就労についてのアイデアと道筋

 2008-05-31
発達課題のあるお子さんの場合、就労ということは、とても大切なテーマです。学校で学ぶ期間より、その後の人生の方がはるかに長いわけですから、それは当然のことです。保護者の会でも、必ずといってもいいほど話題になります。

私も、現在かかわっている教え子のことで、いろいろと思案をめぐらせている最中です。

また、社会福祉法人の一員として、何らかの形で貢献をしたい。そんなことも考えています。

たとえ少しくらい苦手なことがあっても、それぞれの人のよい所・得意な所をを生かして、社会に貢献し、お客様に満足していただける商品やサービスを安価に提供し、その内容によっては、独立採算・黒字経営・給料アップの夢をもって取り組むことができるような具体的なシステムが何とかできないか?

その具体的なモデルを、何人かの方の協力をいただきながら、実現できないか?

自分ごときに何ができるかと迷いながらも、これから親しい方と相談しながら、自分なりの形を見つけたいと考えているところです。

私は、3年程まえ、大学院のアシスタントティーチャーとして、養護学校の中学部に週1回行かせていただいていました。

その中等部では、陶芸や工芸などいくつかの分野にわかれて作業学習を行っていました。

そのできた作品は、バザーで販売しています。

できた作品は、かなりのできばえで、市販の既製品にはない手作りの味わいがありました。私は、その中で、とくに中心となってかかわっていたN君のざぶとんが、欲しくてたまりませんでした。

フェルトの生地をていねいに編み込んだもので、彼が大好きなサザエさんのシリーズ物になっています。

私はそのざぶとんがほしいがために、、バザー当日には、かなり前の方に並びました。それでも、すごい人が並んでいました。ちょっとせこい話ですが、前日にどこにその座布団が並べられているか、情報はゲットしていましたので、扉が開くと一直線にその場所に行って、何とかそのざぶとんを購入することができました。(波平さんのデザインの赤いざぶとんです。わかめちゃんやカツオ君のも一瞬で売り切れてしまいました。)

たしか、1000円くらいの価格だったと思いますが、正直なことを言いますと、オークションで5000円なら、絶対買いました。10000円以下なら、今でも出しても全然惜しくない思っています。付加価値が、市販のものと全然違います。私にとっては、一生捨てることのできない宝物です。

いつかテレビで、独立採算を目指して懸命に取り組んでおられるパン屋さんのことを知りました。

そこには、何のハンデキャップもなく、堂々と一般市場の中で競合しながらも、力強く前進している人々の働く姿が映し出されていました。

商売というものが、あまいものではないことは、容易に想像できます。

でも、それは誰しもが同じリスクを背負っているわけです。健常な方が、絶対にビジネスが成功すると約束されたわけでも何でもありません。多額の謝金を背負って破産するリスクは、誰にも、どの企業にも同じように伴っているわけです。

だからこそ、そこに公正さがあり、逆に働きがいや喜びや、生き甲斐が生まれるのではないかと考えます。

失敗するかも知れない、でも一発当たれば、利益が上がる。こうした市場原理や公正さ・公平さは、そこに働く者の意欲やモチべーションを強く刺激することにはならないでしょうか?

夢や目標をもって取り組むことが、そこに働く人のQOL(生活の質)そのもを高めることにはならないでしょうか?

電気だって、少々高くても 環境に優しい電気を購入したい、と考える人も増えてきました。

少しくらい苦手なことはあっても、自分の得意なことで真剣に取り組むことによって、商品やサービスにこれまでにはない付加価値を付ける取り組みを、採算のベースに乗せることはできないでしょうか?

「我が法人でそうした活動に先進的に取り組むことで、法人のもつ好感度はかなり上がる。例えその事業自体は、例え一時的に赤字だったとしても、宣伝費として考えると、元は取れる。安請け合いして失敗することは許されないけど、市場調査とネットワークづくりはやっていこう。」

昨日、さっそく園長とそんな相談をしたところです。



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「対等」でありたい 保護者と学校・園との関係

 2008-05-30
昨日は、「手をつなく育成会」の保護者 教育懇談会に参加をさせていただきました。

今回で2回目の参加です。前回もそうでしたが、お子さんの「学び」や「育ち」に懸命に向き合っておられる保護者の皆さんのお話は、本当に心に響きます。

同じ会場にいるだけで、自分自身の心が磨かれていくようです。

今回は、重度の知的障害のある娘さんを、男手ひとつで育てていらっしゃるお父さんも参加されていました。

それぞれの方から、自分のお子さんの「育ち」や「学び」についての思いを聞かせていただくことができました。

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「お父さんに、もっと障害のことをきちんと受け止めて、理解して、そして協力をしてほしい」

「兄弟がいる地元の学校か、より専門的な指導が受けられる学校か迷っている」

「中学に入ると、これまでの生活や学習のリズムがくずれ、退行しがちになる」

「学校の対応次第で、障害のない兄弟がいじめや差別の対象になりやすくなる」

「トイレの介助のとき、異性のトイレに子どもといっしょについていくことは、どうなんだろう」

「自分の担任の先生に、専門性が乏しいように思え、他の学級の先生と比べてしまう」

「通常学級の通級での様子が見えない、伝わってこない」

「今、就労をめざす、とい親の強い気持ちと努力が問われている」

「地域の活動に、我が子が参加できる機会が少ない」

「知的な遅れはないが、日によって学習の取り組みに大きな差が生じてしまう」

「トイレの介助などで、ホームヘルプや支援費制度の利用は可能か」

「ADHDの子の薬の使用について考えている」

「応用行動分析の講座を、学校の公開講座でやっています」

「プレジョブの取り組みを、ぜひ自分の地域に広めていきたい」

「先生に言いたいこと、お願いしたいこと、学校にお願いしたいこと・・」

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どの発言からも、それぞれのお子さんに寄り添った、お父さん・お母さん方の熱い・真剣な思いがにじみ出ているようでした。

と同時に、それぞれの発言には、今の日本の特別支援教育に共通する、大切な課題が多く含まれていることを感じ取りました。

そのひとつが今日のテーマである、「保護者と学校・園との対等な関係」という考え方です。

私は今、保育園の経営者の一員として保護者の皆さんに接していると同時に、就学支援の相談員として学校や関係機関にかかわったり、自分の子どもの保護者として学校と接しています。

また、小学校の時は、学校の職員として、保護者の方とかかわってきました。

で、この経験をトータルして、導き出した結論は、「保護者と学校・園とは対等な関係であるべきだ」というものです。

これまでの経験の中で、一方的に保護者にやられまくっているケースにもふれてきました。

教育委員会の電話には、毎日何件という苦情電話がかかってきます。いつか知り合いの指導主事が、「SHINOBUさん、一日ここすわってみ、そりゃ、神経すりへるで。現場はええなあ」と会うたびに愚痴っており、市役所いくたびに、体重が落ち、顔色が土気色になっていくのを見ていました。

私も学校現場では、生徒指導や教務をしていましたし、保育園ではその担当者ですから、それなりの洗礼をあびてきました。ひどいケースは、精神的に追い詰められ、うつ病になった同僚も数多くいます。

また、それとは逆に、学校や行政・関係機関の上から目線、見下した態度、してやってるぞ感覚には本当に辟易しましたし、弱い立場の人には徹底的に権力をちらつかせ、平然と、当たり前のように威圧してくる担当者もいっぱい見てきました。

「親を甘やかすから、つけあがるのよ」と平気で言う教員もたくさんいました。

でも、私は結局この感覚にはついていけませんでした。

ある時、保育園の運営のことで、貴重なご意見をいただいたことがありました。ただ、やりとりの行き違いから、不幸なことにその方と対立的になってしまったことがありました。

そのときは、こんな方法で安易に受け入れてしまったら、職員に示しがつかない。「大きな声でクレームをつけたら物事が通る」では、他の保護者の方の信頼を失う。理不尽な方法には、責任者の一人として絶対に屈しない。と、力一杯対立してしまいました。

この対立は1ヶ月以上も続きました。私も、職員も、その方も、関係機関の方も、そしてそのお子さんも、目には見えないかもませんが、必要以上の緊張感とストレスを感じていたに違いありません。

で、結局、ある方に仲介していただき、私の判断で、その保護者の方にお断りの電話をさせていただきました。

このことで私はたくさんのことを学びました。

今となっては、その方がどれほど大切なことを私たちに伝えてくださったか、感謝の気持ちでいっぱいです。と同時に、真剣で熱い気持ちがあればこそ、ちゃんと伝えてくださったのだと、そのお母さんのことを理解する気持ちが芽生えました。

そして、この先、このお母さんに「本当に、この保育園に来てよかった」と思っていただくことがなかったとしたら、いくら発表会や運動会が好評だとしても、保育としての価値は、本物にはなりえない」と考えるようになりました。

それ以来、私は、これまでよりももっともっと、お迎えの時などに、そのお母さんも含めて、いろいろな方にお話をうかがうようにしたいと考えました。

不思議なことにそうこうしていると、このお母さんこそ、うちの保育園になくてはならないお母さんなのだと思えるようになりました。

あの時の争いは何だったのでしょう。

そのお母さんも、それ以来、笑顔で私に話しかけてくださるようになりました。

私は、このお母さんをかけがえのない大切な保護者としてかかわる。お母さんも、職員のがんばりや保育園のよいところを認めてくださった上で、ご意見をくださる。

これは、決して対立的な関係の時にはありえなかったことです。これで、やっと私たちの目指す対等な関係ができたな、と感じました。

今では、どんな些細なことでも、真剣に耳を傾けます。よかれと思う提案やご意見は、明日と言わず今日から実践します。こちらの方から、何かお気づきのことはありませんかと尋ねます。

今回のこのケースにしても、いろいろなとらえ方やご意見があると思います。こうした対立があったからこそ、今の関係が成立しえたのかどうかは、私にもわかりません。

学校・園に自分の思いを伝えたい、と考えていらっしゃる保護者の方は、きっと多くいらっしゃることと思います。

言い過ぎちゃ逆効果。言わなきゃ泣き寝入り。一体どうすりゃいいのよ、ってことになりますよね。

結論:まずはちゃんと言いましょう・伝えましょう。でも、上から目線にはきちんと抵抗しましょう。でも、感情的、対立的になると、お子さんも含め、多くの人が痛みます。そのさじ加減にレシピは存在しません。 

以上です。参考になりますかどうか?



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できる!をのばす 行動と学習の支援

 2008-05-29
私は、大学院で応用行動分析のことを学び、それが発達の課題のあるお子さんの指導・支援にきわめて有効であることを感じとりました。

しかし、紹介している本は難解なものが多く、少しは心理学を学んだ方でなければ、実際のお子さんの理解や指導には結びつかないことが多かったように思います。

このブログを開設した理由のひとつも、「何とかこのすばらしい方法を、保護者の方にお伝えしたい」という思いからでした。

今、私の保育園では、学童保育の充実に力を入れていますが、指導員さんに何とかその技能・技術・理念をマスターしていただきたいと、現場に即して指導を行ってきました。その核となり、体系化されたもので、しかもわかりやすいものを用意しなければと考えていました。

実は、昨日図書館で見つけた本の中に、そんな私の願いをかなえる一冊のすばらしい本があったのです。

その本は表題の「できる!をのばす 行動と学習の支援」という本です。

著者は、山本淳一といって慶應の先生で、以前「応用行動分析学入門」という本を出されていました。それもすばらしい本で、私は何度も繰り返して読みましたが、専門家でないと、なかなかわかりにくいのが欠点でした。

しかし、この本は違います。一度も心理学の授業をうけたことのない人でも、まったく問題ありません。しかも大切なことは、わかりやすく、しっかりと紹介しています。

専門用語が苦手な人は、イラスト(まんが)の部分だけ読んでも、かなり目からウロコがとれるのではないでしょうか?

お子さんの認知特性や、家庭や学校での対応や取り組みなども紹介されているので、特別支援と何らかの関わりのあるお子さんの保護者の皆さんに、自信をもっておすすめする一冊です。

さっそく保育園でも2冊購入し、この本をベースに、さらに充実したものをめざし、実践に取り組んで行きたいと考えています。


このブログも開設して3ヶ月余りがすぎ、おかげさまでアクセス数が10000を超えました。これもこれまでお越しくださいました皆さま、メールやコメントをくださいました皆さま、励ましや応援のお言葉をいただきました皆さまのおかげです。心よりお礼を申し述べたいと思います。本当にありがとうございました。

まずは第一目標を超えましたので、今日からブログを若干リニューアルさせていただきました。

おすすめの本は、「図書館にあったとしても、ぜひ買って手元に置いておきたい本」という基準で紹介させていただいています。

これからも、お子様のしあわせと成長のために、何らかのお力になれればと考えております。

どうぞよろしくお願いいたします。



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発達課題のあるお子さんが 「わかる」ために必要な時間的な経過

 2008-05-28
今日は、今、実践から感じているわかり方の気づきについてのお話です。

先日(5/25)にふれた「継次処理」と「同時処理」にも関係しますが、同時処理の苦手な(ぱっと見て視覚的にとらえることが苦手な)タイプのお子さんには、キモの部分については、継次処理(言葉を中心に順序立てて提示する方法)を取り入れて指導をしています。むずかしい課題に関しては、その子の得意技で勝負するのが効果的です。

でも、かと言って、同時処理の力もつけていかないと、数概念の形成などには、どうしてもそのスキルが必要となってきます。

この同時処理の力をつけていくためには、楽しんでそのことにふれる、ゲームが一番だと考えました。

そこで取り入れたのは、パソコンソフトの導入です。

私が使っているのはGAKUGEIの学習ソフト「ランドセル小学1年生・2年生」です。ネットですぐにダウンロードできるので、とても便利でした。(ダウンロード価格各3984円)

(ただ、例えば3年生のお子さんの指導に1年生のソフトを使うことには、ちょっとためらいがありました。プライドを傷つけないような配慮=「1年から順番にクリアして、早く3年や4年のソフトに挑戦しようね!」というような配慮が必要だと思います)

同時処理は苦手ですから、結構でこずる場面もありました。でも、わかりにくい場面では、言語によるプロンプト(ヒント・支援)を与えて、クリアさせます。

先日も「十のくらい・一のくらい」のところで切れそうになりましたが、ちょっと例を示してやると、何かがつながったのか、表情が変わり、あとはスイスイとそのコーナーをクリアすることができました。

(きっとこの子は、このとき初めて位の意味に気がついたのだと思います)

もう一つの工夫は、一つのパソコンにマウスを2つつけることです。ご家庭であれば、当然一つはお子さん、もう一つはお母さんです。

苦手なことをさせているわけですから、投げ出しそうなときやマウスの操作がうまくいかないときには、ちょっと代わりにアシストした方がいいでしょう。(スポーツクラブのエクササイズといっしょで、とにかくやって続けなければ、投げ出してしまえば無意味です。)

同時処理が苦手なこの場合、苦手な上に、その経験の絶対量が不足しています。苦手だからしない、の悪循環にならないような配慮が大切です。

でも、中には継次処理より同時処理の方が楽な場合だってあります。こんなことに気がつくと、「なあんだ。簡単なんだ」てなことになります。

私の指導の経験からすると、そのことは1週間先の方が、効果がはっきりと目に見えてきます。1週間熟成した方が、いろいろなことが整理されて、しっかりと定着します。

エビングハウスの忘却曲線というのがありますが、時間の経過とともに、よけいな情報は消えて、本質的な情報のみが残ります。一定の時間が経過したのちに、もう一度エキスとなる情報を入力すると、その定着率は格段に進歩します。

脳内のネットワークが、一定の時間の経過により、整理して形成されていくということなのでしょうか?

この子は、パソコンの学習が終わった後に、「すごろく遊びをしよう」と言ってきました。こうなるとシメシメです。案の定、数のスキルも、数の認知も、ルールや順番などの社会性も、前回と比べるとわずかではありますが、しっかりと向上していました。

もちろん、この時を見逃さず、たっぷりとほめてモチベーションを高めます。

大切なことは、すぐに出来ないからといってあせならいことです。あきらめないことです。「わかる」「できる」に必要な時間的な経過が必要な時もあることを、知っておくべきです。

お子さんをよく見て、そのつまづきが何を意味しているのかしっかりとらえて、ネットなどで似たような事例がないか調べて、いいなと思うような方法をチャレンジして、手応えがあれば続ける、こういった姿勢が大切なのではないでしょうか?

パソコン1台あれば、ほとんどお金をかけなくても、チャレンジはできます。たとえ、そのことがすぐには効果がでなかったとしても、学んだこと・トライしたことは決して無意味ではなく、その分だけは確実に自分のスキルアップにつながっています。楽しんでやれば、絶対損をしないギャンブルのようなものです。

小学校の現場にいたとき、大学の先生に「このテの打率どのくらいですか?」と尋ねたら、「イチローの打率にも満たない・・」とおっしゃっていました。

大学の先生でも、これくらいです。私の打率はその半分かも知れませんが、こんな私でも、たまにはクリーン・ヒットを飛ばします。この時の、快感と言ったら最高です。

バット振らなきゃ、絶対当たりませんよ。

99回空振りしても、その間に、スイングはきっと向上しています。100回目に大ホームランなんてのは、よくある話です。

お母さん方は、大学の先生ではありませんが、お子さんにとっては、生涯にわたってかけがえのない大切な存在です。

あせらず、楽しみながら、少しだけ長いスパンで、バッティング練習続けてみませんか?



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発達課題のあるお子さんの 就労とQOL(生活の質)について考えること

 2008-05-27
昨日、今17歳になっている教え子とつりに行きました。先月に続いて2回目のつりです。

高校をやめて、しばらくは割烹で働いていましたが、現在は引っ越しのアルバイトをしているということです。

この子は、5年生から教室に入れなくなり、中学は特別支援の学級に行きましたが、結局学校ではあまり適応できたとは言いにくい状況でしょうか?

私は、この子が6年生の時、副担任という形でこの子とかかわりました。6年のときは、通常学級に籍がありましたが、ほとんどは副担任の私が、別室でもうひとりの子といっしょに個別指導のようなことをしていました。

高校をやめた後、割烹では2年くらいがんばりましたが、それも先月やめてしまいました。しかし、この2年間で社会性は大きく向上したのではないでしょうか?

今の彼は、当然といえば当然でしょうが、小学校の時とは比べものにならないくらい、いい男に成長しています。

このご家庭は、お母さんと息子さん2人ということもあって、割烹をやめる間際のときに、お母さんから「まともな男の人に、この子の話だけでも聞いて欲しい」という、お葉書をいただいて以来のかかわりです。

「つり」というのはお母さんのアイデアです。私も、それなら自然で、長続きしそうな気がして、その子にメールを送信すると、すぐに反応がありました。

(メールのやりとりは、それ以前からも時折していましたので・・)

昨日は、笠岡というところへキスつりに出かけました。車で約1~2時間の距離のところです。朝7時の集合でしたが、車にのると30分もしないうちに、ぐーぐー居眠りを始めました。きっと、早起きする習慣はなくなってきているんでしょう。

この日は風がやや強かったのですが、快晴です。心地よい潮風と、瀬戸内海の美しい眺めは、私の心も彼の心も開放してくれます。

昼過ぎまでつりをして、帰るときには、いろいろなことを話してくれました。

特に、彼が生き生きとした口調で話してくれたのは、バイクのことです。原付バイクですが、きっと今の彼の宝物なのでしょう。塗装を塗り替えたり、ギヤを替えたり、いろいろやっているようです。どうやら整備士になりたい、というのは彼の人生の中では大切な営みになっているような気がしました。

私が、小学校の教師になりたいと思うようになったのも、ちょうど今の彼と同じような年齢の頃でした。

当時の私は、とても学校の先生を目指すような環境ではなく、その頃、私をとりまく人々の誰も、きっと私が本当に小学校の先生になるとは思っていなかったと思います。

(実際になったあと、何人かの人は本当に、驚いていました。ソフトバンクの犬のお父さんもびっくりですね)

私は、就学前に母と生き別れ、学童期に父と死に別れ、おまけに預けられた叔母は夜のお仕事をしていました。

特に父を亡くしてからの思春期は、きっと悲惨な中学生・高校生だったと思います。勉強も全然しませんでしたし(笑)

心の底では「なんで俺だけ・・」とか「自分は生きる値打ちがない」とか思っていました。ヤンキーにはなりませんでしたが、きわどいことは結構していたかも知れません。(秘密です。とても言えない・・)

精神面でボロボロになり、最後の最後まで行ったときに、何かの拍子に、突然、学校の先生になりたい、という気持ちがポツリと芽生えました。

雑誌か何かで、どうやったら先生になれるかということを調べたら、自分の学力でも、がんばったら何とか教員免許をとれる大学に入れることがわかりました。

金はなくても、新聞配達すれば、住むところと学費を出してくれるところがあることもわかりました。

「しかし、受験料や当面の金はどうするんだ・・」

だめでもともとだと思いながらも、私は、自分で調べたことと、自分の夢を、叔母に話しました。すると叔母は、今までに一度も見せたことのないような凛とした表情で

「この環境で、あなたはここまで勉強したんだから、大学には行かせる」

と、言い切りました。

その意外な言葉に、私は驚いたと同時に、その夜は、うれしくてうれしくて、流れる涙をとめることができませんでした。

結果、私は、教員免許のとれる東京の私立の大学に入学することができました。

生き別れになった母が、一時東京の品川に住んでいたことは知っていましたから、もしかしたら会えるかも、という気持ちも、心の中にはありました。(実際は、会えませんでしたが・・)

当然バイトもしました。額は平均より少なかったと思いますが、叔母は、自立できるまではと、仕送りも、学費も出してくれました。おかげで、何とか横道にそれることなく、初期の目的を遂げることができました。

この叔母は、本当にすばらしい人物でした。

入学して数ヶ月したときに、様子を見たいと言って、東京に来てくれました。

東京駅へ迎えに行くと、叔母は「銀座にお昼を食べに行こう」と言いました。

銀座なんて、行ったこともなかったし、安い店だってあるんだろうと思っていましたが、叔母は「ここがいいんじゃない」と言って、それまで行ったことの無いような高級店に平気で入り、たしか1万円くらいのものを平然と注文していました。

言っておきますが、普段は10円の物もけちる貧乏人ですよ。

しかし、叔母は普段は質素な暮らしをしていましたが、岡山の田舎から出てきたお上りさんであったかも知れませんが、銀座のど真ん中にいて、誰にも一歩も引かない美しい人物でした。

食事をしているときの物腰も態度も、学生の自分からみてもほれぼれするものでした。食事が済むと、叔母はたしか3万円くらいの小遣いくれて、私の部屋にも訪れることなく、すぐに岡山に帰っていきました。

私は、友達と麻雀したりはしましたが、教職の授業を一度たりとも欠席することはありませんでした。一般教養や語学はだめでしたが、教職に関連する授業はすべて一番前の真ん中の席で受けました。ここまでして東京に出してくれた叔母の思いを裏切ることなどできませんでしたし、先生になる勉強ができるなんてうれしくてたまりませんでした。

生い立ちや環境にかかわる偏見や差別に苦しんだ岡山に比べて、東京での生活は公平で、平等で、自由で、夢のように楽しい時間でした。

叔母は、そんな私の表情を即座に感じ取ったのでしょう。

1時間ほどの食事の間、叔母は、説教じみたことなど何も語らなかった。この日、どんな目的で東京まで来たのか、決して話さなかった。しかし、それから30年以上たった今でも。この日のことは、鮮烈に私の記憶の中に生きています。

この日を境に、私はこれまで抱いていた自分の生い立ちや環境のことについて、一切泣き言を言わないようになりました。

私が教員になり、岡山に帰ると、私がテストの採点をしているときに、何だかとてもうれしように横で眺めていてくれたことが、とても印象に残っています。

その叔母は、私が教員になって2年目にがんで他界しました。齢50にも満たず、美しいまま亡くなりました。

叔母と言っても、実は、彼女と私の間には、血縁はありません。

しかし、この叔母に教えてもらった「人としての真実」を、私は彼に伝えたい。自分もこのときの叔母と同じくらいの年齢になり、その恩返しをここで、こんな形でかなえたい。

これまでの彼の道のりも、決して平坦なものではなかったと思う。

しかし、私はいつの日か、彼が、自分の生きている意味を感じ、彼自身の尊さや個性、そしてお母さんの深い愛情に気づくように成長して欲しい。自分の好きなこと、得意なことで、自分らしい道を歩んでほしい。

QOLとは、そういうことだと考えているのです。

叔母ちゃんのように、かっこよくはできないけれど・・

あの日、叔母ちゃんが語らずもがな、ぼくに伝えたかったのは、きっとそういうことだったんだと、私は今、思っているわけであります。



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発達課題のあるお子さんの場合、小学校の宿題と どう向き合うか?

 2008-05-26
学校は勉強するところ、そして家庭は、やすらぎとあたたかさで子どもを育む場所です。

しかし、学校での宿題がありますから、通常学級で何らかの発達課題のあるお子さんのご家庭では、結構この宿題に、四苦八苦することもあるかも知れません。

学校の先生も、宿題については、それぞれの先生でいろいろな考え方をおもちのことだと思います。一昔前は、かなりハードな量の宿題を出して、子どもを鍛えるという考えの先生もかなりいらっしゃいましたが、今では、あまり見かけなくなったのではないでしょうか?

「最低限宿題だけは・・」と、親なら誰しも思うことです。

もし、トライして達成可能な程度の課題なら、なんとか支えながらもがんばらせてみたいものです。子どもにとっても、宿題はスペシャルなものですから、上手に宿題を利用できればそれにこしたことはありません。

ところが、内容によっては、自力で解決することが不可能になってしまうものが出されてしまう場合もあるかも知れません。

こうした場合、もし予め困難が予想できる場合には、事前に親が少しサポートして取り組ませたら、それでいいと思います。それでもだめなら、できるところまでやって提出すればそれでいいのではないでしょうか?

問題は、担任の先生がそのことを十分把握しているかどうか?ということです。特に、LD系のお子さんの場合、そのことが先生が全く意識していない時期があったら、その期間は結構な負荷がお子さんとご家庭にかかることになります。

努力して乗り越えられることと、そうでないこととがあります。いくらがんばってもできないことを、小さい年齢のお子さんに強いることで、学習への意欲を低下させ、劣等感や自分に対するマイナスイメージを増幅させることにつながるとしたら、それは何のための宿題かわかりません。

こうした場合は、なるべく早めに電話などで担任の先生に相談されることをお勧めします。

特別支援学級であっても、それは小集団学習であって、完全な個別学習ではないので、お子さんの細かい認知特性まで把握できていないことがあっても決して不思議ではありません。

宿題も、学力をつけるための手段であって、目的ではありません。

逆に、お子さんのことをより深く先生に理解してもらうための、ツールの一つとして利用するくらいのふところの深さがあってもいいと、私は考えています。

発達に課題のあるお子さんの場合、宿題のもつ意義は、ある意味、とても大きいと思います。

宿題は、学校での教科学習を映し出す鏡の役割をもっています。

宿題という共通の舞台があることによって、お子さんのことをより正しくそして深く理解できる機会となります。

また、宿題があることによって、お子さんの学習について、あるいはお子さんの将来や自立に向けて、学校の先生と同じスタンスで向き合えるようになります。

宿題の内容もさることながら、保護者としては、こうした観点をもつことこそが大切なのではないかと、私は考えています。



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ちょっと知ってるだけでかなり差が出る 家庭での学習支援 (継次処理と同時処理)

 2008-05-25
今私が学習指導させていただいているお子さんに、まったくわかり方の違うタイプのお子さんがいらっしゃいます。

まるで絵に描いたように違うわかり方をしているので、指導法は、それぞれ全然違います。発達に課題のあるお子さんの場合、どちらかのタイプに近い場合が多いと思いますので、参考になることも多いのではないかと思います。

その一人は、継時処理の得意なタイプのお子さんです。

得意教科は、国語です。本読みが大好きで「ずっとずっと大好きだよ」を読んでくれたときには、私は感動して涙がでそうになりました。漢字も学年相応の漢字をちゃんと読むことができます。

でも、苦手なことがあります。すごろく遊びをしていて、さいころの「3」までならすぐに見て「3」と反応できますが、「4」となると目を「1・2・3・4」と数えないと、わかりにくい傾向があります。

また、あれだけすばらしい音読ができるのに、文字を書くのは苦手です。えどるのは、それほど抵抗感はありませんが、教科書の漢字をノートに写すとなると、涙が出そうになります。

このお子さんは、「継次処理」の得意なお子さんで、感覚ではなく、ひとつひとつを言葉に置き換えて、順番に理解していくタイプのお子さんです。

ですから、例えば、漢字の書き順を指導していくときには、ドリルの書き順の所を調べさせるのではなく。「かぎ・横・横・横・横・縦、日」と言葉で置き換えて「書」という字の書き順を、まず空書するところから入ります。

さいころの4でさえわかりにくいこの子にとって、「書」という文字の書き順の複雑さは、まるで私がドイツ語の論文を教授の前で訳せ、と指示されたことにも等しいでしょう。

しかし、文脈で理解するのは、得意中の得意です。その能力は大人以上。少なくとも、もうすぐ50を迎えようとする私の脳のメモリーと比べると、桁数が違います。そりゃすごいもんです。漢字も、できるだけ文脈の中でとらえるようにすれば、効果的です。

この入力方法がヒットすると、面白いように、たくさんのことを吸収してくれます。なので「SHINOBU先生の勉強は楽しい」と言ってくれるようになります。


もう一人は、「同時処理」の得意なタイプのお子さんです。

得意教科は、算数です。物事を画像でとらえるタイプ、いわゆる視覚優位のタイプのお子さんです。

この前、名古屋へ行った時、JR東海の新幹線シールブックをおみやげで買ってきたら、昨日の学習指導のあと、30分くらいものも言わずに集中して取り組んでいました。

この子は1年生なので、今はひらがなの勉強をしています。この子の場合は、言語系の指示は苦手なので、先ほどのように{よこ・たて・ひだり・みぎ」と言葉を添えるより、市販の学習パソコンソフトの書き順コーナーは、きわめて有効です。

絵カードを使ったひらがな学習も、喜んで取り組みます。

言葉でごちゃごちゃ説明するのではなく、紙芝居のように、次々と視覚的に提示する方法が、この子の場合には効果的です。

とまあ、原理はここまでですが、要は日常場面での適用です。

継次処理の子の場合は、書字にとまどうことも多いでしょうから、まずは、点線えどりがき、つぎに、ます目のすぐ左側にお手本を書いてやって、視覚的な保持時間を0.1秒でも縮めてやるような工夫も有効だと思われます。

これで、まずは学習の2次障害を取り除くことができ、さらには、自分の得意技に磨きをかけていけば、結構その子の持ち味はいかせるのではないでしょうか?

今は、ネットでこんな情報は簡単に手に入ります。

保護者の方が、実際に生かせるレベルまでいくには多少の工夫も必要かとは思いますが、やってできないことではありおません。ちょっとしたことから、視野がうんと開けることだってあると思いますよ。

夢を希望と努力は大切です。

楽しんで、お子さんの学びを育てていけるようになれば、すばらしいですね。



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通常学級において、発達課題のあるお子さんに対する、ケアの方向性とは?

 2008-05-24
私はこれまで何人かのお子さんの就学支援にかかわってきました。

そのうちの、何人かは特別支援学級を、そして何人かは通常学級を選択されました。

それぞれのケースで、個々の特性や経過、地域や学校の状況も違いますから、お子さんの教育的なニーズという観点からも、それは当然のことだと思っています。

しかし、学校側の受け止め方はひと味違います。

結果として保護者の方が特別支援学級を選択された場合は、「SHINOBU先生のサポートのおかげで、お子さんにとっても保護者の方にとっても、よい結果に結びついた。ありがとうございました。」と、ほとんどの場合、こう来ます。

で、その逆に、通常学級を選択した場合には、「これからも、保護者の方に理解していただけるようにご協力をいただきたい」と、こう来ます。

このことを、みなさんは、どうお感じになりますか?


昨日、このブログに唯一リンクをさせていただいているマドンナさんから、以下のような書き込みをいただきました。

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SHINOBU先生 すっかりご無沙汰しています(汗)。

早期発見・早期療育は 私はとても必要だと思っています。早期療育はだいたい6歳前までのことで、6歳半に療育をはじめた息子は・・・早期療育ができていたら、いまは違った人生を歩んでいたに違いない。。。と思っています。

小さい頃は、振り分ける必要があるのだろうか?と私も思います。
普通にみんなと遊ぶ中でわかることもたくさんあります。でも「ただノーケアでつっこむ=統合教育」では いけないと思っています。
そこに 理解者+支援者がいることが大切で、コーディネートすることの大切さを感じます。
そして、保護者は 幼稚園の先生で指導の仕方を学んでいる先生や 専門の知識のある先生のもとで「早期療育」を家庭にも取り入れて頂きたいと思います。家庭での療育は 毎日の5分から10分で できることの繰り返しです。

米国では「専門家に任せて療育するのが良い。母親は指導しない方が良い」とされた時期もありましたが、現在では「母親が関わって療育をする効果の高さ」が評価されてきているとも聞いています。

療育・教育には いろんな考え方があります。子どもの人生を「選択」するのは「親」なのだということを忘れずにいれば良いのでは・・?と 思うようになり、アドバイスは専門家(専門教育機関)から頂いてくださいね・・・とお話しています。

・・・インクルージョンと特別支援教育と統合教育(全くの支援無しで入れる方法)は日本では微妙に違う使われ方をしていますので、ご注意くださいませ・・・。

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さすがは、マドンナさん、奥が深い。

統合教育(保育)については、私は「全くの支援なしで入れる方法」とは思っていなかったのですが、マドンナさんから見て、そう思わざるを得ない現実があるのだろう、ということと、同じ場で過ごすだけで物事が解決したり、よい方向に進んだりはしないということ、さらには、そのことでどう見ても事態が悪化しているケースも存在していること、など今の日本の現状から、シャープな視点で指摘されているような気がします。

特別支援教育は、現時点では確かに、私もインクルーシブだとは思えません。

「理想は、そうだけど」

「将来的には、そうなるだろうけど」

「外国と日本とは、状況が違う」

すべての学校ではないでしょうが、返ってくるのは、そんな言葉が多いのです・・・

現実が厳しいのは、わかってますよ。でも、私が求めたいのは、インクルージョンへの方向性や意欲・取り組む姿勢・価値観・そして具体的なステップ・・・

そういうことなんだよ。

そこを目指しての、今であるなら、特別支援学級なら、大賛成なんだよ。

もしかしたら、学校側がそういう姿勢を打ち出しているのにもかかわらず、私の感性が鈍く、わからずやで、かたよった見方ばかりしているのでしょうか?

何でもかんでも、とにかくまずは通常学級でというように、保護者に迎合したり、ご機嫌取りをしたりしてるだけなのでしょうか?

通常学級にいれば「ノーケアでつっこむことになる」になるんだとしたら、一つの方法として、特別支援学級との連携は確かに必要ですよね。

でも、もしそれが、「通常でだめだから特別支援学級へ」というのは、少なくてもインクルージョンではないだろうし、私の目指す方向でもない。

昨日いただいたメールの中に、

「私は… 特別学級が逃げ場所にしか思えないんです。 」

というものがありました。

「だた集団にいるだけではいけない」

それもそうです。

だとしたら、方法としては、マドンナさんのおしゃっているように、集団の中の理解者・支援者、そして家庭での取り組みが重要となってくるでしょう。

そして私は、そのことも含めて、集団の中で育んでいこうとする教育者の強い意志と、集団のメカニズムと力学を個の育ちや学びに生かして行こうとする姿勢が、今の日本の特別支援教育の段階には、特に必要だと考えているのです。

アメリカには協同学習などのプログラムがあると思いますが、日本には学級経営や特別活動があります。

「外国と日本と状況が違う」なら、この世界に誇る日本の教育技術を、特別支援教育風にアレンジして、逆に世界に再発信してみたら・・と思うのですが・・

きっとすばらしい教育実践されている先生、いっぱいいらっしゃると思いますよ。

集団の中でのケアの方向性は、私は、このあたりにあると考えています。



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※ マドンナさんより「埼玉県志木市では、入学は全員 普通学級で♪」という素敵な(内容の豊かな)コメントをいただいています。ぜひコメント欄を開けてみてください。↓


どうしてそこまで通常学級にこだわってしまうのだろう?

 2008-05-23
私は今、発達課題のあるお子さんに、個別で勉強を教えています。その昔は、特殊学級(今の特別支援学級)の担任だったこともありますし、その仕事に夢と誇りを今でも持っています。

でも今は、可能であれば(特に小さい学年であれば)、できるかぎり通常学級に居場所を作って、その上で専門的な指導を行うべきだと、強く思うようになっています。保育園では、もっともっと統合保育を大切に考えていくべきだと考えています。

実は今、通常学級で適応面での課題が大きくなっているお子さんのことを聞いて、私は少々へこんでいます。きっとそれは誤解なのでしょうが、何かすぐに通常学級から、切り離す発想になっているように感じて、交感神経が刺激され、血圧と心拍数が上昇するのを感じてしまいました。

昨日、私の敬愛する友人から「少し頭冷やしたら・・」(本人はすごくていねいな言い方でしたが、私にはそう聞こえたのです)と言われ、そうかも知れないなと、今振り返っている最中です。

私のような瞬間湯沸かし器のことを、英語ではShort temperと呼ぶのだそうです。

もっと冷静に、もっとスマートでいればよかった。

特別支援学級の担任だった私が、何でこんなに通常学級の居場所づくりにこだわってしまうのだろう?もっと柔軟にフレキシブルに対応したらいいんじゃんじゃないか?そういう問いを自分に投げかけています。

なぜだろう・・ なぜだろう・・  

ずっと考え続けました。言葉として明確に表現できる答えは見つかりません。

「言葉にならない声で、子どもは特別支援学級を求めている・・・」

ある先生は、おっしゃいました。

そんな子もいるでしょう。でも、本当にそうか?本当にそうか・・・

では、これだけ、人的な面からもコストの面からも恵まれているはずの特別支援学級を、なぜお母さん方が喜んで選択されないのだろう?

そのことが意味することは、結構重く、深い気がしてます。



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小さい時ほど集団で!(今この時育つ、感性と能力)

 2008-05-22
通常クラスか? それとも特別支援クラスか? この時期、真剣に迷われ、悩まれている方はいらっしゃいませんか?

それぞれのお子さんの特性や地域の環境(リソース)によって、判断の材料は異なりますから、一概に答えを出す方程式はないと思います。

しかし、私は「もし迷っているんのでしたら、小さいうちは、なるべく集団の中で育てる選択をされた方が良いのではないでしょうか?」とお勧めしたいと考えています。

理由はいくつかあります。

1つは、脳の発達という立場から、特に未分化の段階では、集団生活から得る刺激や情報がとてつもなく大切な役割を果たしていると考えるからです。

このブログで紹介させていただいている男の子の言語の発達は、どう考えても上記の理由からとしか私には考えられないからです。

2つめは、小さい子の段階なら、集団生活をベースとして、それぞれの専門機関や関係機関へ通うスタイルが比較的とりやすいのではないかと思うからです。

保育園でしたら、可能なかぎり統合保育というようなスタイルで日常の生活を送り、その一方でことばの教室とかいろいろな療育とか関係機関・専門機関の先生にかかるのがよいように思います。

Dr.や関係機関の先生にも個性やお得意分野、お子さんとの相性もありますから、セカンドオピニオンとして複数の先生の指導を受けられるのもよいかも知れません。

小学校の場合、特別支援学級と通常学級の交流は今や常識となっているでしょうが、でも、一旦、特別支援学級に入ると、監査の関係で50%以上は特別支援学級での授業を受けることが求められているのではないでしょうか?

それが、その子にぴったりな場合はいいのですが、できるだけ通常学級で学ばせたいと考えている場合は、通常学級に席を置いてがんばるのも、小さい学年ではひとつの選択だと思います。

特別支援学級へ入級することは、公立小学校の現場は大歓迎です。

なぜなら、人的配置が厚くなるからです。要は予算が付くからです。発達検査さえ受け、条件さえ整えば、すぐにでも人的な加配がされます。

しかし、通常学級にいて、それでサポートを受けよう思っても、この場合は、そうやすやすと予算はつきません。そうでなくても大変な上に、さらに発達課題のあるお子さんなんて・・

多くの先生は、正直、そう思ってしまいます。だから、特別支援学級を勧めるのです。ある意味、それは行き届いた教育の場、という面では、正解です。

しかし、そのことによって、あたかも集団から切り離されたように思えることも、よくあることです。

特別支援学級へはいつでも入れます!

こうしたことを総合的に考え、

「可能であれば、小さい学年のうちは、なるべく通常のクラスでの機会を多く」

これが、今の自分なりの結論となっています。



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トム・クルーズは読字障害をどうやって克服したか?

 2008-05-21
昨日から、親しくさせていただいているDr.のご厚意で、ある大学の「病弱者心理・生理病理概論」のティーチングアシスタントにさせていただいました。

おかげさまで、脳の発達にかかわる専門的な知識を、継続的に学ばせていく機会をいただきました。とてもありがたいことだと感謝しています。

昨日は、読字障害にかかわる側頭連合野の機能が大きなトピックの一つになり、一例として、トムクルーズが台本が読めないので、アシスタントに台本を読ませ、音声によって台詞を覚えていることを教えていただきました。

また、アスペルガーの症例として最も早く論文で紹介された4人のうち、一人は天文学者になっているということも教えてくださいました。

(「ドイツ語の論文のコピーやるから、読め」と言われましたが、そんなの無理です・・と逃げています(笑)」

それで、家に帰ってネットで調べると、真偽はともかく、いろいろな情報が手に入りました。

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【その一例】

アインシュタインもディスレクシア(読字障害)であったという説がある。この説は、「アインシュタインの脳は死後研究用として保存され、その際に頭頂葉の部分に損傷が見つかった」ことが根拠とされているが、ディスレクシアと直接結びつく損傷だったかどうかは定かではない(そもそも、実際に損傷があったかどうかも定かではない)。もっとも、彼の『自伝的ノート』(1949年出版)によると、両親が心配するぐらいに喋り始めが遅く、10歳近くになってもまともな会話が出来ず「のろまな奴」と呼ばれていじめに遭っていたうえに、担任教師に退学を勧められるほど「落ちこぼれ」扱いされていたようであり、ディスレクシアとも思わせる症候が垣間見える、とされる。実際に、生涯小学生のようにスペルを間違えることがままあり、「R」の大文字を鏡字で書き続けた。なお、日本ではこのエピソードにちなんで、ディスレクシアや各種学習障害などの子供を持つ親の親睦団体の中に、「アインシュタイン」の名を正式名称・愛称または通称とする団体がいくつかある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A2#cite_note-1 より

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興味のある方は、上記のアドレスからご覧いただければよいと思いますが、あのトムクルーズやアインシュタインでも、相当困難な状況から努力と工夫で乗りこえてきたわけです。

じゃあ一体我が子が、どこまで伸びるか?その結果はさまざまだと思います。

時には、くじけそうになることだって、死にたいと思うことだってあるかも知れません。

でも、そこがどん底なら、あとは上がる一方ですよ。

それが結果として実現できなかったとしても、例えば甲子園目指して練習に打ち込んだ高校球児のその営みそのものが尊いように、夢と希望を失わずに歩む、歩みそのものが、尊いのではないでしょうか?

少なくとも私は、奇跡に近いようなこと、いっぱい見てきましたよ。

今だって、「何とかして、きちんと文字を書けるようにしてやりたい」「4以上の数をとらえさせたい」「それが無理なら、別な方法で、算数の扉をこじ開けたい」「まずは50音全部読ませ、次はきちんと書かせたい」「社会生活に困らないだけのコミュニケーションスキルを育てたい」「高卒の資格をとり、一人前の社会人に育てたい」 夢はいっぱいあります。

私のようなくだらない人間でも、この仕事をしているときは、夢中で時間を忘れます。そして、一歩でも半歩でも、前進の、その兆しの端の端でも見つかれば、うれしくてたまりません。

「SHINOBU先生の宿題は、いつも楽しそうに取り組む」

あるお母さんは、何度も私にそのことを教えてくれます。

なぜ喜んで学習に取り組んでくれているか?

それは、ある意味、学ぶ楽しさ、あるいは向上の手応え、もしくはセルフエスティームを感じ取ってくれているからでないでしょうか

このご家庭だって、厳しい状況を乗りこえての現在です。

「絶対に妥協したくない。あきらめたくない。」

私が今かかわっているお母さん方は、異口同音にそうおっしゃいます。

トム・クルーズやアインシュタインではなくても、その子らしく、その子なりの成長や幸せをつかむことができたなら、それにまさるものは何もないと思います。

このブログをご覧になっているみなさんと、ぜひそういった幸せを共有できたら、どんなにすばらしいだろうと考えているところです。



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目をみはる言葉の発達の事例(現在爆発的進行中!)

 2008-05-20
今日、あるお母さんから次のようなメールをいただきました。

「集団に入っているおかげで、ほとんどの言葉の発音が、はっきりと普通の人と変わらないくらいになりました。すごいきれいな発音になってきました・・・・」

言葉の発達の尺度をきちんと知っていて、量的にこのことをとらえる力量がないのが、本当に残念です。が、私の週一度の学習支援の場でも、毎回毎回進歩がはっきりわかるくらいなので、お母さんのメールの内容を実感として感じ取っています。

昨年、幼稚園のことばの教室で、語彙発達検査をしたときに、お母さんといっしょに立ち会いましたから、その時の状況を考えると、「信じられない」という表現も大げさではないと思います。

何が良かったのか?それを実証できる手法もデータもないのは、さらにくやしいですが、1年以上この子にぴったりよりそった私の、質的なデータを自分なりに分析すると、コミニュケーションのツールとして言葉が機能する場と、本人のそのことに対する内発的な動機付けがなされたということになると考えます。

要は、言葉でコミュニケートする必要感と楽しさを感じることができ、実際にそういう場ができたということでしょう。


ちょっと前までは、声も小さく、さすがに不明瞭でしたよ。

でも、ちょっと心を込めて聞くと、わかるようになってきます。でも、私より、同じクラスの1年生の女の子の方が、この子に対するヒアリング力は上だということに気がつきました。

つまりは、コミニュケーションのスキルが、子ども集団の中で育ってきたということです。

ここまで来たら、あとは楽しいです。でも、集団にいたからこそ、この発達があったというのは、言い過ぎなのでしょうか?

私はちっとも言い過ぎだとは思いません。

「集団からは、絶対に切り離さない」

「紙切れだけで、子どもの様子も見ないで、通常学級は無理、なんて決めつけないでほしい」

それでいて、毎月、仕事のやりくりをつけながら、幼稚園のことばの教室に通われたお母さん。

卒園間際の生活発表会で、初めてみんなの前で言葉での発表ができ、卒園式には堂々とした呼びかけで、ご家族の皆さんも、そして職員も、目頭を熱くしたあの場面!

「集団の中でこそこの子は伸びる」というお母さんの固い信念がなければ、今日の子の姿はなかったと、私は考えます。

もちろん、すべてが順調に、思い通りにいっているわけではありません。友達とのトラブルや学習規律の形成など、問題点は今も山積みです。

ですが、この子の場合には、子ども集団との関わりこそが大きな成長のエネルギーになっているのだと思います。

専門的な指導は、こうした子ども集団とのかかわりの場があってこそ伸びる、そういう事例があることを知っておくことも、大切なことの一つではないでしょうか?



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「早期発見・早期治療」はまちがいかも知れない!

 2008-05-19
「特別支援学級に入級したけど、来年度から通常学級に帰ろうかと迷ってる・・・・」

先週、あるお母さんからそんなご相談をいただきました。いつも真剣にお子さんの育ちに向き合っているお母さんだけに、その意味の深さを感じ、安易にお答えはできないと思っていました。

でも今、そのお母さんには次のようなことをお伝えしようと思っています。

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昨日、日本保育学会のあるシンポジウムでフロアからこんな意見がでました。

「私は長年、子どもの発達に正面から向き合ってきた。よかれと思って、その子にあった教育の場、その子にあった専門機関はどこかと一生懸命探してきた。しかし、やればやるほど、どこか心の中に本当にこれでよいのか?という疑問がもやもやとわき、いつの間にかぬぐい去れないものになった。しかし今日、重度の自閉症のお子さんの長年にわたる実践事例から、子どもがどのように学び、どのように育っていくのか?その原点にふれたような気がした。他の子どもと生活し、共に成長していくその大切さを、今こそ私たちは発信していく時期だと感じました・・」

「私もまったく同感です。専門機関・訓練機関に通う子どもには笑顔が少ない。しかし、今日の事例・晋平君の笑顔から、私たちは本当に大切なことは何かを感じとることができた。特に小さいときであればあるほど、集団のもつあたたかさが、子どもを育てるのではないか?その大切さに取って代わる早期治療のその中身はいったい何だったのか・・・」

「そうだ、その通り。わたしだけじゃなかったんだ」と、私は心の中で拍手をし、たぎるような熱い思いがこみあげてくるのを感じていました。

(発言の内容を冷静にメモしていたわけではないので、正確ではありませんが、私にはそのように聞こえたのです)

このことは決して、専門的な指導や特別支援学級の存在を否定するものではありません。むしろ、私はとても大切な存在であると考えていますし、その役割は計り知れないほど大きいと考えています。

しかし、子どもの居場所は、子ども集団の中にきちんと存在すべきであり、通常学級の担任は発達課題があろうがなかろうが、大切な一人の子どもとして、今まで通り、一人一人を大切にする教育、真心を込めたあたたかい保育を、自信をもって進めていけば、それでいいのではないでしょうか?

少なくとも、手当たり次第、何も考えず「早期発見・早期治療」がすべてであるような、安直で偏った主張にとらわれるような時期ではなくなったと考えます。

ちなみに、このシンポジウムは、広島大学大学院附属幼年教育研究施設の主催の自主シンポジウムでした。そのシンポジウムの指定討論者であった東北大学大学院・渡部信一教授は、その著書の中で次のような文章を示されています。

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障害児は「現場(フィールド)」で学ぶ―自閉症児のケースで考える (単行本)
渡部 信一 (著)  出版社: 新曜社 (2001/11)

◆育つ力は子どもたちの中で生まれる◆

特殊学級ではなく、通常の保育園や幼稚園、小学校で学ぶ、障害を持った子どもたちが増えています。指導者の専門的な働きかけよりは、子どもたちの中で学ぶということの効果が見直されているのです。しかし、先生方からは、「障害児教育の訓練も経験もないのに、いったいこの子たちに何をしてあげればよいのか」という悩みが数多く聞かれます。親たちも不安や疑問が絶えません。本書は、自閉症のケースをつぶさにとりあげながら、子どものなかで学ぶとは、実際にはどんなことなのか、なぜ、それが効果があるのかを、丁寧に見てゆきます。読み終えた後には、きっと悩みや疑問に対する答えが見つかるでしょう。著者は、東北大学教育学部助教授。

◆本文紹介◆
これまでの障害児教育には、ひとつの原則がありました。個々の障害の特徴や障害の行程を考慮し、専門的な知識にもとづいた効果的な指導を、ひとつひとつ丁寧に、そして系統的に行わなければならない、というものです。今までずっと、この原則にしたがって教育が行われてきて、それなりの障害改善という実績を上げてきました。しかし、最近、学会や保育・教育の現場において、これまでとは少し違った考え方で子どもたちを育ててゆこうとする風潮が現れてきました。指導者の専門的な働きかけよりは、子どもたちの中で学ぶということの効果の方を重視しようとする考え方でです。…中略…
自閉症と診断された5歳の男の子、太郎。保育園に入園し、普通児の中で生活しています。
 私が保育園を訪れた日、彼は運動会の出し物である「太鼓踊り」を皆と一緒に練習していました。保母によれば、その日が練習初日とのこと。
 なんて上手に踊っているんだろう!
 私は、太郎が皆と一緒に踊っている様子を見て、そう思いました。私の目の前で踊っている太郎は、大学の訓練室で出会う彼とは別人のように思えたのです。…中略…
 《保母と一対一だったら、こんなに上手には踊れないに違いない。このざわめきこそが、太郎を上手に踊らせているのだ。大人ではなく子ども同士、一人ではなく大勢、これこそが太郎を上手に踊らせているのだ。》
 
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2001年の出版なので用語は古いですが、この時期に、この指摘はご立派です。これから少し、著書を真剣に拝読させていただこうと思っています。



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発達の最近接領域(日本保育学会に参加して拾ったキーワード)

 2008-05-18
昨日、名古屋に行き「日本保育学会」のシンポジウムに参加しました。

学校園連携がテーマのシンポジウムでしたが、私はいつも命がけで自分の子どもの育ちをみつめていらっしゃる保護者の皆さんの温度を感じていますから、何てぬるいレベルで学校園連携をとらえているんだろう、という印象をもちました。企画者の方も、パネラーの方も、お偉い方なのでしょうが、気迫も夢もビジョンも私には伝わってきませんでした。ちょっとがっかりです。きっと、そんな場面にふれる機会が少ないのでしょうね。

でも、今日は「特別支援教育の始まりと就学前支援」「特別支援教育が、保育にもたらすものは何か ~現場の視点から問い直す~ 」 というシンポジウムが組まれており、私の心を突き動かすサプライズがあることを期待しています。

また、シンポジウムの裏番組で、特別支援のポスター・口頭発表が組まれていたので、次回からはそういった実践者の方の発表を中心に見ていこうかな?とも考えています。

そういう意味で、私が何をすべきか?が、くっきりと浮かび上がってきました。私は、「命がけで我が子の育ちをみつめるお母さんがたの代弁者」とならなければと感じました。それが、自分に与えられた使命なんだと考えました。

「お母さん方の代表」 この言葉は、私のモチベーション高めます。今までは、そんな視点で研究しようと思ったことはないので、その点では大きな収穫です。(笑)


しかし、そんな中で、何も内容的な収穫がなかったのかというと、それはそうではありません。

その一つは、だれかがぽつりと言った「発達の最近接領域」という言葉です。

これは、ロシアのヴィゴツキーという人が言ったことで、子どもには自分だけの力で達成できる課題と、だれかがちょっと支援してやるとできる課題があり、そのふたつの差のことを「発達の最近接領域」と呼びます。

早い話が、むずかしい課題は、発達の最近接領域が大きく、簡単な課題は、発達の最近接領域が小さいあるいは無い、ということです。

私の指導の工夫は、いつもつまづいた時に、すぐに自力で解決できるツールを用意しておくということです。

例えば、漢字カード(4/26に紹介)の裏には、その答えが記入されています。わからなかった時は、すぐにその裏を見て、瞬時に調べられます。で、私は「このカードで漢字を勉強して、できたら先生に教えて」と子どもに伝えます。

この子はわからない時は、すぐに裏をみて学習します。でも、漢字ドリルや教科書でいちいちそれを調べることは、できにくいようです。つまり、発達の最近接領域が大きく、達成動機がもてない、ということです。ですから、そこに指導の工夫が必要なわけです。

このカードを使うと、その子は目を輝かせて取り組みますよ。自信満々です。週1回ですが、生き生きと学習に取り組むと、いつの間にか読めるようになっちゃいます。あの辺の吸収力は、もはや50歳の私には到底太刀打ちできません。

発達課題のあるお子さんの場合、バイパスが開通したとたんに、ラッシュアワーのように発達が加速されることもありますから、魅力たっぷり、やりがいがあります。

しかし、そのヒントがなかなか見つからないこともあります。今の私には、形の認識ができにくく、書字が苦手なお子さんの最近接領域を縮める手だてが見つからない。

でも、こうした発達の最近接領域という視点で、特別支援教育をもう一度見つめてみてもいいかも知れないと、その瞬間強く思ったのでありました。

また、ブログをご覧になっているかたで、何かヒントになるようなことがありましたら、是非教えていただきたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いします。



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友達を育てるという何よりも大切な支援(インクルージョンのつぼ)

 2008-05-17
現在指導をさせていただいている1年生のお子さん。Dr.から「通常学級は無理」と言われながら、お母さんの強い決心で、今、通常学級で勉強を続けています。

これまでにも、いろいろな事件?や出来事もありました。

でも、お母さんの表情も、男の子の表情も、私には輝いているように見えます。正直、入学前に、ここまでうまく行くとは、思っていませんでした。

何よりも大きかったのは、1年B組の先生の存在・お人柄です。人は外見で判断できないとは言いますが、入学式の前日、お会いした瞬間に、お母さんと目を合わせて、思わずガッツポーズをした感覚に、何の偽りもありませんでした。

期待通り・期待以上の先生でした。

何がすばらしいか?何がありがたいか?というと、何をさしおいても、クラスになくてはならないメンバーの一人として、大切に考えてくださっている。受け入れてくださっている、ということです。

こういう先生ですから、きっと他の子どもからも絶大な信頼を受け、多少のトラブルがあっても、やんちゃな子どもがいても、それぞれの子どもの目が輝いているクラスであることが、まるで目に浮かぶようです。

先日、この先生のクラスにいる男の子と女の子に「小学校の先生、優しい?」と尋ねました。

二人とも、うちの保育園の卒園児で、今、二人とも放課後学童保育に来てくれています。女の子の方は、保育園からのクラス分けの時、意図的にくっつけたわが保育園のエース児です。

「うん、やさしいよ」「すごい、やさしい」男の子も女の子も、パズルをいっしょにしながらでしたが、満面の笑顔です。

ちょっと待ってよ。君は言語の遅れがあったはず。何このコミュニケーションの流ちょうさ。どこで覚えてきたの?それ、って思わず言いたくなりました。(笑)

先生もすばらしいけど、この女の子は本当にすばらしい。過去の実践の中でも、成功の陰には必ずこういった友達の存在がありました。

ある意味、この女の子は、指導者の価値観を知らず識らずのうちにそっくり受け入れているのだと思います。

まずは、うちの保育士が、小学校に入ったとき、この子にどういうことを期待していたか?おそらくは直接そんな言葉かけはしていないだろうけど、1年間の指導を通して、その心はしっかりと、その女の子に根付いていたのだと考えています。

そして、それとまったく価値観のずれていない小学校の担任の先生のクラスづくり・学級経営。

女の子は、男の子を同じクラスの一員として、同じ保育園の卒園児として、大切な存在として男の子を受け入れ、何の迷いも気負いもなくごく自然に、それでいて、私が目を見張るような気の利いた支援を、自然にしてくれています。

支えるときは支え、教えるときは教え、やらせるときはやらせる。その塩加減は、もはや名人芸の域です。しかも、無料で、連帯感や同一性もある。おまけに、一日の大半を、同じ空間で過ごしている。

教員免許をもっていても、この女の子のようにできる先生は、そうはいませんよ。もしかしたら、私にもできないことかも知れません。それくらい、友達の存在は重要です。通常学級で学ぶ意義がそこにあります。集団で学ぶ価値がそこにあります。

協同学習風にいうと、メンバーシップがあり、責任と役割を共有し、同一の目標が設定され、支え合い運命を共有している存在、ということでしょうか?

この子の存在は、決してラッキーパンチではありません。集団で育つことの大切さや理念が保育や教育活動を通して、子どもの心に響いているかどうか?ということだと考えます。

そして、こういう子どもを育てること・こういう集団を育てることこそが、先生の仕事そのものなんだと思います。先生は一人なので、個別指導は、物理的に不可能なことは、明白です。たまに必要な時もあるでしょうが、無理して個にばかりかかわろうとすると、学級は崩壊します。学級が崩壊すると、多くの子どもが痛みます。

その女の子のお母さんに、こうしたことを伝えると、「えー、そうっだって。信じられないー」とお子さんの顔をのぞき込みました。笑い声のたえないご家庭のようすが、瞬時に思い浮かんでくるような気持ちになりました。

人は、集団で生きる存在でしたよね、

私は毎日、学童保育で、こうした子どもたちの姿を見るのが、楽しくてたまりません。



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私を揺り動かすお母さんの覚悟・決心・根性!

 2008-05-16
いろいろなご縁があって、昨年度より何人かのお母さん方のご相談をいただくようになりました。

今では、毎朝7時くらいにいただいたメールへのお返事をするのが日課となっていて、きちんとお返事差し上げようと思うと、気がつけば9時くらいになっていることもあります。

でも、それはちっとも苦になりません。何らかの形でそのことが、お子さんの成長や、ご家族の幸せにつながるのでしたら、これほどうれしいことはありません。

それに、メールでのご相談内容は、まさに臨床そのものです。ひとつひとつの課題に前向きに取り組むことで、いろいろなことが見えてきます。自分自身のスキルアップにもつながります。これまで学んだことの意義を確かめられる絶好の機会です。

このブログがご縁で、県外・海外の方からも、生のお声を頂戴することも増えてきました。

そこには、本当に切実で、リアルで、大切なことが見え隠れしています。

私のかかわったお母さん方は、どの方も、そりゃあ根性決めておられました。

そこには「この子のために、がんばれるのは自分しかいない。」というような本当に強い覚悟と決心がありました。この覚悟や決心が、私の心をぐいぐいと揺り動かし、私を導く大きなエネルギーとなっていきました。

まさに母の愛は海よりも深い、といったところでしょうか?

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日は、あるお母さんからメールをいただきました。

「初めて携帯、もちました」というお母さんです。

このお母さんはこれまでの方とは違って、かなり私に頼っている感じに受け取れました。親としてすべき根性も決めないで、何か、私に丸投げをしているような印象をもってしまいました。

私は、あくまで主役は子どもとご家族で、私はそのサポートにしかなりえない、と考えていましたので、「親としてもっとしっかりしてほしい」と、私にしてはかなり冷たく突き放すメールを送信してまいました。

しばらくたって、その方からの返信メールが届きました。

そこには、そのお母さんのこれまでの営みと、ご自身のかかえていらっしゃる様々な課題が、それこそ切々とつづられていました。懸命に取り組もうとしてはいるが、なかなかうまく進まない物事の様子が、行間からにじみでているような文章でした。

おそらくは、こうしてメールに思いをつづられるのに、相当な時間とエネルギーをお使いになったのではないでしょうか?

昨日、あるパンフレットを見ると、「下手な臨床相談は、保護者の主体性を阻害する」みたいな文章があり、ちょっとドキッとしました。

しかし、こうなると、やはり私はほっておけない気持ちになるのです。これまでとは、違った形でエネルギーが湧いてきました。

「我が子のために懸命に努力はしたい、でも、それすらできない」というその方のメッセージは、深く重く大切なことを私に教えてくださったと思います。

「支援にかかわるものは、哲学を」

O大学のS先生は、いつも私たちにそのことをご指導くださいました。

人が生きるということの、深い淵をのぞいたような気がしました。どこか自分に思い上がっているような部分が無かったか、反省させられました。

初めて教員になったとき、「どんなに歌が上手になっても、心のこもらぬ歌は歌わない」と学級通信に書いた記憶があります。

今このとき、その言葉をもう一度噛みしめてみたいと思っています。



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薬物使用が効果的だった事例と使用せずに切り抜けた事例(ハイテンション傾向のお子さんの小学校における実践から)

 2008-05-15
お子さんの行動面に、脳内の神経伝達物質(セロトニンなど)が重要な役割を果たしていることが、様々な研究や事例を通して明らかになりました。

その神経伝達物質をコントロールするために、お薬が処方されることも、今では珍しくも何ともない時代になりました。

その薬物使用について、私が小学校の教員だったときに、印象に残っている事例が2つあります。

その一つめは、小学校2年生の男のお子さんの事例です。

その子は、自分が直接学級担任をしていたわけではありませんでしたが、かなりのハイテンションのお子さんでした。突発性の行動が多く、興奮すると自分で自分が押さえられなくなる状態が続き、担任の先生もそれを支える先生方も困り果てていました。

今からもう10年近く前のことだったと思いますが、結局、薬物を使用することとなりました。このときは「リタリン」だったと聞いていましたが、その効果は驚くべきものでした。

あれだけ大きな声や騒ぎが日常的だったのに、薬を使用し始めてからは、めっきり数は少なくなりました。(というより、ほとんどなくなりました)

しばらくしてその子の顔を見ると、表情自体にとんがったものが、まるでなくなっていました。(確かに少しぼーっとした印象もありましたが)

でも、結果として、行動が落ち着いたおかげで、勉強面でその子のもっている力が発揮できるようになり、次第に生活のサイクルがプラス方向に回転していき始めました。

すごいもんだな、とそのときに感心した記憶があります。

もう一つは、薬に頼らなかった事例です。

小学校5年生の男の子でした。この子には理科の勉強を教えに行っていたし、生徒指導主事をしていたので、今で言う特別支援教育コーディネーターのような活動も行っていました。

この子は明るくてかわいい子でしたが、まあおっちょこちょいも度を超していました。何度骨折したかわかりませんが、いつもどこかで頭をぶつけているようなお子さんでした。

衝動性も強く、まさに注意欠陥・多動性と顔に書いているようなお子さんでした。

私の授業ではさほど困り感はありませんでしたが、担任の先生は相当ダメージを受けていました。

ある日、見るに見かねて、専門機関への相談をお母さんに持ちかけてみました。私と担任とお母さんの3人で話合いをもちました。

しかし、お母さんは断固としてそのことを拒否しました。私自身は、それも仕方ないなと思っていましたが、その担任には複雑な思いが残りましたし、ご苦労をいただいたと思っています。

それから何年か経ち、私の友人の先生が不幸にもお亡くなりになるという出来事が起こりました。そのとき、お葬式に参列していると、中学生(もしかしたら高校生?)の彼の姿がありました。

お母さんは私の姿を見つけると近くに寄ってきてくださいました。そして、

「この子は、学校の先生になりたい、という希望をもつようになりました・・・」

と教えてくださいました。何だか胸にこみあげてくるものがありました。ふと横を見ると、面影はそのままだけど、身長も顔つきも、見違えるようにたくましく成長した彼の姿がありました。

先ほど紹介したリタリンは、メチルフェニデートといい、多動性・衝動性には約7~8割の有効性があると言われていますが、反面、食欲低下やチックなどの副作用、あるいは依存性などの問題もあります。

また、多動性や衝動性の改善には、行動療法(トークンエコノミー法など)やペアレントトレーニングなどいろいろなアプローチがあることも知っておくべきです。

昨日私は、あるお母さんからお薬の情報をいただきました。早速、親しくしていただいているO大学の小児神経学のDr.にお電話をし、いろいろなことをご指導いただきました。お母さんにもお電話でいろいろなことをお尋ねし、いっしょに考えながら、今まさに、そのためのアプローチを、あれやこれやと思案している最中です。

薬の使用は、何のために、ということが大切なのではないかと思います。薬を飲めば、それでほとんどすべてのことが改善される場合はそれでよいのですが、そうでない場合は、、薬の効果がある間に、いろいろなことを整えておきたいと思うのです。

うまくいくかどうかわかりませんよ。でも、何かの工夫で、薬にたよらなくてもすむ方法はないのでしょうか?

そして、その営みや工夫の中で、大切なことを学んだり吸収されたりすることも大いにあるのではないでしょうか?

先ほどの5年生の男の子のお母さん、ある日私が自転車でその学区を通っていると、自宅の庭先で草花の手入れをされていました。

とてもいい天気の日でしたし、立ち止まって世間話をしてみると、何だかとってもいいお母さんの思えてきました。(ということは、相手のお母さんも同じような思いをもたれたのかも知れませんね)

と、同時に、このお母さんは、この子と真剣に向き合っているな、と肌で感じた瞬間でした。薬を拒否したお母さんには、きっと何かの強い思いがあったのでしょう。

まぎれもなくそのことが、数年後のたくましいその子の表情の、大きな支えとなったことと思います。何より大切なのは子どもときちんと向き合うこと。そして、その子の成長のために、工夫をしていくことだと思います。

子育てとは、その過程そのもです。そして、場合によってはそのことが「幸せ」そのものなの知れませんね。

ご苦労をされたお母さんの「幸せ」と、私は何度も出会ってきました。



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アメリカでの特別支援教育はどうなのよ?という疑問

 2008-05-14
私は観光でアメリカに行ったことはありますが、実際にアメリカの学校に行ったことはありません。今日は、これまでに勉強した本 (Cooparative Learning = Robert E. Slavin) とアメリカのカンザス大学で研究をされていたO先生からのご指導をもとに、私のとらえを紹介するものです。

アメリカでは1950年代くらいまでは、発達課題のあるお子さんは、特別な場所で教育を受けさせるべきであって、通常学級では孤立し、社会性の発達や自尊心を悪化させるという考えが支配的でした。

しかし、1960年くらいになると、研究が進み、発達課題のあるお子さんと定型発達のお子さんを分離して教育するということは、お互いの発達に悪影響を及ぼすという主張が強くなり、具体的には、通常学級に在籍して特別支援学級へと通うリソースルーム方式が多くとられました。

1970年以降になると、通常学級にただ在籍していても、友人関係が形成されないばかりか、競争的な環境ではいつも敗者となってしまい、敗者をさげすむような発言が見られるという報告がさっれるようになります。

つまり、統合は単に改善のための機会の提供であって、解決策そのものではない。つまり、学校教育の中身自体の改善が伴わなければ意味がない、という理論が展開されるようになります。

そこで「競争的な雰囲気の中での交わりや、地位の差がはっきりと存在するような雰囲気の中での交わりは、集団間の関係を悪化させる。逆に、共通のゴールに向かって活動する機会がある、お互いに個人として理解しあう機会がある、対等な立場で活動する機会がある場合には、集団間の関係が改善される」(オルポートのコンタクト理論など)が主張されるようになります。

こうした背景をもとに、「子どもがお互いに助け合い、お互いに話し合い、お互いの知識理解を評価し、お互いの理解差を解消していく」協同学習の理論と方法が開発されたのだ、とスラビンさんは言っています。

もちろんこの学習法は、すべての授業をこの方法で、というものでもないし、個別指導を否定するものでもありません。

しかし、ここまでの経過だけみても、今の日本の特別支援教育にもあてはまるようなことが、結構ありませんか?

昨日、私は散髪に行きました。カット4500円で、私の住んでいる地域では、かなりお値段の高い店だと思います。店もそれほど新しいしゃれた店だとは思いませんが、でも私は、他の店に行く気はまったくありません。そこでの会話です。

「カットは、技術ですか?それともセンスですか?」
「うーん、研究かな?」
「と、いうと?」
「カットの基本パターンは10種類くらいで、それはプロなら努力でマスターできる。しかし、人間の頭って、同じように見えても、条件は微妙に変わっているんですよ。それにSHINOBUさんももう何年もここに来てくださってるけど、年齢に伴う変化もあるし、体調に伴う変化もあるし、環境に伴う変化もあるんですよ。どんな場合でも、毎回同じように同じことをするのは、簡単です。でもそれじゃあ、Aという日にはベストでも、Bという日にはベストではない。私は、プロとして、その日のベストを提供したいといつも考えています。それには、あらゆるケースに対応できるための研究は不可欠です」

この人は、私がどんな仕事をするか詳しくは知らないはずです。ですが、私はおもわず席から立って握手をしたいような気分になりました。

答えは、実践の中にある。そして、一番子どもに真剣に向き合っている保護者の方との連携なくして特別支援教育はあり得ない。そんな思いを一層強くした瞬間なのでありました。



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「特別支援学級=個別指導」は大まちがい

 2008-05-13
これは、私が親しくさせていただいている特別支援学級の先生の酒席での本音です。この先生は、人格・力量ともすばらしい先生だと私は思っています。その発言の主旨は・・

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

保護者の方が、特別支援学級に大きな期待を寄せてくださっているのは、本当によくわかる。自分もその期待に少しでも応えようと、毎日必死でがんばっているつもりである。

でも、保護者の方には、特別支援学級=個別指導のイメージを強くもっていらっしゃる方も多い。確かに、通常学級よりは、そのチャンスも多いし、できるだけ個に寄り添った指導をしたいと思っている。

でも、実際に、個別指導をするとしたら、例えば5人の児童がいたら、一人9分指導して、残りの36分は自習になってしまう。

だから、そういった意味での個別指導の期待には、実際にはなかなか応えにくい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなんだったら、通常学級にいればよかった・・というような声が聞こえてきそうです。確かに、特別支援学級を選択すれば、すべての問題が解決されるというのは、誤りです。このブログでも、繰り返し申してきましたが、発達課題のあるお子さんの就学は、「選択」ではなく、「創造」です。

特別支援学級の入級に大きな決断がいるのは、百も承知です。そのことに大きな期待を寄せられることも当然です。ですが、その決断だけで、すべてが解決されるということではないのです。むしろ、そこでどんな教育が行われ、何が育つのかをしっかりと見つめ、先生と協力し知恵を出し合って、内容を充実させていくための営みそのものが極めて大切だと私は思うのです。

私は今、小学生のお子さんにその個別指導をさせていただいています。でもそれは、あくまでも学校教育の補完というポジションでこそ有効なものであると考えています。

それに個別指導が万能ではないということも、しっかりと認識しておくべきです。個別学習では、集団でできない学習をすることができます。

しかし、集団での学習で、個別学習では逆立ちしてもできないようなすばらしい成果を上げた事例は、それこそ星の数ほどあります。

そもそも特別支援教育の基礎となる理念は「インクルージョン」であって、「個別指導」ではないはずです。

ベースあるいは目指すべき方向として、「集団の中での学び」を、しっかりとど真ん中に置くべきではないでしょうか?

特別支援学級でも、通常学級と規模は違ってきますが、集団(=小集団)の学習が可能です。

発達課題があろうがなかろうが、学びそのものは主体的なものであるべきなので、可能であれば、教えてもらう(=個別学習)というスタンスから、自分から学んでいく方向性をもつことは、大切だと考えます。

自分から学ぶ、という発想さえあれば、口を開けてまんじゅうが落ちてくるような意味での「個別学習」の時間はそれほど必要でないのかも知れません。

その子にあった課題を、その子なりに、その子のスタイルや特性を生かして、主体的に解決していく学びの場があるのならば、びったり貼り付いていく学習形態が常時必要ということにはならないのではないでしょうか?

制度上、特別支援学級に在籍する以上、一定の時間数を特別支援学級で学習することが求められます。

しかし、何よりも大切なのは、通常学級のクラスの子どもの意識の中に、特別支援学級の子どもに対して、「あなたはぼくのクラスの大切な一員」という意識があるかどうかです。つまり、通常学級の担任の先生の理念の中に、インクルージョンの意識がしっかりと根付いていて、それが具体的な指導にどう生かされているかということです。

通常学級の友達が、先生以上に、豊かな学びをその子に提供してきた事例は、個別指導で成果を上げた事例よりも、量的にも質的にも豊かであることを私たちは見直すべきだと思っています。



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発達課題のあるお子さんの就学に関するリアルな地域情報の入手方法とは?

 2008-05-12
昨年度、私は自分の保育園に「発達・就学相談員」というのを勝手にこしらえて、自分のスタイルで発達課題のあるお子さんの就学に向き合ってきました。

自分は、長年教育現場にいましたし、就学事務にもたずさわってきました。それに、どの学校にも知った人が一人や二人はいましたから、平気で学校に「一度保育園に来て、お子さんの実態を見ていただきたい」などと平気な顔で言うことができていました。

発達課題のあるお子さんの就学を考える場合に、リアルな学校の情報は不可欠です。多くの場合は、自分の兄弟がその学校にいたり、だれが知り合いの保護者から、教えてもらったりして、間接的に情報を収集することはできますが、直接あるいは公式な情報を入手するには、学校の敷居はかなり高いものに感じられます。

幼稚園や保育園の先生と保護者の皆さんとの関係が連絡がうまくできており、そのあたりのことは、どこの保育園や幼稚園でも、主任さんとか園長さんとかが、うまくコーディネートなさっていて問題はないのでしょうか?

私のかかわったお母さんは

「特別支援教育といっても、私には昔の特殊学級のイメージしかない。重度のお子さんは、きちんとした保護者の組織とかもあって、そういった意味では充実しているけど、私のような場合は、知りたくても調べたくても、その学校のパンフレットがあるわけでなく、何をどうしていいのか、それすらさっぱりわかならかった。お兄ちゃんはいるけれども、それとは関係なくすべてのことが初めてで、とまどうことばかりだった」

とおっしゃったことがあります。

それに、学校によって同じ特別支援教育でまったく温度は違うし、担任の先生の異動ひとつで、天と地との開きが生じることだって、よくあることです。

知りたいのは、その部分ですよね。そういった意味で、例えば小学校の特別支援教育コーディネーターの存在は、利用価値があると思います。

もし、例えば保育園の先生がたよりなかったり、わからずやだったりした場合は、ちょっとだけ勇気を出して、当該の小学校に電話して、特別支援教育コーディネーターの先生にアポイントメントをとって、お会いしてみましょう。

それからの対応で、特別支援教育に対する取り組みの温度など、きっと見えてくるものはたくさんあると思います。それに、お母さんのアクションは、その決定や決断以上に、お子さんの育ちや学びの大きなエネルギーやパワーにつながっていくと私は思っています。



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安易に使って欲しくない「保護者の無理解」という言葉

 2008-05-11
昨年の夏のことですが,頭から離れないできごとがあります。

とある学校・園の特別支援担当者研修会に,参加をさせていただきました。

50人近くのメンバーの方がいらっしゃたでしょうか。会の流れは,コーディネータの方や特別支援学級の先生がそれぞれ,自己紹介を兼ねて現状報告やそれぞれの思いを発表していく展開になっていました。

その時に何度も耳についたのは「保護者の無理解」という言葉です。つまり,この言葉には,

「通常学級で障害のある子の教育は,その子のためにはならない。なので,担当者は,特別支援学級への入級を勧めるのだが,保護者は,特別支援学級の良さをわかっていない。あるいは,見栄や障害の受容ができていないために,最初からそのことについて聞く耳ももっていただけない。」

という意味が込められていると,私には感じとれました。

確かに,そういったことの対象となる保護者の方がいらっしゃるのかも知れません。お子さんやご家族の実態を知らずに聞いていますので,百歩譲るとしたら,そんな場合もあるんだろうなあ,という思いもあることはあります。

しかし,そのときに私がかかわっていた保護者の方は,まったくそれとは違っていましたので,こみ上げてくる思いを押さえきれず,私の番の時には,大体次のようなことをお話させていただいた記憶がります。

「私はこれまで何人も発達の課題のあるお子さんの保護者の方とかかわってきました。少なくとも私のかかわってきた保護者の方は,お子さんの発達課題を真っ正面から受け止め,大げさかもしれませんが,お子さんの学びや育ちに,命をかけるくらいの思いで懸命に取り組まれている方ばかりでした。でも,結果として,特別支援学級を選ばれた方もいらっしゃれば,どんなに勧められても通常学級を選択された方もいらっしゃいます。それは,なぜだと思われますか?私は,その選択の基準が,形ではなく内容だからだと思います。そもそも特別支援のベースとなっている理念は「場による教育からニーズによる教育への転換」です。でも何だか特別支援の組織や体制が整っていけばいくほど,診断だの何だのは前に進むけど,診断がついたとたんに通常学級から切り離されて,何か狭い部屋へ入れられて,聞いたこともないむずかしい用語は聞かされるけど,学力が向上したという手応えはほとんどない。何も変わらないどころか,学力の面でも後退しているような気になってしまう。こんなことなら,勉強ができなくても,通常学級にいて,集団の中でいろいろなことを吸収できるほうがよっぽどましだった。そんな声も聞くんです。本当は「特別支援学級に入りたいけど,なかなか希望が多くて・・」こうならなければいけないのではないかと思います。特別支援学級を勧めるけど,保護者の方が理解していただけない理由については,それはむしろ私たちの方の課題だと思うのですが・・・」

その時は正直,「また余計なこと言っちゃって,学校から煙たがられるな」って思っちゃいました。

私の尊敬する特別支援学級の先生の所へは,学区を越えて,多くの方の入級希望が殺到しています。逆に「あの先生が特別支援学級の先生なら,絶対に行かない」とおっしゃってる保護者の方もいらっしゃいます。

「保護者の無理解」

私の辞書には必要のない言葉だと思っています。

いいかげんに止めていただきたい「関係機関の上から目線!」

 2008-05-10
4月と5月。それぞれ1回ずつ、ある小学校の特別支援学級へ、お母さんとそのお子さんと私の3人で訪問させていただきました。

校長先生も、特別支援教育コーディネーターの先生も、特別支援学級の先生も、それはあたたかく、ていねいに対応してくださいました。

実はこの学校は、市内でも指折りの評判の良い小学校で、ご両親は上のお兄ちゃんの入学の際に、わざわざ家を転居・新築までされてこの小学校を選択されたほどでした。さすがは評判にたがわぬ名門校といったところでしょうか?(ちなみに公立ですよ)

忙しい校務をぬって、コーディネーターの先生は、すぐにケース会ということで、セッティングをしてくださいました。このスピードの速さにも、どれだけ保護者のことを大切に考えてくださっているかという温度が感じられます。

事前に要項も準備してくださっていました。お茶まで用意してくださっていました。約束の時間1分も遅れることなく周到にご用意くださっていたことが、こんなところからも伺えます。

(学校によっては、そのへんの温度、全然違いますよ。ちなみにお茶もきっとこの先生が、きちんと準備してくださったものでしょう。出がらしではなく、お客さん用でした(笑))

これだけの構えで迎えてくださるくらいですから、そりゃ自然、内容も充実してきます。あたたかい・やさしい言葉の端々に、保護者に寄り添う姿勢が感じられますし、指導に対する自信や安定感が感じられます。教室も、何ひとつためらうことなく、隅々に至るまで公開してくださいました。

1時間程度の会が終了し、帰りの道すがらお母さんに感想をお伺いすると、気持ちは一気に特別支援学級への入級に傾きました。当然といえば当然です。

(以前には別な学校で、その逆で、特別支援学級の先生に会った瞬間に、入級を拒絶されたお母さんもいらっしゃいます。このへんははっきりしていますね。)

こうなると話は早いです。すぐに次の日に、教育委員会の就学担当の指導主事に電話をかけました。今後の手続きの確認ということで、特別支援学級入級の資料として、1年以内に実施された発達検査が必要であることを確認しました。

自治体によって多小違うのかも知れませんが、この発達検査というのが、結構やっかいです。必要なのは理解できますが、もうちょっと何とかならないものでしょうか?

ここからは、悪口になるので、対象となった機関名は伏せさせていただきます。が、またしても、かなり腹が立ってしまいました。

私は、保育園の就学担当者ということでその期間に発達検査の問い合わせをさせていただきました。が、その担当者の温度は、「発達検査の依頼なら、市の保育課を通していただきたい」というものでした。

もしかしたらこれは、私の思い過ごしや勘違いかもしれません。しかし、私が小学校の教員の時にも何度もここに発達検査を依頼しましたが、一度たりとも「市の教育委員会を通してください」なんて言われたことはありません。この温度差は何なんでしょう?

私のことですから、かなりひつこく担当者に食い下がりました。発達課題のあるお子さんの就学のあり方が、従来のそれと大きく変化したこと、保護者が就学の第一の主体者で、その就学にかかわる自己決定がその後の教育にいかに大切な意味を持つか、等々・・

しかし返答は、以前の書類のどこどこの部分にこんな規定があり、ゆえにとにかく市の保育課(要は、市長印がいるということらしい)へ自分で電話しろ、あとはその担当に聞け、枠だけはまあ開いているんで、とまあこんな感じに受け取れました。(さすがに、口調は敬体です。でもすごく冷たい感じです)

これも少し昔の話で恐縮なんですが、ある保育園(うちの姉妹園です)で、地域の小学校に、運動場使用のお願いに行ったことがあります。そのときにも、まあ「うーん、それはちょっと」とむげに校長から追い返されそうです。

たまたまその時、その保育園に当時の教育長さんのむすめさんが職員でその保育園で働いてくださっており、お孫さんも園児として在園していたので、何らかの形でそのことが学校に伝わると、手のひらを返すようにVIP対応に変わったという事実があります。

私は、こういうことが絶対に許せない、と強く思っているのであります。

それも一度や二度ではない。相手を見て態度を変えることが、絶対に許せない。

特に、発達検査を担当するという機関は、子どもや保護者に一番寄り添っていないといけない機関じゃないか?その窓口が、こんなことでいったいどうするんだ。と怒り心頭です。

もう10年以上、私立保育園の園長をしている家内がそばで一言。

「保育園でさえ、公的機関ではずっとずっと低く見られてきた。ましや、さらに弱い立場の保護者は何度冷たい対応に涙を流してきたことか・・・・」

去年も、某相談機関での、担当者の上から目線・上から口調。私のことをはなから見下して、知ったげに調子に乗っていろいろ言って来たので、ちょっと反論すると、急に鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔になって、

「いえ、私はただの窓口なもので、そう言うことは教育委員会の上の人に言っていただかないと・・」

私はこの方が、退職校長なのを知っています。何という姑息な。ここに来るなら、せめて「インクルージョンのせめてイの字くらい勉強してきてほしい」「サマランカ宣言が何かくらい、知っておいてほしい」「就学指導がどうして改革されたかその経過や過程くらい知っていてほしい」 さもなくば、保護者を見下すような指導だけはしないで、心だけは保護者に寄り添った言い方をしてほしい、と思ったのでした。

がまんできなかったので、教育委員会の指導主事に事情を話すと、あとで、ちょっとお偉い方から丁寧におことわりのお電話をいただきました。構造は、先の例ときっとおなじなのでしょう。悲しいことです。

私でさえこうなんですから、さぞや保護者の方は、おしてしかるべし、なのではないでしょうか?

それとも、ただ単に私が短気で、ただの特別支援クレーマー?になりさがったということなのでしょうか?

こんなことばかりしてると、ブラックリストのっちゃいますね。あーいやだいやだ。

ご批判・ご意見・ご感想・体験談などありましたら、ぜひお伺いしたいものです。



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どうして子どもは問題行動を起こすのか?(応用行動分析・PBSの立場から)

 2008-05-09
連休明け、どうも私の周囲では、あちらこちらからいろいろな面で、教室などで息切れしかかっているお子さんがいるようです。

応用行動分析の理論に基づいたPBS積極的行動支援(positive behavioral support)の手法は、一見ややこしいように見えますが、これほど単純明快で、わかりやく、実効的な理論は他にあまり例がないのではないかと私は思っています。

ちょっと大きな本屋さんの特別支援のコーナーには、かならずある緑色の本「子どもの視点で考える問題行動解決支援ハンドブック」 ロバート・E・オニールら著 学苑社 はいつも私の手元にあって、何度も何度も読み返しましたし、保育園で起こる様々なトラブルも、このシートをアレンジして分析すると結構いろいろ見えてきます。私は、実際にいくつかのケース会議で使用しています。

今日はその中から、「問題行動を維持している結果事象の定義」を中心に紹介させていただこうと思います。

子どもが、問題行動を起こす理由を、大きく分けるとしたらこの2つです。

1つは、欲しい物を獲得する(快刺激の獲得)です。

問題行動(例えばだだをこねる等)をすることによって、自分自身の内部の快刺激(内的な興奮・エンドルフィンの分泌)や相手のほほえみ・抱きしめ・しかめっつらなど様々な人からの注目を得たり、場合によっては食べ物やおもちゃやお店に連れていってもらえたりします。

だだをこねて、こんな快刺激を得ることができると味をしめれば、何度でも子どもはそれを行います。あたかも、イルカやアシカが芸をして、えさをもらっているようなものです。

もう一つは、不快刺激からの回避です。

問題行動を起こすことによって、自分の内部のいやなことから一時的に逃れることができます。例えば、眠くてたまらないときに、大声を出したら眠さは生理的・一時的に回避できます。

また、やりたくない課題があったら、大暴れすれば、しかられますが、その課題を結果的にしなくてすむわけです。それがねらいならしめしめです。おまけに、怒られることは、案外子どもの内部では快刺激になっていることも多いようです。

また、人から注目されたりすることが嫌な子の場合、問題行動を起こすことによって、その人からの注もを結果として逃避できることがあります。不快刺激からの回避とは、こういうことです。

では、こうした問題行動を起こさないようにするにはどうしたらよいのでしょうか?

方法はいくつかあります。

まずは、問題行動が起こった時に、快刺激を得たり不快刺激からの逃避をさせたりしないということです。簡単に言えば、無視をすることです。おこったりもなだめたりもしないということです。イルカにえさを与えなければ、芸をしなくなるという論理です。

次は、よい行動、望ましい行動をしたときに、その子にとっての快刺激をうんと与えるということです。つまり、「不適応行動をしても、ちっともいいことも何にもない」と、行動を通して子どもに体感させることです。

いきなりここへ行かないことも多いでしょうから、その場合は、まずは「せめてこうしなさい」という妥協案(PBSでは代替行動と言います)を示して、できたらほめるということです。例えば、「がまんできないときは机をたたくのではなく、席を離れてもいいから、この場所で過ごしなさい」と指導したりすることです。

クールダウンするなどの、時間的・空間的な配慮も必要でしょう。

しかし、これはあくまで代替行動・一時避難であるので、より望ましい方向(例えば自分でそういう時にすべき課題を用意して、あとで先生にきちんと告げるなどでしょうか?)を示し、指導し、評価することが大切です。

また、細かい面で言えば、きっかけとなる事象(例えば急な予定の変更・騒音・睡眠不足・わかりにくい課題の提示・不公平感など)は、できるだけ事前に取り除いておく必要があります。このことは、「セッティング事象・直前のきっかけ」と翻訳されています。

とまあ原理はだいたいこんな感じです。しかし、いろいろな背景や要因が複雑に絡み合ってる現実の中で、その事象を整理したり分析したりするのは、かなりの力量が必要です。

しかし、それができさえすれば必ず解決の方向性が見つかると思えば、結構気持ちは楽になるし、底なし沼から脱出するための細いロープくらいの役割は果たすのではないかと思います。



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通常学級で受け入れられる子(そのための親の役目)

 2008-05-08
以前お伝えしたことのあるお子さんのことですが、振り返ってみると、その子は私がかかわった中では、かなりこだわりの強いお子さんでした。

にもかかわらず、学級集団だけでなく、全校の児童から愛され、支えられていました。その子が1年生の時、6年生をから「○○ちゃんのいない卒業式なんて、考えられない」と言わしめたほどです。

でも、ここまで来るには、ご両親やご家族のの並大抵ではないご努力がありました。

まず、ご両親は、地域の保育園と幼稚園の両方にこの子を通わせています。

それは、小学校にあがってくる一人でも多くの同学年の子どもとのつながりを深めたい、という思いからでした。

お母さんも、お父さんも、保育園・幼稚園の行事だけでなく、さまざまな地域のイベントにもその子を連れて積極的に参加をされていました。

もちろん、小学校に入学されてから、参観日はもちろんのとこ、様々なイベントにも進んで参加をされ、ご両親ともお仕事をもたれている中、何とかやりくりをつけて、役員をしたり、影のスタッフをしたり、誰かが腰が引けるようなときがあったら、じゃあ、と言って進んでその役を引き受けてくださったりしていました。

1年生の参観日のとき、私は特別支援学級でその子の担任でした。でも、そのお母さんは真っ先に1年生の通常学級に飛んでいき、他のお子さんと楽しそうにいろいろと話をされていました。中にはやんちゃな子もいましたが、みんなそのお母さんのことが大好きで、まぶりついていくように、すぐに子どもの輪が広がっていきました。

これで、この子が、通常学級のみんなから受け入れられないわけはない。

私は、そう感じていました。

当時、その特別支援学級は創設されたばかりで、ただの普通教室でしたが、その頃は、今と比べると予算もうんとあったので、1年あまりで、結構な設備や備品を購入することができました。

となると、この教室は、子どもたちには天国のような部屋に見えます。トランポリンも、鉄棒も、キッチンも、遊具も、おまけに床は天然木のフローリングにまでなりました。

「いいなあ、○○くんは~」

という声もちらほらと聞こえてきましたが、それでもやっぱりこの子はみんならから受け入れられていました。

担任として、このことがどれだけ大きな支えになったかわかりません。

私は、特別支援学級の担任をする前年は、2学級ではありますが、その学校の6年生の学年主任をしていました。

私が特別支援学級の担任をすることも、かなりのサプライズだったと思いますが、当時その決断をされた校長に、このご両親の営みが無関係だったとは思えません。(この小学校の校長は、幼稚園の園長兼任でしたし)

誰にでもできることではありませんが、親としてすべきことの方向性として、何かの参考になるのではないかと思っています。



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通常の学級での積極的相互依存(positive interdependence)の関係

 2008-05-07
発達の課題のあるお子さんが通常学級で学ぶ場合に大きなポイントとなることは、「その子がクラスの大切なメンバーとして受け入れられること」だと思っています。

日本ではそのことを、これまでは特別支援教育の視点ではなく、学級づくり・学級経営・特別活動の分野からとらえられることが多かったようです。

それはそれでとても意義のあることではあったのですが、いわゆる担任の先生の人間性とか個性とかそういった形で紹介されることが多く、何かの指針としてなかなか論理的・実証的に体系づけられにくい分野として存在していたように思います。

その点、アメリカの研究はそこを理論として、実証としてきちんと整理してきます。

表題の「積極的相互依存(positive interdependence)」という言葉は、1980年代にミネソタ大学のジョンソンという方が提唱した協同学習のミソとなる考えです。

簡単に言えば

「Aちゃんは、ぼくのクラスの大切なメンバー」

「Aちゃんがいるから、ぼくたちのクラス」

「Aちゃんといっしょのグループになりたい」

「Aちゃんの苦手なところは、みんなで支え合って補っていきたい」

「でもAちゃんは大切なぼくたちのメンバーだから、この部分はAちゃんにもがんばってもらいたい」

「Aちゃんが活躍したり、勉強が少しでも向上することは、Aちゃんだけでなく、ぼくたちみんなの喜びでだ」

「Aちゃんの勉強が向上することは、ぼくたちのグループが向上することとまったく同じことだ」

そんなふうに学び合い、支え合う集団のモラルのことです。

もちろんアメリカの場合は、そこに人種の問題が厳然としてありますし、社会的な背景や学校を取り巻く環境も全然違います。

また、ジョンソンの協同学習もグループを基本単位としてとらえていて、1学級30人・40人という日本の学級集団とは大きく異なる面が多いのは確かです。

しかし、通常学級に席があっても、そこに所属感がなければ、メンバーシップがなければ、そこにどれほどの価値があるのかは疑問に思われます。

時には、学級担任は学びのコーディネーターで、学習の主体者は子どもであり、そのメンバーである、という発想の転換も必要な気がします。

先生が個別指導をするのなら、45分のうち、一人あたりはせいぜい2分。特別支援学級でも10分もあればいい方です。

保育園に来ている学童保育の小学生の中に、それはすばらしい女の子がいます。1年生なのに、だれよりもAちゃんのことを気にかけてくれていて、いつも上手にサポートしています。

それは、でしゃばって何でもかんでも自分がしてしまう、ということではなくて、AちゃんがすべきことはちゃんとAちゃんにさせる、というレベルです。

ここまでくると、へたな先生よりランクは上で、学級40人いれば、役割がそういう子を育てていきます。勉強の教え方も、さすがに寄り添った教え方をして、こっちが勉強になるくらいです。

先生が大切なことを示し、きちんと評価してやると、こんな子はますます生きてくると思います。

Aちゃんも、今、小学校で最初の壁にぶつかっているように伺っていますが、あの先生ならきっと乗りこえてくださるものと、心から期待し、応援しています。



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子どもが勉強がいやになる時

 2008-05-06
先日、学童保育で来ている小学生の勉強の様子を見ていると、おもしろいことに気がつきました。

それまで、ちょっとごそごそしていた子どもたちが、勉強タイムになると、結構顔つきが変わり、真剣に取り組み始めたのです。

1年生~3年生がほとんでなのですが、どの子も漢字ドリルや算数プリントに一生懸命取り組んでいます。

児童はいろいろな小学校に所属しており、だれができるとかできないとかも関係なく、勉強自体をそれぞれが楽しんでいるように見えて、ほほえましかったです。みんな勉強したいんだなって、感じることができた瞬間です。

以前、小学校の教室で全然勉強しなかった6年生の勉強を指導したことがあります。最初は抵抗感がありましたが、2年生の長さ調べあたりの内容をその子にアレンジして示すと、おもしろいように意欲的に勉強し始めた体験があります。

この私も、英語を学ぶとき、すごいレベルの教室に一人だけ入れられたら、そりゃあやる気を失います。自分の頭の上で、ネイティブの会話が飛び交ってついていけないとしたら、せっかくの決心も揺らいでしまうこともあって当然です。

しかし、本当はどんなレベルであっても、学ぶことそのものの価値は同じであると私は思うのです。私の行っている英会話スクールでは、ご高齢の方がそれぞれのレベルでで学ばれている姿を拝見します。私は、超がつくほどの初級コースからスタートしましたから、それぞれのレベルでいろいろな方と巡り会ってきました。それは本当に尊いこと、すばらしいことで、ただただ頭の下がる思いです。

ある時、ちょっと上のレベルになったとき、メンバーの人が何を言っているのかわからない時がありました。学費を先払いしているのでやめるにやめられず、相当悩んだときがありました。そのとき、カウンセリングの先生が、「ここは誰もが苦しむひとつの壁になっています。しばらくは、リスニングだけに焦点を当てて、マンツーマンレッスンを受けてみるのもいいかも知れません」とアドバイスをしてくれました。

やめてポイントを捨てるよりはまし、と判断し、マンツーマンレッスンを10回くらい受けましたが、何とか少しずつ自信を取り戻し、その後今日までレッスンを続けることができています。

学び方は100人いれば100通り、すべての子どもが完全習得学習で次のステップへ進むことができればそれでよいのですが、そうでない場合は、一定の個別対応は必要です。

少人数指導とか習熟度別クラスとかいろいろな試みがされています。しかし、根本がそのままで小手先だけ代えても、すぐに結果がでるとは限りません。

教育のユニバーサルデザインという発想がありますが、すべての子どもが自分の個性と能力に応じて、自分で目標を決めたり、自分で進んで学んでいくような、そんなシステムができないものかと考えてしまいます。

いっしょうけんめい学びたいという、それはけなげで大切な子どもの思いを、私たちは決して踏みにじってはいけない、そう私は思っています。



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言葉を指導することと基本的な信頼感

 2008-05-05
毎週1度、土曜日に勉強に来る1年生の男の子。

ひらがなカードで最後まで、学習に取り組めるようになりました。
出てくる言葉も、指導の度ごとに増えてきています。

昨年、幼稚園のことばの教室で「絵画語彙検査」を受けたときに、そばで見ていましたが、当時と比べるとエネルギーがまるで違います。明らかに言葉を使おうとして前へ進んでいこうとするエネルギーがあります。

私も英語のレッスンを受けていますが、先生から必ず指摘されるのが、ブロークン(でたらめな文法?)でも何でもいいから、レッスンを受けること、そして会話に参加すること、それ以外に上達の道はない、ということでした。ことわざで言えば、習うより慣れろ、ということでしょうか?

まさにこの子は、言語習得の王道を堂々と進み始めたのだと思います。

この男の子は、先日、学童保育の遠足で公園に行ったとき、縄ばしごで高いところへ上ったのはよいが、こわくなって上で立ち往生してしまいました。

助けようと思って上へ上がってみると、確かに怖い。おまけに縄ばしごが揺れるので、抱きかかえて降りるのが相当危険な状態に思われました。

そこで、「先生が一緒に降りるから、いっしょに降りよう」というと、何とうなずいて一緒に降り始めました。ゆらゆら揺れながら、私とその子は、同じ段をひとつひとつ確かめるように降りて行きました。

この子の背中の体温にふれたとき、結構信頼してくれているんだなという気持ち、ある種の絆を感じることができました。これまで何人の子どもたちと接してきましたが、ときどきこんな気持ちになることがあります。

親子の間では同然のことですが、指導者との間にもこうした関係が形成されることはとても重要です。教育は互いの信頼の基盤の上に成立するとはよく言われることですが、これから本人の苦手な言語の分野の指導にはこうした基本的な信頼感は不可欠です。

いっしょにおやつを食べ、絵本を読み、車のおもちゃで遊び、入学式の前日に学校に下見に行き、私たちの基本的な信頼感は徐々に形成されてきました。

しっかりとした基礎の上に、きちんとひとつひとつのことを積み上げていきたい。厳しいかも知れませんが、正直、私は土曜日のこの子の指導が待ち遠しくてたまりません。



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集団における個別サポートの可否

 2008-05-04
通常クラスでの指導に際して,個別支援を専門に行う先生が別にいて,必要に応じて支援を行うシステムがあります。

一見すばらしいシステムのようですが,実際に行ってみると,すべてのケースでうまく行くとはいえないようです。

たとえ同じ教室にいても,集団の中で学ぶ中身がなければ,あまり意味があるものにはなりません。大切なのは,大切なクラスの一員としてのメンバーシップがあるかどうかです。

どんなに障害があっても,懸命に努力する姿は,人も心を打ちます。しかし,このシステムは子どもの困難に立ち向かって努力する芽を,結果として事前につみ取ってしまう結果になりやすいことを,十分に知っておく必要があります。

例が悪いとお叱りを受けそうですが,きちんと訓練していた優秀な犬に,可愛いからと行って安易にえさを与えると,かえってだめ犬にしてしまいます。

わがままはしかる。出来たとき,努力したときにはほめる。そのことが,個別サポートの可否を決めると私は考えていますが,多くの場合に,甘やかす結果となっている現実を,私たちはしっかりと受け止める必要があります。



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集団の中で学ぶ・育つポイント

 2008-05-03
先日、保育園に来ている小学生(学童保育)のお子さんたちの学習のお世話をさせていただきました。主に1~3年生の小学生が約15名ほど来てくださっています。

学年も学校もバラバラで、様々な課題のあるお子さんもいらっしぃます。

ですから、学童保育の指導は大変です。私の経験からすると、学童保育の先生をするより小学校の学級担任をしている方が指導としては楽なくらいです。

ちょっと目を離すと、いろいろな出来事が起こります。

しかし、子どもたちはかわいいです。

先日100円ショップで、1冊100円のドリルを何冊か購入しました。自分の好きなの選んでいいよ、と子どもたちに話すと、

「ホント、これに自分の名前書いていいの?自分で使っていいの?」と目をうるませているお子さんもいました。

ジグソーパズルの完成記念に写真をとってやると、とてもうれしようなキラキラ目で大切に家に持って帰っていきました。

こほうびで、ミニ遠足をして、飛行機の見える公園でみんなといっしょに遊びました。ベンチにこしかけてみんなでアイスクリームを食べました。

「先生、今度はごほびにどこへ連れていってくれるの?」とかわいい質問を何度もしてくれています。

最初は、子どものパワーにとまどっていた先生の背中にも、いつの間にかおんぶされている子どもの姿がみられるようになってきました。

みんな、自分のこと見てもらいたくて一生懸命です。それは、発達課題があろうがなかろうが子どもならみんな同じです。

ここに、発達課題の子が集団で育つ大切なポイントがあると私は思っています。

学童保育の担当者の打合会で、私は次のようなことを担当の先生にお願いしました。

「気になる子、何とかしてあげたい子がいたら、まずはその周りの子どもと信頼関係を築きなさい。先生が大好き、先生が自分のことを大切にしてくれているとある程度の手応えが感じ取れるまでは、特別な指導には慎重に取り組みなさい。そうしないと、その子が知らないところでいじめられたり、孤立したりする可能性が高くなります。逆に信頼関係ができてから取り組むと、周りの子が小さな先生になってその子を影で支えてくれるようになります。どの子も、みんな先生に心を寄せています。やんちゃな行動は、先生、ぼくはさびしい、のサインです。方向性はしっかりともちながらも、決してあせることなく、どの子にも公平に接する感覚が大切です。その土台がしっかりできれば、必ず気になる子のアプローチの方向性は見えます。子ども集団の力と可能性を信じましょう。」

この日、ちょっと前にフェンスを乗り越えて脱走した男の子の宿題を見ました。やんちゃだけど、かわいいやつです。

「すごいね」「よくできるね」とほめると、まるで別な子のように一生懸命勉強に取り組みました。(と、後で指導員の先生が教えてくれました。(笑))

この子を私の子分にして、○○ちゃんのボディガードに育てたい、と密かにたくらむ私なのでした。



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成年後見制度(自分に代わって我が子をサポートするシステム)

 2008-05-02
ご縁があって今、成年後見制度に関するあるNPO法人の設立について、オファーをいただいています。

もともとは、まったくプライベートなお付き合いをさせていただいている方から、理事の一人として、発達課題のあるお子さんの保護者に近い方の力を借りたいということでお話をいただきました。

何せ、にわか勉強なので、ほとんどは受け売りですが、概要は以下のようなことです。

成年後見制度は、ドイツやイギリスの先進例を参考に、日本では2000年4月に法制化されたようです。

将来自分たちが年老いて、この子の世話ができなくなったとき、いったい誰がこの子の生活を支え守ってくれるのか?そうした不安に対して、制度として一定のサポートをするのがこの制度の主旨です。

成年後見制度は大別すると2つに分けられます。

一つは法定後見。保護者の申し立てにより、家庭裁判所が選任します。

長所は取消権(詐欺的な取引を取り消すことのできる権利)があることと、無料であるということ、本人に意思決定能力がなくても選任できるということです。

逆に短所は、選挙権を失う、後見人を選べない、申請が必ず受理されるとは限らない、ということです。

もう一つは任意後見。これはそれぞれの事情に応じて範囲を契約で自由に決めるものです。

お金さえ払えば、その内容は自由に設定できますし、信頼できる人を選択することもできます。ただし、費用がかかることと、取消権がないこと、さらにはじゃあ実際一体どこの誰に相談し、決定していけばいいのかという具体的な問題もあります。

現在弁護士や司法書士、ケースワーカーなどで業務を行っているところもあるようですが、費用や信頼性・地域性・実績などでまだまだ課題も多いようです。

こうした信頼できる人柄・知識・技能・意欲をもった人材を育成し、この制度を実効的なものにしていこうというのが、このNPO法人設立の意図のようです。

興味はありますし、社会的な意義も深いのでいいことではあるのですが、要はお金のかかることなので、現在思案中です。

もし、何か情報やご意見をおもちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただければ幸いです。



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Author:SHINOBU
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