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学校の影響力と責任

 2010-04-07
4月1日の記事 で、この1年に大きく育った3年生のお子さんのことについて、紹介をさせていただきました。

そのお母さんから、昨日メールをいただきました。
ご苦労をされた1年生の時の様子について、お伝えいただきました。

このブログは、学校の先生方もたくさんお読みいただいています。
真摯に子どもの育ちに向き合っていただいている先生方には、このことをぜひ心に留め置いていただきたいと願い、内容を公開させていただこうと思いました。





ずいぶん暖かくなってきたので、衣替えをしようと押し入れを開けたところ、懐かしい物が出てきました。

息子が一年生の頃の状況を記録したものでした。
日付を見ると10月、2学期が始まってしばらくした頃の様子が書かれてありました。

「算数の授業中に離席してしまいました。机の上にはビリビリに破られた教科書とテスト用紙(T_T)」

「授業中によく物を積み上げているそうです。お道具箱、教科書、筆箱…何かに見立てて、その世界に逃避しているようで、先生のお話はまるで聞いていないとのこと」

「今日、ついに先生の腕を噛んでしまいました(`o´)」

また、あまりの変わりように相談をしようと、学校を訪ねた時のことも書かれていました。

「先生のお話によると、8割方授業には参加出来ていないそうです。
『お母さんは、どのくらいの状態に持っていきたいとお考えですか?』との問いに、『クラスのお友達と同じことを、例え5分でも一緒に頑張れるようになってほしいです』と答えました。
それに対する通級担任の言葉は信じられないものでした。『お母さんの願うレベルに持っていくのは相当時間がかかります。そのためには、私達はもっと怒っていこうと思います。』という内容でした。

まるで、怒りたいところを我慢して関わってきたから、好き勝手する子になってしまったと言わんばかりの対応でした。悪いことをしたら、叱ることが必要な場面なら、いくらでも叱って頂いてかまわない…でも、叱る事でしか解決出来ないのでしょうか。校長室で、しばらく絶句してしまいました」

当時の絶望感が蘇ってちょっとつらくなってしまいました。が、同時に、驚くほど成長した今の姿と、支えて下さったたくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

初心を忘れないように、この記録は残しておこうと思いました。






この翌年、この子はすばらしい支援級と交流級の先生に出会い、この子にもご家族にも笑顔が戻りました。

そうでなかったら、一体この子は、どうなっていたのでしょうか?

担任が変わると、子どもはここまで変わるのです。

この事実に対して、教育という営みに対して、学校はもっと重く、深く受け止めていかなければなりません。


とても悲しいことですが、教師の指導力不足が、子どもの発達面の課題にすり替えられてしまうことがあります。

先生の指示に従わない子・離席する子は、みんなAD/HDで、関係機関へ連携? 薬の服用??

そんな子が、翌年、先生が変わると、とたんに生き生きと勉強を始めたりします。
この責任は、どうとっていただけるのでしょうか?


以前にも書きましたが、関係機関との連携は、教育活動にプラスされるべきものであって、どんな診断があろうとも、教育としての責任が軽くなるわけではないのです。

教育のプロ集団は学校であって、医療がそれにとって代わるわけではないのです。


学校という場所は、子どもの命を育てる大切な場所です。

子どもに与える影響力には、はかりしれない物があります。

どうか、そのことを深く心に刻み、責任をもって平素の教育活動に取り組んでいただきたいと願っています。


我が子を、地域の学校で、多くの友達と一緒に学ばせたいのです。

校長も、担任も選べないのです。

家族が学校に足を運ぶのは、真摯な思いがそこにあるからです。

その真摯な思いを行動に移せなくて、どうして親であることができるでしょう?


私の知っているお母さんは、春休みにお姉ちゃんと一緒に、ボランティアで支援級の教室に掃除に行かれたようです。

「ほこりだらけの教室を、ぞうきんが真っ黒になるまで掃除してきました」

こうしたご家族の気持ちが、伝わっているのでしょうか?


教育は、重く、責任のある仕事です。

どうか、ご家族の声に、真剣に耳を傾けていただきたいと、願うばかりです。


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新年度のスタート! 是は是 非は非で学校側と向き合いたい

 2010-04-06
この頃は、入学式や始業式の前に、子どもの支援の方向について、学校側から保護者に説明や提案を行う機会が増えてきました。

私の所にも、これまで何件か、その時の様子についてご報告をいただいています。


たまたまかも知れませんが、この春の異動で新しくその学校に赴任されてきた方が、担任になったということを続けてお聞きしました。

前年度にその学校にいらした先生なら、「ああ、あの先生か」 と、胸をなで下ろすように感じることもありますが、他の学校から初めてこられた先生と聞くと、「本当に、我が子のことを理解してくださるだろうか」 「これまで何度も、学校にお伝えしてきたことが、ちゃんとこの先生にも伝わっているのだろうか」 と、不安な気持ちが胸をよぎるのも、致し方のないことです。


担任決定は、校長の専決事項です。

新しく来られる先生については、校長が前年度に勤務していた学校の校長に電話で詳細にそのプロフィールを尋ねます。

転勤1年目というと、新しく来る先生はその学校の詳細な事情は知りませんから、「先生には何々学級の担任をお願いします」 と聞かされても、「はい、わかりました」 としか言いようがありません。

その1年目で、その先生は、その学校での評価が大きく左右されますから、当然その先生は、いつも以上に頑張らなくてはならない環境になります。

転勤1年目というのは、教員にとっては、勝負の1年でもあるわけです。


このことが、裏目に出るか、そうでないかは、やはりその先生の力量によるところが大きいように思います。

ある意味、抜擢ですから、子どもにとっても、先生にとっても、とても価値のある大切な1年となることも多いようです。


しかし、残念なことに、保護者の抱いていた不安が、現実のものとなってしまうこともあります。

また、最初に会ったときは、エネルギッシュで頼もしく見えた先生が、その年の終わり頃には、とんでもないチャラチャラ先生にしか見えなくなることもあれば、最初は頼りなく思えた先生が、一つずつていねいにていねいに実践を積み上げ、年度の終わりには、子どもも保護者も涙でお別れしなければならないほど、大切な先生になっていることもあります。


こればっかりは、まったくどちらかわかりません。

ならば、ここは先生と手を取り合って、出来る限りの協力をし、子どものために望ましい関係を築いていくスタンスで向き合うべきだと、私は考えます。


しかし、だからといって、すべてのことに目をつぶるというのは、どうかと思います。

不安に思うこと、疑問に思うことは、ちゃんと先生にお尋ねをし、先生の教育的な方針をしっかりとお聞きしていくことは、とても大切なことだと思います。

もちろん、原則、先生を信頼してお任せをするのですが、見るところはきちんと見ておくことが必要ですし、伝えるべきことを、きちんと伝えることも、親として果たさなければならない大切な責務なのです。

これから、一人の人間を育てていく大切な1年が始まるのです。

その道が、単調で、平坦であろうはずがありません。

子を思う熱い気持ちがあるのなら、時には自分の身を投げ打って、前へ進まなくてはならないことだってあるはずです。

まさに、是は是、非は非で、学校に臨まなくてはなりません。


学校には、子どもを育てる最も大切な部分をお任せするのですが、子どもの育ちのすべてを請け負っていただくわけではありません。

子どもの育ちに責任をもつのは、親の仕事です。


心の整理がついたら、子どもの表情を確かめながら、しっかり前を向いて進んでいきましょう。

親がするべきことは、山ほどあります。


親がするべきことがなくなるとき、それが、子どもが自立するときです。

私たちのゴールは、そこにあります。

嘆いてばかりでは、いられないのです。


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就学相談がめざす一つの形

 2009-06-30
先日、ある小学校に就学相談に伺いました。

その小学校への第2回目の訪問です。

ご両親と私、学校側は校長・教務・支援学級の担任の先生が対応してくださいました。前回は、校長・教頭・コーディネーターの先生の対応でした。

前回の相談を受け、校長先生とコーディネーターの先生が、事前に所属している幼稚園へお子さんの様子を実際に見てくださっていました。

ご両親は、今回の訪問にあたり、学校に提出する資料を作成されました。前回はお子さんのプロフィールが中心でしたが、今回は、 「通常学級への在籍を希望します」 としっかりと記入されていました。事前にメールで私宛に送付してくださっていましたので、前日に私が気がついたことをお母さんにお伝えしておきました。

学校にお伺いする当日、事前にいただいた資料は、内容がさらに精査されたものになっており、改めて驚かされました。

校長室に入ると、お父さんは、おだやかな口調で、通常学級への在籍を希望することを先生方に伝えました。先にお母さんが作成された文書を手渡されたものの、語る言葉は、生きたお父さんの思いそのもので、心にしみわたっていくような内容でした。

お父さんの言葉を受け、校長先生は、校長としての考えや学校の現状、今後の方向などについて説明をされました。


校長先生が、この地域で行われる就学相談を受ける気はあるかと、ご両親に尋ねられました。

間髪入れずそのお母さんは、通常学級在籍希望の立場で、就学相談に併せて行われる 「就学判定」 にどんな意味があるのでしょうか、と切り替えされました。

この一言で、これまでどれだけこのお母さんが、地域の就学に対して勉強をされてきたが伺い知れます。


校長先生は、幼稚園でのお子さんをご覧になってのエピソードを紹介してくださいました。

校長自らがすぐに幼稚園に出かけ、実際の子どもの様子をご覧いただいたことだけですばらしいことなのですが、わずか半日の訪問で、子どものようすをシャープな視点で捉え、幼稚園でのようすをあざやかに示す力量に、我々の信頼度が大きく高まっていくのを感じました。

また、いたずらに迎合したり調子がよいと言うのではなく、学校経営の最高責任者としての立場、そして一人の教育者としての子どもの向き合い方や見識、その教育への理念や情熱に至るまで、まさに尊敬に値する方だと思いました。

この校長先生のご指導なら、通常学級に在籍することに対する課題点に、より一層明確に向き合えるのではないかと感じました。


学校を後にする道すがら、ご両親にそのことをお伝えすると、ご両親もやはり同じような気持ちをもっておられました。

「このチームなら、私の果たすべき役割も一層明確になる。すべては子どもの最善の利益のために」
私は、そう感じました。

前日、私はそのご家庭に2時間もおじゃまして、そのご両親がチョイスされた発達にかかわる本を、片っ端から拝見させていただきました。その子の特性にかかわる内容を揃えているという観点からも、とても参考になりました。

いくつかの本は、早速アマゾンで注文をさせていただきました。

2時間ご家庭におじゃまさせていただくと、お子さんの日常の言語やコミュニケーション、行動の様子を一層立体的にとらえることができました。そして、何よりも私の気持ちや構えも、水がしみわたるようにお子さんに伝わっていくように感じました。


私には、小学校ではずむその子の声が聞こえてくるようでした。

理論と言うことではなく、大切なことが、たくさん見えてきた1日となりました。


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真剣に向き合うからこそ対立する場面 そしてこみ上げる涙と熱い思い

 2009-02-26
先日、私の本年度の、保・幼・小・中、各学校・園への特別支援教育巡回相談が終了いたしました。

その時にお伺いした保育園は、前回は11月に伺い、今回が二度目の訪問になります。


10名近い子どもの相談を伺いました。

私は、相談員としてはまだまだ駆け出しですし、自分勝手なことをやっている不良相談員だと思っています。

教育委員会の嘱託職員という立場ですから、ある程度は指導的な役割を期待されているのですが、私はとにかく 「子どもの最善の利益」 を最優先にする相談を行いたい。 全力でその形を示して、それで成果を上げなければ、もっと適任の方に道を譲ればよいと考えています。

近々、クビになっちゃうかも知れませんね(笑)


年に数回の指導で子どもの利益につながるつながる相談とは?

私のたどりついた結論は、短所矯正型の相談ではなく、長所活用型の相談。

つまり、相談をお伺いする中で、それぞれの先生方の持ち味や考え方を、子どもの育ちにどう生かしていくか。 その内容を先生方自身が整理したり、確認したりして、自分の目指す方向をみつめ、やる気と元気を与えること。

それが子どもの利益につながることだし、私の仕事であると、割り切りました。


昨日は、3クラスの相談を承りました。

11月から、子どもたちがどう変化しているか、楽しみでもあり、不安でもありました。


園長先生の方から、9名の子どもたちについて、「前回私がお伝えしたこと」 「それを受けて先生方が工夫されたこと」 「子どもの変容や課題」 を個別に整理した資料をいただきました。

午前中、小さいクラスから活動の様子を拝見させていただきましたが、正直、驚きの連続です。

もちろん、短所矯正の視点で、細かい課題を見つければいくつもあるのでしょうが、そんなみみっちい気分にはとてもなれません。 先生方の表情が、見違えるほど生き生きしており、子どもも自然な姿で活動を楽しんでいるように見えます。


3つのクラスの先生、それぞれにアプローチが違っていて、それも大変勉強になりました。

一番小さいクラスの先生は、家庭支援、保護者へのアプローチがとても得意なタイプの先生でした。 さすが日々保護者の方と上手にコミュニケートできているだけあって、相談を通して保護者支援のキモについて、実践レベルのかなり濃い内容を整理することができました。

わずか3ヶ月で、一人の子の衝動性、もう一人の子の表出言語に大きな改善が見られており、私は信じられないような気持ちで、先生方の実践を聞かせていただきました。


真ん中のクラスの先生は、若い先生でいたが、とても素直に私のアドバイスを取り入れてくださったようです。 対象となっていた2人の子どもと、コミュニケーションルートがしっかりとつながり、子どもは前回と別人のようになっていました。 もう一人の子には、何らかの専門的なアプローチの場があればよいなと思いましたので、お話を伺いながら、出来る出来ないでなく、今後保育士としてどこを目指して進んでいくか、その方向性をいっしょに考えていきました。 その表情から、何か一本つかんだな、という期待感をもつことができました。


一番大きいクラスの先生は、人間性・力量共にきっとこの地域で指導的な役割を果たしていらっしゃる先生とお見受けしました。

前回は、所用でお会いすることが出来ず、もう一人の若い先生に相談を伺っていました。

この若い先生は、新年度より正式採用となる新進気鋭の先生で、ベテランの先生の指導のもと、前回以上にメキメキと力を付けておられました。 子どもの変容にも驚きましたが、この先生の表情や指導の所作に磨きがかかっていたことにも、大変驚きました。


実は、このクラスには大変厳しい状況、厳しい課題を、前回の相談の時に伺っていました。

その後あることをきっかけに、そうした状況が大きく改善され、保育の内容に活気と方向感がみなぎるようになったということでした。

しかし、その先生の心には大きな痛みが残されていました。


現場の第一線で仕事をしていると、時としてこうした大きな痛みを伴う場面に出会ってしまいます。

そういう私自身も、何度か似たような場面に遭遇した経験があります。

適当に流せば、それほど痛みを伴うことがないと分かっていても、どうしてもそこだけは譲ることのできない 命のひだ みたいなところがあるわけです。


私にも、そういう部分はあります。

そこに目をつぶるようになったら、私はもう子どもの前に立ち、真実を語ることができないと思っています。

そこで誰かと対立してボロボロになったけど、多くのものを失ったけれども、それでも今日までそこを守り抜いてこれたから、私は胸を張って子どもの前に立てる、そういう部分があるわけです。

これは、何も先生だけでなく、ご家族の皆さんにも同じような場面があったのではないかと思います。


お子さんの育ちに大きな影響を与えるような重要な場面では、こうしたことが起こることは、ある意味、やむを得ないことであると、私は考えています。

なぜならば、真剣に向かい合わなければどうしようもないような問題そのものが、頑としてそこに横たわっているからです。

それは、まあまあといって、中間を取るようなことのできない、本当にシビアな場面に他ならないからです。


しかし、貫き通したように見えても、実はズタズタに痛んだ自分と、言いようのない深い思いを噛みしめる自分が、同時にそこにいるのです。

こうした命を削るような営みを必要とする場面に、心ある人は、何度も何度も立ち向かっているわけです。

これは、保護者も指導者も同じ事です。


来年新採用を迎える若い保育士さんの前で、私とこの先生との間で、その厳しい課題にかかわる保育観・教育観・指導内容の精査について、時間ギリギリまで全力の意見交換をすることができました。

本当に勉強になったし、臨床現場の第一線で活躍される先生の、命の機微に触れることができました。

私にも、その先生にも、目に熱いものが何度も何度もこみ上げてきました。


本年度の巡回相談の、最後の日の最後の相談。

この仕事を引き受けて、本当によかったと思っています。


命を削るご家族と指導者のもとで、育つ子ども

日本の教育の魂は、まだまだ死んでいない

私はそう感じることができたのでした。


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甘くなかった 学校・園への具体的要望 (こんなことで 負けちゃいられない!)

 2008-12-19
月曜日に友里ママの代理人として、意気揚々として学校側との交渉を終えたSHINOBU先生 (その様子は、12月16日の記事 をご覧下さい)


しかしその後、 「やっぱり甘くなかったな・・」 と、がっくり肩を落とすような展開となってしまいました。

どういう事が起こったかと言うと、学校というのは組織であって、いちいち全部の人にわかってもらうというのは、至難の業となってしまう、ということです。

もっと言えば、いくら心を込めてお願いし、そのことについて管理職が理解を示してくれたとしても、その温度は、実際の担当者には伝わらない、ということです。

友里ママ、担当の方との直接の話し合いで、どっと疲れた表情で帰ってきました・・

管理職との話し合いは、何だったのでしょう?

まさに総論OK、各論アウトの構造です。

この辺、マドンナさんが以前、よく伝えてくださっていました。


これはしわい問題ですね。

筋を通すには、まず管理職の理解が不可欠です。

しかし、学校という組織では、スタッフ全員が管理職と一枚岩ではないのです。
(管理する側とされる側、  ひどいときには組合と行政、みたいに対立していることもあります)


うちの保育園は認可保育園ではありますが、私立保育園ですので、こういうことは起こりにくいです。

とくに園長(私の奥さんです)は、保育士の時からのたたき上げですので、こういうことについては、何があっても、一歩たりとも譲らないと思います。 そこの覚悟は違います。

公立の場合は、校長といっても雇われの身分ですので、5年もすればいなくなっちゃいます。10年もすれば、職員全とっかえです。

何かやりくってしまえば、転勤したり、降格して、はいさようなら~です。


しかし、私立はそうは行きません。

どこにも逃げることも、隠れることもできません。

何かあれば、私財を含め、全財産投げ打って、経営者が責任をとります。

結果についても、園長が全責任を背負って、日々の保育にあたっています。

ここの覚悟は、申し訳ありませんが、比べものになりません。

ですから、園長の命令には絶対服従です。 そうでない職員の来年度の席はありえません。

人事権も、予算権も、内容も、園長が全責任を背負って行いますから、思い切った改革も即座に実行することが可能です。


でも、公立では、いくらすばらしい企画があっても、それが実行可能な範囲は、相当制限されています。 いくらすばらしい人材がいても、それが個人プレーとみなされれば、組織からははじかれてしまます。 管理側の言うことを聞いているうちは可愛がられますが、そうでないと見なされると、一気に冷たい待遇です。

良くも悪くも、これが、行政組織のメカニズムです。


ここの狭間に保護者が入り込んでしまうと、まったく不幸な構図になっちゃいます。

子どものお願いに、管理職と職員の関係性の問題がからんでくると、いっそう何のことかわからなくなります。

ものすごいエネルギーを使ってやっとここまで来たのに、どっと疲れが出ちゃいます。

どうしたもんでしょうかね~

友里ママと、また作戦練り直さなければなりませんね。

それならそれで、考えていかなくては・・

やっぱり人任せでは、うまくいかない。 すべて、こっちで考えて提案するくらいでないと、具体的な、実効的な改善には結びつきませんね。

いい勉強させていただきました。


こういう例は、全国で山ほどあるでしょう。

わかってもらえない事例、がっくり来た事例、涙がこぼれた事例、くやしかった事例、ご苦労された事例、死にたくなってしまった事例、山ほどあるでしょう。 

ぜひお聞かせ下さい!


子どものために、鬼母になったり、分からず屋のレッテル貼られたりしても、あえて弁解もせず、耐えて、忍んで、それと引き替えに、子どものコマを一歩を前に進められた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そんなことさえ、誰にも理解されず苦しんで来た方もいらっしゃるのではありませんか?


何も出来ないかも知れないけど、私、そのことを理解することだけはできます。

そういうことが、私に与えられた一つの役割だと思っています。

絶対、負けてなんかいられませんよ。 何と言われようと、引き下がってなんかいられないじゃありませんか。 それもこれも、すべては子どものため、  そのためだったら、どんなことにも耐えてみせる・・  それが母たる証であったはずです。 

ぜひ、これからも、子どものために、一緒に歩んでいきましょう。

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SHINOBU先生、単騎で小学校に乗り込む!? (学校・園との具体的な連携と 保護者サポート)

 2008-12-16
いろいろな経過から、昨日、友里ちゃんの学校へ、校長先生と教頭先生のお話を伺いに行くことになりました。

友里ママの代理人と言えば、少し大げさな感じになりますが、一人のキーパーソンとして友里ママの思いを代弁し、学校側の提案を伺い、保護者側に立った専門家として、具体的なレベルの望ましい支援のあり方を詰める、という、もしかしたら画期的な交渉だったのかも知れません。


初めに、校長先生から、学校側の基本的な考えを伺いました。

私が今回、この役割を引き受けた背景には、この校長と教頭なら、きっと建設的な話し合いになる、という期待と見通しがあったからです。

校長は、教頭を通じて、私のプロフィールについても、ある程度理解しているようでした。 

具体的な提案などについては、教頭と詰めてほしい、と前置きをして、校長としての基本的な姿勢についての話を伺いました。 私としては、直接校長に具体レベルで伝えたいことが山ほどありましたが、それは教頭へ、ということでしたので、何度も喉まで出かかった言葉を飲み込んで、校長の思いを受け止めました。 

校長と直接話す時間が少なかったのは不本意な事でしたが、短い中にも、私としては、とても前向きな姿勢を感じることができました。

教頭は、旧来の知人ですし、発達への理解や力量、人間性共に水準以上の方ということは百も承知していました、即、具体的・専門的な中身の詰め入りました。


今回の学校からの提案は、主に次の4つ

① 保護者との緊密な連携を図るための具体的な方法について

② 学級での支援・配慮の具体的な方法について

③ 健康面についての具体的な方法について

④ 日常生活の具体的な配慮について


①の保護者連携については、私は以下のような内容を、学校にお願いしました。

連携というのは、主体者としての学校教育の方向性を明確に示した上での連携にしてほしい。そこを明確にしていないと、ともすれば学校であったことをすべて保護者に伝え、じゃあどうしましょうか?と、本来学校ですべき内容までも、保護者に負担をかけるようになり、結果としてうまく行かない。学校としての最大の専門性は、集団の中で子どもを育てるという営みなのだから、学級経営のビジョンを示し、その具体策の中で、学校では子どもがこう育っている、今の課題点はこうだ、だから家庭では、こんな役割を分担していただきたいがどうか、という形にしてほしい。それがなければ、こんなjことがありました、あんなことがありました、じゃあどうしましょうか? になってしまいがちである。私は、なんでもかんでも混ぜご飯は、望ましい連携とは思わない。役割を明確にして、手をつなぐことが連携であると考えている。最低限伝えなければならないことも当然あるので、連絡ノートの件は、私の方からも保護者に協力をお願いするが、目的を明確にしていないと、何のための連絡ノートかわからなくなるので、ご配慮をお願いしたい。

と、まあ、こんな調子で①~④の内容について、具体的な話の詰めを行いました。

どの内容も、すでに担当者でかなり詰めた内容なので、最後の磨きを、教頭先生といっしょに行ったという感じです。

正直、私はこの段階では、十分に合格点だ、胸を張って友里ママに報告とお願いができる、と思っていました。


私はこれまで、何回となく友里ママとは相談を伺っています。 

どれだけ、友里ママが深い愛情をもち、努力をされ、今の友里ちゃんを支えてきたか、理解していると同時に、絶望の淵で苦しまれ、そこからはい上がるようにして今があることも知っています。

また、その力量と決心と覚悟の深さ、気持ちの強さが一級品なのも知っています。


話合いは1時間足らずで、実に機能的に進められました。

話合いの最後に、私は教頭先生に、 「きっと、私の出番は、今後はさほどないと思いますよ、あのお母さんは一級品ですから・・」 と伝えて会議室を出ました。


大好きな博多ラーメンを食べた後、すぐに私は友里ママに電話で内容をお伝えしました。 すると程なく友里ママから、以下のようなメールがとどきました。




今日は、本当にありがとうございました。

早速、教頭先生にお礼の電話をさせていただきました。木曜日に担当の先生と具体的なお話をさせていただけることになり、教頭先生は「冬休み中にしっかりまとめて三学期からすぐスタートできるようにしましょう!」とおっしゃってくださり・・・あまりに早い対応に驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。

これもSHINOBU先生の応援のおかげですね!SHINOBU先生にも感謝の気持ちでいっぱいです・・・いつもいつもですが(笑)

今回たくさんご迷惑をおかけしましたが、このSHINOBU先生がサポートしてくださった事を忘れず無駄にしないよう・・・これからは友里の為にどんどん進んでいこうと思います。




さすが友里ママ、ここも期待通り!

私はこの日(月曜日)は、本当はお休みの日なんだけど、もう何週間もお休みなんてとっていません。 でもね、家でゴロゴロしているより、よっぽど楽しんですよ、こういうことが!


このケースから見えるものは、人によって様々だと思います。

ただ、ほんのちょっとのアシストで、友里ママが生き返ったようになったことを、担当者は深く受け止めていくべきだと私は思います。

当たり前の、ほんのわずかなサポートですら受けられず、苦しんでいる保護者がたくさんいるのです。

こうした現実を、我々はいつも、心に刻んでおかなければならないのだと考えています。

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学校・園との話し合いの中から、具体策を作り出すためには・・

 2008-12-11
学校との話し合いの中から、具体的策を作り出していくこと・・

並大抵のご苦労ではありませんね。 元教員の私でも、サポートしているお子さんのことで、ちょっとお手伝いさせていただいただけで、ものすごい疲労感です・・

我が子のことで、ご家族が学校と交渉されるとなると、如何ばかりか、想像に難くありません。


うちの保護者の掲示板に、たくや君のお母さんが、下記のようなアドバイスを書き込んでくださいました。




学校との「具体的な支援」は、私の場合 自分の子どもの状態に似た支援例を書籍などからコピーして 先生に渡したことがあります。

「学校、担任との話し合い」にも、あらかじめ話し合いたい内容の参考になる新聞や本のコピー、今までの経過、子どもが困っていることの具体的な内容、その支援に対しての具体例などを、資料としてまとめ話し合いの前に学校へ渡しました。

資料を作ることは、大変な作業ですが、それまで何度話し合いをしても、前にすすまなかったことが、あっさりまとまった経験もあります。

学校、先生側も、話し合いの時間のなかでは、答えが出しにくい場合もあるでしょうし、私はその場で答えを求めてしまいます、あらかじめ問題を投げ掛けておいて、考えてもらう時間も必要と考えて、私はこのような方法をとりました。




実体験を通してのコメントですので、大変参考になります。 さすがは、うちの教室の保護者の方です。 なるほど、こんな工夫が生きる場面も多いかも知れません。

一人一人お子さんは、特性や困り感の程度も違えば、教育の主体者としての学校側のリソースも全く違います。

ですから、「この子のために、みんなで協力してがんばりましょう~」 の段階では良い感じでも、具体の部分を形で示す作になると、とたんにそれは至難の業となってきます。

これは、本来は学校の仕事です。

マドンナさん、双子の母さん、ごまたろうさんなどのように、保護者の方の超人的なご努力ななくてはできないというのでは、とても本来のあるべき姿とは言えません。

ここは整理しなければいけませんね。

うちの教室の保護者掲示板にも、学校との交渉にかかわる生の声をいろいろと書き込んでいただいています。

特別支援教育が様々な意味で具体化の時期にさしかかっているのは事実です。

このブログを読んでくださっっている皆さんと共に、学校と保護者とのパートナーシップ、あるいは学校・園とが向き合う形について、具体的な実践を通してのモデルを創り上げていくことも、私たちの大切な役割の一つなのかも知れません。

私は、私なりの考えやビジョンをもっています。

それをこれから、具体的な子どもの事例を通して、学校の先生、保護者の皆さん方と一緒に創り上げていくことができればな、思っています。

うちの教室に来られているお子さんのことでも、いろいろな動きがあります。

ブログを読んでくださっている皆さんにも、コメントなどを通して、積極的に情報やご意見をお寄せいただければと考えています。

どうぞよろしくお願いします。

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検査等で 本当の姿を見せない子ども (数値が出なかった 本当の理由とは?)

 2008-12-08
土曜日の晩に、来年就学を控えた女の子の、就学についての相談を伺いました。

私の時間的な都合に合わせくださり、遅い時刻にもかかわらず、車で1時間以上かかる地域から、わざわざ来ていただきました。

内容は、 「親としては、地域の特別支援学級への就学を希望しているが、就学相談では養護学校(特別支援学級)を勧められ、親としてどう判断したらよいか、アドバイスをいただきたい」 という内容のものでした。


その女の子は、教室に入ってくると、早速いきなり始まってしまいました。 

いわゆる子どものお試し行動です。

少しの間もじっといすに座っていることができず、ぐねぐね動き回るわ、ぐずぐずわけのわからない奇声をあげるわ、おまけに最後には、テーブルの上に寝転がって、手足をバタバタさせるようになりました。


こりゃ、行動障害級だ、さすがに特別支援学級は無理なのでは? と正直、思いました。

めちゃくちゃ行動で、自分の目の前にいるおじさんの値段付けをしています。

さすがの私も、「お母さん、もっとこの子の事、わかってあげて! 」 という言葉が、のどの先まで出かかりました。


しかし、お母さんの話を聞けば聞くほど、どうもそうではないらしい、とてもお母さんがウソをついているようには思えなくなりました。


>児童相談所に相談に行った時も、こうだったんです。

>どれ位の数値が出たんですか?

>確か20いくつ、 重度の診断もらっちゃいました(笑)

>いつもこうなんですか?

>いえいえ、家ではわりと普通の子です。 こんな風になって、今、正直驚いています。勉強も好きだし、言うこともちゃんと聞いてくれます。 ひらがなにも興味を持ち始めました?

>えっ、そうなんですか?  じゃあちょっと待ってください。


私は、教材を保管してある書庫の中から、 「おしゃべりアンパンマン あいうえおで あそぼう」 を、その女の子に与えました。


そこから、いっぺんに女の子の様子が変わりました。

まず、机の上に寝そべるのは止め、着席行動がキープできるようになりました。

次に言語によるコミュニケーションもとれるようになりました。

また、標識・おかしやクスリのパッケージ・マークなど視覚系の入力に優位性があることも明らかになってきました。

また、おかしが大好きなようで、これならABAの強化子として、この教室であればその事も有効に活用できるのではないか、という見通しも持てるようになりました。


さっきまでは行動障害かと思っていたのに、もうこの時点で、私にはムラムラとこの子の指導に対するモチベーションが上がってきています。

「アンパンマン」 「しょくぱんまん」 「はみがきまん」「太田胃散」「これ何?」

しまいには、幼児用の指導コーナーにちゃっかり着席して、私の与えたクスリやお菓子のパッケージでおりこうさんに遊べるようになりました。


>家では、ほとんど困らないのですが、保育園では、小学校の特別支援学級では他の子に迷惑がかかるとまで言われました。

>就学時の健康診断の時は、暴れなかったが、養護学校へ行ったときは拒否的な態度だった・・

>児童相談所に検査に行ったときも、めちゃくちゃな状態だったので、それこそ測定不能→重度の診断が下され、その書類に添った内容で就学指導・相談が進められるので、誰もわかってくれない・・

>やっと、わかってくれる人に巡り会えたかも知れない・・・


ぜひ、先生に指導をお願いしたい・・ と言って、お母さんは申込書を持って帰られました。

帰る時に、その女の子は、バイバイと手を振り、おりこうにいっしょにお片付けをして帰りました。

そこにはもう、あのとんぎった三角のまなざしはありませんでした。


月曜日にはまた、就学指導委員会を交えての話合いがあるそうです。

就学にかかわる流れが、どういう形になるかは、わかりません。

ただ、この子の心の扉を開く、学校の先生との出会いがあることを、強く願っています。


IQ20?

良い機会です。

検査は断片的なプロフィールを示すものであって、可能性を限定するものではないということを、私は実践を通して、世に問うてみたいと思います。


>あれ、買って!

>お金がないのよ

>じゃあ銀行、行って!


お母さんとのこんなやりとりも、あったようです。  ここに可能性を感じない人っているのでしょうか?


どうして検査では、めちゃくちゃになったか?

家では従える指示に、どうして保育園では従うことができなかったのか?

そのことの精査を、ぜひ、関係機関の方は行っていただきたいと思うのであります。

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子どもの育ちと学びのリソース (就学に向けて上手に資源を活用していく姿勢)

 2008-10-07
来年度入学・進学を控えたご家庭では、就学のことについて、かなり具体的な段階に差し掛かっていることだと思います。

きのうカナダ出身の英語の先生と、少し日本の教育システムのことについて立ち話をする機会がありました。

私の英語力はビギナーレベルなので、もしかしたら大きな勘違いをしているかもしれませんが、こと特殊教育の分野については、カナダと比べてもかなり遅れているような気がしました。

子どものニーズにあったプログラムを実施できる機関を見つけるのは、容易なことではありません。

志をもってアメリカに行き、大学院でABAを学んで帰っても、日本の教育現場で受け入れられない人もいるんです、と伝えたら、それはわかる、と彼は答えていました。


私は公立小学校に長くいましたし、日本の初等教育に誇りをもっていましたが、確かに柔軟性という点からは、どうかなと思う面が山ほどありました。

既定路線を充実していくのにはよいですが、変革には向かない構造になっています。

予算・人事など、校長の権限も限定的です。 


私の保育園は、私立認可保育園ですが、その辺はかなり思い切ったことができます。

例えば、先ほどのカナダの先生も、毎週月曜日には、半日子どもたちのレッスンに来てくれます。毎回、プロとしてのすばらしいレッスンをしてくれます。公立の小学校の時には、英語教育の推進という割りには、ネイティブの先生はたまに来る程度でした。

我が保育園のウリである音体指導は、これぞと思う先生を定期的に大阪から岡山まで呼んで、子どもそして先生もみっちり指導を受けます。

硬筆やプール指導も、専任の外部講師を招いて指導を受けます。


地域の公立小学校の校長先生が来たとき、「どこにそんなお金があるのですか?」と質問されましたが、答えは簡単です。

例えば、公立で30人の職員がする内容の仕事があったら、それを全職員で分担し、効率化・システム化を図れば29人の職員ですることは可能です。

とすれば、年間何百万円というコストが削減できます。 それだけあったら、外部講師を招いても十分採算がとれるし、何よりも、経営の命である保育の質の向上に、有効に活用できます。 こうした外部資源を利用することで、結果的には、職員の連携や士気の向上→レベルアップという目に見えない効果も生まれます。

しかし、公立小学校の校長が、こういう事をするのは、構造的にかなりむずかしいのではないでしょうか?


昨日、親しくしているお墓屋さんにいろいろお話を伺いました。 人の弱みにつけ込んだ霊感悪徳業者のリアルな事実を聞きました。(このお墓屋さんは優良石材店です)

特別支援業界にも、すこしずつではありますが、民間も参入してきました。

先日ミカさんから、交通費を数家族で負担して、東京から北海道に指導に来る言語聴覚士の先生の先生の情報を教えてもらいましたが、こういう工夫もあります。

逆に、大きい声では言えませんが、どう考えても悪徳っぽい先生の情報も耳に入ってきます。


当然、時間的・経済的な制約があります。

限られた中で、公立以外の教育的なリソース(資源)はないか、もう一度調べてみることも大切ではないでしょうか? 大学の附属の発達支援センターなどもあるかも知れません。

一般の小学校ではできない、自分の子にあった価値のあるサービスを提供している所があるかも知れません。

それによって、就学自体のあり方が、大きく変わった事例もあるわけです。

悪徳業者にだまされてはいけませんが、さまざまな可能性を探ることも、就学にかかわる保護者の自己決定の、ひとつの重要な要素になると思います。



早期に就学先の先生と連携することのメリット

 2008-08-28
昨日は、保育園の参観日でした。

5歳児組のお子さんに、小学校の特別支援学級への入級を希望されている保護者の方がいらしたので、今回はかなり早くから小学校とのコンタクトをとりました。

5月には、お母さんと一緒に、小学校の校長先生にご挨拶。

その後すぐに、その子とお母さんとで、特別支援学級の先生と簡単なケース会、特別支援学級の就学にかかわる検査も夏前に終え、今回、特別支援学級の先生・コーディネーターの先生3名の来園となりました。

この時期に、直接指導にあたる特別支援学級の先生が、保育園に来て、その子の育ちの姿を生で見ていただくことには、いくつかの大きなメリットが考えられます。

まず、書類の前に、ありのままの子どもの姿や成長を受け入れてもらえる。

保育園でどのような保育をしてきたか、肌で感じ取ってもらええる。

保護者の方と小学校の先生方との信頼感が、格段に向上する。

保育園として、当該小学校への入学に向けての、事前指導を具体的に進めることができる。

小学校側としても、事前に子ども理解のための生きた情報を得られることによって、人事面も含め、しっかりとした準備・体制のもとに受け入れることができ、望ましい小学校のスタートを切ることができる。

今回来られた3名の小学校の先生は、本当に感じの良いすばらしい先生方でした。

でなけきゃ、なかなかこんなにスムーズには行きません。 いい感じです。

しかし、就学の決定において大切なのは、場所よりも、具体的な就学後にどのような教育が展開されていくか、その中身です。この子の場合、安全面での配慮が課題となっているため、保護者の方の希望が、具体的にどんな形で反映されるか、そこが大きなポイントとなっていきます。

これは、受ける小学校と保護者のご希望との関係が中心なりますが、保育園として果たすべき役割も、当然のことながら大切だと考えています。

これからも、そこに着目しながら、なすべき役割について、真心を込めてサポートしていきたいと考えています。

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子どもの自己決定(進路・就労・結婚・独立) そして家族の支え

 2008-06-18
私はこれまで、何度か、発達の課題のあるお子さんの就学について、ご家族のみなさんといっしょに取り組ませていただきました。

はじめは、何とか自分の専門性をお役に立てたいという気持ちが先行していました。

でも今は、ご家族にとって納得のいく望ましい決定ができるよう、アシストさせていただく、最新の地域情報・これまでの事例・お子さんの発達の経過・就学希望先の現状など、最低限判断に必要な情報を整理して、提供する、時にはお気持ちを受けとめ、共感し、望ましい判断のための条件作りに努める・・・このようにさせていただいています。

しかし、決定の主体者は、あくまで子どもとその保護者

そして、もしご希望であれば、かかわった一員として、その責任の一部を共有させていただく、というスタンスをとっています。

なぜ、こう変わったか?

それは、決定の内容もさることながら、決定に至る過程で、そのご家族自体が進化・成長され、かけがえのない大切なことを次々と吸収されている姿を拝見させていただいたからです。

つまり、どこの小学校を選択したか、という決定そのもより、その小学校でどんな教育が行われるかその内容の方が大切であり、そのためには、ご家族の教育にかかわる問題解決能力の成長こそが重要である、と考えるようになったからです。

言い換えれば、就学の第一の主体者は、子どもとそのご家族であり、主体者としての責任と尊厳を有している。しかし、自己決定だから、何をしてもよいということではなくて、ご家族は、その子と家族を取り巻く環境の中で総合的に最終決断をなされたのであるから、例えば保育園・児童相談所・療育機関・地域の方など、かかわりのある周囲の者も、必然的に一定の責任を共有する、と考えるようになったからです。

このことは、お子さんの将来の、様々な決定にかかわる場面でも、同じ事が言えるのではないかと考えています。

たとえ、どんなに発達の課題が重いものであっても、お子さんの人としての尊厳には何ら変わりはありません。

社会的な地位が高かったり、お金持ちであったり、博士号をもっていたり、世界新記録を出したり、誰もがうらやむ美貌があったり、お笑いの才能があったり、人気者であったり、異性にもてたり・・・評価の尺度は、いろいろあります。

でも、人間的な尊厳、人としての誇り、という面からすれば、イチロー選手も、私も、いっしょです。(笑)

私だって、大切なお父さんです。家族にとっては、かけがえのない一員です。それでいいんです。何もそこに社会的な尺度とか、経済的な尺度とか、芸術的な尺度とかを持ち込む必要は、何もないわけです。

こうした人としての尊厳・セルフエスティームを培うことは、とても重要なことであると考えます。

誰だって、自分が嫌になったり・みじめになったり・自信を失ったりするときはあります。

でも、ともすれば不利な状況に置かれがち場合は、苦しいけれども、逆に少々無理をしてでも、「そうじゃないんだ」と自分を奮い立たせる努力・研鑽・覚悟は大切になると思います。

こうした自尊感情を育てることも、親の大切な役割ではないでしょうか?自分を責めてばかりいても、ちっとも前へは進みませんよ。

子どもといえども、一人の大切な人格者、というとらえがあってこそ、子どもの自己決定が有効に働きます。

子どもが自分の将来に関して、子ども自身が望ましい選択が出来るように、あらゆる方向からのサポートが考えられます。

選択のための情報収集や決定のためのサポート、自分をコントロールしていくためのサポート、前向きな気持ちや態度などのサポート、自己理解・自己実現のためのサポートなど様々な観点があります。

一言で言うなら、夢や希望や生きがいをもっていきるためのサポートです。

リスクや可能性は、だれにだってあります。ならば失敗や不安などネガティブな面ばかりに目を向けるのではなく、ちょっとだけ、先を見たって、夢を見たって、バチは当たりませんよ。

どこかの機関に行って「あなたのお子さんは数値がこれくらいなので、将来はここまではできるけど、この辺が限界です」みたいなこと、言われたことは、ありませんか?そんな時、どんな気持ちになりましたか?

それは、「あなた方の力では甲子園は無理だから、練習しても無駄ですよ」というようなものですよね。

私はそれは違うと思います。どんな弱小チームだって、可能性はあります。それがわずかであっても、「0」では無いはずです。

ならば、ゲームセットの瞬間まで、可能性が「0」になるそのときまで、ベストを尽くすべきではないでしょうか?

たとえ1回戦で敗れたとしても、コールド負けしたとしても、同じ高校球児として堂々と胸を張ればいい。最初から無理だと、あきらめる奴なんかと、決して比べることはできない、尊くも美しい姿がそこにあると、私は思うのです。

そして、結果もさることながら、その過程で子どもは育つのです。ベストを尽くして負けたチームなら、50年後まで、チームの同窓会ができているかも知れません。甲子園に出られなくても、人生の場外ホームランかっとばしています。どちらが尊いかは、わかりませんよね。

今日は、完全に話が脱線しましたね(笑)

でも、言いたいことは、主体者は子ども、そのためには自己決定の場を、親はサポート、責任は共有、結果は大切、育ちはもっと大切、子どもの自己肯定感を育む努力と研鑽を・・

と言うことでした。  果たして、伝わったかしら・・・?



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通常学級において、発達課題のあるお子さんに対する、ケアの方向性とは?

 2008-05-24
私はこれまで何人かのお子さんの就学支援にかかわってきました。

そのうちの、何人かは特別支援学級を、そして何人かは通常学級を選択されました。

それぞれのケースで、個々の特性や経過、地域や学校の状況も違いますから、お子さんの教育的なニーズという観点からも、それは当然のことだと思っています。

しかし、学校側の受け止め方はひと味違います。

結果として保護者の方が特別支援学級を選択された場合は、「SHINOBU先生のサポートのおかげで、お子さんにとっても保護者の方にとっても、よい結果に結びついた。ありがとうございました。」と、ほとんどの場合、こう来ます。

で、その逆に、通常学級を選択した場合には、「これからも、保護者の方に理解していただけるようにご協力をいただきたい」と、こう来ます。

このことを、みなさんは、どうお感じになりますか?


昨日、このブログに唯一リンクをさせていただいているマドンナさんから、以下のような書き込みをいただきました。

   ------------------------------------

SHINOBU先生 すっかりご無沙汰しています(汗)。

早期発見・早期療育は 私はとても必要だと思っています。早期療育はだいたい6歳前までのことで、6歳半に療育をはじめた息子は・・・早期療育ができていたら、いまは違った人生を歩んでいたに違いない。。。と思っています。

小さい頃は、振り分ける必要があるのだろうか?と私も思います。
普通にみんなと遊ぶ中でわかることもたくさんあります。でも「ただノーケアでつっこむ=統合教育」では いけないと思っています。
そこに 理解者+支援者がいることが大切で、コーディネートすることの大切さを感じます。
そして、保護者は 幼稚園の先生で指導の仕方を学んでいる先生や 専門の知識のある先生のもとで「早期療育」を家庭にも取り入れて頂きたいと思います。家庭での療育は 毎日の5分から10分で できることの繰り返しです。

米国では「専門家に任せて療育するのが良い。母親は指導しない方が良い」とされた時期もありましたが、現在では「母親が関わって療育をする効果の高さ」が評価されてきているとも聞いています。

療育・教育には いろんな考え方があります。子どもの人生を「選択」するのは「親」なのだということを忘れずにいれば良いのでは・・?と 思うようになり、アドバイスは専門家(専門教育機関)から頂いてくださいね・・・とお話しています。

・・・インクルージョンと特別支援教育と統合教育(全くの支援無しで入れる方法)は日本では微妙に違う使われ方をしていますので、ご注意くださいませ・・・。

   ------------------------------------

さすがは、マドンナさん、奥が深い。

統合教育(保育)については、私は「全くの支援なしで入れる方法」とは思っていなかったのですが、マドンナさんから見て、そう思わざるを得ない現実があるのだろう、ということと、同じ場で過ごすだけで物事が解決したり、よい方向に進んだりはしないということ、さらには、そのことでどう見ても事態が悪化しているケースも存在していること、など今の日本の現状から、シャープな視点で指摘されているような気がします。

特別支援教育は、現時点では確かに、私もインクルーシブだとは思えません。

「理想は、そうだけど」

「将来的には、そうなるだろうけど」

「外国と日本とは、状況が違う」

すべての学校ではないでしょうが、返ってくるのは、そんな言葉が多いのです・・・

現実が厳しいのは、わかってますよ。でも、私が求めたいのは、インクルージョンへの方向性や意欲・取り組む姿勢・価値観・そして具体的なステップ・・・

そういうことなんだよ。

そこを目指しての、今であるなら、特別支援学級なら、大賛成なんだよ。

もしかしたら、学校側がそういう姿勢を打ち出しているのにもかかわらず、私の感性が鈍く、わからずやで、かたよった見方ばかりしているのでしょうか?

何でもかんでも、とにかくまずは通常学級でというように、保護者に迎合したり、ご機嫌取りをしたりしてるだけなのでしょうか?

通常学級にいれば「ノーケアでつっこむことになる」になるんだとしたら、一つの方法として、特別支援学級との連携は確かに必要ですよね。

でも、もしそれが、「通常でだめだから特別支援学級へ」というのは、少なくてもインクルージョンではないだろうし、私の目指す方向でもない。

昨日いただいたメールの中に、

「私は… 特別学級が逃げ場所にしか思えないんです。 」

というものがありました。

「だた集団にいるだけではいけない」

それもそうです。

だとしたら、方法としては、マドンナさんのおしゃっているように、集団の中の理解者・支援者、そして家庭での取り組みが重要となってくるでしょう。

そして私は、そのことも含めて、集団の中で育んでいこうとする教育者の強い意志と、集団のメカニズムと力学を個の育ちや学びに生かして行こうとする姿勢が、今の日本の特別支援教育の段階には、特に必要だと考えているのです。

アメリカには協同学習などのプログラムがあると思いますが、日本には学級経営や特別活動があります。

「外国と日本と状況が違う」なら、この世界に誇る日本の教育技術を、特別支援教育風にアレンジして、逆に世界に再発信してみたら・・と思うのですが・・

きっとすばらしい教育実践されている先生、いっぱいいらっしゃると思いますよ。

集団の中でのケアの方向性は、私は、このあたりにあると考えています。



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※ マドンナさんより「埼玉県志木市では、入学は全員 普通学級で♪」という素敵な(内容の豊かな)コメントをいただいています。ぜひコメント欄を開けてみてください。↓


発達課題のあるお子さんの就学に関するリアルな地域情報の入手方法とは?

 2008-05-12
昨年度、私は自分の保育園に「発達・就学相談員」というのを勝手にこしらえて、自分のスタイルで発達課題のあるお子さんの就学に向き合ってきました。

自分は、長年教育現場にいましたし、就学事務にもたずさわってきました。それに、どの学校にも知った人が一人や二人はいましたから、平気で学校に「一度保育園に来て、お子さんの実態を見ていただきたい」などと平気な顔で言うことができていました。

発達課題のあるお子さんの就学を考える場合に、リアルな学校の情報は不可欠です。多くの場合は、自分の兄弟がその学校にいたり、だれが知り合いの保護者から、教えてもらったりして、間接的に情報を収集することはできますが、直接あるいは公式な情報を入手するには、学校の敷居はかなり高いものに感じられます。

幼稚園や保育園の先生と保護者の皆さんとの関係が連絡がうまくできており、そのあたりのことは、どこの保育園や幼稚園でも、主任さんとか園長さんとかが、うまくコーディネートなさっていて問題はないのでしょうか?

私のかかわったお母さんは

「特別支援教育といっても、私には昔の特殊学級のイメージしかない。重度のお子さんは、きちんとした保護者の組織とかもあって、そういった意味では充実しているけど、私のような場合は、知りたくても調べたくても、その学校のパンフレットがあるわけでなく、何をどうしていいのか、それすらさっぱりわかならかった。お兄ちゃんはいるけれども、それとは関係なくすべてのことが初めてで、とまどうことばかりだった」

とおっしゃったことがあります。

それに、学校によって同じ特別支援教育でまったく温度は違うし、担任の先生の異動ひとつで、天と地との開きが生じることだって、よくあることです。

知りたいのは、その部分ですよね。そういった意味で、例えば小学校の特別支援教育コーディネーターの存在は、利用価値があると思います。

もし、例えば保育園の先生がたよりなかったり、わからずやだったりした場合は、ちょっとだけ勇気を出して、当該の小学校に電話して、特別支援教育コーディネーターの先生にアポイントメントをとって、お会いしてみましょう。

それからの対応で、特別支援教育に対する取り組みの温度など、きっと見えてくるものはたくさんあると思います。それに、お母さんのアクションは、その決定や決断以上に、お子さんの育ちや学びの大きなエネルギーやパワーにつながっていくと私は思っています。



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安易に使って欲しくない「保護者の無理解」という言葉

 2008-05-11
昨年の夏のことですが,頭から離れないできごとがあります。

とある学校・園の特別支援担当者研修会に,参加をさせていただきました。

50人近くのメンバーの方がいらっしゃたでしょうか。会の流れは,コーディネータの方や特別支援学級の先生がそれぞれ,自己紹介を兼ねて現状報告やそれぞれの思いを発表していく展開になっていました。

その時に何度も耳についたのは「保護者の無理解」という言葉です。つまり,この言葉には,

「通常学級で障害のある子の教育は,その子のためにはならない。なので,担当者は,特別支援学級への入級を勧めるのだが,保護者は,特別支援学級の良さをわかっていない。あるいは,見栄や障害の受容ができていないために,最初からそのことについて聞く耳ももっていただけない。」

という意味が込められていると,私には感じとれました。

確かに,そういったことの対象となる保護者の方がいらっしゃるのかも知れません。お子さんやご家族の実態を知らずに聞いていますので,百歩譲るとしたら,そんな場合もあるんだろうなあ,という思いもあることはあります。

しかし,そのときに私がかかわっていた保護者の方は,まったくそれとは違っていましたので,こみ上げてくる思いを押さえきれず,私の番の時には,大体次のようなことをお話させていただいた記憶がります。

「私はこれまで何人も発達の課題のあるお子さんの保護者の方とかかわってきました。少なくとも私のかかわってきた保護者の方は,お子さんの発達課題を真っ正面から受け止め,大げさかもしれませんが,お子さんの学びや育ちに,命をかけるくらいの思いで懸命に取り組まれている方ばかりでした。でも,結果として,特別支援学級を選ばれた方もいらっしゃれば,どんなに勧められても通常学級を選択された方もいらっしゃいます。それは,なぜだと思われますか?私は,その選択の基準が,形ではなく内容だからだと思います。そもそも特別支援のベースとなっている理念は「場による教育からニーズによる教育への転換」です。でも何だか特別支援の組織や体制が整っていけばいくほど,診断だの何だのは前に進むけど,診断がついたとたんに通常学級から切り離されて,何か狭い部屋へ入れられて,聞いたこともないむずかしい用語は聞かされるけど,学力が向上したという手応えはほとんどない。何も変わらないどころか,学力の面でも後退しているような気になってしまう。こんなことなら,勉強ができなくても,通常学級にいて,集団の中でいろいろなことを吸収できるほうがよっぽどましだった。そんな声も聞くんです。本当は「特別支援学級に入りたいけど,なかなか希望が多くて・・」こうならなければいけないのではないかと思います。特別支援学級を勧めるけど,保護者の方が理解していただけない理由については,それはむしろ私たちの方の課題だと思うのですが・・・」

その時は正直,「また余計なこと言っちゃって,学校から煙たがられるな」って思っちゃいました。

私の尊敬する特別支援学級の先生の所へは,学区を越えて,多くの方の入級希望が殺到しています。逆に「あの先生が特別支援学級の先生なら,絶対に行かない」とおっしゃってる保護者の方もいらっしゃいます。

「保護者の無理解」

私の辞書には必要のない言葉だと思っています。

いいかげんに止めていただきたい「関係機関の上から目線!」

 2008-05-10
4月と5月。それぞれ1回ずつ、ある小学校の特別支援学級へ、お母さんとそのお子さんと私の3人で訪問させていただきました。

校長先生も、特別支援教育コーディネーターの先生も、特別支援学級の先生も、それはあたたかく、ていねいに対応してくださいました。

実はこの学校は、市内でも指折りの評判の良い小学校で、ご両親は上のお兄ちゃんの入学の際に、わざわざ家を転居・新築までされてこの小学校を選択されたほどでした。さすがは評判にたがわぬ名門校といったところでしょうか?(ちなみに公立ですよ)

忙しい校務をぬって、コーディネーターの先生は、すぐにケース会ということで、セッティングをしてくださいました。このスピードの速さにも、どれだけ保護者のことを大切に考えてくださっているかという温度が感じられます。

事前に要項も準備してくださっていました。お茶まで用意してくださっていました。約束の時間1分も遅れることなく周到にご用意くださっていたことが、こんなところからも伺えます。

(学校によっては、そのへんの温度、全然違いますよ。ちなみにお茶もきっとこの先生が、きちんと準備してくださったものでしょう。出がらしではなく、お客さん用でした(笑))

これだけの構えで迎えてくださるくらいですから、そりゃ自然、内容も充実してきます。あたたかい・やさしい言葉の端々に、保護者に寄り添う姿勢が感じられますし、指導に対する自信や安定感が感じられます。教室も、何ひとつためらうことなく、隅々に至るまで公開してくださいました。

1時間程度の会が終了し、帰りの道すがらお母さんに感想をお伺いすると、気持ちは一気に特別支援学級への入級に傾きました。当然といえば当然です。

(以前には別な学校で、その逆で、特別支援学級の先生に会った瞬間に、入級を拒絶されたお母さんもいらっしゃいます。このへんははっきりしていますね。)

こうなると話は早いです。すぐに次の日に、教育委員会の就学担当の指導主事に電話をかけました。今後の手続きの確認ということで、特別支援学級入級の資料として、1年以内に実施された発達検査が必要であることを確認しました。

自治体によって多小違うのかも知れませんが、この発達検査というのが、結構やっかいです。必要なのは理解できますが、もうちょっと何とかならないものでしょうか?

ここからは、悪口になるので、対象となった機関名は伏せさせていただきます。が、またしても、かなり腹が立ってしまいました。

私は、保育園の就学担当者ということでその期間に発達検査の問い合わせをさせていただきました。が、その担当者の温度は、「発達検査の依頼なら、市の保育課を通していただきたい」というものでした。

もしかしたらこれは、私の思い過ごしや勘違いかもしれません。しかし、私が小学校の教員の時にも何度もここに発達検査を依頼しましたが、一度たりとも「市の教育委員会を通してください」なんて言われたことはありません。この温度差は何なんでしょう?

私のことですから、かなりひつこく担当者に食い下がりました。発達課題のあるお子さんの就学のあり方が、従来のそれと大きく変化したこと、保護者が就学の第一の主体者で、その就学にかかわる自己決定がその後の教育にいかに大切な意味を持つか、等々・・

しかし返答は、以前の書類のどこどこの部分にこんな規定があり、ゆえにとにかく市の保育課(要は、市長印がいるということらしい)へ自分で電話しろ、あとはその担当に聞け、枠だけはまあ開いているんで、とまあこんな感じに受け取れました。(さすがに、口調は敬体です。でもすごく冷たい感じです)

これも少し昔の話で恐縮なんですが、ある保育園(うちの姉妹園です)で、地域の小学校に、運動場使用のお願いに行ったことがあります。そのときにも、まあ「うーん、それはちょっと」とむげに校長から追い返されそうです。

たまたまその時、その保育園に当時の教育長さんのむすめさんが職員でその保育園で働いてくださっており、お孫さんも園児として在園していたので、何らかの形でそのことが学校に伝わると、手のひらを返すようにVIP対応に変わったという事実があります。

私は、こういうことが絶対に許せない、と強く思っているのであります。

それも一度や二度ではない。相手を見て態度を変えることが、絶対に許せない。

特に、発達検査を担当するという機関は、子どもや保護者に一番寄り添っていないといけない機関じゃないか?その窓口が、こんなことでいったいどうするんだ。と怒り心頭です。

もう10年以上、私立保育園の園長をしている家内がそばで一言。

「保育園でさえ、公的機関ではずっとずっと低く見られてきた。ましや、さらに弱い立場の保護者は何度冷たい対応に涙を流してきたことか・・・・」

去年も、某相談機関での、担当者の上から目線・上から口調。私のことをはなから見下して、知ったげに調子に乗っていろいろ言って来たので、ちょっと反論すると、急に鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔になって、

「いえ、私はただの窓口なもので、そう言うことは教育委員会の上の人に言っていただかないと・・」

私はこの方が、退職校長なのを知っています。何という姑息な。ここに来るなら、せめて「インクルージョンのせめてイの字くらい勉強してきてほしい」「サマランカ宣言が何かくらい、知っておいてほしい」「就学指導がどうして改革されたかその経過や過程くらい知っていてほしい」 さもなくば、保護者を見下すような指導だけはしないで、心だけは保護者に寄り添った言い方をしてほしい、と思ったのでした。

がまんできなかったので、教育委員会の指導主事に事情を話すと、あとで、ちょっとお偉い方から丁寧におことわりのお電話をいただきました。構造は、先の例ときっとおなじなのでしょう。悲しいことです。

私でさえこうなんですから、さぞや保護者の方は、おしてしかるべし、なのではないでしょうか?

それとも、ただ単に私が短気で、ただの特別支援クレーマー?になりさがったということなのでしょうか?

こんなことばかりしてると、ブラックリストのっちゃいますね。あーいやだいやだ。

ご批判・ご意見・ご感想・体験談などありましたら、ぜひお伺いしたいものです。



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兄弟の絆(同じ学校で学ぶねうち)

 2008-04-24
昨日は、保育園に在園しているお子さんの就学について、地域の小学校へ、お母さんとその子と私の3人でご挨拶に伺いました。

まず校長室で、校長先生・コーディネーターの先生にお会いしました。一通りのご挨拶や打ち合わせが終了し、「じゃあ、学校探検に行こうか」ということになり、校長室の扉を開けると、そこには何とびっくり、2年生のお姉ちゃんの姿があるではありませんか?

後で聞くと「弟が校長先生から、入学を許してもらえないのではないか、と心配で校長室の前でじっと待っていた」というのです。

このお子さんにも、発達の課題があり、ご家族でその就学について話合いをもたれたときに、ご兄弟は別の学校(特別支援学校等)に行くことを、泣いて反対をされたそうです。

私は数年前、その特別支援学校にアシスタントティーチャーとして1年間お世話になったことがあります。その良さも、専門性も先進性も理解している一人だと思います。

しかし、この兄弟の絆の深さは別物です。

お姉ちゃんは、手をつなぎ、弟を自分の教室に連れていきました。自分の教室の自分の席に、その弟を座らせて、笑顔いっぱいでした。

「就学は選択ではなく、創造である」というのが私の考え方です。

生涯にわたって共に生きていく兄弟、そして地域の友達とのつながり。このことを抜きにして就学は考えられない。

同じ学校で、兄弟が共に学ぶねうちを体感できた貴重な一日となったのでありました。



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入学式の前日に学校へ

 2008-04-10
岡山市では、今日が入学式。ということで昨日は、今日入学するお子さんとそのお母さん、そして私の3人でお願いしていた入学式のオリエンテーションに出かけました。

「夕方4時に来てください」というコーディネーターの先生からの連絡でした。少し前に着くと、会場となる体育館はほぼ会場設定が出来ていました。

保育園からの引き継ぎの会の時に、1年生の仮担任とはお会いしていましたので、体育館に入ると、すぐその先生方が笑顔で迎えてくださいました。

これが担任の先生とお子さんの初めての出会いでした。「最初に声をかけてくださった先生が担任」というのは、とても大切なことだと考えていたので、とてもうれしい気持ちになりました。たったこれだけのことでしたが、お母さんと私は顔を見合わせて思わずガッツポーズでした。

座る予定となっている体育館のいすには、黄色いシールを前と後ろに貼ってもらいました。実際に座ってみて、先生が「立ちましょう」と声をかけてくださると、起立して、きりっとよい姿勢で待つことができました。

次に、1年生の教室に案内してもらい、名前の貼ってある自分の席を見つけると、本当にうれしそうな顔でいっぱいになりました。ほかにも2人のお友達が来ており、いっしょに靴箱の確認にいきました。担任の支援にあたってくださっている先生もお越しでしたので、細かいことですが、お願いしておきたいことを書いたメモをお渡ししておきました。

一通りのことが終わると、来ていたお母さん方は、いろいろと情報交換タイム?に入られていました。子どもたちもいつの間にか寄って、じゃんけんをしたかと思うと、おにごっこをし始めました。

少し前までは、たとえ前日と言えども、担任の先生が事前に子どもにかかわることはほとんどありえませんでしたが、今ではこうしたことが当たり前のように行われる時代となりました。大切なこと・良いことはあっという間に広まるものだと、感心しました。

視覚優位だからといって何でもかんでも、ビデオや写真を見せて説明するような、ちょっといきすぎた風潮もありましたが、やっぱりバーチャルよりリアルがいいに決まってます。

お母さんは、やさしくしっかりした対応をしてくださった担任の先生と事前に出会えたことで、とても安心した表情で家に帰っていかれました。

まずはよいスタートが切れそうだと、期待のふくらむ一日となりました。



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担任決定のサプライズ!

 2008-04-08
新学期がスタートし、それぞれの学校で担任発表があったことでしょう。

特に発達の課題があるお子さんにとっては、そのことで、1年が大きく左右されると言えなくもありません。

少し前に、担任を指名することはできないけれど、ある程度お願いすることはできる、という意味のことを書いたと思います。

私が指導させていただいている2年生のお子さんの場合は、保護者の方にとっては願ったり叶ったり、いい意味のサプライズだったとうれしい連絡をいただきました。

1年生の途中から、お子さんの発達のことでいろいろな機関に相談に行かれ、一言では言えないようなご苦労の中、我が子にとってベストな選択をと、悩み抜かれたうえでの血の滲むようなご判断・ご決断でした。

こうした思いが人の心に響き、結果として、いろいろな人を動かしました。私もそのうちの一人です。参観日に、学習のようすを見に行かせていただいたこともありました。保護者の代理人みたいな形で、コーディネーターや特別支援学級の先生とお話させていただく機会もありました。

学校も真剣に対応してくださり、こちらが期待していた以上のシフトで新年度をスタートさせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

担任と特別支援学級の先生とご家庭とが、かっちりと信頼の絆で結ばれる、その礎の第一歩が築かれたような気がしています。

「就学の決定は、決めるではなく創る(determine=ディターミン)」というのが私の持論ですが、まさに今回のケースは、そのモデルケースになったと思います。

この子がこの1年でどこまで伸びるか?

ますます真剣に取り組んでいきたい気持ちになりましたし、とても楽しみです。

(注)determine=

「決める」の意味の最も一般的な語は「decide.」で「即座に確固たる決心をする」が基本の意味で、結論に至ったプロセスではなく結論を強調する。
「determine」はしばしば調査・観察・熟考などの努力の結果決定したこと意味し、「decide」に比べて、決定に至るまでのプロセスが暗示される。(ジーニアス和英辞典より)

担任を選ぶことは本当に無理なことか?(その2)

 2008-04-03
年度末に、ある小学校のケース会に呼んでいただきました。

そのお子さんは通常学級に在籍していましたが、来年度から特別支援学級で学習をすることになっているお子さんです。

これまでそのお母さんのに何度か相談を伺ったり、現在は、週一度学習指導をさせていただいていており、家庭との太いパイプがあるといくこともあって、今回は学校のほうからお電話をいただき出席させていただきました。

前年度の通常学級の担任の先生・特別支援学級の先生お二人・コーディネーターの先生・そして私と5人の構成メンバーでした。

だんだんと保護者を交えたケース会を実施している学校も増えているようです。

私は、毎週そのお子さんのお宅に行き、学習指導のあとにお母さんとお子さんのようすについて伺っていますから、ご家族・特にお母さんの思いやご苦労を肌で感じる位置にいます。ある意味、毎週家庭訪問で、毎週教育相談です。

そういうこともあって、このケース会では、来年度の指導の枠組みについて具体的な意見交換をすることができました。

このお母さんは、「子どものことで、親としてしなければならないこと、すべきことを決してあきらめたくない」とおっしゃっていました。

新年度から、この子さんは特別支援学級での学習が始ります。私は、ここに至るまでに、ご両親がどれだけお子さんのことを思い懸命に努力され、貴重なご決断をされたか、痛いほど知っています。

担任を指名することはできません。しかし、少なくとも私は、このご家族の気持ちにだけは応えたいと思い、自分でできることは心を込めて行ってきました。

もし、ご家族の強い気持ちがなかったら、こんなケース会が行われることは絶対にありませんでした。コーディネーターの先生も「こんなケース会は画期的なことだよね」とおっしゃってくださいました。

もし、このお母さんが私あの日あの時、私の保育園にご相談におみえでなかったら、私はこれほど本気で学習指導や家庭支援に目を向けることはなかったでしょう。

確かに、担任の存在は大きいです。でもあきらめずに、力強く目指す方向への歩みを続けていくことで、それはひとつのうねりとなり、力になっていくはずです。

ぼくが以前、特別支援の学級の担任になることができたのも、そのご家族の熱い気持ちがそこにあったからです。直接「誰々」といった個人名の担任指名はできませんが、期待通りの先生と出会うためにはこうした努力は、無駄なことではないはずです。

しかし、それ以前の問題、いわゆる「どうしようもない先生」がわが子の担任!」というケースもあるようで、このことについても考えていかなくてはなりません。



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担任を選ぶことは本当に無理なのか?(その1)

 2008-04-02
新年度になり、始業式に向けて、保護者の方といくつかの取り組みをしてきました。

こうした取り組みの中から、保護者の切なる願いや思いが、学校の担任決定に何らかの形で生かされるシステムがあっても良いのではないかという考えが、心の中で次第に大きくなってきました。

初めて小学校に入学する新1年生の場合、
発達に課題はあるお子さんの場合、
さらには、発達の課題はあるけれども、通常学級で我が子を学ばせたいと願っている保護者の皆さんにとって、担任の決定はまさに命綱と言えます。

以前私が特別支援学級の担任になった時は、入学式のかなり前にその子に会い、通っていた療育園に訪問し、担当の先生に直接会い、学校でご両親とも入念な打ち合わせをし、可能な限りの準備をして、入学式に臨むことができました。

この事前のかかわりが、どれほど、その子と、保護者の方と、私との絆を深めたか、はかり知れません。

やってできないということは、ないはずです。

今現在のことでも、1月に申し込んだ通級指導教室での学習の可否でさえ、まだ小学校から保護者の方へ通じていない。

学校の根本的な姿勢が、こんなところにこそ現れてくるのだと思います。

たとえ担任を指名することができないにしても、今、保護者の方がどんな思いでいらっしゃるか?
ご希望に対して、どんな形でお答えするべきなのか?

その温度を感じ取って、スピーディーに対応し、そのことを説明するのは学校として最低限の責務であると思います。



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新1年生の受け入れ準備

 2008-03-31
先週は、新1年生の引き継ぎにいろいろな小学校への引き継ぎにいきました。

私は、小学校で新1年生の受け入れ事務を一通りこなしてきましたし、保育園で就学支援も行ってきましたので、この分野については、かなりの業界通?であります。(笑)

これまで私がかかわってきた小学校では、だいたい次のように新一年生の受け入れ事務を行います。

まず、3学期の終業式あたりに新1年生の仮担任の発表を校長が行います。他の学年の担任発表は4月からですが、新一年生では就学事務や入学式の準備などたくさんしなくてはならないことがあるため、1日でも早く取りかかる必要があるからです。

新1年生の担任が、他の小学校から4月に転勤されてくる先生になることもよくあることです。この場合は、その先生だけ、身分は前任校のまま一足早く新しい学校で準備を開始します。

新1年生の仮担任になったら、まず就学予定児童の名簿を確認して、日程を調整したうえで、それぞれの幼稚園・保育園に引き継ぎ会の連絡を取ります。

幼稚園・保育園では、3クラスなら3クラス、2クラスなら2クラスに分けた名簿を持参して、一人一人の子どものようすについて伝えます。発達に課題のあるお子さんについては、とくに詳しくお伝えします。

しかし、仮担任は、つい1日2日前までは、別の学年の担任だったわけですから、いきなり保育園や幼稚園からいっぺんに多くの情報を寄せられても、なかなかイメージがわかないのも無理かなぬ話です。

また、年度の変わり目ということなので、それまで就学事務にかかわってきた校長・教頭・教務・特別支援教育コーディネータの方が転勤になり、4月になりまた1から説明しなければならないようになることもよくあることです。

保育園・幼稚園からの引き継ぎがおわると、次はクラス分けと担任決定の調整に入ります。3クラスなら3クラス、大きな偏りが生じないように、引き継いだ内容をもとに微調整を行います。ですが、実際にだれひとりとして子どもを見ていない場合が多く、紙の上の操作だけなので、開けてびっくりは毎年のことです。

実際にわが保育園でも、実際に子どもや保育園や子どもを見てくださった校長先生も教務の先生も3月でご退職・ご転勤です。新1年生の仮担任の先生は、就学調査票さえまだ目を通している段階ではなく、診断名やIQ値のみで判断するしかない状態です。

もし、担任の先生にお伝えしたいことがある場合、保護者とすれば、1日も早く自分の子どもの担任とお会いしてお願いしたいというのが心情というものでしょう。

この点は年々改善され、かなり柔軟に対応してくださるようになってきましたが、まだ学校間には格差もあるようです。



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通級指導教室のニーズ

 2008-02-29
通級指導教室の場合,私の知っている限りでは,希望してもなかなか入れないのが現状のようです。

ここに我が子にあった教育を受けさせたいという,保護者の方の切実な願いが現れています。
週に1度,あるいは2週間に一度,たとえ結構時間がかっても,仕事の都合をつけて,保護者の方は,お子さんの送り迎えをされます。

ならば,もっと近いところに,週に何度も行くことが出来て,希望者すればほとんどの方が入級出来る,そんな時代がやってくるのでしょうか?

集団の中で,地域の中で,みんなといっしょの輪の中で我が子を育てたい。そして,この子にあった専門的な教育を受けさせたい。

ニーズに寄り添った教育を特別支援教育と呼ぶならば,これからの教育の方向性は,こんなところにピントがあると,みなさん思われませんか?

就学先を決めること

 2008-02-28
昨年の秋のことです。

あるお子さんの就学支援にかかわって,発達の課題はあるけれども,通常学級の在籍を基本にお願いをする予定で,ある小学校にお願いに行きました。

お子さんのようすや,これまでの経過についてお伝えし,いかにこの子にとって集団の中での保育が意味のあるものであったかを理解していただこうと必死の思いでしたが,話している途中で,この特別支援学級の先生が,子どもの自立を視野に置いて,通常学級での交流が意味のあるものになるようにと,日々すばらしい実践に取り組んでいらっしゃることがわかり,これ以後,この先生ならばと,特別支援学級への入級へと大きく傾いていきました。

この体験から,就学先を決めるというのは,単なる選択(Choice)ではないんだなということを感じました。場所や名前など,形だけで判断はできません。実際のそこで,どのような教育が行われるか,しっかりと話し合いをし,よりよい形を見つけていくことが大切です。

英語で決めるといういう意味の言葉には,Decideという単語もありますが,これは即座に決心するというニュアンスで,ちょっと違う感じです。

就学の場合には,「よりよいものを目指し努力した結果,そのことに同意する」といった意味に使われるDetermineが,一番ぴったりなような気がします。

もっと大げさに言えば,「選ぶ」「決める」より「つくる」といった作業が,お子さんの就学には大切なことだと思いました。

通級指導教室

 2008-02-20
岡山市では,情緒と言語,2つの通級指導教室があります。通級指導教室に対する保護者の方のニーズは高く,申請をしても,希望がかなわない場合も多いようです。

情緒の通級指導教室の場合,知的な遅れがある場合は,対象とならないようになったようです。知的な面と情緒面との課題の両方がある場合,岡山市では,知的な特別支援学級がその受け皿となることを原則としているからです。

ここに厳しい現実の壁があります。保護者の方は,通級指導教室の専門性に期待しているのに,「あなたは知的な遅れがあるから」と,門前払いを受けてしまうわけです。

すべてがそうとは言いませんが,岡山県の場合,以前は養護学校教諭の免許がなくても,平気で知的な特殊学級(今の特別支援学級)の担任になっていました。特殊学級の担任は,給料がかなり高く,退職前の先生が校長のごほうびでやらせてもらう,なんてこともよくあることでした。(8%アップとか言われてました。退職金・ボーナスまで増額です)

今ではさすがになくなってきましたが,通常学級担任希望の先生が,とりあえず採用されたいので,免許がなくてもまず養護学校から,ということも当たり前に行われている時代もありました。

私が言いたいのは,情緒面のニーズのある子どもが,知的な課題があるからということで,専門性をもった指導を受けられない,という現実です。知的な特別支援学級で,保護者ニーズに添った教育が行われる場合は問題ありませんが,わたしがかかわったケースでは,そうではありませんでした。「だめかもしれないけど,通級指導教室の申請だけはしてください」というお母さんの言葉が,耳から離れません。

財政が苦しい中,特別支援教育にかかわる予算は増額されています。しかし,その受け皿が十分であるとは,とても言えません。

たった週に1時間の指導も受けられない。
ならば,できる者がするしかない。
「すべての子どもに豊かな学びを」 それが私の願いです。
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