FC2ブログ
 

音楽発表会

 2019-01-31
201901315.jpg

201901316.jpg

20190131.jpg

201901314.jpg

2019013123.jpg







この日、イオンモール岡山・岡山未来ホールにおいて、認定こども園白ゆりの音楽発表会がありました。

年々たくさんの子どもたちが、白ゆりに通ってくれるようになり、以前のように一同に集って発表会ができなくなったため、本年度より岡山駅前の当ホールを借り切っての開催となりました。


前日は、会場のイベントスタッフの方が色々とお手伝いをしてくださいました。

0歳児の演技から愛らしくも和やかな感じで会はスタートしましたが、園児たちの発表が進むにつれて、多くの方々の顔つきが変わり、身を乗り出して、中には目を潤ませてご覧いただく方が増え、やがて会場は大きな感動に包まれました。


音楽は、言葉や理屈を超えて、子どもたちの心にダイレクトに響いていきます。

お友達と一体となり、こうした内容の豊かなパフォーマンスを体験した子どもには、自己肯定の気持ち、他者受容の心が芽生えていくに違いありません。


発表会終了後、階上のビュッフェで、子どもたちとご家族、そして先生方との懇親会が催されました。

子どもの成長を真ん中にして、ご家族はきっと豊かで美しい時間を過ごされたことでしょう。


この日に向けて、それぞれのクラスの保育士に大きな方向感が生まれていきました。

こんなすてきな会になって本当に良かった。


自分もその一員でいられたことを、誇りに感じた一日となったのでありました。








豊かな学びをワーキングメモリの視点からとらえる

 2019-01-29
20190129.jpg






子どもが生き生きと豊かに学び育つ姿、

それはご家族も私たちも共に願う共通の思いです。

その学びの中枢をになうワーキングメモリーについて、私は直近の実践を通して、次のような思いで整理して考えるようになりました。



① インプットの認知処理特性
 ワーキングメモリーで処理していくためには、まずその情報が認知されなければなりません。言語一つにしても、文字言語・理解言語・聴覚性の言語・話し言葉など、様々な異なるタイプのものがあります。
 その子の得手な情報入力のソースをつかみ、その幅を広げていくことが、豊かな学びを構成していくためのポイントであると考えます。

② 処理速度の速さ
 パソコンで言えば、CPUの速さがこれにあたります。処理速度が早ければ、学習のパフォーマンスもそれにつれて向上していきます。例えば、計算が早くできるようになれば、そのことによって生じたワーキングメモリーの余力が別の内容に生かされていきます。こうした力を育んでいくことも、重要です。


③ 一度に処理できるワーキングメモリーの容量
 聖徳太子は一度に七人の問いに答えたという逸話がありますが、それぞれの子には、一度に処理できる情報量には限界があります。その子が処理できる情報量を意図的・教育的に配慮していくことも、子どもを育てていくときの大切な視点の一つであると考えます。

④ 情報を集中して処理できる持続時間
 次から次へと山のように情報を処理していく子どもがいたとしても、そういう子に限って、案外一つのことをずっと頭の中に思い浮かべ、考えることが苦手である場合もあります。ゆっくりと頭の中で考え続けるというのは、処理速度が遅いのとは似て非なるものです。ゆっくりと集中して考え続けることは、それ自体が知的レベルの高さと高い相関があると考えます。


私は、子どもと接するそれぞれの学習活動の中で、今日は①~④のどの部分を刺激し、伸ばしてきたか、振り返るようにしてきました。

数であったり、言語であったり、それぞれの内容の成果とともに、こうした4つの力と自分に対するプラスの気持ちを育てていくこと、

子どもとその方向感を共有することこそが、楽しいレッスンの中身であると、私は考えているのです。




ささやかで当たり前の幸せ

 2019-01-28
IMG_2248.jpg









就学を4月に控えた今、ご家族の方が私の所にご相談にみえられます。

そのほとんどが、家族としての思いがなかなか相手側に伝わらず、悔しい思いをして帰ってきたというものです。


何かこちらが非常識な要求をしているように言われる・・

ごく普通に学校に行って、ごく普通に学ばせてやりたい・・

過度な要求は何一つしていない、一人の子どもとして、ささやかな配慮をお願いしたいだけなのです・・


世の中だいぶ変わってはきましたが、まだまだ画一化をよしとする日本の風土は根強い、

こういった臨床の最前線では、なかなかまだ当たり前のように多様性を受け入れる文化は育っていないのです。


多様性を受け入れるということは、それぞれの命の大切さに目をやること、

他者の存在や特性を受け入れるということは、自分の存在と命の大切さにふれること、


私は、ご家族に寄り添い、戦い続けることにより、その大切さを当たり前のように世の中に浸透させていきたい。

それが私のなすべき責任、

これからも私は、ずっとこの道を歩んで行きたいと願っているのです。









私の歩んでいく道

 2019-01-24
201901241.jpg

201901242.jpg








先日、所用があり事前私が所長をしていた事業所へ顔を出しました。

久しぶりに保育室へ足を踏み入れると、子どもたちはちょうどお散歩に出かけているところでした。


お誕生日の掲示物に目をやると、何とも美しも豊かな愛情をそこに感じることができました。

数年前に心血を注いで、この事業所設立に向けて汗を流した日々が、なつかしくそして鮮やかによみがえってくるような気持ちになりました。


管理者を後進に託し、新しい事業を始めたのですが、その後進にかけた負担は並大抵のものではありませんでした。

しかし今、それぞれの管理者は以前にも増して輝きを取り戻し、私とはまた一つ違った持ち味で、多くの子どもたちの成長と幸せのために活躍できる基盤をつくりあげてくれたのでした。


私はこの3月に還暦を迎えます。

まだまだ現役最前線で、戦い続けていく覚悟です。


しかしいつの日か、私が現役から退いた後でも、きっと私の志しは、それぞれの後進に受け継がれいきながら、また新しい花を次々と咲かせてくれることでしょう。


それが、これから私の歩んでいく道、

作り上げていく一つの形、

生み出し受け継がれていくためにこそ、去りゆく姿がある、


そこに向けて生涯駆け抜ける自分でありたいと、心から願っているのです。






行動の安定とコミュニケーションとの深い相関

 2019-01-23
IMG_1242.jpg








今からもう10年以上の前の話になります。

私が初めて発達支援の個別指導教室を開いた時、申し込みが殺到して、一日に数名の子どもの新規レッスンを行ったことがありました。


元来、初めての環境が苦手な子が多いのに加えて、私の指導技術も経験もそれに足るものではなかったため、それはそれは厳しい1日となりました。

おそらくは、生涯忘れることの出来ない1日となったのでした。


そのうちの一人が今年高等部の卒業を迎えました。

当時、行動面の課題が大きかったこの子も、知的にも行動面でもその後大きな成長を見せ、実習などでも優れた実績を残し、4月から事業所の一員として働くことが内定しました。


彼と初めて心がつながったのは、小学校の時のバイキンマンのおもちゃでした。

このこときっかけに、彼とは深い絆ができ、その後衝動的な行動は一切見られなくなりました。

以来10年にわたって、サポートは続いているのです。


就労後も、先生の所には定期的に会いに行かせていただきたい、

ご両親は私にそう、おっしゃてくださいました。


私とこの子との関係は、決して言葉のやりとりによって深まったものではありません。

「君には、君の果たすべき役割があってこの世の中に生を受けたのです。」

「あなたには、誰かのために、何かのことで役に立ち感謝される存在になるという使命があるのです。」

そんな言葉を一度として口にしたことはありませんが、私のまなざしも、手のぬくもりも、すべてそこからわき出たものであったのです。


口数の少ない子ほど、そんな感性は豊かなものです。

行動の安定しない子ほど、心の中に繊細な気持ちを宿しているものです。


当初不安定だった子のほとんどは、やがて私に寄り添い、手をにぎってくるようになりました。

衝動性のはげしかった子ほど、寄せる思いはやがて深くなっていきました。


すべての子どもは、信ずるに値する子ども、

それが子どもの心に伝えることができてこそ、真の教育者、

私の信念は、今でも脈々と心の中で息づいているのです。




新しい学びの形

 2018-12-31
IMG_2200.jpg







今年の御用納めの日に、高校生の子がご両親と一緒に来てくれました。

今年は大きな手術を受け、体調がしっかりしないということで、ぎりぎりのこの日に日程を調整しました。

今は筆記用具を使うことが出来にくくなっているので、ご覧のようにパソコンを使って文学教材の学習を続けています。


私がこの教室に着いたのは、午後6時半過ぎでした。

そもそも保育園はこの日は、午前中閉園で、私の仕事は本来それで終了なのですが、この子とのレッスンは私の新規材開発のモニターみたいになっていて、ずっと楽しみにしていました。


この子も私も義務感0ですからね、そりゃやっててこんなに楽しい時間はありません。

真剣でいて、笑い声の絶えない活気のあるレッスン、


「私たち、この調子なら2時間でも3時間でもずっと勉強続けられるよな?」

冗談半分で私が言うと、その子は笑顔で、こっくりと大きくうなずきました。

「もうちょっとで高校卒業だけど、その後もずっと一緒に勉強できたらいいのに?」

私がそう言うと、その子は少し驚いた表情で、目を大きく開け、またしても 「うん」 と大きくうなずきました。


その日のレッスンが終わると、その足で私は岡山駅に向かいました。

明日には仙台から、東京から、帰省で大阪に帰る子どもが大阪の教室に来てくれるのです。


本当にやりたいことがそこにある、

誰かに必要とされている、

その子らしく人とつながって生きる、


私は自分の姿を通して、子どもたちをそんな人に育て上げたい

学びは、私と子どもをつなぐ架け橋

保育園の子もきっとそれは同じ


新しい学びの形は、きっとそこにあると信じているのです。





学習能力を育てる

 2018-12-27
wokingm.png






私はこれまで様々な子どもの学びに向き合ってきました。

10年前に個別学習指導教室を開いた頃は、認知処理に目を向けた指導に力を注いで取り組みました。


視覚的なとらえの得手な子ども、言語・聴覚的なとらえの得手な子ども、

特に小さい頃は情報のインプット得手不得手があり、その認知処理の特性に合わせた教材を提示し、段階的にその双方を使い分けることが出来るよう取り組んできました。

また、年齢や学習経験の積み重ねによって、劇的にその事が改善される時期があることが経験的わかってきました。

多い年は、1年に2000とか3000とかのレッスンを10年近く積み重ね、小1だった子を高3までサポートさせていただいたことにより、私自身がたくさんのことを学ぶことができました。


大学での授業を担当するようになってから、学習が進むとか、進まないとがは、どういうメカニズムであるのかを論知的に整理する機会を与えてもらいました。

論理的な思考は、図のようにワーキングメモリーの中で処理されるのですが、その容量や速度にもいくつかの発達段階があります。


例えば字を読む(読字)ということに集中している小さい子どもは、そのことを同時にイメージ化していない時期があります。

大人はすでに様々な学習を通して、自然に読みながら、その意味を考えたりイメージ化したりすることが当たり前になってきますが、実は生まれた時からずっとそうではなかったわけです。

「何回言ったらわかるの?」 みたいなことは、そもそもおかあさんとお子さんの器そのものが違っているから、かみ合わないわけです。


しかし読むなら読む学習を続けていると、小さい子ですから、その能力は一定時学習経験を積めば、その分だけ大きく育つ時期があります。

うちの保育園にも外国籍のお子さんが何人かいますが、第二言語であるはずの日本語の習得には、目を見張るものがあり。とても大人は太刀打ちできません。


読字でお腹いっぱいになった子は、やがてイメージの世界に突入する時期があります。

イメージ化ならイメージ化ばっかりの時期もありますが、やがて今度は読字とイメージが同時に出来るような力が育っていきます。


それぞれの個々の能力を、それぞれの題材で育てて行きながら、場や状況により、その学習経験を一般化することが出来ること、

これが学習が豊かになるということであり、学びの力が育つということなのです。


一つ一つの学習には意味があり、育つ内容があります。

そしてその日その時、その子が一番欲している学習にかかわる内容や題材を提示する能力、

いわゆる発達の最近接療育を構成出来る指導者の能力。

そのことが求められていくのです。


学習の充実ぶりは、子どもの態度をみればダイレクトに感じ取ることが出来ます。

学習が終わっても、席にしがみついて離れようとしない小さな子ども、

抱きかかえるように教室が出ると、私の足をからめて、離れようとしない子ども、

家でも学校でも書いたことのないようなていねいな文字を毎回書いて、ご家族をびっくりさせるl子ども、

モニター画面を見ながら、我が子が何十分も集中して生き生きと学習する姿を見て、涙を流しているお母さん、


どれだけ豊かな学習が子どもの自尊心を育み、計り知れないエネルギーを生み出していくことか?

この年末、転勤で東京や仙台に転校した小学生の子が、帰省を機に、1時間だけですが私のレッスンを受けに来てくれます。


学習は単なる内容の記憶ではなく、命を育む活動そのもの、

そう私は信じているのです。






知的能力を育むごっこ遊び

 2018-12-26
gokko.jpg







私はほとんど毎日、子どもとお買い物や料理、トミカのおもちゃを使ったパノラマなどのごっこ遊びを楽しんでいます。

ごっこ遊びというのは、目の前のものだけでないイメージの世界を楽しむ活動です。

楽しく主体的なその活動を通して、みるみる子どもは表象的な思考力を培っていくのです。


頭の中で描かれたこうしたイメージは、さらに動作や言葉に発展して、コミュニケーションのツールとして活用され、言語性や社会性を含む知的発達の基幹となっていくのです。

また後々大切になってくる数や言語の感覚も、この時期に育っていきます。


2歳には2歳の、3歳には3歳の発達にとっては欠くことの出来ない課題があるのです。

プログラムに基づき、計画的・系統的に育てて行く教育の軸は不可欠です。

だからこそその一方で、内発性の高い子どもの遊びの中にこそ、もう一つの子どもの大切な育ての軸があると、私は思っているのです。



判断・記憶のメカニズム

 2018-12-25
kioku1.png

kioku2.png







先日大学で、学生さんたちに判断や記憶のメカニズムについて伝えました。

私は現職の保育園園長であり、発達にかかわる実践者ですから、論理だけでなくて、出来るだけ実践現場での子どもの姿やエピソードを添えて話すように心がけています。


就学前の子どもの学習は、短期記憶(ワーキングメモリー)の範囲内で行われることがほとんどです。

そのワーキングメモリーで処理される内容も、言語化・符号化されたものと、感覚的なものとが混在されています。


直接目に見えたり、耳に聞こえたりする刺激が、活動が発展充実していくにつれてイメージや想像がふくらみ、だんだんとその内容に言語が添えられてくるようになります。

子どもの内発的な遊びを通して、知的発達がダイレクトに促進していくわけです。

小さい子どもの好奇心や向上心は、大人のそれとは比べものにならないくらい旺盛です。


小さい子どもは、当初泣いたり抵抗感を示すことも多いです。

ですが、そんな子ほどレッスンを重ねるにつれて、走り込むようにレッスンにやってきたり、レッスンが終わってもなかなか帰ろうとしなかったりするのです。

知的に遅れのみられる子は、学習そのものが嫌いなわけでなく、内容がかみ合わないそのもどかしさが嫌いなだけなのです。


その子の特性や脳のメカニズム、

発達段階や認知処理にあわせた内容を構成すること、

これから伸びようとする子どもの願いにそった学習、

その形はきっと、その子の心の根元でしっかりと息づいているのです。





育ての本質

 2018-12-06
スクリーンショット (6)








今週末にクリスマス発表会があります。

秋の運動会に続いて、このクリスマスの発表会では、歌やオペレッタなど、文化的なものが活動の中心となります。

0歳児クラス、1歳児クラス、2歳児クラスそれぞれに、こうした活動を通して随所に大きな成長が見られました。


言語・空間認知・コミュニケーション・協応運動・集団活動・社会性・協調性・・

発達にとっては、他では替えることのできない大切に感覚が、こうした活動を通して身についていくのです。


むずかしい言葉や数値を並べ立てただけでは、子どもは育ちません。

毎日暮らす生活の中の、日々のこうし保育活動の積み重ねがあってこそ、そうしたことが生かされていくわけです。


こうした基盤を、すべての子どもに、等しく豊かに育てていきたい。

それぞれの子らしさの光る、弾むような活動、

育ての本質は、きっとそんな所にあるものです。



必ずできる行動改善

 2018-11-30
20181130.png

201811302.png






小学校の教員をしていた時に、ずっと心に抱いていた疑問があります。

「B先生の前ではマイナス行動ばかりみせていた子どもたちが、A先生の前にくると、どうしてあんなに目を輝かせ、クラスのみんんなと協力し、生き生きと学習に取り組むのだろう」

教育的な力量といってはそれまでのことですが、そのポイントをどう整理していいのか、ずっと不思議に思っていました。


そんな中、大学院に行ったとき、積極的行動支援(PBS)について学ぶ機会がありました。

これまで疑問に思っていた内容のすべては、応用行動分析に基づいたこのPBSの手法で、すべて論理的に説明できることを知りました。


いわゆる子どもの問題行動を、すべて子どもの特性のせいだと考えるのは誤りです。

子どもはよく生きたい、成長したいという基本的な欲求をもっており、すべての行動には理由というものがあるわけです。

問題行動は、関係性の問題として考えるべきであり、それをきちんと読み解いていけば、必ず望ましい支援の形は見つかると考えています。

今、時々お子様の行動にことについて、保護者の方からご相談をうけますが、お話を詳しくお聞きしてるうちに、ほとんどの場合その解決のための糸口はみつかります。


子どもの行動には、必ずそれなりのわけというものがあり、行動の背景というものがあるのです。

そして成長の欲求、集団への所属欲求があります。

だからこその、真の子どもの願いを引き出すかかわりについて、考えてみるべきだと思うのです。


実践から見える仮説

 2018-11-16
20181116.png







先日大学で、注意の集中にかかわる講義を行いました。

毎回のことではありますが、学生さんたちに伝える内容について、事前にかなりの時間をかけて、私自身が学ぶ機会が必要です。

そして、そのことを、生きた言葉で伝え、実践について語る中で、「はっ」と気づく場面がたびたびあります。


これまで私は、それぞれの子どもの認知処理特性について、焦点をあてて方略を立てることを基本に据えていました。

今でもスタンスに変わりはないのですが、ただ単に一つの方からその課題をとらえるだけでは不十分であることに気がつきました。


仮に認知処理特性の理解と方略を軸にするとすれば、そこに注意の集中およびコミュニケートという二つの観点を加味して構成すること、

この3つの軸をおりまぜて子どもの特性を理解し、方略を立てると、それまでやや閉塞感のあった活動にも、方向感や躍動感が芽生えていくことが体験的にわかってきました。


きっとこれが、私の目指す一つの形、

理論と実践の双方から生まれる豊かな学び、

臨床場面を通して、これからもずっとその仮説を検証し続けていきたいと願っているのです。


志を同じくするもの

 2018-11-12
IMG_2015.jpg








先週、県北のある小学校へ訪問させていただきました。

次年度入学予定の保育園・幼稚園・こども園の子どもたちが、一日体験入学で、その小学校にやってきました。


校長先生が、付きっきりで学校の案内をしてくださいました。

校長先生は、今年退職予定の先生でありますが、今からもう30年以上前、新採用時に同じ学校に勤務したいわば親友の一人です。


教育委員会の指導課長を経て、市内の中心校の校長となり、そこでご退職、

40代以降は、お互い自分の時間がほとんどとれず、なかなか会う機会も少なくなってしまましたが、是非ともそのお祝いをさせていただきたいということで、今回の訪問となりました。

何十年経とうが、新採用の頃からずっと、お互いに教育にかける情熱には微塵も変わりがないなと感じました。

彼は、退職で少し時間に余裕ができるので、4月以降は月に一度は会いたいなという話になりました。


前日には、法人の園内研修で、ノートルダム清心女子大の青山先生にお越しいただきました。

今や全国的に著名な存在となりましたが、平成3年の内地留学の同期生として知り合って以来、彼とももう27年のお付き合いとなりました。

相変わらずエピソードを上手に紐解いて、キレのある内容の豊かな研修会となりました。


この校長先生と青山先生が、旧知の知り合いであったことが、今回の訪問で明らかになりました。

世の中、本当に狭いものです。


彼らとは、志を同じくして、ずっとずっと同じ方向を見つめて歩んできました。

20年、30年というのは長いようで、教育のスパンとしては、ほんの一つの区切りにしか過ぎません。

この時代に生きる教育者として、何を見つめ続け、いかに豊かな教育実践を積み重ねることができたか?


その答えはいつも、目の前にいるたった一人の子どもの育ての中にある、

私たちの歩みは、これからもずっと続いているのです。


次のステージへ

 2018-11-05
IMG_2006.jpg









先日、新しい小規模保育園の設立に向けて、審査会に行ってきました。

今回は、現職の園長として審査会に臨むわけで、ある意味これまでの教育・保育の取り組みを、行政のリーダーの立場の方に知っていただくまたとない機会であると考えました。


設立に向けての書類は、担当が骨を折って作成してくれましたので、私は運営や経営にかかわる内容を担当しました。

表に立つのは自分でしたが、多くの職員の努力と願いがそこに込められていることを、背中いっぱいに感じている気分でした。


プレゼン前夜は、職員が帰ったあと保育園にこもって、何度も原稿を練り直し、何度も何度も発表の練習をしました。

市の幹部の方が10名以上いる部屋で、滞りなく自分の思いを伝えきるためには、得心のいくまで内容を整理しておく必要があると思っていました。


プレゼン自体は、自分の力を出し切ったし、全く悔いはありませんでした。

自分の人生の中で、こうした晴れやかなチャレンジの舞台に何度も立てたことを、とてもうれしく思いました。


先週末に、事業予定者の決定通知をいただきました。

すべきことは、ここからがスタートとなるわけで、身の引き締まる思いになりました。


すべての子どもの成長と幸せのために、自分のなすべき役割に、真摯に取り組んでいきたい。

この先、どんな子どもたちと出会っていくことになるのでしょう。

次のステージに向けて、また一つ、大切な夢が心の中に芽生えたのでありました。


心の根元にあること

 2018-10-31
20181030.png







今からもう10年以上も前のことになりますが、私が初めてこのサマランカ宣言の文章にふれた時、魂が震えるような感動をおぼえたことがあります。

どの言葉が私の何をということではなくて、生まれついて、ずっともやもやとしてきた私の思いを、一気に晴らしてくれたようなそんな記憶をずっと持ち続けているのです。


今担当させていただいている大学での講義でも、必ず早い時期に、学生さんと共にこの内容に向き合うようにしています。

職員研修でも、折に触れ、資料を印刷して、内容を共有するように努めています。


このことなくして、いくらテクニカルな面に力を注いだとしても、決してそれは血の通ったものにはならないと考えています。

そして、子どもを育てるという営みの、すべての原点がここにあると信じているのです。


それから十何年、その思いは衰えるどころか、教育の実践を積み重ねて行くごとに、ますます深くゆるぎのないものへと高まっているのです。

この先の私にとって、生涯を賭して追い続けていくこと。

その原点は、ずっとここにあるのです。





サマランカ宣言(一部)

 われわれは以下を信じ、かつ宣言する。

◦ すべての子どもは誰であれ、教育を受ける基本的権利をもち、また、受容できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなければならず、

◦ すべての子どもは、ユニークな特性、関心、能力および学習のニーズをもっており、

◦ 教育システムはきわめて多様なこうした特性やニーズを考慮にいれて計画・立案され、教育計画が実施されなければならず、

◦ 特別な教育的ニーズを持つ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならず、

◦ このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり、さらにそれらは、大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、全教育システムの効率を高め、ついには費用対効果の高いものとする。



子どもの心に宿る命

 2018-10-26
IMG_1627 (002)






最近、色々な面で自分のやってきた取り組みの中から、手応えを感じることができる場面が何度かありました。

例えば、レッスンを通して3歳の子どもと、心が深くつながったと感じることがあります。


就学前の子どものレッスンに直接かかわって、もう10年以上になりますが、駆け出しの数年間は、そんなふうに思える場面などほとんどありませんでした。

ベースライン自体がかなり低かったと思いますが、そのときの技術や内容を1とすれば、今のその手応えは5にも6にもなると感じるくらいです。


その3歳の子が、20歳になるまでには、あと17年あります。

できればこの子が、自己実現出来るまでサポートさせていただきたいと思うのですが、私は来年3月には60歳になりますから、その頃はもう生きていれば77歳で、とてもレッスンを続けられるような年齢ではありません。


でも、この子とレッスンをし重ねた事実は、消え去るものではありません。

きっと私の顔も、レッスンを受けたことさえ忘れてしまうのでしょうが、でも私とつながった心の糸から、何か大切なことが、この子の心の中で息づいて行くのかも知れない・・

先日のレッスンの途中で、私の心の中に、そんな思いが息づいてきました。


それは、母子といえども同じこと、

自ら無き後の子どもの人生に、はせる親の思い、

日々懸命に我が子と歩んだ道のりは、脈々と我が子の心に刻まれて、きっと失せることなどあろうはずもないのです。

懸命に取り組む先にある子どもの未来

 2018-10-12
IMG_1930.jpg

スクリーンショット (3)








昨日は、小規模保育園の運動会でした。

最初の演技で、2歳児組の子が、大縄の中で短縄とびをすると、会場から 「おっー」 というどよめきが起こりました。

それから約1時間半の間、保護者の皆さんは、まるで奇跡を見ているかの如く、子どもたちの演技に引き込まれていきました。


先週の予行演習のあとに、2人の子どもが厳しく注意を受けていました。

その様子を見て、担当の保育士の顔がみるみる変わっていくのがわかりました。

もちろん、そのことを子どもに転嫁するような保育士ではありませんが、その表情の変化を一番敏感に受け止めたのは、子どもたちの方でした。


開会式に臨む子どもたちの顔は、予行演習の時と明らかに変わっていました。

もちろん、保護者の方がお越しくださっているという特別な環境の変化がありましたが、演技に望む姿勢そのものが、真剣になっていることがその表情から伺えました。


練習の時に失敗をして、涙を流した2歳児組の子どもは、本番当日は見るも鮮やかに演技を決めて、一体となった会場から大きな拍手と歓声に包まれていました。

3歳未満の子どもが、自分の命を振り絞るように、真剣に取り組む姿は、私の心も大きく揺さぶりました。


自分たちの決めた目標に向かって、真剣に取り組むその姿の中から、演技を超えた何か大切なことが芽生え始めたのを、しっかりと感じることができました。

お遊びでない運動会から、子どもたちが学び感じ取ったものは、自分やお友達そして先生に対するプラスの気持ち、

それに勝る宝物が、一体どこにあるというのでしょうか?


甘やかしの教育からは、きっと何も生まれてこない、

自分の命を精一杯輝かして取り組んでいくこと、

そこから子どもは奇跡を起こす。


真に子どもの願いをかなえる育て

子どもの可能性を信じる保育


ご家族に抱きしめられ、笑顔いっぱいになった子どもの表情を、あの保育士は遠くからしっかりと見つめているのでした。

園長としての休日

 2018-10-09
IMG_1870.jpg
IMG_1871.jpg
IMG_1867.jpg
IMG_1888.jpg


IMG_1889.jpg
IMG_1875.jpg








体育の日は、久々に何も予定の入っていないオフの日でした。

保育園に来てくれている子どものご家族が県北で工房をひらいておられ、その30周年のイベントにご招待いただいておりましたので、家内と母の3人でおじゃまさせていただきました。


岡山市中心部から車で北へ2時間余りの山里に、その工房はありました。

到着すると、ちょうとそのお子さんのお母さん方が、ピアノとバイオリンの生演奏をしてくださっていました。


今、私の保育園に通ってくれている子ども、ご両親やご家族からあついおもてなしを受け、白ゆりに来て良かったと何度もおっしゃっていただきました。

生演奏、映像のような美しい環境、あたたかい心のふれ合い、心が洗われるようなすばらしいシチュエーションに囲まれ、ここにこさせていただいて本当に幸せな時間を過ごさせていただきました。


午後2時からは、岡山市のシンフォニーホールでの演奏会に伺いました。

発達支援センター所長時代からのご縁で、毎年この演奏会にご招待をいただいています。


会場に着くと、以前私が教えた子どもたちやそのご家族の何人かと久々の再会がありました。

そして、小学校教諭時代の大恩人、私の子ども観の根幹に大きなご示唆をいただいたいわば私の師匠とも呼ぶべき先生に、数年ぶりにご挨拶をさせていただくことが出来ました。

ここ何年かは、休みの日になかなか自由の動きがとれませんでしたが、シンフォニーホールの生の演奏は、私の心を大きくゆさぶり、次年度以降は何とかこうした時間がとれるように、スケジュール管理を工夫していく必要があるのだと感じました。


正月でさえ仕事に打ち込み、わき目もふらず駆け抜けたこの10年間、

そのことにより得たものは、今の私の宝ものとなっています。


しかしいつの間にか、私の役割も少しずつ変化している。

ぽっかりとあいた連休の一日は、今この時にあって何か大切なものを、私に感じさせてくれたように思えてならないのです。




12年の保護者支援

 2018-10-07
IMG_1850.jpg







今から12年前、私が保育園の副園長をしていた時に、ある小学校1年生の女の子のお母さんがご相談にお越しくださりました。

小学校に入学して、書字の課題に直面した女の子のお母さんでした。

他の保育園の先生から私のことをお聞きになり、お越しくださったということでした。


このブログは、2008年2月15日から開始しましたが、発達にかかわる私の臨床実践は、このお母さんとの出会いからスタートとなったのでした。

その花子ちゃんが、来春には高等部の卒業ということになります。

その間、保育園の副園長から、発達支援センターの所長、そして小規模保育園の園長と次々に私の立場は変わっていきましたが、立場は変わりながらも、これまで何らかの形で、ずっとサポートを継続させていただきました。


おそらくはこの3月をもって、このサポートも大きな区切りの時期を迎えようとしています。

来春三月には、私も60歳、還暦を迎えます。


もし今も小学校の現場におれば、ここで第一線を退く年齢なのですが、今の私にはそんな感覚は1ミリもありません。

小学校1年から、高等部まで一人の子どもの育てを継続してサポートさせていただいたことは、普通では考えられない出来事です。

それはある意味、支援者としての私の金字塔となるはずです。


同じ子どもを、同じご家族を、12年も継続してサポートさせていただいたこと、

だからこそ、これから果たしていかなければならない役割がここにあります。


還暦を迎えた60歳、

もっともっと研鑽して、支援内容を深めていきたい。

ここからが私の、さらに大切なステージの幕開けだと考えているのです。

全ての子どもの成長との幸せのために

 2018-09-28
IMG_1839.jpg








先日、来春開設予定の新しいこども園創設に向けて、担当いただく業者様による入札をさせていただきました。

7月の西日本豪雨の影響もあり、順調に入札が成立し、来春4月1日に開園が出来るのか?

これまで、状況的に危惧する面も少なからずありました。


入札の進行役をさせていただくのも、これで3回目になりました。

入札一つにしても、これまですべての入札が平穏に行われたというわけではありません。

しかしながら、入札を必要とする大きな事業に、教育者として三度も立ち会うことが出来たわけです。


すべてが、私個人の力で出来たことではありません。

教育の臨床実践を続けて行きたいからこそ、法人の中で与えられた責務を人並みにこなしていくこと、

いつの頃から、それが私の仕事に向き合うスタンスとして、大切なことなんだと考えるようになりました。


臨床実践者としての、私の道のりは未だ三分三厘、

目指す山は、まだまだずっと遠くにあるのです。


人として、社会人として、もっともっと実績を積み上げていく中で、自分の向かう先を決して見失わないよう歩いていきたい、

人生の中に、そういものがあるということを、私は何よりの幸せに感じているのです。






個に寄り添う中から生まれてくること

 2018-09-25
IMG_1831.jpg





先日、0歳のお子様についてのご相談を伺いました。

土・日は大阪にいましたので、振り替え休日である月曜日に来ていただくことになりました。

発達にかかわること、就園に関わることで、いくつかの内容についてお伝えをしました。


ご両親がお忙しくされているので、休日での対応になりました。

何度も何度も、「休日にすみません」 と頭を下げてくださいましたが、私にとってはそれは当たり前のことであるので、かえってそんなふうに言っていただくことが恐縮に感じました。


私はこれまで、様々なレアなケースに寄り添ってきました。

その経験の多さこそが、私にとっても白ゆりにとっても、かけがえのない財産となっていくのです。


「一人の子ども、一つのご家族に寄り添うことは、すべての子どものニーズに寄り添うこと」

ご縁があって、それが白ゆりにつながることがあれば、それはとてもありがたいこと。

結果として別の道を選択されたとしても、ご相談を伺ったことで、きっとそれは何かの形でお子様のためにお役に立つことにつながるに違いない。


我が子を思うご家族の真摯な気持ち、

私を突き動かすエネルギーの源泉は、きっといつもそこにあるのです。

発達の系統性

 2018-09-19
20180913.png

↑ PDFはこちらから






先日の職員研修会で、遠城寺式の発達のスケールをもとに、0歳~5歳までの成長・発達の系統性について学習しました。

これまでに保育園で撮影してきた0歳児~5歳児からの動画を、「移動運動」「手の運動」「基本的生活習慣」「対人関係・発語・言語理解」といった遠城寺式のスケールと対比して、振り返ってみました。

こうした標準化したスケールは、それぞれの子どもの成長の指針を示す意味での役割を有しています。


私はこの10年、個別支援という形で、多くの子どもの育ちに寄り添ってきました。

3歳で初めて出会った子が、もう中学にもなろうかとしています。


100人の子どもがいたとしたら、その成長の曲線は100通り、一人として同じ子はいませんでした。

言語にしても、コミュニケーションにしても、社会性にしても、爆発的にそのことが伸びる時期というのがあります。


標準化したスケールに照らして、育ての内容を焦点化したり、課題を明確にすることは、とても意味のあることです。

しかし、いくつかのケースでは、課題点を突きつけるだけに終わって、明確な育ての見通しも、方略も、手立ても示せず、ご家族を奈落の底に突き落とす結果となることも少なくありません。


子どもの育てに生かす検査、

繰り返しますが、それが生かせないとなるのなら、そんな検査はすべきではないし、そんな結果は捨てるべきだと思います。


検査は重要です。

だからこそ我々教育実践者は、何としてもそれを生かす才覚を身につけ、その特性に対応できる専門性を高めて行かなくてはなりません。

大切なのは、数字や紙切れではなく、その子の存在そのものなのですから。

子どもの育てを支えるもの

 2018-09-12
IMG_1765.jpg

IMG_1767.jpg








先日、安全衛生推進者講習会に参加しました。

1日缶詰の講習会ですので、日程等の関係で、福山市の講習会に参加することになりました。

内容は、労務・雇用・法令に関することで、事業者として子どもの臨床現場で活躍していただく先生方の、心身の健康や働きやすい職場の環境づくりといったことが中心になっていました。


質の高い子どもの育てについては、私でなければ出来ないこともありますが、私一人では出来ないこともたくさんあります。

その組織のリーダーたるものが、うまくたくさんの職員の持ち味を引き出して、子どもの成長と幸せという同じ目標に向かって力を集約していく流れを作っていくことは、重要です。


私の軸足はいつも臨床実践にあって、管理者としての力量や才覚については、まだまだ未熟な点ばかりだと自覚しています。

子ども育ての臨床に関わり続けたいのであれば、管理者としての責務を一人前に果たすことが条件です。


懐深く、器は大きく、

それでいて子どものような追求心や、探究心を持ち続けていたい、

多くの職員に支えられながら、私らしい管理者としての仕事を模索し、内容を積み上げていきたい


なすべき尊い仕事がそこにあること、

それをもってして、私の幸せは、きっとそこにあると信じているのです。

感謝感謝の日々

 2018-09-10
IMG_1738.jpg









先日、小規模保育園の親子遠足を行いました。

前日の天気予報では、降水確率が40~60%と出ており、半分中止を覚悟していましたが、夜明け前から徐々に予報が変わり、遠足開始の10時には、暑くもなく寒くもなく、薄曇りの絶好の日和となりました。


園長になって1年余り、

新園設立から2年余り、

ようやく園の運営にも、教育・保育のポイントも理解度が徐々に高まってきました。


この日の遠足では、20人足らずの子どもに、10名以上の職員で対応しました。

保護者の皆様も、日々厚い信頼度や期待を寄せてくださり、何としてもその期待に応えたいと、職員の意識も高まってきました。


お友達や先生とのかかわりの中で、計画的・教育的に系統化されたプログラムの中で、人はこうして、人としての基礎的な能力・感性・社会性・感覚などを身につけていく。

その育ちの一つ一つが、私にとっては新鮮で、感動と喜びの毎日でした。


家庭だけでは出来ない専門性の高い子どもの育てを、

ここを選んで良かったと、心から安心し信頼して、大切な子どもを預けられる保育・教育の場を、

自信と誇りをもって、子ども育ての仕事に打ち込める職員、


それぞれの子ども、一人一人の子どもの育ちをしっかりと見つめること、

地域の子ども集団の中にあって、それぞれの子どもの可能性を、最大限に伸ばしていくこと、

これまで私がずっと大切にしてきたそのことを、ご縁があったこの環境の中で、しっかりと具現化していきたい。


天候もさることながら、私のもってる運は普通ではありません、

力自体は本当に微力な私ではありますが、こうした恵まれた場で仕事が出来ることに、感謝感謝の毎日なのです。



子どもが育つ教材

 2018-08-31
20180831.png
↑ クリックすると画像は拡大してご覧いただけます。









皆さんは、学生時代にメンデルの法則や元素記号、古文や漢文、関数・因数分解・三平方の定理などたくさんのことを学んできたと思います。

でも、その事が今のお仕事と直接結びついたり、その事が生活の中で日々使われているかというと、そうではない方が大多数なのではないかと思います。


では、高校で物理や漢文を学んだ時間が、全く意味の無いことであったかと言えば、それはきっとそうではないと言えるのではないかと思います。


高校球児なら、どの子もすべて夢は甲子園で練習したいものです。

たとえそれが予選敗退であろうがなかろうが、野球部で過ごした日々は、決して甲子園出場の有無では替えることのできない大切な日々であったはずです。

野球部でみんなと共に練習した日々の中から、チームワークであったり、目標に向かって努力する姿の尊さであったり、自分や友達に対する誇りであったり、克己心であったり、そのことがその後の人生を切り拓く大きな原動力となったりすることもあるでしょう。

勉強でも、運動でも、子どもたちは、懸命に取り組む中から、きっと何か大切なことを学んでいくのです。


以前、私の所に、サッカーのとても上手な子が来てくれていました。

お父さんも元サッカー選手で、将来はきっとその道で活躍できる資質や環境が整っている子でした。


ある日、その子がため息まじりに私に語った言葉があります。

「先生、おれ勉強できるようになりたいんよ~」

今からもう数年も前の話になりますが、この言葉は、今でも私の心に突き刺さっています。


2歳や3歳子でも、アンパンマンのおもちゃを出した時と、数字やひらがなのパズルを出した時の目の輝きは違います。

子どもには、生まれながらにもってした、内発的な学びの欲求や、知的好奇心が必ずあるのです。

「あなたは勉強しなくていい」は、「あなたは生きていなくていい」と同じ意味の言葉です。


子どもの能力や、特性、発達の時期や伸びるタイミングは、多様で千差万別、一人として同じ子どもはいません。

別な言い方をすれば、子どもの目が輝くのは、その教材の目的や方法がその子にあっているからで、そうでないのなら、それはその題材や方法に工夫が足りないのだと、私は考えています。


標準化・系統化された教材にチャレンジしていく方向感は、すべての子にもってもらいたいと思います。

大谷選手だって、キャッチボールもできない時期が、必ずあったはずです。

最初から甲子園なんか無理と、だらだら野球をやっているのと、そこからきっと大切なことは何も生まれません。


しかし、いくらそれが標準化された教材であっても、その子の今に合ってない教材を、何の手立ても工夫もなしに与えていて、それで一体何が育つというのでしょう。

それは、子どもが悪いのではなく、何の配慮もなく与えた指導者こそが、切腹すべきだと私は考えています。


子どもの今を見つめること、

教材のねらい・育ての目標を明確にとらえること、

子ども力を育てる見通しとビジョン、

それに叶う技術と情熱、確かな支援、


それで育たないことが、一体どこにあるというのでしょう、

ものさしのあて方一つで、きっと違って見える何かがある、

可能性を信じることから、きっと何かが生まれる、


たとえ甲子園に出れなくとも、君の誇りはどんなものにも替えられない、

私と子どもとの信頼の基盤は、いつもきっとそこにあるのです。

注意の焦点化

 2018-08-16
20180802.png

IMG_1652.jpg









検査などで知的な遅れが指摘される子がいます。

その原因にはいくつかのこと考えられるのですが、知的な処理そのものの問題ではなく、情報のインプットの部分に課題にがある子どもとも多く出会ってきました。


知的な情報を処理したり、アウトプットする前に、まず対象となる課題に注意が集中できにくいのです。

「カクテルパーティー効果」と言ったりしますが、たくさんの話言葉の中から、先生の言葉だけを焦点化してキャッチ出来にくい子もいます。


先生の言葉より、隣の友達のつぶやきや机の物音が気になって仕方がない子もいます。

知的な情報がキャッチ出来ないでいて、どうして豊かに知的な学習を進めてくことが出来るでしょうか?


まずは、学習のスタートラインにしっかりとのせてやることが大切です。

静かに学習できる環境に配慮する。

あるいはその子の目を見て再度指示をする。

注意を集中させるための一工夫で、その後の展開が全く変わっていきます。


私は個別レッスンの時には、いつも上の画像のようなメモ用紙を使います。

このことにより、子どもがキャッチできなければ瞬時に霧散してしまう、話言葉による指示がきちんと明確化されます。

文字や図によるヒントが紙にかかれていれば、時間的にも、認知処理特性の面からも、その子のタイミングや方法でそれをとらえることが可能になります。


またこの大きさのメモ用紙に、いつも1枚1ヒントという形をとっています。

こうすることにより、量的にも、内容的にも、より焦点化した形で子どもにとらえさせることが出来るのです。


では、何でもかんでもメモ用紙に書けば済むと言うことではありません。

子どもによって、特性によって、内容によって、タイミングによって、最適なものを提供出来るかどうか?

その大切な視点の一つが、こういう所にもあると考えているのです。

園長としての仕事

 2018-08-10
IMG_1666.jpg

IMG_1668.jpg

↑ 画像はクリックすると拡大してご覧いただけます。










西日本豪雨の影響もあり、先週やっと大学での前期の講義が終了しました。

障害児保育Ⅰに続き、2年生になった学生さんと共に障害児保育Ⅱの学習を進めてきました。


学生さんに書いてもらったレポートを、1年ごとにまとめて綴ってみました。

1年生の途中から、学生さんたちの目の色が変わっていくのが見て取れました。

授業アンケートでも高い評価をもらい、私自身のモチベーションも、ずっと高いままで授業を進めていくことが出来ました。


2年生の授業では、より実践に根ざした学習に心がけてきました。

演習やディスカッション、実際のフォームで個別教育支援計画の作成にも取り組んでみました。

学習のレベルも量もうんとハードになったのに、1年生の時より点数の上がった子が大多数でした。


ご家族の信託を受けて大切なお子様の命と育てを預かる保育士としての使命感、

教育や発達のプロとしての高い専門性と技術、

すべての子どもを尊び慈しむ教育愛と、共に育ち合う集団づくり、


今、現職の園長としてここに立つ身として、どうしても皆さんに教え伝えたい内容があり、責任がある。

未来の保育・教育を担っていくであろう39名の学生さんたちは、私の願いや期待をしっかりと受け止めて学習に取り組みました。


授業にかかわることで準備したり整理したり内容は、自分の園や法人の研修に直接生きて働くものとなりました。

私自身の力量も、こうした取り組みを通して、少しずつ高まっていくのを感じ取ることができました。


最後の授業で書いてもらった学生さんのレポートを、何度か読み返してみました。

それぞれの学生さんが、それぞれにキラリと光る内容を綴ってくれていました。




◆あなたの考える子どもの障がいとは何か書きなさい。
 
 子どもの障がいは、その子が生まれもってでてきた特性であり、障がいをその子にとっての障壁にしてしまうかどうかは、周囲の大人次第であると思います。だから、子ども一人ひとりをきちんと見つめて特性を理解し、一人ひとりに合った支援を行える保育士になりたいです。ただ発達が遅れているだけで、できるようになっていくのだから、ひとつひとつゆっくりでも達成できた喜びを共感していきたいです。

◆障害児保育Ⅱの学習を通して、一番印象に残ったことは何か書きなさい。
 
 障がいのある子の家庭の母親の気持ちです。健常児と比べると障がい児の子たちは発達が遅れたり、理解が難しかったり、できないことばかりに目がいきがちで、「自分が産んでしまった」と申し訳なさを感じたり、障がいがあるという事実を受け止められなかったり、ということがあげられていました。私の親も受け入れるのは本当に難しいと言っていたのを聞いたことがあったので、余計印象に残りました。そういう姿を見てきたからこそ、私は母親への支援も大切にしていきたいです。

◆2年間の障害児保育の学習を通しての感想を書きなさい。
 
 保育者の専門性がどれほど重要であるか、そして保育者の存在の大きさがどんなに大きいか、すごく考えさせられました。また、しっかり障がいの特性を理解しておくことがとても大切で、子どもが少しでも伸びていけるような関わりができていけるといいなと思います。また、クラス全体で障がいのある子も包みこんでいけるような温かいクラスづくりができる保育者になりたいです。きっと接していってみて初めてわかることや気づくこと、身についていくことはたくさんあると思います。実際に働きだした時に、この授業で身につけた知識と保育をつなげていけるように、今後も自分自身で多くの知識をつけていきたいと思います。ありがとうございました。





後期からは、また1年生の学生さんとの新しい出会いが待っています。

来年3月に、私も満60歳になります。


未来の保育・教育を担う力のある保育者の育成、

私のなすべきことの一つは、きっとそこにあるのです。

すべての子どもに豊かな学びと育ちを

 2018-08-06
20180806.png
↑ クリックすると画像は拡大してご覧いただけます。








子どもの学びや育てについて、系統化・体系化されたプログラムがあるということは、とても重要なことだと考えています。

保育指針・教育要領・指導要領などは、国家としての教育の柱を示すもので、軽んじてはならないと思っています。

私は、すべての子どもの学びや育てに際して、こうした標準化された育ての内容から、決して目をそらさないよう肝に銘じています。


一方で、育てのプログラムや教材については、結果それが昨年通りのものであったとしても、必ずその子の発達の文脈に合わせて工夫や改善をし、血の通ったオリジナルなものであるように心がけています。


上の画像は、ICF国際機能分類の構造図です。

何か子どもにできにくい課題があった場合に、それを子ども側の能力だけに起因するものと考えず、教育の内容や環境の視点から見つめ直してみようというものです。


簡単に言えば、子どもの実態をきちんと把握していない者が、適切な手立ての一つも工夫しないでいて、実態に合った学びや育ての場を構成できないでいて、それで結果が出ないのは、子どものせいでも何でもなくて、ただ単に指導をして側が稚拙なだけということです。


適切な教育の場を与えないでいて、子どもが出来ないのは当たり前です。

もしも大した工夫もせずにで出来た課題があったとしたら、それは、その子がその課題を解決できるだけの力を既に身につけていたということで、その場でその子が育ったということではないのかも知れません。


例えば、数の量的な見方が出来にくい子どもがいたとします。

私はこれまで、そうした子どもと何人も出会ってきました。


そのほとんどの子の場合、数にかかわる学習の累計時間が、極端に少ないのが実情です。

確かに認知面の処理特性について、量的なとらえができにくい傾向が見られますが、そのせいかどうか、数に対する学習時間が圧倒的に貧弱になってしまっているのです。

これでは、たとえ伸びたくても伸ばしようがありません。


その子に実態に合わせて、その子の発達の特性に合わせて、せめて他のこと同じように数にかかわる学習や体験を積み上げていくことが出来ていたどうか?

出来る・出来ないを語るのは、その次の話だと私は思っているのです。


子どもはみんな色々な勉強ができるようになりたいと願っているのです。

系統化・体系化されたプログラムはあっても、一人として同じ子どもはいないのです。

だからこそ、指導者側の工夫と技術と熱意がそこに求められます。


育ちの色も形も、一人一人が違うのです、多様なのです。

だからこそ、標準化された教材から目をはなさず、すべての子どもに、学び育つ喜びを体感させたい。

弾むような学びと育ちを、すべての子どもに提供したい。


こうして、私のチャレンジは、これからもずっと続くのです。



「出来る」と「出来ない」のメカニズム

 2018-08-01
20180801.png





小規模保育園の園長になってから、1年が過ぎました。

1歳で初語、1歳半でボキャブラリースパート、

私は3人の子どもを育てた父ではありますが、それとは全く違い、人の言語獲得のプロセスなど、発達の視点で、多くの子どもたちの育ちをダイレクトに見つめる機会を与えていただきました。


例えば、IQの値が80の子がいたとします。

その数値から、知的な発達に遅れがあると判断することは出来ますが、その数値だけをもってして、その子の一体何を理解したことになるのでしょう。


上の図は、記憶のメカニズムを示したものです。

同じ知的な遅れと言っても、文字や数字などインプットしたり符号化したりすることが苦手な子と、ワーキングメモリーでの処理(短期記憶の容量や処理)が苦手な子な子では、対応の仕方は変わってきます。

また記憶に関しても、長期記憶そのものが苦手な子と、それを引き出すことが苦手な子との支援の工夫は、同じではありません。


IQ値そのものだけを対象とするのでなく、例えば言葉が出にくいというのは、その子の中で何が起こっているのかを理解すること、文字が書きにくいとあらば、その子の発達の文脈の中で何をどう育てて行けばよいかと見通すことが出来ること、

それがあってこそ、初めて発達の課題を見つめることができるのだと考えるようになってきました。


発達のメカニズムを、実践と理論の双方から解き明かしていくこと、

私の旅の第2章は、今日からまた新しいスタートをしたのだと、思っているのです。


≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫