通級指導教室のニーズ
2008-02-29
通級指導教室の場合,私の知っている限りでは,希望してもなかなか入れないのが現状のようです。ここに我が子にあった教育を受けさせたいという,保護者の方の切実な願いが現れています。
週に1度,あるいは2週間に一度,たとえ結構時間がかっても,仕事の都合をつけて,保護者の方は,お子さんの送り迎えをされます。
ならば,もっと近いところに,週に何度も行くことが出来て,希望者すればほとんどの方が入級出来る,そんな時代がやってくるのでしょうか?
集団の中で,地域の中で,みんなといっしょの輪の中で我が子を育てたい。そして,この子にあった専門的な教育を受けさせたい。
ニーズに寄り添った教育を特別支援教育と呼ぶならば,これからの教育の方向性は,こんなところにピントがあると,みなさん思われませんか?
就学先を決めること
2008-02-28
昨年の秋のことです。あるお子さんの就学支援にかかわって,発達の課題はあるけれども,通常学級の在籍を基本にお願いをする予定で,ある小学校にお願いに行きました。
お子さんのようすや,これまでの経過についてお伝えし,いかにこの子にとって集団の中での保育が意味のあるものであったかを理解していただこうと必死の思いでしたが,話している途中で,この特別支援学級の先生が,子どもの自立を視野に置いて,通常学級での交流が意味のあるものになるようにと,日々すばらしい実践に取り組んでいらっしゃることがわかり,これ以後,この先生ならばと,特別支援学級への入級へと大きく傾いていきました。
この体験から,就学先を決めるというのは,単なる選択(Choice)ではないんだなということを感じました。場所や名前など,形だけで判断はできません。実際のそこで,どのような教育が行われるか,しっかりと話し合いをし,よりよい形を見つけていくことが大切です。
英語で決めるといういう意味の言葉には,Decideという単語もありますが,これは即座に決心するというニュアンスで,ちょっと違う感じです。
就学の場合には,「よりよいものを目指し努力した結果,そのことに同意する」といった意味に使われるDetermineが,一番ぴったりなような気がします。
もっと大げさに言えば,「選ぶ」「決める」より「つくる」といった作業が,お子さんの就学には大切なことだと思いました。
IQ値は変動する?
2008-02-27
知能検査のことで,本当にあった話です。プライバシーのこともあるので,あまり詳しくは書けませんが,1年で20位指数が向上したケースに直接かかわりました。
それが測定の誤差によるものか,本人の成長によるものか,別の要因によるものかは特定できませんが,知能指数というものは,そんなものです。
「先生の指導のおかげです」と,その子のお父さんが涙目で,感謝の気持ちを伝えてくださった日のことを,昨日のように思い出しますが,同時にそれは,それだけ以前の数値がご家族を苦しめていたことの証ですし,知能検査の脆弱さを露呈したことでもあります。
知能検査は,一時的に,その子のある部分だけを断片的に切り取っただけのものです。
まったく無意味なものとは考えませんが,就学の場面で鬼の首をとったように,知能指数だけを強調する担当者を何人も目にしてきました。
IQという数字にとらわれるのではなく,その子に関わり,その子と歩む担当者になってほしいものです。
心を傷つける知能検査
2008-02-26
どこの自治体でもそうなのでしょうが,岡山市では,特別支援学級などに入級を希望される場合は,医師の診断書もしくは公的な機関での知能検査の数値が必要となっています。就学相談の場面でも,学校の先生は言いにくそうな表情は浮かべますが,ほとんどの場合「診断名は?」「IQは?」など,量的なデータで判断される傾向があります。
そして,診断名を聞いた瞬間,IQ値を知った瞬間,本人のようすを知ろうともせず,ガチガチなイメージ固定化されてしまうことは,日常的にいろいろなところで起こっています。
それまで普通に暮らしていたわが子が,チェックリストなりスクリーニングにかけられ,専門機関に行ったとたんに障害児になり,いくら日常の生活の様子を伝えようとしても聞いてもらえず見てもらえず,「あの保護者は,障害を受け入れられない」なんて思われてしまう。何とも悲しい現実です。そんなことはないと思いますが,「診断がついてよかった。よかった」「これで専門家にみてもらえる」「障害児は,自分の担当ではないし・・」て思っているように見えてしまいます。
そしてこのIQの数値が,ななりクセ者です。特に60とか70とかだと,1Pの差で支援が受けられたりそうでなかったり,情緒となったり知的となったり,高校に行けたり行けなかったり,補助金が出たり出なかったり,そんな話,本当によく聞きます。
それに,田中ビネーとWISCも都合によって,上手に使い分けられているように思われます。大学などの講義では,知能検査の限界や功罪について,たくさん教えていただきましたが,口に出して言われることは少ないですが,多くの場面で,子どもや保護者の心を傷つけていることを,担当者はもっとしっかりと認識すべきだと思います。
こうした量的なデータに対して,日々の行動や支援をていねいに記録した質的なデータは,実際の支援に直接結び付く貴重なものですが,相手になかなかすぐに伝わらないのが,欠点です。
わたしの知っているお母さんは,小学校の先生が,保育園にお子さんの様子を見られた時に,「涙が出そうだ」とおっしゃっていました。子どもを見もしないで,数字や紙きれで決めつけられることへの強い抵抗感がそこにはありました。
私は「たとえ誰にどのように思われようと,このことを多くの方に理解していただくことは,自分の責務である」と思っています。
指導における顧客満足度
2008-02-25
下の画像は,H20,2,24(日)に「湯郷温泉 かつらぎ」でいただいた朝食です。ぼくは,どちらかと言えば,ラーメンとかとんかつとか,焼きそばUFOとか,いわゆるジャンクフードが大好きなんですが,さすがにこの日の朝食には感激し,朝からごはん3杯もいただき,心から満足しました。さすがに毎日とは行きませんが,記念日には少しくらい高くても,ぜひもう一度来てみたいと思いました。たまの贅沢で,また明日から,いっしょうけんめい仕事がんばろうっていく気になりますよね。活力がでます。
実は,「白ゆり学習指導教室」のコンセプトは,これに近いものがあります。何といっても,子どもにとって学校は切り離すことのできない大切なものですから,それにとって代ろうという気はサラサラありません。しかし現在,支援の必要なお子さんが,質の高い個別指導を受けられる機会はほとんど見当たりません。
学校で生き生きと学習していけることを目指して,まさにオーダーメードで,目標を明確にして,2年3年と計画的に指導をすれば,子どもはどうかわるだろう?今,ぼくが一番実証してみたいことがらです。
「困り感」で有名な岡山大学の佐藤暁先生は,ぼくに「たのまれない仕事は受けるな」と教えてくださいました。
「白ゆり学習指導教室」は,チラシも広告も,最小限(できればなし)で運営していきたいと思っています。それは,Customer satisfaction「顧客満足度」を満たすことが,最高の宣伝になるし,そのことにこだわった質の高い教育を行っていきたいと考えているからです。

湯郷温泉かつらぎ
2008-02-24
この日は,夫婦で「湯郷温泉かつらぎ」というところへ行ってきました。行くのを決めたのが2日前だったので,準備不足でしたが,じゃらんのクチコミをたっぷり読んで,ここに決めました。しゃれたムート,生演奏,料理自慢の宿ということでした。

宿に着くと,いきなり雪が降り,部屋から庭を眺めると,なかなかの趣となりました。

お部屋は,こんな感じ。和洋折衷のコンセプトです。

料理は,部屋食ではありませんでしたが,なかなかいいムードのお部屋でいただきました。昼間は,全体的に印象は今一歩でしたが,この夕食からイメージは一変。いい宿に来たなって感じになりましたよ。

クチコミ通り,料理は抜群でした。このお肉もとろける感じて,焼いているとあぶらが,かなり落ちてじゅーじゅーと音を立てていました。野菜にその油がついて,なんとも美味でございました。一番うなったのは,黄ニラと地鶏をしゃぶしゃぶ風にいただくもので,味・食感・新鮮味など,最高レベルのものだと思いました。一泊16,000円程度でしたが,費用対効果は十分だと思います。黄ニラと地鶏,死ぬまでにもう一度食べたいと思いました。関心のあるかたは,「じゃらん」で検索されるとよいと思います。
お母さん! たまには自分にごほうびを
2008-02-23
これまでも,何人かのお母さん方とかかわりをもたせていただきましたが,お母さんって,喜びも大きいけど,毎日のご苦労もかなりなものですよね。日々時間に追われながらも,真剣にお子さんに向き合って来られたお母さん。本当に尊い営みです。
むずかしいこととは思いますが,うまくやりくりをして,たまには何か,エンジョイできることを見つけてくださいね。グルメでも,ショッピングでも,DVDでも,エステでも何でもいいじゃあありませんか。
我が家では,珍しく夫婦の意見が一致し,今日から一泊二日で,近場ですが温泉にでかけることにしました。「じゃらん」で検索し,クチコミなんかも参考にして,岡山県湯郷温泉「かつらぎ」というところに行ってきます。料理自慢の宿ということでした。
デジカメを持って行きますので,明日は,このブログにも初めて画像がアップされる予定です。ノートパソコンも持っていくのですが,うまく行きますかどうか(笑)
1年生で脳性マヒのお子さんを教えたこと
2008-02-22
今からもう10年以上も前のことになりますが,1年生の学級担任として,脳性マヒのお子さんの担任をさせていただいたことがあります。当時は,今と違って,就学指導委員会から,かなり強烈に養護学校へ入学を勧める指導があったことと思います。しかし,ご家族の強い願いと信念で,通常学級で入学式を迎えることとなりました。
私はと言えば,そのころはまだ,養護学校の免許も何もなく,ただのふつうの?学級担任でした。このときの思い出といえば,「本当に楽しい1年間だった」ということだけです。
学力の面で,どれだけの力をつけたか?と問われれば,お恥ずかしい思いも多少ありますが,少なくとも,担任として負担を感じたことは,全くと言っていい程ありませんでした。
それはなぜだと思いますか?答えは「周りの子が育つ」からです。
脳性マヒのお子さんですから,歩くのもぎこちなく,給食当番も,ある意味ヒヤヒヤものだったかも知れません。でも,周りの子の支えは,ほほえまし,くすばらしいもので,担任としては,毎日学校へ行くのが楽しくて仕方ありませんでした。お母さんからも,何度も感謝のお言葉をいただき,本当に幸せな毎日でした。
学力の保障,将来まで見据えた系統的・計画的な個別指導計画,個別のニーズに寄り添った専門的な指導など,考えていかなくてはならない点もたくさんあったことでしょう。でも,そのお子さんとご家族にとって,決してこの1年が意味の無いものであったとは,決して思えないのです。
その子は3年生から,お父さんの転勤で,横浜へ転校して行きました。振り返れば,この1年の体験が,ぼくの人生を大きく方向付けることになりました。
今,どうしているんでしょう。機会があれば,会いたいです。きっと1年3組にいた子どもたちの心にも,この1年の時の体験は,心の底で,ずっと息づいていることでしょう。
大切な脳の話
2008-02-21
「発達のことをきちんと学びたい」こうした思いから,ぼくは,現職教員の身分のままで,岡山大学大学院 教育学研究科に入学させていただくことができました。
今さらゴマをする気はサラサラありませんが,岡山大学の特別支援教育担当の先生方は,本当にすばらしい先生方でした。
脳のことについては,Dr.眞田に,わかりやすく,詳しく,そして丁寧に,時には厳しく教えていただきました。いい年こいて恥ずかしい点もとれないので,試験の時は,何十年ぶりかで,本気でテスト勉強しましたよ(笑)
これからも,眞田先生には,いろいろと教えていただこうと,研究室に押し掛けていくつもりでいますが,その中で,時に心に刻まれた脳の話を紹介させていただこうと思います。
それは,人間が「集団の中で暮したい」という欲求が,脳の機能や構造の面からみると,知性や理性の分野ではなく,本能の分野に近い部分に位置しているということです。
このことは,ぼくの教育観に大きなインパクトを与えました。「集団欲というのは,食欲と同じように,人間の一番基本的な部分に根ざしているものなんだ」そう理解することで,これから進むべき方向に大きな光が見えたような気になりました。
ぼくは,可能な限り,すべての子どもが通常学級に席を置いて,子どものニーズ・保護者の願いに寄り添って,必要に応じて高度な専門的な教育を受けられる環境を用意すべきだと考えています。この考えのベースになっているのもこのことです。
附属の特別支援学校にもアシスタントティーチャーとしてお手伝いをさせていただきましたが,つきあいが苦手なタイプの子はいても,「基本みんな集団の中で活動したいんだなあ」という思いを,活動の度にいつも心の中に刻んでいました。
脳の話は,そりゃわけのわかなない医学用語いっぱいでますから,むずかしいです。でも,脳から人を見ると,いろいろなものが見えてきます。これからも,勉強して,わかりやすくお伝えすることができたらなあと思っていますので,よろしくお願いします。
通級指導教室
2008-02-20
岡山市では,情緒と言語,2つの通級指導教室があります。通級指導教室に対する保護者の方のニーズは高く,申請をしても,希望がかなわない場合も多いようです。情緒の通級指導教室の場合,知的な遅れがある場合は,対象とならないようになったようです。知的な面と情緒面との課題の両方がある場合,岡山市では,知的な特別支援学級がその受け皿となることを原則としているからです。
ここに厳しい現実の壁があります。保護者の方は,通級指導教室の専門性に期待しているのに,「あなたは知的な遅れがあるから」と,門前払いを受けてしまうわけです。
すべてがそうとは言いませんが,岡山県の場合,以前は養護学校教諭の免許がなくても,平気で知的な特殊学級(今の特別支援学級)の担任になっていました。特殊学級の担任は,給料がかなり高く,退職前の先生が校長のごほうびでやらせてもらう,なんてこともよくあることでした。(8%アップとか言われてました。退職金・ボーナスまで増額です)
今ではさすがになくなってきましたが,通常学級担任希望の先生が,とりあえず採用されたいので,免許がなくてもまず養護学校から,ということも当たり前に行われている時代もありました。
私が言いたいのは,情緒面のニーズのある子どもが,知的な課題があるからということで,専門性をもった指導を受けられない,という現実です。知的な特別支援学級で,保護者ニーズに添った教育が行われる場合は問題ありませんが,わたしがかかわったケースでは,そうではありませんでした。「だめかもしれないけど,通級指導教室の申請だけはしてください」というお母さんの言葉が,耳から離れません。
財政が苦しい中,特別支援教育にかかわる予算は増額されています。しかし,その受け皿が十分であるとは,とても言えません。
たった週に1時間の指導も受けられない。
ならば,できる者がするしかない。
「すべての子どもに豊かな学びを」 それが私の願いです。
ウォーノック報告
2008-02-19
現在の特別支援教育の源流は,1978年にイギリスで報告されたウォーノック報告にあると思っています。簡単に言えば「あなたは知的障害者だから,この学級です」という考え方から,「あなたにぴったりな,教育環境を作って行きましょう」という考えへの転換です。最初,この報告書について知ったとき,心の中にエネルギーがみなぎってくるような気持になりました。この報告書では,障害のある子もそうでない子もいっしょに勉強する「統合教育」が推奨されています。と同時に,専門的な教育の充実と保護者の権利や責任についても,提唱されています。これこそまさに,保護者の方の願いに添った指針ではないでしょうか?
この報告書は,それまでの世界の特殊教育に大きなインパクトを与えました。いろいろな先生から,イギリスやドイツ,アメリカの教育制度について教えていただきました。でも,実際に見たわけではないので,機会をみつけて,ぜひ一度出かけてみようと思っています。
現実には,なかなか保護者の方の願いの実現には,困難が伴うことが多いと思います。しかし,私が思っているのは,目指す方向は,しっかりしているということです。たとえ思い通りに行かなくても,方向性さえしっかりしていれば,一歩づつ積み上げながら築いていくことができます。夢があれば,困難があっても,前へ進んでいくことができます。
そして,お子様といっしょに,保護者の方が歩んでいく過程で,大切なことをいっぱい学んでいかれることと思っています。
すきまで苦しむ子ども
2008-02-18
今までいろいろなタイプのお子さんや保護者の方とかかわりをもってきましたが,自分の子にぴったりの教育環境ってなかなか見つからないものです。当人にとってはとても大切な事柄でも,案外まわりの人から見るととるに足らないことと見えたり,優先順位が下の方だったりして,すきまで何もしてもらえない子どもをいっぱい見てきました。
教育委員会の直属の教育相談室で,「そんな希望が通るなら,だれでもする」と冷たくあしらわれた体験を,決して忘れることはできません。
「通常学級に在籍して,個別に支援を受けたい」と多くの保護者の方が希望されました。それが,いわゆる教育的ニーズのはずです。特別支援教育は,「場による教育から,ニーズによる教育の転換」と言われますが,残念ながら,現時点ではとてもニーズを満たすものになってはいません。学校現場では,そう簡単に一人一人の保護者ニーズを実現できる環境ではありません。
だったらどうする?それは, 「できる限りのものを,作っていく」 これしかありません。それは大変だし,皮肉も言われるでしょうし,失敗もあるでしょう。
でも,子どものためにと,懸命に力を尽くしている保護者の方に,これまでたくさん出会ってきました。みなさん,どん底から這い上がってこられた方ばかりなので,本当に芯の通った,凛とした覚悟をもって取り組んでおられました。
そのこと自体が,何よりも価値のあることで,尊いことだと考えています。
この10年で,教育をとりまく環境も大きく変わってきました。これまでの方の御苦労もあって,すべての子どもが,行き届いた教育を行う大切さが注目されてきました。でも,このことに現在既製品はありません。すべては,オーダーメードです。
ほんのちょっとのつまづきも,決してあきらめず,前向きに取り組んでいくことが,今あるべき姿なんだと思っています。
次女の赤点
2008-02-17
小学校の教員をしていたころは,夜9時に家に帰って,朝5時には起きて教材を作り,6時過ぎにはたいてい職員室で印刷か何かをする生活で,土・日もほとんど学校に行っていました。なので,我が子のことは,ほとんど何もしてない状態でした。教員をやめたその年,次女が高校に進学しました。中・高一貫の学校でしたので,何とか入学という感じでしたが,1学期のテストで,クラス40人中40番,学年221人中221番。11教科中9教科赤点。懇談で,このままでは進級不可能と言われました。
それまで,塾や公文,家庭教師もお願いしてきましたが,所詮は他人事。決められたマニュアルでは,この子は救えないと思い,父・子のトライを開始することにしました。
娘の教科書とノートを真ん中に置いて,つまづきをひとつひとつ見つけていく作業から開始しました。経験のある方ならわかると思いますが,肉親の場合,すぐに感情的になり「何でこんなこともわからないのか」と身も蓋もないことを言って,何度も子どもの心を踏みにじるようなことをすることが多かったように思います。しかし,この子は,この学校で部活を続けたいという気持ちをもっていたので,この子としては,本当に歯を食いしばってがんばったと思います。
しかし,予想以上に答えはすぐに出ました。2学期の中間では,35人中22番。赤点もわずか1つになり,担任の先生や学年主任の先生に特別にほめていただいたようです。
この経験が,今回,学習支援に本格的に取り組んでみようというモチベーションになりました。できない内容を分析し,基礎固めをしたうえで,何を積み上げていけばよいのかを教えてやり,子どもが手応えを感じるようになれば,学力は伸びます。
能力を出し切って,生きた学習ができていれば,それが何点であってもそれはそれですばらしいことだと思っています。それは,きちんと評価して,子どもに自信と生き甲斐をもたせるのも大人の役目です。しかし,可能性があるのに,そのままで停滞しているとしたら,それもまた,大人の責任です。何らかのトライはしてみる責務があると思っています。滑走路を飛び立つまでは,メカニックは必要だと考えています。
わかったー!
2008-02-16
今からもう,5年以上前の話になりますが,私は小学校で個別支援の学級の担任をしていました。自閉症のお子さんが1年生に入学されるということで,情緒の特別支援学級(当時はまた特殊学級と呼んでいました)の新設に携わりました。ここでの思い出のひとつです。算数の学習のとき,その子が位の仕組み(十の位とか一の位とか)が理解できにくくて,かなり苦労をしていた時期がありました。たとえば「16」を概念が形成させている普通のおとなは,「じゅうろく」と即時に理できますが,そうでない場合には「いち・ろく」と読んでも何の不思議もないはず。私は当時,そのことをそのお子さんにスマートに理解させるだけの技量がなくて,「何でわからないかもわからない状態」でいました(笑)。で,カードを束ねてみたり,数え棒を10本づつ輪ゴムでとめてみたり,手当たり次第,いろいろなことに挑戦してみました。でも,1日たっても,2日たっても一向に理解したと思える様子はうかがえません。
でも,とにかくここがわかなないと,「数と計算」の領域は前へ進まないので,テーブルにそれらしい材料を並べて1週間くらいあれやこれやと悪戦苦闘していました。で,あるとき,たぶん休み時間だったと思いますが,数え棒をいじっていたその子が突然「わかったー」と,興奮気味に声をあげました。(今から思うと,その瞬間,脳内のシナップスが結合され,理解のネットワークが形成されたということだと思います。)えっ,そんなばかな,と半信半疑に確かめてみると,昨日まであれだけ苦労していた問題が,まるでうそのようなスピードで次々と解かれていくではありませんか!
この時の体験は,それまで通常学級の担任を20年近くしていた自分の教育観を決定的にシフトチェンジさせました。その後,個別の学級で培った力を通常学級で発揮させるチャレンジが始まりました。2年生の時は,九九の学習を通常学級より早くスタートさせ,その学年の「九九はかせ」第一号として,通常学級のみんなを驚かせることができました。保護者の方にも大変喜んでいただけました。うれしかったです。教師として,それまでとは全然質の違う,こみ上げるような喜びで胸がいっぱいになりました。一時はもう,完全に教育の仕事から撤退しなければならない状況かなって思っていましたが,本当にご縁があって,またこうした道に進むことになりました。
ぼくは,基本的には「すべての子どもは通常学級に籍を置いて,必要に応じて個別のサポートを受ける権利を有している」と考えています。きっと,これが多くの保護者の方の願いだと,感じています。特別支援教育の理念もそうなっているはずです。でも,現実にはどうなんでしょうか?もし,子どもたちのために,自分ができることがあるんだったら,これまでの経験や知識や技能を生かしてがんばってみたい,というのが今の正直な気持ちです。
「九九はかせ」みたいなことに,今度は民間人として自由にチャレンジしてみたいなあ。
はじめの一歩
2008-02-15
今日,あるお母さんが相談に来られ,個別学習の支援を開始するお約束をさせていただきました。これまで,学校の教師として何人もの児童とかかわってきましたが,一民間人として指導に当たるのは,初めてのケースとなりました。お母さんの期待を感じているだけに,週に1・2回といった限られた機会の中で,どれだけのことができるのか,不安に思うことも少なくありません。しかし,逆に1年2年3年と継続的に,計画的に指導を積み上げていける利点もあります。特別支援教育の理念や理論を語る専門家は山ほどいるけど,それを具現化するのは容易なことではありません。子どもが集団の中で伸びていくために,個別にどんな指導をすればよいのかを,実践を通して明らかにしていきたい。そして,個別の支援を必要とするお子さんの保護者の希望が,現実の学校現場でダイレクトに実現できる道筋を付けたい。これが,子どもの育ちと学びに携わる者としての最後の夢となり目標となりました。その「はじめの一歩」が,今日スタートしました。