言葉が出る

 2017-05-16
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言語聴覚士の先生から、「あまり療育の成果が見られないから」 という理由でセラピーを終了させられてしまいました…

長い間この仕事をしていると、何回かそんなご相談をいただくことがありました。


先日、私が就学前のお子さんのレッスンを行っているときです。

ある小学生の男の子が、少し早めに教室に来てくれました。


勉強時間までは少し時間があったので、担当の先生と歌の絵本で遊び始めました。

その先生はこの日が初出勤だったので、何にも気付かなかったみたいでしたが、私の方は個別指導室に聞こえてくるその子の歌声に、飛び上がるほど驚いてしまいました。


年長さんだった1年間、週に2回、雨の日も風の日も、この子はほとんど欠かさず、私のレッスンを受け続けてくれていたのでした。

STさんの指摘されたように、言語表出の数は少なく、その明瞭さにも課題の残るお子さんでした。

レッスンや療育そのものに対する抵抗感もあり、最初の頃から、とても流れるようなレッスンが出来ていたわけではありませんでした。


しかし、いつの頃からが、その子の表情にも変化が見られ始めました。

言語自体の課題が一気に改善するということにはなりませんでしたが、信頼感やコミュニケートのレベル、その表情や活動に対する内発性などは、ぐんぐんと向上し、私はこの子とのレッスンが楽しみでたまらなくなってきました。

週に2回もさせていただく個別レッスン、

私は与えられた自分の責任とご家族の期待を一身に受けながらも、笑顔いっぱい、毎回生き生きと活動に取り組むその子の表情を何よりの喜びに感じていました。


小学生になり、担当の先生は別の先生にお願いすることになりました。

当初はどうかなと危惧していたプリント学習などにも、きちんと適応できるようになりました。


この子の言葉の育ちには、内言語をダイレクトに表出するまえに、大好きな歌を一緒に歌うことが大切だと考えていましたから、小学校の担当の先生も、毎回個別学習の後には別室で、一緒に歌を歌う活動をずっと欠かさず継続してくれました。

2年生になり、インクルーシブの教室が、ご自宅から近い位置に出来、送迎サービスもあるいというので、この4月からはこちらの教室でのレッスンがメインとなりました。


お母さんの方から、表出言語がクリアになってきたという情報をいただいていたので、それはとても楽しみしていたのですが、まさかここまで伸びているとは…

本当にうれしい気持ちでいっぱいでした。


私がこの子にプレゼント出来たことなんて、きっとほんのわずかであるに違いありません。

でも、そのことを願い、決してあきらめずぞれを信じて歩み続けてきた事と、この子の大きな成長とが、何よりの喜びに感じているのです。


子どもの成長を心の芯から、信じられることこそが、支援者の力量

これだから、教育の仕事はやめられません。







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君は決して後ろには戻らない

 2017-03-29
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京都の中学生と、ずっと漢字の勉強を続けてきました。

この1年間は小学校のおさらいで、漢検5級の勉強をしてきました。


先日から、漢検4級、中学校在学レベルの問題に取り組み始めました。

「今日から漢検4級、中学校レベルの問題に取り組むよ」

そう使えたときの、この子の目の輝きは普通ではありませんでした。


1回目の学習で、満点をとったときには、これまでにない満面の笑みがこぼれていました。

いかに子どもにとって、学習から得られる肯定感が重要であるかを、改めて思い知らされた気がしました。


しかし、意気込んで取り組んだ2回目の学習は、本人の気持ちとは裏腹に、期待を大きく下回る点数となってしまいました。

さすがに、このときは落胆の色は隠せませんでした。


しばらく時間を置いて、「そんじゃあ、また小学校の問題に戻ろうか?」 と、私がそう尋ねると、

「それだけは、絶対に嫌だ」 

即座にそんな答えが返ってきました。


絶対にそう言うと信じていました。

やがて、この子の書字にかかわるレディネスは、1~2年のうちに必ず劇的に改善されると私は考えています。

彼がそう答えた瞬間に、彼はもうこの山を乗り越えることが確定したと、私は確信しています。


月に2回も京都から大阪まで、ずっと休まずに通ってくれているこの子のモチベーションは、全く下がる気配はありません。

そこに超えるべきしっかりとした目標と手立てのある子は、決してその歩みをとめることはありません。


これまでの何百という実践の中から、私にはやがて大きく伸びる子と、やがて去りゆく子との違いは、はっきりと見てとれます。

そこの差異はは何か?

その答えは、決してテクニカルな所にあるのではないと、考えているのです








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子どもがひらがな読字を習得するプロセス

 2017-03-09
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私の手づくり教材の一つに 「文字はめカード」 なるものがあります。

「めがね」なら「めがね」を少しデフォルメしたイラストを写真印画紙に印刷・ラミネートした後に、ひらがな部分だけを切り取ってはめ込むことができるようにしたものです。


市販教材は見向きもしない子どもが、「文字はめカード」 を使用すると、とたんに表情が変わり、集中度が高くなる場面にこれまで何十回となく出会ってきました。

どうしてこの教材となると、子どもの集中度が格段に上がるのか?

それは、子どものひらがな習得の手応えが格段に違うということに他なりません。


ひらがなを習得するには、対象となるものの内言語が明確でないといけません。

その点このカードのイラストは、写真と違って、対象物の内言化を目的としてデフォルメされていますから、子どもと支援者との認知にズレが生じにくいのです。

そもそもこの時点で、子どもの認知と支援者のそれがズレていては、それでは学ぶ意欲も半減、というものです。


もしもこの子が 「めがね」 の 「め」 の読字を習得していたとしたら、心の中の 「めがね」 という内言語に、カードに印刷された文字言語がぴったりと対応できます。

さらにそれを 「め」 「が」 「ね」 と音声化する過程の中で、「か」 に点々のついた文 「が」 と読むんだということを、内発的に学んでいくことができます。

カードに文字をはめていく活動の場を構成しているのは支援者ですが、そこでの学びはすでに子どもの内発性によるものとなっています。


子どもは成長して当たり前の存在で、成長しなければ、それは生きること自体に大きな不安を感じさせてしまうことにつながります。

学習の根幹となるひらがなを習得できるということは、自分自身の存在意義を確かなものとすることと、決して無縁ではないのです。

そこへもって、適切な支援者のフィードバック、

それで子どもの目が輝かないわけはありません。


たった一枚の 「文字はめカード」

いつのときにあっても、子どもの実態、支援者の願いや目標、そしてそれを具現化する教材、

この3つがそろってこそ、生きた学習が展開されていくのです。


このカードさえ有れば、決してすべてがうまくいくというものではありません。

シンプルな教材ほど、逆に支援者の腕の差が試されるのです。










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鉛筆の持ち方指導 (3点支持)

 2017-02-03
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ダウン症のお子様の独立歩行に向けて開発されたプログラムを、もう数年にわたって実践しています。

今では県内外から、1日20名近くのお子さん来てくださることも珍しくありません。


独立歩行ができるようになることは、単に身体機能が向上したということでなく、言語・生活・身辺自立・コミュニケーションや認知に至るまで様々の知的なレディネスが整うことを意味します。

そのくらい身体機能の向上と知的発達には、深い相関があるのです。


今日のレッスンことです。

年中クラスの男の子が、タブレットでの学習をしていました。


このところ、表出言語が日に日にクリアになり、コミュニケーションレベルが向上している子どもです。

ごれまで、何度か軽くトライしてみましたが、、グーでの握り持ちしか出来ませんでした。


しかし言語表出がこのくらいのレベルになれば、3点持ちもそろそろ可能なはずです。

決して最初からすぱっとうまく行ったわけではありませんが、3~4度目のトライで一定時間3点支持ができるようになりました。


この子は本年度から、白ゆりのこども園で、きっとそれまでの何倍もの運動量をこなして来たに違いありません。

そのベースをなくして、こうしたテクニカルな向上にはつながらないのです。


集団の中に育てのベースがしっかりあってこそ、個別支援は初めて生きる、

私の信念と夢は、いつも子どもたちの育ちが実証してくれるのです。








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子どもの笑顔がもたらすもの

 2017-01-31
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新大阪の教室に、京都から通ってくれている中学生の男の子がいます。

数学が得意な子ですが、漢字の書字は苦手です。


立つ木に見るで 「親」 だよと、言語化してとらえさせるとよいのですが、視覚的に文字を認知してそれをトレースしたり、映像化してそれを長期記憶の中からひっぱり出すことが出来にくいわけです。

ならばと言うことで、まずは言語にかかわる学習を継続して積み上げながら、視覚的に文字をとらえる力を段階的に育てていくことと、短期記憶であってもよいから、そのルートを徐々に広げていけばよいのではないかと考えました。


その学習をどのくらいの期間積み上げてきたでしょうか?

以前は、この子のための周到な支援を施してきたつもりであっても、なかなかこの子自身が達成感をもつことはありませんでした。


しかしここに来て、その様子に変化が見られ始めました。

以前はミニテストで100点を取る事なんてほとんどあり得なかったことですが、直近のテストでは3回連続で満点という結果を残しました。

元々笑顔の素晴らしい魅力的な好青年ですが、このときばかりは、はちきれないばかりの笑顔を私に見せてくれました。


学びを通して培う自分に対するプラスの気持ち、

学び以外では決して得ることの出来ない大切なこと、

そのための確かな手立てと信念、

そしてそれを継続していくための支え、


この子の笑顔が、私にもたらすもの、

そのことを、これからもずっと、多くの子どもたちのために生かしていきたいと、願わずにはいられないのです。







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言語の扉を開く

 2017-01-16
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土曜日の大阪でのレッスンのことです。


4年生の女の子と文章読解の勉強をしていました。

「正月の行事」という説明文に取り組んでいました。

ちょうど逐次読みからまとまり読みが出来るレベルへと成長してきた子ではありましたが、これまでやって来た生活文と比べるとやや難解な言葉が多く、途中ででたらめに読み始めました。


段落ごとに区切ってはいたのですが、きっと彼女が視覚的に一度にとらえられる量をこえたため、辛抱しきれずでたらめに読み始めたわけです。

ならばということで、地の文も問題文まも、文節ごとに鉛筆で区切って読ませてみました。

するとたちまち正確に音声化することができ始め、それを私がリフレインすることで、文脈を見失わずイメージ化内言化しながら音読が出来るようになってきました。


文脈の中でキーワードをとらえさせるときも、対応可能な範囲を指定してやると、理解言語と対応することができます。

そのキーワードを書字化させたり、話し言葉と対応させたりする学習を構成すると、それまで文字言語-読字-理解言語-書字などのプロセスが統合化され、生き生きとそれをイメージ化することにつながっていくのです。


私は学習の途中で、その表情から、その子の言語の学習が次々とつながっていく様が見てとれました。

学習がかみ合っていく姿を、目の当たりに見ることができました。


勉強が終わったあと、その子は、まるで感極まったような表情で、私の元に歩み寄り握手を求めてきました。

こんなすてきな握手は、私の人生にとっても、初めての出来事なのかも知れません。


その様子を見ていてたお母さんが、こんなことを私に教えてくれました。

「うちの子に、お休みの時にどこに行きたいのか聞いたことがあるのです。」

「USJ? 公園? どこがいい?って聞いたら、SHINOBU先生のとこって答えたのです。」

「ここに来る日の朝は、本当に生き生きとした表情になります。」


あの日3歳だったこの子も、むう4年生、

春には高学年の仲間入りです。


基本運筆や数字シールから始めたこの子の教科学習も、ついにここまで来ました。

学習の基本が出来、言語の扉が開いたわけです。

ここからどんなに豊かな学びの世界が広がっていくことでしょう。


この子をここまで育てたのは、私ではなくて、間違いなくこのご両親です。

私はその信託の一部に応える事が出来ただけに過ぎません。


そう言えば、今から数年前、友里ちゃんの言語の扉を開けたのもちょうどこのくらいの年齢の時でした。

あの伝説の夏休みサマースペシャル学習で得た経験が、こうしてこの子の学習の中でもしっかりと花を咲かせました。

だからこそ私は、こうした臨床実践から、決して軸足を外すことが出来ないのです。










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言語と感覚

 2016-12-13
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以前英会話のスクールに通っていた頃、英語を聴いた時に、その言葉を日本語に訳して、その訳した言葉を日本語で判断し、その日本語を再び英語に訳すようにしていました。

初級の頃はそれで何とか対応できていましたが、だんだんとクラスが上がっていくうちに、ついにはそのやり方ではどうにもならなくなってきました。

先生に、「これからは聴いた言葉は、英語で判断して、ダイレクトに英語で返すようにしなさい」 と教えられました。


それまでの入力は日本語オンリーでしたので、なかなか別の言語のルートだけ使うというのは、慣れませんでしたし苦痛でした。

しかし、前納した多額のレッスン料が惜しくて、ぼろぼろになりながらもレッスンに通い続けていると、いつだったか何となくその感覚がつかみ始め、英語の音もだんだんとしっかり聞き取れるようになってきました。


先日、幼稚園の男の子と数の勉強をしていたときのことです。

9匹の動物を数える問題が、ありました。


継次処理の子なら、1・2・3・4・・・・ と数え始めるところですが、この子はちょっと違いました。

手で動物を4と5に分けて認知し、それを映像として合成し9と答えたのです。


これぞまさしく数感覚、

これまで小さい時から何でも言語で置き換えて物事を判断してきた私としては、もっと小さい時にこうした数感覚を意図的に育ててくれる先生がいたら、どれだけ自分の可能性が広がったことかと悔しくてなりません。

逆に、私の唯一のとりえである言語感覚は、こうした同時処理系の感覚を補うための代償性の機能として、今の私の財産となっているに違いありません。


言語優位なならそれはそれでよいし、視覚優位ならそれはそれで素晴らしいことです。

きっと一方が伸びれば、片方は退化するのです。

私の場合は、言語屋さんですからそれはそれで良いのですが、その言語屋さんの営業の中に、うまく視覚屋さんの良い所を生かす、そんなアプローチが学習の中身だと考えています。


数も、順序数で処理する良さもあれば、集合数でみる素晴らしさもあるのです。

その素晴らしさを、算数の教材を通して、実感させる営み。

それが学習のダイナミズムであり、それはそっくり言葉の学習でも同じことが言えるのです。


その両方が豊かに使えるすてきな子、

いつも楽しみながら子どもと共に学び行く方向感、


数を4と5に分解して認知したあの男の子は、勉強時間が終わってもなかなか帰ろうとはしませんでした。

そりゃそうだね、先生も楽しかったし、また一緒に勉強するのが楽しみです。

きっと私は一生、臨床から抜け出せそうにもありません。






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表現力 その育ちのステップ

 2016-10-15
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昨日のことです。

小学校中学年の頃から、ずっと国語のレッスンをさせていただいている女の子に、大切な育ちのステップが見られました。


それまでは、問題文に対する解答のほとんどは、教材文から該当の箇所を切り取って書き写すことがほとんどでした。

しかし、昨日は違いました。

該当の箇所を読み解き、それを尋ねられた内容に合わせて、自分の言葉に書き換えているのです。

本人にも伝えましたが、まさに文字に魂が宿った記念すべき瞬間です。


この日は、彼女が修学旅行から帰ったその足で、私の教室に足を運んでくれたのでした。

USJの大きなおみやげの袋を嬉しそうに抱えていた反面、きっと疲労度はMAXで、体調も万全ではありませんでした。


そういうことなら、この日のレッスンは少し早めに切り上げようかと思いましたが、学習が進むにつれて、そうではなくてこの日のレッスンを最高の形でしめくくることこそが、この子の気持ちに応えることになるのだと思えてきました。

時間のほとんどは彼女の自力解決の時間でしたが、彼女が文字とどう出会い、それをどのように内言化しているのかが、私には手に取るように見て取れました。

ややハードな設問での補助発問は、吸い込まれるように彼女の心の中に入り込んでいきましたし、補助発問をしようかどうか迷っていると、はっと気が付いたように答えを記入し始めるような場面は、1度や2度ではありませんでした。


あれから5年、

当時のようすを思い浮かべれば、正直こんな日が来るなんて、予想もできないことでした。

だからこそ私は、子どもの可能性、教育の可能性を、心の芯から信じることができるのです。


この子たちがいたからこそ、私は支援者としての力量を、ここまで高めていくことが出来た、

母から託された教育的な出会い、

支援者と子どもとの深い絆と信頼感、

教育者としての夢と誇りを、この子たちがみんな、私に与えてくれているのです。




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自作教材

 2016-09-20
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ここで学ぶ多くの小中学生は、私の開発した自作教材と、市販されている標準教材のどちらかを使います。

自作教材の方が簡単で、標準教材の方が難易度が高い場合が多いのですが、中にはそうでない場合もあります。


今や私のドル箱となっている言語指導は、その昔、友里ちゃんの読解指導をオリジナル教材で取り組んだことが発端でした。

この子とのレッスンを通して、私は、人がどのようにして文字とかかわり、どのように言葉を通して、様々な力を培っていくのか、そのエキスを学んできたのです。

http://shinobu1.blog117.fc2.com/blog-entry-1333.html


今、毎月1回来てくれる中3の女の子がいます。

小学校の時から、ずっと読解指導をさせていただいている女の子です。

小学校の頃から比べると、読み取りの速さも、精度も、深さも格段の進歩を見せました。


その子が来てくれる金曜日のお昼休みは、その子用の教材をオリジナルで作ることに決めています。

この週は、この子も含めて84名の子の個別レッスンをさせていただいたわけですから、すべての子のレッスンを書き下ろしというわけにはいきません。

せめて月に何度かは、オリジナルの新教材で腕を試す、

その大切な一コマが、今ではこの子とのレッスンの時間となっています。


本人の読みにかかわる育ち、

この子が伸びて来た所と、さらに伸びてほしいと願う私の願い、

予想されるこの子の反応、

教材のもつパワーを受け止めながら、その接点を探りながら、設問や内容を構成していく作業、

手ごたえを感じているときの教材づくりほど、楽しいものはありません。


設問に対するこの子の反応は、ほぼ100%私の期待通りのものでした。

ここまでくると、この子を前にした私の直接支援はせいぜい5%くらいで、あとはこの子が自ら問題に取り組み、自らの手でそれを解決し、自らの力で高まっていく、まさに私が目指している個別レッスンの一つの形を具現化するものになりました。


私たちの中を、美しくも満ち足りた時間がゆっくり流れていきました。

この子は、国語が得意と言うんです。

あの日、特別な思いで私のところにご相談に来られたお母さんの目は、やさしさがにじみ出るようでした。


一人の子どもの学びに寄り添うことから、すべてがスタートする。

友里ちゃんとの学びが、この子との学習にダイレクトに生きているように、この子との学びが、やがては大きなうねりとなって、多くの子の学びへと受け継がれていくに違いありません。


これこそが、実践者としての教育の仕事そのもの、

月に何度かのオリジナルの教材開発の時間、

私にとっては、この上もなく大切で、豊かな時間となっているのです。











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血の通った教材

 2016-08-25
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動物園で口を大きく開ける生き物のことを 「わに」 と知った小さな子に、それが文字で 「わに」 と表せることを伝えたい。

逆に 「わに」 と書かれたその文字が、動物園で見たあの口の大きな生き物であることを教えたい。

このことは、就学前のお子様のレッスンを担当させていただくよういなって以来、私の悲願でした。


人はどんなプロセスで言語を習得し、どのようにそれが文字と結びつき、、言語性がさらに豊かになっていくのか、

そのプロセスを垣間見ることで、小学生以降の教科学習の中での支援のポイントが、これまでになくシャープになっていくのをはっきりと感じてきました。


画像の積木は、市販されているくもん積木を、今回、自分なりのテイストで改良したものです。

長年の実践をもとに、マンツーマンのレッスンで即戦力となるように、工夫を加えてみました。

出来てしまえば当たり前ですし、そのことをすぐに理解していただけるかどうかはわかりませんが、この中には、何十何百という自分なりの実践経験を集約したつもりでいるのです。


さっそく、今日から何人かの実践場面で使ってみました。

何には、飛びつくようにこの教材に食いつく子もいて、胸を撫でおろす気分になりました。


もしかしたら、この先5年・10年の飯のタネになるかも知れない・・・

本当は、子ども以上に喜んでいるのは、私の方かもしれません。


血の通った教材は、いつもシンプルで、美しい香りがします。

この先何年、どんな子と、一体何回この積木で一緒に勉強することになるのでしょうか?

私の夢は、どこまでもふくらんでいるのです。







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言葉に命が宿る日

 2016-07-29
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児童発達支援の事業を始めて、まもなく5年の月日が過ぎようとしています。

その平成23年4月1日の朝9時、

時報ぴったりに入会のご予約をいただき、白ゆり発達支援センターの会員ナンバー1番となった女の子がいます。


あの日2歳だったこの子は、もう2年生になりました。

幼稚園におじゃまさせていただいたこともありました。

幼稚園の先生に、私のレッスンを見ていただいたことも、複数回ありました。

その間私はずっと、この子の育てにかかわり続けてきました。



↓ 先日、そのお母さんに、下記のような内容のメールをいただきました。


SHINOBU先生

おはようございます。

先生が以前おっしゃっていた娘の言葉の成長ですが、本当に凄い変化が見られました!!

4日前、何も書いてない自由帳のページに突然「くるま」と丁寧に書き、一昨日はドライブ中に窓に指文字で「くるま」と書き、並走している車を指差して教えてくれました。

また、昨日はアイスクリームを冷凍庫から取り出した後、「アイス」と自発的に言いました。

いずれも初めて見た変化でした!

少しずつ、娘に嬉しい成長が見られ、その度に家族で大喜びしています。

今日のマンツーマンでも、もしかしたら先生の前でも何か良い変化が現れてくれれば、と願っています!

以上、我が家の中での報告でした。

本日もよろしくお願いします。






これまで私は、多くの子どもたちの、言葉の育ちを見つめてきました。

ご両親より前に、その子の発語の瞬間に出会ったこともありました。

就学前に不明瞭だった構音が、就学後にみるみるクリアになっていく場面にも、何度も遭遇してきました。


この5年間、おそらく私は、実践を通して、ほかの誰よりも奇跡を信じられる力を身に付けてきたのではないかと思っています。

だらかこそ、そのことを信じて、ずっと種まきを続けることが出来たのではないかと考えています。


こんな幸せな実践者が、どこにでもいるわけではありません、

だからこそ私は、このことを多くのご家族と子どもたちに、伝え続けていく責務があるのです。


どの子にもある身近で大切な奇跡、

どの子も伸びる、そしてどの子も伸ばす


あの日から今日まで、白ゆり発達支援センターには、300人をを越える子どもたちの入会をいただきました。

私の歩みは、これからも変えようがないのです。





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私の願う 言語の育て

 2016-05-23
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先日、あるお母さんが、下記のような内容の記事をご自身のブログに書いておられました。


小学生の時からずっと国語の勉強を教えていただいている先生がいらっしゃいます。
月に1回だけなのですが
毎月、イキイキとレッスンに通っています。

通い始めた小学校低学年の頃は
少しでも国語の力が付けばと思っていました。

その後
レッスンの様子や先生のお話を伺う中で
少しずつ私の考えが変わりました。

この子が
本を開いて
物語の世界に入り込む経験をしてくれたらいいな。
読みながら目がキラキラしたり
ぷっと吹き出すような経験ができたらいいな。
そういう経験を積み重ねる場であってほしいと。

いつの間にか娘は、
先生と笑いあいながら本を読むようになり

気がつくと
先生と物語の中の世界を語り合うようになりました。

先生と学ぶ姿を見ていると
この子は
学び、成長出来る子だと思えます。

先生とのレッスンは
最高級の特別な学びだと考えて
公立の学校でそれを望んではいけないのかもしれません。

だけれど
学べない子として扱わないで欲しい。

学び
成長できるチャンスを
学校でも作ってもらえたらと思うのです。

勉強ができるようにしてほしいとか
教科書を教えて欲しいとか
そういうことじゃないのです。

学ぶ事で
彼女の中にある好奇心や意欲を
刺激して欲しいなと思うのです。

学ぶ事で
世界は大きく広がります。
学ぶ事で
夢が広がります。

学びの中では
彼女は自由になれると思うのです。

そんな経験を
いつかして欲しいと願います。





この日には、3歳になる女の子のレッスンもありました。

少し前までは、泣いてばかりなかなかでレッスンにならなかったのですが、この日のレッスンでは、知っているカードを見つけると、誇らしげに何度も何度も私の前にカードを提示してくれました。


その仕草が、何とも可愛くいて愛しくて、新しく言葉を習得していく営みが、どれだけ子どもの自尊心を持ち上げていくかを、目当たりに私に示してくれるのです。


学びを通して育つのは、教材の内容以上に、学びというプロセスを通して培う、その子らしさそのものであると考えています。

その軸がぶれてしまえば、目的と手段は逆転し、何のために勉強しているのを見失った無味乾燥で味気ないものに成り下がってしまいます。


私の言語指導の基盤は、臨床実践の積み重ねを通して培われたものです。

逐次読みで、文字を読んでもなかなか内言化することの出来にくかった子どもが、高学年になって、「いろはにほへと」 という教材で、突然吹き出し腹を抱えて笑い出したことがあります。


「三枚のおふだ」 という教材で、ほとんどこれと同じことが、冒頭の女の子にも見られました。

まさに文字の扉が開き、言語の海を泳ぎ始めた瞬間です。


こうした体験があればこそ、私には、3歳のこの女の子になすべき題材が、次から次へと目の前に広がっていくのです。

一人でも多くの子の、文字や数の世界の扉を開き、その学ぶ楽しさを体中に感じとらせたい、


そのことこそが、私にとって最も美しい時間となっているのです。










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人はこうして言語を学ぶ

 2016-05-14
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この画像は、今ある幼稚園の男の子との活動に使っている絵本の1ページです。

よく見ると中に、「こうばん」とか「やきたてパン」という文字が伺えます。


男の子はそれを指差し、得意げな顔で 「こうばん」 と私に教えてくれます。

一方支援者の私も、絵本の世界をこの子と共有しているわけですから、たとえ表出言語が少し不明瞭であったとしても、しっかりキャッチして、その内容を子どもに返すことができます。


言葉には、内言語(理解言語)・文字言語(インプット・アウトプット)・聴覚性の言語(聞き言葉・話し言葉)など様々な顔があるのです。

大人は、「きりん」と読めば、すぐさまキリンのイメージや知識を結び付けてとらえられるようになっていますが、子どもは大人と同じではありません。

たとえ「きりん」と読んだとしても、文字言語を音声化するのに精一杯で、まだイメージ化出来にくい場面だって多いのです。

そこパイプを太く豊かにつなげていくのが、言語・コミュニケーション指導のダイナミズムであると、私はとらえています。


「こうばん」と読んだ文字の下には、この子の大好きなパトカーが止まっています。

4つの文字を認知し、それにおまわりさんのいるところというイメージがつながり、一つ一つの文字の音声化がより確かなものへと育っていきます。


かれんちゃんから始まって、私は多くの子の言語習得のプロセスを目の当たりに見てきました。

半年前には、ほとんど言語表出の見られなかったこの子も、ここに来て表出言語の爆発期を迎えようとしています。


意味のある活動、夢のある活動、方向感のあるレッスンは、やっていて本当に楽しい、

絵本こそ、私と子どもの心をつなぐ大切な宝物、

本当にステキな教材です。




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あなたに伝えたいこと

 2016-04-18
小学校の時から、ずっと文章読解のレッスンをさせていただいている女の子がいます。

その子も、この春には中学3年生になりました。


文字や言語は、人が人としての暮らしを豊かにしていくための大切な宝物です。

単に、りんごはりんご、バナナはバナナと言語を通して識別していくということだけでなく、人は文字や言語を通して、何か大切なものを心の中で培っていくわけです。


この子にそうした豊かな言語の扉を開いてやってほしい、

お母さんは、私にそのような願いを託して、ずっとずっとレッスンに通い続けてくれました。


車いすを利用しているお子さんですから、小学校の頃は、お母さんが抱きかかえて2階の教室まで連れて来てくださいました。

あの教室から、今の本館建設へのうねりが巻き起こったのも、私の心の中では、この子の存在も大きかったように感じています。

初めて本館に入ったときに、両手を広げ、「わーっ」 と一杯の笑顔を見せてくれた日の事を、私は忘れることができません。


文学教材の多くは、フィクションで、言ってみれば絵空事です。

しかし、その絵空事の中にこそ、人の真実が宿り、人は心を震わせ、明日への勇気や生涯の心の糧を見出したりする、

それが、私の文学作品に対する教材観です。


文字と文字、言葉と言葉の間に宿る人の真実、

いつごろからか、その子はそのことに気が付くようになってきました。


私は、どんな子にも、その子にしかできない大切な役割をもってこの世に生を受け、そのことで誰か他者に貢献することによってのみ、幸せを感じることができると考えています。

私は、すべての教材を通して、精査してきた内容のすべてを通して、いつもそのことをこの子に伝えてきたつもりです。


文字で表せるかどうかは別として、文字として意識化できるかどうかは別として、文字や言葉を通してこの子が感じてきたそのもの、

そのことを、あなたの心の中に、これからもしっかりと根付かせていきたい。


私が伝えたいことは、いつも一つ

私が今、生きている意味も、間違いなくそこにあるのです。








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心通いあう瞬間

 2016-04-13
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先日、ある男の子が、真新しい幼稚園の制服を着て、私のレッスンに来てくれました。

家を出る時、 お母さんが、「制服を脱いで行きなさい」と伝えてても、どうしても私に制服を見てもらいたいということで、それを脱がずにここに来たということです。


この日、トミカの絵本を一緒に見ていました。

交番の絵を指さして、「こうばん」と小さな声で私に教えてくれました。


決して言葉が豊富なタイプの子ではありません。

しかし、通うあう心は、百万の言葉を羅列しても、決して豊かなものにはなりません。


彼は絵本のそれぞれのページを見ながら、心象風景が次々に豊かに広がっているのが見て取れました。

その世界を共有していくことで、私たち二人の中に、どれだけあたたかいものが流れ込んできたか、計り知れません。


その通じ合った瞬間に、この子がどれだけ、豊穣な笑顔を私にみせるようになったことでしょう、

通じ合う心があればこそ、言語の扉も、文字の扉も、さらに大きく開いていくに違いありません。


まさにこれは、数年前に、かれんちゃんと絵本を通じて作り上げてきた世界と同じ、

あの大切な時間があればこそ、今の私があるのだと、その幸せが体中にかけめぐるような、そんな思いになった瞬間なのでありました。






生きた言葉と死んだ言葉

 2016-03-27
私はこれまで、講演会をさせていただいたり、色々な会で閉会などのご挨拶をさせていただいたりする機会が何度かありました。

何度やっても、それはプレッシャーで、いつも開き直って、やるしかないと思って取り組んでいます。


でも、もしもそんな時に、ふところから原稿用紙を取り出して読み始めたとしたら、たちまちそこにいた方々は下を向いてしまいます。

挨拶や、講演というのはそんなものです。


それとは逆に、事前に考えてもいなかったようなことを話し出すと、それまで下を向いていた人の顔はあがり、よそ見をしていた人の目は輝きはじめます。


いつだったか、ある大学での講演会に、学生さんを含めて体育館一杯の人がお越しくださいました。

その中に、演台からたくさんの方にお話をさせていただいていたのですが、私の話の一つ一つに食い入るように聞いてくださっている方の姿が印象に残りました。


その後、それぞれの分科会におじゃまをさせていただきましたが、その時にもそれがすぐその方であることに気が付きました。

何がその方とと私をつないでいたのかは、その後に知ることにはなるのですが、生きた言葉というのは、こんなふうに人のこころにがっちりと入っていくものです。


そのことは、個別のレッスンの時にも、ダイレクトにリフレクトしてきます。

読解文ひとつ扱ったとしても、死んだ言葉のやりとりでは、子どもの反応も死んだままです。


文字言語は、そもそもは死んだ言葉です。

それを生きた言葉に置きかえていくこと、つまり内言化させていくためには、文字言語を生きた言葉に変換していく支援がポイントとなっていきます。


紙芝居一つ読ましても、腕のいい保育士と、そうでない保育士との差は歴然です。

子どもの目を見ずに、マニュアル通りに、機械的に進めていく療育に、子どもの目が輝いていくはずがありません。

ビデオとライブでは、同じサッカーの試合を見ていても、燃え方は全然違うはずです。


このことは、物語の読解指導などでも当てはまることです。

子どもがもし文字だけを目で追ったとしても、たとえ文章を音声化できたとしても、それはまだ子どもの生きた言葉にはなっていないのです。


読んだ言葉が、子どものイメージの世界で踊り始めてこそ、それは初めて生きた言葉(=内言化された言葉)となるのです。

たとえどんな教材であったとしても、読解指導のダイナミズムは、必ずここに置くべきだと私は考えています。


教育は、一期一会、

その一瞬一瞬の出会いに感謝できない者に、どうして魂のこもった楽しいレッスンを展開していくことができるでしょうか?


計画や準備は、できるだけ周到に、

けれど、一たびレッスンが始まれば、すべての計画を捨てて、子どもの反応を見ながら、ライブに展開する、

レッスンは生き物であり、似たようなレッスンはあったとしても、全く同じ内容のレッスンなどどこにもないのです。

はじめから結末の分かった推理小説なんて、一体誰が読むというのでしょう。


魂を込めたレッスンの一つ一つの積み重ね、

子どもの輝く未来は、きっとその先にこそあるのです。





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言語性とイマジネーション

 2016-01-04
2×1=1 2×2=4 2×3=6 ・・・・・・・

子どもが九九の学習をしています。

この子は2の段を完璧に唱えることが出来るようになりました。


これまで数を量的にとらえることが出来にくかった子にとっては、九九を唱える学習は言語性ものですから、苦手な算数科の学習の中では、比較的生き生きと学習に取り組めることが多いものです。

しかしながら、「2×7=14」 と唱えることができても、その子の頭に 「14」 という数がイメージ化出来ているとは限りません。

「2×7=14」 と唱えることが出来るようになったのなら、それで九九の勉強は合格というのではなくて、そこから2のかたまりを7つ思い浮かべたり、14を10と4に分けてイメージ化できたり、数の量的なとらえに結びつけるための活動を豊かに構成していくための大チャンスと見ることが大切です。


このことは、国語の読み取りにも言えることです。

「お母ちゃん、お兄ちゃん。」

ちいちゃんはそのとき、体がすうっとすきとおって、空にすいこまれていくのが分かりました。


その時、ちいちゃんはどうなりましたか?

「空にすいこまれていきました」

健太くんは、解答欄にそう記入して丸をつけてもらいました。


多くの子は、それがちいちゃんの死を意味することを理解していますが、中にはただ挿絵のようにちいちゃんが空に吸い込まれたと思っている子もいるのです。

IQ値は高くても、日常生活の中でKYと呼ばれるタイプの子は、程度の差はあれ、こうしたことにたくさん遭遇しています。

それが、わかっているか、そうでないのかが見えにくということが、こうした課題をさらに複雑化しているのです。


私自身も、表出言語は豊富です。

語彙数も多いし、講演会をやらしても、次から次へと溢れるように、言葉が出てくるのです。


しかし逆に、溢れるような言葉の海にどっぷりと浸かっているがゆえに、そのことが事物のイメージ化を妨げていることが多いものです。

それは、読解問題や、似たタイプの子どもの指導場面ではすぐに気が付くことが出来ますが、自分生活場面でのこととなるとなかなかわかりにくものです。

だから私は、いつもそのことを心に留め置き、自分を振り返ったり、スタッフの指摘を求めるように心がけ、そのマイナス面を補強しているのです。


出来るがゆえに、出来にくい落とし穴、

出来ないからこそ、案外知らずに身についている大切な力、

こと子どもの指導場面においては、そのことをシャープにとらえられる自分でありたいと思っているのです。









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強くて深い気持ち

 2015-11-26
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費用や時間のこともあって、私のレッスンは、月に1回であったり2回であったり、多くても週に1回くらいとなっています。

毎日ではないかからこそ、そこに私のなすべき役割があると信じ、他の機関ではできにくい内容を焦点化して取り組んでいるのです。


そんな中、1回たった30分のレッスンのため、週2回通って来てくれている子がいます。

地域的に言えば、やや遠方からお越しくださっているのですが、いろいろな経過から、週に2回通ってくださることになったのです。


どちらかといえば、最初の頃はかなり苦戦していたことを覚えています。

決してすぐに思い通りに行ったというわけではなく、エラーの度に、その行動を維持している要因について仮説を立て、その背景を読み解きながら、より望ましい学習にしていくための工夫をあれやこれやと繰り返しながらここまで来ました。


雨の日も、風の日も、レッスンが始まる10分以上も前に控室でスタンバイしてくださっていました。

このお気持ちには、何としても応えなければならないと、プレッシャーも決して小さくはありませんでした。


当初は、パズルを放り投げる場面も何度かありました。

でも、いつの間にかそのパズルも得意になり、それを見たお母さんが目を丸くされていました。


エラーを乗り越えていくたに、私と彼との信頼感は確実に増してきました。

言語表出言語は少なくとも、活動を媒介としたコミュニケーションレベルは、決して他者が入りきれないくらい高いものになってきました。


ほとんど表出言語がなかったはずの彼でしたが、指導訓練室から何度も何度も聞こえてくる楽しそうな声に、お母さんが 「あの声は本当にうちの子の声なんですよね」 と信じられないという表情を浮かべておられました。

何という充実感、

この頃では、その週2回のレッスンが、私も待ち遠しくてたまらなくなってきました。


このことは、本当は、私が引き起こしたことでも何でもありません。

すべては、このお母さんの深くて強い気持ちが私に乗り移り、そのオーラが私の手足を勝手に動かして実現させたのです。


母の思いは、きっと何かを突き動かしていく。

この子との実践のあゆみが、また私を、1段高いステージへと押し上げてくれたのです。









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美しい教材

 2015-11-20
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中学生の子どもに、英語学習の楽しさを感じ取らせたい、

そんな思いで、ここ何か月か英語教材の開発に取り組み、さっそく実践場面で使ってみました。


ずいぶん前から構想を練っていたし、教材作りに欠かせない素材も吟味してきただけあって、その手応えは上々、

明らかに子どもの目の色が違ってきているのが見て取れます。


自分も、みんなと同じように英語の勉強をしてきたい、

誰もがもつそんな願いに、これまでなかなか応えてやることが出来ませんでした。

今は、教材開発を専門に手伝ってくれるスタッフがいるので、私の指示やプロデュースがしっかりしていれば、瞬く間にそれが形となって現れてきます。


この教材を作ってくれた職員は、次のように私に話してくれました。

「先生、私の息子も中学生のときに、なかなかわが子に合った英語教材が見つからず、ずいぶん悲しい思いをしてきました。」

「私は、これから出会う子どもたちにために、そんな経験を少しでも生かしていきたいのです。」


魂のこもった教材開発は、こんなふうに美しい教材を生み出していく、

子どもたちのためにと、こうした思いと私の専門性とを紡いでいく作業。


そこにあるものが、きっと本物なのに違いありません、

今、なすべき道が、私たちの前に果てしなく広がっているのです。







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作文指導のスモールステップ

 2015-11-17
1年生の 「くじらぐも」 のワークに、こんな問題がありました。


「 かえっていく くじらぐもさんに おてがみをかきましょう。 」

「 くじらぐもさん、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



はじめてこんな問題に出会ったけいた君は、何をどうしたらよいかわからず、固まってしまいました。

さて、あなたなら、どんなサポートを工夫しますか?


私は、小さなメモ用紙数枚に、次のようなフレーズを書き込んで子どもに提示しました。


A 「またきてね」

B 「たのしかったよ」

C 「ありがとう」

D 「だいすきだよ」

E 「さようなら」


さあ、どれかこの中から2つか、3つ選んで並べてごらん、

私がそう子どもに投げかけると、その子は

「 くじらぐもさん たのしかったよ またきてね 」

と、いうフレーズを作りました。


「 またきてね くじらぐもさん だいすきだよ」 でも

「 さようなら ありがとう たのしかったよ 」 でも、

その子のチョイス次第でオリジナルなフレーズはいくつも構成できます。


創造は経験の再構成、

もとになるフレーズをいくつか示し、それを選択させる支援によって、活動はずいぶん楽しくなります。


「どうして出来ない?」ではなくて、「どうしたら出来るか☆」

支援者の力量こそ、まさに経験の再構成なのかも知れません。








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あなたに伝えたいこと

 2015-10-20
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先週、中学生の女の子が手作りのハロウィンのクッキーを焼いて持ってきてくれました。

小学校中学年から、ずっと国語を中心にした学習を積み重ねてきました。


言葉を介して作者が伝えようとしている主題を、一つ一つの言葉を精査していく学習を通して、感じ取ってもらいたい、

私はいつも、そんな思いを込めて、題材に向き合ってきました。


人には、必ずその人にしか出来ない大切な役割がある、

人が生きるということは、誰がために自分がなすべき役割があることを、心の芯から感じ取れること、

私は、毎回の教材の中で、いつもそのことを伝えたくて学習を構成してきました。


「SHINOBU先生は、とっても明るい。いつもいつも明るい。楽しそう。いつも笑っている。だから一緒に勉強すると楽しい。」


この本館が完成し、両手を広げて天を仰ぎ、満面の笑みを浮かべたあの日のことを、私は生涯忘れることはできません。

車いすでも自由に入れるこのバリアフリーの施設は、あなたと共に学ぶ時間が時間がなければ、実現しなかったかも知れません。


生きている意味を確かめているのは、この私も同じこと、

あなたと共に学ぶことで、私が得たものもはかり知れない、

だから私も、共に学ぶ時間が何よりも楽しい、


つながった心の中に通いあう非言語の感情は、学習を通して、これからもずっと豊かに培われていくのです。






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読字改善のあゆみ

 2015-09-21
今から5年ほど前に、倉敷市の障害児学級親の会の総会で、講演をさせていただいたことがあります。

その講演を聞いてくださったことがご縁で、私の教室に通ってくれるようになった子がいます。

今年5年生になる男の子も、その一人です。


文字を見て、その文字が示す内容を内言化(理解言語化)できにくい子、

私は、何人ものこうしたタイプのお子さんと、向き合ってきました。

私には友里ちゃんをはじめ、言語にかかわる何十時間・何百時間の指導実践がありますから、私なりのなすべき役割と、成長のプロエスを、実践レベルで俯瞰することがことができます。


まだ低学年だったこの子のことについて私は、

「お母さん、5年生位になったら、この子の読字にかかわるようすは、きっとかなり改善されてくると思っています。だからこそ、それまでの間に、私がさせていただく役割がいくつかあろうかと思います。そのことを信じて、私にこの子の育ての一部を託していただけないでしょうか?」


もちろん、まったく不安がなかったわけではありませんが、おそらくは 「きっと大丈夫」 というような確信はありました。

その兆しがみえにくい時期から私は、いつかはきっと芽がが出て花の咲くたいせつな種に、水や肥料を与え続けていきました。


「大ウソつきにならなくって、よかったです」

昨日のレッスンを終え、私はお母さんにそのようにお伝えしました。


まだまだ、たどたどしさは残していますが、文字を読み、それを思考のベースに乗せながら、自らの力で問題解決に取り組む言語の扉がしっかりと開いてきました。

だからこそ、そのことを見通して取り組んできた何年かの時間が、無駄なものにならなくてよかった。


SHINOBU先生のレッスンはいつも楽しみにしていて、お盆休みの日は、どうして休みなのかと説明に困りました、

お母さんは、そういって苦笑されました。


子どもにとって、自分の成長の喜びに代わるものなど、そうそうあろうはずがありません。

私と子どもたちとの歩みは、これからもずっと続いていくのです。







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彼方に過ぎ去りし困難

 2015-09-09
あれは花子ちゃんが小学2年の時のことですから、今からもう7年以上も前になります。

2年生になって、真新しい漢字ドリルを目の前にして、「みんなと同じように漢字ドリルをやりたい」 と、大粒の涙をはらはらと落とした日のことを、今でもはっきりと覚えています。


そこから何年にもわたって、私と花子ちゃんとの書字改善の旅路が始まりました。


新聞紙に大きな文字を何度も書く練習をしたこともありました、

粘土で文字を作る遊びを取り入れたこともありました、

へんとつくりをパーツに分けて、型紙を使って漢字づくりをしたこともありました。


パソコンを使った学習や、得意の聴覚性の内言を生かした長所活用型の読解指導をメインに置きながら、書字改善のことは常に頭に入れた実践を積み重ねていきました。

視覚認知力と、書字にかかわる運動機能の未成熟による困難と分析していましたら、そのためによかれと思うことは何でもやりました。


彼女に変化の兆しが見え始めたのは、5年生のころです、

それまでどうしても書くことができなかった数字の 「9」 が、正確に書けるようになりました。

ひらがなの 「ら」 も、正しく書けるようになってきました。

地中に張っていた根だけでなく、地表にしっかりと芽が出てきたのが、きっとこの日だったのだと考えています。


中学になってから、花子ちゃんの認知力も、書字にかかわる巧緻性も、目に見えてぐんぐん改善されてきました。

昨日行った漢字プリントを見て、私は、「彼女の書字障がいは、もはや遠くに過ぎ去った」 と思いました。

そのことを告げると、何とも言えない満ち足りた笑みを、彼女は私に返してくれました。


きっと、私がおらずとも、この子の書字改善は何らかの形で実現されただろうと考えています。

私の果たした役割は、ほんのわずかなことに過ぎない、

しかし私は、彼女との学びの歩みから、支援者として、最も大切なことを培ってきたのです。


私の実践のすべては、この母の願いに寄り添うことからスタートしました。

そのスタンスは、これからも微塵も変わりようがないのです。







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内言語を書字化するプロセス

 2015-08-27
「りんご」

頭の中に思い浮かべた言葉を、紙に書き記す。


「りんご」 という文字をお手本で示せば、なんなく書くことができるのに、それを見なければ文字を書き記すことが出来にくい子、

私の教室に通ってくれている子の中にも、何人かそんな子がいます。


私は、このブログの記事を書くとき、どんな内容を伝えようかと決まりさえすれば、あふれるようにそれを言語に置き換えていくことができるようになりました。

丸7年、1,000本以上の記事を書き続けると、そういうことも日常的になりますが、そうでない子どもにとっては、「りんご」 という内言を文字に変換する作業は、そんなにたやすいものではないのです。


内言化できるが、それを書字化することが苦手、

そんなふうにつまづきそのものを明確に焦点化することができたなら、私の支援は自ずから道筋が見えてきます。

見て書けるなら、そのモデルのなる文字を提示しながら、段階的に支援除去を行い、言語にかかわる学習をどんどん豊かに構成していく、

それが、私のやり方です。


今大阪と岡山にいる中学年の男の子が、本当によく似た課題にチャレンジしています。

岡山の子でうまくいったアプローチを大阪の子で試してみると、面白いようにヒットします。

こうやって私の支援の引き出しが増え、力量が向上していくんだなと、改めて実践によってのみ支援者の力量が向上していくことを実感させられます。


どこかにつまづきのある子は、代償機能が働いて、どこかの能力がきっと伸びているはずです、

書けないがゆえに、内言がより豊かになることもあるはずです。


言語ルートは、大変複雑ですから、そのプロセスのどこかにエラーがあれば、なかなかアウトプットまでたどりつけません。

ですが、アウトプットまで結びつかなければ、学習の意味が0%になるということではないはずです。

ならばそこには適切な支援を入れて、その子の言語感覚を少しでも豊かに広げていく方向感こそが、子どもの学びのモチベーションを高めていくことにつながっていくと、私は考えています。



↓ 先日、あるお母さんから以下のような内容のメールをいただきました。



SHINOBU先生

昨日はありがとうございました。

帰りの車の中で、SHINOBU先生の話は、とてもわかりやすいのだと言い出して、どういうところが?と聞くと、それはよくわからないのだそうです。

担任の先生も、ゆっくり、はっきり話してくれるそうですが、わかりにくいのだそうで、何が違うのかなあ?と悩んでいました。言葉にはなりませんが、私には違いが分かる気がしました。

夏休み、回数を増やしたいなと思っていたのですが、7月の様子を見せていただいて、これはやっぱり月1回がいいなと思いました。

娘にとっても、先生と創り出す真剣勝負の時間です。月に1回しかないからこそ、きっと力が発揮できるのかなと思いました。回数が増えればいいと言うのは、私の甘い考えでした。

それで日程まで調べて電話もかけるつもりだったのを我慢して昨日を迎えたのですが、やっぱり正解でした。

終わってからも、ずっと興奮が冷めやらない表情が、どれだけ素晴らしい時間だったかを語っていました。

長い間かけて育てていただいたものが、今花開いてきたようです。焦らず大事に育てていきたいと思います。





このお母さんから、この子の言語の育てを託されてもう何年になるのでしょう、

小さいけれども、大切なことが、ここに来てしっかりと芽吹いてきました。

この子の学びを通して培った大切なことが、きっとまだ見ぬ小さな子の言語の育てに、きっと大きな影響をもたらせていくに違いありません。


子どもとつくる豊かな学び

私のめざす個別支援の一つの形が、きっとそこにあるのです。





この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-08-28



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豊かに広がる内面の世界

 2015-08-03
まだ本館が完成する前、車いすを利用しているお子さんを、2階の教室まで抱き抱えて連れて来ていただいてた時期がありました。

どう考えても、それはあるべき姿ではない、

夢であった本館建設が、予想をはるかに超えた早い時期に実現したのも、こうした一人一人のお子さんに寄り添う白ゆりの姿勢が、行政からも高く評価されたことが大きかったと考えています。


この子が、新しい建物で、両手を広げて笑顔でいっぱいになったことが、どれだけ私の気持ちを昂揚させたか、はかりしれないものがあります。


私は、日々お母さん方がどのような願いを私に託してくださっているのかを、痛いほど感じています。

これまで実践を通して培ってきたお子様のの育てにかかわるすべてを集約して、わずかであっても、その願いに応えていきたいと心から思っています。

その母の願いは、いつもそのままお子様の願いでもありますから、レッスン自体はどても充実感があります。


言葉の一つ一つを精査していく営みを通して、非言語の人の真実を感じ取らせたい、

月に1回ではありますが、3年・5年と時間をかけ、題材を吟味しながら、そこに迫っていくという壮大なプロジェクトにチャレンジさせていただく機会を託してくださっている、

こうした何とも恵まれた環境の中で、私は、この子との学びを、文字通り楽しませてもらっているのです。



↓ 先日、そのお母さんから、以下のような内容のメールをいたさきました。



SHINOBU先生


先日は、ありがとうございました。

「SHINOBU先生の勉強が、いちばん楽しい。」と、大満足の様子でした。


SHINOBU先生は、とっても明るい。いつもいつも明るい。楽しそう。

いつも笑っている。だから一緒に勉強すると楽しい。というようなことを言っていました。


モニターで先生と娘が並んで勉強する姿は、こんなことを言うと失礼かもしれませんが、先生と生徒ではなくて、仲の良い仲間が面白い本を見つけて、おしゃべりしながら読みあっているみたいです。

ふたりとも本当に楽しそう。うらやましくてしょうがないです。SHINOBU先生が学ぶことを楽しんでおられるから、娘も楽しいと感じるのでしょうね。

ずっと部屋の隅っこで様子を見させていただいてきましたが、別室にいさせていただくようになり、それも良かったなと思います。

私がいないことで、益々先生との学びの時間に没頭できているように思います。


豊かな時間をありがとうございます。

SHINOBU先生との学びの中で、自信をつけ、豊かに広がる内面の世界を表現できる日がそこまで来ているように感じています。今後ともご指導よろしくお願いします。






私にはもはや、これに代わるものは何もいらない、

だからこそ、一つ一つの学びを豊かに積み上げて行くことと、自分の力量をもっともっとた高めていくことから、決して軸足を動かすことはできないのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-08-04)




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内言と文字言語

 2015-05-05
例えば子どもが同じように 「おかあさん」 という文字を書いていたとしても、そのメカニズムには大きく分けると2通りあると考えています。


文字そのものを見て、それを記号的にトレースしているタイプの子どもがいます。

書字そのものは正確ですが、よく見ると漢字を下から書いたりする子どもです。

字は正しく書けても、あまりその意味までを同時に考えて書いていないことも多いようです。


一方で、問題文にしても、地の文にしても、文字を視覚的にとらえることが苦手な子がいます。

こういう子は、画数の多い漢字などを書くのが嫌いな場合が多いようです。

文字を書く場合には、心の中にある 「おかあさん」 という言葉をリフレインしながら、順次おかあさんという文字に変換していくのです。

内言化された言葉を文字にすることは得手ですが、文字情報を視覚化するのが苦手なわけです。


こういう子どもには、内言に近い聴覚性の言語で支援を入れてから、文字をアウトプットさせていくのが有効です。

理解言語を増やしていくことが、やがては文字との接点を豊かにしていくのだと、私は考えているのです。


同じ子どもに3年・5年とかかわっていけば、必ず1度や2度は大きく伸びる時期があるものです。

ゴールは同じでも、その道のりは、子どもによって違う部分があるのは、ある意味当たり前のことです。


言葉のメカニズムを ①文字言語 ②聴覚性の言語 ③内言語(理解言語) の3つの角度からとらえ、そのなりの色で学びの道をぐいぐいと進ませていきたい。

それこそが、わたしのような立場の者が取り組んでいかなければならない使命の一つであると考えています。


スポーツでも、習い事でもそうであると思いますが、毎週来てもらっても、本物の力をつけるにはきっと何年かの継続性は大事です。

決してあきらめないご家族と私、


そのチャレンジは、今日も続いていくのです。






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君が今、それができない理由

 2015-04-20
文字を見る、

それが何と読む文字であるかを識別する、

一文字一文字を認知し、それを単語や文につなげてスムーズに音声化する、

なるほどそれはそういうことかと、その音声の中身を内言化する、

内言化されたものを、思考のベースに乗せて、判断したり処理する、

それを再び内言化し、言語に置き換える

さらにそれを、話し言葉や文字言語に変換し、アウトプットする、


私は、一連の問題解決のプロセスを、このような形でとらえています。

言語と数では、メカニズムは決して同じではないと思いますが、基本的なプロセスの中で、共通することも多いのではないかと考えています。


じゃあ、できなければどうするのか?

私なら、その部分だけに、過剰にならない程度の支援を入れて、学習をどんどん前に進めていきます。

いつとは断言できませんが、一連の学習経験を積み上げていくうちに、周辺の力や手順がだんだんと整っていきます。

そして、学習レディネスが整ったその時に、肝心要のその部分は、必ずネットワーク化されます。


3年ほど前から私の所に通ってくれている男の子、

物語文や説明文の読解が苦手なタイプのお子さんです。

この春には、もう5年生になりました。


これまでは、問題文を内言化することも苦手でしたし、地の文から視覚的にキーワードを抜き出すことも出来にくいことが多いので、そこには私が絶妙のタイミングで支援を入れていました、

でも先日、

それまで逐次だった読みがかなりスラスラ読みに変わってきたのをみて、範囲は限定しましたが、あえて支援を除去して本人に自力解決させる場面を設定してみました、

最初は、ちょっと嫌な顔になったのが見てとれました、

でも、次の瞬間、明らかにその子の表情に変化が起こりました。

内言化されたものもとに、地の文の該当箇所を視覚的にとらえることができたのです。


ほんの小さな一歩でしたが、ある意味、この日この時のために、私は3年間レッスンを積み重ねてきたのだとも言えます。

ここまで来るのが、本当に大変でした、

膨らみかけたつぼみの世話することは誰にでもできますが、いつ芽が出るかわからない畑を耕し、水をやる続けることこそが、真の教育者の力量だと、いつも私は考えています。


もしも君の出来ない理由がはっきりわかったのだとすれば、それはもう目指す方向がはっきりと見えたのと同じこと、

もしも君が、自分の力で問題解決できるようになったのなら、先生はすぐにでも風のように立ち去りたい、


君が先生の所から旅立っていく日は、もうそんなに遠くはないはず、

その時は、先生のことは忘れたように、決して後ろは振り向かず、力強く前を向いて歩いていってほしい、


すっかりとたくましくなった君が、自らの足で、力強い一歩を踏み出す日、

その日のために、私たち共に歩み続けるのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2015-04-12)






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宝物のような時間

 2014-12-19
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もしも私が、自分自身のレッスンの内容を評価するとしたら、

① 子どもとのコミュニケーションがしっかりとれたかどうか?

② 子どもの内発的な学びを具現化できたかどうか?

その2点をあげることになると思います。


他者と通じ合うことによって、子どもは自分の存在の位置を確かめることができ、文化的に価値のある学習を積み重ね、自分が向上している方向感を得ることによって、子どもの心は安定し、自己実現に向かっていくと、考えているからです。


積み木遊びが発展する子は、それまでのレッスンの内容が充実している証拠です。

1個の積み木から次々とイメージが発展し、内容がしっかり共有でき、心豊かにコミュニケートが深まる時間は、まさに私にとって宝物のような時間です。


言語・数量・コミュニケーションなど、個々の内容を細分化したり、系統化したりして、それを順番に子どもにさせていくと、たったそれだけのことが何だか急に専門的になったような気分になり、保護者の方にも説明しやすいのですが、子どもの瞳はちっとも輝きません。

積み木遊びのようなことは、量的な評価がむずかしく、ただ遊んでいるようにしか過ぎませんが、子どもの表情はみるみるうちに変わっていきます。


私の駆け出しの頃は、簡単なことにあえて専門用語をくっつけて、自分を大きく見せようと必死でした。

でも、本当に力のある人は、あえて専門用語やむずかしい数値を控え、涼しい顔をして、いつの間にか子どもをひきつけ、知らぬ間に子どもを変えていくのです。


儲かってまっか?

いやいや、ぼちぼちです。


私たちの評価は、出会った方に、もうここでなければダメと、末長くレッスンをさせていただけるかどうかだにかかっていると思っています。

あなたが目を輝かせて学び、生き生きと成長していくことこそが、私たちの願いであり喜びです。

その大切な時間を、1日に1分でも長く積み上げていきたいと、心から願っているのです。



この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-21)
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子どもの願いをキャッチするコミュニケーション力

 2014-12-11
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昨日、4歳の子のレッスンがありました。

手遊びやカードの活動が終わったあとに、つみき遊びを一緒にしました。


最初は、感覚遊び的に、機械的に積み木を上に積み重ねていましたが、だんだんとそれが見立て遊びに発展していくのが見てとれました。

上の画像が、何だかお分かりになりますか?

これは、電話機なのです、

この想像力、固定観念にしばられる私には、なかなかできない芸当です。


この電話機を使うと、表情といい、内容といい、これまでには無いような生き生きとした展開に、私の方が楽しくなって引き込まれていくような気持ちになってきました。

通う中身が先にあって、言語はその豊かさに応じて広がっていく、

そのコミュニケートの豊かさこそが、自己肯定の気持ちを培い、内発的な学習の達成動機を高めていく。

私は、改めてこの子との活動を通して、その大切さに気付かされたのでありました。


以前、シアトルのセーフィコフィールドに行った時、となりに座ったネイティブの方と気持ちが通じ合ったのを覚えています。

でも、全く英語が話せなかった私は、名前すら尋ねてみる方法がなかったわけです。

レストランでの注文方法もわからず、毎日同じハンバーガーショップの同じ商品ばかり食べていました。


もし、英語が話せたら、こんな何千キロも離れた人と通じ合える、

いや、世界のいろんな人とも、通じ合うことができる。

今からもう10年くらい前の話ですが、その日のことがきっかけで、以来私は、ずっと英語を習い続けるようになり、今でもその気持ちに全くの変化はありません。


子どもの気持ちと乖離した言語指導は、味気ないもので、一時的には効果があっても、結局は長続きしないものだと思っています。

子どもは、どの子でも、成長と自己実現の強いエネルギーをもっていて、それは大人と比較できるようなものではありません。

その成長の願いをくみ取り、学習という共通のツールを使って、自己実現の旅路を共に歩んでいく。


奇跡を何度も目にしてきた私は、この魅力と魔力にとりつかれていて、このスタイルを変えようにも絶対に変えることが出来ない領域に入っています。

通じ合うこと、子どもが育つということは、こんなにも楽しいものでしょうか?


私は、子どもと心が通じ合うことにより、自分が生きている意味を、誰よりもしっかりと確かめることができているのです。




この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-12-14)









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心が通う 言葉が通う

 2014-11-27
10月から、4歳になる男の子が、私の所に来てくれるようになりました。

STさんとの訓練が、うまくかみ合わないとうことで、お母さんは、主に言語にかかわる願いを強くお伝えくださいました。


ここでのレッスンを開始するに当たって、私は、

「言語機能そのものより、お子さんとの内発性を信じ、心の通じ合いやコミュニケーションの充実を大切にしたレッスンをさせていただきたいと思っています」

そのようにお伝えしました。


事前のご相談で、これまでの経過や内容、お子様の育ちやご家族の願いなど、かなりしっかりとお聞きすることができたこともあって、私はすぐに育てのビジョンやイメージをもつことができました。

確かに、パズルなどは苦手で、あまりソフトな対応は苦手なタイプ


でも、絵本やカードや手遊びは大好きで、やる気も表情もとっても豊か、

それに、まだほんの小さな芽ではありますが、言語表出の兆しが随所に見られます。

私にとっては、大好きなタイプの、すてきなお子さんです。


最初の1~2回は、お母さんにもレッスンの様子を一緒にご覧いただいていましたが、これなら分離した方が近道と判断した私は、お母さんには、レッスン中ログハウス(控え室)で待っていただくようにしました。

ところが昨日、急な来客があり、ログハウスが使えない状況になってしまいましたので、お母さんには教室に戻ってきていただき、途中からではありましたが、久しぶりにレッスンを見ていただくことになりました。


「かえるがぴょんぴょん、かえるがぴょんぴょん~♪」

もちろんまだ明瞭というわけではありませんが、当たり前のように、歌詞をくちずさんでいるこの子のようすをご覧になり、お母さんはとても驚いておられました。

「この子のこんな姿は初めて見ました」

お母さんは感激され、目頭を真っ赤にされて、教室を後にされました。


今から5年くらい前のことになりますが、かれんちゃんが初めて私に「せんせい」と言ってくれたときも、ご両親には、しばらくそのことを信じてもらえませんでした。

願いを託されたレッスンの場では、時々こんなことが、起こるようです。

それは、どこか私に優れている所があるということではなく、ここがご家族の願いが託され場であるということを、きっと子どもが感じ取り、その持ち味が生かされる場になっているということなんだと、私はとらえています。


就学前に言語があまり機能しなかった子が、就学後に、当たり前のように会話がクリアになっていく。

私は、そんな子を、実際に何人も見てきました。

だからこそ、私は、その可能性をしっかりと信じることができる。

今、何をすべきなのかが、はっきりと見える。


そういえば、このお母さんは、そのかれんちゃんのお母さんのご紹介で、ここにやって来てくださった方、

私とこの子との歩みは、今やっと始まったばかり、

3年後、5年後のこの子が、いったいどこまで豊かに育っていくか、

もはやこの子も、私にはなくてはならない大切な子の一人。


君の育ちが、後に続く多くの子の希望の星になる、

これから君と一緒に歩む道のりそのものが、私たちの何よりの宝ものなのです。


この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2014-11-29)




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