母の命④

私は、小学校の頃より、両親が共にいない環境で育ってきました。
いつしかそれは、
「自分は望まれて生まれた子ではない」
「それはすなわち、生きている意味がない子だ」
という思いがずっと心の中を占め、自分は世界で一番不幸な子だと考えていました。
私が誰かにそのことを話すと、何人かの人は、「全然そんなふうに見えないよ、きっと小さい頃は愛情をいっぱい受けて育ったにに違いないよ」 と言ってくれました。
そのときは、とても複雑な思いでそんな言葉を受け止めていました。
連休中に、母が長年にわたりお世話になったギルフォード教育研究所にお伺いさせていただきました。
所長様をはじめ、皆様には、大変なおもてなしをしていただきました。
そのときに、ある先生がお伝えくださった言葉は、今でも私の心の中に深くしみわたっています。
私は、自分の母の介護を長年にわたり続け、それは言葉では言い表せないほど、とても重い時間でした。
SHINOBUさんの人生は、ある意味不幸であったという見方もできますが、では人のいう幸せな人生というのは、いったいどこにあるのでしょうか?
何か一つ足らないものがあったとして、そのことだけを考えていられたというのは、もしかしたらそんなに不幸な時間ではなかったのかも知れません。
あなたのお母さんは、きっとあなたのことを片時も忘れたことはないはずです。
人と同じような幸せが一つかけていたとしても、その分あなたのお母さんは、あなたの苦しみを一つ背負って旅立たれたのかもしれません。
母が、私と同じ教育の世界に身を置いていたということ、
その臨床の最前線で、日々子どもたちと向き合っていられること、
そして、何の迷いも無く、日々の仕事に集中して取り組むことができること、
誰が願ってこんな環境にいられることでしょう。
これが私の人生であって、そのことを誰かと何かと比べてみても、それはそんなに意味のあることではないかも知れない。
私の命がここにあることを、
私はここにきて、今はっきりと感じることが出来るのです。


基盤さえできれば
3歳の頃からレッスンをさせていただいていましたが、就学前にご主人のお仕事の関係で岡山から転居され、今ではお母さんんのご実家のある大阪の教室に通ってくれています。
小さい頃は、着席し、落ち着いて学習することが苦手なタイプのお子さんでした。
言語によるコミュニケートが十分にとれないことが、こうした行動の課題に結びついているように感じていました。
レッスンを積み重ねていくたびに、非言語ではありますが、活動を通したコミュニケーションが図れるようになりました。
絵カードや紙芝居などに生き生きと取り組み始め、心の通い合いとはこういうことなんだと、たくさんのことをこの子とのレッスンを通して学んでいき、いつの間にか、私にとってかけがえのない子どもの一人となっていきました。
先日のレッスンでこの子は、「アンパンマン」などたくさんの言語表出をみせ、「さようなら」 とあいさつをして帰りました。
数の認知や書字など、まだまだ伸びていってほしい内容はたくさんあります。
しかしながら、こんなふうに言葉を通して、コミュニケートができる場面に遭遇できたことは、私にとっても大変な喜びとなりました。
私が、何ごとにもあきらめず子どもの可能性を信じられる、その源泉は、きっとこうした場面に出会ってきたからに他なりません。
基盤さえできれば、そこに何かを積み上げていく学習は、本当にたのしいもの、
言語によるコミュニケートのパイプがつながったことにより、さらに豊かな可能性がこの子の前に広がっていくに違いありません。
先生のレッスンを受けにいくということで、私は大阪の実家に行きやすくなります、
お母さんは、そんなふうに笑っておられました。
母の愛情と信念が、きっとこの子の言葉の扉をこじ開けたに違いありません。
私はこうした母の気持ちを支えるためにも、自分に与えられたレッスンの一つ一つに真心を込めて取り組んでいきたい。
3歳になるまえから、ずっとずっとこの子の育ちにそり添ってこられた幸せ、
幼稚園の先生といろいろあった出来事も、今となっては、なんだかなつかしく感じます。
このお母さんが、何をもって私に、お子さんを託し続けてくださるのか、
そのお気持ちをしっかり受けとめながら、これからもずっと共に歩み続けていきたいと、心から願っているのです。

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人が勝手に作り上げる障がい

今、私たちの教室には、0歳から18歳までのたくさんの子どもたちが来てくれています。
まだ独立歩行の完成していない小さな子もいれば、高等部の3年生になり、連日職場実習で活躍している子もいます。
ダウン症のお子様の比率が比較的多いのは事実ですが、障がい名だけで何かを決めつけるようなことは決してしないようにと心がけています。
どんな子どもも、一人の人格者として尊ぶことが、すべての教育のスタートであると考えています。
発達にかかわる特性理解は、子どもの育てに生かしてこそ初めて意味をなすものであり、障がい名や数値を見ただけで、安易に分離してしまうことは、差別であると思っています。
もしも紙切れだけで子どもを切り離し、何でもかんでも区別しまう傾向があったとしたら、それは 「人が勝手に作り上げた障がい」 と言えるのではないでしょうか?
「白ゆりに来ると、何だか子どもの表情が柔らかくなる」
何人ものお母さんが、異口同音に同じ意味のことをおっしゃいます。
私たち職員は、それぞれの子どものもつ多様性を受け入れています。
自分とは違う、それぞれの子の特性を受け入れている職員のまなざしにふれ、子どもたちは自らの姿を投影して見ているのです。
多様性を受け入れることは、それぞれの子の人格を肯定的にとらえることと同じなのです。
それは、例えば他国の文化を受け入れることで、日本古来の文化の豊かさを見つめ直すことと似ています。
普段はなかなか行動の安定しないPDDの子が、ダウン症の赤ちゃんが膝の上に乗って来て、急にお兄ちゃんらしくやさしい表情に変わっていく様を、私はこれまで何度となく見てきました。
特性を理解して、より専門的で豊かな育てを構築していくことは、とても重要で大切なことだと信じています。
だからこそ、その根元には、地域の中の大切な子どもの一人として、しっかりとした居場所が必要なのです。
そんな所はどこにも無いと思いますが、「検査をして、分けて終わり」 の療育なら、ない方がましだと私は考えています。
しかし、私たちも、どこかで似たようなことをしていなかという、見つめ直しは重要です。
それを見失ってしまったら、こんなふうに、白ゆりの子の表情が輝くことはないのだと、私は考えているのです。

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音楽療法のりえ先生 博士号の学位取得が決定

うちの教室には、2人のりえ先生がいますが、この度、ミュージックセラピストのりえ先生が、博士号の学位を取得されることが決定しました。
りえ先生は、私が修士課程で学んでいたときの同級生になります。
りえ先生が博士課程に進まれると聞き、その間、どうかうちの教室を手伝って欲しいと、ぐどきにくどいたのは私です。
以来、週に1回、多くの子どもたちと一緒にレッスンをしてくだることとなりました。
特に、音楽を通しての非言語のコミュニケーションのアプローチは、私のマンツーマンレッスンを始める前の子に絶大な実績を残してくださいました。
学位を取得されたということで、4月以降は講師待遇で、ミュージックセラピーのレッスンをお願いしようと思っています。
これまでは、毎週水曜日の午前中ということでレッスンをお願いしていましたが、今後は、スケジュールを調整して、別の曜日や時間帯でも、レッスンのご予約を承ろうと思っています。
りえ先生の指導教官は、うちのスーパーバイザーをお願いしている眞田敏先生(岡山大学)で、先日このことも含めてご挨拶に伺ったところ、今後の研究のことで、大いに盛り上がり、早速4月からまた新しく取り組みに挑戦してみようということになりました。
私は実践のプロを自負していますが、分析や学術的な整理は苦手です。
その苦手な部分に、眞田先生を中心とした何人かの先生が、加わってくださり、チームの一員として研究を進めていこうということなったのです。
私が研究室におじゃましていた時、ちょうど4年生のゼミの真っ最中で、その中にうちでバイトをしてくれているまりこ先生が席に着いていました。
彼女の卒業研究に、きちんとしたアセスメントを入れて、指導にかかわってもらおうということにもなりました。
この春、あやか先生も修士課程に進学、
彼女の卒論を見せてもらいましたが、超卒論級で、正直驚いてしまいました。
彼女もきっと、りえ先生の後に続くに違いありません。
こうしたネットワークのすべては、子どもの成長とご家族の幸せのためにつながっていることを心に刻みながら、前へ前へと進んで行こうと願っているのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2013-2-17)

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支え合うということ 屈しないということ
衝撃の映像、
被害にあわれた多くの皆様方の深い悲しみを思い、ただただ呆然と立ちつくす瞬間がありました。
昨年、研修会でお世話になった福島の皆様方は、どうされているのだろう、
何とも言えない思いが、次から次へと心の中をよぎって行きました。
そんな中、想像を絶する苦難に立ち向かいながらも、人としての誇りと尊厳を失わず、ご家族のため、被災者の方々のためにと、前に進んで行かれようとする方々の姿に、強く心を打たれました。
そして、そうした方々の心の中に、「決して一人じゃないよ」 と祈りを寄せる、全世界からのメッセージにも、大きな感動を覚えました。
苦難に向かって、懸命に立ち向かおうとされている方を、決して孤独にさせることがあってはならない。
たとえ成り代わることはできなくとも、支えることなら、何かができる。
一人一人の小さな真心が、やがて大きなうねりになって、立ち向かう方々の希望の光になることを願ってやみません。
苦難の時だからこそ、未来を担う子どもたちに、大切なことを伝えなくてはならない
支え合うこと
決して屈しないこと
そして、何よりも大切な人の命のことを
こんな時だからこそ、
支える者として、自分がなすべきことをしっかりと見つめ、実行していこうと思うのです。
この記事は、「特別支援教育人気記事ランキング1位」に選ばれました。 (2011-03-21)

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そのすべてを 子どもとご家族の幸せに捧ぐ
大正4年に生を受け、そのすべてを子どもとご家族の幸せのために捧げた96年の生涯でした。
祖母は昭和11年、祖父と結婚しました。
昭和14年2月、身ごもっていた祖母を日本に残し、祖父は戦地へ赴きました。
4月に母が誕生しました。
我が子の顔を一度も見ることもなく、その年の11月、祖父は遠く中国の地で帰らぬ人となりました。
昭和15年、祖母は岡山市役所に勤務、昭和26年、岡山市初の公立保育園園長となりました。
公立保育園園長を歴任し、退職後に本園を創設しました。
働く母の先駆として、一切の妥協を許さず、生涯を、子どもの成長と、それを支えるご家族の幸せに捧げた人生でした。
祖母は、昭和62年に勲五等瑞宝章、平成4年に岡山県三木記念賞をいただきましたが、ただ子どもの成長とご家族の幸せだけを願い、社会福祉ということの魂を、いつもその生き方すべてで伝えているようでした。
高き山に咲くあの白ゆりのように、気高く高い理想に燃える保育を
そういう願いを込めて、本園は設立されました。
私たち家族の幸せも絆も、すべてはこの祖母の尊い志支えられいるのです。
私たちは、そのことを何よりの誇りに感じていました。
その祖母の志を、私は私のできることで、受け継ぎたい。
祖母のように、本物の教育者として子どもを育て、そのご家族の応援ができる人になりたい。
祖母は、年末の休日保育が終了するのを見届けるかのように、安らかに眠るよう旅立っていきました。
最期の最期まで、残された者に、その行く先を指し示すような祖母でした。
私たちは、出来る限りのことをして祖母を送り、そして、またその志を受け継ぐ一人として、これからも一人一人の子どもの幸せと成長を願い、そのことに真摯に向き合って行きたいと思っているのです。

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人間関係論的アプローチ研究会 第4回特別支援教育を考えるセミナー
今回は、次週に大阪に行かせていただくこともあり、土・日の指導の振り替えなどの調整がつかず、私は不参加なのですが、花子ちゃんの実践事例を当日の資料として、書き下ろしで寄稿させていただいています。 (セミナー修了後、このブログでも紹介させていただきます。)
正直、ここのメンバーはすごいです。
子どもに寄り添う教育実践のエキスを感じていただけると思います。
ご都合のつかれる方は、ぜひご参加くださいますよう、ご案内をさせていただきます。
( ↑ PDFの少し詳しい要項はこちらより )
人間関係論的アプローチ研究会
第4回特別支援教育を考えるセミナー
特別支援教育における人間関係論的アプローチ
「私と人間関係論的アプローチ」
<開催にあたって> 実行委員長 堅田 利明
特別支援教育を考えるセミナーは今年で4回目を迎えます。
昨年は340名もの方々に会場に集まっていただきました。
今年も多くの方々のお力添えをいただきながら大阪の地で開催いたします。
皆様方の熱意によって支えられてきたセミナーですが、一つの区切りとして今回を最終回といたします。今後の在り方については、実行委員のメンバーでゆっくり考えていきたいと思います。
また何らかのご案内をさせていただくことになるかもしれません。
これまでのセミナーで私たちは、関係の中で子どもを理解しようとする態度、子どもの障害特性にとらわれすぎないかかわり方、その工夫、子どもの内面に寄り添える支援のあり方、を伝えてきました。
第1回のテーマは、「切る保育・教育ではなくつなぐ保育・教育の提案」、
第2回は「子どもを見つめる目 自分を見つめる目 その間にあるもの」、
第3回目は「ハート&ハード 方法に思いをのせて」、
そして今年は「私と人間関係論的アプローチ」です。
さまざまな子どもとの出会い、かかわりの中から何を学ぶか、そして人が人とつながることの意味をご一緒に考えたいと思っております。
ご多忙の日々の中、短いひとときではありますが、ホッと一息ついて、子どもや自分自身のことを見つめられる場となりますことを願っております。
◆ 日 時 平成21年10月24日(土)13:10~17:30
(受 付 12:30 ~ )
◆場 所 大阪市総合医療センター さくらホール
◆ 参加費 無料
◆ 提案は全部で5つです。提案者、順番等は当日変更することが
ございます。
提案内容 「先生となら僕できるもん」
「乳幼児の現場で大切にされてきたこと」
「発達相談の場で出会う子ども達」
「子どもとかかわるということ」
「子どもとの出会い 学び そしてつながり」
◆お申し込み
今回、お申し込みは必要ありません。席は先着順とさせていただきます。
なお会場の広さの都合(330席)により、 お座りいただけなくなるかもしれません。なにとぞご了承ください。
★セミナーSTAFF(50音順)
青山 新吾(岡山県教育庁指導課)
石原 忍(岡山市白ゆり保育園)
片岡 一公(岡山県総合教育センター)
堅田 利明(大阪市立総合医療センター)
久保山茂樹(国立特別支援教育総合研究所)
永井 智樹(広島県福山市草笛学園発達支援センターくさぶえ)
古谷 充(山口県周南市立勝間小学校)
吉田 英生(岡山県津山市立西小学校)
●地下鉄谷町線「都島」駅下車 2番出口西へ約3分
●JR大阪環状線「桜ノ宮」駅下車東口を出て北へ 約7分

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保育活動専門員の資格をいただきました


連休は、皆様いかがお過ごしだったのでしょうか?
私は、今週締め切りの原稿が一つあり、唯一のお休みであるはずの月曜日も、ねじりはちまきでパソコンに向かっていました。(おかげで何とか下書きはできました。あとは読み返して、若干修正をするのみです。)
本日、私の元に保育活動専門員の証書が届きました。
この資格をいただくために、数回、みなとみらいや幕張メッセに出かけました。
最初の研修会で、AD/HDの特性理解について、えじそんクラブの高山恵子さんの講演を聴かせていただいたことが、強烈な印象として残っています。
それまで公務員だった私の感覚を、クライアント中心主義・子ども第一主義へと変換することができたのも、この研修会のおかげです。
また、全国の最前線の保育臨床現場で働く方々のエネルギーにも感銘をおぼえました。
私もそうですが、例えば研修会終了後、すぐに羽田に向かい、北海道や九州・沖縄で翌日からの勤務に向かわれる方を多く見かけました。
このパワーとエネルギーが、日本の保育をささえているのです。
私もこの認定証をいただいた者の一人として、益々日々の実践に心を込めて向き合っていかなくてはならないと考えています。
明日は、また小学校への巡回相談。
ここしばらく休みはとれそもうもありませんが、子どもの前には笑顔で立っていられる自分でいたいと願っています。
これからも応援、よろしくお願いします。

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これまでメールをくださいました皆様へ (お詫びとお願い)
今回は、これまで私のところにメールでご意見やご相談をくださいました皆様に、お詫びとお願いをいたします。
実は、昨日私の使っているノートパソコンがダウンしてしまいました。
教材のデータや指導に関わるデータは完全にバックアップすることができましたが、皆様方からいただいたメール記録のデータが一部消失してしまいました。
(平成21年4月25日~7月7日のメール記録が、完全に消失してしまいました。)
これまでにお寄せくださったご意見・ご相談の内容はすべて整理して保存をしておりました。一部ではありますが、皆様の貴重なデータを失ってしまったことを心よりお詫びいたします。
出張指導のお申し込みをいただき、空きをお待ちくださっていた方などへの連絡ができなくなってしまっております。
教室にお越しくださっている皆様、出張相談でお世話になっている皆様との、貴重なメール記録も消失してしまいました。
もし、皆様方でその期間のメールでの送受信記録が一部でも残っておりましたら、ご連絡いただけないでしょうか? 送信先 shinobu@mopera.net
パソコンそのものは、昨日リカバリー (パソコンを出荷状態のまっさらに戻すこと) をかけ、指導にかかわるすべてのソフトを再インストールしましたので、子どもたちの指導への影響はありません。
ブログに関わるデータにも影響ありません。
リカバリー後は、パソコンは快調に動いています。 今後益々の指導の充実と、子どもたちの幸せにつながる積極的な情報発信に努めて参りたいと思います。
ここ何日かは、私のパソコン、日に10回以上フリーズをしていました。メールデータの一部を消失したのは、私が不注意でメールデータのバックアップの確認を怠ったからです。本当申し訳ありません。
今後、二度とこのようなことが起こらないよう、十分なデータ管理 (バックアップ) に留意いたします。
私の不注意で迷惑をおかけしたしております。 大変なお手数をおかけいたしますが、ご協力よろしくお願いします。 <(_ _)>
子どもから絶対に逃げない
それは、どんな困難な課題であろうが、どんな重い障害であろうが、私の教室を選んでお子さんを連れて来てくれる限り、私は絶対に逃げてはいけない、ということです。
ちょっとでも逃げ腰になったら、すべての子どもの指導に影響します。
ここへ来るご家族の皆さんの多くは、これまで何度も、命がけの選択を積み重ねて来られた方です。
半端な気持ちで、お子さんの育ちに向き合っている人など、一人としていません。
私の心に、弱腰な部分があって、こうしたご家族のサポートをしてお金をいただくなんて、考えられないことです。
これまで、何十人というご家族の方と向き合ってきて、私はだんだんとそんな風に思えてくるようになりました。
ですから、もし、わずかでもそんなことになったら、私はブログも止め、この仕事から即引退します。 このことだけは、いつも心の中で自分自身に言い聞かせておこうと考えています。
私の友人に 「しがない臨床家」 と自分のことを称している奴がいます。
この臨床家という言葉は、言い換えれば 「現場の最前線にいる現役選手」 という意味です。
しがないという意味は、どんな高邁な理論より、しがない実践の方が、何倍も価値があるという意味だと、私は思っています。
男の心意気と、魂の込められた言葉です。
私はこの頃、自分のことを 「もぐりの教育屋」 と考えることがあります。
「もぐり」 というのは、規制の枠には、はまりません。 ただただ子どもとご家族のニーズのみに寄り添いますよ、という意味です。
最近、ご相談に来られる方の中には、費用の面で、公的な支援は受けられていないのですか? とか、 認可を受けられて、学校の授業を抜けてここに来られるようにはないませんか? というご質問を受けることがあります。
すみません、将来的にはどうなるかわかりませんが、私の教室、昨年秋までたった3人でしたので、そんな事、思ってもみませんでした。 少し、勉強の時間をいただけたらと思っています。
「教育屋」 というのも、今の私がこだわっている言葉です。
それは、お金を直接いただいて、指導に当たっているという誇り。 選んで私の所へ、足を運んでくださっているという誇りです。
私に子どもから逃げる気持ちがあったなら、きっと潮が引くように、私の教室から人はいなくなっていくに違いありません。
私の言葉、動作、所作、言動の一つ一つから、私の向いている方向・覚悟・決心・温度・空気を、子どももご家族も、日々敏感に感じ取っているのです。
私が親しくさせていただいている大学の先生は、「オレなんか、肩書きがあるから人は話を聞いてくれるけど、それなかったら誰もまもとに話を聞いてくれないよ」 と、酒席でもらしたことがあります。
私は、人格・研究内容共にこの先生を心から尊敬しています。
そういう気持ちがある先生だからこそ、1回1回の講義が輝いているのだと思いました。
もう私の後ろには、帰るべき道は何もなくなりました。
後は、日々ご家族の皆さんと共に前へ進んでいくしかありません。
今日も教室に足を運んで来てくださる子がいる限り、私は前へ進んでいきます。
私の教室は、駐車上の2階にあります。
時間が来て、コツコツと階段を上がる音がすると、私は 「今日もまた、私を信頼して来てくださった」 と、感謝の気持ちで一杯になります。
指導が終わり、また階段を降りられる時にも、いつもありがたいという気持ちで深々と頭を下げ、見送りたいと考えています。
中には高速で片道2時間近くかけて通ってくださる方もいます。
「先生の教室の名前の横に (岡山) という文字を見つけた時、本当にうれしかった」
「先生のような方が、岡山にいてくださって本当によかった」
こういう言葉の一つ一つが、私を奮い立たせ、別の人間に育ててくださっています。
自分の志を理解して、共に歩んでくださるご家族の皆さんが一人でもいる限り、私は決して逃げません。
「もぐりの教育屋」 ですが、私は120%本気モード。
しんどいとか、えらいとか、思ったことは一度もありません。
迷惑かけるといけないので、体調管理だけは気を付けて、これからも、毎日子どもに学ぶ喜びを体感できるような、そんな指導を目指していきます。
皆さんと共に歩む、共に育つ、共に作る学びの場の構成。
それが私の大きな目標となっているのです。

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関東地区 出張相談のご案内
以前より、遠隔地の方より、岡山に行きたい、岡山で相談や指導を受けたいというお問い合わせを何件もいただいていました。
1回に数万円の費用をかけて来ていただく療育が存在していることは、これまでの相談を通して、聞いていました。
しかし私は、持続可能な取り組みでなければ、子どもの利益にはつながらないと考えています。
私は、指導する者の視点ではなく、真に利用されるご家族のの視点に立って、かかる費用・かかる負担、を多くの方でシェアする相談(指導)のシステムができないかと、かねてから模索していました。
この度、神奈川県の保護者の方の、多大なご協力とご理解により、下記のように関東地区出張相談を開催できる運びとなりました。
相談をご希望の方は、下記のメール宛お申し込みいただければと思い、ご案内いたします。
関東地区 出張相談のご案内
白ゆり教室では、神奈川県 「秦野市保健福祉センター」 において、出張相談を行うことになりました。
相談をご希望の方は、shinobu@mopera.net までお申し込みください。
人数には制限があります。 今回ご希望に添えない場合は、次回以降、優先的にご案内をさせていただきます。(次回以降の期日は未定です)
指導・相談の前に、お子さんの特性やご家族のご希望について事前に、メールなどでお伺いいたします。
白ゆり教室 関東地区 出張相談
1 期日 平成21年3月8日(日) 9:00~22:00
2 場所 秦野市(はだのし) 保健福祉センター
http://navi.city.hadano.kanagawa.jp/tiiki-f/f-center/index.html
〒257-0054 神奈川県秦野市緑町16-3 (0463) 84-511
(新宿から小田急線ロマンスカーで秦野駅までは、所要時間1時間弱となっております)
3 内容
お子さんの特性に合った学び・育ちの場の構成について (就学・行動改善・学習サポートなど)
(相談の中に、お子さんの学習指導を組み入れることも可能です)
4 費用 1時間 (正味50分) 5,000円
5 指導者 白ゆり教室 石原 忍
【現在までの申し込み状況 】
9:00~ 9:50 予約済
10:00~10:50 予約済
11:00~11:50 予約済
12:00~12:50 予約済
13:30~14:20 予約済
14:30~15:20 予約済
15:30~16:20 予約済
16:30~17:20 予約済
17:30~18:20 予約済
18:30~19:20 予約済
20:00~20:50 予約済
21:00~21:50 予約済
今回の相談は、すべて予約済となりました。 次回以降の相談のご希望がありましたら、早めにお知らせください。 日程を調整して、優先的にご案内をさせていただきます。 (2/22)

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1528件のブログ拍手とキーワードから見える 特別支援教育の今
何か歩みを残しておこうと軽い気持ちで始めたこのブログも、皆様方の熱い思いに支えられて、今では私の活動の大切な柱の一つとなりました。
その間、313件の記事を書き、1528件の拍手をいただきました。
今日はその記事の中から、12以上の拍手をいただいた拍手とそのタイトルを整理して、特別支援教育の横顔を見つめてみたいと考えました。
さて、皆様はどんなことをお感じになるでしょうか?
【32拍手】
家族を苦しめ続ける「障害児」という言葉の響き 2008-9-17
【27拍手】
かれんちゃん コミュニケーションの扉を開く! 2008-12-17
【26拍手】
模索・選択・決断・創造・・ 真剣であるほど困難な 家族としての願い 2008-12-28
【23拍手】
支援の必要な子どもだからこそ、集団の中での学びが大切 (個別支援から、集団での学びへのシフトチェンジ) 2008-10-30
【22拍手】
言葉が出るようになった! 2008-3-22
【21拍手】
ある母の成長記録が 我が子の育ちに与えた 大きな力 2009-01-08
【20拍手】
甘くなかった 学校・園への具体的要望 (こんなことで 負けちゃいられない!) 2008-12-19
【17拍手】
発達の可能性を決めつけるという差別と偏見 (診断や専門性の光と影) 2008-07-05
【16拍手】
保護者として 学校対応への困難さにくじけない方法 (たった一つのアクションが運命を変える・・) 2008-11-27
今、安定していればそれでいいのではない! 希望がもてないのなら 幸せに育てられないのなら 死んだ方がまし (絶対にあきらめない 我が子の可能性) 2008-07-26
【15拍手】
心に突き刺さって ぬぐい去れない衝撃の一言 (決めつけは 子どもの未来を奪う) 2008-09-20
知能検査・発達検査の怪 (こんなもので 子どもを苦しませてはいけない) 2008-08-23
【14拍手】
集団で学ぶことの良さと 個別に学ぶことの良さ (強化子=ほめる の観点から) 2008-11-11
信じてこそ トライしてこそ見える 発達の可能性 (すべてが苦手だと 思っちゃいけない) 2008-08-09
【13拍手】
あまりにも不利な 保護者による学校・園との交渉! 2008-12-10
当事者にしかわからない 発達障害に対する差別 2008-10-01
言葉の遅れ、我が子はどのタイプか? (整理・類型化して見える支援の方向性 ) 2008-06-25
【12拍手】
かれんちゃん 君の笑顔は天使の笑顔! (ダウン症児へのABAセラピーの実践から) 2008-12-03
WICS-Ⅲなんかには絶対に表れない ほとばしる子どものやる気とその可能性 2008-11-13
我が子の環境改善へ向けて大きく踏み出した 母の強い決心 2008-11-07
読む・書く・聞く・話す・数える 優先して育てていきたい子どもの力 (ご家族と作る個別指導計画) 2008-09-07
安易に使って欲しくない「保護者の無理解」という言葉 2008-05-11

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「保護者掲示板」 活用のご案内
設置のけっかけは、このブログをご愛読のある保護者の方が、掲示板を通して多くの方の情報やご意見を伺いたい、というメールによるご提案によるものでした。
お正月より、掲示板の運営を始めましたが、わずか10日余りの期間に、内容の深い、多くの情報や意見の交換が行われました。
この掲示板には、心ない誹謗中傷・無責任な意見・ひやかしなどを防ぐために、パスワードを設置しています。
お子さんの学びや育ちに真剣に向き合うご家族のための、掲示板にしていきたいと考えています。
パスワードは、SHINOBU宛のメール に簡単な自己紹介を添えてくださった方に、お知らせをしています。
ぜひ、皆様方の大切なお子様の学び・成長、そして幸せのためにご活用いたければと思い、ご案内をさせていただきます。
皆様方の、真摯な、そして積極的なご参加を、心よりお待ちしています。

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特別支援教育における人間関係論的アプローチ
今日午前中は、保育園の運動会→すぐに大阪(セミナー)→日曜日12時には地域のイベント(岡山)となり、強行日程でからりきわどいところとなっています。
日程やスタッフは以下のようになっています。 このブログで私がお伝えしている内容について、全国各地で実践をしているメンバーです。 前回250人でしたが、今回は300人以上が確実な状況だそうです。
きっと、みなさんにお伝えできる何かをつかんで帰ってこれると思います。
もし、このブログをご覧の方で参加された方がいましたら、コメントなどいただけるとうれしいです。
第3回特別支援教育を考えるセミナーの開催にあたって
特別支援教育を考えるセミナーは今年で3回目を迎えます。昨年は250 名のお申し込みをいただきました。今年も多くの方々のお力添えをちょうだいして大阪の地で開催いたします。
関係の中で子どもを理解しようとする態度、子どもの障害特性にとらわれすぎないかかわり方の工夫、子どもの内面に寄り添える支援のあり方を、私たちは大切にしてきました。第1 回のテーマは、「切る保育・教育ではなくつなぐ保育・教育の提案」、2 回目は「子どもを見つめる目自分を見つめる目その間にあるもの」、そして今年は、さらに具体的な提案を意識しながら「ハート&ハード方法に思いをのせて」としました。ユニークな支援の方法は、子どもの内面に働きかける気持ちがあってこそ、はじめて息づいてくるものです。そして、人が人とつながることの意味、すなわち、「個が生きる」つながりを意識した特別支援教育を柱に掲げていきたいと思っております。
ご多忙の日々の中で、短いひとときではありますが、ホッと一息ついて、子どもや自分自身のことをみつめられる場となりますことを願っております。
2008 年10 月1 日実行委員長堅田利明
◇ 日時平成20年10月25日(土) 13:15~17:40
◇ 場所大阪市総合医療センターさくらホール
◇ 参加費無料 資料代1000円
◇ 日程10月25日(土)
12:30~13:15 受付
13:15~13:25 開会挨拶実行委員長堅田利明
13:25~13:40 基調報告「セミナーの経過」
山口県周南市立徳山小学校古谷充
提案の前に、セミナーがどのような思いで始まり、過去2回のセミナーで何を伝えようとしたのかを振り返り、簡単に整理してみます。参加された皆さんに、それぞれの提案をより深くとらえていただく手がかりとしていただければと思います。
13:40~15:15
提案1 「友だちがつながるためにできること」
岡山県津山市立西小学校 吉田英生
発達障害がある子どもへの指導・支援では、本人の特性を知り、それに応じた対応が大切です。同時に個に対する対応ばかりではなく、周りの子どもがその子どもをどう見ているかとか、クラスの一員としてどんなつながりをつくっていくのかといった点に指導者が目を向けると、適切なかかわりや支援が友だち同士にもみられるようになります。「障害のあるなしにかかわらず、どの子どもにも適切な指導と必要な支援は大切である」という指導者の意識の延長線上に関係作りはあります。友だちがつながるために取り組む障害理解の実践についてお話したいと思います。
提案2 「発達検査、知能検査を通じて子どもたちに伝えたいこと」
発達支援センターくさぶえ相談支援専門員(言語聴覚士) 永井智樹
発達相談では、どんなことが得意・苦手な子どもさんなのかを探り、支援の手がかりを考えるために、よく知能・発達検査を用います。親御さんや保育所・幼稚園・学校からの依頼で行うのですが、実はその子自身も「どうせみんなよりできない‥」「なんでぼく(わたし)ばっかり叱られるの」などと感じていることが多いようです。
検査結果から障害のタイプ分けやレッテルを貼ることが目的なのではなく、検査を通じて「きみの周りには、禁止や否定ばかりする人だけでなく、理解しようとする人もいるんだよ」ということを伝えられたらと思っています。
<休憩>
15:30~16:30
提案3 「親と子のつながりを支援することの意味」
大阪市立総合医療センター小児言語科 堅田利明
気持ちに寄り添ってもらえていると感じたとき、話をじっくり聴いてもらえていると感じたとき、人は、「大切にされている」「認めてもらえている」といった実感を持つことができます。これは、子どもだけではなく親も同じこと。
子どもの気持ちをどれだけ想像しながら理解していけるか。同様に、親の気持ちにどれくらい寄り添うことが出来るか。聴き手としての心構えや具体的な方法についてご一緒に考えていきましょう。
提案4 「子どもの発達を支える学校・園の役割と、保護者とのパートナーシップ」
岡山市白ゆり保育園副園長 石原忍
子どもを真ん中に置いて、保護者と学校・園が相互に信頼し合い、手を取り合う。あるべき姿はここにあります。しかし、現実場面では、複雑な要因が様々に絡み合っており、真剣に向き合えば向き合うほど、連携の難しさも浮きたってしまいます。今では保護者向けに家庭内での子どもへのアプローチ方法や学校・園との連携方法についても広く紹介されるようになってきました。
しかし、単に技術やスキルと言うことだけではなく、保護者や学校・園がどのような思いを載せて取り組むか、そこの部分が重要になってきます。子どもの発達・成長・幸せにとって、保護者と学校・園のパートナーシップは、なくてはならないものです。今回、そのあり方について、ぜひ皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。
16:30~17:30
まとめ「ハート&ハート『一緒』に進み『一緒』に考えるということ」
岡山県教育庁指導課 青山新吾
先日起きた悲しい事件。様々な事情の中で生じた事件なのだと想像します。そこから僕たちが学ぶべきキーワード、それを僕は『一緒』だと考えています。
『一緒』に考える。『一緒』に進む。『一緒』に怒る。『一緒』に笑う等。
これらを大切にした特別支援教育を考える時、そこに2 つのことばが必要なのではないかと考えるのです。1 つは、心意気を表す日本語。ハートです。そしてもう1 つは、心意気を型に表した日本語。具体的にどうしたら良いのかをことばにしたもの。ハードです。型=ハードを支える心意気を大切にことばにしながら、特別支援教育を作っていきたいです。今回は、具体的なお話を通して、このテーマを一緒に考えていけたらと思っています。
17:30 閉会
※ 片岡一公 (岡山県総合教育センター) 久保山茂樹(国立特別支援教育総合研究所)
(当日、都合により欠席)
みんなそれぞれの地域で活躍されている、子どもとご家族に寄り添ったすばらしい実践者です。

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発達面に課題のある子をもつ保護者の 中学校との連携 (双子の母さんの実践事例より)
文脈の中でのコメントですので、少しだけ語句を省略したり、つけたしたりしましたが、内容は以下の通りです。
学校教育の場でこその学びとは何か? を、この数年ずっと考えています。
子供の一人が特別支援級に移籍し、4教科は普通級、支援級で1対2で5教科の取り出し授業を受けています。(同級生1人の2人しかいない支援級です)その時間数やおおまかな内容については担任はきちんと希望を聞く機会を設定し、その後もことこまかに話し合いをしています。
ドリルにかんしては「自宅課題」とし、学校では複数だからこそできる「討論」「相互意見交換」ができる「共通教材」を使っています。
「国語の森」的な読解や単位・正負の数などの算数基礎概念を実地をつみながら行っています。理科は実験をくみ、準備・実施・レポート作成・片付け等の一連の流れを学ぶ、社会は時事問題をからめながら地球儀を用いて世界地理を学ぶ等々「作業」「知識」「SST]「実行力」等々の複合的要素の授業内容かなと感じています。
英語も会話、基本的な単語の読み書きも含め、PCのローマ字入力等の作業などです。(将来の職種拡大も含め、親の希望もあり1年から情報の授業も組み込みPCを日常使わせていただいています。)
支援級だからこそできることだとは思いますが、将来を考えたとき、二人の生徒に今何が足りない部分で必要で、長所で何が伸ばせるかよくかんがえてくださっていると思います。
軽度2人のみのクラスで、今までの支援級の経験とも随分違うようでお互い試行錯誤の毎日です。ときには多少、「それは違うでしょう」と思うこともたくさんありますが、子供は非常に伸びました。
IEPや個別指導計画書は実は作成していません。当初に親のアセスメントシートを提出してあり、小学校からの書面もあって「大まか基本路線」だけ設定し「自由な発想、臨機応変」で行ってもらっています。最終的には書面作成はしますが、能力、センスの高い支援者(親・教師)間で「相互理解」がきちんとできれば「書面」は最初になくてもいいのかなと思っています。
この自由なかつ十分な支援を「普通級」でもと思うのですが、現実には厳しいです。支援級でも来年度新入生が入れば形も変化するでしょう。
ただ、「普通の中学」で「普通の先生」たちでこれだけのことができることも事実ですので、今後も連携してがんばりたいです。
中1の今からサポート校、養護学校、高等養護、技術連携校はじめ、将来を見通した高校進路の情報や見学に先生自らも動いてくださる担任です。
親の考え、親の情報も真摯に耳を傾けてくださり、そうした先生が一人でも増えてくれるといいなあと思います。
「軽度~重度も含めた障害児教育の経験や地域での強み」を担任が生かし、
親の専売特許でもある「わが子に特化した先進的な情報や療育のあり方への取り組み」を親が親の会や書籍、専門機関との相談を重ねて学校へ提案している、そんな感じです。
支援級ですので「体力作り」や「作業」の時間も週4時間程度ありますが、その際にも「ルールを学ぶ卓球等ゲーム主体に」や「作業工程表を自分で記載する票」など工夫をされています。週2回の支援級で過ごす昼休みには「トランプ」等をしてSSTの一環として取り組みをしていますが、カードをきる、配るの様子で「手先の器用さ」や家庭での「ゲーム」への取り組みを推察してくれるような担任です。
PCも積極的に使われていますが、支援級での行事の感想文をPCに「ローマ字入力」「ひらがな入力」の両方でさせたり、計算ドリルもわが子は得意のため、待ち時間に電卓で確認させ丸付けをする。それでも時間があれば相手のお子さんのこたえあわせ役をする等々「支援級ならではの将来へのアドヴァンテージ(PC,電卓使用能力等)」を自然な形で行われています。
一番信頼できたのは「本人の特性を本能的に的確に判断」されていたことです。そして、強みを先行させ伸ばし、その後弱点補強をする形にするという点が親・学校間で無言のうちに一致していることでした。
おかげで子供の興味の幅がどんどん広がっていて、その成長に目を見張ります。支援級の二人は部活動も普通にこなしています。それを自然にできるのは学校全体の支える姿勢だと思っています。
「相互連携」(家庭、学校、専門機関)としてはまだ黎明期で手探りですが、お互いが好意をもって信頼してなんとか進めていけている状態です。
なんだか、まとまりない長文になってしまいましたが
中学での支援の具体例は意外にありません。
お役に立てれば幸いです。
最後に、こうした子供を本当に伸ばすには「個別支援対応」はやはり必要だと思います。普通級では人手がありません。中間的な「リソースルーム」が形でなく、理想的なプログラム実行可能な場所として欲しいと切に思います。
子供の目は正直です。
移籍を決めたのは子供です。
同級生が全交流で同じクラスで指導してもらう様子をみて
その担任に自分が指導してもらいたかったからです。
移籍による気持の変化もありましたが
それを支え、前向きな気持を維持させたのも担任への信頼感だったからです。
子供の信頼感は先生のやる気も奮起させている気がします。
私はこのブログを通して、子どもの幸せと成長のための、学校・園と保護者のあるべき姿を見つめていきたいと考えていました。
こうして、双子のママさんから一つの具体的な形を示していただき、ブログを始めて本当に良かったと感じました。
参考になるかどうかわかりませんが、私が双子の母さんの実践から学んだことは以下の通りです。
① 学校・園での学や育ちは、本質的に集団としての学びや育ちであり、その機能を生かした場を大切にする。
② 時間は限られているので、将来の自立や社会参加に目を向け、内容を吟味・焦点化したプログラムを構成していく。
③ 短所矯正ではなく、長所活用型の指導スタイルを構成していく。苦手な部分については、マルチセンソリーな方法で、アプローチを積み重ねていく。
④ 保護者は、自分の子どもの特性を理解し、それを整理して学校に伝える。(アセスメントシートなどの作成) 保護者と学校・園とで指導・支援の方向性を確認し、情報交換をしながら、弾力的にフレキシブルに対応する。
⑤ 家庭で出来ることについては、可能な限り保護者が積極的に取り組む。学校・園は学校・園として、もっとも専門性が発揮できる部分に焦点を当てて取り組む。
⑥ 子どもの成長や変化にかかわる情報を共有し、価値を適切に評価することにより、相互の信頼を深める。
⑦ 子ども自身の主体性・意欲・願いを中心に置いた学びや育ちの場を構成し、内発性の喚起と自己イメージの向上を図る。
双子の母さん、貴重なコメント、どうもありがとうございました。 きっと、多くの方の指針となることでしょう。
カリスマティックアダルトとしての支援者の存在
保育園のリーダー研修で、何の予備知識も期待感ももたず、最初はぼんやりと聞いていましたが、彼女の語りは、それまでの研究者とは、ひと味もふた味も違いました。
右の愛読書コーナーにある、高山恵子さんの「おっちょこちょいにつけるクスリ」は、図書館に予約入れてもなかなか借りることができず、しばらく花子ちゃんのお母さんの本をお借りして読んでいましたが、やっぱりどうしても手元に置いておきたくて、結局購入して、このパソコンのそばに置いています。
今日のトピックの「カリスマティックアダルト」という言葉は、その著書の中で、2000年に高山さんが参加したCHADD(ADHDの支援団体)の講演会で、ハーバード大学の医学部のドクターが、「ありのままの自分を受容し、課題をきちんと指摘してくれるカルスマティックアダルトとのかかわりが、人の人生を大きく変える」という部分から、引用しました。
Googleで用語を検索してみると
「よき理解者」あるいは本人を常に無条件で受け入れてくれ、また本人が全幅の信頼を寄せている成人のことを「カリスマティック・アダルト(Charismatic adult)という。本人を心から信頼してくれる「よき理解者」こそが、その子どもの秘められた才能を引きおこす最も重要なキイ・パーソンとなる。
一次障害(機能障害)についても、PDDがケース化するかどうかは養育環境や周囲との対人関係など、環境要因が深く関わっていると思う。教育現場では「発達障害が増えている」との声が聞かれますが、発達障害そのものが増えているのかケース化しやすくなっているのか、判別が必要。ADHDについて「カリスマティック・アダルト」の存在が重要である、と唱えている人がいる。カリスマと言っても強烈な人柄や洗脳ではなくて、その子を理解してくれて、モデルになる大人と言うことらしい。カリスマティック・アダルトと出会って人生に目標ができれば、ケース化しないで済む、あるいは大化けする、と言うことら しい・・・
最近、孝志君のお母さんから、頻繁にメールをいただいています。先日18歳誕生日を迎えた孝志君の就労や将来の事で、ご相談を伺っていました。
その相談の中で、お母さんがあるNPOのセミナーに孝志君を連れて行きたいので、孝志が信頼している先生の方から、パンフレットを送ったり、勧めてくれないか・・という内容のものがありました。
そのセミナーは、ぱっと見た感じ孝志君に合っているように思いました。 でも私は、まだ担当の方に会ったわけでもないし、心の底からそのセミナーを孝志君に勧めようと思う所には至っていないので、そこはお断りをさせていただきました。
私は、小学校の教師として、孝志君にかかわったものとして、ずっと長くこの子たちとかかわり続けようと思っています。
子どもの前では、いつも直球勝負。 目先のストライクをとりにいって、一番大切なことを失わないようにしたい。 それが正直な自分の気持ちです。
ずっと昔(今から20年近く前)、私が情緒障害児短期治療施設の派遣学級にいたころ、私はその施設に入所していた子どもに深く心を寄せていました。信じられないような厳しい環境の中を、明るく生き抜いている子どもの姿に、心を打たれていました。
しかし、当たり前のようだけど、自分の子どもにすることはできなかった。
だとしたら、心を寄せれば寄せた分、いつか結果として、その子の心を裏切ることになる・・・
卒業しても、電話をかえてくるその子に、線を引く作業は、本当につらく悲しいものでした。
若気の至りと言えばそれまでですが、それ以来私は、ずっとずっとその子に寄り添える寄り添える存在に・・・ 大したことは出来なくととも、死ぬまでその子を裏切らずに応援できる存在になろうと、固く決心をしたのでありました。
そのためには、軸がぶれないようにしたり、一定の距離を置くなどの工夫も必要なのです。
たぶん(これは期待ですが)、太郎君や花子ちゃんや友里ちゃんにとって、SHINOBU先生の存在は、このカリスマティックアダルトなのだと思います。
「私の指導は、特上の松坂牛です」 と、お母さんに伝えたことがあります。
どういう風に伝わったかわかりませんが、私が言いたかったのは、
「こんなもの、おいしいからと言って、毎日食べられるものではありません。本当は、毎日食べるごはんの方が、よっぽど大切なんです。つまりご家族の愛情が、毎日食べるごはんであって、それがあっての松坂牛、ということが基本です。たまに食べる松坂牛が、大きな幸せとなるよう、そこには工夫も必要です」
というような、ことだと考えています。
欲しいですね、こんな存在。 それが担任の先生なら、最高ですが。
高山さんは、著書の中で、こんなことも書いています。
「こんな話は、わざわざアメリカで聞くような話ではない。 欧米の真似ではなく、日本の学校にある昔ながらの、子どもを想う、熱心な先生方が培ってきた 「子どもにわかる具体的な指示、その子にあったていねいな指導」 を共有することが大切・・・・
まさにその通り
9/5 に紹介した保育園の先生も、それはすばらしい先生でした。
ちゃんとイメージしてればね、見つけることもできますし、チャンスもあります。 イメージなければ、隣にいてもわかりません。
それに、ご家族がそういう期待をもっていれば、その先生も、そんな役割になっちゃいます。 (きっと今の私は、ご家族の皆さんの願いに添った活動をしているだけなんだと想います)
今日明日に、と言うことではなくて、そういう流れを作っていくことも、ご家族の大切な役割だと、私は考えているのです。

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がんばれ鳶職! 自立に向けて (就労に向けて歩む教え子へのメッセージ)
そのうち一人は、中学から特別支援学級へ、もう一人は通常学級へ行きました。
通常学級へ行った子の様子を見に中学校へ行くと、その子はちゃっかり、何事もなかったように通常学級の教室でノートをとっていました。
その後、高校に進学したものの、結局1年位で中退してしまいました。
いつだったか 「おれは、○○高校へ行って、お父さんの跡を継ぐ」と、言った日のことが、目に焼き付いています。
一方、特別支援学級へ行った子は、友達からの心ない言葉に傷つき、中学生活の適応はかなり厳しかったようです。たまたま、お好み焼き屋さんで会った担任の先生から、そういう内容のことを聞きました。
高校は通信制のところへ行きましたが、この子も1年もたずにやめてしまいました。
私は、副担任でもあり、特別支援のコーディネートのようなこともしていましたから、その二人のご家族の方とは、ずいぶん時間をかけていろいろなことを相談していきました。
今から考えると、あの時、何が一番大切だったのか? 良かれと思ってしたこと・言ったことが、本当はどうだったのか、振り返り、何か複雑な思いに駆られるときがあります。
そのうちの一人が、このブログで紹介している孝志君です。
ご縁があって、5月と6月に一緒につりに行きました。
7月には、お母さんといっしょに、発達支援センターに就労相談に行きました。
では、8月は? と思っていると、孝志君のお母さんからメールが届きました。
この孝志くんと、小学校時代一緒に校内を徘徊していた男の子が、鳶の仕事を一緒にすることになった、という知らせです。
この孝志君の仲間は、今、ほとんで高校に行かず、深夜につりに行ったり、何をするのでもなくたむろしたり、果てしなくゲームをしたり、誘惑にはからっきし弱い、かなり危険な仲間です。
詳しくようすを聞いてみると、そのメンバーの名前は、当時私が生徒指導担当としてかかわった子ばかりで、今でも関係が続いているのか、何て狭い世界でぐるぐる回っているのかと、ただただ驚くばかりでした。
でも、私には、希望の光があります。
それは、つりに行ったときの孝志君の心は決して腐っていなかった、ということです。朝7時から、夕方4時までいっしょに過ごした孝君は、課題はまだまだあるけど、私にとっては愛すべきいい男です。
お母さんが心配している、鳶の相棒も、しばらく会っていませんが、きっと中身はそんなに変わっていないのだと思います。
むしろ、よくそんな状況の中でがんばってきたねと、抱きしめてやりたいような、そんな気持ちでした。
孝志君の携帯は、しょっちゅうアドレスが変わったり、機種が変更されます。
勉強じゃなくて、人生の大切な所、育てなくてはいけない、そんな思いでいっぱいです。
今回のアドレスでの返信が、なかなか返って来ないので、かなり気になっていますが、それはきっと、慣れない仕事でヘロヘロに疲れているからだと、勝手に想像しています。
もう少し経てば、いっしょにお酒も飲めるようになります。
きっと、あのメンバーは、それとなく続いているような気がします。
大したことはできないけれど、先生が君たちの一生の応援団であることだけは、本物であることを伝えたい。
そして、君たちは、まんざらでない、いい奴だということも伝えて行きたい。
そこさえしっかりしていれば、道はいくらでもあるんだよ。
せまい価値観で、必要以上に、自分たち追い詰めなくてもいいんだよ。
ていねいに、誠実に、心を込めて、社会の中で、自分らしさを発揮して欲しいと、これからも、心を込めて応援させてもらうからね。
そんなことしかできないけれど、先生が、ジジイになっても、そこは変わらない。

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企業からの就業支援の視点に学ぶ ② (障害の度合いは、場合によって就労に支障ない)
【NTTワークショップ夢工房の運営について】
・ 障害者雇用は、社員の一員として主役で働くことから、ボランティア活動ではない。
・ 障害者雇用の職場だから効率が悪い、品質も悪いでは企業に認知される職場にならない。
・ 障害者雇用だから赤字はしょうがない、では、障害者雇用の拡大は望めない。部門目標として、採算のとれるものにしたい。
・ 企業として収益性は重視するが、企業の理念や社会的な貢献、イメージなどから考えても、障害者雇用は、十分に取り組む価値のあることと考えている。
【弊社が経験から感じていること】
・ 障害の度合いは、場合によって支障ない。
・ 基本的な生活習慣が自らできると、一日の職場生活に早く順応できる
・ 働くことの動機付け、意欲づけはあるか 家庭でのお手伝い=お駄賃(給与へ)
・ 楽しみ方を知っているか 給与を使う=働きたいと思う
・ 職員の採用に際しては、保護者の子どもの自立に向けての熱意と努力が、判断の大きな材料になる。
・ 就職したからと言って、すべてを会社任せにしてしまうと、結果的に継続就労が困難となる。。(企業として、家族からの情報提供やサポート体制が必要となる)
【自閉症協会川崎支部長 明石洋子氏の講演内容から】
・ 家事労働が出来る中で、家庭の中での存在感が高まる。
・ お互いがいてよかった、と思え感じられる家庭であること。
・ 基本の行動ができて、自立した生活習慣。
・ 伝え方を工夫し、否定することよりも、ほめることを基本に
働くということだけに限らず、幸せに生きることの基礎要件として、自分自身の存在を受け入れたり、自分もちょっとはいけてるかなって、感じられることは、とても大切なことであると考えます。
集団への所属の欲求は、人間の基礎欲求のひとつです。
集団への所属感があってこそ、自己有用感が育まれます。自分が何かのことで、誰かに貢献できていると感じることは、それ自体が本人の幸せにつながっていると思っています。
こうした意味でも、子どもの就労は、私たちの目指す大切な方向です。
障害が、重度だから軽度だからということではない、と、高津部長は何度も口にされていました。
軽度であるがゆえに、余計周囲から理解されない、自分で自分をコントロールできないという、別なむずかしい側面があるのも現実です。
また、昨日のマドンナさんのコメントにあるように、そうは言っても収益性が先行すれば、重度の子は苦しい立場に立たされるという危惧も理解できます。
しかし私は、この先は、障害の種別・程度ではなく、人間としての根本の部分の育ちで、就労先は決められて行くのだと考え、その根本の部分をしっかりと見据えた指導・支援を行い、ほんのわずかであっても、こうした流れ世に示していきたいと願っているのです。
現実認識が甘いかも知れません。しかし、これからも自らの志をしっかりもって、持ち味を生かした活動を続けていきたいと考えています。

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企業からの就労支援の視点に学ぶ ① (親として 子どもつけたい力の優先順位)
ずいぶん前から、注目していた講座でしたが、予想通り、手応えは十分でした。今日は、その講演の中から、まず、「企業から保護者の皆様にお願いしたいこと」というトピックを紹介させていただきたいと思います。
【企業からお願いしたいこと】
保護者はお子さんの一番のサポーター
ご両親は将来どのような自立をさせたいか、目標を立てていますか?
・ 働きたいという意欲をまたせているか もっているか?
・ 障害があるからこんなことをさせるのはかわいそうだ、は、禁物
・ その子に出来るお手伝いをしてもらい → 達成感を与える ほめてあげる
・ お手伝いの継続性 → 仕事ができるようになります
・ 子どもが育っていないのは、学校のせいだと思っていませんか?
夢工房では、彼らに主役で働いてもらうために、各人の不足した部分を補います。(その人に合った治具=私たちは、仕事が出来なければ教え方が悪いと判断し、サポートの改善に取り組みます)
まず、前日にあった、新潟アルビレックスの中野社長の講演(昨日の記事で紹介)と、多くの点で、内容が重なり合っていたので、驚きました。
NTN夢工房岡山でも、障害があることでの、品質面での妥協や甘えは、一切認めないそうです。
それは、障害者の法定雇用率の達成というような安易な考えで雇用をしても、雇用の内容が本物でなければ、その方が正規の戦力とならなければ、決してそれは、長続きはせず、やがては競争社会の中で自然淘汰される運命にあると考えているからです。
逆に言えば、本人が力をつけ、企業が工夫をすれば、健常者を凌ぐ優秀な戦力になるという勝算がそこにあるということです。
ここに、我々が目指すべき大いなる希望と可能性が存在します。
私は、このお話を聞きながら、頭の中ではぐるぐると、孝志君や、太郎君や、花子さんや、友里さんの姿がかけめぐっていきました。
そして、やはり大切なのは、自分を客観的に受け入れながら、得意な行動レパートリーをもとに、「これならできる」「これは得意」「これなら私も貢献できる」という、自己有用感を育んでいくことです。
そして、そのためには、スモールステップで、できたらほめるという、応用行動分析的なかかわりの工夫が有効となります。。
しっかりとしたビジョンをもち、甘やかさないで鍛えなくてはいけません。
出来ないからと言って、親が子どもを責めると、子どものモチベーションは低下します。
大変だけど、出来ないのは私の設定の工夫が足らない、というように、親の方が発想を切り替えた方が、返って気が楽だし、結果としてうまくいきます。
うまくいかないのは、本人のせいではなく、本人とそのことの関係性が悪いのだと考え、その改善に向けた工夫をすることが大切です。
「人を責めない」「自分を卑下しない」「時間を守る」「約束を守る」「健康や安全に気をつける」「挨拶ができる」「あやまれる」「苦手なこと・できないことを担当者に伝えることができる」あ「自分の得意なことを知っている」「ルールーを守る」「楽しみや趣味がある」「目標や夢がある」「金銭感覚を身につけている」「同僚と仲良くできる」「何かで誰かの役に立つ」「自分なりの情報入力ソースをもっている」
しかし、こうした力はぜひ必要で、その力を身につけるためには、親としての、厳しさも勉強も粘りも根性も覚悟も必要です。
希望を失っちゃあいけませんよ。 あきらめちゃあいけませんよ。
しっかりとした方向性を見つめる聡明さと、決めたことをゆるめないド根性こそ命です。
ポジティブ思考で、どんどん攻めていきましょう。

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事業主として 発達課題のある方の就労について取り組むということ
私は、保育園の経営者の一員ですが、経営者としてはまだまだ駆け出しなので、こうした一つ一つが勉強です。
先日、発達障害者支援センターの就労指導の心理士さんに「事業主と障害者のための雇用ガイド」が、ハローワークにあるよ、という話も聞いていたので、そのパンフレットを手に入れることも、一つの大きなねらいでした。
私の保育園は、40人程度の職員がいる事業所です。
ハローワークでいただいた雇用ガイドに目を通しましたが、これがわかるようでなかなかむずかしい。そこで「おかやま発達障害者支援センター」という所に電話をかけて、いろいろと尋ねてみました。
まず、法定雇用率1・8%のことですが、計算すると56人に1人という割合になります。うちの保育園の職員は40人ですから、一人障害者の方を雇用すると、それで法定雇用率の1・8%を超えることになります。
ですが、56人以下の事業所では、2人以上の障害者雇用がないと、事業主に対する各種の特典は受けられないということでした。つまり、100人の事業所でも2人、5人の事業所でも2人で特典が受けられるということいなります。
この辺は、この法律が中規模以上の事業所を対象としていることがわかります。100人以上の職員のいる保育園など、そうあるものではありませんから、ほぼこの法律の対象外です。
障害者雇用給付金制度も、300人以上の事業所が対象ですから、小規模の事業所は、納付に関しても、給付に対しても対象外です。(ちなみに納付金は一人当たり50,000円、報奨金は一人当たり21,000円です)
もうひとつ気になっていたのが、孝志君の就労のことです。
孝志君は、小学校5年生の時にアスペルガーの診断をうけていますが、この子に対して様々な特典が受けられるかどうか?ということです。
担当の方にそれとなく聞いてみましたが、ただ単に診断がつけばフリーパスということでかなくて、専門の判定員による審査があるということで、孝志君の場合には、何とも言えないということでした。
マドンナさんのブログでも話題になっていた特例子会社制度も、大企業だからできるというものなのでしょうか?(勉強不足ですみません)
そうこうしていると、ある知的な障害のある方が、偶然にもハローワークの募集に応募してきてくださいました。
報奨金などの特典は何もありませんが、お人柄も良いし、何かうちの法人のカラーに合っているような気がして、ご縁があればぜひお願いしようと、園長と話を進めていました。
ところが、面接から帰られて、その方からまたお電話があり、少し遠隔地であったこともあり「別な仕事が見つかったので・・」というお断りの電話がありました。
「ご縁がなかったね。残念だね」と言って間もないうちに、応募されていた別な方からお問い合わせがあり、時間的なリミットも迫っていたので、別な方に決めさせていただきました。
私は、働いていただくからには、その方の個性や特性を生かして、ぜひ私たちの法人の目指す子ども成長やとご家族の幸せに貢献していただきたいと考えています。
単に与えられた業務を、こころを込めず形式的に流すような職員は評価しません、。利用していただく方の満足感や信頼感こそが、その尺度になります。そういう意味では、職員に厳しし職場だと思っています。
保育も調理も経理も警備も、どんな仕事も全部その方向に向けて、力が集約できる法人でいたいと考えており、この姿勢こそが、利用者である皆さんの信頼感・満足感につながっていくものと確信しています。
逆に言えば、この姿勢さえあれば、障害があろうとなかろうと、それは全く関係ありません。
何かの障害があるからということで、その人のもっているストレングス(長所)が生かされないのは大きな社会的な損失であり、そのことで公平な機会が与えなれないのは、差別であると考えます。
その方の行動レパートリーを生かし、発展させるという手法をとれば、もっともっ社会に貢献し、生き甲斐のある人生を歩んでいかれる方が増えていくのではないかと思っています。
そのための本人の努力や教育やサポートのあり方の研究も重要です。
全国各地で、新しい就労の試みも始まっているようです。
学校で学ぶ人生より、その後の人生の方がはるかに長いわけですよね。どんな形であっても、就労と全く無縁の学びであっては行けないのかも知れません。
私は、まだまだこの分野については勉強不足です。
就労に関わる中央の動き・地域の情報・そして皆さん方のお気持ちや願いを、是非とも、お伺いしたいと思います。
皆さんとともに見つめ、ともに考え、ともに歩むブログであり続けたいと考えます。
そう考えると、これも何だか楽しい。皆さん、これからも、どうぞよろしくお願いします。

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お子さんの就労のためのステップ (発達支援センター 就労指導担当の先生の話から)
指導をいただいたのは、若いけれども、人間味あふれ、とても豊かな指導性をお持ちの臨床心理士の先生でした。
お母さんが相談をされているDrの紹介を受け、今回初めて相談に伺ったわけですが、約束の1時半から4時過ぎまで、お母さん・私・先生の3人で、お子さんの就労を中心に情報交換をしたり、ご指導をいただいたりしました。
私が今回のご指導から学ばせていただいた最大のポイントは、「就労は結果ではなく、人の営みそのものである」ということでした。
私はここに来るまでは、「何とかこの子にふさわしい就労の機会を与えてやりたい。この相談を通して、この子にふさわしい就労の場を見つける糸口をつかみたい」 そんな気持ちを強く持っていました。
今でもその気持ちは変わりません。
しかし、単にそういう機会だけあっても、子ども自身の土台ができあがっていなければ、結局は続かない、ということがわかりました。
それは決して能力の高さとか、IQ値とか、障害の程度とか、そういうことではありません。
大切なのは 「働くということに対する意義を理解し、その意識を高めること」「自分自身を受け入れ・理解し・その持ち味を生かして社会に貢献していこうとする意欲や心構えを育てること」 であることに気がついたわけです。
先生は、就労ということについて、3つのポイントを挙げて指導をしてくださいました。
① 規則正しい生活のリズム
② 8時間仕事を続ける体力と精神力
③ 自分の特性を客観的にとらえ、それを受け止め、前向きに生きる姿勢
この子は、2年近く割烹で働き、私から見れば大きな成長を遂げることができたと思いますが、結局挫折してしまったのは、ものの見事にこの3つの内容からです。
まず、遅刻が多い。(夜遊びで起きられなかったことが何度かあったようです)
厳しい指導があると、何だかんだと理由をつけて、途中で投げ出してしまう。
そして、プライドだけが高く、自分の苦手なことを受け入れることができない。
このことに対する成長なくしては、いくらよい機会があったとしても、そのチャンスを結果的には逃がしてしまうことは明白です。
ならば、ここからアプローチしていくしかない。遠回りなようだけど、本丸はここだなと感じたのです。
この子が、、何かが苦手・何かが出来ない人を受け入れることができず、結果的にそのことが、自分自身を受け入れることができない、自分を肯定的にとらえることができない、ことにつながっていることを、私は理解しているつもりです。
そういう考えに至ったいろいろな要因についても、ある程度、知っているつもりです。
「自分の特性を受け入れ、理解し、上の①~③がクリアできれば、就労はできる」 と、先生は力強くおっしゃいました。
だとすれば、私がすることの道筋は見えてきます。
この子のセルフエスティーム(自己肯定感)を育てることです。
この子の存在を丸ごと受け止め、大切に育んでやることです。
私はこの子が大好きですから、幸いなことに、心理的な負担感は、まったくと言っていい程ありません。
目指す方向・向かう先が見えましたので、足取りもそんなに重くありません。
だとしたら、小細工せずに直球勝負。長続きする本物の気持ちを、行動を通して、ひとつひとつの言葉を通して、少しずつ伝えていくことです。
そのパイプをきちんとつなげることで、一定の効果はあるはずです。
具体的なレベルまでいけば、このすばらしい臨床心理士さんがついています。
「今日の相談に、来るように行ったけど、拒否された」 とお母さんはおっしゃっていました。
どうやら、彼とこの先生をつなげるのが、私のひとつの役割のようです。
でもそれは、ただ単に結果的にここに来ればいいというものではなく、ここに来れるまでに彼を育てるということに他なりません。
この子を育てるという営みは、決して彼だけのためではなくて、他の多くのお子さんやご家族の願いをのせているのだと、私は考えています。
このブログを読んでくださっている別のお母さんからも、「割烹で働いていたあの子は、今どうなんですか?」 とお尋ねくださることも、何回もありました。
就労は、その子の生活や人生の質そのものを左右する大切な営みです。
就労という窓から見える景色は、「その子がその子らしく生きるという課題そのもの」 なのだと、私は感じていたのでありました。

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就労についてのアイデアと道筋
私も、現在かかわっている教え子のことで、いろいろと思案をめぐらせている最中です。
また、社会福祉法人の一員として、何らかの形で貢献をしたい。そんなことも考えています。
たとえ少しくらい苦手なことがあっても、それぞれの人のよい所・得意な所をを生かして、社会に貢献し、お客様に満足していただける商品やサービスを安価に提供し、その内容によっては、独立採算・黒字経営・給料アップの夢をもって取り組むことができるような具体的なシステムが何とかできないか?
その具体的なモデルを、何人かの方の協力をいただきながら、実現できないか?
自分ごときに何ができるかと迷いながらも、これから親しい方と相談しながら、自分なりの形を見つけたいと考えているところです。
私は、3年程まえ、大学院のアシスタントティーチャーとして、養護学校の中学部に週1回行かせていただいていました。
その中等部では、陶芸や工芸などいくつかの分野にわかれて作業学習を行っていました。
そのできた作品は、バザーで販売しています。
できた作品は、かなりのできばえで、市販の既製品にはない手作りの味わいがありました。私は、その中で、とくに中心となってかかわっていたN君のざぶとんが、欲しくてたまりませんでした。
フェルトの生地をていねいに編み込んだもので、彼が大好きなサザエさんのシリーズ物になっています。
私はそのざぶとんがほしいがために、、バザー当日には、かなり前の方に並びました。それでも、すごい人が並んでいました。ちょっとせこい話ですが、前日にどこにその座布団が並べられているか、情報はゲットしていましたので、扉が開くと一直線にその場所に行って、何とかそのざぶとんを購入することができました。(波平さんのデザインの赤いざぶとんです。わかめちゃんやカツオ君のも一瞬で売り切れてしまいました。)
たしか、1000円くらいの価格だったと思いますが、正直なことを言いますと、オークションで5000円なら、絶対買いました。10000円以下なら、今でも出しても全然惜しくない思っています。付加価値が、市販のものと全然違います。私にとっては、一生捨てることのできない宝物です。
いつかテレビで、独立採算を目指して懸命に取り組んでおられるパン屋さんのことを知りました。
そこには、何のハンデキャップもなく、堂々と一般市場の中で競合しながらも、力強く前進している人々の働く姿が映し出されていました。
商売というものが、あまいものではないことは、容易に想像できます。
でも、それは誰しもが同じリスクを背負っているわけです。健常な方が、絶対にビジネスが成功すると約束されたわけでも何でもありません。多額の謝金を背負って破産するリスクは、誰にも、どの企業にも同じように伴っているわけです。
だからこそ、そこに公正さがあり、逆に働きがいや喜びや、生き甲斐が生まれるのではないかと考えます。
失敗するかも知れない、でも一発当たれば、利益が上がる。こうした市場原理や公正さ・公平さは、そこに働く者の意欲やモチべーションを強く刺激することにはならないでしょうか?
夢や目標をもって取り組むことが、そこに働く人のQOL(生活の質)そのもを高めることにはならないでしょうか?
電気だって、少々高くても 環境に優しい電気を購入したい、と考える人も増えてきました。
少しくらい苦手なことはあっても、自分の得意なことで真剣に取り組むことによって、商品やサービスにこれまでにはない付加価値を付ける取り組みを、採算のベースに乗せることはできないでしょうか?
「我が法人でそうした活動に先進的に取り組むことで、法人のもつ好感度はかなり上がる。例えその事業自体は、例え一時的に赤字だったとしても、宣伝費として考えると、元は取れる。安請け合いして失敗することは許されないけど、市場調査とネットワークづくりはやっていこう。」
昨日、さっそく園長とそんな相談をしたところです。
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発達課題のあるお子さんの 就労とQOL(生活の質)について考えること
高校をやめて、しばらくは割烹で働いていましたが、現在は引っ越しのアルバイトをしているということです。
この子は、5年生から教室に入れなくなり、中学は特別支援の学級に行きましたが、結局学校ではあまり適応できたとは言いにくい状況でしょうか?
私は、この子が6年生の時、副担任という形でこの子とかかわりました。6年のときは、通常学級に籍がありましたが、ほとんどは副担任の私が、別室でもうひとりの子といっしょに個別指導のようなことをしていました。
高校をやめた後、割烹では2年くらいがんばりましたが、それも先月やめてしまいました。しかし、この2年間で社会性は大きく向上したのではないでしょうか?
今の彼は、当然といえば当然でしょうが、小学校の時とは比べものにならないくらい、いい男に成長しています。
このご家庭は、お母さんと息子さん2人ということもあって、割烹をやめる間際のときに、お母さんから「まともな男の人に、この子の話だけでも聞いて欲しい」という、お葉書をいただいて以来のかかわりです。
「つり」というのはお母さんのアイデアです。私も、それなら自然で、長続きしそうな気がして、その子にメールを送信すると、すぐに反応がありました。
(メールのやりとりは、それ以前からも時折していましたので・・)
昨日は、笠岡というところへキスつりに出かけました。車で約1~2時間の距離のところです。朝7時の集合でしたが、車にのると30分もしないうちに、ぐーぐー居眠りを始めました。きっと、早起きする習慣はなくなってきているんでしょう。
この日は風がやや強かったのですが、快晴です。心地よい潮風と、瀬戸内海の美しい眺めは、私の心も彼の心も開放してくれます。
昼過ぎまでつりをして、帰るときには、いろいろなことを話してくれました。
特に、彼が生き生きとした口調で話してくれたのは、バイクのことです。原付バイクですが、きっと今の彼の宝物なのでしょう。塗装を塗り替えたり、ギヤを替えたり、いろいろやっているようです。どうやら整備士になりたい、というのは彼の人生の中では大切な営みになっているような気がしました。
私が、小学校の教師になりたいと思うようになったのも、ちょうど今の彼と同じような年齢の頃でした。
当時の私は、とても学校の先生を目指すような環境ではなく、その頃、私をとりまく人々の誰も、きっと私が本当に小学校の先生になるとは思っていなかったと思います。
(実際になったあと、何人かの人は本当に、驚いていました。ソフトバンクの犬のお父さんもびっくりですね)
私は、就学前に母と生き別れ、学童期に父と死に別れ、おまけに預けられた叔母は夜のお仕事をしていました。
特に父を亡くしてからの思春期は、きっと悲惨な中学生・高校生だったと思います。勉強も全然しませんでしたし(笑)
心の底では「なんで俺だけ・・」とか「自分は生きる値打ちがない」とか思っていました。ヤンキーにはなりませんでしたが、きわどいことは結構していたかも知れません。(秘密です。とても言えない・・)
精神面でボロボロになり、最後の最後まで行ったときに、何かの拍子に、突然、学校の先生になりたい、という気持ちがポツリと芽生えました。
雑誌か何かで、どうやったら先生になれるかということを調べたら、自分の学力でも、がんばったら何とか教員免許をとれる大学に入れることがわかりました。
金はなくても、新聞配達すれば、住むところと学費を出してくれるところがあることもわかりました。
「しかし、受験料や当面の金はどうするんだ・・」
だめでもともとだと思いながらも、私は、自分で調べたことと、自分の夢を、叔母に話しました。すると叔母は、今までに一度も見せたことのないような凛とした表情で
「この環境で、あなたはここまで勉強したんだから、大学には行かせる」
と、言い切りました。
その意外な言葉に、私は驚いたと同時に、その夜は、うれしくてうれしくて、流れる涙をとめることができませんでした。
結果、私は、教員免許のとれる東京の私立の大学に入学することができました。
生き別れになった母が、一時東京の品川に住んでいたことは知っていましたから、もしかしたら会えるかも、という気持ちも、心の中にはありました。(実際は、会えませんでしたが・・)
当然バイトもしました。額は平均より少なかったと思いますが、叔母は、自立できるまではと、仕送りも、学費も出してくれました。おかげで、何とか横道にそれることなく、初期の目的を遂げることができました。
この叔母は、本当にすばらしい人物でした。
入学して数ヶ月したときに、様子を見たいと言って、東京に来てくれました。
東京駅へ迎えに行くと、叔母は「銀座にお昼を食べに行こう」と言いました。
銀座なんて、行ったこともなかったし、安い店だってあるんだろうと思っていましたが、叔母は「ここがいいんじゃない」と言って、それまで行ったことの無いような高級店に平気で入り、たしか1万円くらいのものを平然と注文していました。
言っておきますが、普段は10円の物もけちる貧乏人ですよ。
しかし、叔母は普段は質素な暮らしをしていましたが、岡山の田舎から出てきたお上りさんであったかも知れませんが、銀座のど真ん中にいて、誰にも一歩も引かない美しい人物でした。
食事をしているときの物腰も態度も、学生の自分からみてもほれぼれするものでした。食事が済むと、叔母はたしか3万円くらいの小遣いくれて、私の部屋にも訪れることなく、すぐに岡山に帰っていきました。
私は、友達と麻雀したりはしましたが、教職の授業を一度たりとも欠席することはありませんでした。一般教養や語学はだめでしたが、教職に関連する授業はすべて一番前の真ん中の席で受けました。ここまでして東京に出してくれた叔母の思いを裏切ることなどできませんでしたし、先生になる勉強ができるなんてうれしくてたまりませんでした。
生い立ちや環境にかかわる偏見や差別に苦しんだ岡山に比べて、東京での生活は公平で、平等で、自由で、夢のように楽しい時間でした。
叔母は、そんな私の表情を即座に感じ取ったのでしょう。
1時間ほどの食事の間、叔母は、説教じみたことなど何も語らなかった。この日、どんな目的で東京まで来たのか、決して話さなかった。しかし、それから30年以上たった今でも。この日のことは、鮮烈に私の記憶の中に生きています。
この日を境に、私はこれまで抱いていた自分の生い立ちや環境のことについて、一切泣き言を言わないようになりました。
私が教員になり、岡山に帰ると、私がテストの採点をしているときに、何だかとてもうれしように横で眺めていてくれたことが、とても印象に残っています。
その叔母は、私が教員になって2年目にがんで他界しました。齢50にも満たず、美しいまま亡くなりました。
叔母と言っても、実は、彼女と私の間には、血縁はありません。
しかし、この叔母に教えてもらった「人としての真実」を、私は彼に伝えたい。自分もこのときの叔母と同じくらいの年齢になり、その恩返しをここで、こんな形でかなえたい。
これまでの彼の道のりも、決して平坦なものではなかったと思う。
しかし、私はいつの日か、彼が、自分の生きている意味を感じ、彼自身の尊さや個性、そしてお母さんの深い愛情に気づくように成長して欲しい。自分の好きなこと、得意なことで、自分らしい道を歩んでほしい。
QOLとは、そういうことだと考えているのです。
叔母ちゃんのように、かっこよくはできないけれど・・
あの日、叔母ちゃんが語らずもがな、ぼくに伝えたかったのは、きっとそういうことだったんだと、私は今、思っているわけであります。
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教え子の就労②
小学校の時のこの子は、朝起きられずに家で寝ていたことがあったので、私は何度か家に訪れてふとんから引きずり出して学校に連れて行ったことがありました。
集団場面が苦手で、朝礼や運動会、何かの式があるときなどは、いつも別室かちょっと離れたところにいることの多い子でした。
理科が好きで、物の燃え方の実験などを準備してやると熱心に取り組んだり、その方面での知識もどこからともなく仕入れているタイプのお子さんでした。
やはり相手の気持ちを察するようなタイプではなく、よけいなことを言って、よくみんなから非難もされていました。
それにもう一人、似たようなタイプのお子さんが同じクラスにいたので、二人でいっしょになって、言葉が悪いかも知れませんが、好き放題しているような感じの子でした。
その友達は中学から、通常学級に行きました。二人が別な中学に行ったこともあり、その子は、中学からは通常学級でそれなりに勉強していました。ある高校へ入学もできましたfが。、結局1年くらいでやめ、今はお父さんといっしょに内装の仕事をしていると聞きました。
この子はというと、中学の特別支援学級もほとんど行けず、高校もすぐにやめてしまい、なかなか大変なコースに行っているので、どれほど態度がくずれているのだろうと思っていたら、意外なほどに礼儀正しく、きちんとした受け答えで対応ができていたので、これには正直驚きました。
その中学校は、当該地域の特別支援教育のセンター的な学校で、先生も信頼できる方と信じていましたから、ソーシャルスキルトレーニングなど、学校でも社会性を育てるための技はいくらでもあったはずです。そういった意味でも、この割烹での実社会のやりかたから、私たちは多くのことを学ばなくてはならないと思っています。
この二人は今のところ、学校は行けないけど、くじけそうになりながらも、仕事なら何とかがんばって行こうとしている感じです。
この子は親方から、これまでに教わった料理の手順を、レポート用紙数枚にまとめてくるように言われているようです。
しかし、字を書くことが極端に苦手なお子さんで、仕方なく、家の古いパソコンを引っ張り出してきて、相当な時間をかけて、レポートをまとめたようです。
「やっとできた」と思った瞬間、そのパソコン(ちなみにそれはウインドウズ98だそうです)がフリーズして強制終了、結局苦労して作ったデータの半分が消えてなくなり、ショックでやる気を無くしたというのです。
彼を知っているだけに、そのことが目に浮かぶようで、悲しい気分になりました。
数年ぶりあった彼とは、それからつりをいっしょにしながら9時間いっしょに過ごしました。大した釣果はありませんでしたが。彼は小さいながらも真鯛を一匹釣りあげました。この鯛は、小さいけれども何だか、神様のプレゼントであるような気になりました。
その共に過ごした時間の中で、これまで割烹でがんばったことが、どれほど彼を成長させたか、心ない差別や偏見のなかで、よくぞ自分を見失わずにがんばってきたことか、そして、たとえ多少の回り道をしても、決してそんなことは恥ずべきことではないことなどを、私なりの言い方で彼に伝えたつもりです。
「パソコンは先生の貸してやろう。明日半日つきあってやるから、親方にレポートだけは、絶対に出そう。」
「もう、いいっす、先生。実は親方に、ワープロじゃなくて、手で書けと言われていたので、やってみます。」
「それ、苦手だろ、大丈夫か?」
「でも、先生にそこまで手数はかけられないんで」
「そうか、なら、がんばれよ。来月、レポートだけは書き上げて、すっきりして、今度は笠岡までキスを釣りに行こう。楽しみにしてるからな。」
わかりました、と言って彼は帰っていきました。
その後ろ姿を見て、何とも言えない気分になりました。
「先生、レポート、書けました」
来月、そんなメールが届くことを心から願っています。
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教え子の就労
きっかけは、その子のお母さんからいただいた一通の葉書からでした。
内容は「きちんとした大人、それも男性に、いろいろと話をしてもらいたい。それだけでいい。私には先生しか、その相手としてふさわしい方は思い当たらない」というものでした。
「では、一度会ってお話を伺いましょう」ということで、そのお母さんのご近所のファミリーレストランで相談を承りました。
そこで、小学校を卒業してからそれまでの彼の歩みを詳細に伺いました。直前には、菓子箱に添えて、長々とA4の紙4枚にびっしりと埋め込まれたお手紙もいただきました。概要は以下の通りです。
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小学校5年生から教室に入れなくなり、校舎内をウロウロとするようになった。中学校は、特別支援学級に行ったが、総合学習など交流授業の時間には「どこが悪いん?頭?」とか、バス停でバスを待っている時には「シンショー」と何度かからかわれたこともあり、やる気をなくし、ほとんど学校には行けなくなった。
高校は、通信制のところへ何とか入学できたが、結局は続かず中退してしまった。
深夜にどこからともなく高校へいっていない友達仲間?がやってきて、朝方まで帰ってこない日が続いた。
これではいけないと思い、母がハローワークでたまたま見つけた割烹で働くこととなった。そこでは2年近く働くことができ、その途中からバイトから見習いという形で勤めるようになった。
なかなか手順が覚えられなかったり、コミュニケーションがうまくとれなかかったり、遅刻が多かったりして、何度も親方やおかみさんから厳しく注意を受けた。もう来なくていいと、何度も言われた。
あまりにも覚えが悪いので、おかみさんから「もしかしたら発達障害じゃないの?だったらきちんとそのことを教えてほしい」と言われた。
Dr.にそのことを相談すると「発達障害であることを伝えても、結局はそのことで首を切られるだけ。とにかく、それよりも遅刻やあいさつや約束も守るように育てていくことの方が大切」と指導を受けた。
今、親方から、これまでに教えてもらった料理の手順や作法をレポート用紙数枚にまとめてこい。という指示を受けている。
手で書くことが極端に苦手なので、古いパソコンを出してきて、何とかそれをまとめたら、機械がフリーズして、そのデータの半分が消えてしまい、またやる気をなくして、ふらふら遊びに行くようになってしまった・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とまあこんな感じです。
ここから、じゃあどうやって子のこと私との接点を、合理的に、自然に、長続きするようにつくりあげていくか?というお母さんとの相談が始まりました。最初から説教では、きっとこないのではないか?と思えたからです。
それで、出した結論は「いっしょに、つりに行く」というものでした。
つりなら、きっと自然に時間が共有できる。そして会話の中で、言葉と言葉の行間から、彼の気持ちを受け止め、そして応援のメッセージを彼の心に届けることができる。
そう考えたのでした。
約束の日。約束の時間に彼は、眠い目をこすりながらやってきました。
さっそく車に乗り、約1時間の行程の中での教育相談が始まったのですが、そこには、小学校の時、教室を飛び出して、砂場で水遊びをするような彼の姿はありませんでした。
言葉使いの丁寧な、あいさつのしかりできる(その辺の高校生よりもりっぱな)、見違えるほどしっかりとした彼の姿が、そこにはあったのでした。
これには正直驚きました。
結局、朝7時から夕方4時まで、その彼といっしょの時を過ごすことになりました。
彼と話した内容の中からいろいろと考えなくてはならないことや、大切なことが浮かび上がっていました。
そこことについては、また次回お伝えしたいと思います。
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教え子のその後(半端な気持ちじゃ付き合えない)
小さい頃の私は家庭に恵まれなかったので、養護施設にいたことのある子どもたちとの出会いは、その後の人生に大変大きなインパクトを与えました。
高校の時だったでしょうか?ある時、ふとしたことから決心したのですが、「一人くらい、子どものさびしい気持ちを受け止める先生がいても、いいんじゃないか?」というのが、私が教員を志した最初の動機でした。
今から思えば、当時の私は、とても大学に行けるような環境じゃなかった。それほど頭も良くなかったし、行っていた高校が商業高校だったので、そこから教員を目指すのは、結構ハードな道のりでした。それよりも何よりもお金がなかった。
でも、この思いは結構本物で、ひとつひとつの課題を何とかクリアできるだけの不思議なパワーがありました。そのおかげで、それこそ「死にたいほどあこがれた花の都・東京」へ行くことができたし、本当にいろいろな事件や出来事をくぐり抜けて、何とか初期の目的だった教員の採用試験に合格することができました。
その合格通知を手にしたとき、そこに書かれた短い文章を、穴が開くほど何度も何度も読み返し、その通知を抱いて眠るようにした若き日を時々思い出します。
飽き性で、何事も長続きしなかった私が、苦しいバイトも切り抜け、都会の誘惑も振り切って教員になることができたのは、ひとえにその志の成し得るところでした。
何のために教員を志したのか?どうして教員を続けるのか?その答えはいつもそこにありました。
ですから、幸薄い子どもたちへの出会いは、私の教員としての歩みを決定づけるに十分なものでした。
当時は、今ほど発達支援の理解は十分でなく、通常学級から派遣学級へ行く私を「左遷」と見る人もいましたが、その打診が校長からあったときに「派遣学級の子が、ぼくを呼んでる声がする」と、家内にしっかりとした口調で言った日のことも、今でも鮮やかに覚えています。
その派遣学級での子どもたちとの思い出は山ほどあります。どの子も通常学級での生活は不可能と、児童相談所から措置をされた子ばかりでしたから、飾り物などすぐに化けの皮がはがれてしまいます。日々の生活が、まさに裸の心・本音と本音・生身の人間の真剣勝負でした。
そこにいた子どもの人生は、自分のそれ以上に壮絶なものがありました。ケース会議でそのことを知り、もう一度その子の顔みると、よくぞ命を捨てずにがんばったことよ、と抱きしめてやりたくなるようなこともしばしばありました。
しかし、福祉のプロの対応は違っていました。それは厳しくも冷たいものに感じました。
なぜなら、気持ちを寄せれば寄せるほど、最後にはそれを裏切らなくてはならない日がくることを、経験として知っていたからです。
日に日に、子どもは心を寄せてきます。半端な気持ちじゃ付き合えなくなってきます。もしも真剣に、最後まで、その子の面倒をみるというならば、最終的には、その子を養子にする位の覚悟が必要です。
でも、そんなことはできない。頭がちぎれるくらい真剣に悩んだこともありましたが、やっぱりできない。結局うらぎることになる。見捨てることになる。こんなことなら、最初から近づいていかなければよかった。
卒業前の子どもにそんな思いを抱いたこともあります。
限界はあるけども、せめてかかわったその瞬間だけは、誠心誠意真剣に向き合おう。姑息な技は一切使うまい。カーブもチェンジアップもなしの直球一本勝負。
それが自分なりの結論でした。
ある子が、「先生、ぼくは通常学級へ帰ろうと思う」と言ったことがありました。ケース会議では、セラピストも生活指導もほとんどが反対でした。でも、ぼくはこの子がこんなことをいうこと自体が奇跡だと思っていましたら、何度も懸命に学校での様子をケース会議で伝えました。
結局、試験登校という形でその子は元の学級へ帰って行きました。私はというと、その後転勤で、また通常学級の担任に戻っていきました。
そんなある日、校長室から呼び出しがあったので何だろうと言ってみると、何とその子とお母さんが校長室で待っているではありませんか?
「先生、ぼくがんばっとるけえ。それを伝えたかった。じゃから来た。」
恥ずかしながら、感動してその時は言葉につまってしまいました・・・
今は、この子とはまったく別な子の、就労についてかかわっていくことになっています。
このことは、その子のお母さんのたった一枚の葉書からスタートしましたが、やっぱり拒むことはできません。けど、かかわればかかわるほど大変だし、中途半端になるくらいなら、できもしないことなら、かっこつけずに最初から撤退すべきことかも知れません。
無責任な対応は、相手に傷をつけるだけのことかも知れません。
小学校の時に、教室に入れず、校内を徘徊していたこの子。数年ぶりに今日会いました。
そこに一体、どんな姿の彼がいたか。
そのことについては、また後日お知らせしたいと思います。
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仲間の一員として受け入れることの大切さ
この子は今、週5~6日、料理見習いと言う形で働いているようです。当然見習いと言うことで、賃金は少なく、かなり毎日厳しい指導を受けているようです。
この子は、小学校の時からほとんど教室に入って勉強することはできませんでした。中学もあまり学校には行けず、高校も通信制のところへ入学したものの、結局は中退してしまいました。
でも、学校よりも何倍もきびしいこの割烹では、相当厳しい状況にもかかわらず、2年も続けることができています。
そこにはきっと、この子を一人の人間として扱う厳しさと、そして公平さ・優しさがあるのではないかと、私は思っています。
昨日、そのお母さんが私のところに宅急便でお菓子を送ってくださいました。その中に長々としたお手紙も添えられていました。
それを読むと、高校をやめた友達が夜中に何度も遊びの誘いに来たようです。夜の1時2時にやってきて、そのまま夜の闇へ消えていくようです。
こんな仲間でも、彼のことは受け入れています。一人の人間として、仲間として受け入れてくれています。だから彼は行くのです。
中学のとき、この子は特別支援のクラスにいきましたが、下校中やバス停やいろいろなところで、相当ひどい差別的なことを言われてきたようです。それなら、自分を受け入れてくれる友達のところへ流れていってしまうのもわからないでもありません。
程度の差はあれ、これに似たようなことはないかと、多くの保護者の方は心配されています。どれだけ社会や学校は、真剣に、こうした子どもたちの痛みを受け止めることができているのでしょう。
今日私は、そのお母さんのところへ訪問しようと思っています。
何ができるか?
それは、「世の中は厳しいし、つらいことも多いけど、そうじゃない人・君の応援団もいるんだよ」ということを彼の心に届けることだと思っています。
小学校の副担任だった先生と、こうやってまた会えるのも、なかなかじゃありませんか?よく割烹でこれまでがんばってきたことよ、と抱きしめてやりたいような気分です。
以前なら「くそじじい。生きていたか」みたいなこと言っていた彼ですが、少しは成長しているのでしょうか?
巡る因果の糸車、はてさて、どんな形になりますことや?
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割烹で働く教え子
そのお子さんは、小学校を卒業してもう数年になり、年齢的には高校生になっています。
今は、割烹で働いているそうです。もう1年以上続いているのでしょうか?彼のことは理解しているつもりですので、お店の方もその子も、本当によくがんばっていると感じました。ii
でも、遅刻が多かったり、指示にすぐに従えなかったり、生活のリズムが乱れがちになったり、誘惑にすぐまけてしまったりと、解決しなくてはならないくつかの課題があっるようです。
わざわざお便りくださったので、それはよっぽどのことです。まずはそのお母さんと会ってみようと思います。そして、たいしたことはできませんが、できれば彼のいいところが生かせる支援を探ってみようと思います。
どんな形になるか、まだ想像できませんし、たいしたことができないかもしれませんが、彼のエネルギーをマイナスに転じさせるのは、社会的損失です。
あとに続く子どもたちのためにも、何とかがんばってみようと思っています。
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誕生日!
一番下の娘が「これプレゼント!」と言って小さな袋をくれました。中を開けてみるとそこには、ぬれせんべい・ポテトチップス・かっぱえびせんが入っていました。
「何買おうかと思ったけど、500円しかもっていなかったから、これしか買えんかった」と言って手渡してくれましたが、大好きな3点セット、ちゃんと知ってくれています。親子だから当たり前なのでしょうか?
とっても幸せな気分になりました。
上の2人は何もくれないし、何も言ってはくれませんでいたが・・・
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岡山に帰ってきました
保育園研修としては,初の参加でしたが,いろいろなことを吸収して帰ってきました。
飛行機代を使っても,元はとれたと思いますよ(笑)
今,愛用のノートパソコンが壊れ,本当に困っています(泣)
一日も早lく,いろいろなことを整えて,発進していこうと思います。
どうぞよろしくお願いします。