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メタ認知のための支援者の存在

 2012-03-06
6月に、小学校の時担任をしていた子の結婚式に出席するため、東京に行くことになりました。

小学校3・4年生の時の担任をした子で、「山ちゃん」というニックネームの子です。

数年前、司法試験に合格し、この度、同期の女性弁護士さんと結婚されるというように聞いています。


披露宴は、六本木のリッツカートン東京で行われるそうです。

昨年は、わざわざ岡山に訪ねてくれたので、一緒に楽しい時間を過ごすことができました。

こんな晴れやかな機会に招待されることを、教育者として無上の喜びに感じます。

本当に、喜ばしいことです。


当時の思い出は、山のようにあります。

このクラスには、コアラのシンボルマークがあり、クラスのめあてが達成されると、そのコアラが一段ずつ木を登っていき、てっぺんまでいくと、クラスでパーティーを開いていました。

そのクラスのめあては、「一人一人を大切にするクラス」「まとまって活動できるクラス」というものでした。

このめあては、4月に全員の意見を集約する形で、学級会で決定しました。

今でも、はっきりとその時のことを覚えています。


山ちゃんは、その話し合いの時、いつも強烈な自己主張をした子でした。

親友のヨッシーは、話し合いの時に、「山ちゃん、いつも自分のわがままばかり言うなよ」 と言いながら、きっとどこかにいい方法があるはずだといつも真剣にそのことを受け止めていました。

みんな、自分のクラスに誇りをもっていました。

どの子もクラスの大切な仲間として受け入れる所からスタートする、インクルーシブな感覚が根底にありました。


学習発表会で、あまり勉強が得意でない子が、劇の主役に立候補したときは、みんなでその子を応援してあげようというような、そんなモラルがありました。

遠足のバスの中で、他のどの曲よりも大きな声でクラスの歌を歌っているのを聞いて、バスガイドさんが目を潤ませていたことも記憶に残っています。

中には、今、飛行機のパイロットをしている子もいますし、いわゆる一流大学へ進学した子もたくさんいる、今から思うと優秀な子の多いクラスでした。

が、このクラスの中では、社会的なポジションは一切関係なく、同じクラスのメンバーとして、当時のまま、飾ることなくありのままの自分でいられるのです。


彼は、ネットで私のブログを発見し、メールをくれるようになりました。

「小学校高学年以降のの学校生活は、悲惨でした」

何年か前に、新宿の居酒屋で一緒に酒を酌み交わした時、そんなことを私に伝えてくれました。


どうやら、先生や友達との人間関係で、苦労した場面も多かったようです。

司法試験も、合格まで数年かかった、と言っていました。


あの苦しい時代に、ずっと自分を支え続けたのは、家族の愛情と、あのときの友達、そして先生の存在でした、

山ちゃんは、そんなふうに言ってくれました。


昨年、山ちゃんが岡山に来た時、親友だったヨッシーとアラキも一緒に来て、めちゃくちゃ楽しい時間を一緒に過ごすことができました。

アラキは、学校の先生になっていました。

いつだったか、アラキのお母さんが、「この子はSHINOBU先生にあこがれて先生になったんですよ」 と伝えてくれたことがあります。

私より、何倍も心優しい、熱心な先生になっていました。


山ちゃんは、ある部分は天才的な才能をもってる子でした。

が、その分、強烈な個性を併せ持つ子でもありました。


新宿で会った時の、山ちゃんは、それはそれはいい男に成長していました。

酔っぱらった勢いで、私に説教を始めるような所は、小学校の時と同じ (笑) でしたが、おそらくは、その才能も個性もそのままでありながら、自分をメタ認知できる力、制御・コントロール力が育ち、弁護士という職業を通して、自分の才能を開花させるフィールドを得たのだなと思いました。


大学を卒業して、5年以上も司法試験に挑戦する苦労の大きさを、私は初めて知ることができました。

その間、定職も、収入もないわけです。

合格する保証は、どこにもないのです。

これまでの経歴も学歴も、すべて捨ててししまうリスクを背負いながらの挑戦になるわけです。


こうした場面で、それを打ち抜いていくためには、心のどこかに、理解者の存在があることは重要です。

まずは、家族、

友達、

そして、教育的な理解者、いわゆる家族や友達以外のカリスマティックアダルトの存在です。


昨日、ある6年生の男の子が、私の教室を卒業して行きました。

山ちゃんの心の中に私がいたように、私の心の中にも、山ちゃんはずっといるのです。

山ちゃんが司法試験を打ち抜いたという事実は、私の教育的な信念を揺るぎないものへと高めてくれるのです。


この子は、お父さんがサッカー選手で、サッカーを通して自己実現を目指している子どもです。

ここ一番で、ねをあげずに踏ん張ることが出来るかどうか?

自分の苦手な部分をコントロールしながら、サッカーを通して自分の目標に向かって進み続けることができるかどうか?

4年生から通ってくれたこの子に、私はこうしたメッセージをずっと送り続けていきたいと願ってきました。


今、苦しんでいる子どもとご家族が、何人も私の所に通ってきてくれています。

「先生がレッスンをお休みして私の結婚式に来てくださることを、その子どもたちやご家族に大変申し訳なく思います」

山ちゃんのメールには、そんな言葉が書かれていました。


あきらめなければ、夢は叶う、

ゆるぎない方向感と、あたかかいまなざしで、子どもたちに行く先を示し続けていきたい、

彼のかんばりを、多くの子どもたちの幸せへと紡いでいくことは、私に与えられた大切な役割です。


本当にいい男になったね、山ちゃん、

当日は、奇しくも18歳になる私の三女の誕生日、皇太子殿下のご成婚と同じ日です。

この結婚式での彼の表情を、私は、ずっとずっと心に焼き付けておこうと思っています。





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学校の教材費が乏しい理由

 2009-12-22
私は、教員時代に、担当者として、2つの小学校で特別支援学級 (当時は特殊学級) の創設に直接かかわりました。

この予算の取り方にはコツがあって、今から思うと破格の予算をいただき、私が設計した教室設備は、当時どの学級にも負けないものが出来ました。

しかし、教材を購入できる費用はとても満足できるものではなく、しかも指定業者からの購入が義務づけられていて、100円ショップで買えるようなものにも、結構な見積もり価格がついていました。


今、私たちが経営している保育園では、音体指導、英語、和太鼓、プール、硬筆など、外部からその分野の第一人者を講師として招聘しています。

このプロフェッショナルな指導は、子どもだけでなく、若く意欲のある保育士を大きく育てます。

ある時、公立小学校の校長先生が見学に来られ、どこにそんな予算があるのかと、目を丸くしていました。

答えは、簡単です。 公立は人件費が、高すぎます。

仮に11人でやっている仕事を、10人でまかなうことができれば、1人分の人件費が浮きます。 その人件費があれば、優秀な外部講師を余裕で招聘することができます。 そのどちらが子どもの最善の利益につながるかの判断を、私立の場合は園長や校長が行うことができますが、公立の校・園長にはそんな権限はありません。


この1年で、私の個別指導教室には、予想をはるかに超えるたくさんの子どもが通ってくれるようになりました。

みなさんにご負担いただいた月謝で、私が特別支援学級で自由に購入できた1年の教材費と比べて、その何十倍(何百倍?)もの費用を自由に教材費として使うことができました。

研究助成でいただいたお金も、すべて教材・教具の購入や研修費に充てました。

私の教室の教材書庫には、幼児期の教材から私立有名小・中学校入試対策問題まで、ほぼほしかった教材が揃いました。


もちろん100円ショップにも、何回も足を運びました。

おもちゃや教具も、教室に来られた方が 「ずいぶん揃いましたね」 とびっくりされることも多くなりました。

それより何より、子どもがやりたいと言った学習には、「ちょっと待ってね」と言って、すぐに書庫から取り出すことができることのが、最高の喜びです。

公立の先生方が自費で購入している研究用図書も、アマゾンで即購入できます。 しかも、代金を必要経費で落とすことができます。

「ここは、子どもの夢を叶える城」

もうけもありませんが、借金もありません。 健全経営です。

積年の夢を、とうとう私は実現させることができました。


公教育には、公教育の果たすべき大切な役割があります。

しかし、第三セクターのテーマパークや、箱物行政に象徴されるような、疲弊した組織構成を改革していく流れは必要だと思います。


子ども第一主義という言葉があります。

個別指導のための支援員、

「予算がつきませんでした。」

ひたすら波風を立てない現状キープ第一主義の校長先生なら、それで終わりです。

公務員は、現状キープすれば、実績も給料上がっていきます。

職員の人間関係や、組合との折り合いも付くことでしょう。

既得権をキープし、職場を安定させることができる力を、校長に求める流れが一方にあります。

学校は、信じられないほど多くの役割を担っているのが現実です。

何でもかんでも受け入れていたら、パンクしてしまいます。

新しいことをしようとすると、どこかに負荷がかかるのは、当然ですから。


しかし、子ども第一主義の校長なら、命をかけている校長なら、個別の教育的なニーズのある子どもに対して、先生方の空き時間のやり繰りや学生や地域のボランティアなども積極的に検討されることでしょう。

何を差し置いても、子どもたちに豊かな学びを!

私は、そんな校長先生に多く出会ってきました。


先生の給料ばっかり高くて、貧弱な教材・教具。

教えるということに専念できない教育現場。


子どもたちのためにも、公教育としての役割を果たしていくことは、何よりも大切だと思います。

と、同時に、成果主義や校長のリーダーシップ、民間の活力導入など、大胆な改革も必要だと思います。

特に、支援の必要な子については、初等教育の果たす役割は生命線です。

何を最優先すべきか、答えは明確なはずです。


現状キープ第一主義ではなく、子ども第一主義で、強い責任感と指導力のある校長先生。 こういう校長先生に、予算や人事権など大胆な権限を与えてください。

やってできないことはないはずです。

子どもたちの未来は今、こうした先生の手のひらの中にあると思います。



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教育の魅力と可能性

 2009-08-04
昨日、私のもとにこんな一通のメールが届きました。




SHINOBU先生


私は,山本(仮名)と申します。

先日,インターネットを見ていたところ,先生のブログを拝見し,私が岡山で,昭和62年度(小3)および昭和63年度(小4)に担任としてお世話になったSHINOBU先生に間違いないと思い,懐かしさと嬉しさの余り,不躾ながらメールを差し上げた次第です。

先生にご教授いただいた2年間は,今の私に最も大きな影響を与えています。
先生には,自分の意見をきちんと示すことの大切さを教えていただきました。これは今でも私の考え方の基本になっています。
先生には,いくら感謝しても感謝し尽くせない気持ちで一杯です。

これを機に,先生と定期的に連絡を取らせていただき,再び先生の教えを請うことができるのであれば,私にとって,これに勝る喜びはありません。

先生が,山本という生徒を覚えておいででしたら,今後時々連絡を取ってやっていただけないでしょうか。

先生からのご連絡を,心よりお待ち申し上げております。 山本


追伸

今現在,私は東京で弁護士をしています。小学校4年ころ,先生にお話ししていた夢が運良く叶ってしまいました。正直申しまして自分でも不思議な感じがしているくらいです。






昭和63年と言ったら、今から何年前のことでしょうか?

山ちゃんのこと、しっかりとおぼえていますよ。

コアラの学級旗に、クラスの会員証、学級のテーマソング、みんな覚えています。

確か学級目標は、「一人一人を大切にするクラス」 「みんなでいっしょに活動するクラス」 だったよね。

今、気がつきましたが、これ、インクルージョンの概念と全く同じですね。なんてすばらしい学級目標でしょう。

毎日の帰りの会でこの学級目標を振り返り、めあてが守れた日には、コアラが木をどんどん登り、頂上までたどり着いたら、みんなでお楽しみ会をしたよね。

一人のわがままの発言も、みんなで尊重し、考え解決していく、そんなクラスでした。

バスの中で、学級ソングを大合唱した時のことも、昨日のように覚えています。

決して優等生のクラスではなくて、色々やり過ぎて、学年主任の先生からしょっちゅう注意ばかりされていたんだけど、クラスの団結心は最高だった。

勉強が苦手な子が、発表会で主役をするようなクラスでした。

君の友達は、岡山で、そして全国で活躍しているようです。

君は弁護士なんだ。

すごいね、大出世じゃないか?

どうか、多くの困っている方のために、君のよさをどんどん生かしてがんばってほしい。

君があのクラスで学んだ輝きと連帯感は、今の先生にも大きな活力となって生きています。

きっと、君も同じ気持ちなんだろうね。


あのクラスは、全員が主人公だった。

みんなと共に学び育つすばらしさを、先生は生涯、多くの方に伝えていきたいと思っています。

君は弁護士として、社会の中で、あのクラスから学んだことを、多くの人に伝えてほしいと思います。


ブログやってて、本当に良かったと思いました。

そして、学校教育の魅力と可能性、そして大切さを改めて感じることができました。

今度、東京に行くときは、また連絡をします。 色々話したいこともありますから・・



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エラーレス学習の驚くべき可能性 (親にもできる家庭学習)

 2008-07-14
昨日、花子さんのお母さんから、次のようなメールをいただきました。


金曜日に先生に出していただいた宿題なんですが、
もう全部してしまいました!
花子が「何枚やってもいい?」と聞くので
「いいよ」と言ったら少しして「全部した・・」
と言って持ってきました。

三つの足し算もちゃんと出来ていました。
金曜日に先生に「出来ますよ!」と言われたときは
半信半疑でしたが(すみません・・)一人で出来ました。

漢字も今日、全部してしまいました!!!
先生のおかげで自信がついてやる気になっているんだと
思います。
本当に嬉しいことです!!!
先生は本当にすごい先生ですね!


私はプロとして、発達の課題のあるお子さんの、個別指導をさせていただいています。

かなりの経済的な負担をいただき、恵まれた環境で指導をさせていただいていますから、一般のご家庭で全く同じ事はできにくいと思いますが、親としての学習支援をする場合の、何らかのヒントになることは、あるのではないかと思います。

宿題は、算数と国語、毎日2枚ずつ、合計12枚出しておいたのですが・・・2日でやっちゃいましたか?

教材作り、追いつかなくなっちゃいましたね。自作教材は、時間かかるのですが、これだけ効果があると、時間的なことは全く苦にならないから、不思議なものです。

今、花子ちゃんがやる気になったのは、自分の得意なやり方(言語中心の継次処理の方法)が定着し、そのやり方をしているうちに苦手のやり方(視覚中心の同時処理の方法)も、使えるようになってきたからだと分析しています。

学習方法のミソは、必殺のヒントカード! つまずきを事前に予想して、ヒント(場合によっては、ほとんど答え)を書いたカードや具体物を用意しておくことです。

(例 漢字のカードの裏に、ひらがなの読みを事前に書いておくんですよ 「むずかしい読みは、裏を見て調べよう、自信がついたら、先生に教えてね」 構成はたったこれだけです)

とにかく、私の個別学習には、できないという文字はありません。

計算でも何でも、むずかしいことには、ヒントカードがあり、それがあれば必ずクリアできるものばかりです。

そして、たいていは3週間後には、そんなヒントカードはなくてもできるようになっています。毎日2枚の宿題をしていれば、ほとんどの場合、脳内ネットワーク、形成できています。

自然にヒントがなくなっていきます。(ナチュナルなプロンプトフェイディング法と言うこともできます)

え~~~、ヒントがなくても、できちゃったの?  信じられない 君は天才か? どうしよう、もうプリント売り切れだよ 困ったなあ もうかんべんしてよ

と、適当な時期での、間欠強化スケジュールも忘れません。

苦手なことも、刺激だけは、毎週与えます。 抵抗感が強ければ、得意なことにミックスする「二系統同時刺激法」でアプローチします。 花子さんは、聴覚性の入力が優れていますから、苦手な絵カードには、必ず私の聴覚性の言語の支援を添えています。

毎週これやっていたら、すごろくゲームも、同時処理能力も、ずいぶん向上しましたから、子どもの成長力には恐れ入ります。

花子ちゃんの、書字改善にも、光が見えてきました。

① へんとつくりに分け、文字の構成要素を分割してとらえさせることにより、同時処理としてのとらえが容易になってきました。

② 算数の形作り(パソコンゲーム)により、文字の形を識別する力も向上していきました。

③ ゆっくりかこう という指示を受け入れることが容易になり、手先の微細運動の訓練もさほど抵抗感がなくなっていきました。 

(SHINOBU先生といっしょに勉強すれば、必ず勉強ができるようになる、という暗示がかかってきました=これぞエラーレス学習の絶大な効果です)

あと、ご家庭の絶大なご協力も大きな力になりました。

高い月謝をいただいていますので、とかくプリントのみの学習になりがちですが、すごろく遊びやパソコンゲームもあたたかく見守ってくださいました。(実は、結果としては、こっちが近道でした)

保護者の方の私に対する信頼感が、お子さんに伝わり、そのことが私自身のモチベーションをどんどん高めていきました。(教材づくり、楽しくてたまらなくなってきましたから・・)

この前、そうたママに、視覚支援のイラスト作っていただき、添付メールで送っていただきました。

ブログで知り合ったお母さんにこんなことまでしていただいて、これからどんな風に発展するのか、とてもありがたいことです。

親だからできること、親でもできること、先生だからできること、先生でもできること、いろいろありますよね。

お子さんの幸せと成長を真ん中に置いて、手と手をつなぐパートナーシップ。

ここにもまだまだ大きな可能性が残されていると考えています。私のまわりのお母さんって、どうしてみんなこんなにも前向きなのでしょう?

答えは、簡単。

子どもの力が、母も家族も、指導者さえも、みんなまとめて育ててくれているのです。

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「特別支援学級=個別指導」は大まちがい

 2008-05-13
これは、私が親しくさせていただいている特別支援学級の先生の酒席での本音です。この先生は、人格・力量ともすばらしい先生だと私は思っています。その発言の主旨は・・

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

保護者の方が、特別支援学級に大きな期待を寄せてくださっているのは、本当によくわかる。自分もその期待に少しでも応えようと、毎日必死でがんばっているつもりである。

でも、保護者の方には、特別支援学級=個別指導のイメージを強くもっていらっしゃる方も多い。確かに、通常学級よりは、そのチャンスも多いし、できるだけ個に寄り添った指導をしたいと思っている。

でも、実際に、個別指導をするとしたら、例えば5人の児童がいたら、一人9分指導して、残りの36分は自習になってしまう。

だから、そういった意味での個別指導の期待には、実際にはなかなか応えにくい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなんだったら、通常学級にいればよかった・・というような声が聞こえてきそうです。確かに、特別支援学級を選択すれば、すべての問題が解決されるというのは、誤りです。このブログでも、繰り返し申してきましたが、発達課題のあるお子さんの就学は、「選択」ではなく、「創造」です。

特別支援学級の入級に大きな決断がいるのは、百も承知です。そのことに大きな期待を寄せられることも当然です。ですが、その決断だけで、すべてが解決されるということではないのです。むしろ、そこでどんな教育が行われ、何が育つのかをしっかりと見つめ、先生と協力し知恵を出し合って、内容を充実させていくための営みそのものが極めて大切だと私は思うのです。

私は今、小学生のお子さんにその個別指導をさせていただいています。でもそれは、あくまでも学校教育の補完というポジションでこそ有効なものであると考えています。

それに個別指導が万能ではないということも、しっかりと認識しておくべきです。個別学習では、集団でできない学習をすることができます。

しかし、集団での学習で、個別学習では逆立ちしてもできないようなすばらしい成果を上げた事例は、それこそ星の数ほどあります。

そもそも特別支援教育の基礎となる理念は「インクルージョン」であって、「個別指導」ではないはずです。

ベースあるいは目指すべき方向として、「集団の中での学び」を、しっかりとど真ん中に置くべきではないでしょうか?

特別支援学級でも、通常学級と規模は違ってきますが、集団(=小集団)の学習が可能です。

発達課題があろうがなかろうが、学びそのものは主体的なものであるべきなので、可能であれば、教えてもらう(=個別学習)というスタンスから、自分から学んでいく方向性をもつことは、大切だと考えます。

自分から学ぶ、という発想さえあれば、口を開けてまんじゅうが落ちてくるような意味での「個別学習」の時間はそれほど必要でないのかも知れません。

その子にあった課題を、その子なりに、その子のスタイルや特性を生かして、主体的に解決していく学びの場があるのならば、びったり貼り付いていく学習形態が常時必要ということにはならないのではないでしょうか?

制度上、特別支援学級に在籍する以上、一定の時間数を特別支援学級で学習することが求められます。

しかし、何よりも大切なのは、通常学級のクラスの子どもの意識の中に、特別支援学級の子どもに対して、「あなたはぼくのクラスの大切な一員」という意識があるかどうかです。つまり、通常学級の担任の先生の理念の中に、インクルージョンの意識がしっかりと根付いていて、それが具体的な指導にどう生かされているかということです。

通常学級の友達が、先生以上に、豊かな学びをその子に提供してきた事例は、個別指導で成果を上げた事例よりも、量的にも質的にも豊かであることを私たちは見直すべきだと思っています。



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双子のお子さんを同じクラスで担任して・・・

 2008-03-16
小学校でのエピソードです。

今からもう数年以上前の話ですが,
一卵性の双子のお子さんを同じクラスで担任させていただいたことがあります。

学年1クラスの編成でしたので,
1年生から6年生まで,同じクラスにならざるをえない状況なわけです。

で,その二人の顔の区別がつかない・・・・
ところが,同じクラスの級友は,すべて区別できている。

「先生,J君はきつい顔で,K君は優しい顔でしょ」などと色々アドバイスをしてくれるのですが,
それでもわからない。

なので,この二人は,クラブとか委員会とかは,共謀して,時々入れ替わって行っていたようです。

そのうち,J君の顔に小さなほくろがあることに気づき,それで判断していましたが,
「それじゃあ,わかっとことにならない!」とK君に指摘されたのを覚えています。(確かに・・)

結局,1年間位,2人の顔の区別がつかないままでいました。

ところが,
ところが1年くらい過ぎたある日,二人の違いが,決定的にわかる日がやってきました。

それまで,わからなかったことが,本当に不思議なくらい,瞬間にはっきりわかったのです。
たしかに,J君はりりしい感じで,K君はやさしい感じ。

脳内の認知のサークルが,見事に繋がった瞬間なのでしょうか?
わかるとは,こういうことなんだなという貴重な体験です。

完全にわかってからは,一度もまちがえることはなく,2人が私を試すこともなくなりました。

でも,先生の中で2人の違いがわかった先生は,きっと6年間の小学校生活の中で,
私だけだと思います。

「何でこの子は,こんなことわからないの!」と,お子さんをしかったり,
もどかしく思われたことはありませんか?

こんなエピソードにも,大切なヒントがあるのかも知れません。



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小学校での学級担任の決め方

 2008-03-12
自治体や学校によって多少の差はあると思いますが,私がこれまで勤務をしてきた学校では,だいたい次のような方法で学級担任を決めていました。

まず,その学校の先生方全員に,来年度何年生を担任したいか,どんなことに取り組みたいか(校務分掌希望などと呼びます)などの希望を紙に書いていただきます。

で,それをまず,校長が目を通します。で,校長だけがその内容に目を通す場合もあるし,場合によっては,教頭や教務主任・生徒指導担当が目を通す場合もあります。

で,原案は,校長が作成します。で,その原案について,教頭や教務主任・生徒指導担当に意見を聞きます。(一切そういうことをしない校長もいます。学級担任を決めるのは,校長の専決事項です。)
ここで,大幅に1から作り直す場合もありますし,そのまま原案通りの場合もあります。

では,どういう観点で,次の年度の学級担任等の構成を考えるか,という点ですが,まずは,その学校の中で,一番大変だと考えられる学年にエース級の教員を配置します。前年度に,いじめや性と指導上の問題,学級崩壊,いわゆる強烈な保護者クレームなどがあった場合は,校長はまず,そのことを第一に考えて担任を決めます。幼稚園や保育園から,そういった情報が入って来ている場合も,同様です。

次に,考えるのは,教務主任・生徒指導主事・保健主事・学年主任,それと特別支援学級の担任です。なぜなら,これらの職種には,手当が付くからです。いわゆる主任手当と呼ばれるもので,月額にすれば,5000円程度です。わずかではありますが,校長から,学校のリーダーとしての役職を期待されたということになりますから,金額以上の重みがあります。将来,管理職になるのであれば,主任としての実績は,必ず問われます。

特別支援学級は,以前にも書きましたが,給与は,通常学級の先生より,かなり恵まれています。年間で考えると,軽四くらいは,買える額の割り増しです。

校長の腹が決まると,事実上決定ですが,いろいろと探りを入れる校長もいます。一人一人の先生方と面接をして,なぜその学年を希望するか?尋ねる校長もいます。あと,厳しい学級や役職を任せる場合は,特別に事前に校長室に呼んで,「君に任せる」「よろしく頼む」みたいなことを伝える場合が多いように思います。でも,そういう場合を除いて,4月の第1回職員会議までは,教務主任くらいまでしか知らせないことが,普通です。誰かに不満があって,一つでも変更すると,システム全部の再検討が必要になりますから,そうならないようにするために,事前に職員に知らせないようにする場合が,普通です。

1年生担任の場合は,入学にかかわる諸準備が必要なので,一足早く,3月の修了式の日くらいに,校長の口から,発表されることが多いようです。しかし,まだ部外秘です。

しかし,私には経験がありませんが,組合の強い地域では,校長ではなく,職員会議で決めるところがあるそうです。「俺,来年3年生の担任やるからね」みたいな感覚で。(ちょっと信じられませんが)

私の経験した範囲では,あまり優秀な先生の第一希望が通ることはありませんでした。優秀な先生ほど,毎年,厳しい学校・厳しいクラスの担任になります。そうしないと,学校が成立しないからです。

で,もうケツをまくった先生は,たいてい第一希望。給料はほとんど差が出ませんよ。公務員天国です。(また,愚痴になっちゃいましたね。今日は書かないつもりでいたが。)

絶対無理だと思いますが,もしも,少しでも,保護者が担任を選ぶシステムを導入したら,きっと不良教員は淘汰され,教育の質は向上すると思います。でも,その教育の質の本質は何なのかを,校長が明確に示し,理解させる才覚と力量が必要なのは,言うまでもありません。

悲惨な公立小学校の話

 2008-03-09
とても残念なことですが,実際の教育現場の話です。

週末に,現職のある小学校の先生お二人と,飲みに行きました。一人は通常学級の担任,もう一人は特別支援学級の担任です。お二人とも,すばらしい教育実践をされている方で,子どもたちからの信頼も厚く,まさにSupet Teacherレベルの方だと思っています。

普段は,愚痴なんか言うような先生ではないのですが,この日の話は悲惨でした。

要は,とんでもない先生が一人いて,校長も教育委員会も組合も議員も,何もできず,悲惨な教育が行われているのに,何もできずにいるということなのです。まさに,開き直って,やりたい放題・・・・

教育委員会というところは,弱い立場の人には,権力をふりかざし高圧的ですが,このタイプの対応力は最悪です。だれも貧乏くじ引こうとはしませんから。尊敬できるすばらしい教育実践をされている先生をたくさん知っていますが,教育委員会の担当は,ただの雇われ職員で,命をかけて責任をとる私立の経営者と比べると,覚悟も決意も差は明らかです。

議員さんも組合も,その人が組合員だと,もうそれだけで何もできていない。もろいものです。かわいそうなのは,子どもや保護者です。おそろしいので,ただ身を縮めて,じっとがまんしている・・・・・・

社保庁にしても防衛省にしても警察にしても,こんな構造なのではないでしょうか?正義感のある人,熱意のある人ほど,どんどん傷ついていく。教員もそうです。神経の図太い人でなければ,生き残れません。

その点私立は違いますよ。経営には,命をかけていますから。何十人という職員とその家族の生活もかかっていますから。こんな職員がいたら,裁判になろうが何になろうが,1分たりとも子どもの前には立たせません。十分な調査はしますが,事実であれば,即,厳正に対処しますよ。(と,言うか採用しません。最初から)

今,日本の政治が諸外国の笑いものになっています。(日本人の誇り高き民族性はどこにいったのでしょう?)JRも,国鉄時代は横柄な態度の職員,ごろごろいましたよね(笑)

公立の校長先生も,大変ですよ。校長になりたければ,教育委員会に身も心も捧げなければ,ならせてもらえませんから。人事権もなく,教育委員会の人事担当に,「おまえはこのメンバーでやれ」といわれれば,「はい」と言うのが原則ですから。こんな巨大組織で,保護者ニーズに寄り添ったきめ細やかな教育サービスの実施は,構造的に不可能です。

人事権も予算執行権もなく,職員を選ぶこともできない,止めさせることもできない。枠はがちがちにかためられて,自由の余地はほとんどない。まるで,雇われ店長?

昔は,名物校長,大校長と呼ばれる人もたくさんいたけど,今はなかなかそれもできにくいのでしょうか?

沈みゆく巨大戦艦「公教育」。教育も任せきりの時代ではありません。

1年生で脳性マヒのお子さんを教えたこと

 2008-02-22
今からもう10年以上も前のことになりますが,1年生の学級担任として,脳性マヒのお子さんの担任をさせていただいたことがあります。

当時は,今と違って,就学指導委員会から,かなり強烈に養護学校へ入学を勧める指導があったことと思います。しかし,ご家族の強い願いと信念で,通常学級で入学式を迎えることとなりました。

私はと言えば,そのころはまだ,養護学校の免許も何もなく,ただのふつうの?学級担任でした。このときの思い出といえば,「本当に楽しい1年間だった」ということだけです。

学力の面で,どれだけの力をつけたか?と問われれば,お恥ずかしい思いも多少ありますが,少なくとも,担任として負担を感じたことは,全くと言っていい程ありませんでした。

それはなぜだと思いますか?答えは「周りの子が育つ」からです。

脳性マヒのお子さんですから,歩くのもぎこちなく,給食当番も,ある意味ヒヤヒヤものだったかも知れません。でも,周りの子の支えは,ほほえまし,くすばらしいもので,担任としては,毎日学校へ行くのが楽しくて仕方ありませんでした。お母さんからも,何度も感謝のお言葉をいただき,本当に幸せな毎日でした。

学力の保障,将来まで見据えた系統的・計画的な個別指導計画,個別のニーズに寄り添った専門的な指導など,考えていかなくてはならない点もたくさんあったことでしょう。でも,そのお子さんとご家族にとって,決してこの1年が意味の無いものであったとは,決して思えないのです。

その子は3年生から,お父さんの転勤で,横浜へ転校して行きました。振り返れば,この1年の体験が,ぼくの人生を大きく方向付けることになりました。

今,どうしているんでしょう。機会があれば,会いたいです。きっと1年3組にいた子どもたちの心にも,この1年の時の体験は,心の底で,ずっと息づいていることでしょう。

すきまで苦しむ子ども

 2008-02-18
今までいろいろなタイプのお子さんや保護者の方とかかわりをもってきましたが,自分の子にぴったりの教育環境ってなかなか見つからないものです。

当人にとってはとても大切な事柄でも,案外まわりの人から見るととるに足らないことと見えたり,優先順位が下の方だったりして,すきまで何もしてもらえない子どもをいっぱい見てきました。

教育委員会の直属の教育相談室で,「そんな希望が通るなら,だれでもする」と冷たくあしらわれた体験を,決して忘れることはできません。

「通常学級に在籍して,個別に支援を受けたい」と多くの保護者の方が希望されました。それが,いわゆる教育的ニーズのはずです。特別支援教育は,「場による教育から,ニーズによる教育の転換」と言われますが,残念ながら,現時点ではとてもニーズを満たすものになってはいません。学校現場では,そう簡単に一人一人の保護者ニーズを実現できる環境ではありません。

だったらどうする?それは, 「できる限りのものを,作っていく」 これしかありません。それは大変だし,皮肉も言われるでしょうし,失敗もあるでしょう。

でも,子どものためにと,懸命に力を尽くしている保護者の方に,これまでたくさん出会ってきました。みなさん,どん底から這い上がってこられた方ばかりなので,本当に芯の通った,凛とした覚悟をもって取り組んでおられました。

そのこと自体が,何よりも価値のあることで,尊いことだと考えています。

この10年で,教育をとりまく環境も大きく変わってきました。これまでの方の御苦労もあって,すべての子どもが,行き届いた教育を行う大切さが注目されてきました。でも,このことに現在既製品はありません。すべては,オーダーメードです。

ほんのちょっとのつまづきも,決してあきらめず,前向きに取り組んでいくことが,今あるべき姿なんだと思っています。




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