大きな一歩

 2017-08-16
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保育園の一時保育の中野入り、サーキットを頑張っているダウン症男の子がいます。

発達支援センターの赤ちゃん体操にも通ってくれていて、独立歩行まであと一歩というところですが、先生に手を引かれながらも、みんなと一緒にサーキットに取り組んでいました。

こうした中では、活動の場の構成がしかりとしているので、多くの子どもたちの輪の中で、いつも以上に活発に取り組むことができています。



給食が終わり、通所支援の教室に戻ると、担当の先生とのマンツーマンの活動が始まりました。

その子は先生の目の前で、どうだと言わんばかりに、何度も何度も立ち上がってみせてくれ、それを見ている私たちには、都度都度に熱い思うがこみ上げてきたのでした。


独立歩行は、単に運動機能の発達に寄与するだけではなく、その子の知的な発達に多大なプラスの効果をもたらせてくれます。

もちろん、歩けないけれど知的な学習がぐんぐんと進んでいる子もいます。

その上で、その子が一人で歩けるようになってきたと言うことは、その子の中で、教科学習に通じる知的なレベルの、多面的な力が備わってきたことを意味するのです。


何かが出来るその小さな一つ一つの積み重ねの中にこそ、未来につながる大切な種が、きっとぎっしり詰まっているのです。

子どもの可能性は無限です。

その可能性を信じて、土を耕し、しっかりと種をまいていくことの出来る実践者。

私たちの目指す教育の形が、きっとそこにあるのです。








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技術を伝える 心を伝える

 2017-08-14
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今では大阪和泉市でレッスンをさせていただいていますが、大阪堺市に出張レッスンに伺うようになってから、かれこれ8年くらいになります。

あの日、3歳くらいだった子も、もう5年生になりました。


この日は小学校の先生が2名、私のレッスンを参観しに来てくださいました。

45分のレッスン中、一度も集中力が切れることなく、向上心満々のすばらしい学習ぶりでした。


私のマンツーマンレッスンは、当該学年の題材を使って、その子が生き生きと取り組むことができるように、提示の仕方であったり、内容の焦点化であったり、その支援のあるべき形を、実践を通して具体的に明らかにしていくことが、大きなねらいの一つになっています。

レッスンが終わった後、ほんの15分程度ではありましたが、この日準備した教材などのポイントについて、先生方にお伝えさせていただきました。


さすが休日返上で、ここにお越しくださった先生ですので、お二人ともとても研究熱心な先生でした。

拙い実践ではありましたが、何か一つ大切なことをお伝えできたように思え、とてもうれしい気持ちになりました。


↓ この日もご両親でレッスンをご覧いただきましたが、レッスン修了後には、以下のような内容のメールをいただきました。


昨日は丁寧なご指導いただきありがとうございました。見学に来られた先生方も大変喜んで下さいました。
娘の将来の為や私達親の思いを学校の先生方の気持ちや立場を理解して優しくアドバイスされているSHINOBU先生の姿を見て私も大変勉強になりました。
私達の思いをとてもわかりやすく熱く代弁して下さり嬉しくて胸がいっぱいになりました。
この貴重な時間が娘だけでなく全ての子供達の為になってくれたらと心から思います。
本当にありがとうございました。



娘の記事をブログにアップして下さりとても嬉しく思います。
娘に見せると目をキラキラさせてSHINOBU先生と勉強している写真を何度も見ていました。
学校の先生方の心を動かすことができましたのはSHINOBU先生のお陰です。
この記事を読んで障害児やその家族そして教育に関わる方々の気持ちを変えることができれば幸せです。
これからもご指導よろしくお願い致します。







私が先生方とお話をしているとき、その子は神妙な顔で私たちの方を見つめていましたが、その話が終わるやいなや、私の顔を見て、小さなガッツポーズをしてくれました。

手応え十分の一日、

何て経とうがレッスンは、いつも子どもとの心のつながりがあってこそ、豊かになっていくものです。


その一番大切なことが、どうかお二人の若い先生方の心に響くものであってほしい、

その志さえあれば、きっと技術は日々向上していくに違いないのですから…






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自作教材の威力

 2017-08-07
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画像の教材は、「ぽっとん落とし」 というネームの自作教材です。

ぽっとん落としにも、色々なタイプがありますが、この透明の容器のものが、私の教えている子どもには効果的です。


まずもって透明なので、中のようすが良くわかる、

軽くて扱いやすい、

子どもの視線を超えない適度な容器の高さ、

おまけに側面にも、もう一つ入り口がある。


市販の玩具に見向きもしない子でも、今のところ100%食いつき率を達成しています。

なぜそんなに楽しいのか、私にそれを分析したり、実証したりする力はありません。

しかし、それがどうであれ、今では私のアイテムの大切な一つになっています。


こうしたアイテムや引き出しがいくつあるか?

これまでの多くの子と培ってきた宝物が、こうしてまた次の大切な子どもたちの育てへと、脈々と受け継がれていくのです。








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師を師として仰ぐ

 2017-07-31
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今日は、今年から広島文化学園大学に異動された眞田先生のもとに、広島市まで伺いました。

大学は、岡山から高速で約2時間、広島市の高台にありました。

来年2月に発表を予定している研究会での演題について、ご指導をいただくことが第1の目的でした。


内容については、相変わらずも妥協のない厳しいご意見をビシバシといただきました。

同じ大学の先生方にも、私のことを紹介してくださいました。


いつもながら、この先生の研究に対するほとばしるような情熱は、一体どこから湧いてくるのでしょうか、

当然そうだと覚悟していましたが、大学を変わられても、その姿勢には微塵のぶれもありませんでした。


夕方前まで研究室でご指導をいただいた後に、大学から15分ほど離れた、さらなる高台にある 「天空の喫茶店」 にお連れいただきました。

初老のご婦人がお一人で切り盛りをされているお店でしたが、まさにこの世の別天地、

まるで時が止まったかのごとく、豊かで潤いのある時間を共有させていただくことが出来ました。


きっと来年もまた、ここを訪れることになるのでしょう、

私は、心から師と仰ぐ先生が、ずっと自分の心の中にいることを、何よりも幸せに感じているのです。


相変わらずSHINOBUちゃんは、奥さんの手のひらの中で踊らされているね、

先生は、私の顔を見るたび、いつもそう言います。


そこそこの実践を積み重ねいないでいて、どうして笑顔で先生にお会いすることが出来るでしょう、

来年2月の研究会もさることながら、次の学会発表に向けたまた新たな課題もご提案いただきました。


エビデンスのない、いい加減なものを積み重ねていると、きっと大切なものを見失っていく、

だからいつも、科学的に実証できる何かにチャレンジしていきなさい、


この先生なくして、今の私など到底どこにもありはしません、

どこにいても、何年経っても何も変わらぬ師弟の絆

教育の神髄は、きっとこんなことにあるのです。







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夢をもって学ぶ

 2017-07-30
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私が就学前からサポートさせていただいている女の子が5年生になりました。

低体重での出生ということで、小さい頃はご家族がとても心配をされていました。

通常学級での学習なんて、とんでもないと、療育の先生に指摘されたこともありました。


小学校に入学してからは、その子は元気いっぱい、

お友達と一緒に、生き生きとした学校での学習を積み重ねて行きました。


特に漢字学習には熱心に取り組み、50問テストで何度も100点を取ったり、漢検も級を上げて合格するほどになりました。

都道府県名も、その形を見ただけで百発百中、

絶対音感も完璧で、私にはできないパフォーマンスも次々に見せてくれるようになりました。


先日この女の子が、近くの私立の中学校に見学に行ったそうです。

その子は一発で、その中学校が気に入ったようで、しっかりと勉強して、絶対この中学に入学したいという気持ちをもつまでになりました。


まだ5年生ですし、この中学校とご縁がつながるかどうかは、全くの未知数です。

私は、お母さんのご相談を伺いながら、もしも本当にそうなったら、どんなにすばらしいことだろうかと、期待に胸がいっぱいにふくらみました。


数年前に、この子がアンパンマンのパズルがうまく出来ずに、泣き出した日のことを忘れることはできません。

あの日、この子が数年後、私立の中学校を受験を検討しようかというほどに、成長する日が来ることを、一体誰が予想すること出来たでしょうか?


希望をもって学ぶこと、

夢をもって学ぶこと、

その美しさや喜びを、教えてくれたのは一体誰でしょう。


価値ある何かに向かって歩み続けること、

子どもにとっての学びは、生きることそのものであると、私は信じているのです。










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つながるということ

 2017-07-29
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新大阪教室に通ってくれている2年生の男の子が、お父さんのお仕事の都合で、この夏に仙台に引っ越すことになりました。

新大阪の教室が出来るまでは、ずっと大阪から岡山まで通ってきてくれていました。


あの頃は、50㎡にも満たない小さな2階建ての建物で、文字通り手探りでの実践を始めたのですが、関西方面からたくさんの方が次から次へと訪れてくださいました。

これでは申し訳ないと、新たに作った新大阪の教室も、今年でもう4年目になりました。


冬休みには、また仙台から来ます。

この日お母さんは、そう言って教室を後にされました。


そう言えば、これまでにも、お父さんのお仕事の関係で、ここを卒業していった子もたくさんいます。

入会当初は様々な課題に向き合っておられた子が、3年5年と過ごすうちに、見違えるように成長して、晴れやかな顔でここを巣立っていった子もたくさんいますし、その頃は夢のまた夢で会った一般高校への入学を成し遂げここを卒業した子も、一人や二人ではありません。


そんな子が、時々忘れたように、私を訪ねてきてくれることがあります。

この仕事をしていて、何よりもうれしい瞬間がそこにあります。


「何年経っても、先生は全然変わらない」

ほとんどの子が、口をそろえてそう言います。


立場がどんなに変わっても、私のいる建物がどんなに変わっても、私自身は本当に何も変わっていないのだと思います。

私のこの軸は、変えたくても、もはや変えようがないのです。


2学期になったら仙台に行くこの子に、いったいどうような出来事が起こるのか、予想することは出来ません。

でも、この子と私とが、学びを通して積み上げてきた大切なことは、何年経っても何十年経っても、きっと何も変わりはしないのだと、私は確信しています。


あなたたちが帰ってくる場所の扉を、私は決して簡単に閉ざしたりはしません。

先生は、まだたくさんの子どもたちに勉強を教えているの?

そのことが本物であることを示すためにも、君たちとずっとつながっていくためにも、私は生涯この道を歩み続けていくのです。








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私が伝えたかったこと

 2017-07-27
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今週の月曜日に、就実大学での 「障がい児保育Ⅱ」 の演習・講義が終了しました。


すべての子どもの豊かな育ちや学びに寄与できる実践力の育成

論理だけでなく、実践に根ざした保育技術や理念の習得

保育実践者としての誇りや使命感の昂揚


将来直接子どもの育てにかかわる実践者であることを前提にし、こうしたことを私自身の目標に据え、大学教育での学びの形を模索する毎日でした。


私はこれまで、多くの子どもたちやそのご家族の願いや期待を背負いながら その歩みを積み重ねていきました。

その願いの代弁者として、将来子どもの育てに直接かかわる若者へ、その大切なことをしっかりと伝えていく責務があるのです。


大学教育という枠にあっては、その経験不足、力量不足は否めません。

ならば自分らしく、実践現場のライブみたいなスタンスで、その若者たちと一緒に、豊かな子どもの育てを見つけていきたいと考えました。


この日行った最終試験、

彼らにとって私と過ごした1コマ1コマの学習は、彼らの目には、いったいどのように映っていたのでしょうか?

願わくはそのことが、何らかの形で、これから現場で活躍していくためのエネルギーになればと願わずにはいられません。


日々の業務の間にあっては、多少の負担感がなかったかと言えばうそになります。

日曜日の大阪でのレッスン合間には、必死でその準備を準備に追われる毎日でした。


でも、やってよかった。

学生さんたちに力がついていることが、何よりの目標ではありますが、自分自身の力量を増していくためには、またとないよい機会になったことは、間違いないことだと感じています。


また秋からは、1年生の学生さんと一緒に 「障がい児保育Ⅰ」 の学習を進めていくことになります。

私のあとを継いでくれるような、若者と出会うことができるのでしょうか?


目標は一つ、その道は百万

これからも自分自身のライフワークに向かって、様々なことにチャレンジしていきたいと、こころからそう願っているのです。










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子どもの感性

 2017-07-26
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今日、白ゆり小規模保育園に来てくれている子のお母さんが、お友達のお母さんとご一緒に、保育園でバイオリンとピアノのミニコンサートを開いてくださいました。

10分にも満たない時間でしたが、情熱大陸などの2曲を、子どもたちの前で演奏してくださいました。


右端の女の子は、7月入園の0歳児クラスの子どもです。

どうですか、この真剣な表情、

もちろんこの子だけでなく、ホールにいた全員が引き込まれるようにして、その演奏に聴き入っていました。


その子どもたちの真剣なまなざしに、一番驚いておられたのが、当の演奏をしてくださったお二人でした。

先日の祇園祭りでも、音楽は人々の感性にダイレクトに響いていくのを感じていました。


「楽器は人の言葉を話すことができません。だからこそ、言葉ではない大切な何かを、みなさんの心にプレゼントしてくれるのです」

私が子どもたちにそのようなことを話した時も、まだその感動の余韻に、ホールが包まれたままでした。


非言語だからこそ通じる子どもの感性、

長年の園長を卒業され、ここの保育を手伝ってくださっている先生が、いつも子どもたちが引き込まれるように私の表情を見つめていると、とても驚かれていました。


言語は最も大切なツールの一つではありますが、大切なのはその手段ではなく、通じ合う中身そのものなわけです。

言葉に置き換えられないからこそ大切なこと、

バイオリンとピアノを通して子どもの心に響く大切な何か、

子どもと演奏者と、教育を通して結び合う保護者との信頼の絆、

今日のコンサートからも、私たちは人として大切なことの何かを、しっかりと受け止めることが出来ているのです。







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桑名の子ども

 2017-07-18
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7月17日、午前中京都で祇園祭を心ゆくまで堪能させていただいた後、その足で三重県桑名市へ訪問させていただきました。

今から数年以上も前に、名古屋市で講演会をさせていただいたことがご縁で、それ以来何人かの子どもが岡山・京都・新大阪のそれぞれの教室にずっと通い続けてくれているのです。


名古屋市からは、南西へ快速ならば1駅、30分足らずで伺うことが出来ますが、ここから毎月毎月京都や新大阪の教室に通ってくださっているのですから、道中特別な思いが何度もこみ上げてきました。

桑名駅に着くと、改札口に4人の子どもたちと2人のお母さんが出迎えてくださいました。

駅の階段を降りる私を、下からのぞき込むようにして迎えてくれた、くりくりとしたその目に、思わず吹き出してしまいそうでした。


最初にご案内していただいたのが、 桑名駅に近い 「照源寺」 という松平家の菩提寺でした。

普段はお父さんとして接しているご住職に、桑名の歴史や文化について、たくさんのことをご説明いただきました。


まさに圧倒的な文化財、そしてその存在感

桑名の地で、これほどまで格式の高いお寺にご縁がつながっていることに、私自身が何だかとても誇らしくもなり、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。


ご住職と一緒にお茶をごちそうになっている間も、子どもたちはずっとハイテンション、

何がそんなにうれしいのか不思議に思いましたが、ずうとずっとしゃべりまくりで、私と過ごす時間が楽しくてたまらないといった風でした。


お茶をいただいたあと、その子たちが学ぶ2つの小学校にご案内いただきました。

それぞれの子が、自分が学ぶ小学校について誇らしげに説明をしてくれ、やはり学校は子どもにとっては他で代えることのできないスペシャルな存在であることをかみしめました。


夕食時にはご覧の通り、全く期待を裏切らないぷりぷりのハマグリの登場です。

桑名のハマグリは、他地域のものとは異なり、大きな3つの河川の恵みを受けたこの地域でしか食せない特別なものです。


シーズンとしては、ギリギリ最後の時期ということでしたが、まるでビー玉のようにこんなに盛り上がったハマグリは、60年近く生きてきて一度もお目にかかったことはありません。

焼きハマにしても、酒蒸しにしても、素材そのもののおいしさが引き立つ絶妙の料理を堪能させていただきました。


ご住職のご夫婦と、これまた格別の冷酒を何杯も何杯も重ねました。

そして、残念なことにお仕事の都合でご主人にはこの日にお目にかかることが出来ませんでしたが、あの名古屋での講演会に足を運んでくださり、こうしてたくさんの子どもたちのご縁を結んでくださいましたお母様に、これでもかという位あたたかくも身に余るおもてなしをしていただきました。


私たちは今、どんなご縁でここにいるのか、

おそらくは、人生の中で、本当はそう何度もないかも知れない至福の時間の共有、

その夕食時も、子どもたちは弾むような時間を、共に過ごすことが出来たのでした。


桑名駅まで全員で見送っていただきました。

私の姿が見えなくなるまで、子どもたちは千切れんばかりにその小さな手を振り続けてくれました。

いただいたお土産の紙袋の中には、子どもたちが一画一画心をこめて書いたであろう、お手紙が添えてありました。


桑名に足を運んで本当に良かった。

6年生の男の子は、「先生、桑名に教室を作ってください」 と何度も何度も言ってくれました。


この子たちが、私に託す思いとは一体何だったのか?

その答えを私は、子どもたちの豊かな学びという形で、これからもしっかり返していきたい、


その為すべきことがあるということが、私の何よりの幸せ、

きっと私には、それしか出来ない、


何があっても、そのことにチャレンジし続ける自分でありたい、

最終の新幹線の窓に反射した私の横顔は、この日ばかりは、いつになく紅潮しているふうに見えたのでありました。









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祇園祭

 2017-07-17
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土日の新大阪でのレッスンを終え、この日は京都の祇園祭へと向かいました。

普段は並ぶのが大嫌いな私ですが、この日は早起きして、7時半には四条にある御旅所に着きました。

そこからご案内までの1時間半ずっと列に並んで、そのときを待ちましたが、いただいた席は最高のロケーションで、1番の長刀鉾から始まり、23番の船鉾まで一度も席を立つことなく、すべての山鉾巡行を堪能させていただきました。


十年近くレッスンに伺って、こうした機会は初めてのこと、

まさに私にとっては生涯目に焼き付いて離れない、一生分の京都の伝統にふれた思いになりました。


亡くなった母の書斎には、こうした日本の伝統文化にかかわる書籍が山積みになっていました。

理屈や言葉では表すことのできない何かの魂が、ダイレクトに私の心を揺さぶっていくように感じていました。


私には、子どもたちとのレッスンがあればこそ、こうした機会をいただくことが出来たわけです。

何百年経とうが変わらない大切な営み、

どんな時代にあっても、ずっと受け継がれていくもの、

私は教育者として、この日この場所にいることに、何か特別な思いがこみ上げてきたのです。







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もっこす

 2017-07-14
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昨日、教え子が板前をやっている居酒屋に行きました。

どうやらちょうど30年ぶりの再開だったらしく、私の年齢も58歳とぴったり覚えてくれていたのには驚きましたが、それより何より6年生ならいざ知らず、3年生の担任だった私にこんなに特別な思いを寄せてくれていたことを、本当にうれしく感じました。


「先生は、破天荒」

その子は、私のことをそんなふうに表現してくれました。

「先生に会ったら、泣くかもしれません」

どちらかと言えばおとないいタイプの子であった彼が、そんな言葉で私にその気持ちを伝えてくれました。


破天荒でなければ、大学院に行って教員をやめる、みたいなことは決して出来なかったに違いありません、

当時から、学級づくりはダイナミックなことばかりして、学年団の調和がとれないと、ベテランの先生を困らせてばかりでした。

しかしこの子たちが6年生になって、校長先生に6年間の一番楽しい思い出を尋ねられた時に、修学旅行でも運動会でもなく、3年生の私のクラスでの学級活動のことを話した子が何人もいたということを聞きました。


先生は若い、肌がきれい、

30年ぶりに会った教え子の男の子に肌がきれいと言われても、笑うしかありませんが、きっとそれはあの頃と子どもに対する姿勢が全くぶれていないからに違いありません。


30年ぶりに会うということですから、この子の年齢も40歳になるのです。

結婚して2人子どもがいますというこの子の話の中から、今の私が、この子のお子様のことで何か役に立てることがあればと願っているのです。


居酒屋は、熊本料理の専門店で、とてつもなくうまい馬刺しをご馳走になりました。

58歳になって、馬刺しというものがこんなにうまいということを初めて知りました。


もっこすというのは、熊本弁で筋を曲げない男の信念を示す言葉であることを知りました。

この先、何年経とうが、何十年経とうが、私が子どもに向き会う姿勢に変化があろうはずはありません。

30年経って、心の芯について何も変わっていない自分だからこそ、この子は私に連絡をしてくれたのだと思っています。

また早い時期に、この子と一度飲みも行きたいし、次回は早めにぼたん鍋をいただきたいと思っています。


以前勤めた小学校と同じ地に居を構えたことにより、こうした幸せな出会いも広がっていく、

教育界における岡山のもっこす、

何があっても、私は目指す道を曲げたりはしない、

私はそれで充分です。










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母の執念

 2017-07-13
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実践者の仕事を続けたいなら、管理者の仕事が一人前に出来てから…

それが職業人として、今の自分に課せられたテーマであると考えています。


保育園の園長の仕事も、いまだに不慣れなことが多く、書類1枚書くのにも悪戦苦闘の毎日です。

ようやく毎月のルーティンがつかめ、ほんの少しだけ見通しがもてるようになってきました。

それでもまだ、保育内容そのものについては様子見の段階で、これから自分らしさをどう保育内容に役立てていくかを模索しているといったところです。


こうした状況で、私の個別レッスンをご希望くださる方がいます。

実践の仕事は楽しいですが、管理者としての仕事に得心のいっていない状況では、以前のように安易にお引き受けすることが出来にくくなってしまいました。


そんな中、私のスケジュールにねじ込むようにレッスンをご希望くださった方がいます。

安請け合いをするわけにもいかず、回数やら時間やら、かなり制限させていただきましたが、それでもということでしたので、お引き受けすることにしました。


それまでは、新しい環境が苦手で、行動のコントロールがとりにくいタイプのお子さんだと思っていました。

しかし、何回かレッスンをさせていただいているうちに、書字などのアウトプットの部分はやや雑な傾向がみられるものの、読字や判断の部分は、結構イケていることがわかってきました。


行動面についても、手立てや環境を整えさえすれば、集中して学習に取り組むことができるようになってきました。

また、学習内容がかみあっていくうちに、私とその子の間に、次第に信頼やらコミュニケートやら、大切な関係が培われていることを感じ始めました。

いつの間にか、離席もなくなり、時間いっぱい学習に集中できるようになってきました。


ここに来てやっと、このお母さんが、なぜそうまでして私とのレッスンをご希望されたのかが、わかってきました。

この状況は、すべてこの母の熱い気持ちなくしてあり得たことではないはずです。

まさに母の執念、

私のレッスンは、こうした気持ちの上に成り立っていることを、ずっしりと受け止めなければならないのです。









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ここから向かう先

 2017-07-04
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今日は、赤ちゃん体操の日で、たくさんの子どもたちが、発達支援センターで来てくれています。


この4月から、私の仕事にかかわる環境は大きく変わりました。

予想以上に大変だったことや、思った以上に順調に進んだこともありますが、それから3ヶ月が過ぎ、ここに来てやっとそれぞれのことが落ち着き始めました。


仕事の拠点は、郊外から市内中心部へ移りました。

ご縁のある3つの大学まで、車で行けばすべて10分以内で行くことが出来ます。

駅に近いので、大阪へ行く利便性も高く、こども園や発達支援センターへも15分で行くことができます。


今から30年前、私は、小学校の教員になって初めて受け持った3年1組の子どもたちのことを、今でも忘れることが出来ません。

それと同じように、園長となり、今私の保育園に通ってくれている子どもたちのことが、かわいくて仕方がありません。


園長さんにも、きっと色々なタイプがあることでしょう、

それぞれの事業所で、直接子どもたちのレッスンを担当させていただくことだけは、これからもずっと変わりません。


きっと他の園長さんが、当たり前にしているようなことは、私にはできません。

この環境で、今の私がすべきことが何なのか?


ならば、それに応えていくことが、私の役割、

私に与えられた役割と使命、


たとえそれが、どんなに小さな1歩であろうとも、これからも真心を込めて、自分の道を進んでいきたいと願っているのです。







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教材開発

 2017-06-30
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これは、2年生国語 「スイミー」 のオリジナルプリントです。

標準化されたすばらしい教材を、それぞれの子どもの能力や特性に合わせて、作り替え、命を吹き込む。

すべての2年生に、 「スイミー」 の世界の楽しさや豊かさに触れさせたい、

そんな願いで作成されました。


ポイント数の大きい横書きで、文字を視覚的にとらえやすくする、

プリント1枚あたりの文字数を少なくし、ショートターンメモリーの小さな子どもでも対応しやすくする、

内容的な判断につまずいた場合は、すぐに視覚的な選択肢の中から選ばせるよう事前に準備をしておく、

そんな手立てをたくさん用意しておきました。


白ゆりで勉強すると楽しい、

一人でもそんな子どもが増えたら、こんなんうれしいことはありません。

その先にそんな笑顔が、待っているからこそ、私たちのチャレンジはこれからもずっと続いていくのです。









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私を支える力

 2017-06-28
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先日、保育園の駐車場の入り口に段差があるので、ホームセンターで見つけてきたプレートを設置しました。

こうした目に見える作業は楽しいものです。

購入から設置までの作業を自分ですれば、あっという間に時間は過ぎますが、段取りさえつければあとは指示を出して用務員さんにお願いするようにしています。


用務員さんが、設置をしている作業時間には、私は建物の耐震化の報告書を作成するために、設計士さんに電話をかけていました。

その同じ職員室で、一人の先生には新教材開発の指示を、もう一人の先生には大学での授業に関する事務仕事をしてもらいます。


設計士さんとの話が済むや否や、市役所への陳情書の仕上げに取りかかり、会計事務担当に伝票を渡した後、昼前には別の事業所に行き自分が受け持っているレッスンの教材を作ります。

自分が園長をしている保育園では、園長と職員との距離感こそが腕の見せ所と考え、指示については至らぬでもなく過剰でもなく、園として最大の教育・保育力が発揮できるよう自分なりに配慮しているつもりです。

私は責任者ですから、進むべき大局を見るため、可能な限り細かい内容は別の職員に任せ、その確認と評価に力を注ぎます。


私を直接支えてくれる職員も、最初はたった一人だったのですが、今ではそれも20名を超えるようになりました。

どの職員も、私にはもったいないくらい優秀で、能力も忠誠心の高い職員です。


私は、自分自身がオールマイティプレーヤーを目指してきましたから、適材適所に人を使うということは、元来苦手なタイプです。

一方で家内は、30歳前半から保育園の園長を20年も続けているだけあって、人の使い方には抜群の才を発揮します。

私にはない部分を多く持っているので、二人で仕事を分担し合って、これまでいくつもの事業を前に進めてきました。

そういった点では、ある意味最強の夫婦なのかも知れません。


今の後ろには、何人もの職員の期待と生活がかかっているのです。

この状況で、適当な仕事なんて、出来ようがありません。


これが私の力の源泉、

私の選んだ道、

ここまで私を押し上げてくれたのは、出会った子どもとそのご家族であったからこそ、その一つ一つに寄り添うことで、事業も拡大し職員も増えてきたのです。


ありがたくも、幸せなことです。

わずかであっても、その願いと期待に応えていきたい、

大局を見ればこそ、その原点が一人の子どもの育てに凝縮されることを、私はこれからも職員と一緒に、しっかりと見つめていきたいと願っているのです。









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苦しいときに見える人の真実

 2017-06-27
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人が一人前に育つまでには、様々な試練があります。

小さいときに手のかからなかった子が、大きくなってからとんでもない場面に遭遇することだってありますし、小さいときにとんでもない苦労をかけた子が、大きくなってすばらしい青年となることも珍しいことではありません。

どの時期に苦労をかけるかは別として、その苦労の質も中身も別として、何の苦労もかけない子なんてどこにもいないと思っています。

その親の苦労の分だけ、きっとその子は、人の最も大切な部分にふれることになるのだと、私は考えています。


先日、あるお母さんからメールでご相談をいただきました。

↓ 下記の内容は、そのメールに対する私の返信です。


ご連絡、ありがとうございます。

起こっている出来事に対して、その都度適切な対応を考えていくことはとても大切なことです。
そして、苦しい局面での一つ一つが、やがてその子にとってかけがえのない大切な時間となっていくものと考えています。
まさに苦しいときこそ、人は育つし、かかわっている人の真価が問われるのだと思います。

人はかかわりの中で生きているのですから、うまく行かない時に、その原因を子どもだけの問題としてとらえるのは誤りです。
関係性という視点でとらえることも、重要だと考えています。

人が育つ道は、百万通り、
ゴールは、お子様の幸せと成長、そして自己実現なのですから、そこに至る道が色々であっても何の遜色もありません。

それぞれの場面で、一つ一つの判断をきちんと積み重ねていくことはとても重要です。
でも、うまく行っていると思う道に思わぬ落とし穴があったり、もうだめだと思った瞬間が、輝く将来につながる、
そんなものです。

だから苦しければ苦しいときほど、笑顔で行く先をしっかり指し示す支援者の存在は重要です。
微力ですが、私はずっとそばにいて一緒に歩んでいきます。

ご家族に成り代わることは出来ませんが、真摯に取り組むご家族を支えることはできます。
ここはふんばり所です。

きっとすてきな道の一歩が、どこかにつなっがているはずです。
しっかりとした気持ちと笑顔で、ここを乗り切っていきましょう。

それが出来るのは、きっとお母さんしかいないはずです。





>何度も読んで、何度も涙がこぼれ、

>そして ありがたく、あたたかい言葉に励まされています

お母さんは、そのようにお返事をくださいました。


その行く先に、どんな出来事があろうとも、この母は、間違いなくそのことを乗り越えて前に進んでいかれる。

これまで接してきた何十人という母がそうであったように、この母もきっと、そこから美しい何かをつかみ取っていかれる。


私は、その思いに、一点の曇りも迷いもありません。

苦しいときにこそ見える人の真実、

母が子を思う気持ちに、何のうそ偽りなどあろうはずがないのですから。









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祇園祭

 2017-06-26
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京都に出張レッスンに伺うようになって、もう7~8年以上になります。

大阪に常設の教室を開くまでは、毎月京都におじゃまさせていただいたものでした。

今は、会員の方がご自宅の一室を提供してレッスンをさせていただいていますが、以前は二条城のすぐ近くの工房をお借りしていた時期が長くありました。


朝8時前に京都に着いて、夕方6時くらいまでレッスンの連続、

もう何十回となく京都に訪れましたが、桜も、紫陽花も、紅葉も、すべて車や電車の窓から眺めるだけで、一度としてプライベートでどこかに訪れるということはありませんでした。


今年度、京都に伺う予定の日が、祇園祭の日と重なってしまいました。

「交通状況のこともあり、この日だけはさすがに京都でのレッスンは難しいです」

いつもお世話をいただいている担当の方が、そう私にお伝えくださいました。


ならばと言うことで、この日の京都でのレッスンは断念し、その祇園祭を見学させていただくことにしました。

午前中は京都での時間を過ごし、午後からはこれまた大変お世話になっている桑名へおじゃまさせていただく計画を立てました。

この10年、レッスン以外のことで他地域に伺うなんてことは皆無でしたので、保護者の皆様は大変驚かれていました。


昨日、その京都の方が、山鉾巡行の拝観券を私にくださいました。

山鉾巡行を目の前で拝観させていただく…

誰もにこんな機会があるわけではありません、

思いもかけない貴重なご厚意に、うれしくも、幸せな思いがこみ上げてきました。


単なる観光とは、わけが違います。

午後に伺う桑名も、今から楽しみにでなりません。


こうまでして私をお迎えくださる保護者の皆様のお気持ち、

そのことを何よりも誇りに思うと同時に、これからもしっかりとそのお気持ちに叶う内容を提供していきたい、

当日、私の目に映る風景に思いをはせながら、心の中から、そんな思いがこみ上げてくるのです。








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大切な私の子ども

 2017-06-22
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先日、保育園の参観日がありました。

園長になって、初めてのオフィシャルな行事となります。


文字通りの小規模の保育園ですが、前園長は、意欲と力量のあるすばらしい職員をそろえてくれました。

新年度、新園長、新スタッフでの初めてのイベントを迎えることになったわけです。


予想外の出来事や、ハプニングはたくさんありました。

すべて3歳未満のこどもたちですので、いつもと違う環境に、泣き出してしまう子も何人かいました。


それでも、筋書き通りではないハプニングの場面にこそ、保育者と愛情や力量がうかがえるものだと感じていました。

最後の親子のふれあい活動でも、ライブならではの一体感と、心の通いあうすてきな瞬間がいくつもありました。


参観日を過ぎてから、こどもたちの私へのまなざしに、明らかな変化が見て取れました。

小さい心の中にも、私をしっかりと、園長として慕ってくれているように思いました。


子どもの命をあずかる保育園、

ここにいるときは、それぞれのご家族になりかわって、私がその大切な命をお預かりさせていただいているわけです。


保育園にいるときは、この子たちは、大切な大切な私の子ども、

その責任は、限りなく重い、


参観日には、インクルーシブ教室の子どもも一緒に参加してくれました。

その大切な子どもの育てを託していただけることを、私は職員と共に、何よりの喜びと感じているのです。








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ほんの小さな一歩

 2017-06-21
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今日は、こども園の年長さんの男の子とのレッスンがありました。

以前は、独立歩行がおぼつかない時期が長くありましたが、この日はしっかりとした足取りで、スタスタと教室に入り、とても驚きました。


まだ歩けない時期のレッスンは、どんな教材を提示しても、なかなか期待されるような反応が見られず、私の方もかなり苦しみました。

しかし、独立歩行がしっかりとしてくるにつれて、対象物にかかわる反応や認知力、手指の巧緻性などがみるみるうちに向上し、レッスンの内容が格段に豊かになってきました。


この日は、初めて動物の型はめパズルを提示してみました。

以前なら、なかなこれを教材としてとらえることが出来にくかったのですが、この日は明らかに目の輝きが違うことが見て取れました。


見方によってはほんの小さな一歩だと言えなくもありませんが、これまで共に歩んできた私としては、この日が来るのをどんなに待ち望んだことか知れません。

小さくとも、この先、ずっと広がる学びの道がここにあるのです。


レッスン中に何度も何度もケラケラ笑うなんてことも、以前には考えられないことでした。

成長が目に見えるのは、本当に幸せなことです。


頑張ってきて良かった、

今度来てくれるときには、一体どんな成長を見せてくれるか、何だか今から楽しみです。










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イタリアからの便り

 2017-06-20
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↓ 先日、今イタリアで勉強している女の子のお母さんから、下記のような内容のメールをいただきました。


今週でイタリアは学年末の授業が終わり、明日から夏休みです。

すでに、上記のサイトで成績表も見ることができました。
成績もコメントも、本人の頑張りをとても評価してくださったものでした。

日本ではインクルーシブ、インクルージョンというと分けないこと、統合することを言うのに、イタリアではもともと分けてないので、時間割で支援する授業、取り出す授業がインクルーシブと呼ばれるのが新鮮でした。

このシステム、この形だと支援教育の意味がよくわかります。
もともと「分けない」が大前提というのは、気持ちが本当に楽です。こんなに清々しいのかと、改めて思います。
先生との気持ちの行き違いや、細かい差別的な要因がないので、心から学校にお任せできます。

>>ただ単に、特別支援学校を廃止するだけで、それが子どもの成長や幸せに寄与するとは思っていません。
>>ただ同じ屋根の下にいるだけで、子どもが育つとも思っていません。

私もそう思っています。先生の「インクルーシブ教室」の真の意味が、日本にも広がって根付くこと、願ってやみません。

娘はたくさんの経験をまた積んで、来週帰ってきます。
夏のSHINOBU先生のレッスン、楽しみにしています、どうぞよろしくお願いします。





今からもう8年以上も前のことになるでしょうか?

私は、この子がお母さんと一緒に、京都から岡山の教室に来てくださった日のことを、まるで昨日のことのように覚えています。

イタリア人のお父さんと二人で、岡山にお越しくださった日のことも忘れることが出来ません。


このことがご縁で、京都と大阪に教室ができ、そこからすばらしい多くの子どもたちとそのご家族に出会うことができました。

「もともと分けないが大前提」

私がこの子との出会いから、学んできたものは、はかりしれません。


教育の仕事を志し、こうした出会いの中から、私がなすべき役割、

こんな自分でも、子どもたちの幸せのために、なすべき何かがあるということ、

それさえあれば、私は何もいらない、

どんな苦難があろうが、そこに進むべき道があることを、私は何よりの幸せに思うのです。








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私の城

 2017-06-14
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この4月から、私が執務する拠点が、小規模保育園の3階にある個別指導室となりました。

元々は倉庫だった場所をリフォームしたもので、最初は本当にここでレッスンや事務ができるものかと、当時は不安いっぱいでした。


四畳半にも満たない小さなスペースですが、実際に完成し稼働が始まると、パソコン、プリンター、スチール書庫、シュレッター、IPAD、知育いす・デスクが備えられ、発達支援センター、新大阪教室と並ぶ3つ目の個別指導の拠点ができたことに、大変大きな喜びを感じることとなりました。


狭いスペースではありますが、手を伸ばせばすぐの所に、何もかもが揃っているのですから、実際の事務仕事は大変はかどります。


岡山駅近くの私の事務所から出た場合、ここまで通勤時間は3分もかかりません。

新大阪の教室へも、ここからなら1時間以内で行くことが出来ます。

市役所もハローワークも労働基準監督署も法務局も、岡山大学へも就実大学へも、すぐに行くことが出来ます。


あのリフォーム前の様子を知っている人は、ほとんどいなくなりました。

隣の指導訓練室には、連日ほぼ定員いっぱいの子どもたちの笑い声が、聞こえてくるようになりました。


ここはゴールでも通過点でもなく、次のステージに向かうための、私のスタート地点となったのです。

何もない所から、何かを作り出していく営み、

そこにしっかりとした理念や、子どもの育てにかかわる熱い思いがなければ、何も乗り越えてはいけません。


そう言えば去年、ここに教室を開く際には、次から次へと無理難題が降りかかってきて、何度も気持ちが折れそうになったことがありました。

今となっては、そんなことも遠い昔のことのように思えてきます。


次に私がすべきこと、

子どもたちとそのご家族のために、

今の立場にいる自分だからこそ出来ること、

しなければならないこと、


3階から見える岡山の景色を遠くにやりながら、その大切な一歩を、しっかりと見つめて行きたいと思っているのです。









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うれしい便り

 2017-06-11
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↓ 昨日、ある5年生の女の子のお母さんから、以下のような内容のメールをいただきました。



いつもお世話になりありがとうございます。


嬉しいことがありましたのでSHINOBU先生に一番にお伝えしたくてメールをさせてもらいました。

担任の先生が娘のテストのことで悩んでおられどうしたら良いかと聞かれました。

娘にはみんなと同じテストはしんどいのではないかとおっしゃっていたので、いつもSHINOBU先生が娘にご指導して下さっている方法をお伝えしてそれでもダメでしたら娘の能力に合ったテストにして下さいとお願いしました。

昨日、娘を迎えに学校まで行くと担任の先生が昇降口に来られてとても嬉しそうな顔をして

「お母さんが教えてくれた方法でテストをしたらこんなにできました!ヒントから選んで解答したのですがわかっていないとヒントから答えを選べませんよね!読みはほとんどわかっていますね!すごいです!今日はいっぱい褒めてあげて下さい」

とテストを見せてくれました。

担任の先生の気持ちの中で娘はできない子ではなくてこうすればできるんだと理解してくれたことを感じました。一歩前進したことを感じとても嬉しく思えました。

SHINOBU先生のご指導のお陰です。
本当にありがとうございました。

次回のレッスンも親子で楽しみにしておりますのでよろしくお願い致します





これまで、この子の漢字学習に対する集中度は、普通ではありませんでした。

ただ、内言化されたものを書字化するプロセスの中には、どうしても一定の視覚情報を添える支援が必要でした。

ただ、そこに支援を入れていく学習を積み重ねていくうちに、その部分の脳のネットワークが次第に豊かになっていくのが見てとれ、私の支援も段階的に除去できるレベルに迫ってきていました。


アウトプットまできちんと出来ないと、テストでは丸はもらえませんが、だからといってその内容が全くわかっていないということではない場合も多いのです。

ならば、そこには過剰ならず、足らずであらずの支援を入れて、段階的にそれを除去して自力解決に向かわせるというのが、私のレッスンの一つのスタイルなのです。


もしこのことが、学校での学習がさらに豊かになってきっかけになってくれれば、こんなにうれしいことはありません。

私の果たすべき役割の一つは、きっとこんなことにもあるのです。









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記号としての文字

 2017-06-09
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小規模保育園には、日々の活動内容を示すボードがあります。

「縄跳び」「鉄棒」など、そこには活動内容を示す言葉が、漢字で書いてあります。

歩数を計測する万歩計にも、あえてその子の名前を漢字で書いているのです。


小規模保育園の子どもは、0歳・1歳・2歳児クラスの子どもですから、まさか漢字が読める子は一人もいません。

別に、英才教育をしようとして、わざわざ漢字の表記にしたわけでもありません。


「み」「か」「ん」というそれぞれのひらがなを見て、その音韻を認知し、それを内言語化するようになるのは、就学前の4歳・5歳になってからで十分です。

しかし2歳の子でも、「なわとび」 という内言語をもっている子はたくさんいます。

ならば、その内言語と文字言語をつなぐには、表音文字のひらがなより、表意文字の漢字の方がわかりやすいということはあるのです。


例えば 「や」 「ま」  と2文字を認知し内言語化する場合と、「山」 と漢字一文字を提示した場合とでは、実際の山と形が似ている漢字の方が、子どもにとっては認知しやすいのです。

ましてはPDDタイプ、同時処理傾向のお子さんにとっては、なおさらのことです。

他感覚に認知の育った就学前の子どもと、まだシングルフォーカスの2歳の子どもとでは、認知処理の過程が同じではないわけです。


だからと言って、ただ何でもかんでも漢字で書けば育つというものでもありません。

どんな教育も、子どもの実態、指導者の願い、そしてそれを具現化するための教材を、いかに血のつながったものにしていくかが、腕の見せどころであり、その醍醐味であるのです。


実践現場では、おもわぬライブな子どもの反応が、その時間の内容を大きく変えてしまうものです。

レッスンは生き物、一つとして同じものはありません。


あなたがいればこその、今日のこのレッスン、

だからこそ教育の世界は奥が深いし、面白いのです。








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イタリアの特別支援学校

 2017-05-31
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4月28日の京都新聞に掲載された、熊本学園大学堀正嗣教授のインクルーシブ教育にかかわる記事を、保護者会の会報よりご紹介いただきました。

その中の一文に、「イタリアは1977年の法律で特別支援学校・学級を廃止」という一文がありました。

私は京都の教室で数年前から、日本とイタリアの双方で学ぶ小学生のお子さんをサポートさせていただいておりますので、そのことがとても身近に感じられました。



私は10年ほど前に、大学院で初めてそのインクルーシブの理念に触れ、体が身震いするほどの衝撃を受けたことを今でも忘れることができません。

今、この時代に生き、直接子どもの育てにかかわる者としての、なすべき根幹はきっとここにある、

その時に感じたその思いは、以後多くの子どもやご家族の思いに触れていくなかで、衰えていくどころか、いつしか私の心の中で揺るぎない信念と昇華したのでありました。


4月に開設した新しい教室には、「インクルーシブ教室 白ゆり」 という屋号をつけさせていただきました。

長年の日本の分離教育の歴史にあって、インクルーシブという理念が、そうやすやすと日本に根づくとは思っていません。

だからこそ私は、あえて自分の教室に 「インクルーシブ」 という名を冠して、その方向性を明確にしたかったのです。


ただ単に、特別支援学校を廃止するだけで、それが子どもの成長や幸せに寄与するとは思っていません。

ただ同じ屋根の下にいるだけで、子どもが育つとも思っていません。


どの子も生まれながらにもっている内発的な学びの願いが叶ってこそ、そのあるべき学びの形をもってして、その一つの姿をインクルーシブという言葉で示すことになるのだと、私は考えています。


私は、自分の命の最後の一滴に至るまで、ここを目指して歩んでいきたい。

私の命は、そのために神様からいただいたもの、

私の夢も幸せも生きがいも、根元はすべてここにあるのです。











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母の命④

 2017-05-29
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私は、小学校の頃より、両親が共にいない環境で育ってきました。

いつしかそれは、

「自分は望まれて生まれた子ではない」

「それはすなわち、生きている意味がない子だ」 

という思いがずっと心の中を占め、自分は世界で一番不幸な子だと考えていました。


私が誰かにそのことを話すと、何人かの人は、「全然そんなふうに見えないよ、きっと小さい頃は愛情をいっぱい受けて育ったにに違いないよ」 と言ってくれました。

そのときは、とても複雑な思いでそんな言葉を受け止めていました。


連休中に、母が長年にわたりお世話になったギルフォード教育研究所にお伺いさせていただきました。

所長様をはじめ、皆様には、大変なおもてなしをしていただきました。


そのときに、ある先生がお伝えくださった言葉は、今でも私の心の中に深くしみわたっています。


私は、自分の母の介護を長年にわたり続け、それは言葉では言い表せないほど、とても重い時間でした。

SHINOBUさんの人生は、ある意味不幸であったという見方もできますが、では人のいう幸せな人生というのは、いったいどこにあるのでしょうか?

何か一つ足らないものがあったとして、そのことだけを考えていられたというのは、もしかしたらそんなに不幸な時間ではなかったのかも知れません。

あなたのお母さんは、きっとあなたのことを片時も忘れたことはないはずです。

人と同じような幸せが一つかけていたとしても、その分あなたのお母さんは、あなたの苦しみを一つ背負って旅立たれたのかもしれません。


母が、私と同じ教育の世界に身を置いていたということ、

その臨床の最前線で、日々子どもたちと向き合っていられること、

そして、何の迷いも無く、日々の仕事に集中して取り組むことができること、


誰が願ってこんな環境にいられることでしょう。

これが私の人生であって、そのことを誰かと何かと比べてみても、それはそんなに意味のあることではないかも知れない。


私の命がここにあることを、

私はここにきて、今はっきりと感じることが出来るのです。







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言語にかかわる専門性

 2017-05-27
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例えば「みかん」という言葉があったとします。

みかんのカードをみて、それをみかんと認知して、言葉でそれを「みかん」と伝えることが出来る、

とても大切な言語のプロセスです。


「みかん」という文字を見て、その文字を「み」「か」「ん」と音声化することが出来る。

これもとてもすてきな言語の育ちです。


でも、たとえ「み」「か」「ん」と音声化出来ても、それが「みかん」と認知出来ているかどうかは別問題です。

「み」「か」「ん」とⅠ文字Ⅰ文字を音声化するのに精一杯で、その時「それなあに?」と尋ねてみてもキョトンした顔をする子もたくさんいます。

音声化は認知のための第一歩でありますが、もし音声化しただけで、その内容を認知出来るのであれば、読解指導なんて不必要で、国語の勉強はずっと音読だけすればいいということになってしまいます。


おしゃべりが大好きな人は、世の中にたくさんいます。

ですが、その方に「今お話くださったことを、文章でまとめてください」とお願いしたとしたら、案外そんな方に限って、「作文は大の苦手で…」と言われることが多いように思います。


私は文章書くのも、1,000人の前で講演させていただくこともあまり苦になりませんが、プライベートな小集団で、ジョークを飛ばしたり、場を盛り上げたり、気の利いた事を言ったりするのは大の苦手です。


さらに文字を書くプロセスも、内言から一つ一つ文字化することが出来る子と、「みかん」というカードを見てそれを視写するように書いていく子と2通りあります。

きっと何年か経てば、その子がどんなプロセスで書字化しているかは判明出来ないほど言語ルートが豊かになっていくと思われますが、そこまで育てていくまでには、その時々でその子にあった有効な支援というものがあります。


多くの子どもの言語の育ちを長年見てくると、こういう子のこういう場合には、こういう支援が有効であったということが体験的に見えてくるときがあります。

これが私の言語の育ての基本スタンスです。


理解の言葉、文字の言葉、話言葉

長年の学習により、いつの間にかそれを自由自在に使いこなせるようになった者には、なかなか文字の読めない子のメカニズムは、逆に見えなくなるものです。

言語の育てにかかわる専門性、

きっとそれは、こんなこころにあるのではないかと、私は考えているのです。








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ダメなリーダー

 2017-05-26
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私は元々一匹狼の変わり者で、職人肌ではありますが、組織のリーダーには向いていません。

今では、3つの事業所の統括をしていますが、それぞれの事業所で直接子どもの指導にあたっており、自分自身のレッスン内容については、納得できないレベルのものは決して受け入れることはできません。


私がいつもレッスンにに集中できるよう、他の職員には事務などの事前の準備をしっかりとするよう指示しています。

こうしたスタッフ努力抜きに、私のレッスンを考えることはできません。

多い日には、一日に10人以上のレッスンをこなすことができるのも、こうしたスタッフがいればこそのことであるのです。


先日、そのスタッフにちょっとしたミスがありました。

いつもレッスンにかかわることは、完璧にしていきたいと思っている私ですので、懐深くそのことを受け止めることが出来ず、感情がすぐに表に出てしまいます。

スタッフもそこにいた子どもたちも、私のいつもと違うオーラを目の当たりにして、場が凍り付いてしまいました。

リーダーとしては、全く失格の内容です。

心の中では、しまったと反省をしていますが、だからと言ってその私の基本的なスタンスが変わることはありません。


一度でもレッスンに穴を空けたら、即引退する

それが私の口癖であることは、職員はみんな知っています。


本日法人の理事会があり、新しく開設したインクルーシヴ教室のここまで利用実績を報告させていただきました。

ダメなリーダーのもとで、わずか開設2か月で、よくぞこれだけの数字を残してくれました。


器のちっちゃい私ですが、そこにかける真摯な気持ちだけは、理解してくれているようです。

これがなくなったら、もう私ではありません。


真摯な思いだけは決して失うことなく、自分なりのスタンスで成長していきたい、

こんな私をいつも支えてくれる職員、

私は、本当に人に恵まれました。








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教材を選ぶ力

 2017-05-24
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以前、私の教室には、おもちゃの墓場というものがありました。

就学前のお子さんのレッスンを担当して間もない頃、高い値段で買ったおもちゃが、ことごとレッスンで役に立たなかった時期があるのです。

その教材を見て、子どもの動く姿が全くイメージできていなかった証拠です。

使えないおもちゃが山のようにたまってしまっていた、私の修業時代の苦い思い出の一つです。


いい絵本やおもちゃを選ぶことのできる保育士は、間違いなく相応の力量のある保育士です。

豊かな実践のある保育士は、おもちゃや本に出合った瞬間に、その絵本やおもちゃで生き生きと活動できる○○ちゃんの姿が思い浮かんでいるのです。

どんな活動も、まず子どもの育ちの実態があり、教育者としての願いがそこに生まれ、それをつなげる教材や活動を組み立てる。

その原則には、かわりがありません。


小規模保育園の子どもが、朝の時間に食いつくように取り組んでいる活動があります。

画像のような小さいボックスに大きなの違う大小の丸いキャップのような物を入れる活動です。

別に保育士がやらせようとしているのではなく、いつも子どもが夢中になって取り組んでいるのです。


手作りの知育玩具なのですが、ボックスはキラキラ、

入れる部分は、ボール紙で適度な弾力があり、すぐにスポット入ってしまわない所が、子どもの探求心や好奇心をくすぐっています。

試しに個別指導の場で使ってみましたが、案の定子どもの食いつきは抜群です。

もう一つこれに似た手づくり玩具のカード版もありますが、これも臨床実践場面での即戦力です。


何気ない所ほど、保育者としての力量の差が歴然と出るものです。

そのわずかな技量の向上こそが、私たちはそのプロとしての専門性の証であると考えているのです。










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インクルーシブの風

 2017-05-21
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このところ適応であったり、表情であったり、生活面の安定性であったり、目に見えて大きな成果が現れだした子どもが何人もいます。

それらの子に共通する内容は、この春から、白ゆりのこども園であったり保育園であったり、この春から集団の中にしっかりとした居場所ができたということです。

私は、子どもが劇的変わるための、必要条件の一つがここにあると考えています。


専門性の高い個別支援の場が重要であるか、地域の学校園で育てていくことが重要であるか、そんな議論はナンセンスであると考えています。

そのどちらもが不可欠であり、そのバランスやタイミングを考え、結果としてどう子どもを伸ばしていったかが、プロとしての力量を示す尺度であると思っているのです。


こうした子どもの育ち、保護者の皆様からいただく感謝の言葉こそが、私たちの理念や活動の根幹を支える原動力となっています。

一人でも多く、一つでも豊かに、

私たちの誇りも夢も自信も、すべてはこのたちの育ちが根元にあるのです。










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迷路で培う思考力

 2017-05-18
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先日、ある4歳の男の子に上のような迷路をさせてみました。

この4月から、プリント学習に取り組み始めた男の子です。


さあ、これから迷路の勉強だよ、

そう伝えた時の、その子の驚きと、目の輝きがしっかりと見て取れました。


適切な支援や見通しがないために、子どもがつまづいたり、一定の教育的な効果があがらないようでは、導入する意味はありません。

このレベルの場合、ポイントとなる分岐は1つか2つなので、その場面だけはタイミングよく支援を入れます。

そこさえ過ぎれば、あとはその子の判断で自利解決することができるのです。


トライ&エラーの模擬体験であったり、視覚認知と判断の協応力を育てていくためには、迷路はなかなかの題材です。

認知処理様式の異なる子でも、同時系と継次系の行ったり来たりを使い分ける場面があるのです。


洞察したり、類推したり、試行したり…

子どもが飛びつくのは、そうした知的探究心や追求意欲を満たす何かが、この題材にあるからです。

良い教材で子どもが育つと同時に、理屈では無く、子どもが育つ教材こそが、良い教材なのだと私は考えているのです。







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Author:SHINOBU
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