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脳の代償性に着目した指導

 2009-12-11
苦手な事ができるようになって欲しい

親なら誰しもが願うことです。 私も同じ気持ちです。


例えば、漢字の書き取りがあまり得意でない子がいたとします。 テストが全然出来ず、何て自分は頭が悪いんだろうと嘆くこともあるのかも知れません。

できれば、漢字の書き取りもできるようになってほしいものです。 可能な限り、チャレンジすることも大切だと思います。

ですが、それで自分がダメだと思ったり、やる気がなくなってしまうのは大問題です。

努力して出来るのなら、努力してほしいと思います。 

ただ、特性として、書くのが極端に苦手な子もいるのです。

精一杯努力しているのであれば、テストの点は、何点であってもそれでいいわけです。

いけないのは、それで自分に対するイメージが否定的になることです。


書き取りが苦手でも、お話を読むのが大好きな子がいます。

もちろん、漢字の練習をやめるわけではありませんが、私だったら、文章の読解や漢字の読み取りを中心に学習を構成します。

決して、子どもに好きなことばかりやらせて、ご機嫌をとるためではありません。

漢字が書ける子になってほしいからこそ、あえてその周辺領域であり、その子が得意としている文章の読解能力を高める所から攻めていきたいのです。


子どもの脳は、ある部分が苦手でも、別の部位でその肩代わりをしようという、代償性が高いのです。 ならば、得意な読解能力を高めることによって、苦手な書字を少しでも改善していくことは可能です。 私は、教育的効果という面から、日々、この脳の代償性に着目した指導の工夫に心がけています。


これでもか、これでもかと、苦手なところだけを切り取って、それを単調に子どもに突きつけて、「さあさやりなさい、やりなさい、それがあなたのためなのよ」 では、子どもも親の心も、いつかは折れてしまいます。

時には、直球ではなく、ゆるいカーブも有効なんです。

大切な課題だからこそ、よく考えて、ていねにに取り組むゆとりも必要です。

最大の指導性とは見通しをもつことです。

それが簡単な課題に見えても、その先にある確かなゴールをしっかりと見通すのが、指導者の役割です。

25M泳ぐにも、まずは水遊びからスタートするじゃありませんか。


文章が読めるのに、字が書けないとなると、LDとか書字障がいという診断名が付くのかも知れません。

でも、よく考えてください。 じゃあ、もしその子が漢字が書けるようになったら、どうなんでしょう? それは、障がいという名前がふさわしいものではなくなってきますよね。

うちの教室に来てくれている子で、だんだん漢字が書けるようになってきた子、いっぱいいますよ。

これってある意味、障がいが、軽減したということなのでしょうか?


どうやって漢字を書けるようにしたか? 

私のしたことは、小さなステップをちょっとずつ登らせたこと、勉強が楽しいと思えるような仕組みを作ったこと、そしてその子の得意なことを使って、苦手なことを克服していこうとしたことです。


子どもが小さいときは、出来るだけいろいろな事ができるようにさせてやりたいです。

しかし、精一杯取り組んで、それでも苦手なことがあったら、カーブで勝負することも、どうか大切な方法の一つとして検討してみてください。


私は、脳の代償性を信じています。

だから、自信をもってカーブを投げるのです。

それが、私の専門性であり、役割だと心得ているのです。



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教育と医療 双方向の営み

 2009-03-16
治療教育的なかかわりという言葉があります。 私自身は、わかったようでわからない言葉だったのですが、最近その 「治療」 と 「教育」 との役割や色分けが、少しくっきりと見えてきたように思っています。

この土・日に新しく3名の子どもたちが、白ゆり教室に来てくれるようになってきました。

その時のエピソードを紹介します。


かずお君 (=仮名・小3)は、教室に入るなり、いきなり不安いっぱいな顔で、落ち着かず、バタバタと部屋の中を動き回り始めました。

私は涼しい顔でやりすごしていましたが、ご両親はかなりとまどった表情をされていました。 

5分前に教室に入りましたが、その5分をきっちり動き回り、言いたいことを言いながら、強烈な自己主張をしていました。

定刻になり、ご両親が教室から出ようとすると、「両親に見捨てられた~」 と笑わせてくれました。


さあ、ここから90分の指導が始まるのです。

涼しい顔をしていた私も、さすがに心の中ではあぶら汗

みなさんが私と同じ立場なら、どうします?

ある意味かなりの修羅場です。

覚悟と根性決めないと、この仕事はできません。

大げさに言えば、個別指導教室の看板を賭けた営みです。


これまで何回か紹介しましたが、私が心の拠り所としているものの一つに、PBS(積極的行動支援)の理論があります。

詳しい中身については、ここではふれませんが、簡単に説明すると、「子どもの不適応行動は ①注目の獲得 ②事物の獲得 ③自己刺激 (または①~③の回避) に分類され、それを解決するためには、そんなことをしなくたって、①~③の願いを叶えるバイパスを作ってやって、それで不適応行動を回避する」 というものです。

かずお君の場合は、新しい環境に対する不安があり、デリケートな気持ちの裏返しで、そのハードな内容から回避したいという気持ちが、様々な不適応言動となって現れているに違いありません。


事前のお母さんからの情報で、気象や地球に興味があると聞いていたので、私何時間もかけて、それを教材化するための準備をしていました。

かずお君、横目でそれを見ていたはずですが、いきなり食いつこうとはしません。

デリケートな気持ちが警戒心を煽り、素直な行動には結びつきません。

でも、私はやがていつかここに帰ってくるのは、わかっています。

彼が確かめようとしているのは、私がどんな姿勢で彼に向き合おうとしているのかという、私の気持ちの真実です。

本当はやりたいのに、やりたくないと言ったり、パソコンの電源勝手に抜いたり、私のアドバイスとわざと反対の事をしたりして、私を試しまくっています。

私、情緒障害児短期治療施設で3年間、それはハードな環境の中で生き抜いて来た子と、真剣勝負で毎日戦い抜いてきましたから、お試し行動の対処の方法については、プロ中のプロです。


かずお君とは、結局90分間、パソコンを使って3年生の理科の学習をしました。 昆虫の体のつくりについては、たぶん昆虫学者も真っ青なほどハイレベルの認知ができたと思います。、

乾電池と豆電球の回路の接続についても、4年レベルの内容の学習ができました。


こうして90分の指導は終わりました。

彼にとっては、きっととてつもなく、長い長い90分だと思います。

うちの教室には、セコムのTVモニターがあります。

90分が終わり、モニターにご両親の乗る車が映り、やがて歩いて教室にやってくるご両親のが見えると、かずお君の顔に、子どもらしい笑顔がおもいっきりはじけました。

そこには、90分逃げずにやりとげた、彼の満足感がぼんやりと浮かんでいるように思えました。

かずお君、一歩大きくなったね。

ふ~、私も大切な第一歩を切り抜けたということろでしょうか?

一度、厳しい顔で 「いい加減にしなさい」 と叱ったタイミング、あれで良かったかどうか、心の中に不安がないと言えばウソになります。

指導の後の相談で、ご両親に、「今日の指導の後で、かずお君がご家庭でどんなリアクションをされるか教えてください。それによって次回の組み立て考えますから」 とお伝えしました。

数時間後、お母さんから以下のようなメールが届きました。




今日は大変お世話になりました。
ありがとうございました。


先生のお話の中で、次回の本人の気持ちをおっしゃっていたので、実は私も聞くまで不安があったのですが、「楽しかったよ!」という返事が返ってきました。「虫のパズルが楽しかった。」「5分位しかたっていないと思ったら一時間半なんてあっという間だったよ。(これはちょっと強がり?)」ということで、私が「次は・・29日だね。あ、ところでどうする?」と、少しとぼけて聞いたのですが、「もちろん行くにきまってんじゃん。」と言っていました。

かずおは、ご覧になった通りあまり気を遣ってのコメントをする子ではないので、本当に楽しかったのだと思います。
今一番頭の中にある「動物の森」のゲームに出てくる、最近捕獲できるようになった「サソリ」と「タランチュラ」を印刷していただいていたので、「やっぱりそこかぁ」と、家でも一緒に説明してもらいました。

先生のことも「優しい先生だった」と話してくれました。
帰宅後、先生のプロフィールを見せていただきながら、「先生クイズ!」を少しだけ一緒にしました。
先生にお子さんが娘さんが三人いること、名前は「ゆ」の部分だけ正解でしたが、犬がいて「シン」という名前なこと、先生の好物は「ラーメン」(とんかつは忘れてました。)ということも教えてくれました。

かずおは、初めての場所と人が特に苦手で、不安や緊張がハイテンションという形で表現されてしまうところがあるので、実は最初の別れ際、「やっぱり行っちゃだめ!」となるかも・・と一瞬脳裏をよぎったのですが、思っていたよりもすんなりと離れることができたので、私たちとしては「大丈夫そうだね。」と、安心してお任せすることができました。

帰宅後は、テンションの高さが少し残っていて、多弁だったり声の大きさが大きいところはありましたが、とても楽しい話ばかりです。

きっと、回を重ねるごとに、本人も見通しがついて、不安も少なくなってくれると思います。
ただ、慣れるまでの難しさと、慣れてからの難しさなど、課題も山積みになるかと思うのですが・・、私たちも家でできることなど、一緒に協力させていただきたいと思っています。

お気づきの点がありましたら、是非遠慮なく教えていただけたらと思います。
また、家や学校でのことも、参考になることがありましたらお伝えさせていただきたいと思います。
私たちの願っている本人の成長は、きっといつの間にか「そう言えば・・前はこうじゃなかったよね。」というように、長い期間をかけて、気づいて感じていくものだと理解しています。

どうぞ、これからも末長く、よろしくお願いします。




ふ~、最後まで同じスタンスで、寄り添うことができて本当に良かった。

かずお君は、言語ではなく、90分の活動の中の私の所作の一つ一つの中から、私の姿勢をずっと感じ取り続けたのです。

マイナス行動の子ほど、通じ合った時のリターンは大きいものがあります。

私たちはこうした 「真心」 を子どもに伝え、その 「真心」 が、子どもを育て幸せにしていくのです。

こうした営みこそが、教育のダイナミズムです。


そういえば、前日初めてこの教室にやってきた すずかちゃん(=仮名・小1)も、教室に入ると真っ青な顔をしていましたが、45分が終わるとるんるんで帰って行きました。

お姉ちゃんのちなつちゃん(=仮名・小6)は、最後にご褒美で作成したクラフトで、すっかり心が通じ合ってしまいました。


教育は、希望をもって一つずつ積み上げていく営みです。  医療は、科学的な判断に基づき、的確な治療を行う場です。

どちらがどうということではなく、子どもの幸せと成長のための、この双方向をうまく選択し、コーディネイトしていくのが親のつとめです。

治療教育的なかかわりという、ハイレベルな判断を必要とするケースには、こうした2つのフィルターを通して、もう一度そのことを見つめ直してみると、見えてくる何かがあるのではないかと私は思っています。


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学校での医療的ケアについて (子どもの最善の利益とは何か?)

 2008-09-15
先日参加した親の会で、あるお母さんから伺った話です。

そのお子さんは、人工肛門でパウチを皮膚にシールのように貼っているそうです。かかりつけのお医者さんは、これは医療行為でも何でもないので、学校の先生が行って何ら差し支えない、という見解だそうです。

しかし、教育委員会としては、パウチの貼り替えは医療行為であるので、職員が行うことはできないという判断をしています。 こうした経過から、毎日、パウチの貼り替えのために、お母さんが学校に待機しているということです。

この分野について、私はあまり深く勉強できていませんが、こうした医療ケアのニーズが年々高くなってきていると聞きます。

小学校の教員だったとき、どんな学校行事でも、緊急事態であっても、児童を自分の車に乗せてはいけない。 公的な交通機関、つまりタクシーを利用しなさい、というのが常識でした。 

私はタクシーより学校の先生の運転の方が、よっぽど信頼できると思っていました。 事故の補償も、タクシー会社が自治体よりちゃんとしたことをしてくれるとは、とても思えませんでした。

これって、責任転嫁だよな~ っていつも思っていました。

学校では、子どもを自分の車に乗せることはありませんでしたが、同じ私が、保育園では園児のバスを運転しています。 もちろん、事故があったら、全責任を負うつもりで、ハンドルを握っています。 誰よりも、その覚悟がある者の運転こそが安全だと私は考えています。 その覚悟無くして、保育園の経営などできません。

もちろん、車の運転と医療的ケアは、同じ次元の話ではないと思います。

しかし、今後、これまで在宅のみだったお子さんが、どんどん学校集団の中で共に学び、共に暮らす時代がやってくると考えられます。

うちの保育園には、看護師が正規の職員として勤務しています。

こうしたことも含めて、子どもの最善の利益は何か、という観点から、こうした医療的なケアの課題も望ましい方向で改善されることが重要だと考えます。

岡山県でも、財政上の理由で、スクールカウンセラーの配置など次々と予算の削減が検討されています。

こうした厳しい時代だからこそ、何を優先すべきかその理念が極めて大切だと思います。
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行動改善のためにクスリを飲むことをめぐって (クスリは万能ではない 傷ついた心をいやすことはできない)

 2008-08-08
以前にも書きましたが、私はクスリの服用については消極派です。

しかし、先日知り合いの小学校の先生から、「クスリを飲むことによって、それまでできなかった教育が可能になる」と言われ、正直かなり揺さぶられています。

別に、クスリを全否定しているわけではありませんが、心の中で割り切れない、いろいろな思いが今でも交錯しています。

あえてクスリを拒んで、いろいろあっても前向きに成長した子もいれば、クスリによって劇的に問題行動が改善された子も身近な例として、知っているからです。

右のコーナーで紹介している高山恵子さんの「おっちょこちょいにつけるクスリ」(家族の想い編)には、このクスリの服用にかかわることについて、30ページにわたって記述されています。

高山恵子さんの講演は、今年の6月に、何の期待もせずに、タマタマ出会った講演でしたが、今となっても、じわりじわりと影響されてきていますね。これ、本物かも・・と感じ始めています。

「おっちょこちょい~」という本、すごい人気で、県立図書館に予約を入れても、もう何ヶ月も借りることができません。結局、私が勧めた本なのに、今、花子ちゃんのお母さんにお借りして読んでいます。(自分で買うべきですよね)

今、読んでみて、知らなかったこと・整理しておかなくてはならないことがいくつかあります。

○ リタリンは小学校1・2年生から処方し、小学校卒業までにやめるのが望ましい。中学生以上は新規では処方しない、というガイドラインがある。(むやみに処方しない、身長・体重の成長障害のリスク、頭痛・腹痛・食欲不振・睡眠障害などの副作用・リバウンド・依存性・セルフエスティームの低下)

○ こうしたクスリは、「性格という部分に作用するクスリ」がゆえに、単純に「クスリを飲んで良かったね」と、言えるものではない。

○ 「クスリがないとダメな自分になる」といったマイナスイメージに耐えられなくなる、精神的な依存度が強くなる。

○ 自分がクスリを飲んだときの利点として、「集中する・静かにする、がどういうことなのかを実体験できる」「クスリを飲むことによって、自分を客観的に見る力が急に伸びる」が、あげられる。

○ どんなに努力してもできなかったことが、クスリを飲むだけで改善されてしまう、じゃあ、これまでの自分は何だったんだろう、自分が自分でないような、これまでのアイデンティティが崩れる、本当の自分は何、と思い、涙が止まらなくなってしまう・・・・

この最後の文章にふれたとき、私の胸に湧き上がっていた、熱い怒りにもにた感情が何であったのか、わかってきたように思いました。

「クスリを飲むことによって、それまでできなかった教育が可能になる」

その言葉の中に、そうした、人として生きることの尊厳に向き合う姿勢が、感じられなかったから、私は激昂したのだと思います。

きっとその方は、ただ単に、クスリの利点についてのみ伝えたかったのでしょう。二次障害を起こさないで、豊かな教育・質の高いを実践したい、ただ単にそう言いたかったのでしょう。

失礼な言い方をした私を、どうぞお許しください。

しかし、ここまでバトルが起こるくらいデリケートな問題であることは確かなようです。

クスリを飲んだら、自己イメージは必ずいくらか下がる。 そうまでして飲む価値があるかどうかを、判断したい。

そしてクスリの効果は人間の育ちの一部分、クスリを飲んで解決することと、クスリを飲んでスタートすることの両方がある。

これが、この本を読み、現時点で私が学んだことなのかも知れません。

少し、深まった見方ができるようになった気もしています。

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人との関わりが やる気と幸せを育む (大脳辺縁系を刺激するアプローチ)

 2008-07-07
人とのコミュニケーションがむずかしいタイプのお子さんはいらっしゃいます。

私が養護学校でTAをさせていただいたときに、クラスの6人のほとんどは、コミュニケーションが苦手なタイプのお子さんでした。

でも、「コミュニケーションが苦手」だからといって「みんなといっしょに活動すくことが嫌い」ということでは、ありませんでした。

みんな、友達や先生と仲良く楽しく暮らしたいと願っていて、何かのことで、コミュニケーションがとれないことがつらいだけで、決して人とのつきあいそのものが嫌なのではない、ということをいつも教えてくれました。

大切な脳の話」(2/21)でも触れましたが、脳には「大脳辺縁系」という部分があって、食欲や睡眠など、人間の基本的な欲求をつかさどっています。

人間の集団欲は、この大脳辺縁系に局在しています。

つまりは、集団に属したいという欲求は、食欲と同じようなレベルであって、それなくしては決して生きていけないというような、極めて一時的な欲求であるということが言えます。

昨日、一昨日と、私は志を同じくする先生方と一泊二日で、共に語り合う機会をもたせていただきました。

それは、「診断や技術を入り口とするのではなく、まずは子どもに向き合い、子どもの成長を考えていこう。その中でこそ、それぞれの専門性を生かしていこう。診断名やテクニックばかり先行しがちな現状に、あえて人間そのものに目を向け、人との関わりを大切にしたアプローチを大切にしていこう」 そういう趣旨の集いでした。

一人を除いて、後はその日初めてお会いした方々ばかりでした。

しかし、私はこの時、何とも言えない幸福感に包まれていました。

何年ぶりでしょう、こんな幸せな感覚。同じこと・同じ志をもち、しかも、すばらしい実績をお持ちの方と語り合うことにより、私は一人ではない、という何とも言えない力強い感覚と、満ち足りた思いがわき上がってきました。

やる気になった、なんてものではありませんよ。大げさに言えば、人間が生まれ変わる瞬間です。

人がやる気になる、人が幸せを感じるのは、こんなメカニズムなのではないでしょうか?ここを刺激せず、一体どこを刺激したら良いのでしょう?

私は不調の時、宴会に行っても全然酔えず、作り笑いをしながら、行きたくもないカラオケに付き合って、日に日に落ち込んでいく自分を、別な角度から心配そうに見つめている、もう一人の自分の視線をいつも感じていました。

私も結局その時は、Drと薬に頼らざるを得ませんでした。一歩間違えたら、どこまで転落していたか知れたものではありません。

この命がけ?の体験は、ぜひとも子どもの成長と幸せに還元したいと思うのです。


その子が、その子らしさの持ち味で、その子の夢と志を共有できる人と出会えたらならば・・

どんな風にかかわったら、いいんだろう・・・

どんな風に、ご家族の方と歩んだらいいんだろう・・・


仲間・家族・そしてパートナーシップこそが、キーワードだと、私は思っています。

それをベースにしてこそ初めて、高度の専門性が、生かされるのだと考えています。


自分という存在が無意味に思えること、本当に苦しいことです。いろいろな状況が、知らず識らずのうちに、じわりじわりと自分を苦しめていきます。

でも、一人じゃない・・・

そう感じ始めた頃から、歩みは始まります。

人は人の中でしか幸せを感じることができない。

だとしたら、子どもを育て幸せにしていくためのアプローチも、もっと人との関わりを中心に組み立てて行っても良いのではないかと、私は考えているのです。
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アトピー性皮膚炎を 子どもの育ちの視点から考える

 2008-07-02
私には娘が3人いますが、どの子も軽度ですが、アトピー性皮膚炎をもっています。

体調や様々な環境によって変化しますが、ひどいときはお医者に行ってクスリをもらっています。

教職員免許法の改正によって、特別支援学校の教諭にも、こうした方面の医学的な知識も必要ということになったようです。

そこで今日は、昨日の受けた大学の講義をネタに、アトピー性皮膚炎を、お子さんの育ちという視点から、私なりの視点で、わかりやすく整理してみようと考えました。



【アトピー性皮膚炎のメカニズム】

体に入ってきた抗原(卵・小麦粉・牛乳・ほこりなどの原因物質)に対して、主としてIgEと呼ばれる抗体が肥満細胞というものに結合し、かゆみを伴う湿疹が起こる。

【原因】

アトピー性体質と呼ばれるように、遺伝的要素が関与しているが、絶対的なものではない。この30年で、小児アトピー性疾患は3倍くらいに増加しており、その背景として、住環境の変化(湿度・気密性・ハウスダストなど)、食生活の変化、感染症の減少などが推測されている。
衛生状態が良くなりすぎて、免疫のバランスがくずれたのではないかという説もある。
(いつもきれいすぎて、わずかな原因物質にも対抗できない体になってしまったという考え)

【治療法】

① 原因物質の特定と除去
(以前はこれが治療の主流だったそうですが、現在は、以前ほど重視されなくなったということです。食物抗原などは、それを除去することの功罪を考える必要があることも指摘されるようになりました)

② 薬物療法

(1)抗ヒスタミン薬:副作用として、眠気・けいれん誘発
(2)抗アレルギー薬:肥満細胞からの化学伝達物質の遊離を抑制
(3)副腎皮質ステロイドホルモン薬:アレルギー反応を強く抑制し、即効性がある。かなりきついクスリで、血圧・脳圧が上昇するので、使用時期や方法への配慮を要する。



Drの話によると、人が緊張状態になると、指先の血流は100倍になるそうです。体中の血液が、脳と筋肉に集中し、その反動で、皮膚や内臓への血流量が低下し、アトピー性皮膚炎が起こりやすい状況の体となってしまうようです。

緊張状態を引き起こすのは、子どもにとってのさまざまなストレスです。

勉強がわからない、友達とうまくいかない、周囲の状況が理解できない、自己実現できない、自分にプラスの気持ちをもつことができない・・・

こうしたことが、子どものストレスに結びつくのは、まちがいのないことです。

ご家族・とりわけお母さんのイライラは、ハレーションとなってダイレクトにお子さんに影響を与えることと思います。

悪いときには、悪いことが重なるものです。そんなときには、絶望的になり、どうしていいかわかならくなってしまうこともありますよね。

子育てに関わることについては、現実場面では、お母さんがそのほとんどを背負い込まざるを得ないことが多いと思います。

でもそんな時も、しっかり勉強して、ひとつずつていねいにも、もつれた糸をほぐしていけば、解決の道も見えてくるでしょう。

このブログでは、ほんのちいちゃな取り組みですが、個々の問題について、具体的な実践と、その背景となる理論を、お母さんがたの視点で、今後も紹介していこうと思っています。

小さなステップでも、一歩ずつ前へ進んでいる感覚があれば、かなり気持ちは楽ですよね。

見通しがもてないことが、不安を増大させると言うことは、よくあることです。だったら、いっしょに少し勉強していきませんか?

小さいことからでも、少しずつプラス回転に導くことで、リズムはつきます。

親が好調となれば、小さい子ほど影響は大きいように思います。うちの子のアトピーも、私たちの波長と、と決して無関係ではないようです。

無知・知らないことは、罪悪です。

少しでも、自分自身をコントロールしていくことが、親として大切な仕事の一つなのかも知れませんね。

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脳の機能から ことばの発達と その指導・支援を探る

 2008-06-04
毎週火曜日は、大学での脳のお勉強の日。この日のテーマは、運動神経路(随意運動と不随意運動)でした。講義・演習の後、いつもDrに食事に連れていっていただけるので、本当にありがたいことです。

今、私は、現在指導しているお子さんの、「読む」「書く」「話す」の力をどう育てていくかを大きなテーマとして取り組んでいます。

このごろ表出言語が急速に増えてきたAちゃん、書き順や書字に進歩が見られだしたBちゃん、どこをどうすればさらに向上できるのか?単位や成績とかは一切眼中にないので、その一点のみに着目して、授業に取り組むことができました。

で、私なりにそのことをわかりやすくまとめるとすれば、以下の通りです。

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随意運動といって、私たちが意識をして動かす 手・足・目・口・舌などは、運動野(脳の中心溝の付近)にあり、2~3歳ころにほぼそのシステムが完成します。

このシステムは錐体路(すいたいろ)とも呼ばれ、構造的には、太くしっかりとしています。このレベルで何らかの機能障害があった場合は、書きたくても手が動かない、言いたくても舌が回らないという状態になるので、機能訓練と共に、代替のコミュニケーション方法を考えることも必要かもしれません。

それとは別に、不随意運動(ふずいいうんどう)をつかさどる錐体外路(すいたいがいろ)というのがあります。

不随意運動というのは、知らず知らずのうちにバランスをとったり、無意識に運動を調整する機能です。錐体外路というのは、錐体路のように、はっきりしたルートが存在するわけではなく、運動前野・大脳基底核・小脳などが関与していますが、そのあたりの全体的なネットワークのことを指します。

昔(私が子どもの頃)は、いわゆる小児麻痺のお子さんを街でも結構見かけました。しかし、今ではほとんど見かけなくなりました。

小児麻痺というのは、この大脳基底核というところが黄疸で組織が破壊されて起こる運動機能障害のことです。でも、ミノルタカメラがこの黄疸のセンサーを開発し、早期に発見できるようになったので、新生児のときに、あの光線の治療で即座に治療できるようになったそうです。

(=うちの娘も光線治療うけました。こういうことだったのかと、今になってわかりました。ミノルタカメラさんありがとう。この話もふくめ、すべてDrの受け売りです。誤った解釈がきっとあるとは思いますが、お許しください)

で、発語にかかわる運動性言語野(ブローカ中枢)は、舌・咽頭の運動野のすぐそばに位置しています。書字にかかわる中枢は、手や指の運動野のすぐ近くに位置しています。

でも、ここは運動前野と呼ばれ、いわゆる錐体路ではないので、複雑にネットワークが入り組んだ未開のジャングルのようなところです。

ですから、ここをこうすればよいという方程式はありませんが、このネットワークをどんどん発達させていけば、少しくらい苦手な部分が存在していたとしても。それをカバーすることは可能だと、私は考えています。

いわゆる天才と呼ばれている人たちは、一般人がよく使う左脳の部分に障害があったおかげ?で、右脳など別のネットワークがすばらしく進化した人という見方もあるようです。

じゃあどうするか?これを演繹的な手法(論理立てて追求する方法)で取り組むよりも、帰納的な方法(この子の場合こうやったら伸びた、じゃあうちもやってみよう、という感じの方法)の方が、実効的だと思います。

ことばは、コミュニケーションのツールです。ならば、そのツールを使う場をその子に合わせて構成することなら、今日にでもすぐに取り組めます。

そして、その方法を少しずつ機能的にして、円滑にしていくと同時に、それを使用することのメリットをしっかりと体感させたり、評価したりすることが重要であると考えています。

可能であれば、言語療法士などの先生の指導も受けられたらいいと思います。

でもそれは、できても週にせいぜい1時間。これだけで、大きな改善が図れるとは思えません。

下手でも、わずかでもいいので、文法なんか気にせず、どんどん使え!

こうした形の言語習得法の方が、基本的には大切だと思います。そうした意味でも、生きた子ども集団のかかわりは重要だと考えます。

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昨日、学童保育で、Aちゃんと2年生の男の子が、お互いに相手のこと口汚く罵っていました。

とてもここで載せたくないような、低レベルの言葉です。もちろん、その場で正しい言葉の使い方やお互いの存在を大切にすることなどを、指導しました。

しかし、Aちゃん、1年前にはほとんど発語ありませんでしたから。

お母さんも「汚い言葉ばかり覚えて困る」とおっしゃっていましたが、汚い言葉を直すことは、そりゃ簡単です。

でも、しゃべっているうちに、その汚い言葉の発音がクリアになって、はっきりと聞き取れるじゃあありませんか?

この進歩は何なのでしょうか?

行動面などトラブルも多く、悩みはつきませんが、学び育つということの本質は、こ案外んなことろに見え隠れしているは思いませんか?

なぜなら私は、最も効果があり、最も目指すべき形の教育はインクルージョンの理念に基づいた教育であり、それを自分の言葉で表現するとしたらば

「仲間としてそれぞれの存在を尊重し、共にその成長と幸せを図る教育」

と、思い始めているからです。

子ども集団のパワーこそ、集団のエネルギーこそ、人と人とのかかわりこそ、脳内の運動前野にすばらしい刺激を与え、そのネットワークを作っていく大きな原動力になるに違いないと、私は一人感じているのでありました。



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サーカディアンリズムと子どもの発達

 2008-03-14
今日は,少しお勉強の話。

体内時計とか,生体時計とかいう言葉を聞いたことがある方も多いと思います。

「おなかがすいた,そろそろ3時だ」というやつです。
特殊な場面や特殊な環境を除けば,まあそんなに時間の感覚がずれることはありませんね。
これは,メカニズムとして人間の体に生体時計があるからです。
サーカディアンリズム(概日周期性)とも呼ばれています。

では,どこにあるかというと,目から視床下部(ししょうかぶ)・松果体(しょうかたい)を結ぶラインにあるということです。

視床下部というのは,脳の奥の方で,呼吸とか睡眠とか性行動とかをコントロールしている部分で,松果体というのは,目からいうともうちょっと奥にあって,ホルモンなどを分泌している器官です。

で,1日は24時間なのですが,ヒトの生体リズムは実は,24.58時間で,少しではありますがズレているのだそうです。で,現実の時間に合わせて,体内のリズムは,目からはいる光の刺激を脳がキャッチして調整するということになります。3度の食事も,同調因子といって,生体リズムを調整する働きをしているようです。

では,この体内のリズムが狂うと,どんなことが起こるのでしょうか?それは,その環境を体内が受け入れられなくなることを意味し,要はストレスとなって,やる気が極端に低下したり,度が過ぎれば病院で治療が必要となってしまいます。

子どもの学習を考える場合も,安定した環境作りは重要です。ポイントを押さえて,変える必要のない洗練されたシステム作りも大切です。こうした安定したシステムがあってこそ,子どもの学びの欲求や好奇心をくすぐる知的な刺激が求められるのだと,私は考えています。

IQ値は変動する?

 2008-02-27
知能検査のことで,本当にあった話です。

プライバシーのこともあるので,あまり詳しくは書けませんが,1年で20位指数が向上したケースに直接かかわりました。

それが測定の誤差によるものか,本人の成長によるものか,別の要因によるものかは特定できませんが,知能指数というものは,そんなものです。

「先生の指導のおかげです」と,その子のお父さんが涙目で,感謝の気持ちを伝えてくださった日のことを,昨日のように思い出しますが,同時にそれは,それだけ以前の数値がご家族を苦しめていたことの証ですし,知能検査の脆弱さを露呈したことでもあります。

知能検査は,一時的に,その子のある部分だけを断片的に切り取っただけのものです。

まったく無意味なものとは考えませんが,就学の場面で鬼の首をとったように,知能指数だけを強調する担当者を何人も目にしてきました。

IQという数字にとらわれるのではなく,その子に関わり,その子と歩む担当者になってほしいものです。

心を傷つける知能検査

 2008-02-26
どこの自治体でもそうなのでしょうが,岡山市では,特別支援学級などに入級を希望される場合は,医師の診断書もしくは公的な機関での知能検査の数値が必要となっています。

就学相談の場面でも,学校の先生は言いにくそうな表情は浮かべますが,ほとんどの場合「診断名は?」「IQは?」など,量的なデータで判断される傾向があります。

そして,診断名を聞いた瞬間,IQ値を知った瞬間,本人のようすを知ろうともせず,ガチガチなイメージ固定化されてしまうことは,日常的にいろいろなところで起こっています。

それまで普通に暮らしていたわが子が,チェックリストなりスクリーニングにかけられ,専門機関に行ったとたんに障害児になり,いくら日常の生活の様子を伝えようとしても聞いてもらえず見てもらえず,「あの保護者は,障害を受け入れられない」なんて思われてしまう。何とも悲しい現実です。そんなことはないと思いますが,「診断がついてよかった。よかった」「これで専門家にみてもらえる」「障害児は,自分の担当ではないし・・」て思っているように見えてしまいます。

そしてこのIQの数値が,ななりクセ者です。特に60とか70とかだと,1Pの差で支援が受けられたりそうでなかったり,情緒となったり知的となったり,高校に行けたり行けなかったり,補助金が出たり出なかったり,そんな話,本当によく聞きます。

それに,田中ビネーとWISCも都合によって,上手に使い分けられているように思われます。大学などの講義では,知能検査の限界や功罪について,たくさん教えていただきましたが,口に出して言われることは少ないですが,多くの場面で,子どもや保護者の心を傷つけていることを,担当者はもっとしっかりと認識すべきだと思います。

こうした量的なデータに対して,日々の行動や支援をていねいに記録した質的なデータは,実際の支援に直接結び付く貴重なものですが,相手になかなかすぐに伝わらないのが,欠点です。

わたしの知っているお母さんは,小学校の先生が,保育園にお子さんの様子を見られた時に,「涙が出そうだ」とおっしゃっていました。子どもを見もしないで,数字や紙きれで決めつけられることへの強い抵抗感がそこにはありました。

私は「たとえ誰にどのように思われようと,このことを多くの方に理解していただくことは,自分の責務である」と思っています。

大切な脳の話

 2008-02-21
「発達のことをきちんと学びたい」

こうした思いから,ぼくは,現職教員の身分のままで,岡山大学大学院 教育学研究科に入学させていただくことができました。

今さらゴマをする気はサラサラありませんが,岡山大学の特別支援教育担当の先生方は,本当にすばらしい先生方でした。

脳のことについては,Dr.眞田に,わかりやすく,詳しく,そして丁寧に,時には厳しく教えていただきました。いい年こいて恥ずかしい点もとれないので,試験の時は,何十年ぶりかで,本気でテスト勉強しましたよ(笑)

これからも,眞田先生には,いろいろと教えていただこうと,研究室に押し掛けていくつもりでいますが,その中で,時に心に刻まれた脳の話を紹介させていただこうと思います。

それは,人間が「集団の中で暮したい」という欲求が,脳の機能や構造の面からみると,知性や理性の分野ではなく,本能の分野に近い部分に位置しているということです。

このことは,ぼくの教育観に大きなインパクトを与えました。「集団欲というのは,食欲と同じように,人間の一番基本的な部分に根ざしているものなんだ」そう理解することで,これから進むべき方向に大きな光が見えたような気になりました。

ぼくは,可能な限り,すべての子どもが通常学級に席を置いて,子どものニーズ・保護者の願いに寄り添って,必要に応じて高度な専門的な教育を受けられる環境を用意すべきだと考えています。この考えのベースになっているのもこのことです。

附属の特別支援学校にもアシスタントティーチャーとしてお手伝いをさせていただきましたが,つきあいが苦手なタイプの子はいても,「基本みんな集団の中で活動したいんだなあ」という思いを,活動の度にいつも心の中に刻んでいました。

脳の話は,そりゃわけのわかなない医学用語いっぱいでますから,むずかしいです。でも,脳から人を見ると,いろいろなものが見えてきます。これからも,勉強して,わかりやすくお伝えすることができたらなあと思っていますので,よろしくお願いします。
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