通常級の魅力と可能性
2011-10-03
今、来年度の就学に向けて、お子様にとってより豊かな小学校のスタートとなるよう、多くのご家族の方が、懸命なお取り組みをされておられます。2年前の事です。
ある男の子のご両親が、私の所にご相談にお越しくださいました。
幼稚園での集団活動で、少し望ましい行動が取りにくい場面があって、行き届いたサポートを受けられる支援学級でのスタートがよいのではないかというアドバイスを、小学校の先生から受けられたようでした。
幼稚園での行事などで、お母さんがハラハラされる場面も、何度かあったようです。
でも、ご両親は、通常学級を選択されました。
「命に代えても、この子を一人前の子に育てたい。だから、私たちは、通常学級を選択します」
そうはっきりと、私の前で言い切ったお父さんの表情を、私は今でも忘れることはできません。
その男の子のレッスンを、日曜日にさせていただきました。
漢字も、国語の読み取り問題も、たし算の筆算も、とても熱心に取り組んでいます。
今では、就学前に私を困らせたような面影は、どこにも見あたりません。
本当に、立派な2年生になったもんだと、感心してしました。
もちろん、ここまでの成長の歩みが平坦だったわけではありません。
時に、1年生の1学期には、ご家族は、学習や生活の色々な場面での課題にその都度向き合いながら、一つ一つに真っ正面から取り組んでいかれるような毎日でした。
時間は、かかりましたし、ご苦労は並大抵のものではありませんでした。
でも、結局、こういうことがこの子を大きく育てました。
「命に代えても、この子を~」
そうおっしゃっていたお父さんの言葉が、私には、何度も、何度も思い起こされるのでした。
今、私の教室に通ってくれている子どもの中で、通常級か、支援級かで、真剣に悩まれているご家族がいます。
私の、立場からすると、迷われた場合には、支援級をお勧めしておけば、それで良いのかも知れません。
私にとっては、支援級をお勧めしなかったということのリスクの方が、圧倒的に大きいわけですから。
でも、私には、安易に支援級をお勧めすることは、できにくい。
それは、この子のように、通常級で伸びた子を、何人も目の当たりに見てきたからです。
その選択を通して、さらに高いステージと進まれるご家族の営みを、直接、肌で感じ取ってきたからです。
なぜ、そうまでして、通常学級を選択されるのか?
それが、ご家族の見栄や、無理解であろうはずがありません。
自分の命を捨てても、親として、我が子のために力を尽くしたい。
私の教室に来られるご家族は、このような方ばかりです。
通常学級を選択したら、バラ色の未来が手に入るなって、誰も思ってもいません。
それでもなお、通常学級を選択される方の真実を、
そして、その魅力と可能性を、シャープに示すことができる自分でいたいと思うのです。
そこが見えれば、最終的にどのような選択をされても、進むべき道筋が見えてくるような気がします。
ここでの、選択は重要です。
そして、選択後の創造や構成も、さらに大切になってくるに違いありません。
すべては、晴れやかな小学校のスタートと、そこから広がる豊かな学びの道程のためです。
あなたの大切な一歩は、きっとそこにつながっているに、違いないのです。

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クラスの中で特別扱いをしない
2010-10-06
ある2年生の男の子。算数は好きだし、漢字も正しく書けるけど、本読みはややたどたどしく、読解もまだ少し苦手なようです。
担任の先生は、1年生から持ち上がりの女の先生。
教育に対する強い信念をおもちのようで、学級経営の中で、厳しく子どもを育てておられるようです。
決して、優しく自由な感じではありませんが、どの子にも厳しいので、公平で、わかりやすい学級経営です。
特性理解や、教育的な配慮は重要ですが、それがその子の甘やかしや他の子への不公平感につながると、クラスのモラルは低下します。
クラスのモラルが低下すると、真っ先に影響を受けるのは、弱い立場の子どもたちです。
同じクラスの中にいても、心の中にバリアができてしまい、お客さんになったり、無視をされたり、ひどい場合はそれがいじめにつながったりすることもあります。
私は、こうした厳しいタイプの先生のクラスの子どもを何人も見てきましたが、案外子どもは居心地がよい場合が多いようです。
一見優しそうに見えても、不正を見逃すような先生だと、一番に痛むのは、こうした子どもたちです。
先生が厳しい指導をされると、その時はさすがにその子もこたえることも多いようですが、学級経営がうまくいっていると、その周りの子が、「だいじょうぶ?」 「がんばれよ」 すぐに近くに寄ってくれるようになるのです。
力量のある先生なら、きっとそういうことを見越して、クラスに厳しいモラルをつくります。
もちろん、厳しいということと、怒ってばっかりというのは、別物です。
自分の力量のなさを、子どもへの怒りにすりかえるようでは、すぐに子どもの心は離れてしまいます。
子どもは、普段あんなに厳しかった先生が、実はどれだけ深い愛情と理解をもってくださっていたかを知る場面が、きっと訪れます。
こうして教育的な信頼の絆が築かれるのです。
理解することと、特別扱いは違います。
同じ空間にいても、クラスの大切なメンバーの一員となっていなければ、よけい孤独感を感じてしまいます。
もちろん限度というものもありますが、厳しさは、愛情の裏返しです。
懸命にがんばるその子の姿に触れたとき、クラスのみんなは、きっとその命の尊さに心を打たれることでしょう。
まずはクラスの大切な存在として受け入れられること
それがあってこそ、個別の指導計画が生きてくるのだと思うのです。

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「すべての子どもに 集団での学びと 特性に応じた適切な個別指導の場を」
通常学級で開いた学びの意欲 (イチロー君、算数でA評価をいただく!)
2010-07-22
1学期も終わりました。先日、イチロー君のお父さんから、以下のようなメールをいただきました。
SHINOBU先生…今日で1学期が終わりました。
本日お伝えしたかったのはイチローの通知表のことです。
2年生の頃に比べ明らかに「よくできる」(A小学校は「よくできる」「できる」「努力がいる」の3段階です)の欄が増えていたことも事実ですが、特筆すべきは算数の【正しく計算できる】の欄が「よくできる」になっていたことです!!(驚)。
当然、相対評価ではなく絶対評価ですので、このような評価が可能であったとは思いますが、担任の先生が「学習課題に対して、わかるまで根気よく取り組む態度は立派です。この1学期に芽吹いた「やるき」「根気」の芽を大切に育てていきたいと思います。」とのコメント下さっているように、学校でのイチローの努力も大きかったのだと思います。(通常学級の中にあって本当に努力したのだと思います…。)
SHINOBU先生との歩みの中で、ゆっくりではありますが自分に対して自信を持ち、本人のペースで苦手なことにも取り組んできた…。その積み上げがだんだんと形になってきているのだと思います。
行き急ぐつもりもありませんし、今後も多くの課題があるとは思いますが、SHINOBU先生との歩みの中で身につけてきた力を基に歩んでいこうと思います。
イチローはSHINOBU先生に賞状(担任の先生が全員に配った「がんばったで賞」ですが…)を見せたいと言ってます…。
SHINOBU先生との歩みにより前向きなイチローがいます。
どうか今後ともよろしくお願いいたします。
岡山の教室では、入会していただいた順に出席番号をつけさせていただいています。
1番が花子ちゃん、2番が太郎君、3番が友里ちゃんで、4番がかれんちゃん、そしてイチロー君は私にとって5番目の教え子ということになります。
イチロー君とはじめて会ったのは1年生の秋のことでした。
私が、巡回相談でイチロー君の地域におじゃまさせていただいたことがご縁で、レッスンをさせていただくことになりました。
巡回相談を終えて、イチロー君のお宅におじゃまさせていただくようにさせていただきました。
当時の記事を、少し読み返してみました。 (2009-02-5)
あの頃は、20玉そろばんを伝っていたんだ~ 何だかとても、なつかしく思えてきます。
当時は、「おれ、頭悪いけー」 と、何度か言っていたようです。
今では、全くそんなことは、言わなくなりました。
当時は、「日常生活に困らない程度の算数の力」 というのが、大目標だったのです。
私たちはそこから、繰り上がり・繰り下がりの計算、九九、書字など、文字通りご家族と二人三脚で、イチロー君の学びに寄り添ってきました。
算数の計算については、何度もご両親と、その支援の方向について話し合ってきました。
やりたい気持ちの強い子であるがゆえに、できないことへの痛みも強いようでした。
こうしたイチロー君の不安な気持ちが、通常学級の選択という決断に対する、ご家族の複雑な思いを一層ふくらませているようでした。
決して、この選択はまちがっていません。
マイナス面だけに目を向けてはダメです。
希望をもってください、可能性を信じてください。
何度も何度も、私はご家族にそう伝え続けてきましたが、まさか、3年の算数でA評価をいただける日が来ようとは、私でさえ思ってもみないことでした。
「算数テストで、1発100点を取った」
イチロー君が、そう自信満々にテストを見せてくれた時でさえ、
「これ、本当に自分の力でできたんですよね?」
と、ご家族に確認したくらいです。
当時の事を思えば、3年生で算数のA評価など、正直私でも考えられないことでした。
いつだったか、少し成果の見え始めた頃、
「色々ありましたが、結果、通常学級で正解でしたね」
何気なく伝えた私の一言に、お母さんは急に胸をつまらせ、涙をいっぱいに浮かべられていました。
きっと、就学の時の、通常学級選択にかかわる様々なご苦労や、言うに言えない複雑な思いが、一気にこみ上げて来られたのでしょう。
私は、何十組というこうしたケースに出会ってきましたから、そのお気持ちが痛いほど伝わってきました。
昨日は、県外から、初めてご相談こられた方がいました。
とてもかわいい2年生の女の子でした。
数量に対する感覚を育ててやりたいという、ご家族の強い願いを、事前に伺っていました。
すごろくゲーム・数え棒ゲーム・お買い物ゲーム・パソコン・・・・
プリントは1枚だけやりましたが、そのほとんどを算数的な活動で構成してみました。
私、この活動、イチロー君と何十回、いや何百回したかわかりません。
とりあえずテクニカルに答えを合わせるだけなら、色々な裏技がありますが、例えば位取り記数法の原理を理解させるには、これくらいやらないとダメだと、私は体験的に感じているのです。
そういうことを理解し、私を信頼する気持ちがなければ、高い月謝を支払い、遠方からお越しいただき、100回もすごろくゲームをさせることはできません。
まちがいなく、真摯に子どもの学びに向き合う強い気持ちと、日々ていねいに毎回の家庭学習に取り組んだ、ご家族の深い気持ちが、今回のA評価を産んだのです。
改めて、育ての主体者がご家族であること、そして、真剣に取り組まれるご家族にこそ、支援者の存在が重要であるということを感じたのでありました。
1番の花子ちゃんから始まって、岡山の出席番号も、今では62番まで増えました。
その一人一人が、私にとって大切な教え子なのです。
私は、これから、何人の子ども、そして何組のご家族と出会っていくか知れません。
これからこの世に生を受け、真摯に課題に向かって立ち向かっていく、そういう子どももだっているはずです。
イチロー君の育ちは、一つのモデルとして、多くのご家族にお伝えしなくてはなりません。
きっと、同じような選択をされたご家族に、勇気と希望を与えることにつながると思っています。
イチロー君の育ちは、この私にも、さらに大切なことを見つめ、前を向いて力強く歩んでいくエネルギーを与えてくれたのです。
あの日、あの時、あの場所で、もしもイチロー君のお母さんに会っていなかったら・・
人生って、ステキです。
運命とは、やって来るものではなく、作り出すもの
改めて、そんな言葉が思い浮かんでくるのでありました。
教室を始めて、本当によかった・・
今度は、私の方が、泣いてしまうそうなくらいです。

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通常学級の在籍で良かった!
2009-11-30
先週の金曜日、夜9時のNHKのニュース番組で、子どものインフルエンザ脳症のリスクについての特集が放映されました。実は、その番組で紹介されたお子さん (小学1年生) については、ご縁があって、就学の前から何回か指導をさせていただいています。
その子は、幼稚園の入学前、インフルエンザウイルスの影響によって、脳の一部に後遺症が残ってしまいました。
例えば、視覚的にとらえた文字情報をキープして、その文字を書いたりすることが苦手になってしまいました。前頭葉の高度な脳機能の一部にダメージが残ったのだと考えられます。
しかし、聴覚性の言語コミュニケーションには、全く問題がありません。明るくて、可愛くて、すばらしいお子さんです。
小学校の就学に際して、期待と不安が交錯する中、ご家族は通常学級への在籍を選択されました。
ある意味仕方のない事かも知れませんが、当初、学校側の対応は、あれもできない・これもむずかしいという指摘が多く、必ずしもご家族の期待に添うものではなく、何度も何度も話し合いの機会をもたれました。
まずは、大切なクラスの一員として受け入れ、例えわずかであってもこの子の特性にあった教育の工夫をお願いしたい。
ご家族の思いは一つでした。
時には、良き理解者である医療の先生方の専門的な助言も、お願いに行かれたようです。
今回の放映を機会に、またメールのやりとりをさせていただくようになりました。
この度は、放映を見ていただきありがとうございました。
全国の皆さんに、少しでも私たちの思いが伝われば嬉しいです。
二学期に入って、正直、この子が成長するとは思っていませんでした。
学校の先生方の対応が変わったことで、この子も居場所がわかったようです。
臨床心理の先生も、通常級、大成功でしたね、と言ってくださいました。
通常級の在籍で本当によかったです。
学校生活は、一番成長する大事な場所です。
学びやすい、楽しい環境作りに妥協はできません。
創造する際に、今後ともご協力をお願いします。
テレビを見ているときにも感じましたが、お母さんのまなざしがとてもしっかりとしていて、驚きました。
深い思いと決心を、そにひとみの輝きに、はっきりと感じることが出来ました。
お母さんのご努力を受け、少しずつではありますが、学校側の環境も整い、特に生活面では大きな成長を感じ取ることができたようです。
本当に良かった。
しかしながら、まだまだやらなければならないことは、たくさんあります。
でも、これだったら、このお母さん、きっと切り開いて行かれると思います。
あれも出来ない、これも出来ないという切り口ではなく、ここまで育ったと、きちんととらえることの出来るまなざし。
それは、育ての主体者であることを証明する視点であるに違いありません。
学校の中で、友達と生き生きと活動しているその子の笑顔が目に浮かぶようです。
これからも、ずっとすっと応援して行きたい。
次回会う日が、今からとても楽しみで仕方ありません。

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教育のステキな可能性 (中学校 通常学級でのエピソードから)
2009-11-19
昨日、ある中学校へ訪問させていただきました。昨年に続いて2度目の訪問です。
この学校の校長先生は、特別支援教育の大切な部分を、学校教育の根幹に取り入れていこうと考えられている方です。
当然ですが、昨年1年生だった子が、2年生になっています。
昨年、訪問させていただいた時に、注目していた生徒がいます。
場の空気、細かい感情理解や、文脈の中から類推したりすることが苦手なタイプの男の子です。
昨年は、細かい部分で食い違い、ギスギスしたり、イライラしたりすることが多く、自分が受け入れられていないという思いを強くもっているようでした。
さて、今年はどうなっているかと、教室に伺ってみると、しっかりいました。 すぐに見つけることができました。
昨年は理科の時間でした。 その時は、イライラしたようすで、鉛筆を何度もクルクル回していたのが、印象に残っていました。
1年ぶりですが、しばらく観察していると、その変化にすぐに気がつきました。
何か表情がやわらかい。 英語の授業でしたが、とても一所懸命勉強している。 個別指導を受けている別の子と会話をしたり、一緒に勉強したりしている。
何なんだ、この変化は? 私は驚きました。
授業後に、先生方とケース会議をさせていただきました。
そこで、私は、彼が生徒会役員に立候補して、当選したという話を聞きました。
この学校らしいな、と、心から感じられました。
彼が、立候補したということで、先生も、クラスメイトも、きっと不安がよぎったに違いありません。しかし、結果として、彼が当選するというところに、この学校が目指している生徒中心の授業づくり・学校づくりの大きなベクトルが機能したに違いありません。
彼は、このことで自分が他から受け入れられているという思いを強くもったことでしょう。
彼の大変身が、ここからスタートしたのです。
みんなの気持ちが、形となって具現化されていったのです。
この中学校、すごく柔軟な授業づくりをされていました。
一斉授業でありながら、主体者として個々の生徒が学習に向き合っていましたし、個別学習の時間なのに、みんなで一緒に勉強しようや~、みたいなムードがどのクラスにも見受けられました。
同じ教科書、同じ題材を使って、別室で個別学習が行われていました。 担当教科の授業のない先生が、空き時間には個別指導に回られているようです。
また、一つの教室に、多いときは4名の先生が同時に指導をされていました。 チームとして、それぞれの先生方が相互に信頼しあっているようすが、様々な場面でうかがえました。
個別指導で力をつけている子の事を、クラスのみんなが知っていて、私も負けられないと感じているということも教えていただきました。
個々に目を向ければ、様々な課題・厳しい場面もあるのですが、子どもたちの表情は穏やかで、真剣だけど、どの教室にもあたたかい安定した雰囲気が漂っていました。
「私の教員生活の中で、これほど職員に恵まれたことはありません」
「特別支援教育にかかわる先生の理念や技術を、もっともっと学ばせて欲しい」
「可能な限り、先生をお招きしてケース会を開きたい」
校長先生は、そう言ってくださいました。 学校経営に対する自信と誇りに満ちあふれた言葉です。
こういう流れは、学校でしか作れません。 これぞ、学校教育の無限の可能性であり、大げさに言えば、日本の学校が世界に誇る教育の専門性なのだと思います。
私は、個々の特性理解にかかわること、幼児期からここまでどんな認知の段階を経て、生徒の今があるかということ、認知処理様式を2つの軸で考えて指導を構成すること、T1と支援員の先生の指導の内容的な連携、そして 課題のある子どもの 家族が中学校へどんな思いをもって見つめているかなどをお伝えしました。
予定時間をはるかにオーバーしてしまい、後の予定の調整が大変でした・・
学ばせていただいたのも、収穫を感じることが出来たのも、それは私の方でした。
私は今、何人かの子どもの就学を、ご家族の方と一緒に見つめていますが、目指すべき一つの形がここにあります。
私がここで実際に見たという責任を、かかわっている子どもたちのためにも、きちんと果たしていかなければと感じるのでありました。

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集団のもつエネルギーが 子どもに与えるもの
2008-12-02
花子ちゃんは、先日から、国語の時間5時間が、特別支援学級から通常学級へと移行しました。さっそくテストがあったようですが、点数が70点で、お母さんはとても喜ばれていました。
通常学級へ行き始めてから、思わぬ波及効果が現れ始めました。
「SHINOBU先生、九九カード、8の段や9の段も作って~」 が、それです。
へいへい、そんなのお安いご用ですよ、 でも花子ちゃん、ちょっと前まで2の段と5の段で、後はもういらないって、言ってたじゃあありませんか?
そして、恒例のじゃんけんかぞえ棒ゲームをして、さらにびっくり・・・
2・4・6・8・10・・・ と、2本ずつで数え始めたではありませんか? まだ、手つきはたどだどしい時もありますが、この進歩は、大きな一歩です。 これ、以前はすごく苦手だったのに、何かがつながり始めた証拠です。
話はちょっと変わりますが、これも個別指導の実践から気がついたこと・・
もしかしての推測ですが、形の認知が苦手な子どもは、印刷した形はわかりにくくても、自分で描いたものについては、はっきり認知できているのではないか? という仮説です。
花子ちゃん、このごろ自由帳にいろいろな絵や文字を大量に書き込むようになってきました。
これこそ、こちらとしては、願ったり叶ったりの展開です。 粘土文字や文字パズル、やってよかったな~ と、心底思いました。
でも、私が花子ちゃんの自由帳見ても、正直何を描いているのか、説明なしにはわかりません。
でも、花子ちゃんは、それを見て、とんとんと状況を説明してくれます。 これは、算数の場面絵を描いた時にも同じ事ができます。
私たちも、ちゃら書きのメモ類は、自分しか読めませんね。 英語でも、私、活字体の文字は読めても、筆記体の文字、全然読めませんから・・
ということは、自分で書かすと言うことは、形など認知面のでも大きな支援(=プロンプト)になるのではないかという仮説も成り立つのではないかと思えてきました。
ホワイトボードという教具は、神様が私たちにくれた、クリスマスプレゼントになっています。
とにかくここに来て、花子ちゃんには大きな変化が見えてきました。
あれだけ涙を流していた書字にも、希望の光が見えてきました。
指導の後、私を見送りながら、ちぎれるように毎回手を振ってくれる花子ちゃんの姿には何の変わりもありません。
この花子ちゃんの特性を、どうとらえ導いていくかが、指導者としての力量であり、腕の見せ所なのではないでしょうか?
マイナスにとって、集団から除外するのではなく、プラスのとらえて集団の中で活用していこうという姿勢こそが、教育者に求められる姿勢なのだと思います。
結果を、どうこう言うのではありません。
そういう姿勢でチャレンジすることが、あるべき姿であると主張したいのです。

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集団で学ぶことの良さと 個別に学ぶことの良さ (強化子=ほめる の観点から)
2008-11-11
先日、ある学級担任の方からメールをいただきました。その先生は、新採用教諭の指導にあたる立場の先生で、週に何度か自分の学級を別の先生にお願いし、新採用教諭の指導に行かれています。
その補欠授業で、ミスが多く、学習に集中できていない子どもに、その理由を尋ねたら・・・ 「あの先生は厳しくないから・・・」 と、いう答えが返ってきたそうです。
なるほどな、と思いました。
これは、通常学級にいる支援の必要なお子さんほど、その傾向にあると思います。
この頃は、毎週小学校の巡回相談に伺っていますが、そこでも同じような事を感じています。
クラスのモラルや規律を保っているクラスは、子どもが安定します。 逆に、集団のモラルが低下しているときに、下手に個別にかかわろうとして、学級が崩壊していくケースを何度も目にしてきました。
学校は、集団で子どもを育てるところなので、学級担任の仕事はクラスのモラルと学級の方向感を築いていくこと、そしてクラスが目指す方向をはっきりと示し、先生だけが個の支援をしようとするのではなく、個の支援ができる子ども(仲間)を増やしていくことです。
私が個別指導でしているような強化を、集団の中にもちこんでも、それはうまくいきません。 Aちゃんに特別にほめたら、なんでAちゃんだけ特別にほめるのかと、他の子の反感をかってしまいます。
まず他の子の心を満たしていないと、個別支援は成立しない、というのは集団づくりと個別支援の鉄則です。 ここが、学級担任の仕事の中心です。 そのためには、きちんとした学級のモラルと、集団として向かう先、方向感が学級に存在していることが絶対条件です。
ここがしっかりしているクラスでは、子ども同士が、相互に助け合い、協力し合って伸びていく関係ができあがります。 先生以上に厳しく、先生以上にあたたかいミニ先生が、クラスのあちこちに出現します。 集団で学ぶことの良さがここにあります。
特別支援学級も、小集団学習であって、個別指導ではないので、原則は集団の中で育てるスタイルが当てはまるのではないかと、私は考えています。
個別指導のよいところは、強化子=ごほうびを、何の遠慮もなしにMAXに使えることです。 どんなにほめても、何のひいきにもなりませんから、めちゃくちゃほめることができます。
特に、それまでほめられた経験の少なかった子には、大きな自信や喜びややる気につながります。
でも、これは特上の神戸牛のようなものなので、特別な場合を除いて、週に1度か2度、その子の個性や能力、認知特性や心情に寄り添った指導の場があれば、随分子どもは心に張りができ、元気になって、自分のクラスに帰っていきます。 私のところに来ている子どもは、みんなそんな感じです。
そうしているうちに、きっと、私の元から巣立って行く日が、やってくると思います。
個別支援は、、大空へ旅立っていくための、大切な1ステップ
時には羽を休めたり、パワーを充填することも必要でしょう・・
幸せの形は100通り・・・ だけれど、みんなが巣立っていく場所は、大空の同じ仲間のいるあの場所だと、私は信じているのです。
個別の療育と集団での育ち 優先すべきはどちらなのか?
2008-10-31
私は、まさか自分が3歳のお子さんの療育を担当させていただくなんて思ってもいませんでいた。ご家族のかたが、私がブログで、ABA(応用行動分析)の手法を大切にしていることをお知りになり、是非にということでしたので、お引き受けをさせていただくことになりました。
私は、基本的には、インクルージョン推進派で、どちらかと言えば個別指導より、集団での育ちを大切にしているタイプです。
5月の保育学会のあるシンポジウムで、
「私は長年、子どもの発達に正面から向き合ってきた。よかれと思って、その子にあった教育の場、その子にあった専門機関はどこかと一生懸命探してきた。しかし、やればやるほど、どこか心の中に本当にこれでよいのか?という疑問がもやもやとわき、いつの間にかぬぐい去れないものになった。しかし今日、重度の自閉症のお子さんの長年にわたる実践事例から、子どもがどのように学び、どのように育っていくのか?その原点にふれたような気がした。他の子どもと生活し、共に成長していくその大切さを、今こそ私たちは発信していく時期だと感じました・・」
「私もまったく同感です。専門機関・訓練機関に通う子どもには笑顔が少ない。しかし、今日の事例・晋平君の笑顔から、私たちは本当に大切なことは何かを感じとることができた。特に小さいときであればあるほど、集団のもつあたたかさが、子どもを育てるのではないか?その大切さに取って代わる早期治療のその中身はいったい何だったのか・・・」
というフロアからの意見に胸を熱くしたものです。
テクニカルな事も大切だけれど、その子をとりまく環境づくりと、本人のモチベーションはもっと大切だと考えています。
リアルな集団の中で生きていく力を付けないで、小さな部屋や特別な環境だけでうまく行っても、それはあまり意味がないのでは、と考えています。
昨日友里ちゃんのお母さんが相談にみえました。
友里ちゃんは、医療的な面で新しい局面になり、学校のこと、家庭での支えや将来のことについても、ご家族も一層真剣に取り組まなければならない展開になりました。
その友里ちゃんは、毎週1回の私の指導をとても楽しみにしてくれていて、SHINOBU先生のところへいくと、何だかパワーがわいてくる、とうれしいことを言ってくれます。
90分の指導時間は、あっという間に過ぎます。 指導していて、「あ、もう30分も経った」 「もう1時間も経った」 「早すぎて信じられない」 と、いつも言いますが、指導している私も楽しくて、あっという間に90分が過ぎてしまいます。
ここでの学習は、ABAの理論を基礎とした長所活用型、エラーレス完全習得学習なので、彼女はここで、教科学習を通して、自分に対する自信とイメージをどんどん向上させているのだと思います。きっと、だから、楽しいのです。
お母さんは、今朝メールをくださり、SHINOBU先生は、私のパワーの源です、と伝えてくださいました。 私の役目は、これで良いのだと思います。 このように気軽にサポートできる機関が、ご家族の身近なところに、もっともっとあってよいと思います。経済的な負担もありますから、個別支援としては、こんな感じで、私は役割を果たせているのかな、と考えています。
ダウン症のお子さんの場合は、その発達的な特性から、早期療育の効果が臨床的に実証されています。 週40時間の早期の個別セラピーが、IQの大きな向上につながったという報告も、すばらしいと思います。 しかし、すべて早期療育=個別指導ではないと思っています。
かれんちゃんは、別の保育園に通っていて、先週から、週に1度だけ私の所で個別セラピーを受けることになりました。 まずは、こんな形が自然です。 ご家族の選択も、理解できます。 私はその週1度のセラピーのために、目下猛勉強中です。 しかし、このかれんちゃんに対する勉強が、きっと太郎君や花子ちゃんの学習に役に立つであろう事は、すでに私の中でははっきりしています。
集団にもいろいろあります。 その子の発達のニーズに合った集団もあれば、そうではない集団もあります。 療育も、同じ事で、Aちゃんには良くて、Bちゃんにはそうでもないことも、良くあることだと思います。
結論は、決して一般論では語れないということ、お子さんの環境や育ちのストーリーの流れの中で考えていくこと、そして、集団に軸足をしっかり置いて、そこを支え、サポートする個別支援や療育が基本スタンスではないかと思います。
私は毎日猛勉強、でも、とっても楽しいです。

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支援の必要な子どもだからこそ、集団の中での学びが大切 (個別支援から、集団での学びへのシフトチェンジ)
2008-10-30
ここ何年かで、自閉症や学習障害などの理解度や認知度は格段に向上しました。特別支援学級での構造化や認知特性に合った指導プログラムの開発で、学習への適応状況が大きく改善されたケースも次々と報告されました。
しかし、これまでにお伝えしているように、時折、私のところへは次のよう声も届いてきます。
「狭い枠の中で安定したとしても、子どもが育ったとは思わない」
「付かず離れずの見事な支援員のサポートで、運動会の表現運動を乗り切ったけど、親としては何とも言えない割り切れない複雑な気持ちになった」
「視覚支援のサポートをあえてフェードアウトすること (つまり個の育ちから集団での育ちにシフトすること) によって、クラスの友だちのサポートというねうちのある新しい関係性が育った」
応用行動分析の手法の一つに、プロンプトフェイディングというものがあります。
むずかしい言葉ですが、要は、最初は支援をたっぷり与え、スキルを育て、達成感をもたせるのですが、いつまでも支援を与え続けるのではなく、徐々にそれを除去していき、次のレベルでは、支援を少なくしてもそのことが出来るようになった子をほめて、最後には支援なしでできるようにさせるというテクニックです。
言葉がむずかしいだけで、誰でもが普通にやっていることです。
社会の中で生きていく力を育てていくためには、個別支援は少しずつフェードアウトしていくべきではないでしょうか?
それに代わって、私たちが構成していかなくてはならないのは、リアルな集団の中での子どもたちの学びの姿です。
何の意図もない、荒れ果てた学級で、一番先に痛むのは、支援の必要な子どもたちです。 満たされていない子ども集団では、そのはけ口が支援の必要な子どもに真っ先に向いてしまうことがあります。
逆に、一人一人の子どもが、先生から受け入れられていると実感し、共に学ぶ喜びや充実感、何かを共に目指す方向感のある学級では、先生の思いや願いを、子ども一人一人が感じ取り、小さな先生がたくさん生まれて、クラス全体の教育機能は爆発的に向上します。
こうなると、例えばグループ学習や運動会などでは、自分のことより、グループや他の友達のことを先に考えるような子どもが生まれます。
私の実践の中では、いつかお伝えしましたが、次のようなエピソードがあります。
修学旅行のバスの席順を決めるときに、一番孤立しやすい子がどこの席を希望するかをみんなが見ていて、その子の希望がわかると、いっせいに他の子が争ってその子の隣の席を希望していました。
後で、何人かの子どもに聞くと、「一生に一度の修学旅行で、絶対に悲しい思いをさせたくなかった」と口をそろえて言っていました。
たまたまそこへ来ていた教育実習の子が、その様子を見て、うしろでボロボロ涙を流していました。20年以上も生きてきた私より何倍も、この子たちはすごい、と感動し、彼女はその後すばらしい先生となり、現在も活躍しています。
このように、自分だけでなく、所属するグループ(学級)に誇りをもち、その全体の向上、あるいは他のメンバーの向上を、自分の喜びのように感じとれる関係のことを、積極的相互依存(positive interdependence)といいます。
日本では、特別活動とか学級づくり、アメリカで共同学習の分野で研究や実践が進められています。
ミニ先生が育つと、たとえばグループ学習の時に、必要以上に甘やかさず、かといってほっぱらかしにしないで、それは見事に役割分担を決めたり、教え合い、学び合いの場が形成されます。
これ以上の支援はありません。
昨日、ある学校におじゃましました。 そのクラスには支援級から3人の子どもが交流できており、支援の先生、支援級の担任の先生も何度ものぞきにきていました。とても、いい雰囲気で学習ができていました。
その担任の先生も、3人の子のことを気をかけていました。 でも、担任の先生のできる最大の支援は、心あたたかい、活気と方向性のある学級を作ることですよ、と伝えると、大きくうなずいてくれました。
先生同士のチームワークのとれた、すばらしい学校だと思いました。 支援学級も、楽しくて活気があり、着実な学びの歩みが感じ取れました。
個別支援の次に目指すこと、それは集団の中でも学びと育ちに違いありません。
個別支援は、そのための大切なステップの一つであると、私は考えています。

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発達に課題のあるお子さんに対する 学校園連携のあるべき姿
2008-07-29
昨日、思いもかけず、地域の小学校の1年生の担任の先生が3名、保育園を訪れてくださいました。学区の巡回補導の一環として訪問してくださったようでしたが、保育園としては、誠にありがたい機会となりました。
ちょうど先週の土曜日に、学童保育の指導員に、「どうしても一度、小学校の先生に、学童保育の様子、そして、保育園の生の保育の様子を、じかにその目で、ご覧いただきたい。管理職の先生だけでは、ダメで、できれば1年生の現職の担任の先生に、来ていただきたい。でも、太郎君の担任の先生だけだと、他の子が、「どうして太郎君だけ・・せこい!」という思いをもってしまう・・どうしたら、学年全員の先生に来ていただけるのだろうか?」と、話したところでした。
あまりにも急な訪問でしたので、その時はは園長も私も、他の用務で手が離せない状態でした。そこで改めて、夏休み中に、3名の先生に保育園に来ていただくよう電話でお願いをさせていただきました。
小学校の先生が、保育園に見学に来ていただくことには、大変大きな意味があります。特に、発達の課題のあるお子さんの保護者の方にとっては、「少しでも我が子のことを理解して欲しい」という切実な願いが込められていきます。
太郎君の場合は、4歳児の後半になって、言葉の遅れが発端となり、広汎性発達障害の診断を受けました。
しかし、そんな診断があろうがなかろうが、太郎君は太郎君なので、これまで通り個別のケアはありますが、診断の次の日から急に保育の内容を変更するようなことはしませんでした。
子どもの全面的な発達に大切なことがらを、集団の中で、しかも一人一人に寄り添って展開していく、そのこと自体が、太郎君にとっても、他の子にとっても、何よりも大切なことであるという保育者としての信念がそこにあったからです。
しかし、こと就学に際しては、書類ばかりが動きます。やれIQがどうの、診断がどうの、そんなことばかりが選考して、肝心な太郎君の生の姿がどこかへ行ってしまっています。
これじゃ、お母さんが頭に来るのも当然です。
「一度も子どもの姿を見ずして、紙切れだけで決めつけないで欲しい・・」
それは、切なくも、母として・親として・家族として・人間として、当たり前の気持ちです。
私は、園として正式に小学校に派遣申請をうって、夏休み中の先生の訪問を待ち続けました。お母さんも、首を長くして待ち続けました。しかし、その学校の先生は、とうとう来てはいただけませんでした。
その夏の、ある特別支援の研修会に、その学校のコーディネーターの先生が来られていました。
私は、口頭で再度、保育園への訪問をお願いしました。しかし、残念なことに、完全に「夏休み中にそんなこと考えたくない」という夏季休業モードに入っているように私には感じ取れました。
そこで、そのコーディネーターの先生が言った一言
「保護者の障害に対する無理解がどうのこうの・・・」
頭にこびりついて忘れられない一言でした。 まったく無理解なのは、どっちなんだ・・・
他の小学校の先生の中には、半日かけて、じっくりと保育や子どもの様子をご覧になった方もいらっしゃいました。休日の土曜日に、生活発表会を見に来ていただいたり、コーディネーターの先生と特別支援学級の先生と教頭先生と3人でおみえになったこともありました。
私は、こうした先生方の姿勢が、ご家族の心に深く滲み渡っていくのを、そばで感じとっていました。
教育というのは、まずありのままの子どもの姿を受け入れ、そこに育てていきたい目標を決め、そして教材を作成する。
それが当たり前の姿なのではないでしょうか?
小学校の1年生の担任の先生3人が、保育園を訪れる・・・
子どもたちと、保護者の笑顔が、今から私にはありありと、思い浮かんできます。
それは、こうした行為の中に流れる先生方の、子どもや教育に対する愛情や熱意そのものが、そこに感じ取れるからに違いありません。
本当に、ここのパイプが通ったら、違うと思いますよ。 熱い期待が寄せられます。
なぜなら、その信頼の輪を、子どもたちも保護者も、敏感に感じ取れるからです。しっかりとした土台の上に立って、まちがいのない方向に向き始めたことを、感じ取れるからです。
学校園連携というのは、内容連携というのは、こういうことを大切にするべことではないのでしょうか?
私の保育園では、地域の小学校の参観日に、可能な限り、保育士を参観に行かせる取り組みを、本格的に実施することにしました。
学校園で情報を交換したり、平素交流のない教職員同士が親睦会を開いたりすることも大切だとは思います。
しかし、私は、こういうことこそが大切なのだと考えています。
子どもを中心に手をつないでこそ、連携であり、今はこうしたことが、どうしても必要な時代となっているのだと考えています。

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厳しい先生と 優しい先生 (その持ち味を生かす保護者の工夫)
2008-07-25
小学校の1年生の学級担任をしていたころのエピソードです。参観日に、「はしのうえのオオカミ」という題材で道徳の勉強をしていましたが、あるお子さんが、突然舞い上がってしまい
「オオカミはどうぶつじゃ~ オオカミがしゃべったらおかしいし~」など、クレヨンしんちゃんみたいになって止まらなくなったことがあります。
後々の懇談で、「あの時ほどびっくりしたことはありません。家ではホントまじめな子なんで・・・」と、お母さんおっしゃっていました。
すべてがそうでは決してありませんが、家で厳しい場合、学校で結構発散していたり、その逆で、家ではだらしのない子が、学校ではしゃっきとしてリーダーだったりする場合も、結構多かったように思います。
うちの保育園は厳しい指導で名が通っています。
いろいろな発達の課題があったとしても、原則同じ活動に取り組ませます。もちろん個別のサポートは行います。行き過ぎた指導にならないよう配慮をしています。
しかし、初めから無理だと勝手に判断してしまうのではなく、今は出来なくても、必ず手を添えてでもチャレンジをさせます。
もう何十年もこのスタイルです。批判的な見方をされることもありますが、こうすることにより、多くの子どもを育ててきたという手応えと誇りがそこにはあります。
給食の指導も、今時めずらしく厳しいです。ほとんど、お残しはありません。いつも背筋がピント伸び、あいさつも大きな声できちんとできます。
何度か地域の小学校先生が朝礼や発表会などを見に来られましたが、子どものきびきびとした動きに、みんな目を丸くして帰っていかれます。
太郎君も、保育園では相当しごかれました。なわとびも、かけっこも、発表も、鉄棒も、一輪車も、竹馬も集団行動も、それはビシバシしごかれました。
給食だって、お残しは許されませんでした。
しかし、家に帰るとその反動かどうか、赤ちゃんになり、泣いたり、駄々をこねてお母さんを困らせることも多かったようです。かなりの負荷が、そこにかかっていたのは事実です。
しかし、卒園時には、言葉も出るようになり、発表もでき、姿勢もシャキッとし、一輪車も乗れるし、集団行動で輪を乱すことは、まったくありませんでした。
ところが、小学校の1年生になると、運動会の時、あらあら、開会式で砂いじりをしています。授業中に、オルガンの隅にかくれたり、教科書を破いたりすることもありました。学童保育の給食だって、残すこともあります。
(ちなみに給食は、保育園のときも、学童保育の時も、まったく同じメニューです)
しかし、表情はたくましくなり、家では泣かなくなったと、お母さんは言っておられました。
このこと一つにしても、人によっていろいろな見方や考え方があるでしょう。
私は、自分の保育園の内容に強い誇りをもっていますが、今の太郎君は、決して嫌いではありません。
これまでの担当保育士の営みもすばらしかったと思いますし、今の学童保育の担当も、タイプは違うけど、すばらしい感性と愛情で太郎君を育ててくれていると思っています。
たしかに、友達とのトラブルも多くなったし、学童保育中にすねたり、泣いたり、給食を残したりすることはあります。でもそこがまた、大切な指導の機会だと考えているからです。
先生によって、あるいは学年によって、園によって、指導のスタイルがまったく違うことは、特別でも何でもありません。
どんな指導のスタイルにも光と影はあるし、案外入り口は違ってもゴールはいっしょということだってあります。
要は、一番得意なやり方で子どもにアプローチしていくことが大切な事だと思います。そして、自分の指導スタイルをメタ認知(客観的に見ること)して、その影の部分に適切な対応をしていくことだと思います。
保育園の指導場面ではどちらかと言えば、鍛えるという感覚で、子どもの全面発達を目指して取り組んでいます。
学童保育では鍛えるということよりも、むしろ家庭に代わる安らぎの場として、あたたかく育んでいく色彩を濃くしています。
ですから、少し甘くなってしまったところへの、対応は必要になってきたなと感じています。
小学校でも担任の先生により、やり方は全然違いますよね。でも、年度途中で担任が替わることは、あまり望ましいことではありません。
もちろん限度というものがありますから、そこはよく考えなくてはいけませんが、対立的になるばかりがよいとは限りません。
「その先生の良いところを我が子に生かすには?」みたいな発想で、時には工夫してみることも大切なのかも知れません。
光があれば、影もある。
当たりもあれば、はずれもある?
だったらだったで、方法を工夫してみませんか?
なかなかそんな切り替えができないことも多いですが、もし、それもそうかなって、思えるようになったら、それは状況が少し好転している証拠です。
立場上、お母さん方に接する機会が多いので、時々そんなことを感じたりもしています。

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集団の中で育っていく中での 「何でぼくだけ・・」 という感覚
2008-07-06
この度、ご縁があって「人間関係論的アプローチ研究会」という自主サークルのメンバーに加えていただきました。昨日、そのミーティングが岡山であり、県外からは神奈川・大阪・広島・山口の先生もお越しでした。
通級指導教室の先生・言語の指導教室の先生・医療の立場から発達支援を行っている先生・発達検査を実際に担当されている先生・教育委員会や発達の各種研究機関で指導に当たられている先生など、いろいろなお立場の方々ですが、共通するのは、全員が子どもに直接かかわる「臨床」という言葉に強い誇りをもっていること、そして、「始めに診断や技術をもってくるのではなく、その子に寄り添い・向き合ってこそ、スタートできる大切なことがある」と、強く感じていることでした。
一昨年より2回、大阪でセミナーを開催しています。
他の7名のメンバーは、1回目より関わっておられますが、私は今回、初めてお仲間に入れていただいた新入部員です。
私にとっては、まさに志を同じくする者同士の、胸をすくような出会いとなりました。
7時から12時までの、熱いミーティングの中で、何となくこれまで感じていたけれども、少し鮮明に浮かび上がって来た新しい思いがあります。
それは子どもがごく日常的にもつ「何でぼくだけ・・」って言う感覚です。
このことを私は、いつも発達の課題のある子の立場で考えていました。「発達に課題のある子だけ、どうして、何かが制限されてしまうのだろう・・」「発達に課題のある子だけ、どうして分けて考えようとされてしまうのだろう・・」とか、そんな風に・・
でもそれは、何も発達に課題のある子だけのことではありませんよね。
子どもは集団の中でこそ、多くのものを学び・吸収していきます。一つ一つを切り取って考えることはできないけれど、きっちりそれを言葉でくくることはできなくても、そこにある本当に大切なことを、私たちはしっかりと意識しているわけです。
発達の課題があるお子さんのそうした育ちのためには、その所属している集団としてのモラルの向上は不可欠です。
早い話がモラルが崩壊して、いじめが横行するような、そんな集団では、仮にたとえ何か得るものがあたとしても、それ以上に大きな痛みが子どもの心に残ってしまうこともあります。
どんな集団でも子どもが育つのではなく、子どもが育つ集団を作ることそのものが、まさに教育的な営みなんだと考えています。
それは、担任の先生の力量に負う所は大きいと思います。
しかし、このブログでは、指導者と保護者とのパートナーシップの形成を、お子さんの育ちの大きな原動力として作動させていくことを、特に大切なポイントとしてとらえています。
ならば、我が子のために、我が子の所属する集団を育てる営みが、保護者として行えないか?と、私はふと考えたのです。
担任の先生がもし、あなたのお子さんに個別にサポートしようとした場合、周りの子の理解は不可欠です。
周りの子どもが、その先生に受容され・愛されていると感じていないケースで、もし発達の課題があるという理由で、あなたのお子さんにだけ特別に関わろうとすると、多くの場合、あなたのお子さんは集団から浮きます。陰でいじめられるリスクも相当高くなってしまいます。
発達の課題があろうとなかろうと、子どもはみんな先生から愛され・認められたいと思っているのです。あなたのお子さんも、となりの健太くんもいっしょなのです。
我が子に一生懸命になりすぎて、そこのところ見えにくくなったことはありませんか?
私が担任したお子さんで自閉症のお子さんがいましたが、その子は、不思議なことに学校の誰からも愛されていました。
担任の私は、そのことで、思い切っていろいろなことにチャレンジすることができました。
参観日の日、そのお母さんは教室にやってくると、自分の子どもより、まずクラスの友達の一人一人に優しくあたたかく声かけをしていました。
PTAのバザーでも、地域のイベントでも、ボランティア活動でも、いつもそうでした。
このお母さんのこうした支えがあればこそ、私は集中して、このお子さんの学びや育ちに取り組むことができただけでなく、結果として、教師としてのモチベーションを著しく高揚させて行きました。
このお母さんのまねだけをして、それでうまくいくということではないかも知れません。
でも、自分の子のことを思い、集団の中で我が子を育みたいと考えるならば、となりに健太君がいることを意識してみることは、案外重要なことかも知れませんよ。
もし、あなたに、この子のために親としてできることは、何でもする、という覚悟と決心がおありでしたら、まだまだできることはたくさんあり、その分大きく育つチャンスもいっぱいあるのではないでしょうか?
一生懸命取り組むことは、何も、狭いところだけ集中して行うということだけではありません。
健太君が、あなたのお子さんの最大の理解者として育ち、親の亡き後まで続く、人生の最高のパートナーなりうる可能性も、まったく0というではないわけですから。

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短期間で通常学級での問題行動が改善された事例 (キャラクターごほうび制度の実践より)
2008-06-22
6月13日の記事に、ある先生から、次のようなコメントをいただきました。短期間の実践でかなりの改善が見られているようなので、今日はそのやりとりの一部を紹介させていただこうと思います。 (人物などが特定されないよう内容を一部変えています)
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はじめまして。普通学級の教員です。20人足らずの学級です。いわゆる介助員は週に12時間。つまり、2日と半日来ています。給食、掃除の時間は介助員は休憩時間なので、全く人手なしです。
自閉症のお子さんのことで、悩んでいます。学校では学習に全く取り組もうとしません。
低学年の時は取り組んでいたようですが、3年生になった昨年から段々取り組まなくなったと介助員の話がありました。が、家では宿題などすぐにやり終えるようです。お母様のお話では、ここまでやったらゲームやらせてあげる、との声掛けで取り組ませているようです・・・。先日の「強化」のお話、まさにその通りだと思いました。
実は、毎週月曜日は教室にはいることを嫌がり、「月曜は休む!」と負の叫びを発します。普段、私はその子の負の叫びには反応しないようにしています。その子が何かを答えてほしかったり、訴えたかったりして叫んでいるのではなく、心の中の声を口に出しているだけだと思うからです。
この月曜朝の叫びは「反応しない」という対処法で行こうと思うのですが、いかがなものでしょうか。
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この度は、コメントをいただきありがとうございました。私も、通常学級で支援の必要なお子さんとかかわったことがありますから、状況は、理解できます。
まず、その子の「負の叫び」についてですが、まずは、その子は「負の叫び」によって何を得ようとしているのかを特定することから始まります。アバウトに考えると、いやなことを回避したいか、注目を得るなどの何かを求めていることになりますが、いつ・どんなときに・どんことがきっかけで・・みたいな感じで、ちょっと整理されたら、と思います。
それを問題行動として、回避するのであったら、そのルートを断ち切って、別なルートを教えて、その行動を無意味化させる手法をとります。「無視する」というのは、その一つのプロセスです。原因がきちんと特定できている場合は、これだけでかなりの改善がみられることも多いです。
しかし、「無視」で行動が改善させる兆候が見られれば、それでいいのですが、いくらやっても改善されてないのであれば、何か別の欲求であるかも知れないので、再度分析するか、別のルート(例えば、それより望ましいと思われる方法を提示して、それをほめるなど)を設定する必要があると思います。
また、先行要因(引き金となる要因)を軽減するのも、ひとつの方法です。(騒音・空腹・予定の変更・苦手なこと・・)問題は、それをすることによって、快刺激を得るか、不快刺激を回避できるかなので、要は、そのどちらも無意味化させれば、いいわけです。詳しくは。応用行動分析もしくはPBSの本を参考にされると良いと思います。
きっと、月曜の朝、学校に行きたくなくてぐずっているんでしょう。そうすることによって、何とか学校に来れているのでしょう。適切な方法でないのですが、その方法がとりあえずは一番楽な?方法なんでしょう。
文中では、ゲームがごほうびになっていてこれが一つの強化子、それから、お母さんの言葉も、その行動を維持させている要因になっていますよね。
じゃあ、もっと効果的で、合法的?で、その子の心を満たす強化子(ごほうび)はないですか?それが、見つかれば、理論的には同じような手法で、行動が改善できるということになります。
その子が、何か好きなことや、こだわっているアイテムはありませんか?小さい学年に時は、どんなことを喜んでいましたか?旧担任の方に尋ねてみるのもいいかも知れません。それが見つかれば、方法はいろいろとあります。
今、私のかかわっている自閉症のお子さんは、学級担任の先生が、目標行動を連絡帳に書き、シールを貼ってもらうだけで、かなり問題行動が軽減されてきました。(教科書破いたり、物を投げたり、女子便に隠れたり・・)
学級担任の場合は、その回りの子の力を利用することが必要です。方針を決め、周囲の子の信頼を勝ち取り、周囲の子の理解とサポートが得られるようになれば、システムは完成です。1学期は、その子よりも学級経営・他の子の先生に対する信頼感を築くことを優先させるべきかも知れません。
みんなからの賞賛とか先生からの賞揚が強化子になれば、よいのですが、むずかしいのでしょうね。
お子さんを一度も拝見したこともないので、相当的はずれなことばかり、申したのではないかと思います。
何といっても、学級担任の方が、一番大変です。
どうか、お体とストレスのケアをしてくださいね。
よろしければ、遠慮なく、またご相談・ご連絡ください
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早速スクールカウンセラーにキャラクターごほうび制度を伝え、実行してみました。
いそいそと教室に行くと、クラスで一番その子に理解を示している子が、以前に貸した色鉛筆を返してくれないので、困っているとの訴えがありました。
友だちの「返して」、と言う訴えにその子はご立腹で、叫びながら教室を飛び出して校内を一巡り。
結局、腹を立てながらも教室に戻ってきたのですが、やはり返しません。「帰りの会までには返してね。」と言っても拒絶されてしまいました。
今日はキャラクター作戦は始めない方がいいかな、と思いつつ、今日の目標を決めること、ちゃんとできたらその印にキャラクターの好きな部分を机に貼ること、を伝えました。
ちらっと見たものの興味がなさそうなのでがっかりしていたら、嬉しい期待はずれ。その日の目標は「給食当番を頑張る。」で、ビニールテープに書いて机に貼っておいたのですが、声をかけたら実にスムーズに動き出しました。
周囲の子どもたちもびっくり。
驚いたのは、その後の掃除もしっかりやるし、友だちには自分から色鉛筆を返すし、帰りの用意も自分から始めるし。
翌日も朝から落ち着いていました。学習には相変わらず取り組みませんが、叫ぶことはしなくなりました。
その子の笑顔が増え、叫び声が収ると、友だちが周囲に集まり、優しい言葉掛けが増えました。
この先、どうなるかはわかりませんが、取りあえずはキャラクター作戦は順調に滑り出しました。
いずれは内発的動機付けを目指したいと思っていますが、まずはこれでいってみようと思います。
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一部の内容のみ、紹介させていただきましたので、わかりにくい点もあるかもしれません。
でも、何かのヒントになることは、あるのではないかと思います。
私は、きっとこの子は、この先生のことが大好きなんだと思います。この先生は、文面では紹介できないような別のご苦労もされていますが、ひとつひとつの問題を、ご自分できちんと整理され、良い方向へのステップを築いていかれています。
並大抵の努力ではありません。
保護者の皆さんは、こうした先生をぜひ励まし、応援していただきたいと思います。
お子さんのことを大切に思い、命がけで取り組まれているお母さん。信頼できる先生を育て、パートナーシップを築いていくことこそが、お子さんの幸せと成長のキモであることを、しっかりと心に刻んでいただきたいと思うのでありました。
先生、貴重なご連絡、本当にありがとうございました。
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特別支援教育支援員を付ける (その方法と手順)
2008-06-17
様々な理由で、お子さんに個別のサポートが必要な場合、特別支援教育支援員と呼ばれる人が、学級に配属されることがあります。文部科学省の調査によると、平成17年度においては、1校平均1.52人(全国で13,616人)の介助員・学習支援員が配置されていましたが、平成19年6月に、政府において250億円(21,000人相当分)の地方財政措置が決定され、約21,000人の方が特別支援教育支援員として配置されました。平成20年度は、30,000人の配置が予定されているということです。
私は、この7月に、ある地方自治体の「特別支援教育支援員研修会」に、指導講師としてお話をさせていただくことになりました。
担当の指導主事さんにお話を伺うと、この特別支援教育支援員の方は、特別支援教育に関心や知識はあっても、大多数は教職経験がない方だとお聞きしています。
そして、この特別支援教育支援員の配置については、各教育員会が、その必要性を説明し、地方自治体から予算配当を受けることによって成立します。
つまり、富める自治体とそうでない自治体、力を入れている自治体とそうでない自治体とでは、かなりの差が出ているということです。同じ埼玉県でも、志木市と新座市では、天と地ほどの差があるとお聞きしました。この差は、一体何なのでしょう?
そのことは学校間の格差にも現れています。
私の地域でも、同じ学校規模でも、数人の配置があるところから、ほとんど0に近いところまで、様々です。
それが、どうやって決められるかというと、私の地域では、各学校の校長から出た要求を、専門家チームの会議で決めている、と、担当の指導主事さんから伺いました。
要は、交渉事なので、要求しない限りは物事は、前へと進みません。
ちょっと前の話になりますが、私がある学校にいたとき、ある支援の必要なお子さんと出会いました。
で、結局どうなったかと言いますと、その子一人に、常勤の講師(教員免許のある先生)が一人ついて(年度途中から新たに一人教員が加配されて)、個別の対応を行いました。
どうやったかと言いますと、まず、校長が教育委員会に何回も足を運ぶ、担当指導主事に学校に来て実態を見てもらう、報告書・要望書を何度も何度も教育員会に上げる(これは私の仕事でした)、ケース会議・ネットワーク会議を開く、民生委員会など地域の会合に出かけて協力を依頼する(私は学校教員の身分で、民生委員会に毎回出席しました。民生委員の人はびっくりしていました)、大学の先生にサポートを受け、教育委員会に口をきいてもらう、などなどありとあらゆる方法を行いました。
正直言うと、私は無理だと思っていましたが、結果は、校長の強い意志と信念の勝利でした。
支援員をつけるための第一歩は、一にも二にも校長です。
校長がその気にならなければ、特別な加配は、絶対に付きません。
校長一人「うん」と言わせる根性がなければ、特別な加配はあきらめなければなりません。逆に言えば、校長が「わかりました。やってみましょう」と言えば、大きく前進したと言えると思います。
しかし、支援員はオールマイティではありません。何のためにということを明確にしておくことが大切です。ただいても、する内容が教育的でなければ意味がありません。
例えば、子どもにちょっと嫌なことがあってマイナスの反応をしたときに、支援員が良かれと思ってヘルプに行くと、それが強化子になって、何でもかんでも過剰に反応し、いつでも支援員の助けを求めにいくようになります。
一度、甘い対応をすると、何度でも求めてくるのが、子どもというものです。
集団の中でがまんさせたり、挑戦させたりするのも、教育の大切な営みです。それでなければ、通常学級にいる意味が、逆に問われることになります。
明確な指導の方法のビジョンと、目的や役割分担がなければ、支援員は逆効果だと指摘する大学の先生もいらっしゃいます。
こうしたことを総合的に判断して、「支援員は絶対に必要」となれば、根性決めて校長と向き合いましょう。
合理性・緊急度・必要感、そして保護者の強い意志があってこそ、道が開けると考えたらよいのではないでしょうか?
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真心を込めた担任の先生の美しいかかわり (通常学級での特別支援教育)
2008-06-08
昨日、Aちゃんのお母さんがご相談にみえられました。発達面の課題はありますが、通常学級に楽しく通っているAちゃん。「通常学級を選んで本当によかった。こんな形での指導を続けていただけたら、どんなにうれしいことか」とお母さんに言わしめた、担任の先生の真心のこもった そして、ていねいで美しい指導の工夫とは・・・この先生の以前のエピソードは「担任の先生、そして支援の先生に感謝・感激!(2008-04-19)」に書いていますので、今日はその後日談になります。
ちょうど1年くらい前、Aちゃんとお母さんと私とで、幼稚園のことばの教室に行き、語彙発達検査を受診しました。
その時は、「言葉が出ない」「言葉の理解が遅い」「コミュニケーションがむずかしい」など、言語面の課題が中心でした。しかし、今は言語面では信じられないような進歩がみられました。当時のことがずっと昔のことのようにさえ思われるくらいです。
特別支援学級への入級を強く勧められていたこともあり、小学校入学の際は、「どれくらい集団に適応できるのだろう?」「保育園とは違う新しい環境に、本当に適応できるのだろうか?」と、期待もさることながら、不安いっぱいのスタートでした。
入学式の前日、学校にお伺いすると、若くてやさしそうな女の先生が、入学式のことやクラスのことをとてもていねいに教えてくれました。
「ここが、Aちゃんの席よ」と教えてくださると、Aちゃんの顔は、いっぺんに満面の笑顔と変わりました。この瞬間から、この先生は、きっと世界で一番大好きな先生となりました。
しかし、しばらくすると、いろいろな出来事が起こり始めました。
・ 席に着けない
・ 教科書をやぶる
・ 物を投げる
・ 急にいなくなる
・ 女子トイレに入る
・ ルールや順番がわからず、トラブルが起こる
・ 友達にけがをさせる などなど
学童保育に来ているので、同じクラスの子から情報は次々と入ってきます。
「どうして、女子トイレに入ったの?」
「・・・・」
「もしかして、○○ちゃんのこと好きだったの?」
「うん」
「いくら好きでも、男の子が女子トイレに入ってはいけないんだよ。わかった?」
「うん」
「○○先生のことも好きなんでしょ?」
「うん」
「いけないことをすると、○○先生も困るんだよ。それでもいいの?」
(強く首を横に振る)
「女子トイレにはもう入らないと、約束できるかな?」
「うん」
「じゃあ、指切りだね」 (とある日の私とのかかわり)
こんな日が続き、さすがにお母さんも少々お疲れ気味になってきました。
しばらくすると、「Aちゃんは休み時間に勉強している」という情報が入ってきました。
子どもの言うことなので、どういうことなのかと思っていたら、昨日のお母さんの話では、この素敵な先生は、休み時間に1対1での個別指導を始めてくださったということです。
たとえわずかな時間であっても、気絶するほど多忙な1学期の1年生の日常の中で、こうした個別指導を行うのは容易なことではありません。
連絡帳をみると。そこには先生との約束事が数項目書かれており、ごほうびのシールも何枚か貼られていました。
こうした個別指導が始まってからは、指示や勉強の方法がわからなくなったときも、物を投げたりすることが少なくなってきたと聞いています。
こんな方法もあるんですね。
このクラスの子どもは、みんなその先生が大好きです。一人一人の子が、みんな自分が先生から受け入れられていると感じているから、こうした特別な指導をしても、みんな文句を言いません。この先生と同じようなまなざしで、Aちゃんを応援してくれています。
だんだんとAちゃんも、学校でしていいことといけないことが具体的に理解できるようになってきました。それよりも何よりも、この先生のことがますます好きになっていきます。
トラブルは多いですが、表情も活動も日増しに生き生きとしています。言語の発達にも加速がつき始めました。
お母さんに聞くと、以前は家では任天堂DS(携帯用ゲーム)ばかりしていたようですが、このごろはまったくしなくなったそうです。
土曜日は、一日学童保育のみんなといっしょに保育園で過ごします。
昨日は、袋3つに大好きな車のおもちゃいっぱいもってきました。
勉強も予定通りしましたよ。その後は、お店やさんごっご・自転車のり・かくれんぼ・おにっごっこ、そして持ってきたおもちゃで、友達と遊ぶ遊ぶ。これで、コミュニケーション力、つかない方がおかしいというくらい遊びます。元気いっぱいです。
先日、この小学校の運動会がありました。
見に行くと、1・2年生の表現運動の全体指揮を、この素敵な先生がされていました。1年生の6月の運動会、しかもAちゃんのいるクラスの担任をしていて、1・2年の合同体育のリード役。
さすがの一言です。
お母さんは、「担任の先生が、クラスの一員として、しっかりと受けとめてくださる、そのことが何よりもうれしい。どんなことよりも、そのことがうれしいし、ありがたい」と、何度もおっしゃってお帰りになりました。
以前は、「できれば個別にサポートしてくれる先生を」とおっしゃっておられましたが、今では「これで十分です。これ以上のことは望みません」とおっしゃるようになりました。
担任の先生には相当なご苦労をおかけしていることと思います。
でも、この先生のご苦労に支えられてスタートしたこの子の小学校生活は、きっと将来にわたるまで、心の拠り所となる大切な営みとなっていることでしょう。
この先生のご苦労は、この子の心の中で、生涯生きて働き続けていくことでしょう。
この先生の、真心を込めた美しいかかわりは、決して無駄にはなりえない大切な営みであると、私はは考えています。
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どうしてそこまで通常学級にこだわってしまうのだろう?
2008-05-23
私は今、発達課題のあるお子さんに、個別で勉強を教えています。その昔は、特殊学級(今の特別支援学級)の担任だったこともありますし、その仕事に夢と誇りを今でも持っています。でも今は、可能であれば(特に小さい学年であれば)、できるかぎり通常学級に居場所を作って、その上で専門的な指導を行うべきだと、強く思うようになっています。保育園では、もっともっと統合保育を大切に考えていくべきだと考えています。
実は今、通常学級で適応面での課題が大きくなっているお子さんのことを聞いて、私は少々へこんでいます。きっとそれは誤解なのでしょうが、何かすぐに通常学級から、切り離す発想になっているように感じて、交感神経が刺激され、血圧と心拍数が上昇するのを感じてしまいました。
昨日、私の敬愛する友人から「少し頭冷やしたら・・」(本人はすごくていねいな言い方でしたが、私にはそう聞こえたのです)と言われ、そうかも知れないなと、今振り返っている最中です。
私のような瞬間湯沸かし器のことを、英語ではShort temperと呼ぶのだそうです。
もっと冷静に、もっとスマートでいればよかった。
特別支援学級の担任だった私が、何でこんなに通常学級の居場所づくりにこだわってしまうのだろう?もっと柔軟にフレキシブルに対応したらいいんじゃんじゃないか?そういう問いを自分に投げかけています。
なぜだろう・・ なぜだろう・・
ずっと考え続けました。言葉として明確に表現できる答えは見つかりません。
「言葉にならない声で、子どもは特別支援学級を求めている・・・」
ある先生は、おっしゃいました。
そんな子もいるでしょう。でも、本当にそうか?本当にそうか・・・
では、これだけ、人的な面からもコストの面からも恵まれているはずの特別支援学級を、なぜお母さん方が喜んで選択されないのだろう?
そのことが意味することは、結構重く、深い気がしてます。
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小さい時ほど集団で!(今この時育つ、感性と能力)
2008-05-22
通常クラスか? それとも特別支援クラスか? この時期、真剣に迷われ、悩まれている方はいらっしゃいませんか?それぞれのお子さんの特性や地域の環境(リソース)によって、判断の材料は異なりますから、一概に答えを出す方程式はないと思います。
しかし、私は「もし迷っているんのでしたら、小さいうちは、なるべく集団の中で育てる選択をされた方が良いのではないでしょうか?」とお勧めしたいと考えています。
理由はいくつかあります。
1つは、脳の発達という立場から、特に未分化の段階では、集団生活から得る刺激や情報がとてつもなく大切な役割を果たしていると考えるからです。
このブログで紹介させていただいている男の子の言語の発達は、どう考えても上記の理由からとしか私には考えられないからです。
2つめは、小さい子の段階なら、集団生活をベースとして、それぞれの専門機関や関係機関へ通うスタイルが比較的とりやすいのではないかと思うからです。
保育園でしたら、可能なかぎり統合保育というようなスタイルで日常の生活を送り、その一方でことばの教室とかいろいろな療育とか関係機関・専門機関の先生にかかるのがよいように思います。
Dr.や関係機関の先生にも個性やお得意分野、お子さんとの相性もありますから、セカンドオピニオンとして複数の先生の指導を受けられるのもよいかも知れません。
小学校の場合、特別支援学級と通常学級の交流は今や常識となっているでしょうが、でも、一旦、特別支援学級に入ると、監査の関係で50%以上は特別支援学級での授業を受けることが求められているのではないでしょうか?
それが、その子にぴったりな場合はいいのですが、できるだけ通常学級で学ばせたいと考えている場合は、通常学級に席を置いてがんばるのも、小さい学年ではひとつの選択だと思います。
特別支援学級へ入級することは、公立小学校の現場は大歓迎です。
なぜなら、人的配置が厚くなるからです。要は予算が付くからです。発達検査さえ受け、条件さえ整えば、すぐにでも人的な加配がされます。
しかし、通常学級にいて、それでサポートを受けよう思っても、この場合は、そうやすやすと予算はつきません。そうでなくても大変な上に、さらに発達課題のあるお子さんなんて・・
多くの先生は、正直、そう思ってしまいます。だから、特別支援学級を勧めるのです。ある意味、それは行き届いた教育の場、という面では、正解です。
しかし、そのことによって、あたかも集団から切り離されたように思えることも、よくあることです。
特別支援学級へはいつでも入れます!
こうしたことを総合的に考え、
「可能であれば、小さい学年のうちは、なるべく通常のクラスでの機会を多く」
これが、今の自分なりの結論となっています。
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友達を育てるという何よりも大切な支援(インクルージョンのつぼ)
2008-05-17
現在指導をさせていただいている1年生のお子さん。Dr.から「通常学級は無理」と言われながら、お母さんの強い決心で、今、通常学級で勉強を続けています。これまでにも、いろいろな事件?や出来事もありました。
でも、お母さんの表情も、男の子の表情も、私には輝いているように見えます。正直、入学前に、ここまでうまく行くとは、思っていませんでした。
何よりも大きかったのは、1年B組の先生の存在・お人柄です。人は外見で判断できないとは言いますが、入学式の前日、お会いした瞬間に、お母さんと目を合わせて、思わずガッツポーズをした感覚に、何の偽りもありませんでした。
期待通り・期待以上の先生でした。
何がすばらしいか?何がありがたいか?というと、何をさしおいても、クラスになくてはならないメンバーの一人として、大切に考えてくださっている。受け入れてくださっている、ということです。
こういう先生ですから、きっと他の子どもからも絶大な信頼を受け、多少のトラブルがあっても、やんちゃな子どもがいても、それぞれの子どもの目が輝いているクラスであることが、まるで目に浮かぶようです。
先日、この先生のクラスにいる男の子と女の子に「小学校の先生、優しい?」と尋ねました。
二人とも、うちの保育園の卒園児で、今、二人とも放課後学童保育に来てくれています。女の子の方は、保育園からのクラス分けの時、意図的にくっつけたわが保育園のエース児です。
「うん、やさしいよ」「すごい、やさしい」男の子も女の子も、パズルをいっしょにしながらでしたが、満面の笑顔です。
ちょっと待ってよ。君は言語の遅れがあったはず。何このコミュニケーションの流ちょうさ。どこで覚えてきたの?それ、って思わず言いたくなりました。(笑)
先生もすばらしいけど、この女の子は本当にすばらしい。過去の実践の中でも、成功の陰には必ずこういった友達の存在がありました。
ある意味、この女の子は、指導者の価値観を知らず識らずのうちにそっくり受け入れているのだと思います。
まずは、うちの保育士が、小学校に入ったとき、この子にどういうことを期待していたか?おそらくは直接そんな言葉かけはしていないだろうけど、1年間の指導を通して、その心はしっかりと、その女の子に根付いていたのだと考えています。
そして、それとまったく価値観のずれていない小学校の担任の先生のクラスづくり・学級経営。
女の子は、男の子を同じクラスの一員として、同じ保育園の卒園児として、大切な存在として男の子を受け入れ、何の迷いも気負いもなくごく自然に、それでいて、私が目を見張るような気の利いた支援を、自然にしてくれています。
支えるときは支え、教えるときは教え、やらせるときはやらせる。その塩加減は、もはや名人芸の域です。しかも、無料で、連帯感や同一性もある。おまけに、一日の大半を、同じ空間で過ごしている。
教員免許をもっていても、この女の子のようにできる先生は、そうはいませんよ。もしかしたら、私にもできないことかも知れません。それくらい、友達の存在は重要です。通常学級で学ぶ意義がそこにあります。集団で学ぶ価値がそこにあります。
協同学習風にいうと、メンバーシップがあり、責任と役割を共有し、同一の目標が設定され、支え合い運命を共有している存在、ということでしょうか?
この子の存在は、決してラッキーパンチではありません。集団で育つことの大切さや理念が保育や教育活動を通して、子どもの心に響いているかどうか?ということだと考えます。
そして、こういう子どもを育てること・こういう集団を育てることこそが、先生の仕事そのものなんだと思います。先生は一人なので、個別指導は、物理的に不可能なことは、明白です。たまに必要な時もあるでしょうが、無理して個にばかりかかわろうとすると、学級は崩壊します。学級が崩壊すると、多くの子どもが痛みます。
その女の子のお母さんに、こうしたことを伝えると、「えー、そうっだって。信じられないー」とお子さんの顔をのぞき込みました。笑い声のたえないご家庭のようすが、瞬時に思い浮かんでくるような気持ちになりました。
人は、集団で生きる存在でしたよね、
私は毎日、学童保育で、こうした子どもたちの姿を見るのが、楽しくてたまりません。
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通常の学級での積極的相互依存(positive interdependence)の関係
2008-05-07
発達の課題のあるお子さんが通常学級で学ぶ場合に大きなポイントとなることは、「その子がクラスの大切なメンバーとして受け入れられること」だと思っています。日本ではそのことを、これまでは特別支援教育の視点ではなく、学級づくり・学級経営・特別活動の分野からとらえられることが多かったようです。
それはそれでとても意義のあることではあったのですが、いわゆる担任の先生の人間性とか個性とかそういった形で紹介されることが多く、何かの指針としてなかなか論理的・実証的に体系づけられにくい分野として存在していたように思います。
その点、アメリカの研究はそこを理論として、実証としてきちんと整理してきます。
表題の「積極的相互依存(positive interdependence)」という言葉は、1980年代にミネソタ大学のジョンソンという方が提唱した協同学習のミソとなる考えです。
簡単に言えば
「Aちゃんは、ぼくのクラスの大切なメンバー」
「Aちゃんがいるから、ぼくたちのクラス」
「Aちゃんといっしょのグループになりたい」
「Aちゃんの苦手なところは、みんなで支え合って補っていきたい」
「でもAちゃんは大切なぼくたちのメンバーだから、この部分はAちゃんにもがんばってもらいたい」
「Aちゃんが活躍したり、勉強が少しでも向上することは、Aちゃんだけでなく、ぼくたちみんなの喜びでだ」
「Aちゃんの勉強が向上することは、ぼくたちのグループが向上することとまったく同じことだ」
そんなふうに学び合い、支え合う集団のモラルのことです。
もちろんアメリカの場合は、そこに人種の問題が厳然としてありますし、社会的な背景や学校を取り巻く環境も全然違います。
また、ジョンソンの協同学習もグループを基本単位としてとらえていて、1学級30人・40人という日本の学級集団とは大きく異なる面が多いのは確かです。
しかし、通常学級に席があっても、そこに所属感がなければ、メンバーシップがなければ、そこにどれほどの価値があるのかは疑問に思われます。
時には、学級担任は学びのコーディネーターで、学習の主体者は子どもであり、そのメンバーである、という発想の転換も必要な気がします。
先生が個別指導をするのなら、45分のうち、一人あたりはせいぜい2分。特別支援学級でも10分もあればいい方です。
保育園に来ている学童保育の小学生の中に、それはすばらしい女の子がいます。1年生なのに、だれよりもAちゃんのことを気にかけてくれていて、いつも上手にサポートしています。
それは、でしゃばって何でもかんでも自分がしてしまう、ということではなくて、AちゃんがすべきことはちゃんとAちゃんにさせる、というレベルです。
ここまでくると、へたな先生よりランクは上で、学級40人いれば、役割がそういう子を育てていきます。勉強の教え方も、さすがに寄り添った教え方をして、こっちが勉強になるくらいです。
先生が大切なことを示し、きちんと評価してやると、こんな子はますます生きてくると思います。
Aちゃんも、今、小学校で最初の壁にぶつかっているように伺っていますが、あの先生ならきっと乗りこえてくださるものと、心から期待し、応援しています。
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集団における個別サポートの可否
2008-05-04
通常クラスでの指導に際して,個別支援を専門に行う先生が別にいて,必要に応じて支援を行うシステムがあります。一見すばらしいシステムのようですが,実際に行ってみると,すべてのケースでうまく行くとはいえないようです。
たとえ同じ教室にいても,集団の中で学ぶ中身がなければ,あまり意味があるものにはなりません。大切なのは,大切なクラスの一員としてのメンバーシップがあるかどうかです。
どんなに障害があっても,懸命に努力する姿は,人も心を打ちます。しかし,このシステムは子どもの困難に立ち向かって努力する芽を,結果として事前につみ取ってしまう結果になりやすいことを,十分に知っておく必要があります。
例が悪いとお叱りを受けそうですが,きちんと訓練していた優秀な犬に,可愛いからと行って安易にえさを与えると,かえってだめ犬にしてしまいます。
わがままはしかる。出来たとき,努力したときにはほめる。そのことが,個別サポートの可否を決めると私は考えていますが,多くの場合に,甘やかす結果となっている現実を,私たちはしっかりと受け止める必要があります。
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集団の中で学ぶ・育つポイント
2008-05-03
先日、保育園に来ている小学生(学童保育)のお子さんたちの学習のお世話をさせていただきました。主に1~3年生の小学生が約15名ほど来てくださっています。学年も学校もバラバラで、様々な課題のあるお子さんもいらっしぃます。
ですから、学童保育の指導は大変です。私の経験からすると、学童保育の先生をするより小学校の学級担任をしている方が指導としては楽なくらいです。
ちょっと目を離すと、いろいろな出来事が起こります。
しかし、子どもたちはかわいいです。
先日100円ショップで、1冊100円のドリルを何冊か購入しました。自分の好きなの選んでいいよ、と子どもたちに話すと、
「ホント、これに自分の名前書いていいの?自分で使っていいの?」と目をうるませているお子さんもいました。
ジグソーパズルの完成記念に写真をとってやると、とてもうれしようなキラキラ目で大切に家に持って帰っていきました。
こほうびで、ミニ遠足をして、飛行機の見える公園でみんなといっしょに遊びました。ベンチにこしかけてみんなでアイスクリームを食べました。
「先生、今度はごほびにどこへ連れていってくれるの?」とかわいい質問を何度もしてくれています。
最初は、子どものパワーにとまどっていた先生の背中にも、いつの間にかおんぶされている子どもの姿がみられるようになってきました。
みんな、自分のこと見てもらいたくて一生懸命です。それは、発達課題があろうがなかろうが子どもならみんな同じです。
ここに、発達課題の子が集団で育つ大切なポイントがあると私は思っています。
学童保育の担当者の打合会で、私は次のようなことを担当の先生にお願いしました。
「気になる子、何とかしてあげたい子がいたら、まずはその周りの子どもと信頼関係を築きなさい。先生が大好き、先生が自分のことを大切にしてくれているとある程度の手応えが感じ取れるまでは、特別な指導には慎重に取り組みなさい。そうしないと、その子が知らないところでいじめられたり、孤立したりする可能性が高くなります。逆に信頼関係ができてから取り組むと、周りの子が小さな先生になってその子を影で支えてくれるようになります。どの子も、みんな先生に心を寄せています。やんちゃな行動は、先生、ぼくはさびしい、のサインです。方向性はしっかりともちながらも、決してあせることなく、どの子にも公平に接する感覚が大切です。その土台がしっかりできれば、必ず気になる子のアプローチの方向性は見えます。子ども集団の力と可能性を信じましょう。」
この日、ちょっと前にフェンスを乗り越えて脱走した男の子の宿題を見ました。やんちゃだけど、かわいいやつです。
「すごいね」「よくできるね」とほめると、まるで別な子のように一生懸命勉強に取り組みました。(と、後で指導員の先生が教えてくれました。(笑))
この子を私の子分にして、○○ちゃんのボディガードに育てたい、と密かにたくらむ私なのでした。
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キーワードは「共に育つ・共に働く」
2008-04-25
まずは、下の画像をごらんください。昨日のお誕生日会での先生方のパフォーマンスです。ちっちゃい子も真剣に見てますよね。

だれのアイデアか知りませんが、これを見ただけで、私たちがどんなことを大切に保育に取り組んでいるかをお伝えできるように思います。
私たちの保育園では、朝7時からお子さんをお預かりしています。早番の先生は、7時前には保育園に来て準備をしなくてはなりません。
いつのころからか、せめてちょっとでもその先生の前に保育園にいたいと思うようになり、がんばって早起きするようになりました。
今朝は6時半ころ保育園についたでしょうか?
そしたら、早番の先生はもうすでにお子さんを迎え入れる準備をしていました。ありがたいな、と思いながら事務所に行くと、別の先生がパソコンで日案・週案を作成してくれていました。
そして、園の内外を歩いていると、草刈り機の音が聞こえてきました。用務主事さんが、園のまわりの土手の草刈りをしてくださっています。
「朝、早くでないと暑くなるし・・」と言っていましたが、お休みの日にたまに園に出かけると、草花の水やりをしている姿を、何度も見かけました。
私立民間保育園の給与面での待遇は、私の立場から言うのは変かもしれませんが、それ程恵まれているとは思えません。
ここに映ってる保育士のほとんどは、土曜日には「和太鼓」の技能研修に出かけます。文字通り、休みを利用しての主体的な研修、いわるゆ自己研鑽です。
昨年度も、発達の課題のあるお子さんが。和太鼓のパフォーマンスで大きな自信をつけ、友達とのコミュニケーションや運動機能面など、大きな成長を遂げる起爆剤となりました。
口先だけでなく、具体的にやってみせる。コロコロ方針や予定を変更しない。目標・ゴールを示し、賞状や金メダルできちんと評価する。
当たり前のこと、どろくさいことのように見えますが、このことは発達の課題のあるなしにかかわらず大切なこと、いわゆる指導のユニバーサルデザインとなっています。
私は、こうした保育士がいることに大きな誇りをもっています。また、それぞれの保育士も、よその保育園でできないことを私たちはやっているという誇りと、夢と向上心をもって仕事に取り組んでくれていると思っています。
このことは保育士ばかりではなく、調理や用務や事務など全職員がそれぞれの持ち場で、その持ち味を生かすことで、そのことがやがて大きなうねりとなってそれぞれの心に響いて行きます。
やらされている感覚では、こんなパフォーマンスは不可能です。一人ではできないことも、仲間がいれば楽しく取り組んでいくことができます。
このことは職員だけでなく、子どもの育ちにも同じことが言えると考えています。
以前にもお伝えしましたが、脳内で人間の集団としての欲求を司るのは大脳辺縁系といって、食欲など生物としての基本的な欲求を司る部位に存在します。
これからも私は「共に育つ・共に働く」にこだわり続けようと考えています。
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友達の力は無限だ!(しあわせの宅急便)
2008-04-21
今、土曜日に、小学校1年生のお子さんの「国語」の勉強の指導をさせていただいています。たった45分の指導ですが、結構準備に時間をかけ、あれやこれやとチャレンジしています。これはこれで、とても楽しいのですが、その後の学童保育にかかわって見て、驚いたことをひとこと
「友達の力は無限だー」
指導中はちょっとしかしゃべりませんでしたよ。
一語文だけでしたし・・
しかし、あとみんなと遊んだときにしゃべるしゃべる。
「宅急便やさんごっこ」 できるんだー
しっかり役割果たしているじゃないか?
2語文、言ってるじゃないか? ちょっと不明瞭だけど。
でも、そんなの関係ないよね。
SHINOBU先生の英語よりましだよ。
まさに、日本語のネイティブスピーカーでライブレッスンだよね。
この環境があるなら、マンツーマンレッスンのやり方も、考えなくちゃね。
あれだけ、Dr.から「通常学級無理!」って言われたのに、行ってみると結構楽しそうだー。
今週は、お母さんといっしょに小学校にお礼に行くからねー
また、土曜日には、きみは大好きな自転車に乗って、
笑顔いっぱいで、しあわせの宅急便
SHINOBU先生にも、届けてくれるんだよね
また土曜日が、晴れの日でありますように
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担任の先生、そして支援の先生に感謝・感激!
2008-04-19
Dr.から「通常学級は無理」と言われていた1年生の男の子。でも、「この子は集団でこそ伸びる」と信じ、通常学級を選択したお母さん。1年生の担任が決まるまでは、ドキドキでした。
入学式の前日、私たちの前に現れたのは、若くてやさしい笑顔の女の先生。とてもていねいに、入学式のことを男の子に教えてくださっていました。
お母さんは、1冊の連絡帳をこしらえました。お母さん、担任の先生、学童保育の先生、そして関係機関の先生方と、この子をとりまく人たちが情報を共有できるようにと、願いを込めて作られました。
4/14に1年生の担任の先生が、次のように書いてくださっていました。
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1年○組の担任の○○です。
よろしくお願いします。
なるべくこのノートに様子をかこうと思いますが、時間がとれないことも多いと思うのですみません。(なるべくがんばります!!!)
今日の○○さんは、朝はニコニコはりきって片付け等していました。身体測定のときに着がえるときになると、どうしても着がえたくないようで、私や○○先生がいくら声をかけても着がえることができませんでした。
えんぴつをもってせんをなぞるれんしゅうのとき、友だちに「そこをなぞるんじゃないよ」と言われたのが悲しかったのか、なかなか指示どおりの場所をなぞることができませんでした。
私の声かけも、工夫が足りないのだろうと思います。○○さんが学校で安心してくらせるようにがんばります。
○○先生より、「自分がしたくないときには、なかなかできなかったです。でも、友だちにやさしく声をかけることだできていましたよ」とのことでした。
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その後も、30人以上の学級で、わずかな時間を利用して、心をこめて、この先生方は連絡帳にその日のできごとを綴ってくださっています。
本当に頭の下がる思いです。
日本の教育は、こうした先生の熱意と愛情に支えられているのだと思います。
連絡帳を見ると、その後も毎日、いろいろな出来事があるようです。でも、この子は、日に日に笑顔がかがやいているように、私には思えてなりません。
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診断・理論 その狭間でゆれる子ども(あるべき姿は身近な所に)
2008-04-18
このところ、私の周辺ではあちらこちらで、診断をいただくお子さんが増えています。特別支援に関する理論や研究は日進月歩に進歩しており、5年前10年前となると、もはや隔世の感があります。
ところが,診断がついたことで、専門的なかかわりをしていただけることにはなったけど、通常学級とのかかわりが疎遠になり、トータルで見ればマイナスになっている場合ケースも結構見受けられます。
本来、特別支援の理念は、「みんなといっしょに育つ」ということがベースになっており、その前提に立った専門的なかかわりであるべきはずです。
ところが、たとえばADHDとか自閉症とかLDとか、診断名がついたとたんに、微妙にクラスの一員としてのポジションが変化してしまうことがあります。
担任の先生には、ぜひ、「何があっても、この子はこのクラスの大切な一員である」という気概をもって指導にあたっていただきたいと思います。
専門的な指導といっても、実際にマンツーマンで指導していただける時間は、そうあるものではありません。
まだ特別支援教育という名前すらなかった時代、ADHDという概念すら定着していなかった時代に、学級経営いう日本独自のスタイルで、世界に誇るすばらしいインクルージョンの教育実践が多く存在していました。
障害があろうとなかろうと、担任の先生の深い愛情と熱意により、子どもたち相互の絆が深まり、教えあい助け合いながら、共に伸びていく学級の姿がありました。
WISCもTEACCHも共同学習もなかったその時代に、今私たちが私たちが大切にしていかなければならない、あるべき姿があったのです。
今年4月、発達課題のあるお子さんの担任の先生が、若い女の先生に決まりました。私も、お母さんも思わずガッツポーズで喜びました。
経験より、知識より、何より、そこにはこの子をクラスの一員として大切に育んでくださる愛情と熱意を、私たちは肌で感じることができました。
これがあってこそ、ここを基本にしてこそ、WISCや構造化の話になるのです。
受け売り専門、知ったかぶりのにわか専門家にだまされてはいけません。
そういった意味でも、臨床あるいは実践ほど尊いものは、ありません。百の理論より、一の実践。
子どもの成長と幸せこそが、私たちの唯一の価値基準であらねばなりません。
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発達課題のある子が集団で育つ姿
2008-03-13
3月8日に保育園で生活発表会を行いました。そのことで今日,一通のお手紙をいただきました。あまりにも嬉しい内容でしたので,一部を紹介させていただきます。(プライバシーに配慮して,一部表現を変えている箇所があります)「だいぶ春めいてまいりましたが,風はまだ寒く二月堂のお水取りが終わるのが待ち遠しい今日この頃でございます。
先日3月8日の白ゆり保育園生活発表会を参観させて頂きましたこと,大変嬉しく感謝申し上げます。私共夫婦はこの度初めての参加でございました。今年は年長組で最後と云うこともあり,又,孫の集団生活の様子成長ぶりを見てみたいという気持ちで参りました。孫は○○○○でございます。貴園におきましてひと方ならぬお世話になっております事母親である娘から話はよく聞かせてもらております。
この度の発表会に於きまして発達課題を伴いながらも集団の中でそれも多くの方の前であのように行動出来たことに感動,そして感謝の気持ちでいっぱいになりました。又,そちらに通うお子様ひとりひとりがみんなへの思いやり優しさがあること。それは園長先生,副園長先生をはじめとする諸先生方の心の通い合うきめ細やかな関わり,そして子供たちは五感を通して教えられ学んでいることを肌で感じることができました。私共からすれば,○○は素晴らしい成長だと思いました。有りがたく涙がこみあげてきました。この生活発表会を参観することができ,これから齢を重ねていく私共にとりましても知識・感性・思いやりを養っていく大切さをあらためておそわりました。
素晴らしい白ゆり保育園だと思います。○○は,これからもみなさまにはお世話になる事と思いますが,これからも何卒宜しくお願い申し上げます。
最後になりましたが貴園のみな様のご健勝と益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。先ずはお礼にて」
こうしたお手紙をいただくことで,私たちは子どもの育ちで何が大切なのかを,しっかりと見つめ直すことができます。これからも,発達課題があるからないからということではなくて,すべての子どもだちのすこやかな成長と幸せのために,力を尽くしてまいりたいと思います。私どもは,お子様の成長と幸せを真ん中において,保育者と保護者の皆様とが信頼の絆で結ばれることこそが,保育の質を高めることであると考えております。
これからも,「白ゆりに来てよかった」「白ゆりを卒園してよかった」と思っていただけるよう,職員一同心を一つにして精進して参りたいと思います。これからもどうぞよろしくおねがいします。