育つということは 生きるということ 

 2017-09-20
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私には、3人の娘がいます。

一番下の娘ももう社会人となり、それぞれが教育にかかわる仕事で、独立したそれぞれの道を歩み始めました。


初めて一人歩きができるようになった日、

初めて意味のある言葉を話せるようになった日、

おしめを替えたり、夜中に抱きながらあやしたり、膝の上にのせたりした日々も、今となっては遠く愛おしいものとなってしまいました。

当時私は、小学校の教員をしていましたが、ただただ我が子のピュアな育ちを受け止めるだけで、教育や発達の視点から、そのメカニズムみたいなことに目を向けることはほとんどありませんでした。



今保育園で、1歳になって一人歩きが活発になり、認知も社会性も言語性も、日に日に格段の成長をみせてくれている女の子がいます。

園長の視点から、継続的にその育ちのようすを見つめると、自分が親であったときには見えなかった大切なポイントが、くっきりと浮き彫りになって見える瞬間があります。

特に、発達にかかわる仕事に軸足を置く立場から、この0歳~3歳の子どもの育ちに日々かかわっていることは、日々他では替えることのできない大切な宝物の中で仕事をしているということが出来ます。


毎日きらきらとした目で私を見つめてくれる22人の大切な命、

子どもはそれぞれが日々成長の手応えを実感することで、自己肯定の気持ちも他者に対する慈しみの心も、育まれていくのだと考えています。


育つと言うことは、生きるということそのもの、

私にとって、教育の仕事より、尊いものは何もないです。











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夢をもって学ぶ

 2017-07-30
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私が就学前からサポートさせていただいている女の子が5年生になりました。

低体重での出生ということで、小さい頃はご家族がとても心配をされていました。

通常学級での学習なんて、とんでもないと、療育の先生に指摘されたこともありました。


小学校に入学してからは、その子は元気いっぱい、

お友達と一緒に、生き生きとした学校での学習を積み重ねて行きました。


特に漢字学習には熱心に取り組み、50問テストで何度も100点を取ったり、漢検も級を上げて合格するほどになりました。

都道府県名も、その形を見ただけで百発百中、

絶対音感も完璧で、私にはできないパフォーマンスも次々に見せてくれるようになりました。


先日この女の子が、近くの私立の中学校に見学に行ったそうです。

その子は一発で、その中学校が気に入ったようで、しっかりと勉強して、絶対この中学に入学したいという気持ちをもつまでになりました。


まだ5年生ですし、この中学校とご縁がつながるかどうかは、全くの未知数です。

私は、お母さんのご相談を伺いながら、もしも本当にそうなったら、どんなにすばらしいことだろうかと、期待に胸がいっぱいにふくらみました。


数年前に、この子がアンパンマンのパズルがうまく出来ずに、泣き出した日のことを忘れることはできません。

あの日、この子が数年後、私立の中学校を受験を検討しようかというほどに、成長する日が来ることを、一体誰が予想すること出来たでしょうか?


希望をもって学ぶこと、

夢をもって学ぶこと、

その美しさや喜びを、教えてくれたのは一体誰でしょう。


価値ある何かに向かって歩み続けること、

子どもにとっての学びは、生きることそのものであると、私は信じているのです。










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母の執念

 2017-07-13
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実践者の仕事を続けたいなら、管理者の仕事が一人前に出来てから…

それが職業人として、今の自分に課せられたテーマであると考えています。


保育園の園長の仕事も、いまだに不慣れなことが多く、書類1枚書くのにも悪戦苦闘の毎日です。

ようやく毎月のルーティンがつかめ、ほんの少しだけ見通しがもてるようになってきました。

それでもまだ、保育内容そのものについては様子見の段階で、これから自分らしさをどう保育内容に役立てていくかを模索しているといったところです。


こうした状況で、私の個別レッスンをご希望くださる方がいます。

実践の仕事は楽しいですが、管理者としての仕事に得心のいっていない状況では、以前のように安易にお引き受けすることが出来にくくなってしまいました。


そんな中、私のスケジュールにねじ込むようにレッスンをご希望くださった方がいます。

安請け合いをするわけにもいかず、回数やら時間やら、かなり制限させていただきましたが、それでもということでしたので、お引き受けすることにしました。


それまでは、新しい環境が苦手で、行動のコントロールがとりにくいタイプのお子さんだと思っていました。

しかし、何回かレッスンをさせていただいているうちに、書字などのアウトプットの部分はやや雑な傾向がみられるものの、読字や判断の部分は、結構イケていることがわかってきました。


行動面についても、手立てや環境を整えさえすれば、集中して学習に取り組むことができるようになってきました。

また、学習内容がかみあっていくうちに、私とその子の間に、次第に信頼やらコミュニケートやら、大切な関係が培われていることを感じ始めました。

いつの間にか、離席もなくなり、時間いっぱい学習に集中できるようになってきました。


ここに来てやっと、このお母さんが、なぜそうまでして私とのレッスンをご希望されたのかが、わかってきました。

この状況は、すべてこの母の熱い気持ちなくしてあり得たことではないはずです。

まさに母の執念、

私のレッスンは、こうした気持ちの上に成り立っていることを、ずっしりと受け止めなければならないのです。









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苦しいときに見える人の真実

 2017-06-27
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人が一人前に育つまでには、様々な試練があります。

小さいときに手のかからなかった子が、大きくなってからとんでもない場面に遭遇することだってありますし、小さいときにとんでもない苦労をかけた子が、大きくなってすばらしい青年となることも珍しいことではありません。

どの時期に苦労をかけるかは別として、その苦労の質も中身も別として、何の苦労もかけない子なんてどこにもいないと思っています。

その親の苦労の分だけ、きっとその子は、人の最も大切な部分にふれることになるのだと、私は考えています。


先日、あるお母さんからメールでご相談をいただきました。

↓ 下記の内容は、そのメールに対する私の返信です。


ご連絡、ありがとうございます。

起こっている出来事に対して、その都度適切な対応を考えていくことはとても大切なことです。
そして、苦しい局面での一つ一つが、やがてその子にとってかけがえのない大切な時間となっていくものと考えています。
まさに苦しいときこそ、人は育つし、かかわっている人の真価が問われるのだと思います。

人はかかわりの中で生きているのですから、うまく行かない時に、その原因を子どもだけの問題としてとらえるのは誤りです。
関係性という視点でとらえることも、重要だと考えています。

人が育つ道は、百万通り、
ゴールは、お子様の幸せと成長、そして自己実現なのですから、そこに至る道が色々であっても何の遜色もありません。

それぞれの場面で、一つ一つの判断をきちんと積み重ねていくことはとても重要です。
でも、うまく行っていると思う道に思わぬ落とし穴があったり、もうだめだと思った瞬間が、輝く将来につながる、
そんなものです。

だから苦しければ苦しいときほど、笑顔で行く先をしっかり指し示す支援者の存在は重要です。
微力ですが、私はずっとそばにいて一緒に歩んでいきます。

ご家族に成り代わることは出来ませんが、真摯に取り組むご家族を支えることはできます。
ここはふんばり所です。

きっとすてきな道の一歩が、どこかにつなっがているはずです。
しっかりとした気持ちと笑顔で、ここを乗り切っていきましょう。

それが出来るのは、きっとお母さんしかいないはずです。





>何度も読んで、何度も涙がこぼれ、

>そして ありがたく、あたたかい言葉に励まされています

お母さんは、そのようにお返事をくださいました。


その行く先に、どんな出来事があろうとも、この母は、間違いなくそのことを乗り越えて前に進んでいかれる。

これまで接してきた何十人という母がそうであったように、この母もきっと、そこから美しい何かをつかみ取っていかれる。


私は、その思いに、一点の曇りも迷いもありません。

苦しいときにこそ見える人の真実、

母が子を思う気持ちに、何のうそ偽りなどあろうはずがないのですから。









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ほんの小さな一歩

 2017-06-21
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今日は、こども園の年長さんの男の子とのレッスンがありました。

以前は、独立歩行がおぼつかない時期が長くありましたが、この日はしっかりとした足取りで、スタスタと教室に入り、とても驚きました。


まだ歩けない時期のレッスンは、どんな教材を提示しても、なかなか期待されるような反応が見られず、私の方もかなり苦しみました。

しかし、独立歩行がしっかりとしてくるにつれて、対象物にかかわる反応や認知力、手指の巧緻性などがみるみるうちに向上し、レッスンの内容が格段に豊かになってきました。


この日は、初めて動物の型はめパズルを提示してみました。

以前なら、なかなこれを教材としてとらえることが出来にくかったのですが、この日は明らかに目の輝きが違うことが見て取れました。


見方によってはほんの小さな一歩だと言えなくもありませんが、これまで共に歩んできた私としては、この日が来るのをどんなに待ち望んだことか知れません。

小さくとも、この先、ずっと広がる学びの道がここにあるのです。


レッスン中に何度も何度もケラケラ笑うなんてことも、以前には考えられないことでした。

成長が目に見えるのは、本当に幸せなことです。


頑張ってきて良かった、

今度来てくれるときには、一体どんな成長を見せてくれるか、何だか今から楽しみです。










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教材を選ぶ力

 2017-05-24
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以前、私の教室には、おもちゃの墓場というものがありました。

就学前のお子さんのレッスンを担当して間もない頃、高い値段で買ったおもちゃが、ことごとレッスンで役に立たなかった時期があるのです。

その教材を見て、子どもの動く姿が全くイメージできていなかった証拠です。

使えないおもちゃが山のようにたまってしまっていた、私の修業時代の苦い思い出の一つです。


いい絵本やおもちゃを選ぶことのできる保育士は、間違いなく相応の力量のある保育士です。

豊かな実践のある保育士は、おもちゃや本に出合った瞬間に、その絵本やおもちゃで生き生きと活動できる○○ちゃんの姿が思い浮かんでいるのです。

どんな活動も、まず子どもの育ちの実態があり、教育者としての願いがそこに生まれ、それをつなげる教材や活動を組み立てる。

その原則には、かわりがありません。


小規模保育園の子どもが、朝の時間に食いつくように取り組んでいる活動があります。

画像のような小さいボックスに大きなの違う大小の丸いキャップのような物を入れる活動です。

別に保育士がやらせようとしているのではなく、いつも子どもが夢中になって取り組んでいるのです。


手作りの知育玩具なのですが、ボックスはキラキラ、

入れる部分は、ボール紙で適度な弾力があり、すぐにスポット入ってしまわない所が、子どもの探求心や好奇心をくすぐっています。

試しに個別指導の場で使ってみましたが、案の定子どもの食いつきは抜群です。

もう一つこれに似た手づくり玩具のカード版もありますが、これも臨床実践場面での即戦力です。


何気ない所ほど、保育者としての力量の差が歴然と出るものです。

そのわずかな技量の向上こそが、私たちはそのプロとしての専門性の証であると考えているのです。










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地域の中の育ての基盤

 2017-04-27
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昨日、年長さんのお子様の就学にかかわることで、ご両親の相談を伺いました。

様々な点を考慮して、次の学びの場は、地域の支援学校を軸に検討をしていきしょう、ということになりました。


やがてどの子も、それぞれの育ちのステージの場で、それぞれがそれぞれの道を歩み始める分岐点というものがあります。

野球の道に進む子、お笑い芸人を目指す子、大学に進学して研究者を目指す子、福祉の道に進む子、家族の輪の中で生活の基盤を築いていく子、外国に留学する子、

どの道にも貴賎はなく、それぞれがそれぞれの子にとって、大切な一歩となるわけです。


その先がどんなに分岐していこうが、根元が同じであるのなら、何年経とうがその心はずっとつながっているはずです。

だからこそ私は、幼少期には、地域の中で地域の子どもと一緒に育つことが絶対に必要であると信じているのです。


同窓会で会うみんなは、50年経っても100年経っても、みんな友達です。

移り行く人生の景色次々と変わっていくからこそ、その根元の友達とのつながりは、決して色褪せない。


決してそのことだけにこだわっているわけでもなく、それぞれの進路は決して一般論で決められないと考えています。

だからこそ、6歳まで、できれば小学校までは、地域の小学校でみんなと一緒に学ばせたいというのが、私の基本的なスタンスです。


どの子もすべて、等しく豊かに学ぶ権利をもって生まれてきたはず。

家族の輪の中で、その子らしく豊かに学んでいけること、

当たり前だけど、何よりも大切なこと。

これからも私はそのことをしっかりと見つめて、ご家族とともに歩んでいきたいと願っているのです。










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桃園の誓い

 2017-02-28
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今からもう5年以上も前のことになると思います。

ビジョントレーニングでご活躍の増本利信さんが、私の教室を見学にきてくださるということになりました。


せっかくだからということで、その機会に3人の保護者の方を対象に学習会をしていただくことにしました。

精鋭の保護者3名を対象というですから、増本先生にはかなりのご負担をおかけしたのではないかと思いますが、さすがにそれはとても意義深い研修会となりました。

その3人の保護者の方ですが、のちに1名は岡山にLDの会を立ち上げ、会長としてご活躍されました。また別の1名の方は、倉敷市の保護者会の会長をされました。そしてもう1名の方は、のちに私の事業所に職員と勤めてくださり、今や私の仕事になくててはならない有能な職員へと成長されました。


三国志の中の「桃園の誓い」はあまりにも有名です。

時はまさに桃花の季節、

私にとってもこの3人は、きっとますますもってかけがえのない大切な存在となっていきます。


時を経て、私たちの志は、さらなるス次のテージへとしっかりと歩み初めているのです。







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子どもの内発性を信じる

 2017-01-30
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先週のレッスンのレッスンのことです。

ある中学生の女の子が、決められた勉強を途中で終えてしまい、担当の先生が心配そうな顔で私の所に相談にきました。


私はその子と小学校の頃からずっと一緒に勉強して来ました。

そしてその子が、誰よりも向上心が強く、学習の手応えそのものが自身の存在を支えていることを理解しているつもりでした。


「そんなふうに言うのは、きっとよっぽどのこと」

「今日は子どもを信じて、早めに帰そう」

私は、担当の先生にそう伝えました。


いつもより学習時間が短くなり、お母さんが心配をされましたが、私はこの子の内発性の高さを知っていますから、お母さんにそのことを伝え、この日のレッスンを早めに終えることにしました。

それが決して手抜きでもなければ、いい加減でもないことは、その信念の深さのともにやがては必ず理解していただけると確信していました。


その子が帰ってから2時間ほどして、お母さんからLINEでで私の所に連絡がありました。

帰りの車の中で急にしんどくなり、家に帰っておう吐したとのことでした。


そんな体調の悪い中、よくぞあそこまで勉強をがんばったものぞと、私は抱きしめてやりたいような気持ちになりました。

やはり、この子の勉強にかける思いは、信じるに値するのだと確信しました。


ここが信じられなくなったら、教育はおしまい、

子どもの勉強にかける内発性の高さは、その子の存在そのものと深くかかわっている。

その信念に、揺るぐ余地などどこにもないのです。









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実践の宝物

 2017-01-25
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私が個別指導の実践を始めてから、10年近くになろうとしています。

土曜日、日曜日、祝日は県外のレッスンにでかけ、その間、1年にレッスンがなかった日は年間せいぜい10日、

仮に一日8レッスンと仮定すると、1年で8×350=2,800レッスン

これまでに20,000以上の個別レッスンを積み重ねてきた計算になります。


下は2歳から上は18歳まで、

中には、就学前から高校生になった今でも、レッスンを継続している子もいます。


毎日毎日その子のために教材を選んできました。

20,000の個別レッスンの一つとして、誰かと同じ教材配列をしたことがありません。

前回の指導記録をもとに、今その子にとって最も旬な教材を選び、市販のものがなければ、自作の教材を開発してきました。


私のスタイルでの個別支援の題材は、もはやすっかりと系統化されていますが、それを資料としてきちんと整理することは出来ていません。

もしも、教材開発だけに打ち込む環境があり、一定の期間さえいただけば、すべてオリジナル教材でそれを体系化することが可能になってきたと考えます。

それができれば、私の元で修行をし、素直で心構えのしっかりした職員なら、大切な子どもの指導を委ねることもできます。


職員には、それぞれの持ち味があります。

子どもの特性や育ちの経過を理解し、教材の選択や指導テクニックをきちんと指導することによって、中には私が直接指導するより豊かな教育効果をあげている職員もいます。


私がいればこそ、その職員も、子どものひとみも輝くのであれば、これからの私がなすべき方向が見えてきます。

すべては子どもの成長とご家族の幸せのために、

何万時間実践を積み重ねて行こうと、その基本スタンスだけは、微塵も変わりようがないのです。








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育ての分岐点

 2017-01-11
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成人の日をはさむ三連休は、岡山で2日、京都で1日、3日で30近いレッスンをさせていただくことができました。

ここ7~8年の三連休、おそらくはそのすべての時間をレッスンに費やしてきたはずです。

京都も、もう6年も7年も通い続けているはずですが、教室以外の観光名所などに立ち寄ったという記憶は全くなく、その桜も紅葉も、教室に通う道すがらの風景でしかありません。


その往復は新幹線ですから、三連休ともなると、乗客の多くは観光の方になります。

それをうらやましいと思ったことはありません。


三連休であろうが何であろうが、何か一つのことに、生きがいや使命感をもって取り組むことができるものがあるということが、自分にとっては誇らしくも幸せに感じているのです。

もしもこの部分にわずかでも迷いがあるのなら、こんなふうに軸をぶらさず、何年も続けることはできなかったと思っています。


子どもとの出会い、そのご家族との出会いが、私という人間を変えてしまいました。

何のとりえのない凡人の私ですが、それでもわき目もふらず、これだけ実践に打ち込むことができたなら、それは少しは技術も理念も高まっていくというものです。

適性や資質や能力ということもありますが、人が育つか否かの分岐点は、案外こんなところにあると思っています。


続ける事さえできれば、子どもは必ず育ちます。

それを支えるテクニカルな部分は重要ですが、それと同じくらい学ぶこということに対するモチベーションを高めていく支援は重要です。


ここに来て、もう何年も通ってくれている6年生の男の子の読解力が、目に見えて向上してきました。

レッスンをお受けするとき、お母さんに 「最低でも3年はがまんして」 とお願いしたのを覚えていますが、確信はあったにせよ、それが詐欺師にならなくて本当によかったと思います。


中学からは、さらにレッスンの回数を増やしてくださると聞き、とてもうれしく思いました。

根が張り、目に見えて枝葉がついてきましたからね、

ここからの育ては、楽しいばかりです。


真の教育者とは、収穫時にそこにいる者ではなく、未開の耕地を耕す者である。

去りゆく者と、なくてはならない者、

その分岐点がどこにあるか、

答えはきっと、いつもその根元にあるはずです。







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矛盾しない二つの価値

 2016-10-28
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それぞれの子どもの発達のレベルや特性に応じた教育内容を構成していくこと、

どの子も同じ一人の子として、同じようにその存在を大切にしていくこと、


文字だけを眺めていると、この二つは相反する内容にも見えますが、私はこの二つの視点こそ、子どもを大切にするというページの表と裏の関係で、矛盾どころか全く同じ内容であると考えています。

この感覚をはき違えることが、えてして母子を、一瞬にして奈落の底に陥れる元凶になっているにつながっていきます。


決してみんなとすべてを一緒にしてほしいと言っているわけではありません、

ただこの子にも、このなりの学びの場を与えていただきたいと思うのです、


たったこれだけのことが、どうしてわかってもらえないのか、

これまで何度も、こうした苦しい胸の内をお伝えくださるご家族に出会ってきました。

決して差別と思っていないその一言が、決定的に母の胸に突き刺さっていくことが、何よりも恐ろしいことなのです。


画一的ではない多様な人の価値を、まっすぐに見つめること、

それは子どもたちとのかかわりを通してこそ、身についていく人権感覚です。


そもそもが分けて育てていて、どうして子どもたちにそれが身についていくでしょうか?

その人としての基本的な感覚には、小さい時でしか身につかないこともあるのです。

準備ができていなから、インクルージョンが容易でないかないからやらないのなら、一体いつになったらそのことが叶うというのでしょう。


私の今のこの感覚は、のべ10000時間をはるかに超える個別指導の臨床実践を通して、やっと身についてきたものです。

何百人という保護者の皆様の、血の出るようなご苦労をお聞きしたからこそ、思う気持ちです。


それがたやすいことだとも、夢の国のことだとも思っていません。

もしかしたら、永遠の課題となるのかも知れないとも思っています。


認定こども園になり、発達支援センターから多くの子どもが、認定こども園白ゆりの子どもとなりました。

記念すべきその最初の運動会は、多くの人の感動と涙に包まれていました。


この子たちは、それが当たり前のこととして、未来の日本を支えていくのです。

私はこの先の人生のほとんどを、そういうことに注ぎながら、全力で駆け抜けていいきたい、

そのことは不幸でも何でもなくて、私の幸せそのものなのです。






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保護者の自己決定を支える

 2016-09-26
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私はこれまで、多くの保護者の皆様からのご相談を伺ってきました。

決めていただくのはご家族の皆様ですから、より豊かな自己決定をしていただけるよう、その内容を受け止め、状況を分析し、これまでの多くのケースがその後どうであったかなどの情報提供を行い、最後に私の率直な気持ちをお伝えさせていただくようににしています。


先日、5年生の男の子のケースで、転校するかどうか迷っているご家庭がありました。

ご両親で意見が分かれており、その双方とも妥当な理由があっただけに、判断に迷う局面でした。


相談の最後に、「SHINOBU先生ならどうされますか?」

そうお尋ねになりましたので、「きっと最後の最後まで検討するとは思いますが、私なら最終的に転校を選ぶと思います」とお伝えしました。

その場でお母さんは、わかりましたと一言だけおっしゃり、教室を後にされました。


お父さんも、就学前から、幾度となく私のレッスンをご覧いただいている方です。

ご相談の日は、お仕事でお越しくださることはできませんでしが、結局、転校の道を選択されました。


私の言ったあの一言が決定打になったと、後日お母さんはお伝えくださいました。

PTA会長までされているお父さんが、こうした経過の中で転校を決意されるには、相当に深いご判断が必要だったことでしょう。


そのお子様の、転校後の初のレッスンが昨日ありました。

「何組になった?」 と聞くと、「2組」 と元気よく答えてくれました。

多くを語らずとも、その学習に向かう横顔から、私には何かあたたかいものが、心の中に流れ込んでくるような気持ちになりました。


保護者の心のスイッチを押すに足る存在感と実績、

その決断力と状況分析力、そして何より子どもの気持ちを大切にする教育的で深い気持ち、


器でもない私が、そのことを保ち続けるのは、本当に苦しくもつらい作業です。

私が背負う責任は、もはや普通ではないのです。




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ずっと心の中にいる存在

 2016-08-29
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私が、就学前の子どものマンツーマンレッスンをさせていただくようになってから、10年近くになろうとしています。

最近になって、就学前にマンツーマンレッスンを行っていた子と、そうでない子に、ははっきりとした違いがあることに気が付きました。


小学生になり、教科学習のベースに乗った子は、プリントなど、標準化された教材に取り組むことができます。

就学前には、数や言語に関する感覚やコミュニケーション、そして学ぶ楽しさを、短い時間ではありますが、1対1のライブで進めていきます。


教科学習のベースに乗った子どもなら、他の職員の指導でも意味のある学習を積み重ねていくことができるようになります。


子どもの目の色や息づかいを見ないまま、あらかじめ決めた内容を、淡々と流すだけなら誰にでもできます。

しかし、就学前のマンツーマンレッスンを、私と同じレベルですぐに行うことのできる者は、残念ながら私の職場では見当たりません。

裸の王様ではありませんが、ライブ感のないレッスン、教育的な魂のこもらぬ料理は、小さい子は決して口にしようとはしません。


よい車が売れのるではなく、売れる車がよい車

理屈や権威ではなく、いかに子どもが目を輝かせて、内発的な学びの意欲を引き出していけるか、

その力量を各段に高めてくれるのが、この小さい子に対するマンツーマンレッスンの時間であったわけです。


こうして、子どもと共に培った時間は、小学生になった以降も、相互の心にずっと息づいているのです。

小さい頃から、私のマンツーマンを受けてくれた子は、何かが違う、

私がそう思うのは、きっとこの子らは、数にしても言語にしてもコミュニケーションのしても、本当の楽しさを体験を通して感じ取っているからに違いない、そう思うようになりました。


2歳、3歳の子のレッスンは、正直大変です、

ですが、それがあるからこそ、子どもたちは育つのであり、支援者としての自分の力量も高まっていくのです。


この子たちの心の中には、私とやったお買い物ゲームの感覚は、きっと消えないのだろうなあと、思うことはしばしばです。

幼児教育を、後で付け足すことなどできないのです。


一期一会のライブレッスン、

実践者として、今日もその一歩を、しっかりと積み上げていくことができることを、何よりの幸せに感じているのです。










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見通す力こそ 支援者の最大の専門性

 2016-08-13
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私は、子どもの育てに直接かかわる実践者ですが、と同時に、保護者とともに歩む支援者でもあります。

これまで5年以上の長きにわたり、子どもとご家族と一緒に歩んできたその事例は10や20ではありません。


就学前から、中学・高校まで、一人の実践者が継続的にその育てにかかわり続けること自体が、そんなにあることではないはずで、まさにこの稀有な経験こそが、今の私を支えているのです。


これだけ経験を積んでくると、育ちのポイントということが見えてきます。

この子の書字は、何年か前のあの子の育ちと似ているとか、今クラスでうまくいっていない内容も、それはむしろ環境や関係性によるところが大きいから、きっと翌年は今よりもずっと良くなるはずだとか、だからこそ今はぼんやりしてはいけないとか、だからこそ今はあわてないでじっくり構えるべきだとか、そうした見通しが、あまり大きく外れることはありません。


あの時先生がおっしゃっていたいたことは、当時はなかなか信じられませんでしたが、今となっては、先生のおっしゃっていたことが一番の正解であったことが、とてもよくわかります。

何人もの方が、そのような内容のことを伝えてくださいます。


私は預言者でも何でもありませんが、これまで子どもたちと歩んできた経験は、必ず他の子の育ちに役立てないといけないと考えていますし、この子と向き合ってきた学びのプロセスは、今後きっと大切な糧となって生かされていくだろうなと思っています。


ご家族の方が、安心してわが子の今をしっかりと見つめていくことができるよう、支援者の私は1段高い所から、少し遠くをしっかりと指さしていかなければなりません。

見通す力こそ、支援者の最大の専門性、

そのことをしっかり胸に刻んで、これからも一歩ずつ、二度とはない大切な時間を積み重ねていきたいと願っているのです。





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学会誌

 2016-05-30
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私は研究者ではありませんから、学会などに参加する機会は限られています。

個人の活動が中心だった頃は、1年365日実践に集中する日々を過ごしていましたから、学会で1日や2日、岡山を離れることは不可能でした。

でも今では、私以外のスタッフもいますし、それが利用者の皆様の利益に直接反映すると判断できれば、最新のアプローチなどを学びに出かけたり、自分の実践をまとめて発表したりすることも出来ます。


保護者控室に、その学会誌を何気なく置いてみました。

すると、ことのほか保護者の方々は熱心にお読みくださり、何度もコピーをさせていただいたり、質問や感想をお伺いさせていただいたりしました。


この活動を始めて間もない頃、あるダウン症児をおもちのご家族のお宅にお伺いしたことがあります。

大阪堺市にあるお宅でしたが、その本棚に目をやると、ダウン症関係の本がたくさん並べられていました。


これまで大学の研究室や図書館で、ダウン症にかかわる書籍はたくさん目を通してきましたが、これだけの量の本が、研究者でもない一般のご家庭に整理されて保管されていることに、強い衝撃を受けました。


実践者の私たちは、その道のプロであるはず、

ならば、それぞれのお子さんの特性を理解していくために、プロとして最低限の知識や研究心は絶えず持ち続けていかなくてはならない、

そんな風に感じて、今日まで歩んできました。


学会費も、個人として負担するには、決して安い額ではありません、

ならば私は、保護者の願いの代弁者として、お子様の学びや育ちをより豊かにしていくための最先端の情報を、整理して保護者の皆様に提供していくことも、支援者としての大切な役割の一つ、


保護者控室で、学会誌に真剣に目をとしているお母さんの横顔、

その瞳の先に映っているものを、私たちもしっかりと共有していきたい、

そんな風に願っているのです。






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誰かと比べない大切な命

 2016-05-05
5月の3日・4日・5日は、レッスンが全くない日、

普段は、土曜日も、日曜日も、祝日も、ほとんど県外のレッスンに出かけ、こんなふうに特にすることがない休日は久々のことです。



私には娘が3人いますが、その三女がこの春、神戸の大学を卒業し、保育士になりました。

娘が使っているスマホの名義を、私のものから娘のものに変えるために、先日一緒にドコモショップに出かけました。


私の免許証と、彼女の免許証を指定のボードに並べました。

すると、パソコンがデータを読み取り、本人確認やら手続きが次々に進んでいきます。


この子は、卒論でも特別支援にかかわることを研究し、この春から私たちと同じ教育・保育の道を歩むことになりました。

この10年、私はただ、自分の仕事だけに打ち込み、お正月三が日に至るまでまで事務仕事を続けていました。

仕送りや、スマホの料金を払うこと以外は、人並みの親らしいことなど何一つできませんでした。


スマホの名義変更には、新しい機種に変更したこともあり、2時間くらいの時間がかかりました。

その間、近くの飲食店で、昼食をとりました。


明日から、友達と一緒に旅行に行くんだ、

みんな社会人1年生で、この1か月間ボロボロに疲れたら、温泉でのんびりしたい、

娘は、私にそんなことを伝えてくれました。


白ゆりは、この春から、保育園からこども園へと移行しました。

その節目の時期に、母が園長として勤めるこども園に、新任の保育教諭としての社会人デビュー、

さぞ、プレッシャーや気苦労もあったことでしょう。

車の中で、何度も私がサポートしている子どものことを、話してくれました。


この子の存在も、きっと自分を突き動かす一つの力になっていたのに違いありません、

今さら普通の親にはなれないけど、気の利いたお祝いごとなど何も出来ないけど、ならばその分、普通の人には出来ない何かを目指して、これからも私は歩み続けなければなりません。


今日はこどもの日、

窓の外は抜けるような青空、

誰かと比べない大切な命が、きっとそれぞれに輝く1日となることでしょう。











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母の支え

 2016-04-11
この4月、これまでサポートさせていただいていた子の何人かが、新1年生として入学式を迎えます。

何度も何度も、学校にお願いに行き、教育委員会との交渉に出向き、家族としての願いを伝え続ける、

何でこんな当たり前の願いが、わかってもらえないかと、それまでの母の苦労は並大抵では、ありませんでした。


近隣の他市では、岡山市に先駆けて、すでに入学式を終えた所もあります。

昨日、そのうちの一人のお母さんのお話を伺うことができました。


入学までは、あれほど危惧していた内容が、いざふたを開けてみると、案外いい感じで動き始めたということでした。

お母さんは、そのことがわずかであっても何かの役に立つのならと、早速にPTAの役員も引き受けられました。


もちろん、これでもう何の心配もないということではありません。

しかしながら、今のこの晴れやかな瞬間が、これまでの心血を注いだご家族の努力のもとに成り立っていることを、私は忘れることができません。


子どもの笑顔は、母の支えがあればこそ、このように輝くのだ、

その母の思いを受けとめ、わずかであってもその自己決定に寄与することが、支援者としての私の役目、

この母とのあゆみは、きっとまた、多くのご家族の道しるべとなって受け継がれていくに違いない。


私の目には、その母子の歩く後姿を、あたたかい春の光が、美しく照らしだすように見えたのでありました。






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母の手紙

 2016-03-23
DSC00803.jpg




先日、私の教室を卒業した子のお母さんから、下記のような内容のお手紙をいただきました。



卒業を終え、ボーとした頭の中で、私は一生ここから見た景色を忘れることはないだろうなあ、と思っています。

正直、こんな風に思える日が来るとは思えませんでしたが、私はこの子の母として、共に学び、育ち、今こうして居られることを、何よりも幸せに、何よりも誇りに思います。


それもひとえに、SHINOBU先生がずっと私たちの気持ちに、心に寄り添ってくださったからこそのこと、

本当に、言葉では言い表せない程のキラキラと輝いているこの出会いに、感謝の気持ちで一杯です。


これまでは、初めての事に対し、特に新入学などは、この子にとっては大の苦手でしかなく、尻込みばっかりだったのに、今回の高校進学については、明らかに何かが違っていて、ワクワクとその時を楽しみに待っているのです。

やはり、自分自身で勝ち得た高校進学というのは、全く違うものなのでしょうね、

本当に良かったなあと、今更しみじみと思います。


高校から出された課題に取り組む姿には、もう昔の面影はなく、とても意欲的で楽しそうですらあります。

ああ、この子はもう大丈夫かも知れないと思えます。

もちろん、これからもサポートはいるでしょうが、今までのようではなく、もっと手を離して見守っていけるのかなと、


こんなに穏やかに迎えられる春は、はじめてかもしれません。

こんなに大きな門出なのに、


SHINOBU先生とのつながりは、ここで今終わらせるにはまだまだ心もとなく、まだもうしばらくはお力を貸していただきたいですが、ここが一つの大きな節目でもあります。

今のこの、とてつもなく幸せな喜びを形にしたくて、お花を贈りました。


今まで、本当にたくさんの愛をありがとうございました。

そして、これからも、よろしくお願いいたします。





これほどまでに美しい瞬間なんて、そんなにあるものではありません。

君はもう、一人前の男へと育った。

君の未来はもう、しっかりと君自身の手の中にあります。


母がこれまで、一体どのような思いで、あなたをここに連れてきたのか、

そのことに感謝できるようになった今、君はもう、しっかりと自分の足で前に進むことができるようになったのです。


ここまでが、私の仕事、

私はずっとここにいますから、さらに次のステージで、また来るであろう晴れやかなその日に、たくましく成長したその姿を見せに来てください。


そんなに遠くないその日が来ることを、私はずっと楽しみにしています。

卒業、本当におめでとう。




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豊かなものの輪郭

 2016-03-03
あれは確か、私が17歳の時だったと思います。

暮れかかった校庭のベンチに腰をかけ、自分の将来に思いをはせた瞬間がありました。


私は幼少時代、家庭に恵まれない子どもでした。

「困っている子どもの力になる仕事がしたい」

驚くべきことに、そのぼんやりとした気持ちは、それからずっと私の心に根元にあって、40年たった今でも、ほとんど何も変わっていないのです。


子どもの力になる仕事、

その時の私には、学校の先生になる以外の道を、思い浮かべることが出来ませんでした。


教員になって、様々な勉強の機会をいただきました、

やがてその仕事を自ら退職することになるわけですが、そこにも何かぼんやりとした希望が、心の根元から消え失せることはありませんでした。


白ゆり教室という個人の教室を開いたとき、月収数万円にも満たない時期が、半年以上続きました、

それでも私は、豊かな思いがずっと心の中に広がっていました。


教室を始めて1年経った頃、入会希望者は爆発的に増え、私には土曜日も日曜日もなくなり、レッスンに打ち込む毎日が始まりました。

大阪や京都からも次々にお越しくださる方が増え、定期的に京都や大阪に出張レッスンに行くようになりました。


24時間、365日、

よくぞあれだけと思えるくらい、わき目もふらず実践に打ち込む日々を積み上げていくことができました。

やがて白ゆり教室は、障害児通所支援事業へと移行し、その圧倒的な利用実績の伸びが評価され、補助金をいただいた立派な建物が建ち、今では月間のべ利用者数が700人を越える事業にまで成長しました。


今日私が、所用を済ませて教室に帰ると、3年生の女の子が、「おかえり~」と大きく手を振って笑顔で迎えてくれました、

1年生の男の子も、とことこと私の方にすり寄ってきました、

言語はなくても、そこにはあたたかい気持ちが、ゆるやかに流れ込んでくるのでした。


私の心の根元は、17歳のときのそれと何も変わっていない、

あの時校庭で見た夕焼けと同じ色が、子どもたちの笑顔を、美しく照らしていました。


本当に豊かなものには、輪郭も何もないのです、

その子と生きる大切さをご家族とともに見つめながら、これからも生涯同じ歩調で歩み続けたい、

私はきっと、いつだって、ずっとそう願っているのです。






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母から支援者へ 「わが子の育てを他の子の幸せに生かしたい」という母の願い

 2016-02-18
今、私の個別指導をサポートしてくれている職員は、元々は、私が教えていた子どものお母さんです。

新しく本館が完成し、事業規模の拡大に伴いハローワークに求人を出したのですが、間髪入れずに応募に来てくれました。


トイレ掃除でも何でもいいですから、ここで働かせてください、

お母さんがそのように言われるので、「これまでのお子さんとの歩みを、他の子の幸せに役立てたいと思ってここに来られたんでしょ」 そう私が返すと、その場で大粒の涙をはらはらと落とされました。


あの面接の日からは、もう1年以上経ちますが、その謙虚でひたむきでていねいな仕事ぶりで、今ではもう白ゆりになくてはならない存在になりました。

根元の志が違いますからね、

子どもに向き合う気持ちに、みじんのブレもないのです。


あなたの歩みは、きっとこれから後に続くお母さん方のモデルになりますから、そのつもりで自分らしさを存分に発揮して仕事を続けてください、

私はそのように伝えましたが、もうすでに資格取得に向けて動きを、自分から進めていました。


私は、臨時職員であろうが、パートの職員であろうが、これぞと思った職員には、県外の出張や研修にも行ってもらっています。

県外研修や資格取得となると、事業者としての費用負担もばかにはなりませんが、それは必ず何倍にもなって白ゆりの子ども育てのパワーとなっていくと願っているからです。


きっと私は、経営者としては未熟者なのだと思います、

ですが、いくら私が逆立ちしても、優秀な経営者にはなれっこありません、

ならば私は、教育者として、自分のやり方で、職員も育てていかなければならないと考えるようになりました。


私をここまで押し上げてくれたのは、共に歩んでくださったご家族の皆様があればこそ、

これからの社会の中で、私はそのパワーと気持ちを、うまく集約していく流れをつくってみたい、


母から支援者へ、

わが子の育てを生かした新しい支援者の育成、

このことも、私のなすべき大切な役割だと思っているのです。







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母子の旅路

 2015-12-24
隔週で日曜日に通ってくれている中学3年生の男の子がいます。

中3になり、高校進学のために、いくつかの学校に見学に行きました。


その中の、ある理科系の、あるコースの見学が、彼の心に強烈なインパクトを与えました。

どうしてもぼくは、この高校に進学したい、

そこから、今までとは全く違った彼の旅路がスタートしました。


私の教室には、日曜日の夕方に通ってくれていますが、その日も朝からずっと勉強し、その勉強を中断して私の所に来てくれているようです。

45分の勉強時間も、以前は、後半はレクレーションみたいになっていましたが、最近は1分たりともおろそかにしないといった集中モードで学習に取り組んでくれています。

随所で学力も伸びてきており、困難な課題にも食らいついてくるようになりました。


先日中学で、進学に向けた三者面談があったみたいでした。

この点数ではとても難しい、そんな内容を先生から告げられたと聞きます。

それでも彼は、ひるむことなく、その高校を専願で受験する意志は、微動だにしなかったそうです。


母としては、合格しなかった場合のことが心配で、何とも複雑な思いになられているようです。

無理もないことです。

だからといって、今この子から、その目標を奪い取るようなことが出来るはずもありません。


「これまで何度か、似たようなケースに寄り添ってきました。奇跡みたいなことは何度も目にしてきましたが、胸を痛めるようなことは一度もありませんでした」

「満願成就ならそれでよし。そうでなくとも、ここまで真剣に取り組む中から、彼の人生にとってマイナスなことが生まれようはずがない。きっとそれ以上に、他では変えることのことの出来ない大切なものを、彼は手に入れていくに違いありません。神様は、いつも同じ顔では現れません」


教室をあとにする母子の後ろ姿をみつめながら、私の胸にはそんな思いがこみ上げてきたのでありました。





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多様性を受け入れる文化

 2015-12-10
いつだったか、眞田先生と一緒にマレーシアに行ったことがあります。

市内中心部のショッピングモールのフードコートで昼食をとりました。


そこには、マレー系の人だけでなく、中国系、アラビア系、インド系、ヨーロッパ系など、ありとあらゆる民族の人が食事をとっていました。

おそらく日本人らしき人は、私たちだけでしたが、日本人だからといって特別な目でみられず、ごく自然に多様な民族の一員として受け入れられている気がしました。


ニューヨークに行ったときも、タクシーの運転手さんが韓国出身で、何だか似たような感覚になったことを思い出しました。

「一緒に来たのは娘さんかい?同じ顔しているからすぐにわかるよ」

もちろん英語でしたが、運転手さんからそのように声をかけられました。


今では、日本でも、電車の中に外国の方がいらっしゃるのはあたり前になり、それを特別な目でみることも少なくなりました。

みんながジーパンなのに、自分だけスーツだと、逆に何だか落ち着かなくなるものです。

日本や島国ですから、単一民族で、教育の世界でも、とかく画一性を重視しがちであった傾向があります。


お年寄りにやさしい街は、きっとそこに住むすべての人にやさしい街であるに違いありません。

それぞれの子どもの特性に応じた豊かな教育が行われている学校は、きっと多くの子どもの目が、きらきらと輝いているに違いありません。


多様性が受け入れられているということは、その世界自体が豊饒であることを意味しています。


白ゆりにくると、子どもの表情が変わると、何度も言われました。

私自身、その秘密を長い間言語で特定することが出来ませんでしたが、もしも言葉に置き換えるとするとならば、それは 「多様性を受け入れる文化=一人一人を尊ぶ文化」 がそこにあるからだと思うようになってきました。


かけがえのないあなたの大切な命、

うちに来てくれる子は、現に0歳から18歳までいて、ホント個性派揃いで、それぞれに何とも言えない持ち味をもっています。


どの子だって、比べようのない大切な子ども、

あなたがいてくれるからこそ、今の白ゆりがあるのです。








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子どもの幸せの中身

 2015-12-07
9月から2か月間、私は今の事業所を認可施設として認めていただくために、その申請手続きに奔走しました。

結果、市街化調整区域のため、設備面でいくつか認可要件を満たさないことが判明し、応募取り下げということになっていました。

議員さん、設計事務所や行政の担当の方などに、大変なお力をいただきながら、管理者としての自分の勉強不足を痛感させられた結果となってしまいました。


今の事業所は、春に75%の定員増を行い、秋にはその定員を大きく超える申し込みをいただく日も増えてきました。

決してこの体制で、やっていけない訳ではありません。


1次審査が通り、トップ同士のプレゼンまでもっていければ、必ず勝機はあると信じていました。

今回願い叶わず、敗者となってしまいましたが、死力を尽くしての戦いを通して、何か新しい気持ちが、私たちの気持ちの中に芽生えてくるのを感じていました。


もしも私が、甘い気持ちでこのことに取り組んでいたのなら、きっと得るものなど何もなかったことでしょう、

「倍返し」 というわけではありませんが、おめおめとこのまま引き下がるわけにはいきません、

静かではありますが、これまでにない熱く深い闘志が、心の中にみなぎってくるのです。



来年度に向けて、職員の面接を行いました、

事業がうまくいっているかどうかの指針は、利用者数の実績だけでなく、職員の離職率で推し量ることができます。


今回、離職希望が0%だったというだけでなく、新たに資格取得を目指す職員や、パートだった職員がその日数を増やしたいと希望したり、常勤で働きたいと言ってくれたりする職員もいたりしました。


職員を、認可施設の職員として正規雇用したい、

そのことも、私が認可施設を目指す一つの大切な事柄でした。


職員は、心血を注いで取り組む私の姿から、きっと多くのことを感じ取ってくれていたに違いありません、

だからこそ、日々の白ゆりの育てに魂がこもり、子どもが変わってくれるのです。



今、高校受験に向けて、母子で血眼になって取り組んでいるご家庭があります。

あのやさしい子どもが、たくましく、心折れずに真剣に学びに取り組むようになりました。

来春に満願成就の花が咲けばそれでよし、そうでなくとも、この高校受験を通してこの子が得るものは計り知れないと思いました。


自分の夢をもつことができる子ども、

それがどんな内容の夢であれ、決して他者と比較できるものはありません。


人は成功から得るものより、失敗から得るものの方がはるかに大きい、

何かにチャレンジする子どもは、本当に美しい、


それが、なぞり書きであろうが、高校受験であろうが、目指すものが何であっても関係ありません。

小さくとも、それぞれに夢や目標のもてる子を、いっぱい育てていきたい。


子どもの幸せのすべては、きっといつも、その方向感から生まれてくるのです。





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プロの見立て

 2015-11-28
私は、支援者として、能力的に特に優れているものはありません。

ですが、極めて恵まれた環境にあると思っています。


2歳くらいから18歳までのマンツーマンレッスンの実践を、週に100本近く積み上げている、

おそらくは日本でも有数の実践量、個人としての限界量ギリギリの線を行っているはずです。

そもそも、就学前の子と、就学後の子の双方の実践をもっている人自体が、稀有な話であるはずです。


教材作りにしても、気になる資料があれば自由にいくらでも購入できますし、行こうと思えば研修だって何だって、決裁権は自分自身がもっています。

教材作りや事務の専門スタッフがおり、頼んでいた資料があれば、1時間もしないうちに試作品を持ってきてくれています。


事業ベースでいえば、圧倒的な利用実績の伸びがありますから、人事も予算も事業計画もの一切も、すべて一任された格好です。

すべての職員は、この目で確かめて採用していますから、人柄も抜群で、絶大な信頼感を私に寄せてくれています。


こうした立場で、直接子どもやご家族に向き合っていると、色々なことが見えてきます。

それは、私の能力が優れているのではなくて、このポジションだから見えてくること、

このポジションでしか見えないことがあるのです。


例えば、それは決して断定的なものではありませんが、同じようなタイプの子が、3年後・5年後にどんな感じになっているかは、数値とかではなく、実践例を通して何となく具体的に思い浮かべることができるのです。

私自身の感覚では、こうした見立ては、まず外れることはありません。

だからこそ今、自分のなすべきことが見えてくるのです。


「何年か前に先生がおしゃっていた通りになりました」

「先生のおっしゃっていたことが、結局は1番の正解でした」

長年私の所へ来てくださっている方の何人かは、そうおしゃってくださいます。


もしも私に、出来ることと出来ないことがあったなら、出来ないことの方が圧倒的に多いのです。

だからこそ私は、なすべきその役割をしっかりと見据えながら、何かのことでぜひお役に立ちたいと、心から願っているのです。








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晴れの日

 2015-11-23
先日、ある中学生の男の子が、作文のコンクールの最優秀に選ばれました。

表彰式が、300人規模の会場で行われました。

大弾幕には、中学生の部最優秀として、その子の名前が大きく掲示されていました。


こんな大会場で作文を披露するにあたって、もしも緊張して何も言えなくなったり、会場そのものに行けなくなってしまったら、逆にこの子にとって取り返しのつかない傷になってしまうのではないか、

そんな心配が、ご両親の頭をよぎったのも無理のない話です。


お母さんがその会場に入ったとたん、遠い昔、その子が保育園の発表会で来た、同じ会場であることに気が付きました。

その時は、みんなと同じ舞台に立つことが出来ず、会場の隅から、他の園児のパフォーマンスを遠く眺めていたと聞いています。

その時のお母さんの切ない思いは、いかばかりであったことでしょう。


私がこの子の支援をさせていただいたのは、確か小学校1年生の後半からであったと思います。

あれからもう7年も経とうとしています。


その間、この子を中心にして、家族が心を一つにして前に進んでいく歩みを、サポートさせていただいてきました。

私の教室まで、車で1時間以上もかけ、特別な用事がない限りは、毎回欠かさずずっと通い続けてくださいました。


ある日その子は、手に夏野菜をいっぱい抱えて、私の教室に入ってきました。

「これ、ぼくが家の畑で作った野菜です、食べてください」

作文を発表する場面の一部を、ビデオで拝見させていただきましたが、今回のこの作文にはきっと、家族の支えの中で野菜づくりを通して自分らしさを見つめていく過程が綴られているに違いありません。


作文を発表するにあたり、学校の先生から、本人への意思確認があったといいます。

「やります」

と力強く答えたその子の表情から、昼休みには、学校の先生と何度も何度もその練習に取り組んだということです。


今回、思いもかけずこんな大舞台に立つことになった彼ですが、たとえそうでなくとも、やがていつかは何らかの形で、彼には晴れの日がやって来たに違いないと考えています。

今回、中学校生活のハイライトの瞬間を鮮やかに成し遂げた彼に、心からの拍手を送らずにはいられません。


ご家族にとっての晴れの日は、支援者の私にとっても大切な瞬間です。

その一コマを共有できてたことを、とても幸せに思います。


こんな大舞台に立たずとも、どの子にも、大切な瞬間はきっとやって来る、

私の所に通えるということは、きっとそういうこと、

だからこそ、そのつながりを断ち切ることはあってはなりません。


今日は京都への出張レッスン、

京都へ通うようになってから、もう何年になったことでしょう。

そのための大切なレッスンの一つ一つを、今日もしっかりと積み上げていきたいと、心から願っているのです。





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家族の願いを具現化する

 2015-11-05
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先日、正面玄関の掲示コーナーに、以下のような内容のものを掲示しました。



  ☘☘☘  白ゆりの児童  ☘☘☘

☘  すべての児童は、人として尊ばれる。

☘ すべての児童は、特性理解に基づいた内容豊かな 教育を受ける権利を有している。

☘ すべての児童は、安全で豊かな環境で育てられ、 放任、身体拘束、偏見、差別、虐待、風評被害、 無理解など不当な扱いから守られる。

☘ すべての児童は、愛情と信頼によって結ばれ、自分らしさを発揮しながら、社会の中で自己実現で きるよう育てられる。






私は今日まで、ただ一人一人の子どもの成長とご家族の幸せのために何をすべきかだけを考えて前に前にと進んできました。

その一人一人の子どもとご家族の願いを集約したら、きっとこんな言葉になる。


この 「白ゆりの児童」 という掲示は、児童憲章を参考に、そんな私の思いを文章にまとめたものです。

こんな当たり前のことを、あえて掲示しなければならない現実、

その現実にひるむことなく立ち向かっていくための、その決意を深さを示すために、今回掲示コーナーの一番目立つ部分に配置しました。


それぞれの子が、社会の中で、当たり前のように受け入れられ、自己実現していく世の中、

それはきっと、すべての人の幸せと密接に関係しているのだと、私は考えています。


そのために、自分がなすべき役割は、いったい何なのか?

これからもずっと、そのことを見つめながら、力強く歩んでいきたいと、心から願っているのです。





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専門学校 進学

 2015-10-23
昨日、レッスン中に突然私の携帯が鳴りました。

小学校高学年から中学卒業まで、私がサポートさせていただいた子のお母さんからの連絡でした。

レッスン中なのをご存じでかけてこられたので、これはよっぽどの事だと思い、折り返しのお電話を差し上げると、高校から専門学校への進学が決まったという内容の、とてもうれしいお知らせでした。


小学校は通常級、中学校は支援級、高校は一般の高校への進学でした。

「ニートになるって言ってたけど、それはもうやめたのか」

冗談交じりに私がその子にそう尋ねると、

「ニートはやっぱりだめだと思った」

電話口の向こうから、そんなその子の声が返ってきました。


あの頃とちっとも変っていない受け答え、

あれだけ苦労した英語もきっと何とか乗り越えて、得意なパソコンで今、しっかりと自己実現に向かおうとしている


まだ私が90分のレッスンが出来ていたころの教え子、

あなたのその歩みの一つ一つが、あとに続く子の大切な道しるべとなっていくに違いありません。


希望を捨てぬこと、

歩みを止めないこと、

未来に向かって歩むこと、

誰かのために、何かのできる子に育てること、


また一つ、私の心に、熱く大切な思いを確かめる すてきな一日になったのでありました。






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保育所等訪問支援

 2015-09-29
今日は、新しく保育所等訪問支援をさせていただくために、地元地域の小学校へ出向き、校長先生・教頭先生に事業の内容についてのお願いなどをさせていただきました。

このことについて、大変深いご理解をいただき、とても充実した時間になりました。


世の中というのは大変狭いもので、後で聞いてみると、校長先生とも、教頭先生とも、いろいろな面で私たちとつながっていることが判明しました。

一人の子どもの成長と幸せのために、多くの者が力を寄せ合っていく一つの形、


私たちには、保育所等訪問支援という制度を使って、わずかであってもご家族のご期待に添ったサポートを積み上げていきたい、

また一つ、大切な扉が、今開かれようとしているのです。




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どこまで真剣に向き合ったか それが子どもの学び

 2015-09-15
いつだったか、「今日から九九の勉強をするよ」 と伝えると、一瞬で子どもの表情がみちがえるように輝き始めたことがあります。

2年生になって、みんなが九九を習っているのを見て、自分もやってみたいと強く願っていたのしょう、

その時の弾むような学びの時間を、私たちはしっかりと共有することができたのです。


私は、子どもの学びをとても大切に考えています。

子どもは、学びを通して、自己肯定の気持ちを培っていくと、心の芯から私は思っています。

少年時代に、豊かな学びのときを過ごした子どもは、必ず肯定的な自己理解力が育ち、アイデンティティを確立し、自分がこの世に生を受けた意義を感じ、自分が地域の中で果たす役割を自覚するのだと考えているのです。


どうせできないからといって、テキトーに勉強していては何も育ちはしません、

やるからには、最善を尽くして取り組むのが学習というものです。


ですが、それは子どもにとって、最も大切なものではありますが、手段にしかすぎません、

目的は、学びを通して培った感覚であり、態度であり、能力であり、心なのです。


九九は出来た方がいいに決まっていますし、真剣に学ばない子には、何も育ちません、

しかし、九九が完全に習得できないからといって、その子の命の重みには、何ら関係ありません。

九九ができないから、数の学習は、何をやっても意味がないということではありません。


課題に向き合う子どもだからこそ、1回1回のレッスンで、最高の時間を構成し、その数を1回でも多く積みかさねていく日々を、子どもたちにプレゼントしたい。

それが、ご家族から負託された役割であり、私の個別指導のコンセプトになっています。


どこまでできたかではなく、どこまで真剣に取り組んだか、

育ちにかかわる学びのものさしは、きっとそういうものであると、私は考えているのです。







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大切さを全国に伝えたい
Author:SHINOBU
新大阪教室

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