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行列のできる校長室 (トップに立つ者だからこそ、現場の最前線に立て)

 2010-08-16
昨日の日曜は、私の教室のレッスンもお休みでした。

これまで、日曜にお休みをいただいた週は、県外に出張に行かせていただくことがほとんどでした。

久々のフリーの日曜日でしたので、娘と食事に行ったり、買い物に行ったりしました。


私には娘は3人おり、一番下の子は高校2年、上の子は大学3年生になりました。

私が今、どんな活動をして、休みの日曜日にも県外に出張していることも、理解できる年齢になりました。

私が何をしているのかが、非言語ですが、娘に伝わっているなと感じることがあります。

全力投球で活動に取り組むようになったことで、娘との関係にマイナスが生じたと思うことは一度もありませんでした。


多いときには、週に60時間近くののレッスンを行うことがあります。

1回1回、子どもと直接向き合うレッスンを積み重ねていくことを、私は何よりの誇りに思っています。

朝5時半に起き、大阪で9人のレッスン、日帰りで夜10時半に岡山に帰ります。

翌朝7時半には、学童保育の朝学習を指導し、9時からはデイリーのレッスン。 メールの返信や教材準備などは、食事の合間や、往復の新幹線の中で行っています。

そこに強い気持ちがあり、願いがあれば、忙しいことにも喜びを感じるというものです。

手応えのあるレッスンができたとき、新大阪の駅で飲む生ビールは最高です。

そんな毎日です。


体調管理は命です。

調子の悪いときは、何もかもしんどくなります。

心も体もベストな状態で、子どもの前に立つことが、私の責任であり仕事であるのです。


アイデアがひらめくことのほとんどは、レッスン中に起こります。

真剣モードで子どもとご家族と向き合う、その1回1回の積み重ねが、私の命を磨き上げているわけです。

そのことをを誰よりも強く感じているのは、私自身であり、だからこそ前に進んでいけるのです。


小学校の現場にいるとき、私は、すばらしい校長先生に何人も出会ってきました。

校長室にいながら、どうしてあんなに一人一人のことを、的確に把握できているのだろう?

まるで超能力に思えるようなそのことも、強い意志と真心の積み重ねであることが、すぐにわかってきました。

当時は、まだコーディネーターという制度ができていないころでした。

その校長先生は、私の授業時数を週数時間のみに設定し、その空き時間に私は、家庭訪問に行ったり、ご家族の相談を伺ったり、幼稚園・保育園・中学校などをはじめ、各関係機関に足を運んだりさせていただいたりしました。

地域の民生委員会にも、毎回出席し、気になる子どもの情報を交換させていただきました。

私の授業時間は、他の先生が、少しずつ負担してくださっていたわけです。


こんなシステム、校長が命をかけるくらいの気持ちがなければ、できないと思います。

「私は、自分のクビなんて、とっくに洗っています。 責任は、私が取ります。 あなたは、可能な限り現場に足を運び、子どもたちの幸せのために、全力を尽くしてください。」

そう言う校長先生でした。


それでも、私以上に、子どものことを知っている校長先生でした。

一番子どものことを知っている人が、トップにいる。

だからこそ、そのリーダーシップが発揮できるのです。


学校の代表者として色々な会合に出席することは、大切な仕事です。

でも、最も肝心な子ども姿や保護者の声に耳を傾けないのであれば、何のために仕事をしているのか、わかりません。


すべての校長先生に、まず、現場の最前線にしっかりと立っていただきたい。

一人一人の姿が届かないでいて、決して生きた組織の運営はできないと思います。

自分のリーダーシップが、子どもの育ちに大きく寄与する手応えを、ぜひすべての校長先生に感じ取っていただいたいと願っています。


私は、公教育のトップである校長先生に、子育ての主体者であるご家族が、直接お会いになるべきだと思います。

行列のできる校長室

まさに、生きた教育がそこからスタートしようとしているのです。


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「すべての子どもに 集団での学びと 特性に応じた適切な個別指導の場を」

知らないことが、知らせないことが子どもを痛める (だからこそつなぐべき学校・園と家庭)

 2008-09-26
以前、通常学級の担任をしていたときに、ある保護者の方から 「どうして今まで知らせてくれなかったのですか」 と言われてびっくりしたことがありました。

今から10年以上も前の話で、どういう内容だったかは忘れてしまいました。

それまで、担任としてお子さんは責任もってお預かりする、不必要な心配はかけない、という教師としての自負がありましたし、いちいち個別に保護者の方に連絡する内容ではないと思っていたので、私自身、鳩に豆鉄砲みたいなったことが、強く印象に残っています。

時代はもう、そういうステージではなくなったな、と感じた瞬間でもありました。


特別支援学級の担任時代は、とにかく毎日連絡帳を書くのが楽しみでなりませんでした。ご家族の方も、毎日私が書くのと同じくらいの分量のお返事を書いてくれました。 ご家族はこの連絡帳が宝物で、いつかこの子が大人になる前に、記念に本にしたいくらいだ、と伝えてくれました。

写真入りの学級通信を、ホームページ風に仕立てて、年度末にはCDに焼いて渡しました。

私にとっても、活動の原点・生涯の財産として、今も息づいているように思っています。


今、私がしている個別指導では、ご家庭のニーズや情報は命です。

指導の後、可能な限りご家族のお話をお伺いするようにしています。時間がとれない場合は、メールのやりとりで密接に相互の連絡を取り合っています。

そこからの気づきで、指導の内容に工夫や改善を行うのは、日常的なこととなっています。


方法が見えているときは、連携も価値があります。 いわゆる具体的な内容連携というやつです。

「今、計算のやり方がわかってきているので、宿題でミスがあっても、中断させないでそのままどんどん前へ進めてください。修正は、次のステップとして私が責任もって指導します。むしろ、どこにミスがあるかを知りたいので、今回はアシストなしで、そのままでやらせてください」

とまあ、指導に方向感があるときには、連携も楽しいものです。


難しいのは、何か問題に直面したときの連携です。

私は今、ちょうどその学校・園と家庭の中間地点に立つ機会が多いので、そのことが時々浮き彫りになって見えてきます。

基本、学校・園は学びの場であり、家庭はやすらぎと育みの場です。 子どもの意識やスタンスも、決して同じではないはずです。

私は、不適応は、その行動自体に何らかのその子のメッセージが込められていると考えています。

学校で見せる姿と、家庭で見せる姿には違いがあって当然です。

時として、その姿が、学校・園に、あるいは家庭に、全然見えないときもあるのです。 こうした時に、一方がまるでそのことを知らないでいた、ということは案外よくあることで、知らせる努力も、感じ取る姿勢も大切になってきます。

サインをサインとして受け止め、それを共有化することで、問題解決に向けて前進するケースがあります。 時には、早めに動かなくてはならないケースもあるということです。 


その昔には、今ほど、学校・園と家庭との間に、「連携」という言葉の重みはありませんでした。

「連携」という言葉は、主体者としての保護者の立場に立った概念です。

参画する保護者の役割と責任が伴います。 いわゆる一定の自己決定や自己責任が尊重されてくるわけです。


個別計画作成の推進、ということが行政側から示されて久しいですが、私の周囲ではそこに保護者がメンバーとして加わったという話は、未だに届いていません。


学校・園に任せておけば大丈夫であれば、それは幸せなことです。 もし、そうでないなら、信頼できる機関や先生を捜したり、自分の子にあったサポートの方法を勉強したり、学校・園の先生と相談したり、そういうことはとても大切になってきます。

家庭は家庭なりの立場で、この子をこう育てたい、と伝えてくださると、教育内容はかなり方向感をもつし、指導内容も充実していきます。 

現実には、わかってくれる先生ばかりではなく、うるさい保護者というラベルを貼られることもあるかも知れません。 簡単にできるような事ではないかも知れません。

学校・園が保護者と連携しようとする場合も、保護者が学校・園と連携しようとする場合も、めざす方向と決心とビジョンがなければ、何にも前には進みません。 またそこを感じ、受け止め、子どものために生かしていこうとする姿勢がなければ、連携にも何にもなりません。


連携には、主体者としての保護者の存在が不可欠であり、そこを意識した学校・園の取り組みが重要になってくると、私は考えています。

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学校園の巡回相談

 2008-09-03
今日から、毎週水曜日に、ある自治体の巡回相談員として、その地域の各学校園に訪問させていただくことになりました。

基本は、9時から4時まで各学校園に伺い、何時間か子どもの様子を拝見した後、先生方の研修会・ケース会などに参加し、具体的な方策を考えたり、実践につながるアドバイスができたならなと考えています。

公立小学校を退職した身分でありながら、こんな形で自分の専門性を発揮できる場をいただき、うれしいし、精一杯、心を込めて自分の持ち味を生かしていければと思っています。

しかし、「何のためか」だけは崩さないつもりです。子どもの成長とご家族の幸せ、ここを曲げてまで迎合するつもりは、さらさらありません。

私を推薦してくれた方が、何を期待しているかは、理解しているつもりです。

学校現場も刻々変化していますから、その温度を肌で感じることも大切です。

私の強みは、何と言っても 「集団の中にしっかりと居場所を作り、それでいてその子の特性に応じた専門的な支援・指導を実現して欲しい」 という、多くの保護者の期待や願いを背負っていることです。

きっとすばらしい実践をされている、先生やお母さん方もいらっしゃることでしょう。

相談員には、相談員の役割がります。

どの子も伸びる~  こうした教育の確かな方向を見つめていくことが、きっと私の大切な役割だと心得ています。

1年半、最後までやり通したいと思っています。 それもこれも、私のかかわっている子どもの成長と幸せという足場があってこそです。

そう言えば、インターネット情報の中から優れた教育関連情報を選出し、紹介を分かりやすくダイジェスト版にした内容で発信するという 「学研EDUメール」 で、このブログを紹介してくださるというメールを先日いただきました。

ありがたいことです。

最近そのせいか、アクセス数も連日300を超え、励みになっています。

これもそれも、子どものため、みなさんの熱い思いがあればこそです。 私は私らしく、持ち味を失わず、これからも真心を込めて精一杯活動を続けていきますので、これからも応援、よろしくお願いします。

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子どもの自立と幸せを支える 各学校園の役割 (特別支援教育研修会)

 2008-08-04
今日は、標記のような内容で、ある自治体の特別支援教育の研修会に講師として行きます。

元小学校の教員ではありますが、今は「保護者のサポーター」が本職と自認していますので、このブログで皆さん方からお寄せいただいた、これまでの熱い思いを、ぜひ現職の先生方に伝えることができるようトライしてみたいと考えています。

よく考えたら、大学院の卒業(修了)証書を手にしてから、4ヶ月余しか経っていない・・・

自分としては、がむしゃらにやってきて、遠い昔のことのような気がします。個別の学習指導もこのブログも、いつも真剣勝負で、自分では魂を込めて取り組んできた。

なので、わずか4ヶ月の中で、他では替えることの出来ない大切なことを勉強し・吸収できたと思っています。

気楽にお引き受けした今回の講演でしたが、先週末にはかなり苦しみました。

皆さん方と共に考えてきた中身を、学校の先生方に理解してもらうことは、私に与えられた大切な使命のひとつだということが、心の中で、次第に大きく膨らんでいきました。

必ず理解してもらえる  必ず理解していただく  そんな思いがだんだんと湧き上がってきました。

先生方の気持ちを揺り動かさなければ、技術のみを紹介しても、決して実践にはつながらない。

子どもや保護者のところに届かないのだとしたら、こんなこと、時間をかけてするようなことじゃない。

だとしたら・・  だとしたら・・・

生身の今の気持ちを、ダイレクトに表現していこう、そんな思いが広がってきました。



母がどんな思いで我が子と向き合っているか?

せめての思いで、学校に何を期待しているか?

わずかな可能性であっても、希望をもって、真剣に教育に取り組んでいく姿勢が、どれほど子どもの幸せにとって意味のあることか?

子どもの認知特性に添った指導を工夫すれば、どれだけ学習の成果が期待できるか?

子どもの問題行動は、関係性の問題が大きく、決してその子だけに原因があるのではない。要因分析をして、適切な指導をすれば、必ず問題行動は解決できる・・・

そんなことを、心を込めて、訴えて来ようと思います。


パワーポイントは昨日完成、資料は今(当日の朝)印刷中

いつまで経っても、計画性はありませんが、心はすっきり、体もほぼベストな状態にコンディショニングできました。

この口が、どんなことを言い出すやら、自分でもさっぱりわかりません。

ちょっとワクワクしていますが、はてさてどうなりますことやら・・・?

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「対等」でありたい 保護者と学校・園との関係

 2008-05-30
昨日は、「手をつなく育成会」の保護者 教育懇談会に参加をさせていただきました。

今回で2回目の参加です。前回もそうでしたが、お子さんの「学び」や「育ち」に懸命に向き合っておられる保護者の皆さんのお話は、本当に心に響きます。

同じ会場にいるだけで、自分自身の心が磨かれていくようです。

今回は、重度の知的障害のある娘さんを、男手ひとつで育てていらっしゃるお父さんも参加されていました。

それぞれの方から、自分のお子さんの「育ち」や「学び」についての思いを聞かせていただくことができました。

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「お父さんに、もっと障害のことをきちんと受け止めて、理解して、そして協力をしてほしい」

「兄弟がいる地元の学校か、より専門的な指導が受けられる学校か迷っている」

「中学に入ると、これまでの生活や学習のリズムがくずれ、退行しがちになる」

「学校の対応次第で、障害のない兄弟がいじめや差別の対象になりやすくなる」

「トイレの介助のとき、異性のトイレに子どもといっしょについていくことは、どうなんだろう」

「自分の担任の先生に、専門性が乏しいように思え、他の学級の先生と比べてしまう」

「通常学級の通級での様子が見えない、伝わってこない」

「今、就労をめざす、とい親の強い気持ちと努力が問われている」

「地域の活動に、我が子が参加できる機会が少ない」

「知的な遅れはないが、日によって学習の取り組みに大きな差が生じてしまう」

「トイレの介助などで、ホームヘルプや支援費制度の利用は可能か」

「ADHDの子の薬の使用について考えている」

「応用行動分析の講座を、学校の公開講座でやっています」

「プレジョブの取り組みを、ぜひ自分の地域に広めていきたい」

「先生に言いたいこと、お願いしたいこと、学校にお願いしたいこと・・」

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どの発言からも、それぞれのお子さんに寄り添った、お父さん・お母さん方の熱い・真剣な思いがにじみ出ているようでした。

と同時に、それぞれの発言には、今の日本の特別支援教育に共通する、大切な課題が多く含まれていることを感じ取りました。

そのひとつが今日のテーマである、「保護者と学校・園との対等な関係」という考え方です。

私は今、保育園の経営者の一員として保護者の皆さんに接していると同時に、就学支援の相談員として学校や関係機関にかかわったり、自分の子どもの保護者として学校と接しています。

また、小学校の時は、学校の職員として、保護者の方とかかわってきました。

で、この経験をトータルして、導き出した結論は、「保護者と学校・園とは対等な関係であるべきだ」というものです。

これまでの経験の中で、一方的に保護者にやられまくっているケースにもふれてきました。

教育委員会の電話には、毎日何件という苦情電話がかかってきます。いつか知り合いの指導主事が、「SHINOBUさん、一日ここすわってみ、そりゃ、神経すりへるで。現場はええなあ」と会うたびに愚痴っており、市役所いくたびに、体重が落ち、顔色が土気色になっていくのを見ていました。

私も学校現場では、生徒指導や教務をしていましたし、保育園ではその担当者ですから、それなりの洗礼をあびてきました。ひどいケースは、精神的に追い詰められ、うつ病になった同僚も数多くいます。

また、それとは逆に、学校や行政・関係機関の上から目線、見下した態度、してやってるぞ感覚には本当に辟易しましたし、弱い立場の人には徹底的に権力をちらつかせ、平然と、当たり前のように威圧してくる担当者もいっぱい見てきました。

「親を甘やかすから、つけあがるのよ」と平気で言う教員もたくさんいました。

でも、私は結局この感覚にはついていけませんでした。

ある時、保育園の運営のことで、貴重なご意見をいただいたことがありました。ただ、やりとりの行き違いから、不幸なことにその方と対立的になってしまったことがありました。

そのときは、こんな方法で安易に受け入れてしまったら、職員に示しがつかない。「大きな声でクレームをつけたら物事が通る」では、他の保護者の方の信頼を失う。理不尽な方法には、責任者の一人として絶対に屈しない。と、力一杯対立してしまいました。

この対立は1ヶ月以上も続きました。私も、職員も、その方も、関係機関の方も、そしてそのお子さんも、目には見えないかもませんが、必要以上の緊張感とストレスを感じていたに違いありません。

で、結局、ある方に仲介していただき、私の判断で、その保護者の方にお断りの電話をさせていただきました。

このことで私はたくさんのことを学びました。

今となっては、その方がどれほど大切なことを私たちに伝えてくださったか、感謝の気持ちでいっぱいです。と同時に、真剣で熱い気持ちがあればこそ、ちゃんと伝えてくださったのだと、そのお母さんのことを理解する気持ちが芽生えました。

そして、この先、このお母さんに「本当に、この保育園に来てよかった」と思っていただくことがなかったとしたら、いくら発表会や運動会が好評だとしても、保育としての価値は、本物にはなりえない」と考えるようになりました。

それ以来、私は、これまでよりももっともっと、お迎えの時などに、そのお母さんも含めて、いろいろな方にお話をうかがうようにしたいと考えました。

不思議なことにそうこうしていると、このお母さんこそ、うちの保育園になくてはならないお母さんなのだと思えるようになりました。

あの時の争いは何だったのでしょう。

そのお母さんも、それ以来、笑顔で私に話しかけてくださるようになりました。

私は、このお母さんをかけがえのない大切な保護者としてかかわる。お母さんも、職員のがんばりや保育園のよいところを認めてくださった上で、ご意見をくださる。

これは、決して対立的な関係の時にはありえなかったことです。これで、やっと私たちの目指す対等な関係ができたな、と感じました。

今では、どんな些細なことでも、真剣に耳を傾けます。よかれと思う提案やご意見は、明日と言わず今日から実践します。こちらの方から、何かお気づきのことはありませんかと尋ねます。

今回のこのケースにしても、いろいろなとらえ方やご意見があると思います。こうした対立があったからこそ、今の関係が成立しえたのかどうかは、私にもわかりません。

学校・園に自分の思いを伝えたい、と考えていらっしゃる保護者の方は、きっと多くいらっしゃることと思います。

言い過ぎちゃ逆効果。言わなきゃ泣き寝入り。一体どうすりゃいいのよ、ってことになりますよね。

結論:まずはちゃんと言いましょう・伝えましょう。でも、上から目線にはきちんと抵抗しましょう。でも、感情的、対立的になると、お子さんも含め、多くの人が痛みます。そのさじ加減にレシピは存在しません。 

以上です。参考になりますかどうか?



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学校と連携するということ

 2008-03-28
先日、算数のお道具セットを購入するために、教材屋さんに連絡をしました。

小学校の現場にいたときからお付き合いのある教材屋さんで、とても迅速でていねいで、しかもお主人も奥様もすばらしいお人柄の方です。

わが保育園でも、学童保育の事業を実施しているので、ぜひ算数セットを購入させてほしい、というお願いをしたのですが。算数セットなら問題ないのですが・・・と、ちょっと困惑された口調でした。

瞬時にそれは「ドリルや教材は、一般には販売できないのです」という意味に受け取れました。そうか、自分は一般人で、公人ではないんだって、少し思い知らされました。小学校にいたときは、ちょっとひとこといっただけで、サンプルが山ほど届いてきたし、そういえば、試供品ということで、いろいろなものただでもらっていました。あれって、公権力?だったのでしょうか。

でも、こんなこともありました。ある学校の担任の先生と特別支援学級が、私の学習指導をしているお子さんのことで、情報交換や連携を視野に入れ、会ってくださるというお電話を昨日いただきました。無理かなって思っていた矢先なので、これはうれしいサプライズでした。

今日は、保育園として、発達の課題のあるお子さんのことを小学校にお願いにいく日です。小学校でも、人事が新聞発表されるなど、新年度に向けての取り組みが始まりました。

子どもの幸せと成長を真ん中に置くことで、これまで以上に機能的な教育連携のシステムが構築されるかもしれない、というのが今の私のテーマになっています。

学年ごと、1年ごとの輪切りの教育システムに、子どもの成長という縦の太い串をぶすっと突き刺す。

今、私のやろうとしていることは、こんなことかも知れません。



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先生との連携のあり方

 2008-03-21
先日あるお母さんから、こんな内容の連絡を受けました。

「明日から、給食もなくなり、家にいる時間が長くなります。春休みもあるのだけれど、その期間、できないから、わからないから、何もさせないというののもどうかなと不安になります。お忙しい先生に恐縮なのですが、何か先生から課題を与えていただけないでしょうか・・・」

私が関わりをもたせていただいているお母さんは、それぞれにどの方もすばらしい方ばかりですが、このお母さんもホントにすばらしいお母さんです。

私の方がいつもお母さん方に育てていただいているような気がします。

もしこのことをきっかけとして、指導者と家庭とお子さんが、機能的な学びのネットワークやシステムを築くことができたら、きっとそれはまちがいなく、その子にとって大きな財産になります。こちらがお願いしても難しいようなことを、お母さんの方から申し出てくださるのは、本当に有り難いことです。

お母さんと連携するためには、プロとして、現時点での学力面での分析力や今後の教育計画を、より明確にしておく必要があります。親が我が子を教えるのは、先生が児童を教えるより難しい面や配慮しなければならない点も多くあります。

しかし、その可能性は無限です。1+1が3になり4になることだってありえます。

私は、このお母さんの気持ちには、何としてでも答えたいと思います。指導者と家庭がこんな気持ちで結ばれることにより、プラスのことはあっても、マイナスになることはあり得ないと考えます。

担任の先生と対立的な関係になるのは、とても残念なことです。
でも、現実には起こりえることがらです。

先生をやる気にさせることも、親としての大切な仕事なのかもしれませんね。



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