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子どもの行動改善

 2016-11-04
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教育は先手、

私のレッスンは、いつも準備と事前の手立てが命で、万が一の場合の対応にも、待ってましたとばかりに対応できるように、と考えています。

しかし、今朝のレッスンでは、私がトイレに行っている際に、先に子どもが教室に入り、自分の学習席ではなく支援者席に座ってしまい、注意してもてこでも動かないというような状況になってしまいした。


このようすをご覧になったお母さんが、「どうしたらいいでしょう? 最近家でもこんな場面が多くて… 力づくで動かした方がいいでしょうか?」 と心配してくださいました。

私は、この子が学びに来ていることを確信していますから、こんなことで、今日のレッスンをパアにするはずかないと思っていました。

そこで、「まあ見ていてください、ちゃんと自分の意志で着席させますから」 とお伝えし、アプローチを開始しました。


きっと先生席に座って、いろいろと興味のあることをやってみたかったのでしょう、

でも、それ以上に、ここでの学習を楽しみにしているはずです、

一時的な欲求で、その基本的なデマンドが崩れるわずがない、というのが私の基本的な見立てです。


「○○ちゃん、そこは先生の席だから、そこに座っていると勉強はできないよ」

「いつもの所に座りなさい」

そう言っても、にやにや笑って動こうとしません。


「じゃあ、先生は一緒に勉強できないから、あっちの部屋にいくよ」

そう言うと、ちょっと表情が変わったのが見て取れました。

表出言語なんてなくても、ちゃんとコミュニケートがとれている証拠です。


3分ほど間をおいて戻ってみると、動きが少しそわそわし始めました。

やっぱり勉強がしたいに違いありません。


「そうか、残念、 あんなに先生楽しみしていたのに~」

「じゃあ、今日はこれでおしまいです」

バイバイ~、と私が言いかけた瞬間、その子は跳ね起きるように学習席に駆け足で戻っていきました。


「この子は、誰よりもポジティブで、向上心の願いの強いお子さんです」

「だからマイナス行動をしても、ちっとも得にならず、逆に心の中の向上心を満たすような場を作って、きちんと評価して足れば、マイナス行動を起こす動機も意味もなくなるのです」

「最後は少しトーンを落として、言うのがポイントですよ」 とその3分間の間に、応用行動分析のアプローチをお母さんにお伝えしておきました。
お母さんは、ものの5分も経たない間に、その子の体に触れることなく、きちんと学習席に座らせる私のかかわりを見て、「まるで目の前で魔法を見ているようだ」 と、とても驚かれていました。


子どもの成長を心の芯から信じているのが、教育者であり、教育者と子どもは相互の信頼感で結ばれた特別な関係です。

薬ではなく、教育の力で、子どもの望ましい行動変容と成長を目指していきたい。

私たちのチャレンジは、これからもずっと続いていくのです。






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マイナス行動の無意味化

 2016-09-28
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ある子どもが、つみき遊びに夢中になって、なかなか次の活動に移れませんでした。

先生が、そのつみきを片付けようとしても、頑として言うことをききません。


しばらくそのつみき遊びが続いていましたが、タイミングを見て、別の先生がその子の大好きなアンパンマンの音の出る絵本を持ってきました。

○○ちゃん、先生とアンパンマンの絵本いっしょに見ない?

さあ、上手につみきの片づけができるかな?


そう言うと、その子はさっとつみきを片付けて、先生のひざの上で、アンパンマンの絵本を一緒に見ていました。

そして程なく、その子も集団の流れの中に入り、みんなと楽しく活動を始めました。


「時間が来たのだから、ちゃんと片付けなさい」

そう指導する先生の役割は大切です。


その先生がいればこそ、タイミングをみて別の先生は、その子のプラスの気持ちを引き出しながら、その子自らの手でつみきを片付けるようにうまくサポートすることができました。

やがては、こんなサポートの先生がいなくても、この子だけできちんと切り替えの出来る子に育てていくことが、私たちの育ての目標になるのです。


白ゆりの職員なら、リアルな保育の流れの中で、応用行動分析の手法を生かす取り組みをしてほしい、

研修会の中で、何度か私は、そう職員に話す機会がありました。


子どものマイナス行動の裏には、必ずその子の願いが隠されているはず、

ならば、そのエネルギーをうまく、プラスの行動へと導いて、即座にそのことをほめてやること、

そうすれば、もはや子どもにとって、マイナス行動を続ける意味がなくなるに違いない。


先日、初めて見学に来られたお母さんが、何とも言えない白ゆりのあたたかい子どもの笑顔を見て、驚いてお帰りになりました。

心通う場面では、マイナス行動なんて、何も意味がなくなるのです。


子どもの内発性を信じること、

言語があってもなくても、気持ちをしっかり通わせること、

さすれば子どもは、自ら必ず望ましい方向に向かって歩み始める。


たとえどんなに時間がかかろうが、それができない子どもはいない、

私たちの誇りと信念を支えるもの、

子どもの育ちに勝る宝は、何もないのです。





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行動の背景を読み解く

 2016-07-27
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今日のレッスンのことです。

ある4歳の男の子と、画像のような数字パズルをしていました。

が、いつものような弾む感じがありません。


どうしてかな、って思いながらその子の方に目をやると、一瞬ちらっと、くるくるローラーに視線を移動させました。

「あ~、残念、せっかく早く一緒にくるくるローラーやりたかったのになあ」

私が、そんなふうにつぶやくと、急にその子の目に炎がともり、いつにも増して生き生きと数字パズルに取り組み始めました。

もしもこの日、「何、その態度、そんなことでは楽しいことなんか、絶対やらさないから」 と、やっていたら、きっとこの日の活動は沈没していたに違いありません。


子どもの心の根元にはきっと、「いい子になりたい」 とか、「何かができるようになりたい」 とかの、成長のエネルギーが湧き出ているに違いありません。

ならば支援者の期待する望ましい行動が生起しなかった場合には、どこにそのマイナス行動を引き起こす原因があるのかを見抜き、それに代わる望ましい行動の道筋をタイミングよく提示し、しっかりとそれを強化することにより、教育的な成果も、支援者との信頼感を格段に向上していくのです。


私はまだまだ未熟者ですから、こんなふうに、絵に描いたように支援がはまる確率は、まだまだ低空飛行といったところです。

ですが、保護者の方の信頼のもとに、時間と環境さえ望み通り与えていただけれるのであれば、必ず望ましい行動変容を引き出していくことは出来ます。


限られた時間の中で、様々な要因が突発的に絡み合っている子どもの生活の場面で、このことを実現していくことは、そうそう簡単に出来ることではありません。

だからこそ、実践者は偉大であるし、尊いのだと思います。


人事のことを相談すると、うちの主任さんは、「私はこれからもずっと、子どもたちと共に歩んでいきたい」 と答えてくれました。

今の白ゆりは、こうした教育愛と使命感のあふれた実践者を抜きに考えることは、到底できません。


やがてこの実践者の魂は、志の深い多くの中堅・若手の範となり、これからの教育の大きなうねりとなっていくとでしょう。

教育とは、かくも美しく尊い営み、 


誰がための力となることで、人はきっと大きく育つのです。








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行動改善に向けた10歳の節目

 2014-12-25
日曜日に京都の教室に、3年生の女の子が来てくれました。

小さい時からずっと、三重県から通ってくれているのすが、このところ目に見えて学習がかみ合ってきました。

勉強の集中度が格段に向上し、すっかりお姉ちゃんらしくなってきました。


この子が幼い頃、何度も岡山の教室にも通ってくれていました。

「10歳になるまで、もう少し辛抱してみてください。」

「劇的に改善されるかどうかは別として、今よりはきっと見える景色が変わりますから」


10歳云々と言ったあの日のこと、覚えていますか?

私がお母そう尋ねると、お母さんは、

当時は、そんな余裕、どこにもありませんでした、

とお答えくださいました。


私は予言者でも何でもありませんが、こういった話で、ご家族の期待を大きく裏切った記憶は、ほとんどありません。

何人も何人も、同じような行動改善をしてきた子を知っていますから、理屈ではなく、体験として感じているのです。

それよりもむしろ、3〜4年前には予想することさえ出来なかったくらいの、飛躍的な成長を遂げた子を、何人・何十人と見てきたのです。


「通常学級なんて絶対無理です」

もう飽きるほど、何度も何度も浴びせられた言葉です。

そのセリフ、今でも同じトーンで、私たちの前で言えるのでしょうか?


それは、いたずらに甘い期待や過度の要求を子どもに無理強いするのではなく、特性理解に基いた質の高い教育をせよという、ありがたい戒めとして、忘れることなく大切に私たちの心の中にしまわせていただきます。

それよりも今、我々は子どもと一緒に、より高い次のステージを目指していかなくてはなりません。


3年、5年、いやそれ以上も、私は一人の子どもの学びに、ずっと直接かかわらせていただいているのです。

レッスン料自己負担、遠隔地から新幹線を使って、何年も何年もずっと通ってくれている子は、1人や2人ではありません。


そういう私だからこそ、果たさなければならない使命というものがあるのです。

教育のもつ無限の可能性を、もっともっと広く多くの方に、伝えていくこと、

これからも私は、その歩みを止めることなく、しっかりと前を向いて歩いていこうと決めているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-26)




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子どもの決心

 2014-01-13
つよし君は、小学校1年生の時から、私の教室に通ってくれています。

小学校では、ずっと支援級で勉強してきました。


つよし君も、6年生になりました。

そのつよし君が、昨年末に「ぼくは、中学生になったら普通級に入る」と言い始めました。


これまでの小学校生活の場面で、交流級の教室に入れなかったり、特別な思いがこみ上げてきて活動に参加出来にくい場面が幾度となくありました。

お父さんも含め、中学校も支援級スタートの準備を進めていましたから、この発言にはどうしても慎重にならざるを得ませんでした。


年末に、お父さんもからメールをいただきました。

先生方が心配してくださること、私自身が不安に思うことがないわけではありませんが、この子の決心を、親として支え信じてやりたいと思います、

そこには、そのような内容の文字が綴られていました。


昨日、つよし君が私の教室にやって来てくれました。

これまでは、とにかく行き届いた支援を行うことに心がけ、達成感をもたすこと、自信をつけることを大切にしたレッスンを積み重ねてきました。


しかし、この日は、何だかこれまでとはオーラが違う、

そう感じた私は、あえて支援をフェードアウトして、トライアンドエラーの形に切り替えて様子を見てみました、


3学期からは、全部6Dで授業を受けている、

朝の会も給食も全部?

うん、

それ以上、何も言葉は必要ではありませんでした。


小学校を卒業したら、SHINOBU先生の教室も卒業する、

それは、ずっと前から決めていた私たちの約束でした。

この子は、その約束を、こんな形で答を返してくれたのです。


この子とは6年間、ずっと教科学習を通して向き合ってきました。

父から託されたこの子の行動面の課題は、教科学習を支えることなくして、きっと改善することはあり得ない、

その教科学習を通して、私が、この子に伝え続けたメッセージが、今ここに、こんな形で花を咲かせてきたのです。


私とこの子とのレッスンは、卒業まであと5回、

その最後の1回ですら、特別なことはなく、何事もなく終わっていく、

だからこそ繋がる生涯の絆、


君とのレッスンは、まちがいなく私の永久欠番、

私の支援の究極の大目標である「肯定的な自己理解の力」

そのことを、自らの育ちによってはっきりと形に示してくれました。


きっと、これから幾多の課題が君の前に降り注いでいくことでしょう、

しかし、君のその決心が揺るぎないものに育っていることを、そのまなざしから、誰よりもしっかりと受け止めているのは、私と君のお父さんなのです。


私の心から生涯、あなたの存在が遠ざかることはありません、

ご卒業、おめでとう

あなたの成長こそが、私の何よりの誇りなのです。







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メタ認知と行動改善

 2013-08-19
「物を投げる」

何年も前から、私はそうした子どもの行動改善に向けて取り組んできました。

それぞれの子どもに、そうした行動を維持させる要因というものがあるのですが、その心の根元に不安な気持ちがある場合があるというケースが、とても多かったように感じています。


子どもは、物を投げた後の、私の表情や態度を見ているのです。

そして、私のその子に対する姿勢を確かめているのです。


もちろん、望ましくない行動を安易に受け入れたり、いたずらに迎合するようなことがあってはなりません。

ですが、その根元に、自分自身に対する不安な気持ちがあるのでは? と行動の背景を読み解いてやれば、おのずから解決への道筋が見えてくるよう思えるから不思議です。


不適応行動は、支援者との信頼関係(コンプライアンス)を勝ち取るための、むしろ近道だと考えています。

望ましくない行動を諭し、本来もっている願いを掘り起こし、それを強化していく過程の中にこそ、子どもは、自分のことを心の芯から大切に思う支援者の愛情と信念を確かめているのです。


こうした信頼関係が芽生えると、多くの場合、子どもが不適応な行動を維持する必要感がなくなってきます。

信頼感や安定感は、子どもが望ましい自分のスタイルを見つめていくために不可欠な要素となり、余裕をもって自分を見つめていくメタ認知のモードへと移行していくのです。


すべてのケースで、絵に描いたように鮮やかに事が進むとは思っていませんが、ここに子どもを連れて来てくださる限り、いつかは必ず信頼関係は築けるものと信じています。

その自信と誇り、その覚悟と決心、その愛情と信念を失ってしまったら、明日にでも私は引退するつもりです。


そういう気持ちなくして、子どもは決して心は開きませんし、その気持ちさえあれば、どんな形になるかは別として、必ず子どもは心を開きます。

それを信じて歩む営みに、私は 「教育」 という名前をつけているのです。


教育は、ライブであり、真剣勝負であり、それぞれにかけがえのない大切な出会いであり、ストーリーがあるのです。

今日もそのステージ立たせていただけることを、私は何よりもうれしく思っているのです。





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子どもの肯定感を高める非言語のアプローチ

 2013-07-30
長年臨床実践にたずさわっていると、いろいろなことが見えてくることがあります。

同じような内容の指導をしていても、ある指導員が言うことには素直に従う子が、別の指導員がいうことには全く従わない場合があります。


子どもの育ての視点から見れば、どのような指導員の指示にも、まずは素直に従う子どもであってほしいと思います。

逆に、指導員の力量という面から見ると、私には、その指導員に何が足らないかがはっきりとわかります。

それは、その子をどんなふうに育てて行きたいかという、教育者の信念やビジョンや技術が、子どもの心に響くレベルまでに至っていないということです。

特に、表出言語の少ない子は、感性でそこを見抜きますから、安物の理屈を並び立てても、ちっとも動こうとはしないはずです。


例えば、何か不適応な行動や、注目獲得のためのお試し行動をとったとします。

ここでちゃんと叱れない指導員は、もうそれで落第です。


望ましくない行動を見過ごすのは、その子の育ちを真剣に考えてない証拠です。

その1秒のためらいで、子どもに、その部分を敏感にキャッチされてしまいます。


もちろん、子どもを頭ごなしに叱りつけるのではなく、まずは、その気持ちを受け止め、行動の背景を理解してやります。

その上で、

「先生は、どうしても、あなたにいい子になってほいしの」 

「どうしてかというと、先生は、あなたのこと、大好きだから」

と、伝えるのです。


その伝え方や、内容や、方法は、その先生のお人柄やタイミングにお任せします。

このライブ感や、間の取り方一つに、指導者としての力量が見てとれます。


夏休みということで、発達支援センターのグループレッスンは、連日、定員を超えるご利用をいただいています。

「ここに来ると、子どもの表情が変わる」

「この明るく楽しいムードは、いったいどこから来るのでしょうか?」

お母さん方は、驚かれるように口々に、そうお伝えくださいます。


「○○ちゃん、こっちでいっしょにあそぼう」

昨日、あるお姉さん役の女の子が、低学年の子をそう遊びにさそっていました。


この低学年の女の子は、就学前には、入り口で固まって、何かにしがみつくように抵抗感をしましていたものでした。

この青空にぬけるような、輝く笑顔は、一体誰にプレゼントしてもらったものなのでしょうか?

みんなから受け入れられているという思いが、この子の心に、ゆるぎない自己肯定の気持ちを育てていきました。


子どもの幸せを、芯から願う気持ち、

そうした何よりも尊い仕事にたずさわることのできる喜びと使命感、そしてその手応え、

こうした職員のあたたかいまなざしこそが、子どもの心にしみわたっていくに違いありません。


こうした職員が、それぞれのリーダーとして、さらに後進を育てていくことのできる環境を作っていくことも、私の大切な使命の一つになってきました。





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君は本当にいい子になった (行動改善6年間の軌跡)

 2013-07-03
今年6年生になる男の子がいます。

その子が1年生の時、何人かのお友達としょっちゅうトラブルがありました。

その度に家に電話があり、お父さんは、「電話がなる度に、またかと、当時は生きた心地がしなかった」 と、伝えてくださいます。


1年生の終わりから、その子は私の教室に通ってくれるようになりました。

それから足かけ6年間、90分のマンツーマンレッスンを、月に2回のペースで、ずっと続けさせていただいています。


低学年のころは、その90分間をもたすことが、決して容易ではありませんでした。

あの手この手、手を替え品を替えながら、その90分のレッスンにかなりの緊張感をもって臨んだものでした。


出来ないこと、苦手なことを受け入れることができにくい、

体格も良く、力も強いこの子ですが、誰よりもデリケートで、不安いっぱいの心をもった子であることは、レッスンを始めてすぐに理解することができました。


私ができること、

それはこの子に、肯定的な自己理解のメッセージを送り続けること、

その1点にいつも集約されていました。

算数の計算の時も、漢字練習の時も、文章読解問題の時も、いつも私は、心に自己肯定のメッセージを添えながら、支援を積み重ねていきました。


前回のレッスンで、分数の割り算のまとめテストに取り組みました。

わる数を逆数にし、約分をし、帯分数に直す、

一連の手順に些細なミスも見受けられません、

字のていねいさも、学習の集中力も、そのあたたかなまなざしも、もはや青年期に差しかかり、見違えるようにたくましく、余裕をもったものになっているのでありました。


レッスンが終わると、お父さんはいつもうれしそうに、やり終えた学習プリントを、何回も何回もペラペラとめくって目を細められています。

これだけ勉強ができるようになれば、私の支えも必要でなくなってきます。


SHINOBU先生の教室は、小学校で終わり、

お父さんは、ずっと以前からそう伝え続けて、そのことは本人も受け入れています。


自分は農業高校に行きたい、

将来は、調理師になりたい、


この子が家族と共に目指す先は、どの子よりも、しっかりと地に根ざしたものとなっているのです。

人は、誰かの役に立つ存在となることによってのみ、真の自己肯定の気持ちをもつことができる。

彼の育ちは、あとわずかで、テイクオフの時期を迎えようとしているのです。





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待ち遠しいレッスン

 2013-01-29
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今、「白ゆり発達支援センター」 のリーフレットを作成しています。

今日は、建物の外観と私の顔写真の撮影日、

予定の時刻に、デザイナーさんと担当の方がお越しくださいました。


撮影日がこの日であることは、ずっと前から、わかっていました。

でも、忙しくて、散髪に行く時間がない・・

もうじたばたしても仕方ないので、結局、ボサボサの頭のままでの写真撮影となりました (笑)


この1月は、色々なことが重なりすぎて、元日からマックスのテンションで仕事をしていても、どうしても、散髪屋さんの開いている時間を見つけることができない。

深夜営業のできる散髪屋さんって、都会にはあるのでしょうか?

できれば、宅配で、家に来てもらいたいくらいです。


でも、どんなに忙しくても、レッスンだけはお休みにはしません。

その日のレッスンのために、下の子を実家に預け、新幹線やホテルの予約をとり、何ヶ月も前からご準備をしてくださっている方がいらっしゃることを知りました。

一つ一つのレッスンを大切にしなければ、すべてを大切にしないのと同じこと、

いつもそう考えて取り組むように心がけていますが、実は、もう一つの理由があるのです。

それは、レッスン自体が楽しいのです。


今回、2人の子の映像をアップさせてもらいましたが、この表情をご覧になって、どんなことをお感じになりますか?

何ヶ月か前には見ることのできなかった、とてもやわらかい、伸びやかな表情です。

こうなってくると、次のレッスンは誰だったかと待ち遠しくもなりますし、今度は誰々ちゃんかと楽しみでなりません。


もちろん、レッスンの厳しい局面を、誰よりも知っているのは私です。

そして、どんな厳しい場面に出会っても、決してここから逃げない覚悟は決めています。

その深い決心は、必ずや子どもの心に響きます。

だからこそ、楽しいレッスンのねうちが、私にはわかるのです。


私が楽しくなくて、子どもが楽しいわけはありません。

そういう気持ちで子どもに向き合えなくなったなら、私は心の中で、静かに看板を降ろそうと思っているのです。






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言語と行動とをつなぐもの

 2012-10-26
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先日、ある男の子とブンブンこまで遊びました。

どうしても、SHINOBU先生とブンブンごまがしたいというリクエストのお応えしての活動でした。


言語性が豊かで、とても頭の良い男の子です、

1年生なのに、計算だって、漢字だってスラスラできちゃいます。

ところが、このブンブンごまが、どうしてもうまく回らない。


ブンブンごまは、こまの回転の慣性を利用して、一定の回数、逆回転に回ったタイミングで、そっとひもを引くと、面白いように回転するのですが、この子はめいっぱいひもをひっぱって遊びがないので、逆回転にこまが巻き戻らないのです。

何度かそのことを説明してやるのですが、さすがに小学1年生では、言語ではそのことを理解できない、


「いいかい、先生が手を持ってあげるからね、やりかたをまねしてね」

私は、その子の両手に手を添えて、今度は言葉ではなく、動作で示してやりました。

何となく感じはつかめたようでしたが、それでもなかなかすぐには、回りません、

「じゃあ、自分でちょっと練習してごらん」

レッスンの終了時刻が来て、ちょうどお母さんが入室してこられましたので、私はその子に、そのように言っておきましたた。


お母さんに、この日の学習についてお伝えしている最中、一生懸命練習を続けています、

5回、10回とチャレンジしていると、その瞬間、突然こまが勢いよく回り始めました。

小さな感動が、私たちの心の中にも広がっていきました。



みなさんは、一輪車に乗れますか?

一輪車は、おへそを突き出すようにして、体重を前にかけると乗れるようになります。

分かってしまえば簡単ですが、いくら言葉でていねいに説明しても、この感覚を100%伝えきれるものではありません。


どんなに言語性が優れていても、いや、言語性が優れていくからこそ、できにくいことというのもあるのです。

言語 = 元になった体験 = 思いこみ = 固定化 = 適応性の妨げ 

何でも言語で処理しようとする子は、何かに付け、そのことを言語に置き換えて処理してしまう傾向がありますが、かえってその言語のが優位性が、妨げとなって働いてしまう部分だってあるのです。

私の経験からは、言語面の発達に課題のある子は、案外、場の状況や人の気持ちをダイレクトに感じ取れる力が優れている場合も多いようです。


前にもお伝えしましたが、私の実践からは、行動のコントロールと、微細な理解や認知の間には、何らかの相関性があると感じています。

そこを読み解き、メカニズムか見えれば、支援の方向性もより明確になってくるはず、

この子のブンブンごまは、何か大切なことを、私に教えてくれような、そんな気がしてならないのです。







この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-10-27)




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行動改善に向けた2つのアプローチ

 2012-10-16
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私の所には、たくさんの子どもが来てくれています。

中には、IQ値がとても高い子もいます。

当該学年より上の問題でも、次々と解いていくことができます。


しかしながらご家族の不安や心配が、全くないということではありません。

些細な気持ちのズレから、トラブルが生じ、思いもかけない事態に発展しまうという出来事が、次々に生じてしまうのです。


言語性も豊かで、知的水準が高い・・

けれどそれだけで、現実生活の中、すべてのことがパーフェクトに出来るわけではない、

生意気だ、へ理屈ばっかり、しつけをきちんとしていないから、甘やかせているからだ、

見えにくいからこそ、理解されにくいからこそ、そのダメージは、日常的に積み重なっていくのです。


個々のトラブルに対しては、事の経緯やそこの子の気持ちをくみ取り、客観的な状況をていねいに整理し、言語化しながら受け止めさせる営みを大切にしています。

言語で合理的に納得すること以外の方法が、受け入れられないということが、この子にとっては、大きな課題となっているのです。

そこを理解してやることが、支援者としての私の役割、

いわゆるインプットの面のアプローチです。


それとは別に、アウトプットの面の理解も重要です。

イライラしたり、ついついやってしまったり、言ってはいけない言葉を使ってしまったり、行動のコントロールができにくかったり・・

医療系の支援も含め、こういうアウトプットのアプローチが適切に実施されることで、インプットの部分がうまく機能しはじめた事例に何度が出会ってきました。


仮に、インプットいわゆるメンタルな面をアスペルガー、アウトプットの部分をAD/HDという切り口でとらえるのなら、その両面が隣接している子もいると、私は感じています。

医学的な根拠も、学術的な裏付けも何もありません、

ただただこれは、私のとらえです。


それに、たとえどんな見立てが付こうとも、あなたがあなたであることには、変わりないわけです。

見立てというのは、それが何か子どもの利益につながってこそ、初めて意味をなすものです。

そうでないなら、そんなものは、バッサリ捨て去って、ありのままの子どもと向き合いたい。


「ここは楽しい、SHINOBU先生は天才や」

先日、私の所へ初めて来た子が、家に帰ってお母さんにそう言ったようです。


この子、IQ値が120を越えています。

何言っているの、天才は、君の方だよ、

君が他者をいつくしみ、自分自身を肯定的に理解し、誰かの幸せのために力を十分に発揮できるその日が来るまで、先生はずっと君と一緒に歩んでいきたいと願っているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2012-10-18)






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行動改善のアプローチを 環境構成の視点で整える

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席に着き、一定の時間集中して学習に取り組むこと、

就学に際して、身につけておきたい大切な内容の一つです。


一方で、その特性や課題から、私がレッスンをさせていただいているお子さんの中にも、なかなか 「着席→学習の持続」 が出来にくいタイプのお子さんがいます。

こうしたお子さんに、「着席→学習の持続」 の態度を育成していくことは、教育的にとても大切な事柄の一つであると考えています。


では、どうやってその力を身につけていくか?

それには、いくつかのアプローチがあるのではないかと考えています。


その一つが、今回紹介させていただく 「知育いすデスク」 の開発です。

この 「知育いすデスク」 は、かれんちゃんのお母さんが開発されたもので、今回、特許を申請されました。

私は、そのモニターとして、特別に、試作品をオーダーメイドで改良していただくことになりました。


今、かれんちゃんが実際に座っているものが、「知育いす」 です。

高さが、その子の身長によって可動できるようになっています。

「知育デスク」 には、それに合わせた凹みがあり、子どもがすっぽりとその枠に収まることができます。


驚くべきは、論理ではなく、実際に使用してみての学習の安定性です。

ちょっと見ると、きゅうくつそうにも見えますが、実際に使用してみると、実に楽しそうに学習を始めます。


かれんちゃんは、市販のいすが大嫌いで、以前は何度もそれを後ろにずらしたり、離席して立ち歩いたりすることがありました。

ですが、この 「知育いすデスク」を使用すると、45分間集中して学習に取り組むことができるのです。

驚くべき変容です。


今、つくえに取り付けてあるパーティションは、用途や目的に応じて取り外すことができます。

外部刺激に弱いタイプのお子さんには、かなり有効に機能します。

対面指導や、席の横に着いての指導など、状況に合わせて、一部を自由に閉じたり開けたりすことも可能です。


行動改善のために、子どもに培いたい力は、たくさんあります。

その一方で、指導者が環境をうまく構成することによって、改善されることだってあるのです。

医療的なアプローチだけでなく、環境的なアプローチが機能することだってあるのです。


「この知育いすデスクは、腰痛もちのSHINOBU先生に、少しでも長く第一線でがんばっていただきたいと思って開発しました」

かれんちゃんのお母さんは、笑顔で、私にそう伝えてくださいました。

いすに座ったままで、小さな子どもと同じ目線でレッスンできるということになると、正直、私の腰へのダメージは、劇的に軽くなってきます。

本当にありがたいことです。


子どもの問題行動を、子どもの障がいや特性という面だけでとらえるのではなく、相互の関係性の中で把握すべきであるというのが、私の基本的なスタンスです。


かれんちゃんのお母さんの努力と情熱は、やがて多くの子どもたちの行動改善へと結びついていくに違いありません。


この 「知育いすデスク」 を使用しながら、やがてはどんな環境でも、望ましい行動のできる子に育てていくことが、私たちの目的です。

多くの子どもたちに、学び楽しさを、1日でも早くしっかりと培っていきたい、

そのための大切な一歩が、また今日からスタートすることになったのです。




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私の目指す行動改善

 2012-01-20
先日、りんちゃん(小4)のお母さんから、りんちゃんの言葉使いや、行動についての相談をお寄せいただきました。

特に学校で、時折あまり望ましくない言動や、自分で自分をコントロールできにくい状況が続き、担任の先生も心を痛められているということです。

私の教室のマンツーマンレッスンの時でも、時折似たようになることもありますから、状況は目に浮かぶように理解することができます。


この日のレッスンでも、あまり望ましくない言動が見られる場面がやってきました。

自分の思い通りにできにくい場面で、言動が制御できにくくなってしまうのです。

ここではマンツーマンレッスンということもありますし、複数年にわたる長いつきあいですから、こういう場面の対応については、ある程度心得ています。


> りんちゃん、さっき、たみちゃん(3年生)と、一緒に勉強したんだよ、

(ここで、りんちゃんの顔色がいっぺんに変わります。たみちゃんというのは、りんちゃんと同じ学校の支援学級に在籍する仲良しのお友達です)

> りんちゃんは、4年生だから、きっとよい姿勢で勉強しているんだろうな~ って言っていたよ、

(それまで、ひじをついていたりんちゃんの背筋がいっぺんに伸びる)

> りんちゃんは、漢字が上手なんだよ、私もりんちゃんみたいにきれいな字が書けるようになりたい、って言ってたよ、私も、4年生になったら、りんちゃんみたいになれるかな~、って言ってたよ、

(ここで、りんちゃんの学習モチベーション、MAXになる)



この日の朝、かれんちゃん (6歳) も、朝一のご機嫌は、やや斜めでありました。

1分だけ抱っこしてやって、目を見て、語りかけるように気持ちを受け止めてやります。

三角だった目が、みるみる丸くなっていくのが感じ取れます。


抱いた手をそっと降ろし、学習席に促すと、ちゃんと着席しました。

この日は、小さなカラーのいすに座りたいようでした。

赤ちゃん用のいすですから、本当はそれに座ることを認めてはいけないのかも知れません、


ダウン症のお子さんの場合は、達成動機が高いため、自分のやろうと思ったことを中断されることをとても嫌います。

望ましくない行動は、決して受け入れてはいけません。

安易に迎合してもいけません。


でも、その子がとても引き下がれない状況やタイミングで、事態を収拾のつかないものにしてしまうのではなく、その背景にある達成動機の高さを、まず受け止めた上で、

> かれんちゃんおりこうだね、かわいいいすだね、じゃあ、今度は小学生用のいすにも座れるかな?

かれんちゃんの場合は、そうつなげた方が、うまくいくことが多いのです。

臨床場面における特性理解とは、そういうことだと、私は思っているのです。


私の力だけで、子どもの行動が改善されていくと思っているわけではありません。

だからこそ、支援者として自分のなすべき役割を明確にしておかなければならないと思っています。


肯定的な自己理解 → 心の余裕 → メタ認知 → 自己コントロール

そうしたことで、少しでもその子らしさが発揮できるようサポートさせていただきたい、


私に与えられた時間は、限られています。

それは、私にとっても、子どもにとっても、大切な時間です。

子どもの行動改善に向けて、私たちがなすべき役割、


だからこそ今日も、

1回1回のレッスンに真心を込めて、

子どもの心にていねいに寄り添っていきたいと願っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-1-23)




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行動改善のための 理解と支援の視点

 2011-07-11
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5月から、私のレッスンを受けてくれるようになった年中組の男の子がいます。

集団の中で、落ち着いた行動がとりにくいということで、お母さんがご相談に来られました。

保育園に入った当初は、確かに、ちょっと目立っていました。


こりゃ相当な子だなと思いながら、最初のマンツーマンレッスンの日を迎えました。

ところがあ、実際にレッスンを始めてみると、おままごとのロールプレイ、お買い物、パズル、絵本、フラッシュカード、数字カード、マッチング・・・

小気味よい程に、次々と活動をクリアして行きます。

終いには、活動が楽しくて、やめられなくなってしまうほどでした。


2回目からは、タイムタイマーを用意しました。

> この赤い所がなくなるまで、先生と一緒に勉強ができるよ

> でもね、もしお約束が守れなかったら、残念だけど、先生と一緒には勉強できないんだよ、

> 先生はね、君とずっと一緒に勉強したいと思っているんだ、

> だからね、お約束守れるかなあ

その子は、こっくりと大きくうなずきました。


その後も、活動中に制御不能になったり、離席したりすることは一度もありませんでした。

週1回のレッスンですが、2度・3度・4度と続けていくうちに、私はこの子が可愛くてたまらなくなってきました。


> たんたんたんたんたんじょうび♪ ちーずのちーずのたんじょうび♪

絵本を見ながら、アンパンマンに出てくるチーズの誕生日を、歌で祝っているのです。


私が保育園に個別レッスンのお迎えに行くと、飛び込むように私の手をにぎり、すれちがう保護者の方に、おはよう、おはよう、と手を振りながら歩いていきます。

レッスンが終わり、タイムタイマーの赤色がなくなると、ちゃんとあいさつをして、スムーズにみんなの所へ合流できるようになりました。

お母さんの話によると、私の個別レッスンのある金曜日を、指折り数え、その日の朝はルンルンなのだそうです。


お父さんは、海外から日本に来られた方です。

今週は、お母さんとお父さんが、一緒にマンツーマンレッスンの様子を見てくださいましたが、気が散ったりすることは一度もなく、あっという間にレッスンが終わってしまいました。


先週の土曜日には、保育園の夏祭りがありました。

私は、記録用紙を片手に、担当している子の行動を追っていました。

この子は、入場となると、とびっきりの笑顔で、目が合った人たちに手を振りながら歩いてきました。


踊りが始まると、その視線の先には、ビデオを手にしたお母さんの姿がありました。

そのお母さんの顔も、これまたとびっきりの笑顔で、何度も何度も歌詞を一緒に口ずさんでおられました。


> 行動面の課題は、理解と支援で個性に変わる


数年前に受講した講演会で聴いた、そんな言葉が頭をよぎりました。


集団生活に適応し、社会性を身につけていくこと

自分の持ち味を肯定的に受け止め、お友達のことを同じように大切に思うことの出来る子ども、

私たちは、そういう子どもを育てていかなくてはなりません。


時々、集団生活の中でとらえなくてはならないはずの課題が、一方的にその子の障害に起因するものとして、問題がすり替えられてしまうことがあります。

もしもこの日、私が親子の笑顔を見ることがなかったら、この日の夏祭りを、こんなに楽しい時間として受け止めることはできなっかたことでしょう。


大好きな子、

そんな気持ちが芽生えたとしたら、理解やアプローチの視点に、何か変化は起こらないでしょうか?


障がいというとらえも、その子の自身の機能的なこと面よりも、相互の関係性の問題であることの方が多いように感じることがあります。


入場のときに、笑顔いっぱいで、みんなに手を振ってあるいてくる子ども

他には、そんな子はいませんでした。

ただ私は、この子のことが大好きでたまらないのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-07-13)




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コミュニケーション能力育成のための いくつかのステップ

 2009-05-15
我が子の育ちにとって、言語およびコミュニケーションスキルの獲得は、その切なる願いの最たるものであると言えます。

学力が身につくことも大切、でも、それよりもコミュニケーション能力の育成を、と多くのご家族の方が私に伝えてくださいます。

そのアプローチには、いろいろな考えや方法があると思いますが、私はそのことを以下のように考えて指導に取り組んでいます。


① コミュニケートできるベースとなる関係を築く

② コミュニケートする内容と目的がそこにある

③ 要求の意欲、コミュニケートにかかわるモチベーションを高める

④ 要求 → 応答 → 強化 のパターンのモデルを構成する

⑤ 発達特性や段階に応じたコミュニケーションスキルを示し、強化する

⑥ できるだけ自然なかかわりの中でその力を育成し、発語のあるなしやそのコミュニケーションレベルに関わらず、かならず言語を添えて応答するよう心がける。

⑦ 日常生活 (特に子ども同士) で、コミュニケートできる環境を意図的に構成する。



私が小学校の教員をやめ、保育園で初めて発達相談を伺った子が、太郎君 (現在小2) です。

今では、語彙数も増え、かなりナチュラルに言語によるコミュニケートができるようになってきました。

私のコミュニケートにかかわる考え方は、この太郎君とのかかわりに深く・強く影響されていることは、言うまでもありません。

文字通り、私の指導の礎を、いっしょに築いてくれた子どもの一人です。


当時の発達検査では、語彙数の少なさ、構音未熟、言語理解の脆弱さ、言語表出の弱さ・・・など、様々なことが指摘されています。

私、これ読むとイヤになっちゃいます。

正直、絵カードばかりで指導するのは、楽しくありません。

モチベーション下げてまで実施する、テクニカル優先の指導への私の??は、ここからスタートしたのです。


言語発達にかかわる書物の多くには、まず第一に、安定した対人関係や、子どもを共感する姿勢が基盤となる、という内容の事が書かれています。

私と太郎君との実践の中では、ここが8、テクニカル内容は、わずか2くらいの割合です。

それだけ、私の中では、太郎君との関係作り、意欲やモチベーションの向上、気持ちの受容や、生活体験の共有、そしてコミュニケートを必要とする場の段階的な構成などをメインにして取り組んできました。


金曜日には借りてきた図書の本を一緒に見ながら、いろいろなことを教えてもらいます。

太郎君の大好きな、救急車や消防車のこと、家族旅行のこと、学校での出来事、私はたくさんのことを知っています。

時には、のりかちゃんやせいや君を教室に招いて、夢中でごっこあそびをしたこともあります。

ラジコンのおもちゃを購入するときには、パソコンの横に太郎君を座らせ、どのメーカーの物がよいかを太郎君に尋ね、その場でネットで購入します。

すると、次の指導の時まで、太郎君は楽しみで楽しみで、会うたびに何度も何度も、「ラジコン、来た?」 と私に尋ねます。

「まだだよ」

「いつ来るん?(岡山弁)」

「う~ん、たぶん月曜日かな~」

「何で?(多くの場合、こう尋ねます)」

「宅急便の会社の人が、運んでくるからだよ」

「月曜日?」

「うん、楽しみだね~」


表出言語が少なかったことから、私は基本的にはこんな感じで太郎君にかかわってきました。

今振り返っても、これ、上の①~⑦の内容にきっちり即した内容ですよね。

要は、これがSHINOBU流なのです。


私、お母さんと一緒に、関係機関主催の発達相談に数回行きました。

言語語彙発達検査にも立ち会いました。

言葉の教室にも、何度も足を運びました。

何時間も話し合いをし、数え切れないほどのメールを交わし、様々な出来事を、ご家族と共に共有してきました。

こうして、私とご家族には、相互の絶大なる信頼関係が育っていったのです。


私、決して太郎君を甘やかしているわけでは、ありません。

きっと他の子より、厳しいと思います。

私の教室で、叱られて、はらはら涙をこぼしたことが何回もあります。

そこに揺るぎない信頼感なくして、こんなに厳しく叱ることはできません。


「うちの子の、SHINOBU先生に対する信頼は絶大です。大好きでたまらないみたいです。」

何度も、お母さんにそういう内容のメールをいただきました。

図工の時間には、私宛にカードを作ってくれたり、いろいろな作品を作ってくれたりします。

旅行にいったら、SHINOBU先生へのおもやげも買ってきてくれます。


コミュニケートの方法としては、クレーン → 指さし → 身振り・サイン → 言葉 → 会話  と発展する過程があります。

でも、それは手段としてのコミュニケートにしか過ぎません。

まず目的があっての、手段というのが、のぞましい形なのではないでしょうか?

その目的とは何か?

私とならば、まずは、共有する何かを、子どもと一緒につくる関係を築くことができるかどうか? ということになってくると思います。


最近、私のところへ通ってくれるようになった子の中に、指示には従えるけれども、要求をするのが苦手な子がいます。

何回か決められたメニューをこなして帰っていましたが、どうもしっくりこないので、その日は、手番メニューを廃止して、何を要求してくるか、待ってみることにしました。

やっぱし、要求、あまりじょうずではありません。

でも、本当は電車で遊びたいこと、くるくるローラーで遊びたいことが、何となく伝わってきました。

そして、要求の手段が、クレーンと、うしろからの抱きつきということも分かりました。

やっと定番メニューではない、自然な心のやりとりが可能になってきました。


「ちょうだい、はこうやるんだよ」

「やりたいものがあったら、こうやって指差すんだよ」


用意していたメニューから離れ、私は、笑顔でその子と向き合いました。

まだまだぎこちなく、とまどっているようですが、私は太郎君の時と同じ道のりを、この子との間に、感じることが出来ました。


指導後、お母さんに、「私は認知より、この子の要求のモチベーションを高めていきたいと思います。限られた45分をそのことを中心に費やしたいと思います。定番プログラムを捨てることにもなりますが、いかがでしょう?」 とお尋ねしました。

お母さんは、その日、私がそのお子さんの理解を一歩深めたことをわかってくださったのか、「先生にお任せします」 と言ってくださいました。

その瞬間、この子と歩むこれからの道のりが、目の前に広がっていくようで、とてもうれしく思いました。


いろいろな方法を知り、様々な実践をふれ、自分の力量をもっともっと高めたい。

と、同時に、私は私の個性と持ち味を生かして、自分らしい指導を行っていきたいと思っています。


私のやり方が、優れているなんて思ってもいません。

私だけで、何かが出来るとも思っていません。

他の様々なアプローチの良いところも、しっかりと学んでいかなくてはなりません。

どうか、ご家族の方も、こういう私の個性と考えと持ち味を、うまく活用していただければと思うのです。


すべては、子どもの成長と幸せのために

賢い構成を考えるのも、私たちの大切な役割です。


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一人一人に寄り添うという中身

 2009-05-08
昨日は、まさと君 (高1) の指導の日でした。

毎週木曜日、特別支援学校高等部の勉強が終わったあと、6時から7時半まで一緒に勉強しています。

内容は、漢字検定と英語検定に向けた個別学習です。

学習を終えた最後の20分は、英語のヒアリングも兼ねて、シンプソンズという英語のDVDを日本語字幕で観る約束になっています。

まさと君は、この時間をとても楽しみしていて、途中私がトイレに行ったりすると、そこでしっかりDVDを止めて待っていてくれます。


漢字検定は7級、英語検定は4級を目指して学習しています。

学習のスタイルは定着し、すばらしい集中力で学習に取り組んでいます。

よそ見もしないで、ひたすらがんばり続けるといった感じで学習しています。

昨日は漢検の学習がいつもよりハードだったので、まさと君、「ちょっと疲れた、休憩しようか?」 と言うので、「うん、いいよ。5分ほど休憩しよう。その間、何をするの」 と尋ねたら、「ポケモンの本を見る」 と言って、彼はしばらくそれを見ていました。 その後、5分たったら、何も言わない間に、自分で再び学習を再開していました。

そういう子です。


さて、この日のメニューも完璧にこなし、いよいよお楽しみにしているDVDの時間がやってきました。

彼は、急な予定の変更を受け入れるのが苦手なタイプなので、いつもDVDは事前にちゃんと準備をしておきます。

この日も、しっかりと確認して手元に置いておきました。

と、思っていたのですが、そのDVDがどこを探しても出てこない・・・


私、正直、血の気が引き、わずかな時間ではありますが、あせダクダクになりました。

私は彼の小学校1・2年の担任でしたので、こういう不手際がどれだけ彼の心に負担をかけるかを体験的に感じていました。

これまで順調にステップを刻んできただけに、こういうことでつまずくのは、何としても避けたい、そう言う気持ちでした。

しかし、どこをどう探しても、そのDVDは見つからない・・

10分近く探したでしょうか?

私にはそれが、とてつもなく長い時間に思えました。

するとまさと君、「見つからないなら、もういいよ」 と、涼しい口調で私に言うではありませんか?

後でこのことをご両親にお伝えすると、大変そのことを驚かれていました。 もし家で同じような事があったなら、それはもう大変なことになると言われていました。


不思議なものです。

この一言で、今度は私の方が落ち着きを取り戻しました。

ふと整理棚の上を見ると、ちょこんとそのDVDが置いてあるではありませんか?

もう歳ですね、指導用の机に置いたつもりが、棚の上に置いたまま、すっかり忘れてしまっている・・

しかし、ここからは約束のDVDが見つかったので、それはそれは楽しい時間を彼と共に過ごすことができたのでした。


私はここ5年以上NOVAで、1000時間を超えるネイティブの先生との会話を楽しんできましたが、最近はとてもそんな時間がもてなくなりました。

なので、まさと君といっしょにネイティブの英語に親しむこの時間を、私自身も、実はとても楽しみにしているのです。


毎回、指導の後、ご両親がお見えになります。

もう長い長いお付き合いです。

今高校生のまさと君の小1の時の担任が私なのですから、もう10年近くのお付き合いになります。


> 最近、会話がとてもナチュラルになってきて、家族中で驚いています。

> それよりも何よりも、週に1度、ここで勉強することをとても楽しみにしており、そのことで生活にリズムがつき、毎日元気で学校に行ってくれるようになってくれたことが、親としては最高の喜びです。

毎回、毎回、そのような内容のことを私に伝えてくださいます。


これ、私個人の力でも何でもありません。

私と、ご両親と、まさと君の間には、絶大な信頼感が存在しています。

私は、このご両親を、心の芯から信頼し敬愛しています。 入学前から、どれほど心を砕き、心血を注いで、この子の教育に向き合ってこられたかを、知っているつもりです。


私が、まさと君の担任をしていた当時は、今から思うと信じられないくらい恵まれた条件でした。

校長先生の絶大な理解、通常級の担任は、前年度私と同じ学年をもった優秀な先生、私は支援級の担任でありながら教務主任でしたから、やりたいと思ったことをほぼ自由にやらせていただける環境にありました。

必要と思われるマンツーマン指導も、集団の中での体験的学習も、思うがまま自由自在に構成できました。

当時はそんなことを思ってもみませんでしたが、イングルージョンのひな形がそこにあったようにも思えます。

こんな考えられないような恵まれた条件でしたから、自然、彼の周りは笑顔や歓声で包まれていました。


こうして、私とまさと君、そしてご両親との間には、少しくらいのことでは揺らぐことのない、絶大な信頼感が形成されていったのです。

構造化の中には、物理的な構造化、時間的な構造化など、様々な視点が必要であるとされています。


どんなことがあっても揺るがない信頼感

それは、それを総合化した究極の構造化ではないかと、私は思っています。


もちろん、今の教育現場で、このような環境を願っても、なかなか実現できないであろうことは承知しています。

今、私が行っている週1~2時間程度の個別指導で、何がどこまでできるのかという、限界もわきまえているつもりです。

私がスーパースターでも、天才でもなく、身の程知らずの愚直な人間であることも、常に自分に戒めています。

でも、ほんのわずかではあっても、日々の歩みは小さなものであっても、私たちが協力し合って目指すべきは、そういう形ではないかと思い始めています。

だからこそ、目指す方向がここにあると、私は感じ始めています。


親には親しかできない役割があります。

家では勉強しない子が、この教室ではがんばるというのは、日常的な事です。

それは、私の指導がうまいからではなく、ここは勉強する場と子どもがとらえ、その環境をご家族が構成されたからです。

私は、ご家族の依頼を受けて、そのつとめを果たしているにすぎません。


相互が信頼し、役割を明確化することにより、そこに大きな方向感が生まれるのだと思います。

その相互の信頼を感じ、その信頼の中で、子どもは自分の足で歩み始めるのです。


認知特性に応じたテクニカルな指導は、欠くことのできない重要な要素です。

しかし、決してそれだけではない。

一人の人間だけで、子どもの育ちや学びを支えきれるものではない。


一人一人の子どもに寄り添うという中身を、実践の中から、私はもう一度精査してみたいと考えています。



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教育とは、子どもの可能性を信じ続ける営み

 2009-04-20
私は以前、情緒障害児短期治療施設というところに勤務していました。

そこでは、学校教育部門・心理治療部門・生活指導部門の3つがあり、相互に連携し合って、子どもの指導・治療・処遇の方針を決めていきます。

毎週ケース会議というものが行われていましたが、あるとき、きよし君(=仮名・当時5年)の原籍校復帰についての話し合いが行われました。


きよし君との出会いは強烈でした。

学校教育の場面でも、まず視線を合わさない、表情はキツイ、口数は極端に少ない、それでいて突然にイスをけったり、時には机をひっくりがえすこともありました。

理由を聞いたり、諭したりしようとしても、何も言わずただ横を向いている・・

そんな日々がしばらく続いていました。


私はこういう子の力になりたい、というのが教員をめざした動機そのものでした。 何かと友達とのトラブルが多く大変でしたし、プレッシャーも普通ではありませんでしたが、心の中には逃げる気持ちはみじんもありませんでした。


> 口先ではなく、まなざしで子どもに伝えよう。

> 不適応行動は、その子の成長への欲求・行動改善の願いであると、最後の最後まで信じよう。

> その気持ちが本物であると、どんなときにもきちんとした姿勢で子どもに向き合おう。

> 子どものどんな強烈なお試し行動にも、その心の糸だけは決して切らないでいよう。


これが私の、当時の教育方針でした。

それ以外に、特別に何をどうしたという記憶は残っていません。

数ヶ月後、きよし君の顔には、出会いの頃からは想像もつかないほどの笑顔がみられるようになりました。

5年生の彼は、「算数をちゃんと勉強したい」 と言うようになり、体験学習・算数的活動を取り入れた学習を彼のニーズ似合わせて、低学年の内容のものから順に構成し、彼は真綿に水が吸い込まれるように学習を取り戻していきました。

よく考えたら、これは今私が教室で行っていることと、本質は何も変わりません。 (今では、その理論的な裏付けが厚くなり、ご家族にきちんと説明できるようにはなりましたが・・)

そして、さらに何ヶ月か立った後、彼は私に 「先生、オレ元の学校に帰りたい」 という日がやってきたのです。


私は、学校教育場面での彼の成長の様子を、ケース会議で心を込めてお伝えをしたつもりです。

当時は今よりも血気盛んな頃でしたから、何とか彼の願いを叶えてやりたいと、相当な勢いで話したことだと思います。

当然ながら、ケース会議では、慎重派の先生も多く、すぐに原籍校復帰ということにはなりませんでした。

しかし、私が予想していた以上に早く、試験登校の決定がされ、やがて彼は原籍校に復帰していきました。

彼は、笑顔で施設を後にしました。

そして私も、任期を終え、もとの通常の小学校へ帰る日がやってきました。


通常の小学校の学級担任に復帰して数ヶ月経ったある日、私は突然校長室に呼び出されました。

校長室に呼び出されるような心当たりは何もなかったので、不思議な気持ちで扉を開くと、何とそこには、あのきよし君がお母さんと一緒に座っているではありませんか?


> おれ、がんばっとるけえ~

> 先生に、算数教えてもらったけえ~

> それだけ、言いたかった・・


もともと口数の少ないきよし君でしたから、この言葉がどんなに私の胸に響いたことでしょう

わざわざ、この学校を探して来るような子じゃないはずなのに・・

子どもを信じて本当によかった

私は、あふれる涙をこられきれることが出来ませんでした。


この体験は、私にとって生涯忘れることの出来ない大切な宝物となって、しっかりと私の心に根付いているのです。

これが、私の教育者としてのストーリーであり、そのストーリーの延長線上で、私は今の活動を行っているということです。

何があっても決してぬぐい去ることの出来ない、私自身の教育者としての、ひとつの原風景となっているのです。


最近、私の教室に通ってくれるようになった子がたくさんいます。

初回の指導では、なかなか着席できない子もいます。

玄関先のマットに寝そべって、次から次へとスリッパを投げた子もいます。

突然、離席し、階段を駆け下りて、両親の車を探し始めた子もいます。

突然、私の目の前で、ガラスのアートフラワーを手に持ち、それをそのまま床に落とした子もいます。(幸い、それは強化プラスチック製で、割れないものだということも判明しました=苦笑)


30分間、スリッパを投げ続けた子は、1時間後には私の指示を受け入れるようになり、指導が終わった時には、笑顔で握手をして帰ることができました。

細いけれども、1本線がつながりました。


心を開くまでの期間が長い子ほど、そのつながりがやがて強く、そして深くなることは、何より、きよし君の体験から、私の心にはしみついてしまっているのです。

こうした空間は、ある意味修羅場です。

でも、私は目をそらしません。


きよし君は、きっともうすっかりおじさんになっている年頃です。

今、どこで何をしているのかは、知りません。

でも、彼と過ごした体験は、今も私の心の中ではしっかりと息づいています。


スリッパを投げた子や、アートフラワーを落とした子が、やがてここを卒業した後も、「がんばってる姿を先生に見せに来た」  と言って、また私の所へ来てくれる日を、私は今から楽しみにしています。

私はずっとこの場所で、彼たちを待ち続ける存在で居続けたい。

私の教室には、転勤も定年もありませんから、ずっとずっとこの子達が帰って来られる場所で居続けたい。

まだ1回来ただけの子もいるのに、また私の勝手な妄想が始まってしましました (笑)


子どもの不適応行動は、子どもの成長の欲求の裏返しです。

そう言えば、初回・2回と着席できなかった子の3回目の指導の時、彼は私のひざに体をすりよせ、手を握ってきました。 (小学校、中学年の男子です)

ずっと心を込めて向き合ってきて、本当に良かったと思いました。

この子達の心を裏切らないようにするためにも、どんなことがあっても、どんな子にもいつも熱い心で、そしてやさしいまなざしで、向かい合っていかなければなりません。

言語は、コミュニケートの単なる手段

伝えていくのは、気持ちそのもの、心そのもの

問われているのは、その信念の深さと広さ、そしてその愛情のクオリティです。


私は、ご家族の方がここに大切なお子さんを連れて来てくださる限り、いつも変わらぬ姿勢で、いつも笑顔で、真剣に子どもと向き合って行く自分であり続けたいと願っています。


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教育の力による 行動改善の姿

 2009-03-09
昨日、つよし君 (=仮名 1年男子) のお父さんから、下記のようなメールをいただきました。




こんにちは つよしの父です

先生のところでお世話になってから、つよしが明るくなりました。学校でのトラブルも少なくなり、いつも学校であったことを話してくれるようになりました。

そのときの表情がとてもいいんです こちらも楽しくなるくらい。本当にうれしいです。

白ゆり教室へいくことを いつも楽しみにしてます。

これからも、いろいろと お世話になります  よろしくお願いします。




このお父さんは、決して多弁な方ではありません。 ひとつひとつ言葉を選ばれて、お話をされるような感じのお父さんです。

何気ない、飾り気のないメールのようなのですが、実は私、飛び上がって雄叫びをあげたくなる程、うれしい気持ちになりました。


子どもの行動改善は、私のライフワークの一つです。

クスリによらない、教育の力による行動改善の臨床事例

死ぬほどあこがれた、わたしのめざす山の頂がそこにあるのです。


今時ですから、本を探せば、理論的なことはいくらでも見つかります。 方法論をマニュアル化した、ペアレントトレーニングだって存在します。

しかし、教育の力による臨床事例が、いったいどこにあるのでしょうか?

私は、このブログで、ぜひその教育の力による行動改善の一端を、紹介させていただきたいと願っておりました。


日本の教育現場では、生まれ変わったように、子どもの行動が改善された事例は、山ほどあります。

しかし、それは意図をもって治療教育的にかかわった事例として報告されることは、ほとんどありません。

きっとそれは、学級作りであったり、教育愛であったり、クラスの歩みであったり、そんな形でまとまられてしまっているものだと考えられます。


ちょっとしたエピソードですが、忘れなれない一コマがあります。

私が6年生の副担任だったときに、ある教室に行くと、給食の前にふてくされてしゃがみ込んでいる男の子がいました。

女性の若い担任の先生でしたが、それはすばらしいセンスをもった担任の先生でした。

私は彼女を完全に信頼していましたから、どうするかなとそのまま見ていたら、「あなたが給食食べないなら、私も給食食べない」 と言って、何とそのこの横にしゃがみ込んでしまいました。

で、ここからがハイライトです。

そこにいるクラスのみんなは、それを見ているような、見ていないような顔で、淡々と給食の準備をしています。

私が、何をそこで感じたかというと、子どもたち一人一人が、この先生に対して絶対的な信頼感をもっているということです。

誰一人として、冷やかしたり、斜めにそれを見て通りすぎる者はいません。


今は、この子がその対象となっているけれども、みんな形は違っても、これまでどこかでこの先生の深い愛情を感じ取っているので、みんな心の中で、その子と先生を応援していることが、私にはしっかりと伝わっていました。


やがで数ヶ月後、このクラスで研究授業が行われます。

この学年、5年生の時は、崩壊していたと聞いていましたから、そもそも外部の方を招いて研究授業をすること自体が奇跡です。

算数の授業でした。

そこで、あの給食の時にしゃがみ込んでいた子どもが、前に出て、恥ずかしがりながらも自分の言葉で、自分の考えをしっかりと発表している姿がそこにありました。

もちろん、学力的にも厳しい子どもでした。

はにかみながら、たどたどしく、それでいてしっかりとした彼の表情には、数ヶ月前、目を三角にして教室でしゃがみ込んでいた面影はどこにも見あたりませんでした。

後ろで見ていた、この学校の先生のほとんどは、目に涙を浮かべてその発表を見つめていました。

その子は、表情も、物腰も、学習に対する姿勢も、1年前とは違う人間に変容していました。

これが、教育の力による行動改善の姿です。


つよし君は、1月4日から私の教室に通いはじめ、これまでにマンツーマンの個別指導、隔週90分を5回させていただきました。

私が、つよし君にとってあの若い女性の先生のように、大切な存在になることによって、この子の行動改善の道筋を付けたい

それが私の意図であり、願いでありました。


たぶん、勉強は、うちの教室の中では一番しごいている部類に入ると思います。

でも、活気はあるし、楽しいし、充実感があります。

なので、ちょっと期待はしていましたが、それでもやっぱりこのメールには、飛び上がって喜びました。


私は、クスリを否定するわけでも、ペアレントトレーニングを否定するわけでも何でもありません。

しかし、子どもの行動改善のためには、子どもが生活のベースとしている学びの場の構成、教育の果たす役割を、もっともっと見つめ直してもよいのではよいのではないかと考えています。

それがあっての、クスリであり、ペアレントトレーニングだと考えています。



絶対にあって欲しくない、架空の先生のネガティブなストーリーです。


(ネガティブ先生のセリフ)

おたくのお子さん、学校で落ち着きがないから、検査に行かれてはどうですか?

ペアレントトレーニングを受けられては、どうですか?


(SHINOBU先生の反論)

ちょっと待ってください。

先生、あなた自分のすること、何か忘れていませんか?

自分の、教育的な情熱や技術や力量不足によって起こったトラブルを、何でもかんでもAD/HDのせいにしてませか?

そんなすりかえは、いい迷惑です。

そんなのは、特別支援教育でも何でもありません。



教育の機能があってこその、医療や諸機関との連携です。

それをせずして、病院や機関に子どもを押しつけて、子どもから目をそらすのは、いい加減にやめてほしいと思います。

リタリンやコンサータを必要とする部分、ペアレントトレーニングを必要とする部分があるように、行動改善のために教育の営みを必要とする部分が必ずあります。


私は、教育の実践者ですから、当然教育的なアプローチによる行動改善をめざします。

そして、その魅力と可能性に大きな誇りをもって、日々の実践に取り組んでいます。


クスリによる行動改善に対して、それを手放しで喜べる保護者の方は、少ないと思います。

それは教育が対象としている部分と根本的に何かが違うのです。

関係機関との連携は重要ですが、丸投げは御法度です。 問題のすり替えも、もってのほかです。


つよし君のお父さんのメールが、どれだけ私に勇気とやる気をみなぎらせる結果となったか、お分かりいただけるでしょうか?


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小学校低学年の児童に対する 行動改善へのアプローチ

 2009-01-05
昨日、つよし君(=仮名 小1男子)の、第1回目の指導を行いました。

年末にお父さんが相談に来られ、行動改善に向けてのアプローチを中心にお願いしたい、ということで承りました。

お父さんと一緒に、高学年のお兄ちゃんも来ましたが、物腰と言い、態度と言い、どちらかと言えば、つよし君の方がお兄ちゃんを圧倒する雰囲気をもっています。

私は、小学校の現場にいるときから、このタイプのお子さんにはたくさん出会ってきましたが、その中でもトップクラスのムードです。 普通の1年生なら、即座に吹っ飛びそうな感じです。


第1回目の指導ですので、アセスメントを中心にした指導を行いました。

国語・算数の教科学習を中心としたメニューに、最後にお楽しみとして、子どもが好きそうないくつかのお楽しみゲームを用意しておきました。

つよし君、この時からお楽しみゲームの 「ベイブレード」 が気になって仕方ありません。 ベイブレード(現代版のベイ独楽です)で、SHINOBU先生を負かす、という闘志が、最初からギラギラと燃え上がっている感じです。 前回相談に来た時に、事前にえさをまいていたのが、もうしっかりと効いているようです。

言語・数量など、認知面では大きな偏りは無いように思えました。 しかし、鉛筆の持ち方は、今までに見たこともないような持ち方です。 握り箸というのは何度もお目にかかりましたが、握り鉛筆というのは初めてお目にかかりました。

で、文字自体はどうなのかというと、筆圧のしっかりとした、大きくて整った文字を書くことが出来ています。

それと、10分も経たないうちに現れ始めたのは、姿勢のぐにゃぐにゃと、貧乏揺すり系のガタガタ行動です。 なるほど、君はそういうタイプの子どもなのだね、と言うくらい、ある意味わかりやすいパターンです。

すごろくゲームにしても、じゃんけん数え棒ゲームにしても、勝負に対する意気込みと、その喜び方のスケールは抜群です。 ともすれば、こちらの闘争心も刺激される展開です。

途中、算数のプリントを5枚くらいさせました。 さすがにこの時はあごが上がりかけましたが、もちろんそういうときの支援は事前に用意しておきましたし、その後の 「ベイブレード」 が、しっかり心に食い込んでいましたので、学習面は予定していたメニューをすべてクリアすることができました。


さてこのベイブレードですが、さすがにこれは、なかなかの歯ごたえがありました。

ベイブレードというのは、昔のベイ独楽の現代版で、独楽と独楽を相撲のように対決させて遊ぶゲームです。 初めにちょっと練習しよう、と回し始めましたが、その勢いはとても1年生のそれではありません。 とて力強い回し方に、驚きの連続です。

こうして私とのガチンコ勝負が始まったのですが、これ、実はじゃんけんみたいに、独楽と独楽との相性みたいなものがあって、同じ力なら、AはBには強いけれど、Cには弱い、みたいな設計になっていて、そのすべてに勝利するというのは、システム的にとても難しい設計になっっているのです。

もちろんつよし君が、そんなことを知っているわけはありません。

全部勝つつもりで私に挑んできますが、結構何度かやられてしまします。

でも、決してその負けを受け入れることができません。

ここに、私がこれから目指していく大きな課題が浮かび上がってきたわけです。


私が、これから長い時間をかけてつよし君に培っていく力は、たとえ負けてもそのことを柔軟に受け入れることの出来るふところの深さと余裕、そして究極には、自分の短所も含めて、自分自身を肯定的に受け入れることの出来る理解力の育成です。

こんなことが、いきなり出来るのなら、苦労はいりません。

そこに向けての小さなステップ、そこへ食い込むための周辺のスキルの育成、総合的な認知力の育成などなすべきことは、いくらでも存在するわけです。


90分の指導が終わり、お父さんとお兄ちゃんが迎えにきました。

>今日の指導は、こんな感じでした・・ 

>明日から、いきなり行動が改善されるということは無いと思います。 ですが私、できれば長い期間、この子の指導にあたっていきたいと思っています。 私でなければできないことがあると思っています・・・

私が、お父さんにそう告げると、お父さんはほっとしたような表情で、こちらこそどうぞよろしくお願いします、と、深々と頭を下げて帰られました。


私は以前、情緒障害児短期治療施設という所で、何度か行動改善の取り組みを行ってきました。

しかし、そのかかわりは1年単位で、長期にかかわるケースはほとんどありませんでした。

ですが今回、つよし君とは、長期にわたってかかわることが可能であるかも知れない。

こうした子の行動改善のアプローチの重要な項目として、長期にわたってその子に寄り添うことの出来る、心の指導者の存在があげられています。

重要性のわりには、その実践例は多くないように感じています。

ぜひ、その具体的実践例を残し、そのことを世に問うていきたい。


この兄弟が、お父さんを慕っていることは、行動の端々から伺えました。

洗濯や掃除も、この兄弟が多くを担当していることも聞きました。

忙しい中、日曜日に、遠隔地から、わざわざ私の教室を選んで来てくださることにも感謝の気持ちでいっぱです。


お父さんへの報告が終わると、このご家族は、手を取り合うようにして教室を後にしました。

>学校では、友達につばをかけたり、けがをさせたりすることが何度かありました・・・

私は、私にしかできないことを、ぜひこのご家族のために行っていきたい!

新春のあたたかな日差しに包まれるご家族の後姿を見つめながら、私は心から強く、そう願っているのでありました。

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方向感のある集団が子どもを育てる

 2008-10-22
うちの保育園では、この8月から、お迎えの時に園児の安全面を確認する警備の職員を配置しました。

先週の日曜日、和太鼓フェスティバルというものがあり、その警備担当職員が休日だからということで、うちの園児の和太鼓の発表を見に来たようです。

うちの保育園には、ダウン症のお子さんがいて、お迎えの時に隙を見て駐車場に飛び出すということがあり、園児の安全の保障という観点で警備担当を配置したという経緯があります。

その警備担当の職員は、平素この子の安全には特に気を配っています。その彼が、みんなと一緒に、懸命な姿で和太鼓の演奏に取り組むこの子の姿を見て、深く感銘を受けたと、熱い口調で私に伝えてくれました。


このブログでおなじみの太郎君も、この和太鼓での取り組みで、大きな自信を付け、その後の目を見張るような成長のきっかけとなりました。

活気のない集団、向かう先の見えない集団で、真っ先に痛むのは、何らかの発達面での課題のあるお子さんです。

学校・園は、人数に差こそあれ、多かれ少なかれ、集団のダイナミズムを、教育の根幹に据えている教育機関です。

それぞれのお子さんの特性を理解することは、極めて重要なことです。 しかし、その特性理解は、基本的には集団のダイナミズムに生かすべきだと、私は考えます。


学校・園での個別指導には、時間的・物理的・構造的に限界があります。 それを必要としているお子さんに、可能な限りの個別指導の場を設定することは、すばらしいことだと思います。

しかし、個別指導は、学校・園教育の本質である集団のダイナミズムがあればこそのもので、学校・園は、何時間個別指導をしようが、特性を理解し、集団の中でどうそだてるか、その研究の営みの手を決して緩めることがあってはならないと、私は考えています。

グループ学習や集団づくり、相互協力関係などは、これからの学校教育の場で鋭意研究開発されるべき内容だと思います。 これまでの学級経営や集団づくりに、発達や特性の理解といった視点を持ち込めばよいのです。

週40時間の個別の早期療育でIQ値が向上したという報告もありますが、この形は、本来、学校教育に求める形ではないと思います。 ここを目指すなら、現実場面では、家庭や他の教育サービスとの連携を模索するのが、正解ではないでしょうか? 

このブログで書き込みをいただいた皆さんの中からも、学校では最も学校としての教育機能が有効に働く内容(小集団学習等)に焦点化したプログラムを、先生とともに構成した事例を紹介してもらっています。


発達面に課題のあるお子さんこそ、集団の中で伸びるんですよ。

そこには、その子の特性の理解・指導の工夫・場の構成、集団としてのモラルや方向感は不可欠です。 何の工夫もない、一斉指導の中に、ただいればいいというものでは、ありません。


私の知ってる先生は、通常学級の担任で、2人の発達面に課題のあるお子さんと一緒に教育実践を進められています。

様々な工夫と勉強をされ、行動面・学習面共に多くの手応えを感じるまでに至りました。

しかし、残念なことに、そこに要求はあっても、保護者の理解や支えがない・・

これでは、担任の心は痛みます。 私の目から見たら、通常学級でこれだけの成果をあげる力量のある先生は、100人に1人であるにもかかわららず、この保護者の方は、自らそれを遠ざけていく結果となっている。

我が子の特性の理解、特性に応じた指導・支援の工夫、学校教育の場では、そこに、集団のダイナミズムという視点を決して忘れてはなりません。


うまくいている学級でこそ、子どもは伸びるのです。

キーパーソンはもちろん担任で、そこを支えるのも保護者の大切な役目と知っておいてください。

たとえ対立的になっても、言わなければならない場合もあるでしょう。 しかし、学校とすべてが対立的になってしまうのは、いかがなものでしょうか?

学校と対等な関係で、相互に連携し合う姿を、私はパートナーシップと呼んでいます。 そこには、主体者として、しっかりとお子さんの育ちに向き合う保護者の姿勢が不可欠です。

批判と要求ばかり、丸投げ、何もしない・・

そんな先生も、そんな保護者もいないとは思いますが、これでは真っ先に子どもが痛んでしまいますよね。

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意味のない反復行動(こだわり行動)の改善方法  (ひらひら・ぐるぐる・べちょべちょ・ガタガタ・・)

 2008-10-21
先日、ある保育園へ行くと、水道の水を出しっぱなしにして、その水にいつまでも手をかざしているお子さんに出会いました。

内容は微妙に違いますが、これまでも、こうした行動の目立つお子さんには、たくさん出会ってきました。


こうした特に意味のない反復的な行動を、自己刺激行動と言います。 

私はできませんが、ボールペンを指先でぐるぐる何度も器用に回す人がいます。これも自己刺激行動です。貧乏揺すりなども自己刺激行動です。

自己刺激行動は、自分自身の内的な高まりをもたらすメカニズムで、誰にでもありえる行動です。


しかし、いつまでもそれをやり続けて、活動の流れに乗れないなどの問題が生じる場合は、適切なアプローチが必要になってきます。


他の人には全く無意味な行動であっても、自己刺激は、その子にとっては、脳内に内的な高まりを生じさせ、脳神経に快刺激をもたらす構造になっている場合が多いようです。

ですから、その行動が早く切り上げられるように、別の魅力ある活動を提示して、できたらほめる、このパターンにもっていくことが基本です。

もともと内的な高まりの獲得が目的ですから、強引に引き離したり、強い叱責をしたりすると、ますますもってその興奮度は高まり、よけいにややこしくなることの方が多いようです。


「ゆみちゃ-ん、次は大好きな絵本の時間だよ~。 早く来られるといいね。 先生待ってるよ、早く来てね~」


今回の水道の水のケースなら、水道の所にいくまでのセッティングで、事前にいくつかの工夫もできるでしょう。 水道を使う後の活動には、その子の大好きな絵本の活動を計画し、予告しておきましょう。 さっと手を洗って活動に参加できたら、たっぷりと抱きしめるなど、水道の自己刺激を上回るような教化子を、その子にたっぷりと与えるようにしてみましょう。

さらには、こうしたことがこの子の脳内に刺激を与えているのだとしたら、プールや水遊び、造形活動などで、合法的?に活動できる場を増やして、そのことを教化子に使う方法だってあるはずです。

デイリーの活動に乗りにくいお子さんほど、自己刺激行動は多く見られます。

こうした理解の仕方で、かなりの面が改善できるのではないかと、私は思っています。

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行動の改善を目指した 長所活用型のアプローチ

 2008-10-12
行動面で支援が必要なお子さんの場合、理解とアプローチの計画性がない場合には、ほっておくと、自然、短所矯正のかかわりになってしまいます。

とにかく短所のところばかり目立って、何かあったら、いちいち注意ばっかりするようになります。

こうなるともう、いつもそういう目でその子を見るようになり、子どもの見方がフェアでなくなり、そのことにより自己イメージが低下し、不適応行動が増えていきます。

行動面でのデススパイラルに陥るわけです。


こう指摘すると、じゃあ一切注意はできないのか? と、感じる方がいるかもしrませんが、そういうことではありません。

自分のスタイルに、長所活用のスタンスを取り入れたほうが、結果、うまく行きますよ、と申し上げたいのです。

短所矯正は、即効性はあっても、本質的には育てる営みではありません。


何か気になる行動があったら、注意しなければいけないことも多いですが、その一方で、どうやったらプラス回転でほめる展開に持ち込めるか、そこを攻める発想と計画性を大切にしてほしいと思うのです。

可能であれば、そこをあえてスルーして、次回に備えることできませんか?

多少の分析や仮説みたいなものが必要だと思いますが、作戦を考えて攻める営みには、育てるという魅力と可能性があります。

そして何より、長期的に見ると、子どもの自己イメージの向上が、行動改善のための決定的な要素になると考えています。


お母さんにも、それぞれの先生方にもスタイルというものがあります。 それは長年かけて培ったものですから、それこそ自分の短所を矯正しようとするのではなくて、自分のスタイルにこの発想を取り入れてほしいと思うのです。

お子さんの行動面で、心を痛めることも多いのではないかと思います。 でも、そこをあえてポジティブに攻める明るさと元気を取り戻してほしいと願っています。

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子どものやりたい気持ちのコントロール (学習や行動の改善に向けて)

 2008-10-02
これはきっと子どもに限ったことではありませんが、どうでもいい事に関しては、人間は過激な不適応行動は起こしません。

宿題、やってもやらないくてもいい、なんて思っていたら、やっていてパニックになったり、泣いたりするすることも少ないでしょう。 どうしてもやらなきゃいけない事だと思っているし、大切なことだと思うから、そんな行動をとらざるを得ないのです。

子どもが何かいたずらをして逃げるとき、その子が逃げながら後ろ振り返り、先生が追いかけて捕まえてくれるのを待っている光景を何度も見かけました。

一生懸命やろうと、思っていればいるほど、何かのことで自分の思い取りにまらなかったときに、衝動的に、不適応行動をとってしまうパターンも、誰ということではなしに、日常的によく見かけます。

つまり、不適応を見せる場面は、少なくともその子にとって意味のある場面で、本当はその裏返しで、ちゃんとやりたいという気持ちが強い場合が多いことを理解することも大切だと思っています。


しかし、そんな場面で子どもに迎合し、マイナス行動にご褒美(教化子)を与えると、それが条件づけになり、何かあったらいつも、めちゃくちゃ行動をするようになってしまいます。

では、どうするか? どう理解するか?

SHINOBU流の答えは、次のようになります。


まず、めちゃくちゃ行動の最中は、できるだけ刺激を与えず、被害を最小限にするようにクールダウンさせる。 (これもただ単に、無視すればいいという単純なものではありませんが、とにかくその子・その場面を落ち着かせることが第一です。)

落ち着いたら次に、気持ちを受け止めてやりましょう。 (カウンセリング風にいうと、感情の共感的理解です。「どうしたの?そうか、つらかったんじゃな」 というやつです。)

そしてさらに、あるべき方向、あるいは今よりはましな方法を短い言葉で伝えて置きましょう。 (困った時には、ちゃんと言ってね、とか、がんばっている時の君が大好きだ、とか、そんなメッセージです。ここのポイントは、ここではくどくど説教せずに、ちゃんと伝える、という事です。)

この場面では、これだけです。 どうしてもここで、大演説をしたり、こっちの方で自己完結したくなるものですが、あえてここは一旦後ろへ下がる、くらいの方がうまくいくと思っています。 


で、大切なのはここからです。 その子が、何を求めていたのかをえぐり出して、それを具体化・実現化する取り組みを始めましょう。ここが優しさであり、ここからがその真剣さが試される時です。

一見、わがままと思われるような行動の中から、その子の前向きな気持ちを選りすぐって、いろいろなことを整理しながら、一つ一つ紡いでいくような作業は、なかなか骨の折れる、大変な営みです。

ですが、ここの、安定した、揺るぎない、変わらない、長続きする、営みこそが本当の本物であり、行動改善・学習改善を考えるならば、ここの軸こそが命となります。

この軸がはっきりしていれば、評価もちゃんとでき、そのことで自己イメージが向上し、衝動性や突発性の改善にも少なからず影響を与えます。


今まで、不適応行動改善のケースをいくつも見てきましたが、オーソドックスなようですが、2ヶ月・3ヶ月、子どもの試し行動にもぐらつかない姿勢を維持できれば、もうそこに改善の道は開けています。


なんかあったその時だけ向き合うから、その子は不安なんだと思います。 何にもないその時にこそ、しっかりそのことに向き合ってほしいと、子どもは願っているのだと、私は思っています。 きっと私も含め大人は、問題の時にしか、その子に真剣にかかわってなかったんですよ。

また、何かが嫌で不適応を起こすときは、どうしてそんなに嫌なのかを、もういちど落ち着いて見つめてみましょう。 そこに何か、子どもの願いが浮かぶ上がってきませんか?


そうではない時にこそ道を示し、ほめる。 

これが、子どもがエネルギーを注ぐべきところです。

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子どもの衝動性の改善における実践事例 ③

 2008-09-27
先日、ある学校に行ったとき、ちょっとのぞいてみよう太郎君の教室にいくと、ちょうど担任の先生と支援員の先生が教室で、事務をされていました。

そこで、太郎君の2学期のようすをいろいろと聞いてみました。

1学期の一時期、学校で物を投げたり、立ち歩いたりの不適応行動が見られ、心配していたのですが、今では大きく改善しているようです。

夏休み中の学童保育での行動改善の取り組みも、無駄ではなかったとうれしい気持ちになりました。

ここに来て、歯車がかみ合ってきたようです。


30分位先生と立ち話をした中から、いろいろな大切な内容が見えてきました。

まず、太郎君の不適応の典型的なメカニズムは、①物事に進んで参加したい、ぼくもやりたい ②集団のルールの中では、やりたくてもできないこともある ③やろうとしたときに、本人にとっては予期せぬストップがかかる ④しかし、なぜ止められたのかが分からない ⑤上昇したテンションのもって行き場がなくなる ⑥不適応行動を起こす ⑦内的な興奮と注目の獲得、嫌悪刺激からの回避を得る
というものであったように思います。


まず、この先生は、子どもに対する見方が、めちゃくちゃあたたかいですね。 これで、先生好きにならないわけありません。 進んでやりたかった太郎君の気持ちを、ちゃんと受け止め、評価しています。

このことでマイナスな感情は、一気にクールダウンしていきます。

こうした中で、太郎君は自己イメージを向上させ、衝動的行動改善のベースとなる認知力をアップしていきます。

またクラス作り、学級作りのビジョンが明確でぶれていません。

いいこと見つけの花丸、160個くらいになっていました。 ちゃんと評価とごほうびのコーナーありました。 どこでもあるような取り組みも、真心こもる本物になれば、まさに形成的評価、トークンエコノミーシステムです。

軸のぶれない学級経営の方向性も、太郎君の認知力アップに不可欠な要素です。 時間の経過と共に、太郎君にとって予期せぬ出来事の数が次々に減少していったのだと思われます。

リアルな現場で、軸をぶらさず毎日積み重ねのある営みを続けていくことが、本人の混乱を防ぎ、何よりもわかりやすく明確な、行動改善のためのサポートとなっているのではないでしょうか。


「困ったときに、めちゃくちゃにならず、先生に言う」 は、バイパス行動として、夏休み中に、何度か私も指導しましたが、この先生は、いつもちゃんと太郎君の訴えを受け止めています。 簡単なようですが、クラスの他の子から信頼されていない先生は、ここができません。太郎君を受け入れることで、他の子がくずれることあります。

先生は、「先日、学級活動でクラスのみんなで遊ぶ時間があったけど、さすがに太郎君はわけがわからなくなって、何度も私の所へ来た、でも私は審判だったので、あまりサポートできず、かわいそうだった」と言っていました。

さすがに、ここの部分は、太郎君にはわかりにくいかも知れません。 でも、1年生のこの環境でのリアルな子ども集団としての活動の経験は、とても貴重だったと思います。


そう言えば、ということで、この先生の気づきとして、ノートの文字を写すより、黒板の文字を写す方が得意だ、ということを教えてくれました。 この子の文字の見え方について、気になっていることも多かったので、大きなヒントを得たように感じています。

先日連携の話をとりあげたばかりですが、こういった情報は貴重かつ有効です。


太郎君は、日に日に生き生きとした表情になってきました。 登校班は嫌なようですが、学校は大好きです。 太郎君は、担任の先生にも恵まれました。 すべてがいい方法に向かう時ばかりではありませんが、それは単なる偶然ではなく、そこに家族の意思があったからだと、私は思っています。

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AD/HDの発達的理解とアプローチ

 2008-09-16
行動のコントロールができにくい子どもに、実際にどのようにアプローチしていけばよいのか?


図書館で、アメリカの訳本も含め、AD/HD関連の本、数冊借りて読んでみましたが、前置きや説明ばかりで、結局何なのかわかりにくい本がほとんどでした。

個々の事例に沿って考えることが基本ではあるけれど、実践レベルで、私なりにちょっと整理してみたくなりました。




① 問題行動への対処の軸をぶらさない (機能的アセスメント)

② 子どもの自己コントロール力を育てる (発達的理解に基づいた自己制御力の育成=メカニズム)

③ 方向感のある集団を育てる (指導者としてのリーダーシップ)




と、要点のみ書くとこうなりますが、もし、本を読んでも、結局何なのか、わかったようでわからなかったと思われた方は、騙されたと思って参考になさってください(笑)


①の問題行動の対処については、まずは高山恵子さんの「うっかり?」「わからない?」「わざと?」という3つの分類の仕方は、実践的だと思います。

「うっかり」のタイプであれば、まずその子が集中しやすい物理的・空間的・時間的・人間的環境の工夫が必要となってくるでしょう。

「わからない」のであれば、その子の認知特性や発達レベルに応じた指示の工夫が必要です。

「わざと」であれば、何がその子をそうさせているのか、その機能を分析して、適切なアプローチが必要となってきます。

この場合、子どもは、A注目を得たい(逃れたい) B何かを得たい(逃れたい) C内的な興奮を得たい(逃れたい) の3種類に、分類できます。

ここで大事なのは、問題行動をすれば、先生が来てくれる、というような構造にしないことです。

ゴネ得にしちゃ結局子どもがかわいそうです。時には、冷たく無視をすることも大切です。(その代わり、いいことをしたら、必ずほめてくださいね)

そんなことをしても、何の得にもならない、それより、手をあげてちゃんと言った方が、よっぽどいい、って子どもに思わせるよう、正しく教えて評価する、これぞ王道です。

ここは、車で言えば、ハンドルの部分にあたるのではないかと思います。


②の内容は、子どもが自分の行動をコントロールできるようになるためには、さまざまなプロセスが必要であることを理解して、子どもを育てていく営みです。

その内容については、(1)基本的信頼感 (2)言語による思考の発達 (3)時間や空間の認知力 (4)社会的な経験(ごっこ遊び) (5)行動の計画性 (6)自己意識の発達 など、様々な要素が考えられます。

問題行動が改善されれば済む問題ではなくて、本体の子ども自身の力を育んで行こうという視点です。車で言えば、エンジンに当たる部分です。ここのまなざしは、子どもの自己有用感や自己肯定感を育む営みとも言えます。


③は、集団の規律とモラルの問題です。

よどんだ集団で、真っ先に痛むのは、こうした子どもたちです。そりゃ子どものせいじゃないよね、って場面もいっぱいあります。

活気のある、方向感のある、目標やビジョンのはっきりしている集団では、やっぱり子どもは安定します。

ごちゃごちゃ細かいことばかり向かないで、時にはぐいぐい先生が引っ張っていく指導性は、子どもにとっては案外心地いいものです。発達の視点ばかりにとらわれて、手が縮こまって、持ち味が発揮できないような事例を時にうかがいます。

先生自身の個性や持ち味で、集団に方向感をもたせることも、問題行動改善のための大切なアプローチの一つです。

例えるなら、子どもが進む道路や道しるべをしっかり示すといったことになるでしょうか。


以上が、SHINOBU流の行動改善アプローチ法のエキスです。

後は、その個々の実態に対する、アセスメントの力量やセンスということになります。 

要点だけを短くまとめてみました。 参考になりますか、どうか・・

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子どもの衝動性の改善における実践事例 ② (たたく・投げる・飛び出す・乱暴になる など)

 2008-09-06
太郎君の衝動性の改善に向けた取り組みについては、7/1の記事で紹介させていただきました。

夏休みに入る前は、いったいどうやってこのめちゃくちゃな行動を改善するか、頭を痛めたものですが、今では学童保育の場面で、特にそのことについて特別な配慮を必要しないレベルまで改善してきました。

夏休み期間中、月曜から金曜まで、朝7時半に私の運転する保育園のバスでお迎えに行き、夕方までたっぷり9時間以上、ビデオも任天堂DSもない子どもの世界で、問題行動が改善され、野球ごっこまで出来るようになったのですから、うちの担当指導員も大したものです。

2学期が始まり1週間、学校ではどうなんだろうと思っていたら、お母さんからメールが届き、 「学校でも調子いいみたいです。45分間座って勉強できるようになりました」 とうれしいお知らせです。

実験統制をしていないので、行動改善の要因を立証することはできません。

が、その取り組みについて、私なりに整理しましたので、何かの参考になればと思います。

振り返ってみると、取り組んだことの柱は、大きく分けると次の3つ


① 応用行動分析(PBS機能的アセスメントの手法を、指導員が使いやすいように整理したものを担当指導員に記入させ、行動のメカニズムと解決の方法をとらえさせる。

② きちんとした方法(視覚支援・言語化・文章化・共通化・明確化)で、本人にどうしたらいいかを伝え、指導する。

③ 子どもが集団の一員として受け入れ、子どものパワーをを活用するよう意図的に集団の場を構成する。


で、あったように思います。(最初からきっちりこうであったのではなく、指導員と話し合っていく中で修正し、今振り返ってみるとこうなった、というものです)


①の内容(7/8記入)を見ると、すごいですね。問題行動の内容を見ると

「突然、無差別に、女の子の身体をたたく、つねる、ひっかく。男の子にミニカーを投げる、追っかけてたたく、首をつかんで離さない。おはじきを投げつけて、割る。砂をスコップで投げる・・・」

このころは、大変でした。

どんな時に起こったか、の覧を見ると、

「自分の思い通りにならない時、おやつが気に入らない時、眠い時、不安な時、受け止める人がいない時、安らげる環境がない時」

と、あります。次に、その行動によって、本人が何を得たか、周囲がどうなったか?の覧では、

「おもちゃをひとりじめする。興奮した後、そのまま泣きじゃくり眠ってしまう。みんなが怖がって逃げる。」

と記入されています。


なるほど、なるほど、思うこと・思い当たることはたくさんあります。


②については、そうたママに教えてもらったイラスト集(PICOTコミュニケーションブック)を使って、イラスト入りで、「よいこと」「いけないこと」「こまったときにすること」「こほうびシート」を小さな一冊のパンフレットにして、私が指導しました。

(今日も新幹線のバラバラパズルシールをごほうびで貼りました。でもこのパンフレット自体は、大した物ではありません)


③はこの夏休みの最大の成果だったと思います。一番変わったのは、いけないことがあれば、大きい学年の子が、太郎君を注意するようになったことです。そして、そこに同じ学童保育の一員としてのメンバーシップが芽生えたことです。

100均で買った電車のおもちゃで、毎日遊びました。 「まさとくん、やさしいよ」と、同じ1年生のごっこ遊びの仲良しができたことも、大きな収穫です。

こうした価値観は、この指導員が支えたものです。ちゃんとこのことを子どもにわかるように伝えきれたのは、この指導員の指導観がしっかりしていた証です。

「ずるい」 とか 「もう、きちっとして」 という女の子も、太郎君を仲間として受け入れています。そして、この女の子たちも、厳しくて優しいこの指導員が大好きです。

毎朝、学童お迎えバスは私が運転し、園長が同乗しましたが、その1時間余りの時間が、クラスで言えば、ホームルームのような時間になっており、いけないことをきちんと指導する場になっていたことも良かったのかも知れません。

結果として、このことによって、問題行動に対しての教化(わがままが通る)のルートが遮断され、問題行動を維持する要因が減少してきたのではないかと、私は考えます。


心理面や体調面での維持管理や情報、あるいは指導方針などご家庭の協力をいただき、問題行動が起こりにくい環境づくりができたのも、大切なことであったと思います。


内的興奮や事物や注目の獲得など、問題行動を起こして得るものがなくなり、問題行動を維持する要因が減少したとも考えられます。


そこへもってきて、自己イメージの向上  望ましい行動による、プラスの教化!

このおいしい仕事は、私の役目です。

おりこうにしてたら、シール貼ってもらえます。電車のおもちゃもらえます。たっぷりほめられます。いっしょに給食やおやつがたべれます。 お母さんや家族の人にほめてもらえます。いっしょに外であそんでもらえます。


当たっているか、どうかはわかりませんが、これが現状に対する私の見方です。


今日、お母さんが手紙に添えて、笑顔いっぱいの太郎君の写真をくださいました。

さっき、学童保育をのぞいてみると、プールの中で、それは楽しそうにみんなと遊んでいました。

もうすぐおやつの時間なので、この部屋へ私を呼びに来てくれるはずです。 これからもいろいろとトラブルもあるここと思います。

ただ問題行動が起こった起こらなかったということだけでなく、ひとつひとつの事柄を通して、どう子どもを育てていくか、一番大切なのは、そういうことなんだと私は考えています。

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自己イメージ向上が、衝動性をおさえ 集団適応力をアップする!  (友里ちゃんのうれしい変容)

 2008-09-04
2学期が始まって、今日でもう4日目となりますが、それぞれのお子さんはどんな感じでスタートされたのでしょうか?

友里ちゃんとは、この夏休みから一緒に勉強するようになりました。

私の指導は、認知特性と応用行動分析に基づいたエラーレス完全習得学習ですので、原則、つまずきはなしです。 (つまずきそうな課題には、必ずそのときの備えをしておきます)

どうも、これが友里ちゃんにもはまったみたいで、勉強時間は、すごく盛り上がります。

1ユニット10分程度の学習を7~8用意して、その7~8のスモールステップを、確実に1つ登らせます。

ひとつのユニットを1回で7つ登らせることは不可能ですが、7つのユニットを全部1つ登らせることはできます。

毎回友里ちゃんと交わすのは、「もう90分たったの 信じられない~」 という会話です。 私も、この90分の時間の短さには、自分で驚いています。 


友里ちゃんは、時々衝動的に自分をコントロールできなくなることが、あるとお母さんから相談を受けました。

3時間近くお母さんから、ご相談を伺ったでしょうか?

PBSの機能的アセスメントの手法を使って、自分なりに分析をしてみました。

私は、そうした行動を維持している要因は、自分自身に対する不安からの回避ではないかと考えました。

ならば、学校での集団適応には、友里ちゃんが一番大切に考えている学習の不安を少なくしてやるために、復習よりも、予習を中心とした学習が効果があるかも知れないと思い、次の指導からシフトチェンジしてみました。

以下は、一昨日届いた、友里ちゃんからのお母さんから頂いたメールの内容です。




とうとう二学期も始まりましたが、友里の話によると今のところいい感じみたいです。まだ二日目ですが・・・(笑)。

今日は係り決めがあったみたいですが、「本当は保健係になりたかったけど二人しかなれなくて、三人なりたいって人がいたから友里が譲ってあげた。」とか・・・いつもならなりたいなりたいとごねていた人が(笑)

わざとらしい位に思いっきり褒めておきました(笑)

「漢字もSHINOBU先生に習ったのを今日学校で習った。だから余裕なんよ。」

「友里はな、もうSHINOBU先生がおるから喧嘩もせんしSHINOBU先生パワーで頑張れる」と嬉しそうです。

二学期のいいスタートが切れたのもSHINOBU先生のおかげだと思います、ありがとうございます。
この調子でずっといけばいいのですが・・・(汗)。

友里にとってはSHINOBU先生の存在が何よりの安定剤になっているようです。




たった2人の指導場面で、あれだけ楽しく盛り上がれば、そりゃ元気も出るでしょう。

もしかしたら、しっぽをつかんだも知れませんね。

今後も、この子がこの調子で自分らしさと、自分の力を伸ばしていくことが出来たなら、多くの方に参考にしていただいたり、希望の光を見つけるヒントになるのではないかと、楽しみにしています。

今日も3時半に来てくれるのです。

これから教材作り、これが勝負です。 

子どもやお母さんの笑顔は、私の脳内の、ドーパミンやβ-エンドルフィンを分泌させてくれるのよね~

やる気は出るし、楽しいし、私自身も自己イメージがアップして、心に余裕が生まれ、集団適応力がアップします。

ましてや、子どもならいかばかりか・・・

でも、この環境を築き上げたのは私ではなく、ネットでこのブログを見つけ、ここに相談に来られたこのお母さんの判断と行動力によるもであることを忘れてはなりません。

私はただ、プロとして、お母さんのオーダーに答える最低限の務めをしただけにすぎません。

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衝動性・突発性の問題行動も 整理するとかなり見えてくる  (心理学の手法を生かした問題行動解決へのアプローチ)

 2008-08-19
私は、小学校の教員時代、子どもの問題行動解決に向けた取り組みを、長年にわたり自分の活動の大きな柱の一つとしてきました。

ある時は、学級経営・学級づくりの立場から、またある時は、情緒障害児短期治療施設の学校部門の担当として、セラピストの方や生活指導の方と連携をとりながら、その指導にあたってきました。

情緒障害児短期治療施設では、その子の生育歴や心理検査の結果をもとに、毎週ケース会議に参加していました。

個々のケースを深く理解し、それぞれの専門性を生かした指導を行うと、一定の条件さえクリアすれば、措置前はどうしようもない乱暴だった子も、退所前には涙を流して見送るほど、心が通じ合い、信じられない位問題が軽減したケースとも数多く出会いました。

ここでの体験は、今の私の血液となって、体中を駆けめぐっていますが、それはあくまでも経験則であり、一般化した理論として構築できるようなものではありませんでした。

その後、通常学校で生徒指導主事を何度か経験し。それなりに研究もしましたが、事例を通して学んでいくことはあっても、こうしたことをなかなか整理し、論理的に体系づけられたものと出会う機会はほとんどありませんでした。

しかし、大学院に行き、応用行動分析・機能的アセスメント・積極的行動支援(PBS)の手法を学んでからは、問題行動に対応するためのセオリーらしきものを自分なりに会得することができました。

最近になって私の所に、お子さんの突発的な行動・衝動的な行動についてのご相談をいくつかいただきました。

以前なら、どんなときでも、とにかく現場に飛び込んで、状況を把握して、当事者の気持ちを受け止め感じたことを心をこめて語りかけるといったやり方しかありませんでしたが、今は、それに加えて、冷静な分析と事実の整理・対応にかかわる方策の仮説立ては、必ず行うようにしています。

問題行動の解決は、理論通りに行かないことの方が多いです。 しかし、その時点で事実を整理したり、一定の観点から分析したり、だいたいの対応の仮説を立てておくと、その後の動きがよく見え、対応も迅速になり、結果が好転する確率は、かなり高くなったと、自分自身が感じているのは事実です。

そのすべてを、ここで紹介することはむずかしいですが、要点をあげると以下のようになります。

① 問題緒行動には、必ず原因がある。(そうまでして得たい・避けたい何かがある)

② 問題行動を起こす前には、必ず余震(サイン)がある。

③ 問題行動を起こすことによって子どもが得ることは、「注目の獲得」「内的な興奮」「事物の獲得」(快刺激) 「注目の回避」「内的刺激の回避」「課題からの回避」(不快刺激の回避) の2種類に整理される。

④ たとえば、物を投げて、支援員がかかわると、それが子どもが欲していることであった場合、それは問題行動によって得られた快刺激となるので、問題は解決されるどころか、結果として助長しているメカニズムとなる。

⑤ これを解決するためには、マイナス行動にご褒美を与えるような関わりはしないこと、もっとましな方法を教え、できたらほめる、を繰り返すのが目指すべき王道となる。

⑥ 問題行動が複雑で多岐にわたっている場合は、まずその中で、何に一番に取り組んでいくか、優先順位をつける。

⑦ その問題行動が、いつ・どのようなときに・だれといて・どんな状況の時に起こりやすいか記録を整理し、除去出来る要因(埋まっている地雷)は、可能な限り取り除く。

⑧ 可能な限りあらゆる状況を予測し、最悪の場合は、どんな形で、何分位、どこでクールダウンさせるかを決めておく。

⑨ 先行要因(引き金となるできごと)は何か、具体的につかんでおく。

⑩ わざわざエネルギーを使ってそんな問題行動をしなくても、別な方法で、本人の望む物(支援員のかかわり? 先生の賞揚? クラスのみんなからの注目? 食べたいお菓子?) が叶うことを、体験的にわからせる。(問題行動の無意味化)

私の経験からすると、傷つきやすい子、恐がりの子、何かに不安を感じている子など、デリケートな子ほど問題行動は起こりやすいように思います。

不安だから、心配だからこそ、いてもたってもいられないのです。

また、社会的な体験が未成熟で、集団生活のルールやマナーが理解できていないことが原因の場合もあります。

こうしたときは、その子のレベルにあったわかりやすい方法で、そのルールなマナーを体験させることが重要です。こうした場合は、教育的に意図された子ども集団(例えば学級集会やお楽しみ会・係活動など)での指導が効果的だと思います。

(うちの太郎君は、学童保育の電車ごっこで、今、毎日社会性の特訓中です。だいぶわかってきたよです。指導員にもかなり余裕がみられるようになってきました。)

衝動的・突発的な行動は、相手を傷つけてしまうことが多く、ご家族の衝撃もいかばかりかと思います。

特に、家庭外の出来事であれば、どうしたらいいかわからず、ただひたすら謝るばかりで、途方に暮れることもあるでしょう。

しかし、難しくとも、困難でも、必ず解決の方法はあります。

希望を見つけて、これからも一緒にがんばっていきましょう。

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発達の課題のある子どもが リアルな子ども集団から学んでいくこと (通常学級での育ちの魅力)

 2008-08-02
夏休みになったということあって、学童保育の子どもたちに、100円ショップで買いそろえた電車のおもちゃをプレゼントしました。

もちろん太郎君は、乗り物系のマニアですから、だれよりもその鉄道おもちゃに食いつきました。

あまりにも好評で、電車の取り合いになり始めたので、一人に2両はプレゼントして、名前を電車に貼り付けました。

自分の電車ということで、ますます子どもたちは、電車遊びに夢中になっていきました。

車両は個人持ちになりましたが、線路や駅や踏切は、もちろん共有です。しかし、乗り物系マニアの太郎君は、どうしても全部を自分のもののように使いたくて仕方ありません。

しかし、2年生の健太君たちも、今回ばかりは引き下がるわけにはいきません。

そこで、当然のようにけんかが始まってしまいました。

たぶん、こんなふうにリアルな次元で、太郎君とみんなが向き合ったのは初めてではないでしょうか?

私たち指導者は、絵カードなど、太郎君にわかりやすい方法で、おもちゃを使うときのルール、してはいけないこと、困ったことには暴力ではなく 「先生に言う」 ということなどを教えました。

まわりの子どもたちも、真剣にそのようすを伺っていました。

しばらくすると、最初は「そんなのやらな~い」と、全然興味を示さなかった女子軍団が、「私たちにも電車、ちょうだい~」と、やってきました。

たくさん線路はあっても、最初はつながりのないバラバラのパノラマでしたが、大きい学年の子や女の子まで参加し始めると、保育室いっぱいに広がる、結構まともなパノラマに変身してきました。

でも、太郎君は、まだぜ~んぶ、自分の物でないと気が済みません。せっかくみんなで協力して作った、鉄道パノラマを、興奮した赤ちゃんのようになって壊してしまいました。

こうなると、女の子も大きい学年の子も黙ってはいられません。指導員の顔を伺って「やってもいい?」と、おそるおそる尋ねると、指導員は 「やっちゃいなさい」 と答えてしまいました。(何と素敵な感性の指導員でしょう)

ここで、太郎君は、大きい学年の子や女の子に囲まれ、こっぴどくしかられました。

暴力こそ振るいませんでしたが、全員一致団結して立ち上がっていますから、太郎君ごときでは、ひとたまりもありません。

たちまち、太郎君は泣いてしまい、ジ・エンド。 壊されたパノラマは他の子どもたちによって、粛々と修復されていきました。

太郎君は、10分ほど泣いていましたが、見るといつの間にか復活して、そのパノラマの中で、自分の電車を走らせています。さすがに、今度は破壊行為はできません。そういうことをすると、どんなことになるのかを、こうした体験を通して学習したのです。

ソーシャルスキルトレーニングを100回やったとしても、こうしたこのリアルな体験のインパクトには到底及びません。

私は、その後も、太郎君の表情と、学童集団の空気を注意深く見守っています。

今は、朝、園長と二人で学童の子どもたちをバスで迎えにいっています。その朝の表情は、さわやかそのものです。この子の、本当にすばらしい宝物です。

先日は、朝ちょっと時間があったので、公園まで内緒でドライブに行き、養護学校で買ったミニトマトと、コンビニで買ったおかきをに食べ、わずか15分くらいでしたが、一緒に遊びました。

言葉使いのこと、差別的な態度、子ども集団はある意味とてもシビアで残酷な面があります。それがエスカレートするといじめとなり、取り返しのつかない深い傷を子どもの心に残します。

私は、どんなに口は悪くとも、太郎君は学童保育の大切なメンバーの一員であると、みんなから受け入れられていると信じています。そうでないと感じたら、人格を傷つけるような発言や行動があったら、決してそれを見逃さない信念と覚悟だけは持ち合わせています。

大切なメンバーだから、家族のような同じ仲間だから、いけないことは怒る!

大げさに言えば、このことによって、太郎君の社会性発達の可能性の道は大きく開けたと考えています。 社会性を育成するための、リアルな実践の場が形成されたと考えています。

通常学級の捨てがたい魅力と可能性が、ここにあるのです。

太郎君のお母さんが、このことを理解してくださったのも、本当にありがたいことだと思っています。

私は、太郎君も含め、この学童のメンバーがますます好きになっています。

指導員さんには、苦労もかけていますが、この部屋にいると心がなごむ不思議な空間です。

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ソーシャルストーリーブック(キャロル・グレイ)から学ぶ 子どものとの見え方の違い

 2008-07-17
岡山市では、明日が1学期の終業式。ひとつの大きな節目を迎えます。

太郎君は、今日まで一日も休まず学校に行くことが出来ました。0歳の時から過ごした保育園から、まったく違う 「小学校」 への入学。

きっと、本人にしてみれば、信じられないような環境の変化だったと思いますが、よくぞここまでいろいろなことを、笑顔で切り抜けたね、と抱きしめてやりたいような心境です。

お母さんも、いろいろな課題に真剣に立ち向かい、またひとつたくましくなられました。早くも、勉強についてもこ、れからお子さんといっしょに、ていねいに取り組んでいこうとする姿勢が見受けられます。

太郎君の今の課題は、「読み」「数量」「衝動性」といった所でしょうか?

衝動性を中心とした「行動改善」のアプローチのひとつとして、「ソーシャルストーリー」というものがあります。

大学院にいたときに、一つ上の学年の方が研究テーマにされていたので、以前から関心はもっていました。県立図書館で、ずっと「貸し出し中」だったのですが、昨日、ようやく借りることができました。

その序文には、次のような言葉が書かれています。


自閉症スペクトラム(ASD)の大人や子どもたちは、自分を取りまく社会についての情報を読み取ることや、それを解釈すること、それに対してうまく対応することに困難をかかえています。彼らの目には、他者の言葉や行動は、しばしば意味や目的のないものに見えたり、予告や論理的な根拠もなく無秩序に生じるように見えます。
 一方、親や教師といった彼らにかかわる人々の側からすれば、ASDの子どもの行動は、「はっきりした理由もなく」、また、まったく「脈絡のない」ように見えます。
 ソーシャルストーリーズは、両親や教師が、まず一度立ち止まって、ASDの大人や子どもの立場から、その状況をとらえなおし、次に見落とされがちな情報を見つけ出し共有することによって、混乱を解決しようとするものです。その結果として、社会的に対等な両者の相互理解が促進されるのです。


参考までに、ソーシャルストーリーの文例をひとつ紹介します。

「おもちゃをゆずりあうこと」

たいていの子どもはおもちゃであそびます。
おもちゃであそぶのは楽しいものです。

ほかの人といっしょに、おもちゃであそぶのもおもしろいときがあります。

わたしは、おもちゃをゆずりあうという練習ができます。

ゆずりあってあそぶのも、楽しいことかもしれません。

わたしは、ゆずりあったりしてみようと思います。
そして、楽しんでみようと思います。


細かい文章の作成方法や提示の仕方が規定され、研究されています。

視覚性優位のお子さんに対して、どこまでこうした文章での継次的なアプローチが効くのか、興味津々です。

私は今、こうした行動改善に向けて、どうやって太郎君とパイプをつなげるか、いろいろな方法で試行錯誤しています。

命綱は、保育園の学童保育に喜んできてくれているということです。そして、私も太郎君が大好きで、心の底からいっしょにいたい、と思えていることです。

太郎君のことを、もっと理解できるようになり、私の願いも太郎君にもっと届くようになったそのとき、行動改善に向けた大切なステップが踏み出されるのではないかと考えています。

その切り口の一つとして、こうしたソーシャルストーリーの手法も参考になるのだと思います。

血の通わない、猿まね的・形式的な手法をいくら使っても、なかなか子どもには届きません。

夢追い人さんは、「非科学的専門性」と名付けていましたが、私は、こういうやりかたこそ実効的であり、子どもと向き合う、子どもと寄り添うということは、こういうことなんだと思っています。

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