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ダウン症療育研究会プログラム

三枚の写真

 2017-12-18
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昨日は、大阪でのレッスンの日でした。

6年生の女の子のお母さんが、修学旅行のスナップ写真を3枚見せてくださいました。


上の画像は、その写真そのものではありませんが、上の画像と同じように、そこには友達と一緒に食事をしたり、宿の中で楽しそうに過ごしている様子がダイレクトに伝わってきました。

就学前からもう何年もずっとサポートさせていただいている子です。

この写真を見ただけで、地域の小学校を選んで本当に本当に良かったと思いました。

この気持ちは、お母さんも私と同じであったらしく、そのことをお伝えすると、何度も何度も大きくうなづいておられました。


こういうことは、数値や点数で表すことはできません。

そのことを示す何かの尺度も物差しも何もありません。

人としての貴さや人間の価値はそれぞれが絶対的なもので、本来人が学び育つ本質に、検査や数値は決して張り付いていかないはずです。


何かの障がいがあれば、地域の中で、お友達の中で、ごく通に、一緒に学ぶことは許してもらえないものでしょうか?

いえいえ決してそんなことはありません。

それぞれの子どもの特性や能力に応じた行き届いた教育内容と、そのこととは決して相反するものではないはずですから。


たとえ1ヘクタールが何㎡かがわからなくても、地域の中で、お友達の輪の中で、一緒に学び育った小学校の日々は、その一コマ一コマが何とも尊く、きっと生涯にわたってその子の自尊心と自分に対するプラスの気持ちを支え続けるに違いありません。

地域の中に、集団の中にしっかりと居場所があってこそ、その特性に応じた個別学習は初めて意味を為すものとなる。


このブログを立ち上げた頃から、この子とはずっと一緒に歩んできたはず、

そのことを伝え続けてきたはず、

なのに変えていかなければならないことの本質は、いったいどこにあるのか?

この子の弾むような笑顔こそ、私たちの求める、何よりのその答えであったと感じているのです。








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ダウン症療育研究会

 2017-11-30
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(→PDFはこちらから http://okayama-shirayuri.com/nc_images/pdf/20171130.pdf )







平成30年2月10日にダウン症療育研究会が岡山であります。

光栄なことに、教育講演会の一コマを私が担当させていただくことになりました。


10年前、一個人として見よう見まねで始めたダウン症のお子様のための教育チャレンジも、今では一日定員50人、とても大きな規模の通所支援事業となってきました。

教育講演会のお話をいただいたときには、とてもではありませんが私には荷が重い、とお断りをさせていただいていたのですが、担当者様の情熱と、岡山で応援してくださるたくさんのご家族の皆様、そして今でもたくさん通ってきてくれている子どもたちのために、本当に微力ですが、心を込めて取り組ませていただこうと決心しました。

会場となる岡山大学五〇周年記念館は、私のいる白ゆり小規模保育園・インクルーシブ教室白ゆりから車で五分もかからない位のまさに地元中の地元、

この研究会を機会に、県外からもたくさんのお客様をお迎えすることになります。


ようこそ岡山へ、

このことが何かの形で、子どもたちのための大切な一歩となるようつなげていきたい。

そのための一つ一つの実践を、しっかり積み上げていきたいと思っているのです。







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大切な時の積み重ね

 2017-10-28
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今日は、こども園の運動会の日でしたが、台風の影響で中止となってしまいました。

それぞれの子どもたちが懸命に練習をしていましたし、三女が今年の年長の担任として頑張っていたこともあり、一人でも多くの保護者の皆様前で、予定通りの晴れ舞台となって欲しかったと思いました。


そんな日に、今年高等部3年生になる女の子のお母さんから近況の連絡をいただきました。

油絵の得意なお子さんで、またしてもコンクールで優秀賞をいただいたことも添えられていました。

http://kira-art.jp/works.php?kaiinno=9161413&gazouno=1


小学校4年生の頃からサポートさせていただいたこの子も、もう高等部卒業が目の前になってきました。

何度も神奈川まで出張レッスンに行かせていただいたこと、

当時のことは、まるで昨日のようにはっきりと印象に残っています。


あの日々があるから、今の私があるのです。

多くの課題を乗り越え、誰からも愛されるすばらしい人に成長されたこと、

暮らす地域は違っても、同じ志をもって、共に歩んできた日々がそこにあるのです。


この先にも、きっと様々な課題と向き合っていかれることと思います。

その一つ一つに真摯に向き合っていかれること、

決して安易ではないそのことに、心を折らずして、一歩ずつ前に歩んでいくこと


たとえそれがわずかであっても、何かの力になれるのら、

これからも私は、ずっとずっと共に歩み続けていこうと願っているのです。










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みんなと共に学ぶということ

 2017-10-23
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週末は、大阪でのレッスンでした。

大阪におじゃまするようになって、もう8年くらいになるでしょうか?


あの日、幼稚園の年長さんだったその女の子は、もう中学2年、

近々職場体験で、マクドナルドに行くかも知れないと、笑顔いっぱいで教えてくれました。

部活も、上級生だからしんどくても休めない、と先輩らしい横顔をのぞかせてくれました。


中2ともなると、高校受験がもう目の前で、教科学習の習熟度だけでみると、厳しいものがあります。

しかし、ご両親は、地域の中学校へ進学したことを、微塵も後悔されてはいません。

2度と戻ってこない大切な青年期を、みんな同じ地域の学び舎で共に過ごした日々が、他で代えることのできない大切な時間であることを、体いっぱいに感じておられるからです。


数にしても、言語にしても、歴史にしても、科学にしても、どれも大切な教科としてのねらいがあります。

それと同じように、地域の友達と共に学んでいくことは、その子の成長に欠くことの出来ない大切な宝物となるのです。


もちろん、ただ同じ屋根の下で暮らすだけで、何もかもが自然に身についていくわけでもないはずです。

それでも、みんなと共に学びながら、この子はどれだけ自分に対するプラスの気持ちを培っていったか、計り知れません。


私の大阪での歩みは、この子との歩みとぴったりと重なっていきます。

私たちの歩みが、やかで日本の教育のスタンダートとなる日は、一体いつになることでしょうか?


これからも、私の進むべき道は、きっと同じ方向にあるはず、

進むべき道のその彼方には、何の曇りも私たちには見えないのです。












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似て非なるもの

 2017-09-24
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成長なくして、子どもの命は輝かない。

子どもには、内発的な学びの欲求があって、その内なる願いを叶えてやりたい。

系統化した目標を先に置いたり、その子の学びを何か標準化されたものとの比較するのでなくて、今のその子の息遣いやのどの渇き、体温にあった教材と目標をオーダーメイドで提供したい。

そのことがずっと、マンツーマンレッスンに託し続けた自分の思いでした。


当初マンツーマンレッスンで飯を食おうなんて、かけらも思っていませんでした。

それを事業化しようなんて、みじんも思っていませんでした。

ただ目の前の子の、その日その時を、生涯一つずつ積み上げて
自分に残された時間のすべては、そこを基本として構成していこうと決めていました。


白ゆり教室は半年間、生徒5名にも満たない小さな個人の教室でした。

最初は月謝無料の教室にするつもりでしたが、それでは逆にただでしてやってるというようなゆるんだ気持ちになってしまうことに気がつきました。

ならばあえて相応のお金をいただき、いただいたお金はすべて、子どもたちのために使っていこうと考えるようになりました。


いつの間にか、子どもたちは階段を駆け上がってレッスンに来てくれるようになりました。

当初は、週に10にも満たないレッスンが、年間で3,000ものレッスンをさせいただいた年もありました。

京都、大阪、三重からも、毎週のように通ってくださる子どもが増え、それではということで週末だけの教室を新大阪に作らせていただきました。


先日のある女の子のレッスンの時のことです。

その子にいつものような弾むようなリズムが感じられません。


何をごまかせても、子どもの感性ごまかせませんね。

岡山でのレッスンでは、最近、指導記録を別の先生にとってもらう機会が増えました。

こうすると、子どもの動きから目を切らずにレッスンをすることができます。

この意識が記録優先となったとたんに、子どもの動きから弾むような感じが消え失せてしまうのです。


子どもの育ちを最優先とするのと、研究や発表のためにその子のレッスンを使おうとするのでは、そりゃ子どもには簡単に見抜かれてしまいます。

似て非なるものとは、まさにこのことです。


教育に記録は重要です。

ですが私のレッスンの場合は、子どもの体温を感じ取ったライブ感がなくては、何もないのと同じです。

それができなくなるくらいなら、もはやそれは力不足、

何かをそぎ落としていかなければなりません。


子どもの目の輝かないレッスンなら、いくつ積み上げたって、たかが知れています。

何があっての自分であるかを、子どもはいつもダイレクトに、私に伝え続けてくれるのです。








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共に育つ

 2017-09-19
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先日、保育園の遠足がありました。

前日は大雨でしたが、当日は抜けるような青空となりました。


体調が悪く参加出来なかった子が一人いて、とても残念な気持ちになりました。

でも、当日誕生日の子もいたりして、とても楽しく豊かな時間を、子どもたちとそのご家族と共有することが出来ました。


その中に一人、これまでずっと私のマンツーマンレッスンを受けてくれている子がいます。

これまで一緒に勉強して来た先生が、この日は園長先生になっているわけですが、そんなのは関係なく、笑顔いっぱいでお母さんよりも私にまとわりつくように、時間を過ごしていきました。

遠足が終わりみんなとさよならをした後も、せっかくだからと、私のマンツーマンレッスンを受けて家路につきました。


保育園の子どもたちは、まだ3歳にも満たない子どもたちばかりですが、私を信頼してくれているようすが、その笑顔からダイレクトに伝わってきます。

その我が子のまなざしを見るからこそ、保護者の方が私に、熱い期待と信頼を寄せてくださっているのです。


子どもはその子も成長のエネルギーをもって、この世に生を受けているのです。

ここが小規模保育園であるなら、この子たちすべてに、園長自らマンツーマンレッスンを行ってみたい。

私の新たな夢と野望が、めらめらと心にわき上がってきました。


私が子どもから、一体何を託されているのか?

指導技術を研鑽しないでいて、成長を共有しないでいて、真に子どもとの心の絆が深まることは決してありません。

共に育てのを責務をシェアしている職員に、さらに豊かにそのことを伝え続けていきたい、


何とも豊かで楽しい1日、

私にとっては特別に意味をもつ大切な時間が、ゆっくりと過ぎていくのを感じているのでありました。














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大きな一歩

 2017-08-16
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保育園の一時保育の中に入り、サーキットを頑張っているダウン症男の子がいます。

発達支援センターの赤ちゃん体操にも通ってくれていて、独立歩行まであと一歩というところですが、先生に手を引かれながらも、みんなと一緒にサーキットに取り組んでいました。

こうした中では、活動の場の構成がしかりとしているので、多くの子どもたちの輪の中で、いつも以上に活発に取り組むことができています。



給食が終わり、通所支援の教室に戻ると、担当の先生とのマンツーマンの活動が始まりました。

その子は先生の目の前で、どうだと言わんばかりに、何度も何度も立ち上がってみせてくれ、それを見ている私たちには、都度都度に熱い思うがこみ上げてきたのでした。


独立歩行は、単に運動機能の発達に寄与するだけではなく、その子の知的な発達に多大なプラスの効果をもたらせてくれます。

もちろん、歩けないけれど知的な学習がぐんぐんと進んでいる子もいます。

その上で、その子が一人で歩けるようになってきたと言うことは、その子の中で、教科学習に通じる知的なレベルの、多面的な力が備わってきたことを意味するのです。


何かが出来るその小さな一つ一つの積み重ねの中にこそ、未来につながる大切な種が、きっとぎっしり詰まっているのです。

子どもの可能性は無限です。

その可能性を信じて、土を耕し、しっかりと種をまいていくことの出来る実践者。

私たちの目指す教育の形が、きっとそこにあるのです。








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技術を伝える 心を伝える

 2017-08-14
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今では大阪和泉市でレッスンをさせていただいていますが、大阪堺市に出張レッスンに伺うようになってから、かれこれ8年くらいになります。

あの日、3歳くらいだった子も、もう5年生になりました。


この日は小学校の先生が2名、私のレッスンを参観しに来てくださいました。

45分のレッスン中、一度も集中力が切れることなく、向上心満々のすばらしい学習ぶりでした。


私のマンツーマンレッスンは、当該学年の題材を使って、その子が生き生きと取り組むことができるように、提示の仕方であったり、内容の焦点化であったり、その支援のあるべき形を、実践を通して具体的に明らかにしていくことが、大きなねらいの一つになっています。

レッスンが終わった後、ほんの15分程度ではありましたが、この日準備した教材などのポイントについて、先生方にお伝えさせていただきました。


さすが休日返上で、ここにお越しくださった先生ですので、お二人ともとても研究熱心な先生でした。

拙い実践ではありましたが、何か一つ大切なことをお伝えできたように思え、とてもうれしい気持ちになりました。


↓ この日もご両親でレッスンをご覧いただきましたが、レッスン修了後には、以下のような内容のメールをいただきました。


昨日は丁寧なご指導いただきありがとうございました。見学に来られた先生方も大変喜んで下さいました。
娘の将来の為や私達親の思いを学校の先生方の気持ちや立場を理解して優しくアドバイスされているSHINOBU先生の姿を見て私も大変勉強になりました。
私達の思いをとてもわかりやすく熱く代弁して下さり嬉しくて胸がいっぱいになりました。
この貴重な時間が娘だけでなく全ての子供達の為になってくれたらと心から思います。
本当にありがとうございました。



娘の記事をブログにアップして下さりとても嬉しく思います。
娘に見せると目をキラキラさせてSHINOBU先生と勉強している写真を何度も見ていました。
学校の先生方の心を動かすことができましたのはSHINOBU先生のお陰です。
この記事を読んで障害児やその家族そして教育に関わる方々の気持ちを変えることができれば幸せです。
これからもご指導よろしくお願い致します。







私が先生方とお話をしているとき、その子は神妙な顔で私たちの方を見つめていましたが、その話が終わるやいなや、私の顔を見て、小さなガッツポーズをしてくれました。

手応え十分の一日、

何て経とうがレッスンは、いつも子どもとの心のつながりがあってこそ、豊かになっていくものです。


その一番大切なことが、どうかお二人の若い先生方の心に響くものであってほしい、

その志さえあれば、きっと技術は日々向上していくに違いないのですから…






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師を師として仰ぐ

 2017-07-31
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今日は、今年から広島文化学園大学に異動された眞田先生のもとに、広島市まで伺いました。

大学は、岡山から高速で約2時間、広島市の高台にありました。

来年2月に発表を予定している研究会での演題について、ご指導をいただくことが第1の目的でした。


内容については、相変わらずも妥協のない厳しいご意見をビシバシといただきました。

同じ大学の先生方にも、私のことを紹介してくださいました。


いつもながら、この先生の研究に対するほとばしるような情熱は、一体どこから湧いてくるのでしょうか、

当然そうだと覚悟していましたが、大学を変わられても、その姿勢には微塵のぶれもありませんでした。


夕方前まで研究室でご指導をいただいた後に、大学から15分ほど離れた、さらなる高台にある 「天空の喫茶店」 にお連れいただきました。

初老のご婦人がお一人で切り盛りをされているお店でしたが、まさにこの世の別天地、

まるで時が止まったかのごとく、豊かで潤いのある時間を共有させていただくことが出来ました。


きっと来年もまた、ここを訪れることになるのでしょう、

私は、心から師と仰ぐ先生が、ずっと自分の心の中にいることを、何よりも幸せに感じているのです。


相変わらずSHINOBUちゃんは、奥さんの手のひらの中で踊らされているね、

先生は、私の顔を見るたび、いつもそう言います。


そこそこの実践を積み重ねいないでいて、どうして笑顔で先生にお会いすることが出来るでしょう、

来年2月の研究会もさることながら、次の学会発表に向けたまた新たな課題もご提案いただきました。


エビデンスのない、いい加減なものを積み重ねていると、きっと大切なものを見失っていく、

だからいつも、科学的に実証できる何かにチャレンジしていきなさい、


この先生なくして、今の私など到底どこにもありはしません、

どこにいても、何年経っても何も変わらぬ師弟の絆

教育の神髄は、きっとこんなことにあるのです。







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うれしい便り

 2017-06-11
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↓ 昨日、ある5年生の女の子のお母さんから、以下のような内容のメールをいただきました。



いつもお世話になりありがとうございます。


嬉しいことがありましたのでSHINOBU先生に一番にお伝えしたくてメールをさせてもらいました。

担任の先生が娘のテストのことで悩んでおられどうしたら良いかと聞かれました。

娘にはみんなと同じテストはしんどいのではないかとおっしゃっていたので、いつもSHINOBU先生が娘にご指導して下さっている方法をお伝えしてそれでもダメでしたら娘の能力に合ったテストにして下さいとお願いしました。

昨日、娘を迎えに学校まで行くと担任の先生が昇降口に来られてとても嬉しそうな顔をして

「お母さんが教えてくれた方法でテストをしたらこんなにできました!ヒントから選んで解答したのですがわかっていないとヒントから答えを選べませんよね!読みはほとんどわかっていますね!すごいです!今日はいっぱい褒めてあげて下さい」

とテストを見せてくれました。

担任の先生の気持ちの中で娘はできない子ではなくてこうすればできるんだと理解してくれたことを感じました。一歩前進したことを感じとても嬉しく思えました。

SHINOBU先生のご指導のお陰です。
本当にありがとうございました。

次回のレッスンも親子で楽しみにしておりますのでよろしくお願い致します





これまで、この子の漢字学習に対する集中度は、普通ではありませんでした。

ただ、内言化されたものを書字化するプロセスの中には、どうしても一定の視覚情報を添える支援が必要でした。

ただ、そこに支援を入れていく学習を積み重ねていくうちに、その部分の脳のネットワークが次第に豊かになっていくのが見てとれ、私の支援も段階的に除去できるレベルに迫ってきていました。


アウトプットまできちんと出来ないと、テストでは丸はもらえませんが、だからといってその内容が全くわかっていないということではない場合も多いのです。

ならば、そこには過剰ならず、足らずであらずの支援を入れて、段階的にそれを除去して自力解決に向かわせるというのが、私のレッスンの一つのスタイルなのです。


もしこのことが、学校での学習がさらに豊かになってきっかけになってくれれば、こんなにうれしいことはありません。

私の果たすべき役割の一つは、きっとこんなことにもあるのです。









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ゆとり

 2017-03-28
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先週、ある6年生の女の子のレッスンがありました。

レッスンの前に、お母さんがLINEで、立派に卒業証書を受け取っている写真を添付してくださいました。

大阪で、就学前からずっとサポートさせていただいていたお子様です。


読解問題、漢字、繰り下がりのある筆算、九九など、用意していたプリントを次々にテンポよくこなしていきました。

以前は、お母さんと分離出来ずに、教室の前で固まっていたことも何度かありました。

何かが不安になり、行動のコントロールが出来にくくなった場面もありました。

が、今ではもうそれは、遠い昔の出来事となってしまいました。


「今でも、不安になることは何度もあります」

お母さんは、そうおっしゃいました。

もちろん、すべてのことに、何の不安もなくなったということはありえません。


子どもは、学びの充実をもってこそ、生存の不安から解放され、望ましい方向へと歩み始める。

それが、実践を通して培ってきた私の信念であり、私の実践の根幹をなすものです。


子どものとっての学びは、一体何なのか?

それは子どもが生きていく証そのものある。


この子が開いた学びの道は、間違いなくそのあとに続く子の大切な道標となり、目標となるはず、

この子との小学校6年間の学びの歩みは、まさにそのことあったと私は感じているのです。








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「僕は生まれてから 母が泣いたところを見た事がない」

 2016-12-26
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「SHINOBU先生がそばにいるから、私は鬼になれる」

今からもう7~8年前のことになるでしょうか、私はあるお母さんから車の中でそんな言葉を聞きました。


当時小学生の、ダウン症の女の子をおもちのお母さんでした。

神奈川県にお住いの方でしたが、当時私はその思いに導かれるようにして神奈川まで出張レッスンに伺っていました。


初めてお会いしたのは、私が研修で出かけ千葉県舞浜のホテルのロビーでした。

ダウン症の女の子、お父さん、お母さん、そしてまだ小学校に上がる前の弟さんが、わざわざ私の研修先のホテルまで訪ねてくださいました。


その日のことを、私はまるで昨日の事のように思い出すことができます。

(当時のブログです → http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-398.html )

今では秦野にレッスンに伺うことはできなくなってしまましたが、それでも私が東京へ出張などで伺った際には、会ってその子の成長ぶりにふれることができました。


当時まだ小学校に上がる前だった弟さんは、今中学2年生になっていました、。

その弟さんが、ダウン症のお姉さんのことを書いた作文が、第40回神奈川県福祉作文コンクールで県知事賞を受賞されました。

そこには、「僕は生まれてから母が泣いたところを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんなことがあってももう泣かなと決めたらしい」 という一文が書かれていました。


今では高等部に通うその女の子は、光輝くステキな娘さんに成長していました。

そして、その弟さんも、空手の全国チャンピオンでありながら、こんなにも豊かな心をもった立派な青年へと成長されていました。


その作文を以下に掲載させていただきます。

今でも年末には、いつもカレンダーのプレゼントを私に送ってくれます。

今日もお礼の電話を差し上げながら、この母の何がこの子たちの心に宿っていったか、私は自分の胸が熱くなるのを、どうしても抑えることが出来ませんでした。





僕の姉
秦野市立南中学校2年  伊藤 大地

 皆さんはダウン症という障害を知っていますか。
 僕が小学校に入学する少し前に、初めてお母さんと二人だけで遊びに出かけた。どこに出かけたのかは覚えていないが、最後にファミレスでご飯を食べた。その時、僕の姉がダウン症という障害があると聞かされた。当時の僕には難しい話だったが、僕が小学校に入学したら姉の事で嫌な思いをするかもしれない、でも誰も悪くないから堂々としなさいと言われた事は良く覚えている。
 小学校に入学して、姉の学年の男の子から「こいつの姉ちゃん、ちゃんとしゃべれないんだぜ」とからかわれた。その時何も言い返せなかった。僕が二年生になった時姉はクラスでいじめられて学校に行けなくなった。二週間も女の子に蹴られていたり、ひどい事を言われ続けて、身体がおかしくなってしまった。学校が怖いと言っていた。やっと姉が学校に行けるようになっても僕は気になって、学校に着くと姉の教室をのぞきに行った。そこにはいつもお母さんがいた。僕が幼い頃からお母さんが「心の強い人になりなさい」と言っていた意味が少し分かった。学校だけじゃない。家族で出掛けた時には、姉をジロジロ見られたり振り返られたり、指を指されたりする。姉は何も悪くない。僕達の様に障害が無く生まれてきた人でも苦手な事だってあるし、皆んなと同じに出来ない事だってあるのにひどい人が沢山いるのが悲しかった。
 小さい頃の姉は具合が悪くなると入院する事が多かった。全身の筋肉が弱くて僕達が簡単に出来ることでも、姉にとっては大変な時が沢山ある。そんな大変なことが僕にもわからなくて、行動が遅くてイライラする時もあるし、根性のある頑固になる時は頭にくる。障害が無く生まれてきた兄弟でも、そんな風に思う事はあると思うし、兄弟げんかだってする。姉は、やると決めた事は必ず頑ばり張り続けるし、我慢強い。人の悪口も言わないし、人の良い所を見つける。いじめられてもすぐ許す事が出来る。何でも前向きに考えるし、挑戦する勇気もある。毎年僕の誕生日に、頑張って作った手作りのプレゼントをくれる。こんな良い所がある姉なのに、なぜ皆んな冷たくするのか悔しくてたまらなかった。
 ダウン症は姉が病気になったのでもお母さんが病気になったのでも無く、千人の赤ちゃんに一人の確率で生まれてくる障害だと聞いた。もしかしたら、僕がダウン症で生まれる可能性だってあったはずだ。姉が千人の代表になって生まれただけなのに、それが分からない人が大勢いる。
僕のお父さんは姉を障害児として特別扱いはしない。悪いことをすればすごく怒るし、良いことをすればすごくほめる。
 母は姉の障害を知った時に、ショックが大きく毎日泣いて一年以上家からほとんど出られなかったそうだ。それでも父はどこにでも姉を連れて行ったと聞いた。すごいと思った。僕は生まれてから母が泣いたのを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんな事があってももう泣かないと決めたらしい。
 そんな両親で良かった。そんな両親だからか、姉を障害児学級で過ごす事を選ばなかった。小学校も中学校も通常のクラスで姉は過ごした。姉は友達と楽しく過ごす事が嬉しくて、自分の出来ることを頑張り、僕より勉強をしていた。でも、毎晩遅くまで姉のためになる事や法律を調べたりしていた母が、姉にひどい事を言う人にも、頭をペコペコ下げていたのが嫌だった。障害者として生まれただけで、皆んなと同じクラスで過ごすことがこんなに大変なんておかしいと思った。僕も悔しかった。皆んな同じに過ごさなければ解ってもらえるはずがないと思う。車椅子の障害のある人などは、どんな事に手を貸してあげられるか解りやすいと思う。でも、ダウン症の人はそれぞれ僕達と同じに違っていて、手を貸してほしい所も違っている。だからこそ、もっと皆んなが障害を理解してその人自身を知る事が大切なんだと思う。障害のある人ない人を分けないでほしい。僕達皆んな、命の重さは同じなんだから。













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学びに代わるもの

 2016-10-17
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私は、教科の学習をとても大切にしています。

それは、障がいの種別や軽重とは、まったく無関係です。


重い課題に向き合っている子は、勉強が嫌いだと思っている人がいるかいないか知りませんが、実際はそんな子ほど逆に、良質の学びを欲しているのだと感じています。

勉強そのものが嫌いなのでは、決してありません。


特性理解に基づく課題設定や研究が、標準的なものと比べて遅れているために、えてして適切な支援や題材の構成が出来ていなかったりしがちなことに加え、他者と比較して、君はダメだとまたりすれば、それが嫌になるのは誰だって同じことです。


例えば因数分解が出来たり、難しい化学式が解けたとします。

それはそれで、何よりすばらしいことではありますが、因数分解自体が生活の中で直接役に立ったり、その子の幸せにダイレクトにつながっていくということにはならないはずです。


2歳の時から、新大阪の教室に通っている女の子がいます。

最初の頃は、同じ色のカラーボールのマッチングもおぼつかないようすでしたが、この1~2年で、数も言語もコミュニケートも行動のコントロールも、格段に向上してきました。

こんなことなら、最初の頃のようすを動画記録に残しておけばよかったと、かなり後悔しています。

今や大阪の期待の星です。


この子とのレッスンは、お母さんが横に座って、母子で一緒にする活動が増えてきました。

それは決して母子分離に不安があったり、何かを母に依存しているということではありません。


これまでたくさんのすばらしいご家族の皆様と共に歩んできましたが、このお母さんが、この子の学びにどれだけの深い思いをもっているか、はかり知れません。

そしてその学びのプロセスを通して、この子が他のことでは替えることのできない大切ものを、どれだけ培っているかが、痛いほど感じとれるのです。


自分に対するプラスの気持ち、

向上心、

目標に向かってチャレンジすることのすばらしさ、

未知の文化へのあこがれや希望、


子どもの時に、しっかりと学びに向き合った子は、必ずやかけがえのない大切な宝物をその心に抱き、社会に力強く社会にその足を踏み出し、自分の命の大切さと他者をいつくしむすてきな人に育つに違いありません。

子どものときに学ばない子が、いったいいつになったら学ぶことができるのでしょう、


せめて子どものときに、そうした豊かな文化を、その子の手のひらにしっかりとのせてあげたい、

それが私が生涯求めてやまない学びの形であり、ライフワークとなっているのです。


子どもが出来たーって笑顔を見せた時、私は脳の中に何か液が流れるような気持ちになります。

うちの教室の先生に、そのことを尋ねたら、私もそうだという返事が返ってきました。


まさか本当に、セリトニンの分泌を体感できたわけではありませんが、もはやこれは中毒症状に近い快感があります。

こうした学びを通してつながっていく信頼感は、母子でなくても、支援者とても同じことです。


学びの形はいろいろで、これでなければならないというものはありません。

私のやっていることが正解で、他のアプローチがだめだなんて、思ったこともありません。

しかし、それがどんな形であれ、学びのない所に、子どもの育ちは決してないと思っています。


学びを通してつながる絆、

子どもの学びに代わるものなど、本当はどこにもないのです。






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ここから発信するインクルージョンの形

 2016-09-16
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昨日は中秋の名月、

こども園では、お泊まり保育の日となりました。


この4月、保育園からこども園への移行を機会に、発達支援センターの子が何人もこども園に入園しました。

発達支援センターの子は、最優先で受け入れる、

そこには園長の強い思いがありました。


お泊まり保育の翌朝になり、私は個別指導のお迎えにこども園へ出かけました。

4月から子ども園に入園した発達支援センターの子が、どんな様子でこの朝を迎えているか、胸が高鳴る思いでした。


毎週金曜日、朝一でマンツーマンレッスンをさせていただいている男の子を、すぐに見つけました。

どんなようすなのかとしばらく見ていると、程なく何人かの女の子と花いちもんめを始めました。

その天使のような、満面の笑顔を見ていると、私はどうしてもその子を個別指導に連れていく気にはなれませんでした。


障がいのある子どもを、ただ集団に投げ入れただけでは、何も育たない、

そういう批判を耳にしたことがあります。

しかしこの子は今、この輝くような時間の中で、個別指導では決して得ることの出来ない生涯の宝物を得ようとしているのです。


営業的に見ると、この日のレッスンをいつくかキャンセルにするわけですから、結構な痛手といえば痛手です。

決められた日時のマンツーマンレッスンを、キャンセルした保護者への説明も必要です。

しかし、すべての価値基準を子どもの最善の利益に置くとすれば、この時間に集団から引き離して、個別レッスンを行う気にはどうしてもなれないのです。


私にはすでに見えています、

翌週、廊下を駆け込むように、笑顔いっぱいで私の個別指導の部屋にやって来てくれるこの子たちの姿が、


役所の担当は、こども園の認定に障がい児が入ることを想定していないと、ずいぶん難色を示しました、

障がいのある子を受け入れる営業的なメリットも、ほとんどありませんでした。

それをもって、発達支援センターの子をたくさん受け入れようとする園長の目には、1点の迷いもありませんでした。


どの子も白ゆりの大切な子ども、

ここに居場所があればこそ、初めて発達支援センターの専門性が生きる、


白ゆりを選んで本当に良かったと、一人でも多くの方に感じ取ってもらいたい、

岡山発のインクルージョンの新しい形、

私たちの夢は、果てしなく広がっていくのです。















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未来を拓く

 2016-08-30
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昨日、あるお母さんからお届けものをいただきました。

何だろうと思い中を開けてみると、コスモス学園さんが就労支援の一環として生産した干しうどんが入っていました。


私が目を奪われたのは、その商品に添えられた絵の方です。

そこには「初恋」というタイトルとともに、以前私がサポートさせていた女の子の名前が書かれていました。


あれ確か、2009年のことですから、今からもう7年以上前のことになります。

あるお母さんが、研修ででかけた東京のホテルに、わざわざ私を訪ねてきてくださいました。

「心が人を動かし 人を変える」 (2009-02-10)


「先生に、うちの子の勉強をぜひみてほしい」

その一言に込められた深くて強い気持ちは、その後今日まで、全く色あせることはありませんでした。


SHINOBU先生がいてくださるからこそ、私は前に進んでいくことができる、

岡山から神奈川までの交通費をご負担くださり、会場を準備してくださり、何人かのお仲間をご紹介くださり、出張レッスンは複数回にわたって継続しました。

今から考えると、これだけでとんでもないことです。


お母さんは、私がいるからこそと何度もお伝えくださいましたが、このお母さんとの出会いがなければ、今日の私はきっとありえなかったのだと思っています。

「心が人を動かし 人を変える」  と当時の記事で書きましたが、この母の気持ちが、彼女のこの絵の才能の開花と無縁であろうはずはありません。

ある意味、人生を変えられたのは、この私も同じなのです。


特別支援教育の激動期にあって、このお母さんが地域で残した足跡には、出色のものがあります。

これまで100人以上の家族サポートをさせていただいてきたと思いますが、そのスタンスが微動だにぶれなかったのは、このお母さんとの歩みがあればこそだと思っています。


そうした思いも受け、これから先もきっとこの子は、大切な何かを私たちにもたらしていくに違いありません、

次に会える日には、さらなるどんなサプライズが待ち受けているか、はかり知れません。


この子とともに勉強したレッスンの光景は、今でも鮮やかに私たちの心の中で、しっかりと息づいているのです。









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夢に向かって学ぶ意味

 2016-06-22
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ある日、小学生の男の子と勉強していると、その子が何気なく私の足に自分の足をからめてきました、

別の5年生の男の子は、、勉強の合間に、私に甘えたくて甘えたくてたまらない素振りを随所に見せます、

ある女の子は、帰る間際に 「先生大好き」 と、ハグして帰りますし、中3の女の子は、毎回毎回帰るときに 「先生カッコいいよ」 と言って帰ります。

三重から来てくれた女の子は、家で書いた小さなラブレターに、私のことをイケメンと書いてくれました。

どの子も、3年5年とずっと私の所に通い続けてくれている子どもです。


見ての通り、私はイケメンでも何でもありませんが、こうまで子どもたちが心を寄せてくれる理由は、私が全面的にこの子たちの存在を肯定的にとらえていること、そして、私がしっかりと目標をもって前進しているエネルギーを、子どもたちが誰よりも敏感に感じ取っているからだと考えています。


心の中に夢をもっている先生と、そうでない先生とでは、子どもの食いつきはまるで違います、

子どもは、理屈や肩書では動きませんから、そういうことの感度に、ごまかしは通用しません、

人は、心の根元に、何か目標をもって生きるということに対するアンテナがあるのだと、私は思っているのです。


先日のレッスンで、ある2年生の女の子が、文字見て言語表出がスラスラできるように変わってきました、

前回の時には、そうではなかったので、私は感動して、涙が出そうになりました。

夢をもった学びを重ねていくことで、そこには他では替えがたい方向感が生まれてくるのです。


もちろんこのことは、私の手柄でも何でもなくて、私はただ寄り添ってきただけに過ぎませんが、それでもこれまで、ずっと種まきを続けてきて、本当によかったと思いました。

赤ちゃん体操卒業の時からずっと通ってくれている子ですから、その喜びもひとしおというものです。


土台作りから始まったこの子の言語の育ても、こうして目の見える成果が現れるとことまで来ました。

出来た作物を刈り取ることなど、誰にもできるし、それを教育とは呼ばない、

そうではなくて、目に見えない時にこそ、子どもの可能性を信じて、種をまき、肥料を与え続けること、

私の目指す教育の形がそこにあります。


今は出来ずとも、君なら絶対に出来る、

目に見えないときは苦しいけど、あきらめなければ、必ず夢は叶う、


夢を向かって学ぶ意味、

子どもたちが私に寄せる願いは、きっとそんなところにあるのです。







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家族の横顔

 2016-06-14
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先週の大阪で、中学校の先生が、ある女の子のレッスンを見に来てくださいました。

休みの日にもかかわらず、一人の子どものために、わざわざ新大阪の教室まで進んで足を運んでくださる、

多くを語らずとも、その事実だけで、何か大切なことが伝わってきます。


これまでも、何人もの学校の先生が、この教室に見学に来てくださいました。

そうした時の子どもは、例外なく、弾むような笑顔を見せてくれます。

うれしくて仕方がないのです。

学校の先生が足を運んでくださるというのは、そういう意味をもつことなのです。


学校の先生に来ていただくというのは、簡単そうで、実際にはなかなか出来ることではありません。

このこと一つについても、そこに、子どもの教育にかける保護者の深くて強い気持ちを伺い知ることができます。


私はこれまで、子どものために、信じられないような困難をも打ち砕く、何人ものご家族と共に歩んできました。

子どもの成長と幸せを願う深くて強い気持ち、的確な状況の判断力、そして経済的なことも含め何があってもやり通すパワー、

不思議と、どのご家族にも共通している内容がありました。


物事を成し遂げるために大切なこと、

私は、自分が支えた内容より何倍も大切なことを、いつもそのご家族の横顔から、学ばせていただいているのです。









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母子の涙

 2016-06-12
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私が、初めて大阪のレッスンに行かせていいただくようになってから、もう7年以上にもなります。

以前は、堺市までお伺いする機会が多かったのですが、今では新大阪の教室までお越いただくことの方が増えてきました。


先日来てくれた4年生の女の子のエピソードです。


いつもカーナビを使って来てくださっていますが、機械のことですから、何かの拍子にそのカーナビがいつもと違うルートを案内し始めたそうです。

その子は、前日から、私の所に勉強しに来ることをとても楽しみにしていたらしく、いつも通りに新大阪の教室に来るつもりが、たまたまカーナビがいつもと違うルートを案内し始めたので、私の教室に行けなくなるのではないかと不安になり、車内で大騒ぎになったというのです。


このところ、漢字の書字が正確になり、文字を読み、それを内言化して判断し、再びそれを書字化してアウトプットしていくプロセスが、格段に向上してきています。

そうした学びの時間が、この子にとっては何にも代えがたい大切な時間となっていることに、改めて驚かされたのでした。


ここまでの関係になるまでには、最低でも3年はかかります。

当時3歳だったこの子も、もう10歳、

教員の経験はあっても、未就学児の療育については素人同然だった私を信じて、その私に命を吹き込んでくださったのは、こうしたご両親の熱い願い以外の何物でもありません。


そのお母さんが、先日の参観日道徳の時間に、お友達に一生懸命自分の思いを発表していたという出来事を私にお話しくださいました。

書字アウトプットの正確さは格段に向上してきましたが、依然として構音の不明瞭さが課題となっているお子さんです、


でも一生懸命クラスのお友達に自分の思いを伝えようとすることで、きっと何か新しい道が拓けていくに違いありませんよ、

そう私が、お母さんにお伝えしようとした瞬間、

突然その子が、目に涙をいっぱいにため、数分間次々と私に何かを懸命に伝え始めました。


やや構音が不明瞭なため、その語句の一つ一つを正確にキャッチできたわけではありません、

ですが私には、その子の心の根元にある思いがしっかりと伝わってきましたので、「そうか、うんうん」 と何度も頷きながらその言葉に耳を傾けました。


この子が、家族以外の人に、こんなふうに何かを伝えようとする姿を、これまで一度も見たことがありません、

その子の横でお母さんは、その子に負けないくらいの大粒の涙を、目に一杯浮かべておられました。


勉強したい、向上したい、

この7年の間、私がこの大阪の地で得たものは、この子たちの心の根元にあるこんなピュアの思い以外の何物でもありません。


岡山の教室でも、何人もの子が、レッスン中に私に体をすり寄せてきます、

子どもの心の中の向上心を信じ、それを具現化させるために必要な支援、

子どもたちが私に寄せる気持ちの源泉は、間違いなくそこから湧き上がっているのです。



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汲めども尽きぬ水

 2016-06-07
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ダウン症のお子様のために、赤ちゃん体操を取り入れてから、もう何年になるでしょうか?


以前は、狭い2階建ての建物の中で行っていましたから、赤ちゃん体操の日には、机やいすなどの備品をすべて屋外に片付けなければなりませんでした。

今では、次々と資格をもつ職員も増え、バリアフリーの広いプレイルームの中にあって、ゆったりと行き届いた環境で、子どもたちを迎えることが出来るようになりました。

当時を考えると、まるで夢のような出来事です。


こうした取り組みを通して、物事を為すためには、高い志とそれを支えるパワーの2つが必要であることを学びました。


「子どもの幸せと成長を支える」

そういう高い志なくては、決して人は集いません。


そしてそれには、それを支えるパワーが不可欠で、そのためには経済的な基盤がどうしても必要となってきます。

どんな高い理念があったとしても、お金がない、お金は出さないでは、物事は一歩も動いてくれないのです。

逆に言えば、身銭が切れるかどうかが、その志の強さを示すのです。


私たちの事業は、利用実績に応じて給付金がいただけるシステムです。

利用者のニーズに合った質の高い療育を行えば、利用者が増え、そのことでいただいた資金をもって、さらにその質を高めていくことができるのです。


利用実績のなき者に、療育の質の高さは語れない、

利用実績のある者に、多くを語る必要はない、


大切なお子様を託していただけるということを、当たり前と思ってはいけない、

二度と帰って来ないお子様の大切な瞬間に、真心を込めずして、そこからは何も生まれない、

数ある療育機関の中から、こうして大切なお子様の育てを託されたことを、教育者としての何よりの誇りと受け止よう、

私はいつも、職員にそんなことを伝えながら、ここまで来ました。


この日、赤ちゃん体操を卒業する子がいました、

記念写真を一緒に撮る時に、その子は何度も何度も、私の顔を見つめるのです。


もうこれでいいや、

そんな色をした者の目を、子どもは決して見ようとはしません。


建物も出来たし、職員も増え、ある意味私は、ハンコさえ押せば給料をもらえるような身分になりました。

だからと言って、臨床実践から軸足をはずそうなんてことは、考えたことさえありません。


私は、私の生活が安定することが目的なのではなく、一人でも多くの子どもたちが、社会の中で自己実現していくことが目的なのです。

そのために働きたいのです。

もっともっとお役に立ちたいのです。

だとすれば、ここがゴールであろうなんてはずがありません。


その志が本物である限り、子どもは私の目をしっかりと見てくれる、

私はそう信じて、一歩でも前に進んでいきたいのです。






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研究者と実践者

 2016-02-28
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週末は、大阪でのレッスンでした。

27日に「ダウン症療育研究会 20回大会」が、新大阪で開かれることは、以前から存じ上げていました。


私の所では、ここ数年、毎年1名ずつダウン症児のための赤ちゃん体操指導員の講習を受けさせていただいている関係で、職員が何度も研究大会におじゃまさせていただいています。

この日は、うちの主任さんが、赤ちゃん体操指導員の認定証をいただくこともあって、会に参加させていただきました。


新大阪の教室と会場とは、ゆっくり歩いても10分とかかりません。

当日は、朝から晩まで10連続レッスンのご予約をいただいており、会への参加はできませんでしたが、お昼すぎのレッスンに1つキャンセルが入った関係で、会場にご挨拶に伺うことができました。


上地先生のご紹介で、何人かのかたにご挨拶をさせていただくことができました。

私が実践者として活動をさせていただくことが出来るのも、先生方のご指導あればこそと、普段から感謝の気持ちでいっぱいでした。


研究に真摯に取り組んでくださる方がいればこそ、私たち実践者のなすべき役割は明確になっていく、

私は研究者にはなりませんし、なれませんが、研究内容からかけ離れてしまうことは考えられません。


これからも先生方にご指導をいただきながら、大切な実践を、一つ一つ積み上げていきたい、

そのことが最も自分らしい生き方であり、持ち味なのです。


一人の子に寄り添うことからスタートし、岡山の地で果たす私たちの役割も、日に日に大きくなってきました。

研究者の皆様の横顔を拝見しながらも、私はこれからも、多くの実践者を育てて、多くの子の成長と幸せに寄与していきたいと、心の底から感じることが出来たのでありました。





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Born This Way

 2016-01-19
I was born to survive
(私は生き抜くために生まれてきたのよ)

No matter black, white or beige
(ブラックだって、ホワイトだって、ベージュだって関係ない)

Chola or Orient made
(チョーラだって、オリエントだって、そんなの関係ない)

I’m on the right track baby
(私は自分なりの道を歩んでいるのよ)

I was born to be brave
(私は勇敢に生まれてきたのよ)

I was born this way
(私はこんな運命のもとに生まれてきたのよ)





これは、レディガガ 「ボーンディスウエイ」 の歌詞の一節です。

日本は島国で、単一民族の国です。

それだからどうかは別として、これからの日本にとって特に大切にしていかなくてはならないことの一つは、「多様性を受け入れる感覚」 ではないかと考えています。


今では、外国の人が電車の中にいても、特別な目で見る人はほとんどみかけなくなりましたが、何年か前は決してそうではありませんでした。

性的なマイノリティーの人も受け入れる文化もありませんでした。

しかしながら、自分とは違う人を排除しようとする感覚が、すべての人からなくなったということではありません。

よそ者を受け入れない文化が、全くなくなったわけでもありません。


私は、自分とは違う他者を受け入れることは、その人自身の存在が尊重されることと同じことだと思っています。

他者を排除するもということは、自身の存在そのものがおぼつかない証拠です。

多様性をを受け入れられるということは、その存在が自体がゆるぎない証だと思っています。


先週、ある京都のお母さんが1組の写真集とDVDをプレゼントしてくださいました。

昨年の秋に、ダウン症の子どもたちのためにファッションショーを開催されたときのメモリアルです。


これだけのパワーとエネルギーが一体どこから湧き出てくるのでしょうか?

中心となって会を運営されているお母さんを存じ上げているということだけでなく、その根元にあるあたたかくも美しい思いにふれ、子どもたちの輝く表情を目にしながら、自分の胸に熱いものがこみ上げてくるのを押さえることができませんでした。


だからこそ私は、自分の出来ることで、子どもたちのために力を尽くしていきたい、

それが私の生きる道であり、私の役割、

I was born this way.







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☆ トラフェスはこちら



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「肯定感を培う子ども学び」ダウン症児とともにあゆむ③

 2015-10-06
先日行った講演の内容について、あるお母さんがまとめてくださり、会報誌に載せてくださいました。

このことが、あまりにもありがたくて、うれしくて、ブログの記事にさせていただけるようお願いをしました。


ほぼ原文のまま、以下に掲載させていただきました。

本当に幸せです。



「肯定感を培う子どもの学び
     ~ダウン症の子どもとともに歩む~」SHINOBU先生の講演会


平成27年8月30日、白ゆり発達支援センターにてSHINOBU先生の講演会が開催されました。JDS会員外の方7名を含む48名という多くの方々にご参加いただきました。

SHINOBU先生にはわが子が大変お世話になっており、白ゆりに来ると何故子どもが生き生きと目を輝かせながら集中して勉強するのか、どうしてこんなにも大好きな場所なのか知りたくて私も参加しました。

まず、ブログ実践記録「ダウン症の学びと育ち」7年間の147の記事(2009~2015)の中から具体的なエピソードを動画を交えながら紹介していただきました。

ダウン症の子どもたちは言語より数的感覚が苦手な子、視覚的にとらえる事が苦手な子が多い、目は横に付いているのであえて教材は見やすい横書きにしてすべてふりがなをふっている、言葉にならない言葉を拾ってあげる、得意なことを活かして苦手なことを伸ばす、具体物を(果物のおもちゃ・10円玉など)数感覚を身につけさせる工夫をレッスンの中でしているそうです。

次に、SHINOBU先生の個別支援のエキス、支援基礎技術の方法を紹介していただきました。

① 支援除去法(プロンプトフェーディング)
子どもの出来にくい部分に適切な支援を入れ、豊かに活動を構成しながら周辺の領域を育て、段階的にその支援を除去していく方法
 (例:文字が自分で書きにくい子には手を添えてだんだん手を離すなど)

② 課題分析とスモールステップ
子どもの出来ないことと出来ることの間に、どんな力を育ててやればよいのかを明確にして、出来ない時の手だてを明確にしながら、段階的な目標設定をする方法。 出来ることから積み上げていく。

③ 認知処理様式に基いた長所活用型支援
認知処理様式(同時処理/継次処理)=二系統同時刺激
視覚認知の弱い子は得意な言語に聴覚性のものを添えてやる。
視覚的系統と聴覚的系統の両方をミックスしながら育ててやる。だんだん聴覚的な物を除去していく。(例:文字を読んで分かりにくかったら「これは~よ」と言葉を添える。)

④ 先行刺激(ヒント)
子どもの持っている力を引き出すための方向付け、問題解決のための引き出しを刺激する方法。(例:メモ用紙に色んなヒントを書いて見せる)

⑤ プライミング支援
全く歯が立たない内容であっても選択肢を示してやるなど、その子の持っている知識や技能を呼び覚ます支援。
(例:「赤」という漢字がわからない→「白」・「赤」を書いて見せてどっちか選ばせる→わかったら「よく覚えていたね」と褒める→意欲的に学習できる。)

⑥ 視覚支援
A範囲の明確化(情報の質的・量的精選) 範囲を区切る
B色支援による内容の焦点化  視覚認知が弱い子には色支援が有効

⑦ 応用行動分析
望ましくない行動をするには必ず理由がある→何かを訴えている→訴えたい事を汲み取ってやる。マイナス行動にかわる良い行動をモデルとして示してやって、それが出来るようにプログラムして、出来たら褒める。


SHINOBU先生がおっしゃった言葉で私が特に印象に残ったのは、「“こんな子に勉強を教えてどうするんですか?もう頑張ったじゃないですか?もういいでしょ。”と言う先生が時々いる。この言葉は絶対に許せない。」

「子どもから学びを奪わないで欲しい。“あなたは学ばなくていいよ”って事は“もう生きなくていいよ”と言う事と同じです。子どもにとって大切なのは学び、そこから軸足を絶対外さないのが私の信念。」

「どんな学習内容であるかを問うのではなくて、学びに真剣に取り組むこと、そのことによって子どもの自尊心が培われ、将来、社会的自立に向けての基盤になるのです。」という言葉でした。

やっぱり、私たちの子どもの事を私たち親と全く同じように心から真剣に想って、子どもの可能性を信じて勉強を教えてくださっているSHINOBU先生だからこそ、わが子は全幅の信頼を寄せ、白ゆりに来るといつも目をキラキラ輝かせて喜んで勉強するんだ!という事が分かりました。

JDS岡山支部長のかれんママとSHINOBU先生との出会いがなければ今の白ゆり発達支援センターは無かった、かれんママとSHINOBU先生との出会いに感謝しています。この岡山に白ゆり発達支援センターがある事が本当に幸せだと思いました。








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ダウン症の子どもと共に歩む ②

 2015-08-31
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※ 講演会PDFはこちら






昨日は、JDS(日本ダウン症協会岡山支部)の学習会講師として、講演会を開催させていただきました。

今春、岡山白ゆり発達支援センターの本館が落成し、これまでの実践を通して学んできた内容の中で、何か一つでも恩返しの意味で皆様にお伝えすることができたら、そんな気持ちを込めてこれまで準備を進めてきました。


定員一杯のご参加をいただき、長年にわたってずっと私のレッスンを受けてくれたお子さんのご家族も、たくさん参加してくださいました。

自らの施設にお招きしての初の講演会、

皆さん、普段の私の実践に直接かかわっておられる方ばかりでしたから、いい加減なことは言えないと、これまでにないプレッシャーも感じていました。


もちろん、力不足の私の話ですから、きっと物足りない内容も多々あったのではないかと思いますが、今の私でできることは出し切った感があり、講演終了時には、皆様の輪の中で、とてもありがたく幸せな気持ちに包まれました。


会の終了後、JDS会長さんから、今のような内容のメールをいただきました。



SHINOBU先生


やっと念願のJDS岡山支部全体向けの学習会が開催できました。

とてもすばらしい内容で、これまでの先生のご経験が集約された、すばらしいものでした。

なんでもっと早く開催できなかったんだろう…。

SHINOBU先生の存在は本当に貴重で、多くの子どもたちとその家族に生きる力を与えていただいています。

わたしもSHINOBU先生と同じような感覚があって、「子どもたちに必要とされている自分を自覚することで、生きる意味を与えてもらっている」と思っています。

まさに、SHINOBU先生との出会いは「運命」としか言いようがありません。

SHINOBU先生のお人柄と勉強熱心さ、本当に感動しています。

今日、開催できて本当に良かったです。

ご協力してくださった職員のみなさまにも心から感謝申し上げます。

貴重なお休みの時間に、JDS岡山支部のために時間を割いてくださり、本当にありがとうございました。


どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。





私にとっての今年の夏は、この講演会がとても大きな節目になると考えていました。

お盆休みを返上し、ある意味わき目もふらずこの日を迎えることがきました。


自分のできることに、日々精一杯取り組むことのできる幸せ、


余韻にひたるのは、半日もあれば十分、

さあ、目指すは次の大きなステージ、


この日のビールの味は、最高でした。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-09-01)




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分けないという専門性

 2015-08-21
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最近、うちのグループレッスンには、ようやく歩けるようになったばかりの小さな子も増えてきました。

最初は泣いてばかりいた子ようなが、ひと月にも満たないうちに、笑顔で集団の流れに乗れていくようになります。

「児童発達支援」 の制度の枠組みの中で、3歳に満たない子をお預かりするのは、運営面ではかなり苦しいものもありましたが。職員の高い意識と使命感が、そのことを可能にしてくれました。


年齢別・能力別・それぞれの特性に応じたクラス編成をするのは、とても大切なことだと思っています。

でも、分けただけ、区別しただけで、それで行き届いた教育が、オートマチックでできるのではないのです。


逆に、あえて分けない事で培われていく内容もあるのです。

もちろん、そういった集団に投げ入れただけで育つというものではなく、多様性のある集団の中で豊かな教育活動を行うための高い専門性と深い愛情、そして使命感が不可欠になっていくのです。


白ゆりは、学校や保育所・幼稚園にはない専門的な子どもの育てができるところ、

その保護者の信託と願いに少しでも応えていくことができるよう、私たちは前に前にと進んでいくのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-08-23)




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ダウン症の子どもと共にあゆむ①

 2015-08-08
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※ PDFはこちら





8月30日に、岡山白ゆり発達支援センター本館において、JDS(日本ダウン症協会)岡山支部主催による講演会を開いてくださることになりました。

役員のお母さんが、このような立派なチラシを作ってくださいました。


JDSの皆様にはこれまで、かれんちゃんのお母さんをはじめ、何度も講演の依頼をいただいいていましたが、ずっとお断りをさせていただいていました。

SHINOBU先生は、県外ばかりで講演をすると言われたりもしていましたが、あまりにも身近すぎて講演会となると何だか話づらいというのが本音でした。


しかし、この本館設立を期に、これまでずっと私を全面的に支えてくださったJDSの皆さんに、わずかであっても、何らかの形で恩返しをさせていただきたいという気持ちになり、今回のオファーについては即答で承諾させていただきました。


今回の講演会のチラシができると程なくして、岡山の産婦人科医師会の会長様から直接お電話をいただきました。

子どもたちを会の主催するコンサートにお招きくださるということで、来週早々に訪問にさせていただき、直接お話をお伺いできることになりました。


この子たちこそが、私に百万の幸せを運んでくれる天使たちに違いありません。

このことが、子どもたちにとっても、ご家族にとっても、私たちにとっても、何か大切な一歩となれば、こんなにもうれしいことはありません。


微力ですが、これまでに与えてくださったたくさんの子どもたちとのご縁を背負い、そのことに感謝の気持ちを込めながら、渾身の取り組みをもって、その日その時を迎えたい。


寝食を忘れ、こうしたこと真剣に打ち込むことのできる夏、

何か特別な思いがこみ上げてくるのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-08-10)






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その日は突然やってくる

 2015-07-28
毎週火曜日には、今年高等部3年になる男の子が通ってきてくれています。

小学校高学年からレッスンをしていますので、もう6〜7年のお付き合いになります。

雨の日も、嵐も日も、少しくらい体調が悪くても、行事以外でお休みしたという記憶はなく、その数年間はほとんど皆勤賞なのです。


表情はいつも明るく、やる気満々

学習にも前向きで、インプットや理解の部分に光る面がたくさんある子です。


小学校は、地元の小学校に通い、中学から岡山大学付属特別支援学校に通うようになりました。

「SHINOBU先生には、この子にずっと、教科学習に軸足を置いた指導をお願いしたい」

中学入学の際に、お母さんは私に、何度もそう念を押されました。

白ゆりの指導があることを前提に、このお母さんは、特別支援学校を選択されたのです。


構音が不明瞭なため、なかなか思っていることの微細が、口頭で伝わりにくい場合があります。

また、手指の微細なコントロールもどちらかといえば苦手で、漢字学習以外の場面では、なかなか漢字を使おうとはしませんでした。


ところが先日、いつもならひらがなで書いているはずの解答欄に、この子が何食わぬ顔で、平気で漢字で記入をしているではありませんか?

さすがの私も、これには、すったまげてしまいました。

6年も、7年も、毎週毎週指導をしていながら、こういうことは前触れなしで突然やってくるのです。


毎回毎回当たり前のように、どんにな読みにくい字であっても、どんなに聞こえにくい言葉であっても、共有する世界を広げ、コミュニケーションを深め、学びの喜びと達成感を積み上げて行く、

そうして積み上げて数年間の、最後の最後の1年で、やっとこんな日がやってくるのです。


私は、ただ託された母の思いに添うことをしただけに過ぎません、

成果が見えずとも、来る日も来る日も、その日を信じて託し続けた母の愛情と信念があればこそ、この日を迎えることができたのです。


私の事業所は、児童福祉法に規定されたものですから、原則18歳以上のお子様のサポートはできない規定になっています。

「先生、来年以降もここで学びたいと、強く願うこの子の思いを、どうか叶えてやってください」

お母さんは、私にそのようにお伝えくださいます。


私は、こうした気持ちに寄り添うことで、次々と奇跡を巻き起こしてきたのです、

一人の大切な思いに寄り添うことは、きっと多くの人の願いと幸せに寄与することにつながります。


また見ぬ白ゆりの新しい形を、この子はきっと示唆してくれているのです。











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未来に向かって輝く 君の笑顔

 2015-07-07
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東京での学会の帰り道、私はある女の子とそのお母さんに、新宿で夕食をご一緒させていただきました。

ダウン症のお子さんですが、「何年生になりましたか」 と私が尋ねると、「高校1年生になりました」 とさわやかに答えてくれました。


以前私は、年に何度か秦野市を訪れて、何人かの子どもたちのレッスンをさせていただいていた時期があります。

初めてこの子のレッスンをさせていただいた時には、まだこの子は小学校中学年の時でした。

http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-411.html



この子が描いた絵のパンフレットを拝見させていただきました。

「夕日の尾瀬」 は、展覧会で入賞した作品だとお聞きしました。


私の個別指導の一コマは、この子の学びに寄り添う所からスタートしました。

食事をしながら、私の尋ねる一つ一つにきちんと受け答えるその姿に、この子の育ってきた歩みが、いかに豊かで尊いものであったが、浮かび上がってくるように感じ取られました。


「SHINOBU先生が、どんどん偉くなって、私たちの手の届かないところに行ってしまう」

お母さんは、そんな意味のことを、何度かおっしゃっていました。


私の心は、あの時と何一つ変わっていない、

だからこそこうしてお会いできているし、だからこそ私はここまで来ることができたのです。


もしも、世の中に言葉で表現できるものと、そうでないものがあったとしたら、この日、この母と子が私に与えたインパクトは後者のもので、その豊かでこみ上げるような思いが、何とい言えない高揚感を与えているのでした。

この子の育ちは、私の心を経由して、きっと後に続く多くの子どもたちの道しるべになるに違いありません。



だからこそ、子どもにとって学びはなくてはならないもの、

私たちのチャレンジは、これからもずっと続いていくのです。





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ならば白ゆりがそれをやる

 2015-06-23
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子どもの育ちにとって、運動機能の発達はとても重要な意味があります。

例えば、独立歩行ができるように育つということは、粗大な運動機能の成長と共に、言語表出といった微細な運動機能の向上や、認知やコミュニケーションの世界の広がりなどに、大きな影響を与えます。

それは単に歩けるということだけでなく、その子自身の育ちにとって、大切な指針の一つとなるのです。


ダウン症のお子様の場合、低緊張ということもあって、なかなか1歳で独立歩行が完成しないケースを多く見られます。

こうしたことから、白ゆりの赤ちゃん体操では、「一人歩きができるようになる」 という共通の目標に向かって、お子様とご家族と一緒に歩んでいるのです。




この春から定員も増え、職員も増えた関係で、新しく白ゆりの通所支援事業にご案内させていただける子どもたちも、とても幅広くなってきました。

これまで、就学前のグループでは、独立歩行が完成した子どもたちを対象としたレッスンをさせていただいていましたが、まだ歩けないお子様にも、何とかこの機会にお越しいただくことはできないかと、新しいプログラムの開発に取り組んでみることにしました。


一般の保育園では、5歳児30人に対して保育士は基本1人ですが、独立歩行が完成していない0歳児の場合、概ね子ども3人に対して保育士1人という配置基準が定められています。

白ゆり発達支援センターで行っている赤ちゃん体操の日には、白ゆり保育園から 「赤ちゃん体操指導員」の資格をもつ看護師と、外部講師という形で「赤ちゃん体操指導員」の資格をもつ臨床心理士さん2名に毎回加わっていただいています。


当然うちにも 「赤ちゃん体操指導員」の 資格をもつ職員がいますが、児童通所支援事業の枠組みで見れば、外部講師をいくら入れようが、5歳の子どもであろうが、0歳の子どもであろうが、事業所の報酬としては、同じなのです。

児童発達支援にかかわる配置基準にしても、0歳の子を何人受けても、5歳児と同じように5人に一人の保育士しか認められないのです。

ましてや、白ゆり発達支援センターは1日の定員が多いため、1人当たりの報酬単価が極端に低く、赤ちゃん体操を行うに際して、イベントとしての収益は全くありません。

もしも金儲けのためにやる事業なら、こうした事業は一刻も早く切り離すべきなのかも知れません。


しかし、私はそんなふうには考えません。

安全が確保された100㎡もある広いフロアで、研修を受け専門性を有する職員が、定期的にお子様のサポートをさせていただくことで、以後のお子様にとって、どれだけ可能性の芽が広がっていくかを、私は目の当たりに見てきているのです。

採算のとれない事業は、発展性もなければ、決して子どもの利益にはつながりません。

制度の方が、事業(利用者のニーズ)に追いついていないのであれば、全国にその大切さを訴え、行政の担当の方やや議員さんにそのことをしっかりと伝え、制度自体を1日も早く改善していくべきだと、私は考えています。


私には、時代の先端を走っているという自負と使命感が必要です。

もしもそれが、多くの子どもの未来を拓くことに、わずかであってもつながることになるのなら、私の果たすべき内容は重要です。


だれもやらないなら、白ゆりがそれをやります。

本当に子どもの育ちにつながることは、時間はかかっても必ず理解され実現するものだし、そうと決めたら必ずやると私は決めているのです。


子どもたちの成長とご家族の幸せのために、私にもすべきことがある、

多くのご家族の期待を背負って、私は前に進んで行ける、

そのことを私は、何よりもうれしく思っているのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-06-24)





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希望の光

 2015-05-26
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先日、倉敷のある相談支援事業所の方が、4年生の女の子のレッスンのようすを見に来てくださいました。

就学前からずっと通ってくれている子で、今では漢字もこんなに正確できれいに書くことができるようになりました。

小さい頃は、とてもではありませんが、小学校になってこんなに勉強ができるようになるとは想像できませんでした。


この子の育ちが、どれだけ多くの子の希望の光になって来たか、はかりしれません。

論理でも数値でもなく、今、この子の存在そのものが、私の育ての拠り所となってきているのです。


支援者として、ご家族にしっかりとゆく道を指し示すことが、私に与えられた大切な使命です。

心の根元に実践の裏付けがあることが、どれだけご家族の支えとなっていくことでしょう。


こんな所が倉敷ににもあったらいいのに、

相談支援の担当者さんは、そんなふうにおっしゃってくださいました。


一人の子どもに寄り添う所から、次々と大切な何かが生まれてくる、

これからも、それぞれの子がもつ宝物がきちんと見える実践者でありたいと、願うのでありました。







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