任の先生に伝える (最悪なら状況を変える営みを)

 2008-07-09
昨日のマドンナさんのコメントの中に、「学校の先生と どのような方法がわかりやすいか、話し合いながらすすめた思い出があります。 」 という部分がありました。

私は、特別支援学級の担任の経験がありますが、お子さんの特性を理解するのは、なかなかむずかしいことでした。わかってしまえば、何の事はありませんが、教師とはいえ、細かい部分まで自分と違う感覚を理解し、受け入れ、それに合わせた指導方法を開発するのは容易ではありません。

一人でも難しいのに、数人の小集団学習となると、本当に大変です。

その点、ご家族の皆さんは、生まれたときからずっと、お子さんに寄り添って暮らしてこられてきたわけですから、理解の深さは担任と比べようがありません。

それに、担任は、「やっと理解できたころには、ハイ転勤」なんてことは日常的に起こります。

私の場合、保護者の方が 「先生のやり方で、思うように指導してください」 と、おっしゃってくださいましたが、実際には、毎日何ページにもわたる連絡帳やお電話、家庭訪問など、相当な時間をお子さんの理解に費やしていました。

お子さんの事を本当に理解できていなければ、指導は形式的なものになってしまいがちです。

暗闇で鉄砲撃っているようなものですから、時には当たりますが、歩留まりは相当低いものになってしまいます。それで良いというなら、何も申しません。

しかし、発達の課題があるお子さんの場合、一日一日の歩みは、とても大切であると考えています。ならば、マドンナさんのように、しっかりと担任の先生に向き合うことは、とても重要なことだと私は考えます。

私の教えたお子さんのご家族は、タイプは違うかも知れませんが、「岡山のマドンナ」と呼んでも差し支えないほど、すばらしいお母さん・そしてご家族でした。

このご家族のご期待に応えたい。私のモチベーションは、ほっておいてもいつも自然にMAXでした。そして、例えば九九ひとつ学習する時にも、ご家族の反応や家庭での学習状況がいつもモニタリングされていました。

私の教育実践は、このご家族とのパートナーシップを抜きには、成立し得ませんでした。

昨日、太郎君のお母さんからメールをいただきました。

太郎君は、最近算数の宿題が少しハードになってきて、お母さんにもかなりのご負担がかかっているようです。でも、ランドセルの中をみると、提出されたプリントにご努力の跡が伺えます。家庭でできなかった宿題は、通常学級の先生が次の日に、個別に教えてくださっているようです。その様子を見たら、私も何とか力になりたいと思うじゃありませんか?

すばらしいお子さんと先生です。このことを、太郎君が感じないわけはありません。

昨日のお迎えの時に、別な保育園の保護者の方から、「先生、太郎君、先生のことすきなんじゃなあ、見ててわかるわ、すごいね、先生」と言ってくださいました。

私は、保育園の保護者の方に、取り立てて太郎君の指導のことについてお知らせしたことは一度もありません。でも、こんなふうに大切なことは、ちゃんと伝わっていくのです。

友里ちゃんのお母さんからは、「もし可能であれば、夏休み中に週4時間の個別指導は可能でしょうか?」 というお問い合わせをいただきました。

学校のテストの点数ではなく、言葉やコミュニケーション能力そのものを育てて欲しい、という切なる願いや思いが伝わってきます。


ここまでは、先生と連携したり、先生と一緒に育っていくことが可能なケースの話です。

もし、先生とパイプをつなげることが可能なら、家庭と学校とが連携すれば教育の効果は、さらに増幅されるのはまちがいのないことです。

このブログにリンクさせていただいているお母さん方は、すべてその実践者ですので、ぜひとも参考にされたらよいのではないかと思っています。


言っても無駄、逆効果の場合があるということが、私には悲しく、信じられない思いです。

不幸にして最悪の環境だと判断されても、泣いてなんかいられませんよ。時間は止まってくれませんし。

ならば、その環境を少しでも良い方向に変えていく営みをするしかありません。今年ダメなら、せめて来年とか、何らかの動きは必要です。

友里ちゃんのお母さんのように、ネットでこのブログを発見して、速攻でご相談に見えたケースもあります。

岡山の場合、IQ値が低いと、通級指導教室の対象から、実質的にははずされてしまいます。

太郎君の担任の先生にすばらしい先生がついたのも、私は、就学前の、強烈な学校へのアプローチが効いたのだと思っています。結果的に、私がイメージしていた通りの先生をつけていただきましたから。あの根性と努力(とちょっとのあつかましさ)がなかったら、今は悲惨な状況になっていたかも知れません。Drから無理と言われた通常学級で、ここまでできるようになったのですから。

この辺の学校の担任決定のしくみについては、小学校での学級担任の決め方(3/12)に書いていますので、よろしければ参考になさってください。

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たし算でつまづく子の手だて (視覚優位だからと言って 同時処理とは限らない)

 2008-07-08
今日は、実際の個別指導場面からの気づきについてお知らせしようと思います。

お子さんのもののわかり方のタイプに、同時処理タイプと継次処理タイプのお子さんがいらっしゃることについては、先日の記事(5/25)で紹介させていただきました。

自閉症のお子さんの中には、聞き言葉による入力(聴覚刺激)が苦手だけど、絵カードや実際の動作などの入力(視覚刺激)なら得意、という方が多くいらっしゃいます。

私が指導させていただいている太郎君(仮名=1年生・男子)も、そのタイプです。

これまでは、言語面を中心とした課題に主に取り組んできました。

算数については、お母さんが小学校入学前から、公文に行かせてくださっていましたので、ある程度は行けるだろうという判断もありました。

ところが、1学期も後半になり、たし算や計算カードが出てくると、いきなり宿題で立ち往生してしまう場面が多く見られるようになりました。

さっそく土曜日に、学校からいただいた計算プリントに取り組んでみましたが、やってるうちに、いろいろなことに気がついてきました。

例えば「6+3」という問題を解く場合に、数図ブロックでまず「6」と置かせてみましたが、この「6」をイメージとして頭の中でキープすることに慣れていません。せっかく「6」とブロックを置いたのに、3を足した後に、また1から順に1・2・3・・・・・と9まで数えてしまいます。

つまり「6」を、量的に「6」とイメージしてキープする良さに、まだ気がついていないわけです。

ためしにと思い、すごろくゲームをしてみました。

やっぱり、さいころの「4」を見て、ぱっとそれが「4」だと、とらえてはいないようです。「4」の目が出ると、いちいちその目を「1・2・3・4」と数えていました。

つまり、太郎君は視覚優位の入力ですが、数については継次処理が優位なわけです。

花子さん(仮名=2年生・女子)は、聴覚入力のタイプですが、やはり継次処理のお子さんです。でも、毎週、数量に対する刺激を与え続けていると、継次処理ではありますが、サイコロの目、読めるようになってきましたから。

ちなみに公文式は、継次処理のスペシャル版であると聞いたことがあります。(自分で確認したわけではありませんので、もし違っていたらすみません)

私は、「視覚優位なら、当然、処理の仕方も、映像系の同時処理だろうと」と浅はかに考えていましたが、少なくとも、この子の算数は、継次処理で進められていることがわかりました。

それならそれで、やり方はあるんだよ。

君の継次処理の行動レパートリーを広げていけばいいんだからね。

花子ちゃんのように、継次処理で問題をこなしていきながら、すごろくやフラッシュカードで、同時処理能力を刺激していきましょう。

とは言っても、週に45分しかないから、急にというわけにはいかないけれど、2学期までには、たし算クリアさせるからね。

ネットワーク、いつつながるでしょうか?

この取り組みについても、このブログの中で、ライブでお届けしようと考えています。

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人との関わりが やる気と幸せを育む (大脳辺縁系を刺激するアプローチ)

 2008-07-07
人とのコミュニケーションがむずかしいタイプのお子さんはいらっしゃいます。

私が養護学校でTAをさせていただいたときに、クラスの6人のほとんどは、コミュニケーションが苦手なタイプのお子さんでした。

でも、「コミュニケーションが苦手」だからといって「みんなといっしょに活動すくことが嫌い」ということでは、ありませんでした。

みんな、友達や先生と仲良く楽しく暮らしたいと願っていて、何かのことで、コミュニケーションがとれないことがつらいだけで、決して人とのつきあいそのものが嫌なのではない、ということをいつも教えてくれました。

大切な脳の話」(2/21)でも触れましたが、脳には「大脳辺縁系」という部分があって、食欲や睡眠など、人間の基本的な欲求をつかさどっています。

人間の集団欲は、この大脳辺縁系に局在しています。

つまりは、集団に属したいという欲求は、食欲と同じようなレベルであって、それなくしては決して生きていけないというような、極めて一時的な欲求であるということが言えます。

昨日、一昨日と、私は志を同じくする先生方と一泊二日で、共に語り合う機会をもたせていただきました。

それは、「診断や技術を入り口とするのではなく、まずは子どもに向き合い、子どもの成長を考えていこう。その中でこそ、それぞれの専門性を生かしていこう。診断名やテクニックばかり先行しがちな現状に、あえて人間そのものに目を向け、人との関わりを大切にしたアプローチを大切にしていこう」 そういう趣旨の集いでした。

一人を除いて、後はその日初めてお会いした方々ばかりでした。

しかし、私はこの時、何とも言えない幸福感に包まれていました。

何年ぶりでしょう、こんな幸せな感覚。同じこと・同じ志をもち、しかも、すばらしい実績をお持ちの方と語り合うことにより、私は一人ではない、という何とも言えない力強い感覚と、満ち足りた思いがわき上がってきました。

やる気になった、なんてものではありませんよ。大げさに言えば、人間が生まれ変わる瞬間です。

人がやる気になる、人が幸せを感じるのは、こんなメカニズムなのではないでしょうか?ここを刺激せず、一体どこを刺激したら良いのでしょう?

私は不調の時、宴会に行っても全然酔えず、作り笑いをしながら、行きたくもないカラオケに付き合って、日に日に落ち込んでいく自分を、別な角度から心配そうに見つめている、もう一人の自分の視線をいつも感じていました。

私も結局その時は、Drと薬に頼らざるを得ませんでした。一歩間違えたら、どこまで転落していたか知れたものではありません。

この命がけ?の体験は、ぜひとも子どもの成長と幸せに還元したいと思うのです。


その子が、その子らしさの持ち味で、その子の夢と志を共有できる人と出会えたらならば・・

どんな風にかかわったら、いいんだろう・・・

どんな風に、ご家族の方と歩んだらいいんだろう・・・


仲間・家族・そしてパートナーシップこそが、キーワードだと、私は思っています。

それをベースにしてこそ初めて、高度の専門性が、生かされるのだと考えています。


自分という存在が無意味に思えること、本当に苦しいことです。いろいろな状況が、知らず識らずのうちに、じわりじわりと自分を苦しめていきます。

でも、一人じゃない・・・

そう感じ始めた頃から、歩みは始まります。

人は人の中でしか幸せを感じることができない。

だとしたら、子どもを育て幸せにしていくためのアプローチも、もっと人との関わりを中心に組み立てて行っても良いのではないかと、私は考えているのです。
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集団の中で育っていく中での 「何でぼくだけ・・」 という感覚

 2008-07-06
この度、ご縁があって「人間関係論的アプローチ研究会」という自主サークルのメンバーに加えていただきました。

昨日、そのミーティングが岡山であり、県外からは神奈川・大阪・広島・山口の先生もお越しでした。

通級指導教室の先生・言語の指導教室の先生・医療の立場から発達支援を行っている先生・発達検査を実際に担当されている先生・教育委員会や発達の各種研究機関で指導に当たられている先生など、いろいろなお立場の方々ですが、共通するのは、全員が子どもに直接かかわる「臨床」という言葉に強い誇りをもっていること、そして、「始めに診断や技術をもってくるのではなく、その子に寄り添い・向き合ってこそ、スタートできる大切なことがある」と、強く感じていることでした。

一昨年より2回、大阪でセミナーを開催しています。

他の7名のメンバーは、1回目より関わっておられますが、私は今回、初めてお仲間に入れていただいた新入部員です。

私にとっては、まさに志を同じくする者同士の、胸をすくような出会いとなりました。

7時から12時までの、熱いミーティングの中で、何となくこれまで感じていたけれども、少し鮮明に浮かび上がって来た新しい思いがあります。

それは子どもがごく日常的にもつ「何でぼくだけ・・」って言う感覚です。

このことを私は、いつも発達の課題のある子の立場で考えていました。「発達に課題のある子だけ、どうして、何かが制限されてしまうのだろう・・」「発達に課題のある子だけ、どうして分けて考えようとされてしまうのだろう・・」とか、そんな風に・・

でもそれは、何も発達に課題のある子だけのことではありませんよね。

子どもは集団の中でこそ、多くのものを学び・吸収していきます。一つ一つを切り取って考えることはできないけれど、きっちりそれを言葉でくくることはできなくても、そこにある本当に大切なことを、私たちはしっかりと意識しているわけです。

発達の課題があるお子さんのそうした育ちのためには、その所属している集団としてのモラルの向上は不可欠です。

早い話がモラルが崩壊して、いじめが横行するような、そんな集団では、仮にたとえ何か得るものがあたとしても、それ以上に大きな痛みが子どもの心に残ってしまうこともあります。

どんな集団でも子どもが育つのではなく、子どもが育つ集団を作ることそのものが、まさに教育的な営みなんだと考えています。

それは、担任の先生の力量に負う所は大きいと思います。

しかし、このブログでは、指導者と保護者とのパートナーシップの形成を、お子さんの育ちの大きな原動力として作動させていくことを、特に大切なポイントとしてとらえています。

ならば、我が子のために、我が子の所属する集団を育てる営みが、保護者として行えないか?と、私はふと考えたのです。

担任の先生がもし、あなたのお子さんに個別にサポートしようとした場合、周りの子の理解は不可欠です。

周りの子どもが、その先生に受容され・愛されていると感じていないケースで、もし発達の課題があるという理由で、あなたのお子さんにだけ特別に関わろうとすると、多くの場合、あなたのお子さんは集団から浮きます。陰でいじめられるリスクも相当高くなってしまいます。

発達の課題があろうとなかろうと、子どもはみんな先生から愛され・認められたいと思っているのです。あなたのお子さんも、となりの健太くんもいっしょなのです。

我が子に一生懸命になりすぎて、そこのところ見えにくくなったことはありませんか?

私が担任したお子さんで自閉症のお子さんがいましたが、その子は、不思議なことに学校の誰からも愛されていました。

担任の私は、そのことで、思い切っていろいろなことにチャレンジすることができました。

参観日の日、そのお母さんは教室にやってくると、自分の子どもより、まずクラスの友達の一人一人に優しくあたたかく声かけをしていました。

PTAのバザーでも、地域のイベントでも、ボランティア活動でも、いつもそうでした。

このお母さんのこうした支えがあればこそ、私は集中して、このお子さんの学びや育ちに取り組むことができただけでなく、結果として、教師としてのモチベーションを著しく高揚させて行きました。

このお母さんのまねだけをして、それでうまくいくということではないかも知れません。

でも、自分の子のことを思い、集団の中で我が子を育みたいと考えるならば、となりに健太君がいることを意識してみることは、案外重要なことかも知れませんよ。

もし、あなたに、この子のために親としてできることは、何でもする、という覚悟と決心がおありでしたら、まだまだできることはたくさんあり、その分大きく育つチャンスもいっぱいあるのではないでしょうか?

一生懸命取り組むことは、何も、狭いところだけ集中して行うということだけではありません。

健太君が、あなたのお子さんの最大の理解者として育ち、親の亡き後まで続く、人生の最高のパートナーなりうる可能性も、まったく0というではないわけですから。

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発達の可能性を決めつけるという差別と偏見 (診断や専門性の光と影)

 2008-07-05
昨日、私のブログをご覧になっているという、一人のお母さんがご相談に見えられました。

通常学級に在籍している4年生の女の子のお母さんです。

学校で取り組んだテストやプリント類をお持ちくださいました。拝見すると、割り算の筆算にしても、国語の読み取り問題にしてもよくできています。

事前にIQ値をお聞きしていましたが、そのレベルをはるかに超えた学習成果です。

ここまでのお母さんの家庭でのお支えがしのばれます。逆に言えば、IQ値なんてこんなものです。

しかし、感心したのはその後のお母さんの言葉です。

「テストの点は、参考程度に考えている。でも、特に言葉の発達の面や、自立のための本当の力という観点からは、まだまだ育っていない点・気になることがたくさんある。目先の点数とか、そういうことではなく、この子に生活に困らない生きた力をつけてやりたい。だから、ここに来た・・」

さすが、このブログにたどり着かれたお母さんだけあって、相当なレベルとお見受けいたしました。

形だけ4年生のテストの点を上げるのなら、裏技はいくつもあります。でも、このお母さんは、そんな方法で点だけあがっても、それはそれだけのことであることをすでに知っておられます。

いきなり本丸からのスタートということで、こちらとしても身が引きしまります。

それでは、ということでいろいろとお話を伺っていると、またしても出ました、専門家と称される方からの 「可能性決めつけ宣言」 → 「あなたのお子さんは自閉症ですから、中学校では通常学級は無理です」 というやつです。

どうしていつもいつも、配慮のない浅はかな発言で、こんなふうに保護者の心を踏みにじるのだろう。私はどうしても、こみ上げてくる怒りを抑えきれませんでした。

その専門家とおっしゃる人間!

どっかの大学で、発達検査の技法をちょこちょこと習い、プロフィールの解釈がちょこっとできて、どっかの機関に就職して肩書きもらい、いくつかの臨床経験積んだとしても、たかが発達検査だけのことですよね。

そんな薄っぺらい理論で、偉そうに人の可能性決めつける根拠が一体どこにあるのか!

いったいあなたは、どれだけその子のことを知っているんだ。どれだけの時間、寄り添って、その子の成長や幸せのために努力をしたのか?一体どれだけの成果を挙げたことがあるのか?

発達検査は、人間を、たった一つのものさしで測っただけのものでしょ。

そのものさしが、あたかも、人間の将来すべてを左右するかのごとく、親に決めつけ宣言するのようなことは、今日を限りに一切、この地球上から消え去ってほしい、と思うのです。

この話になると、お母さんの目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちました。

「親に甘い幻想を抱かせない」「現実をしっかりと見つめていただく」「障害を正しく受容していただく」

そんな風には、ちっともなっていないんですよ。

我が子のことですよ。親は、血の滲むような思いで、毎日懸命に我が子に向き合っているんだ。そんな親のどこに淡い幻想なって入り込む余地があるんだ。

あなたにとっては他人事であっても、家族にとっては自分の命よりも大切な子どものことです。

ちょっとの可能性に望みをつなぎ、懸命に努力していこうとする親子の頭に、バケツに入れた氷水をひっくり返すようなことをして、いったいその診断や決めつけに、どんな効果があると言えるのでしょう。

「この子にはこんなにも得意な行動レパートリーがあります。確かに苦手な面はありますが、この得意な行動レパートリーを広げていくことで、もしかしたら、ずっと通常学級でも行けるかも知れません。確かに容易ではないかも知れませんが、トライするだけはトライしてみましょう。何もしないより、トライすることによって、別な可能性が広がることだってあります。特別支援学級に行く行かないはともかく、可能性がある限りは、これから協力しながらいろいろなことにいっしょに挑戦していきませんか?やりもしないであきらめても、何の生産性もありません。たとえそれがどんな結果になったとしても、その営みそのものこそが大切なんだと私は信じています。そのためには。私とお母さんが、お子さんを中心にして協力し合うことも大切です。決して一人じゃありません。さあ、顔をあげて、笑顔で、これから子育てをいっしょに行っていきましょう」

どうしてこういう言い方ができないのしょうか?

一体、どっちの関わりが子どもを育てるのか? 発達に関わる人間なら、教育原理あたりのことをもう少し真剣に勉強していただけたらと思います。

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子どもに寄り添うという原点 (特別支援教育支援員研修でお伝えしたこと)

 2008-07-04
昨日、ある自治体の特別支援教育支援員研修会に、講師としてお招きをいただきました。

自治体としての規模はさほど大きくはなく、大企業の工場が林立しているというような、そんな地域ではありませんが、歴史と文化の薫る、人間味豊かなすばらしい所でした。

地域の文化センターと言うところでお話をさせていただきました。美しく機能的な建築物で、中にはコンベンション施設を始め、図書館やホールがあり、おまけに、教育委員会事務局が入り口入ってすぐのところにあります。

ちょうど試験中なのでしょうか?高校生らしき学生が何人も来ていましたが、これなら学生の温度や空気を担当者がじかに感じ取れますよね。

教育長さんにお話をいただきました。

すばらしいリーダーシップ、そして経営ビジョンをお持ちの方でした。こうした施設の管理運営も、決して無駄・無理をせず、地域の皆さんの倹約・節約・合理性の感覚的な積み重ねにより、成り立っており、健全財政を維持されているというご説明でした。

昨今、大阪府の財政問題が話題になっていますが、使い道やねらいを明確にして取り組むことの重要性を改めて認識させられました。

こうしたことは、教育行政にもダイレクトに反映されていました。

特別支援教育支援員は、全学校に配置されています。

さて、どんな方が来てくださっているのだろうと思い会場に伺うと、全員女性の方でしたが、期待通り、いや期待以上のナイスな感覚をお持ちの方ばかりでした。

初めに、自己紹介も兼ねて、それぞれの学校での子どもたちの様子やご自身の関わりについて、ご紹介をいただきました。

よくこういう場面になると、言葉の端々から、担任・同僚・子ども・保護者の皆さんに対して愚痴とも批判とも受け取れるようなマイナスオーラがかもし出されるのが常ですが、たとえ状況は厳しくとも、皆さん前向きで明るい姿勢に、とても好感がもてました。

約1時間半、私の方からこのブログで紹介させていただいている内容を、事例を通してお話させていただき、後のの30分を質疑応答の時間とさせていただいました。

私の話は下手くそでした。(謙遜でも何でもなく・・トホホ)

でも、1時間半、ずっと全員が集中し、目を見て、うなずきながら話を聞いてくださり、質疑でも活発で時間が足らず、こんなことなら1時間位で話を切り上げておけばよかったと後悔したほどでした。

お伝えしたかったことは、

① 診断や障害名でなく、その子自身に寄り添ってほしい
② 子どもの見え方・感じ方は、子どもによって全然違うということ
③ 苦手な子ほど、ツボにはまると大きい
④ 集団の中でこそ育つものがあるということ
⑤ 親の願いがどれだけ切なるものか
⑥ 問題行動には理由と解決法が必ずあること
⑦ 細かいことに、障害や人間に対する指導者の見方や価値観が反映される
⑧ 子どもは敏感に、指導者のオーラを感じている
⑨ 個を育てるためには、集団の育ちが不可欠であること
⑩ マイナスなことを強化すると、子どもは退行するということ  などでした

私としては、保護者の方が、支援員さんにどれだけのことを期待しているかを伝え、この仕事がどれだけ尊い仕事であるかを誇りに思っていただき、ビジョンと夢と技術をもって、明日からの支援につなげていただければと願っていました。

会が終了した後、「もっとこの場にいたい」と思いました。

何か目指しているところが同じような気がしたのです。このブログにコメントをくださるお母さん方と同じにおいを感じたのです。子どものために、心が一つになれるのは、美しいことです。

学校の先生の指導性・専門性も不可欠です。

と同時に、こうした支援員の方の支えやまなざしは、豊かな教育の実現のための、大きな武器になるのはまちがいのないことだと感じました。

このブログのことも紹介したので、誰か一人でもこの記事を見て、コメントでもいただければ最高です。

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お子さんの就労のためのステップ (発達支援センター 就労指導担当の先生の話から)

 2008-07-03
昨日は、以前このこのブログで紹介させていただいている教え子(18歳・男性)の就労相談で、そのお母さんと一緒に、発達支援センターへおじゃまさせていただきました。

指導をいただいたのは、若いけれども、人間味あふれ、とても豊かな指導性をお持ちの臨床心理士の先生でした。

お母さんが相談をされているDrの紹介を受け、今回初めて相談に伺ったわけですが、約束の1時半から4時過ぎまで、お母さん・私・先生の3人で、お子さんの就労を中心に情報交換をしたり、ご指導をいただいたりしました。

私が今回のご指導から学ばせていただいた最大のポイントは、「就労は結果ではなく、人の営みそのものである」ということでした。

私はここに来るまでは、「何とかこの子にふさわしい就労の機会を与えてやりたい。この相談を通して、この子にふさわしい就労の場を見つける糸口をつかみたい」 そんな気持ちを強く持っていました。

今でもその気持ちは変わりません。

しかし、単にそういう機会だけあっても、子ども自身の土台ができあがっていなければ、結局は続かない、ということがわかりました。

それは決して能力の高さとか、IQ値とか、障害の程度とか、そういうことではありません。

大切なのは 「働くということに対する意義を理解し、その意識を高めること」「自分自身を受け入れ・理解し・その持ち味を生かして社会に貢献していこうとする意欲や心構えを育てること」 であることに気がついたわけです。

先生は、就労ということについて、3つのポイントを挙げて指導をしてくださいました。

① 規則正しい生活のリズム
② 8時間仕事を続ける体力と精神力
③ 自分の特性を客観的にとらえ、それを受け止め、前向きに生きる姿勢

この子は、2年近く割烹で働き、私から見れば大きな成長を遂げることができたと思いますが、結局挫折してしまったのは、ものの見事にこの3つの内容からです。

まず、遅刻が多い。(夜遊びで起きられなかったことが何度かあったようです)
厳しい指導があると、何だかんだと理由をつけて、途中で投げ出してしまう。
そして、プライドだけが高く、自分の苦手なことを受け入れることができない。

このことに対する成長なくしては、いくらよい機会があったとしても、そのチャンスを結果的には逃がしてしまうことは明白です。

ならば、ここからアプローチしていくしかない。遠回りなようだけど、本丸はここだなと感じたのです。

この子が、、何かが苦手・何かが出来ない人を受け入れることができず、結果的にそのことが、自分自身を受け入れることができない、自分を肯定的にとらえることができない、ことにつながっていることを、私は理解しているつもりです。

そういう考えに至ったいろいろな要因についても、ある程度、知っているつもりです。

「自分の特性を受け入れ、理解し、上の①~③がクリアできれば、就労はできる」 と、先生は力強くおっしゃいました。

だとすれば、私がすることの道筋は見えてきます。

この子のセルフエスティーム(自己肯定感)を育てることです。

この子の存在を丸ごと受け止め、大切に育んでやることです。

私はこの子が大好きですから、幸いなことに、心理的な負担感は、まったくと言っていい程ありません。

目指す方向・向かう先が見えましたので、足取りもそんなに重くありません。

だとしたら、小細工せずに直球勝負。長続きする本物の気持ちを、行動を通して、ひとつひとつの言葉を通して、少しずつ伝えていくことです。

そのパイプをきちんとつなげることで、一定の効果はあるはずです。

具体的なレベルまでいけば、このすばらしい臨床心理士さんがついています。

「今日の相談に、来るように行ったけど、拒否された」 とお母さんはおっしゃっていました。

どうやら、彼とこの先生をつなげるのが、私のひとつの役割のようです。

でもそれは、ただ単に結果的にここに来ればいいというものではなく、ここに来れるまでに彼を育てるということに他なりません。

この子を育てるという営みは、決して彼だけのためではなくて、他の多くのお子さんやご家族の願いをのせているのだと、私は考えています。

このブログを読んでくださっている別のお母さんからも、「割烹で働いていたあの子は、今どうなんですか?」 とお尋ねくださることも、何回もありました。

就労は、その子の生活や人生の質そのものを左右する大切な営みです。

就労という窓から見える景色は、「その子がその子らしく生きるという課題そのもの」 なのだと、私は感じていたのでありました。

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アトピー性皮膚炎を 子どもの育ちの視点から考える

 2008-07-02
私には娘が3人いますが、どの子も軽度ですが、アトピー性皮膚炎をもっています。

体調や様々な環境によって変化しますが、ひどいときはお医者に行ってクスリをもらっています。

教職員免許法の改正によって、特別支援学校の教諭にも、こうした方面の医学的な知識も必要ということになったようです。

そこで今日は、昨日の受けた大学の講義をネタに、アトピー性皮膚炎を、お子さんの育ちという視点から、私なりの視点で、わかりやすく整理してみようと考えました。



【アトピー性皮膚炎のメカニズム】

体に入ってきた抗原(卵・小麦粉・牛乳・ほこりなどの原因物質)に対して、主としてIgEと呼ばれる抗体が肥満細胞というものに結合し、かゆみを伴う湿疹が起こる。

【原因】

アトピー性体質と呼ばれるように、遺伝的要素が関与しているが、絶対的なものではない。この30年で、小児アトピー性疾患は3倍くらいに増加しており、その背景として、住環境の変化(湿度・気密性・ハウスダストなど)、食生活の変化、感染症の減少などが推測されている。
衛生状態が良くなりすぎて、免疫のバランスがくずれたのではないかという説もある。
(いつもきれいすぎて、わずかな原因物質にも対抗できない体になってしまったという考え)

【治療法】

① 原因物質の特定と除去
(以前はこれが治療の主流だったそうですが、現在は、以前ほど重視されなくなったということです。食物抗原などは、それを除去することの功罪を考える必要があることも指摘されるようになりました)

② 薬物療法

(1)抗ヒスタミン薬:副作用として、眠気・けいれん誘発
(2)抗アレルギー薬:肥満細胞からの化学伝達物質の遊離を抑制
(3)副腎皮質ステロイドホルモン薬:アレルギー反応を強く抑制し、即効性がある。かなりきついクスリで、血圧・脳圧が上昇するので、使用時期や方法への配慮を要する。



Drの話によると、人が緊張状態になると、指先の血流は100倍になるそうです。体中の血液が、脳と筋肉に集中し、その反動で、皮膚や内臓への血流量が低下し、アトピー性皮膚炎が起こりやすい状況の体となってしまうようです。

緊張状態を引き起こすのは、子どもにとってのさまざまなストレスです。

勉強がわからない、友達とうまくいかない、周囲の状況が理解できない、自己実現できない、自分にプラスの気持ちをもつことができない・・・

こうしたことが、子どものストレスに結びつくのは、まちがいのないことです。

ご家族・とりわけお母さんのイライラは、ハレーションとなってダイレクトにお子さんに影響を与えることと思います。

悪いときには、悪いことが重なるものです。そんなときには、絶望的になり、どうしていいかわかならくなってしまうこともありますよね。

子育てに関わることについては、現実場面では、お母さんがそのほとんどを背負い込まざるを得ないことが多いと思います。

でもそんな時も、しっかり勉強して、ひとつずつていねいにも、もつれた糸をほぐしていけば、解決の道も見えてくるでしょう。

このブログでは、ほんのちいちゃな取り組みですが、個々の問題について、具体的な実践と、その背景となる理論を、お母さんがたの視点で、今後も紹介していこうと思っています。

小さなステップでも、一歩ずつ前へ進んでいる感覚があれば、かなり気持ちは楽ですよね。

見通しがもてないことが、不安を増大させると言うことは、よくあることです。だったら、いっしょに少し勉強していきませんか?

小さいことからでも、少しずつプラス回転に導くことで、リズムはつきます。

親が好調となれば、小さい子ほど影響は大きいように思います。うちの子のアトピーも、私たちの波長と、と決して無関係ではないようです。

無知・知らないことは、罪悪です。

少しでも、自分自身をコントロールしていくことが、親として大切な仕事の一つなのかも知れませんね。

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子どもの衝動性の改善における実践事例 ① (たたく・投げる・飛び出す・乱暴になる など)

 2008-07-01
太郎君(仮名=小学1年生)は、笑顔の可愛い、すばらしいお子さんです。

4歳の時までは、あまり表出言語が見られず、ご家族の方は大変心配されていましたが、年長から1年生と、言葉の面・コミュニケーションの面は大きく改善されてきました。

学童保育での時にも、友達といっしょにごっこ遊びをするなど、社会性もだんだんと育ってきています。

こうして行動や活動の範囲が広がって行くにつれて、太郎君に新たな課題が生じるようになりました。

それは、自分で理解できない状況に遭遇したり、予測や期待を違ったことが起こった場合に、突発的に、人をたたいたり、物を投げたりしてしまう、ということです。

このところ、そんなことが何回かあり、学童保育の指導員もお母さんも、さすがにちょっと参ってしまいました。

そこで、今回、この太郎君の衝動性の改善をターゲットに、応用行動分析の手法を中心にして、ライブでみなさんにお知らせしていこうと考えました。

もし、おなじような課題をお持ちのお子さんがいらっしゃたら、ぜひ参考にしていただければ、と思います。

今日はその取り組みの設計図編です。

まずは、直接指導に当たっている指導員(3人います)に、次のようなことを書いてもらい、それを整理してみようと思っています。

① 太郎君が、どんなときに問題となる行動が見られたか(見られるか)、その個人的な要因(体調・本人の状態)を書き出して整理する。

② どんな活動、どんな友達といる時、どんなことをきっかけに問題行動が起こるか、環境的な要因を書き出し、整理する。

③ 問題行動が起こった時、周囲はどうのような対応をし、結果として、太郎君にどのようなことをもたらしたか、書き出し整理する。

①~③を整理して、見えてくる物があれば、その要因に対するアプローチが可能になってきます。できるだけ、そういう環境を作らないようにすれば、それだけで、かなり改善できることになるかも知れません。

次に、「あやうくなった時には、たたいたり、物を投げたりするのではなく、こうしましよう」ということをきちんと教え、できたらちゃんと形としてほめるシステムを作ります。このブログでも話題になっている、キャラクターごほうび制度のようなものです。

3つめは、被害を最小限にとどめるための、スクランブル体制です。太郎君があやうくなったときの、先生・周りの子・そして太郎君自身の身の処し方について話し合って基本形をつくります。

最後は、ご家庭との協力です。

学童保育としての設計図ができた時点で、お母さんと作戦会議をして、ご家庭での協力もお願いしようと思います。

こうした衝動性は、10歳を過ぎると、かなり改善される例も多いようです。2次災害を引き起こしたり、自分に対するマイナスイメージを増幅させたり、友達関係を悪くしてしまわないよう、小学校低学年での関わりが大切になってくると考えています。

うまくいくと期待していますが、これから随時、このブログで報告をさせていただこうと思っています。ぜひ、いいアイデアや感想などありましたら、お知らせいただければと思います。

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Author:SHINOBU
白ゆり発達支援センター

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