オンラインに合っている子
2021-12-13

何年か前の事でした。
ある男の子のお父さんが、初めてお子さんのレッスンの様子を見に来てくださいました。
小学校低学年の男の子です。
最初はぼんやりとお子様のご様子を見ておられましたが、途中何かのきっかけで、身を乗り出すようにお子様の学習ぶりに注目され始めました。
「わが子が、こんなに一生懸命勉強する姿を初めて見た。 こんなにきれいな字で、いい姿勢で、集中して勉強できるなんて、家での姿からは、想像もできなかった。わが子の別な姿を、今日初めて見させてもらいました。」
すべてのお子様がそうだとは言いませんが、私の教室に来て、ご家庭とは全く違う集中力で、一生懸命勉強するお子様は、そんなに珍しいことでもありません。
先日、2年生の女の子のレッスンがありました。
以前は大阪の教室で勉強していた子ですが、コロナの影響もあって、先日からオンラインで学習しているお子様です。
40~50分の間、息もつかせぬような集中力で、弾むような学習をすることが出来ました。
レッスンが終わって、15分ほどそのお母さんのお話を伺いました。
どうやらこの子も、普段の学校や家庭と全く違う集中力で、オンライン学習に取り組んでくれているということがわかりました。
これからの時代において、オンラインの可能性は決して無視することは出来ません。
しかし、オンラインはオンラインで、それはあくまでリアルなレッスンを補完するものである、
それまでの私は、正直そのように考えていました。
視覚情報が、整理されて、タイミングよく提示される。
フレームが明確にあって、注意があちらこちらに転導しにくい。
画像の加工が容易で、内容によって効果的に、拡大したり焦点化したりすることが容易である。
教材に集中させ、不必要な資格情報をカットすることができる。
この日が3回目のオンラインレッスンとなりましたが、わき役に徹してくださったこのお母さんのサポートが、実にお見事であったことを見逃すことは出来ません。
このお母さんの環境構成があればこそ、私は逆にそのお子様の学習状況を、リアルレッスン以上に焦点化してとらえることが出来たのです。
「オンラインレッスンの可能性は無限です。ぜひその可能性の輪を広げていくプロセスを、この子と一緒に歩かせてください。」
レッスンが終わったあとで、思わず私は、お母さんにそのようにお伝えしました。
鉛筆を持つ、その持ち方でさえ、先生との勉強の時は全然違う、
何十分も集中できるのも、このオンラインの時だけです、
このことを10年・20年と定期的・継続的に積み上げていって、
さらにそれを3年・5年と積み上げることによって、それがこの子にマイナスになろうなんてことがあろうはずがありません。
まるで大阪の子が、私の隣にいるような感覚、
工夫も、技術の高まりもあった上で、その可能性に限りがあるというのは、全くありえないことであると心に強く感じた1日となったのでありました。
生きた言語
2021-11-30

例えば漢字の学習をするときにも、私は漢字だけを切り取ったりして、反復練習をさせるようなことはあまりしません。
ほとんどの場合、学習させたい漢字を文脈の中でとらえさせるような教材を作ります。
文字を音声化させると、その子が文の意味をどれだけとらえているかがわかるのです。
それが逐次読みの場合は、文字を音声に変換するだけで、その時点で意味まではあまり把握できていないととらえ、次の支援を考えます。
写真の男の子は、このごろ文章がとても上手に読めるようになってきています。
文脈を意識しながら、すらすらと文字を読み進めるこちが出来るのです。
文章の意味を理解していない子は、このように決してすらすらと読むことは出来ません。
人によっては、伸びる内容も、時期も、タイミングもそれぞれです。
そのための学習レディネスを構成するために、本人の気持ちに添った意図的・計画的な学習の積み上げも必要です。
ここを信じて、日々の学習を積み上げていくことが出来るかどうか?
一つ一つの学習の意義をその子に感じ取らせながら、目的意識をもった楽しいレッスンを構成していけるかどうか?
可能性を信じて、ゆるぎなくそこに進んでいけるかどうか?
その子が伸びる時にこそ、その場に立って、最善の題材を提供してこそ、真の教育。
こうした自信はすべて、こうした子どもの成長こそが、私を支えてくれているのです。
子どもの力・家族の力
2021-11-30


私がこのブログを書き始めて1~2年の頃、
まだ個人でレッスンをしていた時ですが、当時は、京都・大阪・兵庫・三重・広島・高知など全国各地からレッスンやご相談に毎月お越しくださる方がたくさんおられました。
一番最初にお越しくださったのは、京都のお母さんでした。
最初にお問合せをいただいた時には、とてもとても自分では力不足でお断りをしたように記憶しておりますが、その情熱に押し切られた形で、県外の方のレッスンをお引き受けすることにしました。
その後、大阪にも京都にも教室を開き、休日を利用して定期的お伺いしているので、最近では県外の方が岡山にお越しくださるケースはめったになくなりました。
そのご家族の方は、口をそろえて 「岡山に通っていた頃が愛おしい」 とおっしゃいますし、私自身も、ご家族が私のレッスンを機会にそうした豊かな時間をつくっていかれることは、とても意義深いことだと思うようになりました。
学びの主体者は子どもであり、育ての主体者はご家族に他なりません。
だからこそ私は、そのことに恥じない、内容のあるレッスンとご相談をお受けする責任があるのだと考えるようになりました。
10年そんな関係が続き、それぞれのお子様は、目を見張るようにそれぞれたくましくも立派に育っていかれました。
この日サポートさせていただいたお子様もその一人です。
育ちの過程の中で、メモリーとなるような出来事もたくさんあり、お母様はその都度、お子様の成長の様子をラインでお知らせくださるようになりました。
レッスンは一期一会、ご家族とは同行二人、
私はいつも送ってくださるラインに目を通しながら、そんなふうに感じておりました。
この日は、6年生になる弟さんも、大きな成長をされたというビックニュースをお伺いしました。
「この子の大切な命は、ご家族の絆をさらに深め、この私を含めてかかわる人を次々に幸せにしていく」
この子がなすべき役割をもってこの世に生を受けたこと、
私の心にまた一つ、大切なことが刻まれた瞬間なのでありました。
こんな日が来る
2021-11-30

私がこの活動を始めてから、もう10年以上になります。
当時まだ就学前だったお子さんも、もう高校生になる年齢です。
学習指導要領などに基づき、標準化・系統化された教材があるのはとても大切なことだと思っています。
十分に検討吟味された教材が、国として体系づけていなければ、生きた教育を実践することは出来ません。
公教育の意義の一つが、そこにあると考えています。
これがあるからこそ、私は、個々の子どもの特性や育ちに合わせたオリジナルのカリキュラムを作成することが出来ます。
私がサポートさせていただいているお子様は、高校で急激に学力が伸びるケースが非常に目立ちます。
子どもにとって学習は、単なる知識の習得ではありません。
学習を通して培うのは、達成感であったり、自己コントロール力であったり、コミュニケーション能力であったり、社会性であったり、課題解決力であったり、自己肯定感であったり、様々な能力や資質の向上の基盤であるのです。
就学前や小学校低学年の頃、行動のコントロールに苦しんで来られたご家族を私はたくさん知っています。
そしてその子が、いつかは必ずすてきな子に成長していく姿を、生きた実践を通して、何度も何度もこの目で見つめてきました。
その苦しい時期を乗り越えたからこそ、他では代えることの出来ない美しい花が咲くことに、何度も何度も遭遇してきました。
だからこそ、信じることが出来る。
だからこそ、それを信じて、学習を積み重ねていくことが出来る。
子どもの可能性は、無限です。
どこかの時期で単純に切り取って、それを何かと比較して、それで出きる出来ないを語って、一体そのことにどれだけの意味があるというでしょう。
今私のところには、小さいときに出来にくかったことが次々に出来るようになり、何十人といるのです。
何とも幸せで、誇らしいことでしょう。
ふと見上げると、そこには笑顔いっぱいの母の姿がそこにあります。
私はただ、この母の傍に立ち、与えられた役割を少しづつ果たしてきただけのことです。
すべては子どもとそのご家族が作り上げてこられたこと、
私のもう一つの役割は、今その課題に直面されている子どもとそのご家族に、このことを伝承していくこと。
私はこれからもずっと、この道を歩み続けて行きたいと願っているのです。
私が私でいられる理由
2021-11-16


私は幼少期に父を亡くしています。
小学校5年生の遠足の前日、食事中に突然脳の血管が破裂して亡くなったと記憶しています。
私もいつかはそうなるのではという思いがいつも心の中にあります。
小学校の教員をしていた時、研究主任をしていた親友が、人間ドックに行ったまま、結局学校に帰れないままに亡くなってしまいました。
当時の校長先生は、背中が痛いので、ちょっと病院で検査をしてくるわ、と言ってその数か月後には帰らぬ人となりました。
駆け出しの教員時代、兄のように慕い尊敬していた先生は、2人とも若くしてこの世を去っていきました。
何で自分だけが、と思ったことは一度や二度ではありません。
先日、人間ドックを受診しました。
前回は、もう10年以上も前のことになりますが、がんの手術を経ての受診でしたので、
「あなたは普通ならもう亡くなっていて仕方のない状況でした。それがこのように命をつながれたのは、何か特別に為すべきことがあると神様が判断されたとした思えません」
そう先生から伝えられたことが強烈に心に残っています。
今回は、特別に脳ドックをお願いしました。
父が亡くなった年齢に近づいて来たため、ある意味覚悟を決めるためです。
ところが先生は、
62歳のあなたは、脳の萎縮がみられて当然の年齢ですが、その萎縮がほとんど見られない。
もしも評価をつけるなら上の中、
点数でいえば10点満点の9点ぐらいは付けれられる。
と、おっしゃってくださいました。
脳以外の部分は、生活習慣の改善などによって、かなりの程度回復することができる。
だからこそ、あなたの場合は、これまで以上に健康管理・自己管理をすべきです。
ここまで脳に萎縮がみられないのは、きっとこれまで、何かやりがい生きがいをもって取り組まれていることがあるに違いない、
そのことに感謝して、さらにそのことに精進してください。
そう続けてくださいました。
私の命をつないてくれたもの、
それはこれまで出会ってきた多くの子どもたちと、私を支えてくれた多くの人々の存在以外に考えることは出来ません。
ならば私はこれからも、それぞれの子どもの成長と幸せのために、自分が出来ることをこれからも精一杯取り組んでいきたい。
私が私でいられる理由、
それは、あなたがそこにいるからに違いないのです。
レッスンで落とす涙
2021-11-08

ある高校生の女の子とのレッスンがありました。
小学校入学前から、もう10年以上もサポートさせていただいている女の子です。
先日、その子と英語の学習をしました。
Mother's lullaby という原爆をモチーフとした教材です。
この子は、英文のスピーキング力に優れ、流ちょうにリンキングなどもちゃんと出来る女の子です。
他の教科と比べると、英語の力が突出しており、日本語を読ませた時より、英文を読ませた時の方が、ずっと目の色が輝いています。
“Mommy,” the boy was still crying.
“Be a good boy,” said the girl.
“You’ll be all right.”
She held the boy more tightly and began to sing again.
After a while the boy stopped crying and quietly died.
But the little mother did not stop singing.
It was a sad lullaby.
The girl’s voice became weaker and weaker.
Morning came and the sun rose, but the girl never moved again.
英文を、その子は日本語に訳して、用紙に書き留めていきました。
そういうスタイルの学習でしたが、彼女の口からあふれる透き通るような英語には、本当は日本語訳など全く必要のないものでした。
私はそのクオリティーの高さに、心を震わせ、感動であるれる涙をこらえるのに精いっぱいの状況でした。
英語の学習を通して、私と彼女は、ここまで深い絆で結ばれるようになったのです。
彼女も私も、月に1度のこの時間は、心と心がつながる大切な時間となっているのです。
支援者と子どもが心を通わすためには、成長を目指していくための題材や教材は重要です。
ですが、その題材や教材は、一律的なもでなくても、画一的なものでなくても、標準化されたものでなくても、それはそれで関係ないのです。
私は、毎回オリジナルの手作り教材にこだわるのは、そのためです。
標準化されたプログラムが充実してこそ、私の個別サポートは意味のあるものとなる。
その大切な花が、今日も一輪、しっかりと美しいその花弁が拓いたのです。
自己肯定感と感謝の気持ち
2021-10-27

私も人間ですから、迷ったり苦しんだりすることも多くあります。
自分をダメな人間だと思ったり、誰か人の成功を妬ましく思ったりすることもしばしばです。
でも、子どもとのレッスンをしているときの自分は大好きです。
レッスンの質を担保するために、あえて相応の金額をいただくようにしていますが、いただいたお金は私たちの大切な源資となっていくわけで、直接お金目的でやっているわけではありません。
私は、一生懸命勉強している子どもの顔を見るのが生きがいです。
私のもっている経験や専門性が生かされ、子どもが生き生きと学習に取り組んでいる姿を見るときほど、幸福感を感じるときはありあせん。
ただただそのために日々研鑽を重ねる自分が大好きです。
2歳や3歳の時から、10年以上も続けてレッスンを受けてくれいる子が、何人もいることも、私の誇りです。
その折には、私を必要としてくださるご家族の皆様に、深い感謝の気持ちで一杯になります。
私は来春63歳になりますが、あまり年齢相応にみられることはありません。
年齢より10歳以上若くみられるのがほとんどで、中には「前に合った時より若くなってる」 と驚かれたときもあります。
私が、私の本来持っている力以上のポジションにいられるのは、すべてこれまで出会った子どもたちの力です。
もしもこの子たちと出会っていなければ、私はきっと愚痴や不満、妬みや自己否定の嵐に苛まれていたことでしょう。
「あなたのお子様は、世の中をも変えていくような、特別な力をもっています」
私はいつも、ご家族の皆様にそのような内容をお伝えします。
それは、おべんちゃらとかで言っているわけでなく、本当にそうだと思っているから、お伝えしているのです。
この子たちがいなければ、発達支援センターができ、多額の補助金をいただけるようなことは、決して起こらなかった。
志を同じくするすばらしい先生方との出会いも、決して起こらなかった。
だからその命を大切にして、しっかりと学び育ってほしい。
自分を大切に重い気持ちは、やがては感謝の気持ちと変わり、多くの人たちのとの心のつながりと幸福感を運んできます。
子どもたちに語り掛ける言葉は、決して裏切ることはできない。
私はあたたがいるからこそ、初めて自分らしく生きられるのです。
君へと届く宝物
2021-10-22

私がオンラインレッスンをさせていただく時には、レッスン日の2~3日前までにはご自宅に届くように、教材を郵送させていただいています。
その教材はすべて、郵送前にPDF化して、レッスンの時にはパソコンやタブレットの画面で共有できるようにしています。
私の教材は、すべて書下ろしのオリジナル教材です。
もちろん教科書に準拠した一般的な教材を使うこともありますが、10人いれば10人とも、内容も量もその子に合わせて選択したり提示の仕方を変えたりします。
教材を決めたら、あらかじめ、今のその子の力でどの程度自力解決できるか、見通しをもちます。
そして、もしかしたらつまずくであろう箇所を見通したら、どんな手立てやヒントや補助教材を提示すれば、それを解決できるか考えます。
その子が困った顔をしたら、少し間を置き、待ってましたとばかりに補助教材などヒントを提示するのです。
それでも解決できないような課題を提示したとしたら、それは子どもが悪いのではなく、指導者の教材選択が誤っていたのだと思うのです。
これが、私の考える完全習得学習のスタンスです。
さらに学習に達成感をもつことができるようになれば、段階的に私の支援はフェードアウトしていきます。
いわゆるプロンプトフェーディング=支援除去法の考えに基づくものです。
つまりは、子どもを育てる本質の一つが、このプロセスの中に集約されていると考えているのです。
オンラインレッスンをさせていただくようになってから、ご家族の方からこんなお知らせが届くようになりました。
「教材がポストにあるのを見て、ニコニコになりました」
「子どもは、教材を見ただけでワクワクしていました」
そうだよ、それは先生から君に届ける宝物。
君の大切な未来が、その中にいっぱい詰まっているんだから。
誇らしきこと
2021-10-11
![IMG_8024[1]](https://blog-imgs-150-origin.fc2.com/s/h/i/shinobu1/20211011103146c83s.jpg)
私がこれまでサポートさせていただいた子の中で、もう何人かの子が社会に出て活躍をしています。
写真の彼もその一人です。
社会に出た彼は、学校にいた頃と比べて、見違えるように生き生きと、そしてたくましく働いていました。
「めっちゃ、明るくなった」
と、彼自身の口から、そんな言葉が飛び出すくらいでした。
ここのレストランでの食事をいただいた私の正直な感想は、「驚くほどおいしい」 というものでした。
もちろん、彼が働いているからというのが、訪れた最大の理由ではありました。
しかしながら、そういうことを抜きにしても、誰かを連れてまたここに食事に来たい、と思わせる食事とサービスがここにはありました。
なるほど、彼の目がここまで生き生きと輝いているのは、そういうことかと思いました。
中学生の頃から私は、彼の心の中にある向上心をずっと見つめてきました。
やや学習に自信を失いかけていた彼の心の奥底に、しっかりとした息吹きみたいのものをずっと感じてきました。
もちろん、彼がここに至るまでに、そのご家族にどれほどの心を砕く思いや、努力や、尊い営みがあったことでしょう。
そうしたことこそが、やがてこうした美しい花を咲かせるものかと、改めて深く感じ入るものがありました。
私には、彼をはじめ、こうした多くの子どもたちが拓いてくれた未来がある。
そしてそれを、リアルなものとして信じて、これから育つ多くの子どもたちとそのご家族の糧とすることができる。
彼が私にプレゼントしてくれたもの、
それは夢をもって学び育つことの大切さと、最後の最後まで、それぞれの子の可能性と良さを信じられる信念のようなものです。
彼は、この職場で、また新たな目標や夢をもったのだと、お聞きしました。
その歩く道筋が、平坦であろうはずはありません。
しかし、そのまなざしは、私の心を通して、やがて多くの子どもたちの道しるべとなっていくことでしょう。
この世に、意味なくして生まれた命などありはしない。
彼の生きていく一瞬一瞬が、私にずっとそのことを語り続けてくれるのです。
質の高い個別の学習が必要な理由
2021-10-04
![IMG_7928[1]](https://blog-imgs-150-origin.fc2.com/s/h/i/shinobu1/202110041208203f3s.jpg)
いつ頃の事だったでしょう。
私が、その子とレッスンを行っていると、少し離れた所からその様子をご覧いただいていたお母さんが、目を真っ赤に腫らし、その後はらはらと大粒の涙を落とし始めました。
今、自分の目の前で、何が起こっているのか、信じられないような気持でした。
わが子がこんなにも楽しそうに、そして一生懸命勉強している姿を見ていると、これまでの色々な思いが一気にこみ上げてきてしまいました。
そんな言葉を聞いて、私は生涯この活動を続けていこうと、強く心の中で誓いました。
最近、多様性という言葉を耳にしますが、子どもの育ちも10人いれば10人とも同じ子どもはいません。
一部の内容をもってすれば、処理の速度が速かったり、達成が速かったり遅かったりということはありますが、そもそも子ども自身がが多様であるとしたら、要はその子の今に合った内容と支援を提供することが肝要であって、それが出来た出来ないで子どもを決めつけてしまうのは、教育者としては程度の低い愚かな事と言わざるを得ません。
私は今でも、10年以上継続してサポートさせていただいている子が、何十人もいます。
この子は、もしかしたら一生なぞり書きしかできないのかもと、思い悩んでいた時期があった子もいますが、今ではそれはそれは美しい文字を一人書きできるようになりました。
本当に、あきらめなくて良かった。
花が咲き始めてその場にいる者が評価されるのではなく、まだ芽の出ぬ大地を耕す者こそが、真の教育者と言えるのです。
良質の個別学習を継続し、達成感のある内容を積み重ねていくと、その教材を通して、子どもの支援者とのコミュニケートや信頼感は当然深いものになっていきます。
子どもはそもそもが成長欲求のかたまりですから、そこを満たすことは、自己肯定感そのものを高めていくことにつながります。
自己肯定感の高い子どもは、自分の命の大切さを自覚し、謙虚ながら笑顔と活気に満ちた表情を浮かべるようになります。
そして、自分の命と同じように、お友達の命の大切なに気づくようになり、他者とのつながりがさらに深まり、やがて幸せに満ちた道を歩むようになってきます。
私はそんな子どもの後姿を、これまで何十人となく見つめてきました。
学びを通して培うもの、
それは決して単なる知識の習得や、小手先の出来映えということではなく、教材を通して培われた、その子の存在そのものであることを、私は信じて疑うことはできないのです。
オンラインレッスン 私たちの新たなスタート
2021-10-01

先週のことです。
京都・大阪の子どもたち13人と、ZOOMを使ってのマンツーマンレッスンを行いました。
私のレッスンをオンラインで行うことは到底不可能、と考えていたのですが、実際に行ってみるとびっくり。
まだまだ操作に不慣れな面がありましたが、成果としては上々のスタートとなったのでした。
新型コロナウイルスの影響で、1年以上もマンツーマンレッスンから遠のいてしまった子どもたち。
オンラインの画面は、子どもによっては、ライブ以上の集中力をもたらすことがわかりましたし、保護者参加型のレッスンの意義深さも感じることが出来ました。
もちろん、私がライブのレッスンを捨て去ることはありません。
ですが、一方でこうした選択肢の幅を広げていくことの重要さも実感しました。
これなら、東京だって沖縄だって海外の子だって、移動による費用や時間のロスを考えずにレッスンを行うことができる。
自宅から、教室に来ることがむずかしい子どもとのレッスンだってできる。
たった一人の子どものニーズに寄り添うことから、様々な可能性の輪は無限に広がっていく。
子どもたちとの大きなチャレンジが、またここから始まるのです。