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懸命に取り組む先にある子どもの未来

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昨日は、小規模保育園の運動会でした。

最初の演技で、2歳児組の子が、大縄の中で短縄とびをすると、会場から 「おっー」 というどよめきが起こりました。

それから約1時間半の間、保護者の皆さんは、まるで奇跡を見ているかの如く、子どもたちの演技に引き込まれていきました。


先週の予行演習のあとに、2人の子どもが厳しく注意を受けていました。

その様子を見て、担当の保育士の顔がみるみる変わっていくのがわかりました。

もちろん、そのことを子どもに転嫁するような保育士ではありませんが、その表情の変化を一番敏感に受け止めたのは、子どもたちの方でした。


開会式に臨む子どもたちの顔は、予行演習の時と明らかに変わっていました。

もちろん、保護者の方がお越しくださっているという特別な環境の変化がありましたが、演技に望む姿勢そのものが、真剣になっていることがその表情から伺えました。


練習の時に失敗をして、涙を流した2歳児組の子どもは、本番当日は見るも鮮やかに演技を決めて、一体となった会場から大きな拍手と歓声に包まれていました。

3歳未満の子どもが、自分の命を振り絞るように、真剣に取り組む姿は、私の心も大きく揺さぶりました。


自分たちの決めた目標に向かって、真剣に取り組むその姿の中から、演技を超えた何か大切なことが芽生え始めたのを、しっかりと感じることができました。

お遊びでない運動会から、子どもたちが学び感じ取ったものは、自分やお友達そして先生に対するプラスの気持ち、

それに勝る宝物が、一体どこにあるというのでしょうか?


甘やかしの教育からは、きっと何も生まれてこない、

自分の命を精一杯輝かして取り組んでいくこと、

そこから子どもは奇跡を起こす。


真に子どもの願いをかなえる育て

子どもの可能性を信じる保育


ご家族に抱きしめられ、笑顔いっぱいになった子どもの表情を、あの保育士は遠くからしっかりと見つめているのでした。

園長としての休日

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体育の日は、久々に何も予定の入っていないオフの日でした。

保育園に来てくれている子どものご家族が県北で工房をひらいておられ、その30周年のイベントにご招待いただいておりましたので、家内と母の3人でおじゃまさせていただきました。


岡山市中心部から車で北へ2時間余りの山里に、その工房はありました。

到着すると、ちょうとそのお子さんのお母さん方が、ピアノとバイオリンの生演奏をしてくださっていました。


今、私の保育園に通ってくれている子ども、ご両親やご家族からあついおもてなしを受け、白ゆりに来て良かったと何度もおっしゃっていただきました。

生演奏、映像のような美しい環境、あたたかい心のふれ合い、心が洗われるようなすばらしいシチュエーションに囲まれ、ここにこさせていただいて本当に幸せな時間を過ごさせていただきました。


午後2時からは、岡山市のシンフォニーホールでの演奏会に伺いました。

発達支援センター所長時代からのご縁で、毎年この演奏会にご招待をいただいています。


会場に着くと、以前私が教えた子どもたちやそのご家族の何人かと久々の再会がありました。

そして、小学校教諭時代の大恩人、私の子ども観の根幹に大きなご示唆をいただいたいわば私の師匠とも呼ぶべき先生に、数年ぶりにご挨拶をさせていただくことが出来ました。

ここ何年かは、休みの日になかなか自由の動きがとれませんでしたが、シンフォニーホールの生の演奏は、私の心を大きくゆさぶり、次年度以降は何とかこうした時間がとれるように、スケジュール管理を工夫していく必要があるのだと感じました。


正月でさえ仕事に打ち込み、わき目もふらず駆け抜けたこの10年間、

そのことにより得たものは、今の私の宝ものとなっています。


しかしいつの間にか、私の役割も少しずつ変化している。

ぽっかりとあいた連休の一日は、今この時にあって何か大切なものを、私に感じさせてくれたように思えてならないのです。




12年の保護者支援

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今から12年前、私が保育園の副園長をしていた時に、ある小学校1年生の女の子のお母さんがご相談にお越しくださりました。

小学校に入学して、書字の課題に直面した女の子のお母さんでした。

他の保育園の先生から私のことをお聞きになり、お越しくださったということでした。


このブログは、2008年2月15日から開始しましたが、発達にかかわる私の臨床実践は、このお母さんとの出会いからスタートとなったのでした。

その花子ちゃんが、来春には高等部の卒業ということになります。

その間、保育園の副園長から、発達支援センターの所長、そして小規模保育園の園長と次々に私の立場は変わっていきましたが、立場は変わりながらも、これまで何らかの形で、ずっとサポートを継続させていただきました。


おそらくはこの3月をもって、このサポートも大きな区切りの時期を迎えようとしています。

来春三月には、私も60歳、還暦を迎えます。


もし今も小学校の現場におれば、ここで第一線を退く年齢なのですが、今の私にはそんな感覚は1ミリもありません。

小学校1年から、高等部まで一人の子どもの育てを継続してサポートさせていただいたことは、普通では考えられない出来事です。

それはある意味、支援者としての私の金字塔となるはずです。


同じ子どもを、同じご家族を、12年も継続してサポートさせていただいたこと、

だからこそ、これから果たしていかなければならない役割がここにあります。


還暦を迎えた60歳、

もっともっと研鑽して、支援内容を深めていきたい。

ここからが私の、さらに大切なステージの幕開けだと考えているのです。

全ての子どもの成長との幸せのために

 2018-09-28
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先日、来春開設予定の新しいこども園創設に向けて、担当いただく業者様による入札をさせていただきました。

7月の西日本豪雨の影響もあり、順調に入札が成立し、来春4月1日に開園が出来るのか?

これまで、状況的に危惧する面も少なからずありました。


入札の進行役をさせていただくのも、これで3回目になりました。

入札一つにしても、これまですべての入札が平穏に行われたというわけではありません。

しかしながら、入札を必要とする大きな事業に、教育者として三度も立ち会うことが出来たわけです。


すべてが、私個人の力で出来たことではありません。

教育の臨床実践を続けて行きたいからこそ、法人の中で与えられた責務を人並みにこなしていくこと、

いつの頃から、それが私の仕事に向き合うスタンスとして、大切なことなんだと考えるようになりました。


臨床実践者としての、私の道のりは未だ三分三厘、

目指す山は、まだまだずっと遠くにあるのです。


人として、社会人として、もっともっと実績を積み上げていく中で、自分の向かう先を決して見失わないよう歩いていきたい、

人生の中に、そういものがあるということを、私は何よりの幸せに感じているのです。






個に寄り添う中から生まれてくること

 2018-09-25
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先日、0歳のお子様についてのご相談を伺いました。

土・日は大阪にいましたので、振り替え休日である月曜日に来ていただくことになりました。

発達にかかわること、就園に関わることで、いくつかの内容についてお伝えをしました。


ご両親がお忙しくされているので、休日での対応になりました。

何度も何度も、「休日にすみません」 と頭を下げてくださいましたが、私にとってはそれは当たり前のことであるので、かえってそんなふうに言っていただくことが恐縮に感じました。


私はこれまで、様々なレアなケースに寄り添ってきました。

その経験の多さこそが、私にとっても白ゆりにとっても、かけがえのない財産となっていくのです。


「一人の子ども、一つのご家族に寄り添うことは、すべての子どものニーズに寄り添うこと」

ご縁があって、それが白ゆりにつながることがあれば、それはとてもありがたいこと。

結果として別の道を選択されたとしても、ご相談を伺ったことで、きっとそれは何かの形でお子様のためにお役に立つことにつながるに違いない。


我が子を思うご家族の真摯な気持ち、

私を突き動かすエネルギーの源泉は、きっといつもそこにあるのです。

発達の系統性

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先日の職員研修会で、遠城寺式の発達のスケールをもとに、0歳~5歳までの成長・発達の系統性について学習しました。

これまでに保育園で撮影してきた0歳児~5歳児からの動画を、「移動運動」「手の運動」「基本的生活習慣」「対人関係・発語・言語理解」といった遠城寺式のスケールと対比して、振り返ってみました。

こうした標準化したスケールは、それぞれの子どもの成長の指針を示す意味での役割を有しています。


私はこの10年、個別支援という形で、多くの子どもの育ちに寄り添ってきました。

3歳で初めて出会った子が、もう中学にもなろうかとしています。


100人の子どもがいたとしたら、その成長の曲線は100通り、一人として同じ子はいませんでした。

言語にしても、コミュニケーションにしても、社会性にしても、爆発的にそのことが伸びる時期というのがあります。


標準化したスケールに照らして、育ての内容を焦点化したり、課題を明確にすることは、とても意味のあることです。

しかし、いくつかのケースでは、課題点を突きつけるだけに終わって、明確な育ての見通しも、方略も、手立ても示せず、ご家族を奈落の底に突き落とす結果となることも少なくありません。


子どもの育てに生かす検査、

繰り返しますが、それが生かせないとなるのなら、そんな検査はすべきではないし、そんな結果は捨てるべきだと思います。


検査は重要です。

だからこそ我々教育実践者は、何としてもそれを生かす才覚を身につけ、その特性に対応できる専門性を高めて行かなくてはなりません。

大切なのは、数字や紙切れではなく、その子の存在そのものなのですから。

子どもの育てを支えるもの

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先日、安全衛生推進者講習会に参加しました。

1日缶詰の講習会ですので、日程等の関係で、福山市の講習会に参加することになりました。

内容は、労務・雇用・法令に関することで、事業者として子どもの臨床現場で活躍していただく先生方の、心身の健康や働きやすい職場の環境づくりといったことが中心になっていました。


質の高い子どもの育てについては、私でなければ出来ないこともありますが、私一人では出来ないこともたくさんあります。

その組織のリーダーたるものが、うまくたくさんの職員の持ち味を引き出して、子どもの成長と幸せという同じ目標に向かって力を集約していく流れを作っていくことは、重要です。


私の軸足はいつも臨床実践にあって、管理者としての力量や才覚については、まだまだ未熟な点ばかりだと自覚しています。

子ども育ての臨床に関わり続けたいのであれば、管理者としての責務を一人前に果たすことが条件です。


懐深く、器は大きく、

それでいて子どものような追求心や、探究心を持ち続けていたい、

多くの職員に支えられながら、私らしい管理者としての仕事を模索し、内容を積み上げていきたい


なすべき尊い仕事がそこにあること、

それをもってして、私の幸せは、きっとそこにあると信じているのです。

感謝感謝の日々

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先日、小規模保育園の親子遠足を行いました。

前日の天気予報では、降水確率が40~60%と出ており、半分中止を覚悟していましたが、夜明け前から徐々に予報が変わり、遠足開始の10時には、暑くもなく寒くもなく、薄曇りの絶好の日和となりました。


園長になって1年余り、

新園設立から2年余り、

ようやく園の運営にも、教育・保育のポイントも理解度が徐々に高まってきました。


この日の遠足では、20人足らずの子どもに、10名以上の職員で対応しました。

保護者の皆様も、日々厚い信頼度や期待を寄せてくださり、何としてもその期待に応えたいと、職員の意識も高まってきました。


お友達や先生とのかかわりの中で、計画的・教育的に系統化されたプログラムの中で、人はこうして、人としての基礎的な能力・感性・社会性・感覚などを身につけていく。

その育ちの一つ一つが、私にとっては新鮮で、感動と喜びの毎日でした。


家庭だけでは出来ない専門性の高い子どもの育てを、

ここを選んで良かったと、心から安心し信頼して、大切な子どもを預けられる保育・教育の場を、

自信と誇りをもって、子ども育ての仕事に打ち込める職員、


それぞれの子ども、一人一人の子どもの育ちをしっかりと見つめること、

地域の子ども集団の中にあって、それぞれの子どもの可能性を、最大限に伸ばしていくこと、

これまで私がずっと大切にしてきたそのことを、ご縁があったこの環境の中で、しっかりと具現化していきたい。


天候もさることながら、私のもってる運は普通ではありません、

力自体は本当に微力な私ではありますが、こうした恵まれた場で仕事が出来ることに、感謝感謝の毎日なのです。



子どもが育つ教材

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皆さんは、学生時代にメンデルの法則や元素記号、古文や漢文、関数・因数分解・三平方の定理などたくさんのことを学んできたと思います。

でも、その事が今のお仕事と直接結びついたり、その事が生活の中で日々使われているかというと、そうではない方が大多数なのではないかと思います。


では、高校で物理や漢文を学んだ時間が、全く意味の無いことであったかと言えば、それはきっとそうではないと言えるのではないかと思います。


高校球児なら、どの子もすべて夢は甲子園で練習したいものです。

たとえそれが予選敗退であろうがなかろうが、野球部で過ごした日々は、決して甲子園出場の有無では替えることのできない大切な日々であったはずです。

野球部でみんなと共に練習した日々の中から、チームワークであったり、目標に向かって努力する姿の尊さであったり、自分や友達に対する誇りであったり、克己心であったり、そのことがその後の人生を切り拓く大きな原動力となったりすることもあるでしょう。

勉強でも、運動でも、子どもたちは、懸命に取り組む中から、きっと何か大切なことを学んでいくのです。


以前、私の所に、サッカーのとても上手な子が来てくれていました。

お父さんも元サッカー選手で、将来はきっとその道で活躍できる資質や環境が整っている子でした。


ある日、その子がため息まじりに私に語った言葉があります。

「先生、おれ勉強できるようになりたいんよ~」

今からもう数年も前の話になりますが、この言葉は、今でも私の心に突き刺さっています。


2歳や3歳子でも、アンパンマンのおもちゃを出した時と、数字やひらがなのパズルを出した時の目の輝きは違います。

子どもには、生まれながらにもってした、内発的な学びの欲求や、知的好奇心が必ずあるのです。

「あなたは勉強しなくていい」は、「あなたは生きていなくていい」と同じ意味の言葉です。


子どもの能力や、特性、発達の時期や伸びるタイミングは、多様で千差万別、一人として同じ子どもはいません。

別な言い方をすれば、子どもの目が輝くのは、その教材の目的や方法がその子にあっているからで、そうでないのなら、それはその題材や方法に工夫が足りないのだと、私は考えています。


標準化・系統化された教材にチャレンジしていく方向感は、すべての子にもってもらいたいと思います。

大谷選手だって、キャッチボールもできない時期が、必ずあったはずです。

最初から甲子園なんか無理と、だらだら野球をやっているのと、そこからきっと大切なことは何も生まれません。


しかし、いくらそれが標準化された教材であっても、その子の今に合ってない教材を、何の手立ても工夫もなしに与えていて、それで一体何が育つというのでしょう。

それは、子どもが悪いのではなく、何の配慮もなく与えた指導者こそが、切腹すべきだと私は考えています。


子どもの今を見つめること、

教材のねらい・育ての目標を明確にとらえること、

子ども力を育てる見通しとビジョン、

それに叶う技術と情熱、確かな支援、


それで育たないことが、一体どこにあるというのでしょう、

ものさしのあて方一つで、きっと違って見える何かがある、

可能性を信じることから、きっと何かが生まれる、


たとえ甲子園に出れなくとも、君の誇りはどんなものにも替えられない、

私と子どもとの信頼の基盤は、いつもきっとそこにあるのです。

注意の焦点化

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検査などで知的な遅れが指摘される子がいます。

その原因にはいくつかのこと考えられるのですが、知的な処理そのものの問題ではなく、情報のインプットの部分に課題にがある子どもとも多く出会ってきました。


知的な情報を処理したり、アウトプットする前に、まず対象となる課題に注意が集中できにくいのです。

「カクテルパーティー効果」と言ったりしますが、たくさんの話言葉の中から、先生の言葉だけを焦点化してキャッチ出来にくい子もいます。


先生の言葉より、隣の友達のつぶやきや机の物音が気になって仕方がない子もいます。

知的な情報がキャッチ出来ないでいて、どうして豊かに知的な学習を進めてくことが出来るでしょうか?


まずは、学習のスタートラインにしっかりとのせてやることが大切です。

静かに学習できる環境に配慮する。

あるいはその子の目を見て再度指示をする。

注意を集中させるための一工夫で、その後の展開が全く変わっていきます。


私は個別レッスンの時には、いつも上の画像のようなメモ用紙を使います。

このことにより、子どもがキャッチできなければ瞬時に霧散してしまう、話言葉による指示がきちんと明確化されます。

文字や図によるヒントが紙にかかれていれば、時間的にも、認知処理特性の面からも、その子のタイミングや方法でそれをとらえることが可能になります。


またこの大きさのメモ用紙に、いつも1枚1ヒントという形をとっています。

こうすることにより、量的にも、内容的にも、より焦点化した形で子どもにとらえさせることが出来るのです。


では、何でもかんでもメモ用紙に書けば済むと言うことではありません。

子どもによって、特性によって、内容によって、タイミングによって、最適なものを提供出来るかどうか?

その大切な視点の一つが、こういう所にもあると考えているのです。

園長としての仕事

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西日本豪雨の影響もあり、先週やっと大学での前期の講義が終了しました。

障害児保育Ⅰに続き、2年生になった学生さんと共に障害児保育Ⅱの学習を進めてきました。


学生さんに書いてもらったレポートを、1年ごとにまとめて綴ってみました。

1年生の途中から、学生さんたちの目の色が変わっていくのが見て取れました。

授業アンケートでも高い評価をもらい、私自身のモチベーションも、ずっと高いままで授業を進めていくことが出来ました。


2年生の授業では、より実践に根ざした学習に心がけてきました。

演習やディスカッション、実際のフォームで個別教育支援計画の作成にも取り組んでみました。

学習のレベルも量もうんとハードになったのに、1年生の時より点数の上がった子が大多数でした。


ご家族の信託を受けて大切なお子様の命と育てを預かる保育士としての使命感、

教育や発達のプロとしての高い専門性と技術、

すべての子どもを尊び慈しむ教育愛と、共に育ち合う集団づくり、


今、現職の園長としてここに立つ身として、どうしても皆さんに教え伝えたい内容があり、責任がある。

未来の保育・教育を担っていくであろう39名の学生さんたちは、私の願いや期待をしっかりと受け止めて学習に取り組みました。


授業にかかわることで準備したり整理したり内容は、自分の園や法人の研修に直接生きて働くものとなりました。

私自身の力量も、こうした取り組みを通して、少しずつ高まっていくのを感じ取ることができました。


最後の授業で書いてもらった学生さんのレポートを、何度か読み返してみました。

それぞれの学生さんが、それぞれにキラリと光る内容を綴ってくれていました。




◆あなたの考える子どもの障がいとは何か書きなさい。
 
 子どもの障がいは、その子が生まれもってでてきた特性であり、障がいをその子にとっての障壁にしてしまうかどうかは、周囲の大人次第であると思います。だから、子ども一人ひとりをきちんと見つめて特性を理解し、一人ひとりに合った支援を行える保育士になりたいです。ただ発達が遅れているだけで、できるようになっていくのだから、ひとつひとつゆっくりでも達成できた喜びを共感していきたいです。

◆障害児保育Ⅱの学習を通して、一番印象に残ったことは何か書きなさい。
 
 障がいのある子の家庭の母親の気持ちです。健常児と比べると障がい児の子たちは発達が遅れたり、理解が難しかったり、できないことばかりに目がいきがちで、「自分が産んでしまった」と申し訳なさを感じたり、障がいがあるという事実を受け止められなかったり、ということがあげられていました。私の親も受け入れるのは本当に難しいと言っていたのを聞いたことがあったので、余計印象に残りました。そういう姿を見てきたからこそ、私は母親への支援も大切にしていきたいです。

◆2年間の障害児保育の学習を通しての感想を書きなさい。
 
 保育者の専門性がどれほど重要であるか、そして保育者の存在の大きさがどんなに大きいか、すごく考えさせられました。また、しっかり障がいの特性を理解しておくことがとても大切で、子どもが少しでも伸びていけるような関わりができていけるといいなと思います。また、クラス全体で障がいのある子も包みこんでいけるような温かいクラスづくりができる保育者になりたいです。きっと接していってみて初めてわかることや気づくこと、身についていくことはたくさんあると思います。実際に働きだした時に、この授業で身につけた知識と保育をつなげていけるように、今後も自分自身で多くの知識をつけていきたいと思います。ありがとうございました。





後期からは、また1年生の学生さんとの新しい出会いが待っています。

来年3月に、私も満60歳になります。


未来の保育・教育を担う力のある保育者の育成、

私のなすべきことの一つは、きっとそこにあるのです。

すべての子どもに豊かな学びと育ちを

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子どもの学びや育てについて、系統化・体系化されたプログラムがあるということは、とても重要なことだと考えています。

保育指針・教育要領・指導要領などは、国家としての教育の柱を示すもので、軽んじてはならないと思っています。

私は、すべての子どもの学びや育てに際して、こうした標準化された育ての内容から、決して目をそらさないよう肝に銘じています。


一方で、育てのプログラムや教材については、結果それが昨年通りのものであったとしても、必ずその子の発達の文脈に合わせて工夫や改善をし、血の通ったオリジナルなものであるように心がけています。


上の画像は、ICF国際機能分類の構造図です。

何か子どもにできにくい課題があった場合に、それを子ども側の能力だけに起因するものと考えず、教育の内容や環境の視点から見つめ直してみようというものです。


簡単に言えば、子どもの実態をきちんと把握していない者が、適切な手立ての一つも工夫しないでいて、実態に合った学びや育ての場を構成できないでいて、それで結果が出ないのは、子どものせいでも何でもなくて、ただ単に指導をして側が稚拙なだけということです。


適切な教育の場を与えないでいて、子どもが出来ないのは当たり前です。

もしも大した工夫もせずにで出来た課題があったとしたら、それは、その子がその課題を解決できるだけの力を既に身につけていたということで、その場でその子が育ったということではないのかも知れません。


例えば、数の量的な見方が出来にくい子どもがいたとします。

私はこれまで、そうした子どもと何人も出会ってきました。


そのほとんどの子の場合、数にかかわる学習の累計時間が、極端に少ないのが実情です。

確かに認知面の処理特性について、量的なとらえができにくい傾向が見られますが、そのせいかどうか、数に対する学習時間が圧倒的に貧弱になってしまっているのです。

これでは、たとえ伸びたくても伸ばしようがありません。


その子に実態に合わせて、その子の発達の特性に合わせて、せめて他のこと同じように数にかかわる学習や体験を積み上げていくことが出来ていたどうか?

出来る・出来ないを語るのは、その次の話だと私は思っているのです。


子どもはみんな色々な勉強ができるようになりたいと願っているのです。

系統化・体系化されたプログラムはあっても、一人として同じ子どもはいないのです。

だからこそ、指導者側の工夫と技術と熱意がそこに求められます。


育ちの色も形も、一人一人が違うのです、多様なのです。

だからこそ、標準化された教材から目をはなさず、すべての子どもに、学び育つ喜びを体感させたい。

弾むような学びと育ちを、すべての子どもに提供したい。


こうして、私のチャレンジは、これからもずっと続くのです。



「出来る」と「出来ない」のメカニズム

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小規模保育園の園長になってから、1年が過ぎました。

1歳で初語、1歳半でボキャブラリースパート、

私は3人の子どもを育てた父ではありますが、それとは全く違い、人の言語獲得のプロセスなど、発達の視点で、多くの子どもたちの育ちをダイレクトに見つめる機会を与えていただきました。


例えば、IQの値が80の子がいたとします。

その数値から、知的な発達に遅れがあると判断することは出来ますが、その数値だけをもってして、その子の一体何を理解したことになるのでしょう。


上の図は、記憶のメカニズムを示したものです。

同じ知的な遅れと言っても、文字や数字などインプットしたり符号化したりすることが苦手な子と、ワーキングメモリーでの処理(短期記憶の容量や処理)が苦手な子な子では、対応の仕方は変わってきます。

また記憶に関しても、長期記憶そのものが苦手な子と、それを引き出すことが苦手な子との支援の工夫は、同じではありません。


IQ値そのものだけを対象とするのでなく、例えば言葉が出にくいというのは、その子の中で何が起こっているのかを理解すること、文字が書きにくいとあらば、その子の発達の文脈の中で何をどう育てて行けばよいかと見通すことが出来ること、

それがあってこそ、初めて発達の課題を見つめることができるのだと考えるようになってきました。


発達のメカニズムを、実践と理論の双方から解き明かしていくこと、

私の旅の第2章は、今日からまた新しいスタートをしたのだと、思っているのです。


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