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私の帰るところ

 2019-03-30
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程なく、平成30年度の終了の日を迎えます。

私の友達の中にも、明日をもって40年近くの教員生活にピリオドを打つ人もいます。

もしも私が教員を続けていれば、この時期に退職を迎えていたわけです。

感慨も一入です。


私は今、保育園の園長ですから、まずもって、その重い責任をしっかりと背負っていかなければなりません。

また、自分の保育園のことだけでなく、法人全体の中でのその役割を認識し、務めを果たしていかなければなりません。

若い先生方の指導も大切ですし、大学で学ぶ学生さんたちにも、発達にかかわわる知識や技能、保育・教育の本質を伝えて」いかなければなりません。

それぞれの内容は、どれも尊くも重要で、一つとしていい加減な気持ちで取り組むことは出来ません。


これが出来てこそ私は、教育者として直接子どもに向き合うことが出来る、

いつしか私は、そのように考えるようになりました。


生涯一実践者、

それが私の唯一帰る場所なのです。


昨日、新園が設立される地域で、挨拶回りに伺いました。

公民館にお伺いすると、何と館長さんは、ずっと前から共に仕事を続けてきた大切な先輩の先生でした。

私が発達支援センターの所長をしていた時には、ちょうどその地域の小学校の校長をされており、訪問支援事業の道筋をしっかりとご指導いただきました。


歩いて2分もかからない場所に、こうしてまたご縁がつながり、何とも心強い限りです。

しかし、いつもそこで話題の根元にあるのは、一人一人の子どもの育てそのものです。


新しい一歩は、きっとこれからも、同じように続いていくのです。















強運

 2019-03-29
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今年は、私にとって特別な意味をもつ節目の年になります。


小学校を退職して、個別指導の教室を開いたのが、今から12年前のことでした。

当時小学校1年生だった花子ちゃんも、その後中学校・高校へと進み、この春卒業、

私のサポートにも、大きな区切りを迎えたのでした。


大阪への出張レッスンも、いつの間にか10年にもなりました。

当時3歳くらいだった子も、この春に小学校を卒業、

当時からずっとサポートさせていただいている私としては、その成長ぶりには、目を見張るものがありました。


昨日は、私の60回目の誕生日、

私も昨日をもって、還暦を迎えたことになりました。


この日は、「認定こども園白ゆりの丘」 の落成式、

岡山市初、旧公立幼稚園の跡地を利用しての、民間の手による認定こども園の設立ということで、岡山市長様がわざわざ落成式に足を運んでくださいました。


私は、法人を代表して、謝辞を述べさせていただきました。

自分の還暦の誕生日に、こうして市長様だけでなく、局長様、課長様を前にしての舞台に自分がいられることを、何とも誇らしくもうれしく感じたのでありました。


私は、一人一人の子どもに寄り添うことにより、子どもたちの方が私をここまで押し上げてくれた。

何たる強運、

あなたたちと出会えたことそのものが、私の何よりの宝ものなのです。











「成長の基礎を培う豊かな保育」

 2019-03-28
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→ パンフレットのPDFはこちらから









4月に新しく開園する 「キッズガーデン白ゆり」 工事が終わり、先日行政の方の検査も無事完了しました。

パンフレットもこんな感じに仕上がり、オール新築のおしゃれな夢あふれる園舎となりました。

ここでまた一つ、新しく白ゆりの花が咲くのです。


「成長の基礎を培う豊かな保育」

少しお堅いのではと、お世話になっている方にご助言をいただきましたが、私はあえてこの言葉にこだわりました。


この名に恥じない保育の花をこの地で咲かせてみたい、

希望の春は、もう目の前まで来ました。












プロの技術

 2019-03-27
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私は、どのような子どもであっても、ひとたびお母さんと分離し、教室の扉を閉め、私と二人だけにしてくだされば、どんなふうにでも対応できる自信があります。

たとえどんなに泣き叫びながら入室したとしても、レッスンの終わりには笑顔で退室させる自信があります。

むしろそんな時ほど、自分の力量を見てもらえる絶好のチャンスであるとさえ思っているのです。


今では週末に行っている大阪でのレッスンも、もう10年になりました。

一定の時期に私のレッスンを卒業していった子も何人かいますが、当時ご縁があった子どもたちの半数以上が今でも継続してレッスンを受けてくれていることも、私の大切な誇りです。


レッスン自体は、決して最初から今のように行っていたわけではなく、挫折と失敗の連続でしたが、それでもその間一つたりとも気を抜いたり流したりするレッスンはありまでんでした。

その10年の積み重ねなくして、今の自分があろうはずはありません。

私の場合は基本、自分一人でやってきた個別指導スタイルですから、この技術のポイントをあえて後進に伝えようとは思っていませんでした。


昨日、保育園で生活発表会がありました。

保育園としてはここを大きな目標に据えており、1年間で大きく成長した子どもの姿がたくさん見られました。


その後の反省会で、こども園の園長が行った指導は、かなり厳しいものでした。

私は保育士の経験がありませんから、これまで保育内容そのものについては、事細かく保育士に指導することは意図的に控えてきました。

発達支援センターの所長時代と、同じようなスタンスの園長では決してありませんでした。


しかし、こども園の園長の指導に耳を傾けていると、その内容の一つ一つが、私がこの十年の実践の中から血のにじむ思いで積み上げてきた指導技術と、何ら異ならないことが分かりました。

彼女には、私が切り口としている応用行動分析や脳の機能局在といった切り口はありませんが、子どもを育てるという観点から本質は何も違わないということが、くっきりと浮き彫りになって見えるような気になりました。


私はこれを他者に伝承していくことに主眼を置いていませんが、彼女は園長として、そのことを保育士に伝承していくことこそが、自らの使命であると考えていることがわかりました。

ならば私は、自分しかできないことをもってして、このことをさらに豊かにしてくために、果たす役割があるのだと感じました。


私はこれまでがそうであったように、これからもずっと実践を通してその技術に研きをかけていきたい、

そしてその本質を、園長として、教育者の一人として、保育士さんに伝承していくことも、与えられた大切な使命の一つであると思いました。


向かう先と、その手立てが見えたなら、あとはそれを実行するだけのことです。

この4月に新園、2園開園、

明日は、市長さんを迎えての落成式。


子どもたち、そしてご家族のはずむ笑顔のために、私たちの使命は、決して軽くはないのです。












文字言語をイメージ化させる

 2019-03-25
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子どもが文字を見たとき、その字が何の時であるかをまず識別して認知します。

それまでに長期記憶に保存された情報とそれを照合して、一致すればそれが何という字なのかが認知されたことになります。


その文字のいくつかの組み合わせから、「りんご」なら「りんご」 「みかん」なら「みかん」 と意味のある内容と結びつけて理解することが出来ます。

それを文字に書いたり、音読したりすることが出来ます。


しかし、たとえ文字をすらすら書けたとしても、その意味がイメージ化出来ているかどうかは、また別問題です。

子どもによっては、文字を音声化するだけで、ショートターンメモリーを一杯に使ってしまい、内容のイメージ化が出来ていない場合もあります。


「太郎君は、昨日デパートに行って、洋服とかさとぼうしを買いました。」

こんな文章を読んだ子に、「太朗君は昨日どこに行ったの?」 とか 「何を買ったの?」 と尋ねても、きょとんとして答えられない場合だっていっぱいあるのです。

いやいや今読んだばっかりやろ、と突っ込むのは、それはその人がイメージ化がしっかり出来るまで学習経験を積んだ大人であるからで、その人だって小さいときには、きっと同じようなことだってあったはずです。


今私は、読解指導の場面で、iPadProの音声検索を時々使用しています。

例えば、子どもがシロツメクサって何?って尋ねてきた時には、iPadに 「シロツメクサ」 と音声入力すれば即座にシロツメクサの映像が何十枚と表示されます。

子どもは自分が知りたい内容が、瞬時に映像化されるので、とても喜びます。

こうした学習を通して、子どもたちはいつの間にか「シロツメクサ」と聞いただけで、そのイメージが豊かに広がっていくように成長していくのです。


学習って、何て豊かで楽しいものでしょう。

他者と比較するだけではない、子どもの学びの欲求に即した、内発的で豊かな学び、

たとえわずかの時間であっても、子どもたちはそういう時間を必要としているのだと私は思っているのです。


子どもたちのそういう願いを叶えたい、

いつだって私はそう思っているのです。







声にならない言葉

 2019-02-28
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先日、ある中学生の子が、レッスンが終わった後に、いきなり私に抱きついてきました。

単語レベルの言語表出が、無かったわけではありません。


ですが、私には彼の思いが手に取るように分かり初め、その願いを教材の構成という形で彼に返してみました。

すると不思議なことに、それにつれて言語表出の機会がだんだんと増えてきました。

当然のことながら、その言葉の量以上に、コミュニケートな内容が格段に豊かになってきたのです。


レッスンが終わったあと、達成感で彼の顔が紅潮しているのが見て取れました。

言語は単なる音声の表出ではなくて、通じ合うもの、共有し合う何かがあってこそ初めて意味をなすもの、

共有し合う内容が豊かになれば、言語であれ、非言語であれ、コミュニケート自体が生き生きと動き始めるのです。


言葉であれ、何であれ、支援者と子どもが同じ目標や、同じ方向に向くことこそが、その絆が深まり、通い合うことの中から何か美しいものが生み出されていく。


いつの頃だったか、この子の行動面の課題で心を痛めたことも、もう遠い昔、

抱きしめられた手のぬくもりこそ、百万の言葉をしのぐ、私へのメッセージに他なりません。


ずっと信じて前に進んできて良かった、

また一つ大切なメモリーが、心にしっかりと刻まれた一日となったのです。









指導にリズム感が大切な理由

 2019-02-26
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子どもが生き生きと学習に取り組む姿、

誰もが願ってやまない美しい光景です。


質、量、内容など、示された学習内容が、子どもの実態や願いに寄り添ったものであることが、大切な要件となります。

そして、子どもがさらに集中できるためには、子どもの注意の持続時間に添ったものであることが重要となってきます。


その子どものの集中のタイミングには、一定のサイクルやリズムがあります。

そのバイオリズムみたいなものに合わせて、その内容や量をうまく構成しタイミングよく提示してやると、やがてその子どもの表情は生き生きと輝いていくのです。


私はその日の教材を構成したら、レッスンの起承転結、必ず指導のイメージトレーニングを行います。

たまにではありますが、そのイメージやタイミングが、寸分狂わずぴったりとはまることがあります。

こういうときに、子どもが楽しくないわけがありません。


子どもの今をきちんとキャッチしていくこと、

その視点の一つは、こんなところにもあるのです。











桜咲く

 2019-02-25
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ここに来て、これまで数年にわたり応援させていただいた子どもたちの、高校あるいは中学の、合格のお知らせを次々といただくようになりました。

どの子も決して余裕の楽勝といった感じではなく、高い志をもってチャレンジし、自分の夢を叶えた形となりました。

よくぞ最後までくじけずに、家族一体となってその目標に向かって歩み続けることができたものと、私の方が感心させていただきました。


私はただ、そのそばにいて一緒に歩んできたに過ぎませんが、その子の気持ちの強さと、それに伴う努力とがんばりこそが、その子の大きな道を次々と切り開いていくのです。

10年以上前、個人で小さな教室を初めて以来、こうした志が叶わなかった例は1度もなく、毎年のように起こる快挙に、驚いているのは紛れもなく私の方です。


私がすごいのでも何でもなくて、私の所へご相談に来てくださるご家族の信念こそが、山を動かし、道なき道を切り開いて行かれたの思います。

その源に真摯な思いがあればこそ、きっと何か、その子の未来につながる何かが見えてくる。

こうした営みの一つ一つが、私の思いをさらに揺るぎないものに、磨き上げてくれているのです。



2つの新園 春の息吹

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「認定こども園白ゆりの丘」

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「認定こども園白ゆりの丘」


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「キッズガーデン白ゆり」

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「キッズガーデン白ゆり」



平成31年4月1日の開園をめざして、2つの新園 「認定こども園白ゆりの丘」 「キッズガーデン白ゆり」の工事が着々と進んでいます。

入園予定の子どもたちとの面接や打合せも順次進んでおり、新しい春に向けて、はずむような保護者の皆様の期待を一身に受け止めています。


子どもの笑顔の輝く育ての場を、

今、私たちは、その果たすべき責任を、ずっしりと重く受け止めているのです。







ダウン症療育研究会 紀要

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1年前に 「ダウン症療育研究会 岡山大会」 で教育講演をさせていただきました。

その要項が出来、この度送っていただきました。

関心のある方は、ぜひご覧ください。

http://okayama-shirayuri.com/nc_images/pdf/kiyou2019.pdf



音楽発表会

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この日、イオンモール岡山・岡山未来ホールにおいて、認定こども園白ゆりの音楽発表会がありました。

年々たくさんの子どもたちが、白ゆりに通ってくれるようになり、以前のように一同に集って発表会ができなくなったため、本年度より岡山駅前の当ホールを借り切っての開催となりました。


前日は、会場のイベントスタッフの方が色々とお手伝いをしてくださいました。

0歳児の演技から愛らしくも和やかな感じで会はスタートしましたが、園児たちの発表が進むにつれて、多くの方々の顔つきが変わり、身を乗り出して、中には目を潤ませてご覧いただく方が増え、やがて会場は大きな感動に包まれました。


音楽は、言葉や理屈を超えて、子どもたちの心にダイレクトに響いていきます。

お友達と一体となり、こうした内容の豊かなパフォーマンスを体験した子どもには、自己肯定の気持ち、他者受容の心が芽生えていくに違いありません。


発表会終了後、階上のビュッフェで、子どもたちとご家族、そして先生方との懇親会が催されました。

子どもの成長を真ん中にして、ご家族はきっと豊かで美しい時間を過ごされたことでしょう。


この日に向けて、それぞれのクラスの保育士に大きな方向感が生まれていきました。

こんなすてきな会になって本当に良かった。


自分もその一員でいられたことを、誇りに感じた一日となったのでありました。








豊かな学びをワーキングメモリの視点からとらえる

 2019-01-29
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子どもが生き生きと豊かに学び育つ姿、

それはご家族も私たちも共に願う共通の思いです。

その学びの中枢をになうワーキングメモリーについて、私は直近の実践を通して、次のような思いで整理して考えるようになりました。



① インプットの認知処理特性
 ワーキングメモリーで処理していくためには、まずその情報が認知されなければなりません。言語一つにしても、文字言語・理解言語・聴覚性の言語・話し言葉など、様々な異なるタイプのものがあります。
 その子の得手な情報入力のソースをつかみ、その幅を広げていくことが、豊かな学びを構成していくためのポイントであると考えます。

② 処理速度の速さ
 パソコンで言えば、CPUの速さがこれにあたります。処理速度が早ければ、学習のパフォーマンスもそれにつれて向上していきます。例えば、計算が早くできるようになれば、そのことによって生じたワーキングメモリーの余力が別の内容に生かされていきます。こうした力を育んでいくことも、重要です。


③ 一度に処理できるワーキングメモリーの容量
 聖徳太子は一度に七人の問いに答えたという逸話がありますが、それぞれの子には、一度に処理できる情報量には限界があります。その子が処理できる情報量を意図的・教育的に配慮していくことも、子どもを育てていくときの大切な視点の一つであると考えます。

④ 情報を集中して処理できる持続時間
 次から次へと山のように情報を処理していく子どもがいたとしても、そういう子に限って、案外一つのことをずっと頭の中に思い浮かべ、考えることが苦手である場合もあります。ゆっくりと頭の中で考え続けるというのは、処理速度が遅いのとは似て非なるものです。ゆっくりと集中して考え続けることは、それ自体が知的レベルの高さと高い相関があると考えます。


私は、子どもと接するそれぞれの学習活動の中で、今日は①~④のどの部分を刺激し、伸ばしてきたか、振り返るようにしてきました。

数であったり、言語であったり、それぞれの内容の成果とともに、こうした4つの力と自分に対するプラスの気持ちを育てていくこと、

子どもとその方向感を共有することこそが、楽しいレッスンの中身であると、私は考えているのです。




ささやかで当たり前の幸せ

 2019-01-28
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就学を4月に控えた今、ご家族の方が私の所にご相談にみえられます。

そのほとんどが、家族としての思いがなかなか相手側に伝わらず、悔しい思いをして帰ってきたというものです。


何かこちらが非常識な要求をしているように言われる・・

ごく普通に学校に行って、ごく普通に学ばせてやりたい・・

過度な要求は何一つしていない、一人の子どもとして、ささやかな配慮をお願いしたいだけなのです・・


世の中だいぶ変わってはきましたが、まだまだ画一化をよしとする日本の風土は根強い、

こういった臨床の最前線では、なかなかまだ当たり前のように多様性を受け入れる文化は育っていないのです。


多様性を受け入れるということは、それぞれの命の大切さに目をやること、

他者の存在や特性を受け入れるということは、自分の存在と命の大切さにふれること、


私は、ご家族に寄り添い、戦い続けることにより、その大切さを当たり前のように世の中に浸透させていきたい。

それが私のなすべき責任、

これからも私は、ずっとこの道を歩んで行きたいと願っているのです。









私の歩んでいく道

 2019-01-24
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先日、所用があり事前私が所長をしていた事業所へ顔を出しました。

久しぶりに保育室へ足を踏み入れると、子どもたちはちょうどお散歩に出かけているところでした。


お誕生日の掲示物に目をやると、何とも美しも豊かな愛情をそこに感じることができました。

数年前に心血を注いで、この事業所設立に向けて汗を流した日々が、なつかしくそして鮮やかによみがえってくるような気持ちになりました。


管理者を後進に託し、新しい事業を始めたのですが、その後進にかけた負担は並大抵のものではありませんでした。

しかし今、それぞれの管理者は以前にも増して輝きを取り戻し、私とはまた一つ違った持ち味で、多くの子どもたちの成長と幸せのために活躍できる基盤をつくりあげてくれたのでした。


私はこの3月に還暦を迎えます。

まだまだ現役最前線で、戦い続けていく覚悟です。


しかしいつの日か、私が現役から退いた後でも、きっと私の志しは、それぞれの後進に受け継がれいきながら、また新しい花を次々と咲かせてくれることでしょう。


それが、これから私の歩んでいく道、

作り上げていく一つの形、

生み出し受け継がれていくためにこそ、去りゆく姿がある、


そこに向けて生涯駆け抜ける自分でありたいと、心から願っているのです。






行動の安定とコミュニケーションとの深い相関

 2019-01-23
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今からもう10年以上の前の話になります。

私が初めて発達支援の個別指導教室を開いた時、申し込みが殺到して、一日に数名の子どもの新規レッスンを行ったことがありました。


元来、初めての環境が苦手な子が多いのに加えて、私の指導技術も経験もそれに足るものではなかったため、それはそれは厳しい1日となりました。

おそらくは、生涯忘れることの出来ない1日となったのでした。


そのうちの一人が今年高等部の卒業を迎えました。

当時、行動面の課題が大きかったこの子も、知的にも行動面でもその後大きな成長を見せ、実習などでも優れた実績を残し、4月から事業所の一員として働くことが内定しました。


彼と初めて心がつながったのは、小学校の時のバイキンマンのおもちゃでした。

このこときっかけに、彼とは深い絆ができ、その後衝動的な行動は一切見られなくなりました。

以来10年にわたって、サポートは続いているのです。


就労後も、先生の所には定期的に会いに行かせていただきたい、

ご両親は私にそう、おっしゃてくださいました。


私とこの子との関係は、決して言葉のやりとりによって深まったものではありません。

「君には、君の果たすべき役割があってこの世の中に生を受けたのです。」

「あなたには、誰かのために、何かのことで役に立ち感謝される存在になるという使命があるのです。」

そんな言葉を一度として口にしたことはありませんが、私のまなざしも、手のぬくもりも、すべてそこからわき出たものであったのです。


口数の少ない子ほど、そんな感性は豊かなものです。

行動の安定しない子ほど、心の中に繊細な気持ちを宿しているものです。


当初不安定だった子のほとんどは、やがて私に寄り添い、手をにぎってくるようになりました。

衝動性のはげしかった子ほど、寄せる思いはやがて深くなっていきました。


すべての子どもは、信ずるに値する子ども、

それが子どもの心に伝えることができてこそ、真の教育者、

私の信念は、今でも脈々と心の中で息づいているのです。




新しい学びの形

 2018-12-31
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今年の御用納めの日に、高校生の子がご両親と一緒に来てくれました。

今年は大きな手術を受け、体調がしっかりしないということで、ぎりぎりのこの日に日程を調整しました。

今は筆記用具を使うことが出来にくくなっているので、ご覧のようにパソコンを使って文学教材の学習を続けています。


私がこの教室に着いたのは、午後6時半過ぎでした。

そもそも保育園はこの日は、午前中閉園で、私の仕事は本来それで終了なのですが、この子とのレッスンは私の新規材開発のモニターみたいになっていて、ずっと楽しみにしていました。


この子も私も義務感0ですからね、そりゃやっててこんなに楽しい時間はありません。

真剣でいて、笑い声の絶えない活気のあるレッスン、


「私たち、この調子なら2時間でも3時間でもずっと勉強続けられるよな?」

冗談半分で私が言うと、その子は笑顔で、こっくりと大きくうなずきました。

「もうちょっとで高校卒業だけど、その後もずっと一緒に勉強できたらいいのに?」

私がそう言うと、その子は少し驚いた表情で、目を大きく開け、またしても 「うん」 と大きくうなずきました。


その日のレッスンが終わると、その足で私は岡山駅に向かいました。

明日には仙台から、東京から、帰省で大阪に帰る子どもが大阪の教室に来てくれるのです。


本当にやりたいことがそこにある、

誰かに必要とされている、

その子らしく人とつながって生きる、


私は自分の姿を通して、子どもたちをそんな人に育て上げたい

学びは、私と子どもをつなぐ架け橋

保育園の子もきっとそれは同じ


新しい学びの形は、きっとそこにあると信じているのです。





学習能力を育てる

 2018-12-27
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私はこれまで様々な子どもの学びに向き合ってきました。

10年前に個別学習指導教室を開いた頃は、認知処理に目を向けた指導に力を注いで取り組みました。


視覚的なとらえの得手な子ども、言語・聴覚的なとらえの得手な子ども、

特に小さい頃は情報のインプット得手不得手があり、その認知処理の特性に合わせた教材を提示し、段階的にその双方を使い分けることが出来るよう取り組んできました。

また、年齢や学習経験の積み重ねによって、劇的にその事が改善される時期があることが経験的わかってきました。

多い年は、1年に2000とか3000とかのレッスンを10年近く積み重ね、小1だった子を高3までサポートさせていただいたことにより、私自身がたくさんのことを学ぶことができました。


大学での授業を担当するようになってから、学習が進むとか、進まないとがは、どういうメカニズムであるのかを論知的に整理する機会を与えてもらいました。

論理的な思考は、図のようにワーキングメモリーの中で処理されるのですが、その容量や速度にもいくつかの発達段階があります。


例えば字を読む(読字)ということに集中している小さい子どもは、そのことを同時にイメージ化していない時期があります。

大人はすでに様々な学習を通して、自然に読みながら、その意味を考えたりイメージ化したりすることが当たり前になってきますが、実は生まれた時からずっとそうではなかったわけです。

「何回言ったらわかるの?」 みたいなことは、そもそもおかあさんとお子さんの器そのものが違っているから、かみ合わないわけです。


しかし読むなら読む学習を続けていると、小さい子ですから、その能力は一定時学習経験を積めば、その分だけ大きく育つ時期があります。

うちの保育園にも外国籍のお子さんが何人かいますが、第二言語であるはずの日本語の習得には、目を見張るものがあり。とても大人は太刀打ちできません。


読字でお腹いっぱいになった子は、やがてイメージの世界に突入する時期があります。

イメージ化ならイメージ化ばっかりの時期もありますが、やがて今度は読字とイメージが同時に出来るような力が育っていきます。


それぞれの個々の能力を、それぞれの題材で育てて行きながら、場や状況により、その学習経験を一般化することが出来ること、

これが学習が豊かになるということであり、学びの力が育つということなのです。


一つ一つの学習には意味があり、育つ内容があります。

そしてその日その時、その子が一番欲している学習にかかわる内容や題材を提示する能力、

いわゆる発達の最近接療育を構成出来る指導者の能力。

そのことが求められていくのです。


学習の充実ぶりは、子どもの態度をみればダイレクトに感じ取ることが出来ます。

学習が終わっても、席にしがみついて離れようとしない小さな子ども、

抱きかかえるように教室が出ると、私の足をからめて、離れようとしない子ども、

家でも学校でも書いたことのないようなていねいな文字を毎回書いて、ご家族をびっくりさせるl子ども、

モニター画面を見ながら、我が子が何十分も集中して生き生きと学習する姿を見て、涙を流しているお母さん、


どれだけ豊かな学習が子どもの自尊心を育み、計り知れないエネルギーを生み出していくことか?

この年末、転勤で東京や仙台に転校した小学生の子が、帰省を機に、1時間だけですが私のレッスンを受けに来てくれます。


学習は単なる内容の記憶ではなく、命を育む活動そのもの、

そう私は信じているのです。






知的能力を育むごっこ遊び

 2018-12-26
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私はほとんど毎日、子どもとお買い物や料理、トミカのおもちゃを使ったパノラマなどのごっこ遊びを楽しんでいます。

ごっこ遊びというのは、目の前のものだけでないイメージの世界を楽しむ活動です。

楽しく主体的なその活動を通して、みるみる子どもは表象的な思考力を培っていくのです。


頭の中で描かれたこうしたイメージは、さらに動作や言葉に発展して、コミュニケーションのツールとして活用され、言語性や社会性を含む知的発達の基幹となっていくのです。

また後々大切になってくる数や言語の感覚も、この時期に育っていきます。


2歳には2歳の、3歳には3歳の発達にとっては欠くことの出来ない課題があるのです。

プログラムに基づき、計画的・系統的に育てて行く教育の軸は不可欠です。

だからこそその一方で、内発性の高い子どもの遊びの中にこそ、もう一つの子どもの大切な育ての軸があると、私は思っているのです。



判断・記憶のメカニズム

 2018-12-25
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先日大学で、学生さんたちに判断や記憶のメカニズムについて伝えました。

私は現職の保育園園長であり、発達にかかわる実践者ですから、論理だけでなくて、出来るだけ実践現場での子どもの姿やエピソードを添えて話すように心がけています。


就学前の子どもの学習は、短期記憶(ワーキングメモリー)の範囲内で行われることがほとんどです。

そのワーキングメモリーで処理される内容も、言語化・符号化されたものと、感覚的なものとが混在されています。


直接目に見えたり、耳に聞こえたりする刺激が、活動が発展充実していくにつれてイメージや想像がふくらみ、だんだんとその内容に言語が添えられてくるようになります。

子どもの内発的な遊びを通して、知的発達がダイレクトに促進していくわけです。

小さい子どもの好奇心や向上心は、大人のそれとは比べものにならないくらい旺盛です。


小さい子どもは、当初泣いたり抵抗感を示すことも多いです。

ですが、そんな子ほどレッスンを重ねるにつれて、走り込むようにレッスンにやってきたり、レッスンが終わってもなかなか帰ろうとしなかったりするのです。

知的に遅れのみられる子は、学習そのものが嫌いなわけでなく、内容がかみ合わないそのもどかしさが嫌いなだけなのです。


その子の特性や脳のメカニズム、

発達段階や認知処理にあわせた内容を構成すること、

これから伸びようとする子どもの願いにそった学習、

その形はきっと、その子の心の根元でしっかりと息づいているのです。





育ての本質

 2018-12-06
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今週末にクリスマス発表会があります。

秋の運動会に続いて、このクリスマスの発表会では、歌やオペレッタなど、文化的なものが活動の中心となります。

0歳児クラス、1歳児クラス、2歳児クラスそれぞれに、こうした活動を通して随所に大きな成長が見られました。


言語・空間認知・コミュニケーション・協応運動・集団活動・社会性・協調性・・

発達にとっては、他では替えることのできない大切に感覚が、こうした活動を通して身についていくのです。


むずかしい言葉や数値を並べ立てただけでは、子どもは育ちません。

毎日暮らす生活の中の、日々のこうし保育活動の積み重ねがあってこそ、そうしたことが生かされていくわけです。


こうした基盤を、すべての子どもに、等しく豊かに育てていきたい。

それぞれの子らしさの光る、弾むような活動、

育ての本質は、きっとそんな所にあるものです。



必ずできる行動改善

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小学校の教員をしていた時に、ずっと心に抱いていた疑問があります。

「B先生の前ではマイナス行動ばかりみせていた子どもたちが、A先生の前にくると、どうしてあんなに目を輝かせ、クラスのみんんなと協力し、生き生きと学習に取り組むのだろう」

教育的な力量といってはそれまでのことですが、そのポイントをどう整理していいのか、ずっと不思議に思っていました。


そんな中、大学院に行ったとき、積極的行動支援(PBS)について学ぶ機会がありました。

これまで疑問に思っていた内容のすべては、応用行動分析に基づいたこのPBSの手法で、すべて論理的に説明できることを知りました。


いわゆる子どもの問題行動を、すべて子どもの特性のせいだと考えるのは誤りです。

子どもはよく生きたい、成長したいという基本的な欲求をもっており、すべての行動には理由というものがあるわけです。

問題行動は、関係性の問題として考えるべきであり、それをきちんと読み解いていけば、必ず望ましい支援の形は見つかると考えています。

今、時々お子様の行動にことについて、保護者の方からご相談をうけますが、お話を詳しくお聞きしてるうちに、ほとんどの場合その解決のための糸口はみつかります。


子どもの行動には、必ずそれなりのわけというものがあり、行動の背景というものがあるのです。

そして成長の欲求、集団への所属欲求があります。

だからこその、真の子どもの願いを引き出すかかわりについて、考えてみるべきだと思うのです。


実践から見える仮説

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先日大学で、注意の集中にかかわる講義を行いました。

毎回のことではありますが、学生さんたちに伝える内容について、事前にかなりの時間をかけて、私自身が学ぶ機会が必要です。

そして、そのことを、生きた言葉で伝え、実践について語る中で、「はっ」と気づく場面がたびたびあります。


これまで私は、それぞれの子どもの認知処理特性について、焦点をあてて方略を立てることを基本に据えていました。

今でもスタンスに変わりはないのですが、ただ単に一つの方からその課題をとらえるだけでは不十分であることに気がつきました。


仮に認知処理特性の理解と方略を軸にするとすれば、そこに注意の集中およびコミュニケートという二つの観点を加味して構成すること、

この3つの軸をおりまぜて子どもの特性を理解し、方略を立てると、それまでやや閉塞感のあった活動にも、方向感や躍動感が芽生えていくことが体験的にわかってきました。


きっとこれが、私の目指す一つの形、

理論と実践の双方から生まれる豊かな学び、

臨床場面を通して、これからもずっとその仮説を検証し続けていきたいと願っているのです。


志を同じくするもの

 2018-11-12
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先週、県北のある小学校へ訪問させていただきました。

次年度入学予定の保育園・幼稚園・こども園の子どもたちが、一日体験入学で、その小学校にやってきました。


校長先生が、付きっきりで学校の案内をしてくださいました。

校長先生は、今年退職予定の先生でありますが、今からもう30年以上前、新採用時に同じ学校に勤務したいわば親友の一人です。


教育委員会の指導課長を経て、市内の中心校の校長となり、そこでご退職、

40代以降は、お互い自分の時間がほとんどとれず、なかなか会う機会も少なくなってしまましたが、是非ともそのお祝いをさせていただきたいということで、今回の訪問となりました。

何十年経とうが、新採用の頃からずっと、お互いに教育にかける情熱には微塵も変わりがないなと感じました。

彼は、退職で少し時間に余裕ができるので、4月以降は月に一度は会いたいなという話になりました。


前日には、法人の園内研修で、ノートルダム清心女子大の青山先生にお越しいただきました。

今や全国的に著名な存在となりましたが、平成3年の内地留学の同期生として知り合って以来、彼とももう27年のお付き合いとなりました。

相変わらずエピソードを上手に紐解いて、キレのある内容の豊かな研修会となりました。


この校長先生と青山先生が、旧知の知り合いであったことが、今回の訪問で明らかになりました。

世の中、本当に狭いものです。


彼らとは、志を同じくして、ずっとずっと同じ方向を見つめて歩んできました。

20年、30年というのは長いようで、教育のスパンとしては、ほんの一つの区切りにしか過ぎません。

この時代に生きる教育者として、何を見つめ続け、いかに豊かな教育実践を積み重ねることができたか?


その答えはいつも、目の前にいるたった一人の子どもの育ての中にある、

私たちの歩みは、これからもずっと続いているのです。


次のステージへ

 2018-11-05
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先日、新しい小規模保育園の設立に向けて、審査会に行ってきました。

今回は、現職の園長として審査会に臨むわけで、ある意味これまでの教育・保育の取り組みを、行政のリーダーの立場の方に知っていただくまたとない機会であると考えました。


設立に向けての書類は、担当が骨を折って作成してくれましたので、私は運営や経営にかかわる内容を担当しました。

表に立つのは自分でしたが、多くの職員の努力と願いがそこに込められていることを、背中いっぱいに感じている気分でした。


プレゼン前夜は、職員が帰ったあと保育園にこもって、何度も原稿を練り直し、何度も何度も発表の練習をしました。

市の幹部の方が10名以上いる部屋で、滞りなく自分の思いを伝えきるためには、得心のいくまで内容を整理しておく必要があると思っていました。


プレゼン自体は、自分の力を出し切ったし、全く悔いはありませんでした。

自分の人生の中で、こうした晴れやかなチャレンジの舞台に何度も立てたことを、とてもうれしく思いました。


先週末に、事業予定者の決定通知をいただきました。

すべきことは、ここからがスタートとなるわけで、身の引き締まる思いになりました。


すべての子どもの成長と幸せのために、自分のなすべき役割に、真摯に取り組んでいきたい。

この先、どんな子どもたちと出会っていくことになるのでしょう。

次のステージに向けて、また一つ、大切な夢が心の中に芽生えたのでありました。


心の根元にあること

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今からもう10年以上も前のことになりますが、私が初めてこのサマランカ宣言の文章にふれた時、魂が震えるような感動をおぼえたことがあります。

どの言葉が私の何をということではなくて、生まれついて、ずっともやもやとしてきた私の思いを、一気に晴らしてくれたようなそんな記憶をずっと持ち続けているのです。


今担当させていただいている大学での講義でも、必ず早い時期に、学生さんと共にこの内容に向き合うようにしています。

職員研修でも、折に触れ、資料を印刷して、内容を共有するように努めています。


このことなくして、いくらテクニカルな面に力を注いだとしても、決してそれは血の通ったものにはならないと考えています。

そして、子どもを育てるという営みの、すべての原点がここにあると信じているのです。


それから十何年、その思いは衰えるどころか、教育の実践を積み重ねて行くごとに、ますます深くゆるぎのないものへと高まっているのです。

この先の私にとって、生涯を賭して追い続けていくこと。

その原点は、ずっとここにあるのです。





サマランカ宣言(一部)

 われわれは以下を信じ、かつ宣言する。

◦ すべての子どもは誰であれ、教育を受ける基本的権利をもち、また、受容できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなければならず、

◦ すべての子どもは、ユニークな特性、関心、能力および学習のニーズをもっており、

◦ 教育システムはきわめて多様なこうした特性やニーズを考慮にいれて計画・立案され、教育計画が実施されなければならず、

◦ 特別な教育的ニーズを持つ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならず、

◦ このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり、さらにそれらは、大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、全教育システムの効率を高め、ついには費用対効果の高いものとする。



子どもの心に宿る命

 2018-10-26
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最近、色々な面で自分のやってきた取り組みの中から、手応えを感じることができる場面が何度かありました。

例えば、レッスンを通して3歳の子どもと、心が深くつながったと感じることがあります。


就学前の子どものレッスンに直接かかわって、もう10年以上になりますが、駆け出しの数年間は、そんなふうに思える場面などほとんどありませんでした。

ベースライン自体がかなり低かったと思いますが、そのときの技術や内容を1とすれば、今のその手応えは5にも6にもなると感じるくらいです。


その3歳の子が、20歳になるまでには、あと17年あります。

できればこの子が、自己実現出来るまでサポートさせていただきたいと思うのですが、私は来年3月には60歳になりますから、その頃はもう生きていれば77歳で、とてもレッスンを続けられるような年齢ではありません。


でも、この子とレッスンをし重ねた事実は、消え去るものではありません。

きっと私の顔も、レッスンを受けたことさえ忘れてしまうのでしょうが、でも私とつながった心の糸から、何か大切なことが、この子の心の中で息づいて行くのかも知れない・・

先日のレッスンの途中で、私の心の中に、そんな思いが息づいてきました。


それは、母子といえども同じこと、

自ら無き後の子どもの人生に、はせる親の思い、

日々懸命に我が子と歩んだ道のりは、脈々と我が子の心に刻まれて、きっと失せることなどあろうはずもないのです。

懸命に取り組む先にある子どもの未来

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スクリーンショット (3)








昨日は、小規模保育園の運動会でした。

最初の演技で、2歳児組の子が、大縄の中で短縄とびをすると、会場から 「おっー」 というどよめきが起こりました。

それから約1時間半の間、保護者の皆さんは、まるで奇跡を見ているかの如く、子どもたちの演技に引き込まれていきました。


先週の予行演習のあとに、2人の子どもが厳しく注意を受けていました。

その様子を見て、担当の保育士の顔がみるみる変わっていくのがわかりました。

もちろん、そのことを子どもに転嫁するような保育士ではありませんが、その表情の変化を一番敏感に受け止めたのは、子どもたちの方でした。


開会式に臨む子どもたちの顔は、予行演習の時と明らかに変わっていました。

もちろん、保護者の方がお越しくださっているという特別な環境の変化がありましたが、演技に望む姿勢そのものが、真剣になっていることがその表情から伺えました。


練習の時に失敗をして、涙を流した2歳児組の子どもは、本番当日は見るも鮮やかに演技を決めて、一体となった会場から大きな拍手と歓声に包まれていました。

3歳未満の子どもが、自分の命を振り絞るように、真剣に取り組む姿は、私の心も大きく揺さぶりました。


自分たちの決めた目標に向かって、真剣に取り組むその姿の中から、演技を超えた何か大切なことが芽生え始めたのを、しっかりと感じることができました。

お遊びでない運動会から、子どもたちが学び感じ取ったものは、自分やお友達そして先生に対するプラスの気持ち、

それに勝る宝物が、一体どこにあるというのでしょうか?


甘やかしの教育からは、きっと何も生まれてこない、

自分の命を精一杯輝かして取り組んでいくこと、

そこから子どもは奇跡を起こす。


真に子どもの願いをかなえる育て

子どもの可能性を信じる保育


ご家族に抱きしめられ、笑顔いっぱいになった子どもの表情を、あの保育士は遠くからしっかりと見つめているのでした。

園長としての休日

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体育の日は、久々に何も予定の入っていないオフの日でした。

保育園に来てくれている子どものご家族が県北で工房をひらいておられ、その30周年のイベントにご招待いただいておりましたので、家内と母の3人でおじゃまさせていただきました。


岡山市中心部から車で北へ2時間余りの山里に、その工房はありました。

到着すると、ちょうとそのお子さんのお母さん方が、ピアノとバイオリンの生演奏をしてくださっていました。


今、私の保育園に通ってくれている子ども、ご両親やご家族からあついおもてなしを受け、白ゆりに来て良かったと何度もおっしゃっていただきました。

生演奏、映像のような美しい環境、あたたかい心のふれ合い、心が洗われるようなすばらしいシチュエーションに囲まれ、ここにこさせていただいて本当に幸せな時間を過ごさせていただきました。


午後2時からは、岡山市のシンフォニーホールでの演奏会に伺いました。

発達支援センター所長時代からのご縁で、毎年この演奏会にご招待をいただいています。


会場に着くと、以前私が教えた子どもたちやそのご家族の何人かと久々の再会がありました。

そして、小学校教諭時代の大恩人、私の子ども観の根幹に大きなご示唆をいただいたいわば私の師匠とも呼ぶべき先生に、数年ぶりにご挨拶をさせていただくことが出来ました。

ここ何年かは、休みの日になかなか自由の動きがとれませんでしたが、シンフォニーホールの生の演奏は、私の心を大きくゆさぶり、次年度以降は何とかこうした時間がとれるように、スケジュール管理を工夫していく必要があるのだと感じました。


正月でさえ仕事に打ち込み、わき目もふらず駆け抜けたこの10年間、

そのことにより得たものは、今の私の宝ものとなっています。


しかしいつの間にか、私の役割も少しずつ変化している。

ぽっかりとあいた連休の一日は、今この時にあって何か大切なものを、私に感じさせてくれたように思えてならないのです。




12年の保護者支援

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今から12年前、私が保育園の副園長をしていた時に、ある小学校1年生の女の子のお母さんがご相談にお越しくださりました。

小学校に入学して、書字の課題に直面した女の子のお母さんでした。

他の保育園の先生から私のことをお聞きになり、お越しくださったということでした。


このブログは、2008年2月15日から開始しましたが、発達にかかわる私の臨床実践は、このお母さんとの出会いからスタートとなったのでした。

その花子ちゃんが、来春には高等部の卒業ということになります。

その間、保育園の副園長から、発達支援センターの所長、そして小規模保育園の園長と次々に私の立場は変わっていきましたが、立場は変わりながらも、これまで何らかの形で、ずっとサポートを継続させていただきました。


おそらくはこの3月をもって、このサポートも大きな区切りの時期を迎えようとしています。

来春三月には、私も60歳、還暦を迎えます。


もし今も小学校の現場におれば、ここで第一線を退く年齢なのですが、今の私にはそんな感覚は1ミリもありません。

小学校1年から、高等部まで一人の子どもの育てを継続してサポートさせていただいたことは、普通では考えられない出来事です。

それはある意味、支援者としての私の金字塔となるはずです。


同じ子どもを、同じご家族を、12年も継続してサポートさせていただいたこと、

だからこそ、これから果たしていかなければならない役割がここにあります。


還暦を迎えた60歳、

もっともっと研鑽して、支援内容を深めていきたい。

ここからが私の、さらに大切なステージの幕開けだと考えているのです。

全ての子どもの成長との幸せのために

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先日、来春開設予定の新しいこども園創設に向けて、担当いただく業者様による入札をさせていただきました。

7月の西日本豪雨の影響もあり、順調に入札が成立し、来春4月1日に開園が出来るのか?

これまで、状況的に危惧する面も少なからずありました。


入札の進行役をさせていただくのも、これで3回目になりました。

入札一つにしても、これまですべての入札が平穏に行われたというわけではありません。

しかしながら、入札を必要とする大きな事業に、教育者として三度も立ち会うことが出来たわけです。


すべてが、私個人の力で出来たことではありません。

教育の臨床実践を続けて行きたいからこそ、法人の中で与えられた責務を人並みにこなしていくこと、

いつの頃から、それが私の仕事に向き合うスタンスとして、大切なことなんだと考えるようになりました。


臨床実践者としての、私の道のりは未だ三分三厘、

目指す山は、まだまだずっと遠くにあるのです。


人として、社会人として、もっともっと実績を積み上げていく中で、自分の向かう先を決して見失わないよう歩いていきたい、

人生の中に、そういものがあるということを、私は何よりの幸せに感じているのです。






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